からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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奉仕

教会の奉仕

テーマは 『 教会の奉仕 』 です

【第1コリント12章5ー7節】

奉仕にはいろいろの種類がありますが、主は同じ主です。

働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。

しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです。

イエス様こそ神に仕えた最高の奉仕者でした。

父なる神のみこころに従って、人々に仕えるために休む間がないくらい よく働きました。


夜は1人で神にお祈りをしていましたので、いつ寝る時間があったのかと思うほどです。


弟子たちと船に乗り、突風のせいで、船が揺れ、船の中が水浸しになった時 イエス様だけがぐっすり寝ていたのは、たぶん寝不足が続いて熟睡していて何も気づかなかったと思います。

寝たふりしたわけではないですね。


弟子たちも実によく働きました。

イエス様に見習って、1人1人が立派な奉仕者でした。


神から私たちはキリストのからだの器官であると言われましたが、それは “器官としての機能をしなさい” という意味が含まれてあります。


機能しないと器官としての意味がありません。


最近YouTubeで何万人も集まる韓国教会の聖歌隊の賛美を聞きましたが、聖歌隊員の数がものすごく多くてびっくりしました。何百人もいました。

その教会より人数が多い教会でも、一度に集まる聖歌隊員は100人前後ですから、その教会はそれよりも何倍もの数だったので びっくりしました。


それを見て感じたのは、聖歌隊の奉仕が1番人気があるのかなと思いました。

目立つところに、それも指定席のように、決まったところに座りますね。


大きい教会でも 実際は、様々な部署で奉仕者が足りないのが現状です。

清掃の奉仕とか食事当番とか、こどもの世話とかはあまり人気がないですね。

それでお金を払って人を使ったりします。


ある5000人集まる教会で、実際 奉仕している人を調べたら1500人くらいでした。

それは少しだけでも奉仕をしている人を入れた数です。


すると残りの3500人は何もしていないことになります。

すなわち失業者が3500人もいることです。


それは、イエス様の体の器官としての活動をしていないことを意味します。


何もしないことが楽で良いことでしょうか?

もし皆さんが社会で失業者の立場ならば、早く仕事に就きたいと焦る気持ちになると思います。


”神への奉仕を何もしなくて良いだろうか?“ということも考えないといけないです。


神は私たちに御霊の賜物を1人1人に与えて下さいました。

それは働きをさせる目的があったからです。


みなの益となるために 神様は私たちを選んで賜物を与えました。


その賜物を活かして働くことが奉仕です。






奉仕の精神は、イエス様から学ぶ事が出来ます。


【マルコの福音書10章45節】

人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。

これが基本的な奉仕の姿勢で、人に仕えることが奉仕の姿勢です。


クリスチャンが他の人から仕えられることだけを期待するならば、他の人に仕える機能を失ってしまいます。


教会に対して 愛がないとか非難的なことばを口にする人の中には、自分から人に仕えたことがない人も多いです。


いつも “してもらうことが当たり前” だと思っています。

それはみことばとは違う態度です。


私たちは、互いに仕え合うようにと言われています。

クリスチャンは主のしもべとして 人に仕えるように選ばれた人たちです。


父なる神もイエス様も聖霊様も弟子たちも みな人に仕えました。


その精神をもって聖徒たちは、体の器官として互いに仕えなさいと主から言われています。


奉仕にも働きにもいろいろあると最初から言われました。

それは同じ神様がそのすべての働きを任せて下さいました。


次の箇所にその様子があります。


【マタイの福音書25章15節】

彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりにはニタラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。

それで終わりではないですね。

よほど経ってから しもべたちの主人が帰って来て しもべたちと清算を始めました。


その中で一タラントもらったしもべだけに予想外の問題が生じました。

彼はもらったものを、地を掘って隠して 何も仕事をしませんでした。


他のしもべたちが様々な活動をしていた時に、彼は神の働きに無関心で自分のことだけをしていました。

きっと本人はそれでも大丈夫だと思ったことでしょう。


しかし主人は怒りました。

その態度は、主人への不従順な態度です。


主人は彼を厳しく叱りました。

そして主人は次のように語りました。


【マタイの福音書25章30節】

役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。

このように命じました。


これで分かるように、自分に与えられたタラントと役割を決して ないがしろにしてはいけないです。


それを小さく考えてもいけないです。

神との清算が始まると大変なことになってしまいます。






また、奉仕はどこでするものですか?


