からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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希望

復活のいのち

テーマは 『 復活のいのち 』 です

【第1コリント15章3-8節】

私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、

また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、

また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。

その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。

その後、キリストはヤコブに現れ、それから使徒たち全部に現れました。

そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました。

死から復活したことは、死で終わったのではなく、再び いのちとして生まれたことを意味します。


イエス・キリストは十字架の上で確かに死にました。

そして墓に葬られました。


みんなはその死を確認しました。

そして弟子たちがその死体を盗むことがないように、墓の入り口に石を転がして、誰も入れないように防ぎました。


そして番兵が墓の番をしました。

三日間は墓の中に何の変化も起こりませんでした。


しかし三日後に異変が起こりました。

イエス・キリストが前もって言われた通りに、死の力を打ち破ってよみがえりました。


死がイエス様を縛っておくことは出来ませんでした。

完全に復活しました。


死人ではなく、いのちあるキリストの姿になりました。


そのいのちは再び死ぬような一時的なものではなく、二度と死を味わうことのない、朽ちない栄光の体になりました。


その体は多くの人が直接見ました。

目撃者が多かったです。


誰かの作り話ではなく、事実でした。




復活はすでに預言されていた




復活は旧約聖書で、すでに預言されてありました。

そして新約時代に成就されました。


―― 預言 ――
【詩篇16編10節】

まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。

―― 預言の成就 ――
【マタイの福音書28章5-6節】

すると、御使いたちは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。

ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。



イエス・キリストは復活の光




不信の勢力と暗闇の力を、復活の光で勝ちました。


闇と光はどちらが強いでしょうか?

闇が光に勝つことは出来ないです。


どんなに暗い部屋でも、スイッチを入れるとあっという間に闇が消えていきます。

すべての人たちは復活を信じませんでした。


暗い墓の中に、主は入りました。

しかし闇の中にとどまらず 復活の光として闇を消して出て来られました。


死の力を打ち破った主ですから、私たちにいつも力と希望を与えることが出来ます。


【ヨハネの福音書8章12節】

イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」



世を救い、いのちを与えるため




イエス・キリストは世を救うために、私たちを救っていのちを与えるためによみがえりました。


【ローマ8章11節】

もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。



復活の力を知ることは難しいです




御使いも預言者もパウロも そのことを知ろうと調べ、研究しましたが知ることは出来ませんでした。

なぜならばそれは神の領域の中にあることだからです。


神の中にある測り知れない力を人間がどのように知ることが出来るでしょうか。


人間が持つ理解力も知識も知恵もわずかなものです。

目に見える体のこともよくわかっていない人間が復活の体を研究してもわかるはずはないと思います。


復活の力は神だけが持つ力です。




復活の恵みに預かりたいならば




復活の恵みに預かりたいならば、復活したイエス・キリストを信じることです。


【ヨハネの福音書11章25-26節】

イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。

また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」

そして主と一つになることです。

復活の順番と復活する人がだれかを教えました。


【第1コリント15章23節】

しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。

キリストに属しながら、キリストの再臨を待ち望んでいる人は、主が復活したように、朽ちない体、栄光の体、死ぬことがない体に生まれ変わります。


どのような体に変わるのか 楽しみではありませんか。 (。・ω・)ノ゙


2017.4.16
イースター礼拝メッセージ

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人生の台本

テーマは 『 人生の台本 』 です

ハレルヤ。

今日も聖霊に満たされますように祈ります。


人生には台本がありません。

人生ほど先が読めないものはありません。

ですから、ドラマチックでもあります。


聖書にはドラマよりも面白い ある人たちの人生が書かれてあります。


【第2列王記7章3-4節】

さて、四人のツァラアトに冒された人が、町の門の入口にいた。彼らは互いに言った。「私たちはどうして死ぬまでここにすわっていなければならないのだろうか。

たとい、私たちが町に入ろうと言っても、町はききんなので、私たちはそこで死ななければならない。ここにすわっていても死んでしまう。さあ今、アラムの陣営に入り込もう。もし彼らが私たちを生かしてくれるなら、私たちは生きのびられる。もし殺すなら、そのときは死ぬまでのことだ。」

