からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

八戸ノ里キリスト教会より メルマガ配信中!

メルマガ購読・解除

読者購読規約
毎朝7時に配信しています! 1日の始まりを神様の恵みで満たしてくださいね
powered by まぐまぐ!
 
         

失敗

主にそむいてはならない

テーマは 『 主にそむいてはならない 』 です

【民数記13章25節-14章12節】

四十日がたって、彼らはその地の偵察から帰って来た。

そして、ただちにパランの荒野のカデシュにいるモーセとアロンおよびイスラエルの全会衆のところに行き、ふたりと全会衆に報告をして、彼らにその地のくだものを見せた。

彼らはモーセに告げて言った。「私たちは、あなたがお遣わしになった地に行きました。そこにはまことに乳と蜜が流れています。そしてこれがこのくだものです。

しかし、その地に住む民は力強く、その町々は城壁を持ち、非常に大きく、そのうえ、私たちはそこでアナクの子孫を見ました。

ネゲブの地方にはアマレク人が住み、山地にはヘテ人、エブス人、エモリ人が住んでおり、海岸とヨルダンの川岸にはカナン人が住んでいます。」

そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」

しかし、彼といっしょに上って行った者たちは言った。「私たちはあの民のところに攻め上れない。あの民は私たちより強いから。」

彼らは探って来た地について、イスラエル人に悪く言いふらして言った。「私たちが行き巡って探った地は、その住民を食い尽くす地だ。私たちがそこで見た民はみな、背の高い者たちだ。

そこで、私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。

全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした。

イスラエル人はみな、モーセとアロンにつぶやき、全会衆は彼らに言った。「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。できれば、この荒野で死んだほうがました。

なぜ主は、私たちをこの地に導いて来て、剣で倒そうとされるのか。私たちの妻子は、さらわれてしまうのに。エジプトに帰ったほうが、私たちにとって良くはないか。」

そして互いに言った。「さあ、私たちは、ひとりのかしらを立ててエジプトに帰ろう。」

そこで、モーセとアロンは、イスラエル人の会衆の全集会の集まっている前でひれ伏した。

すると、その地を探って来た者のうち、ヌンの子ヨシュアとエフネの子カレブとは自分たちの着物を引き裂いて、

イスラエルの全会衆に向かって次のように言った。「私たちが巡り歩いて探った地は、すばらしく良い地だった。

もし、私たちが主の御心にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さるだろう。あの地には、乳と蜜とが流れている。

ただ、主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちのえじきとなるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。しかし主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」

しかし全会衆は、彼らを石で打ち殺そうと言い出した。そのとき、主の栄光が会見の天幕からすべてのイスラエル人に現れた。

主はモーセに仰せられた。「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じないのか。

わたしは疫病で彼らを打って滅ぼしてしまい、あなたを彼らよりも大いなる強い国民にしよう。」

モーセは主に申し上げた。「エジプトは、あなたが御力によって、彼らのうちからこの民を導き出されたことを聞いて、

この地の住民に告げましょう。事実、彼らは、あなた、主がこの民のうちにおられ、あなた、主がまのあたりに現れて、あなたの雲が彼らの上に立ち、あなたが昼は雲の柱、夜は火の柱のうちにあって、彼らの前を歩んでおられるのを聞いているのです。

民数記13章と14章では様々な人間模様を見ることが出来ます。


ここに限らず、75億人に当てはめても いずれかの部類に自分たちは入りますね。

細かく分けるとキリがないので、3種類の人生に分けてみたいと思います。




◎いなご意識の人生




いなご意識を持っている人は、力も能力も実力もない人だと思うかも知れませんが、人はうわべで判断したらいけないです。

この いなご意識は、“内面にあるもの” です。


【民数記13章33節】

「私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」

いなご意識を持っていることを、はっきりと見せた10人は、どのような人たちでしたか?

