からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

八戸ノ里キリスト教会より メルマガ配信中!

メルマガ購読・解除

読者購読規約
毎朝7時に配信しています! 1日の始まりを神様の恵みで満たしてくださいね
powered by まぐまぐ!
 
         

信頼

私のたましいが神を待ち望む理由

テーマは 『 私のたましいが神を待ち望む理由 』 です

【詩篇62編1-12節】

私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。

神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私は決して、ゆるがされない。

おまえたちは、いつまでひとりの人を襲うのか。おまえたちはこぞって打ち殺そうとしている。あたかも、傾いた城壁が、ぐらつく石垣のように。

まことに、彼らは彼を高い地位から突き落とそうとたくらんでいる。彼らは偽りを好み、口では祝福し、心の中ではのろう。

私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。

神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私はゆるがされることはない。

私の救いと、私の栄光は、神にかかっている。私の力の岩と避け所は、神のうちにある。

民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。

まことに、身分の低い人々は、むなしく、高い人々は、偽りだ。はかりにかけると、彼らは上に上がる。彼らを合わせても、息より軽い。

圧政にたよるな。略奪にむなしい望みをかけるな。富はふえても、それに心を留めるな。

神は、一度告げられた。二度、私はそれを聞いた。力は、神のものであることを。

主よ。恵みも、あなたのものです。あなたは、そのしわざに応じて、人に報いられます。

2月5日、熱海発大島行きの高速ジェット船が クジラと衝突し、海上を漂流していましたが、海上保安部の巡視船が救助に向かって彼らを助けました。


74人が乗っていましたが、全員無事に助けることが出来ました。

クジラとぶつかって船がダメージを受けて漂流し始めましたが すぐに助けを求めたので助かりました。


最近ギリシャのエーゲ海では難民船が次々と漂流したり、沈んだりして多くの人々がいのちを落としています。


彼らがいのちを落としたのは、漂流しても助けを求めるところがなかったからです。

ですから、船に1つでも問題が起きてしまうと 助かることもなく、悲惨な結果に繋がってしまいます。
とても気の毒です。


助けを求めるところがあれば、多くの人が助かったと思います。


それを見ても、助けを求めるところがあるのと ないのとでは天と地ほどの差があります。

それで生死が決まってしまいます。


人生の海上で漂っている時に、助けを求めるところがある人は 本当に幸いです。


本文は、助けを求める所があったダビデの告白です。


助けを求めた後は、助けが来るまで じっと待つ姿が見られます。

これこそ神にすべてをゆだねている姿です。


さらにダビデは、自分がなぜ黙って、ただ神を待ち望むかについて語っています。




・すべての救いは 自分が待ち望む神から来る




この救いは、自分のいのちを狙う者からの救いはもちろん、たましいの救い、絶望からの救い、悪者からの救い、苦しみや患難からの救い、病気や痛みからの救いなども含まれた “すべての救い” です。


私たちが信じる神は “唯一の救い主” であるからです。


世界にはたくさんの宗教があり、「それぞれに救いがある」 と言いますが、まことの救いは、イエス様から来ることを知らないといけないです。


【使徒の働き4章12節】

この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、 私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」

主は私たちの救い主です。

ですから苦しみに会った時には、人間的な方法や思いで救いを得ようとするのではなく、初めから絶対的な信頼を この神に置いて神に助けを求めることです。


これが救われる一番の近道です。

神様にすべての状況を話して 神の助けが来るまで神を待ち望むことです。


この詩篇を書いたダビデも、そのようにしていつも救い出されました。


彼は 救いを神に求めた後は、自分の信仰を次のように告白しながら保っていました。


【詩篇62編1-2節】

私の救いは神から来る。

神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私は決して、ゆるがされない。



・すべての望みは 自分が待ち望む神にある




人間には様々な希望があります。

救いへの希望もあれば、叶えたい夢もあります。


しかし、人間の欲望が入った希望は むなしく終わることが多いです。


世にあるすべてのものを欲しいままに手に入れ、欲望をすべて満たしたソロモン王が告白したことばを聞いてみましょう。


【伝道者の書で1章14節】

私は、日の下で行われたすべてのわざを見たが、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。

欲望から出た人間的な望みは消えて行くものです。

自分の欲望によって 永遠の喜びと満足を与えることはないですが、聖徒が持っている望みは それとは違います。


聖徒にある “望み” とはなんでしょうか?


【箴言10章28節】

正しい者の望みは喜びであり、悪者の期待は消えうせる。

これは、消えることのない喜びです。


【箴言14章32節】

悪者は自分の悪によって打ち倒され、正しい者は、自分の死の中にものがれ場がある。

正しい者は、たとえ死の瞬間でも 神に信頼しているので、永遠のいのちへの希望があります。

“死者の復活” という望みがあります。


この望みほど素晴らしい望みはありません。

これは神の恵みによって与えられる望みです。


【詩篇62編7節】

私の救いと、私の栄光は、神にかかっている。私の力の岩と避け所は、神のうちにある。

この言葉は 私が辛かった時や、死にそうだった時、そして先が見えなかった時に、本当に力と希望を与えたことばでした。


よく このみことばを告白していました。

望みを抱いて忍耐しました。


他にも支えになったことばがあるので紹介します。


【詩篇68編19節】

ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。

【詩篇118編17節】

私は死ぬことなく、かえって生き、そして主のわざを語りつげよう。

【ローマ5章5節】

この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

これらのことばを信じ、望みを持って神を待ち望みました。

そして大変な時期を乗り越えました。


ダビデ自身 いつもそのように助け出されました。


【詩篇62編8節】

民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。

このように勧めています。




・神が一番安全な避け所であるから神をただ待ち望む




これから起こるかも知れない人生の苦難や嵐のための避け所を 必死で造ろうとするのが人間ですね。


財産、人間関係、地位など色々あります。


“それさえあれば助かる、何とかなる” と思いながら頼ります。

しかしそれは不完全であるので、一時的な避け所に過ぎません。


私たちには、安全で決して揺るがされない避け所が必要です。


神の中ほど安全な避け所はありません。


【詩篇63編7-8節】

あなたは私の助けでした。御翼の陰で、私は喜び歌います。

私のたましいは、あなたにすがり、あなたの右の手は、私をささえてくださいます。

これは、彼がユダの荒野にいた時の告白ですが、避け所である神の中にいる姿です。


神に仕えていたすべての信仰の人たちも苦しみや迫害の中で似たような告白をしました。



【イザヤ書25章4節】

あなたは弱っている者のとりで、貧しい者の悩みのときのとりで、あらしのときの避け所、暑さを避ける陰となられたからです。横暴な者たちの息は、壁に吹きつけるあらしのようだからです。

【エレミヤ書17章17節】

私を恐れさせないでください。あなたは、わざわいの日の、私の身の避け所です。

“神を 自分の一番安全な避け所” と思う聖徒になりましょう。


神に向かって人生の航路を固定しましょう。


なぜなら、神様だけが 私たちの人生に救いを与え、望みを与え、安全な避け所であるからです。


たとえ嵐にぶつかることがあっても主が助けて下さいます。



【詩篇107編27-31節】

彼らは酔った人のようによろめき、ふらついて分別が乱れた。

この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から連れ出された。

主があらしを静めると、波はないだ。

波がないだので彼らは喜んだ。そして主は、彼らをその望む港に導かれた。

彼らは、主の恵みと、人の子らへの奇しいわざを主に感謝せよ。

(・∀・) アーメン

2016.2.7
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

神様の愛と憐れみ

テーマは 『 神様の愛と憐れみ 』 です


神様が私たちを愛するのは、私たちが愛される条件が揃ったからではなく、神様が愛と憐れみ深い方だからです。


今日、多くの信徒たちが、その一方的な愛と恵みを受け入れないで、自らが愛される条件を作ろうと励んでいます。

“これをしたら、あれをしたら愛される”と思いながらやっています。


それは、疲れる人生であり、安息のない人生であり、やってもやっても満たされることがない人生です。


私たちは、神様の愛と憐みを そのまま受け入れ、信頼したら良いです。

主がなさったことを信頼し、これからすることに対しても信頼することです。


アブラハムを見たら分かります。

聖書で、神は初めてアブラハムに対して信仰による神の義を現しました。


【創世記15章5-6節】

そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」 さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」

彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。

年も取り、妻は不妊の女なので、1人も子どもがいないアブラハムですから、これこそ信じ難いことばなのに、彼は何の疑いもなく神のことばを信じました。

信じたアブラハムを 神は喜んで下さいました。
神の義とは、神が“それで良し”と認めてくださったことです。


私たちが作った条件が義を作るのではなく、私たちの信仰を 神が義と認めてくださいます。

また、行いが義を作るのでもないです。
思い出してみてください。


イエス様がサマリヤの井戸の傍で1人の女性と話をしました。

イエス様は彼女が変わってから 彼女を受け入れたのではなく、主が彼女を受け入れた後に彼女が変わりました。

変化は 主の臨在の後に来るものです。


まだ自分の変化が足りないならば、それは主の臨在の体験が足りないことですし、また 主に対する愛への信頼が足りないことです。

自分の姿がグチャグチャであっても、情けない姿であっても、まず主を信頼してください。


まだ断ち切れていない罪があったとしても、まず主を信頼し 告白してください。

主があなたを受け入れ、変えてくださる力があることを信頼してください。

あなたは罪に勝つことができません。


しかし、あなたの中におられる主が あなたの中で働き、勝利を与えることが出来ます。

罪を認め 告白する時に、主が臨在し 新しくしてくださり、義と認めてくださり、自由を与えます。


自分を義人だと自任し、自分の行いで義と認められることを期待したパリサイ人が義と認められたのではなく、「神様。こんな罪人の私をあわれんで下さい。」と主に祈りをした取税人が義と認められて家に帰ったと はっきりと主が語ってくださいました。


私たちも主の前で 彼のように祈る時に、主は義と認めてくださいます。

決して行いで義と認められることではありません。


神は今も 愛と憐みをもって私たちを愛しています。

その愛と憐れみをそのまま受けてください。

何かを差し出して愛してくださいという必要はありません。
(´▽`)

2015.10.23
3分テレフォンメッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

勝利の人生

テーマは 『 勝利の人生 』 です

【エレミヤ書29章11-13節】

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。― 主の御告げ ― それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。

もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。

2014年・WHO(世界保健機関)報告では、世界の自殺者は年間80万人超でした。


それは 40秒毎に1人が自殺していたことになります。恐ろしい数字です。


最大の数はインドの25万人、中国、韓国、日本も自殺者の多い国に入りました。

国々によって理由も様々で、ストレスや うつ病、貧困、いじめ、経済面なども理由に入りました。

孤独のために自殺した人も多かったです。


昔と比べ 社会も人間関係もストレスが多く、不安や絶望感が大きくなったので、人生に絶望し、将来を悲観して いのちを断つ人が多くなったと思います。

その人たちは人生に負けたと思いながら亡くなったでしょう。


将来に対して全く不安がないと言うならば、それは嘘だと思います。

周りで起こる様々なことを見ると不安が出てきますし、絶望することも出て来ます。


その時に 私たちは世の流れに自分を任せて行きますか?

そうすると人生に疲れて自ら命を絶ちたくなると思います。


エレミヤと言う預言者がイスラエルの民に神のことばを伝えていましたが、その当時イスラエルは国も無くなり、彼らはバビロンで捕虜の身となっていました。


彼らの罪の結果でそのようになり、そして捕虜生活は長く続きました。

その中で人々は絶望していました。


絶望的になっている彼らを見て、神様は預言者エレミヤを通して語りました。

その内容は素晴らしいものでした。


絶望の中にいる人たちにとって希望と勇気を与えるメッセージで、勝利の人生を生きるヒントがそこにありました。


今回は、そこから勝利の人生のヒントを学びたいと思います。





・自分が置かれた環境の中で最善を尽くす




にせ預言者たちは 耳に良いことばを人々に語り、「捕虜期間が早く終わって国に帰られる」と民たちを惑わしました。


しかし主がエレミヤに啓示したのは、捕虜期間は70年間続くということでした。

それで神様は、彼らが地に足がつかない生活ではなく、しっかりと地に足をつけて生きることを示しました。


【エレミヤ書29章5-7節】

家を建てて住みつき、畑を作って、その実を食べよ。

妻をめとって、息子、娘を生み、あなたがたの息子には妻をめとり、娘には夫を与えて、息子、娘を産ませ、そこでふえよ。減ってはならない。

わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、そのために主に祈れ。そこの繁栄は、あなたがたの繁栄になるのだから。」

これらのことばは、今も主の再臨を待ち望みながら歩んでいる私たちに必要なことばです。

たとえ明日 世の終わりが来ても、今日しっかりと地に足をつけて生きることを主は勧めています。


聖徒は決して現実逃避しながら生きる存在ではありません。


現実を認め、自分が置かれた環境に適応しながら、その中で自分に出来ることが何かを思いながら、小さなことに忠実な人にならないといけないです。


神が与えた環境の中で神の栄光を現すために、信仰を持って最善を尽くすことが主に喜ばれる人生です。

神様はその人に恵みと力を与えて下さいます。





・自分の人生を主に委ねる




【エレミヤ書29章11節】

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。― 主の御告げ ― それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

愛とあわれみ深い神様が私たちに与えるのは、災いの計画ではなく良い計画です。

しかし、私たちが神様のみこころを知らず 信頼しないならば、私たちは試みに会い、試練にも会います。


幼子が親に自分を完全にゆだねて生きるように、私たちも霊の父である真実な神様に自分の人生を完全に委ねて生きることを主は要求しています。


いつも私たちはこの部分が一番足りないと思います。
神様は私たちの保護者です。


私たちは主の前では幼子と同じなのに、主に委ねることも頼ることもせず、自分の力で生きようとします。
それが問題です。


謙遜になって委ねるならば、もっと自由に幸せに生きることが出来ます。



ですから人生を主に委ねることを学ばないといけないです。


【詩篇37篇5節】

あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。

【箴言16章3節】

あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。

神様が私たちのために計画を立ててあり、安心してそれに従うなら 神様は一歩ずつ私たちを導いて下さいますし、困難の中でも私たちを守って下さいます。



頭では分かっていても主に委ねることがなかなか難しいのは、信仰の弱さが原因です。

神様への信頼が足りなく、“心配と疑い”が委ねることを邪魔します。


信仰の勝利者は自分の人生を完全に主に委ねて歩みました。

アブラハムの姿を見てもそうでした。


【ヘブル11章8節】

信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。

自分に対する神様の計画を知った時に、完全に自分の人生を神様に委ねて従いました。

それによって彼は幸せで満足ある人生を送りました。


自分の人生設計だけがすべてと思う人が多いですが、すべて自分の計画通りになりますか?

