からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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キリスト

今は聖霊時代

テーマは 『 今は聖霊時代 』 です

【使徒の働き2章1-8節】

五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。

すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。

また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。

すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。

さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、

この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。

彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。

それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。

イエス様はこの世を去って行く前に、弟子たちに重要な話をしました。


ご自分が父のもとへ行くこと、そして聖霊を遣わすことを約束されました。

聖霊時代の開幕を宣言しました。


初めであり、終わりである神、三位一体である神は、世界に対するシナリオを書き、最初は父なる神が 時代の主役、次はイエス様、最後の時代は聖霊が主役になり、世界という同じ舞台で “主役” を変え、役割を変えながら 神は今も働いておられます。



聖霊時代の開幕は、宣言した通りに始まりました。

開幕の日が ペンテコステの日でした。


その日に聖霊は、主のことばを信じ、聖霊を待ち望んでいた人々の上に 激しく下りました。


その時から世の終わりまでが聖霊の時代で、今も聖霊は時代の主役として働いておられます。



聖霊の働きが初代教会で終わったかのように錯覚しているクリスチャンもいますが、聖霊の時代は世の終わりまで続きます。


聖霊は、特に聖徒たちのために働いておられる方なので、信じる者にとって聖霊はなくてはならない存在です。


聖霊の役割を考えるならば それが分かります。

聖霊の重要な役割を伝えたいと思います。




人を新しく生まれさせ 神の国に導く




イエス様は次のように話されました。


【ヨハネの福音書3章3-8節】

「イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」

ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」

イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。

肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。

あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。

風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。

古い人、肉に属する人が 霊の人として生まれるために、聖霊の働きは必ず必要です。


御霊によって生まれなければ、神の国に入ることが出来ない と主が宣言しました。


ですから聖霊が来ないといけないです。



世の初めから聖霊はもちろん働いておられましたが、完全な主役としての働きではありませんでした。


しかし、完全な主役としての働きが始まることが宣言され、その働きの内容も啓示されました。


【使徒の働き1章4-5節】

彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。

ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」

人が新しく生まれるために必要な水のバプテスマと聖霊のバプテスマが、聖霊が来られたことで完璧に揃いました。



主の約束を信じて祈りながら待ち望んでいた弟子たちに 聖霊が風のように、火のように下り、彼らはみな聖霊のバプテスマを受けました。

そして彼らは 以前とは違う新しい者になりました。


使徒の働きを読むと、福音書での弟子の姿とは霊的にまったく違う姿を発見することが出来ます。

体は同じでも中身が変わっていました。




聖徒たちを真理に導き入れます




聖徒たちは、聖霊の導きがないと 真理を悟ることが出来ません。


悟ることは、ただの知識とは違います。

知識があっても、悟りのない人は多いです。


悟りは本来の意味、隠された奥義を知ることです。


聖書ならば文字通りではなく、神が言おうとする霊的意味を知る事です。



律法学者たちやパリサイ人たちは律法の知識は相当ありました。

しかし彼らは、霊的には無知で 悟りがありませんでした。


主が語ることばに対する 彼らの理解は、文字を越えませんでした。

「この人は何を言っているのか」と理解が出来ず、心の中でさばいていました。



しかし開かれた心を持つ群衆は、彼らよりも悟っていました。

知識を誇る者には悟りがないのに、聖霊の助けによって知識のない者が真理を悟りました。



群衆は、その教えを語るイエス様に驚き、イエス様から権威を感じ取りました。

弟子たちも聖霊を受けた後に ものすごく真理を悟る者になりました。


聖霊に満たされたペテロは、群衆の前に立って突然語り始めました。

ペテロは無学な者なのに、律法学者よりも正確に聖書のことばを引用しながら状況を説明しました。



それまで説教者の経験もなかったのに、人の心を揺さぶるメッセージを語り、それを聞いた人々は心を刺され、その日だけで3千人ほど救われました。


聖霊が ペテロを真理の中に導き入れたので、真理を悟り、真理を語ることが出来ました。




聖徒たちに力を与え
証人として遣わします




【使徒の働き1章8節】

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

神の願いは、信じる者が “主の証人” となって、全世界に出て行き福音を伝えることです。


そのためには力が必要なので、聖霊を受けさせ、聖霊と共に働くように助けて下さいます。


神の働きは自分の力だけでやってはいけないです。

聖霊の力と助け、導きが必ず必要です。



大胆に福音を伝えるためにも聖霊の力は必要です。


臆病の霊では人が怖くて 何も伝えられません。

弟子たちは、聖霊を受ける前は 臆病者でした。

人を恐れる者でした。


しかし聖霊を受けてからは 殉教も恐れず、大胆な者になり、迫害されても 主の証人として立派に働きました。


聖霊の力は人を変え、その人を主に仕える者にして下さいます。




聖徒に賜物を与え、
神の教会を建て上げます




教会は “主の体” ですので、人間の力や才能、熱心さで建て上げていくのではないです。


主役である聖霊が、聖徒たちに必要な賜物を与え、役割をさせ、命ある教会を作ります。


【第1コリント12章4-6節】

さて、賜物にはいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊です。

奉仕にはいろいろの種類がありますが、主は同じ主です。

働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。

【第1コリント12章11節】

しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。

賜物を受けた聖徒たちは、謙遜な心でその賜物を使って みなの益になるように働きをすべきです。




イエス様の栄光を現わします




【ヨハネの福音書16章14節】

御霊はわたしの栄光を現します。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。

人となってこの世に来られたイエス様を見て、人々の反応はそれぞれ違っていました。

神が人となったことに対して ほとんどの人は知らず、預言者だとか誰かの生まれ変わりだとか、良い人とか意見が分かれました。


本人が証言しても、なかなか信じてもらえませんでした。


しかし聖霊は、人々に イエス様が真の神であることを証明して下さいました。

イエス様と同じ働きをすることで主のことばが真実であることを証明しました。


聖霊がイエス様のものを受けて働きをしているので、イエス様と同じ働きをするのは当然です。


