からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

八戸ノ里キリスト教会より YouTube公開!

3分バイブルボイス (別ウィンドウで開きます)
毎日3分テレフォンメッセージを配信しておりましたが、いつでも聞き直せるようにYouTubeにも公開致します。
これからもどうぞよろしくお願い致します♪

十字架

勝利した主

テーマは 『 勝利した主 』 です

【ローマ8章37節】

しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。


今日は 死からよみがえった主を礼拝する 『イースター』 です。


復活は圧倒的な勝利を宣言するものです。

復活によって神を冒涜する者ではなく、神の子であることを公に証明しました。



主の勝利は、主を信じる者の勝利です。

主は、信じる者にも圧倒的な勝利を与えます。


主がどのようなことに勝利したのかを今回は伝えます。




サタン、悪魔との戦いで勝利しました




活動の初めからサタンとの戦いがありました。

40日間 断食した後に、悪魔の甘い誘惑がありました。


それは十字架の道を妨害する誘惑でした。



十字架の苦難は、辛いものなのでサタンから来たものと思う人が多いですが、それは神の計画であって、サタンの計画ではないです。

サタンは十字架にかからないように多くの誘惑をしました。


しかし主は すべての誘惑を退け、サタンの計画には従わず、神の計画である十字架にかかって「完了した。」と宣言しました。

それは勝利の宣言でした。


サタンは、主が救い主ではなく、偉大な人間として生きることを願いました。



しかし主は、人間を罪から贖う救い主になることを選び、十字架の道を選びました。


神の計画を正しく知って、その計画に従う時に私たちもサタンに勝利することが出来ます。




死の力に勝利しました




死の力はサタンが持っている一番強い武器です。

罪からの報酬は死です。


どの人間も、サタンの最強の武器である死の力を打ち破ることが出来ないです。


ですからすべての人間は、死の武器の前にひざまずき 死にます。

死は、罪を犯した人間に下るのろいであり刑罰です。



しかし主は、死の力を打ち破り、よみがえりました。


サタンの最強の武器である死よりも 強い武器である “いのち” が主にはあります。

死人を生き返らせるものがあるならば、死を恐れる必要はないです。


復活のいのちは、信じる者に永遠のいのちを与えるという約束が 嘘ではないことを証明しました。



死で終わったならば、永遠のいのちの約束は無効ですが、復活が起きたので有効になります。


信じる者は死を恐れる必要がないです。

いつか永遠のいのちがある体に私たちもよみがえるからです。




主の勝利は自分自身に対する勝利です




十字架を前に主は激しく祈りました。

「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」と三度も祈りながら自分自身と戦いました。



世にある最大の敵は、外にあるのではなく 自分自身です。

絶えず自分の中から出てくる肉の思い、人間的な思いがあります。


自分を優先したい思い、楽な道を歩みたい思い、何もしたくない怠ける心、快楽を求める思いなどが絶えず出て来ます。

その戦いで失敗することが一番多いです。



自身が自分の一番の敵です。

主はそれにも勝利しました。


断食後の誘惑が来た時も勝利し、最後の十字架受難の誘惑にも勝利しました。

このように勝利した主に、父なる神が与えたものは何でしょうか?


【ピリピ2章9-11節】

それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。

それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、

すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。


このように勝利した主には素晴らしい権威と祝福が与えられました。

そして勝利者につく者も その祝福と喜びを共有することが出来ます。


ハレルヤ。 v( ̄∇ ̄)v


2021.4.4
イースター礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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メシヤの受難と勝利

テーマは 『 メシヤの受難と勝利 』 です

【イザヤ書53章1-12節】

私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現れたのか。

彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。

彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。

まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。

しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。

彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。

しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。

彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかったが。

しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。

彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。

それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。


イザヤ書53章は、メシヤであるイエス・キリストの受難の預言が 一番具体的に書かれてあります。


イエス・キリストが受けた受難を思いながら読むと、説明が要らないほど具体的です。

そのままでもメッセージになります。


この預言は メシヤが来られる700年前に預言されましたが、まるで現場を見ているようです。



メシヤが地上に来られた目的は一つだけでした。

罪人である人間を贖うために 自分が贖いのいけにえになるためでした。


誰も予想出来ない神の計画でした。

聞いても理解する者はいませんでした。



人々は神が示したメシヤではなく、自分たちが考えたメシヤを待っていました。

人間が期待するメシヤとは ヒーローのような存在で、突然現れて悪人たちを一瞬に打ち破って困った自分たちを助けてくれる力があり、格好良いメシヤでした。


ですから似ても似つかないイエスという人が自分のことをメシヤと言ったので疑い、拒否しました。


田舎出身で、学歴もなく、貧しく、みすぼらしく、見とれるような姿も、輝きも、見栄えもしない人をメシヤとして信じることは無理でした。

期待を裏切ることなので拒否しました。


奇跡を行ってもそれはサタンの力だと言い、メシヤと認めず、苦しめ、十字架につけて殺しました。






人々を惹きつけるヒーローのような姿で来たら良いのに、なぜ神はみすぼらしい姿のメシヤを遣わしたのでしょうか。


神は、人が見た目を重視することを知っていました。

目の欲があるからです。


ですから敢えてメシヤを、人目を惹くような姿ではなく、信仰がないと信じることが出来ない姿、神のことばを正しく知らないと受け入れることが出来ない姿にしました。


メシヤは人気を得るためのヒーローではなく、罪人たちを救うために犠牲のいけにえになる小羊としての働きをするために来られました。



自分自身を徹底的に低くした理由は、私たちへの愛でしたが、人々の目にはその愛が見えませんでした。


外見だけを見てつまずきました。

今も十字架のキリストをそのような目で見る人々が大勢います。


ですからペテロはこのように注意を与えました。


【第1ペテロ3章3-4節】

あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、

むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。


イエス様の内面を見た人はメシヤとして受け入れます。

主の成長の過程や生涯、そして主が受けた受難とみことばによって見るならば、救い主であることが分かります。


キリストが受けた苦難はすべて、罪を犯した私たちのためでした。


【イザヤ書53章8節】

しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。


【第1ペテロ2章24節】

そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。


罪を犯した人間は、罪の代価を払わないと永遠の死です。


しかし、人間には罪の代価を払うものを持っていないです。


ですからキリストが来られ、ひどい苦しみを受けながら十字架にかかり、血を流して私たちの代わりに罪の代価を払って下さいました。

それを知って自分の罪を告白し、主からの救いの恵みを求める人は罪赦されます。


【マタイの福音書20章28節】

人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」





サタンは人間が罪のまま死んで永遠に滅びることを願っています。

しかし神は 人々を愛するので、すべての人が罪から救われることを願ってキリストを通して、罪の代価を払って、救いの道を完成しました。



完成された救いのわざを信仰で信じるならば、永遠のいのちがある神の御国に招き入れられますが、罪のまま死ぬならば、永遠に地獄で苦しみながら罪の代価を払わないといけないです。


