からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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妥協

活発になったイゼベルの霊

テーマは 『 活発になったイゼベルの霊 』 です

【ヨハネの黙示録2章18-23節】

また、テアテラにある教会の御使いに書き送れ。『燃える炎のような目を持ち、その足は光り輝くしんちゅうのような、神の子が言われる。

「わたしは、あなたの行いとあなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っており、また、あなたの近ごろの行いが初めの行いにまさっていることも知っている。

しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは、イゼベルという女をなすがままにさせている。この女は、預言者だと自称しているが、わたしのしもべたちを教えて誤りに導き、不品行を行わせ、偶像の神にささげた物を食べさせている。

わたしは悔い改める機会を与えたが、この女は不品行を悔い改めようとしない。

見よ。わたしは、この女を病の床に投げ込もう。また、この女と姦淫を行う者たちも、この女の行いを離れて悔い改めなければ、大きな患難の中に投げ込もう。

また、わたしは、この女の子どもたちをも死病によって殺す。こうして全教会は、わたしが人の思いと心を探る者であることを知るようになる。また、わたしは、あなたがたの行いに応じてひとりひとりに報いよう。

まずはイゼベルとは誰なのかを見ます。

イゼベルは、旧約に出て来る悪女の中でも代表的な人物です。


彼女は北イスラエルの7代目の王・アハブ王の妻で、異邦人でした。


結婚して彼女がイスラエルに持ち込んだのが偶像崇拝でした。

彼女は熱心なバアル崇拝者で、イスラエルの民にバアル崇拝と宗教的な淫行を行わせ、預言者エリヤとも対決した人物でした。


彼女を妻として迎えたアハブが、まずこのように堕落しました。


【第1列王記21章25-26節】

アハブのように、裏切って主の目の前に悪を行った者はだれもいなかった。彼の妻イゼベルが彼をそそのかしたからである。

彼は偶像につき従い、主がイスラエル人の前から追い払われたエモリ人がしたとおりのことをして、忌みきらうべきことを大いに行った。

王がこのように堕落したので、民もみんな同じことをして堕落しました。

ですから指導者によって大きな影響を受けるので、指導者選びのために多くの祈りが必要です。



神は堕落した民に 神のことばを伝える預言者エリヤを立てていました。

エリヤが民たちに語ったことばはこうでした。


【第1列王記18章21節】

エリヤはみなの前に進み出て言った。「あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか。もし、主が神であれば、それに従い、もし、バアルが神であれば、それに従え。」しかし、民は一言も彼に答えなかった。

これだけ見ても神の選民たちがバアルによって どれだけ堕落したかがよく分かります。

妥協しながら信仰生活をしていました。



このようなことが今も教会の中であるので、目を覚まして主への正しい信仰を守らなければなりません。


イゼベルという人物は、今は実在しない人物ですが、しかしイゼベルと同じ活動をする者がたくさん出て来ました。

すなわちニセ預言者や異端、誤った教えが巧妙に社会と教会に入り、人々や信徒たちを惑わしています。



それらの者の中で働く霊を 象徴的に “イゼベルの霊” とも言えます。

イゼベルの霊は言うまでもなく、サタンの霊です。

サタンがその者たちを使って人々を惑わし、滅びに導きます。


以前よりも今はイゼベルの霊が大胆に活動しています。



今年6月にある「世界宗教統合宣言式」、同性婚や差別禁止法を進める活動をする牧師たち、聖書の内容を変える働き(デンマーク聖書協会が20年ぶりに新しく発行した新約聖書から「イスラエル」、「ユダヤ人」ということばを他のことばに書き換えたこと)や、真理から離れた教えなどがいつの間にか多くの教会の中にも浸透し、それをそのまま受け入れているところが増えたことは大変危険なことです。


なぜ人々は真理から離れたことなのに、それを受け入れてしまうのでしょうか。



サタンは人々が惹かれることばをよく知っているので、それを使って人々を誘惑し、惑わします。

自由、平等、共存、愛、寛容、人権、平和などということばを頻繁に使いながら惑わします。

それは どの時代でも使うサタンの騙しであり、変装術です。


サタンがよく使う変装術を伝えます。


  • いつも自分の味方のように変装する
  • いつも自分自身を顧みないようにさせ、そのために洗脳する
  • いつも苦難のない栄光を約束する
  • いつも高慢が高慢でないように思わせる
  • いつも奇跡を約束する

