からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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クリスチャン

みことばの栄養を食べ、食べさせる

テーマは 『 みことばの栄養を食べ、食べさせる 』 です

私たちが生きていくためには、食べ物が必要不可欠であり、栄養のあるものを食べて生きていく必要があるように、私たちの霊も 栄養のある神様のみことばを毎日食べて生きていかなくてはなりません。


特に今日は、そのみことばの栄養を食べていくこと、また自分だけではなく、私たちの周りの大切な人、特に家族にもこの栄養を食べさせないといけないことを見ていきます。



まずは聖書のみことばから「家族」、そして「信仰」について学んでいきましょう。


【第2テモテ1章5節】

私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。

テモテは、お母さんはユダヤ人で、お父さんはギリシャ人(異邦人で未信者)でした。


【使徒の働き16章1-3節】

それからパウロはデルベに、次いでルステラに行った。そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ婦人の子で、ギリシヤ人を父としていたが、

ルステラとイコニオムとの兄弟たちの間で評判の良い人であった。

パウロは、このテモテを連れて行きたかったので、その地方にいるユダヤ人の手前、彼に割礼を受けさせた。彼の父がギリシヤ人であることを、みなが知っていたからである。


ユダヤ人の父親は、子どもたちに律法を教える責任があったのですが、もし信仰がある父親が生きていない場合は、祖母から律法、つまりは神様のことばを学んでいました。


このテモテの信仰を育てたのは、お母さんとおばあちゃんだったのです。

テモテのお母さんと、おばあちゃんがテモテに聖書のことばを小さい時から教え、それからテモテが信仰を持つようになりました。


テモテは、この貴重な何よりも大切な信仰を、親から受け継がれ、迫害があっても、二心にならず、あきらめない、最後まで信仰を捨てないほどの、純粋な神様に喜ばれる信仰をしっかり持っておりました。


テモテが信仰を持つようになった背景には、一番身近にいた、母と祖母という家族の存在があったからです。



私たちは誰かに「信仰を持ってほしい」、「救われてほしい」、「もっと信仰が育ってほしい」と思う時、「とりあえず教会に連れて来たらいいか」と考えませんか?

もちろん、教会に連れて来ることはとても良いことですし、メッセージも聞けるし、他のクリスチャンの方とも交わりができるのでとても良いと思います。


ただ、もしそれが家族であるのならば、私たちがすべきことは、「教会に連れてくること、お祈り、以上。」

なのではなく、実際に御言葉、聖書を伝えていくことがとても大切です。


あなたの家族は、あなた自身の家族であり、他の人ではなく、一番近く、一番影響を与える関係です。

私たちは、その家族とともに、それぞれ信仰を持ち、育てていく「使命」が1人1人にあるはずです。



信仰を育てるためには、神様のみことば、聖書に親しむことがとても大切です。

パウロは テモテに次のように言っています。


【第2テモテ3章14-15節】

けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、

また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。

テモテは、幼いころから聖書に親しんできました。

よく読んでいて、よく知っていました。

そしてそれによって、信仰を持つようになったのです。


あなたの大切な家族、あるいは一番近い人と、一緒に聖書を読んでいくこと、みことばを伝えることがとても大切なのです。




栄養失調




信仰生活は、子育てと同じです。


子どもが生まれると、親は一生懸命、ミルクをあげます。

子どもが生きていくため、成長していくためです。


母乳やミルクから始まり、離乳食に移り、そこから徐々に普通の固形の食べ物を食べるようになります。


普通の食べ物が食べられるようになり、美味しい物が分かるようになり、自分で自分に必要な食べ物は何か、栄養良く食べるようになるのです。

信仰と御言葉、私たちの霊も同じです。



信仰が小さな時は、食べやすく消化しやすいように、分かりやすい御言葉から少しずつ食べ始め、毎日食べることです。

それから徐々に聖書が何を言っているのかが分かるようになっていくと、聖書の深い真理を知り、味わっていくことです。


始めは何が何なのか分からないながらも、少しずつ栄養として食べていくことで、後に徐々に御言葉を悟るようになります。

徐々に悟ることで、少しずつ固い食べ物を食べられるようになるように、御言葉の深い真理を知っていくのです。



そして、自分に今 どんな食べ物が必要なのか、どの栄養が足りていないかが分かり、美味しいもの、体に良い物を選んで食べるように、私たちもその時々に必要なみことばを食べていくことが とても大切なのです。


子どもが食べ物を食べるのは生きていくために必ず必要なことであり、足りないと栄養失調になり、何も食べないと死んでしまうのです。

同じように、毎日御言葉を食べないと、私たちも栄養失調になり、いずれは死にます。






ジャンクフードは、食べている間はとても美味しく感じ、また食べたいと思いますが、それを食べ続けると気付けば栄養失調になり、私たちの健康を害していきます。


私たちも栄養のあるみことばではなく、この世のことばや違う教えを食べると、その一瞬は美味しく感じ、また食べたいと思うかも知れません。


ただ、それを食べ続けると、気付かない間に栄養失調になり、私たちの霊を害し、いずれは死んでしまうのです。


私たちは自分自身が健康に生きるためにも栄養のある このみことばをしっかり毎日食べる必要があるのです。


食べないと死んでいくからです。



また、私たちは自分自身だけではなく、自分の周りの人、特に家族を食べさせていくことも大切です。

あなただけが、健康に生きて、周りの大切な人がどんどん栄養失調になり、やせ細ってしまっていても、それで良いのでしょうか?


あなただけが美味しいもの、体に良いものをパクパクと食べ、横にやせ細り、栄養が必要な人を放っておいても良いのでしょうか。



私たちには、自分たちだけではなく、周りの人にこの栄養あるものを食べさせ、生かす使命があるのです。


それは親が子どものことを愛し、毎日栄養のあるご飯を食べさせるように、私たちも みことばという食べ物を周りの人に食べさせていくことが必要なのです。

ミルクから始め、離乳食を与え、徐々に固形のものを食べてさせていくことです。



今まであまり家族と一緒に聖書を読んだことがなく、どこを読んで良いのか分からない方は、その家族が好きなところからスタートしたら良いです。


ストーリーやドラマが好きな方はぜひ、新約聖書の最初の4つの福音書や、その中のヨハネの福音書からでも良いです。


ことわざや、格言、自分を高めることに興味のある方なら、箴言。

物事をじっくり考えたり、哲学的なことが好きなら、伝道者の書から。

一つずつ順番にするのが好きなら、創世記から。

心にホッとする言葉や、詩が好きな方は、詩編から。


どこからスタートするか、何を読むかはそれぞれその人に合わせて始めたら良いと思います。



聖書を出して、読むことが難しいならば、聖書からの話をまとめて伝えるのも もちろんOKです。

少しずつ、私たちの方から、神様からの愛のメッセージであるこの聖書のみことばを伝えましょう!



信仰を持ち、先にクリスチャンになった私たちには、この救い、みことば、聖書をまずは家族に伝えていく必要があるのですが、それによって、その家族の救いに繋がることもできるのです。


【第2テモテ3章15節】

また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。

人々はいろんな形で救われます。

それは神様のご計画であり、みわざであります。


その救われ方はそれぞれ違いますが、私たちが今持っているこの聖書が、「救い」に導いてくれますし、「信仰」を育ててくれます。


これを読むようになることが大切です。

聖書を読むことは、神様を知ることです。


神様がどんな方であり、何を私たちに伝えたいのか、私たちは神様にとって どのような存在であるのかを知っていくことです。






例えば、自分の夫や妻、仲の良い友達を思い浮かべてください。

その人がどんな人であるのか、何が好きなのか、どんなことに興味を持ち、何を大切にしているのか、よく知っていますよね。


逆に、あまり相手のことを知らずに、仲良くなったり、好きになることはありますか?
―― ほとんどないはずです。


私たちも神様、イエス様が一体どんな方であるのか、何が好きなのか、どんなことに興味を持ち、何を大切にしているのか、それを詳しく知らないと、心から信じたり、愛したり、礼拝することはできないと思います。


まずはいきなり信じようとする前に、イエス様がどんな方であるのかを知っていくことです。

それを知っていくために一番良い方法が「聖書」なのです。

また、聖書は「救いに導く」ことに加えて、次のことでも大切です。


【第2テモテ3章16-17節】

聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。

それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。


この16節は日本語がとても難しいですよね。

もっと分かりやすく言うと このようになります。


聖書は、真実を教え(①教え)、何が間違っているか(罪)に気付かせ(②戒め)、間違えている時に直させ(③矯正)、正しいことをするようにさせる(④義の訓練)ために有益なのです。


