からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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毎日3分テレフォンメッセージを配信しておりましたが、いつでも聞き直せるようにYouTubeにも公開致します。
これからもどうぞよろしくお願い致します♪

天の御国

永遠の刑罰に入る人と永遠のいのちに入る人

テーマは 『 永遠の刑罰に入る人と永遠のいのちに入る人 』 です

【マタイの福音書25章46節】

こうして、この人たちは永遠の刑罰に入り、正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。」


マタイの福音書25章では 『天の御国に入る人、入れない人』、すなわち、『永遠の刑罰を受ける人、永遠のいのちに入る人』 に関する内容があります。


神はすべての人が救われて、天の御国に入ってほしいと願っています。


またイエス様はこのようにも言われました。

「私の父の家には、住まいがたくさんあります」と。


しかし天の御国は聖なる場所、永遠のいのちがある場所なので、それにふさわしい人が入ります。

そして、そこに入れない人は恐ろしい場所、永遠の刑罰がある場所に入ります。


25章の内容をよく読んでみると、信じる人と信じない人の区別ではなく、信じている人の中でも二つに分かれること、すなわちみんなが天の御国に入るわけではないことが書かれてあります。


イエス様を信じるという人が聞かないといけない内容です。

三つのたとえが語られました。




目を覚まして準備した人と、準備出来なかった人




それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のたとえです。

五人は愚かで、五人は賢かったです。


五人はともしびは持っていましたが、油の用意が出来なかったので、花婿が来た時に慌てて油を買いに行き、その間に婚礼の祝宴が始まり、戸が閉められました。


しかし賢い五人の娘は、しっかりと準備をして花婿を待っていたので、すぐに祝宴の場所に入りました。


目を覚まして準備出来た人は永遠のいのちに入りますが、準備出来なかった人は永遠の刑罰に入ります。




役に立つしもべと、役に立たないしもべ




神様は私たちに賜物を与え、主の働きをさせています。


しかしその賜物を使って良い働きをして実を結ぶ人もいれば、その賜物を使わず、働きをしない人もいます。

神が私たちを選んだ目的は次の通りです。


【ヨハネ福音書15章16節】

あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。


神は私たちに結ばれた実を与えるのではなく、実を結ぶチャンスを与えます。


私たちが実を結ぶと、主に取り上げられるのではなく、それが私たちの祝福になります。



神は怠け者を祝福する方ではなく、神のものを用いて忠実に働くしもべを祝福する方です。

役に立ったしもべに語られたことばです。


「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」


役に立たなかったしもべにも語りました。


「役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。」

永遠の刑罰が彼らを待っていました。




善行を行った人と行わなかった人




行いのない信仰、正しいことをしなかったこと、主のみこころを行わなかったことは、不信仰の行動です。

不信仰は死んだ信仰です。


良い行いは信仰ある証拠です。


羊とヤギの決め手は、善行を行ったか、行わなかったかで決められました。

羊として認められた人が行った善行です。


「あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、

わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。」


彼らに対する主の祝福のことばは「さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。」


ヤギになった人はこのような人でした。


「おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、

わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。」


そして彼らに対して、「のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火に入れ。」と呪いました。


永遠のいのちに入った人は特別なことをした人ではありません。


主を愛し、主の再臨を待ち望み、自分に与えられた働きを黙々と行い、困った人を見ると手を差し伸べました。


目立つこともしていないですが、主はその人たちをよく知っています。

そして必ず永遠のいのちがある御国に入れて下さいます。



しかし、呪われて永遠の刑罰に入った人たちを見ると、特に悪を行ったわけでもないです。

普通に信仰生活をしていましたし、自分は天国に入ると思っていた人たちでした。


しかし裁きの時にとんでもないことが彼らに起こります。

なぜそうなるでしょうか?



