からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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キリスト

なぜキリストを信じるのか

テーマは 『 なぜキリストを信じるのか 』 です

【コロサイ1章15-18節】

御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。

なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。

御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。

また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。

今、キリストを信じている人はなぜキリストを信じていますか?

この世には多くの宗教があり、神々と呼ばれるものがたくさんある中で なぜキリストを信じているのでしょうか?

「偶然信じるようになった」とか、「何となく信じるようになった」とかいう人はいないと思います。


これとは逆に、キリストを信じない人は なぜ信じないのでしょうか?

きっと色々な理由があると思います。

もし、「ほかの神を信じるているので私はキリストはいりません」と言う人がいるならば、その神はどのような神でしょうか?説明できますか?


その神とこれから関わっていて何か得るものがあるでしょうか?

キリストよりもすぐれたものは何でしょうか?もしあるならば教えてもらいたいです。


今回はクリスマス礼拝を捧げているので、キリストに焦点を合わせて話したいと思います。

聖書はキリストが主役であり、キリストの話がたくさん書かれています。


そして聖書の内容は、主役であるキリストの話です。


私はキリストを信じているので、なぜ信じているのか その理由をはっきりと話すことができます。




(1)キリストは見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方




まずは15節にあるように
キリストは見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方だからです。

キリストは人間と同じ肉体を持って生まれた方ですが、ただの人間ではなく、もともと神である方が 目的があり人間の姿となってこの世に来られた方です。

罪の中で生まれ、罪の結果として永遠の死に落ちていく人類を救うために世に来られました。


【Ⅰペテロ1章18-20節】

ご承知のように、あなたがた父祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、

傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。

キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現れてくださいました。

しかし、すべての人類がこのことを知り、喜んでキリストを受け入れて救われるのではありません。

2つの反応があります。


【ヨハネの福音書1章9-14節】

すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。

この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、 世はこの方を知らなかった。

この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。

しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。

ことばは人となって、 私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

私自身も キリストが誰であるのかを知る前は 人間がどこから来て何のために生き、どこへ向かい、
自分が罪の中にいる罪人であること、そして罪の結果として永遠に滅びることや、贖いが必要であることも知りませんでした。


創造主が誰であるのか、天国と地獄がどんな所かも知りませんでした。

結局、最も大切で重要なことは何一つ知りませんでした。


そしてその中で何とも思わず、目に見えるものだけを求めながら生きていました。


しかしある時に私は神の存在を求めるようになりました。
そしてキリストに出会い、聖書を読みながら、それまでまったく知らなかった真理を次々と知るようになり、 目が開かれ悟りを得られ、神の存在や人間の存在もどうしたら救いを得られ、神の子どもになれるのか、どうしたら天国に入れるか すべてを知るようになり、そのすべてを信じ、受け入れました。


このように明確に教えておられる方はキリスト以外にはおられませんでしたし、私の罪を贖うために人間となられて十字架の上で私の身代わりとなって罪を清算して下さった方もほかにおられません。

信じないわけにはいかないです。


今は信じたので、罪が赦され、神の子になり、むなしい生き方をやめ、永遠のいのちを神から受け、この地上を離れる時には天国に行ける祝福をキリストによって受けています。


私は信じて何一つ損したことはなく、むしろ大切でもっとも価値あるものをすべて受けました。




(2)キリストが万物の主権者




キリストが万物の主権者だから信じています。


【コロサイ1章17節】

御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。

神が創造した世界の中で、今 私たちは生きています。

自分が造った世界の中で生きているのではありません。人間は誰一人 “無”から“有”を創造することはできません。

世界を創造し、秩序を作り、それを治める方がキリストであるので、それを認め、感謝し、従うのは当然であります。


歴史の中でも、今の世の中でも草一本でも造ることが出来ない人間が、自分が神であるとか自分が世界の主権者であるとか、偽りを言う者がたくさんいました。

その嘘に騙されている人間もたくさんいます。
その人間も死ぬ時には普通の人間と変わりがなく、ただ権力欲、名誉欲、物欲に満ちていた人間であったにすぎません。


言葉巧みに人を騙しても、その裏にあるものは貪欲に満ちた人間がいるだけなので絶対に騙されてはいません。

特に聖職者と呼ばれる人間の中に多いので、気をつけなければなりません。


自分を再臨イエスと言い続けた統一教会の文鮮明も死にました。

顔を見てもキリストとまったく似てもない人間が自分を再臨イエスだと言っていることに、多くの者が騙されて今も信じています。気の毒であります。




(3)キリストが死者の中から最初に生まれた方で、今も生きておられるから




キリストが死者の中から最初に生まれた方で、今も生きておられるからです。

キリストは十字架の上で死ぬずっと前から弟子たちに言っていました。


【マタイの福音書16章21節】

その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして 三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。

その通りにキリストは十字架にかかり、三日目に蘇りました。

常識的には考えられなかったからです。
しかし目撃者は多くいて、誰も復活を否定することができなくなりました。


私が聖書の中でいつも希望を置くことばがあります。次の箇所です。


【Ⅰコリント15章16-21節】

もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。

そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。

そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。

もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。

しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。

というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。

永遠のいのちの約束は復活があったからこそ、信じることができます。




(4)キリストの中にすべての宝がある




キリストの中にすべての宝があるから信じます。


【コロサイ2章3節】

このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。

キリストに出会って、このことは本当に実感しています。

世の知恵と知識しかなかった時には、目に見えるものしか分かりませんでした。

しかし、キリストを信じてから今に至るまで どれほど神から多くのことを教えられているか分かりません。

これから先に起こることや、また霊の世界のことまで教えてもらいました。
もちろん今も教えてもらっています。まるで目からうろこが落ちた状態です。


悟りが与えられたことで人生を見直すことができ、正しい道を歩むことができました。

人間の愚かさ、人生のむなしさを知り、捨てることができました。

何が善であり、悪であるのかも 神からの知恵で悟ることができました。


皆さんはなぜキリストを信じていますか?
キリストがどのような方であるのか、正しく知っていますか?

まだよく知らない人は、知らないまま生きるのではなく、知るために聖書を読み、神を知りたいと祈ってみてください。

ある意味、キリストを信じるか、信じないかは人間にとって最大の決断になります。


永遠の死の世界に行くか、永遠のいのちの世界に行くかを、生きている時に決めないといけない選択ですので、これほど重要な決断が世にあるでしょうか。


私は信じる決断をして神様を信じて、これで良かったといつも思っています。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚

2014.12.21
クリスマス礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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キリストの再臨

テーマは 『 キリストの再臨 』 です

【使徒の働き1章9-11節】

こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。

イエスが上って行かれるとき、弟子たちは 天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。

そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を 見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」

キリストが十字架の死から復活し、天に昇られてから どれほどの時間が過ぎたでしょうか。
2000年は過ぎました。

イエス様は天国へ行ったきりで帰って来ないと言ったのではなく、再び来ると語りました。
それが主の再臨です。


イエス様は人々が見ている前で天に上げられていき、その時に御使いたちは 主がまたおいでになるとはっきりと語りました。

このように主の再臨が預言されていたので、初代教会の信徒たちの 信仰の中心が“イエス様の再臨”でした。

激しい迫害の中でも主の再臨を待ち望みながら、自分たちの信仰を守っていました。


それから2000年が経った今はどうでしょうか?

