からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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不平不満

殉教する人々

テーマは 『 殉教する人々 』 です

【ローマ8章35節】

私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。

キリスト教の歴史は “血の歴史”とも言えます。

まずはイエス・キリストが十字架につけられて亡くなられました。

十二弟子のイスカリオテ・ユダはイエス様を売ってから自殺しましたが、ほかの弟子たちはヤコブが一番最初に殉教し、そのあと全員が殉教しました。

パウロも殉教し、初代教会やローマ時代は実に多くの信徒たちが殉教しました。


ローマ帝政時代は300年のキリスト教迫害がありました。
その期間、数えきれないほどの多くのクリスチャンたちが殺されました。日本ではどうだったでしょうか?

日本のキリシタン迫害が世界の中で最も厳しかったと言われています。

1597年に長崎二十六聖人の殉教事件が起こりました。若い人たちが信仰のために殉教しました。
彼らが殺された場所には、記念館が建てられています。

徳川幕府のキリシタン迫害は最も厳しい迫害と言われ、250年間も迫害があり、多くの信徒たちが殉教しました。豊臣秀吉も迫害者でした。


これらの時代を調べてみると、迫害者は信者に「殉教者の道」を選ばせず、棄教するまで監禁して拷問し続けるという策を取りました。

その理由は、迫害者たちがキリシタンを皆殺しにすることは たやすいことでしたが、迫害者たちは(彼らを)棄教させないと、たとえ皆殺しにしても 彼らを自分たちの意に従わせられなかったという侮辱を受けたことになり、自分たちの負けになってしまうので激しく拷問を加えました。


拷問の方法はさまざまでした。

①火炙り…生身の人間を焼き殺す方法です。柱に縛り、苦しみが長く続くようにしました。

②穴吊り…特に残忍だったと言われています。深さ2m、直径1mほどの穴のそばに吊り台を立て、信者を吊り台から穴の中に逆さ吊りをする方法で、穴の底には汚物を入れていました。


信者たちはそれ以外にも激しい拷問を受けましたが、彼らはそれに負けず キリストを裏切ることもなく、自分たちの信仰を守り通しました。


現代は迫害を受け、殉教する人はいないでしょうか?

残念ながら現代も殉教する人は多いです。


シリアとイラクではイスラム国によって多くのクリスチャンが既に殺されてしまいましたし、今も殺されています。首をはねられたり、十字架にかけられたり、石を投げられて死んだりと、とても多くの信者たちが殉教しました。


何年か前にインドでもクリスチャンの家が600棟壊されました。

その時は西側からイスラム教が入ってくることに危機感を感じたヒンドゥー教徒たちがキリスト教に対しても激しく反発し100名がその時に殉教しました。

私はその時の映像を見ましたが、とても残酷な映像でした。

3人のキリスト教信者が多くのヒンドゥー教徒たちに襲われている場面で、棒で激しく殴る者や、足で蹴ったり顔を踏みつけたりとやりたい放題でした。

そして3人のクリスチャンは血を流しながら死んでいきました。心がとても痛む映像でした。


これは2007年4月に、トルコで起こったことです。

聖書配布とC.C.Cの文書の働きをするキリスト教出版社に5名のムスリムが礼拝のために入ってきました。

彼らはイスラム過激派の一員で、20歳前後の若者たちでした。
3ヵ月前から宣教師たちと共に聖書の勉強をしたり、人々に聖書を配ったりもしました。

キリスト教に関心を見せながら接近してきましたが、実は数ヵ月前から殺害計画を立てていました。


彼らは突然入ってきて銃で脅し、宣教師や兄弟たちを椅子に縛り、「イエス・キリストを否定し、そしてアラーの神を唯一の最高の神として受け入れるよう強要しながらナイフで拷問し始めました。

