からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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キリスト教

救いをもたらした神のみわざ

テーマは 『 救いをもたらした神のみわざ 』 です

【ルカの福音書1章76-79節】

幼子よ。あなたもまた、いと高き方の預言者と呼ばれよう。主の御前に先立って行き、その道を備え、

神の民に、罪の赦しによる救いの知識を与えるためである。

これはわれらの神の深いあわれみによる。そのあわれみにより、日の出がいと高き所からわれらを訪れ、

暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。」

今日の本文は「ザカリヤの賛歌」と呼ばれる箇所の一部です。


ザカリヤは祭司で、バプテスマのヨハネの父親ですが、この賛歌を聖霊に満たされて預言のことばとして語りました。

生まれてくる息子・ヨハネに与えられた神からの使命と、その使命は「メシヤが来られるための道を備える働きである」と語りました。


メシヤは神が約束した救い主で、神の御子であり、救いをもたらすために来られるイエス・キリストです。


メシヤこそ神のみわざの現れです。


人間には なぜ救いが必要なのかを知らない人がとても多いですし、宗教は何でも良いと言う人も多いので、そのことをはっきりするために必ず語らなければならないのが “罪の問題” です。



今日の本文にもあるように、ヨハネの働きの中には、神の民に “罪の赦しによる救いの知識を与えるため” もありました。


世界が創造された時から罪が存在したのではありません。
もし存在したならば、罪は神が造ったことになります。

罪が存在しない世界に最初に罪をもたらしたのは、最初に造られた人間であるアダムとエバであることは知っていますね。


それ以後、生まれてくる人間の中には、まるで遺伝子のように罪が組み込まれています。

それを聖書は「原罪」と言います。英語ならば “Original Sin” です。


そこからすべての罪が始まります。
原罪なしに生まれる人間は誰もいません。


それなのに人間はそのことに対してあまりにも無知でした。
なぜならそれが自然体であったからです。


何の違和感もなく、(罪が)体の一部として自分の中で働いていたからです。


教会に来るまでは、罪ということばをあまり聞く機会がないですが、教会に来ると “罪” ということばをよく聞くので、「何故 いつも罪、罪と言うのか」と不思議に思う人や聞きたくないと思う人がいます。


それは罪という存在を気付かせるためです。

罪に対して無知であってはならないからです。

罪を理解しないと、救いの定義が分からないですし、なぜ救いが必要なのかも分かりません。


また神の救いがどのように大きな恵みであるかも分からないです。


罪の恐ろしさも知らないと罪を警戒することもしないです。

罪のことをよく言うのは、罪に対していつも警戒してほしいからです。






罪を分かりやすく理解するためには、罪を犯す前の状態と罪を犯した後の状態を見れば良いです。


罪を犯す前の人間の状態は 神を愛し、喜び、神と共に歩む「神中心」の生活でした。

神が「神中心」に生きるように人間を創造しました。


しかし罪を犯した後の状態は「自己中心」になりました。

世界の主人を神とせず、自分自身が直接主人になる姿です。


アダムとエバは神のようになりたくて、神のことばに逆らいました。

しかし人間が神になることは出来ません。

なぜなら人間は、あくまでも人間以上になることは出来ないように神が創造したからです。


ですから今も自分を神だという多くの異端の教祖たちは嘘つきですので、騙されないようにしましょう。


また、そこまでではなくても 神のことばに従順せず、自分の欲に従って好きなように生きようとする利己的な心があります。


罪のない状態を体験したのは、アダムとエバだけであり、その後は皆 原罪をもって生まれて来ました。

ですから罪から逃れることが出来ません。

それで聖書はすべての人間を差別なく「罪人」と呼んでいます。


罪は神の御心から外れた思い、考え、決定、価値観、行動すべてです。
神のことばに不従順するのが罪です。


なぜ人間はそのように生きていながら、罪人の認識がないのでしょうか。


人間は相対的な価値観を持っているので、世の法の基準に合うならば、自分は正しく生きていると錯覚します。


ですから「私は人を殺したこともないし、物を盗んだこともないし、自分なりに正しく生きて来たのに何が悪い。私は罪なんか犯していないし、罪人ではない。」と言い張ります。


