からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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クリスチャンの経済生活

テーマは 『 クリスチャンの経済生活 』 です

【マタイの福音書6章30-32節】

きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、まして、あなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。

そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。

こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。

何を食べるか、何を飲むか、何を着るかを心配しているのは種類が多いから選ぶことに悩んでいる姿を語っているのではなく、経済的問題を抱えている人がいるということを言われています。

クリスチャンの中でもお金の心配をしている人がとても多いです。

実際にお金を持っている人も心配をし、持っていない人も心配をしています。


主は一言で心配している人に“信仰の薄い人たち”と言っておられます。

その理由は神様に対する信仰、信頼が足りないからです。

神が養っておられることに対して信頼しきっていない信徒たちが多いです。


神様が与えて下さると言っても、それに対して疑っている人も多いのです。

「来年はどうしよう。再来年はどうしよう。お金はどんどん消えていくし、入ってくるところもないし、助けてくれる人もいないし、貯金もないし、これから先どう生きたら良いの?」と先のことが心配でたまらない人たちもいると思います。


しかし、神様はその人達に対して「心配するのはやめなさい。」と語りました。
その理由は、不信仰から心配が出るからです。

神様が教えるクリスチャンの経済生活を正しく学べば、私たちは不要な心配から解放されます。

もし学ばないならば、いつまでも計算をしながら心配から逃れることはできません。


聖書の中で、神は多くの場面で神を信じる人たちに関わりながら、その経済生活を支えているのは、神ご自身であることを見せています。

それをこれから学びたいと思います。




モーセとイスラエルの民から学ぶ





【民数記11章13-15節】

どこから私は肉を得て、この民全体に与えなければならないのでしょうか。彼らは私に泣き叫び、『私たちに肉を与えて食べさせてくれ』と言うのです。

私だけでは、この民全体を負うことはできません。私には重すぎます。

私にこんなしうちをなさるのなら、お願いです、どうか私を殺してください。これ以上、私を苦しみに会わせないでください。」

モーセの心配と重圧がどれほど大きかったのか、彼は神に向かって「どうか私を殺してください。」と祈りました。

そのモーセの言葉を聞いて、神様は肉を与えると語りました。


【民数記11章18-20節】

あなたは民に言わなければならない。あすのために身をきよめなさい。あなたがたは肉が食べられるのだ。あなたがたが泣いて、『ああ肉が食べたい。エジプトでは良かった』と、主につぶやいて言ったからだ。主が肉を下さる。あなたがたは肉が食べられるのだ。

あなたがたが食べるのは、一日や二日や五日や十日や二十日だけではなく、

一か月もであって、ついにはあなたがたの鼻から出て来て、吐きけを催すほどになる。それは、あなたがたのうちにおられる主をないがしろにして、御前に泣き、『なぜ、こうして私たちはエジプトから出て来たのだろう』と言ったからだ。」

そのことばを聞いて、モーセは安心して喜んだでしょうか。

そうではなく、心配する様子が見えました。次の箇所です。


【民数記11章21-22節】

しかしモーセは申し上げた。「私といっしょにいる民は徒歩の男子だけで六十万です。しかもあなたは、彼らに肉を与え、一月の間食べさせる、と言われます。

彼らのために羊の群れ、牛の群れをほふっても、彼らに十分でしょうか。彼らのために海の魚を全部集めても、彼らに十分でしょうか。」

モーセは現実を見て、そんなことで実現されるはずがないという不信仰がありました。

それに対して神が語ったことばが次の箇所です。


【民数記11章23節】

主はモーセに答えられた。「主の手は短いのだろうか。わたしのことばが実現するかどうかは、今わかる。」

そして、その後はどうなりましたか?
主のことば通りになったでしょうか?答えは次の箇所です。


【民数記11章31-32節】

さて、主のほうから風が吹き、海の向こうからうずらを運んで来て、宿営の上に落とした。それは宿営の回りに、こちら側に約一日の道のり、あちら側にも約一日の道のり、地上に約二キュビトの高さになった。

