からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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キリスト、神の愛―その愛を伝えるのがクリスチャン

テーマは 『 キリスト、神の愛―その愛を伝えるのがクリスチャン 』 です


本当の意味でクリスチャンとは?

イエス・キリスト(神)を愛する人、人々(互い)を愛する人

だれでもイエスを愛する人は、イエスのことばを守ります。


【ヨハネの福音書14章23節】

イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちは その人のところに来て、その人とともに住みます。


【ヨハネの福音書14章15節】

もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。



【ヨハネの福音書14章21節】

わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を 彼に現します。」


【ヨハネの福音書15章10節】

もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、 わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。


【ヨハネの福音書15章12節】

わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。


イエス様のことば(戒め)とは?


【ヨハネの福音書15章17節】

あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです。


【ヨハネの福音書13章34-35節】

あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

もし互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。




イエスへの愛、人々への愛を通してこの世にイエス、その愛、そして私たちがイエスを愛するクリスチャンということを知ってもらう


なぜこの世に知ってもらうのか?


【ヨハネの福音書3章16-17節】

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、 永遠のいのちを持つためである。

神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。

イエス様がこの世に来た意味、そして神様がわざわざ自分の愛するひとり子をこの世に送ってくださったその意味は、つまりこの世が救われるため。


この世とは?

この世界のすべての人。全員。つまりあなたの周りの人々、家族、友達、同僚、知り合い、近所の人、道端を歩いてる人、すべてです。


人々が救われなければならない。
人々がこのイエス様が来てくださったこと、それほどまでに神様が私たちを愛してくださっていることを知らなければならない。


日本に生きていること、そのことのすごさ

キリストの愛を伝えたくても周りにいなくて伝えられない人もいる。日本に来て福音を伝えたくてたまらなくて、お祈りをささげて、日本語を一生懸命勉強し、お金も一生懸命ためている人がたくさんいる


あなたは本当に隣人を愛していますか?

本当に愛するのならばその人々が滅びていくのを見て平気でいられるわけがない。

イエス様が望んでおられることは、私たちだけがイエスを信じ愛し 救われるのではなく、この世のみんながイエス様を知り、その愛を知り、人々が救われること。

その愛を伝えるのがクリスチャンである。


どうしたら伝わるのか?


【ヨハネの福音書13章34-35節】

あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたが私の弟子であることを、すべての人が認めるのです。


愛を通してこの世はイエスの愛を知る


【ヨハネの福音書15章5-9節】

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。

あなたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。

あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。

父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。


イエスの愛にとどまり、またわたしたちが求めることでこの世はイエスの愛を知り、実が結ばれ、神様を栄光をお受けになる。


どれだけうまく伝えるか、どれだけ知識がいるかではない。
もちろんうまく伝えること、たくさんの知識を持って伝えることも大切である。

だけど一番大切なのは愛である。その人、人々を愛すること。

つまりその愛する人々すべてが救われること。
自分の楽しみ、自分の喜びのために生きるのではない。


この世のすべての人々が救われてほしいと思っている神様

ひとり子イエス・キリストをこの世に送り出し、十字架で死なせるほどの自分の中の最大限、ベストをしてくださった神様、また自分のいのちをわざわざこのような罪深く、自分のことばかりを愛している私たちのためにすててくださったイエス様。

今もすべての人が救われてほしいと思い、祈ってくださっているイエス様。

その大きな愛のために私たちも もっと神様を愛し、人々を愛し、その救いを伝えていかなければならない。

愛を持ってすること。
それがすべて。(・◇・)ゞ

2015.1.4
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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感謝をささげる

テーマは 『 感謝をささげる 』 です

【ピリピ4章6節】

何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

外国人が日本に来た時、一番たくさん使う言葉は何だと思いますか?
それは“ありがとう”です。

日本人がアメリカへ行くならば、他より先に覚えていく言葉は“サンキュー”です。
たとえ英語を話せない人でも“サンキュー”を知らない人はほとんどいません。韓国語なら“カムサハムニダ”です。


聖書の中には感謝のことばがたくさん書かれています。
感謝のことば以上に美しいことばは あまりないですね。


感謝は私たちの心や生活を潤すものです。


今回は、今年最後の礼拝でもあるので、特に神様に感謝をささげていきたいと思います。


皆さんは日々どれくらいの感謝を神様にささげていますか?

