からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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家族

聖書にある模範的な良い家庭

テーマは 『 聖書にある模範的な良い家庭 』 です

【使徒の働き10章1-2節】

さて、カイザリヤにコルネリオという人がいて、イタリヤ隊という部隊の百人隊長であった。

彼は敬虔な人で、全家族とともに神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていたが、

今日は母の日です。

6月21日は父の日ですね。生んで育ててくれた両親に感謝しましょう。


親子の間にも色々あります。
親として生きることも難しいですし、子どもとして生きることも難しいです。

相手の悪いところを探すと 親にも子どもにも色々出てきますが、感謝出来るところを探すならば それも色々出てくると思います。


聖書には多くの家庭が出てきます。

問題だらけの家庭もあれば、模範的な良い家庭もあります。


今回は、模範的な良い家庭には何があるのかを調べてみたいと思います。




1.コルネリオの家庭




コルネリオの家庭は 軍人の家庭でした。

“軍人”と言えば 強くて堅いイメージがありますが、家庭の中でも軍隊式ではないかと思ってしまいます。

実際にそのような家庭が多く、1人の命令によって家族が動きます。
支配的なので家庭の中に 穏やかな空気があまり流れないと思います。


しかし、コルネリオの家庭にはそのようなことが全くありませんでした。


コルネリオは敬虔な人で、家族みんなも敬虔なクリスチャンでした。

神を恐れかしこみ、神様の命令に家族が従っていました。
家族1人1人がいつも神に祈り、また多くの施しもしました。


信仰の一致があり、良いことに協力的で 家族が集まると きっと神様の話題が一番多かったことでしょう。

施しのために喜んで財産を使いました。


それは誰も欲張りな者がいなかったので、それが可能でした。
どれほどお金で争う家庭が多いでしょう。

家族全員が神への信仰と良い施しで一致することは素晴らしいことです。

そこには争いがなく、いつも平安があるので幸せな家庭です。




2.アブラハムの家庭




“信仰の先祖”と呼ばれるアブラハムの家庭の特徴は「神の導きへの従順」です。

まずは アブラハム本人が神様に従順しました。


【ヘブル11章8節】

信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。

そして後に 「息子イサクをささげなさい」と言われた時にも神様に従いました。


妻サラも、アブラハムのことを “主” と呼びながら、アブラハムが神の命令に従った時に、それに反対することも止めることも、また文句を言うこともなく黙って従いました。

そのような両親を見て育ったイサクは、お父さんが神の命令を守るために、自分(イサク)をいけにえとしてささげようとした時に反抗もせず、黙って従いました。


自分は従わないのに、「子供に従いなさい」と言うのは効き目がないです。

両親が神に従う姿だけを見て育ったイサクは、自分がいけにえになるのが当然だと思ったでしょう。



いくら親であっても、言葉と行動が一致しないと信用されないですし、子どもは親につまずきます。




3.ザカリヤの家庭




ザカリヤとエリサベツの家庭を見てみましょう。


【ルカの福音書1章5-7節】

ユダヤの王ヘロデの時に、アビヤの組の者でザカリヤという祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。

ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落ち度なく踏み行っていた。

エリサベツは不妊の女だったので、彼らには子がなく、ふたりとももう年をとっていた。

神に仕える祭司として模範的な家庭でした。


子どもが出来ない辛さがあったと思います。
とくにエリサベツは不妊の女性でしたので、責任を感じてもっと辛かったと思います。

しかし神様につぶやくこともせず、熱心に神様に仕えました。

苦しみの中でも主に仕える姿を 神様が見て祝福しました。


それは子どもが与えられる祝福でした。それも普通の子ではなく、特別な使命のある子でした。

神殿に入って主に仕えていた時に、主の使いが現れて、彼に啓示しました。


【ルカの福音書1章13-17節】

御使いは彼に言った。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。

その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。

彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼は、ぶどう酒も強い酒も飲まず、また母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、

そしてイスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。

彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」

キリストが来られる前に、道を備える働きをする人が必要でしたが、その人が生まれる家庭を主は探していました。

そして選ばれたのがザカリヤの家庭でした。


本来ならば絶対に選ばれることのない家庭です。

しかし特別な働きであるので、それにふさわしい家庭を神が捜し求めて ザカリヤの家庭が選ばれました。

人から見たら有り得ない神様の選択です。


不妊の女性で、年もとっていましたので不可能な状態でした。

しかし神様ですから、そのことは何の問題にもなりませんでした。


そしてバプテスマのヨハネが生まれました。
両親は彼を立派な働き人に育てました。


歴史の中でも立派な働きをした人物を調べると、両親とも敬虔なクリスチャンが多いです。






アメリカの歴史の中でもっとも偉大な影響を与えたジョナサン・エドワードという人物がいます。


彼は主を熱く愛する信仰ある女性と結婚して、新婚初期から徹底的にキリスト教の原理に従って家庭を築きました。

同時期にニューイングランドで共に育った友達のマックス・ジュクは信仰が全くない生活が乱れた女性と結婚し、彼自身もやがて信仰を捨て、だんだん悪くなっていきました。


ある人が、この2人の家系を調べました。
その子孫たちは果たしてどうなったでしょうか。当時、調べた内容です。

エドワードには617名の子孫がいて、大学の総長が12名、医者60名、聖職者100名、軍隊将校75名、弁護士100名、判事30名、公務員80名、下院議員3名、上院議員1名、副大統領1名、ジャーナリスト80名でした。


マックス・ジュクには1292名の子孫がいました。

幼児期に死んだ子が309名、乞食が310名、障害者が440名、売春婦が50名、泥棒が60名、殺人者が70名、あとは目立つ働きもしていない53名がいました。


もちろんこれは極端な例かも知れないですが、良い信仰の家庭とキリストが離れた家庭の差を知ることが出来ます。


家庭の中に信仰の原理がしっかりしているならば、その家庭は良い家庭です。

愛と清さと祈りと従順がある家庭が信仰の家庭です。


死海の海は受けるだけで、他の場所に流さないので死海になりました。


受けるだけで流すことを知らない個人や家庭は、死海のように生命力を失ってしまいます。


また自分の家庭の幸せだけを追求しても、神様が本来求めている幸せな家庭生活を味わうことが出来ません。

つぶやきと不平不満、憎しみや誤解はサタンが私たちを倒そうとする策略です。

それに騙されて家族を傷つけ、家庭が破壊されるようにするのが良いでしょうか。


それとも許し、理解し、愛するのが良いでしょうか。その家庭には主が共におられます。


完璧な家庭は世の中には存在しません。問題も葛藤もあります。

しかし、それに対してどのように取り組むのかによって変わってきます。

問題に対して責め合うのか、祈るかによって結果は変わります。


喧嘩をするのか理解をするのか、ありのまま受け入れるか非難して拒否するかによっても全く違います。


何よりも、家族の中でも(やってもらうことが) “当たり前” と思うのではなく、感謝の心を持ちましょう。


お互いに助け合っているので、親はこどもを愛し、子どもも親を愛しましょう。

「愛する」というのは相手が嫌なことをしないことです。


【マタイの福音書7章12節】

それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり、預言者です。

自分にしてもらいたいことを相手に要求するのではなく、(自分から相手に)してあげることが愛です。

「愛するならば何でもしてくれよ。」というのは愛が何なのかを分かっていないです。


親だからしてあげて当たり前ではないです。子どもだからしてもらう権利もないです。

親は親としての役割があり、子どもは子どもとしての役割があります。


それをする時に家庭の秩序が立ちます。平和になり、お互いを尊敬するようになります。

家庭の中でも相手に要求ばかりをするので争いが絶えないです。


今回は聖書に出てくる3つの家庭しか見ていないですが、他にも模範的な家庭があります。

聖書を読みながら自分の家庭と何が違うのかを学んで下さい。


自分が学び、変わる時に家庭も変わります。平安で幸せな家庭こそが地上での天国です。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚

2015.5.10
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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朝食を準備したイエス様

テーマは 『 朝食を準備したイエス様 』 です

【ヨハネの福音書21章8-19節】

しかし、ほかの弟子たちは、魚の満ちたその網を引いて、小舟でやって来た。陸地から遠くなく、百メートル足らずの距離だったからである。

こうして彼らが陸地に上がったとき、そこに炭火とその上に載せた魚と、パンがあるのを見た。

イエスは彼らに言われた。「あなたがたの今とった魚を幾匹か持って来なさい。」

シモン・ペテロは舟に上がって、網を陸地に引き上げた。それは百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったけれども、網は破れなかった。

イエスは彼らに言われた。「さあ来て、朝の食事をしなさい。」弟子たちは主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか」とあえて尋ねる者はいなかった。

イエスは来て、パンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。

イエスが、死人の中からよみがえってから、弟子たちにご自分を現されたのは、すでにこれで三度目である。

彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」

イエスは再び彼に言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」

イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたは私を愛しますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。

まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」

これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現すかを示して、言われたことであった。こうお話しになってから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」

昨日の朝は別府からフェリーで大阪に着きました。

船の中でも朝食が食べられますが、船ではなく降りてから待合室近くにある綺麗なカフェで安くておいしい朝食を食べました。
トーストにサラダ、スクランブルエッグ、コーヒーでした。若い女の子の店員が作ってくれました。そして楽しく話をしながら食事が出来ました。


みなさんも想像してみて下さい。イエス様が朝食を準備しておられる姿を――。

広い湖のそばで 炭火で魚を焼き、パンを1人で準備しました。

この時のイエス様はもう人間ではありません。神様の姿です。


イエス様が人間として弟子たちと三年間一緒にいた時も、一度も弟子たちの食事を作ったことはありませんでした。

救われて従うようになった多くの女性たちがいたので、彼女たちが準備をしたり、また弟子たちが準備をしたりしました。

しかし、なぜ神様であるイエス様がわざわざ朝食を準備して弟子たちを待っていたのでしょうか。

食事をしながらのペテロとの会話で私たちはイエス様のある思いを知ることが出来ます。


イエス様が十字架にかかって死んだ後に弟子たちはどうなったでしょうか。

彼らは復活したイエス様にも会いました。その後の弟子たちの姿は次の箇所にあります。


【ヨハネの福音書21章3節】

シモン・ペテロが彼らに言った。「私は漁に行く。」彼らは言った。「私たちもいっしょに行きましょう。」彼らは出かけて、小舟に乗り込んだ。 しかし、その夜は何もとれなかった。

11人残された弟子たちの中で7人が再び魚を捕る漁師の姿に戻り、漁に出ていました。

この場所は以前彼らが働いていた場所であり、主に出会った場所であり、弟子として呼ばれた場所でした。

その時イエス様は彼らに言われました。
「わたしについて来なさい。あなたがたを人間をとる漁師にしてあげよう。」彼らはすぐに網を捨てて従いました。


しかし3年後、彼らは人間を捕る漁師ではなく、再び3年前の漁師の姿に戻りました。
3年前の夢も希望も消えて、イエス様の言葉がむなしくなってしまいました。

弟子たちのリーダー的存在であるペテロが “漁に行く” と言うので、他の弟子たちもそれに加わりました。

なぜペテロは再び漁師に戻ったのでしょうか。
彼の心の中には癒されていない傷がありました。それは彼自身の行動によって出来た傷でした。


そして思い出す度に心の傷はさらに深くなりました。

自分が裏切り者である事実が心から消えません。


主が十字架にかかる前にペテロに「今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います。」と言われた時に、ペテロは「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」と誓いました。

しかし、ペテロはイエス様が捕えられ、周りの人にイエスの仲間だと言われた時に「そんな人は知らない」と言って、呪いをかけて正反対の誓いをしていました。

するとすぐに鶏が鳴き、ペテロは主のことばを思い出して激しく泣きました。


それからペテロは鶏が鳴く度に思い出されたでしょう。
その鳴き声が主の声に聞こえ、苦しくて心の中で泣いていたと思います。一生思い出したくない記憶だと思います。


そしてイエス様を裏切ったことで彼の中から消えたものがありました。
それは「人間を捕る漁師」という素晴らしいビジョンでした。

自分のような者に人間を捕る資格はないと思ったので、それで彼はもとの仕事場に戻るしかなかったです。


みなさんならばどうしますか。それでも人間を捕る漁師になりたいと思いますか。

私ならば無理だと思って彼らと同じ行動をとると思います。


ペテロだけではなく他の弟子たちも傷と痛みをもって3年前の日常に戻ってきました。

しかし夜通し働いても網には魚一匹もとれなかったです。


主が与えた夢は消え、現実もうまくいきません。

みんなが疲れ果てていた時に、主がそこに現れて先に声をかけました。
「食べるものがありませんね。」「はい。ありません。」「舟の右側に網をおろしてみなさい。」そうすると魚で網がやぶれそうになりました。


