からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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受難週

キリストの十字架と私

テーマは 『 キリストの十字架と私 』 です

【ガラテヤ1章4節】

キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり、父である方のみこころによったのです。

今週はキリストの受難週です。

キリストが苦しみを受け、十字架につけられ死んだ時期です。


みなさんは十字架を見た時に、そこに釘づけられて死んだキリストをすぐに思い出しますか?

それとも 何も思わないですか?


クリスチャンならば、キリストを思い出すと思います。


キリストが 罪人の罪を贖うために十字架の上で死んだことは、聖書を通して聞いていますので、それは信じていると思います。


しかし、その “十字架と自分” をしっかり結びつけないと、キリストの十字架に特別な意味があっても、それが自分とは何の関係もないものになります。


今回はまず「キリストの十字架の特別な意味」を語り、そのあとに「キリストの十字架と私」に対して学びます。





キリストの十字架の特別な意味




キリストの十字架の意味を はっきり知って信じることで、私たちは神がすでに備えた驚くべき恵みを受けることが出来ます。

知らないならばもちろん何の恵みも受けられません。


《 罪を赦す力 = 罪によって人間はきよい神との関係が断絶されました 》


なぜなら “罪” は、神との関係を断絶させるからです。


ですから神との関係を回復するためには、罪が洗われる必要と罪の赦しが必要になります。


神はイエス・キリストの十字架の苦難と死 という方法で、私たちの罪を赦しました。


私たちがキリストの十字架の前に来て 自分の罪を悔い改めて信じる時に、キリストの血が罪を洗い、罪の赦しを受けることが出来ます。


キリストの血には、“罪を赦す力” があります。


【ガラテヤ1章4節】

キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。

罪が赦されると たましいが救われ、神との関係も回復します。



《 愛の力 = 十字架の贖いは 神が人間を愛している証拠 》


“キリストの十字架のみ” が私たちを神の愛に導きます。


イエス様が人間を愛していなかったならば、自分のいのちをささげることは出来なかったと思います。


【ローマ5章8節】

しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。


《 神と出会う場所 = 十字架の力だけが私たちを神に導きます 》


旧約時代に幕屋で神に会ったように、私たちはキリストの十字架を通して神に会います。


神がご自身を現し、私たちを呼ぶのもキリストの十字架を通してです。

そのように神が決めましたので、それ以外の道はありません。





キリストの十字架と私




・十字架の上で古い人は死んで、新しい人になりましたか?


【ガラテヤ2章20節】

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

使徒パウロの告白ですが、キリストに本当に出会ったならば、このような同じ告白が私たちからも出なければなりません。


神を知らなかった時の姿は古い姿です。

自分の思いのままに生きた姿でした。


しかしキリストを信じることは、古い人を捨てて 新しい人として生きることを意味します。


罪から離れ、義のために生きることです。


【第1ペテロ2章24節】

そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。


【第2コリント5章17節】

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

この新しく生まれ変わった経験がない人は、まだ救われていないです。


変わったならば、本人が一番それに気付くはずです。

罪から離れてキリストの中にいま生きていますか。



・十字架のために迫害を受けていますか?


【ガラテヤ5章11節】

兄弟たち。もし私が今でも割礼を宣べ伝えているなら、どうして今なお迫害を受けることがありましょう。それなら、十字架のつまずきは取り除かれているはずです。


【ガラテヤ6章12節】

あなたがたに割礼を強制する人たちは、肉において外見をよくしたい人たちです。 彼らはただ、キリストの十字架のために迫害を受けたくないだけなのです。

行いや儀式によって救いを受け、祝福を受けると思っている人は それらを重んじ、それらに魅力を感じ、一生懸命にそれを追い求めます。

そういう人が迫害を受けることはあまりないです。


しかし それを拒否し、キリストの十字架を信じる信仰のみに救いがあるという人は、迫害を受けます。


その迫害を受けたくないから妥協したり、ごまかしたりして生きるならば、それは十字架を知らない人です。


イエス様は主の弟子になる人は、誰でも迫害を受けると言われました。

殉教するほどの迫害もあれば、周りから受ける不当な扱いや嫌がらせなどの小さい迫害もあります。


十字架によって新しくなった人は、迫害を受けてもキリストから離れません。

さらにキリストに近付きます。


そのようにしていますか?

