からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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キリスト

キリストの十字架と私

テーマは 『 キリストの十字架と私 』 です

【ガラテヤ1章4節】

キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり、父である方のみこころによったのです。

今週はキリストの受難週です。

キリストが苦しみを受け、十字架につけられ死んだ時期です。


みなさんは十字架を見た時に、そこに釘づけられて死んだキリストをすぐに思い出しますか?

それとも 何も思わないですか?


クリスチャンならば、キリストを思い出すと思います。


キリストが 罪人の罪を贖うために十字架の上で死んだことは、聖書を通して聞いていますので、それは信じていると思います。


しかし、その “十字架と自分” をしっかり結びつけないと、キリストの十字架に特別な意味があっても、それが自分とは何の関係もないものになります。


今回はまず「キリストの十字架の特別な意味」を語り、そのあとに「キリストの十字架と私」に対して学びます。





キリストの十字架の特別な意味




キリストの十字架の意味を はっきり知って信じることで、私たちは神がすでに備えた驚くべき恵みを受けることが出来ます。

知らないならばもちろん何の恵みも受けられません。


《 罪を赦す力 = 罪によって人間はきよい神との関係が断絶されました 》


なぜなら “罪” は、神との関係を断絶させるからです。


ですから神との関係を回復するためには、罪が洗われる必要と罪の赦しが必要になります。


神はイエス・キリストの十字架の苦難と死 という方法で、私たちの罪を赦しました。


私たちがキリストの十字架の前に来て 自分の罪を悔い改めて信じる時に、キリストの血が罪を洗い、罪の赦しを受けることが出来ます。


キリストの血には、“罪を赦す力” があります。


【ガラテヤ1章4節】

キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。

罪が赦されると たましいが救われ、神との関係も回復します。



《 愛の力 = 十字架の贖いは 神が人間を愛している証拠 》


“キリストの十字架のみ” が私たちを神の愛に導きます。


イエス様が人間を愛していなかったならば、自分のいのちをささげることは出来なかったと思います。


【ローマ5章8節】

しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。


《 神と出会う場所 = 十字架の力だけが私たちを神に導きます 》


旧約時代に幕屋で神に会ったように、私たちはキリストの十字架を通して神に会います。


神がご自身を現し、私たちを呼ぶのもキリストの十字架を通してです。

そのように神が決めましたので、それ以外の道はありません。





キリストの十字架と私




・十字架の上で古い人は死んで、新しい人になりましたか?


【ガラテヤ2章20節】

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

使徒パウロの告白ですが、キリストに本当に出会ったならば、このような同じ告白が私たちからも出なければなりません。


神を知らなかった時の姿は古い姿です。

自分の思いのままに生きた姿でした。


しかしキリストを信じることは、古い人を捨てて 新しい人として生きることを意味します。


罪から離れ、義のために生きることです。


【第1ペテロ2章24節】

そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。


【第2コリント5章17節】

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

この新しく生まれ変わった経験がない人は、まだ救われていないです。


変わったならば、本人が一番それに気付くはずです。

罪から離れてキリストの中にいま生きていますか。



・十字架のために迫害を受けていますか?


【ガラテヤ5章11節】

兄弟たち。もし私が今でも割礼を宣べ伝えているなら、どうして今なお迫害を受けることがありましょう。それなら、十字架のつまずきは取り除かれているはずです。


【ガラテヤ6章12節】

あなたがたに割礼を強制する人たちは、肉において外見をよくしたい人たちです。 彼らはただ、キリストの十字架のために迫害を受けたくないだけなのです。

行いや儀式によって救いを受け、祝福を受けると思っている人は それらを重んじ、それらに魅力を感じ、一生懸命にそれを追い求めます。

そういう人が迫害を受けることはあまりないです。


しかし それを拒否し、キリストの十字架を信じる信仰のみに救いがあるという人は、迫害を受けます。


その迫害を受けたくないから妥協したり、ごまかしたりして生きるならば、それは十字架を知らない人です。


イエス様は主の弟子になる人は、誰でも迫害を受けると言われました。

殉教するほどの迫害もあれば、周りから受ける不当な扱いや嫌がらせなどの小さい迫害もあります。


十字架によって新しくなった人は、迫害を受けてもキリストから離れません。

さらにキリストに近付きます。


そのようにしていますか?

それとも迫害は絶対に嫌だと キリストから離れますか?



・誇っているのは十字架ですか、それとも肉のものですか?


【ガラテヤ6章14節】

しかし私には、私たち主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。

自分にとって価値のないものを誇る人はいません。

その人が愛するもの、関心が高いもの、大事にするものは、その人が誇るもので分かります。


次の言葉で自分の状態を調べるならば、自分がどこに属し、何を誇り、何に従っているかが分かります。


【ローマ8章5-10節】

肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。

肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。

というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。

肉にある者は神を喜ばせることができません。

けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。

もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。

キリストの十字架を一番の誇りとしている人は、十字架の意味と価値を知っている人です。


そうでない人は、まだ十字架の意味と価値を知らない人です。



・日々自分の十字架を負っていますか?


【マタイの福音書16章24節】

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

何かを負うことはしなければならない責任があります。


どんな責任でも負うことは しんどいことです。

出来れば責任は負いたくないと思ってしまいます。


キリストも重い死の十字架を背負いました。

その苦難はとてもつらい苦難でした。


しかし最後まで十字架を負いました。

それによって 人類の罪が赦される道、救いの道、神との和解の道が出来ました。

私たちにも主が負わせた十字架があります。


ある人はそれが嫌でどこかに投げ捨てました。

負担もなくなり、身軽になって良かったと思うでしょう。


しかし いま笑う者は後で泣きます。いま泣く者は後で笑います。


もし十字架を負わせられたならば、黙ってそれを負って主に従うことです。



子ロバは、イエス様が自分の上に乗った時に 黙って歩き出しました。


主が私たちに負わせる十字架は、祝福の十字架です。


後に 主と清算する時に、多くの報いをもたらすものになります。


しかし投げ捨てて十字架を負わなかった人にあるのは、厳しい叱責です。

「悪い怠けたしもべだ」と聞くでしょう。


十字架のない人生を選ぶか、十字架のある人生を選ぶかは自分で選べます。


しかし天国へ行くのは自分では選べないです。

神様が決めます。


十字架と共に歩んだ人には、天国の道を開きます。

なぜなら十字架の道が天国への道だからです。


十字架を愛して生きる人もいれば、十字架の敵として生きている人も多いです。


あなたはどらちですか?
(゚Д゚≡゚Д゚)


2017.4.9
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あなたの主はだれですか?

テーマは 『 あなたの 主 はだれですか? 』 です

【第1ペテロ3章15節】

むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。

神は 私たちに聞きます。

「あなたの主は誰なのか。」


私も、私自身に聞きます。

「あなたは誰を主にしたいのか?」


誰が 私の心の中の “主” になるべきでしょうか?


神の答えは「キリストを主にしなさい。」です。




なぜ “キリスト” でしょうか




キリストは、どのようなお方でしょうか?


キリストは私たちを救う方です。

私たちに慰めが必要な時に、慰めて下さる方です。


そして、私たちの心と体を いやして下さる方です。


また、私たちを罪の束縛から 解放して下さる方です。

私たちをひとみのように 守って下さる方であり、私たちのことを 私たち以上に よく知っておられる方です。


私たちにとって、一番よいものが何かを知っておられる方で、私たちに教えて下さる方です。


私たちに 世が知らない知恵を 与えて下さる方です。

私たちが行くべき道を一番よく知って導いておられる方です。


王の王、主の主です。


私は この方(イエス・キリスト)を “主” にしてから、これらすべてを体験しました。

すべてが真実でした。



この方を、“自分の心の主” にしたいと思いませんか?


