からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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失敗

失敗から学ぶ

テーマは 『 失敗から学ぶ 』 です

ハレルヤ。

今日も主の守りと平安がありますように祈ります。


失敗や過ちを犯したことがない人間は、1人もいないと思います。

完璧主義者は失敗がないでしょうか?
世の中に完璧な人間など存在しないので、それは そう思っている人の錯覚だと思います。


何の基準で自分を完璧主義者だと自任するでしょうか。

私たちはむしろ「私は弱くて、惨めで、失敗の多い人間である」と認めましょう。


それが本来の人間の姿です。

選ばれて神の働きをしたすべての人たちにも失敗がありました。

それを見て、私たちは失敗しても良いんだと思うのではなく、なぜそういう失敗があったのかを調べることです。


人の失敗を見て、同じことをする人は愚か者です。


しかし、失敗から学ぶ者は、同じ失敗はしないです。

警戒して自分を守るからです。


イスラエルの初代大祭司はアロンでした。

モーセの兄で、神様は彼に大切な働きを任せました。


礼拝をつかさどる大祭司の働きで、神の前で仕える働きでした。

しかし、彼がやってしまった大きな過ちがありました。


【出エジプト記32章3-4節】

そこで、民はみな、その耳にある金の耳輪をはずして、アロンのところに持って来た。

彼がそれを、彼らの手から受け取り、のみで型を造り、鋳物の子牛にした。彼らは、「イスラエルよ。これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ」と言った。

なぜ、このようなとんでもない大きな過ちを アロンは犯したでしょうか。

発端は、民からの要求でした。


モーセが神に会うため山に入り、帰ってくるのが遅くなった時に、民はアロンの所に来て「私たちに先立つ神を造ってください。モーセというものがどうなったのか私たちにはわからないから。」

民の態度はとても横柄でした。


たくさんの神の奇跡を見たにも関わらず、また散々モーセの世話になったにも関わらず、簡単に背を向けました。

しかし、一番の失敗はアロンの態度でした。


指導者が民の犯罪の要求に対して受け入れることは、その民に呪いを受けさせることになります。


強く断って彼らの罪を指摘しないといけないのに、自分の立場と利益のために要求を受け入れました。

人を恐れると罠にかかります。


神の義は、いのちを懸けても守る価値がありますが、アロンは民の要求を断ることが出来ず、神の義を捨てて、みことばに反することを行いました。

そして、神が禁じている最も忌み嫌う偶像を造りました。

祭壇を築き、「明日は主への祭である」と、自ら率先して偶像崇拝を導きました。


しかし、そのことで神の怒りが彼らの上に激しく注がれるようになりました。


私たち神を信じる者は、神だけを信じ、神だけに仕えることです。

神の民は、神の民らしく、神のことば通りに生きることを悟って、社会的雰囲気や環境の要求のために神のことばに逆らう罪の道から離れなければなりません。


また人を恐れるのではなく、神を恐れて、失敗や過ちを犯すことがないようにしましょう。
( -д-)ノ

2016.1.22
3分テレフォンメッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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こんな時はどうすればいいのか

テーマは 『 こんな時はどうすればいいのか 』 です

【ヤコブ5章13-15節】

あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。

あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。

信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。

パソコンやスマホ、電化製品などを買うと、その製品の使い方や困った時の解決方法などが書かれている分厚い説明書が必ず付いてきます。


小さい文字で あまりにもたくさん書いてあるので、ほとんどの人は説明書をあまり読まないですね。

しかし困った時は 説明書を調べます。


すると そこに解決方法が書かれているので助かることが多いです。

造った人が1番その製品に対して詳しいので、きちんと解決方法を知っています。


聖書は私たちのことを “神の作品” だと呼んでいます。

すなわち人間は 神の手によって造られた作品です。


ですから私たちを1番よく知っているのは神様です。


神は(すべてを造った)創造主ですので、被造物のことを全て知っておられます。


造られた者として どのように生きるべきかを神が教えないと、私たちは分からないです。

そのことを聖書だけが正しく教えています。


神から言われた通りに生きる人は、人間を造った神の目的にふさわしく生きる人です。


神はまた 人間に何か問題が生じた時に一番有効な解決方法も創造主は持っておられます。


すでに創造主を信じ、聖徒になった人たちは 神が示した有効な解決方法を常に用いることです。

今回の本文は、その中の一部分ですが、私たちが使うと 大いに役立ちます。





苦しんでいる人は祈りなさい




私たちの人生には 多くの苦しみがあります。

別れや失敗、病気、貧困、悩み等々。


その時の一番の解決策は、まず神に祈ることです。


「祈るだけで解決されるのか」と言う人は、祈りのパワーをまったく知らない人で、神がどれほど偉大で力ある方であるかを知らない人です。
また、神がどれほど自分のことを愛しているかを知らない人です。



