からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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刈り取り

私の使命は宣教

テーマは 『 私の使命は宣教 』 です

【マルコの福音書16章15節】

それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。

宣教は、宣教師・伝道師・牧師だけがするものではなく、救われたすべての人にイエス様が与えた命令であります。

宣教は誰かがするのではなく、「私がしなければならない使命」だと認識をしなければなりません。

初代教会の人たちと、イエス様の弟子たちは この言葉をしっかりと受け取りました。

もし 初代教会の人たちが宣教活動をしなかったならば、福音はそこで終わったと思います。しかし、イエス様が天にのぼられた後に すぐさま立ち上がって福音を伝え、3千名が救われました。
ある程度 増えてくるとグループになって固まろうとするところがありますが、それは神様が喜ぶ姿ではないです。
「まだまだ救われていない魂がいるだろう。」と語ります。


エルサレムの教会に対する迫害があり、信徒たちはそこにいることが出来ず散らされていきましたが「散らされた人たちは、みことばを宣べながら巡り歩いた。 」と主から受けた言葉通りに一般の信徒たちにも福音を伝えました。これは神様が喜ぶ姿であります。

迫害の中でも福音を伝えるということは命懸けなのです。

どの時代でもこの命令が変わることなく与えられていますので、私たちは福音を宣べ伝えていかなければなりません。


日本や韓国は、イスラエルから遠く離れていて福音が届きにくい場所にあります。
今から150年前に 日本にキリスト教が伝えられましたが、当時は交通便も悪いですし、情報を手に入れるのも難しい時代でした。

しかし、十字架の信仰と殉教精神、宣教への情熱を持って多くのクリスチャンが全世界へ出ていきました。

日本も韓国も まずカトリックの神父たちが福音を伝えに入ってきました。そしてその後に宣教師たちが来て、みことばを伝えました。

多くの宣教師たちが迫害に遭い、命を落とし、二度と国に帰ることはありませんでした。
それでも宣教師 たちは途絶えることなくやってきました。とても感謝なことであります。

もしこの人たちが来なかったならば誰1人福音を聞くことが出来なかったと思います。


今回の教役者大会でも、フィリピンの講師先生が「日本へ宣教に来て20年以上経っている宣教師たちは立ちあがって下さい。」と言われた時に、 多くの宣教師たちが立ちあがりました。

言葉が通じないところへ来て 人知れぬ大変な苦労をしながら生活をしていたのだろうと感じました。
講師先生が「この方たちは本当に立派であります。自分の国を離れて、ただ1つ福音を伝えるためだけに来られて20年以上経っていますので拍手を送りましょう。」と言って 皆で拍手を送りました。

この人たちは戦いの戦士に見えました。日本人がなかなか福音を伝えない中で、外国人が戦いの中へ飛び込んでいく姿が想像できました。

私たちはそのような姿を見て、自分たちは何をしているのか ――?自分の家族や周りの人々に福音を宣べ伝えているのか?そのことを心に留め、悔い改めながら新しい思いを持たなければいけないと思います。


終わりの時は今までにない迫害が来て、信じる人たちも自分の信仰を守ることがとても難しくなります。
ですから福音を伝えることはもっと難しくなります。今、家族に福音を伝えなければならないです。

私たち自身がいつも問題ばかり抱えて、神様に出会って何一つ良いことがないならば 証にならないです。
自分自身が変わっていないならば 家族への宣教は難しいです。


宣教は外国へ行くことだけが宣教ではなくて、家族に対しても私たちが変わっていく姿を実際に見せていないと「イエス様を信じて。」と言っても
「あなたは信じて何が変わったの?何も変わっていないじゃない。」と言われ 福音が伝わりません。

私たちには責任があるのです。「私は家族・親戚に良くなっている姿を見せているのか ――?」それを反省しなければならないです。




昨年11月8日~10日まで、イスラエルのベツレヘムで聖会がありました。

そこにあるベツレヘム第一バプテスマ教会が、韓国のヨンセ中央教会と3年間 合同で聖会を年1回 開いています。
その理由は、その地域に住む人たちは福音を聞くチャンスがないまま死んでいく魂が多いからです。