それは神様が喜ぶ人生でしょうか。


神様の計画に自分の人生を委ねることが良い人生であり 幸せな人生です。





・いつも主を求めながら生きること




【エレミヤ書29章13節】

もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。

神様は私たちの祈りを喜んで聞いてくださる方です。


幼子が持つママたちがよく言う言葉があります。
私も子どもを産んで経験しました。


実際は赤ちゃんが泣いてもいないのに、耳に赤ちゃんの泣き声がずっと聞こえてきます。

泣いていると思って赤ちゃんの傍へ行くと寝ています。
そのようなことがよくありました。


赤ちゃんは泣くことで色々なことを伝えるので、ママは赤ちゃんの泣き声にいつも耳を傾けます。

それが赤ちゃんから離れると、泣いてもないのに 時々泣いていると錯覚してすぐに赤ちゃんの所へ行きます。


神様はこれ以上に私たちの声に反応して下さる方です。

私たちは神様に祈ることが出来ますし、祈りは神様の力と恵みを自分のところに下らせます。


「祈ったのに何も答えて下さらなかった」と よく聞きますが、果たしてその祈りが主の心に適う祈りでしょうか。


もしみこころに適う祈りならば、主は答えて下さいます。


【エレミヤ書33章3節】

わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。

このように約束して下さいました。


問題や試練の中で自分1人で解決しようとする人たちが多いです。

神様に頼らず、人にも頼らない人も多いですが、それは不信仰の姿であり、高慢な姿でもあります。


聖徒たちは問題が生じた時は 何よりも先に神様を呼ばないといけないです。


熱心に神様を求めながら、神様の導きと指示を受けることです。


1人で頑張る人は力尽きて絶望することが多いですが、神様に祈り 信頼する人は必ず神様に助け出されます。


詩篇42篇に出てくる祈りは良い祈りです。


【詩篇42篇1-2節】

鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。

私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。


【詩篇42篇5節】

わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。

【詩篇42篇8節】

昼には、主が恵みを施し、夜には、その歌が私とともにあります。私のいのち、神への、祈りが。

主のことばは魂を生き返らせます。


私たちの人生を食い物にしようとするサタンの勢力がますます強く働いているので、いつも主を求めながら、自分の人生を主に委ね、現実の中で最善を尽くす時に 私たちは神様の助けと計画の中で必ず勝利の人生を歩むことが出来ます。
(・◇・)ゞ


2015.10.25
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

ダニエルを助けた神様

テーマは 『 ダニエルを助けた神様 』 です

【ダニエル書6章19-28節】

王は夜明けに日が輝き出すとすぐ、獅子の穴へ急いで行った。

その穴に近づくと、王は悲痛な声でダニエルに呼びかけ、ダニエルに言った。「生ける神のしもべダニエル。あなたがいつも仕えている神は、あなたを獅子から救うことができたか。」

すると、ダニエルは王に答えた。「王さま。永遠に生きられますように。

私の神は御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の害も加えませんでした。それは私に罪のないことが神の前に認められたからです。王よ。私はあなたにも、何も悪いことをしていません。」

そこで王は非常に喜び、ダニエルをその穴から出せと命じた。ダニエルは穴から出られたが、彼に何の傷も認められなかった。彼が神に信頼していたからである。

王が命じたので、ダニエルを訴えた者たちは、その妻子とともに捕らえられ、獅子の穴に投げ込まれた。彼らが穴の底に落ちないうちに、獅子は彼らをわがものにして、その骨をことごとくかみ砕いてしまった。

そのとき、ダリヨス王は、全土に住むすべての諸民、諸国、諸国語の者たちに次のように書き送った。

「あなたがたに平安が豊かにあるように。私は命令する。私の支配する国においてはどこででも、ダニエルの神の前に震え、おののけ。この方こそ生ける神、永遠に堅く立つ方。その国は滅びることなく、その主権はいつまでも続く。

この方は人を救って解放し、天においても、地においてもしるしと奇跡を行い、獅子の力からダニエルを救い出された。」

このダニエルは、ダリヨスの治世とペルシヤ人クロスの治世に栄えた。

聖徒たちが特別な理由もなく苦難を受ける時があります。

また、神様をもっと信じようとする時に、大きな苦難にぶつかる時もあります。


「なぜだろう。神様は私を本当に愛しているだろうか。私を助けて下さるだろうか。」と思う時もあります。

しかし聖書では 信仰の先祖たちも問題にぶつかり苦難の時があったことを知ることができます。
その時、彼らは立派な信仰を見せました。


苦難に会って何をどうしたらよいか分からず 右往左往する弟子たちの姿を見て、イエス様が「なぜ恐れるのか。信仰の薄い人たち」と言われたことがありました。

そのことばでも分かるように、どんなに大きな苦難や試練に会っても、しっかりと信仰の姿勢を見せると神の奇跡を体験することが多いことを聖書で発見することが出来ます。

ですから試練の時は聖書に出てくる信仰の人物を通して、どうすべきかを学ぶことができます。


ダニエルは私たちが学ぶ事が多い信仰の人で、神にも人にも認められた人で、彼は忠実で 何の怠慢も欠点もなく人間としても素晴らしい人でした。

捕虜として連れて来られた者でありながら、その優れた知恵と悟り、また忠実さによっていつの間にかバビロンの総理にまでなりました。

それは神の祝福でもあり、彼が王に信頼されているしるしでもありました。


また彼は祈りの人で、日に三度いつも神様に祈りをささげ、とても敬虔な信仰を持っていました。


しかし、このように祝福されていたダニエルに思いがけない大きな試練が来ました。

それは罪によるものでも、神からの試練でもなく、彼の出世を妬んでいる政治家たちの陰謀による試練でした。

その者たちの心にはダニエルに対する激しい妬みがありました。
サタンも妬みのある人々を使ってダニエルを倒そうとしました。


ダニエルを倒すために彼らが考え出した策略は次の箇所に書かれています。


【ダニエル書6章7節】

国中の大臣、長官、太守、顧問、総督はみな、王が一つの法令を制定し、禁令として実施して下さることに同意しました。すなわち今から三十日間、王よ、あなた以外に、いかなる神にも人にも、祈願をする者はだれでも、獅子の穴に投げ込まれると。

ダニエルを妬んで彼を倒したい人たちは、高い地位にいるすべての人がまるで賛同したかのように嘘をつき、また自分たちが王に忠実な者であるかのように偽って、王の高慢な心と名誉欲をそそりました。

そして王であるダリヨスは、軽率にもその禁令を承認しました。

その禁令によって (ダリヨスが)大事にしているダニエルを殺すための策略であることも、王はまだ気づいていませんでした。

そしてダニエルはその禁令によって信仰の試練に会いました。


いつも通り、1日3度神様に祈るべきか、それとも1か月間 祈りを休むかを決めなければなりませんでした。

神様を第一にして生きる人にとって、これは大きな試練です。

信仰の薄い人や信仰がない人には何の問題にもならない禁令です。
なぜならば1か月間 祈りを休めば済むことなので悩む必要もないと思うからです。

しかしダニエルのように信仰深い人にとって、祈りは 神との会話であり、霊の呼吸なので、1か月どころか1日でも止めることが出来ない大きな問題でした。

これは呼吸を止めることと同じなので出来ないことです。


特にダニエルは、決まった場所で窓を開けてエルサレムに向かって祈りをささげる規則正しい信仰生活をしていましたし、いつも感謝を捧げていました。

そして禁令が出た後でも、何事もなかったかのように いつも通り祈りをささげていました。

それは“信仰を捨てることも、神に黙っていることも出来ない”というダニエルの意思表示でした。

これによって彼がどのような信仰を持っているのかがはっきりと分かります。


そして私たちが学ぶべき信仰の姿勢があります。

権力や富を得るために罪のない人を殺そうとする人もいますが、それを手放しても信仰を守ろうとするダニエルのような人は、自分のいのちをすべて支配している神に委ねます。

このような人は死をも恐れません。


信仰には必ず勇気ある実践が必要です。

都合が悪い時に退く信仰では神を喜ばせることが出来ません。


信仰は隠すものではありません。


ダニエルの信仰はとても勇気あるものでした。


【マタイの福音書10章28節】

からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

【ヘブル10章39節】

私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。

敵がいくら悪い方法で攻撃をしてきても、熱心に善を行いながら対処するダニエルは素晴らしい人でした。

その時は損をしているように見えますが、後には善を行った人たちが勝利します。


ダニエルは 禁令が自分を殺すためのものであることを知りながらも、「死ぬ時は死ぬんだ」と決心して信仰をもって神様に祈りました。

そして祈る姿が見つかったことで獅子の穴に投げ込まれました。


ダニエルを大切に思っていた王はやっと自分が愚かで軽率な判断をしたことに気づき、ダニエルを助けようとしましたが、結局はその禁令に縛られてダニエルを助けることが出来ず、獅子の穴に投げ込むよう命令を出しました。

それは王にとって辛い決断でした。
王はダニエルのことで一晩中断食をして寝られませんでした。

神様はその時に何をしたでしょうか?


