からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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天国

いのちの水の幻が意味するもの

テーマは 『 いのちの水の幻が意味するもの 』 です

【エゼキエル書47章1-12節】

彼は私を神殿の入口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東のほうへと流れ出ていた。神殿が東に向いていたからである。その水は神殿の南、宮の右側の下から流れ出ていた。

ついで、彼は私を北の門から連れ出し、外を回らせ、東向きの外の門に行かせた。見ると、水は右側から流れ出ていた。

その人は手に測りなわを持って東へ出て行き、一千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、それは足首まであった。

彼がさらに一千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、水はひざに達した。彼がさらに一千キュビトを測り、私を渡らせると、水は腰に達した。

彼がさらに一千キュビトを測ると、渡ることのできない川となった。水かさは増し、泳げるほどの水となり、渡ることのできない川となった。

彼は私に、「人の子よ。あなたはこれを見たか」と言って、私を川の岸に沿って連れ帰った。

私が帰って来て見ると、川の両岸に非常に多くの木があった。

彼は私に言った。「この水は東の地域に流れ、アラバに下り、海に入る。海に注ぎ込むとそこの水は良くなる。

この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入る所では、すべてのものが生きる。

漁師たちはそのほとりに住みつき、エン・ゲディからエン・エグライムまで網を引く場所となる。そこの魚は大海の魚のように種類も数も非常に多くなる。

しかし、その沢と沼とはその水が良くならないで、塩のままで残る。

川のほとり、その両岸には、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる。

神は 預言者・エゼキエルに神殿の幻を見せて下さいました。

その幻は 神殿の敷居から水が流れて、その水が流れるすべての所で、すべてのものが生き返る幻でした。


この幻が何を意味するのかを 今回は学びます。


聖書では水を象徴的な意味として使われることが多いですが、まずは いのちの根源である “神ご自身” を象徴的に表します。


【エレミヤ書17章13節】

イスラエルの望みである主よ。あなたを捨てる者は、みな恥を見ます。「わたしから離れ去る者は、地にその名がしるされる。いのちの水の泉、主を捨てたからだ。」

そして宗教儀式で、汚れをきよめる “聖くする” 意味があります。


旧約聖書では いけにえを水で洗いました。

新約時代では水のバプテスマがあり、古い人をきよめ、新しい人に生まれ変わる意味として水が使われました。


そして “聖霊” を象徴する意味で水が使われました。


【ヨハネの福音書7章38節】

わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」

これらのことを参考にした時に、エゼキエルが見た幻の水は何を意味すると思いますか?

イエス・キリストによる “福音” を意味します。


福音は、いのちの泉である神から始まり、そしてキリストの血による きよめ、水のバプテスマ、そしてキリストが私たちに聖霊を注ぐことで、古い人が新しい人に生まれ変わるという内容です。


罪によって、霊が死んでしまった人が福音によって命が注がれ、生まれ変わります。


【ローマ6章23節】

罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

幻を通して福音にどのような特徴があるのかを神は見せて下さいました。






福音の源は 神でした。


【エゼキエル書47章1節】

彼は私を神殿の入口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東のほうへと流れ出ていた。神殿が東に向いていたからである。その水は神殿の南、宮の右側の下から流れ出ていた。


【エゼキエル書47章12節】

川のほとり、その両岸には、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる。

人体は70%が水です。

もし水が不足すると 脱水症状が起こり、いのちを落とすことが多いです。


ですから神は必要な雨を降らせます。

雨はどの国でも金を払わずにタダで受けます。

その雨によって人間は必要な水を確保することが出来ます。


そして、人間にはもう一つの水が必要です。


霊のための “いのちの水” です。


この いのちの水も神が用意してあります。

このいのちの水は、神の所に来ないと 絶対に受けることが出来ません。


イエス様は、わたしの所に来る者は いのちを豊かに得ると語って下さいました。

イエス様は いのちの水の泉です。


【ヨハネの福音書7章37-38節】

さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。

わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」

福音は、イエス様が 信じる者にいのちの水を与えることを約束しています。

福音は全世界に広がって行きます。


神殿から流れ出た水は、どんどん流れて行きました。


神はすべての人々が福音を聞いて救われ、いのちを得ることを願っています。






そしてイスラエルから始まった福音は、いま全世界に広がっています。

そしてこの福音は、イエス様が再臨するまで さらに広がっていきます。


【マタイの福音書24章14節】

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。

神はいま幻や夢を通しても イスラム教徒に福音を伝えています。

それによって改宗する人たちも増えています。


日本でも福音を聞きたいならば いつでも聞けます。

聖書や教会、そしてネットでも調べられます。


この良い福音を必ず聞いてほしいです。

そして信じてほしいです。


福音は 豊かな恵みを絶えず流し、変化を起こし、すべてを新しくし、実を豊かに結ばせる生命力があります。


幻で見た時にも いのちの水が流れるすべての所で、すでにあった水が良くなり、生物が生き、非常に多くの魚がいるようになりました。


葉も枯れず、実も耐えることがなく、すべてが良いもの、豊かなものに変わりました。

悪いものが 良いものに、実を結ばなかったものが 豊かに実を結ぶようになりました。


実際に多くの病人が癒されて健康な者になり、悪霊に苦しめられた人たちが そこから解放され、自由になりましたし、希望のなかった者が希望を得て生きるようになりました。



どれほど福音によって良いことが起こったのかを主の弟子・ヨハネは次のように言いました。


【ヨハネの福音書21章25節】

イエスが行われたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。

いのちの泉であり、福音の主人公であるイエス様は、人々の人生を良いものに変えました。

主のことばのように「羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」と言われ通りになりました。


また主の中にとどまる人たちは、さらに豊かに実を結ぶことが出来ます。


【ヨハネの福音書15章5節】

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

無名だった弟子たちが世界を動かす人物に変わっていきました。

他の人たちも多くの良い実を結びました。



福音は “いのちの水” ですから、その水を受ける人には 多くの祝福をもたらしますが、受けない人には祝福がありません。


【エゼキエル書47章11節】

しかし、その沢と沼とはその水が良くならないで、塩のままで残る。

いのちの水が流れて行かない所には、生命がありませんでした。


「聖霊を受けなさい。」と言われても、それを拒否する人たちがいます。

それは いのちの水を拒む行為です。


のどが渇いている人が水を拒むことは死を招く行為になります。
それと同じことです。


【ヨハネの福音書3章36節】

御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。

神の恵みによって与えられる いのちの水を飲んで生きる者になりましょう。


それを拒んで 神の怒りを受けることは本当に愚かなことです。


天国は 神がおられる所で、そこに いのちの水があることが確認されます。

神殿は神の臨在の場所です。


【ヨハネの黙示録7章17節】

なぜなら、御座の正面におられる小羊(キリスト)が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」

【ヨハネの黙示録22章1-2節】

御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、

都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。

福音は 罪によって、その霊が死んだ者をいやし、生き返らせるために神が飲ませるいのちの水ですので、拒まずに飲んで下さい。


自分のためです。
(*・ω・)ノ


2017.8.13
聖日礼拝メッセージ

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本当に救われていますか?

テーマは 『 本当に救われていますか? 』 です

【使徒の働き2章36-42節】

ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」

人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。

そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。

なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」

ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って彼らに勧めた。

そこで彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。

そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。

長い間、教会に来ている人に、
そして 牧師や伝道師、教師、預言者、奉仕をしている信徒に「本当に救われていますか?」と誰が聞くでしょうか。


救われていると思うので、あえて聞くことはしないですね。


しかし、彼らがみな救われていると 誰が断言出来ますか?

