テーマは 『 効果的な祈りの模範 』 です
【イザヤ書37章1-7節】
ヒゼキヤ王は、これを聞いて、自分の衣を裂き、荒布を身にまとって、主の宮に入った。
彼は、宮内長官エルヤキム、書記シェブナ、年長の祭司たちは荒布をまとわせて、アモツの子、預言者イザヤのところに遣わした。
彼らはイザヤに言った。「ヒゼキヤはこう言っておられます。『きょうは、苦難と、懲らしめと、侮辱の日です。子どもが生まれようとするのに、それを産み出す力がないのです。
おそらく、あなたの神、主は、ラブ・シャケのことばを聞かれたことでしょう。彼の主君、アッシリヤの王が、生ける神をそしるために彼を遣わしたのです。あなたの神、主は、その聞かれたことばを責められますが、あなたはまだいる残りの者のため、祈りをささげてください。』」
ヒゼキヤ王の家来たちがイザヤのもとに来たとき、
イザヤは彼らに言った。「あなたがたの主君にこう言いなさい。主はこう仰せられる。『あなたが聞いたあのことば、アッシリヤの王の若い者たちがわたしたちを冒瀆したあのことばを恐れるな。
今、わたしは彼のうちに一つの霊を入れる。彼は、あるうわさを聞いて、自分の国に引き揚げる。 わたしは、その国で彼を剣で倒す。』」
クリスチャンは危機の瞬間にどこへ行きますか?家族の元に行きますか?友人の元ですか?
そして危険な環境の中でどのように対応をするでしょうか?これはすごく大切なことです。
今、イラクでは誰が迫害されているでしょうか?
イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」が他宗教・キリスト教徒やクルド人の宗教少数派の人たちを敵視しています。
女性数百人は捕らえられ、奴隷にされ、改宗を拒否する者を殺しています。
大量虐殺が行なわれる恐れがあります。この者たちはナイジェリアで200人以上の女生徒を拉致した組織と同じ思考回路で行動していると言われています。アメリカは空爆を始めましたが、彼ら(イスラム国)は残虐な者です。
クリスチャンや少数派の人々は10万人が山へ逃げています。食べ物や水、着替える服も何1つありません。
改宗するか、町から出て行くか、それとも税金(日本円で約4万8000円)を払うかという厳しい条件をつけて、住み慣れた場所から追い出しています。
今、子供も大人も砂漠へ逃げ込んだり、海へ逃げたり、山へ逃げたりと 聖書の預言通りの終わりの姿であるのです。これは宗教戦争なのです。
彼らはイスラム教の中でも違う神なのです。
彼らは「あなたもイスラム教ですか?それなら仲良くしましょう。」ではないのです。
自分たちと少しでも宗教観が違う者は自分たちの敵であり、「ジハード(聖戦)」の対象であるから平気で殺します。
人権などは無いです。
神が喜ぶのは自分たちの敵を殺すことだと思っています。
キリスト教の教えとは全く異なります。
キリスト教の教えは「あなたの敵を愛しなさい。」「敵が飢えているなら与えなさい。」「赦しなさい。」という言葉を使っています。
イラク政府は自分たちの力ではどうにもならないので、アメリカに助けを求めました。
私は今回のテーマ箇所であるイザヤ書37章を読みながら、ヒゼキヤ王がアッシリヤの侵略を受ける直前に彼がどのような心境であったのかを考えました。
時代は違いますが、似たような場面であります。
アッシリヤは多くの軍隊があり、力や武器もあります。彼らはあらゆる戦いで勝利をしています。
その国がイスラエルを侵略しに来るのです。そして宣戦布告しています。
【イザヤ書36章20節】
「これらの国々のすべての神々のうち、だれが自分たちの国を私の手から救い出しただろうか。主がエルサレムを私の手から救い出すとでもいうのか」
これは彼らだけを侮辱することばではないです。
お前たちが頼っている神の力が自分たちの力よりも弱いと侮辱する敵の高慢なことばです。
聞くだけでも恐れてしまうようなことばです。
今、イラクで起きているのが これと同じです。
この状況の中でヒゼキヤは軍隊もまともに持っておらず、力も無く、その中で彼が王としてどのような態度を取ったのか 私たちが学ぶべきものがあります。
1.自分が重大な問題を抱えていることを認識し 神に祈った
まず彼は今、自分が重大な問題を抱えていることを認識しました。そしてそのことを神に祈りました。
祈り以外には、これを乗り越える方法はないと認識したのです。
イザヤ書37章1節で、ヒゼキヤは侮辱・恐れあることばを聞いて、“自分の衣を裂き、荒布を身にまとって、主の宮にはいった。”と書かれています。
またイザヤ書37章3節では、“きょうは苦難と、懲らしめと、侮辱の日です。”と言っています。
これは、私の力ではどうすることも出来ないです という絶望的な状況です。
彼はすぐさま神に祈りました。
当時、エジプトはとても強い国でした。
今の時代ではアメリカに「私たちを助けてください」という思いになるのですが、私たちは(何かが起こると)強いものに頼りたくなるものです。これは私たちの心に自然と出てくる思いであります。
しかし、私たちの神様は「あなたが困った時は力ある人のところへ行き相談をしなさい。」と語ったでしょうか?