神は、危機の中にいる神の人を見捨てることはしません。


神様はいのちの危険からダニエルを助けるために御使いを送りました。

そして このような形で神様が人を助けるとはだれも想像していませんでした。


決して獅子の穴に入らせないことだけが神の助けではありません。


神様はダニエルが死を覚悟して自分の信仰を見せた後に彼を助けました。

口先だけで 実際信仰の行動がないのに、神を動かすことが出来ると思うことは間違っています。


神様は神に頼る信仰を見たいと願っておられますし、信仰がなくては神を喜ばせることが出来ないと聖書に書かれています。

神様は、聖徒が試練を通して信仰が成長することを願っています。


試練の中でも世に頼らず、最後まで神に頼る時に、神は御使いを送り助けて下さいます。


神様はダニエルが無罪であることを証明して下さいました。

聖徒は神に栄光をささげながら真理も現していかなければなりません。

世の光と塩の役割がある聖徒が 罪を犯して苦しみを受けているならば、それは話にならないです。


しかしダニエルは、自分を陥れようとする悪者たちの策略によって禁令が出来たことを知りました。

ダニエルの前には2つの選択肢がありました。

神の真理を守るか、それとも真理を捨てて妥協しながら死を免れるか。


ダニエルが選んだ道はたとえ死ぬことがあっても、真理を守るといつか神様が自分の真実を証明して下さると信じて大胆に獅子の穴に入りました。

このような信仰が聖徒には必要です。


真実は神によって明らかにされるもので人間によってされるものではありません。


神様は何もかもご存知で、神の目に隠されるものはありません。

たとえ汚名をかぶったとしても真理を守り通すならば、いつか神が真実を証明する時が来ます。

ダニエルの真実は神が彼のいのちを助けたことで証明されました。


ダニエルは獅子の穴で生きていたのでそのことを話しました。

「私に罪のないことが神の前に認められたからです。王よ。私はあなたにも、何も悪いことをしていません。」と、はっきりと語りました。

王はそのことで非常に喜び、そしてダニエルを穴から出すように命じました。


ですから聖徒は理由もなく非難されたり、悪口を言われる時に失望せず、神に任せましょう。
真実が明らかにされる時が必ず来ます。


私もその経験があります。
ある出来事があって2年後に神様は真実を明らかにして下さり、その時は本当に心が晴れました。


神様はダニエルを助けた後に、彼を殺そうとした悪人たちを滅ぼし、ダニエルをさらに祝福しました。

当初ダニエルを訴え、彼が獅子の穴に入ったことを確認した悪者たちは、自分たちの計画通りになり、王様までも騙すことに成功したので勝利の歌を歌いながら大喜びし、自分たちの策略に酔っていたと思います。

そしてこれからは自分たちの思い通りになると考えていました。


しかし彼らを待っていたのは悲惨な結末でした。

偽りと悪を裁く神によって、彼らは自分たちが考えたこともない獅子の穴に投げ出される羽目になりました。
それも家族全員でした。

彼らが投げ込まれた時に、お腹を空かせた獅子たちは飛び上がって彼らを食い尽くしました。


しかし神に助け出されたダニエルはさらに王に信頼され、ますます栄えました。

それだけではなく、王はダニエルを助けた神をほめたたえました。

神のことをよく知らない王であるのに、ダニエルが助けられた姿を見て神を体験しました。

それで全国民に「ダニエルの神の前に震え、おののけ」と宣言しました。
それは神が栄光を受けた瞬間でした。

いのちを懸けたダニエルの信仰が、神の栄光を国中に現す結果となりました。


神様は 神を頼り、離れない者に対しては見捨てることなく必ず守って下さるお方であり、徹底的に守り導いて下さいます。

神がその人の救いとなり、避け所になって下さいます。

神の助けの手は真理を行いながら妥協しない人に差し出されています。


苦難の中で信仰を捨てる人もいます。

しかしある人は苦難の中でさらに信仰が強くなり、さらに神に頼る人もいます。

神に頼り、聖徒に対する神の愛を知っているならば恐れる必要がありません。
神は共におられ助けて下さいます。


もしかしたらその苦難が神を体験するチャンスかも知れません。

ダニエルを助けた神は私たちの神です。

ダニエルのように信頼しましょう。どんな時にも信頼しましょう。
(*´ -`)(´- `*)

2015.6.14
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

曜日別の祈りです(リニューアルしました)
今日の祈り

神様からの警告のことばです(新コーナー)
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

アメリカ神学校で 神様の訓練がスタートしたヒョノちゃんのブログです。
ヒョノのブログ

毎週日曜日の八戸ノ里キリスト教会のご馳走です!
主の食卓のブログ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

御霊に導かれて

テーマは 『 御霊に導かれて 』 です

【ガラテヤ5章16節、18節、25節】

・御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことは、ありません。

・御霊によって導かれるなら、 あなたがたは律法の下にはいません。

・もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。

聖霊様は、どのようなお方でしょうか。

どんな時も助け、慰めを与え、力を与え、励ましてくださり、信頼することのできるお方で、私たちの為にいつもとりなし、愛を注いでくださり、罪を教え悔い改めに導いてくださり、世が与えるものとは違う平安・喜び・希望を与えてくださるお方であります。

御霊は、私たちの内に住んでくださり、教え導いてくださいます。


【ピリピ2章13節】

神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。

【Ⅰヨハネ2章27節】

あなたがたの場合は、キリストから受けたそそぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。 彼の油がすべてのもとについてあなたがたを教えるように、―― その教えは真理であって偽りではありません ――また、その油が あなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。

油がすべてのことについて教えてくださいます。
愛するがゆえに、進むべき道を示すために聖霊様を送ってくださり、誰よりも私たちのことを理解してくださっています。


御霊は賜物を与えてくださる

【Ⅰコリント12章8節】

ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、

知恵の言葉、知識の言葉、信仰、奇跡の力、霊を見分ける力、異言、異言を解き明かす力です。

聖霊様の働きを決して留めることのないように気を付けましょう。



神の御霊に導かれるとは、どのようなことでしょうか ――?

御霊によって歩きなさい、御霊によって満たされなさい、御霊によって祈りなさい、御霊を消してはいけない。
御霊に拠り頼みなさい ・・・「主よ、導いてください。歩むべき道を示してください。」と祈ったなら、主を信頼し、委ねて待つということです。


困った時、助けが必要な時だけではなく、日常のあらゆる面に、聖霊様をお迎えして信頼し、拠り頼み委ねることを願っておられます。



御霊に導かれて 主のみこころを求め、歩みたいと願う時に邪魔するものがあります。

1つ目は、私たちの内に まだ残っている「肉」です。これは栄光の身体に変えられるまで戦いがあります。
2つ目は、サタンの誘惑・妨害です。


肉から出たもの

【ガラテヤ3章2-3節】

ただこれだけをあなたがたから聞いておきたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。

あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。

主のために熱心に働きをするのですが、聖霊様に導かれながら進めていくうちに、いつの間にか自分の思いが入ってきて、神の栄光の代わりに自分の栄光へと すり替わってしまっている姿、誘惑され騙され、欺かれた姿です。
聖霊様が気付かせてくださいます。


私たちは、何かをすることによって祝福されるという思い、認められようとする古い自分がいます。
これは思い違いであり、自己義です。またサタンの誘惑です。

律法ではなく、恵みの中に留まるべきです。
私たちが神様のために何かをするのは、恵みに感謝し、主を愛する心から出たものを 主は受け入れられます。

自分の願いや考えを押し通そうとする人は、「周りが悪い」と環境のせいにします。
これは自分の姿が見えていないのです。聖霊様に教えていただき、みことばの鏡に照らし合わせると良いです。