口先だけで「主よ。主よ。」と言うのは、キリストを主にしている姿ではありません。


心の中で、キリストを主として崇めないといけないです。


心の中で、主として崇めることは どういうことでしょうか?

このことばを参考にして下さい。


【イザヤ書8章13節】

万軍の主、この方を、聖なる方とし、この方を、あなたがたは恐れ、この方を、あなたがたのおののきとせよ。



キリストを 心の主として崇めるならば、
私たちの人生はどのような人生になるのか




  • 神のことばを聞いて従順する人、忠実な人になる

  • キリスト者として聖なる敬虔な人になる。

  • 主のいのちが私に注がれるのでいのちあふれる人生になる。

  • 希望ある人生になる(復活、天国、罪の赦し、変わらない神の約束、報いなどを受ける。

  • 聖霊の導きを受ける人生になる。



もし 違うものが心の主になるならば、どうなるのか




≪ “私自身” が 私の主ならば ≫

・神から遠く離れた放蕩息子(ルカの福音書15章の内容)のように、孤独な人生、悲惨な人生になる


≪ 貪欲(富、名誉、権力、快楽などを愛し求める欲)が私の主ならば ≫

・いつも罪の誘惑に負けて罪の奴隷になり、堕落の人生になる


≪ サタンを主にするならば ≫

・とんでもない悪を行う者になる


イエスをお金で売った 弟子の1人であったイスカリオテ・ユダのような人、弟アベルを殺したカインのような人、平気に人を殺したり、悪を行う者、そして今もISなどテロ集団に入っているような者は、“サタン” を自分の主にしています。


自分自身が認めなくてもそうです。

そうじゃないと 人間として そのようなことが出来るでしょうか。


彼らは喜んで悪を行います。

そのような人は 皆、サタンの奴隷です。


環境が、人が、自分を変えるのではないです。

本当に自分を変えるのは、自分が “だれを自分の心の主にしたか” によって変わります。


外にあるものからは色々と影響を受けますが、自分の心の中で誰を主にするかは 他人が決めるのではなく、自分が決めることが出来ます。


自分が心の中に誰を主として崇めるかによって、私たちは(今までとは)違う人生を生きるようになります。
v( ̄∇ ̄)v


2017.3.19
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水のバプテスマと聖霊のバプテスマ

テーマは 『 水のバプテスマと聖霊のバプテスマ 』 です

【使徒の働き19章1-7節】

アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、

「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは、「いいえ。聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」と答えた。

「では、どんなバプテスマを受けたのですか」と言うと、「ヨハネのバプテスマです」と答えた。

そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです」と言った。

これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。

パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。

その人々は、みなで十二人ほどであった。

今日は聖霊が下ったペンテコステの日です。

イエス様は復活してから天に上る前に、弟子たちに “一つの命令” と “一つの約束” を与えました。

“命令”は次の箇所です。


【使徒の働き1章4節】

「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。

そして “約束”は次の箇所です。


【使徒の働き1章5節】

ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」

これらを聞いた弟子たちはエルサレムを離れないで、聖霊を受けるために祈りながら待ちました。

そしてペテコステの日に彼らに聖霊が激しく臨みました。


弟子たちにとっても初体験で、彼らは聖霊に満たされ、異言を語ったり 預言したりと、聖霊によって新しい者に生まれ変わりました。

弟子たちのことばや行動を見ると、以前の弟子たちの姿ではありませんでした。


彼らを変えたのは聖霊でした。

彼らも以前、ヨハネから水のバプテスマを受けました。


そしてペンテコステの日に聖霊のバプテスマも受けました。




ヨハネのバプテスマとは




この“バプテスマ” は皆さんも、世の人々も知っている水の洗礼です。


ヨハネはイエス様よりも先に来られ、主のための道を準備した人物でした。

その時、ユダヤ全地域の人々は、ヨハネが水のバプテスマを授けているヨルダン川に来て、自分の罪を告白してヨハネから水のバプテスマを受けました。


その時ヨハネは、人々に次のように話しました。


【マタイの福音書3章11節】

私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。

ここでも水のバプテスマと聖霊のバプテスマが全く違うことと、両方のバプテスマが必要であることが明白です。


“水のバプテスマを受けたから、天国に行く切符を手に入れた” と喜ぶのは間違いです。


もう一つのバプテスマが、もっと重要です。
これなしに天国に入ることは難しいです。


パウロがエペソの弟子たちに会った時に、なぜいきなり「信じた時、聖霊を受けましたか。」と質問したでしょうか。

それは聖霊を受けた証拠が、本当に生まれ変わったことを証明するのに不可欠であったからです。


【ローマ8章9節】

けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。

パウロの質問は「信じた時に聖霊の臨在を体験しましたか。」という意味でもあります。


ペンテコステの日に集まっていた120人全員が聖霊の臨在を体験したので、彼らは自分たちが聖霊のバプテスマを受けたことを明確に知りました。

私自身も聖霊の臨在を体験したので、自分が聖霊のバプテスマを受けたことを知りました。


受けた人ならばそれが何かわかります。

臨在の体験は それぞれ違いますが、臨在を体験すると自分が変わったことが分かります。


心がまるで入れ替わった感じがして、以前と同じ心ではないです。



パウロは、エペソの弟子たちのことばや行動を見て、彼らが聖霊充満でないことを感じたと思います。


それで質問した時に、彼らは「いいえ。聖霊の与えられることは聞きもしませんでした。」と答えました。


パウロや主の弟子たちが福音を伝える所では、皆が水のバプテスマと聖霊のバプテスマを受けていましたが、なぜエペソの弟子たちは聖霊のバプテスマを知らなかったのでしょうか。

