からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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十字架

神の奥義を知る

テーマは 『 神の奥義を知る 』 です

【ローマ16章25-27節】

私の福音とイエス・キリストの宣教によって、すなわち、世々にわたって長い間隠されていたが、今や現されて、永遠の神の命令に従い、預言者たちの書によって、信仰の従順に導くためにあらゆる国の人々に知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを堅く立たせることができる方、

知恵に富む唯一の神に、イエス・キリストによって、御栄えがとこしえまでありますように。アーメン。


聖書には神の奥義ということばが多く出ますが、どんな奥義があるのかを調べます。


神はその奥義を、預言者を通して啓示として知らせました。

奥義は霊的真理としての啓示で前の時代 旧約時代には隠されていて、今のように人の子らに知らされてはいなかったです。


しかしイエス・キリストと御霊によって明らかにされました。



まだ語られた奥義がすべて明らかにされたわけではないですが、それもこれから啓示された通りに起きた時に明らかにされます。


神の奥義が隠されたまま終わることはないです。


神は信じる人には奥義を明らかにして下さいました。

ある人たちだけに明らかにされているわけではないです。


すべての奥義は神の主権と神の摂理によるものです。

そしてすべての奥義は成就します。


【ローマ11章36節】

というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。


【ヨハネの黙示録10章7節】

第七の御使いが吹き鳴らそうとしているラッパの音が響くその日には、神の奥義は、神がご自身のしもべである預言者たちに告げられたとおりに成就する。」


【申命記29章29節】

隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし、現されたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである。


【ルカの福音書8章10節】

そこでイエスは言われた。「あなたがたに、神の国の奥義を知ることが許されているが、ほかの者には、たとえで話します。彼らが見ていても見えず、聞いていても悟らないためです。



最大の神の奥義はイエス・キリストの福音




キリストの受肉とキリストの本質、福音によって全世界の人々に及ぶ良い知らせ、命の道、義の道が明らかにされました。


福音の中心は 『キリストの十字架と復活』 です。

この福音は異邦人にも伝えられ、異邦人も救いを受けます。


【第1コリント15章1-4節】

兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。

また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。

私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、

また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、


【第1テモテ3章16節】

確かに偉大なのはこの敬虔の奥義です。「キリストは肉において現れ、霊において義と宣言され、御使いたちに見られ、諸国民の間に宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。」


【コロサイ1章26-27節】

これは、多くの世代にわたって隠されていて、いま神の聖徒たちに現された奥義なのです。

神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。


【コロサイ2章2節】

それは、この人たちが心に励ましを受け、愛によって結び合わされ、理解をもって豊かな全き確信に達し、神の奥義であるキリストを真に知るようになるためです。



異邦人も共同の相続人の奥義




【エペソ3章3-6節】

先に簡単に書いたとおり、この奥義は、啓示によって私に知らされたのです。

それを読めば、私がキリストの奥義をどう理解しているかがよくわかるはずです。

この奥義は、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じようには人々に知らされていませんでした。

その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。

【ローマ11章25-26節】

兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、

こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。



これから明らかにされる神の奥義




●不法の人が現れる

【第2テサロニケ2章6-8節】

あなたがたが知っているとおり、彼がその定められた時に現れるようにと、いま引き止めているものがあるのです。

不法の秘密はすでに働いています。しかし今は引き止める者があって、自分が取り除かれる時まで引き止めているのです。

その時になると、不法の人が現れますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。


●キリストの再臨、聖徒の携挙と復活

【第1テサロニケ4章15-17節】

私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。

主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、

次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。


【エペソ1章9-10節】

みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、この方にあって神があらかじめお立てになったみむねによることであり、

時がついに満ちて、実現します。いっさいのものがキリストにあって、天にあるもの地にあるものがこの方にあって、一つに集められるのです。

アーメン v( ̄∇ ̄)v


2021.9.12
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二種類の人間

テーマは 『 二種類の人間 』 です

【ガラテヤ3章10-14節】

というのは、律法の行いによる人々はすべて、のろいのもとにあるからです。こう書いてあります。「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」

ところが、律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる」のだからです。

しかし律法は、「信仰による」のではありません。「律法を行う者はこの律法によって生きる」のです。

キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。

このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。


私たちの目にはあらゆる種類の人間が見えますが、神の目には二種類の人間しか見えません。

それは、神の呪いの下にいる人間と、呪いから解放された人間です。


すなわち律法の下にいる人間は 呪いの下にいることになります。

また良い行いによって救われると思っている人もこれに含まれています。



どの人間も律法全体を守ることは出来ないし、罪一つない人間も世には存在しないです。


どんなに聖く正しく生きようとしても、罪と縁がない人はいないです。

聖書は「義人はいない。ひとりもいない。」と宣言しています。


肉に属する者は、肉の悪い行いによって生きるようになっています。

そして肉に属する者は 神の国を相続することが出来ないです。



また呪いから解放された人がいます。


この人たちも呪いの下にいましたが、自分の身に呪いを受けて死んで下さったキリストを信じたことによって神の恵みを受け、呪いから解放されました。


呪いから解放されたことが「救い」です。


救いは神の恵みであり、受ける価値のない人が、努力なしに、信仰だけで得るものです。





信仰




なぜ信仰だけで得られるでしょうか?


