からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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同性愛

キリストの再臨

テーマは 『 キリストの再臨 』 です

【使徒の働き1章9-11節】

こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。

イエスが上って行かれるとき、弟子たちは 天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。

そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を 見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」

キリストが十字架の死から復活し、天に昇られてから どれほどの時間が過ぎたでしょうか。
2000年は過ぎました。

イエス様は天国へ行ったきりで帰って来ないと言ったのではなく、再び来ると語りました。
それが主の再臨です。


イエス様は人々が見ている前で天に上げられていき、その時に御使いたちは 主がまたおいでになるとはっきりと語りました。

このように主の再臨が預言されていたので、初代教会の信徒たちの 信仰の中心が“イエス様の再臨”でした。

激しい迫害の中でも主の再臨を待ち望みながら、自分たちの信仰を守っていました。


それから2000年が経った今はどうでしょうか?

再臨のことをメッセージする教会はどのくらいあるでしょう。
そして、イエス様の再臨を本気で待ち望んでいる信徒はどれくらいいるでしょうか?


再臨の教えは、サタンを怒らせます。サタンは主の栄光の再臨に対して嫌っています。


そして世俗的な教会と肉に属するクリスチャンも この再臨に関する教えを嫌います。


キリストの再臨に関しては、新約聖書の中で318回も言及されている大切な教えです。

私たちは再臨に関しては“目を覚まして祈っていなさい。”と主から聞いています。

なぜなら 目を覚まして祈っていないと、主が再臨しても私たちは主とともにいることが出来ず、地上に残されて激しい患難を受けなければならないからです。


主の再臨は 準備した人にとっては喜びの日になりますが、準備が出来ていない人にとっては恐怖の日になります。


弟子たちが「いつ再臨するのですか?」と聞いた時にイエス様は「人の子は思いがけない時にくる」と。
そして次のように語りました。


【マタイの福音書24章36節】

ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。

しかし主は、主の再臨の“前兆”に対しては教えてくださいました。


今の世の中の様子を見ると、まさに今 主が語った前兆が起きていることに気付くと思います。
次の箇所に前兆のことが書かれています。


【マタイの福音書24章5-7節】

わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、「私こそキリストだ」と言って、多くの人を惑わすでしょう。

また、戦争のことや、戦争のうわさを 聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。

民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。


【マタイの福音書24章12-38節】

不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。

しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。

それゆえ、預言者ダニエルによって 語られたあの『荒らす憎むべきもの』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)

そのときは、ユダヤにいる人々は 山へ逃げなさい。

屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。

畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。

だがその日、哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。

ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。

そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい患難があるからです。

もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。

そのとき、『そら、キリストがここにいる』とか、『そこにいる』とか言う者があっても、信じてはいけません。

にせキリスト、にせ預言者たちが 現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。

さあ、わたしは、あなたがたに前もって話しました。

だから、たとい、『そら、荒野にいらっしゃる』と言っても、飛び出して行ってはいけません。『そら、へやにいらっしゃる』と聞いても、信じてはいけません。

人の子が来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。

死体のある所には、はげたかが集まります。

だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。

そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。

人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。

いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。そのように、これらのことのすべてを見たら、 あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。

まことに、あたながたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、 この時代は過ぎ去りません。

この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。

ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。

人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。

洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、 とついだりしていました。

  1. 多くの にせキリストが現れる
  2. 戦争と戦争のうわさを聞く
  3. ききんと地震
  4. 不法がはびこる
  5. 多くの人たちの愛は冷たくなる
  6. 食べたり、飲んだり、とついだり、めとったりする

さらに、次の箇所にも再臨の前兆が書かれています。


【Ⅱテモテ3章1-7節】

終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。

そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、 大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、