それには理由がありました。


彼らはパウロから福音を聞いて信じたのではなく、アポロという人から福音を聞きました。


【使徒の働き18章24ー25節】

さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。

この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。

これが原因でした。

ですから彼らは水のバプテスマしか受けていなかったのです。


今も世界のある教会では同じことが行われています。

水のバプテスマは受けていますが、聖霊のバプテスマを受けていない信徒たちも多いです。


その人たちも聖霊のバプテスマを知らない指導者から福音を聞いたからです。

しかしそれでは不十分であることを主が語っておられます。


水のバプテスマの儀式は “自分の罪を告白してキリストを受け入れたことを象徴する行為” です。


しかし、水のバプテスマが救いを受ける条件でも 明確に救いを受けた証明になるわけでもないです。

それは、教会がその人の信仰告白を聞いて、その人を教会員として受け入れたという意味で行う儀式です。


水のバプテスマは、地上の教会を作る時に必要です。

教会の外にいる人と教会員との区別にもなります。


使徒たちも福音伝道と水のバプテスマを平行しながら教会を設立していきました。

人は水のバプテスマを受けることで 自分がクリスチャンになったことを認識しますし、教会員になったと実感します。


しかしこれだけで救われた、生まれ変わったとの証明にはならず、必ず聖霊のバプテスマが必要です。




聖霊のバプテスマとは




水のバプテスマが教会員になったと教会が認めるものならば、聖霊のバプテスマは 聖霊が(その人が)クリスチャンになったことを認めたと印を押すようなものです。


【第2コリント1章22節】

神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました。

聖霊のバプテスマを受けた人は、罪が赦されただけではなく、サタンの支配下にいた古い人は死んでキリストの中で新しく生まれ変わったことを体験した人です。


これによってその人はキリストと一つになり、キリストの支配下にいます。


水のバプテスマを受けた人の中にもクリスチャンではない人もいます。

イエス様が語った天の御国のたとえに「麦と毒麦のたとえ」がありますが、麦は真のクリスチャン、毒麦は教会の中にいるクリスチャンに見えてもそうでない人のことです。


ヨハネが水のバプテスマを授けていた時に、大勢のパリサイ人やサドカイ人たちがバプテスマを受けに来ました。


彼らを見てヨハネは次のように語りました。


【マタイの福音書3章7-8節】

「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。

それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。

このように厳しく言いました。

心からの悔い改めもなく、儀式や形を重んじる彼らは 皆が受ける水のバプテスマを受けずにはおられなかったです。

それをヨハネは見抜きました。


このようなクリスチャンが多いです。

洗礼は受けましたが、悔い改めにふさわしい実もなく、古い人のまま生きる人、主から離れた人も大勢います。


しかし本当に悔い改めて主を信じ、また聖霊のバプテスマを受けた人たちは、彼らとは明らかに違います。

たとえ主から “離れなさい” と言われても、彼らは離れることが出来ません。


なぜなら聖霊の印が心に押されていて、聖霊がその人の中に住んでいるからです。


聖霊を追い出して以前の状態に戻ることなど考えられないです。


「自分が聖霊のバプテスマを受けたかどうかは、どうやって分かりますか?」と知りたい人もいると思います。


特別に神秘的な聖霊の臨在を体験してなくても、主を愛し、主を自分の救い主として信じ、自分が変わったならば、その人は聖霊のバプテスマを受けた人です。


主から離れて生きることが出来ない人は、聖霊のバプテスマを受けた人です。


イエス様も水のバプテスマと聖霊のバプテスマを受けました。

それは私たちにその2つが必要であることを教える目的もありました。


【ヨハネの福音書3章5-6節】

イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。

肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。

聖霊のバプテスマを受けた人は、常に力に満ちた生活をするために聖霊に満たされることです。


聖霊は力を与えて、私たちを助けて下さいますし、賜物も与えて主の働きが出来るようにして下さいます。

日々聖霊に満たされ、聖霊の導きの中で生きる人は、安定した信仰生活が出来ます。


聖霊の助けなしにみことばだけでは弱いです。


みことばだけで大丈夫だと思う人は神に頼らない人です。


主のことば通り聖霊を受けて、聖霊と共に歩む人が力を受けて実を結ぶことが出来ます。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚


2016.5.15
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キリストの十字架

テーマは 『 キリストの十字架 』 です

ハレルヤ
今日も平安がありますように


カルバリの丘で キリストが十字架にかかった時に、多くの人々が集まっていました。


そこにはあらゆる悪い人々がいました。

十字架にかかって苦しんでいる主を見て、勝利を歌いながら喜ぶ者たちがいました。


そこには狡猾な者、罪悪に満ちた者、主に対抗する者たちが多かったです。

そして自分を正しいと思い、自己主張の声が大きかった者たちでした。


キリストを憎み、殺意を持っていた人たちがキリストを十字架につけました。

次の箇所に彼らの様子があります。


【ヨハネの福音書19章15節】

彼らは激しく叫んだ。「除け。除け。十字架につけろ。」ピラトは彼らに言った。「あなたがたの王を私が十字架につけるのですか。」 祭司長たちは答えた。「カイザルのほかには、私たちに王はありません。」

その激し叫びに負けて、ピラトはキリストを彼らの手に引き渡しました。

殺人者たちの手に引き渡されたキリストは、あっという間に十字架につけられました。


十字架につけられたキリストを見る彼らの顔には、自分たちの思い通りになったことで、満足感と勝利に浸っていました。


そして苦しんでいるイエスに さらに彼らは「自分を救ってみろ」と嘲り呪いました。

良心の呵責(かしゃく)すら彼らは感じていませんでした。

皆、テロリストの姿と変わりなかったです。


別のグループの人たちがいました。


悲しみのあまり 声を出すことも出来ず、遠く離れて泣いている人たちがいました。


主から様々な恵みを受けた人たち、その恵みに感謝している人たち、主の苦しんでいる姿に心を痛めている人たちがいました。


彼らは何も言えず、黙って十字架のキリストを見ていました。

そして彼らは自分をキリストと共に十字架につけ、キリストと共に死にました。


キリストの十字架の前には、中間地帯がありません。

どちらにも属さないでいることは出来なく、ただの見物人で終わることは出来ません。


世の中のことは無関心であっても、それが罪に問われることは それほどないですが、人間を贖うために来られた救い主に対しては、神は「あなたはどちらにつくのか」と問われます。


今、あなたの前で「あなたの罪のために十字架にかかって苦しんでいる救い主を信じて救われたのか。それとも「こんな者は十字架につけろ」と 敵対する者になりたいのか」と聞いておられます。


私は十字架の主を、私の救い主として受け入れました。

皆さんはどうですか?
選ぶのはあなた自身です。
( -д-)ノ


2015.8.14
3分テレフォンメッセージ

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パウロが見たキリストにある自分の姿

テーマは 『 パウロが見たキリストにある自分の姿 』 です

【ガラテヤ2章20節】

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

多くの若いクリスチャンたちが集まってワーシップソングを歌っている映像を見ました。

その時の賛美の内容が今日の聖書のことばでした。


舞台に上がって賛美をリードする若者たちも、立ち上がって賛美している多くの若者たちも、目を閉じて、胸に手を置いたり、ある人は手を上げながら賛美していました。

まるで主に今日のことばを自分の信仰告白として告白しているかのように見えました。


しかし次の瞬間 このように思いました。
「本当にそう思って賛美しているのかな?」と。


あまり考えることもなく、ただ賛美に酔っているだけの人もいるでしょうし、口だけの告白かも知れないです。


しかし、パウロの告白には違和感が感じられないです。

なぜならば、その通りに生きたからです。


使徒パウロは、聖書の中に自分の信仰告白と共に、自分がキリストにあって何者であるかを告白しました。

それはキリストにあって発見された自分の姿でした。


みなさんもキリストに会って発見された自分の姿があると思います。

パウロが発見された姿を見てみましょう。


自分がキリストにあって何者であるかを発見することはとても大切なことです。




キリストと共に十字架につけられて死んだ古い自分の姿




十字架は死ぬ場所です。キリストがそこで死にました。

キリストが十字架にかかった時に、パウロが一緒に死んだわけではないです。

それなのに なぜキリストと共に死んだと言えるでしょうか。


自分が罪人である認識がないとキリストの十字架は意味のないものです。


悔い改めも 救いも なぜ必要なのかも分かりません。

しかし、自分が罪人である認識は キリストの十字架の意味を知らせる大きなカギになります。


パウロが よみがえられたイエス様に出会って、初めて分かったのが キリストがメシアであること、十字架の意味、そして自分が罪人であるという認識でした。


そしてキリストの十字架は、自分の罪のためであると認識しました。


自分が死ぬべき場所にキリストが代わりに死んだことを知りました。

それを知ったパウロは 古い自分をその十字架につけました。

それは新しい人として生きるためでした。


古い人のまま生きることは 神の恵みを無にすることであり、キリストの死を無意味にすることだと悟りました。


自分のたましいを救うために犠牲を払った主のために生きるためには 古い人は死ななければならないです。


そしてパウロの中にはいつも十字架がありました。



【ガラテヤ6章14節】

しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。

パウロはイエス・キリストの十字架を誇りとして生きました。


十字架の力、十字架の福音、十字架の望みを いつも心に刻んで生き、それだけを伝えました。


それが新しく生まれ変わった彼の姿でした。




使徒の中でも もっとも小さい者である姿




【第1コリント15章9-10節】

私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。

ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。

私たちが見るパウロは 使徒の中でも一番すぐれた使徒ですが、本人はそう思っていなかったです。

それこそが謙遜な姿です。


パウロが使徒として召されたのは、主が生きている時ではありませんでした。

教会に対して迫害しているパウロの前に 主が現われ、彼を選びました。


ある意味 使徒として一番不適格な人物がパウロでした。


パウロ自身も それにはびっくりでしたが、使徒として選んで下さったことは自分に対する大いなる主の恵みであることを知ってパウロは使徒としての務めに全力で取り組みました。

