からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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勝利

勝利した人たちが使うことば

テーマは 『 勝利した人たちが使うことば 』 です

【ピリピ4章13節】

私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

環境が 人に勝利をもたらすのではなく、
“健全な信仰と思考を持って勝利のことばを使う人” が勝利を勝ち取ります。


今日のことばは、使徒パウロが語ったことばでした。


パウロの置かれた環境は、常に “最悪な環境” でした。

福音を伝えるのが彼の使命ですが、常に反対、妨害、迫害の環境での働きでした。


肉体的にも死の連続の状況でしたが、なぜ そのような中でも、彼は福音によって世界を変える勝利の働きが出来たでしょうか?

もちろんパウロだけではなく、聖書にはパウロと同じく勝利を得た人々が多く出てきます。


彼らに共通するものは、健全な信仰と思考、そして常に勝利のことばを使ったことでした。


私たちは、主のことばに関心があります。


主のことばで力を受けたり、慰めを受けたり、励ましを受けたりします。

そして主のことばに頼ります。


主はどうでしょうか?


主は、私たちのことばに関心があります。

ことばを聞いて、私たちの信仰や考え方を知ります。


勝利を得た人たちのことばには とても力があり、自信があり、希望があり、神への信頼がありました。

パウロは困難に直面しても、弱音を吐きませんでした。


なぜなら、共におられる主に 完全に信頼していたからです。


自分が受けた使命は、主からの使命なので、そこに失敗があるとは考えていませんでした。

どんなに環境が悪くても、自分は必ず勝利すると宣言して働きました。


ローマでは、次のように勝利について語りました。


【ローマ8章35-37節】

私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。

「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。

しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。

患難、苦しみ、迫害、飢え、裸、剣があるから と、主から離れる人は勝利者ではなく、“敗北者” です。


【第2ペテロ2章19-20節】

人はだれかに征服されれば、その征服者の奴隷となったのです。

主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れからのがれ、その後再びそれに巻き込まれて征服されるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪いものとなります。

環境に左右される人は 信仰があったとしても、結局は環境に倒されて勝利することが出来ません。


勝利する人たちは 環境ではなく、主に信頼し、みことばに信仰を築き上げ、健全な思考をもって、環境に向かって勝利のことばを使います。


「私は必ず勝利者となる。圧倒的な勝利者となる。私は私を強くして下さる方によって、どんなことでも出来る。

決してサタンが喜ぶようなことばは使いません。


他に勝利した人たちのことばも聖書にありますので紹介します。




ヨセフ




ヨセフが語ったことばです。


【創世記45章5節】

今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。

もし このようなことばではなく、恨みのことばで彼らを恨んだり、復讐したならば、ヨセフは勝利者にはなりませんでした。




カレブ




【民数記13章30節】

そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」

多数が否定的な思いで、絶望的なことばを使っても、
カレブは最後まで勝利のことばを言いました。


神は カレブのことばを心に留め、彼には勝利を与えました。


しかし絶望的なことば、つぶやきに対しては このように語りました。


【民数記14章28-29節】

あなたは彼らに言え。これは主の御告げである。わたしは生きている。わたしは必ずあなたがたに、わたしの耳に告げたそのとおりをしよう。

この荒野であなたがたは死体となって倒れる。わたしにつぶやいた者で、二十歳以上の登録され数えられた者たちはみな倒れて死ぬ。

私たちは自由にことばを使うことが出来ます。

しかし、自分が使ったことばの実を刈り取るのは、自分自身であることを忘れてはいけないです。




ダビデ




戦う前に、すでに勝利宣言のことば使ったダビデのことばです。


【第1サムエル記17章47節】

この全集団も、主が剣や槍を使わずに救うことを知るであろう。この戦いは主の戦いだ。主はおまえたちをわれわれの手に渡される。」

全イスラエルが恐れていたゴリヤテに対して、恐れなかったのは ダビデだけでした。

神は彼に勝利を与えました。


ゴリヤテを恐れていたサウル王のことばと比較してみましょう。

使うことばが違いました。





サウル




【第1サムエル記17章33節】

サウルはダビデに言った。「あなたは、あのペリシテ人のところへ行って、あれと戦うことはできない。あなたはまだ若いし、あれは若い時から戦士だったのだから。」

普段どのようなことばを神様に、自分自身に、他人に使っていますか?


あなたが使ったことば通りの将来が あなたを待っています。

そして蒔かれたことば通りのことを刈り取ります。


勝利したいならば、環境が変わるのを待つのではなく、あなたの信仰、思考、ことばを変えて下さい。


そうするならば勝利の人生を送ることが出来ます。
アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2018.4.8
聖日礼拝メッセージ

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復活がもたらした祝福

テーマは 『 復活がもたらした祝福 』 です

【第1コリント15章12-19節】

ところで、キリストは死者の中から復活された、と宣べ伝えられているのなら、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はない、と言っている人がいるのですか。

もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。

そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。

それどころか、私たちは神について偽証をした者ということになります。なぜなら、もしもかりに、死者の復活はないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずですが、私たちは神がキリストをよみがえらせた、と言って神に逆らう証言をしたからです。

もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。

そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。そうだったらあなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。

そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。

もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。

キリストの復活は、ただの驚きではなく、信じる者たちに どれほど大きな祝福をもたらしたか分かりません。


信じる人々は、その素晴らしい祝福を知らなければなりません。

イースターは “祝福の日” です。


受難週には、キリストの受難について伝えましたが、
復活の日である今回は、復活がもたらした祝福は何かを伝えます。




敵に対する完全勝利




十字架の苦難も復活も、父なる神の救いの計画に最初からありました。

それによって救いは完成します。


キリストは十字架の苦難を受け、そして復活もしましたので、救いの計画は完成しました。


救いの計画を妨害しようとしたサタンの計画は、“復活” によって失敗で終わりました。

キリストの敵に対する完全な勝利は、信じる者にも同じ勝利をもたらしました。


詩篇23編は、キリストの苦難と復活がもたらした重要な預言があります。


【詩篇23編5節】

私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。

私たちは、私たちを迫害した敵が見ている前で、主が私たちのために用意して下さるごちそうの食事、主にきよめられた美しい姿、そして あふれる恵みの前に 感激する日が必ず来ます。




再臨の主が来られる




イエス様は すでに来られた方であり、再び来られる方です。

以前は、私たちと同じ姿で地上に来られましたが、将来は復活した体で来られます。


今は聖霊として私たちの中におられる方ですが、将来は復活の体で再臨なさいます。


【ヨハネの福音書14章18-19節】

わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻ってくるのです。

いましばらくで世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。

主を否定する人は 主を見ることがないですが、信じる者は天国で永遠に主を見ます。




本物の福音を伝える証人になる




なぜイエス・キリストの福音だけが本物の福音でしょうか?