キリストが私たちために呪いを受けたので、律法の呪いから私たちを贖うことが出来ました。


【ガラテヤ3章13節】

キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。


ですから信じる人は キリストによって呪いから解放されます。

解放された人は聖霊を受け、聖霊から永遠のいのちを受けます。


【ガラテヤ6章8節】

自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。


信仰だけで救われることがないと言いながら、他のことも強調する人たちはキリストの恵みを受けることもなく、呪いの下にとどまることになります。



他のものによって人間をのろいから解放することは不可能なので 神は御子を世に遣わし、十字架にかかるようにしました。


そして、それを信じる者だけが救われるようにしました。

ですから神の目には、キリストによって呪いが取り除かれた人と 呪いがそのまま残っている人しか見えないです。


自分はどこにいますか?


アーメン Σ(・ω・ノ)ノ


2021.7.4
聖日礼拝メッセージ

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勝利した主

テーマは 『 勝利した主 』 です

【ローマ8章37節】

しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。


今日は 死からよみがえった主を礼拝する 『イースター』 です。


復活は圧倒的な勝利を宣言するものです。

復活によって神を冒涜する者ではなく、神の子であることを公に証明しました。



主の勝利は、主を信じる者の勝利です。

主は、信じる者にも圧倒的な勝利を与えます。


主がどのようなことに勝利したのかを今回は伝えます。




サタン、悪魔との戦いで勝利しました




活動の初めからサタンとの戦いがありました。

40日間 断食した後に、悪魔の甘い誘惑がありました。


それは十字架の道を妨害する誘惑でした。



十字架の苦難は、辛いものなのでサタンから来たものと思う人が多いですが、それは神の計画であって、サタンの計画ではないです。

サタンは十字架にかからないように多くの誘惑をしました。


しかし主は すべての誘惑を退け、サタンの計画には従わず、神の計画である十字架にかかって「完了した。」と宣言しました。

それは勝利の宣言でした。


サタンは、主が救い主ではなく、偉大な人間として生きることを願いました。



しかし主は、人間を罪から贖う救い主になることを選び、十字架の道を選びました。


神の計画を正しく知って、その計画に従う時に私たちもサタンに勝利することが出来ます。




死の力に勝利しました




死の力はサタンが持っている一番強い武器です。

罪からの報酬は死です。


どの人間も、サタンの最強の武器である死の力を打ち破ることが出来ないです。


ですからすべての人間は、死の武器の前にひざまずき 死にます。

死は、罪を犯した人間に下るのろいであり刑罰です。



しかし主は、死の力を打ち破り、よみがえりました。


サタンの最強の武器である死よりも 強い武器である “いのち” が主にはあります。

死人を生き返らせるものがあるならば、死を恐れる必要はないです。


復活のいのちは、信じる者に永遠のいのちを与えるという約束が 嘘ではないことを証明しました。



死で終わったならば、永遠のいのちの約束は無効ですが、復活が起きたので有効になります。


信じる者は死を恐れる必要がないです。

いつか永遠のいのちがある体に私たちもよみがえるからです。




主の勝利は自分自身に対する勝利です




十字架を前に主は激しく祈りました。

「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」と三度も祈りながら自分自身と戦いました。



世にある最大の敵は、外にあるのではなく 自分自身です。

絶えず自分の中から出てくる肉の思い、人間的な思いがあります。


自分を優先したい思い、楽な道を歩みたい思い、何もしたくない怠ける心、快楽を求める思いなどが絶えず出て来ます。

その戦いで失敗することが一番多いです。



自身が自分の一番の敵です。

主はそれにも勝利しました。


断食後の誘惑が来た時も勝利し、最後の十字架受難の誘惑にも勝利しました。

このように勝利した主に、父なる神が与えたものは何でしょうか?