この一年間どのくらいの感謝を神様にささげたのかを考えてみてください。
“祈りはたくさんしましたが、感謝は少なかったです”と言う人が一番多いかも知れないです。


私たちが神の前に出る主な手段は、祈りであります。

祈りによって自分の願いを神様に伝え、その後は神様が答えてくださることを待ちます。

そして自分が願った通りの答えを得ると神様に感謝をします。


このようなパターンが一番多いです。


間違ってはいないですが、今回のテーマ箇所であるピリピ4章6節には、私たちが信仰の祈りを捧げる時に 従うべき形式が書かれています。

それは祈る時に感謝が必要だということです。

欲しいものを手に入れてから感謝をするのではなく、初めから祈りと願いと共に感謝をささげることが信仰の祈りです。


なぜなら神様が祈りを聞いて働きますし、祈りに応えてくださる方であるので、祈りの中に“感謝”が抜けてはいけないのです。


私自身も祈る時に、まず先にたくさんの感謝をささげることが多いです。
時間がない時でも最初に言うのは、神様への感謝です。

「すべてを感謝します。」と一言で片付けるのではなく、神の愛、主の救い、永遠のいのちのプレゼント、主がいつも共にいてくださること、私を導き祝福してくださったこと、与えられた恵み、教会、信徒、働き、家族などについて神様に感謝をします。

これによってたくさんの感謝を主にささげることができました。


信仰と感謝、感謝と祈りは切り離すことができません。



【Ⅰテサロニケ5章18節】

すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

感謝は神様が私たちに望んでおられることです。いつでもすべてのことについて感謝をすることです。

良いことがある時だけ感謝をするのではないです。不幸の中でも感謝します。
実りがなく、何もなくても感謝しなさいと言うのが神からのことばです。


これは感謝には威力があるからです。
感謝生活は私たちの中に喜びを生みだします。


感謝はつまらない生活、単調な人生に活力を与え、人生を潤わせ、肯定的に発展させていきます。

イエス様の地上での生活を見ても、いつも感謝が溢れていました。

聖書の中でイエス様が不平不満を言った場面がありましたか?――まったくありませんでした。


感謝においても、イエス様は私たちに模範を見せてくださいました。

祈りの中にも必ず感謝がありました。次の箇所です。




①5つのパンと2匹の魚




集まった群衆たちが、お腹がすいていることを見て イエス様は彼らを食べさせる計画をしました。

そこにひとりの少年が大麦のパン5つと小さな魚を2匹持ってきました。
イエス様はそこで何をしたでしょうか?


【ヨハネの福音書6章11節】

そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。

男だけで5000人、女性・子どもを入れると2万人近い人が奇跡を目撃しました。

わずかなパンと魚で全員が満腹し、さらに余りました。


感謝をもってささげる祈りと願いによって神様が奇跡を行いました。

これは平凡で小さなものに対する感謝です。
感謝が先で、奇跡が後でした。




②失敗の中でも感謝




イエス様は人々に福音を伝え、数々の力あるわざを行われましたが、人々は悔い改めませんでした。

人々は福音を拒否しましたが、その中でもイエス様は信じない人々を見て不満を言ったのではなく、信じる者、そして弟子たちを見て父なる神に感謝をささげ喜びました。


100人の中で1人しか救われていないならば、その少なかった結果に感謝をしない人は多いと思います。
自分の働きが無駄だったと思いがちです。

しかし感謝は、信じて救われた1人を見た時に出てきます。

イエス様は信じない人ではなく、信じた人を見て喜び感謝しました。




③死んだラザロの墓の前で感謝





【ヨハネの福音書11章41節】

そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて、言われた。「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことに感謝いたします。