もちろん教会の中にありますが、教会だけに限られているわけでもないです。


ある熱心なクリスチャン主婦が奉仕したい気持ちはたくさんありましたが、時間もお金も足りなく、奉仕の機会も与えらず悲しんでいました。


いつものように神の前に座って、自分の事情を話しながら、奉仕の道が開かれることを祈っていました。

すると小さい娘が近づき、やぶれた人形を直してほしいとせがまれました。


しかしそのお母さんは祈りが邪魔されたことが気に入らず、娘を叱って追い出しました。

祈りが終わって娘の所に行くと、娘は泣いて寝ていました。


その時に神様の声が聞こえました。

「どうしてあなたは手軽なことはないがしろにして、大きなことだけを求めているのか。」


それから彼女は心を変えて、すぐに出来る善行、近くにいる人への伝道奉仕を始めました。

後に さらに大きく神に仕える働き人になりました。


神様への奉仕でほめられた人たちを見ても それが言えます。


献金箱に1番たくさんのお金を入れたとほめられた人物は 金持ちではなく 1番貧しいやもめでした。

彼女にとっては自分に出来る最高の奉仕を主にしました。

自分にある生活費全部を献金箱に入れました。


離れた所で見ていたイエス様がそれを知り 感動しました。


感謝の心が見え、喜んでささげる姿は 主に仕える奉仕の姿です。


イエス様に高い香油を注いだ女性も イエス様にその奉仕のことでほめられました。


主のために自分が出来る大きなことはないと言わないでください。

小さなことのように見えても、それは重要なことです。


小さな奉仕が神の国を広げ、魂を救い、神様を喜ばせます。


裸の者に着るものを与え、病気の人を見舞い、空腹な者に食べ物を与えることも 主に対する奉仕です。

奉仕をする人は与える人で、神の国に投資する人です。


受けることばかり求める人は、与えることを投資だと思っていないです。

とにかく、その人たちは 手元に積み上げようとする人です。


しかし与える人が勝利し、受けてばかりの人は失敗します。

与えられた働きを一生懸命にやった人たちに対して、主はこのように語りました。


【マタイの福音書25章21節】

『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』

奉仕によって一番恵まれるのは、奉仕をした “本人” です。

神は絶対に ただ働きをさせる神ではなく、たくさんの利益を与えて下さる神です。


たくさん奉仕をした人は、天国に行くのも楽しみです。

自分のために どのような住まいが用意されているのかが知りたいですね。

どんな報いがあるのかが期待できますね。


働く時間はあまり残されてないです。働ける時に熱心に働いて下さい。


奉仕も喜んでして下さい。


主が注目していますから。
( ̄ー ̄)


2016.11.6
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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主が喜ぶこと

テーマは 『 主が喜ぶこと 』 です

ハレルヤ

今日も主の守りがありますように。


イエス様が私たちに一番求めておられることは、何だと思いますか?

私たちが主のために何かをすることよりも、“私たちの変化” です。

日々 新しく変わることを一番求めておられます。


主のためにたくさの働きをしたから、それが豊かな人生を保証することにはならないです。


私たちが主に出会って、どれくらい変わったのかを主は関心を持って見守っておられます。

どれほど私たちの内なる人が成長するかを主は楽しみにしておられます。

私たちが日々新しく変化していくためには、主と共にいる時間が必要です。


イエス様さえ、地上での忙しい日々の中で、いつも静かな所に一人でいました。

それは休むためではなく、父なる神と共に過ごすためでした。


時には徹夜をしながら父と共にいました。

次の日は寝ることなく働きました。

繰り返し毎日のようにしました。

その時間が主にとって安らぐ時間であり、神の前に静まる時間、黙想する時間でした。


日々、あれこれと忙しい私たちにとって、このような時間はとても必要ですが、本当に邪魔するものが多く、また肉体の休みや、自分がしたいことを優先する傾向があるので、頭では分かっていても実行することが難しいことも確かです。


主の前で静まる時間がないと私たちの内なる人が変化することは とても難しいです。

だんだんそのことに対しても関心が薄れていきます。

身体が疲れると、すぐ眠くなることを皆さんは経験していると思います。


私たちが神と交わる時間を持たず、みことばも食べないと、内なる人はだんだん疲れて栄養失調になり弱って、知らぬ間に眠ってしまいます。


霊的眠りより怖いものはないです。

寝てしまった人は横で騒ぎが起こっても知らずにいることが多いです。


その人たちは主が来て起こしても、その声が聞こえません。

主は「目を覚ましていなさい」といつも語っておられます。

そのためには日々、個人的に主と過ごす時間が必要です。


主のことばに耳を傾ける必要があります。

その中で深い理解と分別力、愛、謙遜、奉仕、そして成熟していきます。


主といつもともにいる人が主の香りを放つことが出来ます。


そのように変化していくことを、主は私たちに期待し、変化していくと一番喜んでくださいます。
(。・ω・)ノ゙

3分テレフォンメッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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誰が冠を受けるのか

