からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

八戸ノ里キリスト教会より メルマガ配信中!

メルマガ購読・解除

読者購読規約
毎朝7時に配信しています! 1日の始まりを神様の恵みで満たしてくださいね
powered by まぐまぐ!
 
         

不義

新しい人として生きていますか

テーマは 『 新しい人として生きていますか 』 です

【第1テモテ1章5節】

この命令は、きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出て来る愛を、目標としています。

キリストの血潮によって罪赦され、聖霊によって生まれ変わった人を “新しい人”と呼びます。

新しい人にふさわしいのは当然新しい生き方です。


皆さんは新しい人ですか?
そして、いま新しい生き方をしていますか?


今日のテーマは「新しい人として生きていますか」です。


まずは新しい人の身分と、それにふさわしく生きることの内容を聖書で調べます。




・新しい人とその生き方




新しい人は以前とは違う状態に変わったことを次のことばが説明してあります。


【第1ペテロ2章9-12節】

しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。

あなたがたは、以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者です。

愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり、寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。

異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。そうすれば、彼らは、何かのことであなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのそのりっぱな行いを見て、おとずれの日に神をほめたたえるようになります。

新しい人は神のあわれみを受けて、神に選ばれた者であり、祭司として神に仕え、罪赦され聖なる者になり、神のものになった人です。


古い人とはまったく違う状態になりました。


人の知恵や力によるものではなく、すべて神のみわざと力によって新しくされました。

肉体が変わったのではなく、その人の魂や身分が変わりました。


ですから新しくなった人は 肉に従って歩むのではなく、御霊の導きと神のことばに従って歩まなければなりません。


そのために必要なのが 新しい生き方を学ぶことです。

新しい生き方を学ばずに 新しい人として生きることは出来ないです。


信じた後でも何も変わらず以前と同じ生き方をする人が多いですが、それは問題です。

それは古い人のままで生きている姿です。


新しい生き方で歩もうとする時に、それを邪魔する強い敵に私たちはすぐ遭遇しますが、それは外部の敵ではなく、自分の中に長く住みついた “肉の欲” です。


これが なかなか消えません。

また、自分でもこれに執着して 何もせず礼拝出席や奉仕だけで信仰生活をしようとします。

クリスチャンの中で一番多いタイプです。


救われたのに、相変わらず広い道を歩んでいますし、間違えた教えをする牧師たちは さらにその道を広げて信徒たちが古い人の姿のまま生きるようにさせています。


「救われた人はそんな事を気にせずに自由に生きたら良い」と甘い言葉をかけます。

これが最悪のサタンの策略です。


神からのことばは 次のように言われています。


【第1ペテロ2章11節】

たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。

古い人の中にあるものは肉の欲です。


古い人は、肉の欲に従って歩みました。

それが何の問題でもありませんでした。

肉の欲がないと成功しないし、金持ちにならないし、祝福もされないと教えられたので、肉の欲があることが自然体だと考えていました。






しかし新しい人に “肉の欲” は癌細胞のように危険です。


私たちを再び罪の中に引き込もうとする誘惑であり、魂を汚すものであり、世に関心を持たせ、神から引き離そうとするものです。


せっかく新しく生まれ変わったのに、古い人に再び転落する恐ろしい誘惑なので警戒が必要です。


この肉の欲を遠ざけるために必要なのが、神のことば、きよい心、正しい良心と偽りのない信仰です。


私たちの内面が それらのもので満たされないと、以前からの古い生き方を変えることは出来ません。

古い人の時は 肉の欲を誘惑とは思っていなく、“それくらい皆もやっているから“ と嘘や不義なやり方で自分の利益を先に求めていました。


しかし新しい人になった後に そのやり方をすると、私たちの中にある良心は騒ぎ出します。


「そんなことして良いの?」と胸騒ぎがします。

また、心の中におられる聖霊様が悲しみます。


「聖霊を悲しませてはならない。」と言われたのは、私たちが霊的に無感覚になって 不義を行う時に、神様は私たちを見て心を痛めるからです。

良心が麻痺されると嘘をついても不義を行っても心があまり痛くないです。


良心の声よりは、利益のために少々のことは言い訳をして平気にやります。

しかし新しい人の道徳観、倫理観、生き方は そのレベルであってはいけないです。


