からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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不安

信仰はどのように働くのか

テーマは 『 信仰はどのように働くのか 』 です


【ヘブル11章1-3節】

信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。

昔の人々はこの信仰によって称賛されました。

信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えないものからできたのではないことを悟るのです。

一般的に 《信仰は何か》 と質問すると、「神様を信じること」と答える人が一番多いですね。


《信仰を持つと どうなりますか》 と質問すると、「天国に行く。」 「祈ったら願いが叶えられる。」と答える人が多いです。

みなさんはどう思いますか。


今回は信仰を持ったら、その信仰がどのように働くのかを学びたいと思います。




◎神の約束と神の力に対する確信が出てくる




1節に “保証と確信” という言葉がありますが、信仰があると、この二つのものが出てきます。


聖書は神の約束のことばであふれています。

理解出来ない部分もありますが、信仰を持つと そのすべてに対して疑いではなく、確信が出てきます。


もし皆さんが、信用も信頼も出来ない人と約束したならば、その約束が実行されるまで何度も不安になったり、思い煩ったりすると思います。

「約束は保証する」と言われても、信用出来ず 疑うと思います。


相手が信じられない不信仰は そのように疑い、不安、思い煩いをもたらしますが、信仰は反対に信頼、平安、確信をもたらします。

保証すると言われなくても不思議と保証されたと信じることが出来ます。


信仰は神の約束に対しても必ずそうなると確信出来ます。確信は、信じて疑わないことです。


信仰とは、五感で感じなくても、神の言葉に対する確信によって神がおられること、神がすべてを造ったこと、神が今も働いていること、神には力があって不可能がないこと、天国も地獄もあることなどを全部信じられますし、確信します。