テーマは 『  誰が冠を受けるのか 』 です

【第2テモテ4章6-8節】

私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。

私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。

今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けて下さるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けて下さるのです。

世界で最も値段の高い王冠や宝石をインターネットで調べてみました。

100億円を超えるものから 何十億円のものまでありました。


イギリス王室の王冠などは 宝石がたくさん装飾されており、とても高価に見えますし、他の国の王族やお金持ちが高い宝石を所有していました。


しかし、どんなに高価で輝く王冠や宝石であっても 誰1人それを死後の世界にまで身につけて持っていった人はいません。
誰もが地上に残して行き、その所有者が次々と変わっていきます。


永遠に自分の物にはならず、あっという間に自分から離れて行くものと知っていながらも、人々は地上の様々なものを得るために、自分のいのちさえも惜しまずに必死の努力をします。



最近、東大阪市で 64歳の兄が、61歳の弟を殺害する事件が起きました。

親が残した財産による金銭トラブルでした。

親は子どもの幸せと思って財産を残しましたが、結果は悲惨なものになりました。


持っているために生じるトラブルはたくさんあります。

それでも人はそんなことは心にも留めません。


聖徒もそうやって生きるべきでしょうか?

朽ちて行くものを得るために人生を懸けるべきでしょうか。


聖徒の生き方はそれとは違います。

聖徒が得ようとするものはむなしく消えて行く世のものではなく、永遠に消えることのない神が備えておられる冠です。


それは神様が与えて下さる聖徒への報いです。

しかし聖徒という理由だけで、自動的に受けられる冠ではないです。


ある人は、“それならあまり価値がない”と言います。


冠が勝利者に与えられるものであることを知らないといけないです。


それならば、どのような人が冠を神様から受けるでしょうか。
今回はそのことを学びたいと思います。




1.人生の最後まで勇敢に戦い、忍耐によって自分の信仰を守った人




主に選ばれ、主を信じた人たちが皆 最後まで信仰を守り、主と共に歩むと思いますか?
――そうではないです。


多くの人が主から離れて行きます。

イエス様の12弟子の1人であったイスカリオテ・ユダも主を裏切り、去って行きました。


また、イエス様が語ったことばに対し、自分たちが気に入らないという理由でつぶやきながら、12弟子ではない他の多くの弟子たちも離れ去っていき、もはやイエス様と共に歩かなかったと聖書に記録されています。