主が主の祈りの中で教えて下さった祈りの中に次のことばがあります。


【マタイの福音書6章13節】

私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。

と、ありますが、これが「たましいに戦いをいどむ肉の欲を避けなさい。」という言葉と繋がりがあります。


私たちが一番試みにあっている部分が “肉の欲” です。

口では「主よ。主よ」と言うのに、心にある主人は肉の欲です。


世を愛し、金銭を愛する心がある人が 一番誘惑に弱く、一番惑わされやすいです。


その人たちは良心までも麻痺されています。




・肉の欲の危険性




【第1テモテ4章1-2節】

しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。

それは、うそつきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、

この言葉のように、肉の欲には “惑わしの霊と悪霊の教え” が入りやすく、もし入ると、この世と妥協して自分の利益を優先するので良心が汚れ、悔い改めすら出来ないように心が麻痺していきます。


麻痺とは “無感覚” になったことを意味します。不義を行っても悲しくも苦しくもならないです。

反対に「何が悪いの?」と開き直ります。


パウロのことばを聞きます。


【使徒の働き20章33節】

私は、人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。

サムエルのことばも聞きます。


【第1サムエル記12章3-5節】

さあ、今、主の前、油そそがれた者の前で、私を訴えなさい。私はだれかの牛を取っただろうか。だれかのろばを取っただろうか。だれかを苦しめ、だれかを迫害しただろうか。だれかの手からわいろを取って自分の目をくらましただろうか。もしそうなら、私はあなたがたにお返しする。」

彼らは言った。「あなたは私たちを苦しめたことも、迫害したことも、人の手から何かを取ったこともありません。」

そこでサムエルは彼らに言った。「あなたがたが私の手に何も見いださなかったことについては、きょう、あなたがたの間で主が証人であり、主に油そそがれた者が証人である。」すると彼らは言った。「その方が証人です。」

二人のことばで明らかになったのは、神のことばをしっかり守りながら生きていることと、人の前でも自分の良心にとがめがない生き方をしていました。


しかし外側は敬虔に見えるパリサイ人たちに対して、主は彼らを “偽善者” と呼び、次のように語りました。


【マタイの福音書23章28節】

おまえたちも外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。

神の子どもたちが 不法なやり方で利益を得たり、他人に被害を与えたり、嘘を言ったりすると、正義と公義の神様が 自分の子どもがそのような生き方をしているのを いつまでも黙って見ているわけがありません。




・神は神の子どもたちに何を願っているのか




【ミカ書6章8節】

主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。

“公義” とは「律法にかなった正しい行動」です。

公義を行うことが良いことで、神が喜ぶことです。


肉の欲のために、罪に足を一歩でも踏み入れると 私たちは一つの罪だけではなく、律法全体を犯すものになります。

箴言のことばを三つ開きます。


【箴言1章19節】

利得をむさぼる者の道はすべてこのようだ。こうして、持ち主のいのちを取り去ってしまう。

【箴言20章10節】

「異なる二種類のおもり、異なる二種類の枡、そのどちらも主に忌みきらわれる。

【箴言20章17節】

だまし取ったパンはうまい。しかし、後にはその口はじゃりでいっぱいになる。

政治家たちのことを思い出してみて下さい。

自分の利益のためにわいろを取ったり、支出をごまかしたりして職を失い、恥をかき、反対にもっと大きなお金を失くしたりもします。


もしクリスチャンである私たちがそれと似たようなことをすると、誰よりも聖霊が悲しみます。


新しい人の自覚をもって生きることは、楽ではなく反対にしんどいです。

生き方を修正することはとても難しいし疲れます。


戦いも楽ではありません。負ける時が多いです。

それで「昔の方が楽だったのに」と思います。


しかし新しい人として生きるためには、嫌でも肉の欲を遠ざけないといけないです。


肉の欲と戦いもせず、好きなように生きると それは古い人のまま生きることを選んだことになるので、神の子どもとして生きることを辞めたことになります。

きっといつか後悔するでしょう。


戦いに負けることがあったとしても あきらめず、神の言葉の基準や良心のとがめがない生き方を選びましょう。


私たちが信仰を持ったのは、新しい人として生きるためです。

神の愛を受けたので、自分も神を愛して生きることを選びました。


ですから神を愛することをやめると、信仰生活は維持できないです。

信仰生活はみことばの上に立ち、神を愛し、新しい生き方をすることです。


古い人は、十字架の上でキリストと共につけられて死んだことを再確認して 新しい生き方を実行していきましょう。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚

2016.8.7
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

忘れてはならないこと

テーマは『 忘れてはならないこと 』です

【詩篇106編6-15節】

私たちは先祖と同じように罪を犯し、不義をなし、悪を行った。

私たちの先祖はエジプトにおいて、あなたの奇しいわざを悟らず、あなたの豊かな恵みを思い出さず、かえって、海のほとり、葦の海で、逆らった。

しかし主は、御名のために彼らを救われた。それは、ご自分の力を知らせるためだった。

主が葦の海を叱ると、海は干上がった。主は、彼らを行かせた。深みの底を。さながら荒野を行くように。

主は、憎む者の手から彼らを救い、敵の手から彼らを贖われた。水は彼らの仇をおおい、そのひとりさえも残らなかった。

そこで、彼らはみことばを信じ、主への賛美を歌った。

しかし、彼らはすぐに、みわざを忘れ、そのさとしを待ち望まなかった。

彼らは、荒野で激しい欲望にかられ、荒れ地で神を試みた。

そこで、主は彼らにその願うところを与え、また彼らに病を送ってやせ衰えさせた。

旧約聖書はイスラエルの歴史と言っても過言ではないです。
しかし 神様はイスラエルという国のことを私たちに知らせるためではなく、
≪彼らの姿を通して あなたの姿を見なさい。≫ということであります。

クリスチャンは、今の時代に選ばれた選民たちであります。罪から贖われて恵みによって救い出された者であります。
ですから、あなたと同じように選ばれたイスラエルの民たちの歴史を通して、「あなたの人生の歴史を振り返ってみなさい。」と神様はたくさんのメッセージを送っています。

決して「昔の歴史であって、今とは違う。私の国の話ではなく、イスラエルの歴史の話は(私には)関係がないでしょう?」ではないです。


教科書ではなく、聖書に書かれているということは、クリスチャンに対して神様が教えたいことであります。

読んでみると、私たちの姿がそこにあります。「こんな姿は見た事がない」と、誰が言えるでしょうか ――。
(自分の姿が)双子のように、そっくりなのです。

神様は歴史を通して、神様に喜ばれた者は1~3人と 本当に数少ないです。その他の者は、好き勝手に生きている姿がそこにあります。
逆らったり、罪を犯したり、神様に敵対心を燃やしたり、あらゆる姿がそこにあります。

私たちはこのような姿を見て、「これは私の姿だ。私もこのようにしている。」と思いながら読まないと
聖書が 自分とは関係のない書物になってしまいます。
神様はいつも「そこにあるのは、あなたの為の教訓である」と語っておられます。

私たちは彼らの姿を見て、何かを忘れている姿があるのです。
神様が忘れてはいけないと言うのに、平気に忘れていくのでそれによって様々な問題が生じます。




①私たちを憐み、苦しみと罪の中から救ってくださった神様の恵みは、絶対に忘れてはならない

イスラエルの民たちは、神様から恵みを受けました。
奴隷生活が何代にも渡って430年ほど続き、圧迫され自由がなく 人間扱いされない生活だったので(彼らは)当然のように その苦しみの中で神様を叫び求めました。

その叫びが天まで届き、神様は彼らの叫びの声を聞いてモーセを立てました。それは素晴らしい恵みであります。
そして彼らをその苦役の中から救い出しました。これは100% 自分たちの力ではないです。

神様が彼らを憐れんで解放する者を送り、そして神様ご自身の御手で彼らを救い、紅海を渡ってカナンの地へ導くと約束をし 連れ出しました。
しかし紅海を渡った瞬間に神様の恵みを忘れました。既にその前にも パロの軍隊が後ろから迫ってきた時にパニックに陥り、神様やモーセに対して文句を言いました。

彼らは都合の良い者たちなのです。自分たちが発した言葉を忘れています。
助けてくださいと散々言っておきながら、神様が助け出した途端に「あの時の方が良かったのに。なぜ私たちをここへ連れ出し、ここを墓場にする気なのか!」と呟きました。

恩知らずで恵みを忘れているのです。このような姿が私たちにもあります。
(恵みを)受けた時だけ「ありがとう」と言って、すぐに顔を変えます。


恵みを忘れる人は高慢であります。まるで自分の力でやってきたかのように、自分の力でそこから救い出されたかのように恵みをすっかり忘れます。

私たちは他人から裏切られると とても心が痛み、長い間苦しむ人が多いですが、一番痛めているのは神様であります。神様から見たら、裏切り者があまりにも多すぎます。ほとんどの者がそうなのです。

皆さん、振り返ってみてください。神様の恵みがどれほどたくさんありましたか?