真実な神様、祈りを聞いてくださる神様に感謝をした時にラザロが生き返る奇跡が現れました。




④最後の晩餐の時に杯とパンを持って感謝




自分が苦しみを受け、体が裂かれ、すべての血を流して死ぬことを知っていながらも神様に感謝をささげました。

主は3日目に復活を信じていましたので、感謝をささげることができました。


永遠のいのちへの希望を持っている信徒たちは患難の中でも感謝をささげることができるのは、イエス様がそうされたからです。


私たちが感謝をすればするほど、神の愛が私たちに更に注がれ、そして感謝が種となって芽を出し、美しい実を結ばせます。

感謝する人は恵みを知っている人です。

感謝する人には神の力が臨みます。感謝は前進する力の源です。


また、神の力を引き寄せる綱のようなものです。
感謝が多ければ多いほど神の祝福があります。

感謝は神様の前にのぼっていく“かおり”です。それは神様が喜ぶかおりです。

一年間守ってくださった神様、育ててくださった神様、命を与えてくださった神様に心から感謝をささげましょう。
(´∀`*)

2014.12.28
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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みことばをさげすんではならない

テーマは 『 みことばをさげすんではならない 』 です

【箴言13章13-14節】

みことばをさげすむ者は身を滅ぼし、命令を敬う者は報いを受ける。

知恵のある者のおしえはいのちの泉。 これによって、死のわなをのがれることができる。

みことばとは、聖書に書いているすべての言葉ではないです。
その中には、人々の言葉やサタンの言葉や歴史の事も書かれていますので、神様が語る言葉のことを「みことば」と言います。

また、みことばのことを一番正確に書かれている箇所は、次のとおりです。


【ヨハネの福音書1章1節】

初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

「言葉=神様」です。目に見えない神様は言葉で表します。それは神様ご自身なのです。

私たちは、みことばをさげすむということは、神ご自身を無視し、さげすむことになります。その結果、自分の身を滅ぼすことになります。

みことばをさげすんではいけない理由がいくつかあります。




①みことばをさげすむ者は身を滅ぼす

みことばをさげすむ人の姿がホセア書に書かれています。


【ホセア書4章6節】

わたしの民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、わたしはあなたを退けて、わたしの祭司としない。 あなたは神のおしえを忘れたので、わたしもまた、あなたの子らを忘れよう。

知識とは、頭に入れる知識とは違います。それは神様を知ろうとする思いがないです。

みことばを知るには、耳が開かれていないと知ることができないです。耳が閉ざしていると、どんなに語っても1つも言葉が入らないです。

イスラエルの民たちに 神様はたくさんの言葉を与えてくださいましたし、律法を与えてくださいました。
そこで祭司が律法を朗読して教えていました。しかし、神様は祭司に厳しい言葉を語りました。
「あなた自身の中には、知識がない。」と、また人々にもまともに教えていませんでした。ですから言葉を聞いているのに何一つ変わりませんでした。

神様が絶えず預言者を遣わしてみことばを送るのに、「聞かない。悟らない。行わない。」のです。
そして違うことを行うのです。それは神様のみことばをさげすむ姿であります。

私たちが本気で耳を開いて、神様の言葉を聞くならば悟りがきて みことばが開かれるのです。


【マタイの福音書13章14-16節】

こうしてイザヤの告げた預言が彼らの上に実現したのです。『あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。 確かに見てはいるが、決してわからない。

この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。 それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』

しかし、あなたがたの目は見ているから幸いです。また、あなたがたの耳は聞いているから幸いです。

預言とは神様が預言者に与えた言葉です。
神様が言葉を聞こえないように邪魔をしているのではなく、神様がいくら語っても彼らが聞かないので 神様がこのような言葉を使いました。
集まった群衆の中には熱心に聞いて立ち返った人もいましたが、宗教指導者たちはいつも非難していました。
彼らは立派な服を着て、前に座って聞いていますが あら探しをするために来ていました。
彼らはみことばを悟らず、自分たちの思いだけでいっぱいでした。