パウロと共に福音伝道に仕えていたテマスも 世を愛した為、パウロを捨てて去って行きました。

毎日奇跡を体験し、神の存在が明確に現れているのを見ながらも、神から離れて行きました。


実際に この教会でも信仰告白をして救われた人が ずっと教会に残っていたならば、今 空いている席はだいぶ埋まっていると思います。


しかし他の教会に移った人よりも 信仰を捨てた人の方が多いので、とても残念に思います。


なぜそのようになってしまったのかを考えると、サタンに惑わされて不信仰になったり、富の誘惑に目がくらんだり、この世を愛する心が強くて、信仰を捨てて世に戻りました。



信仰の道、いのちの道は狭い道であると 主が語って下さったように、その道を歩むためにはこの世から来るあらゆる誘惑や試み、試練に忍耐しながら戦わなければなりません。


ですから信仰を最後まで守ることは簡単なことではないです。


また、時には信仰のために家族や親族、職場からも反対されたり、迫害されたり、侮辱されたり、不当な扱いを受けたりします。

それで信仰を捨てた人も多いです。


しかし そのような中でも、神から離れず信仰を守った人たちには神が素晴らしい報いとして冠をその人たちに与えることは当然のことです。


神は初めから信仰の勝利者のために、永遠に消えることのない いのちの冠、栄光の冠を備えておられます。


いのちをかけて信仰を守ったのに何もないならば、それほど虚しく無駄なことはないです。

しかし神様はそのようなことはなさらない方なので、豊かに祝福して下さいます。


【マタイの福音書24章13節】

しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われます。

このような約束がありますが、救われることは いのちの冠を得ることを意味します。


このいのちは永遠のいのちです。
いのちほど大切なものはないので、これほど素晴らしい祝福はありません。




2.自分に与えられた使命や働きに忠実な人




パウロが神からの冠を期待する理由は、神から与えられた “走るべき道” を走り終えたからです。


走るべき道がまだ残っているのに走りを中断したのではなく、“疲れたから後はゆっくり休もう” ではないです。

ゴールは、“いのちが尽きるところまで” が走り終える地点です。


ある牧師の話です。

年を取ったので、教会からも引退するように言われ、引退しました。

奥さんの方が先に亡くなり、牧師は子供たちに迷惑はかけたくないということで、老人ホームに自ら入りました。


しかし、そこで何もせずに時間を過ごしたのではなく、周りの入居者の様子を見ていました。

そこには寂しさを感じている人、問題を抱えている人、病気の人など様々な人たちがいました。


そこで牧師は毎日 人々の世話を始めました。
そうすると、皆がとても喜んでくれて、施設の関係者たちもすごく喜んでくれました。

そして、全員がその牧師のことを “神様が送って下さった天使” と呼びました。


これが忠実な働きです。

言い訳が多いのは忠実とは言えないです。


私たちは、“死に至るまで忠実でありなさい” と言われています。


神様が(その働きを)取り上げない限り、自ら辞退をしないことです。

それは主から受ける冠を自分から拒否することになります。






ロサンゼルスオリンピックのマラソンで、ある女性選手がフラフラと意識が朦朧になりながらも、ゴールに向かって歩きました。

何度も倒れそうになりながら、ゴールまで辿り着いて倒れました。


選手としてずっと目指して走って来ましたので、簡単に諦めることが出来なかったと思います。


その姿に皆が大拍手を送りました。

メダルは取れませんでしたが、最後まで走りぬく姿勢は 私たちに感動を与えました。


自分に与えられた神からの奉仕をないがしろにして、忠実でもないのに神様が与えてくださる冠に対しては関心と期待が大きい人がとても多いです。


しかしこのような人たちには、忠実な人だけに与えられる冠を受けることが出来ません。


神の働きをするためには、自分がしたいことを先にしてから 残りの時間ですることは出来ません。
神様は、“神の国とその義とをまず第一に求めなさい”と語りました。


自分のことよりも、神様の働きをまず考えて忠実に働いて下さい。


黙示録でも忠実な人たちだけに与えられる祝福がたくさんありました。

そうではない人たちには「悔い改めなさい」と言われました。


「昔はよく奉仕をしましたが、今はしていません」という人たちがいますが、それは自慢話ではなく、その人が忠実な者から今は怠け者になったことを意味します。


特別な事情も もちろんあると思いますが、本当にそれだけの理由なのかをよく考えてみて下さい。

神様は心の内を誰よりも知っておられるからです。




3.福音を伝える人




イエス様がわざわざ地上に来られた目的は何でしょうか。


【ルカの福音書19章10節】

人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。

イエス様ほど魂に対して関心が強い方はおられません。

神様が1番喜ぶのは、失われた魂を捜して救うことです。


よみがえってから天に上る時に、弟子たちに命じたのが 全世界に福音を宣べ伝えることでした。

福音を伝えるのは聖徒たちに与えられた使命です。


自分だけが救われて天国に行くのではなく、他の人も天国へ行けるようにと福音を伝えます。


弟子たち全員は、なぜ殉教しましたか?
――彼らが主の命令に従って福音を伝え、福音を拒否する人たちによっていのちが奪われました。


日本でも韓国でも、初めに福音を伝えに来た外国人の宣教師たちが多くいのちを落としました。
そして信徒たちも殉教しました。


福音の内容もまともに聞かず、最初から反対されました。

心の頑なな者は聞く耳がないです。


古いものに執着を持っている人や既得権を持って良い思いをしている人たちは、新しいものに対していつも反対し妨害します。
それは全世界どこも同じです。


それでも逃げず、恐れずに福音を伝えることが大切です。


なぜなら福音を聞かせないと彼らは救われることがないからです。

反対する人の中にも、聞いて信じる人がいるかも知れないです。


パウロは福音に命を懸けました。

その様子は次の箇所です。


【第1テサロニケ2章9節】

兄弟たち。あなたがたは、私たちの労苦と苦闘を覚えているでしょう。私たちはあなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えました。

神様はこのように、主のことばに従いながら、働く人に目を留めておられます。

そして彼らの労苦と苦闘に、報いとして栄光の冠をその人たちに与えて下さいます。


この世でも最善を尽くした時に良いものを得ますが、主のために最善を尽くして働いた者たちに対する神からの報いは、私たちが想像することも出来ないほど尊い物であり、永遠のものです。