世の終わりまで聖霊の時代は続きます。
神のみわざも続きます。



黙示録にも 明確に聖霊の姿が現れてあります。

黙示録は、終わりの時代に起こることを預言しています。


聖霊を勝手に時代の主役から引き降ろし、勝手に神のシナリオを変えた人には神の厳しい叱責があります。



聖霊の時代は終わったという人は聖霊を冒涜する人です。

クリスチャンでありながら、このように恐ろしいことをしている人がいますが、その人はまず聖霊を受けることです。


受けるならば、聖霊を否定することは出来ないです。


イエス様の栄光を現わす方が聖霊ですから、聖霊を否定したら主の栄光を妨害する人になります。


私たちは聖霊を遣わして下さった神のみこころを悟り、いつも聖霊を歓迎し、聖霊と共に歩む者になりましょう。
(=゚ω゚)人(゚ω゚=) アーメン


2017.6.4
ペンテコステ礼拝メッセージ

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マラの苦い水の教訓

テーマは 『 マラの苦い水の教訓 』 です

【出エジプト記15章23-25節】

彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。それで、そこはマラと呼ばれた。

民はモーセにつぶやいて、「私たちは何を飲んだらよいのですか」と言った。

モーセは主に叫んだ。すると、主は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、水は甘くなった。



1.人生の道は
旅人の道である




【創世記47章9節】

ヤコブはパロに答えた。「私のたどった年月は百三十年です。私の齢の年月はわずかで、ふしあわせで、私の先祖のたどった齢の年月には及びません。」


【第1ペテロ2章11節】

愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。



2.人生の道では
必要なものを得られない時もある




【マタイの福音書6章34節】

だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。



3.人生の道には
度々苦い試練と苦痛がある




【ピリピ1章29-30節】

あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。

あなたがたは、私について先に見たこと、また、私についていま聞いているのと同じ戦いを経験しているのです。



4.神様は 聖徒を訓練するために
時には苦難の道を歩かせる




【詩篇23章4節】

たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。



5.キリストは
苦い人生を変えて下さる




【マタイの福音書11章28-30節】

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。

わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」



6.神のみことばの中で
人生の問題が解決される




【民数記23章19節】

神は人間ではなく、偽りを言うことがない。人の子ではなく、悔いることがない。神は言われたことを、なさらないだろうか。約束されたことを成し遂げられないだろうか。



7.主に従うと 苦い人生の後に
永遠の喜びと安息がある




【ヨハネの黙示録21章4節】

彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」

アーメン(*´∇`*)

2017.5.28
聖日礼拝メッセージ

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自分を捨てる者の義務

テーマは 『 自分を捨てる者の義務 』 です

【マタイの福音書16章24節】

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

主 (イエス・キリスト) について行きたいけど、自分を捨てることが どういうことか分からないという聖徒も多いです。


今回は、自分を捨てる者の義務について伝えます。




1.世の心配を捨てる


【マタイの福音書6章25ー34節】

だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。

空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。

あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。

なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。

しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。

きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。

そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。

こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。

だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。



2.自分の思いよりも、主の思いを優先する


【ルカの福音書14章26ー27節】

「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。

自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。



3.放蕩に走らないように気をつける


【ルカの福音書21章34節】

あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに望むことのないように、よく気をつけていなさい。



4.兄弟のつまずきになるようなことはしない


【ローマ14章21節】

肉を食べず、ぶどう酒を飲まず、そのほか兄弟のつまずきになることをしないのは良いことなのです。



5.信仰の弱い者のために自分の行動を自制する


【ローマ15章1節】

私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。



6.他人の利益に心がける


【第1コリント10章24節】

たれでも、自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい。



7.肉の欲を取り除く


【ガラテヤ5章24節】

キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。



8.情欲によって滅びていく古い人を脱ぎ捨てること


【エペソ4章22節】

その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、




9.たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざける


【第1ペテロ2章11節】

愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。



10.罪の生活から離れる


【ローマ6章6ー7節】

私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。

死んでしまった者は、罪から解放されているのです。

(。・ω・)ノ゙ アーメン

2017.5.14
聖日礼拝メッセージ

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携挙は必ず起こる

テーマは 『 携挙は必ず起こる 』 です

【第1テサロニケ4章15-17節】

私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。

主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、

次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。



携挙とは何か




携挙とは、イエス・キリストが空中再臨する時に、主にあって死んだ人たちが まず よみがえり、次に主を信じ、主を迎える準備が出来ている人々が たちまち朽ちない姿に変えられて 雲の中に一挙に引き上げられ 空中で主と会うことです。