民はその日は、終日終夜、その翌日も一日中出て行って、うずらを集め、――最も少なく集めた者でも、十ホメルほど集めた――彼らはそれらを、宿営の回りに広く広げた。

ここで私たちが学ぶことは、人間の思いと、神の思い、人間の計算と神のやり方はまったく違うことに気付くことです。

モーセは羊の群れ、牛の群れ、海の魚と言いましたが、神様はまったく違うやり方で 海の向こうからうずらを運んできました。

それはモーセの考えを超えて働く神の御業でした。


私たちは神様がしようとすることが分かりません。

私たちの計算は、神様の計算とは違うので(私たちの思いは)何の役にも立たず、反対に心配、疑い、不信仰を生じさせるだけなので、それらを捨てなければなりません。


『信じます。主のおことば通りになりますように。』と信仰によって神に期待しながら祈り続けることです。




エリヤの経済生活から学ぶ





【Ⅰ列王記17章1-16節】

ギルアデのティシュべの出のティシュべ人エリヤはアハブに言った。「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう。」

それから、彼に次のような主のことばがあった。

「ここを去って東へ向かい、ヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに身を隠せ。

そして、その川の水を飲まなければならない。わたしは烏(からす)に、そこであなたを養うように命じた。」

それで、彼は行って、主のことばのとおりにした。すなわち、彼はヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに行って住んだ。

幾羽かの烏が、朝になると彼のところにパンと肉とを運んで来、また、夕方になるとパンと肉とを運んで来た。彼はその川から水を飲んだ。

しかし、しばらくすると、その川がかれた。その地方に雨が降らなかったからである。

すると、彼に次のような主のことばがあった。

「さあ、シドンのツァレファテに行き、そこに住め。見よ。わたしは、そこのひとりのやもめに命じて、あなたを養うようにしている。」

彼はツァレファテへ出て行った。その町の門に着くと、ちょうどそこに、たきぎを拾い集めているひとりのやもめがいた。そこで、彼は彼女に声をかけて言った。「水差しにほんの少しの水を持って来て、私に飲ませてください。」

彼女が取りに行こうとすると、彼は彼女を呼んで言った。「一口のパンも持って来てください。」

彼女は答えた。「あなたの神、主は生きておられます。私はパンを持っておりません。ただ、かめの中に一握りの粉と、つぼにほんの少し油があるだけです。ご覧のとおり、二、三本のたきぎを集め、帰って行って、私と私の息子のためにそれを調理し、それを食べて、死のうとしているのです。」

エリヤは彼女に言った。「恐れてはいけません。行って、あなたが言ったようにしなさい。しかし、まず、私のためにそれで小さなパン菓子を作り、私のところに持って来なさい。それから後に、あなたとあなたの子どものために作りなさい。

イスラエルの神、主が、こう仰せられるからです。『主が地の上に雨を降らせる日までは、そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない。』」