神は決して人間を強い者として造ったわけではなく、神に依存しながら生きるように造りました。


ですから人間は、苦しみがあると すぐに落胆し、つぶやきます。

その状態ならば苦しみが増すだけです。


ですので、神は私たちに 「助けるから苦しい時は一人で悩まないで わたしに祈りなさい。」 と解決方法を教えて下さいました。


祈ると、苦難を乗り越える力を神様から受けることが出来ますし、神のみこころを発見出来ますし、また神様から慰めを受けますし、そして助けられます。


聖書には実際にそのようにして神の恵みを受けた多くの聖徒たちの姿が出てきます。


【詩篇91編15節】

彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。

神様はこのように約束して下さいました。

そして そのように苦しみの時に 主に祈った現代の聖徒たちも、主の助けを受けました。


ジョージ・ミュラーは、94歳までイギリスで孤児院を経営した立派なクリスチャンでしたが、彼を有名にしたのは 5万回の祈りが答えられたことでした。


お金がない中での孤児院経営は大変ですが、彼は資金集めのためにチャリティー募金活動などをしたことがありませんでした。


彼が孤児院を維持するためにやったことは 神への祈りだけでした。

神はそのすべての祈りに答えて下さり、孤児たちを養うことが出来ました。


私も皆さんも 苦しい時に神に祈って助けてもらった証はたくさんあります。


神の言葉は真実です。神の約束も真実です。





喜んでいる人は賛美しなさい




良いことに対して1人で喜んでいる人がいます。

良いことがあったのに証をしない人もいます。


恵みと祝福を隠して、自分1人で楽しむ事でも喜ぶことでもありません。


良い恵みを与えて下さった神には 必ず栄光と感謝をささげることです。


それが神に賛美をささげることです。

歌を歌うだけが賛美ではなく、賛美する香は “神を礼拝すること” です。


礼拝の中には感謝がありますし、祈りがありますし、賛美がありますし、献金があります。


私たちが受けた恵みに対して黙っていることは罪です。

なぜなら、神に栄光をささげない行為は “恩知らずな者” だからです。


恵みを “恵み” として認識していないので “罪” と言えます。

神の恵みに感謝して、神に賛美をささげることがとても大切です。


苦しい時に神に祈ることはたくさん出来るのに、祝福された後に 神に賛美をささげる人は少ないです。






四つの福音書を読むと、様々な人の姿が出てきます。


苦しんでいる人、病気の人、悪霊に取りつかれた人などが みんなイエス様の所に助けを求めて集まってきて、皆が癒されました。

しかし感謝し、神を賛美した人は1割程でした。


10人の らい病人が癒された時に、感謝して主を賛美した人は1人だけでした。

それも、ノンクリスチャンでした。


ユダヤ人は選民でしたが、サマリヤ人は選民ではありませんでした。

選民ではないサマリヤ人が、わざわざイエス様の所に戻って来て 主にひれ伏して感謝し栄光をささげました。

これは、クリスチャンが感謝していなかったことになります。


神の恵みを一番受け、誰よりも恵みを知っているはずなのに なぜ感謝しなかったでしょうか?