【マタイの福音書12章31-32節】

だから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒瀆も赦していただけます。しかし、御霊に逆らう冒瀆は赦されません。

また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、 赦されません。

霊に注意をしましょう。




サタンに騙されている姿

【Ⅱコリント2章11節】

これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。

聖書を読んだり、祈っている時に、用事を思い出したりすることはないでしょうか ――?
これもサタンの巧妙な手だと思います。


【ヨハネの福音書10章10節】

盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。

みことばを盗み、祝福(平安・喜び)を奪い、信仰を失わせます。
真理から目をそらさせ、確信を揺るがせ、信仰を奪うのです。


【ヨハネの福音書8章44節】

あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから 人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。 なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。

サタンは嘘つきです。アダムとエバを霊的に殺しました。
私たちも自分の罪過と罪との中に死んでいた者でしたが、キリストの贖いのゆえに私たちの霊が回復されたのです。


サタンは様々な方法で攻撃をしてきて、神様からの祝福を奪おうとします。聖霊様の導きから外そうとします。

誘惑する者、騙す者、惑わす者、嘘・偽り者、欺く者、不安や恐れ、不信仰、これらは私たちのたましい(心)の部分に攻撃をしてきます。

サタンは、私たちの「弱さ」を責めてきます。不信仰な思いを入れてきます。


①自己評価が低い人
劣等感、自己憐憫。「あなたが変わるわけがない。」、「どうせ無駄」、「時間の無駄」

【Ⅱコリント12章9節】

しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。 ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。

②固定観念
自分はこういう者だから、と固まった思い込み、どうせ抜け出せない。変わることは難しい。
これは騙され 欺かれた姿です。

【Ⅱコリント5章17節】

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

③高慢な心
私の力が、私の手の力が、私が築いてきた。高ぶるものを退け、へりくだる者に恵みを注いでくださいます。


④理論的思考
「私は知っている。分かっている。」

【Ⅰヨハネ1章8節】

もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。


⑤孤独
誰も分かってくれない。理解してくれない。しかし、捨てて孤児にはしないです。みことばの約束があります。

【イザヤ書43章4節】

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

私たちの立場は、神の子ども、罪赦された者、永遠のいのちが約束された者、神の共同相続人です。


聖霊様は、私たちのために何をしてくださるお方であるかを しっかり霊で受け止めて、自分の方法・思いではなく、 聖霊様はどのような計画を持ってくださっているのか、私はどのように進むべきなのだろうかと、導きを求めて祈り、みこころの中を歩んで いきたいと思います。

そしてもっと親しく 信頼し、頼れるお方であることを信じることが大切ではないでしょうか。


【Ⅱコリント3章18節】

私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を 変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

ますます 主を慕い求めて、キリストに似た者と変えられていきたいと思います。
ですから、私たちは内にいてくださる聖霊様の優しい語りかけ、思いを与えて導いてくださる方に、共に歩んでください。私の人生のすべてを支配し、導いてくださいと祈る者になりたいと思います。


そして、目を覚まして御霊によって祈り、御霊に満たされ、御霊に導かれて歩んでいく者になりましょう。 (^∀^)

2014.3.9
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

アメリカ神学校で 神様の訓練がスタートしたヒョノちゃんのブログです。
ヒョノのブログ

毎週日曜日の八戸ノ里キリスト教会のご馳走です!
主の食卓のブログ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

好意を持たれるクリスチャンになるには

テーマは 『 好意を持たれるクリスチャンになる 』 です


【使徒の働き2章46-47節】

そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、

神を賛美し、 すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。

日本ではクリスチャン人口がとても少ないので調査をすることはあまりないと思いますが、
韓国ではクリスチャン人口が多いのでキリスト教倫理実践運動という団体が
“2013年 韓国教会の社会的信頼度 世論調査”を実施しました。

そこでは様々な人が参加をし、クリスチャンではない人たちも大勢いました。
宗教全体に対する調査もあり、カトリック教会、プロテスタント教会、仏教の信頼度などの結果が公開されました。





◎ 宗教や信者に対して信頼しているか?

信頼-[ 19.4% ]、信頼していない-[ 44.6% ]、普通-[ 36.0% ]
(信頼と答えた人の内訳  カトリック教会-[ 29.2% ]、プロテスタント教会-[ 21.3% ]、仏教-[ 28.0% ]


◎ 無宗教の人たちに聞いた各宗教への信頼度

カトリック-[ 32.7% ]、プロテスタント-[ 8.6% ]、仏教-[ 26.6% ]、
プロテスタントに対しては10%にも満たなかったです。


◎ プロテスタント教会の構成別信頼度

信徒-[ 30.3% ]、牧師-[ 21.1% ]、教会活動-[ 14.1% ]
牧師に関しては信徒よりも信頼度が低かったです。


◎ 社会奉仕活動
カトリック教-[ 32.1% ]、プロテスタント教-[ 41.3% ]、仏教-[ 6.8% ]


これらの結果を見て、初代教会の姿からは程遠いものを感じました。
韓国では アメリカから宣教師が来て、プロテスタントが拡がっていきましたが、当時は人々から好意を持たれていました。教会に対しては人々が迫害をしましたが、そこで働く人々の姿勢に対しては信頼度が高かったのです。
しかし、信者がとても増えたため 至る所に教会が建てられ豊かになりました。その反面、信頼度はどんどん落ちていきました。
その問題が 内部のものだけではなく、ニュースに流れるものでしたので、未信者や無宗教の人々が幻滅する姿に映りました

また、信徒よりも牧師に対する信頼度が低いのも、社会的に有名な牧師たちが様々な問題を起こしたためでした。

そして 教会の信徒たちに対する信頼度が、何故ここまで低いのか? ということも調査されていました。




① ほかの宗教に対する排他的態度-[ 24.0% ]
キリスト教を信じる人たちは、自分たちだけが正しいとし 他の宗教の人に対しては排他的な態度を取ることが信頼度を落としています。


② 不透明な財政使用-[ 22.8% ]
牧師が教会の財産をたくさん使ったり、長老たちが教会のものを自分勝手に運用することがニュースで報道されました。
宗教は 税金を支払っていないので、大きな教会になるとたくさんのお金があります。それを申告しないので、どのようになっているのか分からないのです。


③ 教会指導者-[ 21.0% ]
指導者たちの生き方そのものが人々の模範ではなく、贅沢三昧な生活をしたり傲慢な姿であったり、女性問題やお金の問題があって信頼度が落ちているのです。


④ 教会成長主義-[ 14.5% ]
教会の規模を大きくしようとするのは人々の目につきます。街で一番高い建物は教会であります。建てること自体は悪いことではありませんが、
正しい成長をしていないのに(無理やり人を引っ張ってくる等)、人数が多くなったことを周囲に自慢します。


⑤ 信徒たちの生活そのもの-[ 13.1% ]
「そんなことをして、それでも信徒か」と人々は見ているのです。



信頼度が低い・信頼しない理由

◎ 言語一致していない
口先だけ色々なことを語りますが、行動が伴っていないです。

私たちは、自分たちと関係がないとは言えないです。
聖書に書かれている初代教会の姿は、世界中の教会でもなかなか見られなくなりました。

宗教の対立は霊的なものでありますので、対決は必ず起こります。
しかし 私たちが非難される者になるならば、それは間違えた姿であります。


クリスチャンはイエス様によって価値ある者にされました。しかし、価値ある者になれたはずなのに本人が価値のないものにしてしまうならば、神様がすごく悲しみます。

不正などのニュースはとても耳が痛い話ですが、私たちはこのようなことに対して改善していくべきです。
そのような問題があることで 私たちは人々に福音を伝えることが出来ないと言い訳をし、何もしないのは大きな間違いであります。
間違えたものは改善していかなければならないです。


私たちは教会そのものを動かすことは出来ませんが、「私自身」というものを変えることは出来ます。
自分1人を変えることで周囲の見方が変わるのです。1人1人がとても大切です。




どのように改善していくべきでしょうか――?


