からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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公義

今日は何をもって主の前に出ますか

テーマは 『  今日は何をもって主の前に出ますか 』 です

ハレルヤ。

主の平安と守りがありますように。


【ミカ書6章6-7節】

私は何をもって主の前に進み行き、いと高き神の前にひれ伏そうか。全焼のいけにえ、一歳の子牛をもって御前に進み行くべきだろうか。

主は幾千の雄羊、幾万の油を喜ばれるだろうか。私の犯したそむきの罪のために、私の長子をささげるべきだろうか。私のたましいの罪のために、私に生まれた子をささげるべきだろうか。

この言葉を聞いて、皆さんはどのような印象を受けましたか?

自分の姿と重なりますか。
それとも、まったく違う姿ですか?


神を神とも思わず、尊敬もせず、恐れることもしない人からは思い浮かぶことすらない言葉だと思います。

神を軽く考え、神を必要な時だけ利用する人からは、こういうことばは死んでも口から出ないと思います。


今日の聖書の言葉は、“神に受け入れられるためには、どうしたらよいか” を真剣に考えている言葉です。


皆さんは、このように真剣に考えたことがありますか?

礼拝に出る時に、「今日は何をもって主の前に出ようか」と考えていますか?


それとも、「何で礼拝がこんなに早く来るのか ( =1週間が経つのか ) 」 と
嫌な思いになりますか?

そして行かなくても良い理由はないかなと考えたりしますか?


人の思いは主が見ておられます。


【エレミヤ書17章9-10節】

人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。わたし、主が心を探り、思いを調べ、それぞれその生き方により、行いの結ぶ実によって報いる。

と、はっきりと主が語りましたので、私たちが主に対して持っている思いで、良い物か悪い物かを受けるようになります。


ヒゼキヤ王が、主から死ぬことを宣告された時に、彼は大声で泣きながら主に祈りました。

「ああ、主よ。どうか思い出してください。
私がまことを尽くし、全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたが良いとみられることを行ってきたことを」


普段から主が喜ぶ生き方をする人は、苦難の時に強いです。

神に祈ります。

そして主は、その人の祈りに耳を傾けます。


ヒゼキヤの祈りに、主は15年もいのちを延ばしました。


主を本当に恐れる人は、自分よりも神の命令、みこころを優先にします。


1人息子を全焼のいけにえとして主にささげなさいと神から命令を受けたアブラハムは、その通りささげました。

殺す寸前に神は、彼が神を恐れていることを確かめて中止させました。


神に受け入れられるために何をしたら良いかを考えている姿を見て、主が答えてくださいました。


【ミカ書6章8節】

主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。

この言葉は、いま私たちに本当に必要なことばだと思います。


よく見えるところに書いて貼っておいて、日々それを実行するように努力してみてください。

神はその人を喜んで受け入れてくださいます。
(・∀・)


2016.10.27
3分テレフォンメッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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主が求めておられること

テーマは 『 主が求めておられること 』 です

【ミカ書6章8節】

主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。

2016年がスタートしました。

心を引き締め、身を慎むことが必要です。


スタートから何も考えず ダラダラと生きるならば、神にとっても人にとっても役に立たない者になります。


新しい一年をしっかりと信仰持って神と共に歩むためには、神が何を喜び、何を私たちに要求するのかを知って、それに合わせて生きる時に、その信仰は生き生きとした信仰になり、神に喜ばれる人になれます。


私たちが神のみこころを知って、それに共感しないと 神と共に歩むことはとても難しいので、今回はみこころを知って、共感してこの一年を神と共に歩みたいと思います。


今回のテーマ箇所の 主のことばには、主が求めるものがあります。




公義を行うこと




この “公義” とは どのような意味でしょうか。


神のことばに従って正しく生きることです。


これは罪人である者として、真の悔い改めなしには不可能です。


なぜならば真の悔い改めなしに、神の前に正しく歩むことが出来ないからです。


神に逆らう態度や、神が忌み嫌うものから離れ、神の言葉に従うことが “公義を行う” ことです。

真の悔い改めもない状態で、他のものでごまかしても 神がそれを知らないわけでもないですし、喜ぶわけでもありません。


クリスチャンの中でも自己流信仰の人がとても多いです。

自分だけが良いと思うやり方で信仰生活して、それを正しいと主張します。

そして他の人を裁きます。


それが正しいですか?それが公義でしょうか?
―― それは違います。


ヨブという人物を見ると、公義を行うとは どういうことかが分かります。


【ヨブ記1章1節】

ウツの地にヨブという名の人がいた。この人は潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた。

【ヨブ記1章4-5節】

彼の息子たちは互いに行き来し、それぞれ自分の日に、その家で祝宴を開き、人をやって彼らの三人の姉妹も招き、彼らといっしょに飲み食いするのを常としていた。

こうして祝宴の日が一巡すると、ヨブは彼らを呼び寄せ、聖別することにしていた。彼は翌朝早く、彼らひとりひとりのために、それぞれの全焼のいけにえをささげた。ヨブは、「私の息子たちが、あるいは罪を犯し、心の中で神をのろったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつもこのようにしていた。

