からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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信仰

マラの苦い水の教訓

テーマは 『 マラの苦い水の教訓 』 です

【出エジプト記15章23-25節】

彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。それで、そこはマラと呼ばれた。

民はモーセにつぶやいて、「私たちは何を飲んだらよいのですか」と言った。

モーセは主に叫んだ。すると、主は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、水は甘くなった。



1.人生の道は
旅人の道である




【創世記47章9節】

ヤコブはパロに答えた。「私のたどった年月は百三十年です。私の齢の年月はわずかで、ふしあわせで、私の先祖のたどった齢の年月には及びません。」


【第1ペテロ2章11節】

愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。



2.人生の道では
必要なものを得られない時もある




【マタイの福音書6章34節】

だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。



3.人生の道には
度々苦い試練と苦痛がある




【ピリピ1章29-30節】

あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。

あなたがたは、私について先に見たこと、また、私についていま聞いているのと同じ戦いを経験しているのです。



4.神様は 聖徒を訓練するために
時には苦難の道を歩かせる




【詩篇23章4節】

たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。



5.キリストは
苦い人生を変えて下さる




【マタイの福音書11章28-30節】

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。

わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」



6.神のみことばの中で
人生の問題が解決される




【民数記23章19節】

神は人間ではなく、偽りを言うことがない。人の子ではなく、悔いることがない。神は言われたことを、なさらないだろうか。約束されたことを成し遂げられないだろうか。



7.主に従うと 苦い人生の後に
永遠の喜びと安息がある




【ヨハネの黙示録21章4節】

彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」

アーメン(*´∇`*)

2017.5.28
聖日礼拝メッセージ

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反キリストの姿が見られる旧約の人物

テーマは 『 反キリストの姿が見られる旧約の人物 』 です

【第1ヨハネ4章3節】

イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。


カイン
(神から義と認められた弟アベルを殺した)



【第1ヨハネ3章12節】

カインのようであってはいけません。彼は悪い者から出た者で、兄弟を殺しました。なぜ兄弟を殺したのでしょう。自分の行いは悪く、兄弟の行いは正しかったからです。



ニムロデ
(神に敵対するためにバベル塔を建てた)




【創世記10章8-12節】

クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の権力者となった。

彼は主のおかげで、力ある猟師になったので、「主のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ」と言われるようになった。

彼の王国の初めは、バベル、エレク、アカデであって、みな、シヌアルの地にあった。

その地から彼は、アシュルに進出し、ニネベ、レホボテ・イル、ケレフ、

およびニネベとケラフとの間のレセンを建てた。それは大きな町であった。


【創世記11章2-9節】

そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。

彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青(れきせい)を用いた。

そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」

そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。

主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。

さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」

こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。

それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。



パロ王
(神の民を過酷に抑圧し、神に敵対した)




【出エジプト記1章13-14節】

それでエジプトはイスラエル人に過酷な労働を課し、

粘土やれんがの激しい労働や、畑のあらゆる労働など、すべて、彼らに課する過酷な労働で、彼らの生活を苦しめた。



コラ
(神が立てたしもべモーセに反発した)




【民数記16章3節】

彼らは集まって、モーセとアロンとに逆らい、彼らに言った。「あなたがたは分を越えている。全会衆残らず聖なるものであって、主がそのうちにおられるのに、なぜ、あなたがたは、主の集会の上に立つのか。」

【ユダ1章11節】

ああ。彼らはカインの道を行き、利益のためにバラムの迷いに陥り、コラのようにそむいて滅びました。



バラム
(貪欲な人物で、イスラエルを呪おうとし、偶像崇拝をさせた)




【民数記23章1-30節】

バラムはバラクに言った。「私のためにここに七つの祭壇を築き、七頭の雄牛と七頭の雄羊をここに用意してください。」

バラクはバラムの言ったとおりにした。そしてバラクとバラムとは、それぞれの祭壇の上で雄牛一頭と雄羊一頭とをささげた。

バラムはバラクに言った。「あなたは、あなたの全焼のいけにえのそばに立っていなさい。私は行って来ます。たぶん、主は私に現れて会ってくださるでしょう。そうしたら、私にお示しになることはどんなことでも、あなたに知らせましょう。」そして彼は裸の丘に行った。

神がバラムに会われたので、バラムは神に言った。「私は七つの祭壇を造り、それぞれの祭壇の上で雄牛一頭と雄羊一頭とをささげました。」

主はバラムの口にことばを置き、そして言われた。「バラクのところに帰れ。あなたはこう言わなければならない。」

それで、彼はバラクのところに帰った。すると、モアブのすべてのつかさたちといっしょに、彼は自分の全焼のいけにえのそばに立っていた。

バラムは彼のことわざを唱えて言った。「バラクは、アラムから、モアブの王は、東の山々から、私を連れて来た。『来て、私のためにヤコブをのろえ。来て、イスラエルに滅びを宣言せよ。』

神がのろわない者を、私がどうしてのろえようか。主が滅びを宣言されない者に、私がどうして滅びを宣言できようか。

岩山の頂から私はこれを見、丘の上から私はこれを見つめる。見よ。この民はひとり離れて住み、おのれを諸国の民の一つと認めない。

だれがヤコブのちりを数え、イスラエルのちりの群れを数えようか。私は正しい人が死ぬように死に、私の終わりが彼らと同じであるように。」

バラクはバラムに言った。「あなたは私になんということをしたのですか。私の敵をのろってもらうためにあなたを連れて来たのに、今、あなたはただ祝福しただけです。」

バラムは答えて言った。「主が私の口に置かれること、それを私は忠実に語らなければなりません。」

バラクは彼に言った。「では、私といっしょにほかの所へ行ってください。そこから彼らを見ることができるが、ただその一部だけが見え、全体を見ることはできない所です。そこから私のために彼らをのろってください。」

バラクはバラムを、セデ・ツォフィムのピスガの頂に連れて行き、そこで七つの祭壇を築き、それぞれの祭壇の上で雄牛と雄羊とを一頭ずつささげた。

バラムはバラクに言った。「あなたはここであなたの全焼のいけにえのそばに立っていなさい。私はあちらで主にお会いしいます。」

主はバラムに会われ、その口にことばを置き、そして言われた。「バラクのところに帰れ。あなたはこう告げなければならない。」

それで、彼はバラクのところに行った。すると、モアブのつかさたちといっしょに、彼は全勝のいけにえのそばに立っていた。バラクは言った。「主は何とお告げになりましたか。」

バラムは彼のことわざを唱えて言った。「立て、バラクよ。そして聞け。ツィポルの子よ。私に耳を傾けよ。

神は人間ではなく、偽りを言うことがない。人の子ではなく、悔いることがない。神は言われたことを、なさらないだろうか。約束されたことを成し遂げられないだろうか。

見よ。祝福せよ、との命を私は受けた。神は祝福される。私はそれをくつがえすことはできない。

ヤコブの中に不法を見いださず、イスラエルの中にわざわいを見ない。彼らの神、主は彼らとともにおり、王をたたえる声が彼らの中にある。

彼らをエジプトから連れ出した神は、彼らにとっては野牛の角のようだ。

まことに、ヤコブのうちにまじないはなく、イスラエルのうちに占いはない。神のなされることは、時に応じてヤコブに告げられ、イスラエルに告げられる。

見よ。この民は雌獅子のように起き、雄獅子のように立ち上がり、獲物を食らい、殺したものの血を飲むまでは休まない。」

バラクはバラムに言った。「彼らをのろうことも、祝福することもしないでください。」

バラムはバラクに答えて言った。「私は主が告げられたことをみな、しなければならない、とあなたに言ったではありませんか。」

バラクはバラムに言った。「さあ、私はあなたをもう一つ別の所へ連れて行きます。もしかしたら、それが神の御目にかなって、あなたは私のために、そこから彼らをのろうことができるかもしれません。」

バラクはバラムを荒地を見おろすペオルの頂上に連れて行った。

バラムはバラクに言った。「私のためにここに七つの祭壇を築き、七頭の雄牛と七頭の雄羊をここに用意してください。」

バラクはバラムが言ったとおりにして、祭壇ごとに雄牛と雄羊とを一頭ずつささげた。

【ヨハネの黙示録2章14節】

しかし、あなたには少しばかり非難すべきことがある。あなたのうちに、バラムの教えを奉じている人々がいる。バラムはバラクに教えて、イスラエルの人々の前に、つまずきの石を置き、偶像の神にささげた物を食べさせ、また不品行を行わせた。



サウル王
(祭司職を侵害し、神のしもべダビデを殺そうとした)




【第1サムエル記18章29節】

それでサウルは、ますますダビデを恐れた。サウルはいつまでもダビデの敵となった。



ゴリヤテ
(神の民を冒涜し敵対した)