彼女は行って、エリヤのことばのとおりにした。彼女と彼、および彼女の家族も、長い間それを食べた。

エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならなかった。

エリヤのこの時の経済状態は無一文でホームレス状態でした。

さらに彼を助ける人は誰もいなく、反対に命が狙われる立場にいました。


そのエリヤにあるものは、神の約束だけでした。
神が養うという約束だけが彼に保証されていました。


そして人間では考えられない方法を、神様はここでも使いました。

この時、神によって用いられたのは、幾羽かのカラスと 一握りの粉と少しの油しか持っていない ひとりのやもめでした。

本来 カラスは人間が食べ残して捨てたゴミを拾って食べます。
最近は餌がなかったので100羽以上のカラスが死んだニュースもありました。


それなのに神が働くと、カラスがパンと肉とを運んで来て、人間を養う鳥に変化しました。

そして社会の中でも一番弱くて貧しいやもめを使って養うことは人間としては考えられない方法ですが、これが神様のやり方です。

人間は、持っている者には養う力があるので、当然そこに期待を寄せます。
しかし神様は、そのことを知っておられるので、その方法は使いません。


私自身もこれは経験済みです。
人間的に期待した所からは得たことが一度もありません。いつも有り得ない所からの助けがありました。


エリヤは神に完全に頼って何も心配せず、経済的なことは神様に任せました。

頼ることは神から言われたことに対して何も言わず、その通りにすることです。


モーセは神のことばに反論しましたが、エリヤは一言も反論せず 神から言われた通りにして神によって養われました。

3年6カ月の間、それも自分だけではなく、やもめとその家族までも養われました。


その日、その日 食べるものが与えられました。(そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならなかった。)




やもめとエリシャから学ぶ





【Ⅱ列王記4章1-7節】

預言者のともがらの妻のひとりがエリシャに叫んで言った。「あなたのしもべである私の夫が死にました。ご存じのように、あなたのしもべは、主を恐れておりました。ところが、貸し主が来て、私のふたりの子どもを自分の奴隷にしようとしております。」

エリシャは彼女に言った。「何をしてあげようか。あなたには、家にどんな物があるか、言いなさい。」彼女は答えた。「はしための家には何もありません。ただ、油のつぼ一つしかありません。」

すると、彼は言った。「外に出て行って、隣の人みなから、器を借りて来なさい。からの器を。それも、一つ二つではいけません。

家で入ったなら、あなたと子どもたちのうしろの戸を閉じなさい。そのすべての器に油をつぎなさい。いっぱいになったものはわきに置きなさい。」

そこで、彼女は彼のもとから去り、子どもたちといっしょにうしろの戸を閉じ、子どもたちが次々に彼女のところに持って来る器に油をついだ。

器がいっぱいになったので、彼女は子どもに言った。「もっと器を持って来なさい。」子どもが彼女に、「もう器はありません」と言うと、油は止まった。

彼女が神の人に知らせに行くと、彼は言った。「行って、その油を売り、あなたの負債を払いなさい。その残りで、あなたと子どもたちは暮らしていけます。」

たくさんの負債を抱え、2人の子どもが奴隷にされる運命になり、持っているものは何もなく、油のつぼ一つしかないやもめで、本当にどうにもならない状況です。

食べ物も持ち物もなく、あるのは借金だけです。


皆さんなら、このような状況でどうしますか?無理心中ですか?

経済的理由で無理心中した人たちは、今までたくさんいます。
どうにもならないという絶望感でそこに至ります。


でも彼女は自分の苦しい状況を神の人エリシャに話しました。

エリシャから出たことばは「何をしてあげようか。あなたには家にどんな物があるか言いなさい。」でした。


そして彼女が持っている一つのつぼ、また彼女が隣の人みなから借りて来た からの器に神の奇跡が起こりました。

ここで私たちは「これで何になるのか」という小さなものが“祝福の始まり”であることに気付くことです。

まずエリヤの時のやもめは一握りの粉と油を ささげました。


神に種を蒔くと、パン一個が3年6カ月の食べ物の祝福になりました。
捧げなさいと言われたものを捧げて祝福を受けました。

エリシャ時代のやもめは信仰によって、からの器を用意しました。

すると抱えた問題をすべて解決できる油がすべての器にいっぱいになりました。


捧げるものがなかった このやもめは言われた通りに信仰の器を用意したので祝福されました。

私たちは2人の最も貧しかったやもめたちが受けた祝福を見て、無いから捧げないのではなく、無いからこそ蒔かなければならないし、そして蒔いた後は信仰で期待する大切さを学ぶことです。


神様はやもめ、みなしごに対してあわれみ深い方です。


【詩篇68篇5-6節】

みなしごの父、やもめのさばき人は聖なる住まいにおられる神。

神は孤独な者を家に住まわせ、捕らわれ人を導き出して栄えさせられる。しかし、頑迷な者だけは、焦げつく地に住む。



中国奥地へ宣教に行った宣教師から学ぶ




ハリソン・テイラーは宣教師として信仰によって献身しました。

しかし働きはどんどん増え、協力者と宣教費が必要でしたが、彼を助ける人は誰もいませんでした。


彼の精神的負担は大きくなり、夜も眠れなくなり、ついには神経衰弱にかかるほどになりました。

そんなある日、彼はヨハネの福音書15章5節を読みました。


【ヨハネの福音書15章5節】

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。 わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