それとも迫害は絶対に嫌だと キリストから離れますか?



・誇っているのは十字架ですか、それとも肉のものですか?


【ガラテヤ6章14節】

しかし私には、私たち主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。

自分にとって価値のないものを誇る人はいません。

その人が愛するもの、関心が高いもの、大事にするものは、その人が誇るもので分かります。


次の言葉で自分の状態を調べるならば、自分がどこに属し、何を誇り、何に従っているかが分かります。


【ローマ8章5-10節】

肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。

肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。

というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。

肉にある者は神を喜ばせることができません。

けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。

もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。

キリストの十字架を一番の誇りとしている人は、十字架の意味と価値を知っている人です。


そうでない人は、まだ十字架の意味と価値を知らない人です。



・日々自分の十字架を負っていますか?


【マタイの福音書16章24節】

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

何かを負うことはしなければならない責任があります。


どんな責任でも負うことは しんどいことです。

出来れば責任は負いたくないと思ってしまいます。


キリストも重い死の十字架を背負いました。

その苦難はとてもつらい苦難でした。


しかし最後まで十字架を負いました。

それによって 人類の罪が赦される道、救いの道、神との和解の道が出来ました。

私たちにも主が負わせた十字架があります。


ある人はそれが嫌でどこかに投げ捨てました。

負担もなくなり、身軽になって良かったと思うでしょう。


しかし いま笑う者は後で泣きます。いま泣く者は後で笑います。


もし十字架を負わせられたならば、黙ってそれを負って主に従うことです。



子ロバは、イエス様が自分の上に乗った時に 黙って歩き出しました。


主が私たちに負わせる十字架は、祝福の十字架です。


後に 主と清算する時に、多くの報いをもたらすものになります。


しかし投げ捨てて十字架を負わなかった人にあるのは、厳しい叱責です。

「悪い怠けたしもべだ」と聞くでしょう。


十字架のない人生を選ぶか、十字架のある人生を選ぶかは自分で選べます。


しかし天国へ行くのは自分では選べないです。

神様が決めます。


十字架と共に歩んだ人には、天国の道を開きます。

なぜなら十字架の道が天国への道だからです。


十字架を愛して生きる人もいれば、十字架の敵として生きている人も多いです。


あなたはどらちですか?
(゚Д゚≡゚Д゚)


2017.4.9
聖日礼拝メッセージ

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イエス・キリストの十字架とあなたはどんな関係ですか

テーマは 『 イエス・キリストの十字架とあなたはどんな関係ですか 』 です

【Ⅰコリント1章18節】

十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。

今日は教会歴においてはシュロの日です。

イエスは十字架にかかるためにエルサレムに入りました。
それを知った人々は、今度こそイエスがユダヤの王になると思って、大歓迎しました。


その時、人々はシュロの木の枝を取って、出迎えのために出て行き、
“ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。”と大声で叫びました。


その日をシュロの日と言います。


人々にとっては これから自分たちに何か良い事が起こるという期待が大きかったです。
しかしイエスにとっては 苦難の十字架の道が始まる日でした。

それを知っているのはイエスご自身だけでした。

十字架が見えていない時は イエスは人々に歓迎されましたが、十字架が見えた時から人々の反応が分かれ始めました。

十字架に対して人々はどのように変わっていったでしょうか。


そして、みなさんはイエス・キリストの十字架と どのような関係ですか。




1.十字架を愚かと思い、毛嫌って呪う人




「十字架??あれは凶悪な犯罪人が受ける罰ではないか。」

「何だ、あの人は神でもないのに、自分のことを勝手に神と言い、人を惑わした者だったのか。神を冒涜した人は死ななければならない。騙されたことが悔しい。これ以上は騙されないぞ。」


このように怒りが込みあげてきた人たちは激しく叫びました。


「除け。除け。十字架につけろ。カイザルのほかには、私たちには王はありません。」と、世の王を自分たちの王として選び、まことの神を殺してしまいました。


キリストを十字架につけた彼らは 十字架で苦しんでいるイエスを見て、あざ笑って言いました。


「あれは他人を救った。もし神のキリストで、選ばれた者なら自分を救ってみろ。」

「おお、神殿を打ち壊して三日で建てる人よ。十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」

「他人を救ったが、自分は救えない。キリスト、イスラエルの王さま。今十字架から降りてもらおうか。われわれは、それを見たら信じるから。」


このように偉い人たちも十字架にかかったイエスを呪いました。


世の基準で見る十字架は 彼らにとっては犯罪人、呪われた者、愚かな生き方をした者、生きていては困る者たちが死んで当然な場所なので、絶対受け入れることが出来ないものでした。