信仰がないと何一つ確信できないです。

信仰がないと、聖書は ただの物語に過ぎないと思ってしまいます。


世界と人間の創造や奇跡の内容も信じられず、事実として受け入れることが出来ないです。


ですから、次のように言われます。


【ヘブル11章6節】

信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。



◎信仰によって神の摂理、みこころやみわざを悟ることが出来る




信仰がない時は神の存在、神のみこころ、神の救いの計画、キリストの十字架に対して全くの無知です。

すなわち悟ることが出来ないです。


悟りは、厳しい修行や瞑想で得るものではなく、神によって開かれる知恵です。


悟りが与えられないと、特に神のみことばとみこころを知ることは出来ません。

見えない世界や神に対して知りたくて、人間は必死に修行したり、想像力を生かして理解しようとします。


そして自分に悟りが与えられたと言って、人に勝手な教えをしたり、宗教を作ったりしますが、それらのもので真の神を知ることは出来ません。


しかし、神の言葉を聞いて正しい信仰を持つと 神の存在、神の計画、みこころ、神のみわざに対して悟ることが出来ます。


悟りの霊によって聖書の世界、霊の世界、神の世界が開かれていきます。

一気に全部開かれるわけではないですが、神の存在に対しては一気に信仰が出て来ます。


頭で理解するのではなく、心で信じるようになります。

これは神からの不思議な恵みです。


博士も悟れないのに、無学な人が悟ることは 神の世界ではよくあることです。


【へブル11章3節】

信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。

このようにありますが、これは見える世界が、目に見えない神のことばによって造られたことを意味します。


信仰があると 神の救いの計画、主の十字架、御国、世の終わりやさばきなどを悟ることが出来ますが、信仰がないならば聖書を読んでも神のみこころを悟ることは出来ません。


聖書を読む人は多いと思いますが、どんなに読んでも信仰を持たない人もいますが、わずかなことばを聞いても 信仰を持つ人がいます。


なぜなのかはよく分からないですが、これも神の一方的な恵みだと信じています。




◎信仰は神の約束のことばの上で働く




信仰の始まりも土台も すべて神の約束のことばです。

アブラハムの信仰はどのように働いたでしょうか。


【ヘブル11章8節】

信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。

アブラハムの信仰の行動は、神から約束のことばを聞いて、それに従って行動しました。

自分の計画でも人の勧めでもありませんでした。

神は彼が行動出来るように約束を与えました。


【創世記12章1-3節】

主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。

そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。

あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

信仰ある人はこのように神の約束のことばの上で行動します。

すると主の御心のままに生きることが出来ます。


自分の考えや知識や経験、計画で動くのは信仰ではありません。
それは信仰とは無関係です。


神の言葉によって動くのが信仰です。


信仰が 神の約束と自分を結びつけます。

信仰は神の約束のことばと深く関係します。




◎信仰はキリストを一番大切にする




【へブル11章26節】

彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。

これはモーセの信仰の姿ですが、モーセは自分が置かれた環境の中でとどまったならば、パロの娘の養子として権力、名誉、富、贅沢な生活すべてを手に入れることが出来ました。


しかし、そのすべてを失うことを知っていながらも、モーセはキリストを選びました。

イスラエルの民と共に苦労しましたが、彼はキリストから得られるものに注目して キリストを選びました。

パウロも同じでした。


【ピリピ3章7-8節】

しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。

それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。

キリストをすべてにまさる方として尊敬できるのも信仰によります。




◎信仰が働くと 大きな試練にも迫害にも耐えることが出来る




【ヘブル11章35-38節】

女たちは、死んだ者をよみがえらせていただきました。またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを願わないで拷問を受けました。

また、ほかの人の人たちは、あざけられ、むちで打たれ、さらに鎖につながれ、牢に入れられるめに会い、

また、石で打たれ、試みを受け、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊ややぎの皮を着て歩き回り、乏しくなり、悩まされ、苦しめられ、

――この世は彼らにふさわしい所ではありませんでした――荒野と山とほら穴と地の穴とをさまよいました。

信仰がないと主のための小さい苦難にも耐えることが出来ません。


信仰がある人は苦難の中でも希望を持ちます。

(その人たちは)神が 神を愛する者のために備えておられるものを見ています。


聖徒が受け継ぐものがどのように栄光に富んだものかを知っているので、それが忍耐出来る力を与えます。


たとえ殉教しても主から様々な冠を受け、神がおられる天国で永遠に住むことを知っているので、死をも恐れません。


信仰がないと主のゆえに受ける試練に耐えられません。

しかし信仰があれば 自分を捨て、自分の十字架を負って主に従うことが出来ます。


信仰がどのように働くかを知れば、もっと信仰を生かすことが出来ます。


“自分は信仰がある” と言っても、今回のことばのように 信仰を働かせることがないならば、その信仰が何になるでしょうか。

中味のない形式的な信仰で終わってしまいます。


そのような姿に対して主から言われることばは「信仰の薄い者だ」です。

しかし弟子たちが信仰を働かせるようになってからは、そのことばは言わなくなりました。


たとえ今、「信仰の薄い者だ。」と言われている人でも、その信仰を働かせるならば、信仰は強くなりますし、その信仰で主を喜ばせることが出来ます。


そして信仰を持っている人も、その信仰によって多くの恵みを受けることが出来ます。
(*・ω・)ノ


2016.8.14
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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患難の時に取るべき態度

