からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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ペンテコステ

聖霊による変化

テーマは 『 聖霊による変化 』 です

【使徒の働き2章14-18節】

そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。

今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。

これは、預言者ヨエルによって語られた事です。

『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。

その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。

イエス様が天に帰られた後の最大の出来事は、何と言っても聖霊が下ったことですが、それに気付いていない人がとても多いですね。

キリストが誕生した時も、世の人々はそれに気付きませんでした。

何も起こっていないかのように普段の生活をしていました。


ですからキリストが活躍した時も、自分たちとは無関係だと思いましたし、今も無関係だと思っている人がどれほど多いか分かりません。

それは自分の魂が救われるチャンスを逃していることを意味しています。

地上ではキリストと無関係であっても特に問題はないですが、それが問題になるのは死後です。


死後には神のさばきがあり、それによって永遠のいのちか 永遠の滅びかを受けますが、その時にキリストが大いに関係してきます。


キリストを信じたか信じなかったかによって行き先が変わります。

ですから生きている時に信じる必要があります。






また、聖霊はどうでしょうか。

クリスチャンは聖霊を受けても受けなくても良いでしょうか。


答えは、受けなければなりません。
なぜなら、“受けなさい” とイエス様が命じたからです。


【使徒の働き1章4-5節】

彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。

ヨハネは水でパプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」


【使徒の働き1章8節】

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

この言葉は、弟子たちだけに与えられた言葉でしょうか。

そうではなく、信じるすべての人は聖霊を受けなければなりません。

しかし それを知らない人が多いですし、また 受けなくても良いと言う人もいます。


当時もたくさんの人が主のことばを聞きましたが、実際にエルサレムに留まりながら父の約束を信じた人は120名ほどしかいませんでした。

彼らは全員で心を合わせ、祈りに専念していました。
そして10日後のペンテコステの日に初めて人々に聖霊が下りました。


120名ほどが受けた聖霊は、初めての不思議な経験でしたが、それによって彼らは大きく変わりました。


聖霊によってどのような変化が起きたでしょうか?




1.他国のことば(異言)で話しだした




私たちは外国語は習わないと理解することも話すことも出来ません。

何年間 習ってもうまく話せないのが外国語です。
英語を幼稚園から大学まで習っても まともに話せない人がほとんどです。


それなのに、どこの国の言葉かも分からず 聖霊が語らせるまま話し出したので、集まった人々はそれを見てびっくりしました。


私の知り合いの女性の牧師先生は若い頃、ナンパをしようと付きまとって来た男の人に困り、何かを言おうとして口を開くと中国語が勝手に出てきて、それを聞いた男の人が「何だ、外国人か」と言いながら去って行ったと聞いたことがあります。


聖霊を受けた人たちが祈りの時に使う異言は、聖霊が語らせることばです。

自分にとって未知の言葉なので意味は分かりませんが、異言で祈ることは素晴らしいことです。


なぜならば 次のように書いているからです。


【第1コリント14章2節】

異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。


【第1コリント14章4節】

異言を話す者は自分の徳を高めますが


【第1コリント14章14節】

もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈るが、私の知性は実を結ばないのです。


【第1コリント14章22節】

それで、異言は信者のためのしるしではなく、不信者のためのしるしです。

このように異言は神に話す言葉であり、自分の徳を高めますし、また不信者へのしるしであるので、パウロは「私はあなたがたがみな異言を話すことを望んでいます」と語 りました。