【ピリピ2章9-11節】

それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。

それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、

すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。


このように勝利した主には素晴らしい権威と祝福が与えられました。

そして勝利者につく者も その祝福と喜びを共有することが出来ます。


ハレルヤ。 v( ̄∇ ̄)v


2021.4.4
イースター礼拝メッセージ

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メシヤの受難と勝利

テーマは 『 メシヤの受難と勝利 』 です

【イザヤ書53章1-12節】

私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現れたのか。

彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。

彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。

まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。

しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。

彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。

しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。

彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかったが。

しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。

彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。

それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。


イザヤ書53章は、メシヤであるイエス・キリストの受難の預言が 一番具体的に書かれてあります。


イエス・キリストが受けた受難を思いながら読むと、説明が要らないほど具体的です。

そのままでもメッセージになります。


この預言は メシヤが来られる700年前に預言されましたが、まるで現場を見ているようです。



メシヤが地上に来られた目的は一つだけでした。

罪人である人間を贖うために 自分が贖いのいけにえになるためでした。


誰も予想出来ない神の計画でした。

聞いても理解する者はいませんでした。



人々は神が示したメシヤではなく、自分たちが考えたメシヤを待っていました。

人間が期待するメシヤとは ヒーローのような存在で、突然現れて悪人たちを一瞬に打ち破って困った自分たちを助けてくれる力があり、格好良いメシヤでした。


ですから似ても似つかないイエスという人が自分のことをメシヤと言ったので疑い、拒否しました。


田舎出身で、学歴もなく、貧しく、みすぼらしく、見とれるような姿も、輝きも、見栄えもしない人をメシヤとして信じることは無理でした。

期待を裏切ることなので拒否しました。


奇跡を行ってもそれはサタンの力だと言い、メシヤと認めず、苦しめ、十字架につけて殺しました。






人々を惹きつけるヒーローのような姿で来たら良いのに、なぜ神はみすぼらしい姿のメシヤを遣わしたのでしょうか。


神は、人が見た目を重視することを知っていました。

目の欲があるからです。


ですから敢えてメシヤを、人目を惹くような姿ではなく、信仰がないと信じることが出来ない姿、神のことばを正しく知らないと受け入れることが出来ない姿にしました。


メシヤは人気を得るためのヒーローではなく、罪人たちを救うために犠牲のいけにえになる小羊としての働きをするために来られました。



自分自身を徹底的に低くした理由は、私たちへの愛でしたが、人々の目にはその愛が見えませんでした。


外見だけを見てつまずきました。

今も十字架のキリストをそのような目で見る人々が大勢います。


ですからペテロはこのように注意を与えました。


【第1ペテロ3章3-4節】

あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、

むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。


イエス様の内面を見た人はメシヤとして受け入れます。

主の成長の過程や生涯、そして主が受けた受難とみことばによって見るならば、救い主であることが分かります。


キリストが受けた苦難はすべて、罪を犯した私たちのためでした。


【イザヤ書53章8節】

しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。


【第1ペテロ2章24節】

そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。


罪を犯した人間は、罪の代価を払わないと永遠の死です。


しかし、人間には罪の代価を払うものを持っていないです。


ですからキリストが来られ、ひどい苦しみを受けながら十字架にかかり、血を流して私たちの代わりに罪の代価を払って下さいました。

それを知って自分の罪を告白し、主からの救いの恵みを求める人は罪赦されます。


【マタイの福音書20章28節】

人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」





サタンは人間が罪のまま死んで永遠に滅びることを願っています。

しかし神は 人々を愛するので、すべての人が罪から救われることを願ってキリストを通して、罪の代価を払って、救いの道を完成しました。



完成された救いのわざを信仰で信じるならば、永遠のいのちがある神の御国に招き入れられますが、罪のまま死ぬならば、永遠に地獄で苦しみながら罪の代価を払わないといけないです。


救いの恵みはずっと続くことはないです。

サタンもそれを知って、人間が救われないように不信仰の心を与えています。


死んだら無になることは絶対にないです。


キリスト教は、自分の行いによって天国に入るために頑張るのではないです。


いくら良い行いをしても罪は消えないです。


キリストによって すでに完成された救いのわざを 信仰によって受け入れる時に 罪赦され、キリストの恵みによって天国に入ります。


みなさんは救われていますか?

それとも  まだですか。


救いを受けてほしいです。


アーメン (・∀・)


2021.3.28
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十字架を負う人生

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【マタイの福音書16章24節】

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。


イエス様は人生の最後に十字架を負ったのではなく、天から下って来た時から すでに十字架を負いました。


そして十字架の道をずっと歩み、十字架にかかって地上での生涯を終えました。

ずっと十字架を負った人生でした。


力もなく権威もなかったからではないです。



だれよりも聖く、誰よりも霊的権威があり、誰よりも偉大な方でした。


神が一番評価する人生は十字架を負う人生です。

それはイエス様が歩んだ人生であるからです。



人々は十字架を負う人生を かわいそうな人生だと思いますが、主は十字架のない人生が一番かわいそうな人生だと言われます。


なぜなら、その人は神と何の関係もないからです。

そして十字架がもたらす祝福がまったくない人だからです。




イエス様は十字架を負う人生を生きるために、まず自分を捨てました




イエス様が捨てた “自分” とはどんな姿ですか?

―― 神という自分です。


【ピリピ2章6-7節】

キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、

ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。


私たちが十字架の人生を歩むために捨てるべき “自分” とはどんな姿ですか?

―― それは古い自分です。


古い自分では十字架の人生を歩むことは出来ないです。

古い自分がそれを嫌がるからです。



どうやってそれを捨てることができるでしょうか?

次の通りにすると捨てることが出来ます。


【ガラテヤ2章20節】

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。


古い人は高慢で、世を愛し、仕えるよりも 仕えられるのを好みます。


イエス様には悪いものがなく、最高の身分である神を捨てたので、人間に仕えることが出来ました。


私たちはそれとは違い、悪い自分を捨てる時に十字架の人生を歩むことが出来ます。



神から人の子になったイエス様は、人々にいつも仕えていました。

罪人の罪を厳しく攻めたのではなく、罪人の悔い改めの声を聞いて 彼らを救い出しました。



小さいこと、些細なことでも無視せずに助けました。

人の痛み、苦しみに共感し、あわれんで下さいました。


他人の重荷を負って下さいました。

受け入れ、忍耐し、慰めました。



【詩篇68編19節】

ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。


イエス様は自分を捨てたので、人々に対しても とても謙遜でした。

謙遜はこのような姿です。


【マタイの福音書20章26-28節】

あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。

あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。

人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」


イエス様は父なる神のみことば通りの人生を歩みました。

ですから十字架で贖いの業を完成することが出来ました。



十字架の人生は神のみことばに従って歩む人生です。


ペテロが 十字架を負わないように主を止めた時に、主はとても厳しい言葉でこのように言いました。

「下がれ、サタン。あなたはわたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」



サタンは、私たちに辛い十字架を負わないで、気楽に生きるように勧めます。

そのように邪魔をします。


イエス様は私たちに “自分の十字架を負ってついて来なさい” と命令しておられます。

それが御心に従う道、いのちを得る道、栄光を受ける道だからです。



全世界を手に入れても、永遠のいのちがないならば、多くの財産が何になるでしょうか?


