からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

八戸ノ里キリスト教会より メルマガ配信中!

メルマガ購読・解除

読者購読規約
毎朝7時に配信しています! 1日の始まりを神様の恵みで満たしてくださいね
powered by まぐまぐ!
 
         

働き

教会の奉仕

テーマは 『 教会の奉仕 』 です

【第1コリント12章5ー7節】

奉仕にはいろいろの種類がありますが、主は同じ主です。

働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。

しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです。

イエス様こそ神に仕えた最高の奉仕者でした。

父なる神のみこころに従って、人々に仕えるために休む間がないくらい よく働きました。


夜は1人で神にお祈りをしていましたので、いつ寝る時間があったのかと思うほどです。


弟子たちと船に乗り、突風のせいで、船が揺れ、船の中が水浸しになった時 イエス様だけがぐっすり寝ていたのは、たぶん寝不足が続いて熟睡していて何も気づかなかったと思います。

寝たふりしたわけではないですね。


弟子たちも実によく働きました。

イエス様に見習って、1人1人が立派な奉仕者でした。


神から私たちはキリストのからだの器官であると言われましたが、それは “器官としての機能をしなさい” という意味が含まれてあります。


機能しないと器官としての意味がありません。


最近YouTubeで何万人も集まる韓国教会の聖歌隊の賛美を聞きましたが、聖歌隊員の数がものすごく多くてびっくりしました。何百人もいました。

その教会より人数が多い教会でも、一度に集まる聖歌隊員は100人前後ですから、その教会はそれよりも何倍もの数だったので びっくりしました。


それを見て感じたのは、聖歌隊の奉仕が1番人気があるのかなと思いました。

目立つところに、それも指定席のように、決まったところに座りますね。


大きい教会でも 実際は、様々な部署で奉仕者が足りないのが現状です。

清掃の奉仕とか食事当番とか、こどもの世話とかはあまり人気がないですね。

それでお金を払って人を使ったりします。


ある5000人集まる教会で、実際 奉仕している人を調べたら1500人くらいでした。

それは少しだけでも奉仕をしている人を入れた数です。


すると残りの3500人は何もしていないことになります。

すなわち失業者が3500人もいることです。


それは、イエス様の体の器官としての活動をしていないことを意味します。


何もしないことが楽で良いことでしょうか?

もし皆さんが社会で失業者の立場ならば、早く仕事に就きたいと焦る気持ちになると思います。


”神への奉仕を何もしなくて良いだろうか?“ということも考えないといけないです。


神は私たちに御霊の賜物を1人1人に与えて下さいました。

それは働きをさせる目的があったからです。


みなの益となるために 神様は私たちを選んで賜物を与えました。


その賜物を活かして働くことが奉仕です。






奉仕の精神は、イエス様から学ぶ事が出来ます。


【マルコの福音書10章45節】

人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。

これが基本的な奉仕の姿勢で、人に仕えることが奉仕の姿勢です。


クリスチャンが他の人から仕えられることだけを期待するならば、他の人に仕える機能を失ってしまいます。


教会に対して 愛がないとか非難的なことばを口にする人の中には、自分から人に仕えたことがない人も多いです。


いつも “してもらうことが当たり前” だと思っています。

それはみことばとは違う態度です。


私たちは、互いに仕え合うようにと言われています。

クリスチャンは主のしもべとして 人に仕えるように選ばれた人たちです。


父なる神もイエス様も聖霊様も弟子たちも みな人に仕えました。


その精神をもって聖徒たちは、体の器官として互いに仕えなさいと主から言われています。


奉仕にも働きにもいろいろあると最初から言われました。

それは同じ神様がそのすべての働きを任せて下さいました。


次の箇所にその様子があります。


【マタイの福音書25章15節】

彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりにはニタラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。

それで終わりではないですね。

よほど経ってから しもべたちの主人が帰って来て しもべたちと清算を始めました。


その中で一タラントもらったしもべだけに予想外の問題が生じました。

彼はもらったものを、地を掘って隠して 何も仕事をしませんでした。


他のしもべたちが様々な活動をしていた時に、彼は神の働きに無関心で自分のことだけをしていました。

きっと本人はそれでも大丈夫だと思ったことでしょう。


しかし主人は怒りました。

その態度は、主人への不従順な態度です。


主人は彼を厳しく叱りました。

そして主人は次のように語りました。


【マタイの福音書25章30節】

役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。

このように命じました。


これで分かるように、自分に与えられたタラントと役割を決して ないがしろにしてはいけないです。


それを小さく考えてもいけないです。

神との清算が始まると大変なことになってしまいます。






また、奉仕はどこでするものですか?