銃とナイフ、ロープやタオルをすでに準備して来た彼らは兄弟たちを残虐に拷問しながら、それをスマホカメラで撮影しました。


1人の兄弟は99回、ドイツ人宣教師ティルマンは156回もナイフで刺されました。ウル兄弟が刺された回数は数えきれません。

彼らは兄弟たちの指を1本1本切り落とし、鼻や口、そして全身を切り裂き、お腹の中から腸を出して、ほかの兄弟たちが見ている前でバラバラにしました。

現地人のウルは32歳の独身、もう1人の現地人には奥さんと子ども2人がいました。

2人は「私は、私の民族に神のまことの愛を伝えながら死ぬ準備が出来ています。」と話していました。

トルコは1000年前はクリスチャンが多い国でした。
アジアの七つの教会もありました。しかし現在はキリスト教は0.3%、イスラム教が98%です。


ドイツ人宣教師ティルマンは46歳で子どもが3人いました。

幸せだった宣教師家族、そして殉教した兄弟たちが一番耐え難かったのは、自分の傍で愛する兄弟たちが苦しみながら死んでいく姿を見ることでした。

殉教した3人の兄弟は、3時間も激しい拷問を受けましたが、誰もイエス様を否んだ者はいませんでした。

最後には3人とも首が切られて亡くなりました。


しかし この事件後、アンカラTVに出演したティルマンの奥さんであるスザンナ宣教師は、『彼らを赦します。なぜなら彼らは自分たちが何をしたのか知らないからです。』と 公開的に彼らを赦しました。

現地人として殉教した兄弟(ネザティ)はいつも「私はムスリムとして生まれましたが、クリスチャンとして死にます。」と言っていました。

最初に韓国人宣教師から福音を聞いて信じたネザティ夫人は、次のように言いました。

“彼はキリストのために生きて、キリストのために死んだので彼の死は 意味ある死です。
私は彼と共に人生を歩んだだけでも栄光だと思っています。そして私はこの地上で栄光にふさわしい人生を生きたいと願っています。”


その後、イスタンブール広場には数百人の隠れていたトルコ人クリスチャンたちが「私たちもクリスチャンだ。私たちも殺しなさい。」と叫びながら集まってきました。

聖徒たちは公に露出されたことで標的にされる危険があるにも関わらず、大胆にネザティの葬儀の場で見守っていました。

予想通りにテロ防止課警察が来て、参加者ひとりひとりの顔を写真に収めました。


日曜日、教会の門には“次はあなたの番”という紙が貼られていましたが、誰も恐れませんでした。

現地の教会の指導者たちは記者会見で “今後、このような悲劇が起こらないことを願います。しかし殺すなら私たちは死ぬしかありません。私たちは信仰で殉教時代を越え、続けて前進していきます。”と霊的宣戦布告をしました。


韓国人の宣教師たちも共に集まって殉教の血が虚しくなることがないように、すでに遺書を書き 最初の殉教者を出したトルコ人クリスチャンたちが迫害に対抗するためではなく、聖徒たちの忍耐のために、そしてトルコの地の救いのために断食祈りをしました。






ルーマニアで14年間も独房の中で迫害を受けた「生きた殉教者」と呼ばれるRichard Wurmbrand牧師の話を聞くと、気が遠くなるような苦しい思いになります。

はたして自分はそのような状況で耐えられるだろうかと自信がなくなります。

14年間、太陽や月、星、花、雪も見たことがありません。本や紙、ペンがなく書くこともできませんでした。女性や子どもも見たことがありません。

ただ看守と拷問専門家だけを見ました。


拷問の方法も色々とありました。
午前5時~午後10時まで正座させられ壁に寄り掛かることも許されませんでした。

時には1日中、スピーカーから流れることばを聞かされました。
「共産主義は良いものだ……キリスト教は愚かだ……もうキリストは信じない……。」
(洗脳するために)繰り返しこの言葉だけが流れました。

時にはまったく音がなく、何も見えず沈黙だけがありました。

それでも彼はキリストを否むこともなく、ほかの信徒たちの名前を口に出したことはありませんでした。
14年間、地下教会の信徒の名前を言えと拷問され続けましたが、ひとりの名前も出しませんでした。


また、インドではクリスチャン一家が住む家が放火されました。

わざと彼らの命を狙っていました。
14才の女の子は身体がすでに半分は焼けて、助けに入ってきた人に 女の子はこのように言いました。

「私はいま やっと十字架の苦しみが少し分かりました。イエス様がどれほど私を愛したかを少しは分かるような気がします。」と。







私たちはここで考えたいことがあります。

彼らが信じるイエス様と、私たちが信じるイエス様は 違うイエス様でしょうか?