救いの恵みはずっと続くことはないです。

サタンもそれを知って、人間が救われないように不信仰の心を与えています。


死んだら無になることは絶対にないです。


キリスト教は、自分の行いによって天国に入るために頑張るのではないです。


いくら良い行いをしても罪は消えないです。


キリストによって すでに完成された救いのわざを 信仰によって受け入れる時に 罪赦され、キリストの恵みによって天国に入ります。


みなさんは救われていますか?

それとも  まだですか。


救いを受けてほしいです。


アーメン (・∀・)


2021.3.28
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十字架を負う人生

テーマは 『 十字架を負う人生 』 です

【マタイの福音書16章24節】

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。


イエス様は人生の最後に十字架を負ったのではなく、天から下って来た時から すでに十字架を負いました。


そして十字架の道をずっと歩み、十字架にかかって地上での生涯を終えました。

ずっと十字架を負った人生でした。


力もなく権威もなかったからではないです。



だれよりも聖く、誰よりも霊的権威があり、誰よりも偉大な方でした。


神が一番評価する人生は十字架を負う人生です。

それはイエス様が歩んだ人生であるからです。



人々は十字架を負う人生を かわいそうな人生だと思いますが、主は十字架のない人生が一番かわいそうな人生だと言われます。


なぜなら、その人は神と何の関係もないからです。

そして十字架がもたらす祝福がまったくない人だからです。




イエス様は十字架を負う人生を生きるために、まず自分を捨てました




イエス様が捨てた “自分” とはどんな姿ですか?

―― 神という自分です。


【ピリピ2章6-7節】

キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、

ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。


私たちが十字架の人生を歩むために捨てるべき “自分” とはどんな姿ですか?

―― それは古い自分です。


古い自分では十字架の人生を歩むことは出来ないです。

古い自分がそれを嫌がるからです。



どうやってそれを捨てることができるでしょうか?

次の通りにすると捨てることが出来ます。


【ガラテヤ2章20節】

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。


古い人は高慢で、世を愛し、仕えるよりも 仕えられるのを好みます。


イエス様には悪いものがなく、最高の身分である神を捨てたので、人間に仕えることが出来ました。


私たちはそれとは違い、悪い自分を捨てる時に十字架の人生を歩むことが出来ます。



神から人の子になったイエス様は、人々にいつも仕えていました。

罪人の罪を厳しく攻めたのではなく、罪人の悔い改めの声を聞いて 彼らを救い出しました。



小さいこと、些細なことでも無視せずに助けました。

人の痛み、苦しみに共感し、あわれんで下さいました。


他人の重荷を負って下さいました。

受け入れ、忍耐し、慰めました。



【詩篇68編19節】

ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。


イエス様は自分を捨てたので、人々に対しても とても謙遜でした。

謙遜はこのような姿です。


【マタイの福音書20章26-28節】

あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。

あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。

人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」


イエス様は父なる神のみことば通りの人生を歩みました。

ですから十字架で贖いの業を完成することが出来ました。



十字架の人生は神のみことばに従って歩む人生です。


ペテロが 十字架を負わないように主を止めた時に、主はとても厳しい言葉でこのように言いました。

「下がれ、サタン。あなたはわたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」



サタンは、私たちに辛い十字架を負わないで、気楽に生きるように勧めます。

そのように邪魔をします。


イエス様は私たちに “自分の十字架を負ってついて来なさい” と命令しておられます。

それが御心に従う道、いのちを得る道、栄光を受ける道だからです。



全世界を手に入れても、永遠のいのちがないならば、多くの財産が何になるでしょうか?


私たちにいのちを与えるために イエス様は十字架を負いました。

私たちは、その命を得るために自分の十字架を負ってイエス様に従います。


アーメン (・∀・)


2021.3.21
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神の深い愛を経験しよう

テーマは 『 神の深い愛を経験しよう 』 です

【第1ヨハネ4章9-11節】

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。

クリスチャンが神の愛が何かを知らないならば、信仰に対して何も知らないのと同じです。


なぜなら神は愛だからです。

神を信じる信仰とは、神を愛することです。


他人から恋人関係になるのは、2人が恋に落ちた時からです。

1人だけ愛しているならば、それは片思いの愛であり、恋人にはなっていないです。



神は愛で、私たちを愛しています。

それだけでは私たちが神の愛を知ることは出来ないです。


私たちが主のように自分をささげるまでは 神の愛を知ることが出来ないです。


神から愛されている実感がないと思っているならば、自分が神を愛していないことです。




愛は火のように熱く、死のようにまた真剣です。


1人の女性を愛した2人の男性が、その女性を得るために命を懸けて決闘したことは昔から聞いています。

それほど愛に最高の価値を置いた若い世代がいました。


もちろん今も愛に命を懸けている者もいると思います。



人々がこの世で不満、苦しみ、悲しみの中で生きている理由は、自分たちに対する神の愛がどれほど大きくて素晴らしいかを知らないからです。


雅歌8章6-7節にある愛です。

愛がどんなに強いものであるかを見せてあります。



【雅歌8章6-7節】

私を封印のようにあなたの心臓の上に、封印のようにあなたの腕につけてください。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。

大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。もし、人が愛を得ようとして、自分の財産をことごとく与えても、ただのさげすみしか得られません。