携挙は、理性的には理解が出来ない、超自然的な現象で、神の主権による奇跡とも言えます。


携挙は、これから起こるもっとも重要な預言の一つです。


信じない人は、こういうことが起こることすら分からないと思います。

主の他の預言がすべて成就したように、この預言も成就します。




旧約で見る 携挙のように
死を見なかった二人




≪ エノク ≫

【創世記5章23-24節】

エノクの一生は三百六十五年であった。エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。

≪ エリヤ ≫

【第2列王記2章11-12節】

こうして、彼らがなお進みながら話していると、なんと、一台の火の戦車と火の馬とが現れ、このふたりの間を分け隔て、エリヤは、たつまきに乗って天へ上って行った。

エリシャはこれを見て、「わが父。わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち」と叫んでいたが、彼はもう見えなかった。そこで、彼は自分の着物をつかみ、それを二つに引き裂いた。



携挙が起こる時期




携挙の前に起こると預言されたことは、ほとんど起こってありますので、いつ携挙があっても不思議ではない時代に いま私たちは生きています。


主は携挙の日に対しては はっきりとは言われませんでしたが、次のように語って下さいました。


【マタイの福音書24章42-44節】

だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。

しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入れられはしなかったでしょう。

だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。



携挙が起こる時期の三つの見解




携挙の時期に対しては 三つの見解がありますが、それは世の終末にある7年患難の時に焦点を合わせて、患難前、患難の前期、患難の後期と分かれてありますが、いまもっとも携挙の時期と有力であるのは患難前です。

7年患難の預言は ダニエル書 に書かれています。


【ダニエル書9章27節】

彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半周の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現れる。ついに、定められた絶滅が荒らす者の上にふりかかる。」

1週とは7年間を意味します。

7年患難の間に起こることは 反キリストの出現、反キリストとイスラエルが特別な平和契約を結びます。


そしてイスラエルは史上最大の繁栄と平和の時代を迎えます。

その間に第三神殿が再建します。

この時期に 黙示録11章にある二人の証人が活動します。


しかし前半の3年半が過ぎた時に、反キリストはイスラエルとの特別契約を破棄します。


そして世界の宗教を統一し、自分以外のものを崇拝することを禁じ、それに従わない者への大迫害と殺害が始まります。


そして世界の最終戦争も起こります。

この時の患難に対して主のことばがあります。


【マタイの福音書24章21-22節】

そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。

もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。



携挙のための準備




主のことばのように目を覚まして、その日のためにキリストの花嫁として準備することです。


マタイの福音書25章には 花嫁として準備出来た人と、準備出来なかった人がいました。

準備出来なかった人は、キリストを迎えることが出来ませんでした。


【第2ペテロ3章10-11節】

しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。

このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。

【第2ペテロ3章14節】

そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。

主は信じる者たちを迎えに来ると約束しました。

それを信じる人は その日を待ち望んでいます。


耐えられないほどの患難の中で主を信じることは とても難しいです。


携挙される者になるように努力する方が ずっと簡単です。


主のことばのように、目を覚まして 花嫁の支度をしていきましょう。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚

2017.4.23
聖日礼拝メッセージ

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復活のいのち

テーマは 『 復活のいのち 』 です

【第1コリント15章3-8節】

私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、

また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、

また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。

その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。

その後、キリストはヤコブに現れ、それから使徒たち全部に現れました。

そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました。

死から復活したことは、死で終わったのではなく、再び いのちとして生まれたことを意味します。


イエス・キリストは十字架の上で確かに死にました。

そして墓に葬られました。


みんなはその死を確認しました。

そして弟子たちがその死体を盗むことがないように、墓の入り口に石を転がして、誰も入れないように防ぎました。


そして番兵が墓の番をしました。

三日間は墓の中に何の変化も起こりませんでした。


しかし三日後に異変が起こりました。

イエス・キリストが前もって言われた通りに、死の力を打ち破ってよみがえりました。


死がイエス様を縛っておくことは出来ませんでした。

完全に復活しました。


死人ではなく、いのちあるキリストの姿になりました。


そのいのちは再び死ぬような一時的なものではなく、二度と死を味わうことのない、朽ちない栄光の体になりました。


その体は多くの人が直接見ました。

目撃者が多かったです。


誰かの作り話ではなく、事実でした。




復活はすでに預言されていた




復活は旧約聖書で、すでに預言されてありました。

そして新約時代に成就されました。


―― 預言 ――
【詩篇16編10節】

まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。

―― 預言の成就 ――
【マタイの福音書28章5-6節】

すると、御使いたちは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。

ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。



イエス・キリストは復活の光




不信の勢力と暗闇の力を、復活の光で勝ちました。


闇と光はどちらが強いでしょうか?