異言がまだ話せない人は、異言が話せるように聖霊に求めて下さい。
私も聖霊様に求めて受けました。





2.霊的に強くされ、大胆な者に変化した




“聖霊が望むと力を受ける”と語ったように 皆に力が与えられ、霊的に強くなり、大胆な者になりました。


以前は人を恐れて、イエス様を3度も知らないと言ったペテロの変えられた姿を見て下さい。
まるで別人のように変わりました。

環境や、人、権力を恐れていたペテロでしたが、大勢の前で大胆に即興で説教をする姿に人々は驚きました。


世の中で一番強い人は勇士ではなく、力士でもなく、聖霊充満な人です。

なぜならば、この人たちは 人や環境、サタンや権力、迫害や死も恐れないからです。


弟子たち全員は殉教しましたが、彼らはどこでも大胆な者でした。
聖霊が彼らの中に力を入れたからです。


【第2テモテ1章7-8節】

神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。

ですから、あなたは、私たちの主をあかしすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。

いつも何かを恐れ、自信がなく、消極的であるならば、いつも聖霊に満たされるように祈って下さい。


「強くあれ。雄々しくあれ」と主が命じておられます。





3.自己中心的な人から、神中心の人に変化された




自己中心であることは聖書に基づく考えではなく、自分の考え・知識・経験が 自分の価値観や行動の動機となります。


イエス様と共にいた時の弟子たちの姿を思い出して下さい。

霊的な人は1人もいませんでした。

イエス様の傍で3年間訓練されても、それぞれ自分が一番偉いと思っていましたし、出世することを夢見ていました。


相変わらず“自分”が世界の中心にいました。
それが、主が捕えられ十字架の事件が起きた時に明らかにされました。

皆がイエス様に背を向けました。
自分を捨て、自分の十字架を負って、主に従うことが出来ませんでした。


しかし皆が聖霊によって180度変わりました。

自分のために生きる者はいなくなり、主のために生きる者に変わりました。


【ピリピ1章21節】

私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。




4.みことばの悟りが与えられ、確信ある信仰に変わる




以前ペテロは、みことばに対してあまり分かりませんでしたし、イエス様から話を聞いても間違った解釈をしていましたが、聖霊を受けた後 その場で立って旧約聖書の言葉を正確に理解し、立派な説教が出来ました。

それには人々もびっくりしました。

そして人々がどのような間違いをしているのか、はっきりと指摘が出来るほどキリスト教の教理に対して正確に理解することが出来ました。


これによって信仰もみことばの上にしっかりと立つようになり、それからは真っ直ぐに進むことが出来ました。


聖霊の助けなしに神の言葉に対する悟りを得ることは難しいです。

自分勝手に解釈をして、悟りを得たという人もいますが、本当に悟りを得るためには聖霊の力と助けが必要です。


無学なペテロがこのように立派な説教がいきなり出来たのは 彼の力ではなく、すべて聖霊のよるものです。





5.使命を果たすことが出来る




弟子たちの例を挙げるならば、彼らが選ばれた時に言われたのは「あなた方を人間を取る漁師にしてあげよう。」でした。

すなわち魂を勝ち取るのが彼らの使命でした。

しかし聖霊が下るまでの姿は人間を取る漁師ではなく、再び魚を取る漁師に戻って行きました。


聖霊によって使命から離れていた彼らが使命を取り戻しました。
ですから福音が世界に広がるようになりました。それは聖霊が彼らを使命に目覚めさせて下さったからです。


そして彼らには証人としての使命もありました。
証人とは見たもの、聞いたものを隠さず ありのままを伝えることです。


自分のことを話すのではなく、イエス・キリストはこのような方でしたと証言をすることです。

彼らは聖霊に満たされた後、すぐに人々の前に証人の働きを始めました。



このように聖霊は人々を新しく変えて下さいます。

生ぬるい者ではなく、形式的な信仰生活ではなく、今回話したような変化を人々にもたらします。

それらのすべての変化は聖霊なしで得られることは不可能です。


弱いクリスチャン、名ばかりのクリスチャン、証人として働いたこともないならば、聖霊に対して無関心であるか、自分から勝手に聖霊と縁を切ったかです。


もし弟子たちのように変わりたいならば、何よりも聖霊に満たされることを求めて下さい。


聖霊なしの信仰生活は、ガソリンの入っていない車に乗っている人と同じです。

変化もなく、いつも同じ所に留まっている車の様です。

求めるすべての人に聖霊を注いで下さいますので、聖霊を受けて力強い信仰生活、実を結ぶ信仰生活をしましょう。
(。・ω・)ノ゙

2015.5.24
ペンテコステ礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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父なる神、主イエス・キリスト、聖霊と聖徒

テーマは 『 父なる神、主イエス・キリスト、聖霊と聖徒 』 です

【ヨハネの福音書16章13-15節】

しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、 聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。

御霊はわたしの栄光を現わします。わたしのもの受けて、あなたがたに知らせるからです。

父が持っておられるものはみな、わたしのものです。ですからわたしは、御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに知らせると言ったのです。