クリスチャンは神からの恵みを “当たり前” と思う傾向があります。


“特別” という認識が足りないです。
恵みを受けるのが自分の権利だと思っています。


「それを いちいち言葉や行動で表さないといけないですか?」と思っているならば、賛美しなさいと言われた神のことばに逆らっている姿になります。


神様はそのような姿を喜ばないです。

恵みを受けて喜んでいるならば、まず神に賛美しなさいと言われました。


神にきちんとお礼を伝えて、栄光をささげることが聖徒としてすべきことです。




病気の人は祈ってもらいなさい




これは苦しんでいる人に祈りなさいということを、さらに強調したことでもありますが、それは病気にかかった人は苦しんでいる人だからです。

本人が祈るだけではなく、なぜ教会の指導者を招いて祈ってもらいなさいと言われたでしょうか。


医者でもなく 教会の指導者を招いて祈ってもらいなさいというのは、医者は要らないというわけではないです。


ヤコブは 優先順位のことを言いました。

医者を招く前に、まず神を求めるようにと勧めています。


教会の指導者は信徒を世話する者です。そして、聖徒のためにとりなしをする者です。

ですから信徒が病気の時には必死に神に祈ります。


私たちを造った神様ほど、人体に対して詳しい方は存在しません。


そして主は癒し主ですので、その神に まず先にお祈りすることは当然です。


その例が旧約聖書にあります。


【第2歴代誌16章12節】

それから、アサはその治世の第三十九年に、両足とも病気にかかった。彼の病は重かった。ところが、その病の中でさえ、彼は主を求めることをしないで、逆に医者を求めた。

なぜこのことが聖書に書かれていると思いますか?


アサ王が、神の前にいつも悪を行う 神を知らない王だったならば、わざわざ聖書に書く必要はありません。

しかしアサ王は20人いたユダの王の中でも 四人の良い王のうちの1人でした。


もともとは神が喜ぶことを行った王であり、信仰もありました。


しかしだんだんと信仰が弱くなっていきました。

そして病気になった時に神を求めることをせず、医者を求めました。

その行動が間違えていたので、わざわざ聖書に書いて残しました。


聖徒が病気になった時に、私たちは まず何をすべきかを その箇所と今回の本文のことばで教えています。


病人にオリーブ油を塗ったのは古代社会の慣習でもありました。

治療の効果を得るためでありますが、聖書では油は神の恵みのしるしとして言われてありますので、病人に対して神様が関心を持って治療を行っていることを見せるためでもありました。


このように書かれているからと、今も必ず油を用いて祈る必要はないです。
なぜなら時代背景が変わりましたから。


イエスの名によって祈る時に神は病人を癒すことが多いです。


信仰による祈りに、神は奇跡で答え、病人を癒します。


不信仰や疑いを持って祈っても 癒しは起こりません。

神が働かないからです。


病気の中には、罪から来た病気もありますが、それが祈った人によって示され、本人が悔い改めると主がその罪を赦し、病気を癒すこともあります。


私も病人のために祈ることが多いですが、ある時には神がその人の罪を示す時があります。

すると その時は悔い改めるように勧めます。

悔い改めた後に癒された人たちもいます。


このように神様は「こういう時にはこのようにしなさいと」私たちに詳しく教えて下さったので、そのやり方を使うと間違いがないです。


自分が神様より良い方法があるならば別ですが、果たしてもっと良い方法があるでしょうか?
(゚Д゚) !!

2016.1.31
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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信仰生活・成功と失敗

テーマは『 信仰生活・成功と失敗 』です

【ガラテヤ5章16-17節】

私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。

なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。

【ガラテヤ5章24-26節】

キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。

もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。

互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。

私たちはイエス様によって信仰生活を始め、それは本当に恵みであります。
神様の恵みなしにイエス様を信じることが出来ないですし、今もイエス様の中に留まって生活をしていることは 神様からの恵みであります。
水が1滴1滴 溜まっていくように、主からの恵みが私たちに注がれています。

誰もが信仰生活を良いものにしたいと願っていると思います。
しかし、ある人たちの信仰生活を見ると、破滅している人もいますし、失敗している人もいます。
また、成功している人もいます。

神様に喜ばれているならば、信仰で成功をしていることであります。
また、失敗している人というのは、「信仰生活をしています。」と言いますが、神様がその人の信仰生活を喜んでいない人であります。

成功・失敗のすべての原因は自分自身にあることを認識しなければならないです。

人々は、失敗や悪いことが起こると誰かのせいにするのです。このように自分ではなく周りで原因を探ります。
しかし、ほとんどの場合の原因は自分の中にあるのだということを、今回学びたいと思います。




― 信仰生活で成功する人たちの姿 ―

ガラテヤ5章16節のみことばにあるように、みことばによって歩むことが原則であります。
これをずっと続けてする人たちは必ず成功をします。
一度 救いを受けただけで、自分がまるで御霊によって歩んでいるかのように勘違いをしてはいけないです。