【第1サムエル記17章10節】

そのペリシテ人はまた言った。「きょうこそ、イスラエルの陣をなぶってやる。ひとりをよこせ。ひとつ勝負をしよう。」



ヤロブアム
(神の恵みを忘れ、金の子牛を造って拝ませた)




金の子牛を二つ造って、ベテルとダンに置いて、それを礼拝するように民に強要し、民に罪を犯させた。

【第1列王記12章25-32節】

ヤロブアムはエフライムの山地にシェケムを再建し、そこに住んだ。さらに、彼はそこから出て、ペヌエルを再建した。

ヤロブアムは心に思った。「今のままなら、この王国はダビデの家に戻るだろう。

この民が、エルサレムにある主の宮でいけにえをささげるために上って行くことになっていれば、この民の心は、彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、私を殺し、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。」

そこで、王は相談して、金の子牛を二つ造り、彼らに言った。「もう、エルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上ったあなたの神々がおられる。」

それから、彼は一つをベテルに据え、一つをダンに安置した。

このことは罪となった。民はこの一つを礼拝するためダンにまで行った。

それから、彼は高き所の宮を建て、レビの子孫でない一般の民の中から祭司を任命した。

そのうえ、ヤロブアムはユダでの祭りにならって、祭りの日を第八の月の十五日と定め、祭壇でいけにえをささげた。こうして彼は、ベテルで自分が造った子牛にいけにえをささげた。また、彼が任命した高き所の祭司たちをベテルに常住させた。


イゼベル
(北イスラエルにバアル宗教を広げ、エリヤ預言者を殺そうとした。




【第1列王記19章2節】

すると、イゼベルは使者をエリヤのところに遣わして言った。「もしも私が、あすの今ごろまでに、あなたのいのちをあの人たちのひとりのいのちのようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」



ハマン
(神の民を絶滅しようとした)




【エステル記3章6節】

ところが、ハマンはモルデカイひとりに手を下すことだけで満足しなかった。 彼らがモルデカイの民族のことを、ハマンに知らせていたからである。それでハマンは、アハシュエロスの王国中のすべてのユダヤ人、すなわちモルデカイの民族を、根絶やしにしようとした。



ネブカデネザル王
(自分の黄金の像を建てて崇拝させた)




【ダニエル書3章1節】

ネブカデネザル王は金の像を造った。その高さは六十キュビト、その幅は六キュビトであった。彼はこれをバビロン州のドラの平野に立てた。

【ダニエル書3章6節】

ひれ伏して拝まない者はたれでも、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。」

☆終わりの時にはこれらすべてを揃えた反キリストが現われて、世界を支配し、自分を神だと言い、自分を拝ませます。


拝まない者は殺します。


目を覚まして信仰を守らないと、その迫害に耐えることは難しいです。
(≧ヘ≦)


2017.5.7
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大胆さが必要

テーマは 『 大胆さが必要 』 です

【申命記31章6-8節】

強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身があなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。

ついでモーセはヨシュアを呼び寄せ、イスラエルのすべての人々の目で彼に言った。「強くあれ。雄々しくあれ。主がこの民の先祖たちに与えると誓われた地に、彼らとともに入るのはあなたであり、それを彼らに受け継がせるのもあなたである。

主ご自身があなたの前に進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。

モーセが民に対して、そしてヨシュアに対して、なぜ同じことばをもって励ましたでしょうか?


それは、これからカナンの地を征服しないといけない大きな戦いが 目前に迫っていたからでした。

戦う相手には 高い城壁、訓練された勇士たち、様々な武器がありますが、荒野を40年間通って来た自分たちには 武器も訓練された勇士も戦いの経験もまったくないので、どうしたら良いか分からず、当然民たちには不安と恐れがいっぱいでした。


戦う前から敗北感を味わっていたと思いますし、無気力状態だったと思います。


しかし神の約束を信じ、荒野で40年間 神の守りを見てきたモーセですので、自分がいなくても神ご自身が イスラエルの民を約束の地に必ず入れて下さると信じていたので、自分の後継者として これから指導者になるヨシュアと共に 戦いに参加する民を励ましました。


「強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。」

このことばは、終わりの時代を生きている私たちに、今 もっとも必要な言葉だと思います。

なぜなら 主を信じている者にとって、これからの時代は患難の時代になるからです。


信じない人たちは世の流れに従い、それに合わせて生きるので、そんなに大変とは言えないです。


しかし神のみこころのままに生きようとする者には、それに逆らわなければならないことが多くなるので、戦わないと信仰を捨てるしかありません。


信仰を捨てることは、永遠のいのちを失うことですが、それでも現実の患難に勇敢に戦うことが出来ず 目先のことで恐れが入り、クリスチャンとして生きていくことをやめてしまいます。

これから ますます戦いが激しくなることは預言されてあります。


そして、その戦いは霊的戦いではなく、実際の戦いになるからです。


祈りの中で「サタンよ。イエスの御名によって出て行け。」は誰でも言えます。

別に怖いことも不安になることもありません。


しかし実際の戦いは、そんなものではなく “実戦” です。

現実の戦いで勝利することは 簡単なことではないです。


私たちがこれから直面する戦いが、どのような戦いになるのかを聖書と歴史を通して なぜ “大胆さ” が私たちに必要であるかが分かります。


信仰だけでは戦いに勝利できないです。

大胆さがないと、信仰があっても 負ける戦いがたくさんあります。


現実の中でどのような戦いがあるのかを学びます。




世の権力、すなわち政治的圧力との戦い




これはイエス様も バプテスマのヨハネも 聖書に出てくる多くの預言者も そして迫害を受けた信徒たちも経験しました。


神に逆らう法律を作って、クリスチャンを攻撃しました。

クリスチャンから信仰を奪うためでした。


従わない人は 殺されたり、迫害を受けました。


大胆な預言者や信仰ある人たちは見て見ぬふりをせず、不正と不義に対して大胆に抗議したため迫害を受けたり殉教したり、預言者たちは殺されました。


アメリカでもオバマ政権の時に、キリスト教に対して圧力をかける法律を作って物言えぬようにしました。


アメリカのクリスチャンたちは それに対して沈黙しました。

大胆に戦ったこともなく、とても無力でしたので、神が忌み嫌う法律が次々と決まってしまいました。

クリスチャンたちの負けでした。

それは政治的圧力との戦いに失敗したことになります。


その時に 大胆にそれに向かって立ち上がったのが 今のトランプ大統領でした。


彼にある最高の賜物は “大胆さ” です。

1人で不正な権力に立ち向かいました。




軍事的脅威との戦い




ダビデとゴリヤテの戦いがありました。


ペリシテ人の陣営から 並外れた体と戦いに強いゴリヤテが出て、イスラエル陣営に向かって脅しの言葉を掛けただけで イスラエルの民は意気消沈し、非常に恐れて誰も戦いに出なくなりました。

このままならば 完全にイスラエルの負けでした。


しかし、たまたま そこにいた兄たちに会いに来ていたダビデが まったく恐れず、大胆にゴリヤテに向かって叫びました。


【第1サムエル記17章45、47、46節】

おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。

この戦いは主の戦いだ。

主はおまえを私の手に渡される。

そして1人で立ち向かいました。


結果はどうなりましたか?
殺されましたか?


その戦いの結果は、ダビデの勝利でした。

ダビデに力があったのではなく、彼の大胆な行動に 神が働き、彼のことば通りの結果をもたらして下さいました。


そのことで司令官に任命されたダビデは、それからのすべての戦いに いつも神に頼って大胆に戦ったので一度も負けたことがありませんでした。




軍事力脅威による戦い




まさに いま世界の多くの国々は軍事力の強い大国を目指しています。


代表的な国は、ロシアと中国と北朝鮮です。

周りの国や世界を不安にさせます。


軍事大国だからということで、戦争にいつも勝つでしょうか?