このテモテへの手紙が書かれた当時は異端が多かったのです。

間違った教えが多かったので、「聖書(旧約)こそ真実を教えてくれている」と伝えています。




今の時代




今の時代は、ますます何が真理であり、何が正しく、何が間違えているのか、どんどん分からなくなっています。


今まで常識だったことが非常識になったり、「個人の選択、趣向、考え方だ、だから全部受け入れなさい。受け入れないならば、差別です」と言われる世の中になっています。


何が間違っているのか気付かず、むしろ それが合っていると勘違いをする。

あるいは、間違っていると気付いていても、直さない人、逆にそれが正しいと訴える人が溢れている社会です。


その中で私たちは生きていて、特に子どもたちや若い人はすでに曲げられてしまった偽りの真理を、学校や、社会、世の中でまるで それが本当の真理であり、正しいものであるかのように学んでいるのです。

気付かないままに、真理を真理と気付かず、間違ったことを正しいと学ぶ社会になっています。



これはノンクリスチャンの中だけでの話ではなく、クリスチャンの中でも真理を曲げて伝えている牧師、クリスチャン、教会がとても多いです。


その中で、何が本当に正しく、また、間違えているのか、一体何を選択すべきなのかを教えてくれるのは、聖書です。


いつまでも変わらない真理、人間が人間らしくどのように生きていくべきかを、はっきり噓偽りなく書いてくれているのが聖書なのです。

聖書は、私たちの間違いに気付かせ、直し、正しい方に導いてくれます。


盲目な者として、無知の者として生きるのではなく、知恵ある者として、目を覚ましている者として生きることができるのは、聖書なしでは無理です。



聖書のみことばがあなたの中に入っていないと、間違えたことに気付くことも、ストップさせることも、正しい道に戻ることもできません。

それは、私たちだけではなく、私たちの周りの人もそうです。


特に、子どもがいる方は、親として、その子どもを正しい道、命の道へと導く責任があります。



「誰かが教えてくれるから良いや」ではなく、あなたが見本となり、教えていくことがとても大切なのです。


そのためにも もちろん、また、あなた自身が生きるためにも、まずはあなた自身が、聖書に親しみ、それに基づいて生きること、聖書の教えにとどまることが大切なのです。

逆にワクワクしませんか?


聖書は私たちにたくさんのことを教えてくれ、私たちに益をもたらしてくれると思うと、もっと知りたい、読みたいとなりませんか?


一緒に、あなたと、あなたの愛する方たちとこの栄養満点の御言葉を食べていきましょう!
アーメン (。・ω・)ノ゙

2020.6.14
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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携挙される人、残る人

テーマは 『 携挙される人、残る人 』 です

【マタイの福音書24章27-31節】

人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。

死体のある所には、はげたかが集まります。

だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。

そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。

人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。

主の再臨は二回あります。

空中再臨と地上再臨があります。


主の再臨の日は、人々にとっては心臓が凍り付くほどの恐ろしい日であり、驚きの日になります。


なぜなら天の万象が揺り動かされて、闇と稲妻とラッパの響きが全世界を襲うからです。

それが先に起きるので、人々は天地が消え去る恐怖に襲われます。


その時に主が雲に乗って来られ、携挙が起こります。


【ヨハネの黙示録6章12-14節】

私は見た。小羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。そして、太陽は毛の荒布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。

そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが、大風に揺られて、青い実を振り落とすようであった。

天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された。

【ヨハネの黙示録8章10-12節】

第三の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が天から落ちて来て、川々の三分の一とその水源に落ちた。

この星の名は苦よもぎと呼ばれ、川の水の三分の一は苦よもぎのようになった。水が苦くなったので、その水のために多くの人が死んだ。

第四の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、太陽の三分の一と、月の三分の一と、星の三分の一とが打たれたので、三分の一は暗くなり、昼の三分の一は光を失い、また夜も同様であった。

この時にすべての信徒が携挙されるのではなく、わずかな人だけが空中に引き上げられ、多くの信徒は地上に残されます。


そして残された人たちは大患難を受けるようになります。

自分は携挙されると思っていた多くのクリスチャンも残ります。

悲しいですが、そうなります。



しかし携挙されていないから 主がその人を捨てたのではないです。


花婿である主を迎える準備が出来た人は携挙されますが、準備が出来てない人は残されます。


携挙の事件は残された人を生かすためでもあります。

携挙なしに一回だけの地上再臨で終わるならば、救われることもなく、やり直すチャンスもなく、そのまま裁きの対象になります。



携挙される人にとっては主の空中再臨は人生最高の日になり、すべての苦しみから解き放たれる日です。

報われる日になります。


残った人たちはその時に、気付くと思います。

携挙があったことで、主が語ったことばがすべて真実であり、地上再臨も、裁きも必ずあることを確認する機会になります。


それによって目覚めて、主に悔い改めて、命を懸けて信仰を守ると思います。

そして患難を通って救われます。


それが父なる神の愛であり、最善です。




携挙される人・残される人




どのような人が携挙されるでしょうか?


救われた後でも御霊によって導かれ、主の花嫁として主を心から深く愛しながら交わりを持った人、天に望みを置き、主の再臨を待ち望んだ人です。


目を覚まして花嫁の準備が出来た人が携挙されます。

この人たちの姿は次の箇所です。


【ヨハネの黙示録12章11節】

兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。

信仰と従順、忍耐、聖霊充満、みことば充満な生活をしている人たちが携挙の恵みを受けます。



しかし御霊の導きに従わず、自分の知識、計画、思い、本能的な欲望に従って形式的な信仰生活をした人たちは、信仰においても、聖さにおいても失敗したので残されます。


主はその人たちの姿を「地と地に住む人々、地上に住む人々、肉に属する人」と呼びます。

“知っていること” と “信じること” は全然違います。


本物の信仰が必要です。

携挙に残された人々が救われるために必要なものも、“本物の信仰” です。


主との深い交わりがあることが『本物の信仰』です。



携挙に残された人々は、主がゲッセマネの園で汗が血のしずくになるほど 切実な叫びの祈りをしながら父なる神を求めたように求めないと大患難の中で救い出されることはないです。


しかし信仰を持って切に主の名を呼び求めるならば、主の救いを受けることが出来ます。



世界の扉が閉じる時がだんだん近づいています。

いつ携挙が起きても不思議ではない時代のなかを生きています。


主の花嫁としての準備をしながら生きなければなりません。


【第1テサロニケ4章16-18節】

主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、

次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。

アーメン (*^・ェ・)ノ


2020.5.31
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謙遜また謙遜

テーマは 『 謙遜また謙遜 』 です

【第1ペテロ5章5-6節】

同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。

ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。

クリスチャンが身に着けるべき徳の一つが謙遜です。

謙遜にならず 高ぶっているならば、神に敵対する者だとはっきり言われました。


謙遜とは何でしょうか。


神の前に自分が取るに足りない者、価値のない者、愛される資格もない者であることを自ら認める心の態度です。


選ばれたから、救われたから自分に資格があると思うことは間違いです。


次の箇所に私たちが選ばれた理由があります。


【第1コリント1章27-29節】

しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。

また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。

これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。

(私たちに)知恵があるから、強いから、何かを持っているから選んだのではないです。

ですから選ばれた者たちは、神の前にへりくだり、感謝と栄光をささげなければなりません。


パウロは偉大な主の使徒ですが、イエス様のように、本当に謙遜な使徒でした。


自分自身を神の前に取るに足りない者といつも認めていました。


【第1コリント15章8-10節】

そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました。

私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。

ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。

本当に謙遜な発言と態度です。


もしパウロが高慢な者であったならば、神は彼を用いることは出来なかったと思います。

神に敵対する者を用いることは出来ないからです。


神は高慢な者は退けますが、謙遜な者には多くの恵みを約束して下さいました。

どのような恵みの約束があるでしょうか?


【箴言3章34節】

あざける者を主はあざけり、へりくだる者には恵みを授ける。

【箴言22章4節】

謙遜と、主を恐れることの報いは、富と誉れといのちである。

【箴言29章23節】

人の高ぶりはその人を低くし、心の低い人は誉れをつかむ。

【イザヤ書29章19節】

へりくだる者は主によっていよいよ喜び、貧しい人はイスラエルの聖なる方によって楽しむ。

【イザヤ書57章15節】

いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。

「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。

高慢は神の座に座ろうとする心です。


人間の本性の中には高慢があります。

自分が一番で偉いという思いです。


ですからその本性を知り、高慢の本性を打ち叩き、いつも自分を低くして謙遜を身に着けるようにしなければなりません。


高い御座を捨てて、卑しい世に来られたイエス様の謙遜を見習う者になりましょう。


アーメン (´∀`*)

2019.10.13
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聖徒が取るべき神への礼儀

テーマは 『 聖徒が取るべき神への礼儀 』 です

【詩篇30編1-6節】

主よ。私はあなたをあがめます。あなたが私を引き上げ、私の敵を喜ばせることはされなかったからです。

私の神、主よ。私があなたに叫び求めると、あなたは私を、いやされました。

主よ。あなたは私のたましいをよみから引き上げ、私が穴に下って行かないように、私を生かしておかれました。

聖徒たちよ。主をほめ歌え。その聖なる御名に感謝せよ。

まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。

私が栄えたときに、私はこう言った。「私は決してゆるがされない。」

良い人間関係を作るためには、それにふさわしいことばや行動が必要です。


もし礼儀がない行動や悪いことばを使うならば、相手を傷つけるだけでなく、人間関係も壊れてしまいます。

そして自分の印象もとても悪くなります。


ですから人間関係で 皆がその部分では気をつけます。



クリスチャンには、人間関係よりも優先しなければならない関係があります。


それは自分を救い、恵みを与えておられる神との関係です。

神との関係を良くするためにも、神にふさわしい礼儀が必要です。


しかし神に無礼な態度をとる人も多いです。

そういう人は、もちろん神との関係が悪いですね。



皆さんは神との関係が良いですか、微妙ですか。それとも悪いですか?