価値あるものを目指すのが、無駄な人生を歩まない方法です。


財産、権力、名誉、欲しい物のために命を懸けて最善を尽くす人がたくさんいますが、それによって神からいのちの冠、栄光の冠を受けることは出来ません。


聖徒の人生は価値があり 尊いものですので、(まだ救われていない人とは)目指すものが違います。


素晴らしいものを用意しておられる神様に期待しながら、この世で走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通し、そして人々に福音を伝えることです。


そのようにしている人は神様が用意した素晴らしい報いがあります。

それは永遠にその人の冠として その人に栄光を与え続けます。


人それぞれの働きに神は正しく報いて下さいますので、いのちと栄光の冠を受けられるように 与えられた人生で最善を尽くしていきましょう。
( ̄∠  ̄ )ノ

2015.8.16
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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あらゆる恵みに満ちた神

テーマは『 あらゆる恵みに満ちた神 』です

【Ⅰペテロ5章10節】

あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。

神様に出会うまでは、私たちは神様の存在を頭の中で自由に想像していました。
それも人間の数ほどの神様がいます。
自分がこういう神がいたら良いなぁと思う神を作ったり、誰かが作った神を自分の神だと信じる人がいます。
私たちも(救われるまでは)その中にいた者でした。

私たちが本物の神様に出会うまでは知らなかったことがあります。
それは神様が私たちに与えてくださった「恵み」であります。


私が生かされているのも神様の恵みであり、あれもこれも自分の命も、神様から受けたものであるのだという
認識がとても乏しかったのです。

親のおかげであったり自分の力であるという思いがたくさんありました。

しかし 本物の神様に出会って恵みの世界が分かりました。

すべてのことが神様からの恵みだったということが 聖書を読んで初めて正しく知ることができます。

皆さんはどのような恵みを実際に神様から受けたでしょうか?
ある人は恵みに気付いていますし、ある人はまだ気付いていないかもしれません。

神様は今回のみことばで「あらゆる恵み」という言葉を使っています。
その中で1つの恵みが表れています。
それは「苦しみの中の恵み」であります。

この時代の人々は特に迫害が多かったので、苦しみの中にいたと思います。
キリストを信じること自体が苦難の道に足を踏み入れることでありました。
苦難を受けたくないと思うならば、神様を信じることが出来ないです。


ローマ時代はどれほど迫害を受けたのか、歴史を通して知ることができます。
ローマには皇帝がいましたが、クリスチャンを見せ物にしていました。
競技場の中でクリスチャンたちに油をかけて たいまつのように使い燃えさせて、自分たちは飲み食いをして
楽しんでいました。このような悲惨な歴史がたくさんあります。

ですから、その中で「私は クリスチャンになります。」と言うことは、死ぬ覚悟がないと絶対にできないです。

今の時代はそんなに迫害はないです。しかし、いつか このような迫害が必ずあると聖書に預言されています。
ですが、それは災いではなくて神様の恵みであるということを、この聖書箇所で教えています。


苦しみの中の恵みとは どのようなものでしょうか?
苦しみの後で完全になるということは 忍耐であり、忍耐を最後まで出来る人は
完全なる者であります。

人間は完璧ではないのですが、忍耐を働かせると信仰の部分で完全になります。
それらのことを苦しみの中で実を結ぶことができます。

苦しみは誰もが嫌だと思います。
しかし、私たちは平安の中だけでは あまり変わらなく忍耐を学ぶこともないです。
強くなることもないです。苦難の中で耐える時に、あらゆるものが変わっていきます。
ただ ジーッとしているのではなくて、その中で神様に頼ることを学びますし、信仰の激しい戦いがあります。
「こんなに苦しくても(神様を)信じるのか?」と色々な自分との戦いがあります。

だけどその中でも神様は恵みを与えて私をさらに強くしてくださるのだという思いで生きていますので、
その苦しみが ただの苦しみに終わるのではなく、それが自分たちにとって恵みになるのです。

強い者にしてくれる恵み。苦しみがないと、そういう者にはなれないのだという認識が出てきます。

ヨブが激しい苦しみを受けている中で、愚痴をこぼさずに耐えました。
迫害の中にいる人々は、苦しみを神様の恵みだと思いました。恵みと思わないと、絶対に耐えることが出来ないです。
「神様を信じて、何でこんな苦しみが来るの?こんなはずではなかった。」と思う人は、簡単に心を変えて 世に出て行きます。

パウロは一番の苦しみを受けましたが、一度も不平不満を言ったことがないです。
「わたしはますますここで変えられていく。ますますここで耐え忍ぶ。なぜなら神様の恵みは充分にあるから。」と、生きていました。

ですので、もし 苦しみがあるならば災いだと思う必要はないです。
ただ、自分の罪によって来る苦しみは災いです。
しかし、そうではなくて主のために働いて受ける苦しみは 災いではなく、神様の恵みであります。


