からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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不従順

重荷と十字架

テーマは 『 重荷と十字架 』 です

【マタイの福音書11章28-30節】

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。

わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」


本文でイエス様が招く人たちがいました。


疲れた人、重荷を負っている人たちです。

他の所ではなく、私の所に来なさいと言われました。


疲れた人たちはストレスをいっぱい抱えている人たちです。


疲れても休むことが出来ない人たちを憐れんで招きました。

重荷を負っている人たちは来て、重荷を下ろすように言われました。



イエス様は甘いことばで人を騙す方ではないです。

イエス様はやさしい方であり、真実な方ですから、主のことば通りに 主の所に来て、重荷を下ろすならば、問題を解決し 助けて下さいます。




私たちは主のことばに耳を傾けないといけないです。


イエス様は私たちに下ろすべきものと負うべきものを教えて下さったのに、いつも人間は反対のことをするので使命を果たすことも出来ず、疲れ果てた人生になります。


イエス様が負うように言われたものがあります。



【マタイの福音書16章24節】

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。


主が負わせる自分の十字架は負わないといけないです。


しかし人間は言うことを聞かないです。

下ろすべき重荷は必死に抱えているし、負うべき自分の十字架は下ろして負わないです。


両方のことばに対して不従順です。

不従順しながら「助けて下さい」と祈ってばかりです。



主が答えることが出来ないようにしておきながら、答えを待っています。

矛盾していると思います。




主のことばと反対のことをやっているのに、そのことになかなか気付かないです。


重荷とストレスをずっと下ろさず抱えていると、霊、心、肉体すべてに悪い影響が生じます。

重荷につぶされてしまいます。






負うべき十字架とは?




負うべき十字架はどうですか?


苦しいことは何でも十字架だと思ってはいけないです。

自分の間違いや罪で受ける苦しみは当然受けるべきものです。


それは十字架とは関係がないです。



十字架とは 自分の過ちではなく、他人の過ちの代償を代わりに受ける “義なる犠牲” です。


何でもかんでも主の十字架を負って苦しんでいると言うのは、自分の罪を逃れるための言い訳に過ぎません。




イエス様が義なる犠牲の十字架を負ったので、聖徒たちも義なる十字架を負ってイエス様に従うことです。


主の後について行くのが、御心なのに、十字架を負いたくないので、それは簡単に下ろします。

重荷を下ろしなさいと言われているのに、頑なに拒否して、いつまでも重荷を手放さないで抱え込んで悩んでいる人が大勢います。



なぜ従わないでしょうか?

重荷に下ろすために次のことばも助けになります。



【マタイの福音書6章34節】

だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。


数十年先まで心配して重荷を抱えている人がいっぱいいます。

それは愚かな生き方です。


明日何が起こるか分からないです。

トルコで起きた地震を見ても明日は分からないです。



日々重荷を主の前に下ろして、主からの十字架を負うことです。

主が与える十字架は負いやすく、軽いと言われました。


正しく主のことばを理解して、重荷をおろして、主の十字架を負う時にたましいにやすらぎが来ます。

主のことば通りにやってみて下さい。


アーメン (・∀・)つ


2023.2.12
聖日礼拝メッセージ

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ヨシヤの徹底的な信仰と熱心

テーマは 『 ヨシヤの徹底的な信仰と熱心 』 です

【第2列王記23章25節】

ヨシヤのように心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてモーセのすべての律法に従って、主に立ち返った王は、彼の先にはいなかった。彼の後にも彼のような者は、ひとりも起こらなかった。


ヨシヤは八歳で王となり、三十一年間 王でありました。


三十九年の短い生涯になりましたが、神が喜ぶ信仰と神が喜ぶ働きをした王でした。

ダビデの道を歩み、右にも左にもそれませんでした。


堕落したユダに信仰のリバイバルを起こし、未来に希望を与えました。


今の時代こそ、このような指導者が必要だと思います。

ヨシヤ王がどんな人物で どんなことをしたのかを通して 私たちも学ぶことが多いです。


私たちは、信仰ある人から常に学ぶことによって成長することが出来ます。





律法のことばを恐れ、律法に従った指導者でした




ヨシヤ王の指示で、汚された主の宮が修理され きよめられましたが、その過程で律法の書が見つかりました。


王は律法の書のことばを聞いた時、ユダの罪があまりにも重く、神の怒りを避けることが出来ないと悟りました。

律法には罪に対する神の怒りと呪いが書かれてあるからです。



王は自分の衣を引き裂いて悔い改めました。

そして民をみんな集めて律法に書かれていることばを聞かせました。


ユダの民に神の前で罪を悔い改め、みことばを守ることを要求しました。

その時のことばです。


【第2列王記22章13節】

「行って、この見つかった書物のことばについて、私のため、民のため、ユダ全体のために、主のみこころを求めなさい。私たちの先祖が、この書物のことばに聞き従わず、すべて私たちについてしるされているとおりに行わなかったため、私たちに向かって燃え上がった主の憤りは激しいから。」