最後までその姿は変わりませんでした。


教会が大きくなる前は 謙遜で良い働きをした主のしもべたちが、教会が大きくなり、信徒の数も増え、有名人になると態度が変わって転落の道をたどる人がとても多いです。

世界的に有名な先生が倒れていくのは、パウロにある姿がないからだと思います。


外側は謙遜に見えますが、うちにあるのは “これは全部私が働いて築いたものだ” という自慢です。

いつの間にか“主”ではなく、“私”が主役になってあります。
もっとも危険な姿です。


しかしパウロはあれほどの働きをしたにもかかわらず、それを自慢したり、高慢になったことがありませんでした。

もし高慢になったならば、神の恵みを無にしたことになります。


たくさんの働きをしたからと言って、自分が偉いわけではなく、むしろ恵みが与えられ、働きが出来たことを主に感謝しないといけないです。


パウロはいつもそのようにしていました。




罪人のかしらである姿




【第1テモテ1章15節】

「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。

この言葉がパウロの口から出たことはすごいことだと思います。


なぜならば 本来の彼の基準からみたら、自分ほど正しい者はいないからです。

誰よりも律法に熱心で、敬虔な生活を送り、律法を落ち度なく守っていました。


罪を犯しながらも自分は罪人じゃないと思っている人とは違いますね。


パウロは宗教に熱心な典型的なパリサイ人でした。

ですから 他のパリサイ人と同じくイエス様に敵対していました。

それはイエス様や弟子たちを律法を乱す とんでもない罪人と思って迫害しました。


そして救いは律法を守れば大丈夫だと思っていましたので、イエスの存在が理解出来ませんでした。


しかし復活のイエス様に会い、霊の目が開かれてから 本当の自分の姿に気付きました。

自分がとんでもない罪人であることに気付きました。



【第1テモテ1章13節】

私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていない時に知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。

パウロは無知であった自分に対して、主が豊かな恵みを与えて下さったことに対して 絶えず感謝をささげました。


思い出す度に恵みの大きさに感激しました。

そして彼は生きることも主のため、死ぬことも主のためと決めました。


それからは後ろを振り返ることもなく、主のために、福音のために生涯をささげました。

そこには何の迷いもありませんでした。


なぜならば生きる目的が明確であったからです。


【ガラテヤ2章20節】

いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

アーメン ( ̄‥ ̄)=3

2016.1.10
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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キリストとの交わり

テーマは 『 キリストとの交わり 』 です

ジョン・チャールズ・ライルは、19世紀イギリスで チャールズ・スポルジョンと共に清教徒の霊性を持った立派な牧師でした。

その当時のイギリスでは、洗礼を受け、教会に登録するだけで生まれ変わった人、天国の民になったと認めていたので、ライルは天から落ちた爆弾のような存在でした。


なぜならば、彼は福音の教理を絶対に曲げずに、いつも正しい福音を伝えました。

それは人を悔い改めさせ、救いを得させるメッセージでした。


彼は聖霊の人でした。

リバイバルは聖霊によらなければならないことを知って、いつも聖霊の火を求めました。


次のことばは、ある時のメッセージでした。


「残念ながら、救いに至る信仰もなく、キリストとも交わりがないのがはっきりしているのに、死んだら天国に行くという人があまりにも多いです。

しかし、そういう人は天国には相応しくないです。

皆さんは地上でキリストを高く崇めることもしませんでした。

皆さんはキリストとまったく交わりを持ちませんでした。

皆さんはキリストを愛していません。悲しいことです。


皆さんが天国で何が出来るでしょうか。

天国は決して皆さんのためにある所ではありません。

天国の喜びは皆さんのために喜びではないはずです。

天国の幸せは、皆さんが手にすることが出来ない祝福です。

天国での日々が皆さんには負担になり、つまらないでしょう。

遅すぎることがないように悔い改めて、心に変化が起こりますように。


天国への確実な準備はイエス様との交わりです。

洗礼を受けたから、教会に通うから、間違いなく天国に入ることは有り得ないです。

はっきりしているのは、天国はただ私たちに与える神のプレゼントではないことです。

そこはイエス・キリストだけが最高の喜びである所です。

私たちはこの世で生きながら、イエス様が最高の喜びでなければならないです。

ここでイエス様と仲良くしていないのに、天国で永遠に仲良く出来るわけがないです。」


このメッセージはもっともだと思いました。

パウロはイエス様を知らない時には、教会を迫害しましたが、知ってからは別人になりました。

一番の変化は、イエス様に対するパウロの思いでした。


【ピリピ3章8-9節】

それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。 私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、

キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストと信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。

2015.10.24
3分テレフォンメッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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聖霊による変化

テーマは 『 聖霊による変化 』 です

【使徒の働き2章14-18節】

そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。

今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。

これは、預言者ヨエルによって語られた事です。

『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。

その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。

イエス様が天に帰られた後の最大の出来事は、何と言っても聖霊が下ったことですが、それに気付いていない人がとても多いですね。

キリストが誕生した時も、世の人々はそれに気付きませんでした。

何も起こっていないかのように普段の生活をしていました。


ですからキリストが活躍した時も、自分たちとは無関係だと思いましたし、今も無関係だと思っている人がどれほど多いか分かりません。

それは自分の魂が救われるチャンスを逃していることを意味しています。

地上ではキリストと無関係であっても特に問題はないですが、それが問題になるのは死後です。


死後には神のさばきがあり、それによって永遠のいのちか 永遠の滅びかを受けますが、その時にキリストが大いに関係してきます。


キリストを信じたか信じなかったかによって行き先が変わります。

ですから生きている時に信じる必要があります。






また、聖霊はどうでしょうか。

クリスチャンは聖霊を受けても受けなくても良いでしょうか。


答えは、受けなければなりません。
なぜなら、“受けなさい” とイエス様が命じたからです。


【使徒の働き1章4-5節】

彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。

ヨハネは水でパプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」


【使徒の働き1章8節】

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

この言葉は、弟子たちだけに与えられた言葉でしょうか。

そうではなく、信じるすべての人は聖霊を受けなければなりません。

しかし それを知らない人が多いですし、また 受けなくても良いと言う人もいます。


当時もたくさんの人が主のことばを聞きましたが、実際にエルサレムに留まりながら父の約束を信じた人は120名ほどしかいませんでした。

彼らは全員で心を合わせ、祈りに専念していました。
そして10日後のペンテコステの日に初めて人々に聖霊が下りました。


120名ほどが受けた聖霊は、初めての不思議な経験でしたが、それによって彼らは大きく変わりました。


聖霊によってどのような変化が起きたでしょうか?




