からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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八戸ノ里キリスト教会

約束を信じる信仰告白

テーマは『 約束を信じる信仰告白 』です。

【創世記12章1-6節】

アブハラムがどのようにして信仰の先祖として誕生したのかを、彼の生涯を通して見せてあります。
この聖句には神様が与えた7つの約束が書かれています。

1.「 わたしはあなたを大いなる国民とする 」
2.「 あなたを祝福する 」 
3.「 あなたの名を大いなるものとしよう 」 
4.「 あなたの名は祝福となる 」
5.「 あなたを祝福する者をわたしは祝福する 」 
6.「 あなたをのろう者はわたしはのろう 」
7.「 地上のすべての民族は、あなたによって祝福される 」

これは小さな祝福ではないです。アブラムや私たちには考えられない、とても大きな祝福です。
人は、こんな大きな恵みは出来るはずがないと思うでしょう。
これは神様が一方的に彼に与えた約束であります。

しかし、これらの恵みは神様がアブラムへ無条件に与えたものではないので、
何もせずに約束通りになることはないです。
聖書の神様からの約束の言葉は、全てに対してそうであります。

その前に、「 あなたがこうするならば、叶えられる 」という条件があります。
この聖句での条件は【創世記12章1節】
< あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。> です。
その後に約束の言葉である12章2節の『 そうすれば―― 』と続きます。

私たちは小さな恵みには信じる心が出ますが、あまりにも大きな恵みだと聞く耳が開かれないです。

私たちの救いに対しても神様は条件を出しておられます。それは「 信じる者 」には救いを与える です。
自分の信仰がなければ、いくら素晴らしい神様の約束があっても自分の物にはなりません。
条件無しに神様の言葉が来ることはないです。

私たちが祝福を受けるには、まずは神様からの条件を聞かなければいけません。
聖書を読んだとき、素晴らしい恵みの言葉が書かれていると そのみことばを握ります。
しかし、ただ 『 聖書のここにこのような事が書かれてあります。叶えてください。』 と祈るならば,
神様から見ると、「 あなたはわたしが示した条件を知っているのか?そして行動したのか?」

アブラハムは神様の言葉を少しでも聞き逃していたら、このような祝福を受けることはできませんでした。
アブラハムが言葉通りに行動をしなければ、神様はこの条件に満たす人を探して、他の人に祝福を与えます。

神様は「 目的がない命令 」をするのではないです。
もし神様が「 行きなさい 」と言った場合は、その後に語った約束の言葉を聞かなければならないです
目的がないと不安だけがあり、私たちは行動ができないのです。
そして神様の言葉通りに行動をすると、そこに私たちが受ける祝福を備えてくださっています。

私たちには祝福が必要です。祝福なしに幸せになれないです。
祝福がほしい人ならば、神様の言葉を握らなければいけません。

「これが欲しいな、あれが欲しいな。」と思った時に、これを自分の物にするためには、
神様はどんな命令を与えているのか、私たちは考えなくてはいけないです。
条件を満たしていかないと、絶対に自分の物にはならないです。

信仰には行動が必要です。命令に従順する時に、神様が与えた約束ですのでその通りになります。
信仰は口で毎日告白することが大事です。神様の前であなたが本気でしているのかを表しなさい。
信仰がない人は、確信がないので言葉が弱いです。心から信じていないのです。

【申命記28章1節】、【申命記28章15節】

どちらも神様から約束の言葉です。自分はどちらに従うのか――?

なぜ祝福を与えてくださらないのですか? → 神様の約束を守っているのか?
タダで恵みをもらおうと考えています。

【ローマ4章19-22節】

アブラハムは約束の言葉を忘れたことがないです。告白をやめたことがないので信仰がますます強くなりました。
環境や自分を見るのではなく、信仰で受け取り神様の言葉を堅く握りました。

信仰告白をし、信じる人は行動が伴います。このような人は挫折することがないです。
「 もういいです。」と拒否をすると、神様の恵みはそこで終わってしまいます。
自分の口で祝福を潰してしまうのはいけません。

「 古い者 → 新しい者 」 「 呪われた者 → 祝福される者 」 「 弱い者 → 強い者 」 へ変えてくださいます。 

命じた通りに行動しなさい。すると神様を体験することができます。

以前に神様が自分に語った言葉があるならば、それをもう1度聞きなおすと良いです。
私たちが聞き従う時に、神様が責任を持って成就してくださいます。

2011.12.11
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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聖書 新改訳c1970,1978,2003新日本聖書刊行会

感謝の心を忘れない!