【Ⅱテモテ2章9-13節】

私は、福音のために、苦しみを受け、犯罪者のようにつながれています。しかし、神のことばは、つながれてはいません。

ですから、私は選ばれた人たちのために、すべてのことを耐え忍びます。それは、彼らもまたキリスト・イエスにある救いと、それとともに、とこしえの栄光を受けるようになるためです。

次のことばは信頼すべきことばです。「もし私たちが、彼とともに死んだのなら、彼とともに生きるようになる。

もし耐え忍んでいるなら、彼とともに治めるようになる。もし彼を否んだなら、彼もまた私たちを否まれる。

私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」

苦しみ自体も恵みを受ける1つの道であります。

恵み豊かな神様は、主のために受ける苦難を見て何もしない方ではないです。
その中でも守り、その人に良いものを流し 支え、助けてくださる神様であります。




そして、私たちが神様から受けた恵みで、どのような恵みがあるでしょうか。

- 救いの恵み -

【エペソ2章8-9節】

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

救いは、もちろん 私たちの信仰も働きましたが、それは主の恵みであります。
救われた人たちは、神様に「私はこういう者だから救いを受けた。だけど、あの人は救いを受ける資格がない。」と、
誰も言える立場ではないです。

行いによって「救い」を獲得したのではなく、100% 神様の恵みによって救いを受けたことを悟るべきです。


【Ⅰコリント15章9-10節】

私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。

ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。

-奉仕をする恵み-

私たちは奉仕について勘違いをすることが多いです。

「私が神様に対してしているのだ」と思うのですが、神様は「あなたが奉仕できるのも、わたしの恵みなのだ。」と語りました。

奉仕を「恵み」だと考えないと、長続きできないです。
神様から何か報いを受けるために奉仕をするとか、他人に見せるためにするのは良くないことです。
それは本来の意味から離れています。

私たちが主のために 何か小さな働きでも出来るなら、それは神様の恵みが働いているから出来るのです。
奉仕を恵みと考えていないならば、少し奉仕をしていただけで疲れてしまい 続けることが出来ないと思います。
「誰も分かってくれないな。これをしたのに何も良いことがないな。」と言ったら、すごく嫌になります。
ですから奉仕から離れていきます。

でも何年も変わらない心で奉仕をする人たちの中にあるのは、言われたから仕方がなくするのではなく、
何が原動力になっているのかと言うと、「私のような者を参加させてくださっている」という恵みなのです。
これはとても素晴らしい恵みであります。


もし神様が「あなたは役に立たない者だから、何もしなくて良い」と言って何もさせないならば、それは良いことでしょうか?
それは違うと思います。きっと自分自身のことを価値がない者だと思ってしまいます。

神様に奉仕をすることは素晴らしい恵みなのに、それを自分のほうから拒むということは自分の手で恵みを投げ捨てることであります。
神様が見た時に、(その人に)出来る力があるので それをさせるのです。
ですから、私たちの認識を変えなければいけないです。

何か奉仕をして、すぐに30倍 60倍 100倍の祝福を貰おうという思いだと、そのようにならない時には失望するでしょう。
そして投げ出してしまいます。

天国へ行って報いを受けるというのは、私たちが地上で働いた行いによって 天国で受けるものです。
神様は地上で与えないこともあるのです。地上で全部の祝福を受けてしまうと、天国へは持ってはいけないからです。

天国には魂だけが行きます。地上のものは置いていかなければなりません。

天国へ行った時に自分の住まいに、私たちが地上でした行いに応じて備えてくださっています。
奉仕はその為の恵みの働きだと思うならば、私たちの心は喜びで溢れると思います。




【ローマ5章17節】

もしひとりの違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵みと義の賜物とを豊かに受けている人々は、ひとりのイエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです。

「ひとりの違反」とは、アダムとエバのことであります。サタンの惑わしを受けて 善悪の知識の木の実を食べてしまいました。
それで神様の言葉通りに、死がこの世界に入るようになりました。
罪が入ったことで汚れました。
罪というシミが付くことによって人間が汚れ、その子孫である私たちが罪の中で生まれ、汚れた者になりました。

それをイエス様が聖めてくださいました。
イエス様の十字架は、罪人のために流した血であります。
本人はシミがついていることに気付かないですが、神様や他人が見た時に、それがよく見えます。