彼らは自分たちの知恵に頼って、それで満足して、十字架を信じるどころか、拒絶反応を起こして呪います。

死んでも関係を持ちたくない と十字架を遠くに投げる人たちです。




2.十字架に無関心な人たち




「あの人は悪いことをしていないと思うよ。毎日 病人を癒し、奇跡もたくさん行ったし、まじめで優しいし。」

「十字架にかかるとはかわいそう。あの人を殺すなんて悪いことをしたな。」

「生かしておけば もっともっと奇跡が見られたのに。病人が助かるのに もったいない。」

「良い人だったのに もういなくなった。でもどうして神と言った人が十字架にかかって死んだのだろう。」

「意味が分からない。もう死んでしまったから忘れよう。」


このように十字架のイエスに対して無関心に生きる人たちがいます。


「別にいなくても困ることはないし、あの十字架とはもう関わりたくありません。」

「他にも信じているものがあるし、あんな死に方をした人を信じるのはちょっと…。」

「もう良いです。自分も救えなかったでしょう。あの人より立派な働きをした人もたくさんいるし。」


キリストの十字架を “無力” だと思って、他に頼れるものを探して、それに目を向けて自分の都合の良いように生きている人が一番多いです。


この世がすべてで、この世で利益をもたらしてくれるならば 魂でも平気に売る人たちにとって、十字架は関わりたくないものです。

「神のことも、罪のことも、悔い改めのことも、地獄の話も聞きたくはない。別に要らない。」と十字架とは無関係に日々生きています。


私自身も信じる前はそのような者でした。
十字架はキリスト教会のシンボルでしか考えたことがなく、イエス・キリストが死んだ十字架だとしか思いませんでした。

なぜ死んだのかと一度も考えたこともなく、キリストの十字架に対して考え始めたのは信じてからでした。

それまでは自分にとって十字架はまったく関係のないものでした。




3.キリストの十字架から目を離さない人々




実際にキリストが十字架にかかった時、十字架の真の意味を知っている人はイエス・キリスト本人以外には誰もいませんでした。

弟子たちも主の母であるマリアも知りませんでした。

キリストは一人で孤独に死んでいきました。


医者たちが、“キリストがどのくらい苦痛を味わったのか”を医学的に検証しました。

その話を聞いた時に、私たちの想像をはるかに超える痛みでした。


汗が血のしずくになるまで祈った時から、体の中ではストレスで血管が破裂していました。

裸にされてローマの兵士たちが力強く打ったむちで肉が裂かれ、神経が痛み、骨までも見えたと言います。

出血によって歩くことが出来ないほどの貧血状態に陥るとも言われました。


十字架の上ではさらに激しい痛みがあり、息をするたびに全身に鋭い痛みが走るので、ことばでは言い表すことが出来ないほどの痛みだと聞きました。

その激しい痛みの中でもイエス様は自分を十字架につけた人々を赦しました。


そして、涙を流しながら十字架を見上げる人たちがいました。
十字架の意味はまだ分かりませんが、主を愛して主に仕えていた人々でした。

たとえ人々がイエスを激しく呪っても、その人たちは主が与えて下さった恵みが忘れられません。
その愛を裏切ることが出来ません。ただ涙を流しながら、主の死を悲しんでいました。






私自身、何日間も ずっと心の中で流れていた賛美がありました。


韓国の賛美ですが、「主はなぜ私を愛したのか。なぜ私のためにカルバリに登らなければならなかったのか。なぜ私のために十字架にかからなければならなかったのか。」という歌詞です。