歴史を見ると、そうでもありません。


劣勢だったのに 神に祈って大胆に行動したことで勝利した実際の戦いは 歴史の中にも色々あります。

世界のあちらこちらで さらに戦争や内戦が起こります。


聖書にそのことも預言されてありますので、驚くことでもないです。




宗教弾圧による戦い




イエス様に対して敵意を持って殺したのも 当時の宗教指導者たちでした。


ローマ時代にあったクリスチャン対する大量虐殺、日本でも同じことがありました。

今もイスラム世界、北朝鮮で弾圧を受けるクリスチャンも多いです。


そして聖書の預言にもあるように 主の再臨の前に、反キリストが現れ、世界的に激しいキリスト教徒に対する迫害が起こります。


その迫害に耐えられず、信仰を捨てる者が大勢出てくると言われました。

しかし、その中でも最後まで耐え忍ぶ者が救われます。


主の弟子ペテロが “いのちを捨てても主に従う” と言った後に、何時間も立たないうちに主を知らないと三度も言ったことを見ても、人間は本当に弱い者です。


信仰が強い者でも、迫害に耐えることは大変です。


その時は殉教する覚悟が出来た人が 大胆に戦うことが出来、信仰を守ることが出来ます。


それ以外は無理です。




悪口、誹謗、中傷など人から受ける多くの攻撃や経済的攻撃




その時、つまずいたり、疑いや不安や恐れで心が折れて戦うことが出来ず、敗北してしまう人も多いです。

信仰を捨て、イエス様から離れる人も多いです。

そうなると 救いも永遠の命も失ってしまいます。


私たちが戦いに勝利して信仰を守るためには 人や環境を恐れず、また死をも恐れない大胆さが必要です。

それなしには恐れに負けて 勝利出来ないです。


「死ななければならないならば死ぬ。」という覚悟があると大胆になります。




大胆になるために役立つ方法




① モーセが話したことばに、その方法があります。


「あなたの神、主ご自身があなたと共に進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」


主が共におられることへの確信が 私たちを安心させ、大胆にさせます。


ヨシュアもダビデも その確信で大胆に戦い勝利しました。

主は力があり、味方になって下さいますし、約束に対して真実な方です。そして戦いに強い方です。


② すべての主権者である神を一番恐れることで、他のものへの恐れが消えて大胆になります。


【マタイの福音書10章28節】

からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

人を恐れるとわなに陥ります。


③ 神の言葉の上に堅く立つ時に大胆になれます。


みことばは 力を与え、希望を与え、慰めを与えます。


そして、みことばを守る者には 神の助けと守りがあります。


【第2コリント4章16-18節】

ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。

今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。

④ 自分の弱さを知って神に頼り 大胆さを祈り求めることです。


パウロは自分の弱さを知り、自分が祈るのはもちろん、他の人々にも自分が大胆に福音を伝えることが出来るように 祈りの要請をいつもしていました。


神様にいつも大胆になれるように祈り求めることが必要です。

祈りの備えが いざという時に力になります。


⑤ 聖書に出てくる人物が、戦いや攻撃を受けた時に どのように戦ったのかを、しっかり学ぶことで その大胆さの秘訣も学べます。


攻撃や患難に人間的な方法で戦うのではなく、勝利した人たちからやり方を学び、その通りにやってみることも一つの方法です。

このようにして、普段から大胆さを身に着けるように訓練していかないと、すぐに恐れが入ってそれに負けてしまいます。


パウロは次のように言いました。


「私は私を強くして下さる方によってどんなことでもできるのです。」
大胆な宣言です。


そしてその通りに彼は激しい迫害の中でも福音を伝え、自分の使命を果たし、殉教しました。

殉教は負けたことではなく、いのちを懸けて信仰を守り通した証です。


目まぐるしく変わる世の中で、それに流されず神のみこころを行いながら生きるためには、たくさんの戦いに大胆に取り組まないといけないです。

目を覚まして神から力を受けて勝利していきましょう。
( ̄‥ ̄)=3

2017.1.29
聖日礼拝メッセージ

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私は礼拝者になる

テーマは 『 私は礼拝者になる 』 です

【ヨハネの福音書4章21-24節】

イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。

救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。

しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。

神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」

サマリヤの女とイエス様の対話で、私たちは 主が求めておられる礼拝が どのような礼拝なのかを知ることが出来ます。


ユダヤ人は霊的ではない 形式的な礼拝をし、サマリヤ人は よく分かっていなかったので、みことばから離れた礼拝をしていました。

ですから神は、彼らから まともな礼拝を受けたことがありませんでした。

それは私たちにも当てはまると思います。


礼拝は “どこで(場所)” が問題ではなく、“何によって(霊によって)” 、“どのように(神の啓示によって)” ささげているのか が問題です。


神は 選ばれた民に、このような礼拝をささげてほしいと願っています。

そのためには、礼拝者自身が変わらなければなりませんので、どのように変わるべきかを話します。


形式的な礼拝、仕方なくささげる礼拝をして、やるべき義務が終わったと思って自己満足して帰る人は 一番気の毒な人です。


そのような礼拝はゴミ箱に入っています。
無駄なことをしただけです。


しかし、霊とまこと すなわち誠実、正直、啓示によって神の御顔を求める心で礼拝をささげる人は神体験をします。


真の礼拝者の姿を見ながら,、自分たちもそれを目指していきたいと思います。




召されたところで神を礼拝する




真の礼拝者は神に出会ったその場所で、すぐに神を礼拝しました。


【創世記12章7-8節】

そのころ、主がアブラムに現れ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」と仰せられた。アブラムは自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。

彼はそこからベテルの東にある山のほうに移動して天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は主のため、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。

信仰の先祖・アブラムが一番にしたのは、神に召された所で まず祭壇を築いて、礼拝をささげたことでした。

自分の家を建てる前に まず祭壇を築いて神を礼拝しました。


他の神の人たちも召されたところで祭壇を築いて神を礼拝しました。


彼らにとって、神が臨在するすべての所が聖なる場所でした。


【マラキ書1章11節】

日の出る所から、その沈む所まで、わたしの名は諸国の民の間であがめられ、すべての場所で、わたしの名のために、きよいささげ物がささげられ、香がたかれる。わたしの名が諸国の民の間で、あがめられているからだ。―万軍の主は仰せられる―

父なる神にささげる礼拝は、場所や儀式などの制限を受けることなく、すべての所で神への礼拝がささげられることを啓示されました。




どのような状況の中でも神を礼拝する




これが出来る人が真の礼拝者です。

このような人たちは、自分が礼拝する対象が誰であるかを明確に知っています。


そして彼らは真の礼拝者として生きることを決心しているので、どのような状況の中でも神を礼拝しますし、その姿を見ます。


ヨブの姿を見てみましょう。

1日のうちに子供10人と 多くのしもべが死に、財産もすべて悪者たちの襲撃を受けて奪われてしまい、子なし、無一文になりました。

すべてに恵まれていたヨブが、一夜で悲劇の主人公になりました。


それは強い津波が去った後のような状況でした。

しかし、そのような状況の中でも、ヨブがしたことは神への礼拝でした。


【ヨブ記1章20-22節】

このとき、ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して礼拝し、

そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」

ヨブはこのようになっても罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった。

こういう状況でも 神に礼拝したのは、それが いつもの生活であったからです。


普段から礼拝をささげることは彼の日課でした。

週に1度ではありません。


ですから最悪の状況の中でも、いつものように神に礼拝をささげることが出来ました。


状況によって神への信仰が左右されるならば、果たして苦難の時に信仰が生きているでしょうか?


パウロとシラスの姿もあります。

主のために働いているのに、彼らが受けるものは迫害と侮辱だけでした。


何度もむち打たれて牢の中に入れられました。

牢の中での彼らの姿です。


【使徒の働き16章25節】

真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。

辛い時の状況は暗やみに例えられます。


「神はどこにいますか?どうして私を見捨てましたか。」と言いたくなる時です。

それは普通の人の考えです。


しかし、信仰は心の目で神を見ることですから、信仰によって生きる人は暗やみの中で、光である主、愛である主を見上げます。


そして、その神と人格的な交わりをします。それが ”礼拝“ です。




人生の歩みの中で礼拝する




イエス様は 私たちが歩く時に、私たちの道になって下さいます。


私たちの人生の道の光になって下さる方で、世の終わりまで私たちと共にいて下さると約束して下さいました。


荒野でイスラエルの民を導き守ったのは誰ですか?

彼らが荒野を安全に40年間歩んだのは誰のおかげですか?


答えです。


【出エジプト記13章21-22節】

主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。

昼はこの雲の柱、夜はこの火の柱が民の前から離れなかった。

神はこのように見える形で彼らを日々導いておられることを見せて下さり、彼らの道となって下さいました。


彼らは そのように導いてくださった神に感謝をして礼拝をささげたでしょうか?

残念ながら、彼らは礼拝者としては失格でした。


【詩篇78編17-20節】

それなのに、彼らはなおも神に罪を犯し、砂漠で、いと高き方に逆らった。

彼らは欲するままに食べ物を求め、心のうちで神を試みた。

そのとき彼らは神に逆らって、こう言った。「神は荒野の中で食事を備えることができようか。

確かに、岩を打たれると、水がほとばしり出て流れがあふれた。だが、神は、パンをも与えることができようか。ご自分の民に肉を備えることができようか。」

世界の どの国、どの金持ちが、米一粒も生産が出来ない荒野で 200万人もの集団を40年間も養うことが出来るでしょうか?