それは人間の基準であって、“神の基準” ではありません。


人間は神のことばに従順して生きるように造られ、決して世のことばに従順して生きるように造られてはいないです。


みことばに違反した時から、人間は自分が創造の目的から離れたことに気付かなければなりません。


この罪の深刻さをはっきりと認識する時に、私たちの罪を洗って下さったイエス様の十字架の恵みがどんなに大きいかを知るようになります。

神は、罪によって神から分離された人間に対して怒りや憎しみではなく、憐れみの心を抱きました。


サタンのことばに簡単に騙されて、罪を犯してしまった人間を 神は深いあわれみの心で見ていました。

そこから神の救出作戦が始まりました。


人間を救うための神の壮大な計画でしたが、人間はそんなことも知らないで、相変わらずサタンのことばに騙されて、自分のいのちをサタンに預けています。






難民たちの状況がそれに似ています。

今、ヨーロッパには難民が急増して大変問題になっています。

内戦があるシリアやアフガニスタン、イラクなどから自由と豊かさを求めて危険を覚悟で渡っています。


戦争も内戦もすべて自己中心の人間たちが起こしたことです。

今年だけで既に35万人で、途中で死亡した人の数が2600人に達したと発表されました。


お金を仲介者に支払って、ヨーロッパに向かって行く 多くの人々が仲介者に騙されています。

そこで放置されて死亡する人も多いです。


ヨーロッパの政府も一般の人々も面倒なことだと思って、あまり関心を持たなかったですが、最近シリアからの難民が乗った船が沈んでしまい、乗っていた12人が亡くなり、一緒に乗っていた3歳の男の子が流されて砂浜にうつぶせになって死んでいる映像が世界中で公開され、それを見た人々は感情を揺り動かされて、非常な悲しみを覚えました。


私もそれを見ましたが、本当にかわいそうで心が痛くなりました。

その映像で今まで難民に対して無関心だった一般市民から非常に大きな反響があって、今は難民のための寄付金がたくさん集まる流れに変わっています。


私はそれを見て、これも神様の憐れみだと思いました。


今までも多くの子どもたちが死んでいましたが、戦争がない国の海岸に衣服や靴を身に着けたままの可愛らしい子がうつぶせで死んでいる姿は、自己中心的な人間の心に憐れみの心を起こしました。

自分たちの子どもの姿を思い出したでしょう。


もしかしたら多くの難民を助けるために、その子はその砂浜にたどり着いたのかも知れないです。

それによってヨーロッパの国々が難民のために本格的に対策を考えるようになり、難民を受け入れる国が増えました。


難民たちのことで、なぜかバプテスマのヨハネとイエス様のことを思い出しました。


自分たちを騙している人間に お金まで渡して、保冷トラックの中で窒息して死んだ71人を騙した人たちはサタンの姿に見えました。


死ぬかも知れない危険がいっぱいあるにも関わらず、次から次へとそれに飛び込む人たちは、いま永遠の死の道に向かっているかも知れないと思いながらも、その道を歩んでいる人々と良く似ていると思いました。


人は自分が生まれる国も親も環境も選ぶことが出来ません。


そして変わっていく環境も自分では止められないことが多いです。

ですから自分が努力もしないで与えられる良い環境は本当に恵みだと思います。


良い国や親や環境、そして救いも世に存在します。

しかしそれをみんな受けるのではないです。






先週、マレーシアへ行った時に夜の11時過ぎの繁華街で小さな女の子二人を見ました。


たぶん上の子は5歳位で、下の子は3歳未満の小さな子でしたが、歩きながら手に持っている物を人々に売っていました。
それを見て大変だなと思いました。他にも何人かの物乞いも見ました。


その人たちの環境は厳しいですね。

そしてマレーシアはイスラム教徒がとても多いですが、生まれた環境によってイスラム教の枠から出られないことがとても気の毒に思われました。


特に女性のムスリムは体を隠し、頭にもスカーフをみんな被っていますが、中東から来たと思われるカップルを見ると、男性はTシャツ&短パン姿なのに、女性たちは全身真っ黒の長い服を着て、目だけ見えていました。


暑いのに1年中そのような姿はかわいそうな気がしました。


家族以外に自分の姿を見せることも、おしゃれをして歩くこともないので、そのような国で生まれなくて良かったと思いました。

そして どんなに熱心に礼拝し、規律に従って生きても 救いを得られないことがとても残念と思いました。


キリスト教以外の、どの宗教も人間の罪に対しては触れません。


そのことに触れると、罪が何なのか、どこから始まったのか、救われる方法があるのかを説明しないといけないので、それには触れず、自分たちの言う通りにすれば天国へ行けるし、良い生活が出来ると言います。


しかしキリスト教だけは、神の存在、人間の創造と罪、堕落、罪の赦し、救い、天国や地獄、裁きなど何一つ隠すこともなく明確に教えていますし、サタンの存在も教えます。また、神がどのような方であるのかも教えます。
そして、その先のことも聖書は預言しています。


これは真の神ではないと出来ないことです。

バプテスマのヨハネの出現も、すでに旧約で預言されていました。


【マラキ書3章1節】

「見よ。わたしは、わたしの使者を遣わす。彼はわたしの前に道を整える。あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る。あなたがたが望んでいる契約の使者が、見よ、来ている」と万軍の主は仰せられる。