歩むということは、一歩一歩進んでいく姿であります。

自分の前には聖霊様が立っています。私たちが生まれ変わったのも、聖霊様の働きなのです。
自分の努力や、自分がみことばを守ったから救われたのではないです。

ですから、信仰生活のスタートも聖霊様によるものです。

信仰生活を維持していくには、御霊によって歩まなければならないです。
御霊によって歩む生活とは、どのようなことでしょうか――。
「自分には力がない」「自分は弱い者である」「神様に頼らなければ、私は生きていけない」
これらは、自分の姿を知っている人であります。

神様を信じるのは、ただ弱い者だから信じるのではないです。
人間は誰もが弱く、出来ないものもたくさんあります。
でも真の神様を信じる人は、自分の姿を正しく見ているのです。

人々は 自分がそのような弱い存在であるのにも関わらず、自分を正しく評価することができないです。
本当は力がない者なのに、力があるかのように勘違いをするのです。
出来ないことの方がたくさんあるのに、何でも出来ると勘違いをしています。

そして、神様に頼る者を見て あざけるのです。
神様は「あなたの命は誰が与えたのか?わたしがあなたから取り上げるならば、あなたはその場で倒れるのだ。」と語ります。

ヨブ記には、ヨブと ヨブの友達3人の姿が出てきます。それぞれ違う(自分の)思想がありました。
自分が思っていることは全て正しいと思って、その理論をずっと語り続けました。
ヨブも自分の中に色々な思いがあり、それが正しいと思って神様に訴えました。
しかし、神様からの質問を受けた時に、自分が正しいと思っていたヨブでさえも1つも答えることができませんでした。

世の中で 自分は頭が良いと言う人に、ヨブ記に書かれている神様の質問をしたら1つも答えられないと思います。


本当に信仰生活で成功する人たちは、自分の弱さ、足りなさ、力不足であることを知っています。
それを神様の前に出て来て認めるのです。
「あなた無しには、私は右も左も分かりません。この先、どのように生きたら良いかも分かりません。あなたが私の力になってください。あなたが私の知恵になってください。あなたが私をずっと導いてください。」と、自分の人生のハンドルを聖霊様に委ねるのです。

そのように神様の指示を、神様からの知恵や力をいつももらって頼って生きる人に、神様はつまずかせることはありません。
神様に頼って生きる人たちを大事にします。

信仰生活で成功する人たちはどのような人でしょうか――。


― 主の前に謙遜な人 ―

自分を砕いて、神様の前でへりくだる人、神様はこのような人たちに恵みを注ぐと語りました。

神様が特別に愛し、特別に恵みを与える人は、神様の前でへりくだる人・謙遜な人であります。

イエス様の姿を見ると、謙遜な姿があります。自分を「無」にしました。
イエス様が語る一言一言 すべての中に謙遜がありました。

私たちの中に謙遜さがないと、小さなことにもすぐに反発をするのです。許せないという思いが出てきます。
いつまでも覚えていて、それは謙遜な姿ではないです。

日々、自分を打ち叩きながら自分を無にすることであります。
主が「わたしについていきたいと思う者は自分を捨てなさい」という言葉を使いました。
その人をイエス様は導いて助けてくださいます。そして良い実を結ぶことができます。


― 恵みの中に留まる人 ―

主の恵みの中に留まることは、とても大切であります。私たちは恵みなしには信仰生活が絶対に成功できないです。

小さなことにも神様にすごく感謝をする人は、さらに神様は恵みを与えるのです。

信仰が弱い人たちの姿もそれほど心配ではありません。信仰を持ってから日が浅く、今は一生懸命に学んでいるところですので、
その人たちには未来があります。神様の恵みの中でだんだん成長していくのだなぁという望みがあります。


【ガラテヤ5章4節】

律法によって義と認められようとしているあなたがたは、キリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです。

恵みから落ちた人の姿を見ると とても苦しい思いになります。

ガラテヤ教会の中で、ある教えを聞いて一生懸命に律法を守ろうとしました。それの何が悪いのかと ある人は言うかも知れません。
外見を見ると すごく信仰が熱心な人に見えるのです。しかし動機を見るとズレているのです。
主を愛して恵みの中に留まりながら信仰生活をするのではなく、自分の力でやろうとして結果的には自分を誇ろうとします。