闇が光に勝つことは出来ないです。


どんなに暗い部屋でも、スイッチを入れるとあっという間に闇が消えていきます。

すべての人たちは復活を信じませんでした。


暗い墓の中に、主は入りました。

しかし闇の中にとどまらず 復活の光として闇を消して出て来られました。


死の力を打ち破った主ですから、私たちにいつも力と希望を与えることが出来ます。


【ヨハネの福音書8章12節】

イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」



世を救い、いのちを与えるため




イエス・キリストは世を救うために、私たちを救っていのちを与えるためによみがえりました。


【ローマ8章11節】

もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。



復活の力を知ることは難しいです




御使いも預言者もパウロも そのことを知ろうと調べ、研究しましたが知ることは出来ませんでした。

なぜならばそれは神の領域の中にあることだからです。


神の中にある測り知れない力を人間がどのように知ることが出来るでしょうか。


人間が持つ理解力も知識も知恵もわずかなものです。

目に見える体のこともよくわかっていない人間が復活の体を研究してもわかるはずはないと思います。


復活の力は神だけが持つ力です。




復活の恵みに預かりたいならば




復活の恵みに預かりたいならば、復活したイエス・キリストを信じることです。


【ヨハネの福音書11章25-26節】

イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。

また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」

そして主と一つになることです。

復活の順番と復活する人がだれかを教えました。


【第1コリント15章23節】

しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。

キリストに属しながら、キリストの再臨を待ち望んでいる人は、主が復活したように、朽ちない体、栄光の体、死ぬことがない体に生まれ変わります。


どのような体に変わるのか 楽しみではありませんか。 (。・ω・)ノ゙


2017.4.16
イースター礼拝メッセージ

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キリストの十字架と私

テーマは 『 キリストの十字架と私 』 です

【ガラテヤ1章4節】

キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり、父である方のみこころによったのです。

今週はキリストの受難週です。

キリストが苦しみを受け、十字架につけられ死んだ時期です。


みなさんは十字架を見た時に、そこに釘づけられて死んだキリストをすぐに思い出しますか?

それとも 何も思わないですか?


クリスチャンならば、キリストを思い出すと思います。


キリストが 罪人の罪を贖うために十字架の上で死んだことは、聖書を通して聞いていますので、それは信じていると思います。


しかし、その “十字架と自分” をしっかり結びつけないと、キリストの十字架に特別な意味があっても、それが自分とは何の関係もないものになります。


今回はまず「キリストの十字架の特別な意味」を語り、そのあとに「キリストの十字架と私」に対して学びます。





キリストの十字架の特別な意味




キリストの十字架の意味を はっきり知って信じることで、私たちは神がすでに備えた驚くべき恵みを受けることが出来ます。

知らないならばもちろん何の恵みも受けられません。


《 罪を赦す力 = 罪によって人間はきよい神との関係が断絶されました 》


なぜなら “罪” は、神との関係を断絶させるからです。


ですから神との関係を回復するためには、罪が洗われる必要と罪の赦しが必要になります。


神はイエス・キリストの十字架の苦難と死 という方法で、私たちの罪を赦しました。


私たちがキリストの十字架の前に来て 自分の罪を悔い改めて信じる時に、キリストの血が罪を洗い、罪の赦しを受けることが出来ます。


キリストの血には、“罪を赦す力” があります。


【ガラテヤ1章4節】

キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。

罪が赦されると たましいが救われ、神との関係も回復します。



《 愛の力 = 十字架の贖いは 神が人間を愛している証拠 》


“キリストの十字架のみ” が私たちを神の愛に導きます。


イエス様が人間を愛していなかったならば、自分のいのちをささげることは出来なかったと思います。


【ローマ5章8節】

しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。


《 神と出会う場所 = 十字架の力だけが私たちを神に導きます 》


旧約時代に幕屋で神に会ったように、私たちはキリストの十字架を通して神に会います。


神がご自身を現し、私たちを呼ぶのもキリストの十字架を通してです。

そのように神が決めましたので、それ以外の道はありません。





キリストの十字架と私




・十字架の上で古い人は死んで、新しい人になりましたか?


【ガラテヤ2章20節】

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

使徒パウロの告白ですが、キリストに本当に出会ったならば、このような同じ告白が私たちからも出なければなりません。


神を知らなかった時の姿は古い姿です。

自分の思いのままに生きた姿でした。


しかしキリストを信じることは、古い人を捨てて 新しい人として生きることを意味します。


罪から離れ、義のために生きることです。


【第1ペテロ2章24節】

そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。


【第2コリント5章17節】

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

この新しく生まれ変わった経験がない人は、まだ救われていないです。


変わったならば、本人が一番それに気付くはずです。

罪から離れてキリストの中にいま生きていますか。



・十字架のために迫害を受けていますか?


【ガラテヤ5章11節】

兄弟たち。もし私が今でも割礼を宣べ伝えているなら、どうして今なお迫害を受けることがありましょう。それなら、十字架のつまずきは取り除かれているはずです。


【ガラテヤ6章12節】

あなたがたに割礼を強制する人たちは、肉において外見をよくしたい人たちです。 彼らはただ、キリストの十字架のために迫害を受けたくないだけなのです。

行いや儀式によって救いを受け、祝福を受けると思っている人は それらを重んじ、それらに魅力を感じ、一生懸命にそれを追い求めます。

そういう人が迫害を受けることはあまりないです。


しかし それを拒否し、キリストの十字架を信じる信仰のみに救いがあるという人は、迫害を受けます。


その迫害を受けたくないから妥協したり、ごまかしたりして生きるならば、それは十字架を知らない人です。


イエス様は主の弟子になる人は、誰でも迫害を受けると言われました。

殉教するほどの迫害もあれば、周りから受ける不当な扱いや嫌がらせなどの小さい迫害もあります。


十字架によって新しくなった人は、迫害を受けてもキリストから離れません。

さらにキリストに近付きます。


そのようにしていますか?

それとも迫害は絶対に嫌だと キリストから離れますか?



・誇っているのは十字架ですか、それとも肉のものですか?