このメッセージの中に父なる神、聖霊様、イエス・キリストが出てきます。
それが聖徒たちと、どのような関係があるのか 今回語りたいと思います。

クリスチャンでも 何が何だかよくわからないと思っている人がいるかも知れません。
神は唯一と言いながら、聖霊様とかイエス・キリストとか 父なる神とか、神が3体いるのではないのか?1体ではないのでは?と思うクリスチャンも多いでしょう。


曖昧な状態の中で信仰生活をする人もとても多いですし、他の人に説明をすることも難しく、私たちがどうしたら これを理解しやすくなるか一言では難しいですが、本文に出てきた箇所を通して説明します。



キリストと聖徒の関係




【ヨハネ15節1-8節】

わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。

わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、 実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。

あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。

わたしにとどまりまさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。 同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。 わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。

あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。 そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。

あなたがたが多くの実を結び、わたしにの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。

【マタイの福音書15節16節】

あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。 それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも 、父があなたがたにお与えになるためです。

一言で言うならば、キリストと聖徒はぶどうの木と枝のように互いに一つでなければなりません。

枝が木に留まるのは当然のことであります。枝である私たちが1人で実を結ぶことは有り得ないです。

私たちがキリストに出会って まず最初にすることは、信じてキリストを受け入れることであります。

受け入れるということは キリストが自分たちの中に、自分たちはキリストの中に、すなわち今まで罪によって死んでいた者が、キリストに出会い 霊によって1つになることを意味するのです。


罪人たちがキリストを通さず 直接父なる神の前に出て行くことは出来ません。
汚れた姿のままでは、聖なる父の前に出られないのです。

例えば、旧約聖書には幕屋がありました。
人間が誰でも至聖所に入ることは出来ませんでした。もしそうするならば、討たれて死にました。
大祭司であっても1年に1回の贖いの日だけです。


神の御子であり、人として地上に来られたイエス・キリストに属さない人は神の前に行くことはできません。

(私たちは)イエス様と外の結びつきで「一緒に行きましょう」というのではないです。
キリストが自分たちの中に、自分たちがキリストの中に入って1つになった時に、父なる神様はそれを見て祝福してくださるお方であります。


ユダヤ教の人たちは キリストを認めておらず信じていません。

彼らは、神は唯一であるから旧約の神以外はすべて偶像であると言って キリストも否定しています。
彼らは今もメシヤを待っています。「キリストはいらない。私たちは神と直結している」と彼らは考えていますが、神様は 人と直結することをしませんでした。


キリストを通らなければ(神様は)人と会うことがないと聖書で教えています。
神様に出会う人は誰でもイエス・キリストに属する人であります。

切られてしまった枝は、キリストから流れてくるものが何もないので必ず枯れてしまいます。

私たちがキリストに属することは、そこから命と赦しと救いが出てきますので、それが1番大切なことであります。

私たちはキリストを見て、はじめて父なる神を見るのです。
キリストを抜きにして神様を見ることは出来ません。その意味でキリストと聖徒は切っても切れない関係です。


【ヨハネの福音書3章16-18節】

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。 それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。

御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。

父なる神はいつもキリストを通して私たちを見ています。

「私がキリストから離れても、キリストはついて来るのだ」ということではなく、
枝の方が 必死に木を頼って生きなければならないです。

私たちはキリストに繋がって1つになることを日々求める必要があります。
キリストの中に自分は留まっているのか、それともそこから離れて勝手に歩いているのかどうかを確認しなければいけません。



父なる神と聖徒の関係




【ヨハネの福音書14章21節】

わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、 わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現します。

父なる神様は聖徒たちがキリストのことばをよく聞いて守り、キリストを愛する者に対して愛して下さいます。

私たちは父なる神様の子供ですが、キリストによって私たちも神様の子供になりました。
イエス様と私たちは親子関係ではないのです。
しかし神様は 私たちにとって「父なる神」親子関係であります。「アバ=父」です。

そこで一番大切なことは、愛の関係です。
神様は愛であります。私たちを愛してイエス様を送ってくださいました。私たちの魂を救いの道へと開いてくださいました。
神様の愛は直接聖徒たちに注がれます。

罪人さえも神様は愛してくださいますが、キリストを愛する者に対しては さらに特別な愛で、
しかし、キリストを苦しめる者には 神様は愛することができないです。なぜならそれは神を直接痛めることになるからです。


神の愛を受けるならば、私たちの心は本当に平安になります。その愛がそのまま慰めになります。
その愛がそのまま私たちの生きる力、希望になります。愛ほど強い力はないです。