情け知らずの者、和解しない者、 そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者

裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、

見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。

こういう人々の中には、 家々に入り込み、愚かな女たちをたぶらかしている者がいます。その女たちは、さまざまの情欲に引き回されて罪に罪を重ね、

いつも学んではいるが、いつになっても真理を知ることのできない者たちです。


今、皆さんは世界を見て これらの事とは無縁だと思っていますか?
そうではないですね。毎日見ていますし、聞いていると思います。


どれほど この世の中が堕落しているかと言えば、同性愛反対説教をした牧師がスウェーデンで捕まり、刑務所に入るほど堕落してきました。

アメリカでも毎年30万人のゲイがニューヨーク5番街に集まり「神はゲイを愛している」「神はゲイだ」という立札を持って行進をしています。


これは神をあざける姿です。


そして彼らに福音を伝えようとするクリスチャンたちに暴力を振るいました。


今は世界の国々が同性愛を受け入れ、結婚を認める法律を作っています。
キリスト教の教団も受け入れるところがたくさん増えました。

これは神様が喜ぶでしょうか。そうではなく、反対に神様を悲しませることです。
神が認めたのは、男と女の結婚だけです。


彼らは同性愛の遺伝子を持って生まれたと言いますが、そのような遺伝子が存在するのではなく、情欲が彼らの中にあるだけです。

彼らは皆、神様が決めた一線を越えて、神のことばを無視し 踏みつけています。


このような姿は再臨の前に見られる姿の1つでもあります。






映画やテレビも神をあざける内容がたくさん増えました。

これらすべては神を怒らせる行為です。


そして再臨が近いと感じるほかの前兆もあります。

それは人々の邪悪な行動が恐ろしいほど増えたことです。

なぜここまで世の中が邪悪になってしまったでしょうか。


サタンが自分に残された時間が少ない事を知っているので、以前よりも活発に働いて人々の中に入り、邪悪なことを平気に行っているからです。


今は世界中インターネットが広がっていますが、その中には有害なサイトがたくさんあります。


ポルノサイトだけでも50万はあると言われています。

子どもまでも中毒されて、先月は韓国で小学生の男の子3人が20代の女性をレイプする事件まで起こりました。

日本でも小さい女の子を狙う事件が後を断ちませんし、アメリカでも10代の女の子の多くが、お父さんや親族にレイプされています。


今、イスラム国が行っている残虐なことは 口では言えないほど酷いものです。悪魔そのものです。

不法が人間社会の隅々まで はびこっている様子を見せています。


そして教会の中にも多くの惑わしが入ってきています。

それは多くの嘘です。この嘘が惑わしです。


イエス様ははっきりと言いました。

惑わしの霊が教会にも入り、多くの者がそれに惑わされると人々は嘘を真理と信じてしまいます。


イエス様はこれらのことが起こると人の子が戸口に立っていることだから目を覚まして祈りなさいと言っているのに、 「大丈夫だ、まだまだ主は再臨しない。私たちの時代には主は来ない。」と言って、主の再臨が近いと語ることばに疑いを持たせ、 信徒たちの目をイエス様ではなく、世に向けさせ、また物質主義者にさせていきます。


緊迫感がないので、だんだん祈りも少なくなります。

その人たちは「主よ、来ないで下さい。今来たら困ります。私はまだまだこの世で楽しみたいことがいっぱいあります」と言います。

しかし、イエス様の再臨に対して準備ができている人は、「主よ。早く来てください。」と言います。


今は世界のどの国も次から次へと起こる災難や事件、事故に対して対策も出来ないと言われています。
それほど予想外のことが増えたからです。

クリスチャンは今の人生と永遠は紙一重です。


もし私たちがイエス様の再臨前に死ぬならば、それまで私たちはイエス様と一緒にいなけれはなりません。

この世にどっぷり浸かって 受ける恵みだけを喜んでいるならば、私たちの人生は世のものに満たされて、イエス様の再臨に対しては関心すらありません。


お金を稼ぐことに心が集中します。

そういうものに頼っているならば、私たちは目を覚ますことも出来ないし、主のために時間を作ることもできません。


他のことのためにはいくらでも時間を使うのに、主のための時間を惜しむのは、その人が今、信仰においても変質されていることに気付かなければなりません。


死んだ教会、死んだ信徒はいくらでもいます。

再臨が近付いている今日、私たちがどのようにすべきかを聖書から調べたいと思います。


【Ⅱペテロ3章9-11節】

主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、ひとりでも滅ぼすことを望まず、 すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて 消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。

このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、 あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。


【Ⅱペテロ3章14節】

そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、 励みなさい。


【Ⅱペテロ3章17節】

愛する人たち。そういうわけですから、このことをあらかじめ知っておいて、よく気をつけ、無節操な者たちの迷いに誘い込まれて 自分自身の堅実さを失うことにならないようにしなさい。


【Ⅰペテロ4章7節】

万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。


主は、主を待ち望む者たちのために来られます。

その人たちを主の花嫁として迎えるために来られます。

準備できた人は天に引き上げられますが、地上に残された人たちはかつてない患難に見舞われます。


そうならないように耳を傾け、備えをする者になりましょう。
ε=ε=(;´Д`)

2014.11.2
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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揺るがない土台を据えるには?