もちろん教会の中にありますが、教会だけに限られているわけでもないです。


ある熱心なクリスチャン主婦が奉仕したい気持ちはたくさんありましたが、時間もお金も足りなく、奉仕の機会も与えらず悲しんでいました。


いつものように神の前に座って、自分の事情を話しながら、奉仕の道が開かれることを祈っていました。

すると小さい娘が近づき、やぶれた人形を直してほしいとせがまれました。


しかしそのお母さんは祈りが邪魔されたことが気に入らず、娘を叱って追い出しました。

祈りが終わって娘の所に行くと、娘は泣いて寝ていました。


その時に神様の声が聞こえました。

「どうしてあなたは手軽なことはないがしろにして、大きなことだけを求めているのか。」


それから彼女は心を変えて、すぐに出来る善行、近くにいる人への伝道奉仕を始めました。

後に さらに大きく神に仕える働き人になりました。


神様への奉仕でほめられた人たちを見ても それが言えます。


献金箱に1番たくさんのお金を入れたとほめられた人物は 金持ちではなく 1番貧しいやもめでした。

彼女にとっては自分に出来る最高の奉仕を主にしました。

自分にある生活費全部を献金箱に入れました。


離れた所で見ていたイエス様がそれを知り 感動しました。


感謝の心が見え、喜んでささげる姿は 主に仕える奉仕の姿です。


イエス様に高い香油を注いだ女性も イエス様にその奉仕のことでほめられました。


主のために自分が出来る大きなことはないと言わないでください。

小さなことのように見えても、それは重要なことです。


小さな奉仕が神の国を広げ、魂を救い、神様を喜ばせます。


裸の者に着るものを与え、病気の人を見舞い、空腹な者に食べ物を与えることも 主に対する奉仕です。

奉仕をする人は与える人で、神の国に投資する人です。


受けることばかり求める人は、与えることを投資だと思っていないです。

とにかく、その人たちは 手元に積み上げようとする人です。


しかし与える人が勝利し、受けてばかりの人は失敗します。

与えられた働きを一生懸命にやった人たちに対して、主はこのように語りました。


【マタイの福音書25章21節】

『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』

奉仕によって一番恵まれるのは、奉仕をした “本人” です。

神は絶対に ただ働きをさせる神ではなく、たくさんの利益を与えて下さる神です。


たくさん奉仕をした人は、天国に行くのも楽しみです。

自分のために どのような住まいが用意されているのかが知りたいですね。

どんな報いがあるのかが期待できますね。


働く時間はあまり残されてないです。働ける時に熱心に働いて下さい。


奉仕も喜んでして下さい。


主が注目していますから。
( ̄ー ̄)


2016.11.6
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

愛を見せなさい

テーマは 『 愛を見せなさい 』 です

【ヨハネの福音書14章21節】

わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現します。」

男性は愛を見せることがあまり上手ではないところがあります。


“言葉で言わなくても見たら分かるだろう” と勝手に思います。

女性は度々「愛している」という言葉を聞きながら、相手の愛を確認して幸せを感じ安心感を得ると言われています。

それは別に男性を疑っているわけではないです。


夫は、妻が愛のことばを言ってほしいと言われると、うっとうしいと思いますが、女性の心理を知って 理解するのが良いですね。


女性は愛されたい気持ちが強いので 愛を確認したいですし、男性は尊敬されたい思いが強いので 愛のことばよりは 尊敬のことばに感動するそうです。


イエス様は男性でしたが、やさしく愛をよく現していました。
心がとても温かい方でした。


愛は、無言で また何もしなくても感じるものでしょうか?


神様さえも私たちを無言で何もせずに愛したのでなく、行動で愛を現しました。


愛が本当にあるならば、それは必ず見える形で現れます。

ですから神は “愛を見せなさい” と語りました。


イエス様の告別メッセージには、特に “愛” に関することばが多かったですし、それが重要なテーマでした。


本文でも「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。」と語りました。



また、次の箇所にはこのように語っておられます。


【ヨハネの福音書13章34節】

あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

【ヨハネの福音書14章15節】

もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。

【ヨハネの福音書14章23-24節】

イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。

わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。

【ヨハネの福音書15章12節】

わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。

イエス様はこのように “愛すること” が新しい戒めであると明確に教えて下さいました。


私たちは 愛し合うという新しい戒めを、どれほど守っていますか?


さらに、“神を愛すること”、“互いに愛すること” は切っても切れない関係であることが次の箇所に書かれています。


【第1ヨハネ4章7-16節】

愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。

愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。

いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。

神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。

私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、今そのあかしをしています。

だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。

私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。

愛を軽く考えてはならないことが、これらのことばでも分かりますね。


愛はことばだけで伝わるのではなく、イエス様を愛する人は主の戒めを守ることで、主への愛が証明され、互いに愛することで神への愛がその人の中にあることが証明されます。


愛は、いのちある種です。

蒔かないと実が結ばない種です。


主の名によってどんなに素晴らしい働きをしても 愛が抜けてあるならば、いのちの実がない葉っぱばかりの働きになってしまいます。


それは実を結ぶことを期待する主を裏切ることになります。


【第1コリント13章1-3節】

たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。

また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値打ちもありません。

働きと賜物も重視しますが、それを価値あるものにするのは “愛” です。

愛のないものは主が受け取らないです。

この世の評価は すべて結果ですが、主の評価は “愛があるかどうか” です。


なぜ主は、愛で評価をするのでしょうか?

愛は結果ではなく “方向” だからです。


結果ばかり考える人は、目指す方向が “結果” ですから、働きや賜物を重視し、そこにいつも目を向けます。

ですから確かに結果はついてくると思います。


しかし主を愛する人は、愛の対象である “主” に目を向けます。

つまり 愛の方が働きよりも優先です。


ですから、いつも目も心もイエス様に向けます。
その人たちは、イエス様から目を離しません。



【ヘブル12章2節】

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。

このように私たちがどこに目を向けるべきかを教えて下さいました。


愛は、愛の対象に関心があり、そこにすべてを向けます。

主がそのようにしました。


働きよりは 人に関心を示し、人を愛することがいつも優先でした。

私たちもそうあるべきであると主は教えました。


マリヤとマルタ姉妹のことは皆さんも知っています。

マルタは働き者です。
しかしマリヤは怠けているように見えました。


なぜならマルタは忙しく回っているのに、マリヤはイエス様の足元に座ってイエス様を見ながら話を聞いていたからです。


手伝わないマリヤを見て、マルタは腹が立ってイエス様にその不満をもらしました。

しかしイエス様からは意外なことばが返って来ました。


【ルカの福音書10章41-42節】

「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。

しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」

多くのクリスチャンが“マルタ状態”かも知れません。


熱心な人は主のために何かをしようとあれこれとやりますが、それが段々しんどくなり、主に会うと文句を言います。


ある人は、自分の仕事や遊びが優先で主と会う約束をいつも破ります。

礼拝や祈りの時間は主と先約した時間です。


しかし、よく破るのでイエス様はその人に会えないです。


イエス様は愛する人を待っているのに、その人が来ないと寂しい思いをします。


主が一番願うのは、私たちが主を愛することです。


そして主との時間を大切にし、主のことばに耳を傾けることです。

そして聞いたことば通りに行動することです。


これが主を一番喜ばせることです。


主を愛する時間もない人は、主を忘れ、いつか主も「あなたが誰なのか知らない」と言います。


いつも主を愛して共にいますか?
それとも忘れていますか?遠く離れていますか?