当時、ライ病人は、町の中に住むことが許されず、町の外に隔離されて生活していました。

普通に生きることができず、社会から疎外されていました。


しかし、神様は彼らを使ってアラムに包囲され、そのためひどい飢饉が町を襲い、飢え死するしか道が残されていなかったユダヤ人たちに勝利の知らせを伝える者にしました。

四人のライ病人たちは、どうせ死ぬ運命だから、祖国を裏切り、アラムの軍隊に降伏するために行きました。


神様は自分の力をあきらめ、神の前に完全に降伏する人たちに恵みを与えた話が聖書に色々と出てきます。

しかし、それが終わりではなく、救い出した人たちを神の働き人として用いてくださいました。


ライ病人がしたことといえば、とにかく生きるために その道を探っただけでした。

何一つ持っていないライ病人として選択できる道は降伏することしかなく、彼らはその道を選びました。


しかし、何が起こったでしょうか?

アラム軍隊の耳には、彼らの歩く音がまるで戦車の響き、馬のいななき、大軍勢の騒ぎのように聞こえたので、彼らは恐れて何もかも捨てて逃げていきました。


ライ病人たちは何が起こったかも知らず、アラムの陣営に行って、驚く光景を目にしました。彼らはお腹いっぱいに食べ、この良い知らせをユダヤ人にも伝えました。


これは誰一人想像することすら出来ない 神の不思議な方法でした。

この方法に用いられた人たちは、霊的な人でも 特別な力がある人でもなかったことが、私たちに慰めを与えます。


アラムの軍隊も ライ病人たちも普段通りにやっていたでしょう。

しかし、神のドラマに動員された人たちは、何も分からず その役割を立派にこなしていました。


私たちの人生も、台本を事前にもらって演技をするドラマとは違って、次の場面がどのように進行されていくのか まったく分かりません。

ですから、人生に神の演出という信仰がないと、不安に絡まれてしまいます。


私たちが信じなければならないのは、神のドラマは私たちが想像すらできない神の方法で進みますが、次の箇所にあるように信じなければなりません。


【ローマ8章28節】

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

それを悟る人は患難の中でも、希望をもって感謝し 喜ぶことが出来ます。

神のドラマで、自分がどのような役割をするのか知る必要もありません。

事前に知ったら面白くないです。


ただ自分の役割に忠実であれば良いです。

神が演出する人生には、“失敗” という結末がないことを確信しながら、日々忠実な者になりましょう。
(*´Д`*)