再臨のことをメッセージする教会はどのくらいあるでしょう。
そして、イエス様の再臨を本気で待ち望んでいる信徒はどれくらいいるでしょうか?


再臨の教えは、サタンを怒らせます。サタンは主の栄光の再臨に対して嫌っています。


そして世俗的な教会と肉に属するクリスチャンも この再臨に関する教えを嫌います。


キリストの再臨に関しては、新約聖書の中で318回も言及されている大切な教えです。

私たちは再臨に関しては“目を覚まして祈っていなさい。”と主から聞いています。

なぜなら 目を覚まして祈っていないと、主が再臨しても私たちは主とともにいることが出来ず、地上に残されて激しい患難を受けなければならないからです。


主の再臨は 準備した人にとっては喜びの日になりますが、準備が出来ていない人にとっては恐怖の日になります。


弟子たちが「いつ再臨するのですか?」と聞いた時にイエス様は「人の子は思いがけない時にくる」と。
そして次のように語りました。


【マタイの福音書24章36節】

ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。

しかし主は、主の再臨の“前兆”に対しては教えてくださいました。


今の世の中の様子を見ると、まさに今 主が語った前兆が起きていることに気付くと思います。
次の箇所に前兆のことが書かれています。


【マタイの福音書24章5-7節】

わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、「私こそキリストだ」と言って、多くの人を惑わすでしょう。

また、戦争のことや、戦争のうわさを 聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。

民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。


【マタイの福音書24章12-38節】

不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。

しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。

それゆえ、預言者ダニエルによって 語られたあの『荒らす憎むべきもの』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)

そのときは、ユダヤにいる人々は 山へ逃げなさい。

屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。

畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。

だがその日、哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。

ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。

そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい患難があるからです。

もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。

そのとき、『そら、キリストがここにいる』とか、『そこにいる』とか言う者があっても、信じてはいけません。

にせキリスト、にせ預言者たちが 現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。

さあ、わたしは、あなたがたに前もって話しました。

だから、たとい、『そら、荒野にいらっしゃる』と言っても、飛び出して行ってはいけません。『そら、へやにいらっしゃる』と聞いても、信じてはいけません。

人の子が来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。

死体のある所には、はげたかが集まります。

だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。

そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。

人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。

いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。そのように、これらのことのすべてを見たら、 あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。

まことに、あたながたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、 この時代は過ぎ去りません。

この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。

ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。

人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。

洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、 とついだりしていました。

  1. 多くの にせキリストが現れる
  2. 戦争と戦争のうわさを聞く
  3. ききんと地震
  4. 不法がはびこる
  5. 多くの人たちの愛は冷たくなる
  6. 食べたり、飲んだり、とついだり、めとったりする

さらに、次の箇所にも再臨の前兆が書かれています。


【Ⅱテモテ3章1-7節】

終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。

そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、 大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、

情け知らずの者、和解しない者、 そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者

裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、

見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。

こういう人々の中には、 家々に入り込み、愚かな女たちをたぶらかしている者がいます。その女たちは、さまざまの情欲に引き回されて罪に罪を重ね、

いつも学んではいるが、いつになっても真理を知ることのできない者たちです。


今、皆さんは世界を見て これらの事とは無縁だと思っていますか?
そうではないですね。毎日見ていますし、聞いていると思います。


どれほど この世の中が堕落しているかと言えば、同性愛反対説教をした牧師がスウェーデンで捕まり、刑務所に入るほど堕落してきました。

アメリカでも毎年30万人のゲイがニューヨーク5番街に集まり「神はゲイを愛している」「神はゲイだ」という立札を持って行進をしています。


これは神をあざける姿です。


そして彼らに福音を伝えようとするクリスチャンたちに暴力を振るいました。


今は世界の国々が同性愛を受け入れ、結婚を認める法律を作っています。
キリスト教の教団も受け入れるところがたくさん増えました。

これは神様が喜ぶでしょうか。そうではなく、反対に神様を悲しませることです。
神が認めたのは、男と女の結婚だけです。


彼らは同性愛の遺伝子を持って生まれたと言いますが、そのような遺伝子が存在するのではなく、情欲が彼らの中にあるだけです。

彼らは皆、神様が決めた一線を越えて、神のことばを無視し 踏みつけています。


このような姿は再臨の前に見られる姿の1つでもあります。






映画やテレビも神をあざける内容がたくさん増えました。

これらすべては神を怒らせる行為です。


そして再臨が近いと感じるほかの前兆もあります。

それは人々の邪悪な行動が恐ろしいほど増えたことです。

なぜここまで世の中が邪悪になってしまったでしょうか。


サタンが自分に残された時間が少ない事を知っているので、以前よりも活発に働いて人々の中に入り、邪悪なことを平気に行っているからです。


今は世界中インターネットが広がっていますが、その中には有害なサイトがたくさんあります。


ポルノサイトだけでも50万はあると言われています。

子どもまでも中毒されて、先月は韓国で小学生の男の子3人が20代の女性をレイプする事件まで起こりました。

日本でも小さい女の子を狙う事件が後を断ちませんし、アメリカでも10代の女の子の多くが、お父さんや親族にレイプされています。


今、イスラム国が行っている残虐なことは 口では言えないほど酷いものです。悪魔そのものです。

不法が人間社会の隅々まで はびこっている様子を見せています。


そして教会の中にも多くの惑わしが入ってきています。

それは多くの嘘です。この嘘が惑わしです。


イエス様ははっきりと言いました。

惑わしの霊が教会にも入り、多くの者がそれに惑わされると人々は嘘を真理と信じてしまいます。


イエス様はこれらのことが起こると人の子が戸口に立っていることだから目を覚まして祈りなさいと言っているのに、 「大丈夫だ、まだまだ主は再臨しない。私たちの時代には主は来ない。」と言って、主の再臨が近いと語ることばに疑いを持たせ、 信徒たちの目をイエス様ではなく、世に向けさせ、また物質主義者にさせていきます。