聖書でマリヤとマルタの姿を見ても、マリヤの方が主への愛が強いように見えます。


主を愛するのでイエス様から目を離さないでいましたし、主のことばは彼女には一番のごちそうでしたので、みことばを消化していました。


主を愛する人は 主の戒めをないがしろにせず守ります。

それは当然ですね。






ベロニカという女性が主の恵みによって地獄と天国を見学しました。

地獄に多くのクリスチャンがいる姿を見てとても疑問でした。

クリスチャンがいるとは思ってもみなかったからです。


それで 主にその理由を聞きました。


主の答えは「彼らはわたしを信じてはいたが、わたしのことばに従って生きることはしなかった。
多くのクリスチャンが教会の中、家族の前、知り合いの前だけおとなしく行動しているが、彼らは自分自身をいつも騙しながら生きているのだ。
私の父の目はすべてを見ているし、どこでもすべてのことばを聞いているのだ。」でした。


形式的で愛の冷めた結婚生活のような信仰生活を 主が喜ぶでしょうか?


主がもっとも望んでおられるのは愛の関係です。

主の愛は熱い愛なので、なまぬるい愛では満足しません。

“あなたの愛を見せなさい” と言われます。


信じる者として生きることは、愛の関係をずっと保っていくことです。


愛すれば愛するほど 心も霊的にも豊かになります。

そこから多くの実が結ばれていきます。


愛は話したり、考えたり、感じたりする以上のものです。

愛の関係が必要です。


イエス様は、私たちを愛して十字架に架かると話しただけではなく、実際に架かりました。

いのちを実際に捨てました。


喜んで自分を与えるのが愛です。

私たちのために十字架を負った主が語ったことばがあります。


【マタイの福音書16章24節】

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

主を愛する者ならば 自分の十字架を負って主についていきます。


ある教会で 主の教えとは違って人間的な思いで「こんなに苦労の多い時代に 教会の中でも重たい話を聞くならば ストレスガ溜まって死にます。教会では慰めと平安と安息を得なければなりません。」といつも祝福のメッセージだけを伝えるところがあります。


主の十字架は愛です。

私たちを愛したので死にました。


私たちが負う十字架も愛の十字架です。主への愛です。


自分のストレスの方がもっと大切で、自分が負う十字架を嫌がって拒否することは 主を愛していない証拠です。


愛する人には十字架は決して重荷ではないです。

育児は大変ですが、それを重荷と思って育児を拒否するでしょうか?


大変でも子どもを愛するので犠牲を喜んで払います。

他の理由はありません。


主を愛する人は自分が負う十字架を見るのではなく、愛する主を見て、自分も十字架を負います。


イエス様に対する自分の愛に偽りがあるならば、それは愛ではないです。

愛のない者に主は分からないとまで言われました。


主を愛する者は 父なる神に愛され、イエス様にも愛されます。


愛の本質は まぎれもない愛です。

愛がないならば、それは値打ちも本質も中身もない形だけのむなしいものになります。

互いに愛することで私たちが主を愛していること、そして神を知っていることが分かります。


主を愛していますか?互いに愛していますか?
愛の実が結ばれていますか?


それとも自分だけを愛しながら満足していますか?
Σ(`□´/)/

2016.5.8
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

聖徒の使命

ハレルヤ。

今日も皆さんの健康が守られますように祈ります。


先日、甲子園では春の高校野球が盛り上がっていました。

若い選手たちが一生懸命にプレイしている姿に 人々は感動し応援しています。


キリスト者が、野球チームの選手として例えた人がいました。


選手名簿に名前が載ったすべての選手たちは、自分の打席が回ってくるまで待ちながら、他の選手を応援し、自分の番になると最善を尽くします。


1つのチームでホームランや長打を打つ選手は限られていますが、投手も内野手も外野手もみんな安打を打ちたいと願っています。

そして全力でボールを打ちます。


同じくキリスト者というチームで、すべての聖徒たちは クリスチャンとしてあらゆる分野で活動しようと励んでいます。

そして実際に、特定分野で優れた活動をしている聖徒たちもいます。


“そのように活動する人がいるから、自分が打席に立って最善を尽くさなくて良い”ということはないですね。


例外なく、聖徒たちは神によって使命が与えられ、働きも与えられていますので、各自が与えられた役割をしていかなければなりません。

イエス様はたとえ話を通して、そのことを教えて下さいました。


【マタイの福音書25章14-30節】

天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。

彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。

五タラント預かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに五タラントもうけた。

同様に、二タラント預かった者も、さらに二タラントもうけた。

ところが、一タラント預かった者は、出て行くと、地を掘って、その主人の金を隠した。

さて、よほどたってから、しもべたちの主人が帰って来て、彼らと清算をした。

すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラント差し出して言った。『ご主人さま。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はさらに五タラントもうけました。』

その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』

二タラントの者も来て言った。『ご主人さま。私は二タラント預かりましたが、ご覧ください。さらに二タラントもうけました。』

その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』

ところが、一タラント預かっていた者も来て、言った。『ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。

私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。さあどうぞ、これがあなたの物です。』

ところが、主人は彼に答えて言った。『悪いなまけ者のしもべだ。私が蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めることを知っていたというのか。

だったら、おまえはその私の金を、銀行に預けておくべきだった。そうすれば私は帰って来たときに、利息がついて返してもらえたのだ。

だから、そのタラントを彼から取り上げて、それを十タラント持っている者にやりなさい。』

だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。

役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。

最善を尽くした人には、神からの称賛が、自分の働きをしていない人には厳しい叱責がありました。


評価されずに終わることがありませんので、そのことを覚えて、自分の出番が来た時には最善を尽くしましょう。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚

2016.4.3
3分テレフォンメッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

聖霊に満たされるためには

テーマは 『  聖霊に満たされるためには 』 です

【使徒の働き11章24節】

彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が主に導かれた。

「使徒の働き」を読むと 主の十二弟子以外にも多くの弟子たちが素晴らしい活動をしたことが記録されてあります。

彼らは十二弟子と変わらない多くの働きをしました。


バルナバは、主の弟子になり、後に偉大な使徒になるパウロを最初に助けた人でもありました。

彼は多くの人々を主の弟子にしました。


それはイエス様から次のように言われた通りの働きをしたことを意味します。


【マタイの福音書28章19節】

それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。

立派な働きをした弟子たちに共通するものは、聖霊と信仰に満ちた姿でした。


聖霊充満な人は信仰充満な人です。
信仰充満な人は聖霊充満な人です。


信仰がない人は 弟子にはなれませんし、弟子を作ることも出来ません。

そして信仰のない人を神様が用いることもありません。


主の弟子になり、弟子を作る人たちは聖霊充満な人たちです。


聖霊に満たされないと、自分の知恵や力、自分の思いで働くので 神様が喜ぶ働きも勝利の信仰生活も出来ません。


ですから神様は、私たちに “聖霊に満たされなさい” と命じました。


聖霊は、神様が遣わして下さった神の霊です。

私たちを助け、私たちが勝利ある信仰生活が出来るように、また聖霊の力を受けて立派な働きが出来るように助けて下さいます。


信仰生活のために聖霊を受けることは当然です。

聖霊を拒否することは、神を拒否することと同じです。


神を拒否しながら どのような信仰生活を送りますか?

それは むなしい信仰生活で、自己満足に過ぎないので 神とは関係がありません。


聖霊を受けた使徒や弟子たちの働きは、すなわち聖霊による働きでした。
聖霊なしには不可能な働きです。


ですから「使徒の働き」の中に “聖霊” という言葉がたくさん書かれています。

「使徒の働き」を読みながらチェックしてみて下さい。


彼らはどのようにして聖霊に満たされたのでしょうか?

―― 聖霊に関して主が命じた言葉に彼らが従順したので 聖霊に満たされました。


主が聖霊に関して命じたことは何でしょうか。




聖霊を受けなさい





【ヨハネの福音書20章22節】

そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。

聖霊は主の霊ですから、もし私たちが主の霊を受けないと、私たちは主の者ではありません。自分の中に聖霊を受け入れることで、聖霊が自分の心の中に住みます。



【第1コリント3章16節】

あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。

そしてイエス様は次のようにも語りました。


【使徒の働き1章8節】

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

弟子となり キリストの証人になるためには聖霊なしでは不可能です。


ですから聖霊は主のことば通り、必ず受けなければなりません。




御霊を消してはなりません




このことばは次の箇所にもあります。


【第1テサロニケ5章19節】

御霊を消してはなりません。

聖霊を消すことは、その指導を受けることを拒否し、聖書に明確に示された神のみこころに従わないで、それに逆らうことです。


御霊を消してしまうと どのような状態になるでしょうか?


1人の人物を通して 変わっていく状態を調べてみます。

イスラエルの初代王であるサウルは、当時の預言者サムエルを通して神のことばを受けました。


【第1サムエル記10章6節】

主の霊があなたの上に激しく下ると、あなたも彼らといっしょに預言して、あなたは新しい人に変えられます。

そして、すべてのことが言葉通りにサウルに起こりました。


彼は聖霊に満たされ、新しい人となり、力を受けてイスラエルの初代王になりました。

神は彼の力になって下さり、王としての働きが始まりました。


しかし しばらく経たないうちに、彼が神を求めず、人間的な思いを優先にして、神の命令を知っていながらも従わず 不従順しました。

それも1度だけではなく、度重なる彼の不従順に聖霊は彼から離れていきました。


すると悪霊がチャンスを得て、彼の心を完全に支配し、その時から彼は悩まされ、ますます悪を行う者になっていきました。

聖霊を消すことは、悪霊を自分の中に招くことになります。


人間は霊的存在なので、肉体だけで生きることは出来ないです。

聖霊に支配されるか、悪霊に支配されるか どちらかです。


聖霊に逆らいながら 聖霊充満を求めること自体間違えています。

聖霊を消す人に、聖霊充満はありえないことです。


そして聖霊と常に人格的な交わりをせず、空気の存在のように無視したり、交わりをしないと それも聖霊を消すことになります。




聖霊を悲しませてはいけません





【エペソ4章30節】

神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。

聖霊を悲しませる行為は 罪から離れず、悪いことを行うことです。


聖霊は私たちを助け、私たちが多くの良いわざを行うことを願っているのに、私たちが良いことをせず、悪いことばかりを行うならば聖霊は悲しみます。

それは聖霊との関係を壊すことになります。


罪は聖霊を悲しませる最も大きな原因になります。


聖霊は罪から離れない人とは交わりが出来ません。


聖霊を悲しませると、だんだん罪が神との間に仕切りを造り、関係が悪くなり、祈りは聞かれなくなります。


ですから聖霊に満たされたいならば、罪を悔い改めて、悪から離れ、聖霊との関係を良くしなければなりません。




御霊によって歩みなさい





【ガラテヤ5章16節】

私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。


【ガラテヤ5章25節】

もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。

御霊によって歩むことは、御霊に従順し、すべての罪を悔い改め、聖書にある主の命令に従順して生きることです。


生活全般において常に聖霊と共に歩みながら、聖霊のことばに従うと、他の肉の思いが心を支配することがないので、心の中はいつも聖霊の思いで満たされるようになります。


試合を控えた選手は、コーチや監督のことばには絶対的従順が要求されます。

もし言うことを聞かないならば、その選手はレギュラーから外されるか、試合に出ても負けます。


選手は良い成績を残すためにコーチの指導に全て従います。

どんなに過酷な訓練や暴言に 泣きながらもずっと耐えます。


人間に対しても そのように寄り添って歩むならば、自分のいのちの主、自分の人生を勝利に導こうとする聖霊によって歩むことは なおさら必要なことです。


私たちが本気で聖霊に満たされたいと願うならば、これらの条件を満たしていかなければなりません。

ある瞬間だけではなく、ずっとそれを継続していく時に、その人は聖霊充満な人になります。


その人は日々の生活で聖霊に導かれて歩みますし、主の弟子になりますし、主の弟子を作る人にもなります。

皆さんもこのようにして聖霊充満な人になりますように主の御名によってお祈りします。
(´・ω・`)


2015.12.13
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

他人を祝福する人とは?