私たちにいのちを与えるために イエス様は十字架を負いました。

私たちは、その命を得るために自分の十字架を負ってイエス様に従います。


アーメン (・∀・)


2021.3.21
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神の深い愛を経験しよう

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【第1ヨハネ4章9-11節】

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。

クリスチャンが神の愛が何かを知らないならば、信仰に対して何も知らないのと同じです。


なぜなら神は愛だからです。

神を信じる信仰とは、神を愛することです。


他人から恋人関係になるのは、2人が恋に落ちた時からです。

1人だけ愛しているならば、それは片思いの愛であり、恋人にはなっていないです。



神は愛で、私たちを愛しています。

それだけでは私たちが神の愛を知ることは出来ないです。


私たちが主のように自分をささげるまでは 神の愛を知ることが出来ないです。


神から愛されている実感がないと思っているならば、自分が神を愛していないことです。




愛は火のように熱く、死のようにまた真剣です。


1人の女性を愛した2人の男性が、その女性を得るために命を懸けて決闘したことは昔から聞いています。

それほど愛に最高の価値を置いた若い世代がいました。


もちろん今も愛に命を懸けている者もいると思います。



人々がこの世で不満、苦しみ、悲しみの中で生きている理由は、自分たちに対する神の愛がどれほど大きくて素晴らしいかを知らないからです。


雅歌8章6-7節にある愛です。

愛がどんなに強いものであるかを見せてあります。



【雅歌8章6-7節】

私を封印のようにあなたの心臓の上に、封印のようにあなたの腕につけてください。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。

大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。もし、人が愛を得ようとして、自分の財産をことごとく与えても、ただのさげすみしか得られません。


人間が先に神を愛したことは一度もありません。

神が先に私たちを愛しました。


私たちが罪の中で神に敵対しているのに、それでも愛し続けておられるのが神です。



使徒パウロは、神の愛がどれほど熱い愛かを経験した人でした。


神の教会をつぶし、聖徒たちを激しく迫害したのに、神は怒りではなく、愛の手を彼に差し伸べました。

パウロはその愛を受け入れました。


そして自分も命を懸けて主を愛しました。

ですから神の愛を経験し、このように語りました。



【ローマ8章38-39節】

私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、

高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。


父なる神の愛は、ひとり子イエス・キリストを世に遣わし 十字架につけて、その血で私たちを救い出した “血の愛” です。


すなわちその愛は、キリストの死に現れました。

キリストはなだめの供え物として来られました。


私たちの罪のために いけにえとしてキリストがささげられたことを軽く考えてはいけないです。


そこには命を懸けた愛があるからです。






レビ記の中にいけにえとして ほふられる家畜が どんなにひどい目に会うのかを考えるならば、神の愛、キリストの十字架、罪の赦しが どれほどすごいものであるかを実感することが出来ます。


神にとって一番の苦しみは、人々が神の熱い愛に対して反応しないことです。



神の愛が熱い分、その愛をいつまでも無視する人に対しては、神の怒りが同じくらい燃えることも知らないといけないです。


律法の中で一番大切な戒めが次の箇所です。


【マタイの福音書22章37節】

そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』


私たちの中に 少しでも愛があるのは、私たちの心に神の愛が先に感動を与えて下さったからです。


十字架を見上げて主の愛を深く考えるならば、私たちに対する神の愛の大きさに圧倒されて、神を愛せずにはおられなくなります。



神様よりも大きな愛を体験したことがありますか?

神よりも大きな愛を持っている者は存在しません。


本当のクリスチャンは 神の愛に感動して、愛のとりこになって神だけを愛して生きることを決心した人です。



暗闇の中で滅びに向かって歩んでいる者たちを目覚めさせたのも神の愛です。

神の愛を深く知ることが何よりも大切です。


主の御座に近づく者は、もっと主の愛を知ることが出来ます。

主は私たちだけを見て愛して下さいました。


ですから、私たちも神しかいないかのように生きると、毎日 主の深い愛を経験しながら生きることが出来ます。



神への熱い愛も、隣人に対する愛の行為もない人生は、むなしく喜びもないです。


神の愛を経験してみて下さい。

経験すると信仰、生き方、人生、死に対する考え方がすべて変わります。


そしてその愛で本当に心が満たされていきます。


アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2021.3.14
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つまずいても、つまずきを与えてもいけない