荒野で食べ物がなくて餓死した人は、1人もいませんでした。


神の奇跡で彼らは毎日導かれ、守られてきましたので、毎日その神に感謝して自分たちに出来る礼拝をささげることが当然なのに、反対に 彼らは欲深くなり、神への文句をブツブツ言う とんでもない者になっていました。



他人の姿を見る私たちは厳しいことを言います。

「私ならばそんなことはしない。毎日神に感謝して礼拝するよ。」と言いますが、実際は同じことをやっていませんか?


毎日必要が与えられ、守られたことに対して神の前で感謝していますか?

導きに対して感謝していますか?


すべての事について感謝して神と共に歩むことは、生活の中での礼拝です。


意識して礼拝をしないと、当たり前という思いに流されて、神への感謝が足りない者になります。


次の箇所で 真の礼拝者たちの姿を見ることが出来ます。


【使徒の働き17章11-12節】

ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。

そのため、彼らのうちの多くの者が信仰に入った。その中には、ギリシヤの貴婦人や男子も少なくなかった。

形式的に礼拝をせず、熱心にみことばを聞き、さらに神のことばを知りたくて、毎日聖書を調べていました。


みことばをしっかり聞くことは礼拝者としても基本的な姿勢です。


神は、私たちが礼拝者として 失格者ではなく “真の礼拝者” になることを求めていますので、今までの態度を変えて、認められる真の礼拝者になっていきましょう。


むなしい礼拝は本当に意味がないです。

心の目で神を見て、神に礼拝をしていきましょう。
(*゚∀゚)っ

2017.1.8
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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聖徒が逆戻りしてはいけないもの

こちらのメッセージは、シャローム松山教会で9月4日と11日の2週にわたり 語ったメッセージでしたが、八戸ノ里キリスト教会の信徒たちにも知らせたかったので、こちらに載せます。


テーマは 『 聖徒が逆戻りしてはいけないもの 』 です

【ガラテヤ4章8-11節】

しかし、神を知らなかった当時、あなたがたは本来は神でない神々の奴隷でした。

ところが、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どうしてあの無力、無価値の幼稚な教えに逆戻りして、再び新たにその奴隷になろうとするのですか。

あなたがたは、各種の日と月と季節と年とを守っています。

あなたがたのために私の労したことは、むだだったのではないか、と私はあなたがたのことを案じています。

天国を見た人たち、神の声を聞いた人たちが 共通して言うことばは、天国に入るクリスチャンが意外と少ないと言ったことでした。

何が原因でしょうか?


神の恵みによって せっかく救われたのに、神から離れて逆戻りした人がたくさんいます。

教会には来ていますが、なかなか前に進まない人たちもいます。


御言葉に従ったならば、進むことに問題がないですが、後ろを振り向いたり、逆戻りしたりするので、なかなか前に進めないです。

神の国に向かって進むために、私たちは 荒野でのイスラエルの民のように過ちを犯してはいけないです。

彼らは、神の力と奇跡を体験しながらも 荒野の途中で「さあ、私たちは、ひとりのかしらを立ててエジプトに帰ろうと。」と言いだしました。


時には「あの時は美味しいものが食べられたのに、今は何もなく このマナを見るだけだ」と、悪く言いふらしたので、神を怒らせました。

これは、“奴隷の生活に再び戻った方が良い” ということでした。

彼らの思いを神が知り、その結果、彼らは約束の地・カナンに入ることが出来ませんでした。


ですから逆戻りするならば、神から切り離され、神の国に入ることも出来なくなります。


再びサタンの奴隷に戻り、サタンとともに滅びることになります。


聖徒を逆戻りさせるものに何があるでしょうか。

まずは本文からみていきます。





無力、無価値の幼稚な教えに惑わされると逆戻りする




ここでいう教えは律法のことです。

律法そのものに対して非難しているのではないです。

律法は神からのことばですが、正しく解釈しないことに問題があります。


ガラテヤ教会の信徒たちが救われたのは、福音を聞いて救われました。

福音はイエス・キリストの十字架によって罪人が救われることを教えます。


彼らは十字架につけられたキリストに関する福音を聞いて救われました。

しかし、後から教会に入って来た律法主義者たちが 彼らを惑わし、律法を守らないと救いはないと教えました。

するとガラテヤ教会の信徒たちは、それを聞いて十字架の信仰から離れ、救われるために律法生活をし始めました。


キリストの十字架は罪から解放し、自由を与えます。


律法の下に入ることは 律法に縛られ、律法と罪の奴隷になることを意味します。


人間がどんなに頑張っても、律法をすべて守ることは出来ません。

ですから罪から自由になることも救われることも出来ません。


つまり 福音ではなく、律法を守らないと救いがないと言うのは、無価値で幼稚な教えになります。


信仰によって救われたならば、最後までキリストの十字架の贖いを信じて信仰で生きることです。

律法による救いの教えは間違っていますので、それに惑わされたらいけないです。





神の恵みに頼らず、律法による義に頼るならば逆戻りする




【ガラテヤ2章21節】

私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。」

私たちが罪赦され、義人になるのは行いによるものではありません。


パリサイ人はそのことを信じなかったので、行いだけを強調し、イエス様と対決しました。

福音を彼らは認めませんでした。

しかし救いは行いによるものでないことを、次のことばがさらに明確にしてくれます。


【エペソ2章8-9節】

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

いつも恵みの中にとどまり、恵みに感謝して生きることです。





真理から耳をそむけると逆戻りする




【第2テモテ4章3-4節】

というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、

真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。

教会で聞きたいことばは何でしょうか?


耳に良いことばは世にはたくさんあります。

楽しいことばならば、テレビを観たらもっと聞くことが出来ます。


教会では真理が語られなければならないし、信徒たちも真理を聞きに教会に行かなければなりません。


真理は 教会以外の所では聞けないです。

教会まで来て、耳に良いことばだけを求めるならば、それはおかしいと思います。





世を愛すると、この世を求めて逆戻りする




【第2テモテ4章10節】

デマスは今の世を愛し、私を捨ててテサロニケに行ってしまい、また、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマテヤに行ったからです。

デマスは伝道者パウロと共に福音に献身した人でしたが、世を愛することを捨てきれず、途中でその働きから離れ、献身をやめました。

とても残念な人だと思います。

世を愛したために、永遠の命を失いました。


彼は後で自分の愚かさに胸を叩きながら後悔するでしょう。


肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢に心を奪われると世に戻ります。





悔い改めないとサタンの支配に逆戻りする




サタンが一番力を発揮する時は、罪を犯した時です。

(その人の)闇が見えたらサタンはすぐに働きます。

闇のわざを悔い改めることもせず、罪の中に生きると再びサタンはその人を支配するので、以前よりもさらに悪い状態になります。


キリストを知らなかった人よりも、信仰から離れた人を取り戻す方が もっと難しいです。


サタンが心を支配し、そそのかして神への疑い、教会への不信感を植え付けて戻れないように邪魔をします。





キリスト教の初歩的な教えにとどまると逆戻りする




【第1コリント3章1-3節】

さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。

私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。

あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。

信じてはいますが、いつまでも霊的に未熟な人がいます。
その状態で満足します。


しかし成長しないことは後退することを意味します。


主を知ることを切に求めて、信仰が幼子→成人にならないといけないですし、肉に属する人→霊に属する人にならないといけないです。





救いのない むなしいものを追い求めると逆戻りする




【第1サムエル記12章20-21節】

サムエルは民に言った。「恐れてはならない。あなたがたは、このすべての悪を行った。しかし主に従い、わきにそれず、心を尽くして主に仕えなさい。

役にも立たず、救い出すこともできないむなしいものに従って、わきへそれてはならない。それはむなしいものだ。

偶像の神に力があるでしょうか?
救うことが出来るでしょうか?


真の神から離れてそういうものに頼ることは無知なもの、不信仰なものに逆戻りすることです。


誘惑されて再び偶像崇拝をしたり、占いをしたりすることへの警告です。

クリスチャンの中でも相変わらず以前の生き方をする人がいます。





神の対する不従順があると逆戻りする




従わないことは自分の思いのままに生きることであり、以前の生き方に戻ったことです。


不従順は神の権威に対して逆らうことです。


自分の思いを優先するために 不従順することは、神の権威を無視することです。

それに対して神は必ず懲らしめます。


【第1列王記9章6-7節】

もし、あなたがたとあなたがたの子孫が、わたしにそむいて従わず、あなたがたに授けたわたしの命令とわたしのおきてとを守らず、行ってほかの神々に仕え、これを拝むなら、

わたしが彼らに与えた地の面から、イスラエルを断ち、わたしがわたしの名のために聖別した宮を、わたしの前から投げ捨てよう。こうして、イスラエルはすべての国々の民の間で、物笑いとなり、なぶりものとなろう。




善から悪に態度を変えると逆戻りする




信仰が良い時には神が喜ぶ善を行いますが、信仰がマンネリ化したり、弱くなると、肉の思いが強くなって、神が喜ぶ善ではなく、肉から出る悪が もっと活発に働くので 悪の実を結びます。


信仰生活に興味もなく、人にも無関心、肉の思いをそのまま生かすと悪い実を結びます。


【詩篇53篇3節】

彼らはみな、そむき去り、だれもかれも腐り果てている。善を行う者はいない。ひとりもいない。



しばらくあってそれから消えていくものを追い求めると逆戻りする




世にあるものに、自分のいのちを託して安心出来ますか?