その地で福音を伝えることは命懸けであります。なぜならそこに住むアラブ人はイスラム教を信じる人が多いからです。ベツレヘムはイエス・キリストが生まれた土地であります。
現在はユダヤ人がまったくいない地域でパレスチナ人が住んでおり、いつでもイスラムのテロが起こり得る場所です。


今まで福音を聞いたことがない1,300名のイスラム教徒のアラブ人が参加し、正統派イスラム教徒も30名が参加したと言われています。
彼らは何が語られるのかと福音を聞きに来ました。神様は彼らにも福音を聞いて救われて欲しいのです。

3日間で5,000名が集まり、その中で175名が救われ、イエス様を救い主として受け入れました。そして悪霊が追い出され、病人が癒される奇跡が起こりました。


伝える人がいなければ、救われる人もいないです。

今までイスラム教徒として生きていた人たちが福音を聞いた時に、力と奇跡を神様は現わし、生きて働く神様を見せてくださいました。

神様は福音が全世界に届いて人々が救われることを願っておられます。




ここで韓国と中国の教会の姿を見てみたいと思います。


韓国の教会は以前にリバイバルをしました。聖霊の働きがとても強く、世界の中でも韓国の教会が一番燃えていました。しかし今は 下り坂になりリバイバルをしなくなりました。そして主のために献身をする十字架の信仰が消えていきました。
その原因は、経済的に豊かになってしまったからです。


その反面、今 中国では聖霊の働きがとても強く現われ、驚くべき成長を見せています。
公認教会や地下教会の人たちは命をかけて福音を伝えています。

彼らは投獄されても福音を伝えており、その多くの者たちに十字架の信仰があります。


韓国でも危機感を持っているクリスチャンたちは目を覚ましています。
「この時代において、私たちが何をすべきか」を考えるようになりました。

韓国教会の時代的使命は、中国宣教であります。
なぜ中国を宣教するのかと言うと 聖霊様の働きで救われる人たちは多いですが、教理的な部分がまだ弱いです。
神学校が足りなく 指導者も足りないです。


韓国は神学校が多く 海外で学んでいる人もたくさんいますし、教理的・神学的に優れています。
しかし熱が冷めて弱くなってきました。
ですから「私たちが持っている教理的・神学的なものや指導者を中国へ送り、中国の人たちが更に力を持って宣教できるようにと たくさんの人たちが中国へ行っています。


中国教会は殉教信仰が強い人もいれば、中国は経済が良くなってきましたので 教会に来る人の中でも経済的祝福だけを求める人が増え、神様よりも 神様が持っているものに関心が多いです。
そうすると神様に対する想いも冷めていきます。それが中国でも実際に起こってきています。

中国は人口が多く、国内では少数民族が55もありますし、中国は、終わりの時代に世界宣教の使命がある国だと思います。


なぜかと言うと日本や韓国がイスラム圏やアフリカに宣教しようとするならば拒まれるのです。それは、アメリカと仲が良いという理由です。イスラム教の国ではアメリカに対する敵対心がとても大きいのです。


しかし中国は社会主義ですので イスラム圏の国やアフリカにたくさん入っていけるのです。

韓国では「中国教会がアラブ、イスラエルなどイスラム圏の国々のために時代的使命を果たすことができるように協力することである」と考えています。




日本はどちらでもないです。
日本ではリバイバルが起こったこともないですし、熱くなったり冷めたりすることもないです。

「韓国や中国には出来ても日本には無理だ」ということを言いますが、これは言い訳にすぎません。
よく考えてみると自分たちが燃えたことがないのです。


自分たちが命を懸けるほど国に福音を伝えようと熱く燃えたことがありますか?