テーマは 『 つまずいても、つまずきを与えてもいけない 』 です

【イザヤ書8章11-16節】

まことに主は強い御手をもって私を捕らえ、私にこう仰せられた。この民の道に歩まないよう、私を戒めて仰せられた。

「この民が謀反と呼ぶことをみな、謀反と呼ぶな。この民の恐れるものを恐れるな。おののくな。

万軍の主、この方を、聖なる方とし、この方を、あなたがたの恐れ、この方を、あなたがたのおののきとせよ。

そうすれば、この方が聖所となられる。しかし、イスラエルの二つの家には妨げの石とつまずきの岩、エルサレムの住民にはわなとなり、落とし穴となる。

多くの者がそれにつまずき、倒れて砕かれ、わなにかけられて捕らえられる。

このあかしをたばねよ。このおしえをわたしの弟子たちの心のうちに封ぜよ。」


聖書は私たちに警告しています。

つまずいてもならないし、つまずきを与えてもならない と。


「それがそんなに重要なことですか?」と疑問を持つ人がいるかも知れませんが、とても重要であるので 主は何度も警告しました。


つまずくことは、自分で勝手に引っ掛かり倒れることもあれば、人を引っ掛けて倒す人もいます。



信仰につまずく結果は地獄です。

最後のさばきの時はつまずいた者も つまずきを与えた者も 主の前で言い訳をしても、それは通らないです。


永遠のいのちと天国とも関連があるので、とても重要です。


二つの大きなつまずきがあります。

イエス様に対するつまずきと、人間に対するつまずきがあります。




イエス様に対するつまずき




今日のことばはメシアに対する預言です。

預言の中で、イスラエルの人々がメシアにつまずくことが預言されました。


そしてメシアに対する正しい知識を持たなかった多くの者がつまずきました。

彼らの姿をみてイエス様はこのように語りました。


【マタイの福音書11章6節】

だれでもわたしにつまずかない者は幸いです。


なぜ待ち望んだメシアなのに、メシアとして来られた主を受け入れず つまずいたでしょうか?

それは彼らのことばで原因を知ることが出来ます。



まずはイエス様が育ったナザレの町の人々のつまずきの原因です。


【マタイの福音書13章53-58節】

これらのたとえを話し終えると、イエスはそこを去られた。

それから、ご自分の郷里に行って、会堂で人々を教え始められた。すると、彼らは驚いて言った。「この人は、こんな知恵と不思議な力をどこで得たのでしょう。

この人は大工の息子ではありませんか。彼の母親はマリヤで、彼の兄弟は、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではありませんか。

妹たちもみな私たちといっしょにいるではありませんか。とすると、いったいこの人は、これらのものをどこから得たのでしょう。」

こうして、彼らはイエスにつまずいた。しかし、イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、家族の間だけです。」

そして、イエスは、彼らの不信仰のゆえに、そこでは多くの奇蹟をなさらなかった。


田舎の貧しい家で生まれ、教育もまともに受けたことのない者がメシアのはずがない と思いました。

もしイエス様が王や貴族の息子であったならば人々はメシアとして認めたと思います。


神がメシアの姿を教えたにも関わらず、彼らは自分たちの判断や考えでみことばを退け、つまずきました。



また多くの弟子たちは、イエス様が「わたしは天から下って来たいのちのパンである」と教えただけで変人扱いし、悪口を言ってつまずき離れ去りました。


またある者たちは、十字架で苦しみながら死んだ主を 無能で力がなく、自分も救うことが出来ない者がメシアのはずがない と思ってつまずきました。


「メシアは十字架の苦しみを受ける」 と預言されたにもかかわらず、十字架につまずきました。


【第1コリント1章23-24節】

しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、

しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。


神の御言葉の上に立たず、自分の考えや偏見、判断に頼る者は必ずつまずきます。


それが本人にとって信仰を邪魔し、罠になり、救いから遠ざけるので、結局は自分で呪いの道を選ぶようになります。


そのため、神のことばにあるメシアの姿とイエス様の姿をよく知る必要があります。




人に対してのつまずきと警告




人に対しては、つまずきを与えたり つまずいてもいけないです。


この警告を無視すると、後につまずくことになります。

なぜなら主がこのように警告したからです。


【マタイの福音書24章10節】

また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。


【ルカの福音書17章1-2節】

イエスは弟子たちにこう言われた。「つまずきが起こるのは避けられない。だが、つまずきを起こさせる者はわざわいだ。

この小さい者たちのひとりに、つまずきを与えるようであったら、そんな者は石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです。


イエス様は、「偉大な人をつまずかせてはならない」と語ったことは一度もありませんでした。

いつも “小さい者” ということばを使いました。


小さい者とは、子どもや見下された人、貧しい者、弱い者など 社会的に弱者のことです。

見下げられやすい人たちのことです。



イエス様が地上に来られた目的を見ると、主のこころが分かります。


【ルカの福音書4章18-19節】

「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、

主の恵みの年を告げ知らせるために。」


ですから小さい者につまずきを与えることは、主の救いの働きを妨害する者になります。


【マタイの福音書18章6-7節】

しかし、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましです。

つまずきを与えるこの世はわざわいだ。つまずきが起こるのは避けられないが、つまずきをもたらす者はわざわいだ。



自分がもつ権利と自由で 人につまずきを与えてもいけないです




【第1コリント8章9節】

ただ、あなたがたのこの権利が、弱い人たちのつまずきとならないように、気をつけなさい。


【第1コリント8章13節】

ですから、もし食物が私の兄弟をつまずかせるなら、私は今後いっさい肉を食べません。それは、私の兄弟につまずきを与えないためです。



主の働きをしている中でも 人につまずきを与えないように気をつけることです




【第2コリント6章3-4節】

私たちは、この務めがそしられないために、どんなことにも人につまずきを与えないようにと、

あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。すなわち非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、