それが永遠の命を保証してくれますか?


残念ながら世にあるものは、自分を完全に守ることは出来ません。


【ルカの福音書12章15-21節】

そして人々に言われた。「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」

それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。

そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』

そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。

そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』

しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』

自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」




不敬虔な道を歩むと逆戻りする




神のみこころに従って歩むことが敬虔に生きる道です。


その道から離れると不敬虔な者になり、汚れていき、古い人に戻っていきます。





昔の罪の行為を繰り返すと逆戻りする




悪い習慣、肉の欲を捨てることもなく、そのままにすると同じ罪を繰り返すようになります。


新しくなった人の姿ではありません。

そういう人の状態をこのように語っておられます。


【第2ペテロ2章22節】

彼らに起こったことは「犬は自分の吐いた物に戻る」とか「豚は身を洗って、またどろの中にころがる」とかいう、ことわざどおりです。

アーメン (; ̄Д ̄)

2016.10.2
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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七つの教会へのメッセージ(ほめられたところ)

テーマは 『 七つの教会へのメッセージ(ほめられたところ) 』 です

【ヨハネの黙示録1章19ー20節】

そこで、あなたの見た事、今ある事、この後に起こる事を書きしるせ。

わたしの右の手の中に見えた七つの星と、七つの金の燭台について、その秘められた意味を言えば、七つの星は七つの教会の御使いたち、七つの燭台は七つの教会である。

黙示録は、キリスト教に対するローマの迫害が厳しかった ネロ皇帝の時代に記録されました。


主の弟子であるヨハネも迫害され、パトモスという島で囚人生活を送っていた時に、イエス様から啓示を受けて黙示録を記録しました。

様々な啓示を受けましたが、最初に聞いたのは 教会に対する主のことばでした。


教会に対する神様の関心が どれほど強いかを知ることが出来ます。


黙示録を記録した時の教会は、成長期を越えて迫害の中で衰退期にさしかかっていました。

教会は “キリストのからだ” で、主はそれぞれの教会の状態をすべて知っておられます。


ですから主は、教会に向けて ほめ言葉、非難のことば、悔い改めのことば、裁きの警告、そして報いなどについて語りました。

イエス様の犠牲と勝利は受け入れましたが、霊的成長と真実さに欠けた人たちに向けて語りました。



今回は、七つの教会に対して 主がどのようなほめことばを語ったのかを学んでいきます。

その中で、残念ながらラオデキヤ教会だけは ほめられなかったので、六つの教会だけを挙げていきます。


どのような教会が “良い教会” で、どのような教会が “悪い教会” かは、自分勝手に判断するのではなく、黙示録にある七つの教会を参考にすると、正しい判断が出来ると思います。


キリストの再臨を待ち望んでいる私たちが、どのような姿で待つべきかを主のメッセージで知ることが出来ます。




◎ エペソ教会



【黙示録2章2ー3節】

わたしは、あなたの行いとあなたの労苦と忍耐を知っている。また、あなたが、悪い者たちをがまんすることができず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたことも知っている。

あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。

悪い者、にせ使徒たちが 教会の中に浸透したのは、教会を内部から混乱させ、惑わすための “サタンの策略” でした。


正しい信仰を持っていないと惑わされます。

しかし 幸いにも、エペソ教会の信徒たちは 彼らの偽りを見抜いて、悪い者たちの悪行を許さず、間違えた教えに惑わされませんでした。


そして外から来る迫害にも よく耐えて信仰を守っていました。

積極的に神を求め、教えられた神のことばを守っていたので、主からほめられました。


エペソには、アルテミス神殿があるので 宗教の中心地でもありましたが、その中でもキリストを信じて信仰を守っていました。

主に対して誠実な教会でした。


テモテはパウロに任命され、エペソ教会の牧会者になりました。




◎ スミルナ教会



【黙示録2章9節】

「わたしは、あなたの苦しみと貧しさとを知っている。――しかしあなたは実際は富んでいる――またユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなく、かえってサタンの会衆である人たちから、ののしられていることも知っている。

スミルナ教会は 皇帝崇拝を強要するローマの勢力と律法主義を掲げて、キリスト教を迫害するユダヤ人たちから迫害を受けました。


ですから政治的、宗教的、社会的、経済的に深刻な迫害がありました。

信徒たちは貧しく苦しかったですが、信仰だけは変質されることがなく、よく信仰を守っていました。


世にあるものを捨てて主を選び、霊的富が豊かな教会でした。


この教会は、 “殉教の教会” としても有名でした。

立派な指導者も数多く養成しました。


その教会の指導者の1人・ポリュカルポスのことばは有名です。

彼を捕えた総督は彼に「誓え。そうしたら赦してやる。キリストをのろえ。」と言いましたが、ポリュカルポスは 次のように答えました。


「86年間、私はキリストに仕えてきた。キリストは一度も私を裏切らなかった。私を救って下さった王を、私はどうしてのろえようか。」

そのことで彼は 火をつけられ殺されました。




◎ ベルガモ教会



【黙示録2章13節】

「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった。

主が “サタンの王座がある” というほど、この都市は偶像崇拝が盛んな地域でした。

そこにあるベルガモ教会は異教徒からいのちを狙われたりしました。


苦難と殉教の危機の中でも信仰を守りました。


そして忠実な証人アンデパスが殉教しましたが、彼は皇帝崇拝を拒んだために逮捕され、熱によって真っ赤になった青銅の牛の上に乗せられて焼き殺されました。


残忍なやり方で彼を殺しました。

それでも信徒たちは信仰を守っていました。




◎ テアテラ教会



【黙示録2章19節】

「わたしは、あなたの行いとあなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っており、また、あなたの近ごろの行いが初めの行いにまさっていることも知っている。

テアテラ市は偶像崇拝と淫乱が多い、堕落した文化がある都市でした。


その中でも テアテラ教会は、信仰、希望、愛がある教会でした。


特に愛の実践がありました。

もちろんこの教会の中でも、非難される行動をした信徒たちはいました。


しかし、ある信徒たちは 信じた時よりも信仰も行いもさらによくなっていました。

主はそれをほめました。


エペソ教会は初めの愛から離れてしまいましたが、テアテラ教会の信徒たちは信仰、希望、愛をさらに大きくしていきました。


成長することは、実を結んでいく姿ですから 主に褒められました。

そして、悔い改めもある教会でした。




◎ サルデス教会



【黙示録3章4節】

しかし、サルデスには、その衣を汚さなかった者が幾人かいる。彼らは白い衣を着て、わたしとともに歩む。彼らはそれにふさわしい者だからである。

衣は 身分を現わす象徴的なことばです。

汚されることは、“罪に染まったこと” を意味します。


ですから衣を汚さなかったことは「キリスト者としての名誉を汚さなかった。」
すなわち、信仰の純潔を守ったことを意味します。


実際この教会には、信仰の純粋性を守ることが出来ず、世の風潮や罪の誘惑に妥協して淫行を行い、信仰までも汚れてしまった人が多かったですが、その中でも数少ない人だけが罪から自分を汚すまいと思って 主と共に歩み、そのことで主からほめられました。




◎ フィラデルフィア教会



【黙示録3章8節】

「わたしは、あなたの行いを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。

少しばかりの力は、タラントのたとえにありますが、少ないタラントしかもらってないにもかかわらず、主に対して忠実でした。


彼らは 主を愛していましたので、最後まで主のことばを守りましたし、世の富の誘惑や名誉、武力にも屈することなく信仰を守り通しました。


キリストのためにすべてを捨てた信徒たちでした。

この教会は主の心に適った教会でした。


このように主は、一つ一つ教会に対して正しい診断をして下さいました。


私たちが良い信徒、良い教会になるためには、主が何をほめたのかを知り、それを目指したら良い信徒、良い教会になります。
(*´∇`*)

2016.9.4
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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信仰はどのように働くのか