御霊に満たされた信仰生活ではなく、知識による信仰生活、主から与えられた使命に関心もなく何もしなかった人、そして困った人に対しても無関心だった人であったからです。


それはイエス様に似た姿ではないです。

イエス様に見習わないといけないのに、見習っていなかったです。


信仰生活を飾りのようにつけて、実を結ぶことがなかったので厳しくさばかれます。



私たちに与えられた時間は主のみこころを行う時間として与えられています。


その時間を無駄にしてはいけないです。

決算の時が来るからです。


アーメン (。・ω・)ノ゙


2021.4.11
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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父なる神とイエス様の関係

テーマは 『 父なる神とイエス様の関係 』 です

【ヨハネの福音書12章44-50節】

また、イエスは大声で言われた。「わたしを信じる者は、わたしではなく、わたしを遣わした方を信じるのです。

また、わたしを見る者は、わたしを遣わした方を見るのです。

わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。

だれかが、わたしの言うことを聞いてそれを守らなくても、わたしはその人をさばきません。わたしは世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たからです。

わたしを拒み、わたしの言うことを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことばが、終わりの日にその人をさばくのです。

わたしは、自分から話したのではありません。わたしを遣わした父ご自身が、わたしが何を言い、何を話すべきかをお命じになりました。

わたしは、父の命令が永遠のいのちであることを知っています。それゆえ、わたしが話していることは、父がわたしに言われたとおりを、そのままに話しているのです。」


人として来られたイエス様を信じる者もいれば、どんなに奇跡や不思議なわざ、または真理のことばを聞いても受け入れない人もいます。

見た目が自分たちと変わらないので神として認めることが出来ない人が多いです。


イエス様を知るためには 父なる神の存在と、二人の関係を知らないといけないです。


本文でイエス様は父なる神との関係に対して説明しながら信じるように語っておられます。




わたしを信じる者は わたしを遣わした方を信じること




人として来られたイエス様を信じることは、霊として存在しておられる神を信じることです。


父なる神がどんな方であるかの理解なしに 父なる神を信じることは不可能です。


イエス様を信じることも、父なる神との関係を知らないと信じることは出来ないです。

イエス様は父なる神によって世に遣わされた神のひとり子です。



イエス様を信じるためには、語ることばに耳を傾けることです。

神が人となって来られた方がひとり子イエス様です。


【ヨハネの福音書1章14節】

ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。


【ヨハネの福音書3章16-17節】

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。




わたしを見る者は、わたしを遣わした方を見るのです




人として来られたイエス様の中には、父なる神にあるすべてのものがありました。


【コロサイ1章19節】

なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、」

父なる神と一つでした。



弟子であるピリポが「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」と言われた時に、
「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください』と言うのですか。


【ヨハネの福音書1章18節】

いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。




イエス様は光として来られました




父なる神も光です。

光として来られた目的は、信じる者たちが誰も闇の中にとどまることがないためです。


【ヨハネの福音書12章36節】

あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。」


私たちが光であるイエス様を信じ受け入れる時に 光が私たちの中に入り、光の子どもになれます。




神のことばとイエス様、さばきに対してのことば




イエス様は父なる神からのことばだけを伝えました。

「わたしが話していることは、父がわたしに言われたとおりを、そのまま話しているのです。」



たとえイエス様のことばを受け入れない者に対しても、イエス様がさばくことはありません。

しかし、終わりの日に主が話したことばが その人を裁きます。


なぜならそれは父なる神のことばであるからです。

そのことばを拒んだ者は そのことばで裁かれます。


【ヨハネの福音書3章17-18節】

神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。

御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。


ユダヤ教の人たちは父なる神を信じるのにイエス様は信じないです。

どうなるでしょうか?


さばきの時に、神のことばが彼らをさばきます。




永遠のいのちは父の命令を守ること




その命令とは何でしょうか?