信仰回復の一歩は、みことばを聞くことと悔い改めて みことばに立ち返ることです。





偶像と異邦の風習を取り除きました




国の隅々に 偶像のものと風習が溢れていたのを取り除き、きよめました。


【第2歴代誌34章3-7節】

彼の治世の第八年に、彼はまだ若かったが、その先祖ダビデの神に求め始め、第十二年に、ユダとエルサレムをきよめ始めて、高き所、アシェラ像、刻んだ像、および、鋳物の像を除いた。

人々は彼の面前で、バアルの祭壇を取りこわした。彼は、その上にあった香の台を切り倒し、アシェラ像と刻んだ像と鋳物の像を打ちこわし、粉々に砕いて、これらのいけにえをささげた者たちの墓の上にまき散らした。

彼は、祭司たちの骨を彼らの祭壇の上で焼いて、ユダとエルサレムをきよめた。

彼は、マナセ、エフライム、シメオン、さらにはナフタリの町々でも、至る所で、彼らの剣を用いて同様にした。

イスラエルの全地で、祭壇を取りこわし、アシェラ像と刻んだ像を粉々に砕き、すべての香の台を切り倒してから、彼はエルサレムに帰った。


このことは神の預言の成就でもありました。


【第1列王記13章1-2節】

ひとりの神の人が、主の命令によって、ユダからベテルにやって来た。ちょうどそのとき、ヤロブアムは香をたくために祭壇のそばに立っていた。

すると、この人は、主の命令によって祭壇に向かい、これに呼ばわって言った。「祭壇よ。祭壇よ。主はこう仰せられる。『見よ。ひとりの男の子がダビデの家に生まれる。その名はヨシヤ。彼は、おまえの上で香をたく高き所の祭司たちをいけにえとしておまえの上にささげ、人の骨がおまえの上で焼かれる。』」




患難から救いを受けました




ユダはヨシヤ王の宗教改革にもかかわらず、既にたくさん積まれた罪によって神の怒りから逃れることが出来ませんでした。


神様は女預言者フルダを通して ユダに臨む患難を預言しました。


しかしヨシヤ王に対しては、あわれみを施すことを預言しました。


ユダに災いが臨む前にいのちを取って、悲惨な日を目撃しなくて良いようにしました。

預言者がヨシヤ王に伝えた主のことばです。


【第2列王記22章18-20節】

主のみこころを求めるために、あなたがたを遣わしたユダの王には、こう言わなければなりません。『あなたが聞いたことばについて、イスラエルの神、主は、こう仰せられます。

あなたが、この場所とその住民について、これは恐怖となり、のろいとなると、わたしが言ったのを聞いたとき、あなたは心を痛め、主の前にへりくだり、自分の衣を裂き、わたしの前で泣いたので、わたしもまた、あなたの願いを聞き入れる。──主の御告げです──

それゆえ、見よ、わたしは、あなたを先祖たちのもとに集めよう。あなたは安らかに自分の墓に集められる。それで、あなたは自分の目で、わたしがこの場所にもたらすすべてのわざわいを見ることがない。』」彼らはそれを王に報告した。


このように 時には死も神様の恵みであることが分かります。

ヨシヤ王はエジプトと戦った時、メギドで戦死しましたが、恵みの死であることが分かります。



このように神様は、神のことばに従って歩む者にはひどい患難に会わないように守って下さる方です。


神のことばに従順するか不従順するかによって、祝福と呪いが来ることは永遠に変わらない真理です。


キリストの福音に従うか従わないかによっても いのちと死が決定されます。


アーメン (・∀・)つ


2022.11.13
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信じて従順すると奇跡が起こる

テーマは 『 信じて従順すると奇跡が起こる 』 です

【ヨハネの福音書4章46-54節】

イエスは再びガリラヤのカナに行かれた。そこは、かつて水をぶどう酒にされた所である。さて、カペナウムに病気の息子がいる王室の役人がいた。

この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞いて、イエスのところへ行き、下って来て息子をいやしてくださるように願った。息子が死にかかっていたからである。

そこで、イエスは彼に言われた。「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。」

その王室の役人はイエスに言った。「主よ。どうか私の子どもが死なないうちに下って来てください。」

イエスは彼に言われた。「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。」その人はイエスが言われたことばを信じて、帰途についた。