テーマは 『 信仰はどのように働くのか 』 です


【ヘブル11章1-3節】

信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。

昔の人々はこの信仰によって称賛されました。

信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えないものからできたのではないことを悟るのです。

一般的に 《信仰は何か》 と質問すると、「神様を信じること」と答える人が一番多いですね。


《信仰を持つと どうなりますか》 と質問すると、「天国に行く。」 「祈ったら願いが叶えられる。」と答える人が多いです。

みなさんはどう思いますか。


今回は信仰を持ったら、その信仰がどのように働くのかを学びたいと思います。




◎神の約束と神の力に対する確信が出てくる




1節に “保証と確信” という言葉がありますが、信仰があると、この二つのものが出てきます。


聖書は神の約束のことばであふれています。

理解出来ない部分もありますが、信仰を持つと そのすべてに対して疑いではなく、確信が出てきます。


もし皆さんが、信用も信頼も出来ない人と約束したならば、その約束が実行されるまで何度も不安になったり、思い煩ったりすると思います。

「約束は保証する」と言われても、信用出来ず 疑うと思います。


相手が信じられない不信仰は そのように疑い、不安、思い煩いをもたらしますが、信仰は反対に信頼、平安、確信をもたらします。

保証すると言われなくても不思議と保証されたと信じることが出来ます。


信仰は神の約束に対しても必ずそうなると確信出来ます。確信は、信じて疑わないことです。


信仰とは、五感で感じなくても、神の言葉に対する確信によって神がおられること、神がすべてを造ったこと、神が今も働いていること、神には力があって不可能がないこと、天国も地獄もあることなどを全部信じられますし、確信します。


信仰がないと何一つ確信できないです。

信仰がないと、聖書は ただの物語に過ぎないと思ってしまいます。


世界と人間の創造や奇跡の内容も信じられず、事実として受け入れることが出来ないです。


ですから、次のように言われます。


【ヘブル11章6節】

信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。



◎信仰によって神の摂理、みこころやみわざを悟ることが出来る




信仰がない時は神の存在、神のみこころ、神の救いの計画、キリストの十字架に対して全くの無知です。

すなわち悟ることが出来ないです。


悟りは、厳しい修行や瞑想で得るものではなく、神によって開かれる知恵です。


悟りが与えられないと、特に神のみことばとみこころを知ることは出来ません。

見えない世界や神に対して知りたくて、人間は必死に修行したり、想像力を生かして理解しようとします。


そして自分に悟りが与えられたと言って、人に勝手な教えをしたり、宗教を作ったりしますが、それらのもので真の神を知ることは出来ません。


しかし、神の言葉を聞いて正しい信仰を持つと 神の存在、神の計画、みこころ、神のみわざに対して悟ることが出来ます。


悟りの霊によって聖書の世界、霊の世界、神の世界が開かれていきます。

一気に全部開かれるわけではないですが、神の存在に対しては一気に信仰が出て来ます。


頭で理解するのではなく、心で信じるようになります。

これは神からの不思議な恵みです。


博士も悟れないのに、無学な人が悟ることは 神の世界ではよくあることです。


【へブル11章3節】

信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。

このようにありますが、これは見える世界が、目に見えない神のことばによって造られたことを意味します。


信仰があると 神の救いの計画、主の十字架、御国、世の終わりやさばきなどを悟ることが出来ますが、信仰がないならば聖書を読んでも神のみこころを悟ることは出来ません。


聖書を読む人は多いと思いますが、どんなに読んでも信仰を持たない人もいますが、わずかなことばを聞いても 信仰を持つ人がいます。


なぜなのかはよく分からないですが、これも神の一方的な恵みだと信じています。




◎信仰は神の約束のことばの上で働く




信仰の始まりも土台も すべて神の約束のことばです。

アブラハムの信仰はどのように働いたでしょうか。


【ヘブル11章8節】

信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。

アブラハムの信仰の行動は、神から約束のことばを聞いて、それに従って行動しました。

自分の計画でも人の勧めでもありませんでした。

神は彼が行動出来るように約束を与えました。


【創世記12章1-3節】

主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。

そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。

あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

信仰ある人はこのように神の約束のことばの上で行動します。

すると主の御心のままに生きることが出来ます。


自分の考えや知識や経験、計画で動くのは信仰ではありません。
それは信仰とは無関係です。


神の言葉によって動くのが信仰です。


信仰が 神の約束と自分を結びつけます。

信仰は神の約束のことばと深く関係します。




◎信仰はキリストを一番大切にする




【へブル11章26節】

彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。

これはモーセの信仰の姿ですが、モーセは自分が置かれた環境の中でとどまったならば、パロの娘の養子として権力、名誉、富、贅沢な生活すべてを手に入れることが出来ました。


しかし、そのすべてを失うことを知っていながらも、モーセはキリストを選びました。

イスラエルの民と共に苦労しましたが、彼はキリストから得られるものに注目して キリストを選びました。

パウロも同じでした。


【ピリピ3章7-8節】

しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。

それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。

キリストをすべてにまさる方として尊敬できるのも信仰によります。




◎信仰が働くと 大きな試練にも迫害にも耐えることが出来る




【ヘブル11章35-38節】

女たちは、死んだ者をよみがえらせていただきました。またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを願わないで拷問を受けました。

また、ほかの人の人たちは、あざけられ、むちで打たれ、さらに鎖につながれ、牢に入れられるめに会い、

また、石で打たれ、試みを受け、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊ややぎの皮を着て歩き回り、乏しくなり、悩まされ、苦しめられ、

――この世は彼らにふさわしい所ではありませんでした――荒野と山とほら穴と地の穴とをさまよいました。

信仰がないと主のための小さい苦難にも耐えることが出来ません。


信仰がある人は苦難の中でも希望を持ちます。

(その人たちは)神が 神を愛する者のために備えておられるものを見ています。


聖徒が受け継ぐものがどのように栄光に富んだものかを知っているので、それが忍耐出来る力を与えます。


たとえ殉教しても主から様々な冠を受け、神がおられる天国で永遠に住むことを知っているので、死をも恐れません。


信仰がないと主のゆえに受ける試練に耐えられません。

しかし信仰があれば 自分を捨て、自分の十字架を負って主に従うことが出来ます。


信仰がどのように働くかを知れば、もっと信仰を生かすことが出来ます。


“自分は信仰がある” と言っても、今回のことばのように 信仰を働かせることがないならば、その信仰が何になるでしょうか。

中味のない形式的な信仰で終わってしまいます。


そのような姿に対して主から言われることばは「信仰の薄い者だ」です。

しかし弟子たちが信仰を働かせるようになってからは、そのことばは言わなくなりました。


たとえ今、「信仰の薄い者だ。」と言われている人でも、その信仰を働かせるならば、信仰は強くなりますし、その信仰で主を喜ばせることが出来ます。


そして信仰を持っている人も、その信仰によって多くの恵みを受けることが出来ます。
(*・ω・)ノ


2016.8.14
聖日礼拝メッセージ

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新しい人として生きていますか

テーマは 『 新しい人として生きていますか 』 です

【第1テモテ1章5節】

この命令は、きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出て来る愛を、目標としています。

キリストの血潮によって罪赦され、聖霊によって生まれ変わった人を “新しい人”と呼びます。

新しい人にふさわしいのは当然新しい生き方です。


皆さんは新しい人ですか?
そして、いま新しい生き方をしていますか?


今日のテーマは「新しい人として生きていますか」です。


まずは新しい人の身分と、それにふさわしく生きることの内容を聖書で調べます。




・新しい人とその生き方




新しい人は以前とは違う状態に変わったことを次のことばが説明してあります。


【第1ペテロ2章9-12節】

しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。

あなたがたは、以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者です。

愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり、寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。

異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。そうすれば、彼らは、何かのことであなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのそのりっぱな行いを見て、おとずれの日に神をほめたたえるようになります。