1.他国のことば(異言)で話しだした




私たちは外国語は習わないと理解することも話すことも出来ません。

何年間 習ってもうまく話せないのが外国語です。
英語を幼稚園から大学まで習っても まともに話せない人がほとんどです。


それなのに、どこの国の言葉かも分からず 聖霊が語らせるまま話し出したので、集まった人々はそれを見てびっくりしました。


私の知り合いの女性の牧師先生は若い頃、ナンパをしようと付きまとって来た男の人に困り、何かを言おうとして口を開くと中国語が勝手に出てきて、それを聞いた男の人が「何だ、外国人か」と言いながら去って行ったと聞いたことがあります。


聖霊を受けた人たちが祈りの時に使う異言は、聖霊が語らせることばです。

自分にとって未知の言葉なので意味は分かりませんが、異言で祈ることは素晴らしいことです。


なぜならば 次のように書いているからです。


【第1コリント14章2節】

異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。


【第1コリント14章4節】

異言を話す者は自分の徳を高めますが


【第1コリント14章14節】

もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈るが、私の知性は実を結ばないのです。


【第1コリント14章22節】

それで、異言は信者のためのしるしではなく、不信者のためのしるしです。

このように異言は神に話す言葉であり、自分の徳を高めますし、また不信者へのしるしであるので、パウロは「私はあなたがたがみな異言を話すことを望んでいます」と語 りました。


異言がまだ話せない人は、異言が話せるように聖霊に求めて下さい。
私も聖霊様に求めて受けました。





2.霊的に強くされ、大胆な者に変化した




“聖霊が望むと力を受ける”と語ったように 皆に力が与えられ、霊的に強くなり、大胆な者になりました。


以前は人を恐れて、イエス様を3度も知らないと言ったペテロの変えられた姿を見て下さい。
まるで別人のように変わりました。

環境や、人、権力を恐れていたペテロでしたが、大勢の前で大胆に即興で説教をする姿に人々は驚きました。


世の中で一番強い人は勇士ではなく、力士でもなく、聖霊充満な人です。

なぜならば、この人たちは 人や環境、サタンや権力、迫害や死も恐れないからです。


弟子たち全員は殉教しましたが、彼らはどこでも大胆な者でした。
聖霊が彼らの中に力を入れたからです。


【第2テモテ1章7-8節】

神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。

ですから、あなたは、私たちの主をあかしすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。

いつも何かを恐れ、自信がなく、消極的であるならば、いつも聖霊に満たされるように祈って下さい。


「強くあれ。雄々しくあれ」と主が命じておられます。





3.自己中心的な人から、神中心の人に変化された




自己中心であることは聖書に基づく考えではなく、自分の考え・知識・経験が 自分の価値観や行動の動機となります。


イエス様と共にいた時の弟子たちの姿を思い出して下さい。

霊的な人は1人もいませんでした。

イエス様の傍で3年間訓練されても、それぞれ自分が一番偉いと思っていましたし、出世することを夢見ていました。


相変わらず“自分”が世界の中心にいました。
それが、主が捕えられ十字架の事件が起きた時に明らかにされました。

皆がイエス様に背を向けました。
自分を捨て、自分の十字架を負って、主に従うことが出来ませんでした。


しかし皆が聖霊によって180度変わりました。

自分のために生きる者はいなくなり、主のために生きる者に変わりました。


【ピリピ1章21節】

私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。




4.みことばの悟りが与えられ、確信ある信仰に変わる




以前ペテロは、みことばに対してあまり分かりませんでしたし、イエス様から話を聞いても間違った解釈をしていましたが、聖霊を受けた後 その場で立って旧約聖書の言葉を正確に理解し、立派な説教が出来ました。

それには人々もびっくりしました。

そして人々がどのような間違いをしているのか、はっきりと指摘が出来るほどキリスト教の教理に対して正確に理解することが出来ました。


これによって信仰もみことばの上にしっかりと立つようになり、それからは真っ直ぐに進むことが出来ました。


聖霊の助けなしに神の言葉に対する悟りを得ることは難しいです。

自分勝手に解釈をして、悟りを得たという人もいますが、本当に悟りを得るためには聖霊の力と助けが必要です。


無学なペテロがこのように立派な説教がいきなり出来たのは 彼の力ではなく、すべて聖霊のよるものです。





5.使命を果たすことが出来る




弟子たちの例を挙げるならば、彼らが選ばれた時に言われたのは「あなた方を人間を取る漁師にしてあげよう。」でした。

すなわち魂を勝ち取るのが彼らの使命でした。

しかし聖霊が下るまでの姿は人間を取る漁師ではなく、再び魚を取る漁師に戻って行きました。


聖霊によって使命から離れていた彼らが使命を取り戻しました。
ですから福音が世界に広がるようになりました。それは聖霊が彼らを使命に目覚めさせて下さったからです。


そして彼らには証人としての使命もありました。
証人とは見たもの、聞いたものを隠さず ありのままを伝えることです。


自分のことを話すのではなく、イエス・キリストはこのような方でしたと証言をすることです。

彼らは聖霊に満たされた後、すぐに人々の前に証人の働きを始めました。



このように聖霊は人々を新しく変えて下さいます。

生ぬるい者ではなく、形式的な信仰生活ではなく、今回話したような変化を人々にもたらします。

それらのすべての変化は聖霊なしで得られることは不可能です。


弱いクリスチャン、名ばかりのクリスチャン、証人として働いたこともないならば、聖霊に対して無関心であるか、自分から勝手に聖霊と縁を切ったかです。


もし弟子たちのように変わりたいならば、何よりも聖霊に満たされることを求めて下さい。


聖霊なしの信仰生活は、ガソリンの入っていない車に乗っている人と同じです。

変化もなく、いつも同じ所に留まっている車の様です。

求めるすべての人に聖霊を注いで下さいますので、聖霊を受けて力強い信仰生活、実を結ぶ信仰生活をしましょう。
(。・ω・)ノ゙

2015.5.24
ペンテコステ礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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なぜキリストを信じるのか

テーマは 『 なぜキリストを信じるのか 』 です

【コロサイ1章15-18節】

御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。

なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。

御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。

また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。

今、キリストを信じている人はなぜキリストを信じていますか?

この世には多くの宗教があり、神々と呼ばれるものがたくさんある中で なぜキリストを信じているのでしょうか?

「偶然信じるようになった」とか、「何となく信じるようになった」とかいう人はいないと思います。


これとは逆に、キリストを信じない人は なぜ信じないのでしょうか?

きっと色々な理由があると思います。

もし、「ほかの神を信じるているので私はキリストはいりません」と言う人がいるならば、その神はどのような神でしょうか?説明できますか?


その神とこれから関わっていて何か得るものがあるでしょうか?