彼が下って行く途中、そのしもべたちが彼に出会って、彼の息子が直ったことを告げた。

そこで子どもがよくなった時刻を彼らに尋ねると、「きのう、第七時に熱がひきました」と言った。

それで父親は、イエスが「あなたの息子は直っている」と言われた時刻と同じであることを知った。そして彼自身と彼の家の者がみな信じた。

イエスはユダヤを去ってガリラヤに入られてから、またこのことを第二のしるしとして行われたのである。


聖書の中には奇跡がたくさんあります。

自然界に起こった奇跡もあれば、個人に起こった奇跡もたくさんあります。


奇跡を通して、神の存在をさらに信じることが出来ます。


奇跡がどのように起こったのかを調べると、神様のことばに従順した時に奇跡が起こりました。

どの時代も、神様は従順する人を通して、ご自分の力を現し、神の約束を成就していきます。



アダムの子孫である人間は生まれながら不従順の子らです。


アダムとエバの堕落の原因は、殺人でも姦淫でも盗みや麻薬の罪でもないです。

彼らの堕落は 神のことばへの不従順が原因です。


アダムとエバがエデンの園で、いつも神のことばに従順していたならば、美しくて完璧な園から追い出されることはなかったです。

悪魔が彼らに近づいて不従順の罪の種を蒔こうとして成功しました。


その種が蒔かれた後に、二人は神のことばに不従順しました。

その不従順の種は、それ以降すべての人間の中にも存在します。



不従順の人が従順の人に変わるためには、不従順の種を捨てて、神からの従順の種を蒔かないといけないです。


神様を信じることは、神のことばに従順することを意味します。

創世記5章に出てくるエノクの姿です。


【創世記5章24節】

エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。


神と共に歩んだことは、神のことばに従順する人生を歩んだことを意味します。

彼に起こった奇跡は 肉体の死を経験することなく、生きたまま天に移されたことです。


ノアの時代も、みんなは神のことばに従わず、自分の思いのままに生きて堕落しましたが、ノアは神のことばに従順しました。

ですから大洪水でみんなが滅ぼされた時に、ノアは救い出されました。








従順するためには 『私の思いでは―』 が変わらないといけないです。

“私の思い” を捨てて、神のことばを受け入れ、従う時に奇跡が起こります。


本文に出て来る役人も自分の思いがありました。


『どうか、私の子どもが死なないうちに下って来てください。』
しかし主は彼の思い通りに下って行ったのではなく、『帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。』と言われました。


彼はそのことばを信じて帰りました。

すると主のことばがあった同じ時間に、自分の息子の病気は直りました。



奇跡は主がなさることです。

主は信仰ある人に奇跡を起こします。


信仰は神のことばに従うことです。

神を信頼する信仰ある人が、神のことばに従順します。



次のことばをそのまま読んでみて下さい。


【ヘブル11章6節】

信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。


次は「信仰」の所に「従順」を入れて読んでみて下さい。


信仰は従順、不信仰は不従順です。

従順する信仰は、神の権威に従順します。


信じて従順するならば奇跡が起こります。

信じて従順すると祝福があります。


「しるしと不思議を見てから信じる信仰」から、「神のことばを聞いて信じ従う信仰」に変えないといけないです。


神の約束のことばを聞いて、それに自分のすべてを懸けるので奇跡が起こります。


アーメン (*´∇`*)


2022.8.14
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毅然とした信仰と勇気ある態度

テーマは 『 毅然とした信仰と勇気ある態度 』 です

【ダニエル書3章13-18節】

そこでネブカデネザルは怒りたけり、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを連れて来いと命じた。それでこの人たちは王の前に連れて来られた。

ネブカデネザルは彼らに言った。「シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ。あなたがたは私の神々に仕えず、また私が立てた金の像を拝みもしないというが、ほんとうか。

もしあなたがたが、角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞くときに、ひれ伏して、私が造った像を拝むなら、それでよし。しかし、もし拝まないなら、あなたがたはただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。どの神が、私の手からあなたがたを救い出せよう。」

シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはネブカデネザル王に言った。「私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。

もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。

しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」


死の前で人間は一番弱くなります。

避けて通ることが出来ないし、命は一つしかないからです。


ですから人間は自分のいのちのためには取引にも応じます。

もちろん例外の人たちもいますが、多くの人たちは自分のいのちのために何でもします。


ここでの命は私たちの肉体のいのちです。


本文に出て来る3人は、王によって決断を迫られました。

王が造った金の像を拝んで自分のいのちを守るか、拝まないで火の燃える炉の中に入るかの選択を その場でしなければなりませんでした。


目の前に燃える火が見えます。



彼らはすでに自分たちの意思を表しましたが、それを聞いて王は怒りに燃えて、わざわざ彼らを連れて来るように命じ、もう一度彼らに決断を迫りました。


3人にとっては生きるチャンスも与えられてありました。

金の像に拝めば何も問題はなかったのです。


しかし3人はそれを拒んで死ぬ道を選びました。



こういう状況の中で、あなたならば どちらの選択をしますか?


神の選民である多くのユダヤ人は 死にたくないので神の命令を無視して、王の命令に従いました。

3人だけが残りました。


王は彼らが自分の前ならば恐れて、命令に従うと思ったかも知れないです。


しかし王は彼らの心を変えることが出来ませんでした。



彼らはまったく恐れることなく 反対に王に対して、『私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。』と、はっきりと言いました。