新しい人は神のあわれみを受けて、神に選ばれた者であり、祭司として神に仕え、罪赦され聖なる者になり、神のものになった人です。


古い人とはまったく違う状態になりました。


人の知恵や力によるものではなく、すべて神のみわざと力によって新しくされました。

肉体が変わったのではなく、その人の魂や身分が変わりました。


ですから新しくなった人は 肉に従って歩むのではなく、御霊の導きと神のことばに従って歩まなければなりません。


そのために必要なのが 新しい生き方を学ぶことです。

新しい生き方を学ばずに 新しい人として生きることは出来ないです。


信じた後でも何も変わらず以前と同じ生き方をする人が多いですが、それは問題です。

それは古い人のままで生きている姿です。


新しい生き方で歩もうとする時に、それを邪魔する強い敵に私たちはすぐ遭遇しますが、それは外部の敵ではなく、自分の中に長く住みついた “肉の欲” です。


これが なかなか消えません。

また、自分でもこれに執着して 何もせず礼拝出席や奉仕だけで信仰生活をしようとします。

クリスチャンの中で一番多いタイプです。


救われたのに、相変わらず広い道を歩んでいますし、間違えた教えをする牧師たちは さらにその道を広げて信徒たちが古い人の姿のまま生きるようにさせています。


「救われた人はそんな事を気にせずに自由に生きたら良い」と甘い言葉をかけます。

これが最悪のサタンの策略です。


神からのことばは 次のように言われています。


【第1ペテロ2章11節】

たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。

古い人の中にあるものは肉の欲です。


古い人は、肉の欲に従って歩みました。

それが何の問題でもありませんでした。

肉の欲がないと成功しないし、金持ちにならないし、祝福もされないと教えられたので、肉の欲があることが自然体だと考えていました。






しかし新しい人に “肉の欲” は癌細胞のように危険です。


私たちを再び罪の中に引き込もうとする誘惑であり、魂を汚すものであり、世に関心を持たせ、神から引き離そうとするものです。


せっかく新しく生まれ変わったのに、古い人に再び転落する恐ろしい誘惑なので警戒が必要です。


この肉の欲を遠ざけるために必要なのが、神のことば、きよい心、正しい良心と偽りのない信仰です。


私たちの内面が それらのもので満たされないと、以前からの古い生き方を変えることは出来ません。

古い人の時は 肉の欲を誘惑とは思っていなく、“それくらい皆もやっているから“ と嘘や不義なやり方で自分の利益を先に求めていました。


しかし新しい人になった後に そのやり方をすると、私たちの中にある良心は騒ぎ出します。


「そんなことして良いの?」と胸騒ぎがします。

また、心の中におられる聖霊様が悲しみます。


「聖霊を悲しませてはならない。」と言われたのは、私たちが霊的に無感覚になって 不義を行う時に、神様は私たちを見て心を痛めるからです。

良心が麻痺されると嘘をついても不義を行っても心があまり痛くないです。


良心の声よりは、利益のために少々のことは言い訳をして平気にやります。

しかし新しい人の道徳観、倫理観、生き方は そのレベルであってはいけないです。


主が主の祈りの中で教えて下さった祈りの中に次のことばがあります。


【マタイの福音書6章13節】

私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。

と、ありますが、これが「たましいに戦いをいどむ肉の欲を避けなさい。」という言葉と繋がりがあります。


私たちが一番試みにあっている部分が “肉の欲” です。

口では「主よ。主よ」と言うのに、心にある主人は肉の欲です。


世を愛し、金銭を愛する心がある人が 一番誘惑に弱く、一番惑わされやすいです。


その人たちは良心までも麻痺されています。




・肉の欲の危険性




【第1テモテ4章1-2節】

しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。

それは、うそつきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、

この言葉のように、肉の欲には “惑わしの霊と悪霊の教え” が入りやすく、もし入ると、この世と妥協して自分の利益を優先するので良心が汚れ、悔い改めすら出来ないように心が麻痺していきます。


麻痺とは “無感覚” になったことを意味します。不義を行っても悲しくも苦しくもならないです。

反対に「何が悪いの?」と開き直ります。


パウロのことばを聞きます。


【使徒の働き20章33節】

私は、人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。

サムエルのことばも聞きます。


【第1サムエル記12章3-5節】

さあ、今、主の前、油そそがれた者の前で、私を訴えなさい。私はだれかの牛を取っただろうか。だれかのろばを取っただろうか。だれかを苦しめ、だれかを迫害しただろうか。だれかの手からわいろを取って自分の目をくらましただろうか。もしそうなら、私はあなたがたにお返しする。」

彼らは言った。「あなたは私たちを苦しめたことも、迫害したことも、人の手から何かを取ったこともありません。」

そこでサムエルは彼らに言った。「あなたがたが私の手に何も見いださなかったことについては、きょう、あなたがたの間で主が証人であり、主に油そそがれた者が証人である。」すると彼らは言った。「その方が証人です。」

二人のことばで明らかになったのは、神のことばをしっかり守りながら生きていることと、人の前でも自分の良心にとがめがない生き方をしていました。


しかし外側は敬虔に見えるパリサイ人たちに対して、主は彼らを “偽善者” と呼び、次のように語りました。


【マタイの福音書23章28節】

おまえたちも外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。

神の子どもたちが 不法なやり方で利益を得たり、他人に被害を与えたり、嘘を言ったりすると、正義と公義の神様が 自分の子どもがそのような生き方をしているのを いつまでも黙って見ているわけがありません。




・神は神の子どもたちに何を願っているのか




【ミカ書6章8節】

主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。

“公義” とは「律法にかなった正しい行動」です。

公義を行うことが良いことで、神が喜ぶことです。


肉の欲のために、罪に足を一歩でも踏み入れると 私たちは一つの罪だけではなく、律法全体を犯すものになります。

箴言のことばを三つ開きます。


【箴言1章19節】

利得をむさぼる者の道はすべてこのようだ。こうして、持ち主のいのちを取り去ってしまう。

【箴言20章10節】

「異なる二種類のおもり、異なる二種類の枡、そのどちらも主に忌みきらわれる。

【箴言20章17節】

だまし取ったパンはうまい。しかし、後にはその口はじゃりでいっぱいになる。

政治家たちのことを思い出してみて下さい。

自分の利益のためにわいろを取ったり、支出をごまかしたりして職を失い、恥をかき、反対にもっと大きなお金を失くしたりもします。


もしクリスチャンである私たちがそれと似たようなことをすると、誰よりも聖霊が悲しみます。


新しい人の自覚をもって生きることは、楽ではなく反対にしんどいです。

生き方を修正することはとても難しいし疲れます。


戦いも楽ではありません。負ける時が多いです。

それで「昔の方が楽だったのに」と思います。


しかし新しい人として生きるためには、嫌でも肉の欲を遠ざけないといけないです。


肉の欲と戦いもせず、好きなように生きると それは古い人のまま生きることを選んだことになるので、神の子どもとして生きることを辞めたことになります。

きっといつか後悔するでしょう。


戦いに負けることがあったとしても あきらめず、神の言葉の基準や良心のとがめがない生き方を選びましょう。


私たちが信仰を持ったのは、新しい人として生きるためです。

神の愛を受けたので、自分も神を愛して生きることを選びました。


ですから神を愛することをやめると、信仰生活は維持できないです。

信仰生活はみことばの上に立ち、神を愛し、新しい生き方をすることです。


古い人は、十字架の上でキリストと共につけられて死んだことを再確認して 新しい生き方を実行していきましょう。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚

2016.8.7
聖日礼拝メッセージ

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永遠の愛

テーマは 『 永遠の愛 』 です

ハレルヤ
1週間守ってくださった主に感謝します。

また、礼拝出来る恵みも感謝します。


【イザヤ書43章4節】

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

自分が信仰ある人か、信仰のない人かは、何で判断しますか?

信仰ある人は神の言葉に対して「アーメン」と素直に認めます。

それに反論したり、否定したり、矯正したりしません。


信仰のない人は、神の言葉にケチをつけます。

すぐに否定して別のことばを話します。

それは自分の考えであったり、人からのことばであったりします。


例えば、今日のことばに対しても素直に認めていますか。


それとも「私は何の取り柄もないダメな人間です。値打ちもない人間です。」と否定しますか?

特に日本人は自虐的な人が多いです。


自分のことを愛せない人も多いですし、自己評価が低いです。

それを謙遜と勘違いをする人もいます。

しかし、自分を愛する人を見ると、ナルシストだと悪口を言います。


どちらも間違えています。


聖書には、神のことに関しては「神は愛です。」と書いてあります。

ここに最大のポイントがあります。


神が愛であるから、神にとって愛せない人は1人もいないことです。


愛の心で、愛の目で見ると、すべてが愛する対象に見えます。

神は罪人も悪者も愛しています。


【マタイの福音書5章43-46節】

『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。

しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。

それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。

自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。

神の愛は、太陽のような愛です。

暖かく包んでくださる愛です。


渇いた心が潤うように恵みの雨のような愛です。

もし神に愛がなかったならば、人間誰一人 地球上に存在することが出来ません。


神の愛を受けているのに、「どこに神の愛があるんだ」という人は、太陽の光を見ながら、太陽がどこにあるんだという人と同じです。

また、雨を見ながら、雨がどこにあるんだという人と同じです。


神の愛は永遠の愛です。

イエス様は自分を十字架につけた人に対しても愛を示しました。

彼らのために涙を流しました。


私たちは神が自分たちをどんなに愛しているかを知らないといけないです。


自分が神を愛してなくても、神が「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と言われた時に、むしろ喜びながら神に感謝しなければなりません。


「こんな者をそこまで愛してくださる神様、感謝します。自分よりも自分を愛しておられる神様。感謝します。」と喜ばないといけないです。

「なんで愛してくださるのですか?」と聞く必要すらありません。


愛するのに理由はないからです。


人を愛せないのは、愛する理由を求めているからです。

愛するのに自分の基準があって、「これだから無理だ。愛せない。」と愛することを拒否します。


よく考えましょう。


自分は神に愛される条件を満たしたから神に愛されているでしょうか?