恵みと祝福は、神との良い関係の中で生まれます。

悪い関係は壊れた関係なので、良いものを受けるためには修復が必要です。


クリスチャンとって、神は絶対的な存在でなければならないです。


人間関係よりも関係が薄いならば、それは深刻な問題です。

「本当にクリスチャンですか?」と言いたくなります。


そういう人は、神を自分の必要のために利用できる存在として考えている人にしか思えないです。

神は利用されるほど愚かな方ではないです。



神は偉大で全知全能なる方で、絶対的な存在なので、それにふさわしい態度や礼儀が必要です。


聖書から神への礼儀を調べます。




いつも主を崇めること




【詩篇30編1節】

私はあなたをあがめます。

あがめることは、心から神を褒め称えることです。


憧れの人に会った時の人々の反応は 感動、感激で言葉も出ず、涙を流したりもします。

そしてその人に対してはすべてを称えますね。

その人をあがめていることが その態度によって分かります。


神を崇める態度には、“神を褒め称えること、神を喜ぶこと、神に感謝すること” があります。


【詩篇7編17節】

その義にふさわしく、主を、私はほめたたえよう。いと高き方、主の御名をほめ歌おう。

【詩篇30編4節】

聖徒たちよ。主をほめ歌え。その聖なる御名に感謝せよ。

【詩篇89編16節】

彼らは、あなたの御名をいつも喜び、あなたの義によって、高く上げられます。



いつも主の御名を誇り、栄光を主に捧げること




主の御名を誇り、栄光を主にささげる理由があります。


主は全能者であり、宇宙と歴史を支配する絶対的な存在であるからです。


主にまさる者は存在しません。



【詩篇20編7節】

ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。

【詩篇29編1-2節】

力ある者の子らよ。主に帰せよ。栄光と力とを主に帰せよ。

御名の栄光を、主に帰せよ。聖なる飾り物を着けて主にひれ伏せ。



主を愛し、主に頼ること




神を愛し、神に頼ることは神中心に生きることです。


その人はすべてを神にかけて生きています。

神と共に歩みます。


【申命記7章9節】

あなたは知っているのだ。あなたの神、主だけが神であり、誠実な神である。主を愛し、主の命令を守る者には恵みの契約を千代までも守られるが、

【イザヤ書26章3-4節】

志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。

いつまでも主に信頼せよ。ヤハ、主は、とこしえの岩だから。



主の御名を語り告げること




すべての人々に神の偉大な御名を語り告げることは生涯すべきことです。


主の御名は隠すべき名ではありません。

すべての人が主を知るように、その前にひざまずくように語り告げることです。


【詩篇22章22-23節】

私は、御名を私の兄弟たちに語り告げ、会衆の中で、あなたを賛美しましょう。

主を恐れる人々よ。主を賛美せよ。ヤコブのすべてのすえよ。主をあがめよ。イスラエルのすべてのすえよ。主の前におののけ。

私たちが日々神様に対して、このような姿勢を見せるならば、神様が喜ばないはずがありません。

神との関係が悪くなるはずもありません。



いつまでも良い関係で、神の恵みと救いと助けと守りを受けます。


神がそうすると約束して下さったからです。


【詩篇37編3-6節】

主に信頼して善を行え。地に住み、誠実を養え。

主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。

あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。

主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。

アーメン (*・ω・)ノ

2019.4.28
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ブレないクリスチャンになるためには

テーマは 『 ブレないクリスチャンになるためには 』 です

【ピリピ4章4-7節】

いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。

あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。

何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

最近アメリカで話題になっている7歳の男の子がいます。

皆さんも すでにニュースで知っていると思います。


100メートルを13.48秒で走った「ネクスト・ボルト」と呼ばれる子どもです。

その身体能力に人々がびっくりしました。

そこまで早く走れたのは、単に足が速いからではなく、彼の走りを見た専門家たちによれば、彼の体幹筋がすごいからだと言われました。


4歳の時から体幹筋を強くするトレーニングをやっていると言われました。

毎日トレーニングで体幹筋を鍛えたので体がまったくブレないし、それによって早く走ることが出来たと言われました。


体幹筋は、体の胴体部分で内臓を支える機能とともに、運動時にバランスを取るため骨格筋を動かす際の最初に動かす筋肉です。


この筋肉が弱ると運動が不安定になり、バランスが取りにくく、体がブレてつまずいたりします。

それぐらい体幹筋は体を支える重要な筋肉です。

トレーニングによって鍛えることが出来ます。



ブレないクリスチャンになるためには、私たちの心に体幹筋のような霊の筋肉が必要です。


今日の本文には “どのようにしたら霊の筋肉を訓練によって付けることが出来るか” のヒントになることばがあります。




いつも主にあって喜ぶことです




別のところでも同じことばが語られてあります。


【第1テサロニケ5章16節】

いつも喜んでいなさい。

主の外にいるならば、このことば通りに生きることは不可能です。


しかし主にあって生きるならば出来ます。



罪赦された事、神の子どもになった事、救われた事、主の守りと恵みと助けがある事、これらのことだけでも喜ばずにおられるでしょうか。


それらのものは いのちよりもお金よりも、健康よりも、成功よりも大切なものです。

一番価値あるものです。


それを自覚しているならば、自分を幸せな者と思って喜ぶことが出来ます。




寛容な心を持つことです




どのような心が 寛容な心でしょうか?


寛容な心は、“広い心” です。

そして一番広い心は、次のような心です。


【マタイの福音書5章44-45節】

しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。

それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。


イエス様は、神の敵として生きていた私たちを赦し、受け入れ、愛して下さいました。

このように 先に模範を見せて下さいました。


寛容な心をすべての人に知らせなさいと言われたことは、すべての人に対して寛容であることです。

嫌いな人にも、敵にも寛容であることです。


私たちも広い心になれるように、人を赦す訓練、受け入れる訓練が必要です。




思い煩わず、感謝と祈りを絶えずささげることです




思い煩いは、受けた過去の恵みを忘れた時、神に頼らない時に出やすいものです。


思い煩わないためには 過去に受けた主の恵みを絶えず思い起こし、主に頼ることです。

そこから出て来るのが感謝であり、祈りです。


私たちは元々恵みを受ける資格がない者です。

反対に呪いを受けて当然の罪人です。



高慢な人は、自分には恵みを受ける資格があると思うので、主の前でも偉そうにします。

ですから神は高慢な者を忌み嫌い、御前で退きます。


使徒パウロは、絶えず主に感謝と祈りをささげました。

過酷な環境の中でも それが出来た理由は何でしょうか?


彼は主のあわれみと恵みを知り、その後に、自分の高慢を徹底的に砕きました。


パウロの告白でそれが分かります。


【第1コリント15章8-10節】

そして、最後に月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました。

私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。

ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。

救いの恵みを これほどまでに感謝しながら生きている人はあまりいないと思います。


あれほどのたくさんの主の働きをしながらも、これほどまでに謙遜で、主に頼った人物はいないです。

主のために死ぬ時も喜びながら死にました。

霊の軸がまったくブレなかったです。



私たちも パウロの中にあったものがあるならば、どんな環境の中でもその信仰はブレることはないでしょう。

人につまずくことも、倒れることもないと思います。


神のことばを口にする者がクリスチャンではないです。

サタンでさえも神のことばを頻繁に使いながら人々を惑わします。


クリスチャンは イエス様から学び、みことばを実践しながら、ますますイエス様に似る者となり、キリストの香りを放つ者にならないといけないです。


これらのものが備えられるならば、神の平安が心と思いを守って下さると約束して下さいました。


心と思いに神の平安がないならば、何かが欠けてあるからです。

足りないものを訓練して備えましょう。
アーメン ( ̄‥ ̄)=3


2019.2.17
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エルサレムに対する主のことば

テーマは 『 エルサレムに対する主のことば 』 です

【詩篇122編1-8節】

人々が私に、「さあ、主の家に行こう」と言ったとき、私は喜んだ。

エルサレムよ。私たちの足は、おまえの門のうちに立っている。

エルサレム、それは、よくまとめられた町として建てられている。

そこに、多くの部族、主の部族が、上って来る。イスラエルのあかしとして、主の御名に感謝するために。

そこには、さばきの座、ダビデの家の王座があったからだ。

エルサレムの平和のために祈れ。「おまえを愛する人々が栄えるように。

おまえの城壁のうちには、平和があるように、おまえの宮殿のうちには、繁栄があるように。」

私の兄弟、私の友人のために、さあ、私は言おう。「おまえのうちに平和があるように。」私たちの神、主の家のために、私は、おまえの繁栄を求めよう。

トランプ大統領が「エルサレムをイスラエルの首都に認定」と正式表明したことで、世界中が騒いでいます。


全世界の言論、国連、パレスチナを初め アラブ諸国、ロシア、トルコ、中国、ヨーロッパ諸国までトランプ大統領を非難しています。

様々な悪口を言っています。


これは、神の完全な御心によって行われている預言の成就に対して、この世の闇の勢力の姿を見せているので、今が終わりの時代であることがよく分かります。


クリスチャンはこの世と歩調を合わせるのが正しいやり方でしょうか?