緊迫感がないので、だんだん祈りも少なくなります。

その人たちは「主よ、来ないで下さい。今来たら困ります。私はまだまだこの世で楽しみたいことがいっぱいあります」と言います。

しかし、イエス様の再臨に対して準備ができている人は、「主よ。早く来てください。」と言います。


今は世界のどの国も次から次へと起こる災難や事件、事故に対して対策も出来ないと言われています。
それほど予想外のことが増えたからです。

クリスチャンは今の人生と永遠は紙一重です。


もし私たちがイエス様の再臨前に死ぬならば、それまで私たちはイエス様と一緒にいなけれはなりません。

この世にどっぷり浸かって 受ける恵みだけを喜んでいるならば、私たちの人生は世のものに満たされて、イエス様の再臨に対しては関心すらありません。


お金を稼ぐことに心が集中します。

そういうものに頼っているならば、私たちは目を覚ますことも出来ないし、主のために時間を作ることもできません。


他のことのためにはいくらでも時間を使うのに、主のための時間を惜しむのは、その人が今、信仰においても変質されていることに気付かなければなりません。


死んだ教会、死んだ信徒はいくらでもいます。

再臨が近付いている今日、私たちがどのようにすべきかを聖書から調べたいと思います。


【Ⅱペテロ3章9-11節】

主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、ひとりでも滅ぼすことを望まず、 すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて 消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。

このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、 あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。


【Ⅱペテロ3章14節】

そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、 励みなさい。


【Ⅱペテロ3章17節】

愛する人たち。そういうわけですから、このことをあらかじめ知っておいて、よく気をつけ、無節操な者たちの迷いに誘い込まれて 自分自身の堅実さを失うことにならないようにしなさい。


【Ⅰペテロ4章7節】

万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。


主は、主を待ち望む者たちのために来られます。

その人たちを主の花嫁として迎えるために来られます。

準備できた人は天に引き上げられますが、地上に残された人たちはかつてない患難に見舞われます。


そうならないように耳を傾け、備えをする者になりましょう。
ε=ε=(;´Д`)

2014.11.2
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

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危険な状態とは?

テーマは 『 危険な状態 』 です

【エペソ5章3-7節】

あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。

また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。

あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者――これが偶像礼拝者です、――こういう人はだれも、キリストと神との 御国を相続することができません。

むなしいことばに、だまされてはいけません。こういう行いのゆえに、神の怒りは不従順な子らに下るのです。

ですから、彼らの仲間になってはいけません。

韓国で換気口崩落事故で16人が死亡し、11人が怪我をしました。

もちろん安全対策がきちんと出来ていないことが1番の問題ですが、やはり1人1人が常に自分の身を守るための安全対策が本当に必要だと思います。


八戸ノ里教会近くの駅前交差点で信号待ちをしている時も、歩行者信号は赤で 多くの車が走っているにも関わらず、平気で道路を渡っている人をよく見かけますが、それを見ていつも「死んでも良いのか?」と思います。

安全というものに対して全くの不感症です。


この安全に対する不感症は多くのクリスチャンにも見られるものです。

自分の命が今 危険な状態であるのに、何の対策も考えず、自分は安全だと思って以前と変わらない生活を送っています。


1度生まれた人間は必ず死にますので、“死”そのものが問題ではなく、どのように死ぬのかが問題であります。

準備が出来ているならば心配はないです。
常に悔い改めて、主の御前に立つ準備がしっかりと出来ているならば良いですが、主に会う準備が出来ていなく、悔い改めもきちんと出来ていないならば、それは大きな問題です。


今回は、クリスチャンにとって何が「危険な状態」であるのかを伝えます。

メッセージを聞いて自分の霊的状態をしっかりと見てください。


まず、あなたに1つの質問をします。


天国へ行くことは難しいでしょうか?それとも簡単でしょうか?


簡単だと思っているクリスチャンが圧倒的に多いです。
その人たちが簡単だと思うのは次のみことばがあるからです。


【ローマ10章10節】

人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

1度信仰告白をした者は、その後 何をしても、いのちの書に名前が書かれているので天国へ行くと思っています。

イエス様を裏切っても、人殺しや盗みをしても、悔い改めなくても問題なく天国に入ると思う信徒たちや、そのように教える牧師たちもいます。

昔、そのように教えた神学者がいたので そのように信じている人が多いです。


このことをあなたはどう思いますか?

この1つのことばで誰でも口で「信じます。」と言うならば、天国への切符を完全に手に入れたと思っています。


確かに救いは そのことば通りにして受けることができます。
しかし信仰生活すべてを遂げるのではありません。






また一方で、天国へ行くのは難しいと考える人もいます。それは次のみことばがあるからです。


【マタイの福音書7章13-14節】

狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。

いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。

このように書かれているので天国へ行くのが難しいと考えます。行く人が少ないと書かれています。



イエス様は次のように語りました。


【ヨハネの福音書3章5節】

イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。

神に出会って生まれ変わったならば、その人自身も生活も変わったはずです。


また、神に出会った人は神の子どもになりましたので、次の箇所にあるように実行をしなければなりません。


【エペソ5章1節】

ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。

信仰告白だけをして、後は今まで通りの生活を送っている人に「あなたは生まれ変わりました。」と本気で言えるでしょうか?――それは言えないです。


【ヤコブ2章26節】

たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行いのない信仰は、死んでいるのです。

このように はっきりと語っています。

祝福のことばは、永遠に変わらないことばとして受け入れるのに、叱責や警告、呪いのことばは勝手に意味を変えたり、加減をして「神は愛だから、そんなことはなさらないでしょう。」と軽く流してしまいます。これが問題なのです。


こうなると自分の霊的状態が危険であるにも関わらず、安全だと思って悔い改めることもせず、ただ形式的な信仰を送ります。

そして自分が死に直面した時に、準備ができていないたましいとして悲惨な目に遭います。


エペソ5章の本文のことばは、信じる者たちに与えたことばです。
神のことばは曖昧ではありません。はっきりと語りました。

聖徒なら、聖徒に相応しい生き方をするのが当然のことです。それは神の命令です。


3節には“不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。”と語りました。

しかしクリスチャンたちがどれほど堕落したか分かりません。
不品行、汚れ、むさぼりを平気に行ってます。それを罪とも思わず、悔い改めることもせずに行い続けます。




アフリカ人女性の幻




あるアフリカ人女性が祈りの中で幻を見ました。

天からまばゆい白い衣を着た天使たちとイエス様が降りてくるのが見えました。
そしてイエス様と天使たちが大きな教会の方へ向かいました。


教会の中にはたくさんの人がいて、「主よ、入ってください!」と叫びました。
しかし、イエス様は「No!No! 私の教会が汚れている」と、とても怒り悲しんだ顔をして教会の中には入りませんでした。

次の瞬間、見ると御使いたちが1人1人に何かを当てました。
まるで空港で金属探知機を当てるような感じでした。


すると、1人だけ音が鳴りました。
その音が鳴った人だけが神の心に相応しい人で、多くの他の人たちは裸の姿でありました。恥ずかしい姿です。

これは信徒のどのような姿を現しているでしょうか?
それは黙示録に出てくるラオデキヤ教会の姿でした。次の箇所です。


【ヨハネの黙示録3章15-17節】

「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。

このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。

あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、 乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。