キリストよりもすぐれたものは何でしょうか?もしあるならば教えてもらいたいです。


今回はクリスマス礼拝を捧げているので、キリストに焦点を合わせて話したいと思います。

聖書はキリストが主役であり、キリストの話がたくさん書かれています。


そして聖書の内容は、主役であるキリストの話です。


私はキリストを信じているので、なぜ信じているのか その理由をはっきりと話すことができます。




(1)キリストは見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方




まずは15節にあるように
キリストは見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方だからです。

キリストは人間と同じ肉体を持って生まれた方ですが、ただの人間ではなく、もともと神である方が 目的があり人間の姿となってこの世に来られた方です。

罪の中で生まれ、罪の結果として永遠の死に落ちていく人類を救うために世に来られました。


【Ⅰペテロ1章18-20節】

ご承知のように、あなたがた父祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、

傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。

キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現れてくださいました。

しかし、すべての人類がこのことを知り、喜んでキリストを受け入れて救われるのではありません。

2つの反応があります。


【ヨハネの福音書1章9-14節】

すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。

この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、 世はこの方を知らなかった。

この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。

しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。

ことばは人となって、 私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

私自身も キリストが誰であるのかを知る前は 人間がどこから来て何のために生き、どこへ向かい、
自分が罪の中にいる罪人であること、そして罪の結果として永遠に滅びることや、贖いが必要であることも知りませんでした。


創造主が誰であるのか、天国と地獄がどんな所かも知りませんでした。

結局、最も大切で重要なことは何一つ知りませんでした。


そしてその中で何とも思わず、目に見えるものだけを求めながら生きていました。


しかしある時に私は神の存在を求めるようになりました。
そしてキリストに出会い、聖書を読みながら、それまでまったく知らなかった真理を次々と知るようになり、 目が開かれ悟りを得られ、神の存在や人間の存在もどうしたら救いを得られ、神の子どもになれるのか、どうしたら天国に入れるか すべてを知るようになり、そのすべてを信じ、受け入れました。


このように明確に教えておられる方はキリスト以外にはおられませんでしたし、私の罪を贖うために人間となられて十字架の上で私の身代わりとなって罪を清算して下さった方もほかにおられません。

信じないわけにはいかないです。


今は信じたので、罪が赦され、神の子になり、むなしい生き方をやめ、永遠のいのちを神から受け、この地上を離れる時には天国に行ける祝福をキリストによって受けています。


私は信じて何一つ損したことはなく、むしろ大切でもっとも価値あるものをすべて受けました。




(2)キリストが万物の主権者




キリストが万物の主権者だから信じています。


【コロサイ1章17節】

御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。

神が創造した世界の中で、今 私たちは生きています。

自分が造った世界の中で生きているのではありません。人間は誰一人 “無”から“有”を創造することはできません。

世界を創造し、秩序を作り、それを治める方がキリストであるので、それを認め、感謝し、従うのは当然であります。


歴史の中でも、今の世の中でも草一本でも造ることが出来ない人間が、自分が神であるとか自分が世界の主権者であるとか、偽りを言う者がたくさんいました。

その嘘に騙されている人間もたくさんいます。
その人間も死ぬ時には普通の人間と変わりがなく、ただ権力欲、名誉欲、物欲に満ちていた人間であったにすぎません。


言葉巧みに人を騙しても、その裏にあるものは貪欲に満ちた人間がいるだけなので絶対に騙されてはいません。

特に聖職者と呼ばれる人間の中に多いので、気をつけなければなりません。


自分を再臨イエスと言い続けた統一教会の文鮮明も死にました。

顔を見てもキリストとまったく似てもない人間が自分を再臨イエスだと言っていることに、多くの者が騙されて今も信じています。気の毒であります。




(3)キリストが死者の中から最初に生まれた方で、今も生きておられるから




キリストが死者の中から最初に生まれた方で、今も生きておられるからです。

キリストは十字架の上で死ぬずっと前から弟子たちに言っていました。


【マタイの福音書16章21節】

その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして 三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。

その通りにキリストは十字架にかかり、三日目に蘇りました。

常識的には考えられなかったからです。
しかし目撃者は多くいて、誰も復活を否定することができなくなりました。


私が聖書の中でいつも希望を置くことばがあります。次の箇所です。


【Ⅰコリント15章16-21節】

もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。

そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。

そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。

もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。

しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。

というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。

永遠のいのちの約束は復活があったからこそ、信じることができます。




(4)キリストの中にすべての宝がある




キリストの中にすべての宝があるから信じます。


【コロサイ2章3節】

このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。

キリストに出会って、このことは本当に実感しています。

世の知恵と知識しかなかった時には、目に見えるものしか分かりませんでした。

しかし、キリストを信じてから今に至るまで どれほど神から多くのことを教えられているか分かりません。

これから先に起こることや、また霊の世界のことまで教えてもらいました。
もちろん今も教えてもらっています。まるで目からうろこが落ちた状態です。


悟りが与えられたことで人生を見直すことができ、正しい道を歩むことができました。

人間の愚かさ、人生のむなしさを知り、捨てることができました。

何が善であり、悪であるのかも 神からの知恵で悟ることができました。


皆さんはなぜキリストを信じていますか?
キリストがどのような方であるのか、正しく知っていますか?

まだよく知らない人は、知らないまま生きるのではなく、知るために聖書を読み、神を知りたいと祈ってみてください。

ある意味、キリストを信じるか、信じないかは人間にとって最大の決断になります。


永遠の死の世界に行くか、永遠のいのちの世界に行くかを、生きている時に決めないといけない選択ですので、これほど重要な決断が世にあるでしょうか。


私は信じる決断をして神様を信じて、これで良かったといつも思っています。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚

2014.12.21
クリスマス礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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キリストの再臨

テーマは 『 キリストの再臨 』 です

【使徒の働き1章9-11節】

こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。

イエスが上って行かれるとき、弟子たちは 天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。

そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を 見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」

キリストが十字架の死から復活し、天に昇られてから どれほどの時間が過ぎたでしょうか。
2000年は過ぎました。

イエス様は天国へ行ったきりで帰って来ないと言ったのではなく、再び来ると語りました。
それが主の再臨です。


イエス様は人々が見ている前で天に上げられていき、その時に御使いたちは 主がまたおいでになるとはっきりと語りました。

このように主の再臨が預言されていたので、初代教会の信徒たちの 信仰の中心が“イエス様の再臨”でした。

激しい迫害の中でも主の再臨を待ち望みながら、自分たちの信仰を守っていました。


それから2000年が経った今はどうでしょうか?

再臨のことをメッセージする教会はどのくらいあるでしょう。
そして、イエス様の再臨を本気で待ち望んでいる信徒はどれくらいいるでしょうか?


再臨の教えは、サタンを怒らせます。サタンは主の栄光の再臨に対して嫌っています。


そして世俗的な教会と肉に属するクリスチャンも この再臨に関する教えを嫌います。


キリストの再臨に関しては、新約聖書の中で318回も言及されている大切な教えです。

私たちは再臨に関しては“目を覚まして祈っていなさい。”と主から聞いています。

なぜなら 目を覚まして祈っていないと、主が再臨しても私たちは主とともにいることが出来ず、地上に残されて激しい患難を受けなければならないからです。


主の再臨は 準備した人にとっては喜びの日になりますが、準備が出来ていない人にとっては恐怖の日になります。


弟子たちが「いつ再臨するのですか?」と聞いた時にイエス様は「人の子は思いがけない時にくる」と。
そして次のように語りました。


【マタイの福音書24章36節】

ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。

しかし主は、主の再臨の“前兆”に対しては教えてくださいました。


今の世の中の様子を見ると、まさに今 主が語った前兆が起きていることに気付くと思います。
次の箇所に前兆のことが書かれています。


【マタイの福音書24章5-7節】

わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、「私こそキリストだ」と言って、多くの人を惑わすでしょう。

また、戦争のことや、戦争のうわさを 聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。

民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。


【マタイの福音書24章12-38節】

不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。

しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。

それゆえ、預言者ダニエルによって 語られたあの『荒らす憎むべきもの』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)

