からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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イエス様

主の名によってすべてをなす

テーマは 『 主の名によってすべてをなす 』 です

【コロサイ3章17節】

あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。

クリスチャンとして生きるために一番重要な教えが 本文のことばです。

自分をクリスチャンだと思うならば、自分とキリストを引き離すことは出来ないです。


使徒パウロは、強いことばで 自分とキリストの関係を語りました。


【ガラテヤ2章20節】

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

自分の存在はなく、いつもキリストの存在を現していました。

キリストのために生きた人生で、それによって誰よりもキリストに栄光をささげ、人々を主に導きました。


キリストもパウロを愛し、大いに用いて下さいました。


そのように私たちも キリストを現す生活をいつも心掛けながら生きているでしょうか?


「彼(パウロ)は別格だ」 と思ってはいけないです。

彼も私たちと同じ人間です。


キリストに対する思いが私たちとは違っていました。


自我を殺し、キリストに見習う生活を常にしました。



キリストは、すべての信じる者に(パウロと)同じことを期待しています。

キリストにふさわしく生きることを願っています。


ですから、“主の名によってすべてをなすこと。” は、キリストが私たちに望む生き方です。



“主の名によってすべてをなす” ことは、主の尊い名が汚されることなく、その名が みなからあがめれるようにすることです。


主に迷惑をかけることではなく、栄光をささげることです。


最近も、有名人の息子が覚せい剤使用で逮捕され、父親が涙を流しながら謝罪する場面を テレビで観て、心が痛みました。

息子は子どもでもなく、すでに大人であるのに、そして親は悪いこともしていないのに、人の前で泣きながら頭を下げて謝る姿は 本当に悲しくなります。


その姿を息子に見せて、深く反省してもらいたい気持ちになりました。

「お前のせいで、親がこんなに辛い思いをしているんだよ」と。


子どもは、自分のせいで 親が辛い思いをしていることに対して 責任を感じなければならないです。

そして、これは クリスチャンにも当てはまります。



クリスチャンが もし悪いことをするなら、一番の被害者は “イエス様” です。


イエス様の名が地に落ち、イエス様や教会に迷惑をかけることになります。


ですから、“主の名によってしなさい” と言われることは、常に主の名誉と栄光のことを まず考えなさい ということです。


私たちが すべてにおいて主の名を使うことは、“徹底的に主に頼って生きること” を意味します。

頼らないと、信じる者にふさわしい行動が出来ないからです。


そもそも "クリスチャン” とは、自分に頼ることをやめて、キリストに頼ることを選んだ人です。


主に頼らないと、キリストから言われたことは何一つ出来ないです。


赦すことも、愛することも、仕えることも、犠牲を払うことも出来ないです。

自分の思いで、自分の力で、憎い人を愛せますか?
罪を犯した者を赦せますか?


しかし、取るに足りない自分を受け入れたイエス様のことを考えると、罪深い自分を赦して下さった主の赦しに感謝の思いが出てきて、愛される価値のない自分を愛して下さったイエス様の事を思いながら主に頼ると それが出来るようになります。


主が私のような者を これほどまでに愛して下さったのに、「あの人を赦すことは出来ません」とは言えない思いになります。


「感謝もなく、ありがたさも分からないような人間に なぜ私が仕えなければならないのか」 と思われますが、主の名を使うと 主がまず私に仕えて下さったのに、私が何者で、出来ないと拒否できるのか という思いになります。


父なる神が、キリストを通して 自分にして下さったことをいつも思いながら、主イエスの名で主と同じことをしていく時に、それによって父なる神に感謝をささげることが出来ますし、栄光をささげることが出来ます。