これが神様の言葉をさげすむ者の姿であります。
聞く耳がなく、自分たちが一番(霊が)開かれた者であると思っています。
もし、私たちの中に「私には同じような思いがある。」「私はこういうことを決めているから、神様の言葉は聞き入れられません。」と言うならば、
それは パリサイ人と変わりがありません。

神様の言葉は常に上なのです。主が語ってくださる時は、私たちはストップしなければならないのです。
「アーメン」という言葉は「その通りです」という意味です。
「アーメン」と言って 神様が語る言葉を聞き入れて行う人が信じる人であります。

みことばを知らない人、悟らない人のことを聖書では次のように書かれています。


【詩篇49編20節】

人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅びうせる獣に等しい。

悟りがなければ実際に滅びます。人間として悟らないといけないです。人間と動物の違いは「悟り」があるかどうかです。

なぜ人間が造られたのでしょうか――?
神様に仕えて栄光を捧げるために造られた者であるので、その役割をきちんと果たして初めて人間と言われるのです。
役割を果たしていないのなら、ノーベル賞をもらったとしても 神様は滅びうせる獣に等しいと語ります。




②みことばをさげすむと祈りの答えがない

私たちが祈っても聞かれないならば、とても虚しいでしょう。私たちは祈りを叶えて欲しいので神様に祈るのです。
しかし、断食をして祈っても祈りが聞かれないならば、その原因は次の箇所に書かれています。


【ヨハネの福音書15章7節】

あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを 求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。

みことばの中に留まっている人だけに神様が祈りを聞いてくださるということです。

祈りを長くするから 神様に祈りが聞かれ、祈りが短いから聞かれない ということではなく、イエス様は私たちが必要としているものをすべてご存知であります。
すぐに祈りが聞かれる人というのは、主の言葉の中に留まっているので与えられているのです。

ですから、みことばに留まっていないということは、祈りが聞かれないことになります。

神様の言葉をきちんと聞いて、その中に留まって悟るならば その時から祈りが答えられます。




③みことばをさげすむ者は神様に属しません


【ヨハネの福音書8章47節】

神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から 出た者でないからです。

とても厳しい言葉です。神の子どもと認められていないので滅びるしかないです。
神の子どもだけが天の御国に入れるのです。神様ご自身がその人のことを忘れてしまいます。




私たちはそうはなりたくないですね。そうならないためには私たちはどうすべきでしょうか?

知恵ある者とは、悟っている人のことです。そして命令を守る者です。


【詩篇119編103-104節】

あなたのみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。蜜よりも私の口に甘いのです。

私には、あなたの戒めがあるので、わきまえがあります。それゆえ、私は偽りの道をことごとく憎みます。

みことばが命の水であります。
自分の中にあるいらないものや教えを捨てます。甘い水を飲んだ者が苦い水を飲む必要がないからです。


【詩篇119編129-131節】

あなたのさとしは奇しく、それゆえ、私のたましいはそれを守ります。

みことばの戸が開くと、 光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。

私は口を大きくあけて、あえぎました。あなたの仰せを 愛したからです。

神様の言葉の恵みがどのようなものなのかが すごく分かるのです。
みことばの味を知っている者は、みことばを親しみ学ぼうとします。その人はどんどん悟りが与えられ霊的な者になります。

また、悟ったということは行動が伴っていることを意味します。
みことばの種を蒔いたので、その人たちはたくさんの実を結びます。
そのような者に神様は喜んで認めて受け入れてくださり、さらにそこに恵みの雨を降らせて、ますます時に適った恵みを受けて豊かになるように祝福するのです。

祝福を受けたいならば、命に満たされたいならば、知恵ある者になりたいならば、滅びたくないならば、天国に入りたいならば、
神様の言葉をさげすむのではなく、聞く耳をもって悟り 行い、そしてみことばの中に留まることであります。
そうしたら間違いなく祝福を受ける者になります。

神様の言葉を軽く考えてはいけないです。大事にしてください。

私たちにとって神様は権威あるお方です。ですから一番恐れなければならない存在であります。

人間が完璧にすべてを守ることは出来ないのですが、逆らったときは すぐに悔い改めることであります。
「もう過ぎ去ったことだ」ではなく、今からでも立ち返るならば神様は喜んでくださいます。