テーマは 『 揺るがない土台を据える 』 です

【ルカの福音書6章46-49節】

なぜ、わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、わたしの言うことを行わないのですか。

わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行う人たちがどんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。

その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、それから家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せたときも、しっかり建てられていたから、びくともしませんでした。

聞いても実行しない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています。川の水が押し寄せると、家は一ぺんに倒れてしまい、そのこわれ方はひどいものとなりました。」

イエス様は、この話を誰に聞かせたかったでしょうか?
未信者ではなく、みことばをしっかり守って主の中で生きている人でもないです。

46節でイエス様が次のように質問をしていました。
「なぜ、わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、わたしの言うことを行わないのですか。」
このような人にイエス様は語りたかったのです。


自分自身ではまだ気付いていない あなたの姿がわたしの目にはこのように映っているということを悟らせたかったのです。

その人たちは「主よ、主よ」と呼べば天国へ行けるから問題がないと思っています。
しかし 心から仕える思いで「主よ、主よ」と言うのではなく、口先だけの信仰は“迷惑だ”というイエス様の思いがあります。

十戒の中に「主の御名を、みだりに唱えてはならない。」とありますが、これは信仰が伴っていないならば みだりに呼ぶ姿になります。
行いが伴わない信仰を見て、イエス様が喜ぶと思いますか?
神様に従わず、「主よ、主よ」と呼ぶならば それは虚しい言葉になります。


“そのまま(口先だけの信仰で)生きたならば あなたが後でどうなるのかということを今 教えるのでよく聞きなさい。”ということです。
本人は自分の問題に気付かぬまま“宗教活動”をして「教会へ行っています。奉仕もしています。献金も捧げています。」と言いますが、これは目に見える部分です。
しかし、イエス様が見ると その下(見えていない部分)には土台がないのです。


最も大切な土台がないのに、本人は別に気にしていないのです。今のままで良いという思いであります。

イエス様は最も土台が大切なのに、あなたが建てているものは土台なしで建てているから、後で全部倒れ、それも ひどい倒れ方をすると、事前に教えてくださっています。

本人はイエス様が喜ぶ家を建てていると勘違いをしています。


神様の裁きの時は、地震とは比べものにならないです。すべてのものを流して壊していきます。
その中で壊れないものを造らなければいけないです。




土台とは?



土台という言葉は、旧約聖書にも出てきます。

【イザヤ書28章16節】

だから、神である主は、こう仰せられる。「見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは、試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信じる者は、あわてることがない。

“堅く据えられた礎、尊いかしら石”と書かれています。
これだけを見ても何の意味なのか分からないと思います。これは預言の言葉でイザヤという預言者を通して神様が与えた言葉であります。

これがイエス様が来られた新約時代になると、この預言を明確に説明する箇所が出てきます。


【Ⅰペテロ2章4-8節】

主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。

あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。

なぜなら、聖書にこうあるからです。「見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、尊い礎石を置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。」

したがって、より頼んでいるあなたがたには尊いものですが、より頼んでいない人々にとっては、「家を建てる者たちが捨てた石、それが礎の石となった」のであって、

「つまずきの石、妨げの岩」なのです。彼らがつまずくのは、みことばに従わないからですが、またそうなるように定められていたのです。

この預言はイエス・キリストであるということと、家をどんなに立派に建てたとしても 土台がイエス・キリストでないならば、必ず裁かれるということであります。


その土台に撚り頼まず、「別にそれじゃなくても家は建てられます。」と言います。
実際に土台がなくても家を建てることは出来ます。

多くの人たちが家を建てていますが、イエス・キリストという土台がないです。
「主よ、主よ」と呼びながら建てているので まさか自分の家が倒れるとは 思っていないです。


私たちが想像を絶するような世の終わりの裁きの時に、神様がなさろうとすることがあります。
その時に果たして土台なしに建てた者は生き残れるでしょうか。それは無理であると語っておられます。
神様の裁きの時は 神様以外のものは全て潰していきます。

しかし、神様の中に完全に根を下ろし属している者(土台にくっついている者)は何も被害を受けません。

「神に信頼する者は、決して失望させられることがない。」という言葉があります。ですから心配しなくて良いのです。


しかし土台がない人は、その時に失望するのです。


私たちが「神様、神様」と言っても、自分の生活の中で みことばに従っていない姿があるならば 自分は土台なしに家を建てているのだという認識が必要です。


地獄へ行ったクリスチャンたちは「土台」が問題でした。その人たちも働きをしていなかったわけではないです。
ある者は立派に信仰生活をしました。立派に犠牲を払いました。
全て行ったにも関わらず、地獄へ行ったということは その人たちにはイエス・キリストの土台が無かったことを意味しているのです。