クリスチャンはイスラエルに対する神のみこころをどのように分別すべきか、何を祈るべきかを、聖書の観点から考え、正しい認識と姿勢を取らなければなりません。


この世と人々は 聖書を知らないし、神の思いも知りません。


神のみことばに対する理解や、正確な啓示に基づかず、人間の浅い理性や世の常識や思いで善悪を判断するので、その結果は “イスラエルに対する反感や偏見” です。


またクリスチャンさえも宗教的な考えを持っている人は、イスラエルに対する神の契約を理解せず、神がイスラエルを溺愛するのではないかと思い、なぜイスラエルがカナンの地に住む人たちを追い出しているのかと思っています。


しかしその人たちは、ユダヤ人の先祖であるアブラハムの時代から選民として 神に選ばれたユダヤ民族と、彼らに与えたカナンの地とエルサレムに対して聖書がはっきりと語っていることを知らなければなりません。

神は何度も土地のことをアブラハム(アブラム)に語りました。


【創世記15章18-21節】

その日、主はアブラムと契約を結んで仰せられた。「わたしはあなたの子孫に、この地を与える。エジプトの川から、あの大川ユーフラテス川まで。

ケニ人、ケナズ人、カデモニ人、

ヘテ人、ペリジ人、レファイム人、

エモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人を。」

そこに住んでいた人たちが、そこから追い出された理由は 彼らの悪のためでした。


【申命記9章4-5節】

あなたの神、主が、あなたの前から彼らを追い出されたとき、あなたは心の中で、「私が正しいから、主が私にこの地を得させてくださったのだ。」と言ってはならない。これらの国々が悪いために、主はあなたの前から彼らを追い出そうとしておられるのだ。

あなたが彼らの地を所有することのできるのは、あなたが正しいからではなく、またあなたの心がまっすぐだからでもない。それは、これらの国々が悪いために、あなたの神、主が、あなたの前から彼らを追い出そうとしておられるのだ。また、主があなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブになさった誓いを果たすためである。

このようにして イスラエルは、今の土地を神から与えられました。

しかしイスラエル人に対しても、彼らが神に聞き従わないならば試練が来ることを警告しました。


【申命記28章64-66節】

主は、地の果てから果てまでのすべての国々の民の中に、あなたを散らす。あなたはその所で、あなたも、あなたの先祖たちも知らなかった木や石のほかの神々に仕える。

これら異邦の民の中にあって、あなたは休息することもできず、足の裏を休めることもできない。主は、その所で、あなたの心をおののかせ、目を衰えさせ、精神を弱らせる。

あなたのいのちは、危険にさらされ、あなたは夜も昼もおびえて、自分が生きることさえおぼつかなくなる。

実際にユダヤ人は2千年の間、全世界に散らされて、ひどい目にあいました。

しかし神は彼らに回復の預言も与えて下さいました。


【ゼカリヤ書8章1-3節】

次のような万軍の主のことばがあった。

万軍の主はこう仰せられる。「わたしは、シオンをねたむほど激しく愛し、ひどい憤りでこれをねたむ。」

主はこう仰せられる。「わたしはシオンに帰り、エルサレムのただ中に住もう。エルサレムは真実な町と呼ばれ、万軍の主の山は聖なる山と呼ばれよう。」

ゼカリヤ書8章には、“主はこう仰せられる” ということばが繰り返して出てきます。

それはエルサレムの回復に対する神の強い思いと決断、そして実行しようとする確固たる神の意志が現れてあります。


神がユダヤ民族をこれほど愛しているのは、彼らが “神の民” であるからです。

聖書にはエルサレムということばが、756回も出てきますが、コーランには1回も出ていないです。

エルサレムが イスラエルのものであることの証明でもあります。






そして今回、トランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都に認定したことで騒いでいる様子も、すでに聖書に預言されてあります。

この預言は 今から2,535年前の預言です。


【ゼカリヤ書12章2-3節】

見よ。わたしはエルサレムを、その回りのすべての国々の民をよろめかす杯とする。ユダについてもそうなる。エルサレムの包囲されるときに。

その日、わたしはエルサレムを、すべての国々の民にとって重い石とする。すべてそれをかつぐ者は、ひどく傷を受ける。地のすべての国々は、それに向かって集まって来よう。

まさに いま世界はこのような状態になってきました。


トルコが一番強く反発し、ロシアと急接近しています。

ロシヤもイスラエルを狙っています。


イランの軍司令官は、エルサレムがシオン主義者の墓になると語りました。

トランプ大統領は歴史の中で一番愚かな者だと言いました。


ハマースもムスリムが立ち上がるように強くイスラエルに反発しています。

マレーシアは軍隊を派兵すると言いました。


エルサレムを首都に認定しただけで 全世界がこのような騒ぎをすることを 偶然だと思いますか?


これは、神は終わりの時代に必ず起こることとして預言しました。


聖書にあるほとんどの預言が実現されました。

残っているのは終わりの時に関する預言だけです。


トランプ大統領の今回の宣言は、自分で考え出したことではないです。

すでに1995年、米議会で大使館をエルサレムに移すことを決意しました。


しかし歴代の大統領は何もしませんでした。

トランプ大統領は選挙の時に、エルサレムがイスラエルの首都であり、大使館を移すことを公約していました。


しかし誰もトランプ大統領が実行するとは思いませんでした。

今までの大統領は公約で語っても自分の立場ばかり考えて実行しなかったですが、トランプ大統領は勇気をもって実行しました。


世界の指導者たちも、10年前まではイスラエルに対して友好的だったのに、どうしてこんなに変わってしまったのでしょうか?


多くはパレスチナやメディアの言うことに騙されています。

彼らは、真実を “真実” として伝えていないです。


そしてアラブの産油国の反発を恐れて、言うべきことも言えず、イスラエルを非難しています。


イスラエルのネタニヤブ首相は、トランプ大統領のエルサレム首都認定のことばを聞いて、エルサレムは3千年前からイスラエルの首都であり、今回のことが平和への道であると歓迎しました。


そしてユダヤ教のラビ250人は、トランプ大統領に手紙を送りました。

トランプ大統領の行動によってゼカリヤ書8章4節の預言が成就したと伝えました。


【ゼカリヤ書8章4節】

万軍の主はこう仰せられる。「再び、エルサレムの広場には、老いた男、老いた女がすわり、年寄りになって、みな手に杖を持とう。

人々はトランプ大統領が様々な理由があって今回のことをしたと言いますが、神は歴史を動かす主であり、神の計画のために、誰かを選んでその働きをさせます。


次の箇所には、アブラハムに語った主の約束があります。


【創世記12章3節】

あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。

歴史を調べてみて下さい。

国々の中でこの通りになったことを発見すると思います。


トランプ大統領がイスラエルを祝福することは、アメリカの祝福になります。

神の約束ですから。


そして、これからのイスラエルに対する預言があります。


エルサレムが、攻めて来る者たちに包囲されます。

ですが聖書は、その結果に対しても預言してあります。


【ゼカリヤ書12章8-9節】

その日、主は、エルサレムの住民をかばわれる。その日、彼らのうちのよろめき倒れた者もダビデのようになり、ダビデの家は神のようになり、彼らの先頭に立つ主の使いのようになる。

その日、わたしは、エルサレムに攻めて来るすべての国々を探して滅ぼそう。

今までイスラエルとアラブ諸国との中東戦争を見ても、神の助けがあってイスラエルが勝利しました。


人間的には勝つことが出来ない戦争でした。

神はすでに語ったことば通りに実行なさる方です。


終わりの時に世界戦争が起こることも預言されてありますし、世界の国々がエルサレムを攻撃することも2千年前に預言されていました。

偶然に起こることではないです。


クリスチャンがどのようにすべきかは、今日の本文である詩篇122編にあります。


私たちの力で出来ることがありますか?