彼らは、いなごのようには見えなかった人たちでした。


【民数記13章3節】

モーセは主の命によって、パランの荒野から彼らを遣わした。彼らはみな、イスラエル人のかしらであった。

偵察に行くために選ばれた12人は、みんな “民のかしら” でした。

彼らにいなご意識があるとは、誰も知らなかったと思います。



いなご意識は、不信仰の目で物事を見て、判断する人の中にあります。


神を信じると言いながらも、いなご意識を持っている人も多いです。


彼らは明るい面よりは暗い面をよく見ます。

そして、「出来る」と言うよりも「出来ない」ということばをよく使います。


失敗意識と恐れが強いです。

いなご意識をもった10人は、次のような報告をしました。


【民数記13章28節】

しかし、その地に住む民は力強く、その町々は城壁を持ち、非常に大きく、そのうえ、私たちはそこでアナクの子孫を見ました。

恐れと不信仰の目で見たので、大きくて強いものに圧倒され「これはダメだ。」と結論づけました。



自分の中にあるいなご意識が問題なのに、それを問題とは思わず、環境や人のせいにします。


こういう意識を持っている人は、神の祝福もカナンの地にも入ることが難しいです。

なぜなら彼らは、偉大な神を まるで自分と同じレベルの “いなごのような神” と思うからです。


自分がいなごでも、神を象のように大きな神と思うならば 何を恐れる必要がありますか?




◎すぐ失望する人生




すぐ失望する人生の耳には、否定的なことばしか入ってきません。

消極的な意見だけに反応します。


希望ある報告に対しては嫌な反応しかなかったのに、絶望的な報告に対しては敏感に反応しました。


積極的な発言をした二人に対しては石で打ち殺そうとしたのに、消極的な発言をした10人に対しては賛同しました。

こういう人はすぐに失望します。


もちろん彼らにも “いなご意識” があるので、波長が合いますね。

そして自分と違う意見には敵対し拒否し、受け入れることが出来ないです。



こういう人は自分が直接見ていなくても、否定的な報告にだけ反応し、否定的な反応と絶望をすぐに現します。


「そこにはまことに乳と蜜が流れています。」と言われた時に、それを神の奇跡と祝福と思って喜んでいたら良かったのに、その言葉には反応せず、
いなご意識を持った人たちが言った「私たちが行き巡って探った地は、その住民を食い尽くす地だ。」ということばでは、すぐに反応して泣きわめきながら、次のようにつぶやき出しました。


【民数記14章2節】

「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。できれば、この荒野で死んだほうがましだ。

そして神の悪口まで言いました。

そのことばは神を侮ることばであり、神に背くことばです。


彼らのことばを聞いた主が次のように語りました。


【民数記14章11節】

この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じないのか。

たくさんの奇跡を過去に体験したにもかかわらず、何か問題に直面すると、背の高い住民や、高い城壁よりも 神を小さく見て「神様も無理でしょう?」という思いがあるので、すぐに絶望してしまいます。


問題にぶつかるたびに弱音を吐き、否定的なことば、絶望的なことばを語る人は多いです。


患難の中で耐えることが出来ないタイプです。


そして、それを神のせい、人のせいにします。

このような人もカナンの地に入ることは難しいです。




◎信仰によって生きる人生




目の前に高い城壁がそびえたっていても、背が高くて強い住民がいても、信仰によって生きる人は 次のような姿です。


【民数記14章9節】

その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちのえじきとなるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。しかし主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」

信仰によって生きる人はすべてを信仰の目で見ます。


信仰の目で見ることは、神の約束を信じて物事をみて判断します。


信仰によって生きる人は高い城壁を超え、死の恐れを超え、救いの神に頼り、大胆です。


【申命記1章29-30節】

それで、私はあなたがたに言った。「おののいてはならない。彼らを恐れてはならない。

あなたがたに先立って行かれるあなたがたの神、主が、エジプトにおいて、あなたがたの目の前で、あなたがたのためにしてくださったそのとおりに、あなたがたのために戦われるのだ。

このように信仰によって生きる人は、良い面をみて、可能性を見て、神の力を見ます。


信仰ある人は、これをすべての場面に適用します。


信仰によって生きたダビデの告白です。


【詩篇27編1-3節】

主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。

悪を行う者が私の肉を食らおうと、私に襲いかかったとき、私の仇、私の敵、彼らはつまずき、倒れた。

たとい、私に向かって陣営が張られても、私の心は恐れない。たとい、戦いが私に向かって起こっても、それにも、私は動じない。

信仰によって生きる人といなご意識とすぐ絶望する人生とを比べてみて下さい。

ことばも生き方も その後の人生も全く違います。


信仰によって生きた人生は、勝利の人生になりました。


彼らがそれを証明してくれました。

信仰によって生きた2人、ヨシュアとカレブはカナンの地に入りました。



他の人たちは荒野で死にました。

歴史が記録してあります。


神の国も信仰によって生きた人が入る国です。


信じる者のために神が備えた国ですから、信仰によって生きた人に入る資格が与えられます。


主にそむいて生きることは、祝福の地を自ら拒むことになります。

それで良いでしょうか?
ヽ(TдT)ノ


2018.9.16
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい訳で!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