この不思議な出来事で一人の弟子が主であることを確認し、ペテロに話し、ペテロは上着をまとって、湖に飛び込み泳いで主の所まで来ました。

この一瞬の行動でペテロがイエス様に会いたがっていたことがすごく分かります。

しかし心の中には言えない思いがあります。
陸地にあがってみると そこには朝食が準備されていました。7人分のパンと焼き魚です。主はそれを彼らに渡しました。


食事の後にイエス様が突然聞きました。
「ヨハネの子シモン。あなたはこの人たち以上にわたしを愛しますか。」


このことばを聞いた時にペテロの気持ちはどうだったと思いますか。

イエス様と最初に出会った場所で、イエス様はまたペテロに会ってこの質問をしました。

そこには炭火がありました。
きっとペテロは自分がイエス様を裏切った晩のことを思い出していたでしょう。


あの晩、ペテロはイエス様が尋問を受けている時に大祭司の家の庭で他の人たちと一緒に火に暖まっていました。
そして、そこでペテロは三度も主を知らないと誓いました。

その時ペテロの前にはイエス様が準備した炭火が燃えていました。

そこでイエス様はペテロだけに質問しました。
三度も「あなたは私を愛しますか。」と聞かれたペテロは心を痛めて「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは私があなたを愛することを知っておいでになります。」


主を愛したのに恐れがありました。主に従いたかったのに勇気がありませんでした。主を認めたかったのに、卑怯な自分がいました。


ペテロは何も隠すことなく「主はいっさいのことをご存じです。」と告白しました。

ペテロの中では三度もイエス様を裏切った傷が消えずにありました。

鶏の鳴く声を聞く時も、炭火を見た時も自分の中から記憶を消したかったでしょう。


人間は、傷とは対面せず それを一生懸命消そうとします。または隠そうとします。

しかしイエス様はその傷とペテロを対面させました。

ペテロがこれからもその傷で涙を流しながら苦しい時を過ごすことを主は誰よりも知っていました。それで傷を克服できるようにチャンスを与えて下さいました。


主がなぜ朝食を準備したのでしょうか。


共に食事することは相手を受け入れ、温かく歓迎する意味があります。

このイエス様のもてなしと深い配慮、そして寛容さと愛に ペテロの中にあった深い傷が癒されていきました。

そしてペテロは主と共に食事をする席で、主を愛していますと告白して立ち直ることが出来ました。


主の食事の交わりはただの食事ではないです。神様が働く大切な時間です。

ペテロと弟子たちはその席で癒され、失くした夢と希望をそこで取り戻しました。

イエス様はそのためにわざわざ食事を作って彼らを朝から待っていました。


初代教会では二つの大切な集まりがありました。
一つは主の言葉を学ぶための時間であり、もう一つは共に食事をしながら交わる時間でした。

両方とも大切な集まりでした。もてなしながら相手を歓迎するのが食事です。
それをしながら私たちが主にあって家族であることを認識します。

家族というのはそこに差別がないことを意味します。


イエス様もペテロや弟子たちを裏切り者ではなく、主の家族として受け入れて下さいました。

イエス様はマタイの福音書で次のように話しました。


【マタイの福音書25章35節】

あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが乾いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、

この人たちが祝福され、御国を継ぐと語りました。

自分の腹だけを満たし、他人を顧みない人は主に喜ばれません。


イエス様はいのちのパンとしてご自身を私たちに与えました。
私たちが貧しい者に与えることはイエス様に与えることだと語って下さいました。

霊的なことは みことばや神秘的なことだけだと考えてはなりません。主と共に食事をすることも教会でみんなが食事をすることも霊的なことです。

イエス様が食べ物を与え、共に食事をすることに意味を与えました。相手を家族として受け入れ、愛していることを食事の場で見せました。


そして食事を会話の場にしました。食事の席は食べ物だけではなく、心も分かち合う場です。
主はペテロと話したかったのです。ペテロの心の傷をいやし、回復させるために話をしました。

もしイエス様とこの話をしなかったならば、その後のペテロはいなかったと思います。
一生自分を責めながら、心の痛みで苦しみ悩んでいたでしょう。


しかしペテロを愛したイエス様は彼を憐れみました。

ペテロを理解し、温かく迎え、心を癒し、関係も回復させ、使命も復活させて、彼を立派な使徒として立たせて下さいました。


みなさんの中に癒されてない心の傷や主に対してペテロの心境になっている人がいますか?

こんな私を主が赦すはずがないとか、受け入れてもらう資格もないと思っていますか。


ペテロのために朝食を準備して待っていたイエス様はあなたのためにも“わたしが食事を準備しているので「来て食べなさい」”と招いています。

毎朝、主は私たちのために食事を準備して私たちに会おうとしておられます。話したいと語っておられます。

主と共に、兄弟、姉妹たちと共に主の食卓を囲みましょう。
(。・ω・)ノ゙

2015.3.22
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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