ですから原因は私たちにあるのです。自分たちが勝手に諦めているのです。
人々が滅びていっても関心がなく、家族がイエス様を信じなくても重荷を負わず「私には関係がない」という思いが強いです。
そのことを悔い改めなければなりません。

「ただ他人に迷惑をかけなければ良い」ということではないです。
福音は迷惑をかけても良いものです。「あなたの魂が救われて欲しいんだ。」という熱い想いなのです。


私たちの周りはほとんどの人たちが未信者だと思います。
時々その人たちに みことばカードを使って「お元気ですか?」と手紙を書いたら良いと思います。
その人たちに関心を持って、関係を結んでいくと良いです。みことばカードの言葉が種になって蒔かれていきます。

神様は私たちにそれをして欲しいと願っているのです。他人に関心を持って欲しいのです。
自分たちだけが救われて天国へ来るのではなく 「働きをしなさい。」と主が教えておられます。


私たちが宣教をする時には どのような心を持っていなければならないでしょうか?

私たちはクリスチャンの目で見なければならないです。今、ものすごく悪い勢力が働いています。
それは、日本・韓国・中国を仲悪くさせようとする力が 以前よりも強くなっていることを私たちは見ています。

ネット上でも過激な言葉や非難的な言葉がとても多いです。
過激な言葉を使って本を出版すると人々が買います。これは金儲けで自分たちの利益のために働いています。国のことは関係がないのです。

私たちはそのようなものに翻弄されてはいけないです。

「政治が悪い、国が悪い、国民性が悪い」と言いますが、どこの国でも皆、自分たちの国の方が大事なのです。
ですから色々なことがありますが、クリスチャンがそのような目で見ていたら本当の姿が見えてこないです。


クリスチャンは神の目でこの時代を見ることであります。

「サタンが働いて分裂を起こしているのだ。国々に敵対心を生んでいるのだ。」と、私たちは絶対に悪いものに乗ってはいけないです。

「今は収穫の時である。これが終わりの時のしるしであるのだ」ということを 私たちは知らなければならないです。


【マタイの福音書9章35-38節】

それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやされた。

また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。

そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。

だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」

私たちが人々を見るときに、どのような思いで見るのかマタイの福音書9章36節に書かれています。

私たちの周りにいる群衆を見た時に、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れているので「可哀想だ」という思いで見ることです。
そしてその人たちに、水1杯を与えるのです。その水1杯とは神様の言葉であるのです。


弱り果てている人に力を与えるのは みことば しかないです。

まずは自分が働き手として働き、それでもまだまだ福音を聞いていない人が多いので働き手を送ってくださいと祈らなければなりません。


【ヨハネの福音書4章35-38節】

あなたがたは、『刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある』と言ってはいませんか。さあ、わたしの言うことを聞きなさい。 目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。

すでに、刈る者は報酬を受け、永遠のいのちに 入れられる実を集めています。それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。

こういうわけで、『ひとりが種を蒔き、 ほかの者が刈り取る』ということわざは、ほんとうなのです。

わたしは、あなたがたに自分で労苦しなかったものを 刈り取らせるために、あなたがたを遣わしました。ほかの人々が労苦して、あなたがたはその労苦の実を得ているのです。」

もう色づいているので「まだまだ」だという思いを捨てなさいと教えておられます。
私たちが福音を伝える時の言い訳の1つが「あの人はこうだから、多分 福音を聞かないでしょう。あの人は他の宗教を信じています。 あの人は心が頑なです。」とか先に言い訳をして「だから無理です。今ではないです。」と言います。

イエス様は「あなたが出て行って刈り取る時なのだ」と言っておられます。


私たちが種を蒔いてもビクともしない人がいるかも知れません。
しかし、長い時間が経って別の者がその人のところへ行き 福音を伝えた時に受け入れることがあります。

私たちは自分が蒔いて、自分で必ず刈り取らなければならないということではないです。

今すぐ刈り取ることはできなくても失望せずに、神様は種を蒔きなさいとおっしゃいます。
いつかあなたが流した労苦が必ず実を結ぶことを教えています。


【Ⅱテモテ4章2節】

みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。

みことばを伝える時は 色々な戦いがあります。拒否する人たちも出て来るのです。
ですから教える時も、責める時も、戒める時も、勧める時も「みことば」を使うのです。そこでは自分たちの言葉はいらないです。
神様の言葉を教えてあげることであります。