このことばが心にぶつかりました。
その瞬間、急に太陽の光が当たったように、彼の心が明るくなり始めました。

彼は“主はぶどうの木で、私はその枝であるのに 私が心配する必要があるのか?主が水分と栄養を与える木である。私はそれを受け入れれば良いことで、自分がそれに水分と栄養を与えようと心配したことは何と愚かなことであったのか。主よ。この時間からは心配や思い煩いを主に委ねます。私を養ってください。”


このように彼は主の前にひざまずき、自分の愚かさを悔い改めながら問題を主に委ねました。

彼はその後から祈る度に答えられ、成功的に中国宣教ができました。


イエス・キリストを信じる私たちは、私たちの生活現場で起こるすべての問題だけではなく、私たちの経済もすべて神に委ねる訓練をしなければなりません。
(。・ω・)ノ゙



【ピリピ4章19節】

また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。


【マタイの福音書7章9-11節】

あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。

また、子が魚を下さいと言うのに、 だれが蛇を与えるでしょう。

してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。 とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。

2015.1.11
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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祝福とは?

テーマは 『 祝福について 』 です

【ヨハネの福音書4章13-14節】

祝福は私たちの幸せになります。祝福や幸せが嫌いな人はいません。
何かを求める人は、幸せになりたいからするのです。

イエス様が1人の女性と出会いました。その女性は必死に幸せになりたいと願い求めていました。
今よりもっと幸せになりたいというのは私たちの姿であります。
その心をイエス様が知っていました。

それで、分かりやすく井戸の水に例えて、私たちにとって本当の祝福とはどういうものであるのかを教えました。

私たちは幸せを求めて、それを手に入れても、毎日、そして死ぬまでその幸せは続かないです。
手に入れたら、また渇きます。

水が欲しくて海の水を飲んだら、その時は「良かった」と思いますが、それをどんどん海水を飲むほど
さらに渇きがひどくなります。後で生きていけなくなります。

イエス様が「あなたが飲んでいるのは、渇くような水である。そしたら、わたしが与えよう。」と語りました。

あなたが欲しい祝福をわたしが与えよう。わたしが与える物をあなたが受けるならば、
決して渇くことがありません。という言葉をイエス様が使ってくださいました。

神様は祝福を与えてくださるお方です。

【創世記1章27-28節】

神様はまず人間を祝福しました。多くの人たちが世の中の現状を見て、「神は本当にいるのか?」
「(神が)いるなら、なぜこんなに生きにくい世の中なのか。」と言いますが、
それは神様のせいではないです。
神様は祝福を与えましたが、アダムとエバがその祝福の中で生活をしませんでした。
ある意味ではその祝福を拒みました。
そして悪魔サタンが提案したものを、人間はサタンの偽りの言葉を欲しがり受けました。

それでサタンが語った通りの祝福が来たでしょうか?結果は次の聖句です。

【創世記3章16-19節】

苦労が来て、人生の道がいばらの道に変わりました。そして死が来ることになりました。

それでも神様はイエス様を通して、もう1度祝福したいという心は変わりませんでした。

【マタイの福音書5章3-12節】

祝福の祈りです。主がまず与えたい祝福は、「霊的祝福」です。
それは私たちの心と魂が祝福されることであります。

いくら美味しいものを食べても心が平安でなければ幸せではないです。
良い物を着るから私たちが幸せなのではないです。それは“その時だけ”で、また渇きます。

もちろん、神様はそのような祝福も与えてくださいますが、
私たちの心がまず満たされるように祝福してくださる神様であります。

イエス様は「わたしはそれが出来るのだ。」と私たちに語っておられるのです。

その祝福を私たちはどうやって受けることができるでしょうか――?