このようにして自分の支配下に入った者に、次にやるのは偶像崇拝、不品行、偶像にささげたものを食べさせます。


これは聖書の教えとは真逆のことです。

これらは教会が始まった時から堅く禁じたことでした。


【使徒の働き15章20-21節】

ただ、偶像に供えて汚れた物と不品行と絞め殺した物と血とを避けるように書き送るべきだと思います。

昔から、町ごとにモーセの律法を宣べる者がいて、それが安息日ごとに諸会堂で読まれているからです。」


なぜテアテラ教会がイゼベルという女をなすがままにさせてしまったでしょうか。

テアテラ教会は、愛と信仰と奉仕と忍耐、行いでほめられたのに、なぜこのような失敗を犯したでしょうか?


それは真理に対して無知であったことと、愛に対して誤解したからです。


真理には妥協が許されないです。


すなわち、“どんな混ぜ物もしてはならない”ことです。

人間の教えが真理に混ざることを主は忌み嫌います。


それは真理ではなくなります。

異端は真理に混ぜ物をして人々を惑わします。






次は愛に対して誤解しました。


エペソ教会はニセ預言者たちを見抜いて、彼らを追い出すことには成功しましたが、初めの愛を失ってしまいました。


テアテラ教会は兄弟愛を深めていきましたが、その代わりニセ預言者たちを追い出すことに失敗しました。

愛に傾いてしまい、教理的な部分ではとても未熟でした。



このバランスを取るのは簡単ではないですが、信仰が成熟していくとバランスを取ることが出来ます。


神はイゼベルの霊に支配されている者に対して 悔い改めることを寛容と忍耐をもって待っていますが、いつまで待つのではなく、神の愛と寛容をいつまでも拒む者たちには厳しい刑罰があることを警告しました。


イゼベルと同じ罪を犯す者たちも同じ刑罰があることを知らなければなりません。

イゼベルの教えに従う者はイゼベルの子です。



教会の中にいても最後まで悔い改めない者は、神の子でないことをはっきりさせてあります。


主は私たちの心だけでなく、行いもすべてご存知なので、それに従って必ず裁く方です。

イゼベルの霊にはくれぐれも気をつけましょう。
アーメン ヽ(TдT)ノ


2020.5.17
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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揺るがない土台を据えるには?

テーマは 『 揺るがない土台を据える 』 です

【ルカの福音書6章46-49節】

なぜ、わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、わたしの言うことを行わないのですか。

わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行う人たちがどんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。

その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、それから家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せたときも、しっかり建てられていたから、びくともしませんでした。

聞いても実行しない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています。川の水が押し寄せると、家は一ぺんに倒れてしまい、そのこわれ方はひどいものとなりました。」

イエス様は、この話を誰に聞かせたかったでしょうか?
未信者ではなく、みことばをしっかり守って主の中で生きている人でもないです。

46節でイエス様が次のように質問をしていました。
「なぜ、わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、わたしの言うことを行わないのですか。」
このような人にイエス様は語りたかったのです。


自分自身ではまだ気付いていない あなたの姿がわたしの目にはこのように映っているということを悟らせたかったのです。

その人たちは「主よ、主よ」と呼べば天国へ行けるから問題がないと思っています。
しかし 心から仕える思いで「主よ、主よ」と言うのではなく、口先だけの信仰は“迷惑だ”というイエス様の思いがあります。

十戒の中に「主の御名を、みだりに唱えてはならない。」とありますが、これは信仰が伴っていないならば みだりに呼ぶ姿になります。
行いが伴わない信仰を見て、イエス様が喜ぶと思いますか?
神様に従わず、「主よ、主よ」と呼ぶならば それは虚しい言葉になります。