みことばに従順した者、こういう者は大胆に祈りができる者になります。 (`・ω・´)

2014.1.12
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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成熟した人

テーマは『成熟した人の姿』です。

【コロサイ1章9-12節】

パウロがコロサイ人の為に、彼らの信仰が成熟することを願って祈る祈りであります。

私たち信仰を持った人達は成熟しなければなりません。
信仰の成熟のために求めるべきものがあります。
どんな人が成熟した人でしょうか。こちらの聖書箇所に書かれてあります。

奉仕を熱心にしているから、その人の信仰が成熟した人。
そういう基準はないです。
神様の基準は私たちが考えていることとは違います。熱心に神様のところに来るから、
日曜日に来るから、捧げ物をするから、奉仕をたくさんするから、信仰歴が長いから、
その人の信仰が成熟したのではなく、中身を見なければならないです。

自分の努力だけで成長することは難しいです。
人々はこの聖句を聞いて一生懸命努力してこうなろうと思いますが、
霊的なことは自分の努力だけでは成熟できないです。

聖霊様の助けが必ず必要であります。私達自身の中には霊的なものを生み出す力はないです。
聖霊様によって私たちが「これは霊的なものである」と、
そこから私たちは色々なものを受け取ることができます。

成長したいならば、聖霊様に求めて受け取り成熟しなければならないです。
受け取ってから努力が必要であります。最初から努力して実を結んで、
できない時に「神様助けてください」ではなくて、最初から神様と共に始めないとできないものであると思って、
まず神様にそれを求めていかなければならないです。

信仰が成熟するために、この聖句に祈りがあります。
〈あらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように〉
 
私たちはいつも神様のみこころを求めます。
神様のみこころというのは、神様が喜ぶことであります。神様が喜ばないことは、みこころではないです。
私たちが何かをする時に一番わかりやすい基準です。
「この事をしたら、神様は喜ぶかどうか?」 それをまず考えるべきであります。

聖書はこうすると神様が喜ぶことだとたくさんみことばで教えてあります。
これは神様が喜ぶことであるというものは、それは全て神のみこころであります。
それを知るには霊的知恵の理解力が必要であります。

自分の知恵だけでは、世の中の人達、神様と何も関係なく生きている人たちは、
聖書の言葉を開いていてもそれは霊的知恵がないから理解ができないです。

聖書を読んで、神様のみことばを読むと神と人間との関係があり、そして書かれた目的があり、
そしてその理解力は片面だけではなく、全体を見て理解する力であります。
<少しだけ見て理解したからその人達に霊的知恵がある>ではないです。
全体像を見なければ理解したとは言えないです。

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

「スリーミニッツ」という本は、アメリカ48州でベストセラーになりました。
(日本語版は、「天国は、ほんとうにある~天国へ旅して帰ってきた小さな男の子の驚くべき物語~青志社」
です。)

4歳の男の子が盲腸の手術をしました。お医者さんから助からないと言われましたが、
臓器が破裂して毒が体内に溜まっている状態なので洗わなければなりませんでした。
その男の子が手術室で体験したことがありました。しかし、その事はすぐに親には言わず、
数年後にポツポツと牧師である父親に話し始めました。
父親は自分の子供に教えた事もないですが、子供が今まで聞いたこともない話をするようになるので
気になっていました。
男の子が体験したことを「イエス様が話をしてくれた」と言うので親はびっくりしました。
父親が「どこで聞いたの?」と聞くと、
「イエス様が膝に乗せてくれて話をしてくれた」など、そのような事がありました。

その男の子が語る言葉は霊的知恵がすごかったです。それを聞いた父親が聖書を開きます。
なぜならば、子供が語っている言葉が真実かどうかを確かめなければいけないからです。
一度も天国の話をしたことがないのに、信徒の親族の葬儀に出席した時に、男の子が棺の前で
「この人は信じているの?信じていたら良いのに、信じていたら良いのに」と言葉を繰り返しました。
父親が「どうして?」と聞くと「イエス様がはっきり言った。
イエス様を信じない人は天国には入れないとはっきり言ったから。」
だから信じていたら良いのにという言葉を何度も言いました。