テーマは『 他人を祝福する人 』です

【Ⅱコリント1章11節】

聖霊に満たされたパウロは個人に対しても祝福を祈り、教会に対しても祝福をたくさん祈ります。
そしてパウロ自身も信徒たちに向かって「わたしのためにも祈ってください」とお願いすることも多いです。
その祈りが自分にとって大きな祝福になることを知っているからです。

クリスチャンはなぜ他人を祝福しなければならないでしょうか?

自分の祝福だけではなく、なぜ他人を祝福しなければならないのか。 それは――
イエス様を 自分の主人として受け入れた人であるならば当然のことであります。

義務というよりも、それがとても価値あるものだからです。
イエス様は他人を呪ったことはないです。
朝から晩まで、いつも他人を祝福しました。人々が良くなることを誰よりも願いました。
それが神様のみこころなのです。

ですから、キリストに属する人は同じことをしてほしいと、それが神様が喜ぶことであります。

皆さんはクリスチャンになってから、常に人々のことを祝福していますか?
自分が知っている人だけではなく、見知らぬ人のために、困っている人のために、また国のために、
常にその人たちのために実際に祝福をしているでしょうか?

私たちは祝福をしなければならないです。
祝福を与えること、それは素晴らしいことであるのです。

私たちは他人を祝福する時に、どのような心で祝福をすべきでしょうか?
神様は私たちの心の動機を先に見られます。




神様が喜ぶ祝福の心があります。

私たちが相手に対して信じる心です

世の中では、他人を信じては絶対ダメだと言われます。もちろん他人を騙す人はたくさんいますので
信じた時に困る時があります。だからと言って他人を信じないのは不幸だと思います。
「誰も信じられない。」このような心を持っているのなら、とても孤独です。
家族、友達、誰も信じられない・・・信じられるのは自分自身しかいない。
―― そうではないです。

私たちはまず他人を祝福する時には、相手を信じることであります。
「私がこの人のために祝福の祈りをするならば、この人はそのようになるだろう」と必ず祝福される。 と
これが、信じることであります。

「私が祝福を祈っても、この人はそうならない。無駄だ。」ではないです。


愛する心

相手を愛する心がないと、私たちは口先だけの祈りで終わってしまいます。
愛するということは、相手が本当に幸せになってほしい、良くなって栄えてほしいという心でもあります。

しかし 愛する心がないと、たとえ相手に祈りを捧げたり、物を与えても自分自身が幸せではないです。
儀式的になります。まるで施しのように、自分が高い立場に立ってすることではないです。


相手を大切に思う心

大切に思うということは、相手を価値ある者と思うことなのです。
「この人は値打ちがない」というのは他人をけなすことであり、その人を救った神様をけなすことであります。

つい私たちは、悪い人ばかりを考え「そんな人には値打ちがない」と思ってしまいがちで、
私たちの眼はいつも否定的な悪いものだけを見て、自分の心を閉ざすのではなく、
悪い人より良い人がたくさんいるのです。

私たちは、色々な人からたくさん良くしてもらいました。
「誰からも良くしてもらったことがない」という人はいないと思います。もしそうであるならば、
今生きていないと思います。

幼い頃には、親からの愛を受け、世話を受けて大きくなりました。
成長した後も、先生や友達など色々な人によって、私たちは良いものをもらいました。ですから今日があります。

そういう部分で多くの人々は、皆 素晴らしい価値ある人なのです。そう思うことであります。


他人に良いものを与える思い

自分が使わなくて捨てたいものを与えるのではなく、自分が受けて嬉しいものを与えるようにする心を
持たなければいけないです。それこそが神様が喜ぶ 祝福を与える心の姿勢であります。

神様はどのような動機であなたがそれをするのか、まずそれを見ています。
心から良いものと悪いものが流れますので、私たちは良い心を持って人々を祝福していかなければならないです。

そして、祝福する対象は(神様を)信じる人だけではないです。
神様を信じる人も、信じない人たちも、私たちは祝福をしなければならないです。


【Ⅱコリント2章15節】

私たちクリスチャンが、自分たちの口から他人を非難したり罪に定める言葉や悪口を言うならば、
私たちが他人を汚す者になるのです。自分たちが悪臭を放つものになります。

人々を絶望させる言葉、傷を与える言葉、いじめの言葉がどれほど悪いものなのか、
それこそ包丁よりも怖いものです。

結婚をした1/3の人たちが(相手から)DVや言葉の暴力、経済的・肉体的な暴力 等、たくさん受けています。
他人の人格を踏みにじる言葉をたくさん使います。
そういう状態で、その家庭が幸せになることはまず有り得ないです。

もし私たちの口がそういうものを出し、行動するならば汚物と同じであります。
ですから、神様は「あなたたちの中からそういうものを出してはいけない。」と語っております。

相手を愛する言葉、相手の価値を認める言葉、相手を高める言葉、相手が良くなるように与える言葉、
祝福の言葉、これは絶望の中にいる人々を生かす言葉であります。

私たちが悪い言葉を使う時には、神様の恵みは絶対に流れないです。
逆にサタンが持っている汚いものが相手に流れていきます。

ですから私たちはまず 祝福の祈りをしなければならないです。
私たちは、自分たちの苦しみや問題をたくさん祈ることが多いですが、誰かに問題があって祈る時には、
祝福の祈りをするのが一番です。
「苦しいです」という言葉よりも、明確に祝福の言葉を祈る方が良いです。

それは自分のために祈る時も同じです。
たとえ自分を苦しめる人に対してでも、祝福の言葉を使って祈るのです。

「神様。 主人(息子、娘)を祝福してください。」 「主人が愛の人になるように祝福してください。」
「家庭を大事にする人になるよう祝福してください。」 「私のことを大切にする人になりますように祝福してください。」
「絶望から希望を得て立ち上がる人になれるように祝福してください。」


私たちはつぶやきが多いですが、例え つぶやきの言葉を並べても神様は聞きたくないです。

「死んでしまえ」や「消えてしまえ」という呪いの言葉ではなくて、
「神様、あの人が優しい人になりますように。」というように、祝福を受けてそうなって欲しい姿を祈ります。

他人を祝福するので自分も祝福され、自分も祝福する言葉しか語らないので、いつも心の中が平安であります。

クリスチャンにとって、祈りは誰にでも出来ることです。祈りによって常に人々を祝福することです。

また、それをしていくと何が起こると思いますか?