公義を行う人は 神を恐れていますので、悪から遠ざかり、常に罪から聖別します。

罪に対して敏感で 罪を放置せず、すぐに悔い改めます。


これは形式的な信仰態度では出来ないことであり、心を引き締め、身を慎みながら生きている姿です。


ヨブのように真剣な態度で神を恐れ、神の前で生きようとする人が公義を行う人です。


新約聖書では公義を行う姿を次のようにも教えました。



【ローマ12章1-2節】

そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

日々 聖くなることが公義を行う姿で、それが霊的礼拝になります。


これは、神が私たちに常に求めておられる姿です。

真実な主の前で、偽りや形式で固めたものを差し出しても 主が喜ぶはずがありません。


それは神の前に礼儀ある姿ではないです。

私たちも礼儀のない人は好きではないですね。

神様に対しても礼儀がないならば嫌われます。


公義を行うことは神への礼儀です。




誠実を愛すること




“誠実” とは真心があることです。

真心で人や物事に対応することです。


それをさらに “愛すること” はそれに集中して心をすべて注ぐことです。


人はうわべを見ますが、神様は心を見ます。


何をするにも 神様は心の状態を見て判断します。

死に至るまで忠実な姿が、“誠実を愛する姿” です。


人間ほど変わりやすい者はいません。
手の平を返すように 心を変えることが多いですね。


神様は、誠実を愛する人を求めています。


神様は 愛していたイスラエルの民からいつも裏切られました。

彼らは簡単に神を捨てて、他の神々を求めて離れて行きました。

誠実さがなく、姦淫を行いました。


・神様だけを愛し続ける人が 神に誠実な人です。

・迫害があっても信仰を捨てず、主を信じる人が誠実を愛する姿です。

・奉仕がしんどくてもやり続けることが 誠実を愛する人です。

・誠実な人は、聞くだけで済ませる人ではなく実行する人です。


儒教の生みの親である孔子が ペルシヤ王の招きを受けた時に、馬鹿っぽい弟子1人だけを連れて行きました。

王は愚かに見える弟子を見て、孔子に「なぜあんな人を連れて来ましたか。」と尋ねると、孔子は答えました。


「私には一つ教えると十を悟る賢い弟子は多いですが、彼らは頭で理解するだけで実践しないですが、この弟子はあまりにも足りないので、一つ教えると それを忘れてはいけないと思って、すぐに実践する人だから私が一番愛して傍に置いています。」


聞いても何もしない人は、誠実な人ではないです。


心を込めて実行する人、そして それを継続する人は誠実で忠実な人です。

これは本当に必要な姿です。

神の民に求められるのは、頭に知識だけをいっぱい詰める人ではなく、誠実を愛する姿です。




へりくだって神と共に歩むこと




へりくだっている人は、己を知っている人です。


人生で一番難しいことは 自分自身を正確に知ることです。

へりくだっている人は、自分が無知であることを知って、絶えず変わろうとします。

そして自分の弱さを恥ずかしがらずに認めます。


自分の間違いも認め、自分の限界も知っているので努力をします。

そして自分の弱さを知っているので、人の弱さも理解し、人の間違いにも寛大です。

自分が弱い存在であることを知っているので、神に頼り、神と共に歩みます。


従順は へりくだる者が出来ます。

このような人と 主は共に歩みます。

これが今年目指すべき姿です。
(・∀・)つ


2016.1.2
新年礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
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主が喜ぶことをする