そうしたら その賛美の中にペテロもパウロも入って来た思いがしました。

彼らも同じ賛美をしているように感じました。


【 ペテロ 】

「主を三度も知らないと裏切った私をどうして赦し愛しておられますか。なぜ私を愛し、十字架にかかりましたか」


【 パウロ 】

「主を嫌い、教会とあなたと信徒たちを迫害した私をどうして愛して、私の罪のために十字架にかかりましたか。」


私も言いました。

「自分勝手に生きて神様を悲しませた私、多くの罪を犯した私をどうして愛して下さったんですか。なぜ主は私のためにカルバリに登らなければならなかったのですか。」

繰り返し心の中で賛美しました。


なぜ私が主に愛されているのか、なぜ私が赦されているのかがわかりません。
その愛から離れることが出来ないから主の十字架を見上げています。


主の赦しが十字架から流れるので主の十字架を離れることが出来ません。

「主よ。なぜ罪のない方が罪人である私のためにその激しい苦しみを受けなければならなかったのですか。」
罪赦して下さる十字架のキリストから離れて行く所がありません。


目が開かれ十字架に隠された恵み、祝福、神の力が見えてきました。

イエスが罪人ではなく、犯罪人でもなく、死んで当然な人でもなく、人を騙す者でもなく、生きてはいけない人でもなく、神を侮辱した人でもなく、自分を救えない人ではないです。


キリストを十字架につけた偉い人たちや呪った人たち、無関心であった人たち、知らなかった人たちや私たちが 本当は主がかかった十字架にかからなければならない者です。


自分に代わって死んで下さった方を愚か者と思っている人がいるならば、その人は世界一愚か者です。

キリストを侮辱するものは神を侮辱する者で、罰を免れることはありません。


もう一度十字架を見て下さい。
愚かに見えますか。関わりたくない十字架に見えますか。

それとも十字架を見て、「なぜ私を愛して十字架にかかりましたか」と涙が出てきますか。
。゚(゚´Д`゚)゜。

2015.3.29
聖日礼拝メッセージ

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キリストが受けた苦難の数々

※ 今回は内容を簡潔にまとめさせていただきました。恵みが三十倍、六十倍、百倍になりますように。


テーマは 『 キリストが受けた苦難の数々 』 です

【ヨハネの福音書1章9-11節】

すべての人を照らすそのまことの光が来ようとしていた。

この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。

この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。

4月は キリストの受難週、十字架の死、復活などキリストに関わる重要な出来事が色々ありますので、そのことに対して語ろうと思います。

私たちの目をキリストにしっかり向けて、キリストが私たちのために どのような苦難を受けたのかを今日は知りましょう。


キリストが受けた苦難は むち打たれ、釘打ちにされ、十字架に架かっただけではなく、それ以前からもたくさんありました。

身体に受ける暴力もつらい事ですが、精神的な暴力のほうが ある意味もっときついかも知れません。


拒絶、無視、脅迫、敵対、裏切り、見捨てられるなど 人間から様々な苦しみを受けました。
どのような苦難を受けたのか知っていますか?




(1)人から拒絶されました。喜んで歓迎しなければならないのに、最初から人々はキリストを拒絶しました。



一部の人からではなく、すべての者から拒絶されました。


【イザヤ書53章3節】

彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。

と、預言された通りのことが 実際に起こりました。


【ヨハネの福音書1章11節】

この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。

民から拒絶された姿でした。
イエス様が育ったナザレの人たちは キリストを受け入れ、認めたでしょうか。
ナザレの人々はもっとひどかったです。受け入れないどころか殺そうとしました。