2016.2.22
3分テレフォンメッセージ

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実が結ばれる良い地

テーマは 『 実が結ばれる良い地 』 です

【マタイの福音書13章8節】

別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。

【マタイの福音書13章23節】

ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。

マタイの福音書13章には種まきのたとえがあります。


四つの異なる所に同じ種が蒔かれました。

すると、まったく実りがない所があれば、豊かな実を結ぶ所もありました。


今回の本文は、豊かな実を結んだ良い地に対して語っています。


私たちも出来れば多くの実を結びたいと願っていますので、どうすれば良い地になって実を結ぶことが出来るかを学びたいと思います。




柔和で謙遜な心は良い地




普通に考えても悪い心から良い実を結ぶことは不可能です。

悪い心からは悪い実が結ばれます。


ですから、良い心から良い実が結ばれることは 神の法則です。

柔和な心は柔らかい心です。


私たちがある人を見て「あの人はいい人だ。」と言う時があります。

柔らかさや暖かさを態度や声で感じると 好印象を受けて、良い人だと思い込みます。


新約聖書で柔和な人で思い浮かぶ人は バルナバです。

“慰めの子” と呼ばれました。


彼の行いを見ると、神の言葉を聞いた時に感動を受けて、自分の畑を売り その代金を使徒たちの足もとに置きました。

大金だと思いますが、それを自慢することもなく、身をかがめて使徒たちの足元に置きました。


そしてもう1つは パウロが回心した後、皆はそのことが信じられず、パウロを恐れて近づかなかったですが、バルナバはパウロを引き受けて、使徒たちに紹介しました。

柔和な人なので、人にとても優しいです。


彼のことを聖書はこのように言いました。


【使徒の働き11章24節】

彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が主に導かれた。

これは良い実を結んだ姿でしたので、多くの人々が導かれました。






モーセは謙遜な人でした。

普通の謙遜ではないですね。
次のような評価をもらうこと自体、すごい人だなと思いました。


【民数記12章3節】

さて、モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった。

彼が立派な指導力を発揮して、自分の役割を果たすことが出来たのは、彼の心が良い地であったからです。


心の土壌が荒っぽく かたくなな人は、絶対に立派な人格を備えることが出来ないですし、立派な人生を歩むことも出来ません。


イエス様の謙遜もすべての人にまさっていました。

自ら自分のことを次のように言いました。


【マタイの福音書11章29節】

わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば安らぎが来ます。

そのような心があるので 罪人を招き、問題のある人を受け入れ、助けを求めるひとを拒みませんでした。

パウロもその心を見習い、柔和で謙遜な人になりました。

ですから私たちにも良い心になるように命じました。


人を自分よりもすぐれた者と思う心がまた 良い実を結ぶ謙遜な心です。


謙遜と柔和の土壌から良い実がたくさん結ばれます。


【箴言22章4節】

謙遜と、主を恐れることの報いは、富と誉れといのちである。

良い地から結ばれる実です。




◎従順する心に良い実が結ばれる




私たちの人生で、良い実を結ぶためには 土壌だけ良ければ、あとはいらないことではないです。


良い土壌に実を結ばせるためには、聞く耳をもって主のことばをよく聞き、そして聞いたことばに従うことです。


【第1サムエル記15章22節】

するとサムエルは言った。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。

知識ある人も才能ある人も 誰でも実を結ぶためには、主のことばを聞かなければなりません。


御言葉をないがしろにするならば、良い実を結ぶことは出来ません。


御言葉を聞いて、すぐ実行に移すことを “従順” と言います。


いくらみことばの知識をならべても、理論を立てても、行いが伴わないと 実を結ぶことは出来ません。


従順も、“完全な従順” が実を結びます。


聖徒の中でも、聞くことは聞きますが、実行せずにそのままにしている信徒が多いです。

いくら悟っても従順しないならば、価値がありません。

主は天国に入る資格でも次のように語りました。


サウロ王はみことばを聞きましたが、完全な従順ではありませんでした。

それでサムエルが今回のことばを彼に語りました。


主のみこころを知っていても、それを行わないならば天国に入れません。
そして良い実を結ぶことも出来ません。




忍耐する心が実を結ぶ




忍耐は、まず希望をもって忍耐することです。
希望があると忍耐出来ます。


自分の人生の土壌に 実を結ばせたい人は、忍耐することを学ばないといけないです。

忍耐できる土壌は良い土壌です。


いくら実を結ぶ完璧な条件が揃っていても、忍耐出来ないならば、実を結ぶことは出来ません。


ヨブは忍耐の人でした。

すべてが取られ、人生最悪の苦難を受けていましたが、神を呪うことも、神から離れることも、つぶやくこともせずに ひたすら忍耐していました。


忍耐の中での彼の告白でわかります。


【ヨブ記23章9-10節】

左に向かって行っても、私は神を見ず、右に向きを変えても、私は会うことができない。

しかし、神は、私の行く道を知っておられる。神は私を調べられる。私は金のように、出て来る。

彼のことをヤコブ書にはこのように書いてあります。


【ヤコブ5章11節】

見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いています。また、主が彼になさったことの結末を見たのです。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです。

ヨブは試練の以前よりも試練に耐えた後にさらに豊かになりました。


農夫が 暑さや疲れにも耐えて熱心に働くのは、豊かな収穫を期待するからです。

収穫が農夫の希望です。


忍耐は最後までしなければ、実を刈り取ることが出来ません。


もし途中で諦めるならば、それまでの忍耐も労苦も報われません。


選手がゴールまで辿り着かないと失格になります。

勝利することは出来ません。


リンゴも梨もぶどうも完熟まで待たないと 甘さが足りないので、美味しいとも思わないです。

完熟するまで忍耐が必要です。


【ヘブル10章36節】

あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。

熱心さも才能も重要です。

しかしそれが全部揃っても忍耐出来ないならば、実は期待出来ません。


主は、私たちが実を結ぶことを期待します。

良い実を期待します。


私たちが実を結ぶ時に、私たちが主の弟子であることが認められます。

それは私たちの土壌が良かったことを意味し、そこに柔和と謙遜な心、主のことばと従順、忍耐がすべてあったことを証明します。


自分の状態をよく見て下さい。

それらのものが揃っているでしょうか。


良い地になるように、日々よく管理しましょう。
(。・ω・)ノ゙

2016.10.16
聖日礼拝メッセージ

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七つの教会へのメッセージ(ほめられたところ)