【ガラテヤ6章14節】

しかし私には、私たち主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。

自分にとって価値のないものを誇る人はいません。

その人が愛するもの、関心が高いもの、大事にするものは、その人が誇るもので分かります。


次の言葉で自分の状態を調べるならば、自分がどこに属し、何を誇り、何に従っているかが分かります。


【ローマ8章5-10節】

肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。

肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。

というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。

肉にある者は神を喜ばせることができません。

けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。

もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。

キリストの十字架を一番の誇りとしている人は、十字架の意味と価値を知っている人です。


そうでない人は、まだ十字架の意味と価値を知らない人です。



・日々自分の十字架を負っていますか?


【マタイの福音書16章24節】

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

何かを負うことはしなければならない責任があります。


どんな責任でも負うことは しんどいことです。

出来れば責任は負いたくないと思ってしまいます。


キリストも重い死の十字架を背負いました。

その苦難はとてもつらい苦難でした。


しかし最後まで十字架を負いました。

それによって 人類の罪が赦される道、救いの道、神との和解の道が出来ました。

私たちにも主が負わせた十字架があります。


ある人はそれが嫌でどこかに投げ捨てました。

負担もなくなり、身軽になって良かったと思うでしょう。


しかし いま笑う者は後で泣きます。いま泣く者は後で笑います。


もし十字架を負わせられたならば、黙ってそれを負って主に従うことです。



子ロバは、イエス様が自分の上に乗った時に 黙って歩き出しました。


主が私たちに負わせる十字架は、祝福の十字架です。


後に 主と清算する時に、多くの報いをもたらすものになります。


しかし投げ捨てて十字架を負わなかった人にあるのは、厳しい叱責です。

「悪い怠けたしもべだ」と聞くでしょう。


十字架のない人生を選ぶか、十字架のある人生を選ぶかは自分で選べます。


しかし天国へ行くのは自分では選べないです。

神様が決めます。


十字架と共に歩んだ人には、天国の道を開きます。

なぜなら十字架の道が天国への道だからです。


十字架を愛して生きる人もいれば、十字架の敵として生きている人も多いです。


あなたはどらちですか?
(゚Д゚≡゚Д゚)


2017.4.9
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あなたの主はだれですか?

テーマは 『 あなたの 主 はだれですか? 』 です

【第1ペテロ3章15節】

むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。

神は 私たちに聞きます。

「あなたの主は誰なのか。」


私も、私自身に聞きます。

「あなたは誰を主にしたいのか?」


誰が 私の心の中の “主” になるべきでしょうか?


神の答えは「キリストを主にしなさい。」です。




なぜ “キリスト” でしょうか




キリストは、どのようなお方でしょうか?


キリストは私たちを救う方です。

私たちに慰めが必要な時に、慰めて下さる方です。


そして、私たちの心と体を いやして下さる方です。


また、私たちを罪の束縛から 解放して下さる方です。

私たちをひとみのように 守って下さる方であり、私たちのことを 私たち以上に よく知っておられる方です。


私たちにとって、一番よいものが何かを知っておられる方で、私たちに教えて下さる方です。


私たちに 世が知らない知恵を 与えて下さる方です。

私たちが行くべき道を一番よく知って導いておられる方です。


王の王、主の主です。


私は この方(イエス・キリスト)を “主” にしてから、これらすべてを体験しました。

すべてが真実でした。



この方を、“自分の心の主” にしたいと思いませんか?


口先だけで「主よ。主よ。」と言うのは、キリストを主にしている姿ではありません。


心の中で、キリストを主として崇めないといけないです。


心の中で、主として崇めることは どういうことでしょうか?

このことばを参考にして下さい。


【イザヤ書8章13節】

万軍の主、この方を、聖なる方とし、この方を、あなたがたは恐れ、この方を、あなたがたのおののきとせよ。



キリストを 心の主として崇めるならば、
私たちの人生はどのような人生になるのか




  • 神のことばを聞いて従順する人、忠実な人になる

  • キリスト者として聖なる敬虔な人になる。

  • 主のいのちが私に注がれるのでいのちあふれる人生になる。

  • 希望ある人生になる(復活、天国、罪の赦し、変わらない神の約束、報いなどを受ける。

  • 聖霊の導きを受ける人生になる。



もし 違うものが心の主になるならば、どうなるのか




≪ “私自身” が 私の主ならば ≫

・神から遠く離れた放蕩息子(ルカの福音書15章の内容)のように、孤独な人生、悲惨な人生になる


≪ 貪欲(富、名誉、権力、快楽などを愛し求める欲)が私の主ならば ≫

・いつも罪の誘惑に負けて罪の奴隷になり、堕落の人生になる


≪ サタンを主にするならば ≫

・とんでもない悪を行う者になる


イエスをお金で売った 弟子の1人であったイスカリオテ・ユダのような人、弟アベルを殺したカインのような人、平気に人を殺したり、悪を行う者、そして今もISなどテロ集団に入っているような者は、“サタン” を自分の主にしています。


自分自身が認めなくてもそうです。

そうじゃないと 人間として そのようなことが出来るでしょうか。


彼らは喜んで悪を行います。

そのような人は 皆、サタンの奴隷です。


環境が、人が、自分を変えるのではないです。

本当に自分を変えるのは、自分が “だれを自分の心の主にしたか” によって変わります。


外にあるものからは色々と影響を受けますが、自分の心の中で誰を主にするかは 他人が決めるのではなく、自分が決めることが出来ます。


自分が心の中に誰を主として崇めるかによって、私たちは(今までとは)違う人生を生きるようになります。
v( ̄∇ ̄)v


2017.3.19
聖日礼拝メッセージ

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水のバプテスマと聖霊のバプテスマ

テーマは 『 水のバプテスマと聖霊のバプテスマ 』 です

【使徒の働き19章1-7節】

アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、

「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは、「いいえ。聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」と答えた。