つまずきを与えないために、つまずかないために すべきこと




嫌なことされても、自分で仕返しをしない、誘惑されても罪を犯さない、他人が間違った信仰を持っていても 自分の信仰まで捨てる必要はないことを心に留めることです。


悪いものが心に入ると 苦い根を下ろすので、定期的に心を点検して苦い根を取り除くことです。

罪と死の影響を受けないためです。


また、聖霊に満たされることです。

満たされないと すぐに人を非難したり、傷を受けたり、誘惑を受けやすくなり、惑わされてしまいます。


油断してはいけないです。


【ヘブル12章15節】

そのためには、あなたがたはよく監督して、だれも神の恵みから落ちる者がないように、また、苦い根が芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりすることのないように、


つまずきの罪をいつも警戒して、神の恵みと救いにとどまりましょう。


アーメン ( -д-)ノ


2021.2.7
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アドナイ・イルエ ~もう一人のアブラハム~

テーマは 『 アドナイ・イルエ ~もう一人のアブラハム~ 』 です

【創世記22章1-14節】

これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に、「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は、「はい。ここにおります」と答えた。

神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」

翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、ふたりの若い者と息子イサクとをいっしょに連れて行った。彼は全焼のいけにえのためのたきぎを割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ出かけて行った。

三日目に、アブラハムが目を上げると、その場所がはるかかなたに見えた。

それでアブラハムは若い者たちに、「あなたがたは、ろばといっしょに、ここに残っていなさい。私と子どもとはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻って来る」と言った。

アブラハムは全焼のいけにえのためのたきぎを取り、それをその子イサクに負わせ、火と刀とを自分の手に取り、ふたりはいっしょに進んで行った。

イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」すると彼は、「何だ。イサク」と答えた。イサクは尋ねた。「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」

アブラハムは答えた。「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」こうしてふたりはいっしょに歩き続けた。

ふたりは神がアブラハムに告げられた場所に着き、アブラハムはその所に祭壇を築いた。そうしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置いた。

アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした。

そのとき、主の使いが天から彼を呼び、「アブラハム。アブラハム」と仰せられた。彼は答えた。「はい。ここにおります。」

御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」

アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。

そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「主の山の上には備えがある」と言い伝えられている。


今日は皆さんがよくご存知の創世記22章に出てくるアブラハムとイサクの話をしたいと思います。

「あ、またその話か」と思うかもしれないのですが、ぜひ聞いてほしいです。



創世記22章に書いてあるように、アブラハムは神様に「一人息子のイサクをささげなさい」と言われて、朝一に起きて、イサクとともに神様に指定された山に登り、イサクをささげようとしました。


実際にイサクを薪木の上に置き、縄で縛り、殺そうとした時に 神様がアブラハムの手を止めました。


神様はアブラハムが誰よりも神様を第一にして、愛するその愛の姿、また、神様の御言葉、約束を信じたそのアブラハムを見て、その信仰をほめました。



この話は、新約聖書でも伝えられ、アブラハムはその信仰のゆえに、信仰の父と呼ばれています。


何一つ神様に文句も言わず、疑問も問いかけず、神様の言葉の通りに実行するほどの大きな信仰を持っていたアブラハムの姿は、私たちが見習うべき姿でもあります。






しかし、ここで もう一つ知っておきたいことがあります。


実は聖書ではアブラハム以外にもう一人、自分の愛する一人子をささげた人がいます。

しかも、その人の息子は、イサクのように殺される寸前で助かったのではなく、本当に殺されてしまったのです。



それは、父なる神と、そのひとり子イエス・キリストです。


アブラハムは神様のために、愛するひとり子イサクをささげました。

神様は私たち罪人のために、愛するひとり子イエスをささげました。


イサクは自分がこれから死ぬことも知らず、モリヤの山に自分が上に乗るための薪を担いで登っていきました。



イエスは自分がこれから死ぬことをすべて知りながら、その為にこの世に来て、人々にムチ打たれ、縛られ、自分がつけられる十字架を背負えないほど傷つけられ、代わりにシモンというクレネ人が イエスの十字架を背負い、ゴルゴダの丘に登っていきました。


神様は、愛するひとり子よりも、何よりも神様を愛するアブラハムの信仰を見て、アブラハムがイサクをほふろうとしたのを止めて、イサクを救いました。



神様は、誰よりも私たちを愛するために、ひとり子イエスが十字架にかかり、ムチ打たれ、釘を刺され、血を流し死んでいく姿を見ながらも止めずに、イエスを代わりに死なせ、私たちを救いました。