テーマは 『 七つの教会へのメッセージ(ほめられたところ) 』 です

【ヨハネの黙示録1章19ー20節】

そこで、あなたの見た事、今ある事、この後に起こる事を書きしるせ。

わたしの右の手の中に見えた七つの星と、七つの金の燭台について、その秘められた意味を言えば、七つの星は七つの教会の御使いたち、七つの燭台は七つの教会である。

黙示録は、キリスト教に対するローマの迫害が厳しかった ネロ皇帝の時代に記録されました。


主の弟子であるヨハネも迫害され、パトモスという島で囚人生活を送っていた時に、イエス様から啓示を受けて黙示録を記録しました。

様々な啓示を受けましたが、最初に聞いたのは 教会に対する主のことばでした。


教会に対する神様の関心が どれほど強いかを知ることが出来ます。


黙示録を記録した時の教会は、成長期を越えて迫害の中で衰退期にさしかかっていました。

教会は “キリストのからだ” で、主はそれぞれの教会の状態をすべて知っておられます。


ですから主は、教会に向けて ほめ言葉、非難のことば、悔い改めのことば、裁きの警告、そして報いなどについて語りました。

イエス様の犠牲と勝利は受け入れましたが、霊的成長と真実さに欠けた人たちに向けて語りました。



今回は、七つの教会に対して 主がどのようなほめことばを語ったのかを学んでいきます。

その中で、残念ながらラオデキヤ教会だけは ほめられなかったので、六つの教会だけを挙げていきます。


どのような教会が “良い教会” で、どのような教会が “悪い教会” かは、自分勝手に判断するのではなく、黙示録にある七つの教会を参考にすると、正しい判断が出来ると思います。


キリストの再臨を待ち望んでいる私たちが、どのような姿で待つべきかを主のメッセージで知ることが出来ます。




◎ エペソ教会



【黙示録2章2ー3節】

わたしは、あなたの行いとあなたの労苦と忍耐を知っている。また、あなたが、悪い者たちをがまんすることができず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたことも知っている。

あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。

悪い者、にせ使徒たちが 教会の中に浸透したのは、教会を内部から混乱させ、惑わすための “サタンの策略” でした。


正しい信仰を持っていないと惑わされます。

しかし 幸いにも、エペソ教会の信徒たちは 彼らの偽りを見抜いて、悪い者たちの悪行を許さず、間違えた教えに惑わされませんでした。


そして外から来る迫害にも よく耐えて信仰を守っていました。

積極的に神を求め、教えられた神のことばを守っていたので、主からほめられました。


エペソには、アルテミス神殿があるので 宗教の中心地でもありましたが、その中でもキリストを信じて信仰を守っていました。

主に対して誠実な教会でした。


テモテはパウロに任命され、エペソ教会の牧会者になりました。




◎ スミルナ教会



【黙示録2章9節】

「わたしは、あなたの苦しみと貧しさとを知っている。――しかしあなたは実際は富んでいる――またユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなく、かえってサタンの会衆である人たちから、ののしられていることも知っている。

スミルナ教会は 皇帝崇拝を強要するローマの勢力と律法主義を掲げて、キリスト教を迫害するユダヤ人たちから迫害を受けました。


ですから政治的、宗教的、社会的、経済的に深刻な迫害がありました。

信徒たちは貧しく苦しかったですが、信仰だけは変質されることがなく、よく信仰を守っていました。


世にあるものを捨てて主を選び、霊的富が豊かな教会でした。


この教会は、 “殉教の教会” としても有名でした。

立派な指導者も数多く養成しました。


その教会の指導者の1人・ポリュカルポスのことばは有名です。

彼を捕えた総督は彼に「誓え。そうしたら赦してやる。キリストをのろえ。」と言いましたが、ポリュカルポスは 次のように答えました。


「86年間、私はキリストに仕えてきた。キリストは一度も私を裏切らなかった。私を救って下さった王を、私はどうしてのろえようか。」

そのことで彼は 火をつけられ殺されました。




◎ ベルガモ教会



【黙示録2章13節】

「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった。

主が “サタンの王座がある” というほど、この都市は偶像崇拝が盛んな地域でした。

そこにあるベルガモ教会は異教徒からいのちを狙われたりしました。


苦難と殉教の危機の中でも信仰を守りました。


そして忠実な証人アンデパスが殉教しましたが、彼は皇帝崇拝を拒んだために逮捕され、熱によって真っ赤になった青銅の牛の上に乗せられて焼き殺されました。


残忍なやり方で彼を殺しました。

それでも信徒たちは信仰を守っていました。




◎ テアテラ教会



【黙示録2章19節】

「わたしは、あなたの行いとあなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っており、また、あなたの近ごろの行いが初めの行いにまさっていることも知っている。