実際は救われてもいないのに、救われたと勘違いして、教会に通い、そして働きをしている人もいます。


もしかしたら私たちの中にも 救われてない人がいるかも知れないです。


今日は一人一人が、「自分は本当に救われているのか」に対して考えたいと思います。







まずは、“救われること” は何でしょうか?


罪によってサタンの奴隷にされ、サタンの言いなりに生きていた人間が、神の福音を聞き、悔い改めて、神に立ち返り、神の恵みによって、そこから解放され自由の身になり、神の子どもになることです。


【ヨハネの福音書1章12節】

しかし、この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

今日の本文は、人々が救いに導かれていく様子がありますし、救われた人々が その後に どのような生き方をしたのかが鮮明にしるされてあります。

彼らの姿は、確実に救われた人々の姿です。


もし自分は救われたと思っていても、彼らのような姿がまったくないならば、救われたと言えるでしょうか。


“救われること” ほど重要なことが人間にあるでしょうか。

これ以上に重要なことはないと思います。


永遠のいのちが懸かってありますから。


多くの人々は「救い」に関しては もちろん無関心ですが、救いを必要だと思って信じた人々の中にも実際は救われてない人がいるのが一番の問題です。


「本当に私は救われているのか。本当に天国に行けるのか。
主の再臨の時に携挙されるのか」


このことをよく考えながら生きている人は、目を覚ましている人です。


初代教会の信徒の姿は、本当に救われた人の典型的な姿です。

生活が神中心になり、礼拝中心になり、付き合う人も信徒たちに変わりました。


【第2コリント5章17節】

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

このことば通りに、古いものは過ぎ去って新しい者になりました。

これが救われた人の姿です。


この通りの姿が、初代教会の信徒たちからは見られました。

神の言葉に逆らって生きていた彼らが、今は神の言葉を堅く守る者になりました。


神との交わりもせず、遠く離れていた者が交わりをし、礼拝をささげ、祈りをささげ、神の中にとどまっていました。


毎日神と共に歩む生活をするようになりました。

これは古い人の時は想像も出来なかった生活です。


まったく新しい生活で、それを彼らは毎日喜んで続けていました。






このように皆さんも変わりましたか?


以前と同じ生活を今もしているならば、何を持って自分は救われたと言えますか?


キリストを知っているから、みことばを知っているから、礼拝を守っているから、それだけで自分は救われたと思っていますか?


救われたことは新しい者として生まれ変わったことですから、新しい生き方が必要です。


聖書にも書かれていないのに、神学者たちの解釈が、まるで真理であるかのように教会で教えたりすることは とても危険です。


真理は聖書にありますので、聖書を一番重視しないといけないです。


「ある神学者がこう言ったから、別に変わらなくても、このままの姿で大丈夫だ」 という教えは正しいでしょうか。


イエス様が律法学者たちに対して なぜあのように厳しかったと思いますか?

自分たちの考えから出た教えを神のことばより重視したからです。


自分たちの教えのために神の言葉を無にしたので、イエス様は非難しました。

こういうことが今も行われてあります。


「一度信仰告白したら何をしても天国に行ける」と 皆さんは信じていますか?


残念ながらそうではありません。

福音の門は広く開かれてありますが、救いの門は決して広くありません。


救いを、まるでバーゲンセールのように安売りする教理は 大きな間違いです。


【マタイの福音書7章13-14節】

狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。

いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。

これが聖書の教えです。


救いを安く売って大量に天国に入ることが真理ではなく、本当に救われる人は少ないのが真理です。


このことを語った後に すぐイエス様はこのように語りました。


【マタイの福音書7章15-16節】

にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。

あなたがたは、実によって彼らを見分けることが出来ます。ぶどうは、いばらから取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。

救いを安く売っている者は にせ預言者です。

救われてもいないのに、救われたと言う者、天国にも行けないのに、行けると言う者はにせ預言者です。


真理は 真理の実、偽りは 偽りの実を結びます。

サタンが蒔いた偽りの教えが、キリスト教の中にもたくさんあります。


耳に良いことばに騙されて、魂が眠ったままの信徒たちがたくさんいますし、今のままでも自分は救われているから平安だと安心しています。

しかし神のことばは 偽りを必ず暴きます。


バプテスマのヨハネが この偽りを見抜きました。


水のバプテスマを受けたから間違いなく天国に行けると思っている人は、よく聞いてほしいです。

水のバプテスマを授けていたヨハネのことばです。


【マタイの福音書3章7-10節】

しかし、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けに来るのを見たとき、ヨハネは彼らに言った。「まむしのすえたち。たれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。

それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。

『われわれの父はアブラハムだ』と心の中で言うような考えではいけない。あなたがたに言っておくが、神は、この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。

斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。

有名な祭司や律法学者が自分の所に来る姿を見て、ヨハネは歓迎したでしょうか。


“悔い改めてもない者が 水のバプテスマを受けても無駄だ” と宣言していました。


宗教家であっても、神が望む悔い改めがなく、信仰告白と儀式だけでは救われないです。

悔い改めて新しく生まれ変わっていないならば、その人の所属は 相変わらずサタンの奴隷です。


ですから「まむしの子」と言われました。

彼らは良い実ではなく、いばらとあざみの実を結んでいました。


神は 人の心を見て、その人を判断します。


信仰告白、洗礼、悔い改め、そして聖霊によって生まれ変わったならば良いですが、そうでないなら、ただ “宗教をやっているだけ” で、未だに救われていないです。


「まむしの子」と言われた彼らが、後に何をしたでしょうか?

キリストを十字架につけた群れになりました。


悔い改めがきちんとされず、生まれ変わってなくても宗教生活は出来ます。

しかし、古い人が良い実を結ぶことは出来ないです。


救われているかいないかも 実を見て判断することが出来ます。


悪い木は悪い実を、良い木は必ず良い実を結びます。

これは変わることのない法則です。


悪い実を結んだ人に対して、さらに このような言葉もあります。


【ヘブル6章5-8節】

神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、

しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることは出来ません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。

土地は、その上にしばしば降る雨を吸い込んで、これを耕す人たちのために有用な作物を生じるなら、神の祝福にあずかります。

しかし、いばらやあざみなどを生えさせるなら、無用なものであって、やがてのろいを受け、ついには焼かれてしまします。

焼かれる場所が天国でしょうか。

天国ではなく、地獄です。


救われた人は、生涯を通して救われた証明になる “良い実” を結ばないといけないです。


悪い実を結ぶことは最初から救われていないか、救われた後に堕落したかです。


救いの道に入ったことは 新しい人に生まれ変わったことですから、その時から良い種を蒔いて、良い実がなるようにしなければなりません。


相変わらず悪い種を蒔いて 悪い実を結ぶならば、古い人のままだと思います。

実がその人の実態を教えています。






本当に救われた人の姿を確認したいと思います。


【エペソ4章17-24節】

そこで私は、主にあって言明し、おごそかに勧めます。もはや、異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではなりません。

彼らは、その知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、かたくなな心とのゆえに、神のいのちから遠く離れています。

