からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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主の働き

神の奥義の管理者

いくら熱心に主の為の働きをしても、もし誰もそのことを人々が知らないならば、
また 主のための働きをするのに、心に満足がないならば、
また 時には、一生懸命 主の働きをするのに 周りから非難され攻撃されるならば、

働きをする聖徒たちも だんだん疲れはじめるようになります。


そうすると、今まで信仰の良かった聖徒たちも心が荒れ果て、そして耐えることも難しくなって、自分がやったその働きも投げ出す時があります。


これはすべてサタンの戦略でもあります。

サタンは分裂を起こします。
私たちの心に怒りを与えます。私たちの心に霊的に疲労感を与えます。

あらゆるものを動員して神の教会と、聖徒たちが任された使命をしないように私たちを導きます。


これはどれほど大きな損失でしょうか。


そのような状況が実際 教会の中でも起こりますので、パウロはコリント教会に手紙を通してそのことを語りました。


【Ⅰコリント4章1-3節】

こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。

この場合、管理者には、忠実であることが要求されます。

しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、 私は自分で自分をさばくことさえしません。

皆さんはこの中に「忠実」という言葉が一番重要だと思うでしょうか。
しかし、そうではないです。


その言葉よりも もっとここで重要なことは、「 神の奥義の管理者 」という言葉であります。

忠実は、すなわち神様が私に任せてくださったことに対して忠実であるべきであります。


しかし、多くの人々は自分がしたいことに対しては熱心にしながら、それが神に対する忠実だと思います。
自分がしたいことをいくら熱心にしても、それは神様に対する忠実ではありません。

忠実という言葉は、自分に神様が任せてくださったことに対する忠実であります。

また この忠実も、自分の力だけでは、自分の決心だけでは出来るものではありません。


神の恵みなしに忠実に働くことは不可能であります。


そのため私たちは、一歩一歩 主と共に歩みながら、最後まで神のみことばに従って、自分に任された働きをしていかなければなりません。

そして、この忠実という言葉は、別の言葉でいうならば「 責任感 」であります。

私に任された働きを、責任感を持って最後まで成し遂げること、それを神様が私たちに求めておられます。


皆さんは今、主の働きに対して忠実な者でしょうか。

自分に任されたその働きに対して責任感を持って働いているでしょうか? (゚∇゚ ;)エッ!?

2014.6.5
3分テレフォンメッセージより

八戸ノ里キリスト教会

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主の働きのヒント

テーマは『 主の働きのためのヒント  』です

【ヨハネの福音書5章17-20節】

イエスは彼らに答えられた。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです。」

このためユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった。イエスが安息日を破っておられただけでなく、ご自身を神と等しくして、神を自分の父と呼んでおられたからである。

そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。

それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。また、これよりもさらに大きなわざを子に示されます。それは、あなたがたが驚き怪しむためです。

イエス様からヒントを得ることができます。

主に召された者たちは、当然のように働き人としての働きもあります。
救いだけ受けて「私は何もしません。世の仕事で忙しいです。自分の人生計画が優先です。」というのは、
相応しくない姿であります。

イエス様はこの地上に遊びに来たのではなく、天国から地上に仕事をしに来られたのです。
その仕事は、父なる神が計画した救いの働きをするために、神の代理人として地上に来られました。
父なる神様が「計画」し、イエス様が「実行」します。
これが三位一体の神様のそれぞれの分担であります。

イエス様は父から命令を聞きます。「父のみこころを行うために わたしは来た」とおっしゃっています。
イエス様に従っていく者たちは、イエス様からそのノウハウを学ばなければいけないです。

「自分で考えた方法があるので、私はその方法でやります。」と言うのは、その時点でピントが外れています。




①父が働くので わたしも働く

基本的にイエス様は、「父が働く時に わたしも働き、父が休む時に わたしも休む」 と、
常に父なる神様から目を離しませんでした。

イエス様が働くので私たちも働くというのが基本であります。

【ヨハネの福音書4章34節】

イエスは彼らに言われた。「わたしを遣わした方のみこころを行い、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。

また、どのように働けば良いのでしょうか ――?


②神のみこころのままに働く

イエス様の働きの土台となっているのは、「みこころを行う」ということでした。
自分勝手に計画を立てて、勝手なことをするのではなく必ず父のみこころを行うために
私たちは祈りが必要であります。

祈りということは、神様に聞くことなのです。
「どうか神様のみこころを教えてください。私はどうしたら良いでしょうか?何をしたら良いでしょうか?」

働きをする時に、「神様、もしかしたら自分の中に勝手な思いがあるかも知れないです。
そして今、私の中には このような思いが出てきましたが 果たしてこれは主のみこころでしょうか?」
それを求めることなのです。

私たちは教会の働きや 神様と関連している様々な働きがありますが、
その時には必ずみこころを求めなければならないです。人々の命と救いに関することも同じです。

祈ることによって神様と一緒に働くことになるのです。

聖書でも 神様のみこころを求めなかった時は必ず失敗しました。
勝手に人口調査をした時はひどい災いが来ました。
ヨシュアも神様の導きを受けている時は勝利をしましたが、アイの町を攻める時には みこころを祈らなかったです。
勝手な思いで行動をしたので失敗をし 人の命までも失いました。

主の働きは、必ずみこころを聞いて みこころ通りにするのです。イエス様の働きがそうでした。

教会で 神様がそれをしなさいと言われたことならば、私たちは一致して働くと祝福があります。


③聖霊様の力を受けて働く

人間の力だけでは癒しや奇跡を起こすことは出来ないです。
では、どのようにしてイエス様は奇跡を起こしたり 悪霊を追い出したり 病人を癒したでしょうか?
それはイエス様ご自身も聖霊様の力を受けたのです。