その預言通りにヨハネは来て、メシヤのための道を整える為に、神からのメッセージを伝え、水のバプテスマを授けました。

「悔い改めなさい。天の御国が近づいた」と叫びました。


人々はそのメッセージを聞いて、自分の罪を告白して、ヨルダン川でヨハネから水のバプテスマを受けました。

そして さらに人々に語りました。


【マタイの福音書3章11節】

私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。

このように人々に罪の認識をさせ、告白するように導き、罪を赦して下さるメシヤが来られることを待ち望むように準備をさせました。


それからメシヤはその預言通りに来られ、その方がイエス様であることは、ヨハネも聖霊によって教えられて確認しました。

ヨハネ自身は、罪を認めず 罪を楽しむ者の手によって 首を切られて殉教しました。30代前半でした。

そして神の預言通りにメシヤである神の子イエス・キリストが来られて救いが完成しました。


イエス・キリストが来られたのは、罪人に対する神の深いあわれみ以外に何ものでもありません。


罪の恐ろしさも深刻さも知らないで生きている人間に対するあわれみです。


神ご自身はそのために御子イエス・キリストを犠牲にしなければならない深い痛みを伴いましたが、それでも人間のために尊い犠牲を払いました。


その犠牲の象徴であるイエス・キリストの十字架を見て、罪に無関心だった人間がやっと罪に気付き、神の憐れみに対しても無反応だった人間がやっと反応するようになりました。


人間の罪に対する無関心は、他人が犯したひどい罪によって、無関心から関心に変わります。

人間がこんなにひどいことを平気にやるんだ と、人間の罪深さや残忍さに改めて気付きます。


難民事故も幼い命の悲惨な姿を見て 人々は自己中心から、少しだけ人の痛みにも目を配るようになりました。






イエス・キリストの悲惨な十字架がなかったならば、神の愛も憐れみも罪の赦しも人々は気付くことがありません。

罪のない方が なぜ死んだのかに関心がある人は、神の言葉に耳を傾けます。


しかし、私とは何の関係もないと言う人は 救いが存在しても、それに気付くことがないです。

自分が好む方法で自分の罪を解決しようとしても、罪の問題は解決されません。


十字架だけが人間の罪を赦し、悪の力から救い出し、暗黒と死の陰から光に導くことが出来ます。


人間はキリストの血の贖いを信じる信仰によって救われることが出来ます。
これは100%神の恵みによります。

福音を聞かされたことが恵みであり、救いを受けたことは人生最大の祝福であります。


人生の中で一度も福音を聞くことがなく死ぬ人も大勢いますし、聞かされても信じない人も多くいます。


そのような中で、福音を聞いて救われたことがどれほど大きい祝福であるか分かりますか?

救われたことは ただ事ではないです。本当に特権であります。


地上に生きていながら、真の神を知り、神からの救いを受け、神の守りの中で天に向かって歩む人生は自由と豊かさと平和を得ています。


これらのものは自分が努力して得たものではなく、すべて神の憐れみと恵みによります。


「私のような者がこんなに大きい祝福を得て良いのでしょうか?」と聞くぐらいに謙遜にならないといけないですね。

救われた環境の中にいる人は一番幸せな人です。


【エペソ2章1-9節】

あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、

そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。

私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。

しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、

罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、―― あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです ――

キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。

それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜る慈愛によって明らかにお示しになるためでした。

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

救われる前の姿と救われた後の姿では どちらが良いでしょうか。

この地上ではどちらの姿でも 自分で選ぶことができます。


しかしその後の世界では、神が私たちを見て決めますので、自分で選ぶことは出来ないです。


神が持っている基準は、救われているかどうかです。

それを変えることは人間には出来ないことです。


神は私たちを憐れんで、救いの恵みを与えようとして今も人々を待っておられます。

この神の所に来ませんか?
(*´ -`)(´- `*)

2015.9.6
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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聖書に出てくる地域教会②

テーマは 『  聖書に出てくる地域教会② 』 です

【第2コリント8章1-5節】

さて、兄弟たち。私たちは、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。

苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。

私はあかしします。彼らは自ら進んで、力に応じ、いや力以上にささげ、

聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずかりたいと、熱心に私たちに願ったのです。

そして、私たちの期待以上に、神のみこころに従って、まず自分自身を主にささげ、また、私たちにもゆだねてくれました。

先週に続いて、今週も 聖書に出てくる地域教会に対して伝えます。


メッセージを準備している時に、イギリスで10年間活動している宣教師の話を聞いて、本当にショックでした。


これまでに5千以上の教会が消え、多くの教会だった建物がイスラムのモスクになり、宣教の父と呼ばれたウィリアム・ケアリーを記念して建てた教会までも、今はイスラムのモスクになったという話でした。