神が遣わしたイエス様を信じることです。


【ヨハネの福音書17章1-3節】

イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すために、子の栄光を現してください。

それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。

その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。


私たちは神が遣わしたイエス様を通らないと、神に近づくことも天の御国に入ることも、光の子になることも、救いを受けることも、神との和解も、神との関係も不可能です。


イエス様を通してすべてが成り立っていることを知らないといけないです。


アーメン v( ̄∇ ̄)v


2021.2.21
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神の霊によって勝利する

テーマは 『 神の霊によって勝利する 』 です

【ゼカリヤ書4章6節】

すると彼は、私に答えてこう言った。「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の主は仰せられる。

負ける人生を夢見る人は誰もいないと思います。

しかし勝利の人生を夢見る人は多いです。


でも蓋を開けると勝利の人生で終わる人は少ないです。


それなりに努力し頑張ったと思いますが、結果は勝利ではなかったと思います。

自分の中に力と能力があるから勝利するのではないです。



勝利する道があることを主が教えて下さいました。

本文にある「わたしの霊によって」ということばです。


すなわち神の霊によって勝利することが出来ます。

どんな無能な人でも です。



実際に神の霊によって勝利した人物たちが聖書に多く出て来ます。

神は無能な人たちを勝利者に変えました。


「あんな人に何が出来る」と言われるような人を選んで 弟子にしたり、勇士にしたり、預言者にしたりしました。



ですから、私たちは「出来ない」と言って逃げる必要がないです。

私たちも神の霊によって勝利することが出来ます。


勝利は、すべてにおいての勝利を意味します。


小さな井戸の中だけでの勝利ではないです。

人生においての全般的な勝利です。



神は私たちを勝利者にするために選びました。


勝利者にあるのは臆病の霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。


神の霊がそれを私たちに与えて下さいました。

力と愛と慎みの霊だけでも勝利の人生を送ることが出来ます。



「わたしの霊によって」と書いてあるので、神抜きにしては勝利はないです。


主の霊によって生きている人たちは、否定的な言葉やダメな言葉は使わないです。

それは負ける人たちが使う言葉です。


勝利者の人たちが使う言葉です。


【ピリピ4章11-13節】

乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。

私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。

私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。


否定的な言葉、絶望的な言葉、不信仰な言葉は出ていないです。

不可能を可能にする神の霊によって生きているので心配はないと宣言しています。


心配ばかりする人は、自分の力に頼っている人です。



神の霊によって生きる人は、力がないなら神に力を求めて受けます。


勝利者はいつでも勝利の力を与えて下さる方に しっかりと結びついています。

絶えずその力を受け取っているのです。


主が「御霊に満たされなさい」と言われるのは、主の霊によって私たちが勝利することを願うからです。

主の霊なしに人生の勝利はないです。



何かで成功したから勝利と言うのではないです。


神に認められ、勝利の道を歩んで、天の御国に入る人が勝利者です。

主の霊によって勝利の人生を今年も歩みましょう。


アーメン (・∀・)


2021.1.3
聖日礼拝メッセージ

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祝福の価値基準

テーマは 『 祝福の価値基準 』 です

【マタイの福音書5章3-12節】

心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。

悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。

柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。

義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。

あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。

心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。

義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。

わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。

喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです。

聖書が提示する祝福の概念は、旧約時代と新約時代は同じではないです。


旧約時代での祝福は目に見える物質的な祝福でした。

アブラハムもヤコブも神に祝福されて、あらゆる面で豊かになりました。敬虔なヨブも一番の富豪でした。


旧約聖書での祝福の概念が書かれた箇所は【申命記28章1-13節】です。

その中で11-12節に書かれている祝福は次のとおりです。


【申命記28章11-12節】

主が、あなたに与えるとあなたの先祖たちに誓われたその地で、主は、あなたの身から生まれる者や家畜の産むものや地の産物を、豊かに恵んで下さる。

主は、その恵みの倉、天を開き、時にかなって雨をあなたの地に与え、あなたのすべての手のわざを祝福される。それであなたは多くの国々に貸すであろうが、借りることはない。

しかし新約時代になると、それがおもに霊的祝福へと変わりました。


今日のみことばがそれをはっきりと見せてあります。

さらに次の箇所のことばもそれを裏付けます。


【エペソ1章3節】

私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。

神様がこのように祝福の価値基準を変えたならば、私たちも祝福に対する価値観を変えなければなりません。


旧約時代の価値観で見ると、イエス様が語る祝福の価値が分からなくなります。


また、正しい祝福の価値基準を持たないと混乱が生じ、そこに世俗主義が浸透してきます。

そして神の御心に対する概念も崩れ、神様に対して正しい祈りすら出来なくなります。


“いくら祈っても祝福して下さらない”と文句を言うようになります。

私も以前そのような者でしたので、そのことで失敗したことがあります。
お金や健康などが一番の祝福と思っていたので神様にたくさん不満を漏らした時がありました。


その後、神様から色々と訓練されて、自分の価値観が変わっていきました。


間違えた祝福の価値基準が教会や個人に入ってくると、極端な禁欲主義になったり、富を悪と思ったり、質素に生きることが敬虔であるかのように思ったり、またその反対に 金持ちになってたくさんの献金をするのが神の祝福で、貧乏は呪いであると決めつけたりと、聖書の本質からかけ離れてしまいます。


実際に 貧乏でも敬虔なクリスチャンとして生きた人もいれば、金持ちでも呪われた人生を生きた人もいます。


ですから私たちは、聖書が教える正しい祝福の価値基準を知ることで “本当の祝福” を求めることが出来ますし、また神様から祝福された時に その価値を知っているので感謝することができます。