なまぬるい信仰生活によって、自分が危険状態であるのに、それを知らずに安全だと思い、なまぬるいままの信仰生活をして いつかは天国に入るから大丈夫だと思っています。

イエス様によって地獄へ行って来た人全員が口を揃えて言うことばは、地獄の中でも1番厳しい裁きを受けるところに数えきれないほど多くのクリスチャンがいたと証言しています。

イエス様はそのことをクリスチャンに知らせなさいということでクリスチャンたちに見せてくださいました。
クリスチャンは地獄にはいなかったと言う人は1人もいませんでした。


神様はラオデキヤ教会にいる信徒たちに次のように語りました。


【ヨハネの黙示録3章19節】

わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。

罪のままの姿では天国には入れないので、苦難や問題などを与えて、私たちがその中で悟って悔い改め立ち返ることを願っています。


愛の神様だからと何もしなくても天国に受け入れられるとは聖書のどこにも書かれていないです。






全世界とそこに住む人々、また教会や信徒たちに一番足りないのは“悔い改め”です。

既に神様の懲らしめは始まりました。
洪水、地震、戦争、噴火…すべてが既に始まったことを見せています。


神様はアメリカに対しても神に対する信仰から堕落している姿を見て、「この国の神は快楽だ。わたしはあなたがたの快楽地帯を打つ」と宣言をしていますし、
韓国に対しても多くの方たちに みことばを与えて「戦争」が近いうちに起こると宣言しました。


これはクリスチャンの堕落が問題です。


ハイチで伝道集会を開いた預言者が「ハイチ地震」を預言し、皆に悔い改めるように言いました。

それを聞いたクリスチャンたちが笑っていました。
しかし地震は2日後に起きて30万人くらいが亡くなりました。

韓国でも全面戦争が起こり、たくさんの人が死ぬと多くの預言者が言っています。
既に起きている色々な事故などは目を覚まして悔い改めるように主が叱っているのに、それに関心がありません。


クリスチャンも神よりは世を愛し、教会も悔い改めのメッセージよりは世の成功に関心をもってメッセージをします。

そしてあらゆる不義と快楽が教会の中にも浸透しています。主が忌みきらう汚れです。


「自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」ということばがどれほど教会でメッセージされているでしょうか。

そして聖霊を妨害する教会や信徒がたくさんいて、神様はそれに対して必ず裁くと語りました。


私たちは異端の中にいてもいけないですが、聖霊のことは言葉では伝えても、実際に聖霊の働きを妨害する教会からは出なければなりません。


幸い、この教会では聖霊を認め、歓迎し頼っています。
ですから、聖霊の賜物も御業も見ることができます。




危険な状態に陥らないためには?




< 私たちが危険な状態に陥らないために >

常にイエス様を見上げ、キリストと共に歩みながらキリストに見ならう者にならなければなりません。

・信仰において勝利するためには、みことばをしっかりと学び、正しく分別をしなければなりません。


終わりの時には惑わしの霊がたくさん働きます。
その様子を「ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」(Ⅰペテロ5章8節)と語りました。

みことばで分別をしないとサタンの餌食になってしまいます。間違えた教えに騙されてしまいます。


・罪はどのような罪でも徹底的に悔い改めて主に立ち返るようにしなければなりません。


悔い改めを後回しにすると ますます危険な状態になります。

最近起きた事故で亡くなった人たちを見てください。
楽しみの最中に突然亡くなりました。
山やトレッキング、コンサート会場でも、それは1%も死ぬとは考えられない時でした。


ですから私たちは罪から離れ、ますます自分をきよく保ち、主の前に立つことが出来るように目を覚まして悔い改めて、神の子どもに相応しく日々を送らなければなりません。
( ̄‥ ̄)=3

2014.10.19
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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聖書に現われた宣教

テーマは 『 聖書に現われた宣教 』 です

【詩篇67編5節】

神よ。国々の民があなたをほめたたえ、国々の民がこぞってあなたをほめたたえますように。

宣教の働きなしに人々が神のことばを聞くチャンスはあまりありません。
つまり、伝える人がいないと、誰も神のことばを聞くことが出来ないです。

宣教は神の言葉を伝えることであります。

私たちは宣教のことを考えると、宣教は新約時代になってからのものだと思いますが、
決してそうではなく、宣教は旧約時代から神様の計画であり、そして実際に宣教活動もありました。

今回は宣教がどこから始まったのかを学んでいこうと思います。




(1)宣教はどこに根拠を置いているのか?




神様は天と地を造り、全世界のすべての主権者であります。

そして神様は1人の人を選びました。
それは信仰の先祖・アブラハムです。

一番初めにアブラハムに語った言葉に世界宣教の計画があります。


【創世記12章1-3節】

主はアブラハムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。

そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。

あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

3節の「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」は何を意味しているでしょうか?

罪によって死ぬしかない人類が、アブラハムの子孫であるイエス・キリストによって救いを受けるという霊的祝福を暗示しています。


イエス様はアブラハム、ダビデの子孫であります。
(このことはマタイの福音書1章1節に“アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。”と書かれています。)

それを見ても分かるように、神様がアブラハムに与えた計画を完成させたのが、イエス・キリストであります。


イエス・キリストは天から地上に来られて 罪の中にいる人々を救うため十字架にかかるために来てくださいました。

そして死んでいる者はみな救われるという言葉が聖書に書かれています。


【ガラテヤ3章7-9節】

ですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。

聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される」と前もって福音を告げたのです。

そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。

8節に“福音”ということばが出てきます。
アブラハムの子孫だけではなく、信仰による者たちは たとえ異邦人であっても救いを受けるのです。


ですから神様の宣教の計画は、旧約時代から既に始まっていました。




(2)詩篇にある世界の救いの約束




詩篇は祈り・賛美だけが書かれている箇所ではありません。

神様の預言のことばがたくさん書かれています。そしてその中に救い・宣教の計画が175回も出てきます。


詩篇67編は“宣教師の歌”と言うほど全世界に福音が伝えられることを願っています。

私たちが人々の魂を導きたいなぁと思うならば、この祈りが必要であります。


【詩篇67編1-7節】

どうか、神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔を私たちの上に照り輝かしてくださるように。セラ