道徳的に無感覚となった彼らは、好色に身をゆだねて、あらゆる不潔な行いをむさぼるようになっています。

しかし、あなたがたはキリストを、このようには学びませんでした。

ただし、ほんとうにあなたがたがキリストに聞き、キリストにあって教えられているのならばです。まさしく真理はイエスにあるのですから。

その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、

またあなたがたが心の霊において新しくされ、

真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。

【エペソ4章5章1-9節】

ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。

また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。

あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。

また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。

あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者―― これが偶像礼拝者です、―― こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。

むなしいことばに、だまされてはいけません。こういう行いのゆえに、神の怒りは不従順な子らに下るのです。

ですから、彼らの仲間になってはいけません。

あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。

―― 光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです ――

【第1テサロニケ5章5-10節】

あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。

ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。

眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。

しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。

神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。

主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。

そして、次の箇所にも救われた人の姿があります。


【ヘブル10章37-39節】

「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。

わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」

私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。

自分は本当に救われたかどうかを、これらのことばで判断して下さい。


まったく違う姿であるならば、最初からやり直すことです。

神への信仰、悔い改め、水のバプテスマ、聖霊のバプテスマ、すべてをやり直してください。


そして新しい生き方をして下さい。

変わらない姿のままで、天国は行けないです。


神に立ち返って本当に救われてほしいです。
ヽ(TдT)ノ


2017.7.2
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何を感謝するのか、なぜ感謝するのか

テーマは 『 何を感謝するのか、なぜ感謝するのか 』 です

【第1テサロニケ5章18節】

すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

神様は、すべての事について感謝しなさい と言われました。

感謝することは、主が喜ばれることであり、またクリスチャンとして当然すべきことでもあります。


聖書に感謝の言葉が入っている聖句を検索したら 186箇所出てきました。

もっとあるかも知れないですね。

内容を少し調べると、本当に様々なことで感謝がささげられていましたし、感謝しなさいという命令もありました。


キリスト教は感謝の宗教です。


感謝をいつも主に捧げていますか?

今日は特に “収穫感謝礼拝” ですので、タイトルを 「何を感謝するのか、なぜ感謝するのか」 にしました。


聖書を調べるとそれが分かります。


旧約聖書を読むと、ユダヤ人には三大祭りがありました。

その祭りは人間が決めたのではなく、すべて神の命令によって決められました。

そして その三大祭りは、すべて感謝祭でした。


それを理解すれば 私たちは “何を、なぜ感謝するのか” が分かります。

祭りの記録があるのは、出エジプト記23章、レビ記23章にあります。




過越の祭り




まず「過越の祭り」は、“種無しのパンの祭り” とも言います。

なぜなら続けてやる祭りであるからです。


【レビ記23章5-8節】

第一月の十四日には、夕暮れに過越のいけにえを主にささげる。

この月の十五日には、主の、種を入れないパンの祭りである。七日間、あなたがたは種を入れないパンを食べなければならない。

最初の日は、あなたがたの聖なる会合とし、どんな労働の仕事もしてはならない。

七日間、火によるささげ物を主にささげる。七日目は聖なる会合である。あなたがたは、どんな労働の仕事もしてはならない。」

神様は なぜ過越の祭りを行うようにしたのでしょうか?

それはイスラエル民族が解放されたことを感謝する祭りです。


エジプトで430年間 奴隷生活をしながら苦しんでいたイスラエル人を、神はモーセという指導者を遣わして解放する計画を立てて それを実行に移しました。


エジプト王パロがイスラエル人を解放しないので、神は10の災いをエジプトに下しました。

最後にあった わざわいが、エジプトにいるすべての初子が死ぬことでした。


神は事前にパロに伝えましたが、パロはその言葉を聞いても心をかたくなにして聞き入れませんでした。

“まさかそんなことは起こらないだろう” と、彼は神のことばを無視しました。


神はわざわいの時に イスラエル人を区別するために、助かる方法を教えました。


それは羊をほふり、その血を取り、家々の二つの門柱と、かもいにつけると、裁きが下る時に 神がその血を見て、その所を通り越して、そこには滅びのわざわいが起こらないようにすると言われました。


それを信じてイスラエル人は 言われた通りにして、初子が死ぬという悲劇に見舞われた家はありませんでした。


しかしエジプト人の間では、すべての家の初子が死んだので 大変な悲しみがありました。

このわざわいがあってパロはイスラエル人を解放しました。


イスラエル人は430年間の奴隷生活から完全に解放され、カナンの地に向かうことが出来ました。

解放されたことを忘れず、いつも感謝することを覚えさせるために、神はこの過越の祭りを行うように命じました。


教会では聖餐式がこれに当たります。


イエス様は、私たちをサタンの奴隷から神の子どもに、死から命に移すため 私たちのためにほふられた  “過越の小羊“ です。


(イエス様が)流されたその血によって、私たちは守られ 救い出されました。


サタンの奴隷から解放されたこと、救われたことを私たちは感謝しなければなりません。


霊的に “過越の祭り“ は、過越の小羊となったキリストを暗示します。

次のみことばにも書かれています。


【第1コリント5章7-8節】

新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。

ですから、私たちは、古いパン種を用いたり、悪意と不正のパン種を用いたりしないで、パン種の入らない、純粋で真実なパンで、祭りをしようではありませんか。



五旬節




次の祭りは「五旬節」です。


【出エジプト記23章16節】

また、あなたが畑に種を蒔いて得た勤労の初穂の刈り入れの祭りと、年の終わりにはあなたの勤労の実を畑から取り入れる収穫祭を行わなければならない。

神様は収穫の刈り入れの初穂、すなわち春の収穫の時も 年の終わりの収穫の時も 祭りをするように言われました。


なぜかと言うと、大麦と小麦の収穫の時期が違っていたからです。


この祭りは、日々のすべての糧の生産者も供給者も、“主” であることを認め告白する意味があります。


種を蒔くこと、水を注ぐことは人間に出来ますが、成長させるのは神がなさることです。


私たちは日々の糧を得るために仕事をしていますが、仕事する資本である体は、神様が守って下さらないと自分の力では守れないです。


恵みによって糧を得たことに対して神に感謝することです。

また、この祭りにも霊的意味があります。


収穫の初穂は、“復活したイエス・キリスト” を象徴します。


【第1コリント15章20節】

しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。

この “復活” は信じる者に大きな希望を与えてあります。


それは私たちも復活の恵みに預かれるからです。


五旬節は、初穂をささげてから50日になる日に行われた祭りです。

この時は1日だけの祭りでした。


この日は労働せずに収穫の感謝を神にささげ、隣人との楽しい交わりをしました。


五旬節の霊的象徴は “聖霊降臨” です。


五旬節に聖霊が下りました。

私たちが神に感謝しないといけないのは、聖霊を私たちのために遣わして下さったからです。


聖霊なしには 生まれ変わることも信じることも、また神の子にふさわしく生きることも出来ないです。


私たちは日々この聖霊によって守られ導かれていますので、このことを大いに感謝しないといけないです。




仮庵の祭り




次の祭りは「仮庵の祭り」です。


【レビ記23章33-34節】

ついで主はモーセに告げて仰せられた。

「イスラエル人に告げて言え。この第七月の十五日には、七日間にわたる主の仮庵の祭りが始まる。

この祭りは1年間労苦して得た収穫の後に行う民族最大の祭りでした。


そしてこの祭りは、エジプトの奴隷から解放され40年間 荒野で生活した時も神が自分たちを導き守って下さったことを記念する祭りでした。


七日間家を離れ、野原に仮庵を建てて生活しながら過去の荒野生活を振り返り、信仰を新しくしていました。


聖徒たちは今、この祭りをどのように解釈して行うと良いでしょうか?


