テーマは『 救われる人の実態 』です
【ルカの福音書13章22-28節】
今回は、どのような人が救われ、どのような人がそこから外れるのかを伝えます。
主が、13章24節で大切な事を教えています。
入りたくても、入れない人が多いというのは、てっきり本人は入れると思っていたのに、
実際には「あなたは入れない」と追い払われる人が多いということです。
「ご主人さま、開けてください。」と言うことは、既にイエス様のことを知っていて、
自分はイエス様のしもべだと思っている人です。扉の向こうにはイエス様がおられることを知っています。
しかし、扉は開けられることはないので、その人たちはびっくりするのです。
そして、イエス様に「どうして私のことを知らないのですか?」と聞くのです。
しかしイエス様は、この人たちには入る資格がないことを知っているのです。
これらの言葉は、イエス様のことを信じて「知っています」という人に語る言葉であります。
アブラハム、イサク、ヤコブは自分の身を聖く保った者でした。
すなわち、天の御国に入れるように常に準備をしながら聖別された生活をし、悔い改めをし、
最期まで信仰を守り通しましたので、その人たちが(天の御国に)入れただけであり、
その人たちのことをあなたたちが知っているからと言って、
あなたたちが自然と(天の御国に)入れる事はないと語っています。
イエス様は1人の魂も滅びることを願わないのですが、人々が自分で滅びの道を選んで歩くのです。
【マタイの福音書25章1-13節】
ここに書かれている人は、すべて救われた人々のことであります。
なぜなら、イエス様を花婿と思っているからです。ですから未信者の人ではないです。
賢い5人は自分たちの信仰が消え失せないように、日々守っていました。
「油」は聖霊様であります。いつも聖霊充満な生活をしていました。
しかし、愚かな5人は肉に満たされて この世を愛しながら形だけの信仰を持ち
やっとの思いで教会を行ったり来たりする生活をしていました。今にも ともしびが消えそうでした。
そして主が来られた時、イエス様は10人が入って来るのを期待していました。
しかし、愚かな5人はそこにはいませんでしたので、準備が出来ている賢い5人だけを入れました。
愚かな5人は、主が見えなくなってから一生懸命に 主を呼びました。
しかし、ルカ13章のように、2度と戸が開くことはありませんでした。
【ルカの福音書17章26-30節】
イエス様は終わりの時代の話をされる時は、ノアの洪水とロトの時代のことを必ず語ります。
預言者は神様の言葉を伝えるために存在しています。(これから何が起こるのかを)前もって語ります。
ノアは箱舟を造りながら人々に語り続けました。
【創世記7章23節】
救われたのは、たったの8人でした。そして他の人たちも神様のことを知っていました。
このことから、救われる人は とても少ないということがわかります。
【創世記19章27-29節】
ロトの時代の ソドムとゴモラは、エデンの園のように豊かな地でした。
そこには多くの人たちが生活をしていました。その他の地域は荒れた地が多いです。
しかし、そこに住んでいる人たちは、とても悪いものでした。
快楽や多くの同性愛者がいました。アブラハムがとりなしの祈りをしましたが、
神様は、「正しい者がいないから滅ぼす。」と語りました。
アブラハムは甥・ロトの為に、とても祈りましたので、神様はロトの家族4人を連れ出されました。
しかし、ロトの妻は神様の言葉に従わずに、すぐに後ろを振り向いたので塩の柱になりました。
ロトの娘2人も姦淫の罪を犯したので、その2人が悔い改めていなければ、天国で見ることはないです。
(その後、2人はどうなったのかはわかりません。)
私たちが亡くなる時は、神様は必ず「悔い改めさせよ。」という言葉を牧師に語ります。
そしてその言葉通りに悔い改めをする人は、幸いな者であります。
自分の信仰ではなく、神様の憐れみによって天の御国に入りますので、
「悔い改め」が(天の御国に入るための)準備であります。そして神様を信じる信仰が必要です。
しかし、「私、まだ健康だし・・・。死ぬ時に悔い改めをしたら良い」と直前にするという人が多いですが、
私たちは自分がどんな死に方をするのかわかりません。ある人は突然事故で亡くなる人もいますし、
突然倒れて亡くなる人もいます。また、ある人は長い闘病生活の末、亡くなる人もいます。
ですから普段から「今日、私は死ぬかも知れない」という思いで悔い改めておかなければ、
自分が亡くなる時には傍に牧師がいるとは限らないですし、信仰の友がいるとは限らないです。
「今、悔い改めなさい」と言う人が必ずいるということはないです。
【Ⅰコリント10章1-12節】
せっかくエジプトから出たのに荒野で滅ぼされました。
もともと、エジプトから出て来た時は250万人がいましたが、カナンの地に入れたのは何人でしょうか?