私達のために死に、私達のために復活した方は、イエス・キリスト以外には いないからです。


【使徒の働き4章12節】

この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」

【使徒の働き16章31節】

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」


救いもないのに、(他の宗教にも)まるで救いがあるかのように伝えることは、人を騙すことです。


しかしキリストの証人は、救いがある本物の福音を伝えています。

復活した主は 弟子たちに力を与え、証人にすると約束しました。


【使徒の働き1章8節】

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」



十字架の苦難は復活につながる




十字架の苦難は険しいものでした。

しかし、その後にあるものが “復活のいのち” でした。


【マタイの福音書7章13-14節】

狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。

いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。

復活のいのちは、キリストを信じることで得ることが出来ます。

キリストの復活は、人間の理性では信じることが出来ません。


ですから、“信仰” によって、信じられないことを “信じる” のです。


ある人は 目の前で起きたことに対しても、「信じられない」と言います。


2千年も前に起きたキリストの復活は、信仰によって信じることが出来ます。


【ヨハネの福音書3章36節】

御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。



主のための労苦は無駄にはならない




世の宗教は、死人に対しての供養や 死人に対しての献身を要求し、それによって “報いを得る” と言います。

それに疑いを持たずに信じる人が とても多いです。


死人に一体 何が出来ると思いますか?


彼らがどんな祝福を持っていますか?

死人が、生きている人のために一体 何が出来ますか?


もし、キリストが 復活 しなかったならば、これと同じことです。

すべてが むなしくなります。


しかし キリストは “復活” したので、結果が違います。


【第1コリント15章58節】

ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。

このように キリストの復活は、素晴らしい祝福を私たちに もたらしました。


ですから、私たちも 復活のいのちに望みを抱いて、荒野の道を歩むことが出来ます。


アーメン v( ̄∇ ̄)v

2018.4.1
イースター礼拝メッセージ

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主の十字架の苦難と臨終

テーマは 『 主の十字架の苦難と臨終 』 です

【マタイの福音書27章45-50節】

さて、十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。

三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

すると、それを聞いて、そこに立っていた人々のうち、ある人たちは、「この人はエリヤを呼んでいる」と言った。

また、彼らのひとりがすぐ走って行って、海綿を取り、それに酸いぶどう酒を含ませて、葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。

ほかの者たちは、「私たちはエリヤが助けに来るかどうか見ることにしよう」と言った。

そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。

過去の苦しい記憶を、いつまでも覚えていることは良くないことです。

なぜなら、その記憶が 今の幸せも消してしまうからです。


それがあったから今の幸せがある と、肯定的に思うならば問題はないですが、過去の苦しい記憶に支配されているならば、その苦しみは いつまでも続きます。

ですから、良かったことは長く覚えていても、辛い記憶は早く忘れることが良いです。



イエス様は主のことで、私たちが忘れてはならないことがあると語りました。


“主がよくして下さったことと、主の十字架の苦難を忘れてはならない” ことです。


主が受けた苦しみは 主が覚えるのではなく、私たちが覚えることです。

そうしないといけないです。

「主が受けた苦しみを、いつまでも覚えてそれを記念とすること」は主からの命令でもあります。


主の十字架の死がなかったならば、罪人が救われる根拠も保証もありません。


罪人たちを救うために、主がどれほどの恥辱と苦難を実際に受けたかを知らないならば、救いの価値も分かりません。


主ご自身がどれほどの犠牲を払ったのかを、もう一度 この受難週に考えたいと思います。

主の十字架の苦難と臨終の姿を伝えます。




十字架にかかった時刻




十字架にかかったのは 午前9時でした。

そして、臨終までかかった時間は 6時間でした。

正午から3時までは ユダの全地が暗くなりました。


なぜ暗くなったでしょうか?


神の子を十字架につけて殺したユダヤ人に対する “神の厳しいさばきのしるし” とも言えます。


昔、エジプトに対して 神がさばきを下した時に、暗闇を送ったことがありました。


【出エジプト記10章21-23節】

主はモーセに仰せられた。「あなたの手を天に向けて差し伸べ、やみがエジプトの地の上に来て、やみにさわれるほどにせよ。」

モーセが天に向けて手を差し伸ばしたとき、エジプト全土は三日間真っ暗やみとなった。

三日間、だれも互いに見ることも、自分の場所から立つこともできなかった。しかしイスラエル人の住む所には光があった。

イスラエル人を迫害したエジプトの民に、神はさばきを下しました。

そして主イエスを迫害し殺したイスラエルの民に対しても、主は同じくさばきを行います。


その “しるし” としての暗やみと言えます。




最後に何を叫んだのか




主は死ぬ前に、最後の力を振り絞って何を叫んだでしょうか?


「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」でした。

これは詩篇22編1節の成就でした。


「わが神、わが神。どうして、わたしをお見捨てになったのですか」と叫びました。


父なる神との結びつきが強かった主の口から出る このことばは、イエス様の “霊の叫び” でした。



母親に捨てられた時に、幼子が「ママ、行かないで」と泣き叫ぶ時の叫びと、お腹が空いて泣き叫ぶ声が同じでしょうか?

捨てられた時の叫びは、恐れと不安、孤独から来る たましいの叫びです。




神のひとり子イエス様が、なぜ父なる神から捨てられ辛い目に会わないといけなかったでしょうか?


それは “人類の罪の問題と罪の深刻性” でした。


そして「その人類を贖うための大使命」が、イエス様に懸かっていたからです。


人類の罪を背負って 十字架にかかったイエス様は、罪に対する裁きをその身に受け、死ななければなりませんでした。


愛の目だけで見るならば、神がイエス様を十字架につけて見捨てることは出来ません。


しかし罪に対して正しい裁きを行う神の目で見るならば、捨てられて死刑を受けることは罪に対する当然の報いでした。

そこには 少しの憐れみも愛もありませんでした。



十字架でのイエス様は、神の裁きを受ける姿でした。

神の裁きを受けなければならないほど、人類の罪は深刻でした。



イエス様が受けた苦しみは、恐ろしい肉体の苦しみがありました。

そして人々から受けた侮辱やののしり、あざけり、愛する者たちの裏切りによる 精神的な苦しみがありました。


しかし、最もイエス様が感じた苦しみは、しばらくの間でも父なる神と断絶しなければならない “霊的苦悩” でした。


しかし、主は 全人類のために 自分を贖いのいけにえとしてささげることを決心したので、すべての苦しみをその身に受け、最後まで主の御心に従順しました。


深刻な混乱と苦しみの中でも、ただ父なる神を見上げ、すべてを委ねたので真の勝利を得ることが出来ました。




主の臨終の姿




主は最後に、もう一度大声で叫んで息を引き取りました。

どのようなことばが最後のことばになったでしょうか。


【ヨハネの福音書19章30節】

イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した」と言われた。そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。

「完了した」は、自分の使命をすべて成し遂げたという “勝利宣言” でした。


人生を全うした意味ではありません。

主は33歳という若さでした。寿命を全うして死ぬ年ではありません。


神のみこころを全うするために来られ、その働きを終えたという意味です。

そして、続いて語ったことばが 次の箇所にあります。


【ルカの福音書23章46節】

イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。

自分のたましいを、いのちの主権者である父なる神に委ねました。


神が受け取ったイエス様の霊は、どんなに尊い霊でしょうか。

もし宝石に例えるならば、光輝いて見ることが出来ない輝きのある霊だと思います。


罪のために汚れて暗くなった人類の醜い霊とは到底比べることも出来ないものです。

父なる神の手に委ねられた主の霊は、再びいのちを得て 世の光としてよみがえります。


来週はイースターです。


主は、私たちのために十字架にかかって死に、また 私たちのためによみがえりました。

そのことを信じていますか?