マタイの福音書5章はイエス様が語った『山上の垂訓 (さんじょうのすいくん)』として とても有名な箇所です。


どのような人が祝福されるか、そして その人たちが受けた祝福の中身も教えています。

主が教えた8つの祝福は すべて霊的祝福で、永遠に価値のある祝福です。


これはイエス・キリストを自分の救い主、王として迎え入れた人だけが受けることが出来る祝福です。


キリストにあって天国の民になった人に神が与える祝福です。
それは天にある霊的祝福ですので、キリストの外にいる人が得られる祝福ではありません。


人として地上に来られたイエス様が悪魔の試みにあう場面が【マタイの福音書4章】にありますが、悪魔は次のような誘惑をしました。
それは世の人々が切に求めているような祝福でした。


【マタイの福音書4章8-10節】

「今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、

言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたにさしあげましょう。」

イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ』と書いてある。」

その誘惑に主は勝利しましたが、多くの人が、またクリスチャンもこの誘惑に負けて、神を裏切り、悪魔にひれ伏して拝み、この世の富、権力、人気、名誉を得ます。


ハリウッドスターの多くがそれらのものを手に入れるために自分の魂をサタンに売ったと公然と話しているのを聞きました。そして実際 彼らは魂を売って世の祝福を得ました。

それは たましいの安売りに過ぎないですが、それでも欲しいものを手に入れるためにそうしました。


「後のことはどうでもいい。今さえ良ければ」と彼らは思っています。
彼らだけではなく、もっと多くの人々がそのようにしています。


目に見える祝福だけに執着すると、そのように平気に悪魔にひれ伏します。


「キリストを信じたら祝福されます」と福音を伝える時によく言いますが、その祝福を世的なものと関連して伝えると後で色々と問題が生じます。


信じたのにお金も入って来ないし、健康にもなっていないし、仕事もうまくいかないし、別に何も祝福されていないと言って、信仰をやめたり、文句を言ったりします。

また自分が求めているものをくれるならば、たとえそれが悪魔から来たものであっても構わないと思って簡単に拝むようになります。


キリストが伝える祝福の価値観が、この世の祝福の価値観と違うことを知らないと、同じようなことがクリスチャンの中でも起こりやすいです。






主が話した8つの祝福は、どのような祝福よりも価値があり、それは神様との関係の中で得られるものです。

天の御国を相続し、主に慰められ、霊的に満ち足りる祝福、主の恵み、主の憐れみなど特別に価値ある祝福を受けます。


使徒パウロは主イエスに出会った後に、この祝福を受けてから、祝福の価値観が大きく変わったことを明確に告白しました。


【ピリピ3章7-8節】

しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。

それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。

これは、世のものは もう要らないという意味ではありません。

この世でも必要な祝福はたくさんあります。


ただ、今までは知らなかった価値あるものを見つけたので、自分の祝福の価値基準が変わったことを意味します。

何が一番の祝福で価値あるものかが分かりました。


イエス様が天国のたとえで話したことを参考にすると、さらに理解が出来ます。


【マタイの福音書13章44-46節】

天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。

また、天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。

すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。

イエス様がマタイの福音書5章で “こういう人が幸いです” と言われた人たちは、価値ある宝と真珠を見つけた人たちであり、霊的祝福に気付いた人たちです。


今までは目に見える部分の祝福だけを求めていた人たちが、隠されていた宝を見つけて大喜びでそれを手に入れました。




どのような人たちが 霊的祝福を見つけやすいでしょうか




  • 自分が主の前には罪人で無能な人間であることに気付いた人
  • 主の前に謙遜になった人

  • いつも信仰をもって神の前に生きる人
  • 自分を捨てて主に従っていく人

  • 毎日神の恵みを求めながら、天にあこがれて天を目指して生きる人
  • いつも主を賛美する人

  • 子どものような純粋な心で主を慕い求める人
  • 小さいことにも感謝する人

この人たちは霊的祝福の価値を知っているので切に求めます。


主が語る霊的祝福の価値を知らない人に対して、主は次のように語りました。


【マタイの福音書7章6節】

聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。

霊的祝福は、誰もが知っている祝福ではありません。


ほとんどの人は、その祝福に無関心です。
何を食べようか、何を飲もうか、何を着るかに一番関心があります。


しかし本当の祝福と幸せは、“物”ではなく、内面が満たされる時に、霊的に祝福される時だと知っている人は それを求めて主の前に来ます。


その祝福をイエス様が持っておられるからです。


みなさんはその祝福が一番の祝福であることに気付いていますか。
そして求めていますか。また、すでに受けていますか。


自分の財産目録を今一度調べてみて下さい。

一番の宝は何でしょうか。それはいつまで続くものでしょうか。


それが自分のいのちよりも価値あるものでしょうか。
(((( ;゚д゚)))