“そのまま(口先だけの信仰で)生きたならば あなたが後でどうなるのかということを今 教えるのでよく聞きなさい。”ということです。
本人は自分の問題に気付かぬまま“宗教活動”をして「教会へ行っています。奉仕もしています。献金も捧げています。」と言いますが、これは目に見える部分です。
しかし、イエス様が見ると その下(見えていない部分)には土台がないのです。


最も大切な土台がないのに、本人は別に気にしていないのです。今のままで良いという思いであります。

イエス様は最も土台が大切なのに、あなたが建てているものは土台なしで建てているから、後で全部倒れ、それも ひどい倒れ方をすると、事前に教えてくださっています。

本人はイエス様が喜ぶ家を建てていると勘違いをしています。


神様の裁きの時は、地震とは比べものにならないです。すべてのものを流して壊していきます。
その中で壊れないものを造らなければいけないです。




土台とは?



土台という言葉は、旧約聖書にも出てきます。

【イザヤ書28章16節】

だから、神である主は、こう仰せられる。「見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは、試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信じる者は、あわてることがない。

“堅く据えられた礎、尊いかしら石”と書かれています。
これだけを見ても何の意味なのか分からないと思います。これは預言の言葉でイザヤという預言者を通して神様が与えた言葉であります。

これがイエス様が来られた新約時代になると、この預言を明確に説明する箇所が出てきます。


【Ⅰペテロ2章4-8節】

主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。

あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。

なぜなら、聖書にこうあるからです。「見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、尊い礎石を置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。」

したがって、より頼んでいるあなたがたには尊いものですが、より頼んでいない人々にとっては、「家を建てる者たちが捨てた石、それが礎の石となった」のであって、

「つまずきの石、妨げの岩」なのです。彼らがつまずくのは、みことばに従わないからですが、またそうなるように定められていたのです。

この預言はイエス・キリストであるということと、家をどんなに立派に建てたとしても 土台がイエス・キリストでないならば、必ず裁かれるということであります。


その土台に撚り頼まず、「別にそれじゃなくても家は建てられます。」と言います。
実際に土台がなくても家を建てることは出来ます。

多くの人たちが家を建てていますが、イエス・キリストという土台がないです。
「主よ、主よ」と呼びながら建てているので まさか自分の家が倒れるとは 思っていないです。


私たちが想像を絶するような世の終わりの裁きの時に、神様がなさろうとすることがあります。
その時に果たして土台なしに建てた者は生き残れるでしょうか。それは無理であると語っておられます。
神様の裁きの時は 神様以外のものは全て潰していきます。

しかし、神様の中に完全に根を下ろし属している者(土台にくっついている者)は何も被害を受けません。

「神に信頼する者は、決して失望させられることがない。」という言葉があります。ですから心配しなくて良いのです。


しかし土台がない人は、その時に失望するのです。


私たちが「神様、神様」と言っても、自分の生活の中で みことばに従っていない姿があるならば 自分は土台なしに家を建てているのだという認識が必要です。


地獄へ行ったクリスチャンたちは「土台」が問題でした。その人たちも働きをしていなかったわけではないです。
ある者は立派に信仰生活をしました。立派に犠牲を払いました。
全て行ったにも関わらず、地獄へ行ったということは その人たちにはイエス・キリストの土台が無かったことを意味しているのです。

この人たちは自分の価値観・ビジョン・要望・出世、このようなものが土台でした。




真理について



キリスト教の真理が土台でないならば、必ずそれは倒れる家になります。

【マタイの福音書24章35節】

この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。

裁きの時に、神様はすべてのものを巻物のように滅び去ります。
しかし世の中にあるたった1つの真理は神様の言葉だけであり、それは変わらないものであります。


真理の上に土台を立てなければいけませんが、今の時代は どんどん教会そのものも、信徒たちの信仰も 神の真理の言葉から離れています。

多くの妥協があり真理から離れていても平気であるのです。それは教団も同じなのです。
すべての教団ではないですが、ある教団の堕落している姿がありました。

アメリカでは同性愛者が多いです。とある教会で牧師になる人たちに向けて質問をすることがありました。
「私たちは(同性愛を)認めます。世の中の法律でも認めているのだから、私たちの教会も認めます。
ですから 同性愛者も教会に来てください。」ということを言いました。


これは真理の上に立っている姿でしょうか ――?