失敗から学ぶ

テーマは 『 失敗から学ぶ 』 です

ハレルヤ。

今日も主の守りと平安がありますように祈ります。


失敗や過ちを犯したことがない人間は、1人もいないと思います。

完璧主義者は失敗がないでしょうか?
世の中に完璧な人間など存在しないので、それは そう思っている人の錯覚だと思います。


何の基準で自分を完璧主義者だと自任するでしょうか。

私たちはむしろ「私は弱くて、惨めで、失敗の多い人間である」と認めましょう。


それが本来の人間の姿です。

選ばれて神の働きをしたすべての人たちにも失敗がありました。

それを見て、私たちは失敗しても良いんだと思うのではなく、なぜそういう失敗があったのかを調べることです。


人の失敗を見て、同じことをする人は愚か者です。


しかし、失敗から学ぶ者は、同じ失敗はしないです。

警戒して自分を守るからです。


イスラエルの初代大祭司はアロンでした。

モーセの兄で、神様は彼に大切な働きを任せました。


礼拝をつかさどる大祭司の働きで、神の前で仕える働きでした。

しかし、彼がやってしまった大きな過ちがありました。


【出エジプト記32章3-4節】

そこで、民はみな、その耳にある金の耳輪をはずして、アロンのところに持って来た。

彼がそれを、彼らの手から受け取り、のみで型を造り、鋳物の子牛にした。彼らは、「イスラエルよ。これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ」と言った。

なぜ、このようなとんでもない大きな過ちを アロンは犯したでしょうか。

発端は、民からの要求でした。


モーセが神に会うため山に入り、帰ってくるのが遅くなった時に、民はアロンの所に来て「私たちに先立つ神を造ってください。モーセというものがどうなったのか私たちにはわからないから。」