テーマは 『 患難の時に取るべき態度 』 です

【ヨハネの福音書16章33節】

わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。

昨年の9月15日に息子と車で熊本県へ行きました。
阿蘇山の近くを通りましたし、黒川温泉にも行きました。

その少し前に阿蘇山の噴火もありましたが、大きなことにはならず収まっていました。


良かったと思いながら阿蘇山を見ました。

それが今回とんでもない地震が起こってしまいました。


日本中で誰一人この時に、このような大きな地震が熊本で起こるとは予想もしていなかったです。

地震の専門家たちも皆 驚いています。


綺麗な景色を楽しんだ昨年のことを思い出しながら、地震のニュースを聞くと 心苦しくなります。

今はその地域全体が 不安と苦しみに満ちた場所になりました。


ずっと余震が続き、雨も降っているので最悪な環境ですね。

ライフラインが寸断されたので生活が出来ないことが一番辛いと思います。


以前、この教会で1年間奉仕をしてくれた南さんが熊本の教会で働きをしています。

昨日“ライン”で安否を聞きましたが、今朝になって無事に避難をしていることと、教会や信徒たちも無事である連絡がありました。

断水で大変であること、祈りの要請などがありました。
皆で祈りましょう。


突然の患難に見舞われた人々を見て、それが他人事ではなく、自分たちも いつこのような患難に遭うか分からないなと改めて思いました。


イエス様が弟子たちに語った今回のことばは、患難の時に私たちが取るべき態度を教えています。


イエス様も激しい患難を通った方でした。

誕生した時から、患難の連続でしたので、患難の中にいる人たちの心境を誰よりも知っています。


患難の時に取るべき態度を主のことばから学びます。




・患難は誰にでもあることを認識する




聖書は繰り返して信じる者にも 熱心に主に仕える者にも 患難があることを話しています。


“患難がない” と言われたことがありません。

ですから患難が来た時に「どうして私に患難を与えるのですか」と戸惑うことも、つぶやく必要もないです。


信仰があっても、バラ色の人生で 患難がない人生を約束されたということはありません。


主のことばのように、この世で生きている人には誰にでも患難があります。


今回の地震でも、地震が “人を選び、場所を選ぶ” のではないです。

日本は、どこで地震が起きても不思議ではないですし、火山噴火も起こりやすい国ですから、起きたらそこにいる人たちは皆がその被害を受けます。

それは、ひどい被害か、軽い被害か が違うだけです。


クリスチャンだから守られて、いっさいの被害を受けることがないということはありえないです。


守られる時もあれば、そうでない時もあることは、信じない人にも当てはまります。


クリスチャンでも病気にかかりますし、死にます。
家庭に問題もありますし、貧困にもなります。


旅路である地上が私たちの定着地ではありません。

ですから地上では様々な患難にあうようになってあります。


患難が来ても、それが不思議ではないことを まず認識しましょう。


患難が特別なのろいでもなく、誰の所に来ても、それが不思議ではないことです。




・勇敢でありなさい




患難の中で “勇敢でありなさい” と言われました。


患難に遭うと人間はとても弱くなります。

気落ちし、不安と恐れで心が潰されそうになります。


心のバランスを失って フラフラ状態になります。

どうしたらよいか分からず悩みます。


その時、主が私たちに語ることばは「勇敢でありなさい」です。

なぜ勇敢な態度を取る必要がありますか。


主ご自身が “患難に、この世にすでに勝ったからだ” と理由を語って下さいました。


それが私たちの患難と何の関係があるでしょうか?


私たちが気落ちしたり、絶望したりするのは、自分たちには患難に勝つ力がないからです。

しかし私たちの力では何も出来ないですが、勝利の主が共におられるならば問題がないです。


どんな患難が来たとしても私たちに力を与えて下さる神によって、私たちは患難を乗り越えることが出来ます。


力ある主の手が支えて下さいます。
この信仰を持っている人が 本当に世に勝ことが出来ます。


神を信じる人は、自分の力ではどうにもならない時に簡単に諦めてはいけないです。


そこで諦める人は、神も神の力も信じていない人です。

意外とこのようなクリスチャンが多いです。


患難が来た時に、世の人々とまったく同じ言葉や態度を取る人が多いです。


それならば神は自分にとってどのような存在ですか?

(神は)頼れる力もない存在ですか?

助けて下さらない方だと信じていますか?


私には出来ないけれど、神が助けて下さるならば何でも出来るという “確信” が信仰であり、そのように信じるならば その通りになります。

不可能が可能になります。


神に愛された信仰の人々は、すべて患難の中から出て来た人たちでした。

患難の中で神の力に頼り、勝利した人たちでした。


英雄が激しい戦いの中で生まれるのと同じです。

人が出来ないことをやり遂げた人が、勇士になり英雄になります。

彼らには勇敢さがあります。


使徒パウロほど 多くの患難に遭った人はいないです。

しかし彼は患難の中でも勇敢な人でした。


患難に対する正しい態度が彼を勇敢にさせました。

彼は常に神に頼っていました。


【第2コリント1章4-10節】

神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。

それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。

もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの慰めと救いのためです。もし私たちが慰めを受けるなら、それもあなたがたの慰めのためで、その慰めは、私たちが受けている苦難と同じ苦難に耐え抜く力をあなたがたに与えるのです。