そして、多くのクリスチャンがイスラム教に変わったと聞いてさらにショックでした。

なぜそうなったのかについては、別の機会に話したいと思います。


そして聖書に出てくる地域教会があったところのほとんどがイスラム化しました。
エルサレムにも多くのアラブ人がいて、ソロモン神殿があった場所にイスラム寺院の黄金のドームがあります。

イスラム教徒はそこで礼拝をしているので、これらの現実を見ると、とても悲しくなります。


なぜこうなってしまったのかは、クリスチャンたちに責任があり、神に責任はありません。

当時の信徒たちの信仰や活動を、今の自分たちの姿と比べると大きな差があります。


そのことに気付かないと、信仰はさらに形式的になって衰退し、いつか神に対して背を向け、場合によってはイスラム教に変わる人たちも多く出てきます。



20世紀は民主主義と共産主義の戦いがあり、そして共産主義は消えていきました。


しかし21世紀はイスラム教とキリスト教が対立する時代になります。


有力な人たちが口を揃えてそのように話していますし、実際それが始まったことも私たちは見ています。

キリスト教が優勢ではないです。
毎年2千万人のイスラム教徒が増えていると言われています。


イエス様が次のように語りました。


【マタイの福音書24章9節】

そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。

クリスチャンが迫害されることは、イスラム教の勢力が強くなることを意味します。


今もISの人たちは異教徒にイスラム教に改宗することを要求しますが、それを断ると すぐに連れ出して殺します。

既にたくさんの人々が殺されました。


ですから、私たちが本来あるべき姿に戻らないと、堕落して取り返しのつかない事になってしまいますので、今日も教会の姿を真剣に学んでいきましょう。





マケドニヤの諸教会




マケドニヤ教会は、今のマケドニヤ共和国ではなく、ギリシャ北部にあるバルカン半島の地域にある教会でした。

パウロは幻に招かれてマケドニヤに行きました。そのいきさつは、使徒の働き16章にあります。


【使徒の働き16章9節-10節】

ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。

パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤへ出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。

出かけて行った最初の町がピリピで、マケドニヤ地方にある一番大きな町でした。

マケドニヤの諸教会とは、その地域にあるピリピ教会、テサロニケ教会、べレア教会を含めて言います。


ピリピ教会は、パウロの伝道によってヨーロッパで最初に出来た教会でした。

最初に信徒になった人は、紫布の商人でルデヤという女性でした。


ピリピの看守やその家族、また献身的な女性信徒たちがその教会のメンバーでした。


マケドニヤ教会にはギリシャ人やローマ人が多くいて、ユダヤ人は少なかったです。

ピリピ教会は献身においても信仰の深さにおいても他の教会よりも優れていました。



その当時、教会は外部からも迫害がありましたし、社会の中でも不利な立場にありましたので、経済的にもとても貧しかったです。

しかしその中でもマケドニヤの諸教会は素晴らしいことをしました。


それは その極度の貧しさの中でも、ききんのために苦しんでいるエルサレムの信徒たちのために献金をささげたことでした。

それも 頼まれたからではなく、困っていることを聞いて、自ら進んで 力以上に惜しみなく捧げました。


この献金の姿勢はパウロが褒めるほどの模範的な姿でした。

信仰は献金にすごく反映されます。


信仰がある人たちは、自分が持っているものは神から与えられたものであるという認識があるので、神のみこころに従ってそれを使います。そして天に自分の宝を積み上げます。


しかし信仰が薄い人たちは、自分の物という認識が強いので、惜しむ心があり嫌々ながら捧げます。そして天よりは地上に蓄えることに熱心です。

もちろん施しにもあまり関心がないです。


献金や施しは、たくさん持っているからといって出来るのではないです。

基本的に(お金や物をたくさん)持っている人はケチな人が多いですし、施しにも消極的です。


教会でも同じことが言えます。ケチな姿勢を変えない限り、喜んですることは出来ないです。


献金や施しは、神の恵みに対する “感謝の表現” です。

神と隣人に対する愛がある人は自発的にします。
イエス・キリストの犠牲と愛の精神を現す方法として ささげものをします。


ピリピ教会は主のためだけではなく、主のしもべであるパウロのためにも何でもしてあげたいと願った教会でした。

それについてパウロは、ピリピ教会に手紙を送りました。


【ピリピ4章14-16節】

それにしても、あなたがたは、よく私と困難を分け合ってくれました。

ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。

テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは一度ならず二度までも物を送って、私の乏しさを補ってくれました。