人間が先に神を愛したことは一度もありません。

神が先に私たちを愛しました。


私たちが罪の中で神に敵対しているのに、それでも愛し続けておられるのが神です。



使徒パウロは、神の愛がどれほど熱い愛かを経験した人でした。


神の教会をつぶし、聖徒たちを激しく迫害したのに、神は怒りではなく、愛の手を彼に差し伸べました。

パウロはその愛を受け入れました。


そして自分も命を懸けて主を愛しました。

ですから神の愛を経験し、このように語りました。



【ローマ8章38-39節】

私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、

高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。


父なる神の愛は、ひとり子イエス・キリストを世に遣わし 十字架につけて、その血で私たちを救い出した “血の愛” です。


すなわちその愛は、キリストの死に現れました。

キリストはなだめの供え物として来られました。


私たちの罪のために いけにえとしてキリストがささげられたことを軽く考えてはいけないです。


そこには命を懸けた愛があるからです。






レビ記の中にいけにえとして ほふられる家畜が どんなにひどい目に会うのかを考えるならば、神の愛、キリストの十字架、罪の赦しが どれほどすごいものであるかを実感することが出来ます。


神にとって一番の苦しみは、人々が神の熱い愛に対して反応しないことです。



神の愛が熱い分、その愛をいつまでも無視する人に対しては、神の怒りが同じくらい燃えることも知らないといけないです。


律法の中で一番大切な戒めが次の箇所です。


【マタイの福音書22章37節】

そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』


私たちの中に 少しでも愛があるのは、私たちの心に神の愛が先に感動を与えて下さったからです。


十字架を見上げて主の愛を深く考えるならば、私たちに対する神の愛の大きさに圧倒されて、神を愛せずにはおられなくなります。



神様よりも大きな愛を体験したことがありますか?

神よりも大きな愛を持っている者は存在しません。


本当のクリスチャンは 神の愛に感動して、愛のとりこになって神だけを愛して生きることを決心した人です。



暗闇の中で滅びに向かって歩んでいる者たちを目覚めさせたのも神の愛です。

神の愛を深く知ることが何よりも大切です。


主の御座に近づく者は、もっと主の愛を知ることが出来ます。

主は私たちだけを見て愛して下さいました。


ですから、私たちも神しかいないかのように生きると、毎日 主の深い愛を経験しながら生きることが出来ます。



神への熱い愛も、隣人に対する愛の行為もない人生は、むなしく喜びもないです。


神の愛を経験してみて下さい。

経験すると信仰、生き方、人生、死に対する考え方がすべて変わります。


そしてその愛で本当に心が満たされていきます。


アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2021.3.14
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つまずいても、つまずきを与えてもいけない

テーマは 『 つまずいても、つまずきを与えてもいけない 』 です

【イザヤ書8章11-16節】

まことに主は強い御手をもって私を捕らえ、私にこう仰せられた。この民の道に歩まないよう、私を戒めて仰せられた。

「この民が謀反と呼ぶことをみな、謀反と呼ぶな。この民の恐れるものを恐れるな。おののくな。

万軍の主、この方を、聖なる方とし、この方を、あなたがたの恐れ、この方を、あなたがたのおののきとせよ。

そうすれば、この方が聖所となられる。しかし、イスラエルの二つの家には妨げの石とつまずきの岩、エルサレムの住民にはわなとなり、落とし穴となる。

多くの者がそれにつまずき、倒れて砕かれ、わなにかけられて捕らえられる。

このあかしをたばねよ。このおしえをわたしの弟子たちの心のうちに封ぜよ。」


聖書は私たちに警告しています。

つまずいてもならないし、つまずきを与えてもならない と。


「それがそんなに重要なことですか?」と疑問を持つ人がいるかも知れませんが、とても重要であるので 主は何度も警告しました。


つまずくことは、自分で勝手に引っ掛かり倒れることもあれば、人を引っ掛けて倒す人もいます。



信仰につまずく結果は地獄です。

最後のさばきの時はつまずいた者も つまずきを与えた者も 主の前で言い訳をしても、それは通らないです。


永遠のいのちと天国とも関連があるので、とても重要です。


二つの大きなつまずきがあります。

イエス様に対するつまずきと、人間に対するつまずきがあります。




イエス様に対するつまずき




今日のことばはメシアに対する預言です。

預言の中で、イスラエルの人々がメシアにつまずくことが預言されました。


そしてメシアに対する正しい知識を持たなかった多くの者がつまずきました。

彼らの姿をみてイエス様はこのように語りました。


【マタイの福音書11章6節】

だれでもわたしにつまずかない者は幸いです。


なぜ待ち望んだメシアなのに、メシアとして来られた主を受け入れず つまずいたでしょうか?

それは彼らのことばで原因を知ることが出来ます。



まずはイエス様が育ったナザレの町の人々のつまずきの原因です。


【マタイの福音書13章53-58節】

これらのたとえを話し終えると、イエスはそこを去られた。

それから、ご自分の郷里に行って、会堂で人々を教え始められた。すると、彼らは驚いて言った。「この人は、こんな知恵と不思議な力をどこで得たのでしょう。

この人は大工の息子ではありませんか。彼の母親はマリヤで、彼の兄弟は、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではありませんか。

妹たちもみな私たちといっしょにいるではありませんか。とすると、いったいこの人は、これらのものをどこから得たのでしょう。」

こうして、彼らはイエスにつまずいた。しかし、イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、家族の間だけです。」

そして、イエスは、彼らの不信仰のゆえに、そこでは多くの奇蹟をなさらなかった。


田舎の貧しい家で生まれ、教育もまともに受けたことのない者がメシアのはずがない と思いました。

もしイエス様が王や貴族の息子であったならば人々はメシアとして認めたと思います。


神がメシアの姿を教えたにも関わらず、彼らは自分たちの判断や考えでみことばを退け、つまずきました。



また多くの弟子たちは、イエス様が「わたしは天から下って来たいのちのパンである」と教えただけで変人扱いし、悪口を言ってつまずき離れ去りました。


またある者たちは、十字架で苦しみながら死んだ主を 無能で力がなく、自分も救うことが出来ない者がメシアのはずがない と思ってつまずきました。


「メシアは十字架の苦しみを受ける」 と預言されたにもかかわらず、十字架につまずきました。


【第1コリント1章23-24節】

しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、

しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。


神の御言葉の上に立たず、自分の考えや偏見、判断に頼る者は必ずつまずきます。


それが本人にとって信仰を邪魔し、罠になり、救いから遠ざけるので、結局は自分で呪いの道を選ぶようになります。


そのため、神のことばにあるメシアの姿とイエス様の姿をよく知る必要があります。




人に対してのつまずきと警告




人に対しては、つまずきを与えたり つまずいてもいけないです。


この警告を無視すると、後につまずくことになります。

なぜなら主がこのように警告したからです。


【マタイの福音書24章10節】

また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。


【ルカの福音書17章1-2節】

イエスは弟子たちにこう言われた。「つまずきが起こるのは避けられない。だが、つまずきを起こさせる者はわざわいだ。

この小さい者たちのひとりに、つまずきを与えるようであったら、そんな者は石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです。