テアテラ市は偶像崇拝と淫乱が多い、堕落した文化がある都市でした。


その中でも テアテラ教会は、信仰、希望、愛がある教会でした。


特に愛の実践がありました。

もちろんこの教会の中でも、非難される行動をした信徒たちはいました。


しかし、ある信徒たちは 信じた時よりも信仰も行いもさらによくなっていました。

主はそれをほめました。


エペソ教会は初めの愛から離れてしまいましたが、テアテラ教会の信徒たちは信仰、希望、愛をさらに大きくしていきました。


成長することは、実を結んでいく姿ですから 主に褒められました。

そして、悔い改めもある教会でした。




◎ サルデス教会



【黙示録3章4節】

しかし、サルデスには、その衣を汚さなかった者が幾人かいる。彼らは白い衣を着て、わたしとともに歩む。彼らはそれにふさわしい者だからである。

衣は 身分を現わす象徴的なことばです。

汚されることは、“罪に染まったこと” を意味します。


ですから衣を汚さなかったことは「キリスト者としての名誉を汚さなかった。」
すなわち、信仰の純潔を守ったことを意味します。


実際この教会には、信仰の純粋性を守ることが出来ず、世の風潮や罪の誘惑に妥協して淫行を行い、信仰までも汚れてしまった人が多かったですが、その中でも数少ない人だけが罪から自分を汚すまいと思って 主と共に歩み、そのことで主からほめられました。




◎ フィラデルフィア教会



【黙示録3章8節】

「わたしは、あなたの行いを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。

少しばかりの力は、タラントのたとえにありますが、少ないタラントしかもらってないにもかかわらず、主に対して忠実でした。


彼らは 主を愛していましたので、最後まで主のことばを守りましたし、世の富の誘惑や名誉、武力にも屈することなく信仰を守り通しました。


キリストのためにすべてを捨てた信徒たちでした。

この教会は主の心に適った教会でした。


このように主は、一つ一つ教会に対して正しい診断をして下さいました。


私たちが良い信徒、良い教会になるためには、主が何をほめたのかを知り、それを目指したら良い信徒、良い教会になります。
(*´∇`*)

2016.9.4
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自分の道と神様の道

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【イザヤ書55章8-9節】

「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。― 主の御告げ ―

天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。

このみことばを覚えているクリスチャンは多いと思います。

読みながら“なるほど”と思っていますか?
納得していますか?


このことばは、私たちが神のみこころを確認するためにも必要ですし、(自分)勝手に絶望して落ち込まないためにも必要です。


自分の思いと、神の思いが異なることが前提であるならば、自分の中に出てくる思いに対して、そのままその思いで進むのではなく、(神から)異なると 言われているので、違う観点でもう一度自分の思いを調べることが必要です。


「私の思いはこうだけど、神様ならば どのような思いだろうか?」と立ち止まって静かに考えるならば、今までは見えなかったものや 考えた事もなかった思いが出てきます。


人は自分の思いをみな正しいと思う傾向があります。

そして、自分の思いを通したいので他人の意見もあまり聞かないです。

そこに落とし穴があり、失敗の原因があります。


ですから、神のことばは 私たちの思いに対してブレーキをかけて、もう一度それが神の思いと一致するのかを確かめなさいというサインをみことばで発信しています。

そして、“自分の思いでは不可能に見えることに対しても、神ならば可能ではないのか”と希望が見えてきます。


不可能を可能にしてくださるのが神です。


主の弟子たちが、自分たちの思いを捨てた時に奇跡が起こりました。

夜通し漁をしても魚一匹釣れなく諦めていました。


しかしイエス様が彼らに「深みに出て網をおろしてみなさい」と言われた時に、彼らにはその言葉が無駄な働きを強いられる思いがありましたが、主のことばに 従うことにしました。

再び、船を海に向けて出発させ、深みに出て網をおろしました。


そして自分たちの思いの予想とはまったく違う結果が出てきました。
網が破れるほど大量の魚が捕れました。

この1つのことを見ても、私たちの思いと神の思いの違いがハッキリしました。


自分たちが ダメだと言ったら、すべてがダメでしょうか?
無理と言ったら、すべてが無理でしょうか?