2015.7.5
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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曜日別の祈りです(リニューアルしました)
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神様からの警告のことばです(新コーナー)
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こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
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十二弟子の選びと伝道活動

テーマは『 十二弟子の選びと伝道活動 』です

【マタイの福音書10章1-15節】

イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすためであった。

さて、十二使徒の名は次のとおりである。まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、

ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、

熱心党員シモンとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダである。

イエスは、この十二人を遣わし、そのとき彼らにこう命じられた。「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町に入ってはいけません。

イスラエルの家の失われた羊のところに行きなさい。

行って、『天の御国が近づいた』と宣べ伝えなさい。

病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。

胴巻に金貨や銀貨や銅貨を入れてはいけません。

旅行用の袋も、二枚目の下着も、くつも、杖も 持たずに行きなさい。働く者が食べ物を与えられるのは当然だからです。

どんな町や村に入っても、そこでだれが適当な人かを調べて、そこを立ち去るまで、その人のところにとどまりなさい。

その家に入るときには、平安を祈るあいさつをしなさい。

その家がそれにふさわしい家なら、その平安はきっとその家に来るし、もし、ふさわしい家でないなら、その平安はあなたがたのところに返って来ます。

もしだれも、あなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けないなら、その家またはその町を出て行くときに、あなたがたの足のちりを払い落としなさい。

まことに、あなたがたに告げます。さばきの日には、ソドムとゴモラの地でも、その町よりはまだ罰が軽いのです。

イエス様が十二弟子を選びましたが、どのような目的で彼らを選んだのでしょうか。

イエス様は力ある神様でもありますので、ある意味では人の手がいらないかもしれないです。
1人で全部できるお方でもありますが、なぜ十二人の使徒たちを選んだのでしょうか。
そして私たちをイエス様はなぜ選んだでしょうか?
目的なしに人を選ぶことはないです。

一番の目的が、次のみことば箇所に書かれています。


【マタイの福音書9章36-38節】

また、群集を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。

そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。

だから、収穫の主に、 収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」

魂の収穫のための働き手として まず彼らが選ばれました。
羊飼いのない羊のように弱り果てている魂があまりにも多いので、働き手が必要なのです。
イエス様が1人で世話をすることができないのです。

魂の状態をイエス様が見ておられて可哀想に思ったので、十二使徒を先に選んでくださいました。

使徒とは「遣わされた者」という意味があります。主人のメッセージを受けて、それを持っていく人です。
収穫のための働き手は、今もっとも必要であります。


【マタイの福音書10章1節】

イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすためであった。

ですから「私には力が無いので出来ないです。」という言葉は違うのです。
神様に私たちが選ばれた時には、その力が自分たちに与えられているということを認識しないといけないです。

(力が)あると思って働きをする人と、私にはそんなものは無いから出来ないという人では全然違います。
自分たちが持ってあると思うならば大胆に働きができます。大胆に悪霊を追い出そうとすると悪霊は出て行きます。
「私は何も(賜物を)もらっていない、そんなに長い訓練を受けていない、まだ知らないことがたくさんあるので」
と言うのは、関係のないことなのです。

私たちは種として貰っているので、私たちがそれを使えば花が咲きます。使えば収穫することが出来ます。


私たちは、選ばれた十二弟子の姿を見ていますが、1人として立派な経歴や知識があったり知恵がある人は
誰もいませんでした。ほとんどが、漁師出身、学校に行ったことがない田舎者、しかし神様はこういう人たちを
福音を伝える人として選んでくださいました。

これが世の働きであるならば、このような人たちではなく 違う人を選ぶと思います。

しかし、福音は魂を刈り取る 倒れている人たちを可哀想に思って助ける人たちです。
ですから見る観点が違います。

神様は 福音を語る人は献身する人たちを選ぶのです。従順し、主の言葉通りに動く人を選びます。

完璧に出来上がった人たちを選ぶのではないです。弟子たちの姿を見ても失敗はたくさんありました。
しかし他の者を選んでいたら、だんだん高慢になって主の働きではなく魂を自分たちに仕えさせてとんでもない者に
なったと思います。