とんでもないことであります。
これは神様が忌み嫌うことなのです。ソドムとゴモラが滅びたのも同性愛でした。

しかし時代が違うからと言って、教会が同性愛を認めるということは、その教会の牧師が同性愛者であっても問題ではないということでした。


それだけではなく、もう1つは「あなたは神様の言葉だけが真理だと思いますか?」という質問に対して
「はい。そう思います。」と答えた人は、教団の牧師にはなれないというもので、「他の宗教にあるものも良いものだと認めます。」と言わないと牧師になれないのです。

ある牧師が同じく質問をされた時に、「私は認めません。同性愛を認めません。すべての宗教に救いがあることも認めません。神の言葉だけが真理であります。」と
答えると、「あなたは ここの教団の牧師にはなれません。」と言われたそうです。


初代教会の人たちがなぜ迫害されて 命が懸かっていたのでしょうか ――?
それは真理を曲げなかったからであります。命をかけて真理を守っていました。
たとえ殺されたとしても妥協しませんでした。


終わりの時にはたくさんの迫害や困難が来ます。そのことを次の箇所で教えています。

【Ⅰテモテ4章1-3節】

しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。

それは、うそつきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、

結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。

このみことばに書かれている「後の時代」とは、今のことです。
サタンが強く働きますが、どのように働くでしょうか?それは 惑わしの霊と悪霊の教えを持ってくるのです。
それは人間が持っている「欲」の部分をくすぐるものであります。サタンは巧妙に働き、妥協させます。

私たちに真理の土台がないと騙されてしまうのです。
あらゆる教えに心が取られて それを信じて、どんどん真理から離れたやり方をするのです。

信仰生活を、真理ではないところでするようになります。


【ヨハネの黙示録22章18-19節】

私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。

また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。

「少しでも」という言葉があります。つまり 妥協は許されないのです。
真理はそこに混ぜ物をしてはいけないですし、妥協をしてもいけないのです。


変わらない真理の土台の上に信仰生活を築いていなければ、後で黙示録に書かれていることが あなたに起こります。そしていのちの木、聖なる都から取り除かれるので、神様の祝福の世界にいることができないのです。
これはすごく大切であります。


イエス・キリストの土台がなくても、真理の土台がなくても、勝手に自分で建てたいものを建てておいて 自分の信仰生活を送り「私は敬虔な生活をしていました」というのは、パリサイ人たちがそうでした。

パリサイ人たちの信仰生活にはイエス様がいませんでした。
そして真理だけではなく、自分たちが勝手に作り出した言い伝えをたくさん作り何が何だか分からないものの上で必死になって信仰生活をしました。
このような生き方をするならば、サタンやパリサイ人がいるところに自分も一緒にいることになります。


しかし、キリストという真理の土台に、日々イエス様に拠り頼み みことばを実行しながら、すべての働きも「イエス様のために」という動機で働くならば、最期の裁きの時に その人たちは決して見捨てられることがないです。

その人たちは失望することがないのです。苦労があっても最期の時にすべてが報われるのです。


この地上での生活をあと何年生きられるでしょうか?自分の寿命通りに生きられるのではないです。
イエス様がいつ来られるかわからないのです。
もし明日来られたら「私は間違いなく天国に行ける」という確信があるでしょうか?


確信が無ければ、自分の信仰生活をやり直さなければいけないということであります。

「このままで良いんだ」と思うのは、今はそれでも良いかも知れません。
しかし 行く道が違うのでイエス様の守りがないのです。自分からイエス様のところを離れたからです。

自分の肉を打ち叩きながら「私は後で滅びを刈り取るのだ」という思いを持たなければならないです。

土台だけを建てておいて、あとは何もしないのも いけないことであります。


聞く耳があるということは、まだ恵みの時であり 救いの時であります。
神様は土台を築くことを求めておられます。
(´・ω・`)

2014.3.23
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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すべての事について…感謝❤

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