そんなことは絶対にないです。


神は今も健在です。
そして力があり 何でも出来る方です。


また、道が閉ざされると 人間は自信をなくし、絶望と不安に駆られますが、その時に“これは自分が選んだ道だから閉ざされたのだ。神様は別の道を備えて いるに違いない”と思いを変えるならば、希望が出てきて、神が備えた道が見えてきます。


神は、はるかに良い道と計画を備えておられます。

ですから、自分の思いのままに出来なかったからと言って失望をしないで、今度は主の思いと道を求めてください。

すると、神は示してくださいます。
v( ̄∇ ̄)v

2015.11.29
3分テレフォンメッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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ダニエルに学ぶ勝利する信仰生活

テーマは『 ダニエルに学ぶ勝利する信仰生活 』です

【ダニエル書1章8-16節】

ダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官(かんがん)の長に願った。

神は宦官の長に、ダニエルを愛しいつくしむ心を与えられた。

宦官の長はダニエルに言った。「私は、あなたがたの食べ物と飲み物とを定めた王さまを恐れている。もし王さまが、あなたがたの顔に、あなたがたと同年輩の少年より元気がないのを見たなら、王さまはきっと私を罰するだろう。」

そこで、ダニエルは、宦官の長がダニエル、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤのために任命した世話役に言った。

「どうか十日間、しもべたちをためしてください。私たちに野菜を与えて食べさせ、水を与えて飲ませてください。」

そのようにして、私たちの顔色と、王さまの食べるごちそうを食べている少年たちの顔色とを見比べて、あなたの見るところに従ってこのしもべたちを扱ってください。」

世話役は彼らのこの申し出を聞き入れて、十日間、彼らをためしてみた。

十日の終わりになると、彼らの顔色は、王の食べるごちそうを食べているどの少年よりも良く、からだも肥えていた。

そこで世話役は、彼らの食べるはずだったごちそうと、飲むはずだったぶどう酒とを取りやめて、彼らに野菜を与えることにした。

ダニエルの光り輝くものは、彼の信仰です。
西洋の人々は、自分たちの子どもがダニエルのようになって欲しいという願いを込めて、ダニエルという名前を
結構付けています。

当時のダニエルは、少年でありました。そして悲惨な状況にいました。
イスラエルの民は戦争に負けましたので、バビロンに連れていかれた捕虜の身分でした。

もともとはそのような者ではなかったです。彼は王族の親族でした。なぜならば、ダニエル書1章3節に
書かれています。

王は宦官の長アシュペナズに命じて、イスラエル人の中から、王族か貴族を数人選んで連れて来させた。

王族だった者が戦争に負けた為に転落し、奴隷・捕虜の身分になりましたので絶望的な人生に変わりました。
自分の思い通りに何も出来ない「自由」が奪われるのは、一番最悪な環境であります。

しかし、ダニエルがその中でも絶望して自分の人生を投げ出していないことが分かります。
普通ならば希望がないので投げ出してしまいます。
今の若者たちが自分の命を投げ出す一番の原因は希望がないことです。

ダニエルの姿を見て、学ぶことがとても多くあります。

多くの人たちが環境のせいにして、「信仰生活をしたいです。良い信仰をもって、成長したいです。
だけど身体が言うことを聞かないです。」と、ああだこうだと言って 結局「出来ません。」と言うのです。
ですが、聖書には神様がいつもおっしゃっているように、主にある者には不可能がないのです。
不可能という言葉を使うこと自体が不信仰なのです。

聖書の中には、色々な人物が出てきます。色々な環境、色々な道を通る人物がいます。
それを自分に当てはめていくのです。
絶望的な環境の中で勝利した人たちは、どうやってそこから抜け出したのか、それを学ぶのが聖書なのです。

聖書を開いて、自分と同じ立場の中にいる人たち、自分よりも もっとひどい状況の中にいる人たちから学ぶと
自分とその人物との違いが分かります。

それを変えていくだけでも、私たちは今とは違う人生を生きることができます。

聖書に出て来る人物の生活を見ると、勝利で終わる人たちの話がたくさんあります。
それを今の時代で活かすと、自分たちも必ず勝利することができます。


ダニエルは悪い環境の中から、どうやって抜け出ることができたのでしょうか?