イエス様はラオデキヤ教会を批判しました。彼らはなぜ批判されなければならなかったのでしょうか。
それは、恵みを忘れている者たちだったからです。
「自分は富んでいる。豊かになった。何一つ乏しいことがない。」と明言しました。
「これは神様のおかげです」と栄光を捧げる言葉がなかったです。

もしも私たちが神様の恵みを忘れて「私の努力で恵みを受けた」と散々言うならば、
「恵みを忘れた者よ、あなた自身の力か」と神様から叱責を受けます。

自分の姿を見た時に、どちらなのかを見なければならないです。

「神様の恵みによって今はこのようになりました」と言える者なのか、「大きなお世話です。神様がいなくても
自分の力で出来ます」と言う者なのか ――。

人は覚えなければならないことを忘れて、覚える必要のないものは しっかり覚えていることがすごく多いです。
神様はどうでもいいことは忘れなさいとおっしゃいます。


神様から一番大切な救いと恵みを受けて 苦しみから助け出されたことを死ぬ時まで忘れてはならないです。

天国へ入っても忘れてはならないです。
神様の恵みで天国へ入ってこられたことを、神様に栄光を捧げなければならないです。
神様の恵みを一つも忘れてはならないと心に刻まなければいけないです。




②無限なる神様の力を忘れてはならない

イスラエルの民たちが救われたのは神様の力なのです。

なぜ私たちがこの力の業を忘れてはならないのかと言うと、小さな問題にぶつかるとすぐに神様に対して疑い、
不信仰の心が出てくるからであります。

それは神様が過去にどれほど大きな力をもって自分たちを導き 救い出してくださったのか、と それを忘れるので(疑いや不信仰の心が)出てくるのです。


(神様の力の業を)しっかりと覚える人たちは「あの時は自分の力ではどうにもならなかったのに、神様の力によって
私はそこから助け出され、それで問題が解決されました。自分の力でも、他人の力でもなく、神様の力によって出来ました。」と、このことが いざ問題にぶつかった時に思い出すのです。

あの時にしてくださった神様の力は「昨日も今日もいつまでも同じ力である。この力がまた働いて神様が私をまた助けてくださる。」となります。

しかし私たちがそれを忘れてしまうと、問題の前で倒れるのです。
「どうしよう、どうしよう」と明日の事を心配し、神様に呟くのです。

イスラエルの民たちも、あれほど大きな恵みや力を見ながら、目の前にある本当にわずかなことで
つまずいたのであります。私たちもそうでしょう?

他人に語る時は「神様は力ある神様だから信じなさい。」と言うのですが、いざ自分が問題を抱えてしまうと
急に信仰がどこかへ消えてしまいます。そして、いつの間にか無能な神様と思ってしまいます。

これは神様の力を忘れたことであります。


【エレミヤ書32章17-22節】

「ああ、神、主よ。まことに、あなたは大きな力と、伸ばした御腕とをもって天と地を 造られました。あなたには何一つできないことはありません。

あなたは、恵みを千代にまで施し、 先祖の咎をその後の子らのふところに報いる方、偉大な力強い神、その名は万軍の主です。

おもんばかりは大きく、みわざは力があり、御目は人の子のすべての道に開いており、人それぞれの生き方に したがい、行いの結ぶ実にしたがって、すべてに報いをされます。

あなたは今日まで、 エジプトの国で、イスラエルと、人の中で、しるしと不思議を行われ、ご自身の名を今日のようにされました。

あなたはまた、御民イスラエルを、しるしと、不思議と、強い御手と、伸べた御腕と、大いなる恐れとをもって、 エジプトの国から連れ出し、

あなたが彼らの先祖に与えると誓われたこの国、乳と蜜の流れる国を 彼らに授けられました。

神様の大いなる力の姿が書かれています。
それを体験したイスラエルの民たちが この後どのようにしたでしょうか。次の聖書箇所に続きがあります。




③不義を行う者に対しては必ず神様の懲らしめがある


【エレミヤ書32章23-24節】

彼らは、そこに行って、これを所有しましたが、あなたの声に聞き従わず、あなたの律法に歩まず、 あなたが彼らにせよと命じた事を何一つ行わなかったので、あなたは彼らを、このようなあらゆるわざわいに 会わせなさいました。