それによってパウロはとても励まされたと思います。

パウロが投獄されたことで、失望したり 弱くなったりもしましたが、パウロの働きに愛をもって協力した教会でした。


そしてベレア教会に対して、次の箇所に書かれています。


【使徒の働き17章11-12節】

ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。

そのため、彼らのうちの多くの者が信仰に入った。その中にはギリシヤの貴婦人や男子も少なくなかった。

マケドニヤの諸教会から学べるのは 喜んで献金や施しをすること、また熱心にみことばを聞き、毎日聖書を調べること、教会や主のしもべに協力する姿です。


その人や教会に与えられる祝福は次の箇所にあります。


【ピリピ4章18-19節】

私は、すべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。

また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。

主に捧げる人は主が祝福します。

しかし 主にささげることをケチる人には、主の祝福の約束は来ないです。





コリント教会




コリント教会の姿は、【コリント人への手紙】を読むと よく分かります。

聖書に出てくる教会の中でも、一番問題が多かったかも知れません。


【使徒の働き18章】に コリント教会がどのようにして出来たのかが書かれています。

パウロはコリントで、アクラとプリスキラ夫婦と一緒に働きをしました。
そこでもユダヤ人からはすごく迫害を受けましたが、多くのコリント人が救われました。


パウロは主の命令によってコリントに1年半いながら神のことばを教え続けました。
しかしコリント教会には多くの問題がありました。

それは彼らの社会背景にも問題があり、コリント人の気質にも問題がありました。


コリントは港で商業都市でした。
ローマの世俗文化が盛んでしたし、偶像崇拝、哲学的宗教、性道徳に とても乱れていました。

その中で人間関係も打算的で殺伐としていました。


キリスト教の福音を簡単に受け入れはしましたが、彼らはコリント文化の否定的な影響を清算出来ず、パウロがいる間は教会に秩序がありましたが、パウロが新しい宣教地を求めて教会を離れると、信徒たちはあらゆる誘惑や間違った教え、また罪の中に巻き込まれるようになりました。


そこで教会の中に分裂や性的罪が起こったり、聖餐式でも無節制な態度を見せました。

またパウロの使徒職に対しても疑う者たちがいました。


真理でない世のものが教会に入り、様々な問題が生まれました。

これはコリント教会だけの問題ではないですね。
偶像崇拝を長くしてきた人やそういう文化の中で育った人々は同じく直面する問題です。


日本はコリントと似たような社会です。
世俗文化や偶像崇拝が盛んであり、性道徳も乱れています。

クリスチャンになっても、それが清算出来ない人が多いです。


日常的にぶつかることが多いので つい妥協して周りの人たちと調子を合わせることが多いです。

それが本人にとっても楽です。
しかし救われた人にそれはふさわしくない姿です。


パウロは問題の多いコリント教会に対し、様々な問題について何が正しいのかを真理のことばで教えました。

第1と第2の長い手紙を送りました。


コリントの手紙を読んでみて下さい。ただ、時代背景もあるので解釈には気をつけて下さい。

手紙の最後に、パウロは 警告と勧めのことばを送りました。


【第2コリント13章5節】

あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。それとも、あなたがたのうちにはイエス・キリストがおられることを、自分で認めないのですか。―あなたがたがそれに不適格であれば別です。―

信仰に立っているかどうかは、自分がキリストに属しているかどうかをよく調べることです。


信仰歴が長い人でも自分の中に主がおられるかどうかに対して確信が持てず疑う人たちもいます。
自分の信仰をはっきりしないといけないです。


【第2コリント13章7節】

私たちは、あなたがたがどんな悪をも行わないように神に祈っています。それによって、私たち自身の適格であることが明らかになるというのではなく、たとい私たちは不適格のように見えても、あなたがたに正しい行いをしてもらいたいためです。

悪を悔い改めて正しい行いをするように勧めています。


【第2コリント13章8節】

私たちは、真理に逆らっては何をすることもできず、真理のためなら、何でもできるのです。

真理に逆らってはいけないと警告しました。

真理に逆らうことはイエス・キリストと福音の真理に逆らうことです。


【第2コリント13章11-12節】

終わりに、兄弟たち。喜びなさい。完全な者になりなさい。慰めを受けなさい。一つ心になりなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。

聖なる口づけをもって、互いにあいさつをかわしなさい。すべての聖徒たちが、あなたがたによろしくと言っています。

まだ教会の分裂の傷を完全に克服していないコリント教会に対して、教会の一致と聖徒の交わりを希望してパウロは聖徒たちを激励しました。

これらの警告と勧めのことばは、コリント教会だけに向けられるものではありません。


自分の中でも悔い改めて立ち返らなければならないものはないのかを考えることです。


今は悔い改めのチャンスです。赦しを受けるチャンスです。

また、初心に帰る時です。信仰を新しくするチャンスです。


教会の姿は自分たちの姿でもあります。

良いものは取り入れ、直すべきところは直していきましょう。
( -д-)ノ

2015.7.19
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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キリスト教とイスラム教の違い