【ダニエル書1章8節】

ダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官(かんがん)の長に願った。

これは、正しい決断力です。

神様が人間を造られた時は自分で何かを決断する必要はありませんでした。
神様が全て用意してくださり、人間はそれに従うだけで良かったのです。
しかし、人間が勝手に善悪の木の実を食べた瞬間から、自分が何を選ぶかによって責任を
負わなければならない立場に変わってしまいました。

ここでダニエルは1つの選択をしました。

王さまから出された命令は、王のごちそうを食べて、そこで彼を成長させて様々な学問を教えて王さまに仕える
訓練をすることでした。
ですから (偶像に捧げた)ごちそうを食べなければなりませんでした。他の者たちは大喜びでした。
本来、捕虜が食べる物はみすぼらしいものですが、ここでは王さまが食べるものでした。

若者は食欲旺盛ですので、目の前にごちそうが出たら「食べたい」と思うのは自然なことであります。
しかし彼はそれを聞いた瞬間に、王さまは偶像崇拝をする者でしたので「これを食べてはいけない。」と
思いました。

神様の言葉が、ダニエルの人生の価値観でした。
何によって生きるのかというと、神様の言葉でありますので、(食べてしまうと)神様に違反をすることになります。

イエス様が断食をして空腹なのを知り、サタンは「石がパンになるように命じなさい」と、
イエス様にも一番最初に来た誘惑が食欲でした。
ですから、私たちは軽く考えてはいけないです。若い人、特に男の人は食欲が旺盛です。
ダニエルに大きな誘惑が来ましたが食べないことを決断をし、相手に伝えました。

ただの食べ物の決断だけではないです。彼が口に出して言ったということは「死」を覚悟しているのです。
なぜならば、王さまの命令を捕虜が逆らうということは命に関わることだからです。

私たちはこのような選択をしなければならないです。
みことばに反する事をするのか、それとも肉を満たす美味しいものを拒むのか――。
その時 私たちはどちらを選ぶのかがとても大切であります。

私たちは間違えた選択をしてしまうので、それを刈り取ってしまうのです。
私たちは楽な道を選びがちです。

ダニエルもこの問題が来たときに悩んだと思います。ですが彼が握っているものは神様の言葉でした。

自分の所属がどこなのか――?
このバビロンの王さまに所属しているのではなく、その上に立っている神様に所属している者。
選択の基準は何かというと神様の言葉なのです。
みことばが心に根を下ろしている人は、心があまり揺れることはないです。

しかし、みことばが心に住んでいないと、神様の言葉をしっかりと握りしめて決断をすることが難しいです。

ダニエルは信仰第一でした。これは絶対に譲らないものだと決めてありましたので、それと違うものが来た時に
大胆に選択することが出来ました。

みことばに反することは全て罪になります。
私たちが罪を犯すことで最初に起こることは、神様との関係にヒビが入り 破壊されます。

誘惑が多い世の中でも、みことばの中で生きることが区別された生活です。

私たちが神様の言葉に沿って選択をすると、その時にはサタンがものすごく攻撃をすると思います。
しかし、神様は正しい選択をした者を必ず守ります。これが聖書の世界であります。

神様のみことばを守る為に、その道を選んだ者を神様は見捨てることはないです。

結果を見ると、ダニエルは正しい選択をしたことが分かります。




次に、ダニエルから学ぶ信仰の姿勢は、神様に全てを委ねて頼ったことです。

彼は1つの提案をしました。それはとても知恵のある提案でした。
「十日間、野菜と水だけをください。そして比べてみてください。」ということでした。
これはある意味で愚かな提案でした。医学的に見ても、化学的に見ても、野菜と水だけの者と
肉や好きな物を食べる者のどちらが血色が良くて健康的になるでしょうか?それは当然 後者でしょう。

人間の目には愚かな提案でした。人々が「そんなバカな」と思うことに神様が働きます。

人々は自分たちが思っていた事と違う結果になった時に誰を見るでしょうか――?
それは、神様であります。肉を食べていた者よりも(ダニエルたちは)血色が良く、肥えていました。
人間の思いを遥かに超えたことであります。