その男の子には1人のお姉さんがいました。そしてお姉さんと男の子との間に子供がもう1人いました。
しかし産まれる前に流産をしてしまい牧師夫婦はすごく悲しみました。男の子であるか女の子であるか、
両親は知らないです。
その事は男の子に教えたことがないですが、「僕にはお姉ちゃんが2人いる。」と言いました。
親は「お姉ちゃんは1人しかいないでしょう。」と言いましたが「いや、違う。2人、2人」と言いました。
「どうして2人なの?」と聞くと、「天国で会った」と言いました。「どのくらいの子供?」と
聞くと「お姉ちゃんより少し小さい」と言いました。
「どうやってわかったの?」と聞くと「イエス様が連れて来てくれた。」と。
髪の毛が黒い女の子だったことを言ったので親はそれを聞いて癒されていきました。

流産をした子がどこへ行くのか聖書には書いていないですし、神様の御座のことが書かれていても
神様の御座とはどういう所なのか?と。でもその男の子は行っていました。

お父さんは試しました。
「イエス様はどこにいたの?」と聞きました。聖書には「神様の右側に座っている」と書いてあります。
男の子はこの言葉を知りません。
男の子がジーッとお父さんを見て、「右の方にイエス様は座っていた」と言いました。
これは小さい子供であっても、聖書をたくさん読んでいる牧師であっても霊的知恵は足りないです。
でも直接そこにいて見た人は霊的知恵がすごいことであります。

お父さんはさらに試しました。
「そしたら左側には誰がいるの?」と聞きました。
お父さんの頭の中では「聖霊様がいるだろう」と思っていました。
男の子は「違う。ガブリエル天使がいた。」と言いました。お父さんがびっくりしました。
「聖霊様はどこにいたの?」と聞くと、「僕の傍にいてくれた。小さい椅子に座らせてくれた。」と言いました。

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

ガブリエル天使は神様の言葉を聞いてメッセージを伝える方であります。その事が聖書に書かれてあります。

私たちは聖書を100回読んでいても、それこそ霊の目が開かれないと知恵がないです。知識がないです。

私たちは神様を体験すること。
それがすごく大切なことは成熟する時に、みこころを行う時にすごく神様を体験します。
みこころを行いなさい、ということは、もちろん「神様、霊的知恵と理解力を与えてください。」と祈りますが、
それだけでは不十分です。それは与えられても与えられたかをどうやってわかるでしょうか。
私たちが神のみこころを行う時に、みことばを行う時に、自分がそれをもらったことがわかります。
上から来るものは霊的知恵であります。知恵が与えられると理解ができます。神様はこれを与えます。

聖書を100回読んだからといって、理解ができるわけではないです。
1つの聖書箇所を読んで「神様、私はもっともっとみことばによって成長したいです。
ですから、私に霊的理解、知恵を与えてください」と それを求めながら私たちが聖書を読むならば、
聖霊様がすごく働きます。
偏ったところだけ自分で何とか分かるのは、バランスが悪いです。成長することができないです。
神様にそれらを求めるべきであります。

霊的理解力と知恵が与えられると、主に適った歩みができます。
主に適った歩みは、私たちの生活、そして霊的状態、それは神様に褒められます。
叱責される時は、主に適った歩みではないです。神様のみこころからずれていることです。

時々、みなさんに神様の預言を与える時がありますが、褒められる時もあれば、叱責される時もあります。
みこころに適った働きをした時は褒めてくださり、みこころに適っていない歩みをしている時は
叱責のことばを与えます。「悔い改めなさい。」叱責がある時は正しい道に戻れということであります。
「聖徒にふさわしく歩みなさい。」

自分がなぜ選ばれたのか。選ばれた者であるなら、選ばれた者らしく生きること。
これは主に適った歩みをすることであります。それができるには、みこころを知らなければできないです。