民の態度はとても横柄でした。


たくさんの神の奇跡を見たにも関わらず、また散々モーセの世話になったにも関わらず、簡単に背を向けました。

しかし、一番の失敗はアロンの態度でした。


指導者が民の犯罪の要求に対して受け入れることは、その民に呪いを受けさせることになります。


強く断って彼らの罪を指摘しないといけないのに、自分の立場と利益のために要求を受け入れました。

人を恐れると罠にかかります。


神の義は、いのちを懸けても守る価値がありますが、アロンは民の要求を断ることが出来ず、神の義を捨てて、みことばに反することを行いました。

そして、神が禁じている最も忌み嫌う偶像を造りました。

祭壇を築き、「明日は主への祭である」と、自ら率先して偶像崇拝を導きました。


しかし、そのことで神の怒りが彼らの上に激しく注がれるようになりました。


私たち神を信じる者は、神だけを信じ、神だけに仕えることです。

神の民は、神の民らしく、神のことば通りに生きることを悟って、社会的雰囲気や環境の要求のために神のことばに逆らう罪の道から離れなければなりません。


また人を恐れるのではなく、神を恐れて、失敗や過ちを犯すことがないようにしましょう。
( -д-)ノ

2016.1.22
3分テレフォンメッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

こんな時はどうすればいいのか

テーマは 『 こんな時はどうすればいいのか 』 です

【ヤコブ5章13-15節】

あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。

あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。

信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。

パソコンやスマホ、電化製品などを買うと、その製品の使い方や困った時の解決方法などが書かれている分厚い説明書が必ず付いてきます。


小さい文字で あまりにもたくさん書いてあるので、ほとんどの人は説明書をあまり読まないですね。

しかし困った時は 説明書を調べます。


すると そこに解決方法が書かれているので助かることが多いです。

造った人が1番その製品に対して詳しいので、きちんと解決方法を知っています。


聖書は私たちのことを “神の作品” だと呼んでいます。

すなわち人間は 神の手によって造られた作品です。


ですから私たちを1番よく知っているのは神様です。


神は(すべてを造った)創造主ですので、被造物のことを全て知っておられます。


造られた者として どのように生きるべきかを神が教えないと、私たちは分からないです。

そのことを聖書だけが正しく教えています。


神から言われた通りに生きる人は、人間を造った神の目的にふさわしく生きる人です。


神はまた 人間に何か問題が生じた時に一番有効な解決方法も創造主は持っておられます。


すでに創造主を信じ、聖徒になった人たちは 神が示した有効な解決方法を常に用いることです。

今回の本文は、その中の一部分ですが、私たちが使うと 大いに役立ちます。





苦しんでいる人は祈りなさい




私たちの人生には 多くの苦しみがあります。

別れや失敗、病気、貧困、悩み等々。


その時の一番の解決策は、まず神に祈ることです。


「祈るだけで解決されるのか」と言う人は、祈りのパワーをまったく知らない人で、神がどれほど偉大で力ある方であるかを知らない人です。
また、神がどれほど自分のことを愛しているかを知らない人です。



神は決して人間を強い者として造ったわけではなく、神に依存しながら生きるように造りました。


ですから人間は、苦しみがあると すぐに落胆し、つぶやきます。

その状態ならば苦しみが増すだけです。


ですので、神は私たちに 「助けるから苦しい時は一人で悩まないで わたしに祈りなさい。」 と解決方法を教えて下さいました。


祈ると、苦難を乗り越える力を神様から受けることが出来ますし、神のみこころを発見出来ますし、また神様から慰めを受けますし、そして助けられます。


聖書には実際にそのようにして神の恵みを受けた多くの聖徒たちの姿が出てきます。


【詩篇91編15節】

彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。

神様はこのように約束して下さいました。

そして そのように苦しみの時に 主に祈った現代の聖徒たちも、主の助けを受けました。


ジョージ・ミュラーは、94歳までイギリスで孤児院を経営した立派なクリスチャンでしたが、彼を有名にしたのは 5万回の祈りが答えられたことでした。


お金がない中での孤児院経営は大変ですが、彼は資金集めのためにチャリティー募金活動などをしたことがありませんでした。


彼が孤児院を維持するためにやったことは 神への祈りだけでした。

神はそのすべての祈りに答えて下さり、孤児たちを養うことが出来ました。


私も皆さんも 苦しい時に神に祈って助けてもらった証はたくさんあります。


神の言葉は真実です。神の約束も真実です。





喜んでいる人は賛美しなさい




良いことに対して1人で喜んでいる人がいます。

良いことがあったのに証をしない人もいます。


恵みと祝福を隠して、自分1人で楽しむ事でも喜ぶことでもありません。


良い恵みを与えて下さった神には 必ず栄光と感謝をささげることです。


それが神に賛美をささげることです。

歌を歌うだけが賛美ではなく、賛美する香は “神を礼拝すること” です。


礼拝の中には感謝がありますし、祈りがありますし、賛美がありますし、献金があります。


私たちが受けた恵みに対して黙っていることは罪です。

なぜなら、神に栄光をささげない行為は “恩知らずな者” だからです。


恵みを “恵み” として認識していないので “罪” と言えます。

神の恵みに感謝して、神に賛美をささげることがとても大切です。


苦しい時に神に祈ることはたくさん出来るのに、祝福された後に 神に賛美をささげる人は少ないです。






四つの福音書を読むと、様々な人の姿が出てきます。


苦しんでいる人、病気の人、悪霊に取りつかれた人などが みんなイエス様の所に助けを求めて集まってきて、皆が癒されました。

しかし感謝し、神を賛美した人は1割程でした。


10人の らい病人が癒された時に、感謝して主を賛美した人は1人だけでした。

それも、ノンクリスチャンでした。


ユダヤ人は選民でしたが、サマリヤ人は選民ではありませんでした。

選民ではないサマリヤ人が、わざわざイエス様の所に戻って来て 主にひれ伏して感謝し栄光をささげました。

これは、クリスチャンが感謝していなかったことになります。


神の恵みを一番受け、誰よりも恵みを知っているはずなのに なぜ感謝しなかったでしょうか?


