テーマは 『私たち1人1人に対する 主の小道と主の御心について』 です

【詩篇25編4節】

【ミカ書6章8節】

【申命記10章12-13節】

【ホセア書6章5節】

イエス様を愛している私たちは、誰でも、主のみこころを知り、それに従い栄光を表わす者に
変えられたいと心から願っていると思います。

しかし、神様が私たちを知り尽くしておられるほどに、私たちは神様を知っているでしょうか。
生涯をかけて知ろうとしても知り尽くす事は出来ないでしょう。

主の御思いを知る事は、なんと広く深い事でしょう。と、みことばにあるように、
私たちの思いをはるかに超えたお方だからです。

また、主は、どんなお方でしょうか?
柔和でへりくだり、憐れみ深く、情け深く、怒るのに遅く、恵み深いです。【出エジプト記34章6-7節】
また、私たちをねたむほどに愛してくださっているお方です。【ヤコブ4:5】

みこころを知るには、みことばを通し、聖霊様を通し、預言の言葉を通し、周りの人の助言の中から
教えられることがありますが、それを聖書から見てみようと思います。


①みこころを知る為に、みことばを読む

聖書は、重要な問題の全てを網羅していますが、色々な問題や状況に直面した時に、
「こうしなさい」と細かくはっきりとは書いていません。

ですから、生活をしていく中で、色々な事が起きた時、みことばの中に主の導きを求めます。
すると、みことばをどのように適用していくのかを教えられます。
そして、そこに答えが見つかり、みことばが生きたものとなり、みことばを体験できます。

【詩篇119篇105節】

【エペソ5章17節】


②内におられる聖霊様が、語って下さったり、導きを与えてくださる

【ピリピ2章13節】

私たちの内に思いを与えて、神様が実現させてくださるという みことばです。

ですから、私たちはみことばを心と魂に刻みつけておく必要があります。
すると、聖霊様が時に適ったみことばを思い起こさせて下さり、決断する事を助けてくださいます。


③預言の言葉を通して、みこころを教えられ、励ましを与えられる


④周りの人からの助言で、聖霊様が気付かせてくださる

【箴言12章15節】

【Ⅰ列王記12章8節】

ソロモンの子レハブアムが王になり、民のことで、ソロモンに仕えていた賢明な長老に相談をしましたが、
長老の助言を退け、自分の意見に同調をしてくれるような若者に相談し、決断を下しました。
結果、民たちの心は離れていきました。
私たちは信頼できる人の助言を聞くべきだと思います。

このようにして、みことばを通し、聖霊様を通し、預言、周りの人の助言など、色々な方法で
主のみこころを悟らせて下さいます。




~みこころに従うことを、妨げてしまうもの~

私たちはみことばに従い、みこころに沿って歩みたいと願いますが、うまくいかない事があるのは、
どうしてでしょうか?

それは、私たちの古い人が反応し、それを妨げてしまったり、サタンがみことばに従わないように
妨げるからです。

妨げてしまうものには、どのようなものがあるのかを 一緒に考えてみたいと思います。

  1. 自分の願いと神様の思いが違うならどうしようと、不安になってしまう古い自分
  2. 自分の生き方を変える事を恐れてしまう。 ―― これは自分の考え方から出ようとしない古い自分
  3. 全てを委ねたくても、委ね切ることができない自我。そこにはいつも葛藤があります
  4. 祝福は望んでも、犠牲を払うことを嫌う心。 ―― 肉は犠牲を払うことを嫌います
  5. 世の物に対する色々な執着がないか

このように様々な自我との戦いがありますが、皆さんはいかがでしょうか?

神様の1人1人のご計画は違います。そして弱さも違います。
神様は、私たちが自分の自我と戦い 日々内なる人が強められて、造り変えられていくことを願っておられます。

どのようにして、主のみこころを知る事が出来るでしょうか?


①主に委ねる時に、主のみこころを明らかにしてくださる

【詩篇37編5節】

【詩篇55編22節】

【Ⅰペテロ5章7節】

【箴言16章1-3節】

自分の思いや方法ではなく、神様の導きや方法で従うということです。
人は心に自分の道を思いめぐらしますが、その人の道を確かなものにするのは主です。

私たちは自分にはどうすることも出来ない問題が生じた時に祈ります。
祈ってその問題を主に委ねる決断をします。そして、祈りながら待ちます。

しかし、待っている間に色々な思いがやって来ないでしょうか?
恐れが来たり、心配になったり、不安になったり、自分に対して安心できるものを置いておきたいという
ことはないでしょうか?
この肉との戦いは、生涯あるかと思います。
しかし、神様は私たちが思っている以上のことをしてくださるお方です。
もはや私が生きているのではなく、キリストが私の内に生きておられるのです、とあります。


②日々、自分に死ぬ

「私の願いや思いはこうです。」と思う事は間違いではないです。
しかし、「主のみこころはどうでしょうか?」と祈る事は、とても大切です。
イエス様ご自身も「私の願うようにではなく、あなたのみこころのようになさって下さい。」と、
祈っておられます。