「私はこんなに一生懸命に求めているのだ!」という思いだと、いつの間にかその人たちは自分の行いを誇るようになります。そして他の人たちに向かって裁きはじめるのです。

イエス様はそのような人の姿を見て、「あなたの心はキリストから離れている」と語ります。
神様の恵みによって出来たという認識ではなく、「私がこんなに一生懸命 求めているから出来たんだ」と知らぬ間に恵みから落ちた姿になっています。

これは悲惨な姿であります。恵みから落ちた人は自分自身で気付いていないので問題です。
そして、その人たちは自分の行いをどんどん誇るのです。

自分の行いを誇れば誇るほど 高慢な者になっていくのです。

恵みから落ちる人は必ず失敗をします。

神様の恵みに頼る者ではなくて、自分の行いに頼る者になると、恵みからどんどん離れていきます。


成功をする人たちは、自分が神様の恵みから落ちてしまうのではないか、と恐れを持っているので用心をします。
いつも客観的に自分の姿を見ているのです。

自分は神様と繋がれているのか、恵みの中に留まっているのか、今の私の行動は神様が喜ぶことなのか、と自分を点検するのです。いつも自分のことを厳しく見るのです。

他人を見るのではなく、自分の姿を見て客観的に調べるのです。
すると、自分がどこに立っているのか分かるのです。

常に自分を見つめながら、神様の恵みから離れないように恵みの中に入る人たちは必ず信仰生活が成功します。

成長をして上っていくのは、とても時間がかかります。それには訓練が必要だからです。
しかし(恵みから)落ちるのは あっという間であります。




信仰生活で失敗をする人たちはどのような人でしょうか――。


― 高慢な人 ―

高慢で虚栄心がある人たちの根底にあるものは、貪欲であります。

欲があり人の上に立って偉くなり、人を支配したいという思いがあります。これも欲しい、あれも欲しいと求めていきます。


【ガラテヤ6章3-4節】

だれでも、りっぱでもない自分を何かりっぱでもあるかのように思うなら、自分を欺いているのです。

おのおの自分の行いをよく調べてみなさい。そうすれば、誇れると思ったことも、ただ自分だけの誇りで、ほかの人に対して誇れることはないでしょう。

高慢な者は、自分を立派な者だと勘違いをします。そして偉そうにしています。
周りの人にはその姿が全て見えています。本当に立派な人は、自分のことを誇らないです。

イエス様から「あなたの信仰は立派です」と言われた人たちは、どのような人たちでしたか?
――自分のことを価値のない者だと思っていた人たちでした。


高慢な思いを持っている人は、立派でもないのに 立派な者であるかのように、周りの人たちに見せつけるのです。
醜い姿なのに、自分では気づかないのです。なぜならば、高慢な人は自分の姿を見ないからであります。

自分の口から出る言葉が どんな言葉なのか、自分がしている行いがどのような行いなのか、そういうことに関心がないです。
欲が先立って、自分の欲の中で生きています。

みことばに関しても、持っているのは情報だけです。「この箇所に書かれてあり、このような言葉です。」と情報はいっぱい入っていますが、
実際には(みことばを)経験をしていないのです。

情報だけでは人は成長しません。
しかし、高慢な者は情報だけで、まるで自分が何でも知っているかのように自分を誇るのです。
神様はそのような人たちを退けると語りました。

本当に立派な者は、みことばを聞いた通りに行って経験をし、それによって変わる人であります。
そして実際に良い実を結ぶ人が成長していきます。

情報だけで頭だけが大きくなって情報を流すのが、私たちの成長に何の役に立つでしょうか?


― 不平・不満をたくさん言う人 ―

不平・不満やつぶやきが多いのは信仰生活が失敗します。

イスラエルの民たちが荒野で倒れた原因は何だと思いますか?
――偶像崇拝ではないです。彼らは荒野の40年間は偶像崇拝をしていませんでした。
そうではなく、自分たちの不平・不満が原因で命が取られました。ヨシュアとカレブ以外にはカナンの地に入れませんでした。