クリスチャンは神からの恵みを “当たり前” と思う傾向があります。


“特別” という認識が足りないです。
恵みを受けるのが自分の権利だと思っています。


「それを いちいち言葉や行動で表さないといけないですか?」と思っているならば、賛美しなさいと言われた神のことばに逆らっている姿になります。


神様はそのような姿を喜ばないです。

恵みを受けて喜んでいるならば、まず神に賛美しなさいと言われました。


神にきちんとお礼を伝えて、栄光をささげることが聖徒としてすべきことです。




病気の人は祈ってもらいなさい




これは苦しんでいる人に祈りなさいということを、さらに強調したことでもありますが、それは病気にかかった人は苦しんでいる人だからです。

本人が祈るだけではなく、なぜ教会の指導者を招いて祈ってもらいなさいと言われたでしょうか。


医者でもなく 教会の指導者を招いて祈ってもらいなさいというのは、医者は要らないというわけではないです。


ヤコブは 優先順位のことを言いました。

医者を招く前に、まず神を求めるようにと勧めています。


教会の指導者は信徒を世話する者です。そして、聖徒のためにとりなしをする者です。

ですから信徒が病気の時には必死に神に祈ります。


私たちを造った神様ほど、人体に対して詳しい方は存在しません。


そして主は癒し主ですので、その神に まず先にお祈りすることは当然です。


その例が旧約聖書にあります。


【第2歴代誌16章12節】

それから、アサはその治世の第三十九年に、両足とも病気にかかった。彼の病は重かった。ところが、その病の中でさえ、彼は主を求めることをしないで、逆に医者を求めた。

なぜこのことが聖書に書かれていると思いますか?


アサ王が、神の前にいつも悪を行う 神を知らない王だったならば、わざわざ聖書に書く必要はありません。

しかしアサ王は20人いたユダの王の中でも 四人の良い王のうちの1人でした。


もともとは神が喜ぶことを行った王であり、信仰もありました。


しかしだんだんと信仰が弱くなっていきました。

そして病気になった時に神を求めることをせず、医者を求めました。

その行動が間違えていたので、わざわざ聖書に書いて残しました。


聖徒が病気になった時に、私たちは まず何をすべきかを その箇所と今回の本文のことばで教えています。


病人にオリーブ油を塗ったのは古代社会の慣習でもありました。

治療の効果を得るためでありますが、聖書では油は神の恵みのしるしとして言われてありますので、病人に対して神様が関心を持って治療を行っていることを見せるためでもありました。


このように書かれているからと、今も必ず油を用いて祈る必要はないです。
なぜなら時代背景が変わりましたから。


イエスの名によって祈る時に神は病人を癒すことが多いです。


信仰による祈りに、神は奇跡で答え、病人を癒します。


不信仰や疑いを持って祈っても 癒しは起こりません。

神が働かないからです。


病気の中には、罪から来た病気もありますが、それが祈った人によって示され、本人が悔い改めると主がその罪を赦し、病気を癒すこともあります。


私も病人のために祈ることが多いですが、ある時には神がその人の罪を示す時があります。

すると その時は悔い改めるように勧めます。

悔い改めた後に癒された人たちもいます。


このように神様は「こういう時にはこのようにしなさいと」私たちに詳しく教えて下さったので、そのやり方を使うと間違いがないです。


自分が神様より良い方法があるならば別ですが、果たしてもっと良い方法があるでしょうか?
(゚Д゚) !!

2016.1.31
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

信仰生活・成功と失敗

テーマは『 信仰生活・成功と失敗 』です

【ガラテヤ5章16-17節】

私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。

なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。

【ガラテヤ5章24-26節】

キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。

もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。

互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。

私たちはイエス様によって信仰生活を始め、それは本当に恵みであります。
神様の恵みなしにイエス様を信じることが出来ないですし、今もイエス様の中に留まって生活をしていることは 神様からの恵みであります。
水が1滴1滴 溜まっていくように、主からの恵みが私たちに注がれています。

誰もが信仰生活を良いものにしたいと願っていると思います。
しかし、ある人たちの信仰生活を見ると、破滅している人もいますし、失敗している人もいます。
また、成功している人もいます。

神様に喜ばれているならば、信仰で成功をしていることであります。
また、失敗している人というのは、「信仰生活をしています。」と言いますが、神様がその人の信仰生活を喜んでいない人であります。

成功・失敗のすべての原因は自分自身にあることを認識しなければならないです。

人々は、失敗や悪いことが起こると誰かのせいにするのです。このように自分ではなく周りで原因を探ります。
しかし、ほとんどの場合の原因は自分の中にあるのだということを、今回学びたいと思います。




― 信仰生活で成功する人たちの姿 ―

ガラテヤ5章16節のみことばにあるように、みことばによって歩むことが原則であります。
これをずっと続けてする人たちは必ず成功をします。
一度 救いを受けただけで、自分がまるで御霊によって歩んでいるかのように勘違いをしてはいけないです。