彼らの中には何があって あのように生き、私たちの中には何があって 小さなことにも妥協しながら生きるのか。


私たちはたくさんの物を持っていながらも辛いと言うし、あまりにも不平不満が多いです。
さらに私たちはもっともっと欲しいと言います。


しかし、神様は言いました。
たくさん持っているものには多くのものを要求すると、私たちはメッセージをたくさん聞いていますし、本を読み情報を得ているので たくさん持っている者です。

しかし殉教している多くの人を見ると、彼らには多くの知識や賜物があるのではありません。


彼らは「イエスだけが唯一の救い主だ。」という、この事実だけに彼らは命をかけます。

「イエス・キリストの中に救いがある。主はキリストだ。」 この1つのことを 繰りかえし噛みしめながら信仰を守り通しています。


このように生きている人たちがはっきりと告白することばが、今回読んだローマ8章35節のことばです。


【ローマ8章35節】

私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。

さらに自分の命や家族よりも、キリストを愛して生きている人たちは次のような姿です。


【使徒の働き20章24節】

けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私の いのちは少しも惜しいとは思いません。


【Ⅱテモテ4章7-8節】

私は勇敢にたたかい、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。

今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。 かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。

アーメン ( ̄‥ ̄)=3

2014.11.30
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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信仰生活・成功と失敗

テーマは『 信仰生活・成功と失敗 』です

【ガラテヤ5章16-17節】

私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。

なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。

【ガラテヤ5章24-26節】

キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。

もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。

互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。

私たちはイエス様によって信仰生活を始め、それは本当に恵みであります。
神様の恵みなしにイエス様を信じることが出来ないですし、今もイエス様の中に留まって生活をしていることは 神様からの恵みであります。
水が1滴1滴 溜まっていくように、主からの恵みが私たちに注がれています。

誰もが信仰生活を良いものにしたいと願っていると思います。
しかし、ある人たちの信仰生活を見ると、破滅している人もいますし、失敗している人もいます。
また、成功している人もいます。

神様に喜ばれているならば、信仰で成功をしていることであります。
また、失敗している人というのは、「信仰生活をしています。」と言いますが、神様がその人の信仰生活を喜んでいない人であります。

成功・失敗のすべての原因は自分自身にあることを認識しなければならないです。

人々は、失敗や悪いことが起こると誰かのせいにするのです。このように自分ではなく周りで原因を探ります。
しかし、ほとんどの場合の原因は自分の中にあるのだということを、今回学びたいと思います。




― 信仰生活で成功する人たちの姿 ―

ガラテヤ5章16節のみことばにあるように、みことばによって歩むことが原則であります。
これをずっと続けてする人たちは必ず成功をします。
一度 救いを受けただけで、自分がまるで御霊によって歩んでいるかのように勘違いをしてはいけないです。

歩むということは、一歩一歩進んでいく姿であります。

自分の前には聖霊様が立っています。私たちが生まれ変わったのも、聖霊様の働きなのです。
自分の努力や、自分がみことばを守ったから救われたのではないです。

ですから、信仰生活のスタートも聖霊様によるものです。

信仰生活を維持していくには、御霊によって歩まなければならないです。
御霊によって歩む生活とは、どのようなことでしょうか――。
「自分には力がない」「自分は弱い者である」「神様に頼らなければ、私は生きていけない」
これらは、自分の姿を知っている人であります。

神様を信じるのは、ただ弱い者だから信じるのではないです。
人間は誰もが弱く、出来ないものもたくさんあります。
でも真の神様を信じる人は、自分の姿を正しく見ているのです。