イスカリオテ・ユダ以外、彼らは本当に良い羊飼いになりました。


【マタイの福音書10章5-6節】

イエスは、この十二人を遣わし、そのとき彼らにこう命じられた。「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町に入ってはいけません。

イスラエルの家の失われた羊のところに行きなさい。

イエス様はユダヤ人のためだけの救い主ではなく、全世界の人々のための救い主であります。

まずは先民たちが救い主を分かっていないので、まず彼らから救われて欲しいとイエス様は願っていました。
福音はユダヤ人から始まり、ギリシヤ人、そして全世界に広がっていきました。
サマリヤ人の町に入らないように言ったのは、彼らが純粋なユダヤ人ではなかったです。ですから、イスラエルの
家を失われた羊のところへ行き福音を伝え、そこから全世界に出て行きなさいと語りました。

しかし、実際にはユダヤ人たちは福音を素直に受け止めたでしょうか?― そうではなかったです。

イエス様は3年間伝えましたが、素直な気持ちで受け取らず迫害しました。
使徒たちによって異邦人に福音が伝えられた時に 異邦人の方が素直に福音を受け入れたので リバイバルが起こりました。

神様がおっしゃるのは、まず あなたの家族、あなたの親族、あなたの友達に福音を宣べ伝えなさいということです。
そして、それを越えて宣教へ出て行き多くの人々に福音を伝えていきます。
これがイエス様が語っておられる伝道する時の順番であります。

祈りながら時が良くても悪くても、みことばの種を落していくことです。
ただ、「イエス様を信じなさい」と言うよりも福音が語る良い知らせをたくさん伝えることであります。


【マタイの福音書10章7節】

行って、『天の御国に近づいた』と宣べ伝えなさい。

素晴らしい祝福であります。それを相続するために準備をしておきなさいということです。
福音はそういうものであります。

私たちが福音を語る時に、地獄があることを先に語ってはいけないです。
そうではなく、天国があるということから語ります。このような祝福があるのだと先に伝えます。
メシヤが来ることは祝福であります。
天の御国に入るには、汚れたままではなく今まで犯した罪を悔い改めないといけないです。
悔い改めてイエス様を受け入れたら天の御国に入れると伝えることなのです。
複雑な言葉は救われた後に伝えます。何も知らない人たちには、天国があることを伝えるのです。

世の終わりが近付いていますので、周りを見ると不安材料(災害や戦争など)があります。ですから語りやすいです。
たとえ命を失っても天国に入れるので大丈夫だということを伝えるべきであると思います。


【マタイの福音書10章8-9節】

あなたがたはただで受けたのだから、ただで与えなさい。

胴巻に金貨や銀貨や銅貨を入れてはいけません。

これは手ぶらで行きなさいという意味ではないです。

主が与えた色々な賜物があります。
病人を癒す力、死人を生き返らせる力、悪霊を追い出す力などがあり、これを主の福音のために私たちが使っても良いのですが、金儲けのために使ってはいけないのだと語っています。
ですから「ただで与えなさい」と書いてあるのです。

実際にそれらを用いて金儲けをする人たちもいるのです。
世の中の宗教は1回祈るのにお金を支払わなければならないです。
商売ですから、神社やお寺には金額が書かれています。とても高い金額です。


しかし、私たちクリスチャンはそういうもので商売をしてはいけないと神様が語りました。
働く者が食べ物を与えられるのは当然だからですという言葉があります。
ですから人ではなく、神様に頼りなさいということです。
神様が導いてくださり、そこで人々の心を動かして相手から「どうぞ入ってきてください。」「どうぞ食べてください。」
「どうぞこれを使ってください。」というのは素晴らしいことですが、自分のほうから要求してはいけないということであります。

神様は、きちんと働く人たちに対しては祝福を備えてありますし、もてなす人々に対しても祝福を備えてある方であります。


【マタイの福音書10章40-42節】

あなたがたを受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。また、わたしを受け入れる者は、 わたしを遣わした方を受け入れるのです。

預言者を預言者だというので受け入れる者は、 預言者の受ける報いを受けます。また、義人を義人だということで受け入れる者は、義人の受ける報いを受けます。

わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに 告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。」

福音のために働く人たちを私たちは尊敬し受け入れ、その人たちの世話をすることは祝福に繋がることであります。

また、自分たちもそういう者にならないといけないです。
「誰かが働くだろう」ではなく、何のために神様が私を選んでくださったのか
収穫の中で働く者として私は選ばれていると、今 私が伝えなければ誰が伝えるのだ、という認識です。

私たちは主の言葉に従って、弱り果てている人たちのところへ行き、福音を大胆に伝えるべきだと思います。
(・◇・)ゞ

2013.10.13
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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救われる人の実態とは?