それは、あなたの道が地の上に、あなたの御救いがすべての国々の間に知られるためです。

神よ。国々の民があなたをほめたたえ、国々の民がこぞってあなたをほめたたえますように。

国民が喜び、また、喜び歌いますように。それはあなたが公正をもって国々の民をさばかれ、地の国民を導かれるからです。セラ

神よ。国々の民があなたをほめたたえ、国々の民がこぞってあなたをほめたたえますように。

地はその産物を出しました。神、私たちの神が、私たちを祝福してくださいますように。

神が私たちを祝福してくださって、地の果て果てが、ことごとく神を恐れますように。

私たちは全世界の民が救われることを願って、このように祈りをしていかなければならないです。


宣教は たましいが救われるための最初の一歩が “祈り” であります。

なぜなら人間の力では、たましいを救うことができないからです。
私たちは伝えることは出来ますが、その中でたましいに触れるのは聖霊様であります。

ですから私たちは まず神様にたましいが救われることを祈る必要があります。
祈るならば神様は働きます。神様の力ある御業を現してくださいます。


詩篇に書かれている世界の人々への救いの約束のことば175個をすべて紹介することは今は出来ませんが、少しだけ伝えようと思います。


【詩篇47編9節】

国々の民の尊き者たちは、アブラハムの神の民として集められた。

範囲が全世界であります。アブラハムの神の民ということは信仰を持って救われる人々の姿です。


【詩篇68編32節】

この世の王国よ。神に向かって歌え。主に、ほめ歌を歌え。セラ

【詩篇96編7節】

国々の民の諸族よ。主にささげよ。栄光と力を主にささげよ。

神様は 世界と人間を造りましたので1人も滅びることなく、イエス様を信じてたましいが救われ 天の御国に入ることを願っておられます。

しかし、実際に世界は今どのようになっているでしょうか。
神のみこころとは違います。


神様が救いの計画を持っておられても多くの人々は偶像の神々に仕えながら滅びに向かっています。


先日、民族博物館へ行きました。地域の人々の暮らしも展示されていましたが、そこには必ず宗教というものがありました。人間が作り出した神々がどれほどたくさんいたかわかりません。大きいものもあり、小さなものもあり、形も様々でした。

カナンの部族が偶像崇拝をします。エジプトの民たちも偶像崇拝をします。
人々はそこで神々を造り、祭壇を築いて 日々拝むのです。


偶像に仕える者たちの姿を、神様はどのように見ているでしょうか。次の箇所です。


【詩篇97編7節】

偶像に仕える者、むなしいものを誇りとする者は、みな恥を見よう。すべての神々よ。主にひれ伏せ。

人間は神を知らないと、こんなに無知であり愚かな者であるのか。
偶像を拝むことによって滅びを受けるのに、そのことに気付かず いつまでこういうことをしているのだと神様は見ておられます。




世界には70億人くらいが住んでいます。

人々はどのような宗教を信じているのか見てみましょう。


キリスト教が一番多いですが、それはカトリックとプロテスタントが合わさった数であります。
カトリックの中には異端的なものがありますので、果たしてその中でどれだけ救われるかは分からないです。

プロテスタントの中にも 死んだような教会がたくさんありますので、その中でも真理を正しく知って聖霊を受けて生まれ変わった人がどれくらいいるかは本当に分かりません。


  • キリスト教―― 20億人
  • イスラム教―― 11億9000万人
  • ヒンズー教―― 8億1000万人
  • 仏教―― 3億6000万人
  • ユダヤ教―― 1400万人
  • その他の宗教―― 9億1000万人

イスラム教がすごい勢いで広まっています。なぜなら海外に出て行き命を懸けて伝える人が多いからです。
ヒンズー教はインドの人口が多いので信じている人が多いです。インドには神々と呼ばれているものがたくさんあります。仏教は東南アジアなどに信じる人が多いです。


このように神を信じない人の方が多いです。救われている人はその中に何人いるでしょうか。

イエス様が全世界を見て嘆きました。救われている人は少ないと語りました。神様から見たらそれは心が痛くなることであります。


ですから、私たちは時が良くても悪くても福音を宣べ伝えなさいという言葉を神様が語っています。




(3)旧約時代の宣教によって救われた たましい




≪ ラハブ ≫

ヨシュアが遣わした2人の斥候はエリコにいる遊女ラハブの所に行きました。ラハブは神のうわさを聞いてその2人を隠しました。
なぜ2人がラハブのところに行ったのかは、これもきっと神様の導きであります。神様がラハブの中に からし種ほどの信仰があることを知っていたと思います。

このことによってエリコが滅ぼされる時に彼女は助かりましたし、後にはダビデ王の先祖となり、イエス・キリストの系図の中に入りました。

これも宣教でありました。もし2人がラハブのところへ行かなければ、ラハブもラハブの家族も殺されるところでした。


≪ ルツ ≫

モアブ人でありましたが、ユダヤ人と結婚しました。
旦那は死にましたが、義母であるナオミの信仰を見て、彼女も信仰を持ちはじめ、後にはイエス・キリストの系図の中にも入りました。

自分に影響を与える信仰を持っている人の姿がないならば、ナオミに「ついていきます」とは絶対に言わなかったと思います。

モアブ人にも神々がいましたが、ルツは自分たちの宗教を捨てました。ナオミの信仰を見て「この神を信じたい」という思いがあったのでしょう。


D.L.ムーディー氏は「1人の人が聖書のことばどおりに生きるならば、100人がその行ないを見習う」と言いました。


神様は、クリスチャンたちに「あなたたちは世の塩、世の光です。」
そして「良い行いを通して神に栄光を捧げなさい。」と語りました。
これは私たちが良い行いをすればするほど、人々が私たちの姿を見て 私たちが信じる神を褒め称えるようになります。

私たちが信じると言いながらも、暗闇の業を続けて行うならば 人々は私たちを見てあざけます。


私たちがクリスチャンとして、救われていないたましいのためには私たちの姿そのものが宣教でなければならないのです。キリストを紹介する者でなければならないです。


≪ ナアマン将軍 ≫

彼は権力と名誉がありましたし 豊かな生活をしていました。王様からも すごく信用を得ていました。
しかし彼は治すことが出来ない らい病を患っていました。これは日々苦しいことであります。

その時に福音を伝えたのは誰でしょうか?
イスラエルの地から連れて来られた1人の若い女奴隷は、らい病で苦しんでいる将軍を見て その女主人に話しました。

「もしご主人様がサマリヤにいる預言者のところに行かれたらきっとあの方がご主人様のらい病を直してくださるでしょうに。」と告げました。 これを聞いたナアマン将軍は神の人エリシャの所へ行き、その病気も癒されました。 彼女は良いことを言いました。それが福音です。


福音とは 良い知らせのことです。その人にとって最も必要な良い知らせです。


私たちは福音であるからとイエス様のことを長い言葉で語らなくても、例えば病気にかかっている人に対しては「イエス様は癒してくださいます。イエス様は癒し主です。教会に一緒に行きませんか?」と伝えることが福音であります。

もし彼女が黙って見ているだけで伝えなければ ナアマン将軍は癒されることもなく、救われることもなかったです。





私たちは伝道するのが難しいと言いますが、難しいと考えるならば難しいかも知れないです。
ですが、問題を抱えていない人は1人もいないと思います。

その人たちが 答えを求めている姿を見たならば、その部分で語れば良いのです。

希望がなく「死にたい、死にたい」と言っている人にはイエス様のことを語るのです。
「イエス様はそういう人たちのために来て希望を与えました。「わたしがいのちである。」と語りました。」