【ヨハネの福音書3章16-21節】

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。

御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。

そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。

悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。

しかし、真理を行う者は、光のほうに来る。その行いが神にあってなされたことが明らかにされるためである。

イスラム諸国やイスラム教に対しては毎日聞いていますが、その内容はニュースでもあまり教えないので、今日は正しく学びたいと思います。


イスラム国が「キリスト教との宗教戦争」と勝手に言い出して戦いを挑んでいますが、 彼らの姿がイスラム教を代表しているのではありません。

先入観だけでイスラム教を誤解するのではなく、彼らが信じている宗教とキリスト教とは何が違うのかを知ることが大切です。


現在、約12億人のムスリムが存在するとされています。
それは世界人口の約5分の1に相当します。

そしてその数は増加しています。


いずれはキリスト教を抜き、世界最大数の教徒をかかえる宗教となる見込みです。




創始者について



<イスラム教>

ムハンマド :
彼は40歳の時に、メッカの近郊にあるヒラー山の洞窟で、大天使ジブリール(ガブリエル)から預言者として選ばれ、それから23年の間、断続的に啓示を受けたという。


<キリスト教>

イェス・キリスト :
旧約聖書で預言されたメシアであり、聖霊によって神の子として生まれる。


【ルカの福音書1章26-33節】

ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。

この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。

御使いは、入って来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」

しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。

すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。

ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。

その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。

彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」



信仰の対象



<イスラム教>

アッラー(神:唯一絶対神を指す言葉・・・イスラム教によればアッラーはキリスト教とユダヤ教が信じる神と同じ神。 アラビア語を母国語として使うキリスト者は神さまをアッラーと呼ぶ。


<キリスト教>

父なる神、イェス、聖霊(三位一体の唯一神)


【Ⅰテモテ2章5節】

神は唯一です。また神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イェスです。




聖典



<イスラム教>

コーラン(イスラム教徒はモーセ5書[ 創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記 ]、詩編、イエス・キリストの福音書を信じる。しかし自分たちが信じるコーランが優先と主張する)


<キリスト教>

旧約聖書、新約聖書




信仰の規範



<イスラム教>

信仰告白: “アッラーの他に神なし。 ムハンマドはアッラーの使徒なり。”という言葉を唱える。

ムスリムは日に5度の礼拝の度にこの言葉を唱え、不動の信仰心を養う。

イスラム教は1日5回の礼拝、年に一度の断食(ラマダン期間)、巡礼、ザカート(慈善)が義務となっている。


<キリスト教>

信仰告白:

【ローマ書10章9-10節】

なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。

人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。




罪と救いに対して



<イスラム教>

イスラム教規範を厳格に守ることと、救いは自分の努力で得られると教える。


<キリスト教>

主の名によって罪を悔い改めるならば許される。

救いは自分の罪を悔い改め、キリストを自分の救い主として信じて受け入れる時に神の恵みによって救われる。

自分の努力や律法を守ることでは救われない。




教理の相違点



-神様について-

キリスト教とイスラム教で共通する神は全知全能、主権者である。

しかし違う点は、アッラーは人格を持っている神でも、愛の神でも、恵みの神でもなく、さばきの神、怒りの神である。




-聖書について-

イスラム教徒は聖書が神から来た聖典とは認めるが、自分たちが嫌うところが出ると拒否する。

聖書の内容でコーランと一致するものは真理と言うが、違うと聖書が歪曲されたと言う。




-天国と地獄について-

<イスラム教>

終末論においても、やがて世界の終末が訪れ、神による最後の審判を経て、天国または地獄に行くことは同じであるが、イスラム教はアッラーとムハンマドに従った人は天国へ行くが、イスラム教に反対した人は地獄の刑罰を受けるという。

アッラーと預言者は信じたが自分が犯した罪が贖われず死んだ人はしばらくは地獄に行くが一定期間刑罰を受けた後にアッラーの慈悲によって解放されて天国に入ると教える。


<キリスト教>

【ヨハネの黙示録20章11-15節】

また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。

また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。 死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。

海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行いに応じてさばかれた。

それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。

いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。

【Ⅰヨハネ5章20節】

しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。
 

2015.2.22
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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幻と啓示~天国と地獄~

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キリスト者になる方法は?