罪を犯しながら外見を綺麗にしていても、神様はいつも私たちの心を見ているのです。
罪の臭いと汚れが丸見えであります。

パリサイ人にもイエス様は「白く塗った墓よ」と語りました。敬虔な者に見えても、いざフタを開けると汚れでいっぱいでした。

たとえ あなたの罪が火のように赤くても、悔い改めて主の血潮を求めるならば、雪のように白くなります。
これは真理であり、イエス様が与えてくださった恵みなのです。


【ローマ6章17-18節】

神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの基準に心から服従し、

罪から解放されて、義の奴隷となったのです。

義の奴隷ということは、聖められ罪が洗われたということです。神様の前では、その者が汚れた者ではなくて血潮を浴びて聖くなった姿に見えるのです。


【ローマ6章22節】

しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。

聖くないと天の御国に入ることは出来ないと語りました。


【Ⅱコリント8章1-9節】

さて、兄弟たち。私たちは、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。

苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。

私はあかしします。彼らは自ら進んで、力に応じ、いや力以上にささげ、

聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずかりたいと、熱心に私たちに願ったのです。

そして、私たちの期待以上に、神のみこころに従って、まず自分自身を主にささげ、また、私たちにもゆだねてくれました。

それで私たちは、テトスがすでにこの恵みのわざをあなたがたの間で始めていたのですから、それを完了させるよう彼に勧めたのです。

あなたがたは、すべてのことに、すなわち、信仰にも、ことばにも、知識にも、あらゆる熱心にも、私たちから出てあなたがたの間にある愛にも富んでいるように、この恵みのわざにも富むようになってください。

こうは言っても、私は命令するのではありません。ただ、他の人々の熱心さをもって、あなたがた自身の愛の真実を確かめたいのです。

あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。

私たちが何かを主に捧げるということは、犠牲が伴います。

神様に献金を捧げる時に、自分の方から出さなければならないです。
お金を大切に思わない人はいないと思います。
なぜなら生活に必要であるので、「たくさんあれば良いなぁ」と誰もが思っているでしょう。

生活をするにはお金は必要ですが、私たちがあれこれ心配し 計算高く将来の為に貯めて、「神様に捧げるものはないわ」とケチる心で神様に捧げるならば、それは恵みではないです。

マケドニヤ教会の人は極度の貧しさの中にいました。当時はクリスチャンであるだけで仕事場から追い出されたり
権利が奪い取られたりしたので、どんどん貧しくなっていきました。

しかし、何もない中でも、その人たちに「捧げたい」という心が出てきました。
神様はそれ自体が恵みであると語りました。惜しまずに捧げたいという心を持っている人は、恵みの中にいるのです。


ですが、計算機を出して「私の老後や子供のほうが大切だ」と捧げ物を減らして、ますます握りしめていくのです。
そのような人たちは神様の恵みを知らない人であります。
「あなたが持っているものは、全てわたしが与えた物である。」とイエス様は聖書で例えを語りました。

自分の命も神様の恵みであり、命を支えてくださっていることも、ものすごい神様の恵みであります。
もしも癌になって手術を受けるなら、何百万円もかかるのです。今、神様が健康を与えてくださっていることは、
ある意味では何百万円以上の祝福を受けていることなのです。

足が動かなくなれば何も出来ないです。
私たちはどれほどタダで神様から恵みを受けているでしょうか。

惜しみなく捧げる人は 恵みを悟った人であります。

マケドニヤ教会の人たちは、何のために献金を捧げたのかと言うと、自分たちも苦しいのですが、自分たちよりも
さらに苦しみを受けている人々に施しをしたのです。
私たちもそのようにしましょう。自分に出来ることを分けてあげる思いでしてあげることです。

地上で生きている時に神様が充分にしてくださるので、神様に信頼したら良いと思います。


【ヤコブ4章6節】

しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」

高ぶる人とは、恵みを知らない人であります。へりくだっている人は、恵みを知っている人です。

恵みを知っている者には、神様がさらに豊かな恵みを与えてくださると約束してあります。

どうやったら恵みを受けるのかと言うと、恵みを知れば受けます。
自分が生きていること、今まで導いてくださったのは神様であります という思いで感謝を捧げたら恵みを与えてくださいます。
恵みを知らない人は恵みをないがしろにしてしまいます。

私たちは今年もたくさん神様の恵みをいただきました。毎日、毎日 守られて生きてきました。

健康も平安も与えられて、あらゆる災いの中でも守られてきました。
どのような時でも 神様の見えない御手が私たちを支え、恵みが天から流れてきて、それによって生かされたことに感謝しましょう。

来週は、収穫感謝祭であります。
今年受けた恵みを1週間じっくりと考えて、歩みを振り返り1つ1つ神様の御前で感謝を捧げてください。 (*´∇`*)