―― 何もないです。


ただ神様が私たちにしなさいと命じられたことをすべきです。


エルサレムの平和のために祈ることです。


今までの状態が平和ではないです。

今あるのは、“偽りの平和” です。


絶えずそこでは戦いがあります。

偽りの平和が消えて、真の平和が来るように祈ることです。


神がアブラハムに約束した通りの状態になることが真の平和への道です。

聖書で、3千年前から神が決めておられることを認めることです。


事実を認めず、偽りを信じては何の解決にもならないです。

事実を知りたいならば聖書を読んでみて下さい。


そこにすべて書かれてあります。


信徒たちもそれを正しく知り、エルサレムの平和のために祈ることです。

アーメン (・∀・)つ


2017.12.17
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主の名によってすべてをなす

テーマは 『 主の名によってすべてをなす 』 です

【コロサイ3章17節】

あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。

クリスチャンとして生きるために一番重要な教えが 本文のことばです。

自分をクリスチャンだと思うならば、自分とキリストを引き離すことは出来ないです。


使徒パウロは、強いことばで 自分とキリストの関係を語りました。


【ガラテヤ2章20節】

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

自分の存在はなく、いつもキリストの存在を現していました。

キリストのために生きた人生で、それによって誰よりもキリストに栄光をささげ、人々を主に導きました。


キリストもパウロを愛し、大いに用いて下さいました。


そのように私たちも キリストを現す生活をいつも心掛けながら生きているでしょうか?


「彼(パウロ)は別格だ」 と思ってはいけないです。

彼も私たちと同じ人間です。


キリストに対する思いが私たちとは違っていました。


自我を殺し、キリストに見習う生活を常にしました。



キリストは、すべての信じる者に(パウロと)同じことを期待しています。

キリストにふさわしく生きることを願っています。


ですから、“主の名によってすべてをなすこと。” は、キリストが私たちに望む生き方です。



“主の名によってすべてをなす” ことは、主の尊い名が汚されることなく、その名が みなからあがめれるようにすることです。


主に迷惑をかけることではなく、栄光をささげることです。


最近も、有名人の息子が覚せい剤使用で逮捕され、父親が涙を流しながら謝罪する場面を テレビで観て、心が痛みました。

息子は子どもでもなく、すでに大人であるのに、そして親は悪いこともしていないのに、人の前で泣きながら頭を下げて謝る姿は 本当に悲しくなります。


その姿を息子に見せて、深く反省してもらいたい気持ちになりました。

「お前のせいで、親がこんなに辛い思いをしているんだよ」と。


子どもは、自分のせいで 親が辛い思いをしていることに対して 責任を感じなければならないです。

そして、これは クリスチャンにも当てはまります。



クリスチャンが もし悪いことをするなら、一番の被害者は “イエス様” です。


イエス様の名が地に落ち、イエス様や教会に迷惑をかけることになります。


ですから、“主の名によってしなさい” と言われることは、常に主の名誉と栄光のことを まず考えなさい ということです。


私たちが すべてにおいて主の名を使うことは、“徹底的に主に頼って生きること” を意味します。

頼らないと、信じる者にふさわしい行動が出来ないからです。


そもそも "クリスチャン” とは、自分に頼ることをやめて、キリストに頼ることを選んだ人です。


主に頼らないと、キリストから言われたことは何一つ出来ないです。


赦すことも、愛することも、仕えることも、犠牲を払うことも出来ないです。

自分の思いで、自分の力で、憎い人を愛せますか?
罪を犯した者を赦せますか?


しかし、取るに足りない自分を受け入れたイエス様のことを考えると、罪深い自分を赦して下さった主の赦しに感謝の思いが出てきて、愛される価値のない自分を愛して下さったイエス様の事を思いながら主に頼ると それが出来るようになります。


主が私のような者を これほどまでに愛して下さったのに、「あの人を赦すことは出来ません」とは言えない思いになります。


「感謝もなく、ありがたさも分からないような人間に なぜ私が仕えなければならないのか」 と思われますが、主の名を使うと 主がまず私に仕えて下さったのに、私が何者で、出来ないと拒否できるのか という思いになります。


父なる神が、キリストを通して 自分にして下さったことをいつも思いながら、主イエスの名で主と同じことをしていく時に、それによって父なる神に感謝をささげることが出来ますし、栄光をささげることが出来ます。


主イエスの名によって ことばや行動をするならば、それでクリスチャンにふさわしい姿になります。


主の名を使って悪いことは出来ないはずです。

本物ではない偽善者は主の名を使って 多くの者を惑わしたりします、その人たちが後に受ける裁きは厳しいものになります。


クリスチャンは何をするにも、それが神の御心に適うことなのかを考えることです。


しかし、どんなに良いことに思われても、神の御心と反してあるならば、神の栄光にはならないです。


それは良い結果が期待できないです。



人前では、自分はキリストの大使である自覚が必要です。

大使はその国を代表する者です。


ですから発言にもすごく気を遣いますし、行動も国に迷惑が掛からないように慎重です。


クリスチャンも、神の国の大使として “主に遣わされた者” です。


神の国がいかに素晴らしい国であるかを人々に伝え、神からのメッセージを人々に伝える任務を任された人たちです。


ですから、神にも 神の国にも迷惑が掛からないようにしないといけないです。

自分のせいで誰かがつまずいたら それはいけないからです。


【第1コリント10章31節】

こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。

【エペソ5章20節】

いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。

アーメン (・∀・)つ


2017.10.15
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無効な悔い改めと 真の悔い改め

テーマは 『 無効な悔い改めと 真の悔い改め 』 です

【使徒の働き3章19節】

そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。

2、3日でも髪を洗わないと、髪は脂っぽくなり 絡まりますし、臭いもします。

同じく 体も洗わないと、だんだん臭くなります。


本人も気持ち悪く感じますし、周りの人も臭いので近付きたくありません。

ですから私たちは嫌でも毎日のように体を洗います。

そして、それは毎日の習慣になってあります。


「なぜ洗わないといけないですか。」と言う人もいません。

それが当たり前になっているからです。



“悔い改め” は、神を知らない人にとっては「それ何?」と言われるでしょう。

「何を悔い改めるの?私、何か悪いことでもした?そんな覚えないけど。」と、そこで おしまいですね。



しかしクリスチャンになった人は、そうであってはいけないです。


神が忌み嫌うのが罪であることを知って、イエス・キリストが私たちの罪のために十字架にかかったことを知っているならば、罪の問題を軽く考えてはいけないです。


悔い改めは、“心を洗うこと” で、心に付いた汚れをきれいに洗って、主に立ち返ることです。


そして自分の考え、価値観、行動パターンを、神の民らしく変えることです。


悔い改めは、単純に感情の変化程度ではなく、生き方の体制が変わることです。


聖書を読むと、様々な人の悔い改めの姿がありますが、神が受け入れた悔い改めと、そうではない悔い改めがあります。

そしてその結果も全然違います。

無効な悔い改めが多いことにも気付きます。


悔い改めがなかった人、無効な悔い改めをした人、神が認めた真の悔い改めをした人を調べます。


神は罪を赦す神なので悔い改めを待っておられます。





アダム、エバ、カイン、イスカリオテ・ユダなど
(悔い改めがなかった人たち)




人類最初に罪を犯し、世界に罪をもたらしたアダムとエバは、罪を犯した後に 悔い改めた姿がありませんでした。


罪を犯した後に、自分たちが裸であることに恥を感じましたが、罪がない時には 神の前で裸であっても恥ずかしいとは思いませんでした。


しかし罪を犯した後に恥を感じました。

以前とは違う心の変化に彼らは気付きました。


神の言葉に違反したことで生まれた恥という思いに対して、神の前に出て 罪を悔い改めなければいけなかったのに、ふたりは悔い改めず、自らがその問題を解決しようとしました。


その方法とは 次の箇所です。


【創世記3章7節】

このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。

自分たちの方法で罪を隠せると思いました。

しかし、それで罪が隠れることも消えることもありません。


彼らの息子であったカインは、弟を殺した最初の殺人者ですが、彼も親と同じく悔い改めがありませんでした。


神は彼に現れて聞きました。(創世記4章9節)

「あなたの弟アベルは、どこにいるのか。」
それに対して、彼の答えは「知りません。私は、自分の弟の番人なのでしょうか。」

と嘘を言い、開き直りました。


神はすべてを知っていました。

神から罪を指摘されても彼は悔い改めませんでした。


ただ 自分にくだる罰がこわくて、自分のいのちが守られるように 必死に神に求めました。

悔い改めなかった彼らは、今どこにいると思いますか?

神の恵みによって 天国と地獄を何度も訪問した ある牧師先生から聞きました。


ある時にどうしても知りたくて、イエス様に聞いたことが「アダムとエバは今どこにいますか?」でした。


それから御使いたちに案内されて行った場所は地獄でした。

そこでアダム、エバ、カインを見ました。

とても悲惨な姿でした。


長い間、彼らがそこで苦しみを受けていることが良くわかりました。


罪を悔い改めない人は、誰でも彼らのように地獄に行きます。


聖書の神のことばです。

イスカリオテ・ユダはどうでしたか?


彼は主の十二弟子の一人でありながら、お金でイエス様を敵に売りました。

その後に彼は自分の行動を後悔しました。


主の前で悔い改めたのではなく、彼も自らの方法を取りました。

それは自殺でした。
彼は首をつって自殺しました。


それで罪が無くなったでしょうか?