神様の言葉には力がありますので、きっとその人たちの心を刺し、悔い改めや立ち返りに導かれるでしょう。


私たちはしっかりと神様の使命を悟り、みことばを宣べ伝えていきましょう。

箴言には知恵の言葉が書かれています。私たちが人間的な言葉ばかり伝えると、人と会話をしても相手の心に残ることがないです。
しかし、私たちの言葉の中に 神様の言葉がたくさん散りばめられていると、その人の魂にぶつかっていきます。


日々、私はこの国に遣わされている宣教師だと思いながらやってください。
これからは伝道を常に心掛け、宣教に力を入れましょう。 ( ̄‥ ̄)=3

2014.2.16
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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どのように祝福が与えられて、感謝が生まれるのか

テーマは『 どのように祝福が与えられ、感謝が生まれるのか 』です

【Ⅱコリント9章6-12節】

私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。

ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。

神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。

「この人は散らして、貧しい人々に与えた。その義は永遠にとどまる。」と書いてあるとおりです。

蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。

あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。

なぜなら、この奉仕のわざは、聖徒たちの必要を十分に満たすばかりでなく、神への多くの感謝を通して、満ちあふれるようになるからです。

私たちはどのように多くの祝福を受けることが出来るでしょうか。
そして感謝がどこから生み出されていくのでしょうか?

神様がすべてのものを造られ、私たち人間も造ってくださったのです。今も主権者として働いてくださっています。

目には見えませんが、あらゆる自然界の法則があります。朝があり、夕があります。太陽があり、地球が回ることも法則があります。
そして、蒔いたら刈り取るという法則の中ですべてのものが動いています。

たくさん祝福を受けたいと誰かが思うならば、その人はある法則に従わなければいけないです。
それは、「少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取る。」これは聖書を読まなくても自然界の中で知っていることでもあります。

豆を蒔いたら豆が生えて、小豆を蒔いたら小豆が生えます。
豆を蒔いたのに、小豆が生えることはないですね。

たくさん刈り取りをしたいなぁと考える農夫ならば、自然の法則通りに畑にたくさんの種を蒔くと思います。
そして秋になったらたくさんの収穫ができるようになります。

この法則を決めたのは神様であります。


【ガラテヤ6章7節】

思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。

悪いものを蒔いたら悪いものを刈り取り、良いものを蒔いたら良いものを刈り取ります。
少し蒔いたら少しだけ刈り取り、多く蒔いたら多くの刈り取りをします。

ある人が少しだけ蒔いて沢山くださいと祈り、手に入れてから「私は100倍を求めたのにこれだけですか?」と
言うならば、この箇所にある「神は侮られるような方ではない」のです。
少しだけ蒔くなら、それ相応の分しか刈り取れません。

神様の法則は、今も正しく働いています。世の中にも因果応報という言葉があります。
自分でしたことは自分で刈り取るのです。

蒔いてもいないものを刈り取ろうとするならば、それは詐欺師です。これは逆らって生きている人たちの姿です。
不正で得ているものは祝福ではないです。

私たちはそういうものではなくて、神様が決められた法則に従って生きていかなければならないです。


【箴言12章14節】

人はその口の実によって良いものに満ち足りる。人の手の働きはその人に報いを与える。

「人の手の働きはその人に報いを与える。」というのは、一生懸命 勤勉に働く人は、必ず報いを受けるということです。仕事をしないで何もしない人は、貧しさしか刈り取れないです。


【箴言28章19節】

自分の畑を耕す者は食糧に飽き足り、むなしいものを追い求める者は貧しさに飽きる。

一生懸命、朝から畑に出て種を蒔き 世話をし、そして水を注ぎ雑草を取り除く人々は、
秋の収穫になると 食糧に満ち足りるのです。また、むなしいものを求めると、良いものを手に入れることもないです。

私たちが豊かな祝福を受けるにはどのようにしたら良いのでしょうか。
忠実な者に、神様が豊かな報いを与えてくださるのです。忠実ということは、最善を尽くすということであります。