テーマは『 救われる人の実態 』です

【ルカの福音書13章22-28節】

今回は、どのような人が救われ、どのような人がそこから外れるのかを伝えます。

主が、13章24節で大切な事を教えています。
入りたくても、入れない人が多いというのは、てっきり本人は入れると思っていたのに、
実際には「あなたは入れない」と追い払われる人が多いということです。
「ご主人さま、開けてください。」と言うことは、既にイエス様のことを知っていて、
自分はイエス様のしもべだと思っている人です。扉の向こうにはイエス様がおられることを知っています。

しかし、扉は開けられることはないので、その人たちはびっくりするのです。
そして、イエス様に「どうして私のことを知らないのですか?」と聞くのです。

しかしイエス様は、この人たちには入る資格がないことを知っているのです。

これらの言葉は、イエス様のことを信じて「知っています」という人に語る言葉であります。

アブラハム、イサク、ヤコブは自分の身を聖く保った者でした。
すなわち、天の御国に入れるように常に準備をしながら聖別された生活をし、悔い改めをし、
最期まで信仰を守り通しましたので、その人たちが(天の御国に)入れただけであり、
その人たちのことをあなたたちが知っているからと言って、
あなたたちが自然と(天の御国に)入れる事はないと語っています。

イエス様は1人の魂も滅びることを願わないのですが、人々が自分で滅びの道を選んで歩くのです。


【マタイの福音書25章1-13節】

ここに書かれている人は、すべて救われた人々のことであります。
なぜなら、イエス様を花婿と思っているからです。ですから未信者の人ではないです。

賢い5人は自分たちの信仰が消え失せないように、日々守っていました。
「油」は聖霊様であります。いつも聖霊充満な生活をしていました。

しかし、愚かな5人は肉に満たされて この世を愛しながら形だけの信仰を持ち
やっとの思いで教会を行ったり来たりする生活をしていました。今にも ともしびが消えそうでした。

そして主が来られた時、イエス様は10人が入って来るのを期待していました。
しかし、愚かな5人はそこにはいませんでしたので、準備が出来ている賢い5人だけを入れました。

愚かな5人は、主が見えなくなってから一生懸命に 主を呼びました。
しかし、ルカ13章のように、2度と戸が開くことはありませんでした。


【ルカの福音書17章26-30節】

イエス様は終わりの時代の話をされる時は、ノアの洪水とロトの時代のことを必ず語ります。
預言者は神様の言葉を伝えるために存在しています。(これから何が起こるのかを)前もって語ります。
ノアは箱舟を造りながら人々に語り続けました。


【創世記7章23節】

救われたのは、たったの8人でした。そして他の人たちも神様のことを知っていました。
このことから、救われる人は とても少ないということがわかります。


【創世記19章27-29節】

ロトの時代の ソドムとゴモラは、エデンの園のように豊かな地でした。
そこには多くの人たちが生活をしていました。その他の地域は荒れた地が多いです。

しかし、そこに住んでいる人たちは、とても悪いものでした。
快楽や多くの同性愛者がいました。アブラハムがとりなしの祈りをしましたが、
神様は、「正しい者がいないから滅ぼす。」と語りました。
アブラハムは甥・ロトの為に、とても祈りましたので、神様はロトの家族4人を連れ出されました。
しかし、ロトの妻は神様の言葉に従わずに、すぐに後ろを振り向いたので塩の柱になりました。

ロトの娘2人も姦淫の罪を犯したので、その2人が悔い改めていなければ、天国で見ることはないです。
(その後、2人はどうなったのかはわかりません。)