天の御国に向かって歩んでいる聖徒たちも、主に導かれ守られていますので、そのことを悟らないといけないですし、私たちが肉体という衣を脱ぎ捨てた後は、永遠に安息と平安がある天の住まいで主と共に生きることを悟り、救いを与えて下さった神に常に感謝をすることです。


ただ 衣食住が与えられたこと、そして健康であったこと、守られたことだけが感謝ではなく、もっと大きな霊的恵みが自分たちに与えられていることを覚えて、それを与えて下さった神に感謝することです。


神の一方的な愛と恵みによって救いを受け、日々守られ、助けられ、また天国への道、復活の祝福があることが感謝の内容であり、感謝すべき理由です。



なぜ今の時期に、教会では “収穫感謝礼拝” をするのかを少しだけ話します。


アメリカでの感謝祭の始まりは、1620年に信仰の自由を求めて、イギリスの聖教徒たちがメイフラワー号に乗って新大陸アメリカに渡って行きました。

厳しい冬と直面し、生活もままならず、渡った半分の人は いのちを落としました。

そして先住民に助けられた残りの人たちは、翌年1621年の時に 無事に収穫出来たもので先住民たちも招待し、自分たちを助けて下さった神に感謝をささげたのが感謝祭の始まりでした。


アメリカでは、11月の第四の木曜日が感謝際です。


日本では勤労感謝の日に近い11月の第四主日に礼拝をする教会が多いですが、その日に必ずしなければならないわけでもありません。

イギリスやドイツ、カナダなど感謝祭の日はそれぞれ違います。


“いつする” のが重要ではなく、感謝の心が重要であり、恵みを忘れず、覚えて生きることが大切です。


そして神が命じた感謝祭の内容を悟って、感謝をささげることが大切です。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚

2016.11.20
収穫感謝礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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聖徒だけが持つ特権

テーマは 『 聖徒だけが持つ特権 』 です

【ヘブル4章16節】

ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

“特権” とは特定の人、身分、階級に与えられている、他に優越した権利です。


特権を持つ人は良い待遇を受けることも多いです。

月に何度も飛行機に乗りますが、飛行機一つにしてもダイヤモンドカードを持っている人は優先的に乗れますし、荷物の制限もなく、ラウンジも自由に使えます。

もし自分が持っている特権を知らないならば、その権利を使うことも知らないので、もったいないです。


聖徒である皆さんは “聖徒だけが持つ特権” が何かを知っていますか?


聖徒が持つ 特権も義務も責任も知らないで信仰生活する人が実に多いです。

そして特権を使ってはいますが、それが特権と思わずに使っています。


今回は聖徒だけが持つ特権に対して学びます。




神の御座に近づける特権




これを特権と思わない人が多いですが、これは聖徒だけが持つ特権です。


たとえば安倍総理は日本の総理ですが、いつでも皆さんが会いたいと思う時に会えますか?

たぶん会うのは無理です。


認められる何かがある場合は別だと思いますが、それは簡単ではありません。

しかし安倍さんの子どもならば、家で自由に会うことが出来ますし、別のところでも許可をもらうのは難しくないですね。


神は世界で一人の神ですが、人間が会いたいと言って いつでも会えるでしょうか。
―― 会えないです。


しかし神に贖われて、神の子になると立場が変わります。


聖徒には、神がいつでも神の御座に近づくことが出来る特権を与えておられます。


“キリスト” によって神と和解させられ、神の子になったので、その特権を得ています。


【ヨハネの福音書14章6節】

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。

聖徒は、“道” であるイエス様を信じる者なので、キリストも その人のことを知っていて、その道を通って父なる神の前に行ける許可を与えておられます。


「イエスの血で神の前に、イエスの血で父の前に一歩ずつ進む。」

このような賛美があるように、父なる神の前に行ける特権は イエス様によって与えられた素晴らしい特権です。


旧約時代は神の臨在がある聖所には、任命された祭司以外は誰も入ることが出来ませんでした。

しかし新約時代の聖徒たちは、神の臨在の中に入ることが出来ます。


死んだら もっと神は近くにおられます。



【ヨハネの黙示録4章4節】

また、御座の回りに二十四の座があった。これらの座には、白い衣を着て、金の冠を頭にかぶった二十四人の長老たちがすわっていた。

聖徒にとって、神は 決して遠く離れて近づくことも出来ない神ではなく、いつでも近づくことが出来ます。




永遠のいのちがもらえる特権





【ヨハネの福音書3章36節】

御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。

“永遠のいのち” ほど価値あるものは 世には存在しません。


金持ちの青年が主の所に来て、永遠の命を得るためには何をしたら良いのかと イエス様に聞きました。

イエス様は、「財産を売って貧しい者に与えてから、私について来なさい」 と言われましたが、金持ちは財産を手放すことが出来ないので、そのまま帰り、2度と帰ってくることはありませんでした。