テーマは『 感謝を忘れない 』です

【詩篇103編1-2節】

恵みは神様から与えられるものであり、恵みを受ける時は嬉しくて喜びますが
あっという間に私たちは(その恵みを)忘れてしまいます。

イスラエルの民たちの姿を見ると、そこに私たちの姿が描かれており、
まるで鏡のように映し出されています。

生きる為に必要な恵みを毎日受けていても、すぐに感謝と恵みを忘れてしまいます。
本来なら神様に感謝を捧げなければならないのに、不平不満が出てきます。

恵みをいつも覚えている人は、以前に受けた恵みであっても、まるで今恵みを受けているように映ってきます。

例えば、何十年前に心に受けた傷があるとします。
その出来事を思い出している時は、まるで今受けているように心が痛くなります。
しかしその事を忘れているなら痛みはないです。
しっかり覚えているので、過去のことが現在のことのように感じるのです。

神様から受けた恵みもずっと忘れないならば、今も受けているように感じるので神様に感謝をします。

いつも感謝をする人の姿を見ると、その人たちは恵みを忘れていないのです。
これは神様の恵みの中で生きる方法であります。

不平不満をつぶやく人の傍にいると気分が悪くなります。悪い物の影響力はとても強いです。

イスラエルの民たちは荒野の道を歩く時に、神様からの守りをたくさん受けました。
昼は雲の柱、夜は火の柱が彼らを守り、目の前に神様の恵みが見えていました。
天から40年間マナ(※下記参照)がおちてきました。
それなのに環境の中で1つでも足りないと、そのことに心が取られて神様に多くの不満をつぶやきました。
全員が「死んだ方がマシ」、「ここで殺してください」と平気にこのような言葉を発しました。

※マナとは?
出エジプト記第16章に登場する食物。イスラエルの民がシンの荒野で飢えた時、
神がモーセの祈りに応じて天から降らせたという。
この時人々は「これは何だろう」と口にし、このことから「これは何だろう」を意味する
ヘブライ語のマナと呼ばれるようになる。(Wikipediaより引用)

モーセは感謝をしている場面が聖書にたくさん出てきます。
しかしイスラエルの民たちが神様の御前に出て感謝をしている姿が1つも出てこないです。
恵みを忘れるのがあまりにも早かったです。

私たちは今年1月~今までの恵みで忘れているものはないでしょうか?
きっと私たちは恵みをどこかに忘れていると思います。

使徒パウロは、以前 パリサイ人でした。彼はとても宗教熱心で他の人たちよりも努力をしていました。
パリサイ人の中でも最も「パリサイ人」的な存在でした。

【ルカの福音書18章11-12節】

「私が…、私が…」と、主語が神様ではなく、すべてのものは私たちの努力の結果だ、と感謝がないです。
これは自分の努力や熱心さを人々にアピールしたいのです。
パウロもこのような姿でしたが、イエス様に出会って恵みを知る者に変わりました。

【Ⅰコリント15章10節】

自分というものが消えていき、神様の恵みが心を完全に支配し、全ての源が神様の恵みであって
そこから力を受けてこの働きが出来ました、これが本物であります。

一歩進むと恵みがあります。恵みを供えるのは神様ですが、取りに行くのは自分です。
これが従順です。
涙を流して一番苦しかったことが、結果的には神様からたくさんの霊的恵みを受け感謝をします。

色んな意味で自分の人生をやり直したり、神様を悟ったり、神様を体験したことは、
辛い時に体験をしていると思います。
たくさんの涙を流し、たくさんの汗を流して、たくさんの忍耐をした時に初めてその中で
新しい良い物や神様が供えた物を見付けたと思います。 ゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン

自分が努力しないで得た恵みは嬉しいですが、記憶から消え去っていきます。
しかし私たちが祈りながら苦しみの中で得たものは、その恵みが大き過ぎて忘れることがないです。

神様はそういうものも、自分が努力しないで得たものも、全てのものに対して
その恵みを忘れないで「いつも覚えていなさい」と語ります。
それは私たちが絶えず すべてのことについて感謝をするためであります。

感謝は恵みを覚えている人がすることであって、恵みを忘れている人は感謝しなさいと言っても
口が開かないです。何も覚えていないので「感謝することはないです。」と冷たい言葉が出てきます。

自分の信仰はそれで計ることができます。

感謝がないのなら、恵みを忘れているんだということが分かり、
感謝の言葉が今なくても、私の中にその恵みが生きているんだと覚えたら良いです。

2012.11.25
収穫感謝祭メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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金ヘス牧師のブログに教会がクリスマスの雰囲気になったことが紹介されました。
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罪の悔い改めとは?