私たちがあなたがたについて抱いている望みは、動くことがありません。なぜなら、あなたがたが私たちと苦しみをともにしているように、慰めをもともにしていることを、私たちは知っているからです。

兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危うくなり、

ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。

ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。

さらに ここにも彼の勇敢な態度があります。

勇敢とは、環境に支配されず、反対に “環境を支配する態度” です。


【ピリピ4章11-13節】

乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。

私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。

私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

患難の中で絶望したり、恐れたり、気落ちしたりする姿は パウロにはありませんでした。


それが出来たのは 彼が神に頼り、主のことば通りに勇敢な態度を取ったからです。

患難の時にこそ、さらに御言葉を守り、主に頼ることです。


すると世に勝った主の力が働いて患難を乗り越えることが出来ます。

主は私たちに平安を与えると約束して下さいました。


主に信頼し、患難に向かって勇敢に戦う時に平安が与えられます。

平安は、勝利者にあって 敗北者や絶望している人にはありません。


患難の時には環境ばかり見るのではなく、御言葉に従って行動するように励むと、主の力と助けが与えられて乗り越えることが出来ます。
( ̄‥ ̄)=3

2016.4.17
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勝利の人生

テーマは 『 勝利の人生 』 です

【エレミヤ書29章11-13節】

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。― 主の御告げ ― それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。

もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。

2014年・WHO(世界保健機関)報告では、世界の自殺者は年間80万人超でした。


それは 40秒毎に1人が自殺していたことになります。恐ろしい数字です。


最大の数はインドの25万人、中国、韓国、日本も自殺者の多い国に入りました。

国々によって理由も様々で、ストレスや うつ病、貧困、いじめ、経済面なども理由に入りました。

孤独のために自殺した人も多かったです。


昔と比べ 社会も人間関係もストレスが多く、不安や絶望感が大きくなったので、人生に絶望し、将来を悲観して いのちを断つ人が多くなったと思います。

その人たちは人生に負けたと思いながら亡くなったでしょう。


将来に対して全く不安がないと言うならば、それは嘘だと思います。

周りで起こる様々なことを見ると不安が出てきますし、絶望することも出て来ます。


その時に 私たちは世の流れに自分を任せて行きますか?

そうすると人生に疲れて自ら命を絶ちたくなると思います。


エレミヤと言う預言者がイスラエルの民に神のことばを伝えていましたが、その当時イスラエルは国も無くなり、彼らはバビロンで捕虜の身となっていました。


彼らの罪の結果でそのようになり、そして捕虜生活は長く続きました。

その中で人々は絶望していました。


絶望的になっている彼らを見て、神様は預言者エレミヤを通して語りました。

その内容は素晴らしいものでした。


絶望の中にいる人たちにとって希望と勇気を与えるメッセージで、勝利の人生を生きるヒントがそこにありました。


今回は、そこから勝利の人生のヒントを学びたいと思います。





・自分が置かれた環境の中で最善を尽くす




にせ預言者たちは 耳に良いことばを人々に語り、「捕虜期間が早く終わって国に帰られる」と民たちを惑わしました。


しかし主がエレミヤに啓示したのは、捕虜期間は70年間続くということでした。

それで神様は、彼らが地に足がつかない生活ではなく、しっかりと地に足をつけて生きることを示しました。


【エレミヤ書29章5-7節】

家を建てて住みつき、畑を作って、その実を食べよ。

妻をめとって、息子、娘を生み、あなたがたの息子には妻をめとり、娘には夫を与えて、息子、娘を産ませ、そこでふえよ。減ってはならない。

わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、そのために主に祈れ。そこの繁栄は、あなたがたの繁栄になるのだから。」

これらのことばは、今も主の再臨を待ち望みながら歩んでいる私たちに必要なことばです。

たとえ明日 世の終わりが来ても、今日しっかりと地に足をつけて生きることを主は勧めています。


聖徒は決して現実逃避しながら生きる存在ではありません。


現実を認め、自分が置かれた環境に適応しながら、その中で自分に出来ることが何かを思いながら、小さなことに忠実な人にならないといけないです。


神が与えた環境の中で神の栄光を現すために、信仰を持って最善を尽くすことが主に喜ばれる人生です。

神様はその人に恵みと力を与えて下さいます。





・自分の人生を主に委ねる




【エレミヤ書29章11節】

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。― 主の御告げ ― それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