ですから私たちは一言でも相手にとって慰めとなり、その人の力となり、希望になることを提供していくのです。

たくさん語るのではなく、1人1人求めるものが違います。
「イエス様ならばこうしてあげます。」と良い知らせを伝えることが伝道であります。


イエス様は「全世界で出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」と語りました。

自分だけ救われたら良い、他の人は関係ない、宣教は 牧師や賜物がある人がやれば良いというのではなく、
救われた者は それは伝えることであります。

倒れている人を見て無関心であるなら、自分が神の御前に来た時に褒められるでしょうか?絶対にありません。


天国で一番大きい報いを受ける人は、伝道をし たましいを導いた人です。


なぜ伝道が一番大きい報いであるかと言えば、滅びて行くたましいに対して あわれみの心を持って その人に語るからです。これは愛がないと語ることができないです。

たましいの世話をする者、たましいを憐れんで語る者、愛を示す者は 一番大きい報いを神様から受けます。


宣教することは、人間が堕落した時から神様が願っていることであります。


ですから皆さんの家族や親族、周りの人々に対して、私たちは一言でも良いので語ることです。
その人たちが受け入れるか、受け入れないかは その人の責任であります。

ことばだけではなく、私たちが人々の間で感謝と愛にあふれる姿を見せるだけでも福音は伝わっていきます。


天国と地獄があることを語っても、その人たちには愚かに聞こえるかもしれないですが、それが福音であります。

宣教の使命は私たちみんなが受けていますので、福音を伝えることをいつも心がけてください。
(*´ -`)(´- `*)

2014.6.29
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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私たちのために来られたキリスト

テーマは『 私たちのために来られたキリストに対して 』です

【イザヤ書61章1-3節】

神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、

主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、

シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現す主の植木と呼ばれよう。

イザヤ書44章から後半は、「旧約聖書の中の新約」と言われています。

もし人々がこの箇所を正しく悟ることが出来たならば、その人たちはキリストをメシヤとして受け入れ、
信じたと思います。

特にユダヤ人たちが、この言葉を本当に理解できたならば彼らはキリストを十字架につけることは
しなかったと思います。

しかし、未だに この言葉を悟ることが出来ないために彼らの目は、覆いがかけられ、心が閉ざされて、
キリストを信じずにメシヤを待っています。
私たちクリスチャンもキリストを正しく知らないと、後でとんでもないことが起こります。

なぜ今回この箇所をテーマにしたのかと言うと、私たちが心の底から100% キリストを正しく知っておかないと、いつ つまずき惑わされるか分からないからです。

私たちはいつも口々に「終わりの時代だ」と よく使いますが、世の中の災いを見て世の終わりだと悟る以前に、教会の中で起こってくる様々なことを通して世の終わりだということを強く実感できます。


先週、韓国ソウルの教会で驚くようなニュースを聞きました。

少なくとも数万人が集まる教会で、クリスチャンであるなら牧師の名前をほとんどの人が知っています。
以前からとても良いメッセージを語り、すごくリバイバルした教会でもあります。
しかし、その牧師が真理とは違う ずれた話を突然 公の場で語りました。

「救いはキリスト教だけではない」という言葉を使いました。以前にローマ法王が語ったのと同じ言葉でした。
その時、他の教会や教団の人たちもいました。
そして先週、何が起こったかと言うと、釜山(プサン)の教会の牧師たちが ソウルの教会の礼拝堂に 汚物を撒きました。

なぜ、そのようなことが起こったのでしょうか?

その牧師は明らかに真理ではない「非真理」で正面からキリストを否定する話をしているのに、そこで聞いていた副牧師、伝道師、長老、信徒たちが何万人もいるのですが、その人達が沈黙をして誰も否定をしなかったので他の教会の牧師や信徒たちが立ち上がったのです。
ですから、牧師だけではなく、それを聞きながら黙って教会に通っている人たちもおかしいということであります。

自分の立場のために黙っていたのでしょうか?


【使徒の働き4章12節】

この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。

使徒の働き4章12節のみことばを見ても、救いはキリストしかいないと書かれています。
聖書を知っていながら違うことを語った牧師に対して、なぜ周りの人たちが黙っているのか 理解が出来ないです。

今回のニュースを聞いて、本当に世の終わりだと感じました。(その時が来たら)教会から裁きが始まります。

私は牧師として、私たちがキリストのことをもっともっと知らなければならないです。
この世で成功するために色々なことを教えるのではなく、自分たちが信じるキリストがどのような方であるのかを教えたいです。
土台がしっかりしていないといつ倒れるかわからないのです。

私たちクリスチャンは、誰よりもキリストのことをしっかりと学んで悟らないと、後でとんでもないことになります。
すべてのものもそうですが、基礎が正しく出来ていないと、砂の上に建てた家のように誘惑が来た時にペッタンコにされるのです。




そうならないように、地上に来られたキリストがどのような方であるのかを はっきりと知りたいと思います。

イエス様がなぜ来られたのか、その目的、その働き、自分のために来られたキリストのことが【イザヤ書61章1-3節】に書かれていましたが、
イエス様ご自身も語りました。次の箇所です。


【ルカの福音書4章16-22節】

それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた。

すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。

「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、

主の恵みの年を告げ知らせるために。」

イエスは書を巻き、係りの者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。

イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」

みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。そしてまた、「この人は、ヨセフの子ではないか」と彼らは言った。

イエス様は、偽預言者を見分ける方法はその人が語る言葉ではなくて、その人が結ぶ実を見て見分けなさいと語りました。
その通りの働きをしないならば、その人がどんなに有名で立派なことを語る人であっても、信用してはならないです。
言葉ではいくらでも人を騙すことができます。

私たちが結ぶ実は、最初に芽が出た時には分かりませんが、実をしっかり結んだ時に見分けることができます。

イエス様は実際に来られて、この通りの働きをしました。バプテスマのヨハネが弟子たちをイエス様に遣わして
「(メシヤとして)来られる方はあなたでしょうか?」と質問をしました。
それはヨハネに先入観があり、イエス様の姿がイメージと違ったからです。

しかし みことばが目の前で実現されている実を見ましたので、ヨハネは悟り、預言されたメシヤがイエス様だということが分かり、それ以上疑いを持ちませんでした。


終わりの時には、反キリスト、偽キリストがたくさん出てくると言われています。

なぜ人々がそういう者たちに騙されるのでしょうか ――。
それは、行いの実を見ていないからです。ほとんどがその者たちの言葉や姿に騙されるのです。
立派なものを建てて、大勢の人が集まり、そこで立っている姿を見て「この人が偽物なら、人々がこんなに集まる
はずがない」と勝手な思いを持ちます。
それは みことばの上に立った判断ではなくて、「神様が今まで隠しておいた秘密をあなただけに特別教えるから」という言葉に誘惑され、牧師や伝道師、信徒たちまでもが惑わされてそこへ行くのです。