(父なる神様は)愛だけは直接私たちに与えたいと願っていますので、私たちがその愛を受けるためにはキリストとの関係がすごく大切であります。
「神様は怖い、だから頼まない。」というのではなく、神様ほど愛の方はおられません。
ですから私たちは父なる神様とは愛の関係でなければなりません。



聖霊と聖徒の関係





【ヨハネの福音書14章16節】

わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。 その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためです。

【Ⅰコリント3章16節】

あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。

聖霊様が来られた目的は イエス様のことばの中にあります。

イエス様は天に帰りながら私たちのために聖霊を遣わして下さいました。いつまでも私たちとともにおられる為に。


私たちが聖霊を受けても、聖霊が何をするのだろう?と よく分からないと思っている人もいるのですが、
一番の目的は私たちの中に住むために来られました。

霊ですので、世界中どこへでも行くことができます。そしてキリストを受け入れた人々の心の中に聖霊様が住むのだということを語りました。

そのような意味で 私たちが常に心を見守れと言うことは、自分たちの心が神殿ですので 私たちのために来られた聖霊様が住む場所なので、心を汚いもので満たすのは良くないことであります。


ゴミだらけの心の中に「聖霊様、どうぞ入ってきてください。」と言っても、聖霊様が入るわけがないです。

もし誰かが私たちに「どうぞ家に入って来てください。」と招待されて玄関を開けると、そこはゴミ屋敷のようだったら家の中に入ろうと思いますか?絶対に入らないと思います。


「聖霊様、私の心に入ってきてください。」と言いながら、心の中を何一つ掃除もしないならば 招いても聖霊様は入ることができないです。

「私は 私の身体、私の心を勝手にしても良いでしょう?」ではなくて、主が語っているように「私の身体と心は神の神殿であるのだ。だから毎日掃除をしなければならない。神は聖なる方であるから。」と聖霊様は聖い御霊でありますので、常にその認識が必要です。


ですから私たちは心を開いて聖霊様を大事に迎え入れなければなりません。聖霊様は求める者の心だけに入ってこられます。

その聖霊様が私たちと共にいて何をしてくださるのか、今回の本文の箇所に出てきます。


【ヨハネの福音書16章14-15節】

御霊はわたしの栄光を現わします。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。

父が持っておられるものはみな、わたしのものです。ですからわたしは、御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに知らせると言ったのです。

すべてのものは父なる神が所有していました。それを御子キリストに全てを任せています。以前はイエス様がこの地上で活躍しました。

その後は同じ働きをイエス様が遣わした聖霊様がなさるので、同じものを全て(聖霊様に)与えています。そして今度は御霊が全ての権限を持ち、父なる神の栄光、キリストの栄光のために 聖霊がその働きをするのです。

本当に聖霊様は私たちを助けてくださるお方なのです。共におられるので、私たちは何でも聖霊様に相談することが出来ますし、助けを受けることも出来ます。


ですから、イエス様に対する同じ思いを持って 聖霊様を信じ委ねて導きを受けなければならないです。

私たちは毎日「今日も聖霊様を歓迎致します。」と頼って生きるならば 聖霊様が私たちの内側で働いてイエス様に栄光が現れるようにするのです。

その助けによって私たちは実を結ぶことができます。
ぶどうの木に繋がれている枝は常にそこから力をもらって実を結びます。
聖霊様がその働きをしてくださいます。


イエス様の中で留まっている私たちを 聖霊様が力を与え、助け、栄養を送り、私たちが実を結ぶようにしてくださり、実が結ばれたらイエス様が喜び、父なる神様が喜ぶ。このような関係で動いています。


三位一体は父なる神と イエス・キリストと 聖霊であり、それを切り離すことが出来ないです。
別々のものではなく、働きが少し違うだけであります。

その中に私たちも入るなら、私たちも切り離すことが出来ない存在になります。
そこで私たちが父なる神から愛を受け、イエス様や聖霊様から助けをもらって生きることが出来ます。


あるところでは、聖霊を認めない教会もあります。
イエス様が送った聖霊をなぜ拒むのでしょうか。それは間違えています。

聖霊様を歓迎しなければならないです。

今は聖霊様が私たちの内で働く時でありますので、日々 私たちが聖霊様に頼っていかなければならないです。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚

2014.6.8
ペンテコステ礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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