みこころを知らないと自分勝手に行動をしてしまいます。これは神様が褒めるわけがないです。

成長した人の姿はあらゆる点で主に喜ばれるように、その人達は(行動を)します。

―主に喜ばれるために何をしたら良いでしょうか。―

①神のみことばに従順することであります。

これに勝るものはないです。これは神様の権威に従うことであります。
最後の権威を持っておられる方の声にあなたは従わないのか?
従う時に神様は喜んでくださいます。私たちは従わなければならない存在であります。
自分が神様を指図するのではなく、神様の指示をもらってそれに従うのが私たちの義務でもあります。

ヨハネの福音書15章にある「父は農夫、イエス様はぶどうの木、私たちは枝」 この関係です。
そうでなければ実を結ぶことができません。
「私の中に留まり、そして私のみことばを行うならば、その人達は必ず実を結ぶ」
それが成熟した人の姿であります。成熟した人はこの世にたくさんの実を結んだ人であります。
まだ実が結ばれていない、まだ葉っぱだけだというのは まだまだその人は成長していかなければならないです。

成長はその人が結んだ実を見たらわかります。
あぁ、あの人は「喜びの実」を結んであるなぁ。(「従順の実」「信仰の実」「愛の実」)
実はどんな実でも成熟した人でなければ結ぶことができないです。
芽が出た段階ではなく、完全に花を咲かせ実を結んだ時に「成長した、成熟した」と言えます。

神様は常に小さいことに忠実になりなさいという言葉がありますが、それはテストの為であります。
この人がその事に対してどれほど心を込めてやるのか、準備するのか、実行するのか。
大きい事になると「力がないです。神様、やったことがないです。」と出来ないので、
神様はまず出来るところからやらせて、その人がそれに従ってきちんとやるのか、準備するのか、
それを神様はテストをします。

神様の言葉には不従順するのに、口だけは立派に語る。これはとても未熟な姿であります。
成長した人の姿ではないです。

自分や人を判断する時は、結んだ実を見ればわかります。
「あぁ、自分はまだまだなんだ」と分かったら、落ち込んで何もしないのではなく、成長しなければならないです。
いつまで経っても小さい枝のまま、いつまで経っても1つの実も結ばれていない。
―信仰の薄い者。―

神様は1年経ったり、2年経ったりするとそれぐらい大きくなっていることを期待します。
期待するのがみこころです。
そこまで自分がなっているかどうかを自分で点検することであります。
去年より私は成長しているのか? 去年よりも私は実を結んでいるのか?

②神の力によって強くされていかなければならないです。

力ある働き、奇跡を行う、そういうことの為ではないです。
忍耐と寛容、聖霊の実を結ぶために、私たちは強くされていかなければならないです。
忍耐をすることは力がないとできないことであります。
患難の中でも望みを抱いて忍耐する。待ち望む。これはものすごい内なる力であります。
力がないと出来ないです。小さな風が吹いてきてもすぐに倒れてしまいます。
これは忍耐する力がないことであります。

「今日も神様、力を与えてください」、「生きる力」、「患難の中でも耐える力」
「苦しみの中でも希望を持って辛抱する力」、「神様、ください」 これが内側の力であります。
肉体の力とは関係がないです。身体は立派であってでも心が小心者はたくさんいます。
か弱い女の人であっても神様から力をもらうと、ものすごい忍耐力があります。積極的な態度があります。
これは神の力をもらわないと私たちは絶対無理なことでありますので、
忍耐できるように「求めなさい」と語ってあり、私たちが「満たしてください」と願わなければならないです。