私たちが亡くなる時は、神様は必ず「悔い改めさせよ。」という言葉を牧師に語ります。
そしてその言葉通りに悔い改めをする人は、幸いな者であります。

自分の信仰ではなく、神様の憐れみによって天の御国に入りますので、
「悔い改め」が(天の御国に入るための)準備であります。そして神様を信じる信仰が必要です。

しかし、「私、まだ健康だし・・・。死ぬ時に悔い改めをしたら良い」と直前にするという人が多いですが、
私たちは自分がどんな死に方をするのかわかりません。ある人は突然事故で亡くなる人もいますし、
突然倒れて亡くなる人もいます。また、ある人は長い闘病生活の末、亡くなる人もいます。

ですから普段から「今日、私は死ぬかも知れない」という思いで悔い改めておかなければ、
自分が亡くなる時には傍に牧師がいるとは限らないですし、信仰の友がいるとは限らないです。
「今、悔い改めなさい」と言う人が必ずいるということはないです。


【Ⅰコリント10章1-12節】

せっかくエジプトから出たのに荒野で滅ぼされました。
もともと、エジプトから出て来た時は250万人がいましたが、カナンの地に入れたのは何人でしょうか?
カレブとヨシュアの2人だけです。


【ヘブル3章7-19節】

かたくなな心を潰さない限り、安息に入ることはないです。
かたくなな心は、神様の言葉を受け入れず、神様の言葉があっても証拠を求めます。
いつも文句を言いながら否定をすることであります。高慢になると私たちの心は かたくなになります。

そして、かたくなな心は罪になっていきます。
罪がある者は天の御国には入れないです。これは悔い改めていない姿であります。
悔い改めないならば、心はますます固くなり罪が留まります。

私たちは弱いので罪を犯します。しかし神様の言葉を聞いて悔い改めることが大切です。
「私は罪人です。主よ、赦してください。」のように、「赦してください。」と悔い改めるのは
やわらかい心であります。いつも自分の心を耕します。石や雑草、いばらを全部取り除くことで
ますます やわらかい地になります。

心が固くなり過ぎると、悔い改めができなくなります。

黙示録には教会に送る神様の手紙がありますが、それは そのまま私たちに宛てた手紙であります。
7つの教会のうち、5つの教会に悔い改めなさいという言葉が送られました。
神様はどういうことで悔い改めなさいとおっしゃったのか、
この言葉を送る理由は、教会に来たからと言って、聖日を守ったから、什一献金をしたからと言って、
それだけの理由で天国には入れないということです。


【ヨハネの黙示録2章5節】

・キリストの身体ではない死んだ教会です。

【ヨハネの黙示録2章16節】

・悔い改めないのなら、みことばで刑罰を与えます。

【ヨハネの黙示録2章21-22節】

・悔い改めないと出てくる結果は呪い・滅びであります。

【ヨハネの黙示録3章3節】

・いつ来るか決してわからないので、滅ぼされてしまいます。

【ヨハネの黙示録3章19節】

・熱心になって悔い改めないと滅びます。


そして、残り2つの教会には、そのような言葉ではなく、励ましの言葉を送っています。

【ヨハネの黙示録2章10節】

・信仰を守ろうとする時に、悪魔から激しい戦いと誘惑がきます。その中でも信仰を守り通しなさいと
いうことです。そのことで命の冠を受けます。冠を受ける時まで戦いは続くということです。


【ヨハネの黙示録3章11節】

・取られたら終わりということであります。信仰と悔い改めをしっかり守り、
誰にも奪われてはいけないです。あなたの信仰を揺るがすものが来るかも知れないです。
それでも、それを最後までしっかりと持っていなさいと主が語っています。
ここには、安心しなさい という言葉はどこにもないです。


ただ耳に甘いメッセージだけを聞いて、魂がすっかり居心地が良い眠りについてしまったら
いつイエス様が来られるかわからないです。安心して食べたり飲んだりしている時に
ノアやロトの時代のように、人の子が来ます。

最後まで信仰を守り、自分を聖く保っている人だけが神様が天に引き上げてくださいます。
そして他の人たちは地上に残されてしまいます。その時には悔い改めるチャンスがないです。

ともしびをしっかり持って、油を用意し、目を覚まして いつイエス様が来られても良いように準備してください。

今日が人生最期の日かもしれないです。私たちはその意識がとても大切であります。

最期の時は、悔い改めて信仰を奮い立たせて 神様の御前に出なければならないです。
手遅れにならないようにすることが大切です。

自分はどういう姿なのかを見て、思い当たることがあれば熱心に悔い改めたら良いです。
それが命を守る道であります。 ヽ(TдT)ノ

2013.6.30
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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