アーメン ヽ(TдT)ノ


2018.3.25
受難週礼拝メッセージ

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勝利の三つの要素

テーマは 『 勝利の三つの要素 』 です

【エペソ6章10-15節】

終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。

悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。

私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪魔に対するものです。

ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。

では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、

足には平和の福音の備えをはきなさい。

キリストは、人類を贖う計画を持って地上に来られた時に サタンの激しい抵抗と妨害を受けました。

キリストの働きは サタンにとって一番嫌なことでした。


汚れた悪霊に取りつかれた人が、イエス様を見た時に大声でこのように叫びました。


【ルカの福音書4章34節】

「ああ、ナザレ人のイエス。いったい私たちに何をしようというのです。あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。私はあなたがどなたか知っています。神の聖者です。」

イエス様は次のように言いました。


【ルカの福音書4章35節】

「黙れ。その人から出て行け」

このように言うと、悪霊はすぐに出て行きました。

サタンは 人間のことは恐れないですが、イエス様には恐れていました。


イエス様は サタンに勝利して救いを完成し、人類が救われる道を備えることが出来ました。


私たち信じる者にとって、勝利は 世の基準の勝利とはまったく違います。


神は世の人々が考えている勝利を “勝利” と認めたことは一度もありませんでした。


大統領になったから、金持ちになったから、教授になったから、ノーベル賞をもらったから、その人たちが勝利者でしょうか?

神の目には、それはどうでも良いくらい何の価値もないものです。


神が考える勝利とは、世に勝ち、サタンに勝ち、自我に勝って 自分に与えられた “神からの使命” をまっとうすることです。


勝利を目指している信徒たちに、主は勝利に必要な要素を教えて下さいました。




堅く立つ




13節に、『 堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。』

14節には、『 しっかりと立ちなさい。』


と書かれてありますが、
堅く立つ姿は 服従する姿ではなく、抵抗する姿であり 戦う準備が出来た姿です。


誰に向かって堅く立つべきでしょうか?
―― サタンです。


信徒たちが、いつも攻撃してくる悪魔を恐れて抵抗しないならば、サタンの奴隷になります。


堅く立って抵抗しなければなりません。


信徒が最初から悪魔に手を出すことはないです。

平和を愛する国が、初めから他国を攻撃することはないです。


人を愛する人が、他人を先に攻撃することもないです。


ですが、攻撃されても 抵抗せずにいるのが良いことでしょうか?

―― そうではないです。


抵抗しないならば、征服されてしまいます。


その時は、しっかりと立って 勝利のために抵抗し (サタンを)追い出さないといけないです。

主のように「黙れ。出て行け。」と厳しく対抗することです。


ことばだけでは力がないので、神の武具をしっかりとつけてから戦います。


善を行っていてサタンの攻撃を受けた時も、堅く立ってそのサタンに抵抗しないといけないです。


ダニエルと3人の友が そのようにしました。

まことの神を捨てて、人間が建てた金の像を拝むことは出来ないと はっきりと断りました。


断る者は、火の燃える炉の中に投げ込まれることを知っていても 抵抗しました。


いのちを懸けて抵抗しました。

そして燃える炉に投げ込まれましたが、結果は彼らの勝利で終わりました。


ありえない光景を 人々が見ることになりました。


【ダニエル書3章24-25節】

そのとき、ネブカデネザル王は驚き、急いで立ち上がり、その顧問たちに尋ねて言った。「私たちは三人の者を縛って火の中に投げ込んだのではなかったか。」彼らは王に答えて言った。「王さま。そのとおりでございます。」

すると王は言った。「だが、私には、火の中をなわを解かれて歩いている四人の者が見える。しかも彼らは何の害も受けていない。第四の者の姿は神々の子のようだ。」

勝利者の姿が そこにありました。


彼らは信仰の上に堅く立って、サタンに抵抗したので、神の助けを受け、神の偉大さを人々の前で現しました。


【第1ペテロ5章9節】

堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。

しかし悪を行うように 誘惑された時には、ヨセフがしたように そこから逃げなければなりません。


誘惑は 甘いもので、肉の思いをそそります。

ですから、そこから早く逃げることです。


【創世記39章12節】

それで彼女はヨセフの上着をつかんで、「私と寝ておくれ」と言った。しかしヨセフはその上着を彼女の手に渡し、逃げて外へ出た。



祈り求める




勝利は、自分だけの力で獲得できるものではありません。


勝利は簡単に手に入らないので、助けと協力が必要です。


大きな大会に出る選手が、1人で すべてをしてメダルを取れるでしょうか?

監督、コーチ、家族、仲間の協力と助けによってメダル獲得を目指します。


私たちの信仰、霊的生活、人生の勝利のためには 神の助けと協力は、なくてはならないものです。


助けを、祈りによって神に求めます。


イエス様も弱い弟子たちを助けるために神に祈りました。

その祈りを 神が聞いて下さったので、弟子たちは失敗から立ち直ることが出来ました。


【ルカの福音書22章31-32節】

シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。

しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

【マタイの福音書17章21節】

ただし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません。

【ピリピ書4章6節】

何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。



目を覚ます




目を覚ますことは 見張りをしていること、用心していること、準備された状態です。


泥棒や強盗が来ることを知って、万全の警備をしているならば 持ち物は安全です。


しかし隙があるならば、やられてしまいます。

サタンは盗人であり、強盗です。


魂やいのちを盗みます。信仰を盗みます。平安と希望を盗みます。財産や健康を盗みます。

人間が持っているものを何でも盗みます。


ですから、盗まれないように目を覚まして見張ります。

(サタンは私たちを)誘惑して目をくらませ、眠らせます。


誘惑されて眠ってしまったサムソンは、すべてを失いました。

サタンの奴隷にされてしまいました。



目を覚ましていないと、一番困ることは何でしょうか?


主の空中再臨の時に、主がおられる所に上げられず、地上に残され 恐ろしい患難を受けますし、信仰生活も出来なくなります。


このように、最悪な状態 になります。

ですから “目を覚ましていなさい” と、主は繰り返して語っておられます。


【マタイの福音書24章42-44節】

だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。

しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。

だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。

【第1コリント16章13節】

目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。男らしく、強くありなさい。

【使徒の働き20章31節】

ですから、目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください。

【第1テサロニケ5章8節】

しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。

【ヨハネの黙示録3章2節】

目をさましなさい。そして死にかけているほかの人たちを力づけなさい。わたしは、あなたの行いが、わたしの神の御前に全うされたとは見ていない。

【ヨハネの黙示録16章15節】

――見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物を着け、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである――

私たちの人生は、地上だけで終わりではなく、霊の世界が次に待っています。

それも現実です。


ですから主は、私たちに 地上では “旅人、居留者” として生活しなさい と言われました。


そして、神の国は勝利者が入る国なので、勝利を目指して歩むように言われました。


また勝利者が得る報いがどんなに素晴らしいものかも教えて下さいました。

黙示録2章から4章の中に書かれてありますので、確認のためにも読んでみて下さい。


“堅く立つ、祈り求める、目を覚ます” ことは、キリストに仕えるためのチャンスを得るためにも そうしないといけないです。


祈らない人、眠っている人、サタンに負けている人が 主のために働くことは出来ないです。


役に立つしもべになるためにも、この三つの要素は必要です。
( ̄‥ ̄)=3


2017.10.8
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十字架を負って歩む人

テーマは 『 十字架を負って歩む人 』 です

【ルカの福音書9章23-25節】

イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。

人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。

救世軍の創設者であるウィリアム・ブース牧師は、1921年に21世紀教会に対して心配しました。

今から100年前に何を心配したでしょうか?