『これは私たちと神の間の問題であって、あなたが相手ではありません。』という意味もあると思います。








神の命令に従うか、人間の命令に従うかの信仰の問題です。


こういうことは私たちの普段の生活の中にもあります。

些細なことから大きなことまで色々あります。


3人はすでに生活の中でも、神の命令に従うことを第一にしていました。


【ダニエル書1章8節】

ダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願った。


この時、ダニエルと3人の友は同じ決心をして、自分の身が汚れないようにしました。


自分たちが戦争に負けて捕虜の身になりましたが、心まで相手の奴隷にはならなかったです。


どこにいても神の選民であることを忘れず、神の命令に従いました。

本物の信仰を彼らは持っていました。



ですから神への信仰を守るために、自分のいのちを惜しまずにささげることに戸惑いはありませんでした。


『どうしたらいいですか』と神に祈りもしませんでした。

神の命令に背くことはしないと決めていたからです。


彼らは永遠のいのちも、命の主人は神であることを知っていました。



状況によって変わる信仰は、信仰ではないです。


信仰は それを貫く時に価値があります。



三人は普段より七倍も強くした火の燃える炉の中に投げ込まれましたが、彼らの毅然とした信仰と勇気を見た神は、彼らを守って髪の毛一本も燃えることがないようにしました。

このことが王にショックを与え、王はイスラエルの神に栄光をささげました。


後にダニエルも祈りを禁じた法令が新しくできたことを知っても、いつものように日に三度祈ったことで獅子の穴に投げ込まれましたが、そこでも神は彼を守って下さいました。



信仰に戦いを挑むものはいつもあります。


自分でいのちも生活も守ろうとするならば、簡単に妥協の道を選びます。


一瞬悩むとは思いますが、都合の良い言い訳を見つけては神の命令に背きます。

妥協することは信仰を守る態度ではないです。



信仰には妥協がないので、3人はいのちを懸けました。


毅然とした信仰と勇気ある人たちが使うことばは いつも信仰のことば、肯定的なことば、大胆なことば、感謝のことばです。


普段からもある程度、使うことばによって信仰があるかないかの分別が出来ます。

信仰ある人の生活スタイルは次の聖句にある生活です。


【第1テサロニケ5章16-18節】

いつも喜んでいなさい。

絶えず祈りなさい。

すべての事について、感謝しなさい。


さらに しっかりした基準も持っています。

神を喜ばせることと、神のことばに従うことを優先にします。


ですから 彼らの信仰には迷い、疑い、恐れ、不従順がありません。

神の目はいつもこのような人たちを見ています。


そして神の御手の中で守って下さり、天国は彼らのために用意されてあります。



妥協するようにと誘惑するものが今の時代たくさんあります。

目を覚まして正しく分別して信仰を守りましょう。


アーメン (。・ω・)ノ゙


2022.2.6
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善悪の知識の木といのちの木

テーマは 『 善悪の知識の木といのちの木 』 です

【創世記2章9節】

神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木を生えさせた。


エデンの園はパラダイスです。

最高に快適な環境です。


人間を愛した神は、人間に配慮して最高の環境を与えました。

最高に住みやすい場所がエデンの園でした。


しかし そこにずっと住みたいならば、1つの条件がありました。

それは、“園の中央にある善悪の知識の木から取って食べてはならない” ことでした。


【創世記2章16-17節】

神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。

しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」


神は、人間が自分の考えや思いで善悪を判断することを願いませんでした。

善悪の判断は神の領域だからです。


神が善悪の判断をするので、人間の善悪の判断はエデンの園には要らなかったです。


ある人たちは、人間が罪を犯したのは神のせいだと言います。

「善悪の知識の木がなかったならば 罪も死もなかったのに、そんなものをわざわざ作った神が悪い」と言います。


しかし、これはとんでもない言葉です。



罪は、善悪の知識の木によって始まったのではないです。

善悪の知識の木に対する神のことばに、人間が不従順したからです。


善悪の知識の木は、神が人間を試みるためではありませんでした。


人間に与えられた多くの自由の中で、たった1つの禁止命令に従うならば、永遠にパラダイスで神と共に祝福と平安の中で暮らすことが出来ました。



しかし人間は蛇の誘惑を受けて、欲を抑えることが出来ず、結局自分の決断で善悪の知識の木から取って食べました。


神がすでに「それを取って食べると必ず死ぬ」と強調したので、人間はそれを十分知っていながらも従いませんでした。


善悪の知識の木の実を食べたのは、人間の選択でした。

ですから不従順の罪の責任は、神ではなく、人間にあります。






罪を犯した人間を、神はエデンの園から追い出しました。

エデンの園に住む資格を彼らは罪によって失いました。


エデンの園を追い出された人間を待っていたのは、苦労と呪いと死でした。



また、それから人間は 神からではない人間の善悪の知識を土台にして すべてを考えるようになりました。


自分たちで倫理、道徳、宗教などを作りました。

善ならば祝福、悪ならば罰という救いの基準も作りました。


しかし、知らなければならないのは、どんなに善悪の基準を決めて行動しても、そこに無いのは “いのち” です。

何をしても結局 最後は死です。



神が与える命がないならば、どんなに良いことをしても滅びの対象にしかならないです。


良いことに対しても、それは神の基準ではなく、自分の基準だからです。


もしパラダイスに住みたいならば、善悪の知識の木から取って食べてはならないです。

それは今も同じです。


エデンの園には、いのちの木もありました。



命がほしい人は命の木から取って食べなければなりません。
そのいのちとは “イエス・キリストのいのち” です。


それを食べないと命はないです。


【ヨハネの福音書10章28節】

わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。


イエス・キリストは、自分のいのちを与えるためにこの世に来ました。

信じる者たちに、いのちを与えると約束しました。


イエス様のいのちに、人間の善悪の知識が入る余地はないです。

いのちの木には命の実しかならないです。






神は、2つの道が私たちの前にあることを教えました。

死の道といのちの道です。


死の道は、善悪の知識の木の実を食べながら生きる道です。


いのちの道は、神の口から出るいのちのことばによって生きる道です。


【マタイの福音書7章13-14節】

狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。

いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。


神のことばには関心もなく、自分の思いや考えで生きる人がほとんどです。


死に至らせる善悪の知識の木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするものに見えるので取って食べやすいです。