歩むということは、一歩一歩進んでいく姿であります。

自分の前には聖霊様が立っています。私たちが生まれ変わったのも、聖霊様の働きなのです。
自分の努力や、自分がみことばを守ったから救われたのではないです。

ですから、信仰生活のスタートも聖霊様によるものです。

信仰生活を維持していくには、御霊によって歩まなければならないです。
御霊によって歩む生活とは、どのようなことでしょうか――。
「自分には力がない」「自分は弱い者である」「神様に頼らなければ、私は生きていけない」
これらは、自分の姿を知っている人であります。

神様を信じるのは、ただ弱い者だから信じるのではないです。
人間は誰もが弱く、出来ないものもたくさんあります。
でも真の神様を信じる人は、自分の姿を正しく見ているのです。

人々は 自分がそのような弱い存在であるのにも関わらず、自分を正しく評価することができないです。
本当は力がない者なのに、力があるかのように勘違いをするのです。
出来ないことの方がたくさんあるのに、何でも出来ると勘違いをしています。

そして、神様に頼る者を見て あざけるのです。
神様は「あなたの命は誰が与えたのか?わたしがあなたから取り上げるならば、あなたはその場で倒れるのだ。」と語ります。

ヨブ記には、ヨブと ヨブの友達3人の姿が出てきます。それぞれ違う(自分の)思想がありました。
自分が思っていることは全て正しいと思って、その理論をずっと語り続けました。
ヨブも自分の中に色々な思いがあり、それが正しいと思って神様に訴えました。
しかし、神様からの質問を受けた時に、自分が正しいと思っていたヨブでさえも1つも答えることができませんでした。

世の中で 自分は頭が良いと言う人に、ヨブ記に書かれている神様の質問をしたら1つも答えられないと思います。


本当に信仰生活で成功する人たちは、自分の弱さ、足りなさ、力不足であることを知っています。
それを神様の前に出て来て認めるのです。
「あなた無しには、私は右も左も分かりません。この先、どのように生きたら良いかも分かりません。あなたが私の力になってください。あなたが私の知恵になってください。あなたが私をずっと導いてください。」と、自分の人生のハンドルを聖霊様に委ねるのです。

そのように神様の指示を、神様からの知恵や力をいつももらって頼って生きる人に、神様はつまずかせることはありません。
神様に頼って生きる人たちを大事にします。

信仰生活で成功する人たちはどのような人でしょうか――。


― 主の前に謙遜な人 ―

自分を砕いて、神様の前でへりくだる人、神様はこのような人たちに恵みを注ぐと語りました。

神様が特別に愛し、特別に恵みを与える人は、神様の前でへりくだる人・謙遜な人であります。

イエス様の姿を見ると、謙遜な姿があります。自分を「無」にしました。
イエス様が語る一言一言 すべての中に謙遜がありました。

私たちの中に謙遜さがないと、小さなことにもすぐに反発をするのです。許せないという思いが出てきます。
いつまでも覚えていて、それは謙遜な姿ではないです。

日々、自分を打ち叩きながら自分を無にすることであります。
主が「わたしについていきたいと思う者は自分を捨てなさい」という言葉を使いました。
その人をイエス様は導いて助けてくださいます。そして良い実を結ぶことができます。


― 恵みの中に留まる人 ―

主の恵みの中に留まることは、とても大切であります。私たちは恵みなしには信仰生活が絶対に成功できないです。

小さなことにも神様にすごく感謝をする人は、さらに神様は恵みを与えるのです。

信仰が弱い人たちの姿もそれほど心配ではありません。信仰を持ってから日が浅く、今は一生懸命に学んでいるところですので、
その人たちには未来があります。神様の恵みの中でだんだん成長していくのだなぁという望みがあります。


【ガラテヤ5章4節】

律法によって義と認められようとしているあなたがたは、キリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです。

恵みから落ちた人の姿を見ると とても苦しい思いになります。

ガラテヤ教会の中で、ある教えを聞いて一生懸命に律法を守ろうとしました。それの何が悪いのかと ある人は言うかも知れません。
外見を見ると すごく信仰が熱心な人に見えるのです。しかし動機を見るとズレているのです。
主を愛して恵みの中に留まりながら信仰生活をするのではなく、自分の力でやろうとして結果的には自分を誇ろうとします。