イエス様は、「偉大な人をつまずかせてはならない」と語ったことは一度もありませんでした。

いつも “小さい者” ということばを使いました。


小さい者とは、子どもや見下された人、貧しい者、弱い者など 社会的に弱者のことです。

見下げられやすい人たちのことです。



イエス様が地上に来られた目的を見ると、主のこころが分かります。


【ルカの福音書4章18-19節】

「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、

主の恵みの年を告げ知らせるために。」


ですから小さい者につまずきを与えることは、主の救いの働きを妨害する者になります。


【マタイの福音書18章6-7節】

しかし、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましです。

つまずきを与えるこの世はわざわいだ。つまずきが起こるのは避けられないが、つまずきをもたらす者はわざわいだ。



自分がもつ権利と自由で 人につまずきを与えてもいけないです




【第1コリント8章9節】

ただ、あなたがたのこの権利が、弱い人たちのつまずきとならないように、気をつけなさい。


【第1コリント8章13節】

ですから、もし食物が私の兄弟をつまずかせるなら、私は今後いっさい肉を食べません。それは、私の兄弟につまずきを与えないためです。



主の働きをしている中でも 人につまずきを与えないように気をつけることです




【第2コリント6章3-4節】

私たちは、この務めがそしられないために、どんなことにも人につまずきを与えないようにと、

あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。すなわち非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、



つまずきを与えないために、つまずかないために すべきこと




嫌なことされても、自分で仕返しをしない、誘惑されても罪を犯さない、他人が間違った信仰を持っていても 自分の信仰まで捨てる必要はないことを心に留めることです。


悪いものが心に入ると 苦い根を下ろすので、定期的に心を点検して苦い根を取り除くことです。

罪と死の影響を受けないためです。


また、聖霊に満たされることです。

満たされないと すぐに人を非難したり、傷を受けたり、誘惑を受けやすくなり、惑わされてしまいます。


油断してはいけないです。


【ヘブル12章15節】

そのためには、あなたがたはよく監督して、だれも神の恵みから落ちる者がないように、また、苦い根が芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりすることのないように、


つまずきの罪をいつも警戒して、神の恵みと救いにとどまりましょう。


アーメン ( -д-)ノ


2021.2.7
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アドナイ・イルエ ~もう一人のアブラハム~

テーマは 『 アドナイ・イルエ ~もう一人のアブラハム~ 』 です

【創世記22章1-14節】

これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に、「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は、「はい。ここにおります」と答えた。

神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」

翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、ふたりの若い者と息子イサクとをいっしょに連れて行った。彼は全焼のいけにえのためのたきぎを割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ出かけて行った。

三日目に、アブラハムが目を上げると、その場所がはるかかなたに見えた。

それでアブラハムは若い者たちに、「あなたがたは、ろばといっしょに、ここに残っていなさい。私と子どもとはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻って来る」と言った。

アブラハムは全焼のいけにえのためのたきぎを取り、それをその子イサクに負わせ、火と刀とを自分の手に取り、ふたりはいっしょに進んで行った。

イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」すると彼は、「何だ。イサク」と答えた。イサクは尋ねた。「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」

アブラハムは答えた。「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」こうしてふたりはいっしょに歩き続けた。

ふたりは神がアブラハムに告げられた場所に着き、アブラハムはその所に祭壇を築いた。そうしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置いた。

アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした。

そのとき、主の使いが天から彼を呼び、「アブラハム。アブラハム」と仰せられた。彼は答えた。「はい。ここにおります。」

御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」

アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。

そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「主の山の上には備えがある」と言い伝えられている。


今日は皆さんがよくご存知の創世記22章に出てくるアブラハムとイサクの話をしたいと思います。

「あ、またその話か」と思うかもしれないのですが、ぜひ聞いてほしいです。



創世記22章に書いてあるように、アブラハムは神様に「一人息子のイサクをささげなさい」と言われて、朝一に起きて、イサクとともに神様に指定された山に登り、イサクをささげようとしました。


実際にイサクを薪木の上に置き、縄で縛り、殺そうとした時に 神様がアブラハムの手を止めました。


神様はアブラハムが誰よりも神様を第一にして、愛するその愛の姿、また、神様の御言葉、約束を信じたそのアブラハムを見て、その信仰をほめました。



この話は、新約聖書でも伝えられ、アブラハムはその信仰のゆえに、信仰の父と呼ばれています。


何一つ神様に文句も言わず、疑問も問いかけず、神様の言葉の通りに実行するほどの大きな信仰を持っていたアブラハムの姿は、私たちが見習うべき姿でもあります。






しかし、ここで もう一つ知っておきたいことがあります。


実は聖書ではアブラハム以外にもう一人、自分の愛する一人子をささげた人がいます。

しかも、その人の息子は、イサクのように殺される寸前で助かったのではなく、本当に殺されてしまったのです。



それは、父なる神と、そのひとり子イエス・キリストです。


アブラハムは神様のために、愛するひとり子イサクをささげました。

神様は私たち罪人のために、愛するひとり子イエスをささげました。


イサクは自分がこれから死ぬことも知らず、モリヤの山に自分が上に乗るための薪を担いで登っていきました。



イエスは自分がこれから死ぬことをすべて知りながら、その為にこの世に来て、人々にムチ打たれ、縛られ、自分がつけられる十字架を背負えないほど傷つけられ、代わりにシモンというクレネ人が イエスの十字架を背負い、ゴルゴダの丘に登っていきました。