【ヨハネの福音書3章34節】

神がお遣わしになった方は、神のことばを話される。神が御霊を無限に与えられるからである。

「神が御霊を無限に与えられる」 ということは、力なのです。
力を受けないと、私たちは知識があっても何も実を結ばないです。実とは「御霊の実」であります。
人間の力では御霊の実を結ぶことができないです。
主の証人として選ばれた私たちは当然のように聖霊の力を受けなければならないです。

聖霊を拒んだり、聖霊のことを語らない教会では、信仰に力がないです。そこで奇跡が起こることはないです。
その力を求めないので出来ないのです。

みことばが、力のある言葉になるには 油注ぎが必要です。それが聖霊の力であります。

私たちが主の働きをする時には、まず神様に 「この働きに必要な聖霊の力を私にください。」 と
祈ることであります。


④神の権威を受けて働く

【ヨハネの福音書10章18節】

だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令をわたしの父から受けたのです。」

イエス様はハッキリとおっしゃいました。
「わたしに力がないから命が取られたのではなく、自分から命を捨てるのです。」
これを裏付ける言葉があります。十字架に架かる前に何が起きたでしょうか―?


【マタイの福音書26章51-54節】

すると、イエスといっしょにいた者のひとりが、手を伸ばして剣を抜き、大祭司のしもべに撃ってかかり、その耳を切り落とした。

そのとき、イエスは彼に言われた。「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。

それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか。

だが、そのようなことをすれば、こうならなければならないと書いてある聖書が、どうして実現されましょう。」

ペテロがすぐに剣を出して相手にそのようにしましたが、イエス様がそれを止めました。
しかし次の場面を見ると、イエス様が自ら命を捨てる場面が出てきます。

イエス様はみこころを行うために地上に来られたので、十字架に架かることを初めから分かっていました。
それは権威なのでイエス様が決めることが出来るのです。
力がないので世の権威にひざまずいたのではなく、父のみこころ通りに歩みました。

私たちも働きをする際に、神様から権威をもらわなければならないです。勝手なことをしてはいけないです。
牧師になる者たちも、権威を神様から もらわなければならないです。
自らが出来るものではないです。しかし世の中では自ら牧師になる人もいるのです。

主の働きは、神様がその人に権威を捧げないと (権威というものが)実際に発揮されません。
聖書に偽預言者、偽働き人など たくさん出てくるのは、神様が認めていないことなのです。

私たちは神様から使命をいただかなければならないです。
神様が「あなたはこれをしなさい。」と言うならば、他の人が「あの人は資格がないのに・・・」と言ったとしても
関係がないです。私たちは主の権威の元でしっかりと仕事をすることです。


⑤主の栄光のために働く

【ヨハネの福音書17章4節】

あなたがわたしに行わせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました。

イエス様が働いた目的は、「神の栄光」でした。すべてのことは神の栄光のため 目的は1つでした。

働く人も素晴らしい働きですが、もともとそれを初めに設計する方は もっと立派なのです。
私たちは設計された通りに動く者でありますので、それが完成された時にはその方が栄光を受け取ることなのです。

神様の栄光とは、神様が喜ぶことなのです。私たちがどんなに汗を流して働いたとしても、
神様が喜んでいない働きならば、神様がそれを見て褒めることがないです。

勝手なことをすると、口では神様の栄光のためと言っても 自分がしたいことをしているので
栄光は自分のものになります。

人々に褒めてほしい、人々が認めてほしいという下心があるのです。
自分から出たものは全部 虚栄心・高慢があります。

神様のみこころがあるのに、それには従わないで 何故勝手なことを一生懸命するのでしょうか―?
自分の栄光がかかっているからです。
それは天国には報いが一つもないので神様の栄光にはなりません。

ですから、私たちは下心を捨てるべきです。みこころ通りにすることが神様が一番喜ぶことなのです。

イエス様が十字架の上で「完了した」と言うことは、それこそが神様の栄光なのです。
最期の瞬間まで主の栄光のために、父なる神様が自分を通して栄光を受けてほしいという目的で働きをしました。

教会での働きも「したくない」ではなく、主がしなさいと言うならば どんなことであっても忠実に働くならば
それを通して神様は同じ栄光を受けるのです。

「目立つ、目立たない」 は自分の目線であります。神様は隅々まで見ているのです。
神様から言われた所ではなく、違う所で何かをしているのなら、神様はその時からその人を見なくなります。
自分勝手に自分のために働く者。そうではなく、まったく目立たない所でも神様がそれを見て喜ぶならば、
神様はその人を通して栄光を受けます。


⑥父の御名によって働く

【ヨハネの福音書17章11節】

わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。

父の御名によって働きをするということは、その父から私は委任された代理人という意味です。

命令に従順するということです。少しでも違うことをしていたら、主の名がはずかしめを受けて汚れます。

「私はしもべとして働きます。主の名が汚れないようにします。」ということです。
ですから、私たちが仕事をする時も 「クリスチャン」 ということはキリストに属する者ですので、
クリスチャン1人が何か変な事をすると、キリスト教全体が傷むのです。

クリスチャンという名に相応しく生きましょう。

私たちが主の働きをする時には、その名が汚されないように、その名に相応しく働きをすることなのです。

今回学んだところが、主の働きのためのヒントを得る方法です。
聖書に全て出てきますので、私たちがその通りに働くならば、イエス様が語ったように私たちも完了し、
「主よ、どうぞ私の魂を受け取ってください。」と この世で勝利し、神様に栄光を捧げ、
安らかに主のもとへ行けると思います。
アーメン (*´∇`*)

2013.9.15
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「みことばのパン」

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