人々は 自分がそのような弱い存在であるのにも関わらず、自分を正しく評価することができないです。
本当は力がない者なのに、力があるかのように勘違いをするのです。
出来ないことの方がたくさんあるのに、何でも出来ると勘違いをしています。

そして、神様に頼る者を見て あざけるのです。
神様は「あなたの命は誰が与えたのか?わたしがあなたから取り上げるならば、あなたはその場で倒れるのだ。」と語ります。

ヨブ記には、ヨブと ヨブの友達3人の姿が出てきます。それぞれ違う(自分の)思想がありました。
自分が思っていることは全て正しいと思って、その理論をずっと語り続けました。
ヨブも自分の中に色々な思いがあり、それが正しいと思って神様に訴えました。
しかし、神様からの質問を受けた時に、自分が正しいと思っていたヨブでさえも1つも答えることができませんでした。

世の中で 自分は頭が良いと言う人に、ヨブ記に書かれている神様の質問をしたら1つも答えられないと思います。


本当に信仰生活で成功する人たちは、自分の弱さ、足りなさ、力不足であることを知っています。
それを神様の前に出て来て認めるのです。
「あなた無しには、私は右も左も分かりません。この先、どのように生きたら良いかも分かりません。あなたが私の力になってください。あなたが私の知恵になってください。あなたが私をずっと導いてください。」と、自分の人生のハンドルを聖霊様に委ねるのです。

そのように神様の指示を、神様からの知恵や力をいつももらって頼って生きる人に、神様はつまずかせることはありません。
神様に頼って生きる人たちを大事にします。

信仰生活で成功する人たちはどのような人でしょうか――。


― 主の前に謙遜な人 ―

自分を砕いて、神様の前でへりくだる人、神様はこのような人たちに恵みを注ぐと語りました。

神様が特別に愛し、特別に恵みを与える人は、神様の前でへりくだる人・謙遜な人であります。

イエス様の姿を見ると、謙遜な姿があります。自分を「無」にしました。
イエス様が語る一言一言 すべての中に謙遜がありました。

私たちの中に謙遜さがないと、小さなことにもすぐに反発をするのです。許せないという思いが出てきます。
いつまでも覚えていて、それは謙遜な姿ではないです。

日々、自分を打ち叩きながら自分を無にすることであります。
主が「わたしについていきたいと思う者は自分を捨てなさい」という言葉を使いました。
その人をイエス様は導いて助けてくださいます。そして良い実を結ぶことができます。


― 恵みの中に留まる人 ―

主の恵みの中に留まることは、とても大切であります。私たちは恵みなしには信仰生活が絶対に成功できないです。

小さなことにも神様にすごく感謝をする人は、さらに神様は恵みを与えるのです。

信仰が弱い人たちの姿もそれほど心配ではありません。信仰を持ってから日が浅く、今は一生懸命に学んでいるところですので、
その人たちには未来があります。神様の恵みの中でだんだん成長していくのだなぁという望みがあります。


【ガラテヤ5章4節】

律法によって義と認められようとしているあなたがたは、キリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです。

恵みから落ちた人の姿を見ると とても苦しい思いになります。

ガラテヤ教会の中で、ある教えを聞いて一生懸命に律法を守ろうとしました。それの何が悪いのかと ある人は言うかも知れません。
外見を見ると すごく信仰が熱心な人に見えるのです。しかし動機を見るとズレているのです。
主を愛して恵みの中に留まりながら信仰生活をするのではなく、自分の力でやろうとして結果的には自分を誇ろうとします。

「私はこんなに一生懸命に求めているのだ!」という思いだと、いつの間にかその人たちは自分の行いを誇るようになります。そして他の人たちに向かって裁きはじめるのです。

イエス様はそのような人の姿を見て、「あなたの心はキリストから離れている」と語ります。
神様の恵みによって出来たという認識ではなく、「私がこんなに一生懸命 求めているから出来たんだ」と知らぬ間に恵みから落ちた姿になっています。