神の愛に条件があるならば、私たちは一番不適格な人に入ります。


神の愛のことばに素直に喜びましょう。
v( ̄∇ ̄)v

2016.1.22
3分テレフォンメッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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出来ると言う信仰

テーマは 『 出来ると言う信仰 』 です

【マルコの福音書9章23節】

するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」

今日のことばは、私がよく告白するイエス様のことばです。


力を与え、信仰を与え、行動を起こさせる素晴らしいことばです。

そして、次のことばも普段よく告白することばです。


【ピリピ4章13節】

私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

この2つの言葉によって、数々の難関を今まで乗り越えて来ましたし、不可能に思われたことにも挑戦出来ました。


今回は、私が恵みを受けた ことばで「出来ると言う信仰」に対して学びたいと思います。


皆さんは「出来る」ということばをよく使いますか?
それとも、「出来ない」ということばをよく使いますか?

きっと分かれると思います。


旧約聖書の民数記を読むと、そこにも “出来る” と言う人たちと “出来ない” と言う人たちの姿が出てきます。


希望の地。憧れの地。神が約束した地。

乳と蜜が流れるカナンの地は、エジプトで430年の長い間、奴隷生活をしていたイスラエルの民にとっては一番行きたい所でした。


いま北朝鮮で苦しんでいる人々が、いのちを懸けても行きたい地が韓国であり、シリア難民がいのちを懸けて行きたい地がヨーロッパであるのと同じです。


神様は過酷な奴隷生活から彼らを解放しました。

そして乳と蜜が流れる希望の地カナンに導くために彼らを連れ出しました。

エジプトから出た彼らは200万人近い大集団でした。


希望の地、祝福の地は誰にでもタダで与えられる幸運の地ではないです。


出来ると言う信仰の人に与えられる神からのプレゼントです。


モーセの導きを受けてエジプトを出た民は、大きな期待を抱いて荒野まで出て来ました。

モーセはヨルダンの向こうにある希望の地を探らせるために、先に12人の斥候(せっこう)を送りました。

40日間その地を探った人々の意見が2つに分かれました。


まず10人がこのような報告をしました。


【民数記13章32-33節】

彼らは探って来た地について、イスラエル人に悪く言いふらして言った。「私たちが行き巡って探った地は、その住民を食い尽くす地だ。私たちがそこで見た民はみな、背の高い者たちだ。

そこで、私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」

彼らは「私たちがその地に入るのは無理だ。出来ない。出来るわけがない。彼らは巨人で私たちはいなごだ。そこに入るのはありえない。」と断言して言いました。


それを聞いた人々の反応はどうでしたか?


【民数記14章1―3節】

全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした。

イスラエル人はみな、モーセとアロンにつぶやき、全会衆は彼らに言った。「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。できれば、この荒野で死んだほうがましだ。

なぜ主は、私たちをこの地に導いて来て、剣で倒そうとされるのか。私たちの妻子は、さらわれてしまうのに。エジプトに帰ったほうが、私たちにとって良くはないか。」

みなさんならば どのように反応しますか?

この意見に賛成ですか?“私もそう思う” と納得しますか?


いなご自画像にとらえられている人は「挫折感、絶望感、劣等感、失望感」で、何でも大きく見て、出来ないと言う信仰をもって自ら諦めて何もせず座り込みます。


このような人が世の中には圧倒的に多いです。

そして今のままが良いとか、何もしない方が良いと言います。


しかし残りの2人、ヨシュアとカレブは彼らとは意見がまったく違いました。


【民数記14章6-9節】

すると、その地を探って来た者のうち、ヌンの子ヨシュアとエフネの子カレブとは自分たちの着物を引き裂いて、

イスラエル人の全会衆に向かって次のように言った。「私たちが巡り歩いて探った地は、すばらしく良い地だった。

もし、私たちが主の御心にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さるだろう。あの地には、乳と蜜とが流れている。

ただ、主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちのえじきとなるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。しかし主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」

彼らは “出来る” という信仰を持って「出来る、すばらしい所だ、早く行きましょう。」と言いました。


肯定的な信仰、出来るという信仰は、確信と自信にあふれています。


始める前から疑いのない成就感に満ちて、戸惑いのない確信に満ちています。


このように希望の地を前にして「出来る。」と言う人と、「出来ない。」と言う人に分かれました。

出来ると言う信仰を持った人たちのことばを聞いた人々はどのような反応を見せたでしょうか。


【民数記14章10節】

しかし全会衆は、彼らを石で打ち殺そうと言い出した。そのとき、主の栄光が会見の天幕からすべてのイスラエル人に現れた。

「出来ない」という人の意見には賛成した人たちが、「出来る」という人たちに対しては怒りと殺意に満ちて殺そうとしました。

この反応には驚きです。

彼らの姿を見て神様も驚き、彼らの前に現れました。


そこに神様が現れなかったならば、この2人は殺されたでしょう。






今の世の中もそうです。


「出来ない」と言う人の方が圧倒的に多いです。

出来ると言う人はとても少ないです。


そして “出来ない” という人が、“出来る” という人の意見をつぶしていきます。


特に日本では、「出来ない、無理、リスクが高い」などと言って、否定的な意見を言う人たちが多く、その声が勝つことが多いです。

心配と不安と恐れの思いに満たされた人がとても多いです。


自分たちは それを “慎重な意見だ” と言いますが、否定的な人はどんな時でも否定的な意見しか出て来ないです。


出来るという人たちを殺そうとした時に、神様が現れて正しい判断を下しました。


【申命記14章11―12節】

主はモーセに仰せられた。「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じないのか。

わたしは疫病で彼らを打って滅ぼしてしまい、あなたを彼らよりも大いなる強い国民にしよう。」

「出来る、しましょう。」と言う人は、神を信頼する信仰が認められて、期待したカナンの地に入ることが出来ました。

しかし「出来ない、無理だ。」と言った人たちは、神を信じなかった不信仰のために荒野で全員死にました。


いなご自画像から抜け出ない限り、どんなに素晴らしい環境が与えられても その人は何も出来ないです。

いなごが出来ることしか出来ません。


出来ると言う信仰を持っている人は、他の人が出来ないと言って諦めて離れていった所で、「やってみよう」と “出来る” という信仰で挑戦します。


「私が出来ないことを神様も出来ないならば、その方は私の神様ではない。私には不可能なことが神様にも不可能ならば、その方は私が信じる神様ではない。」と思います。


出来ると言う信仰は、座ったまま何もしない信仰ではなく、立ち上がって行動するところから始まる信仰です。
出来る所から始めます。

主のことばのように、「出来るものならと言うのか。信じる者はどんなことでもできるのです。」 と告白しながら行動を始めます。


出来ると言う信仰は、取るに足りない小さいものからでも始めます。

周りの人が出来ないと言うから しないのではないです。

出来ないと言う人の前で やってのける時に出来るようになります。


否定的な人のことばに耳を傾ける必要はないです。
何もしない人の意見など役に立ちません。


奇跡は、皆が出来るという所から出るのではなく、皆が出来ないと言われる所から出てきます。


出来るという信仰でやると、神様が働き奇跡も起こります。


ルイスフンという人は「失敗を恐れて新しいことを拒否してはならない。人生の一番悲しい3段階はこのように言える。出来る。出来るかも知れない。しなければ・・・」結局、いつも思うだけで何もせず人生が終わります。


ロバートシュラ―牧師は「不可能なことが存在するのではなく、不可能と思う思いが存在する。」と言いました。


出来ると思う人は、出来ると思うので何でも出来ます。

しかし出来ないと思う人は、出来ないと思うので何も出来ないです。


出来るという信仰が行動を引き起こします。

出来ないと言う人は、裏を返せば安定志向が強いです。


そしてそこに隠れているのは、“不安と恐れと心配” です。

しかし今の状態も本当は安定ではないです。

挑戦できないから何もしないだけです。


出来ると言う信仰を持っている人は、たとえ挑戦して失敗をしても、また出来るという信仰を持って さらに挑戦します。

ですから道が開かれます。


この人たちを神様は助け、力を与えます。この人たちが成功し、満たされた人生を送ります。


出来ないと言う否定的な言葉を使えば使うほど、いなごからさらに小さくなって蟻みたいになり、最後は いてもいなくても良いような存在になります。


しかし出来るという信仰で挑戦をすると、いなごからどんどん巨人に成長していきます。


その人たちが主に用いられ、新しい道が開かれます。


またビジョンや明確な目標がないと、出来るという信仰も生まれて来ないので、明確な目標を設定して、“出来る” という信仰を持つと、必ず神様が働いてくださり、助けて下さいます。
( ̄‥ ̄)=3


2016.5.29
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
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金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
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