① 忠実な生き方をする

これは真面目な生き方をするのとは意味が違います。
クリスチャンにとって忠実な生き方とは、「敬虔な生活」であります。

人々がクリスチャンを見て、最初に求めているものは敬虔な姿です。真理に対して言語一致な生活です。
人は 口先ばかりの発言をする人を嫌います。言うだけで何もやっていないのは忠実な生き方ではないです。

神と共に生きる姿とは、みことば・真理の中を歩み、神様が望むことすることです。
神様がやって欲しいと思うことをよく聞き、それを毎日の生活の中で実行していくことは敬虔な姿であります。



② 愛する生活

【Ⅱテモテ3章1-4節】

終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。

そのときに人々は、自分を愛する者、 金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することも知らない者、汚れた者になり、

情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、

裏切る者、向こう見ずな者、 慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、

一番初めに「自分を愛する者」と書かれていますが、神様が、愛する生活をしなさいというのは、自己愛ではないです。 「私が一番大切」、「私が一番」というのは堕落した人間の姿であります。

イエス様は自分を捨てました。神様が語る愛とは、他人を愛する愛であります。
自分を愛する者は それを捨てない限り、神や他人を愛することはできないです。他人に犠牲を払うことが出来ないです。


愛とは自己犠牲があるものです。
自分の時間を他人に捧げるのは嫌というのは愛ではなく、それは「私が(他人のために)苦しむのは嫌。近寄るな、向こうへ行け」という自己愛からきており、 自分中心であるのです。

もしも、なぜ私は他人を愛することが出来ないのか――?と思うならば、それは自己愛が強過ぎるからです。

愛は、自分から手を差し伸べることであります。相手を洗うために自分の手を汚すことであり、そして 自分の物を相手に与えることです。

他人を愛すると言いながらも、文句ばかりを言って 感謝をせず相手を利用するのは愛ではなく、悪魔の心であります。本物の信仰は、キリスト教という垣根を巡らし、自分だけが正しく、他はみな悪魔の子だと追い出す偏ったものではないです。


本物の信仰は“だれでも”神の公義の愛によって接することです。そうする時に彼らにもイエス様による救いを得るチャンスが来ます。いつも彼らに愛の手を差し伸べたり、継続して声をかけるのです。すると相手の人たちも自分たちに興味を持つのです。

キリスト教が非難される理由も“本物の愛”が消えたのがその原因であります。



③ 良き香りを放つ姿

香りは、無理やり作り出すものではないです。
人々は良い香りを出すために香水をかけますが、それは鼻が痛くなることが多いです。周りに迷惑な時もあります。お花も綺麗ですが香りがキツイお花もあります。

しかし、野の花はどうでしょうか――? 野の花はとても素朴であります。
あまり気付かれない存在ですが素朴な美しさがあり、周りにかすかな香りを放つのです。

クリスチャンはそうあるべきです。
私たちは、神と共に歩むなら イエス様の香りが自分に移り、自分でも知らぬ間に(自分から)良い香りが出てくるのです。


自分の口から出てくる言葉、自分の行動から出てくるもの、自分の生き方から出てくるものが、人々に不愉快な思いにさせるかどうかを 冷静な目で調べることであります。

怒ったり 不平不満を言うと醜い顔になります。私たちが地上から離れ、神様が私たちの顔を見たときに「あなたは、わたしの美しい花嫁である」とは絶対に言わないです。
「表情はあなたの一生を証明するものだ。わたしの花嫁には相応しくない。向こうへ行きなさい。」と言われます。


クリスチャンとして 私たちは周りから見られているのです。自分が(キリスト教の)信頼度を落としていく者にはならず、自分たちの生き方を通して今までキリスト教に対して 非難をしていた人たちが 非難することが出来ないようにすべきだと思います。

感謝をする人、いつも笑顔である人、真理の言葉と一致する生活、常に人々に愛を示す生活、
自分だけを愛して地獄へ落ちるよりは、自分の犠牲を払って美しい姿に生まれ変わる方が良いです。

そのような生き方をして神様に栄光を捧げていきたいと思います。

本物の信仰も、本物の愛も 愛する対象を最後まで信じることであり、それを最後まで守ることです。
少しだけ愛して、相手が自分の思い通りにならないからと手を抜くということは、本物の愛ではないです。

信仰も愛も同じで、最後まで耐え忍ぶのが「愛」であります。 (´∀`*)

2014.2.9
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

アメリカ神学校で 神様の訓練がスタートしたヒョノちゃんのブログです。
ヒョノのブログ

毎週日曜日の八戸ノ里キリスト教会のご馳走です!
主の食卓のブログ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

主の小道とみこころとは?

テーマは 『私たち1人1人に対する 主の小道と主の御心について』 です

【詩篇25編4節】

【ミカ書6章8節】

【申命記10章12-13節】

【ホセア書6章5節】

イエス様を愛している私たちは、誰でも、主のみこころを知り、それに従い栄光を表わす者に
変えられたいと心から願っていると思います。

しかし、神様が私たちを知り尽くしておられるほどに、私たちは神様を知っているでしょうか。
生涯をかけて知ろうとしても知り尽くす事は出来ないでしょう。

主の御思いを知る事は、なんと広く深い事でしょう。と、みことばにあるように、
私たちの思いをはるかに超えたお方だからです。

また、主は、どんなお方でしょうか?
柔和でへりくだり、憐れみ深く、情け深く、怒るのに遅く、恵み深いです。【出エジプト記34章6-7節】
また、私たちをねたむほどに愛してくださっているお方です。【ヤコブ4:5】

みこころを知るには、みことばを通し、聖霊様を通し、預言の言葉を通し、周りの人の助言の中から
教えられることがありますが、それを聖書から見てみようと思います。


①みこころを知る為に、みことばを読む

聖書は、重要な問題の全てを網羅していますが、色々な問題や状況に直面した時に、
「こうしなさい」と細かくはっきりとは書いていません。

ですから、生活をしていく中で、色々な事が起きた時、みことばの中に主の導きを求めます。
すると、みことばをどのように適用していくのかを教えられます。
そして、そこに答えが見つかり、みことばが生きたものとなり、みことばを体験できます。

【詩篇119篇105節】

【エペソ5章17節】


②内におられる聖霊様が、語って下さったり、導きを与えてくださる

【ピリピ2章13節】

私たちの内に思いを与えて、神様が実現させてくださるという みことばです。

ですから、私たちはみことばを心と魂に刻みつけておく必要があります。
すると、聖霊様が時に適ったみことばを思い起こさせて下さり、決断する事を助けてくださいます。


③預言の言葉を通して、みこころを教えられ、励ましを与えられる


④周りの人からの助言で、聖霊様が気付かせてくださる

【箴言12章15節】

【Ⅰ列王記12章8節】

ソロモンの子レハブアムが王になり、民のことで、ソロモンに仕えていた賢明な長老に相談をしましたが、
長老の助言を退け、自分の意見に同調をしてくれるような若者に相談し、決断を下しました。
結果、民たちの心は離れていきました。
私たちは信頼できる人の助言を聞くべきだと思います。

このようにして、みことばを通し、聖霊様を通し、預言、周りの人の助言など、色々な方法で
主のみこころを悟らせて下さいます。




~みこころに従うことを、妨げてしまうもの~

私たちはみことばに従い、みこころに沿って歩みたいと願いますが、うまくいかない事があるのは、
どうしてでしょうか?

それは、私たちの古い人が反応し、それを妨げてしまったり、サタンがみことばに従わないように
妨げるからです。

妨げてしまうものには、どのようなものがあるのかを 一緒に考えてみたいと思います。

  1. 自分の願いと神様の思いが違うならどうしようと、不安になってしまう古い自分
  2. 自分の生き方を変える事を恐れてしまう。 ―― これは自分の考え方から出ようとしない古い自分
  3. 全てを委ねたくても、委ね切ることができない自我。そこにはいつも葛藤があります
  4. 祝福は望んでも、犠牲を払うことを嫌う心。 ―― 肉は犠牲を払うことを嫌います
  5. 世の物に対する色々な執着がないか

このように様々な自我との戦いがありますが、皆さんはいかがでしょうか?