私たちは、時として犠牲を払わなければならない事もあるかも知れません。そして失うこともあるかも
知れません。
しかし、失うことによって得る恵みもあります。失うことによる恵みが大きいかも知れません。
私たちの肉は、難しく考えたり、律法的になったり、壁を作り、神様の働きを止めてしまう事があります。
また、自分の思いや考えを押し通そうとするなら、神様は決して働く事が出来ませんし、用いることも出来ません。

意外と自分の姿には気付かないことがありますが、聖霊様が気付かせてくださいます。
その時に、素直に従う者に神様の祝福があります。

また、思いこみが強く、自分の思いをしっかりと持っていると、自分の姿を知ることすら出来ません。
ですから聖書にある通り、砕かれた心、柔らかい心、鳩のように素直な心、また教えられやすい心をもって、
いつも心を開いて、主の御前に出る者となりたいです。

そうする時に、日々 自我に死ぬ者とされます。


③神様に全き信頼を置く者に、道を開いてくださる

神様は、しばしば試練を通して、いっさいを主に委ねる事を、分からせようとして下さいます。
しかし、私たちの気持ちを無視して 何かをすることはせずに、私たちが気付くようにしてくださいます。
じっと待ってくださるお方で、愛と忍耐の主です。

たとえ、自分の願い通りにならなくても、主は最善を成してくださるお方だと信頼し、委ねる時に
私たちが思っている以上の素晴らしい恵みを体験し、主の御業を見ることができます。

主に信頼する者は、失望させられることがありません。
そして、私たちは「自分が信じている方を知っています。」と告白することができます。


【Ⅰテサロニケ4章3節】

【ローマ12章2節】

どんなに素晴らしい神様のメッセージを聞いたとしても、古い革袋に入れるならば
恵みとして残らずに、どんどん漏れてしまいます。

「古い革袋」とは、生まれながらの性質そのものであり、「新しい革袋」とは、考え方を変えることです。

新しい革袋に入れて、恵みが漏れないように気をつけなければなりません。
つまり、≪自分の生き方を変える≫ ということです。


④神様に従順する時に、私たちが歩むべき小道へと導いてくださる

【ヨブ記23章8-10節】

試練の道、涙の道、曲がりくねった道、先が見通せない道・・・どんな道も知ってくださっています。
私たちの歩む道もすべて主が知って下さっています。

なんと幸いなことでしょうか。

【イザヤ書43章2節】

私たちは、神様が遠くに感じてしまう時や、孤独を感じる時こそ、主は最も近くにいてくださいます。

【詩篇142編3節】

【詩篇138編7節】

主のみことばの約束は満ちています。

盲目のテノール歌手・新垣勉氏

皆さんは この方をご存知でしょうか?
アメリカ人の父と、日本人の母との間から生まれてすぐに、助産婦の手違いで、
目に劇薬を入れられて失明しました。
その後 両親が離婚し、彼は父を恨み、中学生の時に自殺をはかりました。
しかし、その時にラジオから流れて来た賛美歌を聴いて 教会へと導かれました。
牧師との温かい交わりの中で、そこで彼はイエス様に出会い、そして信じました。
その後、様々な良き出会いを通じて、テノール歌手として多くの人々に生きる希望を与えておられます。

彼の名言:  ナンバーワンにならなくても良い。オンリーワン。(自分にしか出来ない生き方)
SMAPの「世界に一つだけの花」は、新垣勉氏の「オンリーワン」から出来た歌だと言われています。


私たちも世界に一つしかない花です。
私たちにしか出来ない生き方を、主は用意してくださっています。

他人と比べる必要はありません。
また、(自分に)無いものを捜すのではなく、与えられているものに感謝する者は幸いです。
私たちの内に働く力によって、私たちが願い、想いを超えて豊かに恵みを注いでくださる主です。

【詩篇143編8節】

【エレミヤ書10章23節】

【箴言3章6節】

【イザヤ書30章21節】

【Ⅰ列王記13章】

Ⅰ列王記13章には、騙されて神様のみこころから離れてしまった人のことが書かれています。

みこころを求め、神とともに歩む時に主が用意してくださった小道へと導かれます。
自分が何かをしようとするのではなく、いっさいを成し遂げて下さる主に明け渡して、信頼し
主が与えてくださる小道を真っ直ぐに歩みたいものです。

私たちがこの地上で生きている間、誘惑もあると思います。また、惑わされることもあるでしょう。
しかし、みことばをしっかり心に蓄えて、内におられる聖霊様に導かれて右にも左にもそれず
私たち1人1人に与えられている小道を歩んで行く者になりたいと思います。

命に至る道は、細く狭いとありますが、主の小道は 「天国へと通じる道」 です。

自分の将来も計画も主に委ね、自我を十字架につけ、信頼し従順する者に、
神様のみこころの道を歩むことの喜びと祝福があります。

主は1人1人の歩むべき道、最善の道を知ってくださっています。

大切なことは、何かをしてきたか ではなく、どのように主に仕えてきたか ではないでしょうか。

聖霊様に導かれ、日々自我を十字架につけ、
御心を求めながら 主が用意してくださっている それぞれの小道を歩んでいきましょう。 ( ̄‥ ̄)=3

2013.5.26
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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