永遠のいのちは、主に従ってくる聖徒たちに与えられます。

永遠の命はあまりにも高価なので金で買えるようなものではなく、キリストを信じて神の子になった者が、特権として受けられものです。


永遠のいのちは “死とは無縁” です。

それを持っている人は聖徒だけです。


聖徒をやめたら、もはや永遠のいのちは自分のものにはなりません。




祈りが答えられる特権




聖徒の祈りに聞いて下さる方がおられます。

私たちの霊の父である “神様” です。


この世には自分を神と呼ぶ人間がいて、それを信じる者も多いです。


「統一教会」や「神の教会」という異端も、教祖が “人間” なのに、自分自身を神と呼び、それに従う者も(その人物のことを)神と信じています。

(その教祖は)2人とも死にましたが、未だに死人を神と思ってそこから離れません。


中身を見ると教祖が彼らの祈りを聞いて祝福したのではなく、人々が教祖の願いや要求を聞いて、自分たちのもので教祖を満たしていました。


サタンが目をくらませると、悟りがなく盲目的になるので、騙されて利用されるだけです。


人間を神と信じるのも、偶像の神を造って願いを叶えて下さい と祈るのも同じです。



【イザヤ書44章9-11節】

偶像を造る者はみな、むなしい。彼らの慕うものは何の役にも立たない。彼らの仕えるものは、見ることもできず、知ることもできない。彼らはただ恥を見るだけだ。

だれが、いったい、何の役にも立たない神を造り、偶像を鋳たのだろうか。

見よ。その信徒たちはみな、恥を見る。それを細工した者が人間にすぎないからだ。彼らはみな集まり、立つがよい。彼らはおののいて共に恥を見る。

ですから、彼らが自分の神に祈っても それはむなしく恥を見るだけですが、聖徒たちの祈りは むなしくなることも、恥をかくこともありません。


聞いて答えて下さる神がおられるからです。

聖書には祈りの答えがいっぱいです。


神は喜んで聖徒たちの祈りを聞き、答えて下さいます。

祈らないと特権を使わないことですので損をします。




復活の特権





【第1コリント15章43-44節】

卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、

血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。

復活は永遠のいのちの始まりです。

イエス・キリストがよみがえられたことで、この特権が聖徒にも与えられました。


私たちも、いつかキリストと同じ体になります。

時間や空間の制約、そして朽ちることもない体に復活するのは聖徒だけの特権です。


信じないものは永遠の死ですが、聖徒は永遠に死の支配を受けることがなく、キリストのように死の力を打ち破って復活します。


自分が死んで復活することは、今はどのようなものか想像も出来ませんが、その日には喜び踊る者になると思います。




天国に入る特権




天国は聖徒たちのために主が備えて下さった場所です。

聖徒以外の人は、入ることが許されない場所です。


そこは神がおられる場所で、神が聖徒と共に永遠に住む場所です。

死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない場所です。


信じない人は、どんなに入りたくても入ることが出来ません。


入りたいならば生きている時に、罪を悔い改めて、イエス様を 自分の救い主として心に迎え入れ、聖徒になれば入れます。

天国はお金があるから、良いことたくさんしたから、立派な人だから入れるのではなく、信仰で入る国です。


神を信じて、天国を信じて入る準備をした人が入る所です。

自分を聖徒と思っても、準備出来てない人は入れないです。


天国のたとえで使われた “10人の花嫁の姿” を思い出して下さい。

10人の花嫁は、花婿である主を待ち続けていました。


賢い5人の花嫁はいつ花婿である主が来られても迎えられるように、ともしびと油の備えをしました。


しかし愚かな5人の花嫁は、花婿がいつ来るかもわからないのに、ともしびだけを準備し、油の用意はしていなかったです。

花婿が来るのが遅くなり、今にも ともしびが消えそうになりました。


それで油を買いに行っている間に 花婿が来られて、そこにいた賢い5人の花嫁だけが結婚式場に入りました。

油を買いに行った愚かな5人の花嫁の姿は哀れでした。

彼女たちの様子を次の箇所で見ます。


【マタイの福音書25章11-12節】

そのあとで、ほかの娘たちも来て、『ご主人さま、ご主人さま。あけてください』と言った。

しかし、彼は答えて、『確かなところ、私はあなたがたを知りません』と言った。

天国に入ることが出来ず、外の暗やみに置かれてしまいました。


せっかく天国に入る “特権” があったのに、その場にいなかったために、特権が無効になってしまいました。


その特権が認められず、残念な姿でした。

このようになって、聖徒の特権を失う者も実に多いです。


“目をさまして、身を慎み、用意していなさい” と言われた通りにしている聖徒が、天国に入り、言われてもそのようにしていない聖徒は、特権を使うことが出来ません。

世を愛して放蕩生活をしている人に、“天国の扉” は開かれません。


聖徒として準備した人は、問題なく天国に入ります。


このように聖徒としてどのような特権があるかを知り、いつ それを使うかを知って使う人が賢い聖徒です。

神が与えて下さった特権としての祝福をすべて自分のものにしていきましょう。

(・◇・)ゞ

2016.9.25
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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水のバプテスマと聖霊のバプテスマ

テーマは 『 水のバプテスマと聖霊のバプテスマ 』 です

【使徒の働き19章1-7節】

アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、

「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは、「いいえ。聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」と答えた。

「では、どんなバプテスマを受けたのですか」と言うと、「ヨハネのバプテスマです」と答えた。

そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです」と言った。

これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。

パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。

その人々は、みなで十二人ほどであった。

今日は聖霊が下ったペンテコステの日です。

イエス様は復活してから天に上る前に、弟子たちに “一つの命令” と “一つの約束” を与えました。

“命令”は次の箇所です。


【使徒の働き1章4節】

「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。

そして “約束”は次の箇所です。


【使徒の働き1章5節】

ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」

これらを聞いた弟子たちはエルサレムを離れないで、聖霊を受けるために祈りながら待ちました。

そしてペテコステの日に彼らに聖霊が激しく臨みました。


弟子たちにとっても初体験で、彼らは聖霊に満たされ、異言を語ったり 預言したりと、聖霊によって新しい者に生まれ変わりました。

弟子たちのことばや行動を見ると、以前の弟子たちの姿ではありませんでした。


彼らを変えたのは聖霊でした。

彼らも以前、ヨハネから水のバプテスマを受けました。


そしてペンテコステの日に聖霊のバプテスマも受けました。




ヨハネのバプテスマとは




この“バプテスマ” は皆さんも、世の人々も知っている水の洗礼です。


ヨハネはイエス様よりも先に来られ、主のための道を準備した人物でした。

その時、ユダヤ全地域の人々は、ヨハネが水のバプテスマを授けているヨルダン川に来て、自分の罪を告白してヨハネから水のバプテスマを受けました。


その時ヨハネは、人々に次のように話しました。


【マタイの福音書3章11節】

私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。

ここでも水のバプテスマと聖霊のバプテスマが全く違うことと、両方のバプテスマが必要であることが明白です。


“水のバプテスマを受けたから、天国に行く切符を手に入れた” と喜ぶのは間違いです。


もう一つのバプテスマが、もっと重要です。
これなしに天国に入ることは難しいです。


パウロがエペソの弟子たちに会った時に、なぜいきなり「信じた時、聖霊を受けましたか。」と質問したでしょうか。

それは聖霊を受けた証拠が、本当に生まれ変わったことを証明するのに不可欠であったからです。


【ローマ8章9節】

けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。

パウロの質問は「信じた時に聖霊の臨在を体験しましたか。」という意味でもあります。


ペンテコステの日に集まっていた120人全員が聖霊の臨在を体験したので、彼らは自分たちが聖霊のバプテスマを受けたことを明確に知りました。

私自身も聖霊の臨在を体験したので、自分が聖霊のバプテスマを受けたことを知りました。


受けた人ならばそれが何かわかります。

臨在の体験は それぞれ違いますが、臨在を体験すると自分が変わったことが分かります。


心がまるで入れ替わった感じがして、以前と同じ心ではないです。



パウロは、エペソの弟子たちのことばや行動を見て、彼らが聖霊充満でないことを感じたと思います。


それで質問した時に、彼らは「いいえ。聖霊の与えられることは聞きもしませんでした。」と答えました。


パウロや主の弟子たちが福音を伝える所では、皆が水のバプテスマと聖霊のバプテスマを受けていましたが、なぜエペソの弟子たちは聖霊のバプテスマを知らなかったのでしょうか。