神様は、愛するひとり子よりも、何よりも神様を愛するアブラハムの信仰を見て、アブラハムがイサクをほふろうとしたのを止めて、イサクを救いました。



神様は、誰よりも私たちを愛するために、ひとり子イエスが十字架にかかり、ムチ打たれ、釘を刺され、血を流し死んでいく姿を見ながらも止めずに、イエスを代わりに死なせ、私たちを救いました。


それが神様の愛です。

ひとり子イエスを死なせてまで、私たちを救われたのは、神様の愛なのです。


神様は、罪人が神様に立ち返り、その罪を洗い清めるために、すべての罪の代価を自分のひとり子イエスに着せたのです。


罪にまみれた私たちが、神様の前に出る価値、資格すらない私たちが、神様と和解するために、何の罪もない、裁かれる必要もなく、苦しむ必要も 死ぬ必要もまったくなかったイエス様が私たちの代わりに、罪の代価をすべて払ってくれたのです。






神様はアブラハムの時のように、イエスを十字架にかけることを止めることもできたのです。


そもそもこの世にイエス様が来ないようにすることもできました。

だけれども、それをやめませんでした。



もしイエス様がこの世に来ず、十字架にかけられず、三日目に蘇らなければ私たちがそのまま滅びていくからです。


神様は私たちのために、自分のひとり子イエスが十字架にかけられ、死ぬことをストップせず、また、イエス・キリストもすべての痛み、苦しみを全部受け止めて、最後までそのミッションを果たしたのです。


そのミッションは急に決まったのではありません。

人が初めて造られ、その人が神様に初めて歯向かい、罪を犯し、自分の姿を見るのも 見せるのも恥ずかしくなって神様から逃げた時に、神様はイエス様を送ることを決意しました。



私たちが一番恥ずかしい時、神様から遠ざかった時、神様よりも偉くなりたいと思った時、自分たちのことで頭がいっぱいになっているその時に、逆に神様は私たちを愛するがゆえに、イエス様をこの世に送り、十字架にかけさせることを決めたのです。


このアダムとエバが罪を犯した時に、アダムとエバ、蛇、それぞれに裁きがありましたが、それと同時に神様が約束されたことがありました。

それは、蛇に対して言った言葉の中にありました。


【創世記3章14-15節】

そこで、神である主は女に仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。」女は答えた。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。」

神である主は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。


アダムとエバの子孫が、蛇の頭を砕いて、蛇はその彼のかかとにかみつくと。

つまりは、のちに来るイエス・キリストが、蛇の頭を砕いて勝利する、と。


そこに勝利があります。

ただ、そこには「彼のかかとにかみつく」、つまり “キリストも攻撃を受けるんだ” という言葉がありました。






人間が神様に一番歯向かった時、そのまま滅ぼされてもおかしくなかったその時に、神様が決断されたこと、それはひとり子のイエス・キリストを送り、苦しみを負わせるが、人間を罪の道へと走らせた悪魔の頭を砕き、完全勝利するということ。


神様はそれを約束されたのです。

人間が何か良いことをしたから、神様の御心にかなったから、イエス様がこの世に来たのではありません。


それはただ、神様の愛であり、許しであり、神様が初めからそうすると決めたからなのです。


【創世記3章21節】

神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。


神様は私たちが罪を犯して一番恥ずかしく、一番だめな時に、私たちの罪を、私たちの恥ずかしい姿を覆い、隠すために、皮の衣を作ってくれました。


私たちのために作ってくれたその皮の衣は、動物の犠牲がありました。

私たちのために、ほかの者の命が犠牲になったのです。


これは のちに罪の贖いをするために来られるイエス様を象徴しています。



初めから、私たちの罪を覆い、恥ずかしさを覆うために、ほかの大切な命を犠牲にすること、そうすることを神様が決められたのです。

神様はそうせずに、人間を滅ぼすこともできました。


しかし、神様はイエス様を十字架にかけて私たちを救うことを決意し、イエス様も最後まで逃げることもせず、やめることもせず、初めに神様がした愛の決断をそのまま守り抜き、やり通すことを決めて、十字架の上で私たちに愛を示されました。

なぜそこまでしたのでしょうか。


【第1ヨハネ4章9-10節】

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。


理由はただ一つです。


神様が私たちを愛し、私たちの罪を赦し、私たちを生かすため、その大きな愛ゆえにこの世界に来てくれたのです。


それが、私たちの信じる、私たちがお祝いをするイエス・キリストの姿なのです。

クリスマスは、ただのお祝いや、イベントごとではありません。


神様の決意、イエス様の決意があり、その大きな愛を私たちが受け取る日なのです。

アドナイイルエ、神様が備えてくださった 十字架の救い、神様の愛を受け取りましょう。


このクリスマスまでの期間、神様の愛、イエス様の決意についてもう一度深く考え、その愛を受け止めていましょう。


アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2020.12.13
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十字架を負うことの意味