「では、どんなバプテスマを受けたのですか」と言うと、「ヨハネのバプテスマです」と答えた。

そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです」と言った。

これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。

パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。

その人々は、みなで十二人ほどであった。

今日は聖霊が下ったペンテコステの日です。

イエス様は復活してから天に上る前に、弟子たちに “一つの命令” と “一つの約束” を与えました。

“命令”は次の箇所です。


【使徒の働き1章4節】

「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。

そして “約束”は次の箇所です。


【使徒の働き1章5節】

ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」

これらを聞いた弟子たちはエルサレムを離れないで、聖霊を受けるために祈りながら待ちました。

そしてペテコステの日に彼らに聖霊が激しく臨みました。


弟子たちにとっても初体験で、彼らは聖霊に満たされ、異言を語ったり 預言したりと、聖霊によって新しい者に生まれ変わりました。

弟子たちのことばや行動を見ると、以前の弟子たちの姿ではありませんでした。


彼らを変えたのは聖霊でした。

彼らも以前、ヨハネから水のバプテスマを受けました。


そしてペンテコステの日に聖霊のバプテスマも受けました。




ヨハネのバプテスマとは




この“バプテスマ” は皆さんも、世の人々も知っている水の洗礼です。


ヨハネはイエス様よりも先に来られ、主のための道を準備した人物でした。

その時、ユダヤ全地域の人々は、ヨハネが水のバプテスマを授けているヨルダン川に来て、自分の罪を告白してヨハネから水のバプテスマを受けました。


その時ヨハネは、人々に次のように話しました。


【マタイの福音書3章11節】

私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。

ここでも水のバプテスマと聖霊のバプテスマが全く違うことと、両方のバプテスマが必要であることが明白です。


“水のバプテスマを受けたから、天国に行く切符を手に入れた” と喜ぶのは間違いです。


もう一つのバプテスマが、もっと重要です。
これなしに天国に入ることは難しいです。


パウロがエペソの弟子たちに会った時に、なぜいきなり「信じた時、聖霊を受けましたか。」と質問したでしょうか。

それは聖霊を受けた証拠が、本当に生まれ変わったことを証明するのに不可欠であったからです。


【ローマ8章9節】

けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。

パウロの質問は「信じた時に聖霊の臨在を体験しましたか。」という意味でもあります。


ペンテコステの日に集まっていた120人全員が聖霊の臨在を体験したので、彼らは自分たちが聖霊のバプテスマを受けたことを明確に知りました。

私自身も聖霊の臨在を体験したので、自分が聖霊のバプテスマを受けたことを知りました。


受けた人ならばそれが何かわかります。

臨在の体験は それぞれ違いますが、臨在を体験すると自分が変わったことが分かります。


心がまるで入れ替わった感じがして、以前と同じ心ではないです。



パウロは、エペソの弟子たちのことばや行動を見て、彼らが聖霊充満でないことを感じたと思います。


それで質問した時に、彼らは「いいえ。聖霊の与えられることは聞きもしませんでした。」と答えました。


パウロや主の弟子たちが福音を伝える所では、皆が水のバプテスマと聖霊のバプテスマを受けていましたが、なぜエペソの弟子たちは聖霊のバプテスマを知らなかったのでしょうか。