六つありました。


1. 聖霊のいない教会

2. キリストのいないキリスト教

3. 生まれ変わりがない救い

4. 悔い改めのない赦し

5. 神のいない政治

6. 地獄のない天国


いま世界を見ると、これらのことばが あり得ない話ではなく、実際そのようになってしまった教会も多いです。


あいまいな教え、十字架のないメッセージ、妥協してしまった真理、罪も悔い改めも天国も地獄も語らず、肯定的思考、哲学、道徳、倫理の教えが流行っています。


どんなに素晴らしい教えであっても、キリスト信仰の本質であるイエス・キリストが抜けているならば、それはキリスト教信仰ではありません。


そして十字架を負わない信徒も 主の弟子にはなれないです。

主の弟子は、日々自分の十字架を負って歩む人です。


イエス・キリストの 人としての人生も、自分を捨て、自分の十字架を負ってまっすぐに歩んだ人生でした。


十字架にかかるために生まれ、十字架を負い、十字架の上で死なれました。

なぜでしょうか。

そこにはキリストとしての使命がありました。


人類を罪から救うため 神が立てた計画は、罪のない神の子キリストが 罪人の代わりに十字架の上で死ぬこと でしたので、最初からその十字架を負うために 地上に遣わされました。


そして神はキリストを死からよみがえらせ、天の御座にあげて、すべてのものがその前にひざをかがめるようにしました。


勝利も いのちも 神の国も 主の弟子として使命を全うした人に与えられるものです。

十字架を負って勝利した主は、私たちにも “主の弟子になるために十字架を負う” ように言われました。


イエス様には イエス様の十字架があるように、救われた者は弟子になって、自分が負うべき十字架を負わなければなりません。


これは とても大切なことですが、十字架を語らない教会、十字架を負わせない教会、十字架を負わない信徒たちが多いです。

教会の責任もあり、信徒の責任もあります。


出来るだけ多くの人々を集めることが目標である教会は、信徒たちを まるで “お客様” のように扱います。


お客様を大事にして、お客様が欲しいものを備え、お客様を喜ばせるために色々なイベントを催します。


「楽しんで下さい。何もしなくて良いです。ゆっくりして下さい。」と言います。

負担になる話もしないですし、奉仕もさせないです。気楽に参加して気楽に帰れるように配慮します。


それで人が集まると、教会がリバイバルしたと喜びます。


それが、主の求める弟子の姿であり、リバイバルでしょうか?

弟子はなく、お客さんだらけの教会が、“主の教会” でしょうか?


聖書を読んでみても、そのように教えた箇所は一つもありません。






信じることも、主の所に来ることも 難しいことではありません。


しかし主について行きたいと願うならば、話は違います。


その道は 主が言われるようにしないと、ついて行けない道です。


ですから そのようにしていない人は、弟子ではなく “お客さん” です。

本人がそれに甘んじています。


天国は お客さんを招待する所ではなく、主に従ってきた人が勝利者として入る所です。


私たちは騙されてはいけないです。

広い道を お客さんとして楽に歩いた人に、天国は保証されていないです。


キリストは「楽な道を 楽に歩くのではなく、険しい道を 十字架を負って歩きなさい。」と言われました。


その道を主も歩きました。

ついて行く人に他の道はありません。

キリストは、弟子になる者に 主について来たいならば こうしなさいと言われました。



「自分を捨て」と言われました。

十字架を負って 主に従うための一歩が、自分を捨てることでした。


自分を捨てることは、自我を捨てることです。

人間が最後まで捨てずに固執しているのは “自我” です。


思考、意志、やり方、性格、行動、計画など自分が優先、自分が主人であるという自意識です。


これを否定することが「自分を捨てる」ことですが、自我はなかなか素直に従いません。

神のことばに一番反抗するのも、この自我です。


自我を捨てず、死ぬまで主の働きをすることは出来ます。

しかし、その人の内面は信じる前と何も変わっていないです。
見た目は 信じる人に見えても、その人自身は変わっていないです。


弟子のように見えて、弟子ではないです。


自我を捨てなかったなら、人間は変わることも、十字架の道も歩けないです。


イエス様が神でありながら、人間になって十字架の道を歩けたのは自我を完全に捨てたので可能でした。


【ピリピ2章6-8節】

キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、

ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、

自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。

自分を捨てない人が、イエス様を 自分の主人にすることが出来るでしょうか。


私たちが自分を捨てることは、自分の主人を変えることであり、主のことばに従って日々聖なる者に変わっていくことです。


最近 中国で大規模な軍事パレードがありました。

内モンゴル自治区でも 北京でも1万2千人の軍人が参加しました。


内モンゴルでの習近平国家主席の演説だと思いますが、軍人たちに向けて「共産党のために永遠に仕え、命をささげるように」というようなことを語りました。

中国には230万人の軍人がいます。


彼らは共産党にために、国のためにいのちを捨てると思います。

その思いがないと、最初から軍人にはならないと思います。


その演説のことばや軍人たちの姿を見て、あることを ずっと考えていました。

「私はどうなのか ――」と。


共産党のために若い軍人たちがいのちを懸けているのに、私は主のためにいのちを懸けているのかと。


皆さんはどうでしょうか?主のために何が出来ますか?

なかなか答えられないと思います。


なぜなら主のために何が出来るかよりは、“主が 私のために何をしてくれるのか” に もっと関心があるからです。


これは弟子の姿ではなく、お客さんの姿です。


お客さんは自分を満足させてくれることだけを期待します。

しかし弟子は、主を満足させることだけを考えます。


軍人であるならば、命をかけて国のために戦います。

誰かが自分のために戦ってくれることを期待しません。

自分が誰かのために戦います。


それが、彼らが負っている使命の十字架です。


築地市場の火災現場では、消防士たちが一生懸命に消火活動をしていました。

建物の中が激しく燃えているのに、ある消防士が「中に入りましょう。」と声を出しました。


その後、消防士は火の中に入って行きました。

それが、彼らが負っている使命の十字架です。


軍人にふさわしく、消防士にふさわしくなり、その働きをするのが彼らの使命であり、彼らはそのために全力を尽くします。


主について行きたい人も、それにふさわしい者にならないといけないです。


弟子にふさわしい者になるためには 自分を捨て、弟子としての使命の十字架を負わなければなりません。


パウロは主について行く者になりました。

それをこのように表現しました。


【第1コリント9章23-27節】

私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。

競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。

また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。

ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。

私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。

彼はキリストにあって全く新しい者になり、きよくなり、数々の苦難と迫害の中で、自分の十字架を負って弟子の姿になり、勝利者になりました。


【第1テモテ6章14節】

私たちの主イエス・キリストの現れの時まで、あなたは命令を守り、傷のない、非難されるところのない者でありなさい。

このように言われてありますが、自分を捨てず、十字架を負わず、死ぬまで お客さんとして満足していますか?