不平・不満を言う人は、神様の権威に向かって不平不満を言うことであります。神様の権威に対して挑戦をします。

教会の中でつぶやき、不平不満を言うと、まず自分の信仰が腐っていきます。
その次に、教会を破壊していきます。

その人たちは、すべきことはせず、気に入らないことに対してつぶやきます。旧約聖書を見ると、つぶやく者は次から次へと倒れていきました。
「私は正しいことを言っています。」と言っていても、神様はその人の心を探ります。


心に愛がある人はそのようなやり方をしないです。
本当に教会のためと思う人、そして人を愛する人は不平・不満で、その問題を解決しようとはしません。
そのような人は積極的な解決方法をとります。どのようなことが積極的な方法かと言うと、自分が犠牲を払うことであります。

問題を解決するために、他人に犠牲を払わせるのではなく自分がその中に入って犠牲を払います。

その犠牲を払う方法は色々あります。
人に仕える・人に愛を与える・とりなしの祈りをする。
その問題を自分で解決しようとして神様の力を受けながら一生懸命に取り組んでいくのです。

しかし不平不満を言う人は何もしないのです。腕を組んで誰かを裁くのです。奉仕をせず、とりなしの祈りもしないです。

これは一番サタンが使う方法であります。サタンは心の中に不満を持っている人を捜し、そしてその人を使います。
サタンの言葉を聞き、調子に乗るならば、その人自身は神様によって潰されていきます。

神様は忍耐をする方でありますが、神様が立ち上がったら(その人は)終わりであります。
それは共同体に悪をまき散らすことなので、それを神様は黙って見ておられないです。

その人たちは信仰生活で必ず失敗します。
なぜならそれを止めずにずっと続けていると神様に挑むことになるからです。


― 真理を喜ばない ―

真理を聞きたがらない心があります。そしてサタンの甘い言葉には耳を傾けるのです。

神様の言葉は私たちにとって、時には苦い言葉であります。時にはムチのように痛い言葉であります。

神様から「その道は滅びの道である。」とストップがかかった時に、その人が喜んで「辛いですけど、神様の言葉であるから聞き従わなければならない。」と
立ち止まるならば、その人は滅びから救い出されます。

しかし「聞きたくない。それは私が望んでいる言葉ではない。」と神様の真理の言葉を退けて、甘いサタンの偽りの言葉を聞き、
自分の肉の欲を満たしていくならば、その人は必ず失敗します。


【ヤコブ1章13-16節】

だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。

人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。

欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。

愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。

サタンの甘い言葉は誘惑なのです。しかし神様の言葉は誘惑ではないです。
神様の言葉は、私たちに命を与えて正しい道に導く素晴らしい言葉であります。

それなのに、神様の言葉を聞きたくないと思う人は、既に誘惑されています。どんどんサタンと仲が良くなっていきます。

最初に欲を身ごもると、自分の中でどんどん成長していきます。赤ちゃんが胎内で育つことと同じであります。
その時に神様の言葉によって立ち止まらないと、必ずその人は罪を生みだします。
そして罪が自分に もたらすものは「死」であります。

恵みが消えて、その中でサタンが働くのです。そこに自分が望んでいないものが来るのです。
しかし、その原因を作ったのは、その人自身にあります。誘惑が来た時に退けなかったのです。そのような人は失敗するようになります。


神様はそのように失敗する者になって欲しくないと願っておられます。

アダムとエバがサタンの甘い言葉に騙されて罪が入ってきました。
サタンは色々な言葉を語り、甘い言葉に聞き従った結果は 罪が生まれ、死を刈り取りました。

今の時代でもサタンは私たちを誘惑します。自分たちの中に欲があるので、サタンはその欲に火を付けようとします。その心は隙になるのです。

それは誘惑であって、私たちの魂を滅ぼすものであります。恵みから落ちるように誘惑するものであります。

恵みなしに、何によって生きることが出来るでしょうか?
私たちは本当に気を付けなければならないです。

イエス様は騙されないようにしなさいと語りました。
恵みの中にしっかりと留まっていつも主を見上げて恵みを求め、御霊に導かれて
自分の肉の思いを打ち叩きながら生活をするなら問題がないと主が語ってくださいました。

私たちは成功したいのか、失敗したいのか 自分でどちらかに進まなければならないです。
失敗して滅びたい人は誰もいないと思います。

しかし、成功したいならば、みことばにあるように私たちはその中で生きることであります。
(´・ω・`)

2013.12.1
聖日礼拝メッセージ

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