イエス様とまったく違う働きをする人たちは、自分で名誉を受けて権力を手に入れて、お金を握ります。それはメシヤの姿ではないです。

ですから、イエス様は明らかに世の宗教指導者たちと違う姿で来られて、違う働きをすることをイザヤ書61章でも語っていました。

イエス様はどのような人を救い出すと語ったでしょうか ――?
貧しい者に良い知らせを伝えるために イエス様は来ました。(イザヤ書61章1節)

貧しい者とは、霊的に貧しく心に色々な悩みがあり生きる力がない人たち、希望もなく 頼るものもない人たちです。


【マタイの福音書5章3節】

心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。

苦しみから救い出すために来たとイエス様が語りました。それで実際にイエス様は貧しい者たちと共にいました。

すると宗教指導者たちが「あの者はいつも罪人たちと一緒にいる」と言って非難しました。
彼らは魂を導くと言いながらも、人々を完全に差別しました。

多くの者は口なめらかに、その人が持っている わずかな物までも全部取り上げて自分の腹を肥やしていきます。

ですが、イエス様は一度もそうしたことがないです。

イエス様は心が傷ついた者たちを癒すために来られました。

心に傷がない人はいないと思います。
他人からの言葉によって傷を受けたり、環境から傷を受けたり、生まれながら傷ついた人たちなど たくさんいます。

それは薬を飲むから癒されるのでしょうか?―― 癒されないです。
身体は薬を飲んで癒すことは出来ますが、心の傷は薬では届かない部分です。ですが、人々は傷を受けていないかのように振る舞っています。
傷があるということは、心にいっぱいヒビが入って粉々に壊れたことを意味するのです。

ヒビが入った心は痛いのです。それは誰が治せるのでしょうか?
―― それは私たちを救ってくださった主です。

私たちの痛みを知っておられるイエス様が癒してくださいます。

霊的に色々な葛藤や悩みが多い人たちは心が病んでいます。カウンセリングを受けても 聞くだけであります。
聞いてうなずいて、小さな助言を与えます。また、病院で薬だけを与えて(副作用で)何も出来ない者にしてしまいます。
それは癒すことにはならないです。


【マタイの福音書11章28-29節】

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。

心が癒されたということは、たましいの安らぎであります。

それから捕らわれ人には解放を与えます。これもイエス様がしたことであります。

私たちはある意味で罪の奴隷でした。奴隷ということはサタンに捕らわれた者であります。
人間に捕らわれたり、環境に縛られて奴隷にされていたり、自分自身で自分を縛っているのです。

それで苦しい思いをしている人たちがどれほど多いでしょうか。
この世で生きているほどんどの人が何かに捕らわれて生きています。「ストレス」ということは、何かに捕らわれているのです。

刑務所の中に入っていなくても、家庭の中で監視、管理されていたりすることもたくさんあるのです。
その姿を見て、イエス様が本当に憐れんでおられます。

イエス様は知恵を与え解放したいという理由で地上に来られました。
ですから、私たち自身が本当にイエス様に出会っているならば、今 私たちは自由にされていなければならないのです。


【Ⅱコリント3章17節】

主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。

自分の力ではどうすることも出来なかったものを、イエス様はそこから解放し自由にしてくださいました。
自由は私たちのものであります。

まだまだ自分は頑張らないと自由になれないと勘違いをしてはいけないです。
イエス様は最初から自由を与えておられますので、それを使うことであります。




私たちがクリスチャン生活をする上で勘違いをしていることが1つあります。

「囚人には釈放」という言葉がありますが、これは刑務所に入っている者に語った言葉ではないです。

以前の悪い習慣、古いものに縛られて身動きが取れていない人達がいます。
クリスチャンなのに そういうものに縛られています。罪責感に悩まされている人がたくさんいるのです。
罪を犯すたびに「あぁ、私は地獄に落とされるのではないか」という思いで自分を縛ります。
しかし、イエス様はそのような方ではないです。

イエス様は、私たちの過去・現在・未来の罪までも赦してくださるのです。
だからと言って、「じゃあ いつでも罪を犯して良いんだ」というのも間違いです。

「あなたが本当にわたしの前で悔い改めるならば、それ以上自分を責める必要はない」ということです。

なぜなら赦されたからです。罪責感はサタンが私たちを縛る 「 足かせ 」 なのです。


旧約聖書を読んでみてください。
罪を何度も犯し、それに対して神様は彼らが蒔いたものの刈り取りはさせましたが、
それでも神様は彼らを捨てませんでした。最後まで彼らの世話をし、魂を憐れんで救い出してくださいました。
これが父の心であるのです。

このようなキリストを絶対に裏切ってはいけないです。豊かになった途端、心が変わる魂が哀れであります。

「私は大丈夫です。」というのは誰にも言えないことです。


日々、私たちの信仰の土台であるキリストを求めて、その方と共に歩み、敬わないと(私たちは)倒れていきます。

ソウルの牧師の姿を見て、私たちはただ非難するのではないです。それは自分たちに対する警告だと受け止め、
世の終わりが身近なところで起きているのだということを私たちは知らなければいけないです。

もしも、牧師が真理ではない言葉を平気で語るならば、皆さんは逃げたら良いと思います。
「牧師が堕落し、キリストに敵対する者になってしまったのだ」と牧師を追い出すか、皆さん自身が離れるか、
どちらかにしないと大変なことになります。

今回のことは、私たちに対する教訓であり警告でもありますので、私たちはどのような時でも自分たちのために
来られたキリストにしっかりと礼拝して信じて、ついていきたいと思います。 ( ̄‥ ̄)=3

2013.11.3
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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クリスチャンの人生とは?