2013.11.10
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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すべての事について…感謝❤

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成長するために

テーマは『成長するために』です

【Ⅰペテロ2章1-5】

成長は私たちにとって必要なものであります。
成長をしないことは「死」を意味しますね。

人間は「外なる人」と「内なる人」で構成されています。

外なる人・・・肉をもって生きている姿(自分の頭で考え行動することです)

内なる人・・・罪と咎がある人は「内なる人」を持っていないです。神様に出会う前は死んだ状態であります。
         神様に出会い、罪の許しを受けて新しく生まれ変わった人達です。

神様が語る成長とは、内なる人が成長することを示しています。
成長をしないと、たとえ霊の子供であっても死にます。

今、自分が成長しているのか、成長していないのかは、どうやったらわかるでしょうか?
また成長をするにはどうしたら良いかを、聖書の本文を通して教えてあります。

① 【Ⅰペテロ2章1節】

生まれ変わった人は、言葉や行動が変化しなければならないです。
「私は嘘をついたことが一度もない、妬みを持ったことがない。」
これは誰でも持ってありますので、このように思うことこそ、嘘であります。
言葉には出さなくても、私たちは心の中にあらゆる悪を持っています。
その悪をそのまま持ち続けていることは成長をしていないことであります。
また、それを持ったままだと、自分の成長を邪魔をすることになり、
家族や周りの人たちが救われないように妨害をすることにもなります。

神様が見て一番喜ぶ姿は、砕かれた魂です。
霊的訓練を通して自分の中にある「悪意、妬み、汚いもの、神様が喜ばないもの」
これらを叩いて捨てれば捨てるほど、心が聖くなります。

② 【Ⅰペテロ2章2節】

ただ聖書を読めば良いということではないです。
みことばに対する私たちの態度が大切であります。
みことばをどのように扱っているのか、それによって成長が全然違うものになります。

自分が生まれ変わったならば、人生の主人がいるのです。神様であります。
その神様を無視して今まで通りに自分で一生懸命考えて決定をしていくことは
神様のことを全く考えていない姿です。主が何をおっしゃるのか関心がないです。

【詩篇119篇105節】

私たち1人1人の歩む道はみんな違います。
次の一歩を踏み出す時に、光が1つもなければどこへ行ったら良いかわからないです。
いくら経験を積んでいたとしても、それで未来へ向かって歩くことはできないです。
人生の道はそうであります。明日何が起こるのか誰もわからないです。
「みことばが私を導きますように」というのが、みことばを慕い求める人の姿です。

【詩篇119篇33-40節】

この箇所を日々の祈りの中に加えてください。

【Ⅰペテロ2章5節】

成長していくには、自分が聖なる祭司としての働きをしなければならないです。
いつまでも恵みばかりを求めるのは、赤ちゃんの姿であり成長をしていない姿であります。

聖なる祭司の働きというのは、
神様に仕える人…神様の近くで仕える人です。
              神様に礼拝を捧げ、神様からの言葉を受け、神様に対して奉仕をする。

祭司は神様の為に選ばれた者であります。
まったく成長をしていない人は、神様に仕えることができないです。

民たちを祝福する働き…神様から霊的祝福を受け、それを人々に与えることであります。
                   自分だけ祝福を受けるのではなく、他の人達も祝福を受ける者になるように
                  恵みを運ぶ者です。そして神様の言葉を教え、導く者です。

これが祭司の働きであります。
このような働きを私たちがしていく時に、私たちはますます成長した姿になります。
どんなに小さな働きでも良いのです。最初から大きな働きができるのではないです。
初めは自分の信仰に相応しい働きを神様がさせてくださいます。
しかし、どんどん働きを全うしていき、器が大きくなっていくと神様が多くの働きを任せるようになります。

少しの働きから、たくさんの働きができるようになります。

人にも仕え、神様にも仕えるようになります。

【エペソ4章13-15節】

成長していくとは、このような姿です。

【Ⅰテモテ4章12-16節】

私たちが成長する為に、必要なものです。
地上でどんなに成長をしても天の御国のことで全ての知識を得ることはできませんし、
霊的なことも全てを知ることはできません。ですから私たちは怠けてはいけないです。
「そんなこと知らない」ではないです。
本当に求める姿を持たなければならないです。

自分で自分の霊の状態を常に診断する必要があります。

「立ち返らなければいけないんだ」、「求めなければならないんだ」と思うならば、
神様が働きます。神様はそれを願いますので、喜んで恵みを与えてくださいます。  .。゚+.(・∀・)゚+.゚

2012.12.9
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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