そうではないです。
神様は クリスチャンはこのような時に、どのような態度を取りなさいと言うのか、みことばで答えをもらわなければいけないです。
【イザヤ書30章2-3節】
彼らはエジプトに下って行こうとするが、わたしの指示をあおごうとしない。パロの保護のもとに身を避け、エジプトの陰に隠れようとする。
しかし、パロの保護にたよることは、あなたがたの恥をもたらし、エジプトの陰に身を隠すことは、侮辱をもたらす。
エジプトは強い国でしたので、多くの者たちが周りの国から侵略を受けるとエジプトに助けを求めに行くのです。
これは無償で助けることはなく、助けられる ということは、そのものにひざまずくことであります。借りを作ると後で返さなければならないです。
神様に祈りもせず、自分たちの計画でエジプトに下ろうとするのです。
“こんな時に神様に祈ってもすぐに答えを得られないし、私は祈っても神様の声が聞こえないし。”という思いがあるのです。
神様は、誰かに頼ることはむなしくなることを警告しました。
それならば神が望むのはどのような姿でしょうか。
【イザヤ書30章15節】
神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」 しかし、あなたがたは、これを望まなかった。
静かにしなさいということは、そこで神様の助けを求めなさい ということであります。
神様は私たちを助けてくださるお方です。
私たちに問題がある時に、確実に答えを得る方法は神様に祈ることです。
神様は祈る人に対して答えてくださるのです。
人はまともに祈りもせずに「この問題を何とかしてください!」と、これを祈りという人もいるのですが、これは祈りではないです。
そこに信頼する心がないからです。これは神様にお願いをする姿ではないです。
誰かに頼み事をする時は、礼儀をもってお願いをすると思います。
謙遜にして身を低くし、事情を話し丁寧な言葉で頭を下げると思います。
しかし神様にお願いする時には「なぜ神様はこんなことをするんですか?私が何か悪い事をしたのですか?!早くなんとかしてください。」
神様は私たちのしもべではないです。
神様に向かって口汚く心焦って語るならば、神様は聞きたくないです。「わたしを誰だと思うのか?」
私たちは神様に対して自分の態度が礼儀をもって語っているのかを考えるべきであります。
そこには信仰が必要です。
“神様は私のことをすべて知っている。今 私がどんな状況にいるのかも神様は知っている。ここで神様を信じて頼るならば、神様はきっと私を助けてくださる。”と落ち着き・信仰の心が必要なのです。
【詩篇68篇19-20節】
ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。
神は私たちにとって救いの神。死を免れるのは、私の主、神による。
これを自分の心の中で信じることであります。
神様が私たちのために重荷をになってくださるということです。
私たちは、になう力がないと下敷きになって倒
れてしまいます。
ですから神様はそうなさらないです。
私たちが重荷を背負ってしんどい時に「神様、私を助けてください。」と祈るならば神様は私たちの荷を軽くしてくださるのです。
しかし荷を完全に取って あなたは一生重荷を負う必要なない、ということではないです。
【マタイの福音書11章28節】
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
このように約束のことばがあります。
神様は私たちが倒されて死ぬことを願うのではなく「わたしがあなたの救いの神であるのだ。あなたの重荷を軽くする神である。」と神様に頼り求めるように語っておられます。
主こそが私たちの救い主であり、私たちが信頼しても安心できる方であり、私たちの喜びや悲しみにも共感し、私たちの荷を軽くしてくださる方です。
自分の手に負えない問題に出会った時にはこの神に頼るのが一番の方法です。
【詩篇68篇35節】
神よ。あなたはご自身の聖なる所におられ、恐れられる方です。イスラエルの神こそ力と勢いとを御民にお与えになる方です。ほむべきかな。神。
私たちが神様に信頼し、静まっているならば私たちは 神様から“力と勢い”が来るのです。
戦う力と試練を乗り越える力を神様が与えてくださいます。
問題を神様に委ねて「神様、私は○○○で困っています。私の力には負えません。私を助けてください。」と、祈ると神様は力を与えてくださるのです。
2.問題解決と共に神に栄光を捧げる
次にヒゼキヤは問題解決と共に神に栄光を捧げる解決策を求めました。
ヒゼキヤは自分の国の問題のためだけではなく、敵が自分たちにかけた言葉で神を侮辱する言葉がありました。
彼は神様に“あの者たちは神様を侮辱しました。神様がこの問題を解決してください。そして私たちが神様に栄光を捧げるようにしてください。”と祈りました。ヒゼキヤが祈った目的は次の箇所です。
【イザヤ書37章20節】
私たちの神、主よ。今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、他のすべての王国は、あなただけが主であることを知りましょう。
侮辱した者たちが恥を見ますようにと祈りました。
神様が私たちを彼らの手から救い出して、彼らに神が生きておられる救い主であることを見せてください。と 祈っていました。神様はすべての祈りを聞きました。
祈りを聞いて預言者イザヤを通して、次のようなことばを与えてくださいました。
【イザヤ書37章6-7節】
イザヤは彼らに言った。「あなたがたの主君にこう言いなさい。主はこう仰せられる。『あなたが聞いたあのことば、アッシリヤの王の若い者たちが わたしたちを冒瀆したあのことばを恐れるな。
今、わたしは彼のうちに一つの霊を入れる。彼は、あるうわさを聞いて、自分の国に引き揚げる。 わたしは、その国で彼を剣で倒す。』」
結果はどうなったでしょうか?本当にその通りになりました。
その後の部分を読めば分かりますが、人間の手によらない神様の方法で侵略した者は死んでしまいました。
今、イラクで行われていることも 神様は彼らが神に向かって侮辱していることばを全て知っています。
神の子どもたちを彼らが激しく迫害している姿も 虐殺している姿も全部見ています。
すると、あるクリスチャンは「どうして神様はそれが起こる前に防がないのですか?」と言います。
神様の聖書の大きな計画は、最初から人間を祝福した神様でした。
しかし人間自らの欲・堕落した行動によって世界中であらゆる問題が出ています。
クリスチャンだとしても、皆が主のみこころに従って生きているでしょうか?