神様の1人1人のご計画は違います。そして弱さも違います。
神様は、私たちが自分の自我と戦い 日々内なる人が強められて、造り変えられていくことを願っておられます。

どのようにして、主のみこころを知る事が出来るでしょうか?


①主に委ねる時に、主のみこころを明らかにしてくださる

【詩篇37編5節】

【詩篇55編22節】

【Ⅰペテロ5章7節】

【箴言16章1-3節】

自分の思いや方法ではなく、神様の導きや方法で従うということです。
人は心に自分の道を思いめぐらしますが、その人の道を確かなものにするのは主です。

私たちは自分にはどうすることも出来ない問題が生じた時に祈ります。
祈ってその問題を主に委ねる決断をします。そして、祈りながら待ちます。

しかし、待っている間に色々な思いがやって来ないでしょうか?
恐れが来たり、心配になったり、不安になったり、自分に対して安心できるものを置いておきたいという
ことはないでしょうか?
この肉との戦いは、生涯あるかと思います。
しかし、神様は私たちが思っている以上のことをしてくださるお方です。
もはや私が生きているのではなく、キリストが私の内に生きておられるのです、とあります。


②日々、自分に死ぬ

「私の願いや思いはこうです。」と思う事は間違いではないです。
しかし、「主のみこころはどうでしょうか?」と祈る事は、とても大切です。
イエス様ご自身も「私の願うようにではなく、あなたのみこころのようになさって下さい。」と、
祈っておられます。

私たちは、時として犠牲を払わなければならない事もあるかも知れません。そして失うこともあるかも
知れません。
しかし、失うことによって得る恵みもあります。失うことによる恵みが大きいかも知れません。
私たちの肉は、難しく考えたり、律法的になったり、壁を作り、神様の働きを止めてしまう事があります。
また、自分の思いや考えを押し通そうとするなら、神様は決して働く事が出来ませんし、用いることも出来ません。

意外と自分の姿には気付かないことがありますが、聖霊様が気付かせてくださいます。
その時に、素直に従う者に神様の祝福があります。

また、思いこみが強く、自分の思いをしっかりと持っていると、自分の姿を知ることすら出来ません。
ですから聖書にある通り、砕かれた心、柔らかい心、鳩のように素直な心、また教えられやすい心をもって、
いつも心を開いて、主の御前に出る者となりたいです。

そうする時に、日々 自我に死ぬ者とされます。


③神様に全き信頼を置く者に、道を開いてくださる

神様は、しばしば試練を通して、いっさいを主に委ねる事を、分からせようとして下さいます。
しかし、私たちの気持ちを無視して 何かをすることはせずに、私たちが気付くようにしてくださいます。
じっと待ってくださるお方で、愛と忍耐の主です。

たとえ、自分の願い通りにならなくても、主は最善を成してくださるお方だと信頼し、委ねる時に
私たちが思っている以上の素晴らしい恵みを体験し、主の御業を見ることができます。

主に信頼する者は、失望させられることがありません。
そして、私たちは「自分が信じている方を知っています。」と告白することができます。


【Ⅰテサロニケ4章3節】

【ローマ12章2節】

どんなに素晴らしい神様のメッセージを聞いたとしても、古い革袋に入れるならば
恵みとして残らずに、どんどん漏れてしまいます。

「古い革袋」とは、生まれながらの性質そのものであり、「新しい革袋」とは、考え方を変えることです。

新しい革袋に入れて、恵みが漏れないように気をつけなければなりません。
つまり、≪自分の生き方を変える≫ ということです。


④神様に従順する時に、私たちが歩むべき小道へと導いてくださる

【ヨブ記23章8-10節】

試練の道、涙の道、曲がりくねった道、先が見通せない道・・・どんな道も知ってくださっています。
私たちの歩む道もすべて主が知って下さっています。

なんと幸いなことでしょうか。

【イザヤ書43章2節】

私たちは、神様が遠くに感じてしまう時や、孤独を感じる時こそ、主は最も近くにいてくださいます。

【詩篇142編3節】

【詩篇138編7節】

主のみことばの約束は満ちています。

盲目のテノール歌手・新垣勉氏

皆さんは この方をご存知でしょうか?
アメリカ人の父と、日本人の母との間から生まれてすぐに、助産婦の手違いで、
目に劇薬を入れられて失明しました。
その後 両親が離婚し、彼は父を恨み、中学生の時に自殺をはかりました。
しかし、その時にラジオから流れて来た賛美歌を聴いて 教会へと導かれました。
牧師との温かい交わりの中で、そこで彼はイエス様に出会い、そして信じました。
その後、様々な良き出会いを通じて、テノール歌手として多くの人々に生きる希望を与えておられます。

彼の名言:  ナンバーワンにならなくても良い。オンリーワン。(自分にしか出来ない生き方)
SMAPの「世界に一つだけの花」は、新垣勉氏の「オンリーワン」から出来た歌だと言われています。


私たちも世界に一つしかない花です。
私たちにしか出来ない生き方を、主は用意してくださっています。

他人と比べる必要はありません。
また、(自分に)無いものを捜すのではなく、与えられているものに感謝する者は幸いです。
私たちの内に働く力によって、私たちが願い、想いを超えて豊かに恵みを注いでくださる主です。

【詩篇143編8節】

【エレミヤ書10章23節】

【箴言3章6節】

【イザヤ書30章21節】

【Ⅰ列王記13章】

Ⅰ列王記13章には、騙されて神様のみこころから離れてしまった人のことが書かれています。

みこころを求め、神とともに歩む時に主が用意してくださった小道へと導かれます。
自分が何かをしようとするのではなく、いっさいを成し遂げて下さる主に明け渡して、信頼し
主が与えてくださる小道を真っ直ぐに歩みたいものです。

私たちがこの地上で生きている間、誘惑もあると思います。また、惑わされることもあるでしょう。
しかし、みことばをしっかり心に蓄えて、内におられる聖霊様に導かれて右にも左にもそれず
私たち1人1人に与えられている小道を歩んで行く者になりたいと思います。

命に至る道は、細く狭いとありますが、主の小道は 「天国へと通じる道」 です。

自分の将来も計画も主に委ね、自我を十字架につけ、信頼し従順する者に、
神様のみこころの道を歩むことの喜びと祝福があります。

主は1人1人の歩むべき道、最善の道を知ってくださっています。

大切なことは、何かをしてきたか ではなく、どのように主に仕えてきたか ではないでしょうか。

聖霊様に導かれ、日々自我を十字架につけ、
御心を求めながら 主が用意してくださっている それぞれの小道を歩んでいきましょう。 ( ̄‥ ̄)=3

2013.5.26
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

毎週日曜日の八戸ノ里キリスト教会のご馳走です!
主の食卓のブログ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

人生を委ねるとは?