これは悲惨な姿であります。恵みから落ちた人は自分自身で気付いていないので問題です。
そして、その人たちは自分の行いをどんどん誇るのです。

自分の行いを誇れば誇るほど 高慢な者になっていくのです。

恵みから落ちる人は必ず失敗をします。

神様の恵みに頼る者ではなくて、自分の行いに頼る者になると、恵みからどんどん離れていきます。


成功をする人たちは、自分が神様の恵みから落ちてしまうのではないか、と恐れを持っているので用心をします。
いつも客観的に自分の姿を見ているのです。

自分は神様と繋がれているのか、恵みの中に留まっているのか、今の私の行動は神様が喜ぶことなのか、と自分を点検するのです。いつも自分のことを厳しく見るのです。

他人を見るのではなく、自分の姿を見て客観的に調べるのです。
すると、自分がどこに立っているのか分かるのです。

常に自分を見つめながら、神様の恵みから離れないように恵みの中に入る人たちは必ず信仰生活が成功します。

成長をして上っていくのは、とても時間がかかります。それには訓練が必要だからです。
しかし(恵みから)落ちるのは あっという間であります。




信仰生活で失敗をする人たちはどのような人でしょうか――。


― 高慢な人 ―

高慢で虚栄心がある人たちの根底にあるものは、貪欲であります。

欲があり人の上に立って偉くなり、人を支配したいという思いがあります。これも欲しい、あれも欲しいと求めていきます。


【ガラテヤ6章3-4節】

だれでも、りっぱでもない自分を何かりっぱでもあるかのように思うなら、自分を欺いているのです。

おのおの自分の行いをよく調べてみなさい。そうすれば、誇れると思ったことも、ただ自分だけの誇りで、ほかの人に対して誇れることはないでしょう。

高慢な者は、自分を立派な者だと勘違いをします。そして偉そうにしています。
周りの人にはその姿が全て見えています。本当に立派な人は、自分のことを誇らないです。

イエス様から「あなたの信仰は立派です」と言われた人たちは、どのような人たちでしたか?
――自分のことを価値のない者だと思っていた人たちでした。


高慢な思いを持っている人は、立派でもないのに 立派な者であるかのように、周りの人たちに見せつけるのです。
醜い姿なのに、自分では気づかないのです。なぜならば、高慢な人は自分の姿を見ないからであります。

自分の口から出る言葉が どんな言葉なのか、自分がしている行いがどのような行いなのか、そういうことに関心がないです。
欲が先立って、自分の欲の中で生きています。

みことばに関しても、持っているのは情報だけです。「この箇所に書かれてあり、このような言葉です。」と情報はいっぱい入っていますが、
実際には(みことばを)経験をしていないのです。

情報だけでは人は成長しません。
しかし、高慢な者は情報だけで、まるで自分が何でも知っているかのように自分を誇るのです。
神様はそのような人たちを退けると語りました。

本当に立派な者は、みことばを聞いた通りに行って経験をし、それによって変わる人であります。
そして実際に良い実を結ぶ人が成長していきます。

情報だけで頭だけが大きくなって情報を流すのが、私たちの成長に何の役に立つでしょうか?


― 不平・不満をたくさん言う人 ―

不平・不満やつぶやきが多いのは信仰生活が失敗します。

イスラエルの民たちが荒野で倒れた原因は何だと思いますか?
――偶像崇拝ではないです。彼らは荒野の40年間は偶像崇拝をしていませんでした。
そうではなく、自分たちの不平・不満が原因で命が取られました。ヨシュアとカレブ以外にはカナンの地に入れませんでした。

不平・不満を言う人は、神様の権威に向かって不平不満を言うことであります。神様の権威に対して挑戦をします。

教会の中でつぶやき、不平不満を言うと、まず自分の信仰が腐っていきます。
その次に、教会を破壊していきます。

その人たちは、すべきことはせず、気に入らないことに対してつぶやきます。旧約聖書を見ると、つぶやく者は次から次へと倒れていきました。
「私は正しいことを言っています。」と言っていても、神様はその人の心を探ります。