それとも主のことば通りについて歩きますか?


いのちも勝利も救いも最後まで主について行くものが手にすることが出来ます。


十字架を負った者が勝利の主と喜ぶことが出来ます。
v( ̄∇ ̄)v


2017.8.6
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信仰の人・ヒゼキヤ王の生き方

テーマは 『 信仰の人・ヒゼキヤ王の生き方 』 です

【第2歴代誌31章20-21節】

ヒゼキヤはユダ全国にこのように行い、その神、主の目の前に、良いこと、正しいこと、誠実なことを行った。

彼は、彼が始めたすべてのわざにおいて、すなわち、神の宮の奉仕、律法、命令において神に求め、心を尽くして行い、その目的を果たした。

数少ない良い王として記録されたヒゼキヤ王の生き方は、神が喜んだ生き方でした。


間違えた生き方をすると 失敗の人生になりますが、神が喜ぶ生き方をすると、勝利の人生になります。


神に喜ばれる生き方をした ヒゼキヤ王の生き方を、今日は学びます。





主の目の前を歩んだ生き方




すなわち、常に “主を意識した生き方” でした。

これが 主と共に歩む人生です。


口先だけで 『主よ。主よ』 と言う人は、この生き方は出来ないです。


自分の思いのままに生きる人は、主の存在を重たく感じるので、出来るだけ神を避けて1人で歩むことを好みます。


しかし 主を愛する人、信仰ある人は、神から離れて生きることは考えられないので、いつも主に近付き、主と共に人生を歩みます。


そして 主の御心を求め、主の御心を行うことを喜びとします。

『良いこと、正しいこと、誠実なこと』 は、主が喜ぶことです。


【ピリピ4章8節】

最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。

これらのことが主に喜ばれることだから心に留めなさい、と言われました。

ヒゼキヤ王も、これらのものを心に留めて生きましたので、それが神によって評価されました。


自分たちの人生の評価は、自分でも他人でもなく、神がなさいます。


高い点数を受けるのは、神のみこころを行う人であることは間違いないです。




神の国とその義とをまず第一に求める生き方




王としての第一の仕事は、神の仕事だと思いながら生きました。


多くのクリスチャンは、それは無理だと思いながら、世の仕事を第一にします。

そのために神の働きをないがしろにしながらも、何とも思いません。


王の仕事はたくさんあります。

国の最高統治者なので、責任も重く、毎日決定しなければならない重要な課題もたくさんあります。


しかし彼は、それもないがしろにすることなく良い統治者として国民からも愛され、国も繁栄しました。


第一にすることは 量の問題よりも、“質の問題” です。

何に重点を置くかです。


何かと理由をつけて、神の命令と働きを ないがしろにしないことです。


なぜなら神が私たちを造り、私たちを闇の中から、呪いと滅びから救い出した目的があるからです。


【エペソ2章10節】

私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。

ここでいう良い行いの一番は、『神の国とその義とを第一に求めること』 です。


これこそが神の秩序です。

その秩序に従って生きる人の人生が狂うことはありません。




目的を果たすまで怠けず 忠実に生きる生き方




良い計画を始める人は多いです。

高い目標を立てる人も多いです。

勢いよく始める人も多いです。


しかし目標を達成するまで続ける人は少ないです。


目的を達成するまで続けることは、その働きを任せた神を喜ばせたい心が強いから出来ることです。


自分を喜ばせる人は、自分の感情に忠実です。
自分の心に従います。


しかし神に従う人は、どんな困難があっても神を求めながら、神を喜ばせるために励みます。


パウロ自身も このような生き方をしました。


【ピリピ3章13-14節】

兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、

キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。

そして、それを また他の聖徒たちに勧めました。


【ピリピ3章15節】

ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。

目的を達成するまで、忍耐しがら忠実に働くことは、働きを任せて下さった方を喜ばせることです。

それによって良い実を見ることが出来ます。


葉っぱばかりで 実りがない木が呪われたように、実のない人生は失敗した人生です。


『怠けた悪いしもべだ』 という評価を主から受けますが、実りが多いしもべは 『良い忠実なしもべだ』 と、高い評価を受けます。


皆さんは今、どのような生き方をしていますか?


今の生き方で 神から良い評価を得る自信がありますか。


それとも、いつか後悔する生き方をしていますか。
Σ(=゚ω゚=;)


2017.7.16
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患難の時に取るべき態度

テーマは 『 患難の時に取るべき態度 』 です

【ヨハネの福音書16章33節】

わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。

昨年の9月15日に息子と車で熊本県へ行きました。
阿蘇山の近くを通りましたし、黒川温泉にも行きました。

その少し前に阿蘇山の噴火もありましたが、大きなことにはならず収まっていました。


良かったと思いながら阿蘇山を見ました。

それが今回とんでもない地震が起こってしまいました。


日本中で誰一人この時に、このような大きな地震が熊本で起こるとは予想もしていなかったです。

地震の専門家たちも皆 驚いています。


綺麗な景色を楽しんだ昨年のことを思い出しながら、地震のニュースを聞くと 心苦しくなります。

今はその地域全体が 不安と苦しみに満ちた場所になりました。


ずっと余震が続き、雨も降っているので最悪な環境ですね。

ライフラインが寸断されたので生活が出来ないことが一番辛いと思います。


以前、この教会で1年間奉仕をしてくれた南さんが熊本の教会で働きをしています。

昨日“ライン”で安否を聞きましたが、今朝になって無事に避難をしていることと、教会や信徒たちも無事である連絡がありました。

断水で大変であること、祈りの要請などがありました。
皆で祈りましょう。


突然の患難に見舞われた人々を見て、それが他人事ではなく、自分たちも いつこのような患難に遭うか分からないなと改めて思いました。


イエス様が弟子たちに語った今回のことばは、患難の時に私たちが取るべき態度を教えています。


イエス様も激しい患難を通った方でした。

誕生した時から、患難の連続でしたので、患難の中にいる人たちの心境を誰よりも知っています。


患難の時に取るべき態度を主のことばから学びます。




・患難は誰にでもあることを認識する




聖書は繰り返して信じる者にも 熱心に主に仕える者にも 患難があることを話しています。


“患難がない” と言われたことがありません。

ですから患難が来た時に「どうして私に患難を与えるのですか」と戸惑うことも、つぶやく必要もないです。


信仰があっても、バラ色の人生で 患難がない人生を約束されたということはありません。


主のことばのように、この世で生きている人には誰にでも患難があります。


今回の地震でも、地震が “人を選び、場所を選ぶ” のではないです。

日本は、どこで地震が起きても不思議ではないですし、火山噴火も起こりやすい国ですから、起きたらそこにいる人たちは皆がその被害を受けます。

それは、ひどい被害か、軽い被害か が違うだけです。


クリスチャンだから守られて、いっさいの被害を受けることがないということはありえないです。


守られる時もあれば、そうでない時もあることは、信じない人にも当てはまります。


クリスチャンでも病気にかかりますし、死にます。
家庭に問題もありますし、貧困にもなります。


旅路である地上が私たちの定着地ではありません。

ですから地上では様々な患難にあうようになってあります。


患難が来ても、それが不思議ではないことを まず認識しましょう。


患難が特別なのろいでもなく、誰の所に来ても、それが不思議ではないことです。




・勇敢でありなさい




患難の中で “勇敢でありなさい” と言われました。


患難に遭うと人間はとても弱くなります。

気落ちし、不安と恐れで心が潰されそうになります。


心のバランスを失って フラフラ状態になります。

どうしたらよいか分からず悩みます。


その時、主が私たちに語ることばは「勇敢でありなさい」です。

なぜ勇敢な態度を取る必要がありますか。


主ご自身が “患難に、この世にすでに勝ったからだ” と理由を語って下さいました。


それが私たちの患難と何の関係があるでしょうか?