しかし、そこにいのちはありません。



神のみことばは、私たちを命の道に導くことばです。

それに従う時に死の道から離れることが出来ます。


【ヨハネの黙示録2章7節】

耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」』


【ヨハネの黙示録22章14節】

自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都に入れるようになる者は、幸いである。

アーメン v( ̄∇ ̄)v


2021.5.30
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バベル塔を建てる人々

テーマは 『 バベル塔を建てる人々 』 です

【創世記10章8-10節】

クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の権力者となった。

彼は主のおかげで、力ある猟師になったので、「主のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ」と言われるようになった。

彼の王国の初めは、バベル、エレク、アカデであって、みな、シヌアルの地にあった。

ニムロデは地上で最初の勇士であり、力ある狩人であり、また王でもありました。

その時代においても恵まれた人でした。


しかし主から受けた恵み、力、祝福で、彼は何をしたでしょうか?


彼はバベル塔を建てました。

彼に加担する者も多かったです。


しかし、それは主に喜ばれることではなく、反対に主に逆らう事でした。


それはバベル塔を建てる目的が、主の御心に反することでしたからです。

「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」



神のみこころは「生めよ。増えよ。地に満ちよ。」でした。


神を敬い、神のことば通りに生きることを願っていましたが、人間は自分たちの力に頼って、自分たちの為に 高い塔を建て、自分たちの名をあげ、地の全面に散らされないようにしました。


神の恵みを忘れ、神に不従順し、神のようになろうとしました。

人間の邪悪な心は、ノアの洪水の後でもまったく変わりませんでした。


神は彼らが建てた塔を見て、彼らを散らし、彼らの思い通りにはさせませんでした。



世界は変わっても変わらないのは人間です。

そして人間は、あの時代よりも さらに悪くなりました。


人口も増え、知識も昔とは比べられないほど増してきましたし、科学も驚くほど発展しました。


しかし人間は昔よりも悪くなりました。

人間の高慢と悪は、今もバベル塔を建てるために熱心です。


皆ではなく、ニムロデのように権力、財力、力を持っている一握りの人たちが 自分たちの世界を造ろうとしています。

人々を支配し、神が造った世界と秩序を 自分たちの好みの世界に変えようとしています。



今に始まったことではないですが、コロナによって彼らが望む方向に急速に進むようになりました。


ニムロデのような存在が誰であるのかも明らかにされてきました。

恐ろしいことを企んでいる彼らは神に逆らう者たちですが、サタンには忠実な者たちです。


666の預言も目の前に来ました。

反キリストは すでに働いているかも知れないです。


携挙も世の終末も同時に近づいて来ました。



地上で自分たちの王国を造ろうとする人たちのことを、神はしっかりと見ています。


彼らにあるのは厳しい神のさばきです。

それに加担する者も同じです。


神を恐れ、信仰を守るために目を覚ましていないと、力ある者たちが造る世界で 彼らの支配を受けなければならないし、神からは裁きを受けるようになります。


闇の力に覆われないためには光の主の中に生きていないといけないです。



彼らからの迫害に耐えるには普通の生活や心では出来ないです。


神に身を避け、神の守りをもらう人だけがいのちを得ると思います。


目まぐるしく色んなものが進んでいます。

見逃してはいけないと思います。


目を覚まし時代を悟るためです。


アーメン Σ(゚д゚;)


2021.1.10
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アブラハムから学ぶ従順する信仰

テーマは 『 アブラハムから学ぶ従順する信仰 』 です

【創世記22章1-14節】

これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に、「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は、「はい。ここにおります」と答えた。

神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」

翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、ふたりの若い者と息子イサクとをいっしょに連れて行った。彼は全焼のいけにえのためのたきぎを割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ出かけて行った。

三日目に、アブラハムが目を上げると、その場所がはるかかなたに見えた。

それでアブラハムは若い者たちに、「あなたがたは、ろばといっしょに、ここに残っていなさい。私と子どもとはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻って来る」と言った。

アブラハムは全焼のいけにえのためのたきぎを取り、それをその子イサクに負わせ、火と刀とを自分の手に取り、ふたりはいっしょに進んで行った。

イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」すると彼は、「何だ。イサク」と答えた。イサクは尋ねた。「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」

アブラハムは答えた。「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」こうしてふたりはいっしょに歩き続けた。

ふたりは神がアブラハムに告げられた場所に着き、アブラハムはその所に祭壇を築いた。そうしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置いた。

アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした。

そのとき、主の使いが天から彼を呼び、「アブラハム。アブラハム」と仰せられた。彼は答えた。「はい。ここにおります。」

御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」

アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。

そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「主の山の上には備えがある」と言い伝えられている。

私たちが直面する多くの問題の原因になるのは、神に対する不従順の罪です。


神のことばに素直に従えば発生しなかった問題のほとんどが、神に従わなかったことが原因で発生します。

今まであった問題や苦難には、自分や家族の誰かの不従順の罪があったことを否定出来ません。



ですから問題の解決を願うならば、不従順の罪を悔い改めて 心を入れ替え、従順する人にならなければなりません。


アブラハムは 私たちに従順の模範を見せてくれた “信仰の人” です。

従順とは何かを見せてくれました。



創世記22章は、アブラハムにとっては人生最大の試練の時でした。

とんでもない大きな問題が降りかかって来ました。

それも、神から直接来た試練なので、神に助けを求めるわけにもいかなかったです。


神にも相談出来ないからといって、人間に相談しても解決するわけがないです。


このような大変な試練をどのように乗り越えたのかを見ると、そこにあるのは “神への従順” でした。




神のことばに対して 一切つぶやかず従順したアブラハム




アブラハムが神から受けた命令は、到底 理解も納得も出来ない命令でした。


「自分の子を全焼のいけにえとしてささげなさい」 と命令されたら、私たちはどうしますか?


まずは自分の耳を疑い、神ではなくサタンからだと思うでしょう。

「神がそんなことを言うはずがない」と思うのが当然ではないでしょうか。


そこから様々な思いが巡り、それを神にぶつけるのが普段の私たちのやり方です。



しかしアブラハムは違いました。

私たちは自分の思いと神の思いが違う時には、いつも不従順の道を選びます。

不従順の習慣が根強く残っているからです。


しかしこの時のアブラハムの辞書には、“不従順” という文字がなかったと思われます。

一言も言わず、彼は従順しました。


信仰の土台は神のことばです。


そして生きた信仰は、みことばへの従順です。

神のことばに有無を言わなかったのがアブラハムでした。




従順の実践が早かったアブラハム




アブラハムは神の命令があった翌朝、すべての準備をしてイサクを連れて、神が示す所に出かけて行きました。


アブラハムが感情もない石のような心の持ち主でしょうか?

また、息子を愛さないお父さんでしょうか?



アブラハムにとってイサクは愛してやまない存在でした。

また神の約束の子で、100歳の時に生まれた かけがえのない存在です。


神の命令に従うにしても、神に「しばらく息子と過ごす時間を下さい」とお願いするのが平凡な人たちの願いだと思いますが、アブラハムには そういうことがなかったです。


命令にはすぐに従うと思っていたのでしょう。

そして息子と共に時間を過ごしたら、きっと神に従うことは出来なくなると思ったでしょう。



従順を遅らせると、必ず誘惑するものが近づいてきて誘惑します。

サタンはいつもチャンスを狙って近づきます。


私たちが迷う時、モタモタしている時に、甘いことばを持ち込んできて、従順出来ないように邪魔をします。


これに引っかかる人が実に多いです。

アブラハムは惑わされないために、また不従順を警戒して すぐに実行に移したと思います。



従順は後回しせず、すぐに実践することです。


「神様を信じなさい」と言っても、「いつか信じます」と言う人は なかなか信じません。


しかし決断する人は、その時から信仰が芽生えてきます。

従順は早ければ早いほどしやすいです。


遅れれば遅れるほど 従順出来なくなります。



怠け者で不従順が身についているならば、その命令さえも忘れてしまいます。

行いが伴わない信仰は “死んだ信仰” です。

死んだ信仰がその人を救いますか?