心に愛がある人はそのようなやり方をしないです。
本当に教会のためと思う人、そして人を愛する人は不平・不満で、その問題を解決しようとはしません。
そのような人は積極的な解決方法をとります。どのようなことが積極的な方法かと言うと、自分が犠牲を払うことであります。

問題を解決するために、他人に犠牲を払わせるのではなく自分がその中に入って犠牲を払います。

その犠牲を払う方法は色々あります。
人に仕える・人に愛を与える・とりなしの祈りをする。
その問題を自分で解決しようとして神様の力を受けながら一生懸命に取り組んでいくのです。

しかし不平不満を言う人は何もしないのです。腕を組んで誰かを裁くのです。奉仕をせず、とりなしの祈りもしないです。

これは一番サタンが使う方法であります。サタンは心の中に不満を持っている人を捜し、そしてその人を使います。
サタンの言葉を聞き、調子に乗るならば、その人自身は神様によって潰されていきます。

神様は忍耐をする方でありますが、神様が立ち上がったら(その人は)終わりであります。
それは共同体に悪をまき散らすことなので、それを神様は黙って見ておられないです。

その人たちは信仰生活で必ず失敗します。
なぜならそれを止めずにずっと続けていると神様に挑むことになるからです。


― 真理を喜ばない ―

真理を聞きたがらない心があります。そしてサタンの甘い言葉には耳を傾けるのです。

神様の言葉は私たちにとって、時には苦い言葉であります。時にはムチのように痛い言葉であります。

神様から「その道は滅びの道である。」とストップがかかった時に、その人が喜んで「辛いですけど、神様の言葉であるから聞き従わなければならない。」と
立ち止まるならば、その人は滅びから救い出されます。

しかし「聞きたくない。それは私が望んでいる言葉ではない。」と神様の真理の言葉を退けて、甘いサタンの偽りの言葉を聞き、
自分の肉の欲を満たしていくならば、その人は必ず失敗します。


【ヤコブ1章13-16節】

だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。

人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。

欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。

愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。

サタンの甘い言葉は誘惑なのです。しかし神様の言葉は誘惑ではないです。
神様の言葉は、私たちに命を与えて正しい道に導く素晴らしい言葉であります。

それなのに、神様の言葉を聞きたくないと思う人は、既に誘惑されています。どんどんサタンと仲が良くなっていきます。

最初に欲を身ごもると、自分の中でどんどん成長していきます。赤ちゃんが胎内で育つことと同じであります。
その時に神様の言葉によって立ち止まらないと、必ずその人は罪を生みだします。
そして罪が自分に もたらすものは「死」であります。

恵みが消えて、その中でサタンが働くのです。そこに自分が望んでいないものが来るのです。
しかし、その原因を作ったのは、その人自身にあります。誘惑が来た時に退けなかったのです。そのような人は失敗するようになります。


神様はそのように失敗する者になって欲しくないと願っておられます。

アダムとエバがサタンの甘い言葉に騙されて罪が入ってきました。
サタンは色々な言葉を語り、甘い言葉に聞き従った結果は 罪が生まれ、死を刈り取りました。

今の時代でもサタンは私たちを誘惑します。自分たちの中に欲があるので、サタンはその欲に火を付けようとします。その心は隙になるのです。

それは誘惑であって、私たちの魂を滅ぼすものであります。恵みから落ちるように誘惑するものであります。

恵みなしに、何によって生きることが出来るでしょうか?
私たちは本当に気を付けなければならないです。

イエス様は騙されないようにしなさいと語りました。
恵みの中にしっかりと留まっていつも主を見上げて恵みを求め、御霊に導かれて
自分の肉の思いを打ち叩きながら生活をするなら問題がないと主が語ってくださいました。

私たちは成功したいのか、失敗したいのか 自分でどちらかに進まなければならないです。
失敗して滅びたい人は誰もいないと思います。

しかし、成功したいならば、みことばにあるように私たちはその中で生きることであります。
(´・ω・`)

2013.12.1
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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