私たちが気落ちしたり、絶望したりするのは、自分たちには患難に勝つ力がないからです。

しかし私たちの力では何も出来ないですが、勝利の主が共におられるならば問題がないです。


どんな患難が来たとしても私たちに力を与えて下さる神によって、私たちは患難を乗り越えることが出来ます。


力ある主の手が支えて下さいます。
この信仰を持っている人が 本当に世に勝ことが出来ます。


神を信じる人は、自分の力ではどうにもならない時に簡単に諦めてはいけないです。


そこで諦める人は、神も神の力も信じていない人です。

意外とこのようなクリスチャンが多いです。


患難が来た時に、世の人々とまったく同じ言葉や態度を取る人が多いです。


それならば神は自分にとってどのような存在ですか?

(神は)頼れる力もない存在ですか?

助けて下さらない方だと信じていますか?


私には出来ないけれど、神が助けて下さるならば何でも出来るという “確信” が信仰であり、そのように信じるならば その通りになります。

不可能が可能になります。


神に愛された信仰の人々は、すべて患難の中から出て来た人たちでした。

患難の中で神の力に頼り、勝利した人たちでした。


英雄が激しい戦いの中で生まれるのと同じです。

人が出来ないことをやり遂げた人が、勇士になり英雄になります。

彼らには勇敢さがあります。


使徒パウロほど 多くの患難に遭った人はいないです。

しかし彼は患難の中でも勇敢な人でした。


患難に対する正しい態度が彼を勇敢にさせました。

彼は常に神に頼っていました。


【第2コリント1章4-10節】

神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。

それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。

もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの慰めと救いのためです。もし私たちが慰めを受けるなら、それもあなたがたの慰めのためで、その慰めは、私たちが受けている苦難と同じ苦難に耐え抜く力をあなたがたに与えるのです。

私たちがあなたがたについて抱いている望みは、動くことがありません。なぜなら、あなたがたが私たちと苦しみをともにしているように、慰めをもともにしていることを、私たちは知っているからです。

兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危うくなり、

ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。

ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。

さらに ここにも彼の勇敢な態度があります。

勇敢とは、環境に支配されず、反対に “環境を支配する態度” です。


【ピリピ4章11-13節】

乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。

私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。

私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

患難の中で絶望したり、恐れたり、気落ちしたりする姿は パウロにはありませんでした。


それが出来たのは 彼が神に頼り、主のことば通りに勇敢な態度を取ったからです。

患難の時にこそ、さらに御言葉を守り、主に頼ることです。


すると世に勝った主の力が働いて患難を乗り越えることが出来ます。

主は私たちに平安を与えると約束して下さいました。


主に信頼し、患難に向かって勇敢に戦う時に平安が与えられます。

平安は、勝利者にあって 敗北者や絶望している人にはありません。


患難の時には環境ばかり見るのではなく、御言葉に従って行動するように励むと、主の力と助けが与えられて乗り越えることが出来ます。
( ̄‥ ̄)=3

2016.4.17
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悪魔との戦い方

テーマは 『 悪魔との戦い方 』 です

【ヤコブ書4章7節】

ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。

先週は 「悪魔の正体と策略」 に対して学びました。


悪魔は軽く考えてはいけない、決して弱い存在ではないです。

そのことをまず しっかりとわきまえましょう。


「使徒の働き」 を読んでみると分かります。

使徒パウロが命じると 悪魔は出て行きました。

それを見たユダヤの祭司長の7人の息子たちが、悪霊につかれている者に向かって主イエスの名をとなえました。


【使徒の働き19章12-16節】

「パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる」

このように言ってみましたが、次のように悪霊が答えました。


「自分はイエスを知っているし、パウロもよく知っている。けれどおまえたちは何者だ」

そして、悪魔は 彼らに飛びかかり、2人の者を押しつけて、みなを打ち負かしたので、彼らは裸にされ、傷を負って逃げだしました。


悪魔は相手を見抜いています。

勝てる人と負ける人を見ただけで分かります。


悪魔は人間より はるかに力があるので、人間をまったく恐れません。


むしろ人間を支配して、自分の奴隷にし、“世の支配者” として君臨しています。


3階建ての家で例えるならば、1階は人間、2階は悪魔、3階は神様が住んでいます。

神様が 1番力があります。

次に力があるのは悪魔で、最後が人間です。


ですから、悪魔に勝つためにはどうしたらよいか、力ある神に戦い方を教えてもらうことです。


そして私たちが3階に引っ越しをし、神と共に住むことです。


聖書には 悪魔の策略もありますが、神の勝利の秘策も色々と紹介されています。


今回は避けられない悪魔との戦い方を主のことばから学びます。




・神に従って悪魔に立ち向かう




悪魔は “私たちが神と共にいる時、神に従っている時” に私たちを攻撃しても勝利することは出来ません。


なぜなら悪魔は、私たち人間のことは全く恐れないですが、神には勝てないので 神を恐れています。

神の前では(悪魔は)逃げ去ります。


私たちがいつも神と共にいて、神に従うと、神は私たちに悪魔を追い出す権威を授けて 悪魔に勝利出来るようにして下さいます。


すると悪魔は、その権威の前に思うように働くことが出来ず、私たちが “主の名” によって追い出すと悪魔は出て行きます。


パウロはその権威があったので、悪魔を追い出しましたが、その権威がない者が追い出した時に、反対に悪魔の攻撃を受けて 自分たちが悪魔から逃げ去りました。


ですから神は “神に従って、悪魔に立ち向かいなさい” と命じました。

権威もなく、1人で戦うと悪魔からひどい目に遭います。


悪魔との戦いは、ネット世界のゲームの戦いではなく、実際の戦いです。


サタンが1番標的にするのは、“クリスチャンでありながら 神に従わない人、神と共に歩まない人” です。


その人たちは神を信じているのに、いつまで経っても悪魔から自由にされず支配されています。


その人たちは悪魔の言うことはよく聞いても、神の言うことには聞かず、死んだ信仰状態です。

悪魔に支配されているので、生まれ変わったとは言えない状態です。



イエス様は「私の中にとどまりなさい。私を離れては何も出来ない。」と言われました。


悪魔との戦いに勝ちたいならば、主の中にとどまりながら、主に従うことが最も大切です。


悪魔は強いですし、数も とても多いです。

次々と攻撃をしかけますので、神の中が一番安全な場所です。


サムソンもダビデも主と共にいて、従った時は強い敵に勝利しましたが、欲望に心が取られた時にサタンがしかけた罠に引っ掛かり、罪を犯し、サタンに勝利をもたらしました。


彼らが悔い改め主に立ち返った時に、再びサタンに勝利することが出来ました。


ですから悪魔に立ち向かうためには、いつも主に従って主の中にとどまることが必要です。




・神のすべての武具を身に着ける




【エペソ6章10-17節】

終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。

悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。

私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。

では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、

足には平和の福音の備えをはきなさい。

これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。

救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。

神は “キリストの兵士” として召された聖徒たちが、霊的戦いで勝利出来るように “神の武具” を用意して下さいました。


霊的戦いをする聖徒たちは、必ず神の武具を着ないといけないのに、この武具があることすら知らないクリスチャンが多いです。

みことばは知っていても、着ていない人が多いです。


その人たちは何を持って悪魔と戦っているでしょうか?
肉の力で戦っているでしょうか?それとも、大声が武器でしょうか?


人と人、国と国の戦いには 目に見える武器が必要ですが、(目には見えない)霊的存在である悪魔との戦いには 神から言われた “神のすべての武具” が必要です。


神の武具には、神の力と守り、恵みがありますので、それによって戦うならば、勝利は間違いないです。


サタンにいつもやられている人は、神の武具がない “裸の状態” で出て行くのでサタンの捕虜にされてしまいます。

そして神が助けてくれなかったので、「すべては神様のせいです」と神に文句を言います。

これは とんでもないことです。


裸で手ぶらの状態で 神の指示も無視して敵の前に出るならば、物笑いです。

それでは あっという間にサタンの奴隷にされてしまいます。


神の武具を 【ローマ13章12節】 では、「光の武具」と言っていますし、【第2コリント6章7節】 では「義の武器」と言われています。


闇である悪魔は 光には勝てませんし、不義である悪魔は 義の前では勝利出来ません。






また、神のすべての武具に何があるのかを学びます。


腰には “真理の帯” です。

真理は、世の価値観・偽りから私たちを守ります。


この世ではサタンが蒔いた価値観にあふれています。

そのほとんどが真理に逆らう価値観です。


ですから(この世は)神に敵対しながら生きています。


世の価値観に勝つためには、真理による価値観と行動が強力な武器になります。


胸当ては 急所を守る役割をしますが、“正義の胸当て” は、神の言葉に忠実に従うことで着けることが出来ますし、その胸当てはサタンの惑わしの火矢から守ってくれます。


福音の履き物は“ 福音を伝えること” で、サタンの勢力を打ち破ります。

信仰の大盾は、“主の力を信頼して、敵の攻撃を防ぐことも攻撃する” ことも出来ます。


また信仰は “世に勝つ力” です。


救いのかぶとは、“救いを確信すること”で、大胆に戦うことが出来ます。

神の救いが確信できないとサタンとの戦いに恐れが出て、勝つことが出来ません。


手には聖霊が与えて下さった みことばの剣をしっかり握って “悪魔を攻撃” します。




・祈りによって戦う




【エペソ6章18節】

すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。

兵士がどんなに完全武装していても 眠っているならば、あっという間に敵にやられてしまいます。


聖書は、目を覚まして御霊によって祈るように命令しています。

それは敵がいつ攻撃するか分からないからです。

“祈り” によって神の守りと恵みを受けることが出来ます。


霊的戦いは激しいので、勝つためには神の助け、守り、恵みが必要です。


イエス様も 十字架を前にして、ゲッセマネの園で汗が血のしずくになるまで祈ったので、悪魔との激しい戦いに勝利することが出来ました。


イエス様が弟子たちには「誘惑に陥らないように目を覚まして祈りなさい」と何度も言いましたが、誰も祈らず眠ってしまったので戦いに敗れ、イエス様を裏切り、散々な目に遭いました。


“祈り” がどんなに重要な戦いの武器になるかは、このことで弟子たちはすごく分かりました。

その後は祈りに専念する弟子たちになりました。


また、悪霊に取りつかれた少年が来た時に 弟子たちだけで悪霊を追い出そうとしましたが、出来ませんでした。

しかしイエス様が来て悪霊を追い出しました。


そこで弟子たちは「なぜ自分たちはそれが出来なかったのか」と主に聞きました。

その時も主は、悪霊を追い出すために “祈りが必要であること” を教えました。


【マルコの福音書9章29節】

「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」

普段から祈りがしっかり出来ている人は、サタンとの戦いに強いです。

自分に力があるからではなく、祈りによって神に頼り、神の助けと恵みを受けるからです。


サタンとの戦いはますます強く巧妙になります。


戦いを恐れるのではなく、神の中にとどまること、神に従うこと、神のすべての武具を身に着けること、そして目を覚まして 絶えず祈ることで、勝利出来ますので、後は大胆に悪魔に立ち向かいましょう。
( ̄‥ ̄)=3

2016.2.21
聖日礼拝メッセージ

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聖霊に満たされるためには

テーマは 『  聖霊に満たされるためには 』 です

【使徒の働き11章24節】

彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が主に導かれた。

「使徒の働き」を読むと 主の十二弟子以外にも多くの弟子たちが素晴らしい活動をしたことが記録されてあります。

彼らは十二弟子と変わらない多くの働きをしました。


バルナバは、主の弟子になり、後に偉大な使徒になるパウロを最初に助けた人でもありました。

彼は多くの人々を主の弟子にしました。


それはイエス様から次のように言われた通りの働きをしたことを意味します。


【マタイの福音書28章19節】

それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。

立派な働きをした弟子たちに共通するものは、聖霊と信仰に満ちた姿でした。


聖霊充満な人は信仰充満な人です。
信仰充満な人は聖霊充満な人です。


信仰がない人は 弟子にはなれませんし、弟子を作ることも出来ません。

そして信仰のない人を神様が用いることもありません。


主の弟子になり、弟子を作る人たちは聖霊充満な人たちです。


聖霊に満たされないと、自分の知恵や力、自分の思いで働くので 神様が喜ぶ働きも勝利の信仰生活も出来ません。


ですから神様は、私たちに “聖霊に満たされなさい” と命じました。


聖霊は、神様が遣わして下さった神の霊です。

私たちを助け、私たちが勝利ある信仰生活が出来るように、また聖霊の力を受けて立派な働きが出来るように助けて下さいます。


信仰生活のために聖霊を受けることは当然です。

聖霊を拒否することは、神を拒否することと同じです。


神を拒否しながら どのような信仰生活を送りますか?

それは むなしい信仰生活で、自己満足に過ぎないので 神とは関係がありません。


聖霊を受けた使徒や弟子たちの働きは、すなわち聖霊による働きでした。
聖霊なしには不可能な働きです。


ですから「使徒の働き」の中に “聖霊” という言葉がたくさん書かれています。

「使徒の働き」を読みながらチェックしてみて下さい。


彼らはどのようにして聖霊に満たされたのでしょうか?