それには理由がありました。


彼らはパウロから福音を聞いて信じたのではなく、アポロという人から福音を聞きました。


【使徒の働き18章24ー25節】

さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。

この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。

これが原因でした。

ですから彼らは水のバプテスマしか受けていなかったのです。


今も世界のある教会では同じことが行われています。

水のバプテスマは受けていますが、聖霊のバプテスマを受けていない信徒たちも多いです。


その人たちも聖霊のバプテスマを知らない指導者から福音を聞いたからです。

しかしそれでは不十分であることを主が語っておられます。


水のバプテスマの儀式は “自分の罪を告白してキリストを受け入れたことを象徴する行為” です。


しかし、水のバプテスマが救いを受ける条件でも 明確に救いを受けた証明になるわけでもないです。

それは、教会がその人の信仰告白を聞いて、その人を教会員として受け入れたという意味で行う儀式です。


水のバプテスマは、地上の教会を作る時に必要です。

教会の外にいる人と教会員との区別にもなります。


使徒たちも福音伝道と水のバプテスマを平行しながら教会を設立していきました。

人は水のバプテスマを受けることで 自分がクリスチャンになったことを認識しますし、教会員になったと実感します。


しかしこれだけで救われた、生まれ変わったとの証明にはならず、必ず聖霊のバプテスマが必要です。




聖霊のバプテスマとは




水のバプテスマが教会員になったと教会が認めるものならば、聖霊のバプテスマは 聖霊が(その人が)クリスチャンになったことを認めたと印を押すようなものです。


【第2コリント1章22節】

神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました。

聖霊のバプテスマを受けた人は、罪が赦されただけではなく、サタンの支配下にいた古い人は死んでキリストの中で新しく生まれ変わったことを体験した人です。


これによってその人はキリストと一つになり、キリストの支配下にいます。


水のバプテスマを受けた人の中にもクリスチャンではない人もいます。

イエス様が語った天の御国のたとえに「麦と毒麦のたとえ」がありますが、麦は真のクリスチャン、毒麦は教会の中にいるクリスチャンに見えてもそうでない人のことです。


ヨハネが水のバプテスマを授けていた時に、大勢のパリサイ人やサドカイ人たちがバプテスマを受けに来ました。


彼らを見てヨハネは次のように語りました。


【マタイの福音書3章7-8節】

「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。

それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。

このように厳しく言いました。

心からの悔い改めもなく、儀式や形を重んじる彼らは 皆が受ける水のバプテスマを受けずにはおられなかったです。

それをヨハネは見抜きました。


このようなクリスチャンが多いです。

洗礼は受けましたが、悔い改めにふさわしい実もなく、古い人のまま生きる人、主から離れた人も大勢います。


しかし本当に悔い改めて主を信じ、また聖霊のバプテスマを受けた人たちは、彼らとは明らかに違います。

たとえ主から “離れなさい” と言われても、彼らは離れることが出来ません。


なぜなら聖霊の印が心に押されていて、聖霊がその人の中に住んでいるからです。


聖霊を追い出して以前の状態に戻ることなど考えられないです。


「自分が聖霊のバプテスマを受けたかどうかは、どうやって分かりますか?」と知りたい人もいると思います。


特別に神秘的な聖霊の臨在を体験してなくても、主を愛し、主を自分の救い主として信じ、自分が変わったならば、その人は聖霊のバプテスマを受けた人です。


主から離れて生きることが出来ない人は、聖霊のバプテスマを受けた人です。


イエス様も水のバプテスマと聖霊のバプテスマを受けました。

それは私たちにその2つが必要であることを教える目的もありました。


【ヨハネの福音書3章5-6節】

イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。

肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。

聖霊のバプテスマを受けた人は、常に力に満ちた生活をするために聖霊に満たされることです。


聖霊は力を与えて、私たちを助けて下さいますし、賜物も与えて主の働きが出来るようにして下さいます。

日々聖霊に満たされ、聖霊の導きの中で生きる人は、安定した信仰生活が出来ます。


聖霊の助けなしにみことばだけでは弱いです。


みことばだけで大丈夫だと思う人は神に頼らない人です。


主のことば通り聖霊を受けて、聖霊と共に歩む人が力を受けて実を結ぶことが出来ます。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚


2016.5.15
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キリストの十字架

テーマは 『 キリストの十字架 』 です

ハレルヤ
今日も平安がありますように


カルバリの丘で キリストが十字架にかかった時に、多くの人々が集まっていました。


そこにはあらゆる悪い人々がいました。

十字架にかかって苦しんでいる主を見て、勝利を歌いながら喜ぶ者たちがいました。


そこには狡猾な者、罪悪に満ちた者、主に対抗する者たちが多かったです。

そして自分を正しいと思い、自己主張の声が大きかった者たちでした。


キリストを憎み、殺意を持っていた人たちがキリストを十字架につけました。

次の箇所に彼らの様子があります。


【ヨハネの福音書19章15節】

彼らは激しく叫んだ。「除け。除け。十字架につけろ。」ピラトは彼らに言った。「あなたがたの王を私が十字架につけるのですか。」 祭司長たちは答えた。「カイザルのほかには、私たちに王はありません。」

その激し叫びに負けて、ピラトはキリストを彼らの手に引き渡しました。

殺人者たちの手に引き渡されたキリストは、あっという間に十字架につけられました。


十字架につけられたキリストを見る彼らの顔には、自分たちの思い通りになったことで、満足感と勝利に浸っていました。


そして苦しんでいるイエスに さらに彼らは「自分を救ってみろ」と嘲り呪いました。

良心の呵責(かしゃく)すら彼らは感じていませんでした。

皆、テロリストの姿と変わりなかったです。


別のグループの人たちがいました。


悲しみのあまり 声を出すことも出来ず、遠く離れて泣いている人たちがいました。


主から様々な恵みを受けた人たち、その恵みに感謝している人たち、主の苦しんでいる姿に心を痛めている人たちがいました。


彼らは何も言えず、黙って十字架のキリストを見ていました。

そして彼らは自分をキリストと共に十字架につけ、キリストと共に死にました。


キリストの十字架の前には、中間地帯がありません。

どちらにも属さないでいることは出来なく、ただの見物人で終わることは出来ません。


世の中のことは無関心であっても、それが罪に問われることは それほどないですが、人間を贖うために来られた救い主に対しては、神は「あなたはどちらにつくのか」と問われます。


今、あなたの前で「あなたの罪のために十字架にかかって苦しんでいる救い主を信じて救われたのか。それとも「こんな者は十字架につけろ」と 敵対する者になりたいのか」と聞いておられます。


私は十字架の主を、私の救い主として受け入れました。

皆さんはどうですか?
選ぶのはあなた自身です。
( -д-)ノ


2015.8.14
3分テレフォンメッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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パウロが見たキリストにある自分の姿