それには理由がありました。


彼らはパウロから福音を聞いて信じたのではなく、アポロという人から福音を聞きました。


【使徒の働き18章24ー25節】

さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。

この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。

これが原因でした。

ですから彼らは水のバプテスマしか受けていなかったのです。


今も世界のある教会では同じことが行われています。

水のバプテスマは受けていますが、聖霊のバプテスマを受けていない信徒たちも多いです。


その人たちも聖霊のバプテスマを知らない指導者から福音を聞いたからです。

しかしそれでは不十分であることを主が語っておられます。


水のバプテスマの儀式は “自分の罪を告白してキリストを受け入れたことを象徴する行為” です。


しかし、水のバプテスマが救いを受ける条件でも 明確に救いを受けた証明になるわけでもないです。

それは、教会がその人の信仰告白を聞いて、その人を教会員として受け入れたという意味で行う儀式です。


水のバプテスマは、地上の教会を作る時に必要です。

教会の外にいる人と教会員との区別にもなります。


使徒たちも福音伝道と水のバプテスマを平行しながら教会を設立していきました。

人は水のバプテスマを受けることで 自分がクリスチャンになったことを認識しますし、教会員になったと実感します。


しかしこれだけで救われた、生まれ変わったとの証明にはならず、必ず聖霊のバプテスマが必要です。




聖霊のバプテスマとは




水のバプテスマが教会員になったと教会が認めるものならば、聖霊のバプテスマは 聖霊が(その人が)クリスチャンになったことを認めたと印を押すようなものです。


【第2コリント1章22節】

神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました。

聖霊のバプテスマを受けた人は、罪が赦されただけではなく、サタンの支配下にいた古い人は死んでキリストの中で新しく生まれ変わったことを体験した人です。


これによってその人はキリストと一つになり、キリストの支配下にいます。


水のバプテスマを受けた人の中にもクリスチャンではない人もいます。

イエス様が語った天の御国のたとえに「麦と毒麦のたとえ」がありますが、麦は真のクリスチャン、毒麦は教会の中にいるクリスチャンに見えてもそうでない人のことです。


ヨハネが水のバプテスマを授けていた時に、大勢のパリサイ人やサドカイ人たちがバプテスマを受けに来ました。


彼らを見てヨハネは次のように語りました。


【マタイの福音書3章7-8節】

「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。

それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。

このように厳しく言いました。

心からの悔い改めもなく、儀式や形を重んじる彼らは 皆が受ける水のバプテスマを受けずにはおられなかったです。

それをヨハネは見抜きました。


このようなクリスチャンが多いです。

洗礼は受けましたが、悔い改めにふさわしい実もなく、古い人のまま生きる人、主から離れた人も大勢います。


しかし本当に悔い改めて主を信じ、また聖霊のバプテスマを受けた人たちは、彼らとは明らかに違います。

たとえ主から “離れなさい” と言われても、彼らは離れることが出来ません。


なぜなら聖霊の印が心に押されていて、聖霊がその人の中に住んでいるからです。


聖霊を追い出して以前の状態に戻ることなど考えられないです。


「自分が聖霊のバプテスマを受けたかどうかは、どうやって分かりますか?」と知りたい人もいると思います。


特別に神秘的な聖霊の臨在を体験してなくても、主を愛し、主を自分の救い主として信じ、自分が変わったならば、その人は聖霊のバプテスマを受けた人です。


主から離れて生きることが出来ない人は、聖霊のバプテスマを受けた人です。


イエス様も水のバプテスマと聖霊のバプテスマを受けました。

それは私たちにその2つが必要であることを教える目的もありました。


【ヨハネの福音書3章5-6節】

イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。

肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。

聖霊のバプテスマを受けた人は、常に力に満ちた生活をするために聖霊に満たされることです。


聖霊は力を与えて、私たちを助けて下さいますし、賜物も与えて主の働きが出来るようにして下さいます。

日々聖霊に満たされ、聖霊の導きの中で生きる人は、安定した信仰生活が出来ます。


聖霊の助けなしにみことばだけでは弱いです。


みことばだけで大丈夫だと思う人は神に頼らない人です。


主のことば通り聖霊を受けて、聖霊と共に歩む人が力を受けて実を結ぶことが出来ます。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚


2016.5.15
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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人間には救いが必要

ハレルヤ。
今日も主の恵みが皆さんにありますように祈ります。


キリスト教以外の宗教では、“人間に救いが必要”であることは教えません。


なぜならば その宗教を始めた人たちが、救いが何かを知らないからです。

罪が何なのかを知らない人たちには、救いの必要性もわからないです。


私たちがイエス様に出会うまでは、そのような状態の中にいましたので、そのことがよくわかります。


道徳的に問題がなく、良いことをすればいい所に行くとか、自分たちの教えをよく守れば天国に行けるとか、教祖に従えば天国に行けるとかを彼らは伝えています。

そして、それを信じている人も多いです。


救いと言うことばがあまり彼らには存在しないです。


自分たちが霊的に死んでいることはほとんどわからないからです。


聖書は、私たちに救いが絶対的に必要であることを教えています。


【箴言14章12節】

人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。

罪から来る報酬は死ですが、罪のことがわからないから良いことをすれば、それで(天国へ)生けると思って安心します。


そして、自分が進む道の終わりが死の道であることを知らないです。

ある意味 これほど悲惨なことはないです。


(自分が死んだら)天国と思って誰かに従い、教えられた通りに生きたのに、その最後が「死」、それも“永遠の死” であることは とても辛いことだと思います。


死んでから気づくことが さらに辛いですね。なぜならば その時はもう遅いからです。

やり直すチャンスが二度と来ないからです。


救われていない人々の状態は次の通りです。


【ローマ1章21-23節】


彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。

彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、

不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうものの形に似た物と代えてしまいました。

このような状態が典型的な罪人の状態です。


「人に悪いこともしていないし、犯罪も犯したことがないのに、何で私が罪を犯したというのか」と よく言われます。

しかし 罪の起源は、神を神としてあがめず、感謝もせず、信じない不信仰です。

さらに神でないものを神と呼び、拝むことです。

初詣で人々がやっていることがそうでした。


ですからイエス様はこのように言われました。


【ヨハネの福音書3章3節】

「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」

新しく生まれることは真の神を信じて救われることです。

罪によって死んだ霊が生まれ変わることです。


皆さんは本当に生まれ変わりましたか?

自分が罪人であることを認めましたか?

救い主イエス様を信じましたか?

罪赦されましたか?


これがないと天国には入れません。


生まれ変わることは、それを信じて救われたか ということです。
Σ(゚д゚;)


2016.1.11
3分テレフォンメッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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キリストとの交わり

テーマは 『 キリストとの交わり 』 です

ジョン・チャールズ・ライルは、19世紀イギリスで チャールズ・スポルジョンと共に清教徒の霊性を持った立派な牧師でした。

その当時のイギリスでは、洗礼を受け、教会に登録するだけで生まれ変わった人、天国の民になったと認めていたので、ライルは天から落ちた爆弾のような存在でした。


なぜならば、彼は福音の教理を絶対に曲げずに、いつも正しい福音を伝えました。

それは人を悔い改めさせ、救いを得させるメッセージでした。


彼は聖霊の人でした。

リバイバルは聖霊によらなければならないことを知って、いつも聖霊の火を求めました。


次のことばは、ある時のメッセージでした。


「残念ながら、救いに至る信仰もなく、キリストとも交わりがないのがはっきりしているのに、死んだら天国に行くという人があまりにも多いです。

しかし、そういう人は天国には相応しくないです。

皆さんは地上でキリストを高く崇めることもしませんでした。

皆さんはキリストとまったく交わりを持ちませんでした。

皆さんはキリストを愛していません。悲しいことです。


皆さんが天国で何が出来るでしょうか。

天国は決して皆さんのためにある所ではありません。

天国の喜びは皆さんのために喜びではないはずです。

天国の幸せは、皆さんが手にすることが出来ない祝福です。

天国での日々が皆さんには負担になり、つまらないでしょう。

遅すぎることがないように悔い改めて、心に変化が起こりますように。


天国への確実な準備はイエス様との交わりです。

洗礼を受けたから、教会に通うから、間違いなく天国に入ることは有り得ないです。

はっきりしているのは、天国はただ私たちに与える神のプレゼントではないことです。

そこはイエス・キリストだけが最高の喜びである所です。

私たちはこの世で生きながら、イエス様が最高の喜びでなければならないです。

ここでイエス様と仲良くしていないのに、天国で永遠に仲良く出来るわけがないです。」


このメッセージはもっともだと思いました。

パウロはイエス様を知らない時には、教会を迫害しましたが、知ってからは別人になりました。

一番の変化は、イエス様に対するパウロの思いでした。


【ピリピ3章8-9節】

それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。 私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、

キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストと信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。

2015.10.24
3分テレフォンメッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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恵みを受けた聖徒

テーマは 『  恵みを受けた聖徒 』 です

【第2コリント9章8節】

神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。

“聖徒” の意味は分かりますか。

学校で教えを受ける者を意味する生徒ではなく、“聖なる者”を意味します。


聖書で聖徒の定義は次の箇所です。


【第1ペテロ2章9-10節】

しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。

あなたがたは、以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者です。

このように神から永遠の特権を受け、選ばれた存在が聖徒です。

そして聖徒とは、その恵みを認識しながら それに答え、恵みの中で生きている者です。


ですから聖徒は自分が何者で、自分がどのような恵みを受けているのかを正確に知らないと、聖徒としての特権があるにも関わらず、みじめな者として生きてしまいます。

しかし、そのような人がたくさんいます。


そして 「恵みを受けた」 と聖徒たちがよく言いますが、その恵みが 聖書の示す恵みとは どこかかけ離れた感じを受ける時があります。


今日は聖徒が神から受けた恵みが何であるかを学びます。

これは聖徒であるならば、皆が受けている恵みです。




生ける望みの恵み




“生ける望みの恵み” とは何でしょうか?


【第1ペテロ1章3-4節】

私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。

また、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです。

聖徒には、生ける望みが2つあります。

それはキリストの復活のように 自分たちも復活の恵みを受けています。


“復活の恵み” とはどのようなものでしょうか?

その答えが次の箇所にあります。



【第1コリント15章42-44節】

死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、

卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、

血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。

多くの迫害の中で、殉教した聖徒たちが忍耐しながらも、その中で喜んでいたのは この復活の恵みを知っていたからです。


聖徒にとって 死は永遠の死ではなく、復活の恵みを受けていますので、そこから永遠の命が始まります。


キリストの再臨にイエス様と同じく朽ちない体を着る復活が起こります。


もう一つの恵みは天国に入る恵みです。


天国がなく、この世がすべてであるならば、信仰を持つ必要はないですね。

私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。


キリストは いつも天国の話を弟子たちにし、そこに希望を置くようにしました。


聖徒の天国への希望は決してむなしいものにはなりません。

夢を語っているのではなく、それこそ現実です。

イエス様が私たちに天国を約束して下さいました。



【ヨハネの福音書14章2-3節】

わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。

わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。

主のことばは天国への保証です。
そして主は真実な方です。


たとえ地上で多くの苦しみや戦いがあっても この生ける望みをもっている人は絶望したり、つまずいたり、主から離れることはしません。


むしろ この生ける望みがあるので、早くそれを受けたくて主に会う日を待ち望んでいます。





おりにかなった助けの恵み




この恵みなしに生きてこられなかったと私はいつも思っています。

どれほど この “おりにかなった助け” によって生かされてきたか分かりません。



【ヘブル4章16節】

ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

神様はあらゆる恵みを常に備えておられる方です。


わたしたちが常にすべてのことに満ち溢れる者になることを願っていますし、そして あふれるばかり与えることが出来る神様です。


そのことは今回のテーマ箇所でも知らせています。

わたしは聖書でそのことばを見つけた時には とても嬉しくなりました。


この素晴らしい恵みをいつも受けようと思い、その時からその恵みを受けています。

神から恵みを受ける準備をして神に求めます。


他の人と比較して妬みや不満を言うのではなく、自分に必要な恵みのことは自分が直接 神様の御前に出て求めました。



【伝道者の書3章1節】

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。

このように書かれていますので、私は恵みを受ける時は自分で(時期を)決めないで、それを神にゆだね、ただ必要な恵みを いつも神様に求めると、神がちょうど良い時に用意した恵みを与えて下さいます。


私はこの恵みを日々体験し、本当にそれによって生かされています。

これは自分の努力や力ではなく、主の恵みです。


この恵みはすべての聖徒が受けている恵みです。


それを知って恵みの中に生きるか生きないかによって、受ける恵みが違うと思います。

いつも大胆に求める人は 恵みをたくさん受けます。


聖霊様を私たちの所に遣わして下さったイエス様のみこころは、聖霊によって日々私たちを慰め、助け、力を与え、危機から救い出し、そして導くことです。


おりにかなった助けを与えるために遣わして下さいました。

そしてその恵みを大胆に求めなさいと勧めています。


求めると受けますが、求めないと受けられません。





キリストにあるいのち




聖徒が受けた特権は主の保証付きです。
失われたりするものではなく、主が約束のことばをもって保証しておられます。


聖徒に保証された素晴らしい恵みに 「いのち」 があります。


肉体のいのちも保証されるならば、安心して生活が出来ますが、いのちが保証されないと安心して生活が出来ません。


もし「余命一年です」と言われるなら、その時から死ぬ日を数えますね。

保証がないので、いのちは本当に取られてしまいます。


しかし、主が聖徒たちに保証したものがあります。次の箇所です。



【ヨハネの福音書5章24節】


まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。


【ヨハネの福音書6章37節】

父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。


【ローマ8章1-2節】

こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。

なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。

聖徒はキリストを信じる信仰によって罪の赦しを受けて救われ、またキリストによって新しい命を得ています。


いのちであるキリストが聖徒の中におられることで、私たちは いのちある者になりました。

主が来られた目的は、私たちが永遠の命を得るためです。


ですから 自分が聖徒であるならば、いつも死に行く人のように暗い顔つきで生きるのではなく、いのちある者らしく生きないといけないです。


神の恵みは取るに足りない者に特権を与えました。


その特権には「生ける望み、おりにかなった助けを受ける恵み、そしてキリストの中にあるいのち」です。


聖徒ならばこの特権を知らないといけないです。


そしてその特権を喜び、日々味わいながら使うことです。
v( ̄∇ ̄)v


2015.9.27
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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天国の扉

今週は、礼拝メッセージの更新をお休みさせていただきます。
毎週楽しみにしてくださっている皆様に以前の3分テレフォンメッセージを載せました。
まだ3分テレフォンメッセージを聞いたことがない方は、毎日24時に更新していますので 恵みを受けてください。 〔 06-6618-9105 、06-6618-9106 〕

天国の扉に1人の天使が立っていました。

その天使は、イエス様と同じ特徴をその顔に持っている人たちだけを天国に入れ、その他の人々は入らせない責任を持っていました。


頭に素晴らしい冠を被った人々が来ました。王たちでありました。

しかし その天使は、その王たちに何の尊敬も現さず、 「世の王冠は天国では何の価値もないんだよ」ということを、その人々に教えました。


今度は、素晴らしい制服を着た人々が来ました。

今度もその天使は何の尊敬も現さなかったです。


なぜなら その人たちの顔に、十字架にかかったイエス様の顔のような顔はありませんでした。

全然違う顔をしていましたので、彼らを入らせなかったです。


今度は洗練された美貌を持った女性が来ました。

しかし、その天使は彼女を見ていました。彼女の目、彼女の美貌から 神様が求めている美しさは発見できませんでした。


今度は有名な人が来ました。人々はその人に歓声を上げていました。

でも天使はその人に語りました。
「人々から受けるその歓声・拍手は、人間には相応しいかも知れないが、ここに入って来る権利はありません。」


天国に入る入場券。
それはイエス様のように清くされた人だけに与えられるものであります。


例え その人が貧しい者であっても、無学な者であっても、そういうことは関係がなく、 天使がその人を見た時に その人の顔にイエス様と似ている特徴を見つけた時に  その人を天国に入れます。