「私はこんなに一生懸命に求めているのだ!」という思いだと、いつの間にかその人たちは自分の行いを誇るようになります。そして他の人たちに向かって裁きはじめるのです。

イエス様はそのような人の姿を見て、「あなたの心はキリストから離れている」と語ります。
神様の恵みによって出来たという認識ではなく、「私がこんなに一生懸命 求めているから出来たんだ」と知らぬ間に恵みから落ちた姿になっています。

これは悲惨な姿であります。恵みから落ちた人は自分自身で気付いていないので問題です。
そして、その人たちは自分の行いをどんどん誇るのです。

自分の行いを誇れば誇るほど 高慢な者になっていくのです。

恵みから落ちる人は必ず失敗をします。

神様の恵みに頼る者ではなくて、自分の行いに頼る者になると、恵みからどんどん離れていきます。


成功をする人たちは、自分が神様の恵みから落ちてしまうのではないか、と恐れを持っているので用心をします。
いつも客観的に自分の姿を見ているのです。

自分は神様と繋がれているのか、恵みの中に留まっているのか、今の私の行動は神様が喜ぶことなのか、と自分を点検するのです。いつも自分のことを厳しく見るのです。

他人を見るのではなく、自分の姿を見て客観的に調べるのです。
すると、自分がどこに立っているのか分かるのです。

常に自分を見つめながら、神様の恵みから離れないように恵みの中に入る人たちは必ず信仰生活が成功します。

成長をして上っていくのは、とても時間がかかります。それには訓練が必要だからです。
しかし(恵みから)落ちるのは あっという間であります。




信仰生活で失敗をする人たちはどのような人でしょうか――。


― 高慢な人 ―

高慢で虚栄心がある人たちの根底にあるものは、貪欲であります。

欲があり人の上に立って偉くなり、人を支配したいという思いがあります。これも欲しい、あれも欲しいと求めていきます。


【ガラテヤ6章3-4節】

だれでも、りっぱでもない自分を何かりっぱでもあるかのように思うなら、自分を欺いているのです。

おのおの自分の行いをよく調べてみなさい。そうすれば、誇れると思ったことも、ただ自分だけの誇りで、ほかの人に対して誇れることはないでしょう。

高慢な者は、自分を立派な者だと勘違いをします。そして偉そうにしています。
周りの人にはその姿が全て見えています。本当に立派な人は、自分のことを誇らないです。

イエス様から「あなたの信仰は立派です」と言われた人たちは、どのような人たちでしたか?
――自分のことを価値のない者だと思っていた人たちでした。


高慢な思いを持っている人は、立派でもないのに 立派な者であるかのように、周りの人たちに見せつけるのです。
醜い姿なのに、自分では気づかないのです。なぜならば、高慢な人は自分の姿を見ないからであります。

自分の口から出る言葉が どんな言葉なのか、自分がしている行いがどのような行いなのか、そういうことに関心がないです。
欲が先立って、自分の欲の中で生きています。

みことばに関しても、持っているのは情報だけです。「この箇所に書かれてあり、このような言葉です。」と情報はいっぱい入っていますが、
実際には(みことばを)経験をしていないのです。

情報だけでは人は成長しません。
しかし、高慢な者は情報だけで、まるで自分が何でも知っているかのように自分を誇るのです。
神様はそのような人たちを退けると語りました。

本当に立派な者は、みことばを聞いた通りに行って経験をし、それによって変わる人であります。
そして実際に良い実を結ぶ人が成長していきます。

情報だけで頭だけが大きくなって情報を流すのが、私たちの成長に何の役に立つでしょうか?


― 不平・不満をたくさん言う人 ―

不平・不満やつぶやきが多いのは信仰生活が失敗します。

イスラエルの民たちが荒野で倒れた原因は何だと思いますか?
――偶像崇拝ではないです。彼らは荒野の40年間は偶像崇拝をしていませんでした。
そうではなく、自分たちの不平・不満が原因で命が取られました。ヨシュアとカレブ以外にはカナンの地に入れませんでした。

不平・不満を言う人は、神様の権威に向かって不平不満を言うことであります。神様の権威に対して挑戦をします。

教会の中でつぶやき、不平不満を言うと、まず自分の信仰が腐っていきます。
その次に、教会を破壊していきます。

その人たちは、すべきことはせず、気に入らないことに対してつぶやきます。旧約聖書を見ると、つぶやく者は次から次へと倒れていきました。
「私は正しいことを言っています。」と言っていても、神様はその人の心を探ります。