すべてのことに対して最善を尽くす人たちに、神様は豊かな祝福を与えます。

聖書には「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして」という言葉があります。
神様を愛する時や信じる時以外にも、仕事や何かをする時には心を尽くしてしなさいということです。
適当にするのでは良い報いはないです。


【マタイの福音書25章21節、23節】(※同じみことばです)

その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』

働きを一生懸命した人に対して 神様が語る言葉です。わずかな物、小さなことにも とても忠実だったのです。
そして、その忠実さを見て 神様が語ったのは「たくさんの物を任せよう。」でした。これは祝福であります。

主に対して忠実な者には、神様ご自身が責任を取ってくださるのです。

豊かに与えてくださる神様であることをはっきりと語り、常にすべてのことに満ち足りるようにしてくださる神様なのです。


【Ⅱコリント9章14節】

また彼らは、あなたがたのために祈るとき、あなたがたに与えられた絶大な神の恵みのゆえに、あなたがたを慕うようになるのです。

「絶大な神の恵み」という言葉がありますが、これは私たちが信頼できるものであります。

今回のテーマの箇所は、献金のことを語りました。捧げ物に対して語った言葉でした。
「いやいやしながら」、「仕方がないなぁ」、「言われたから強いられて」、時には「惜しむ心で」捧げるならば、
それは忠実さではないと語りました。計算高いのです。また神様を試すことも、神様が喜ぶ心ではないです。

忠実にするのは、神様に対する愛の心があるからです。
「私が持っているものは、全部 神様から受けた良い物なのです。ですから、神様がそれを必要とするならば 私は主に喜んでそれを捧げます。」これが忠実な姿なのです。


また、神様はどのような人を豊かに祝福するのでしょうか?
良い種を蒔く時に祝福します。
しかし 種だからと言って、なんでもかんでも全部 祝福になって戻ってくるということはないです。

良い種とは、神様が喜ぶことに蒔く種のことです。
神様だけに蒔くのが良い種ではなく、神様が私たちにして欲しい所に働きをすることが「良い種」であります。


【Ⅱコリント9章9節】

「この人は散らして、貧しい人々に与えた。その義は永遠にとどまる。」と書いてあるとおりです。

「この人は散らして、貧しい人々に与えた。」という言葉があります。
神様は私たちに良い働きをしなさい と語っています。
困っている人たち、貧しい者たちを助けること。これは良い種を蒔くことであります。
自分のため、自分の欲のために蒔いても、それは良い種ではないです。

また、豊かな人に与えるのが良い種ではないです。
ある人たちは自分に返ってくるものを考えて、豊かな者たちに与えます。そこに計算があるのです。

「貧しい者に与えたら、ただ与えるだけで終わりでしょう?」これは悪い種です。

貧しい者たちに与えると、それは全て神様が喜ぶ種であります。

日本は今、それをしています。東日本大震災が起きた時に、世界中から多くの援助がありました。
フィリピンも日本が困っている時に色々と助けてくれました。
ですから、先日のフィリピンの台風被害で 日本からもすぐに支援に行きました。医者や自衛隊も行きましたし、
物資も送りました。フィリピンが日本に対してしたこと以上に、日本がフィリピンに支援をしています。

「彼らが1個蒔いたから、私たちも1個にしましょう。」ではなく、「その時嬉しかったから私たちは10倍しましょう」と、
そのようにして支援をしています。

困っている人、貧しい人を助けるのは積極的にしなければいけないと思います。


【伝道者の書11章1-2節】

あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。

あなたの受ける分を七人か八人に分けておけ。地上でどんなわざわいが起こるかあなたは知らないのだから。

良い種を 多くのところに蒔くことが、後で多くの祝福を受ける秘訣でもあります。

パンを水の上に投げたら無駄なことでしょう?という思いがあります。ですが、多くの人々に良い働きをすると、
その時には何もないように見えて 無駄なように思えるかも知れませんが、神様はそうしてみなさいと語ります。
「七人か八人に分けておけ」ということは、畑が狭いのではなくて、広い畑なのです。