「あなたはイエス様とそっくりな人ですね。入って来なさい。入って来なさい。 永遠の栄光があなたのものです。あなたはキリストのようになりましたので 天国でキリストと共に永遠に生きることができます。」





この内容は20世紀の有名なイギリスのスポルジョン牧師がメッセージの中で 語った言葉であります。

天国は誰でも入るような場所ではないです。


地上で福音を聞くのは誰でも聞くことが出来ますけれど、天国に入るのは イエス様を受け入れ、信じて、イエス様のように聖なる者に変わっていく人たち。
その人たちはイエス様が喜んで天国の中に入れてくださいます。


有名であったから、財産がたくさんあるから、その人が地上で色々なことをしたから、 天国がその人を受け入れるのではないです。


天の御国は、イエス様に似た者たちが入るところでありますので、 自分たちの姿が今どのようになっているのか、イエス様に似る者になっているかどうかをよく見てください。

~ 2012/2/14 ~


2015.8.2
3分テレフォンメッセージ

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曜日別の祈りです(リニューアルしました)
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パウロメッセージの重要テーマ

テーマは 『 パウロメッセージの重要テーマ 』 です

【使徒の働き20章19-21節】

私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました。

益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました。人々の前でも、家々でも、あなたがたに教え、

ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。

パウロは復活したイエス様によって直接使徒として召されました。

その場面は次の箇所にありますが、パウロに対して主が語ったことばです。


【使徒の働き9章15節】

わたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。

そしてパウロは主の心にかなう働きをしました。
救われた異邦人にとってパウロの存在は本当にいのちの恩人です。


パウロの働きは簡単に出来たわけではありませんでした。

真の神を知らない異邦人の所へ行って、彼は命懸けで福音を伝えました。
多くの迫害と反対の中でも彼は伝えるべきことは大胆に伝えました。


私たちも神様のことを人々に伝えますが、人々が喜んで聞くことはほとんどありません。

その為、私たちは委縮し、消極的になり、何をどう伝えたら良いのかと悩んでしまいます。
聖書のことばはたくさん知っているのに、伝えるべきことばが分からず困ったと言うクリスチャンも多いです。


今回は最高の伝道者であったパウロのメッセージの重要テーマが何であったのかを皆さんに伝えます。

これから皆さんが福音を伝える時に、その内容で伝えたらいいと思います。





1.神に対する悔い改めと主イエスに対する信仰




【使徒の働き20章21節】

ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。

悔い改めと信仰は切り離すことが出来ないものです。


悔い改めなしに救われることはないですし、また 信仰なしに救われることもありません。


キリスト教のもっとも基本的な真理は神様に対する悔い改めと信仰です。

罪を犯したことのない人間は世には存在しません。
自分には罪がないという人は罪に気づいてないか、罪が何なのかを知らない人です。

悔い改めとは、自分には罪があることを神の前で認めることであり、罪を憎んで罪を悔いている心の変化を意味します。

そして主イエスに対する信仰は、キリストが十字架の上で死んで成し遂げた贖いとキリストが救い主であることを信じることです。


救いはまず悔い改めがあり、それに信仰が結びつく時に得られるものです。パウロは必ずこのことを語りました。




2.キリストによる罪の赦しと義




【使徒の働き13章38-39節】

ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいて下さい。

モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。

パウロはすべての人はキリストを通して神様からの罪の赦しを受けるべきであると強調しました。

なぜならば罪によって神様との関係が断絶された人間は、キリストを通して罪の赦しを受けるまでは神様と和解することが出来ません。


【コロサイ2章13節】

あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、

神様は私たちが罪を悔い改める時にその罪を赦して下さる方です。

モーセの律法はそれを犯す者に対する刑罰はあっても罪の赦しや救いの保証はありませんでした。

イエス・キリストは律法が保証しなかった罪の赦しを保証しただけではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められ、救いを得ることまでも保証しました。




3.イエス・キリストの復活




【使徒の働き17章3節】

そして、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、また論証して、「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです」と言った。

キリストの復活は作り話ではなく、実際にありました。

多くの目撃者があり、復活してからも何度も弟子たちや人々の前に現れました。
そしてパウロ自身も復活した主によって使徒と任命されました。

それまでパウロはキリストに敵対し、信徒たちを激しく迫害した者でした。


そして “キリストの復活” こそ信じる者たちの希望です。

キリストの復活がないならば、私たちの信仰もむなしいものになります。




4.神の国(天国)




【使徒の働き19章8節】

それから、パウロは会堂に入って、三か月の間大胆に語り、神の国について論じて、彼らを説得しようと努めた。

神の国、すなわち天国こそが聖書が提示する究極的なビジョンです。
神の国があるからキリスト教の救いは永遠性を持ちます。


天国がないならば私たちにどんな希望があるでしょうか。どこに向かって歩んだらいいかわからなくなります。

この世がすべてであるならば、私たちは神様を信じる理由がありません。
狭い道を歩む理由も、迫害される理由も、また忍耐する理由もなく、好きなように生きればいいです。


しかし、天国は間違いなくあります。

信仰の人々はどの時代にも天国にあこがれていて、地上では旅人として生活しました。


天国はお金で行ける国でもなく、権力で行ける国でもなく、キリストの十字架を通った人たちが行ける国です。
神様が支配し、涙も苦しみもない平安の場所です。

神様が準備した最高の場所です。
「私の父の家には、住まいがたくさんあります。」とイエス様が教えて下さいました。


地上でどんなに辛いことがあっても、天国があるから先が楽しみです。




5.偶像崇拝者に対する最後のさばき




【使徒の働き17章16節】

さて、アテネでふたりを待っていたパウロは、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じた。

この憤りはパウロ個人の憤りでしょうか?
―― これは神様の憤りです。


なぜならば神様は次のようにはっきりと宣言しました。

「わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。」 と。


神様を無視し、神でもない偶像を拝む者に対しては厳しい裁きがあります。


【ヨハネの黙示録21章8節】

しかし。おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」

パウロはこれ以外にも人々にとって益になることは、少しもためらわずに知らせました。

なぜならばパウロは誰よりも人々の魂を深く愛したからです。
パウロの心と姿勢はイエス様に見習ったものでした。


一人の魂も滅びることを願わない神の心を知って、パウロ自身もその心で福音を伝えました。

私たちは何を伝えたら良いかを考える前に、魂に対する深い愛が自分にあるかどうかを調べなければなりません。
愛がないと語ることが出来ません。


愛がないならば、主に愛の心を求めましょう。
そして愛の心をもって人々の救いのために祈り、パウロが伝えたように伝えましょう。
(・∀・)つ


【使徒の働き20章24-27節】

けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。

皆さん。御国を宣べ伝えてあなたがたの中を巡回した私の顔を、あなたがたはもう二度と見ることがないことを、いま私は知っています。

ですから、私はきょうここで、あなたがたに宣言します。 私は、すべての人たちが受けるさばきについて責任がありません。

私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいたからです。

2015.3.15
聖日礼拝メッセージ

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