この人たちは自分の価値観・ビジョン・要望・出世、このようなものが土台でした。




真理について



キリスト教の真理が土台でないならば、必ずそれは倒れる家になります。

【マタイの福音書24章35節】

この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。

裁きの時に、神様はすべてのものを巻物のように滅び去ります。
しかし世の中にあるたった1つの真理は神様の言葉だけであり、それは変わらないものであります。


真理の上に土台を立てなければいけませんが、今の時代は どんどん教会そのものも、信徒たちの信仰も 神の真理の言葉から離れています。

多くの妥協があり真理から離れていても平気であるのです。それは教団も同じなのです。
すべての教団ではないですが、ある教団の堕落している姿がありました。

アメリカでは同性愛者が多いです。とある教会で牧師になる人たちに向けて質問をすることがありました。
「私たちは(同性愛を)認めます。世の中の法律でも認めているのだから、私たちの教会も認めます。
ですから 同性愛者も教会に来てください。」ということを言いました。


これは真理の上に立っている姿でしょうか ――?

とんでもないことであります。
これは神様が忌み嫌うことなのです。ソドムとゴモラが滅びたのも同性愛でした。

しかし時代が違うからと言って、教会が同性愛を認めるということは、その教会の牧師が同性愛者であっても問題ではないということでした。


それだけではなく、もう1つは「あなたは神様の言葉だけが真理だと思いますか?」という質問に対して
「はい。そう思います。」と答えた人は、教団の牧師にはなれないというもので、「他の宗教にあるものも良いものだと認めます。」と言わないと牧師になれないのです。

ある牧師が同じく質問をされた時に、「私は認めません。同性愛を認めません。すべての宗教に救いがあることも認めません。神の言葉だけが真理であります。」と
答えると、「あなたは ここの教団の牧師にはなれません。」と言われたそうです。


初代教会の人たちがなぜ迫害されて 命が懸かっていたのでしょうか ――?
それは真理を曲げなかったからであります。命をかけて真理を守っていました。
たとえ殺されたとしても妥協しませんでした。


終わりの時にはたくさんの迫害や困難が来ます。そのことを次の箇所で教えています。

【Ⅰテモテ4章1-3節】

しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。

それは、うそつきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、

結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。

このみことばに書かれている「後の時代」とは、今のことです。
サタンが強く働きますが、どのように働くでしょうか?それは 惑わしの霊と悪霊の教えを持ってくるのです。
それは人間が持っている「欲」の部分をくすぐるものであります。サタンは巧妙に働き、妥協させます。

私たちに真理の土台がないと騙されてしまうのです。
あらゆる教えに心が取られて それを信じて、どんどん真理から離れたやり方をするのです。

信仰生活を、真理ではないところでするようになります。


【ヨハネの黙示録22章18-19節】

私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。

また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。

「少しでも」という言葉があります。つまり 妥協は許されないのです。
真理はそこに混ぜ物をしてはいけないですし、妥協をしてもいけないのです。


変わらない真理の土台の上に信仰生活を築いていなければ、後で黙示録に書かれていることが あなたに起こります。そしていのちの木、聖なる都から取り除かれるので、神様の祝福の世界にいることができないのです。
これはすごく大切であります。


イエス・キリストの土台がなくても、真理の土台がなくても、勝手に自分で建てたいものを建てておいて 自分の信仰生活を送り「私は敬虔な生活をしていました」というのは、パリサイ人たちがそうでした。

パリサイ人たちの信仰生活にはイエス様がいませんでした。
そして真理だけではなく、自分たちが勝手に作り出した言い伝えをたくさん作り何が何だか分からないものの上で必死になって信仰生活をしました。
このような生き方をするならば、サタンやパリサイ人がいるところに自分も一緒にいることになります。


しかし、キリストという真理の土台に、日々イエス様に拠り頼み みことばを実行しながら、すべての働きも「イエス様のために」という動機で働くならば、最期の裁きの時に その人たちは決して見捨てられることがないです。

その人たちは失望することがないのです。苦労があっても最期の時にすべてが報われるのです。


この地上での生活をあと何年生きられるでしょうか?自分の寿命通りに生きられるのではないです。
イエス様がいつ来られるかわからないのです。
もし明日来られたら「私は間違いなく天国に行ける」という確信があるでしょうか?


確信が無ければ、自分の信仰生活をやり直さなければいけないということであります。

「このままで良いんだ」と思うのは、今はそれでも良いかも知れません。
しかし 行く道が違うのでイエス様の守りがないのです。自分からイエス様のところを離れたからです。

自分の肉を打ち叩きながら「私は後で滅びを刈り取るのだ」という思いを持たなければならないです。

土台だけを建てておいて、あとは何もしないのも いけないことであります。


聞く耳があるということは、まだ恵みの時であり 救いの時であります。
神様は土台を築くことを求めておられます。
(´・ω・`)

2014.3.23
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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