そのときは、ユダヤにいる人々は 山へ逃げなさい。

屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。

畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。

だがその日、哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。

ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。

そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい患難があるからです。

もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。

そのとき、『そら、キリストがここにいる』とか、『そこにいる』とか言う者があっても、信じてはいけません。

にせキリスト、にせ預言者たちが 現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。

さあ、わたしは、あなたがたに前もって話しました。

だから、たとい、『そら、荒野にいらっしゃる』と言っても、飛び出して行ってはいけません。『そら、へやにいらっしゃる』と聞いても、信じてはいけません。

人の子が来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。

死体のある所には、はげたかが集まります。

だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。

そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。

人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。

いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。そのように、これらのことのすべてを見たら、 あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。

まことに、あたながたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、 この時代は過ぎ去りません。

この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。

ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。

人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。

洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、 とついだりしていました。

  1. 多くの にせキリストが現れる
  2. 戦争と戦争のうわさを聞く
  3. ききんと地震
  4. 不法がはびこる
  5. 多くの人たちの愛は冷たくなる
  6. 食べたり、飲んだり、とついだり、めとったりする

さらに、次の箇所にも再臨の前兆が書かれています。


【Ⅱテモテ3章1-7節】

終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。

そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、 大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、

情け知らずの者、和解しない者、 そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者

裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、

見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。

こういう人々の中には、 家々に入り込み、愚かな女たちをたぶらかしている者がいます。その女たちは、さまざまの情欲に引き回されて罪に罪を重ね、

いつも学んではいるが、いつになっても真理を知ることのできない者たちです。


今、皆さんは世界を見て これらの事とは無縁だと思っていますか?
そうではないですね。毎日見ていますし、聞いていると思います。


どれほど この世の中が堕落しているかと言えば、同性愛反対説教をした牧師がスウェーデンで捕まり、刑務所に入るほど堕落してきました。

アメリカでも毎年30万人のゲイがニューヨーク5番街に集まり「神はゲイを愛している」「神はゲイだ」という立札を持って行進をしています。


これは神をあざける姿です。


そして彼らに福音を伝えようとするクリスチャンたちに暴力を振るいました。


今は世界の国々が同性愛を受け入れ、結婚を認める法律を作っています。
キリスト教の教団も受け入れるところがたくさん増えました。

これは神様が喜ぶでしょうか。そうではなく、反対に神様を悲しませることです。
神が認めたのは、男と女の結婚だけです。


彼らは同性愛の遺伝子を持って生まれたと言いますが、そのような遺伝子が存在するのではなく、情欲が彼らの中にあるだけです。

彼らは皆、神様が決めた一線を越えて、神のことばを無視し 踏みつけています。


このような姿は再臨の前に見られる姿の1つでもあります。






映画やテレビも神をあざける内容がたくさん増えました。

これらすべては神を怒らせる行為です。


そして再臨が近いと感じるほかの前兆もあります。

それは人々の邪悪な行動が恐ろしいほど増えたことです。

なぜここまで世の中が邪悪になってしまったでしょうか。


サタンが自分に残された時間が少ない事を知っているので、以前よりも活発に働いて人々の中に入り、邪悪なことを平気に行っているからです。


今は世界中インターネットが広がっていますが、その中には有害なサイトがたくさんあります。


ポルノサイトだけでも50万はあると言われています。

子どもまでも中毒されて、先月は韓国で小学生の男の子3人が20代の女性をレイプする事件まで起こりました。

日本でも小さい女の子を狙う事件が後を断ちませんし、アメリカでも10代の女の子の多くが、お父さんや親族にレイプされています。


今、イスラム国が行っている残虐なことは 口では言えないほど酷いものです。悪魔そのものです。

不法が人間社会の隅々まで はびこっている様子を見せています。


そして教会の中にも多くの惑わしが入ってきています。

それは多くの嘘です。この嘘が惑わしです。


イエス様ははっきりと言いました。

惑わしの霊が教会にも入り、多くの者がそれに惑わされると人々は嘘を真理と信じてしまいます。


イエス様はこれらのことが起こると人の子が戸口に立っていることだから目を覚まして祈りなさいと言っているのに、 「大丈夫だ、まだまだ主は再臨しない。私たちの時代には主は来ない。」と言って、主の再臨が近いと語ることばに疑いを持たせ、 信徒たちの目をイエス様ではなく、世に向けさせ、また物質主義者にさせていきます。


緊迫感がないので、だんだん祈りも少なくなります。

その人たちは「主よ、来ないで下さい。今来たら困ります。私はまだまだこの世で楽しみたいことがいっぱいあります」と言います。

しかし、イエス様の再臨に対して準備ができている人は、「主よ。早く来てください。」と言います。


今は世界のどの国も次から次へと起こる災難や事件、事故に対して対策も出来ないと言われています。
それほど予想外のことが増えたからです。

クリスチャンは今の人生と永遠は紙一重です。


もし私たちがイエス様の再臨前に死ぬならば、それまで私たちはイエス様と一緒にいなけれはなりません。

この世にどっぷり浸かって 受ける恵みだけを喜んでいるならば、私たちの人生は世のものに満たされて、イエス様の再臨に対しては関心すらありません。


お金を稼ぐことに心が集中します。

そういうものに頼っているならば、私たちは目を覚ますことも出来ないし、主のために時間を作ることもできません。


他のことのためにはいくらでも時間を使うのに、主のための時間を惜しむのは、その人が今、信仰においても変質されていることに気付かなければなりません。


死んだ教会、死んだ信徒はいくらでもいます。

再臨が近付いている今日、私たちがどのようにすべきかを聖書から調べたいと思います。


【Ⅱペテロ3章9-11節】

主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、ひとりでも滅ぼすことを望まず、 すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて 消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。

このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、 あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。


【Ⅱペテロ3章14節】

そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、 励みなさい。


【Ⅱペテロ3章17節】

愛する人たち。そういうわけですから、このことをあらかじめ知っておいて、よく気をつけ、無節操な者たちの迷いに誘い込まれて 自分自身の堅実さを失うことにならないようにしなさい。


【Ⅰペテロ4章7節】

万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。


主は、主を待ち望む者たちのために来られます。

その人たちを主の花嫁として迎えるために来られます。

準備できた人は天に引き上げられますが、地上に残された人たちはかつてない患難に見舞われます。


そうならないように耳を傾け、備えをする者になりましょう。
ε=ε=(;´Д`)

2014.11.2
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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危険な状態とは?

テーマは 『 危険な状態 』 です

【エペソ5章3-7節】

あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。

また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。

あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者――これが偶像礼拝者です、――こういう人はだれも、キリストと神との 御国を相続することができません。

むなしいことばに、だまされてはいけません。こういう行いのゆえに、神の怒りは不従順な子らに下るのです。

ですから、彼らの仲間になってはいけません。

韓国で換気口崩落事故で16人が死亡し、11人が怪我をしました。

もちろん安全対策がきちんと出来ていないことが1番の問題ですが、やはり1人1人が常に自分の身を守るための安全対策が本当に必要だと思います。


八戸ノ里教会近くの駅前交差点で信号待ちをしている時も、歩行者信号は赤で 多くの車が走っているにも関わらず、平気で道路を渡っている人をよく見かけますが、それを見ていつも「死んでも良いのか?」と思います。

安全というものに対して全くの不感症です。


この安全に対する不感症は多くのクリスチャンにも見られるものです。

自分の命が今 危険な状態であるのに、何の対策も考えず、自分は安全だと思って以前と変わらない生活を送っています。


1度生まれた人間は必ず死にますので、“死”そのものが問題ではなく、どのように死ぬのかが問題であります。

準備が出来ているならば心配はないです。
常に悔い改めて、主の御前に立つ準備がしっかりと出来ているならば良いですが、主に会う準備が出来ていなく、悔い改めもきちんと出来ていないならば、それは大きな問題です。


今回は、クリスチャンにとって何が「危険な状態」であるのかを伝えます。

メッセージを聞いて自分の霊的状態をしっかりと見てください。


まず、あなたに1つの質問をします。


天国へ行くことは難しいでしょうか?それとも簡単でしょうか?