【ルカの福音書4章28-29節】

これらのことを聞くと、会堂にいた人たちはみな、ひどく怒り、

立ち上がってイエスを町の外に追い出し、町が立っていた丘のがけのふちまで連れて行き、そこから投げ落とそうとした。

ユダヤ人たちもナザレの人々と同じ姿でした。


【ヨハネの福音書7章1節】

その後、イエスはガリラヤを巡っておられた。それは、ユダヤ人たちがイエスを殺そうとしていたので、ユダヤを巡りたいとは思われなかったからである。

どこへ行っても拒絶する人々がたくさんいました。

この状況はとてもつらい状況で 悲しくやりきれない心境になります。

また、家族はキリストを信じ、理解者であったでしょうか。


【ヨハネの福音書7章5節】

兄弟たちもイエスを信じていなかったのである。

キリストと認めず 信じませんでした。




(2)出身地と家庭環境によって 人々から蔑まれました。



人々は先入観と差別意識でキリストを見てました。


【ヨハネの福音書1章46節】

ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何の良いものが出るだろう。」

【ヨハネの福音書7章52節】

彼らは答えて言った。「あなたもガリラヤの出身なのか。調べてみなさい。ガリラヤから預言者は起こらない。」

人格を無視されると 私たちの心は本当につらいですね。
イエス様は最初からこのように人格も無視されました。




(3)絶えず人々から来る脅威がありました。



いつも自分を憎んで、妬んで 命を狙う人がいることは大きな苦難です。
キリストは常にそのような状況の中に置かれていました。生まれた時からでした。

キリストが生まれたことを知ったヘロデ王はベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させました。

主の遣いの助けがなかったならば、赤ちゃんの時に殺されたでしょう。
安息日に病人を癒したことでも ユダヤ人はイエス様を迫害しました。
真理を語ると 人々はどのような反応をしたでしょうか。

喜んで受け入れたでしょうか?


【ヨハネの福音書8章40節】

ところが今あなたがたは、神から聞いた真理をあなたがたに話しているこのわたしを、殺そうとしています。アブラハムはそのようなことはしなかったのです。



(4)弟子たちもイエス様が理解できず、ある者は裏切り、非難、否定して離れていき キリストを苦しめました。




十二弟子の1人、イスカリオテ・ユダはお金をもらって祭司たちにキリストを売りました。


【ヨハネの福音書6章66節】

こういうわけで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去って行き、もはやイエスとともに歩かなかった。

イエス様が十字架にかかるために とらえられた時には、ほかの弟子たちまでもがキリストから離れていきました。

信頼し、共に生きてきた人が、ある日 突然離れていくことほど つらいことはありません。


牧師としても愛していた信徒が去っていく時、とてもつらい思いをします。

イエス様は みんなが離れていき、一人ぼっちになりました。
どれほど心がつらかったでしょうか。




(5)そして 最もつらかったことは神に捨てられました。



【マタイの福音書27章46節】

三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

神は人類の罪をキリストに負わせ、十字架の上に死なせました。

その瞬間は 自分の愛する子としてではなく、罪人とみなし 顔をそむけました。
いつも父と1つであったキリストにとって この瞬間は最もつらかった時だったと思います。

これらのことを見ると、人間社会でイエス様が受けた苦しみは 私たちの想像をはるかに超えた苛酷なものであったことが分かります。


私たちは人からの言葉1つでも、時には「心が傷つけられた。もう許せない。つらい。憎い。つまずいた。」と大騒ぎをします。

しかし、イエス様の立場から見ると、「たったそんなことで つまずくのか。わたしを見なさい。今もあなたはわたしの言うことも聞かず、苦しめ、悲しませているではないか。どれほど わたしがつらいかを考えたことがあるのか。」とおっしゃいます。




イエス様の十字架の証



ある人が幻で十字架に架かって血を流している主を見ました。


あまりにも苦しい姿でしたので、十字架の周りに集まっていた人からも 主がかわいそうで泣いている人も見えました。

多くの人々は 十字架にかかって苦しんでいるイエス様の姿を見るだけで、
なぜイエス様が十字架にかからなければならなかったのかと その理由を知る霊の目を持っている人は誰もいませんでした。


イエス様は肉体の痛みで苦しいよりは、自分が死ななければならない理由と、自分の心境を知らない人々がかわいそうで何倍も心の中で苦しんでいました。


(その幻をみた人は)それを霊で感じとって

「イエス様。力を出して下さい。私はやっと分かりました。
イエス様は全人類の罪のために大きな働きをしているのですね。
イエス様の死は、いのちを与えるための偉大な愛です。

私がこのことを皆に知らせます。そして、主が選んだ民たちを集めます。
そして主の愛を決して忘れません。」


イエス様は、その人を見て 自分の心を知っている人がいることで、うなずき 微笑んでくださいました。






蘇ったイエス様がペテロに3度も「あなたはわたしを愛しますか?」と聞きました。
イエス様を愛さない者たちが イエス様を苦しめました。

裏切り殺しました。


イエス様は私たちが主を愛することを求めています。

イエス様は 私たちを愛してご自身の命まで捧げたのに、私たちが愛さないなら それはイエス様の心を苦しめることになります。


【Ⅰコリント13章4-7節】

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、

不正を喜ばずに真理を喜びます。

すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

イエス様を苦しめず、心からこの愛を持って 愛する者になりましょう。

今まで与えた苦しみだけでも、あまりにも大きいですから。 (TДT)

2014.4.6
聖日礼拝メッセージ

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