その祈りをもらっている人たちが、それによって力を受けるのです。
そしてその人たちに 神様が恵みを流していきます。

また、それをしないと 私たちは命取りになります。それは次の箇所です。


【マタイの福音書25章33-36節】

小さな働きなので人々は無視をすることが多いです。しかし神様が一番目を留める働きは、
このような働きでした。


【マタイの福音書25章40節】

大きな働きをしたい人はたくさんいます。我先に「これをしたら大きな祝福が来るだろう」と、
これは自分が受ける祝福のことしか考えていないです。

他人のためと言いながらも、心の中では「人々に尊敬されたい」と計算が働きますが、
このような小さなことは、目立たないことであり、やって何になるんだ?と思うことであっても
神様は「それをしなかったあの者たちは、天国には入れないんだ。」ということです。


【マタイの福音書25章41-46節】

神様は、最も小さな者に価値を与え大切に思い、その人たちを愛し、信じて、
手を差し伸べ、祈りをして必要なものを与え、励まし助ける時に、それが最もわたしが喜ぶ働きである。と、
あなたがその人たちを祝福したので、あなたたちは、父なる神に祝福される。
―― これが聖書が私たちに教えることであります。

家庭でも、会社帰りの旦那さんに家族が何も言わないのではなく、「ご苦労さま」 「ありがとう」と
この言葉は家族を祝福する言葉であります。その言葉を聞いて嬉しくなって更に頑張ることができます。
「働くのは当たり前でしょう?」だと、1日中働いて疲れて家に帰ってきているのに 更に疲れてしまいます。

それは旦那さんも奥さんに対して同じです。
「1日中、のんびりしながら何をしているんだ」ではなく、食事に対して「美味しい」 「ご苦労さん」と
このような一言が相手に対して祝福を与える言葉であります。

言うと自分も幸せになり、お互いが幸せになります。

私たちは言葉で表現をしなければならないです。いくら年をとっていても、このような言葉を聞きたいです。

私たちは家族に対して、そのように祝福の言葉を与えることであります。
大事にすることは、(家族の)奴隷になりなさいということではないです。
お互いの価値を認めることで良くなっていくと思います。


福音を伝えること

兄弟・姉妹の間でも相手の信仰を立たせるために、私たちが助けると、その人が祝福を受けるようになります。
とりなしをたくさんする人は、他人にたくさんの祝福を流している人であります。
それによってどれほど私たちが助かっているかわからないです。パウロも言っています。


【ピリピ4章14-18節】

すごく私たちが反省をしなければならないことであります。
受けることだけを考えて、自分たちが恵みを流さないと、自分の中の恵みが死んでしまいます。

私たちは恵みを受けたならば、常に恵みを流していかなければならないです。
流していくならば、神様は常に新鮮な恵みを流してくださるのです。

「この人は欲望にまみれた人ではなくて、自分が受けたことを感謝して、困っている人たちを助けている」となると
神様は更に大きな祝福を与えてくださいます。

福音を宣べ伝えるのは主の働きなので、それをする人たちが困ったり、苦しむことがないように
共に私たちが助けるならば、それは祝福を与える人であります。そうすれば私たちも霊的祝福を受けられます。

かぐわしい香りは、このような働きをしていく時に、その人自身からかぐわしい香りが放たれます。

自分が地上にいる一生の間、ずっと祝福を受けたいと思うならば、自分が常に祝福を祈り、
祝福を与える人、祝福を蒔く人でなければならないです。

「私だけ、私だけ・・・」となると、汚れて死がくる と神様が語っています。

聖書の言葉をよく理解して、神様が何をおっしゃっているのか、そして その通りにするならば間違いないです。


イエス様に出会って一番幸せなのは、誰だと思いますか?

【マタイの福音書26章6-13節】

誰もイエス様にこのように祝福をした人はいないです。
集まってくる人々は、常に受けることしか考えていなかったです。

あまりにも主を愛する心があり、あまりにも自分が受けた恵みが大きいので
自分が持っているものを全て捧げても、命を捧げても惜しくないという愛の心でした。

彼女も初めは受けるために来ました。罪が赦され、心が回復され、素晴らしいものを受けました。
そして、それに対して主を祝福した人は彼女1人だけでした。

私たちはどれほど主から祝福を受けたのかわからないです。
イエス様にこれほどのもてなしをしたことはないです。
彼女は最高のもてなしをしました。そのことでイエス様が喜ばれました。

私たちは自分の命が死から救われた者であります。人々のたくさんの祈りによって支えられているのです。
それを ただ受けることだけを考えて、更に「ちょうだい」ばかりを言うならば、
神様は「もう(あなたは)いらない」となります。

私たちは流していくのです。小さな者に対して、その人に必要ならば与え、
どんどん祝福を流していくならば、それが自分に祝福として返ってきます。

私たちは言葉1つにしても、行動1つにしても、それが人々の祝福になるようにしなければなりません。
悪いものが出そうな時は止めてください。

人間は皆、幼い頃から好き嫌いがあり、パッと見た瞬間にそれを頭の中で決めてしまいます。
私たちは好きなものは好きで良いのですが、嫌いなものに対しては「嫌い」という言葉よりも
「好きになろう」「嫌いなものを好きになってみよう」と思うならば、徐々にその良さが見えてくるのです。

一言「嫌い」と言ってしまえば、いっぺんにそれを切り捨てることなのです。

人に対しても、「この人の ここは好き、あれは嫌い」となると、愛することができなくなるのです。
しかし、「あぁ、こんなに良いところがあるんだ。」と自分の目線を変えて見るならば、
素晴らしい部分がたくさん見えてきます。