テーマは 『 パウロが見たキリストにある自分の姿 』 です

【ガラテヤ2章20節】

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

多くの若いクリスチャンたちが集まってワーシップソングを歌っている映像を見ました。

その時の賛美の内容が今日の聖書のことばでした。


舞台に上がって賛美をリードする若者たちも、立ち上がって賛美している多くの若者たちも、目を閉じて、胸に手を置いたり、ある人は手を上げながら賛美していました。

まるで主に今日のことばを自分の信仰告白として告白しているかのように見えました。


しかし次の瞬間 このように思いました。
「本当にそう思って賛美しているのかな?」と。


あまり考えることもなく、ただ賛美に酔っているだけの人もいるでしょうし、口だけの告白かも知れないです。


しかし、パウロの告白には違和感が感じられないです。

なぜならば、その通りに生きたからです。


使徒パウロは、聖書の中に自分の信仰告白と共に、自分がキリストにあって何者であるかを告白しました。

それはキリストにあって発見された自分の姿でした。


みなさんもキリストに会って発見された自分の姿があると思います。

パウロが発見された姿を見てみましょう。


自分がキリストにあって何者であるかを発見することはとても大切なことです。




キリストと共に十字架につけられて死んだ古い自分の姿




十字架は死ぬ場所です。キリストがそこで死にました。

キリストが十字架にかかった時に、パウロが一緒に死んだわけではないです。

それなのに なぜキリストと共に死んだと言えるでしょうか。


自分が罪人である認識がないとキリストの十字架は意味のないものです。


悔い改めも 救いも なぜ必要なのかも分かりません。

しかし、自分が罪人である認識は キリストの十字架の意味を知らせる大きなカギになります。


パウロが よみがえられたイエス様に出会って、初めて分かったのが キリストがメシアであること、十字架の意味、そして自分が罪人であるという認識でした。


そしてキリストの十字架は、自分の罪のためであると認識しました。


自分が死ぬべき場所にキリストが代わりに死んだことを知りました。

それを知ったパウロは 古い自分をその十字架につけました。

それは新しい人として生きるためでした。


古い人のまま生きることは 神の恵みを無にすることであり、キリストの死を無意味にすることだと悟りました。


自分のたましいを救うために犠牲を払った主のために生きるためには 古い人は死ななければならないです。


そしてパウロの中にはいつも十字架がありました。



【ガラテヤ6章14節】

しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。

パウロはイエス・キリストの十字架を誇りとして生きました。


十字架の力、十字架の福音、十字架の望みを いつも心に刻んで生き、それだけを伝えました。


それが新しく生まれ変わった彼の姿でした。




使徒の中でも もっとも小さい者である姿




【第1コリント15章9-10節】

私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。

ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。

私たちが見るパウロは 使徒の中でも一番すぐれた使徒ですが、本人はそう思っていなかったです。

それこそが謙遜な姿です。


パウロが使徒として召されたのは、主が生きている時ではありませんでした。

教会に対して迫害しているパウロの前に 主が現われ、彼を選びました。


ある意味 使徒として一番不適格な人物がパウロでした。


パウロ自身も それにはびっくりでしたが、使徒として選んで下さったことは自分に対する大いなる主の恵みであることを知ってパウロは使徒としての務めに全力で取り組みました。

最後までその姿は変わりませんでした。


教会が大きくなる前は 謙遜で良い働きをした主のしもべたちが、教会が大きくなり、信徒の数も増え、有名人になると態度が変わって転落の道をたどる人がとても多いです。

世界的に有名な先生が倒れていくのは、パウロにある姿がないからだと思います。


外側は謙遜に見えますが、うちにあるのは “これは全部私が働いて築いたものだ” という自慢です。

いつの間にか“主”ではなく、“私”が主役になってあります。
もっとも危険な姿です。


しかしパウロはあれほどの働きをしたにもかかわらず、それを自慢したり、高慢になったことがありませんでした。

もし高慢になったならば、神の恵みを無にしたことになります。


たくさんの働きをしたからと言って、自分が偉いわけではなく、むしろ恵みが与えられ、働きが出来たことを主に感謝しないといけないです。


パウロはいつもそのようにしていました。




罪人のかしらである姿




【第1テモテ1章15節】

「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。

この言葉がパウロの口から出たことはすごいことだと思います。


なぜならば 本来の彼の基準からみたら、自分ほど正しい者はいないからです。

誰よりも律法に熱心で、敬虔な生活を送り、律法を落ち度なく守っていました。


罪を犯しながらも自分は罪人じゃないと思っている人とは違いますね。


パウロは宗教に熱心な典型的なパリサイ人でした。

ですから 他のパリサイ人と同じくイエス様に敵対していました。

それはイエス様や弟子たちを律法を乱す とんでもない罪人と思って迫害しました。


そして救いは律法を守れば大丈夫だと思っていましたので、イエスの存在が理解出来ませんでした。


しかし復活のイエス様に会い、霊の目が開かれてから 本当の自分の姿に気付きました。

自分がとんでもない罪人であることに気付きました。



【第1テモテ1章13節】

私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていない時に知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。

パウロは無知であった自分に対して、主が豊かな恵みを与えて下さったことに対して 絶えず感謝をささげました。


思い出す度に恵みの大きさに感激しました。

そして彼は生きることも主のため、死ぬことも主のためと決めました。


それからは後ろを振り返ることもなく、主のために、福音のために生涯をささげました。

そこには何の迷いもありませんでした。


なぜならば生きる目的が明確であったからです。


【ガラテヤ2章20節】

いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

アーメン ( ̄‥ ̄)=3

2016.1.10
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