簡単だと思っているクリスチャンが圧倒的に多いです。
その人たちが簡単だと思うのは次のみことばがあるからです。


【ローマ10章10節】

人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

1度信仰告白をした者は、その後 何をしても、いのちの書に名前が書かれているので天国へ行くと思っています。

イエス様を裏切っても、人殺しや盗みをしても、悔い改めなくても問題なく天国に入ると思う信徒たちや、そのように教える牧師たちもいます。

昔、そのように教えた神学者がいたので そのように信じている人が多いです。


このことをあなたはどう思いますか?

この1つのことばで誰でも口で「信じます。」と言うならば、天国への切符を完全に手に入れたと思っています。


確かに救いは そのことば通りにして受けることができます。
しかし信仰生活すべてを遂げるのではありません。






また一方で、天国へ行くのは難しいと考える人もいます。それは次のみことばがあるからです。


【マタイの福音書7章13-14節】

狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。

いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。

このように書かれているので天国へ行くのが難しいと考えます。行く人が少ないと書かれています。



イエス様は次のように語りました。


【ヨハネの福音書3章5節】

イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。

神に出会って生まれ変わったならば、その人自身も生活も変わったはずです。


また、神に出会った人は神の子どもになりましたので、次の箇所にあるように実行をしなければなりません。


【エペソ5章1節】

ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。

信仰告白だけをして、後は今まで通りの生活を送っている人に「あなたは生まれ変わりました。」と本気で言えるでしょうか?――それは言えないです。


【ヤコブ2章26節】

たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行いのない信仰は、死んでいるのです。

このように はっきりと語っています。

祝福のことばは、永遠に変わらないことばとして受け入れるのに、叱責や警告、呪いのことばは勝手に意味を変えたり、加減をして「神は愛だから、そんなことはなさらないでしょう。」と軽く流してしまいます。これが問題なのです。


こうなると自分の霊的状態が危険であるにも関わらず、安全だと思って悔い改めることもせず、ただ形式的な信仰を送ります。

そして自分が死に直面した時に、準備ができていないたましいとして悲惨な目に遭います。


エペソ5章の本文のことばは、信じる者たちに与えたことばです。
神のことばは曖昧ではありません。はっきりと語りました。

聖徒なら、聖徒に相応しい生き方をするのが当然のことです。それは神の命令です。


3節には“不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。”と語りました。

しかしクリスチャンたちがどれほど堕落したか分かりません。
不品行、汚れ、むさぼりを平気に行ってます。それを罪とも思わず、悔い改めることもせずに行い続けます。




アフリカ人女性の幻




あるアフリカ人女性が祈りの中で幻を見ました。

天からまばゆい白い衣を着た天使たちとイエス様が降りてくるのが見えました。
そしてイエス様と天使たちが大きな教会の方へ向かいました。


教会の中にはたくさんの人がいて、「主よ、入ってください!」と叫びました。
しかし、イエス様は「No!No! 私の教会が汚れている」と、とても怒り悲しんだ顔をして教会の中には入りませんでした。

次の瞬間、見ると御使いたちが1人1人に何かを当てました。
まるで空港で金属探知機を当てるような感じでした。


すると、1人だけ音が鳴りました。
その音が鳴った人だけが神の心に相応しい人で、多くの他の人たちは裸の姿でありました。恥ずかしい姿です。

これは信徒のどのような姿を現しているでしょうか?
それは黙示録に出てくるラオデキヤ教会の姿でした。次の箇所です。


【ヨハネの黙示録3章15-17節】

「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。

このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。

あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、 乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。

なまぬるい信仰生活によって、自分が危険状態であるのに、それを知らずに安全だと思い、なまぬるいままの信仰生活をして いつかは天国に入るから大丈夫だと思っています。

イエス様によって地獄へ行って来た人全員が口を揃えて言うことばは、地獄の中でも1番厳しい裁きを受けるところに数えきれないほど多くのクリスチャンがいたと証言しています。

イエス様はそのことをクリスチャンに知らせなさいということでクリスチャンたちに見せてくださいました。
クリスチャンは地獄にはいなかったと言う人は1人もいませんでした。


神様はラオデキヤ教会にいる信徒たちに次のように語りました。


【ヨハネの黙示録3章19節】

わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。

罪のままの姿では天国には入れないので、苦難や問題などを与えて、私たちがその中で悟って悔い改め立ち返ることを願っています。


愛の神様だからと何もしなくても天国に受け入れられるとは聖書のどこにも書かれていないです。






全世界とそこに住む人々、また教会や信徒たちに一番足りないのは“悔い改め”です。

既に神様の懲らしめは始まりました。
洪水、地震、戦争、噴火…すべてが既に始まったことを見せています。


神様はアメリカに対しても神に対する信仰から堕落している姿を見て、「この国の神は快楽だ。わたしはあなたがたの快楽地帯を打つ」と宣言をしていますし、
韓国に対しても多くの方たちに みことばを与えて「戦争」が近いうちに起こると宣言しました。


これはクリスチャンの堕落が問題です。


ハイチで伝道集会を開いた預言者が「ハイチ地震」を預言し、皆に悔い改めるように言いました。

それを聞いたクリスチャンたちが笑っていました。
しかし地震は2日後に起きて30万人くらいが亡くなりました。

韓国でも全面戦争が起こり、たくさんの人が死ぬと多くの預言者が言っています。
既に起きている色々な事故などは目を覚まして悔い改めるように主が叱っているのに、それに関心がありません。


クリスチャンも神よりは世を愛し、教会も悔い改めのメッセージよりは世の成功に関心をもってメッセージをします。

そしてあらゆる不義と快楽が教会の中にも浸透しています。主が忌みきらう汚れです。


「自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」ということばがどれほど教会でメッセージされているでしょうか。

そして聖霊を妨害する教会や信徒がたくさんいて、神様はそれに対して必ず裁くと語りました。


私たちは異端の中にいてもいけないですが、聖霊のことは言葉では伝えても、実際に聖霊の働きを妨害する教会からは出なければなりません。


幸い、この教会では聖霊を認め、歓迎し頼っています。
ですから、聖霊の賜物も御業も見ることができます。




危険な状態に陥らないためには?




< 私たちが危険な状態に陥らないために >

常にイエス様を見上げ、キリストと共に歩みながらキリストに見ならう者にならなければなりません。

・信仰において勝利するためには、みことばをしっかりと学び、正しく分別をしなければなりません。


終わりの時には惑わしの霊がたくさん働きます。
その様子を「ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」(Ⅰペテロ5章8節)と語りました。

みことばで分別をしないとサタンの餌食になってしまいます。間違えた教えに騙されてしまいます。


・罪はどのような罪でも徹底的に悔い改めて主に立ち返るようにしなければなりません。


悔い改めを後回しにすると ますます危険な状態になります。

最近起きた事故で亡くなった人たちを見てください。
楽しみの最中に突然亡くなりました。
山やトレッキング、コンサート会場でも、それは1%も死ぬとは考えられない時でした。


ですから私たちは罪から離れ、ますます自分をきよく保ち、主の前に立つことが出来るように目を覚まして悔い改めて、神の子どもに相応しく日々を送らなければなりません。
( ̄‥ ̄)=3

2014.10.19
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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