テーマは 【クリスチャンの人生】 です

【Ⅱコリント5章17節】

みことばを聞きながら自分自身を診断したら良いと思います。
みことばは、クリスチャンの人生とはどういうものであるのかを教えています。

日曜日に礼拝に来るのがクリスチャンだというのは違います。
クリスチャンが礼拝を守るのは当然のことです。
聖書を読んでいるからクリスチャンの人生を生きているというのは 一部分であります。

クリスチャンの人生は、生活の中にクリスチャンとしての様々な姿が実際に出てこなければならないです。
人生は生活そのものであります。
クリスチャンは、キリストにあって古いものが過ぎ去り、全てのものが新しくなった時から
スタートであります。新しくなった その時から新しいものとして生きるのがクリスチャンであります。

しかし、どのように生きたらクリスチャンの人生になるのかは、よく分かっていないです。
その部分を3つに分けて紹介します。


①信仰によって生きる

私たちは、信仰によってクリスチャンになりました。
毎日信仰によって生きるのがクリスチャンの人生であります。
神様は「義人は信仰によって生きる」と語りました。
義人は神様が認める正しい人であります。
神様から見て正しい人というのは、キリストに出会って信仰により救われた姿、罪が洗われた人を言います。
義人になった瞬間から、その人は信仰によって生きなければ意味がないです。

新しい者(義人)になったならば、その時から神様をもっと頼りながら信仰によって生活をしなければ
ならないです。

私たちが救われると、イエス様が私たちの心の中に入ってきます。これがクリスチャンであります。

以前はサタンの奴隷であり、サタンが私たちの心を支配して欲のままに生きていました。
しかし、救われたことによって変わってきました。私たちの中にイエス様が入って来てくださいました。
もし信仰によって生きないならば、「何をしても天国に行く」と言って、相変わらず古い人のままで
生きるならば、主は一緒に暮らすことはできません。その時から私たちの心はエデンの園ではないです。
主が共にいるのでエデンの園であります。

以前、私たちは広い道を歩きました。その道は大勢が歩いています。最期は滅びで、永遠の地獄です。
しかし信仰をもって救われたその時から道が変わってきました。険しくて狭い道であります。
しかし、その道は「命の道」であります。

命の道を通っているのに「この道はしんどい、歩きたくない。辛い。試練も多い。世の中の不利益もある。
日曜日に礼拝に行かなければならない。クリスチャンとしてこれもあれもしなければならない。」
「以前の方が良かった」と言って、そこから再び広い道に行くならば、その先には永遠の命はないです。

毎日、私たちは永遠の命の道を歩いているのかどうかを自分で点検しなければなりません。
狭い道だけを歩くのが信仰の道であります。

毎日、毎日、楽な道を歩くならば、その先は暗闇の世界です。
そのことを私たちは知らなければならないです。

「弱くて、まだ信仰が足りないけれど、『 それでもその道を選ぼう 』と、神様に私の力ではできません。
助けてください。この永遠の道を歩けるように、みことばに従って歩けるように神様 助けてください。」と
私たちが祈りながら神様に頼るならば、それが信仰によって生きる道であります。

完璧に守ることは誰にもできないです。だけど「神様、私は弱い者です。私は倒れやすい者です。
誘惑に負けやすいです。でも神様、信仰によって生きられるように私を助けてください。」と求めます。
信仰とは頼ることであり、自分の力では出来ることではないので、自分の力で出来ないことを認め
神様の力を求めるのが信仰であります。
それが信仰によって生きる人生であります。


②従順によって奇跡を体験する生活

不可能な部分は出来ないというのは、クリスチャンの人生ではないです。

聖書に書かれている出来事は奇跡だらけであります。

奇跡を行う神様ですので、クリスチャンはこの奇跡を必ず体験しなければならないです。
自分の力で「これは不可能で どうにもならない」と思うことを、信仰がある人は神様に奇跡を求めます。
「神様、私の力ではどうにもなりません。不可能に見えます。でも私は不可能であるからといって絶望しません。
神様の奇跡を見せてください。」――それがクリスチャンの人生であります。

神様はいつも奇跡を備えてあります。その時に必要なのが、従順であります。
(多くの奇跡が起こっていることの前提は)「あなたがみことばに従うならば奇跡を見る」――です。

信仰の先祖・アブラハムも同じでした。当時アブラハムは100歳で、サラは90歳でした。
サラは不妊の女性でした。
自然の法則で見ると子供を産むことは100%不可能でありました。
サラは神様の言葉を聞いて心の中で笑いましたが、神様は「約束の言葉を信じなさい」と語りました。
信じることは従順です。

自分の頭の中で「そんなことはない」と言うのは不従順であります。

病気で「余命○カ月です。薬もなくて手を尽くすことができません。」と医者に言われた時に、
「そうですか。」と死ぬ日を待つのは、普通の人であります。
しかし、クリスチャン達はそこで引き下がるのでしょうか?
神様の御前に出て、祈るべきであります。神様は奇跡を行いたいです。

従順すると、神様は不思議な方法で道を開いて与えてくださいます。
その奇跡を体験する人は、信仰がどんどん成長していきます。

奇跡を体験しない人たちは、普通の人の生活をします。
クリスチャンでも奇跡を体験しない人、信じない人が大勢います。ですから信仰生活が面白くないです。

奇跡を日々体験する人は、神様なしには生きていけないです。


③毎日生まれ変わること

毎日生まれ変わることによって、新しい者として生きることができます。

どんなに新しい者でも、そのままだったら古い者になります。そうすると枯れて死んでいきます。

日々、イキイキしている人と、最初は(信仰が)熱かったのに段々生温くなり、冷めてやめてしまう人との
生活は何が違うのかと言うと、日々生まれ変わることをするか しないかの違いであります。

日々生まれ変わるということは、どういうことでしょうか?
それは日々、肉や自分の古い性質を十字架につけて殺すことであります。それをしないならば、新しくなれません。

いつも自分が聖くなるための努力をしないと、罪と咎が増えて古い人が蘇ってきます。


【Ⅰペテロ1章15-16節】

儀式を行うからクリスチャンではなく、
信仰によって生きる人生、従順によって奇跡を体験する人生、日々生まれ変わることによって新しくなる人生、
これこそがクリスチャンの人生であります。

クリスチャンとは何ですか?と質問された時に、「教会に行くのがクリスチャンです」と答えるのは大きな間違いです。
教会に行きながらも異邦人がたくさんいますし、教会に行きながらも神様に出会っていない人もたくさんいますし、
教会に行きながらもいつまで経っても(信仰が)赤ちゃんのままの人がたくさんいるのです。

そうではなくて、「信仰によって救われ、信仰によって生きる人です。従順することによって、神様の奇跡を
たくさん体験する人生です。そして古い自分を棄てて、どんどん新しくなっていくのがクリスチャンの人生です。」と
自分たちがそのように生きなければなりませんし、
周りの人にクリスチャンのことを正しく説明しなければならないです。

十字架にかけられたイエス様を信じた人は、自分もイエス様と共に十字架につけなければいけないです。
それが日々死んで生まれ変わる姿であります。

毎日私が死んでキリストが私の中で生きてくださいというのが、クリスチャンの人生であることを
心に留めてください。

クリスチャンの人生がどういうものであるのか私は知りませんから、このまま生きます。
今まで通りの生き方で生きます。というならば、教会に来ても全く意味がないです。

キリストは従順し 父なる神に信頼し、実際に十字架にかかって死にました。
これを私たちが見習い、ついて行くのがクリスチャンの人生であります。
狭い道ですが命の道を歩む人であります。追い出されることがないです。

そういう人が最後に勝利を勝ち取ります。

そのような生き方をする私たちになりましょう。 ( ̄‥ ̄) =3

2013.4.14
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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