まずは神様の言葉をそのまま信じることであります。

いくら聞いていても、そんなはずがないだろうと考えならば、それはエサウのような心であります。
一杯の食べ物のために、自分の大切なもの(長子の権利)を売り飛ばすことです。
つまり、わずかな物で価値がないものばかりに目を留めて、わずかな物で満足しようとします。
しかし、その後はまた渇きます。

イエス様は「わたしの祝福を信じて、あなたが受けたいならば(祝福を受ける)器を準備して、
神様から受けなければならない」と語ります。
器というのは、私たち自身のことであります。

祝福を受ける1番良い器はどういう器でしょうか?次の聖句です。

【詩篇1編1-3節】

これは渇くことのない祝福であります。その人たちの人生がそのように生きるならば、受けます。
悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たないことです。

祝福を受けたいならば、祝福を受けるところに自分が立っていなければならないです。
神様の前に立って「私に祝福をください。」と祈るならば、神様の言葉通りに祝福が毎日そこに落ちてきます。

自分が祝福を受けたいならば、どうしたら良いのでしょうか?

それは、「他の人を祝福しなさい」であります。

神様は私だけを祝福したいのではなくて、皆が祝福を受けてほしいから
あなたは他の人の為に祝福を祈りなさいと語ってあります。

【マタイの福音書10章12-13節】

私たちは何に対しても祝福の祈りをしなさいということです。
平安こそが幸せであります。誰に対しても幸せになるように祈り、祝福を受けるように祈ります。
するとその人自身が祈っても、答えるのは神様です。
神様から見た時に、「(祈られている)この人は、祝福を受けることに まったく準備が出来ていない」となれば、
その祝福は、祈りをした人のところに神様が持ってきます。

私たちは祈りにお金がかかることはないです。
私たちが神様の法則に従ってすること。私たちの信仰の先祖・アブラハムに語った神様の言葉、
「あなたを祝福する者をわたしが祝福し、あなたを呪う者をわたしが呪う」と使いました。

悪人であってでも、あなたが呪ってはいけないです。その呪いがあなたのところに返ってはいけないから。
という言葉があります。

【Ⅰペテロ3章9-12節】

絶対にその人を祝福したくないと思うならば、自分自身も祝福を受けることができないです。
私たちは人々を祝福していかなければならないです。

他人のためにも祝福の祈りをしますが、自分自身も神様にいつも「祝福してください」と祈ります。

【Ⅲヨハネ-2節】

これは自分のためにも祈ったら良いです。他人のためにも、自分のためにも祈る必要があります。
「どうせ私みたいな人間は祝福されるはずがない。」と自分で否定的な言葉・呪いの言葉をかける
ならば、神様が祝福したくても出来ないです。

家族のためにも、子供のためにも、小言を言う前に祝福の祈りをするべきであります。

【詩篇67編7節】

イエス様が祝福の元でありますので、私たちがくっついて祝福を受けて、人々は私たちが祝福を受ける姿を見て、
神様を恐れるようにしてください。

「私を祝福してください。」と自分を価値ある者としてください。
私たちが価値のない者になると、他人に踏まれます。

私たちは本当の意味で、神様からたくさん祝福されないといけないです。

【申命記28章1-2節】

※申命記28章3節からのみことばにある「あなた」→「私」に変えて祈ると良いです。
神様はよく願う者、祈る者に祝福を与えてくださいます。(自分自身を)絶対に呪わないでください。

私たちは、良い実が出てくるものを蒔きながら「祝福してください」と祈ります。

イサクが種を蒔いて100倍の祝福を得ました。その祝福を私たちにも与えてくださいます。

神様は無限の祝福を持っておられますので、私たちが求めたら与えることが出来るお方であります。

成功するのが祝福ではないです。
価値ある者になるのが本物の祝福を受けた人であります。
 (・∀・)つ

2013.2.24
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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