ダニエルの信仰を見て神様は祝福しました。
信仰の勝利は私たちが神様に頼る時に来るのです。

自分の方法であれこれやるので祝福が来ないのです。

今の時代で、王さまの存在に当たるのは、権威や物質であります。
物質は黄金主義です。これはクリスチャンも同じです。自分の手にしっかりと握っていないと安心できず、
神様だけでは不安なので「お金も神様も両方必要なのです。」と。

もちろん、物質も必要です。しかし神様は 2人の主人には仕えられないのだと語ってあります。

私たちは物質に頼るということは、世に頼るということです。
どうも私たちには、目に見えない神様よりも 目に見える物に頼る傾向があります。

ダニエルが祝福されたのは、たった1人の主人に仕えていたからです。
捕虜なので財産も何もなく、自分の命でさえ自分のものではないです。
しかし、彼はそのことを一切考えませんでした。


【エレミヤ書17章5-8節】

主はこう仰せられる。「人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が主から離れる者はのろわれよ。

そのような者は荒地のむろの木のように、しあわせが訪れても会うことはなく、荒野の溶岩地帯、住む者のない塩地に住む。

主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。

その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。

これは約束であります。
主に頼る者は何もない中でも正しい選択をし、神様に委ねて生きるならば叶えてくださいます。

信仰がないなら神様は喜びませんが、信仰を持って頼るならば、神様の力はいくらでも働きます。
主がその者を通して神様の栄光を表してくださるのです。




次に、ダニエルから学ぶ信仰の姿勢は、行いの伴った信仰です。

「神様に頼ります。」「神様に信頼します。信じます。」と口では色々言うことはできますが、
本当に主に委ねた人たちは、行いがあるのです。

葛藤に私たちはすぐに負けてしまいます。決心しても3日も続かないので失敗するのです。
だけど彼は自分の肉体を打ち叩きながら、自分の信仰にある大きな障害物を毎日取り除けながら
行動しました。

神様は行いのない信仰は、一言で「死んだ信仰」だとおっしゃいました。
死んだ信仰に神様は働きません。また、行いはありますが 信仰が無いというのも神様は喜びません。

神様が喜ぶのは行いが伴った信仰で、自分が神様に約束した通りに日々続けていく人に信仰を認めて
喜んで、必ず勝利させてくださるのです。守るのです。

そして周りの人たちの心を変えていきます。

私たちが信仰の行動をすると、私たちは他人の心を変えることが出来ませんが、神様は人の心に働くのです。
それをダニエル書1章9節でも見ることができます。


【ダニエル書1章9節】

神は宦官の長に、ダニエルを愛しいつくしむ心を与えられた。

私たち1人1人が神様に正しい選択をし、みことばを守ろうと決心するその時から、神様は相手の心の中に
働きます。その人が信仰を守って生きていけるように、神様が全ての敵を取り除き 力を与え、恵みを準備して
くださるのです。

ですから、大切なことは、私たちが日々の生活の中で、神様のみこころを選ぶことなのです。
言われた通りに行いがある信仰を実行していくと、神様はその人に勝利を与えてくださいます。
喜ぶので神様の恵みがその人に来るのです。その人の生きた信仰が実を結ぶのです。

死んだ信仰はいくら待っても実を結びません。

しかし、生きた信仰には、芽が出て 時が来ると、神様の恵みによって実が結ばれます。
私たちが勝利をしたと言うことは、実が結ばれたということであります。その人が祝福されたという姿であります。

ダニエルはそのようにして、神様に祝福されました。
命を懸けた決断をしましたが、死ぬことはありませんでした。
常に神様は守ってくださいましたし、彼の信仰を周りの人が認めました。どんどん彼の地位を高く上げていきました。

ダニエルは、若い時から 年を取って死ぬ時まで、その信仰をずっと守っていました。

命に関わる選択がありますが、どんな時でもダニエルは正しい選択をしました。
それが、正しい者になり、良い実を結びました。

私たちは悪いものを選びながら「神様、私を祝福してください。」「滅ぼさないでください。」と言っていても
悪いものを選んでいるので、自分で清算をしなければならないです。

私たちが種を蒔くということは選択なのです。選択して行動をすることです。
決断して動くことが1つ1つの種であります。

ダニエルは、信仰(みことば)が第一だと思って、それをしっかりと握ったことによって
彼の人生は勝利で終わりました。

小さな信仰でも、それを働かせて多くの実を結びました。
私たちはそれを学びましょう。 (^∀^)

2013.9.8
聖日礼拝メッセージ

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