心に愛がある人はそのようなやり方をしないです。
本当に教会のためと思う人、そして人を愛する人は不平・不満で、その問題を解決しようとはしません。
そのような人は積極的な解決方法をとります。どのようなことが積極的な方法かと言うと、自分が犠牲を払うことであります。

問題を解決するために、他人に犠牲を払わせるのではなく自分がその中に入って犠牲を払います。

その犠牲を払う方法は色々あります。
人に仕える・人に愛を与える・とりなしの祈りをする。
その問題を自分で解決しようとして神様の力を受けながら一生懸命に取り組んでいくのです。

しかし不平不満を言う人は何もしないのです。腕を組んで誰かを裁くのです。奉仕をせず、とりなしの祈りもしないです。

これは一番サタンが使う方法であります。サタンは心の中に不満を持っている人を捜し、そしてその人を使います。
サタンの言葉を聞き、調子に乗るならば、その人自身は神様によって潰されていきます。

神様は忍耐をする方でありますが、神様が立ち上がったら(その人は)終わりであります。
それは共同体に悪をまき散らすことなので、それを神様は黙って見ておられないです。

その人たちは信仰生活で必ず失敗します。
なぜならそれを止めずにずっと続けていると神様に挑むことになるからです。


― 真理を喜ばない ―

真理を聞きたがらない心があります。そしてサタンの甘い言葉には耳を傾けるのです。

神様の言葉は私たちにとって、時には苦い言葉であります。時にはムチのように痛い言葉であります。

神様から「その道は滅びの道である。」とストップがかかった時に、その人が喜んで「辛いですけど、神様の言葉であるから聞き従わなければならない。」と
立ち止まるならば、その人は滅びから救い出されます。

しかし「聞きたくない。それは私が望んでいる言葉ではない。」と神様の真理の言葉を退けて、甘いサタンの偽りの言葉を聞き、
自分の肉の欲を満たしていくならば、その人は必ず失敗します。


【ヤコブ1章13-16節】

だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。

人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。

欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。

愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。

サタンの甘い言葉は誘惑なのです。しかし神様の言葉は誘惑ではないです。
神様の言葉は、私たちに命を与えて正しい道に導く素晴らしい言葉であります。

それなのに、神様の言葉を聞きたくないと思う人は、既に誘惑されています。どんどんサタンと仲が良くなっていきます。

最初に欲を身ごもると、自分の中でどんどん成長していきます。赤ちゃんが胎内で育つことと同じであります。
その時に神様の言葉によって立ち止まらないと、必ずその人は罪を生みだします。
そして罪が自分に もたらすものは「死」であります。

恵みが消えて、その中でサタンが働くのです。そこに自分が望んでいないものが来るのです。
しかし、その原因を作ったのは、その人自身にあります。誘惑が来た時に退けなかったのです。そのような人は失敗するようになります。


神様はそのように失敗する者になって欲しくないと願っておられます。

アダムとエバがサタンの甘い言葉に騙されて罪が入ってきました。
サタンは色々な言葉を語り、甘い言葉に聞き従った結果は 罪が生まれ、死を刈り取りました。

今の時代でもサタンは私たちを誘惑します。自分たちの中に欲があるので、サタンはその欲に火を付けようとします。その心は隙になるのです。

それは誘惑であって、私たちの魂を滅ぼすものであります。恵みから落ちるように誘惑するものであります。

恵みなしに、何によって生きることが出来るでしょうか?
私たちは本当に気を付けなければならないです。

イエス様は騙されないようにしなさいと語りました。
恵みの中にしっかりと留まっていつも主を見上げて恵みを求め、御霊に導かれて
自分の肉の思いを打ち叩きながら生活をするなら問題がないと主が語ってくださいました。

私たちは成功したいのか、失敗したいのか 自分でどちらかに進まなければならないです。
失敗して滅びたい人は誰もいないと思います。

しかし、成功したいならば、みことばにあるように私たちはその中で生きることであります。
(´・ω・`)

2013.12.1
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

アメリカ神学校で 神様の訓練がスタートしたヒョノちゃんのブログです。
ヒョノのブログ

毎週日曜日の八戸ノ里キリスト教会のご馳走です!
主の食卓のブログ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

プロフィール

ヤエクリ

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

(^^) からし種 に投票してね
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