テーマは 『 人生の道を委ねる 』 です

【詩篇37編5-6節】

私たちは永遠にこの地上で定着をして生活はできません。
そういう人は世界中を探しても1人もいないです。みんな出発して終わり(生死)があります。

みんなそれぞれ違う道を歩みます。
私たちは、自分が進む道に何があるのか、明日 自分の人生に何が起こるのか、
10年先はどうなっているのか、誰1人知りません。それは未知の世界であります。

これから歩む道というのは、「未知の道」であります。
もし、私たちの人生に対する素晴らしい助言をしてくださる方がいるならば、私たちは聞きたいです。
「どうやったら私たちに与えられた人生を豊かな人生に生きることができるのか?もっと良い人生に出来るのか?」
そういう助言をして欲しいと願うと思います。

私たちの人生において案内してくれる人がいるならば、私たちは拒む必要はないです。
神様は私たちに素晴らしい助言を、今日の聖書箇所で教えてくださっています。(※主にゆだねよ)

大切な自分の人生の道を委ねるということは、その基本になるものがあります。
その基本がないと、委ねることは絶対に出来ないです。その基本は3節に書いてあります。
まずは、主に信頼をすることです。

ただ苦しいから神様に拝む・・・ではないです。これだと「信頼」がないからです。
「信頼」はお互いの関係で築かれるものであります。

私たちは神様を信じる時に周りの人がからかう時があります。
「神様を信じる人は弱い人ばかりだ。弱いから神様を信じるんだろう。自分の力で生きなさい。」
このような言葉をすごく聞きます。
しかし、それは間違っていることです。弱いから頼っていることではないです。
無知な者だから頼るのです。

世の中には「私は強い」という人がいますね。何が強いのかはわかりませんが、
強くある人が多いです。

しかし神様は「主に信頼をするということは、弱いことではないんだ。
自分を知っている者がやることなんだ。」とおっしゃいます。

自分には限界があることを知っている者、明日のことも知らない無知な者だと知っている者、
知恵のない者だということを、悟っている人であります。

これらを悟っているので、それを知っておられる神様に色々な助言をいただくのは、
知恵ある人の態度であります。

知恵がないのに自分の力でなんでもかんでもするのは、どうすれば良いのかがわからなくなります。

「このお方は何でもできる」、「ものすごい力がある」、「私が倒れても助けてくださるお方である」と
このような意味の信頼であります。

これから自分が歩む全ての道、人生の計画を委ねていくならば、神様はその人にどうすると語りましたか――?
5-6節に神様が教えてあります。真昼ということは、光が一番強く輝くことだとおっしゃいます。

私たちは自分の行いで、自分を義なる者としようとすることがとても多いです。
“私の力で”、“私の努力で”、“私の能力でします”。「ですから誰にも頼りません。」
このような人は、神様は「真っ逆さまに倒れるんだ」とおっしゃいます。
障害物に当たって倒れた時に、誰も起き上がらせる人がいません。

主に信頼をする時に神様は、その人の人生を輝くようにしてくださいます。
神様の助けと守りが、常にその人にあると、神様が語ってくださいました。
恥を受けないように神様がしてくださいます。

神様から見て、人間らしく生きて欲しい姿で生きるのが勝利の人生であります。
虚しい人生にしたくなければ、【伝道者の書】を読んでください。

【箴言3章5-7節】

【イザヤ書42章16節】

私たちは目が見えてはいても、先のことが見えない者(盲人)であります。
自分たちの道を神様に委ねるならば、神様は闇を光にしてくださいます。
委ねる者を神様が守るという約束であります。

ですから、私たちは目が見えるという勘違いをしないことであります。
今、目の前にあるものしか見えていません。

「神様が私たちの目になるように、神様が自分たちの歩む道の光になってくださるように、主よ、お願いします。」と祈ると神様は聞いてくださいます。

【詩篇25編8-10節】

信頼をするということは、お互いに結んだ契約を守ることであります。
神様は契約を勝手に破る方ではないので、私たちの方で神様に信頼していくならば、
私たちが歩むその道は、恵み、真、それに満たされてあります。

神様は頼る者たちを見捨てたことがありません。

自分の力だけでこれから生きようとする人たちは一番愚かであります。

知恵ある神様の言葉に従って、自分の人生を委ねていきましょう。 v( ̄∇ ̄)v 

2013.2.10
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

どんな人になるのかが大切

テーマは『 何をするのかではなく、どんな人になるのかが大切 』です。

【詩篇91編14-16節】

この中には、神様の祝福がたくさん書かれてあります。全て私たちが欲しいものです。
何をするかではなく、どんな人になるかによって、得る物が違ってきます。
一生懸命働けば良い物を得られると思っている人が多いですが、それは大きな間違いであります。

世の神々は一生懸命何かをしなければ、得る物がないという考えです。
クリスチャン達も、何かをして祝福を受けようとしますが、それは出発から間違えています。

クリスチャン生活は、神様に頼る生活であります。
人間の為に神が存在するのではないです。
神様が一番願っていることを知らなければならないです。神様は私たちがどんな人間になるのか、
ものすごく関心があります。

①主を愛する者になりましょう

神様は愛そのものなので、私たち・愛のない者が、愛のある者に変わることです。
神様を愛した事がない者が、神様を愛するようになるのが、神様が一番願うことです。

神様は私たちを愛しておられます。しかし人間は、神様を愛する思いがあまりないです。

イエス様とペテロの関係は、弱さのために裏切りましたが、それでもイエス様は彼を捨てたわけではないです。
イエス様が復活し、彼の前に現れた時、「仕事をしなさい」という前に、「この人以上に私を愛しますか。」と
愛のことを先に聞きました。
これは、全ての者に対して、神に従う者に対して、神様が今も聞いておられることです。

冷たい心は神様は嫌う心であります。これは神様を知らない姿であります。

【Ⅰヨハネ4章7-12節】

私たちが兄弟・姉妹たちに対して、愛を示す時に神様はその人の心に愛があることを認めてくださいます。
「神様、愛しています。」と言いながら、隣人に冷たい態度をするならば、神様は「その愛は偽りの愛。
その人に愛はない。」とおっしゃいます。

愛のある人は、人を見る目が違います。目から愛が溢れています。口から愛の言葉が自然に出てきます。
態度から愛が出てきます。

愛がある人は神様から愛されます。「愛」というチャンネルが合うからです。
神様が一番望んでいる姿は、互いに愛し合う姿であります。

「私に愛がないな」という人は、悔い改めなければならないです。
「私は愛がある者になりたいです。」というのが今年の目標です。
愛があると幸せになります。

【Ⅰヨハネ4章20-21節】

これは勧めではなく、命令であります。

【エペソ3章17節】

土台も、基礎も、すべて愛です。そこから信仰、奉仕、伝道が出ています。愛がないなら、うるさいシンバルと
同じです。形はあるのに、中身がないので実が結ばれません。

【エペソ4章15節】

愛をもって真理を語ることは、神様の内で行うことです。
主を愛する者になってください。

②主を知る者になりましょう

【詩篇91編14節】

もっともっと、神様を知りなさい。あなたの霊の父である神をあなたは知らなさすぎるからです。
世の知識はたくさんあるのに、クリスチャンでありながらも神様を知ろうとする努力が足りないです。
「知らないから伝道ができない」という人は、それは誰の責任ですか?――自分の責任であります。
みんな自分の聖書を持っています。そして、神様に対する知識は聖書にしか書かれていません。

「神様を知りたいです」という思いで読み始めるならば、神様は現れてくださいます。
神様の声を聞きたいと思っている人がいますが、それは賜物ではないです。
主の声を聞くのは賜物ではなく、主を知れば自然にわかります。
神様を知れば、みこころがわかります。神の声を聞くということは、主のみこころを知るということであります。

私たちは神様のことを知らなさすぎます。
知らない者が「主よ、主よ」と呼んでも、(裁きの時に)今さら受け入れることはできないんだ。と語ります。

【ホセア書6章3節】、【ホセア書6章6節】

捧げ物や働きより、神様を知ることが、もっと神様は喜びます。これは神様の声であります。

祝福と神様を知ることは、無関係ではないです。
神様を知れば知るほど、私たちの思いが神様に伝わっていきます。

【詩篇91編15節】

神様を熱心に求める者とは、信頼する姿であります。
神様の子供らしい子供になることがすごく大切であります。
今年の目標は、「私がこういう者に変わっていきますように」です。変わらない人には神様は相手にしません。

自分が変わらないと、後で神様から捨てられます。

愛する者になって、神様を信頼し、神様を知る者になりなさいと言ったら自然と内側から変わっていきます。
誰が見ても美しい者に変わっていきます。その姿が一番なのです。
私たちがそのように変わっていきましょう。 (^∀^)

2013.1.2
新年礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

livedoor プロフィール
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

(^^) からし種 に投票してね
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