テーマは 『 キリスト者になる方法 』 です

【ヨハネの福音書3章16-21節】

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを 持つためである。

神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。

御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。

そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。

悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。

しかし、真理を行う者は、光のほうに来る。その行いが神にあって なされたことが明らかにされるためである。

みなさんはどのようにしてイエス・キリストを信じるようになったでしょうか。
それは一人一人違うと思います。

信じるようになったことは大きな祝福であります。
今すぐには分からなくても、私たちが世を離れた時に 救われたことが本当に素晴らしい祝福であったことが分かると思います。

「福音を一度も聞いたことがない」や福音を聞いても信じない人はとても残念であります。


私たちが伝えても、キリスト教を反対する人が多いですね。良いことを伝えているのに、なぜ受け入れられず反対されるのでしょうか ――?

その理由は様々だと思いますが、その中でも キリスト教に対する間違えた先入観があるので拒否する人が多いです。

しかし、伝える人たちが正しく伝え、聞く人が正しくキリスト教に対して理解するならば、キリストを信じる人が多いと思います。


キリスト教は人間の根本的問題を扱う宗教であります。

信じたら天国、信じなかったら地獄 それだけのことではないです。これは福音ではないです。
それだけを言うならば多くの人たちが拒否します。「天国も地獄も信じない。」「死んでみないと分からない。」「別にどちらでもいい。」等
あまり良い反応はなく、キリスト教に対する好感度が下がってしまいます。

それ以前に、本質的なものに触れなければなりません。




①人間は認めたくなくても、本質的に罪の中から生まれた暗闇の子です


まず、私たちが罪人であることを伝えないと何も始まりません。

聖書が私たちに対して語る真理の言葉は、「義人はいない。ひとりもいない。」、「すべての人は罪を犯したので神からの栄誉を受けることができず。」です。


【エペソ2章1節】

あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって

これらの言葉を総合してみると、一言で皆が「罪人」であるということです。
「私は一体何者なのか」と悩む人が多いですが、私たちは「人間は誰もが罪人です」と答えなければなりません。


聖書で 自分たちは罪人ではないと思っていた人たちが、姦淫の現場で捕らえた女の人をイエス様のところにつれて来て、「モーセは律法の中でこういう女を 石打ちにするように命じています。ところであなたは何と言われますか。」と言った人には罪の意識がなかったと思います。
私たちもモーセの律法にそのように書かれているからと石を投げたと思います。そうしたら女性は殺されていたでしょう。
しかしその時、イエス様は彼らに向かって「あなたがたのうちで罪のない者が 最初に彼女に石を投げなさい。」と言うと、年長者から ひとり ひとり離れていき、誰一人残りませんでした。

これはイエス様が人間の本質に迫ったことです。「あなたたちの罪はないのか?」ということであります。


私には罪がないと言える人は1人もいません。すなわち罪人であります。

アダムから罪を犯しました。エバも罪を犯しました。その息子・長男のカインも人殺しをしました。
初めから罪にまみれたのが人間であります。神様は良いものを造りましたが、人間が罪を犯しました。
その子孫がすべて罪人です。これを私たちは人々に伝えることであります。

私たちは生まれながらに罪の中から出て来て、そして罪を犯している者だということに出会わないと 神様の存在がいらなくなります。


【創世記6章5節】

主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。

いつも悪い方向に向かっていくのです。自分の心を見てもマイナス(否定的)に傾いていきます。そのことを神様がはっきりと語ってくださいました。


【エレミヤ17章9節】

人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。

人間は2つのものを持っています。偽善者であります。

心の中にいっぱい悪いものを持っていながら、外見は良い人のフリをするのです。
心の中では他人に対する憎しみがいっぱいですが、「私はあなたを愛しています。」と笑顔で語るのです。
ですから人間ほど恐ろしいものはないです。
動物には出来ませんが、人間は巧みに生きているのです。ですから罪人ではないと言える人は1人もいないです。 もし「罪人ではない」と言う人がいるならば、その人は嘘つきであります。

哲学では、人間の存在に対して出した結論は、虚しいということです。




②神様は光であり、そして罪もなく聖い方です


光が世に来たと 今回のテーマである ヨハネの福音書3章19節に書かれています。

イエス様は、自分のことを世の光であると語って下さいました。
光ということは、そこに闇がないことです。罪は暗闇です。罪を犯した人間は光ではなく暗闇なのです。

罪人たちは、誰もが暗闇の中を歩んでいて何も見えないので自分がどこへ向かって行くのかも全く分からないです。

その暗闇でさまよっている者たち、虚しく生きている人たち、滅びに向かって歩んでいる人々を救うために 光であるイエス様が 神様に遣わされて地上に来られました。


さまよっている人たちに必要なものは何でしょうか ――? 食べ物ではないです。
その人たちにとって大切なものは「光」であります。

罪の闇を追い出すために 光であるイエス様が来られました。
闇と光は共存することができません。闇は光によって追い出されます。

自分の中にある闇を追い出すためには光であるイエス様が必要です。光であるイエス様を心の中に迎え入れるならば闇は消えていきます。


しかし、光を受け入れない1つの理由について、暗闇のわざを捨てたくなく、自分が罪人であることを認めたくない人はキリストを信じようとはしません。


【ヨハネの福音書3章19-20節】

光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。

悪いことをする者は光を憎み、 その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。

「私は罪人です。わたしはイエス様が必要です。」と言う人は、キリスト者になれます。




③私たちはイエス様によって天の父なる神の元へ行くことができます


私たちが人々に伝える時に、天国のことをいきなり語るのではなく、①と②を伝えた後に語ります。
世の中の宗教には、自分たちが語る天国のような場所がありますが 次のように語っています。