素晴らしいものは「素晴らしい」と言ってあげたら良いです。
悪いところを「悪い、悪い」と言うと、ますます悪くなります。人はその言葉では変わらないです。
ですが、悪いところがあっても 良いところを先に言うと、相手は恵みを受けるので変わっていきます。

自分の良い部分を励ましてくれる相手を裏切りたくない思いになります。

これから私たちは言葉を変えていきましょう。祝福の言葉を使うと人生が変わっていきます。

そして、これからは「私、私、私」よりも、神様の言葉通りに「祝福する人になろう」と他人のために祈る時に
私たちはやわらかい心になります。

家族においても職場においても、祝福を与えるために私たちは選ばれたのです。

キリストの心をもって他人を祝福をする人になりましょう。 (*´∇`*)

2013.6.16
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

毎週日曜日の八戸ノ里キリスト教会のご馳走です!
主の食卓のブログ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

働く態度と実

テーマは『 働く態度と実 』です。

【ローマ12章10-11節】

私たちは1年間、どのような気持ちで働いてきたでしょうか?どのような実を結んだでしょうか?
年末になると感謝はもちろんですが、反省もしなければならないです。

神様が喜ぶ態度で自分は働いてきたのか、考えなければならないです。

労働は人間としてすべきことです。
私たちはそれにプラスして、神様に仕える働きもあります。これはクリスチャンにとって大切なことです。

神様は「主のために○○をしなさい」と、私たちに与えておられます。
教会に来て何もしていないという人は1人もいないと思います。

働きの中でも、神様はその人の心を見ておられます。その人がどんな態度で仕事をしているのか ――です。
心の態度がとても大切で、それができていないと一生懸命働いたとしても、神様はある者は退け、
ある者はやっていても何も報いがない。ある者はやっていても何も実が結びません。

働く態度の姿は3つあります。

---------------------------------------------------------

①感動の心で使命感を持って働く姿

神様から受けた恵みに常に感動して、「どうやったら私が主を喜ばせることができるか。」
「神様は私の為にイエス様を送ってくださったので、私は何をもって神様に仕えることができるでしょうか。」
「主よ、私は何をしたら良いでしょうか。」
仕事をする前に神様の感動があります。

こういう者に対して、神様は喜んで働きを与えてくださいます。
それが、その人にとって使命なのです。「神様、与えてくださり感謝します。」

パウロは神様に出会った時から、死ぬ時まで感動の心で自分の使命を果たしました。
これは、神様が一番喜ぶ姿であります。

感動が消えると、それは「形式」になります。神様はこの形式的なのを嫌います。

パリサイ人は言葉や知識をよく知っていますので、その点では神様は彼らをけなすことはないです。

語る言葉は神様のことなので間違いはないのですが、彼らの心は恵みに対する感動がないです。
ですので、結局自分のための働きになります。

神様が喜ぶか 喜ばないか、それを考えながら聖書を読まなければならないです。
霊に燃えるということは、使命に燃えることであります。知識ではないです。
このような人たちがたくさんの実を結びます。そのような態度でしますので、実が落ちることがないです。

いつも同じ心で取り組むので、どんどん大きい木になって、そこにたくさんの実が結ばれ、
神様はそれをすごく喜びます。


②義務感で働く人の姿

私たちは義務感を持つ必要がありますが、それだけで働く人たちがいます。
その人たちはしたくないのに、「しなければならない」という思いでしています。
義務感で働くと、働きはきちんと出来ています。
しかし、働いている人の心には喜びがないです。

普段 喜んで働いていても、時々身体が疲れたり、心が落ち込んだりする時は「したくないな」という
気持ちになるのは当然出てきますが、
義務感で働く人たちは常に「したくないな」という思いを持ちながら、「自分に与えられたことだから、仕方がないな。」と働きをします。

義務感で働く人は、働きをしていますが神様に喜ばれない姿であります。
その働きが終わったら、サッと消えます。そして、それ以上のことはする気がないです。

神様の前で、義務感を持って働く人が意外と多いです。

例えば、したくないこともあると思います。「これは私の仕事でしょうか?」ということがあるかも知れませんが、
神様は私たちの中にある「別のもの」を見ておられます。別の可能性を見て、神様はそれを花咲かせる為に、
私にやらせるんだ、と。  人間にはたくさんの才能があります。
ですが、私たちは自分がしたいことをするので、自分に見えていない可能性は埋もれてしまいます。

光に当たることもなく、一度も芽を出すこともなく、消え去って行きます。

神様の素晴らしいところは、私たちの中にあるものを、引き出すのがとても上手いのです。

「出来ないです」と逃げることを考えるのではなく、
「神様、これが与えられました。どうか出来る力をください。出来るように守ってください。
出来るように神様が恵みをください。知恵をください。」
このように祈った時から、出来ないと思っていたことが光に当たっていきます。
自分でも知らなかった部分が、どんどん凄いものになっていきます。

神様によって1つのチャンスが与えられる事、それに出会うことは、私たちにとって恵みであります。
初めは義務感でしていたことも、それをずっと続けていることで義務感でなくなります。

神様から与えられたことは、義務でするのではなく、どうせやるならば主に喜ばれる実をしっかりと
結ぶものにして、神様に「私はこれを通して栄光を捧げました。」というものを持ったら良いです。

多くの場合は、「そんなことできません」という義務感から始まると思いますが、
「私のような者に与えてくだっさって感謝します。」という思いですると、たくさんの恵みを受けると思います。
主の働きは全て良いものであります。


③イヤイヤしながらする姿

逃げたいのに逃げられないという思いで、義務感もありません。

いつも逃げることを考えて、そして突然やめてしまいます。
その人たちからは1つも実を結ぶことがありません。「これ以上無理!」と投げ出し、
神様のことを全然考えないで自分がしたいようにするのは、ある意味役に立たない姿であります。