神が求めるのは、そういう事ではないです。


神に立ち返って悔い改めることです。


神は、赦す用意をして待っておられます。


立ち返る場所は主であって、自分のいのちを絶つことではないです。





ペテロの悔い改め
(真の悔い改め)




イスカリオテ・ユダと同じく、ペテロも十二弟子の一人でした。


彼もイエス様のことを、3度も “知らない” と嘘を言いました。


それも最後は、呪いながら 「自分はイエスを知らない」 と言いました。

ユダも悪かったですが、ペテロもそれに負けず悪かったです。


しかし彼が自分に語った主のことばを思い出した時に、彼の中に激しい心の動揺がありました。

主のことばで、自分が犯した罪の重さに気付きました。


それで彼は何をしたでしょうか?


【マタイの福音書26章75節】

そこでペテロは、「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います」とイエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。

この涙は、悔い改めの涙です。

心から出てくる涙こそ、悔い改めの涙です。


今、クリスチャンに必要なものは このような涙です。


涙が枯れているならば、その心も枯れています。

悔い改めの涙が必要です。


【第2コリント7章9-10節】

今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、あなたがたが悲しんで悔い改めたからです。あなたがたは神のみこころに添って悲しんだので、私たちのために何の害も受けなかったからです。

神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。




サウル王の悔い改め
(無効な悔い改め)




サウル王は、最初は謙遜な人でした。

神は彼をイスラエルの初代王にしました。


しかし彼が王になってから、彼は神に対して不従順するようになりました。

神の命令を聞いても、それを素直に行ったのではなく、勝手な解釈をして不従順の罪を犯しました。

そして、それを罪とも思わなかったです。


サムエル預言者から叱責を受けた時に、すぐに民を非難して民のせいにし責任転嫁をしました。


また 神との関係よりも 人との関係を重視して、神に犯した罪の重大さに気付かなかったです。

そして神からの厳しいことばを聞いた後も、神に不従順したことを悔いるよりは 自分が受ける損失に対して悲しみました。


彼は罪を指摘された時に次のようなことを言いました。


【第1サムエル記15章24-25節】

サウルはサムエルに言った。「私は罪を犯しました。私は主の命令と、あなたのことばにそむいたからです。私は民を恐れて、彼らの声に従ったのです。

どうか今、私の罪を赦し、私といっしょに帰ってください。私は主を礼拝いたします。」

悔い改めているように見えますが、実際は口先だけの悔い改めで、彼は神に立ち返りませんでした。

自分の面目を保つためだけでした。


その後、彼はますます神に逆らいながら罪を犯す者になり、完全に破滅してしまいました。


真の悔い改めがないと、心はさらにかたくなになり、真理に逆らいますし、霊的には盲目になり、闇の道を歩み、最後は永遠の滅びの刑罰を受けます。





ダビデの悔い改め
(真の悔い改め)




ダビデも神の前に、姦淫の罪と 殺人の罪を犯しました。


神は、彼が自ら悔い改めることを願って しばらく時間を与えましたが、彼は自分の罪を隠していました。


その間、彼は精神的にも肉体的にも衰弱していきました。

喜びも無くなり、力も無くなりました。


それを見て、神は預言者ナタンを彼に遣わしました。

預言者は彼の所に来て 祝福のことばは一言も話さず、罪を悟らせるための言葉だけを語りました。


その時、ダビデは厳しいことを言うナタンを殺すことも出来ましたが、彼はナタンの忠告に感謝しました。


後に、ダビデは自分の子に ナタン という名前まで付けました。


ダビデは言い訳をせず、忠告を受け入れて、神の前に涙を流しながら 徹底的に自らの罪を悔い改めました。

その時の告白が詩篇51編です。


【詩篇51編1-4節】

神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってください。

どうか私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。

まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。

私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行いました。それゆえ、あなたが宣告されるとき、あなたは正しく、さばかれるとき、あなたはきよくあられます。

ダビデはそれ以来、罪から離れ、神の御心に従って歩み出しました。


真の悔い改めは 行動が伴い、悔い改めにふさわしい実を結びます。


神は その人の罪を赦し、いのちを与え、新しい心と霊を与えます。

携挙されるためにも、徹底的な悔い改めが必要です。


天国に入るためにも、救いや祝福を受けるためにも、悔い改めが最も必要であることを自覚しましょう。


悔い改めをないがしろにしてはいけないです。
。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン


2017.4.2
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会


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キリスト、神の愛―その愛を伝えるのがクリスチャン

テーマは 『 キリスト、神の愛―その愛を伝えるのがクリスチャン 』 です


本当の意味でクリスチャンとは?

イエス・キリスト(神)を愛する人、人々(互い)を愛する人

だれでもイエスを愛する人は、イエスのことばを守ります。


【ヨハネの福音書14章23節】

イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちは その人のところに来て、その人とともに住みます。


【ヨハネの福音書14章15節】

もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。



【ヨハネの福音書14章21節】

わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を 彼に現します。」


【ヨハネの福音書15章10節】

もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、 わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。


【ヨハネの福音書15章12節】

わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。


イエス様のことば(戒め)とは?


【ヨハネの福音書15章17節】

あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです。


【ヨハネの福音書13章34-35節】

あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

もし互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。




イエスへの愛、人々への愛を通してこの世にイエス、その愛、そして私たちがイエスを愛するクリスチャンということを知ってもらう


なぜこの世に知ってもらうのか?


【ヨハネの福音書3章16-17節】

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、 永遠のいのちを持つためである。

神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。

イエス様がこの世に来た意味、そして神様がわざわざ自分の愛するひとり子をこの世に送ってくださったその意味は、つまりこの世が救われるため。


この世とは?

この世界のすべての人。全員。つまりあなたの周りの人々、家族、友達、同僚、知り合い、近所の人、道端を歩いてる人、すべてです。


人々が救われなければならない。
人々がこのイエス様が来てくださったこと、それほどまでに神様が私たちを愛してくださっていることを知らなければならない。


日本に生きていること、そのことのすごさ

キリストの愛を伝えたくても周りにいなくて伝えられない人もいる。日本に来て福音を伝えたくてたまらなくて、お祈りをささげて、日本語を一生懸命勉強し、お金も一生懸命ためている人がたくさんいる


あなたは本当に隣人を愛していますか?

本当に愛するのならばその人々が滅びていくのを見て平気でいられるわけがない。

イエス様が望んでおられることは、私たちだけがイエスを信じ愛し 救われるのではなく、この世のみんながイエス様を知り、その愛を知り、人々が救われること。

その愛を伝えるのがクリスチャンである。


どうしたら伝わるのか?


【ヨハネの福音書13章34-35節】

あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたが私の弟子であることを、すべての人が認めるのです。


愛を通してこの世はイエスの愛を知る


【ヨハネの福音書15章5-9節】

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。

あなたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。

あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。

父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。


イエスの愛にとどまり、またわたしたちが求めることでこの世はイエスの愛を知り、実が結ばれ、神様を栄光をお受けになる。


どれだけうまく伝えるか、どれだけ知識がいるかではない。
もちろんうまく伝えること、たくさんの知識を持って伝えることも大切である。

だけど一番大切なのは愛である。その人、人々を愛すること。

つまりその愛する人々すべてが救われること。
自分の楽しみ、自分の喜びのために生きるのではない。


この世のすべての人々が救われてほしいと思っている神様

ひとり子イエス・キリストをこの世に送り出し、十字架で死なせるほどの自分の中の最大限、ベストをしてくださった神様、また自分のいのちをわざわざこのような罪深く、自分のことばかりを愛している私たちのためにすててくださったイエス様。

今もすべての人が救われてほしいと思い、祈ってくださっているイエス様。

その大きな愛のために私たちも もっと神様を愛し、人々を愛し、その救いを伝えていかなければならない。

愛を持ってすること。
それがすべて。(・◇・)ゞ

2015.1.4
聖日礼拝メッセージ

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今、悔い改めなさい

テーマは 『 今、悔い改めなさい 』 です

【ヨハネの黙示録3章19節】

わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。

今まで「悔い改めなさい」というメッセージを何度かしたことがあり、最近では3月に語りましたが、
その時の悔い改めのメッセージと、今回の悔い改めのメッセージは神様は違った形で語ってくださいました。

イエス様は教会や信徒に対して、本文に書かれてあるように「熱心になって悔い改めなさい。」と語りました。


ある人がイエス様の導きで天国に連れて行かれました。

天国の素晴らしさを見て感動しました。
そして天国をすべて見せた後に、イエス様は小さな箱のようなものを持ってきました。
その箱を開けてみると、そこにはムチが入っていました。

天国ではムチは相応しくないものですが、イエス様はムチを取り出して近くにあった椅子を思いっきり叩きました。
イエス様がムチを打ちながら語った言葉が「わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。」でした。