【ヨハネの福音書14章6節】

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることは ありません。

もし 私たちが天国に行きたいならば、キリストを通らなければなりません。
キリストの十字架が地上と天国を繋ぐ道であります。
世の宗教は「私たちにも救いの道があります。」と言いますが、それは届かない道であります。


また、神様は私たちを天国へ強制的に入れる方ではありません。
その道を選んで行くか 行かないかは私たちの自由意思、私たちの選択に任せています。

自分でよく考えて自ら決定するようにして下さいました。
これが福音であります。私たちが福音を正しく伝えて相手に委ねることであります。むりやり「信じなさい。」と言う必要はないです。
耳のある者は聞きなさいと神様が語りました。


自分たちがキリスト者になるのも、この過程が必要でありますし、私たちが他の人たちに福音を伝える時も きちんと詳しく説明しながら伝えることが大切です。

そうしないと信じたくても何を信じたら良いのか分からず、自分が何者で キリストがなぜ必要なのか、天国にはどのようにしたら行けるのかが分からないです。


  • 人間は誰もが罪人であること
  • 暗闇の中にいる罪人たちを救うために、光であるイエス・キリストが来られたこと
  • イエス・キリストが天の御国へ行ける唯一の道であること

このことを正しく知り、正しく伝えてください。

それによって相手の人が受け入れるならば、それから神様のみことばを学ぶことでありますし、みこころを知るようになります。
クリスチャンとしてどう生きるべきなのかを教会に来て、みことばを学びながら成長していきます。

私たちは人間の本質に迫って語り、イエス様のことを伝えたら良いと思います。 (・◇・)ゞ

2014.1.26
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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キリスト教とは?

ハレルヤ

【 詩篇 40編 5節 】 を読んでみてくださいね。

キリスト教は奇跡の宗教です。奇跡を行う神様を信じていますので、奇跡が珍しいことではありません。

「私は信じているのに、奇跡なんか体験したことはない」と言う人はいますか?


イエス様が地上で活動した時のことを思い出してみてください。
毎日 毎日、数えきれない奇跡が起こりました。
イエス様がその奇跡を行いました。しかし、イエス様の前に来ても奇跡を体験することなく、
帰る人たちもいました。

その人たちはイエス様に対する信仰、奇跡に対する信仰がありませんでした。

主は信仰をもって近付き、信仰で願った人たちに奇跡を現わしました。

また、権威を持っておられる神の言葉に聞き従うことが奇跡を体験する道でもあります。

問題を抱えた人がイエス様の前に来て、それを願う時にイエス様はその人に聞きます。
「わたしにそれが出来るとあなたは信じるのか?」

「信じます」と信仰で告白し、本気で奇跡を期待するならば、奇跡はその人に起こります。


今回のテーマ・詩篇40編5節は、ダビデの告白ですが、その告白に偽りはありません。
彼の人生に起きた様々な奇跡を聖書で知ることができます。


私もイエス様を信じてから、多くの奇跡を体験しました。
自分の身にも奇跡が起こりましたし、他の人たちのために祈った時に、その人たちにも奇跡が起こりました。

私たちが奇跡というならば、ビックリすることばかり考えますけども、そうではありません。

生活の中で思いがけない事や導き、助け、癒し、祝福なども奇跡であります。

私も病気の癒しを何度も体験しました。そして祈りが不思議な方法で答えられたことは、
数えきれないほどたくさんあります。ですから、ダビデの告白を私が読んだ時にも、
そこに偽りがないことを知っています。


皆さんも、毎日祈ってみてください。「神様、私に奇跡が起こることを期待します。」
問題、試練があって自分の力ではどうすることもできない時に、「もうダメだ」と失望の言葉を言うのではなくて、
「神様が奇跡を行う時が来ました。」と信仰で神様に期待しましょう。

神様は期待する人に働きます。信仰を持って神に近づく人に神様は奇跡を現す神様です。 (o^∇^o)ノ

2012.1.22
3分テレフォンメッセージより

八戸ノ里キリスト教会

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3分テレフォンメッセージは、こちらで聞くことができます   ( AM 0 時更新 )

06-6618-9105    06-6618-9106

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