このような人たちはいつも不平不満が出てきます。牧師や周りの人たちにも不平不満を言います。
それは神様の恵みに気付いていない姿であります。

神様はいつも私たちの心をやわらかくしなさいとおっしゃいます。
そして、日々新しい恵みを備えてありますので、常に新しい革袋を用意しなさいと語ります。

---------------------------------------------------------

まず私たちが愛の心から出発していることで、
神様に喜ばれる態度で、良い実を結ぶためには「兄弟愛」が必要です。

兄弟愛があるので互いに仕えあうことができるのです。愛があると心に感動が出てきます。
愛と義務は全く違うものです。義務には愛がないです。
愛があると、「しなさい」と言われなくても、「仕えたい」、「ある人を喜ばせたい」と、その思いが出てきます。

愛がないと相手をけなして、相手を踏みつけます。

「愛してる」と言いながら相手を踏みつけたり、暴言を吐いたりするなら、それは愛ではなく執着心であります。
愛は、相手を大切にして、相手を自分よりも勝っていると思う心であります。そして、そういう人たちは
一生懸命、喜んで働きをします。神様はその人の上に祝福を与えてくださいます。

この1年の自分の姿がわかると思います。本音は自分の心の中にあります。
もし自分の心がどこかに当てはまるならば、それを改善すべきであります。
同じ心で来年も仕えていても、実が結ばれることはないので、確実に実が結ばれるように働くと、
神様には「栄光」、自分には「祝福」。
その人たちにはますます素晴らしい実を結ぶ人生になります。  v( ̄∇ ̄)v

2012.12.30
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

成長するために

テーマは『成長するために』です

【Ⅰペテロ2章1-5】

成長は私たちにとって必要なものであります。
成長をしないことは「死」を意味しますね。

人間は「外なる人」と「内なる人」で構成されています。

外なる人・・・肉をもって生きている姿(自分の頭で考え行動することです)

内なる人・・・罪と咎がある人は「内なる人」を持っていないです。神様に出会う前は死んだ状態であります。
         神様に出会い、罪の許しを受けて新しく生まれ変わった人達です。

神様が語る成長とは、内なる人が成長することを示しています。
成長をしないと、たとえ霊の子供であっても死にます。

今、自分が成長しているのか、成長していないのかは、どうやったらわかるでしょうか?
また成長をするにはどうしたら良いかを、聖書の本文を通して教えてあります。

① 【Ⅰペテロ2章1節】

生まれ変わった人は、言葉や行動が変化しなければならないです。
「私は嘘をついたことが一度もない、妬みを持ったことがない。」
これは誰でも持ってありますので、このように思うことこそ、嘘であります。
言葉には出さなくても、私たちは心の中にあらゆる悪を持っています。
その悪をそのまま持ち続けていることは成長をしていないことであります。
また、それを持ったままだと、自分の成長を邪魔をすることになり、
家族や周りの人たちが救われないように妨害をすることにもなります。

神様が見て一番喜ぶ姿は、砕かれた魂です。
霊的訓練を通して自分の中にある「悪意、妬み、汚いもの、神様が喜ばないもの」
これらを叩いて捨てれば捨てるほど、心が聖くなります。

② 【Ⅰペテロ2章2節】

ただ聖書を読めば良いということではないです。
みことばに対する私たちの態度が大切であります。
みことばをどのように扱っているのか、それによって成長が全然違うものになります。

自分が生まれ変わったならば、人生の主人がいるのです。神様であります。
その神様を無視して今まで通りに自分で一生懸命考えて決定をしていくことは
神様のことを全く考えていない姿です。主が何をおっしゃるのか関心がないです。

【詩篇119篇105節】

私たち1人1人の歩む道はみんな違います。
次の一歩を踏み出す時に、光が1つもなければどこへ行ったら良いかわからないです。
いくら経験を積んでいたとしても、それで未来へ向かって歩くことはできないです。
人生の道はそうであります。明日何が起こるのか誰もわからないです。
「みことばが私を導きますように」というのが、みことばを慕い求める人の姿です。

【詩篇119篇33-40節】

この箇所を日々の祈りの中に加えてください。

【Ⅰペテロ2章5節】

成長していくには、自分が聖なる祭司としての働きをしなければならないです。
いつまでも恵みばかりを求めるのは、赤ちゃんの姿であり成長をしていない姿であります。

聖なる祭司の働きというのは、
神様に仕える人…神様の近くで仕える人です。
              神様に礼拝を捧げ、神様からの言葉を受け、神様に対して奉仕をする。

祭司は神様の為に選ばれた者であります。
まったく成長をしていない人は、神様に仕えることができないです。

民たちを祝福する働き…神様から霊的祝福を受け、それを人々に与えることであります。
                   自分だけ祝福を受けるのではなく、他の人達も祝福を受ける者になるように
                  恵みを運ぶ者です。そして神様の言葉を教え、導く者です。

これが祭司の働きであります。
このような働きを私たちがしていく時に、私たちはますます成長した姿になります。
どんなに小さな働きでも良いのです。最初から大きな働きができるのではないです。
初めは自分の信仰に相応しい働きを神様がさせてくださいます。
しかし、どんどん働きを全うしていき、器が大きくなっていくと神様が多くの働きを任せるようになります。

少しの働きから、たくさんの働きができるようになります。

人にも仕え、神様にも仕えるようになります。

【エペソ4章13-15節】

成長していくとは、このような姿です。

【Ⅰテモテ4章12-16節】

私たちが成長する為に、必要なものです。
地上でどんなに成長をしても天の御国のことで全ての知識を得ることはできませんし、
霊的なことも全てを知ることはできません。ですから私たちは怠けてはいけないです。
「そんなこと知らない」ではないです。
本当に求める姿を持たなければならないです。

自分で自分の霊の状態を常に診断する必要があります。

「立ち返らなければいけないんだ」、「求めなければならないんだ」と思うならば、
神様が働きます。神様はそれを願いますので、喜んで恵みを与えてくださいます。  .。゚+.(・∀・)゚+.゚

2012.12.9
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

livedoor プロフィール
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

(^^) からし種 に投票してね
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