これは悔い改めない神の子どもたちに対し、神様は懲らしめるために愛する者をムチで打つのだということをイエス様が見せてくださいました。

「今、悔い改めなさい」という言葉を聞いている人は幸いです。既に地獄へ行っている人にはそのチャンスがないのです。

悔い改めるチャンスを逃した人が地獄に入り、そこで永遠に苦しまなければならないのです。


教会にこのような言葉を送るということは、信じた後は誰でも罪を犯したり倒れたり堕落したとしても関係なしに天国へ行けるのだという言葉を否定するものです。

もし、罪を犯しても天国へ行けることが事実ならば、イエス様は「熱心になって悔い改めなさい」と言う必要がないです。

しかし聖書には悔い改めなさいという言葉がたくさん書かれています。


まだ(イエス様を)信じていなく罪の中にどっぷりと浸かっている人に対しては当然のように「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから 信じて救われなさい。」と伝えます。私たちもその言葉によって救われました。

神様は、神様の子どもになった人に対しても、「熱心になって悔い改めなさい。」と伝えます。

ムチ打たれても悔い改めないならば、その後はないです。神様は命を取ります。
そして行くところは地獄であります。




地獄の証



以前に話をしたことがありますが、クリスチャンが地獄を見た時に、そこには多くのクリスチャンがいることにびっくりします。

イエス・キリストを信じなくて地獄へ来た人もいますが、中には以前クリスチャンだった人たちが地獄にいるので きっと驚くと思います。


イエス様は多くの人々に天国と地獄を見せていますが、その目的はただ1つです。

人々が信じないからです。
世の中の人たちは地獄など存在しないと思っていますし、クリスチャンたちは “私たちは何をしても天国に入れる”と考えており、地獄は関係がないと思っているので イエス様は天国と地獄を見せて、裁きがあることを伝えているのです。

そして地獄を見た人たちは“他の人たちに伝えなさい”ということで頻繁にそのようなことが起きています。


終わりの時代ですので、誰も地獄には行って欲しくないという強い思いが イエス様にはあります。


ある姉妹が、地獄を見た時にびっくりしました。

それは以前 同じ教会にいた献身的な信徒で、イエス様を愛し、よく仕え、たくさんの奉仕をし、聖書に書かれている善行もたくさん行っていた人でした。

捧げものもきちんと捧げ、貧しい者にも愛をもって施しをした人なので、誰が見ても天国でイエス様に歓迎されて冠を受けて一番良い所に座っていると思われるような人でした。

何と その人を地獄で見付けました。それを見た姉妹が心に激しい動揺を感じました。


火の中で燃えている姉妹を見て、イエス様に「クリスチャンも地獄に来るんですか?彼女は評判の良いクリスチャンでした。なぜ あの姉妹がここにいるんですか? 信じられません。私たち教会の人々は彼女が天国でたくさんの報いを受けていると思いました。」と言いました。


そこでイエス様は、このように語りました。

“彼女はサタンの嘘に騙されていたのだ。
サタンは彼女の耳元で「大きい罪は悔い改めても、小さい罪は悔い改めをしなくて良い」と囁き、 彼女は大きな罪と小さな罪を自分で区別していた。”


私たちは大きな罪は神様の御前で悔い改めますが、小さな罪には罪責感を感じますが それが命取りになるとは思っていないのです。

しかし彼女は悔い改めをせず、小さなことだと思い それを延々と続けました。
サタンが彼女を騙していたので、神様は何度も“悔い改めなさい”と語りましたが、彼女にはサタンの言葉の方が都合が良かったのです。

なぜなら 自分が犯している小さな罪を捨てたくなかったからです。
ずっと小さな罪を続けて、最期まで小さなことだと思って悔い改めなかったのです。


ですから神様は「彼女がわたしを愛したとしても 彼女は最期までわたしのことばに耳を傾けず、罪を持ったまま死んだ。だから地獄へ来たのだ。」と語りました。

私がその証を読んでいる時に、突然 心の深い所から震えるほどの恐怖心を抱きました。それは「自分が地獄に落ちるのではないか」という恐れでした。
今までの罪は悔い改めて生きていますが「私はサタンに騙されていることはないでしょうか?」と。主の前で「私の罪を赦してください。」と、すぐに悔い改めのお祈りをしました。


今まで神様に甘えて「天国へ行くのだ」と思っていましたが、地獄へ行った彼女が立派な信仰生活をしていたにも関わらず、そのような人も地獄へ行くならば 私も例外ではないと必死に震え上がりながら祈りました。恐ろしくてまるで自分が地獄にいるような感じがしました。





そこで主が語った言葉があります。次の箇所です。


【Ⅰコリント9章27節】

私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私が他の人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。

自分のからだを打つということは、罪と激しく戦う姿です。
神の言葉に自分の肉の思いを従わせるのです。

パウロは人々に福音を伝えていますが、パウロは日々 自分のたましいを見ながら罪と戦い、悔い改めていました。


しかし多くの牧師や伝道師が地獄にいる姿があります。
それは他人に伝えておきながら自分は落ちている姿です。


ですから自分を聖める為に、日々自分を打ち叩かなければならないです。
他人を叩くのではなく、今 自分が犯している罪は何かを調べて打ち叩くのです。そして立ち返ることです。
パウロがやっていたことは毎日毎日悔い改めて罪と戦い自分自身を罪から守ったことでした。

パウロの言葉に常に出てくるのは「勝利」であります。
それはただ地上の働きを勝利したという意味ではなく、神様のみこころを正しく行い、自分自身が救われて天の御国に入ったということです。


罪を行なう行為が聖霊を悲しませる行為だと語りました。
神の御霊を悲しませてはいけませんとエペソに書かれています。

何をしたら聖霊が悲しむのかと言うと、罪を犯して悔い改めず放置することが聖霊様を悲しませることです。

罪を行う行為が 不法を行う姿であります。


神様は罪の大きさは(大きくても小さくても)関係がないと語りました。
罪は罪であります。「小さいから汚れではない」ではないです。

イエス様は悔い改めない人の姿はこうであると語った箇所があります。次の箇所です。


【マタイの福音書5章13節】

あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、 外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。

“塩が塩けをなくす”ということは、外から何かが入ってきて塩けがなくなったのではないです。
そうではなく内側で何かが起きたことであります。

イエス様はこれは小さなことではなく1番の犯罪だと語りました。内面的深刻な危機です。

外から来る誘惑よりも、自分の中に悔い改めをしない心が 塩けをなくしているのです。
自分たちの中にある悔い改めない心こそが最も強い敵です。心が不法と汚れで満ちています。

私たちが悔い改めるなら聖められて回復します。


しかし、これは小さなことだと思って「これくらいイエス様ぐちゃぐちゃ言わないでください。」と、他人から言われても「皆がやっていることだ。これが私の命を取るとは思えないわ」と心を頑なにして相変わらず同じ生活をするのです。


これが命取りになるということはアモス書に書かれています。

【アモス5章19節】

人が獅子の前を逃げても、熊が彼に会い、家に入って手を壁につけると、蛇が彼にかみつくようなものである。

外から誘惑がたくさん来ると、私たちは誘惑されてはいけないと吠えたける獅子の前から逃げます。熊のように襲うものもあります。
しかし家に入ったから安心・大丈夫だと思っても、家の中にはもっと大きな敵がいるのです。

家の中というのは、自分たちの心の中のことであり、外よりも内にはもっと恐ろしい蛇がいるのです。


蛇はサタンです。獅子や熊よりも蛇の方が恐ろしいです。
蛇は大きくはないですが、毒を持っているので咬まれたら死にます。

内側にある悔い改めない心、これこそがあなたの命を奪います。


私たちは誘惑されて 時には倒れることがあり、外側から来るものにはすぐに気が付き悔い改めますが、自分の中で ずっと共に住んでいるのに、存在すら気付いていない蛇が咬みついていることに気が付かないのです。

隠れた罪も神様はすべてご存知です。
私たちが隠している部分にはそこに蛇が住んでいると思わなければいけないです。

偽り、憎しみの心は蛇のようなものだと思っていますか?「あの人が憎い!」という思いがありますか?