「私は神様のみこころとみことばを知っているのですが、それに従順していない時の方が多いです。」このように言うのは正直な告白であります。
そうすると、神の目から見るならば私たちも変えなければならないのです。クリスチャンであってもただ甘やかすことではないです。私たちは聖める必要があります。
まず初めにクリスチャンの方から苦しみが来るのです。私たちが道からそれたり汚れた者になると、神様はそういう悪者たちを使うのです。
その時に初めてクリスチャンは自分が横道にそれたことによって襲った苦難が、自分の罪によって刈り取っているのだと気付いて、立ち返るのです。
神様に立ち返って祈ることであります。名ばかりのクリスチャンで神様は喜ぶでしょうか?
喜ばないです。愛のムチをもって「来なさい。そのまま行ったら滅びなのだ。」と語ります。
そしてクリスチャンを目覚めさせる為に用いた悪者には、その後に神様がひどい目に遭わせるのです。
神様に敵対する者に対して、何もしない神様ではありません。
歴史を見ても独裁者たちの最期を見ると分かります。
彼らは権力と富を手に入れ、人々を簡単に殺しました。その人たちの最期が平安だった人はいないです。殺されていきました。
今、この時代に生きている私たちに対して、神様はどのように語っているでしょうか?次の箇所です。
【Ⅰペテロ5章6-10節】
ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。
あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。
あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。
終わりの時代はますます敵である悪魔が働きます。
ですから今は、昔では考えられない悪が地上で行われています。中東、アフリカ、ウクライナ、南米など私たちは見ています。
多くのクリスチャンが苦しみを受けています。神様にはその目的があります。
“あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。”これは純潔のものです。
不純物が取り除かれて神の国に入るのに相応しい者にさせるために、そのような苦しみを受けるのを神様が赦しているのです。
私たち人間は力が無いですが、神様には力があります。何もない所でも神様に助ける力があります。どのような方法でも使うことが出来る神であります。
ヒゼキヤは祈って助かりました。
そしてその後にヒゼキヤは病気にかかり、預言者イザヤを通して「あなたは死ぬ準備をしなさい。今すぐ家を整理しなさい」ということばでショックを受けました。
ヒゼキヤは大声で泣きながら「神様、助けてください」と祈りました。
すると神様はすぐさま答え「あなたに15年の命を加える」と語りました。神様は助けてくださいました。
神様の答えは、一番良い答えであります。
普段、私たちはどのような言葉を使っているでしょうか?神様は全てを聞いています。
ですから私たちは悪い言葉を使わないことであります。後で自分で刈り取った時にビックリするようなものが、以前に蒔いた言葉の種が成長してそのようになったことであります。
私たちは後でこのような実がなるのだと思いながら、良い種を蒔くことです。
良い種を蒔いたら、後で必ず良い実を刈り取るようになるのです。
また、普段からしっかりとした祈りをしてください。そうすると神様は必ずそれに対して答えてくださる方であります。
祈ることを神様は願っています。どのような時でも「祈り、祈り、祈り」です。これが一番効果的な態度です。
自分の計画、自分の方法でやっていたら、後で困ることがたくさんあります。
ですから始めから 知恵があり、力があり、すべての良い計画をもっている神様の手に委ねて、
「私は力がない者です。私は弱い者です。私は知恵もない者です。神様、どうしたら良いのか教えてください。」と導きを受けるならば、後のことは私たちが心配しなくて良いです。
ただ困る時だけ祈る神頼みは、それは宗教であります。
生きておられる神様に委ねて祈ると、神様から導きがあり、神様の計画が現れ、解決の方法が現れますので、私たちは神様の御手の中で守られるようになります。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚ アーメン
2014.8.10
聖日礼拝メッセージ
八戸ノ里キリスト教会
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地獄を見てきた聖徒の証です
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主の食卓のブログ
毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」
シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤
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