すぐ従う人に神の祝福があります。




アブラハムは盲目的に従順したのではなく、疑わず確信をもって従順しました




この信仰はこの出来事の前からアブラハムにありました。

100歳の時に子どもが生まれると聞いた時、アブラハムが見せた信仰です。


【ローマ4章20-21節】

彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、

神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。

そしてその信仰通り 100歳の時に、息子イサクが生まれました。

そして、「その息子をささげなさい」と言われた時にも、アブラハムには別の信仰の確信がありました。


それは、“神には神の良い考えがある” と疑わずに確信していました。



イサクが「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」

と聞かれた時に「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」と答えました。


人間的には、アブラハムは息子を全焼のいけにえにしなければならない現実が苦しくて心を引き裂かれる思いがあったと思います。


しかし、そのことよりも上に置いたのが神への従順、神への愛、神への信頼でした。



偉大な信仰は、平凡な生活の中で生まれるものではないです。


激しい試練の中で、神を疑わず信じて行動する時に生まれるものです。


偉大な信仰は、誘惑に勝利した信仰です。

神のことばを守り抜いた信仰です。


このような信仰を見て、神は共にいて下さり祝福を与えます。



従順したアブラハムに神がかけた言葉は,本当に祝福の言葉でした。


【創世記22章16-18節】

わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、

わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。

あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」


不従順の罪を捨てて、アブラハムの従順の信仰を学びましょう。
アーメン v( ̄∇ ̄)v


2018.12.2
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神が忌み嫌うことをしてはならない

テーマは 『 神が忌み嫌うことをしてはならない 』 です

【詩篇95編10-11節】

わたしは四十年の間、その世代の者たちを忌みきらい、そして言った。「彼らは、心の迷っている民だ。彼らは、わたしの道を知ってはいない」と。

それゆえ、わたしは怒って誓った。「確かに彼らは、わたしの安息に、入れない」と。

この話を、昔のイスラエルの民の話として聞くのではなく、今の自分たちに語る 主のことば として聞いてほしいです。


聖書に書かれていることばは、どの時代にも神を信じる人たちに語る主のことばです。

もちろん今回のことばも、その意味で 私たちに語る主のことばです。


聖書には「主を恐れなさい」ということばが たくさん書かれてあります。

主を恐れることは “主を愛すること、主に従うこと、主に栄光をささげる” ことです。


ですから当然、主が忌みきらうことを聖徒たちはしてはならないです。



民に安息を与えると約束して40年間も導いた主が、「安息に入らせない」と なぜ言ったでしょうか。

それは40年間の彼らの行動が原因でした。


彼らは主を恐れたのではなく、いつも主が忌み嫌うことだけをして 主を怒らせたからです。


嫌がらせをすると関係は必ず壊れます。

嫌がらせを受けると相手に対して怒りの感情が出て来ます。


ましてや神に対して嫌がることをしたら、どうなるでしょうか?

その結果は安息に入れなかったことでした。

恐ろしい実を刈り取りました。


そういう目に会わないために、私たちのどんな行動が神に嫌われるのかを学びたいと思います。




神に対しての偽善的な態度と不従順




偽善的な態度は、神を欺く態度です。

うわべだけを良くする信仰生活、口先だけの愛と従順、信仰告白などは主が忌み嫌います。


“主のため” と言いながら、自分の欲を満たしている者たちを 主は見抜いています。


主が願うことは 主のことば通りにすることなのに、従うフリだけをして実際は不従順である姿を忌み嫌います。




この世と妥協すること




【ローマ12章2節】

この世と調子を合わせてはいけません。

真理を曲げて、この世の流れに調子を合わせて妥協することを主は忌み嫌います。


同性愛は主が忌み嫌う事なのに、それを時代が認めるからと言って、それに合わせて妥協するならば、主はその人を忌み嫌います。

主よりもこの世を優先するからです。


闇の勢力と悪人を、愛で覆うような愚かなこともしてはいけないです。

彼らは敵であり、闇の勢力です。


自分には力がないからと言って 世の力と妥協することは、主が嫌う行動です。


主に頼ってみことばの上に堅く立たないといけないです。




神を疑う行為




「祈ったのに答えられなかった」と言って、神の存在や神の力を疑う人がいますが、神は疑う行為を忌み嫌います。


私たちは神の奇跡や神の全知全能なる力を疑ってはいけないです。


神がすでに行ったことを覚えながら、神に頼らなければなりません。



神は 疑う人にこのように厳しいことばを語りました。


【ヤコブ1章6-7節】

ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。

そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。

すなわち疑う人には何もあげないと宣言しました。




聖霊を悲しませる行動




【エペソ4章30節】

神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。

聖徒たちがどのようなことをしたら聖霊が悲しむでしょうか?



聖霊は聖なる方ですから、聖徒たちが汚れたことばや行動、そしてあらゆる罪を犯す姿を見た時に悲しみます。


聖徒たちは罪の行動で聖霊を悲しませる者ではなく、良いことをして聖霊を喜ばせなければならないです。


神から、言葉では言い表せないほどの恵みを受けた聖徒が、その恵みと愛を忘れて神が忌み嫌うことを行うならば、
それは自分の救いをないがしろにすることであり、神に敵対する行為なので永遠の安息を失うことになります。

アーメン (・∀・)


2018.8.26
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実を結ばない者にならないために

テーマは 『 実を結ばない者にならないために 』 です

【テトス3章14節】

私たち一同も、なくてならないもののために、正しい仕事に励むように教えられなければなりません。それは、実を結ばない者にならないためです。

神様が私たちの罪を赦して下さったのも たましいを救って下さったのも、私たちが良い実を結んで神に栄光をささげる者にするためです。


もちろん私たち自身も良い実を結ぶことで神にほめられ、神様から素晴らしい報いを受けます。


神様は私たちがどんなにきれいごとを言っても、へつらいのことばを使っても、それに惑わされる方ではなく、私たちが結んだ実を見て、私たちが何者なのかを評価します。


主から恵みを受けながらも、良い実を結んでいない人に対しては、厳しいさばきしかないので注意しなければなりません。


テトス3章では、実を結ばない者にならないためにはどうすべきかを教えています。




従順する者になる




救われていない時は 神が期待するような実はありませんでした。

その時の状態が悪かったからです。


【テトス3章3節】

私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快楽の奴隷になり、悪意とねたみの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎しみ合う者でした。

良い実を結ぶことが到底出来ない状態でした。


ですから実を結ぶために、神のことばに従順する者になれば、自然と良い実、聖霊の実を結ぶことが出来ます。


以前の生き方を変えないならば、良い実を結ぶことは不可能です。




すべての良いわざを進んでする




良いわざに励むことを心がけるようにすることです。


【テトス3章1節】

あなたは彼らに注意を与えて、支配者たちと権威者たちに服従し、従順で、すべての良いわざを進んでする者とならせなさい。

【テトス3章8節】

これは信頼できることばですから、私は、あなたがこれらのことについて、確信をもって話すように願っています。それは、神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。これらのことは良いことであって、人々に有益なことです。

【テトス2章7節】

また、すべての点で自分自身が良いわざの模範となり

主は信じる者たちに対して次のように語りました。


【マタイの福音書5章13節、14節】

地の塩です。世界の光です

と言われました。

また、このようにも語っています。


【マタイの福音書5章16節】

あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

良いわざに励んだ模範的な人がいました。

その人はコルネリオという百人隊長です。


【使徒の働き10章2節】

彼は敬虔な人で、全家族とともに神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていたが、

【使徒の働き10章22節】 には “ユダヤ全国民に評判の良い人” と評価された人です。

神の目に留まった良いわざを行っていた人でした。


神はわざわざペテロを送って彼を祝福しました。

ユダヤ全国民に評判が良いとはすごいことです。




すべての人に優しい態度を示す者になる




【テトス3章2節】

また、だれをもそしらず、争わず、柔和で、すべての人に優しい態度を示す者とならせなさい。

残念ながら、私たちは まだまだこういう態度が足りないです。


古い人が出てくる時が多いし、優しく出来ない時も多いです。

ですから、努力して自分自身の態度を変えていかなければなりません。


心の中にある苦い根と雑草を取り除いて 心の畑を良い地にしない限り、良い実を結ぶことは出来ないと思います。




無益でむだなものを避けること




口数が多ければ多いほど、高慢であればあるほど、無益でむだなことに時間を使います。


聖書では無益な例をあげています。

『 愚かな議論、系図、口論、律法についての論争、空想話、悪口、噂話 』


これらのことを避けて、良いわざに励む時に 主が期待する実を結ぶことが出来ます。

アーメン v( ̄∇ ̄)v


2018.8.12
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謙遜の衣を着る

テーマは 『 謙遜の衣を着る 』 です

ハレルヤ。

主の御名をほめたたえます。


信仰告白をしてイエス様を信じて長い年月が過ぎたにも関わらず、人格も行動も変わっていない人の問題点は何でしょうか?


“自分は信仰がある”と言いますが、聖霊に逆らっている人が多いです。


最近、韓国で名の知れた牧師先生の目のあたりにアザが出来ていました。

その先生とは、私も大阪で一緒に食事をしたことがあります。

謙遜な先生で、貧民たちがいるところで教会を開拓し、彼らの世話をしていました。


そして、その教会がある程度大きくなった時に、他の先生を後任者にして自分はそこを去り、田舎の方で また開拓しました。


そして最近、教会の創立記念日が近付いたので、それに参加したい意思を伝えました。

そうしたら、そこの教会から何人かの信徒が訪ねてきました。


理由は“来てほしくない”と言うためでした。

彼らは牧師に対して誤解していました。


再び牧師として戻るのではないかと思って、それを止めたくて来た人たちでした。

その中のひとりの長老が帰り際に、いきなり牧師の顔を一発殴りました。

その長老は、18年前から一緒にいた信徒でした。


そして、その信徒たちは帰っていきました。

牧師は突然殴られたのでびっくりしました。


噂を聞いて、記者が訪ねてきて「その信徒を傷害罪で訴えますか?」と聞かれた時に、牧師は「そんなことはしない」と、はっきりと言いました。

信徒を訴えることは出来ません、赦します、と言いました。


相変わらず謙遜な先生でした。

その態度に安心しましたが、その先生を殴った長老に対して考えてみました。

牧師が何もしていないのに、暴力を振るったことが理解できませんでした。


しかし、聖書の中で答えを見つけました。

敬虔なステパノがユダヤ人たちに語ったことばで分かりました。


【使徒の働き7章51-54節】

かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人たち。あなたがたは、父祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。

あなたがたの父祖たちが迫害しなかった預言者がだれかあったでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって宣べた人たちを殺したが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。

あなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません。」

人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした。

すなわち、神の教えを聞き、世話をしてもらっても いつもその心が高慢で、心を頑なにしていると、うなじのこわいものになって 神のことばには不従順、聖霊には逆らいます。


心と耳に割礼を受けない者は、いつまで経っても人格も性格も態度も変わることがありません。


彼らに対して預言者はこのように言いました。


【エレミヤ書6章10節】

私はだれに語りかけ、だれをさとして、聞かせようか。見よ。彼らの耳は閉じたままで、聞くこともできない。見よ。主のことばは、彼らにとって、そしりとなる。彼らはそれを喜ばない。

私たちは、心と耳に割礼を受けて、神のことばを聞いたら 真理を悟って従順する人になりましょう。


そして謙遜の衣をいつも身にまとうようにしましょう。
(・◇・)ゞ

2016.1.16
3分テレフォンメッセージ

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