テーマは『 悔い改めとは? 』です。

【エズラ記10章1-17節】

簡単そうで、一番難しいのは「罪の悔い改め」です。

人に対して意地を張って、なかなか謝らなかったり、罪があると認めていても「私には(罪が)ないです」と言います。
神様に対しても同じく、(自分の罪を)曖昧にしたい&見せたくないのです。

私たちは心の中で、他人を批判したり裁いたりすることがありますが、
これも神様の目から見ると、罪になります。

罪から来る報酬は「死」です。ですから私たちは罪の悔い改めを本気でしなければなりません。
これをするには、強力な決意が必要です。口先だけでは悔い改めにはなりません。

どういうものが、悔い改めかというと、「実行をして、完全に罪を捨てたことを神様に見せる」ことです。

サタンは「罪を悔い改めなさい」とは言いません。甘い言葉で誘います。
悔い改めの言葉が来るのは、必ず神様からなので、自分の霊のため、魂のために罪を捨てましょう。

すぐに実行することが大事です。
身体の異変を感じても、なかなか病院へ行かなかったり、後回しにしていると、
どんどん悪い細胞が増殖していきます。
その状態になってから病院へ行くと、医者から“どうしてここまで放置していたのか?!”と言われます。

悔い改めを面倒だと思っていると、悔い改めができるチャンスの扉が閉ざされます。

地獄にいる人というのは、罪を悔い改めるチャンスを逃した人です。
地獄では悔い改めたくても、もう手遅れで悔い改めることはできません。

(信徒が地獄を見てきたので紹介します。幻と啓示・天国と地獄 教会ホームページより)

【エゼキエル18章19-32節】

悔い改めは厳しい言葉ではなく、神様の優しさであります。(*´∇`*)
私たちに生きてほしいから、天の御国へ導くために「悔い改めよ」と言ってくださっています。

「悔い改めにふさわしい実を結びなさい。」  絶対に神様を甘く見てはいけないです。
神様はどんな者に対しても「赦し」があります。
こんなに優しい方はいないです。 世の中では、一度罪を犯しただけで裁かれたりします。

木に例えると、みなさんの木の根元には斧があります。そして、悔い改めない者は斧で根元を切られます。
そうすると神様からの恵みから離されるので、祝福がなくなります。

悔い改めると、器がきれいになるので、受ける祝福が多くなります。
×甘いものは、身体には天敵です。 ○苦いものが身体には必要です。

良い指導者はまず一番初めに立ち上がります。そして悔い改めをします。
なぜなら、信徒たちの罪も指導者が請け負うからです。代わりに涙を流しながら悔い改めをします。
もし悔い改めをしなければ、共に地獄へ落ちてしまいます。

指導者だけではなく、他人の罪は、自分の罪でもあるので、兄弟愛をもって、とりなしをすることが大切です。

2011 .11.23
聖日礼拝メッセージより

八戸ノ里キリスト教会

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サタンとの霊的戦い

テーマは『サタンとの霊的戦い』です。

疲れている時や、信仰が落ちている時に、サタンは狙ってきます。
このような人達が攻撃を受けて倒されやすいです。
これは人間の力では戦うことができなく、この戦いでの“最高の武器”は【祈り】です。

【出エジプト記17章8-16節】

祈りを休むとサタンが優勢になります。つまり綱引き状態です。(神様VSサタン)

  ◎モーセでさえも祈りを休むと、サタンの攻撃に遭います。
私たちが「できないから」、「やめよう」と呟くと、サタンが活発に働きます。
そうすると致命的な敗北を受けます。

 ◎神様は祈りを「休みなさい」とは言っていません。
目の前に大きな問題があり、たとえ弱くなっても祈らないと勝利できません。
霊的戦いには手を休めると負けますが、進んでいくなら必ず勝利します。(アーメン)

【Ⅰサムエル15章22-23節】

サタンに誘惑され、みことばに対し妥協させます。サタンはしつこいので
完全に断ち切れるまで戦います。

サタンは私たちを倒そうとしているのに、自分が生ぬるい信仰では勝てません。

【エステル記4章14-16節】

祈りの中でも最強は「断食祈り」です。自分の身を投げ出して必死に祈ります。

サタンは私たちを潰そうとしますが、恐れる必要はありません。

【ネヘミヤ4章1-9節】

神を恐れない人達を遣って、私たちの悪口を言ったり、働きを妨害することが
ありますが、【相手の顔をうかがってやめるなら、倒されるだけです。】

神様からの働きを喜んですることをサタンは嫌うので、働く気がある時は守られます。

放っておくことも策略です。私たちには、行くべき道がありますので
そこでサタンの誘惑に乗ると立ち止まってしまうので、分別力が必要です。
その小さな戦いで力を使ってしまうと、いざ本当の戦いの時には、力がなくなっているので
知恵をもって、相手にしないことが大切です。

サタンを潰さない限り、勝利は来ないです。

 

 ◎困った時だけ神頼みは通用しないので、絶えず祈ることをしましょう。 ( ̄∠  ̄ )ノ

2011.10.16
聖日礼拝メッセージより

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