テーマは 『 十字架を負うことの意味 』 です

【マタイの福音書16章24節】

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

実際に人がかかる大きさの十字架を負ったことがありますか。


人がかかるということは、高さは2メートル以上必要ですね。

横棒だけで40キロ~50キロはあるらしいです。


ですから十字架は、私たちが想像する以上に 重たく背負って歩くことは本当に大変です。

自分の十字架を負って、ついて行くことの難しさが分かります。



教会に来ると、(講壇の)前に十字架があるので、私たちは十字架を見ることには慣れています。


しかし主は「十字架は見るのではなく、負うことだ」と教えて下さいました。

主の十字架を考えるならば、十字架の意味がはっきりと分かります。



主が十字架にかかったのは 罪人を贖うためでした。


それでイエス様は自分の十字架を負いました。

負う前に次の箇所のように父なる神に切に祈りました。


【マタイの福音書26章39節】

「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」


この祈りだけで、汗が血のしずくのようになりました。

全身に力が入ったことが分かります。


そこで主は自分を捨てました。


すでに目に見えない十字架を負い、
まず自分の思いを十字架につけ、心から血が流れました。


その後に十字架を負って死ぬ場所に向かうことが出来ました。






自分を捨てないと自分の十字架を負うことは出来ないです。

次の箇所は自分を捨てる十字架です。


【ガラテヤ書2章19-20節】

「しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。

私はキリストとともに十字架につけられました。


自分を捨てた人が 自分の十字架を負って、主について行くことが出来ます。


十字架は私の代わりに誰かが負うことは出来ないです。

自分の十字架は自分で負わないといけないです。


“イエス様が負ったから 私は負う必要がない” と思うことは間違いです。



十字架が意味するものは、苦難と犠牲と献身です。


十字架がないことは、それら(苦難、犠牲、献身)がないことを意味します。



十字架を負ってついて来なさいと言われたのは、『苦難と犠牲と献身を覚悟してついて来なさい』 という意味です。


まっすぐに立って十字架を負うことは出来ないです。

体を低くしないといけないですが、それは身を低くし苦難を覚悟し、自分を犠牲にし、主に献身することです。



それが主の要求することです。

それがイエス様に似た姿であり、信仰生活であり、弟子の姿です。


今も主の十字架を見るだけで満足する人、自分の十字架を負う準備が出来ていない人、負う気がない人が多いです。


いつになったら主の要求に応じますか?

アーメン ヽ(TдT)ノ


2020.11.8
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肉の人から霊の人ヤコブへ

テーマは 『 肉の人から霊の人ヤコブへ 』 です

【イザヤ書41章8節】

しかし、わたしのしもべ、イスラエルよ。わたしが選んだヤコブ、わたしの友、アブラハムのすえよ。

【イザヤ書41章14節】

恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。わたしはあなたを助ける。──主の御告げ──あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。


今日のことばは神がイスラエルの民に向かって語ることばですが、そこにヤコブという名前が出てきます。

ヤコブとイスラエルは同一人物です。


元々の名前はヤコブですが、神が彼に「イスラエル」という名を与え、それが後に国の名前にもなりました。


ヤコブという名前がイザヤ書には何度も出てきます。

神はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼ばれました。






ヤコブは最初から霊の人ではありませんでした。

肉の人でした。


神は彼を霊の人にするために厳しい試練の中に導きました。


ヤコブは遠くに住むおじラバンの家で20年間労苦しました。

ヤコブが愛したラバンの娘ラケルを得るために14年間も働きました。


また羊の世話に6年間も仕えました。

重労働の日々でした。


その時の苦しさをヤコブはこのように言いました。


【創世記31章38-42節】

私はこの二十年間、あなたといっしょにいましたが、あなたの雌羊も雌やぎも流産したことはなく、あなたの群れの雄羊も私は食べたことはありませんでした。

野獣に裂かれたものは、あなたのもとへ持って行かないで、私が罪を負いました。あなたは私に責任を負わせました。昼盗まれたものにも、夜盗まれたものにも。

私は昼は暑さに、夜は寒さに悩まされて、眠ることもできない有様でした。

私はこの二十年間、あなたの家で過ごしました。十四年間はあなたのふたりの娘たちのために、六年間はあなたの群れのために、あなたに仕えてきました。それなのに、あなたは幾度も私の報酬を変えたのです。

もし、私の父の神、アブラハムの神、イサクの恐れる方が、私についておられなかったなら、あなたはきっと何も持たせずに私を去らせたことでしょう。神は私の悩みとこの手の苦労とを顧みられて、昨夜さばきをなさったのです。」

神はなぜヤコブをおじラバンの家に送ったでしょうか。

母の提案でしたが、神がその中で働きました。


ヤコブを孤独にさせ、誰にも頼らず、神だけに頼る霊の人にするための計画でした。


神は誰とも歩む方ではありません。

神から顔をそむける人、自分の力に頼って生きる人とは共に歩まない方です。



ヤコブは労苦と孤独の中で、離れた故郷や両親のことを思いながら、神を求める者になりました。


霊の人、神のしもべになる人は神に目を向け、神を慕い求めないといけないです。

自分の肉を十字架につけないといけないです。


そして神が与えた使命の十字架を負って狭い道、厳しい道を歩まないといけないです。


それが神の栄光のために生きる人生であり、神の御心に従って歩む道です。




虫けらのヤコブは自分の肉の弱さやみじめさを知り、神を切に求める者になりました。


ヤポクの渡しで夜通し、ある人と格闘しました。


神の使いでしたが、その時、ヤコブはこう言いました。

「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」


切に神を求める姿がありました。

そこで虫けらのヤコブはイスラエルという名を神からもらいました。



神を知れば知るほど、求めれば、求めるほど、神はその人に患難も苦しみも与えますが、その中で霊の人に変え、祝福の道具として用いて下さいます。


神は神の計画や神のみこころを霊の人を通して行いますし、神を現します。


強い者にして、世の権力者の前でも大胆な者にさせます。


霊の人はこの世に勝つ信仰ある人です。

アーメン v( ̄∇ ̄)v


2020.11.1
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誰を赦そうとしたのか

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【ルカの福音書23章33-34節】

「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。

そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。

イエス様が十字架にかかった場面を想像して下さい。


小高い丘には十字架が三本ありました。

二人の犯罪人とイエス様です。


大勢の人々がその光景を見に集まっていました。

悲しみながらその死を見守っているのではなく、自分たちの勝利に歓声をあげている者たちがほとんどでした。


彼らは総督ピラトの所にイエスを連れて行き、「十字架だ。十字架につけろ。」と叫び続けていたので、自分たちの願い通りになったことで喜び、勝利に酔っていました。


そして指導者たちは嘲笑って、「あれは他人を救った。もし神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」と言いました。


他にも「ユダヤ人の王なら、自分を救え。」「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え。」と嘲笑いました。



あらゆる声が聞こえましたが、それにイエス様は一切反応することなく祈りました。

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」


これは誰のために祈ったでしょうか?