しかし神様は愛の方でありますので、神様の中には憎しみがないです。
私たちは神様が持っていないものを自分で持ちながら天の御国に平気で入ろうとするならば、「あなたの心は地獄に相応しい」と言われて天国には入れないです。

皆さんは他人を憎む心がある時に平安がありますか? ――ないですね。


平安は聖霊様が与える心なので、憎しみがあるところには平安が絶対に来ないです。自分が死にたくない(地獄へ行きたくない)なら赦すことです。
これはとても大切なことであります。

「死んでも赦さない」というのは、クリスチャンには相応しい言葉ではないです。





適当に妥協することも神様は罪であると語りました。
なぜなら神様の言葉を自分に都合の良いように解釈をして変えてしまうからです。


教会の中には、聖霊を欺く罪がすごく多いです。
什一献金を正確にしてください。ごまかしていながらも「捧げました」と言うのは聖霊を欺くことであります。
大きな金額が入ったときには もったいないなと思って捧げないのです。

ボーナスが入った時には什一献金を捧げてください。それは収入でありますので正確にしてください。

神様に指摘をされた時に「バレたか」ではないです。それが命取りになるのです。


主の心が激しく痛み、涙を流しているのは世の中にある多くの教会がサルデスのような教会、ラオデキアの教会のような姿であるからです。 教会とは聖徒たちの姿です。


【ヨハネの黙示録3章1-3節】

また、サルデスにある教会の御使いに書き送れ。『神の七つの御霊、および七つの星を持つ方がこう言われる。 「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる。

目をさましなさい。そして死にかけているほかの人たちを力づけなさい。わたしは、あなたの行いが、 わたしの神の御前に全うされたとは見ていない。

だから、あなたがどのように受け、また聞いたのかを思い出しなさい。それを堅く守り、また悔い改めなさい。 もし、目をさまさなければ、わたしは盗人のように来る。あなたには、わたしがいつあなたのところに来るか、決してわからない。

自分では生きていると思っていても、実は死んでいて、目をさましていると思っていても眠っている姿。そして自分は全うしたと思っているのに、神様はそうではないと語ります。

ですから評価が全然違うのです。この時に私たちは(自分の評価ではなく)神様の言葉を聞くことであります。


【ヨハネの黙示録3章14-17節】

また、ラオデキヤにある教会の御使いに書き送れ。『アーメンである方、忠実で、真実な証人、神に造られたものの根源である方がこう言われる。

わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。

このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。

あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。

私たちは自分のことをきちんとみことばに当てはめないので知らないのです。
ですから 悔い改めをしないで放置をして、結局それが命取りになってしまいます。

みことばを読む時に、“これはあの人のための言葉だ ”と思ってはいけないです。


“これは私に語る言葉であるのだ ”と常に自分のことだと思わないならば、神様と私たちは何の関係でしょうか?他人を見ている場合ではないです。


【ヨハネの黙示録3章5節】

勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして私は彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない 。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す。

いのちの書に自分の名前が書かれていないと、もちろん天の御国には入れないですが、以前に いのちの書に書かれていたのに名前を消されてしまった人も入ることができないです。
いのちの書から名前を消されたら痕が残らないです。


「勝利を得る者は、いのちの書から消さない」と神様が語るということは、“名前が消されることもある”という意味だと私たちは解釈しなければならないです。

私たちが信じた時から、神様は冠と報いを準備してくださっていますが、ある者たちは堕落をしたのでそれらの報いが使い物にならなくなりました。

その使い物にならなくなった物を見て、イエス様は苦しんでおられます。


神様は私たちの姿を見て、悔い改めに導いてくださいますが、悔い改めに導く主の姿を見てみたいと思います。
どのような時に私たちが気付いて悔い改めるべきでしょうか?




みことばを聞く時に罪を自覚する




【使徒の働き2章37-38節】

人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。

そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そしてそれぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。 そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。


皆さんがこのような厳しい話を聞いていると、心が刺されると思います。
心が刺されていない人は、聞く耳と心を閉ざしているということで問題であります。

しかし 聞く耳を開いている人は、この言葉が自分の心に刺さると思います。
心が刺されるということは、罪の自覚があるということです。


罪の自覚があるならば、今が悔い改めるチャンスであり、気付いた時に悔い改めないならば、罪をそのままにしている状態です。

気付いたならば、その場で悔い改めて立ち返ることです。
自覚をしたということは悔い改めのチャンスが与えられた恵みであります。

罪を悔い改めなかったために命ではなく、滅ぼされてしまう人たちがどんなに多いか分かりません。




神の慈愛




【ローマ2章4節】

それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。

神様の慈愛は、私たちにすぐムチを打たないということです。
罪を犯して まだ悔い改めをしていないのに、神様は裁かずに見てくださっています。

神様は裁き主ですが、裁かずにジーッと見ながら祝福も与えてくださいます。


私たちが「善い者」だから祝福が与えられているわけではないです。これは全て神様の慈愛であります。


神様から何も言われないからと安心して悔い改めをするチャンスを逃して死んでしまうならば、その人は終わりです。

何かがあった時に、私たちはすぐに悔い改めないと、神様の慈愛と忍耐と寛容を無視することになりますので、その過ちを犯さないようにしましょう。




神の忍耐




【Ⅱペテロ3章9節】

主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して 忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

主が再臨することは昔から言われていますが、今 主は準備をし、御使いたちは既にラッパを持っている状態です。そして吹く準備も出来ています。

しかし、なぜラッパを吹かないのでしょうか ――?
それは地上にいる神を信じる者たちの準備が まだ出来ていないからです。
ですから神様が忍耐をして延ばしてくださっています。


しかし今は、もうこれ以上は延ばせないのだと何度も語っておられます。

神様の忍耐がある時に悔い改めをしないといけないです。神様の忍耐が切れた時は世の終わりであります。

私たちは悔い改めの時間が与えられている時に、本気で悔い改めなければならないです。
悔い改めをせずに、その時を逃した者が滅びている姿が黙示録に書かれています。


【ヨハネの黙示録2章21-22節】

わたしは悔い改める機会を与えたが、この女は不品行を悔い改めようとしない。

見よ。わたしは、この女を病の床に投げ込もう。また、この女と姦淫を行う者たちも、この女の行いを離れて悔い改めなければ、大きな患難の中に投げ込もう。

大きな患難は世の終わりです。
最後の患難の時は誰も主を信じることが出来ないですし、生き延びることすら出来ません。


悔い改める機会を与えていたのに、悔い改めようとしなかったということですので、私たちは絶対にそういうことにならないように気をつけなければいけないです。




悔い改めの姿勢




しかし私たちが主の前で悔い改める時に、どのような姿勢で悔い改めるべきでしょうか?

口先だけで「悪かったです。神様、これからはそんなことはしません。」と言うのが悔い改めではなく、
悔い改める時の状態は、このような状態であるとⅡコリント7章9-10節に書かれています。

みなさんが悔い改める時はどうでしょうか?比べてみてください。


【Ⅱコリント7章9-10節】

今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、あなたがた悲しんで悔い改めたからです。あなたがたは神のみこころに添って悲しんだので、私たちのために何の害も受けなかったのです。

神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。

「私は本当に罪深い姿であるのだ」と主の前に震えあがりながら罪を告白して、自分の罪ある姿を悲しむ姿で主の前に出て悔い改めることが、神様が受け入れてくださる悔い改めの姿です。


罪のない者は1人もいないです。昨日(罪を)洗っても、今日また罪を犯す――。

ですが、罪を放置しないことです。今日またイエス様に悔い改めることであります。
毎日 毎日、今日が世の終わりかも知れないという思いで悔い改めなければいけないです。






皆さんは罪をどのようなものと思っているかは分かりませんが、私は罪のことを蛇だと思うことにしました。

自分自身が罪を嫌わないならば、罪から足を洗って手放すことが出来ないので「蛇が私を咬もうとしている。追い出してやろう。」と捨てることにします。


ニュースを見ていると、高齢者の万引きがとても増えたそうです。
その記事に書かれている言葉は、“万引き”という言葉が悪いと書かれていました。

万引きと言うと 軽いイメージなので、「窃盗罪」という言葉だと重たく感じて“刑務所へ行くかも知れない”と思えるので言葉を変えないといけないということでした。

「脱法ハーブ」も若者が事故を起こしていても「ハーブ」と言うから簡単に手を出すので、「麻薬」に変えなければならないのと同じです。

ですから 軽い言葉を使うと、人々はそれが重大なことであるにも関わらず、軽く考えてしまいます。


私たちは罪に対しても、軽く聞き流すならば罪の認識がありません。
「罪は蛇なので咬まれたら死ぬ」と警戒をしないと、後でそれによって命が取られてしまいます。


皆さんにとって天国へ行くことはどのようなことでしょうか?

すべてのものを手に入れても、命を失って地獄へ行くなら何になるでしょう。


自分の肉を打ち殺すことは、とても大変なことです。それを神様の言葉に服従させることは1番大変なことです。
しかし 永遠の世界がありますので、それは価値あることです。

イエス様は世界に向けて、教会に向けて、個人に向けて熱心になって悔い改めなさいと語っておられます。

世の中では罪という言葉は使わないです。
教会でも罪のことが語られなければ、その教会は“死んだ教会”であります。


私の教会は死んだ教会にはしたくないので、神様が熱心に語れとおっしゃるので、まず自分に語り 皆さんにも語って目を覚ますように言いたいです。

今回聞いたならば、その後 どうするかは皆さん1人1人の決断です。
命を得るのか、滅びを選ぶか、それは自由であります。

ですが、命を選んで欲しいです。
大したことのない罪の中に留まって 命をないがしろにするのは愚かであります。
ヽ(TдT)ノ

2014.7.20
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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リニューアルし、読みやすくなりました❤

地獄はこのような場所です。
幻と啓示~天国と地獄~

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