自分自身には たくさんのものを蒔きますが、他人に対しては手を差し伸べない人もいるのです。
そのような人たちは後で(自分が)困ることになるのです。

どんな災いが起こるかは分からないです。しかし、たとえ災いが起きたとしても その時に助けられる人の特徴は、既に色々な良い種を多くの人たちに蒔いた人です。その人に助けられた人は「今、あの人が困っているんだ。」と、助けようとするのです。

しかし、周りの人たちに蒔いたことがない人は、困ったことがあっても周りは手を差し伸べないのです。

ですから、自分が出来る時には 良い種をたくさんの人に蒔きなさい と主が語っておられます。


【伝道者の書11章6節】

朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。二つとも同じようにうまくいくかもわからない。

ある種は道ばたに落ちて、ある種は岩地に落ちて、ある種はいばらの中に落ちて、ある種は良い地に落ちました。
あるものは無駄になりました。しかし、良い地に落ちた種は三十倍、六十倍、百倍の祝福がありました。
ですから、豊かに蒔くことなのです。たとえ、その人から何も来なくても神様が報いを与えてくださいます。


また、私たちの「感謝」はどこから出て来るのでしょうか?

働きをすると、神様がその人の上に蒔く種(食べるパン)を与えてくださいます。
良いことをしている人が飢え死になることは聞いたことがないです。神様が喜んで器に注いでくださいます。

私たちが良い働きをしたり、みことば通りに働きをすると、一番喜んでくださるのは神様なのです。

神様が喜んでくださることをするのが、神様に栄光を捧げることになります。
小さな力をもって神様の言葉に忠実にし、神様が決めた法則に逆らわないで生きる人に対しては、
神様はずっと恵みの雨を降らせてくださり、その人の蒔いたものが成長(収穫)するように祝福してくださるのです。
その中で既に神様は栄光を受けています。

そこで (その人は)神様の御手をたくさん体験しますので、感謝が溢れるのです。
与えない人は感謝がないです。しかし、与える人はいつも感謝が出てくるのです。

なぜならば、私たちが相手のために何かをした時には、相手は喜ぶのです。
喜ぶ顔を見ると自分も嬉しくなるのです。「やって良かった。感謝だなぁ。」と幸せな気持ちになります。

しかし、自分や自分の家族だけにすると、家族が自分に栄光を捧げるでしょうか――?
それはないです。自分の子どもを大事にしても、財産をもらう時だけ来て、全く会いに来なかったりします。


貧しい者たちや、隣人に良くしてあげてみてください。
その人たちが感謝をして、その人たちが世話をしてくれるのです。

家族や身内よりも、今は教会の信徒たちの方が良いかもしれないです。
困っている時にすぐ祈りをしてくれたり、助けてくれたり、協力してくれます。

(周りに良くすると)その時は無駄かも知れないと思っても、神様が喜ぶことをしていたら、神様は災いの日に祝福を与えてくださいます。
そうなると感謝が絶えることなく与えられてくるのです。


【Ⅱコリント9章8節】

神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。

神様への信頼がありました。神様は真実な方でありますので、このみことば通りにしてくださいます。


【Ⅱコリント9章7節】

ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。

神様はすべての者を愛してくださいますが、特別に愛する人とは、神様を喜ばせる人です。


【Ⅱコリント9章10節】

蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。

蒔きたいという気持ちがたくさんあるのに、自分の手に何も持っていない時は神様に祈ったら良いです。
すると神様ができるようにしてくださいます。


【Ⅱコリント9章11節】

あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。

神様は蒔く者たちに豊かな恵みを与えるので、その人たちは 更に感謝しながら喜びながら蒔き続けるのです。

神様は「あなたたちは感謝の心を持つ者になりなさい。すべての事について、感謝しなさい。」と教えてくださいましたので、
感謝の心を持ちましょう。そうすると環境が変わってきます。

不平不満をいっぱい言うと、後で刈り取るものは「不平不満の実」です。
しかし、感謝を蒔くと、後で刈り取るものも「感謝」であるというのが聖書の世界であります。 (⌒-⌒)

2013.11.17
収穫感謝祭メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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