③いつも喜びをもって感謝を捧げることです。

一年中、毎日です。良いことだけではなく、悪いことでも感謝することであります。

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4歳の男の子が手術室に入った時、お父さんが病院の小さい部屋へ行き祈りました。
お医者さんも厳しいという言葉を伝えていたので、お父さんの祈りが感謝の祈りではなかったです。
神様に対してのつぶやきの祈りでありました。なぜならそのお父さんは、以前にも試練があったからです。
野球をしてスライディングをする時に足の骨を2本折ってしまいました。
何カ月も痛みを伴う不便な生活をしていました。
それから男性なのに乳癌にかかってしまい手術をしました。
次から次へと災難がありました。それは自分の事なので耐えましたが、
4歳の子供が死にそうになっているので病院も何か所か動きながらやりましたが大変である。
そして子供が骨と皮だけしか残らなくなりました。

お父さんは「あんまりです。何でこんなにひどいことをするんですか。」
これは祈りではないです。神様に対して言いたいことを言っている牧師先生でした。
お母さんは厳しい状態なので色んなところへ電話をかけていました。

そして4歳の子供はその後、「お父さんはその部屋で祈ったでしょう?」、
「お母さんはそこで電話をしたでしょう?」と言ったので、両親は「どうやってわかったの?」と聞くと
「自分の霊が手術をしている時に引き上げられた。手術する自分の体を見た。
イエス様が来て、僕にそうした。」そしてそのまま天国へ行きましたが、
「(天国は)あまりにも素晴らしいところだから、そこに居たかった。
でも、イエス様が「あなたは帰らなければならない。
あなたのお父さんが、あなたの為に必死になって私に祈っているから。あなたは帰らなければならない。
お父さんの祈りにわたしは答えたいんだ。」と言ったので戻ってきたんだ。」と言いました。

その言葉を聞いて、牧師先生はものすごく悔い改めました。
神様に感謝して祈ったわけではないです。
不平不満を言いながら神様に言いたいことを全て言ったその祈りをイエス様は聞いてくださったということに、
本当に神様の前に顔を上げられなかったです。

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感謝をして喜びながら祈りをするのは成熟した人の姿であります。
私たちも祈ってわかると思いますが、神様につぶやきながら祈る祈りもたくさんあると思います。
これはまだ未熟であります。それでもイエス様は悲しみの中で訴えているその祈りを聞いてくださるんです。

私たちは悪いからと言って、そうではないです。私たちは表面しか見ていないです。
その中で神様はどれほど働いてくださっているのか、私たちには見えていないです。

アメリカは医療費が高く、莫大な治療費や色んなお金がかかり、仕事もできないのですが
神様は色んな知らない人達を通して全て与えてくださいました。

私たちは先のことはわからないです。
現実のことだけを見るならば私たちは絶望になることもありますが
神様は全てのことを働かせて益にしてくださる。これも私にとったら何かの目的がある。
その中でも神様が働いてくださる。
そして私たちはその中でも喜びをもって感謝しなければならないです。
これが毎日できる人は1番成長した人の姿であります。

成長した人は、今日・明日と 心がころころ変わることはないです。
感謝すると決めたら一貫してすると、感謝の実が結ばれます。こうと決めたら何が起きても喜ぶ。

雨だから怒る、そこで風が吹いたから腹を立てる、これでは一年中休む暇がないと思います。

成熟した人達は、「私の物はこれです」とは言わないです。
完全に成長した人の姿は「私の物は一つもないです。」と本気に思っている人であります。
「全ては神のものであります。私も神のもの。私の命も神のもの。私のものはないです。」
この人達は神様の中で完全に生きている人であります。

まだ成熟していない人は「これは私のもの。これも私のもの。私のもの、私のもの・・・・・・・」
それが多ければ多いほど成長していないです。まだ神様から遠く離れています。
口では「神様、信じます。」と言っていても みことばの中に留まっていないです。

「神様、これは神様がくださったもの。私の命も子供も全て神様のもの。」 委ねてそれを認めて
そして本気にそう思って神様のために生きる人、この人は完全に成熟した人の姿であります。

成熟したいならば中途半端に成熟するのではなくて、そこまで成熟するんです。
その人達が天国でも神様に一番喜ばれる人、認められる人になります。

神様のみこころは私たちが成熟することであります。そして豊かに実を結ぶことであります。
それをもって神様に栄光を捧げることであります。
それを目指していきましょう。 (`・ω・´)

2012.4.22
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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