テーマは 『 礼拝を捧げる姿勢 』 です
ハレルヤ。
今日1日も主の導きと守りがあることを祈ります。
今年も神様の前で私たちは礼拝を捧げるようになります。
形式的に捧げる礼拝にならない為に、どのように礼拝すべきかをもう一度話したいと思います。
まず、私たちは礼拝の対象は、この世を創造し、私たちを造ってくださった1人の神様であることを覚えましょう。
他のどんなものに対しても私たちはそれを礼拝の対象にしてはいけないです。
多くの礼拝の中に、伝統に従うとか、人間的な想いから出た様々なやり方で礼拝を捧げますけれども、それは神の前には何の価値もなく、愚かな者に過ぎません。
神様の前に礼拝を捧げる時には、神様が語ってくださったように霊とまことを持って礼拝をしなければなりません。
霊とまことを持って礼拝を捧げることは、どういうことでしょうか?
神様に目を向け、神様に集中することです。
そして自分の心から礼拝を捧げることであります。
礼拝の中でも、多くの雑念が私たちの礼拝を妨害する時があります。
その時には、祈りによって雑念を追い出し、もう一度神様にしっかりと目を向けましょう。
そして神様に捧げる礼拝は、教会に来られた時だけではありません。
教会に来ていない毎日の生活の中でも、私たちは神の栄光を現しながら、神様が喜ぶ生活をする時に、そのことが神を喜ばせる礼拝になります。
生活と礼拝を分離することは出来ません。
教会に来ては御使いの顔をして、教会を出た瞬間から悪魔の顔になったらいけないです。
教会を出て仮面を脱いで、世の人々と同じように肉に従って生活をして、礼拝を捧げるその時だけ天使の仮面を被って 教会に入ってきて礼拝を捧げても、その礼拝は神様が受け入れることができません。
また、神に捧げる礼拝は、くちびるの賛美のいけにえを捧げなければなりません。
多くの人々が、ただ口を開いて賛美をしたら、神様がその賛美を受け入れてくださると思うんですけども、賛美はそういうものではありません。
賛美そのものも神に捧げるいけにえでなければならないです。
私たちが口を開いて主の御名をのべ伝える時に、それは立派なくちびるの実になります。
神への賛美になります。
祈りを中止しながらも、賛美生活をしない人も多いし、みことばには忠実でありながらも、賛美を飾りほどに考える人々は、自分の無知を悔い改めなければなりません。
【へブル13章15節】
ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくびちるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。
心から出てくる神様への感謝、神の御名を高めること、心からの祈り、私の手の奉仕、このすべてが神様に捧げられるものになるならば、神様はその礼拝を喜んで受け入れてくださいます。
このような姿勢を持って、神様に礼拝していきましょう。
(・∀・)
2017.1.9
3分テレフォンメッセージ
(毎日24時更新):06-6618-9105 、06-6618-9106
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