自分に罪をかぶせたパリサイ人や宗教指導者たちですか。

自分に死刑判決を下したピラトですか。

鞭打って十字架につけたローマの兵士たちですか。

自分を裏切って逃げた弟子たちですか。

恩知らずの群衆ですか。


イエス様が父に赦して下さいとお願いした人々は、自分が何をしているのか分かっていない人たちでした。


すなわち、自分が神の子を殺していることを知らない人たち、
律法を守り 正義と公義を行わなければならないのに 自分たちの既得権と貪欲な心でそれを捨てた者たち、
自分たちの罪のために十字架にかかって血を流していることを知らない者たち、
偏見をもって誤った判断をした者たち、
神に敵対しているすべての者たちのために、イエス様は父なる神に赦しを祈りました。



苦しみの中で自分のために祈るのが当たり前なのに、また人々を呪っても仕方ないような状況の中で、イエス様は自分が何をしているのか分からない人々のために 父に祈っていました。



主の愛と赦し、犠牲、忍耐は十字架の上での祈りにすべて現れました。


これでもキリストを嘲笑いますか。

拒みますか。


「キリストの十字架は、私とは何の関係もない」と言いますか。


【第1ペテロ2章22-24節】

キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。

ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。

そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

アーメン ヽ(TдT)ノ


2020.9.13
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私たちのアイデンティティ

テーマは 『 私たちのアイデンティティ 』 です

突然ですが、あなたの自己紹介をしてください。


仕事や、家事、育児が忙しくなると、時間に追われ、一生懸命にタスクをこなすと、気づけば一日が終わるのです。

忙しい日々に忙殺され始めると、そのうち私たちは、心も渇き、何か問題があるとそればかりを考えてしまって、憤りを感じるのです。


毎日を生きるだけで精いっぱいになり、そのうち何で生きているのかすらわからなくなったり、もはや何も考えずにただ日々を送るだけになったりしてしまうのです。



そうなると、どうなるでしょうか。

神様の声よりも、人々の声の方を考えて、心がそっちに向いていきます。


そうなると、自分が本当は何者であるのかを忘れ、人から言われる姿をまるでそのようだと勘違いしていくのです。


どんどん苦しくなっていくのです。

一度立ち止まってみてください。


あなたは、本当はどんな人なのでしょうか。

本当はどう生きていくべきなのでしょうか。


今日は、私たちが本当は何者であるのかを知っていきましょう。






しっかりアイデンティティを知ることは、私たちが本来はどんな生活を、どんな人生をどのように生きるべきかを教えてくれ、その道へと導いてくれます。


本来のあるべき姿を生きることによって、私たちの人生の豊かさや、心の平安も変わっていくのです。

一度立ち止まって、聖書を読みながら知っていきましょう。


【エペソ2章10節】

私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。

私たちは、神様の作品です。


一人一人、神様が造った作品です。

神様は私たち一人一人を、目的を持って造られました。


また、大きな目的の一つとしては、ここに書いてあるように「良い行ないをする、歩む」ことであり、また、それは私たちが自分の力で何とか頑張るのではなく、神様から力を受けて、私たちができることをするのです。


私たちの大前提として、私たちは神様の作品であるということをまず覚えておきましょう。


誰かがあなたのことを悪く言おうが、あなたのことを否定しようが、私たちは神様によって目的を持って造られた、一人一人大切な神様の作品なのです。






神様が造ってくださったことを覚え、また、私たちが神様に造られたどんなものであるのか、さらに詳しく、私たちのアイデンティティについて考えていきます。


ところで、先ほど自己紹介をしてください、と言いましたが、聖書でもたくさん自己紹介が載っています。


その人の名前を述べる前に、言うことがあります。

聖書ではよく「ヌンの子ヨシュア」、「アモツの子イザヤ」など、父親の名前をまず紹介してから、その人の名前を紹介します。


では、私たちはどうでしょうか。

私たちは誰の子なのでしょうか。


【ヨハネの福音書1章12-13節】

しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。

【第1ヨハネの手紙3章1-2節】

私たちが神の子どもと呼ばれるために、──事実、いま私たちは神の子どもです──御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。

愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現れたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。


誰かの娘や息子であったり、誰かの妻や夫であったり、あるいは誰かの母親や、父親、また、どこかの会社の一員であったり、学校の生徒である前に、まず第一に、あなたは神様の子どもなのです。


神に選ばれて、神によって生まれた、神の子どもなのです。

私たちが今、自分の名前を紹介するならば、「神の子〇〇」となるのです。


肉の親も もちろんいますが、私たちは、私たちの魂を造られたお父さん、神様の子どもなのです。






さて、神の子どもである私たちは、神様にとってどのような子どもなのでしょうか。

2つのポイントを今日は見ていきます。


【エペソ5章1節】

ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。

また、愛のうちに歩みなさい。



キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。


私たちは神様の子どもであり、神様によって愛されている子どもなのです。

私たちへの神様の愛は私たちが想像できるよりもはるかに大きく、深いです。


私たちを愛してくれているのは、私たちが何か特別なことをしたから、素晴らしいことをしたからではないのです。


イエス様が一番私たちへの愛をはっきり表してくれた、その十字架は、私たちが神様のことを求めず、否定し、共に生きず、自分が好きなように罪を犯しまくっていた時、そんな時に示してくれた愛なのです。



私たちがイエス様に何かをしたからじゃない。

イエス様に尽くしたから愛してくれた訳じゃない。

私たちの見た目がきれいだからじゃない。

中身が、性格がきれいだからじゃない。


ただ、そのままのあなたを神様が赦し、受け入れ、愛すると決めたからです。


神様が愛すると決めたから、愛し抜くと決めたから、私たちが一番恥ずかしい瞬間、みじめな姿、汚い姿も全部知ったうえでも、それでも、私たちを受け入れ愛してくれるのが、私たちの父、神様なのです。