それが神様の愛です。

ひとり子イエスを死なせてまで、私たちを救われたのは、神様の愛なのです。


神様は、罪人が神様に立ち返り、その罪を洗い清めるために、すべての罪の代価を自分のひとり子イエスに着せたのです。


罪にまみれた私たちが、神様の前に出る価値、資格すらない私たちが、神様と和解するために、何の罪もない、裁かれる必要もなく、苦しむ必要も 死ぬ必要もまったくなかったイエス様が私たちの代わりに、罪の代価をすべて払ってくれたのです。






神様はアブラハムの時のように、イエスを十字架にかけることを止めることもできたのです。


そもそもこの世にイエス様が来ないようにすることもできました。

だけれども、それをやめませんでした。



もしイエス様がこの世に来ず、十字架にかけられず、三日目に蘇らなければ私たちがそのまま滅びていくからです。


神様は私たちのために、自分のひとり子イエスが十字架にかけられ、死ぬことをストップせず、また、イエス・キリストもすべての痛み、苦しみを全部受け止めて、最後までそのミッションを果たしたのです。


そのミッションは急に決まったのではありません。

人が初めて造られ、その人が神様に初めて歯向かい、罪を犯し、自分の姿を見るのも 見せるのも恥ずかしくなって神様から逃げた時に、神様はイエス様を送ることを決意しました。



私たちが一番恥ずかしい時、神様から遠ざかった時、神様よりも偉くなりたいと思った時、自分たちのことで頭がいっぱいになっているその時に、逆に神様は私たちを愛するがゆえに、イエス様をこの世に送り、十字架にかけさせることを決めたのです。


このアダムとエバが罪を犯した時に、アダムとエバ、蛇、それぞれに裁きがありましたが、それと同時に神様が約束されたことがありました。

それは、蛇に対して言った言葉の中にありました。


【創世記3章14-15節】

そこで、神である主は女に仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。」女は答えた。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。」

神である主は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。


アダムとエバの子孫が、蛇の頭を砕いて、蛇はその彼のかかとにかみつくと。

つまりは、のちに来るイエス・キリストが、蛇の頭を砕いて勝利する、と。


そこに勝利があります。

ただ、そこには「彼のかかとにかみつく」、つまり “キリストも攻撃を受けるんだ” という言葉がありました。






人間が神様に一番歯向かった時、そのまま滅ぼされてもおかしくなかったその時に、神様が決断されたこと、それはひとり子のイエス・キリストを送り、苦しみを負わせるが、人間を罪の道へと走らせた悪魔の頭を砕き、完全勝利するということ。


神様はそれを約束されたのです。

人間が何か良いことをしたから、神様の御心にかなったから、イエス様がこの世に来たのではありません。


それはただ、神様の愛であり、許しであり、神様が初めからそうすると決めたからなのです。


【創世記3章21節】

神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。


神様は私たちが罪を犯して一番恥ずかしく、一番だめな時に、私たちの罪を、私たちの恥ずかしい姿を覆い、隠すために、皮の衣を作ってくれました。


私たちのために作ってくれたその皮の衣は、動物の犠牲がありました。

私たちのために、ほかの者の命が犠牲になったのです。


これは のちに罪の贖いをするために来られるイエス様を象徴しています。



初めから、私たちの罪を覆い、恥ずかしさを覆うために、ほかの大切な命を犠牲にすること、そうすることを神様が決められたのです。

神様はそうせずに、人間を滅ぼすこともできました。


しかし、神様はイエス様を十字架にかけて私たちを救うことを決意し、イエス様も最後まで逃げることもせず、やめることもせず、初めに神様がした愛の決断をそのまま守り抜き、やり通すことを決めて、十字架の上で私たちに愛を示されました。

なぜそこまでしたのでしょうか。


【第1ヨハネ4章9-10節】

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。


理由はただ一つです。


神様が私たちを愛し、私たちの罪を赦し、私たちを生かすため、その大きな愛ゆえにこの世界に来てくれたのです。


それが、私たちの信じる、私たちがお祝いをするイエス・キリストの姿なのです。

クリスマスは、ただのお祝いや、イベントごとではありません。


神様の決意、イエス様の決意があり、その大きな愛を私たちが受け取る日なのです。

アドナイイルエ、神様が備えてくださった 十字架の救い、神様の愛を受け取りましょう。


このクリスマスまでの期間、神様の愛、イエス様の決意についてもう一度深く考え、その愛を受け止めていましょう。


アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2020.12.13
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十字架を負うことの意味