―― 聖霊に関して主が命じた言葉に彼らが従順したので 聖霊に満たされました。


主が聖霊に関して命じたことは何でしょうか。




聖霊を受けなさい





【ヨハネの福音書20章22節】

そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。

聖霊は主の霊ですから、もし私たちが主の霊を受けないと、私たちは主の者ではありません。自分の中に聖霊を受け入れることで、聖霊が自分の心の中に住みます。



【第1コリント3章16節】

あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。

そしてイエス様は次のようにも語りました。


【使徒の働き1章8節】

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

弟子となり キリストの証人になるためには聖霊なしでは不可能です。


ですから聖霊は主のことば通り、必ず受けなければなりません。




御霊を消してはなりません




このことばは次の箇所にもあります。


【第1テサロニケ5章19節】

御霊を消してはなりません。

聖霊を消すことは、その指導を受けることを拒否し、聖書に明確に示された神のみこころに従わないで、それに逆らうことです。


御霊を消してしまうと どのような状態になるでしょうか?


1人の人物を通して 変わっていく状態を調べてみます。

イスラエルの初代王であるサウルは、当時の預言者サムエルを通して神のことばを受けました。


【第1サムエル記10章6節】

主の霊があなたの上に激しく下ると、あなたも彼らといっしょに預言して、あなたは新しい人に変えられます。

そして、すべてのことが言葉通りにサウルに起こりました。


彼は聖霊に満たされ、新しい人となり、力を受けてイスラエルの初代王になりました。

神は彼の力になって下さり、王としての働きが始まりました。


しかし しばらく経たないうちに、彼が神を求めず、人間的な思いを優先にして、神の命令を知っていながらも従わず 不従順しました。

それも1度だけではなく、度重なる彼の不従順に聖霊は彼から離れていきました。


すると悪霊がチャンスを得て、彼の心を完全に支配し、その時から彼は悩まされ、ますます悪を行う者になっていきました。

聖霊を消すことは、悪霊を自分の中に招くことになります。


人間は霊的存在なので、肉体だけで生きることは出来ないです。

聖霊に支配されるか、悪霊に支配されるか どちらかです。


聖霊に逆らいながら 聖霊充満を求めること自体間違えています。

聖霊を消す人に、聖霊充満はありえないことです。


そして聖霊と常に人格的な交わりをせず、空気の存在のように無視したり、交わりをしないと それも聖霊を消すことになります。




聖霊を悲しませてはいけません





【エペソ4章30節】

神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。

聖霊を悲しませる行為は 罪から離れず、悪いことを行うことです。


聖霊は私たちを助け、私たちが多くの良いわざを行うことを願っているのに、私たちが良いことをせず、悪いことばかりを行うならば聖霊は悲しみます。

それは聖霊との関係を壊すことになります。


罪は聖霊を悲しませる最も大きな原因になります。


聖霊は罪から離れない人とは交わりが出来ません。


聖霊を悲しませると、だんだん罪が神との間に仕切りを造り、関係が悪くなり、祈りは聞かれなくなります。


ですから聖霊に満たされたいならば、罪を悔い改めて、悪から離れ、聖霊との関係を良くしなければなりません。




御霊によって歩みなさい





【ガラテヤ5章16節】

私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。


【ガラテヤ5章25節】

もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。

御霊によって歩むことは、御霊に従順し、すべての罪を悔い改め、聖書にある主の命令に従順して生きることです。


生活全般において常に聖霊と共に歩みながら、聖霊のことばに従うと、他の肉の思いが心を支配することがないので、心の中はいつも聖霊の思いで満たされるようになります。


試合を控えた選手は、コーチや監督のことばには絶対的従順が要求されます。

もし言うことを聞かないならば、その選手はレギュラーから外されるか、試合に出ても負けます。


選手は良い成績を残すためにコーチの指導に全て従います。

どんなに過酷な訓練や暴言に 泣きながらもずっと耐えます。


人間に対しても そのように寄り添って歩むならば、自分のいのちの主、自分の人生を勝利に導こうとする聖霊によって歩むことは なおさら必要なことです。


私たちが本気で聖霊に満たされたいと願うならば、これらの条件を満たしていかなければなりません。

ある瞬間だけではなく、ずっとそれを継続していく時に、その人は聖霊充満な人になります。


その人は日々の生活で聖霊に導かれて歩みますし、主の弟子になりますし、主の弟子を作る人にもなります。

皆さんもこのようにして聖霊充満な人になりますように主の御名によってお祈りします。
(´・ω・`)


2015.12.13
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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神様の愛と憐れみ

テーマは 『 神様の愛と憐れみ 』 です


神様が私たちを愛するのは、私たちが愛される条件が揃ったからではなく、神様が愛と憐れみ深い方だからです。


今日、多くの信徒たちが、その一方的な愛と恵みを受け入れないで、自らが愛される条件を作ろうと励んでいます。

“これをしたら、あれをしたら愛される”と思いながらやっています。


それは、疲れる人生であり、安息のない人生であり、やってもやっても満たされることがない人生です。


私たちは、神様の愛と憐みを そのまま受け入れ、信頼したら良いです。

主がなさったことを信頼し、これからすることに対しても信頼することです。


アブラハムを見たら分かります。

聖書で、神は初めてアブラハムに対して信仰による神の義を現しました。


【創世記15章5-6節】

そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」 さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」

彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。

年も取り、妻は不妊の女なので、1人も子どもがいないアブラハムですから、これこそ信じ難いことばなのに、彼は何の疑いもなく神のことばを信じました。

信じたアブラハムを 神は喜んで下さいました。
神の義とは、神が“それで良し”と認めてくださったことです。


私たちが作った条件が義を作るのではなく、私たちの信仰を 神が義と認めてくださいます。

また、行いが義を作るのでもないです。
思い出してみてください。


イエス様がサマリヤの井戸の傍で1人の女性と話をしました。

イエス様は彼女が変わってから 彼女を受け入れたのではなく、主が彼女を受け入れた後に彼女が変わりました。

変化は 主の臨在の後に来るものです。


まだ自分の変化が足りないならば、それは主の臨在の体験が足りないことですし、また 主に対する愛への信頼が足りないことです。

自分の姿がグチャグチャであっても、情けない姿であっても、まず主を信頼してください。


まだ断ち切れていない罪があったとしても、まず主を信頼し 告白してください。

主があなたを受け入れ、変えてくださる力があることを信頼してください。

あなたは罪に勝つことができません。


しかし、あなたの中におられる主が あなたの中で働き、勝利を与えることが出来ます。

罪を認め 告白する時に、主が臨在し 新しくしてくださり、義と認めてくださり、自由を与えます。


自分を義人だと自任し、自分の行いで義と認められることを期待したパリサイ人が義と認められたのではなく、「神様。こんな罪人の私をあわれんで下さい。」と主に祈りをした取税人が義と認められて家に帰ったと はっきりと主が語ってくださいました。


私たちも主の前で 彼のように祈る時に、主は義と認めてくださいます。

決して行いで義と認められることではありません。


神は今も 愛と憐みをもって私たちを愛しています。

その愛と憐れみをそのまま受けてください。

何かを差し出して愛してくださいという必要はありません。
(´▽`)

2015.10.23
3分テレフォンメッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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