ご覧ください。この町を攻め取ろうとして、塁が築かれました。この町は、 剣とききんと疫病のために、攻めているカルデヤ人の手に渡されようとしています。あなたの告げられた事は 成就しました。ご覧のとおりです。

神様がエジプトの国に対して多くの災いを下したこと、そしてパロとその兵士たちを紅海の海の中に沈めたことを イスラエルの民たちは全て忘れてしまいました。

神様は、神様に敵対する者・不信仰な者・高慢な者に対しては、たとえそれが選ばれた選民であっても
神様は正しく裁く方でありますので同じようになさるのです。
信じない者だけに災いを下して、自分が選んだ民たちが悪い事をたくさんしていても それを黙認する神様ではないです。

彼らの高慢な姿が出てきます。
「私たちは悪いことをしていても 神様が愛して選んだ者であるから、私たちにはそんなものは来ないのだ。」という特別意識があります。
祝福は来ても、災いを下す神様ではないと思いました。これは彼らの大きな勘違いであります。

災いを下さないと、それは甘やかすことになります。
それこそ父(=神様)に逆らう子になるので懲らしめるのです。
イスラエルの民たちが神様に逆らった時は、異邦人よりもひどい目に遭いました。


神様の裁きの時は、神の家から始めると語りました。まずは毒麦とヤギを取り除いて、そこから聖めます。

聖書の言葉は、信じる者にも信じない者にも同じく当てはまるのです。

神様は真理の言葉で私たちを正しく裁く方であり、そこで違反している者に対しては(神様が)同じようになさいます。
ですから、免れることがないです。

神様は 苦難がある時にはすぐに立ち返りなさいと語りました。
イスラエルの民を見て、自分の姿を見ることなのです。

私たちの内側が、神様が願うように いつも恵みを覚えて感謝し、神様の力に完全に頼り、そして神様が喜ばないことはしないことです。神様がおっしゃったことに喜んで仕えるならば、何一つ心配することがないです。


私たちは皆、足りない者で まだまだ失敗が多いですし、弱い者であり、知恵のない者であります。

ですから私たちは言葉を聞いて「神様、赦してください。恵みを忘れてしまいました。神様の力を信頼しませんでした。神様がこんなに良くしてくださったのに、私は自分勝手にそれに甘えて勝手な道を歩みました。主の声を無視しました。自分には災いが来ないと偉そうにしていました。赦してください。恵みを忘れません。神の力を忘れません。不義な者に対する神様の懲らしめも忘れません。」と悔い改めます。

これが今回の本文を通して神様が私たちに教えることであります。


耳のある者は聞きなさい、と私たちは主の前で本当に謙遜になる必要があるのです。
私たちは朝霧のように消え去っていく者であります。

今、平気でやっている小さなことによって 後で大きな代償を払わなければならない時が来たら、多分耐えられないと思います。
ですから私たちは、神様を 本当に恐れなければならないです。
神様という存在を軽く見てはいけないということであります。

受けた恵みに心から感謝して、この神様から絶対に離れないで信頼するならば、主は喜んでくださいます。


私たちが悔い改めをするのは、不義な者に対して神様の懲らしめがあるからなのです。

地上の小さなものばかりを頭の中に入れておいて、神様の存在を遠いところに投げ出して形式的な信仰生活をしているならば、後で 主の手の中で潰されます。

今回の言葉はしっかりと心に留めてください。これは忘れてはいけないことであります。
神様の道が一番安全であり、命の道、将来が保証される道であります。 .。゚+.(・∀・)゚+.゚

2013.10.27
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

アメリカ神学校で 神様の訓練がスタートしたヒョノちゃんのブログです。
ヒョノのブログ

毎週日曜日の八戸ノ里キリスト教会のご馳走です!
主の食卓のブログ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

livedoor プロフィール
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

(^^) からし種 に投票してね
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