テーマは 『 主が喜ぶことをする 』 です

【箴言21章3節】

正義と公義を行うことは、いけにえにまさって主に喜ばれる。

主が喜ぶことが何かに対して考えたことがありますか。


偉大な信仰の人たちを見て分かることは、彼らは主を喜ばせた人たちでした。

主が喜ぶことをするならば、主もその人を喜んで下さいますし、主が嫌うことばかりをするならば、主もその人を嫌います。

主が喜ぶなら祝福がありますが、主が喜ばないなら 祝福はどんどん遠のきます。


私たちが神を愛し、信じるならば、主が何を喜ぶかに対して特別な関心が必要です。


なぜならば、私たちは自分を喜ばせるために神を信じるのではなく、神を喜ばせるために存在しているからです。


そのために私たちは 主が何を喜ぶかを知ることは、基本中の基本です。

今日の本文にも主が喜ぶことを私たちに教えています。





・正義と公義を行うこと




正義と公義は、人間が追及すべき絶対的価値があるものです。


なぜかというと、聖書が示す “正義と公義” は神のみことばを実践することだからです。


罪は神の言葉に違反した時に生まれました。

罪ほど神を怒らせ、悲しませるものはありませんし、神が一番忌み嫌うものです。


私たちは自身が罪を犯しながらも、他人が犯す罪に対しては怒りを発し 腹を立てます。


先日、殺された中学生たちのことを思うと、罪を犯した犯人に対して怒りの思いが出て来ます。

その犯人を赦して下さいという思いが出て来ないです。


ですから私たちが神に対して 人に対してひどいことをする時に、神様はどのように思うでしょうか。

決して喜ぶことはなく、まずは神の怒りが出てくると思います。


その罪がいけにえで解決されるでしょうか。
旧約時代はいけにえで解決されると思って、いけにえばかり捧げました。


正義と公義を行わず、罪を犯して いけにえばかり捧げたとしても、それで神を喜ばせる事は出来ません。

いけにえよりも、正義と公義を行うことを主は喜びます。


正義と公義を行うためには、まず すべきことがあります。

それは罪を認め、主に悔い改めることです。





・いけにえよりも 悔い改めと神の言葉に聞き従うこと




神は、私たちが罪を悔い改めて神のことばに従うことを願うのに、それをせず 奉仕や捧げもの等でごまかすことを嫌います。


サウル王が神の言葉を無視した後、分捕り物の中から羊と牛を残した理由を、“神へのいけにえのためである” と言われた時に、サムエルが語ったことばを皆さんも聞いたことがあると思います。


【第1サムエル記15章22節】

するとサムエルは言った。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。

神様は、主のことばを素直に聞き従うことを喜ぶ方です。

それが主を恐れる姿であり、主の権威を認める姿です。


そして罪を犯した者が言い訳したり ごまかしたりせず、素直に悔い改めることを喜んで下さいます。


ダビデ王も神の前に罪を犯し、しばらくは悔い改めることをせず、罪を隠したままでした。

しかしそのことで彼と神の関係は悪化していました。


悔い改めた後のダビデの告白を聞きたいと思います。


【詩篇51篇16-17節】

たとい私がささげても、まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。全焼のいけにえを、望まれません。

神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。

私たちは日々、罪を犯しています。それを素直に認めて神様に悔い改めていますか?

主は罪を赦して下さるお方です。


罪人を受け入れて共に食事をしているイエス様を非難した宗教家たちに主は次のように言いました。


ルカの福音書15章で失われた一匹の羊のたとえを語った後に次のように語りました。


【ルカの福音書15章7節】

あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。




・主を正しく知ること




神ほど誤解される存在もいません。

目に見えないので人間が勝手にあれこれと言います。


もし自分のことをよく知らない人間が、自分のことを誤解して違うことを勝手に言うならば、どのような気持ちになりますか?

人間が勝手にいうことばを聞いて主はどのように思うでしょうか。


【エレミヤ書9章24節】

誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行う者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。― 主の御告げ ―

神を知る努力もせず、自分勝手な神のイメージで神を誤解することは愚かなことです。

自分勝手な信仰生活をしながらも、それが神に受け入れられると勘違いすることも愚かなことです。


主を正しく知ることで、私たちは真理の中を歩むことが出来ますし、まっすぐに歩くことが出来ます。

そのことを主は喜びます。





・絶えずささげる感謝



【第1テサロニケ5章18節】

すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

感謝されると、心が自然と嬉しくなります。

感謝は、恵みやありがたさを知っているので出ることばです。

“こんなもん” とか “当たり前” としか思わない人からは感謝は出ません。


いつも口から感謝がこぼれる人を主は喜んで下さり、恵みを注いで下さいます。

それは神の耳に美しい歌のようです。





・神に対する信仰




【ヘブル11章6節】

信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。

無神論者、偶像崇拝者、信仰の薄い者は神に喜ばれることはありません。

純粋に素直に神を信じる者を主は喜んで下さいます。


自分が持っている信仰が果たして神に喜ばれる信仰かどうかを知る必要があります。

喜ばない信仰をいつまで持ち続けても、それが自分に何をもたらすでしょうか。


主が喜ぶすばらしいいけにえがあります。


【ヘブル13章15-16節】

ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。

善を行うことと、持ち物を人に分けることとを怠ってはいけません。神はこのようないけにえを喜ばれるからです。

神をほめたたえ、人を心から愛し、みことばを実行する時に、主が喜ぶことは当然なことだと思います。


その他にも主が喜ぶことがありますので、それはみことばだけを伝えたいと思います。

みなさんが心に留めて、実生活の中で実行出来たら主は喜んで下さいます。


【箴言11章20節】

心の曲がった者は主に忌みきらわれる。しかしまっすぐに道を歩む者は主に喜ばれる。




・福音伝道




【ローマ10章15節】

遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」




・神へのささげもの




【ピリピ4章18節】

私は、すべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。




・祈り




【黙示録5章8節】

彼が巻き物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老は、おのおの、立琴と、香のいっぱい入った金の鉢とを持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖徒たちの祈りである。

これらのみことばによっても分かるのは、神を喜ばせることはハードルが高くて難しいことは何もないです。


私たちが神への愛と関心と信仰の心があれば、すべては今すぐにでも実行出来ます。

神は誰にでも出来ることを求め、それに従う人を喜んで下さいます。

神に栄光をささげることは、神が喜ぶことをすることです。


愛は相手が喜ぶことをすることです。

それが犠牲を払う事でも、愛があればその犠牲も喜んで払います。


神を愛していますか?
(・∀・)

2015.8.23
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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