カレブとヨシュアの2人だけです。
【ヘブル3章7-19節】
かたくなな心を潰さない限り、安息に入ることはないです。
かたくなな心は、神様の言葉を受け入れず、神様の言葉があっても証拠を求めます。
いつも文句を言いながら否定をすることであります。高慢になると私たちの心は かたくなになります。
そして、かたくなな心は罪になっていきます。
罪がある者は天の御国には入れないです。これは悔い改めていない姿であります。
悔い改めないならば、心はますます固くなり罪が留まります。
私たちは弱いので罪を犯します。しかし神様の言葉を聞いて悔い改めることが大切です。
「私は罪人です。主よ、赦してください。」のように、「赦してください。」と悔い改めるのは
やわらかい心であります。いつも自分の心を耕します。石や雑草、いばらを全部取り除くことで
ますます やわらかい地になります。
心が固くなり過ぎると、悔い改めができなくなります。
黙示録には教会に送る神様の手紙がありますが、それは そのまま私たちに宛てた手紙であります。
7つの教会のうち、5つの教会に悔い改めなさいという言葉が送られました。
神様はどういうことで悔い改めなさいとおっしゃったのか、
この言葉を送る理由は、教会に来たからと言って、聖日を守ったから、什一献金をしたからと言って、
それだけの理由で天国には入れないということです。
【ヨハネの黙示録2章5節】
・キリストの身体ではない死んだ教会です。
【ヨハネの黙示録2章16節】
・悔い改めないのなら、みことばで刑罰を与えます。
【ヨハネの黙示録2章21-22節】
・悔い改めないと出てくる結果は呪い・滅びであります。
【ヨハネの黙示録3章3節】
・いつ来るか決してわからないので、滅ぼされてしまいます。
【ヨハネの黙示録3章19節】
・熱心になって悔い改めないと滅びます。
そして、残り2つの教会には、そのような言葉ではなく、励ましの言葉を送っています。
【ヨハネの黙示録2章10節】
・信仰を守ろうとする時に、悪魔から激しい戦いと誘惑がきます。その中でも信仰を守り通しなさいと
いうことです。そのことで命の冠を受けます。冠を受ける時まで戦いは続くということです。
【ヨハネの黙示録3章11節】
・取られたら終わりということであります。信仰と悔い改めをしっかり守り、
誰にも奪われてはいけないです。あなたの信仰を揺るがすものが来るかも知れないです。
それでも、それを最後までしっかりと持っていなさいと主が語っています。
ここには、安心しなさい という言葉はどこにもないです。
ただ耳に甘いメッセージだけを聞いて、魂がすっかり居心地が良い眠りについてしまったら
いつイエス様が来られるかわからないです。安心して食べたり飲んだりしている時に
ノアやロトの時代のように、人の子が来ます。
最後まで信仰を守り、自分を聖く保っている人だけが神様が天に引き上げてくださいます。
そして他の人たちは地上に残されてしまいます。その時には悔い改めるチャンスがないです。
ともしびをしっかり持って、油を用意し、目を覚まして いつイエス様が来られても良いように準備してください。
今日が人生最期の日かもしれないです。私たちはその意識がとても大切であります。
最期の時は、悔い改めて信仰を奮い立たせて 神様の御前に出なければならないです。
手遅れにならないようにすることが大切です。
自分はどういう姿なのかを見て、思い当たることがあれば熱心に悔い改めたら良いです。
それが命を守る道であります。 ヽ(TдT)ノ
2013.6.30
聖日礼拝メッセージ
八戸ノ里キリスト教会
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