テーマは 『 主の名によってすべてをなす 』 です
【コロサイ3章17節】
あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。
クリスチャンとして生きるために一番重要な教えが 本文のことばです。
自分をクリスチャンだと思うならば、自分とキリストを引き離すことは出来ないです。
使徒パウロは、強いことばで 自分とキリストの関係を語りました。
【ガラテヤ2章20節】
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
自分の存在はなく、いつもキリストの存在を現していました。
キリストのために生きた人生で、それによって誰よりもキリストに栄光をささげ、人々を主に導きました。
キリストもパウロを愛し、大いに用いて下さいました。
そのように私たちも キリストを現す生活をいつも心掛けながら生きているでしょうか?
「彼(パウロ)は別格だ」 と思ってはいけないです。
彼も私たちと同じ人間です。
キリストに対する思いが私たちとは違っていました。
自我を殺し、キリストに見習う生活を常にしました。
キリストは、すべての信じる者に(パウロと)同じことを期待しています。
キリストにふさわしく生きることを願っています。
ですから、“主の名によってすべてをなすこと。” は、キリストが私たちに望む生き方です。
“主の名によってすべてをなす” ことは、主の尊い名が汚されることなく、その名が みなからあがめれるようにすることです。
主に迷惑をかけることではなく、栄光をささげることです。
最近も、有名人の息子が覚せい剤使用で逮捕され、父親が涙を流しながら謝罪する場面を テレビで観て、心が痛みました。
息子は子どもでもなく、すでに大人であるのに、そして親は悪いこともしていないのに、人の前で泣きながら頭を下げて謝る姿は 本当に悲しくなります。
その姿を息子に見せて、深く反省してもらいたい気持ちになりました。
「お前のせいで、親がこんなに辛い思いをしているんだよ」と。
子どもは、自分のせいで 親が辛い思いをしていることに対して 責任を感じなければならないです。
そして、これは クリスチャンにも当てはまります。
クリスチャンが もし悪いことをするなら、一番の被害者は “イエス様” です。
イエス様の名が地に落ち、イエス様や教会に迷惑をかけることになります。
ですから、“主の名によってしなさい” と言われることは、常に主の名誉と栄光のことを まず考えなさい ということです。
私たちが すべてにおいて主の名を使うことは、“徹底的に主に頼って生きること” を意味します。
頼らないと、信じる者にふさわしい行動が出来ないからです。
そもそも "クリスチャン” とは、自分に頼ることをやめて、キリストに頼ることを選んだ人です。
主に頼らないと、キリストから言われたことは何一つ出来ないです。
赦すことも、愛することも、仕えることも、犠牲を払うことも出来ないです。
自分の思いで、自分の力で、憎い人を愛せますか?
罪を犯した者を赦せますか?
しかし、取るに足りない自分を受け入れたイエス様のことを考えると、罪深い自分を赦して下さった主の赦しに感謝の思いが出てきて、愛される価値のない自分を愛して下さったイエス様の事を思いながら主に頼ると それが出来るようになります。
主が私のような者を これほどまでに愛して下さったのに、「あの人を赦すことは出来ません」とは言えない思いになります。
「感謝もなく、ありがたさも分からないような人間に なぜ私が仕えなければならないのか」 と思われますが、主の名を使うと 主がまず私に仕えて下さったのに、私が何者で、出来ないと拒否できるのか という思いになります。
父なる神が、キリストを通して 自分にして下さったことをいつも思いながら、主イエスの名で主と同じことをしていく時に、それによって父なる神に感謝をささげることが出来ますし、栄光をささげることが出来ます。
主イエスの名によって ことばや行動をするならば、それでクリスチャンにふさわしい姿になります。
主の名を使って悪いことは出来ないはずです。
本物ではない偽善者は主の名を使って 多くの者を惑わしたりします、その人たちが後に受ける裁きは厳しいものになります。
クリスチャンは何をするにも、それが神の御心に適うことなのかを考えることです。
しかし、どんなに良いことに思われても、神の御心と反してあるならば、神の栄光にはならないです。
それは良い結果が期待できないです。
人前では、自分はキリストの大使である自覚が必要です。
大使はその国を代表する者です。
ですから発言にもすごく気を遣いますし、行動も国に迷惑が掛からないように慎重です。
クリスチャンも、神の国の大使として “主に遣わされた者” です。
神の国がいかに素晴らしい国であるかを人々に伝え、神からのメッセージを人々に伝える任務を任された人たちです。
ですから、神にも 神の国にも迷惑が掛からないようにしないといけないです。
自分のせいで誰かがつまずいたら それはいけないからです。
【第1コリント10章31節】
こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。
【エペソ5章20節】
いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。
アーメン (・∀・)つ
2017.10.15
聖日礼拝メッセージ
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