愛とあわれみ深い神様が私たちに与えるのは、災いの計画ではなく良い計画です。

しかし、私たちが神様のみこころを知らず 信頼しないならば、私たちは試みに会い、試練にも会います。


幼子が親に自分を完全にゆだねて生きるように、私たちも霊の父である真実な神様に自分の人生を完全に委ねて生きることを主は要求しています。


いつも私たちはこの部分が一番足りないと思います。
神様は私たちの保護者です。


私たちは主の前では幼子と同じなのに、主に委ねることも頼ることもせず、自分の力で生きようとします。
それが問題です。


謙遜になって委ねるならば、もっと自由に幸せに生きることが出来ます。



ですから人生を主に委ねることを学ばないといけないです。


【詩篇37篇5節】

あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。

【箴言16章3節】

あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。

神様が私たちのために計画を立ててあり、安心してそれに従うなら 神様は一歩ずつ私たちを導いて下さいますし、困難の中でも私たちを守って下さいます。



頭では分かっていても主に委ねることがなかなか難しいのは、信仰の弱さが原因です。

神様への信頼が足りなく、“心配と疑い”が委ねることを邪魔します。


信仰の勝利者は自分の人生を完全に主に委ねて歩みました。

アブラハムの姿を見てもそうでした。


【ヘブル11章8節】

信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。

自分に対する神様の計画を知った時に、完全に自分の人生を神様に委ねて従いました。

それによって彼は幸せで満足ある人生を送りました。


自分の人生設計だけがすべてと思う人が多いですが、すべて自分の計画通りになりますか?

それは神様が喜ぶ人生でしょうか。


神様の計画に自分の人生を委ねることが良い人生であり 幸せな人生です。





・いつも主を求めながら生きること




【エレミヤ書29章13節】

もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。

神様は私たちの祈りを喜んで聞いてくださる方です。


幼子が持つママたちがよく言う言葉があります。
私も子どもを産んで経験しました。


実際は赤ちゃんが泣いてもいないのに、耳に赤ちゃんの泣き声がずっと聞こえてきます。

泣いていると思って赤ちゃんの傍へ行くと寝ています。
そのようなことがよくありました。


赤ちゃんは泣くことで色々なことを伝えるので、ママは赤ちゃんの泣き声にいつも耳を傾けます。

それが赤ちゃんから離れると、泣いてもないのに 時々泣いていると錯覚してすぐに赤ちゃんの所へ行きます。


神様はこれ以上に私たちの声に反応して下さる方です。

私たちは神様に祈ることが出来ますし、祈りは神様の力と恵みを自分のところに下らせます。


「祈ったのに何も答えて下さらなかった」と よく聞きますが、果たしてその祈りが主の心に適う祈りでしょうか。


もしみこころに適う祈りならば、主は答えて下さいます。


【エレミヤ書33章3節】

わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。

このように約束して下さいました。


問題や試練の中で自分1人で解決しようとする人たちが多いです。

神様に頼らず、人にも頼らない人も多いですが、それは不信仰の姿であり、高慢な姿でもあります。


聖徒たちは問題が生じた時は 何よりも先に神様を呼ばないといけないです。


熱心に神様を求めながら、神様の導きと指示を受けることです。


1人で頑張る人は力尽きて絶望することが多いですが、神様に祈り 信頼する人は必ず神様に助け出されます。


詩篇42篇に出てくる祈りは良い祈りです。


【詩篇42篇1-2節】

鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。

私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。


【詩篇42篇5節】

わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。

【詩篇42篇8節】

昼には、主が恵みを施し、夜には、その歌が私とともにあります。私のいのち、神への、祈りが。

主のことばは魂を生き返らせます。


私たちの人生を食い物にしようとするサタンの勢力がますます強く働いているので、いつも主を求めながら、自分の人生を主に委ね、現実の中で最善を尽くす時に 私たちは神様の助けと計画の中で必ず勝利の人生を歩むことが出来ます。
(・◇・)ゞ


2015.10.25
聖日礼拝メッセージ

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