私たちはその神様に愛されている子どもなのです。






その大きな愛を知った時、その愛に触れられた時に、私たちは神様のことを愛し、周りの人のことも愛し、赦せるようになるのです。


神様は何もなく突然、「赦しなさい」「愛しなさい」という命令を先に出したのではないです。

その前の部分が、大前提がとても大切なのです。


私たちが人々を赦し、愛し、親切にできるのは、神様が先にそうしてくれたからなのです。


私たちが神様によって愛されているから、だからこそ私たちも神様が愛してくれたように周りの人々を愛するべきなのです。

また、その愛は赦しの愛です。


【エペソ4章32節】

お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。


エペソ人への手紙では、パウロは最初ひたすら神様の愛について話しています。

どのように神様が私たちを愛して、救ったか、それをずっと語っているのです。


その愛をしっかり自覚すること、受け入れてかみしめることがまず必要です。

そこから初めて私たちは周りの人々を愛し、赦すことができるのです。


それが、神様が私たちを神様の作品として作り、神様の愛する子どもとして、私たちの生きるべき姿なのです。


私たちがどのように生きるべきか、何をすべきかを考える時、忙しさ、何か問題の中で憤りを感じる時に、まずは神様と向き合うことが大切なのです。



神様ファーストにすることによって、私たちの生きるべき姿が見えてきますし、神様の愛を受けて初めて、周りの人を愛すことができます。

私たちが隣人を愛し、赦せるのは、神様が私たちを愛し、赦してくれたからです。


その隣人が私たちをまず愛したわけでもなく、よくしてくれた訳でもなく、赦しを求めてきた訳でもない。


それでも、その人を赦し、愛することができるようになるのは、私たちが神様の愛と赦し、その大きな恵みを知っているから。

それを体験したからなのです。


神様が私たちを赦してくれたから、だからこそ私たちも私たちの周りの人を赦すのです。






人への怒りや、恨み、憎しみをすべて捨て、赦し、また、愛することは、決して簡単ではないけれど、神様の愛があるから、神様の大きな愛を受けているから可能なことです。


人を赦せないと思った時、何か問題があった時、その時はまずあなたは神様から愛されている子どもであることを思い出してください。


私たちが謝り、反省し、赦しを必死に請う前に、先にイエス様はあなたを愛され、あなたの罪が赦され、あなたが生きるために、代わりにイエス様はご自分のいのちを十字架で捨てたことを思い出し、黙想してください。


それほどまでに、あなたはイエス様によって愛されているのです。



その愛が、あなたに触れる時、あなたもイエス様があなたを愛したように、人々を愛すことができるのです。


私たちの力でするのではなく、神様の愛によって愛することなのです。

その愛によって、私たちの周りの人も神様の愛を見るようになるのです。


神様の子どもとして、愛されている子どもとして、人々を愛していくべきであるということを見てきましたが、もう一つ合わせて見ておきましょう。


【エペソ5章8節】

あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。


私たちは神様によって生まれた、光の子どもなのです。

それが私たちのアイデンティティです。


暗闇、つまり罪は常に私たちを追ってきます。

しつこく影のように追ってきます。



私たちは、信仰が強い時、燃えている時はまだ罪を拒否することができます。


でも少しでも揺らぐと、「あぁ、結局私はまた負けてしまうんだ。罪を犯したくないのに犯してしまうんだ」と思い、苦しい思いをしながらもまた同じ罪を繰り返してしまいます。


罪を断ち切ることは簡単なことではないです。


あのパウロさえも、ローマ7章19-20節で


「私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。

もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。」

と言っているほどです。


しかし、私たちはその罪の下には、その暗闇の下にはもういないはずで、主にあって光に移され、光の子どもとなったはずなのです。


自ら暗闇に戻っていく必要もないですし、暗闇に支配される必要もありません。


【エペソ5章14節】

明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」





光の子どもとして生きるのは自分の力でできるもの、自分で光を放てるのではありません。


キリストに近づき、キリストの光によって照らされることによって可能なのです。

罪から離れ、キリストに近づくことです。


私たちとキリストは月と太陽のようです。

月である私たちは、私たちだけでは光を放てませんが、太陽であるキリストによって照らされるのです。


勇気を持って、その罪を捨てましょう。


私たちにふさわしくないからです。

私たちは罪を行うために生まれたわけでも、そのために生きているわけでもない。



私たちが生きているのは光の子どもとして、愛されている子どもとして、良い行ないを行い、神様を愛し、また人々を愛するために生きているのです。


この暗闇の中で、暗闇として生きるのではなく、光である神様とともに生き、キリストの光によって照らされ、光の子どもとして生きましょう。



光の子どもとして、罪を捨て、罪の中ではなく、神様の中で生き続けるために、覚えておくべきことが一つあります。


それは、私たちが罪を行う時に、私たちよりも神様が、聖霊様が悲しまれていることです。


【エペソ4章30-32節】

神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。

無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。

お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。


私たちが罪を犯すとき、罪の中で生きる時、私たちだけが苦しい思いをしているのではありません。

何よりも、私たちの中に住まわれる聖霊様が悲しむのです。


「娘よ、なぜそうするのか」「息子よ、私が一緒にいるのではないか」「一緒に生きているのに、私のことを見向きもせず、その罪の方を選ぶのか」と、聖霊様が悲しむのです。


私たち以上に、苦しく、悲しい思いをするのです。


それでも、あなたの目の前にあるその罪は、神様以上に、一緒に心の中に住まわれている聖霊様以上に価値があるもの、捨てられないものですか。


神様を悲しませてもいいと思えるほど、必要なことなのですか。

すべきことなのですか。


罪の誘惑が来た時、十字架の前に出てきてください。

そのイエス様の愛を見てください。


あなたの中に住んでいる聖霊様を見てください。


こんなに愛してくださる方を裏切ってもいいのか、悲しませてもいいのか、それでも私は喜ぶのか、それでも何よりもその罪の方が大切なのか、そう考える時、その罪を手放せるようになります。

捨てることができます。


罪を見ていても、ただ腹が立ったり、悲しくなったり、苦しくなりつらくなるだけです。






私たちが見るべきは罪ではなく、十字架であり、聖霊様と向き合うことなのです。


光の子どもとして、一切の闇を捨てましょう。

捨て去りましょう。


あなたがその罪を捨てる時、聖霊様はきっと喜んでくださいますし、私たちの心に平安が来、心が解放されるのです。


罪を捨てて生きることは、光の中に歩み、罪から解放されて、心に平安が来て、生きることなのです。


それが私たちの本来の生きるべき姿なのです。



最後にもう一度言います。


自己紹介をしてください。あなたは誰ですか。


今日学んだこと、悟ったことをしっかり黙想しながら明日からも神様から愛されている子ども、光の子どもとして生きていきましょう。


アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2020.9.6
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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