テーマは 『 十字架を負うことの意味 』 です

【マタイの福音書16章24節】

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

実際に人がかかる大きさの十字架を負ったことがありますか。


人がかかるということは、高さは2メートル以上必要ですね。

横棒だけで40キロ~50キロはあるらしいです。


ですから十字架は、私たちが想像する以上に 重たく背負って歩くことは本当に大変です。

自分の十字架を負って、ついて行くことの難しさが分かります。



教会に来ると、(講壇の)前に十字架があるので、私たちは十字架を見ることには慣れています。


しかし主は「十字架は見るのではなく、負うことだ」と教えて下さいました。

主の十字架を考えるならば、十字架の意味がはっきりと分かります。



主が十字架にかかったのは 罪人を贖うためでした。


それでイエス様は自分の十字架を負いました。

負う前に次の箇所のように父なる神に切に祈りました。


【マタイの福音書26章39節】

「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」


この祈りだけで、汗が血のしずくのようになりました。

全身に力が入ったことが分かります。


そこで主は自分を捨てました。


すでに目に見えない十字架を負い、
まず自分の思いを十字架につけ、心から血が流れました。


その後に十字架を負って死ぬ場所に向かうことが出来ました。






自分を捨てないと自分の十字架を負うことは出来ないです。

次の箇所は自分を捨てる十字架です。


【ガラテヤ書2章19-20節】

「しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。

私はキリストとともに十字架につけられました。


自分を捨てた人が 自分の十字架を負って、主について行くことが出来ます。


十字架は私の代わりに誰かが負うことは出来ないです。

自分の十字架は自分で負わないといけないです。


“イエス様が負ったから 私は負う必要がない” と思うことは間違いです。



十字架が意味するものは、苦難と犠牲と献身です。


十字架がないことは、それら(苦難、犠牲、献身)がないことを意味します。



十字架を負ってついて来なさいと言われたのは、『苦難と犠牲と献身を覚悟してついて来なさい』 という意味です。


まっすぐに立って十字架を負うことは出来ないです。

体を低くしないといけないですが、それは身を低くし苦難を覚悟し、自分を犠牲にし、主に献身することです。



それが主の要求することです。

それがイエス様に似た姿であり、信仰生活であり、弟子の姿です。


今も主の十字架を見るだけで満足する人、自分の十字架を負う準備が出来ていない人、負う気がない人が多いです。


いつになったら主の要求に応じますか?

アーメン ヽ(TдT)ノ


2020.11.8
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肉の人から霊の人ヤコブへ

テーマは 『 肉の人から霊の人ヤコブへ 』 です

【イザヤ書41章8節】

しかし、わたしのしもべ、イスラエルよ。わたしが選んだヤコブ、わたしの友、アブラハムのすえよ。

【イザヤ書41章14節】

恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。わたしはあなたを助ける。──主の御告げ──あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。


今日のことばは神がイスラエルの民に向かって語ることばですが、そこにヤコブという名前が出てきます。

ヤコブとイスラエルは同一人物です。


元々の名前はヤコブですが、神が彼に「イスラエル」という名を与え、それが後に国の名前にもなりました。


ヤコブという名前がイザヤ書には何度も出てきます。

神はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼ばれました。






ヤコブは最初から霊の人ではありませんでした。

肉の人でした。


神は彼を霊の人にするために厳しい試練の中に導きました。


ヤコブは遠くに住むおじラバンの家で20年間労苦しました。

ヤコブが愛したラバンの娘ラケルを得るために14年間も働きました。


また羊の世話に6年間も仕えました。

重労働の日々でした。


その時の苦しさをヤコブはこのように言いました。


【創世記31章38-42節】

私はこの二十年間、あなたといっしょにいましたが、あなたの雌羊も雌やぎも流産したことはなく、あなたの群れの雄羊も私は食べたことはありませんでした。

野獣に裂かれたものは、あなたのもとへ持って行かないで、私が罪を負いました。あなたは私に責任を負わせました。昼盗まれたものにも、夜盗まれたものにも。

私は昼は暑さに、夜は寒さに悩まされて、眠ることもできない有様でした。

私はこの二十年間、あなたの家で過ごしました。十四年間はあなたのふたりの娘たちのために、六年間はあなたの群れのために、あなたに仕えてきました。それなのに、あなたは幾度も私の報酬を変えたのです。

もし、私の父の神、アブラハムの神、イサクの恐れる方が、私についておられなかったなら、あなたはきっと何も持たせずに私を去らせたことでしょう。神は私の悩みとこの手の苦労とを顧みられて、昨夜さばきをなさったのです。」

神はなぜヤコブをおじラバンの家に送ったでしょうか。

母の提案でしたが、神がその中で働きました。


ヤコブを孤独にさせ、誰にも頼らず、神だけに頼る霊の人にするための計画でした。


神は誰とも歩む方ではありません。

神から顔をそむける人、自分の力に頼って生きる人とは共に歩まない方です。



ヤコブは労苦と孤独の中で、離れた故郷や両親のことを思いながら、神を求める者になりました。


霊の人、神のしもべになる人は神に目を向け、神を慕い求めないといけないです。

自分の肉を十字架につけないといけないです。


そして神が与えた使命の十字架を負って狭い道、厳しい道を歩まないといけないです。


それが神の栄光のために生きる人生であり、神の御心に従って歩む道です。




虫けらのヤコブは自分の肉の弱さやみじめさを知り、神を切に求める者になりました。


ヤポクの渡しで夜通し、ある人と格闘しました。


神の使いでしたが、その時、ヤコブはこう言いました。

「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」


切に神を求める姿がありました。

そこで虫けらのヤコブはイスラエルという名を神からもらいました。



神を知れば知るほど、求めれば、求めるほど、神はその人に患難も苦しみも与えますが、その中で霊の人に変え、祝福の道具として用いて下さいます。


神は神の計画や神のみこころを霊の人を通して行いますし、神を現します。


強い者にして、世の権力者の前でも大胆な者にさせます。


霊の人はこの世に勝つ信仰ある人です。

アーメン v( ̄∇ ̄)v


2020.11.1
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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