主イエスの名によって ことばや行動をするならば、それでクリスチャンにふさわしい姿になります。


主の名を使って悪いことは出来ないはずです。

本物ではない偽善者は主の名を使って 多くの者を惑わしたりします、その人たちが後に受ける裁きは厳しいものになります。


クリスチャンは何をするにも、それが神の御心に適うことなのかを考えることです。


しかし、どんなに良いことに思われても、神の御心と反してあるならば、神の栄光にはならないです。


それは良い結果が期待できないです。



人前では、自分はキリストの大使である自覚が必要です。

大使はその国を代表する者です。


ですから発言にもすごく気を遣いますし、行動も国に迷惑が掛からないように慎重です。


クリスチャンも、神の国の大使として “主に遣わされた者” です。


神の国がいかに素晴らしい国であるかを人々に伝え、神からのメッセージを人々に伝える任務を任された人たちです。


ですから、神にも 神の国にも迷惑が掛からないようにしないといけないです。

自分のせいで誰かがつまずいたら それはいけないからです。


【第1コリント10章31節】

こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。

【エペソ5章20節】

いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。

アーメン (・∀・)つ


2017.10.15
聖日礼拝メッセージ

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勝利の三つの要素

テーマは 『 勝利の三つの要素 』 です

【エペソ6章10-15節】

終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。

悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。

私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪魔に対するものです。

ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。

では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、

足には平和の福音の備えをはきなさい。

キリストは、人類を贖う計画を持って地上に来られた時に サタンの激しい抵抗と妨害を受けました。

キリストの働きは サタンにとって一番嫌なことでした。


汚れた悪霊に取りつかれた人が、イエス様を見た時に大声でこのように叫びました。


【ルカの福音書4章34節】

「ああ、ナザレ人のイエス。いったい私たちに何をしようというのです。あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。私はあなたがどなたか知っています。神の聖者です。」

イエス様は次のように言いました。


【ルカの福音書4章35節】

「黙れ。その人から出て行け」

このように言うと、悪霊はすぐに出て行きました。

サタンは 人間のことは恐れないですが、イエス様には恐れていました。


イエス様は サタンに勝利して救いを完成し、人類が救われる道を備えることが出来ました。


私たち信じる者にとって、勝利は 世の基準の勝利とはまったく違います。


神は世の人々が考えている勝利を “勝利” と認めたことは一度もありませんでした。


大統領になったから、金持ちになったから、教授になったから、ノーベル賞をもらったから、その人たちが勝利者でしょうか?

神の目には、それはどうでも良いくらい何の価値もないものです。


神が考える勝利とは、世に勝ち、サタンに勝ち、自我に勝って 自分に与えられた “神からの使命” をまっとうすることです。


勝利を目指している信徒たちに、主は勝利に必要な要素を教えて下さいました。




堅く立つ




13節に、『 堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。』

14節には、『 しっかりと立ちなさい。』


と書かれてありますが、
堅く立つ姿は 服従する姿ではなく、抵抗する姿であり 戦う準備が出来た姿です。


誰に向かって堅く立つべきでしょうか?
―― サタンです。


信徒たちが、いつも攻撃してくる悪魔を恐れて抵抗しないならば、サタンの奴隷になります。


堅く立って抵抗しなければなりません。


信徒が最初から悪魔に手を出すことはないです。

平和を愛する国が、初めから他国を攻撃することはないです。


人を愛する人が、他人を先に攻撃することもないです。


ですが、攻撃されても 抵抗せずにいるのが良いことでしょうか?

―― そうではないです。


抵抗しないならば、征服されてしまいます。


その時は、しっかりと立って 勝利のために抵抗し (サタンを)追い出さないといけないです。

主のように「黙れ。出て行け。」と厳しく対抗することです。


ことばだけでは力がないので、神の武具をしっかりとつけてから戦います。


善を行っていてサタンの攻撃を受けた時も、堅く立ってそのサタンに抵抗しないといけないです。


ダニエルと3人の友が そのようにしました。

まことの神を捨てて、人間が建てた金の像を拝むことは出来ないと はっきりと断りました。


断る者は、火の燃える炉の中に投げ込まれることを知っていても 抵抗しました。


いのちを懸けて抵抗しました。

そして燃える炉に投げ込まれましたが、結果は彼らの勝利で終わりました。


ありえない光景を 人々が見ることになりました。


【ダニエル書3章24-25節】

そのとき、ネブカデネザル王は驚き、急いで立ち上がり、その顧問たちに尋ねて言った。「私たちは三人の者を縛って火の中に投げ込んだのではなかったか。」彼らは王に答えて言った。「王さま。そのとおりでございます。」

すると王は言った。「だが、私には、火の中をなわを解かれて歩いている四人の者が見える。しかも彼らは何の害も受けていない。第四の者の姿は神々の子のようだ。」

勝利者の姿が そこにありました。


彼らは信仰の上に堅く立って、サタンに抵抗したので、神の助けを受け、神の偉大さを人々の前で現しました。


【第1ペテロ5章9節】

堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。

しかし悪を行うように 誘惑された時には、ヨセフがしたように そこから逃げなければなりません。


誘惑は 甘いもので、肉の思いをそそります。

ですから、そこから早く逃げることです。


【創世記39章12節】

それで彼女はヨセフの上着をつかんで、「私と寝ておくれ」と言った。しかしヨセフはその上着を彼女の手に渡し、逃げて外へ出た。



祈り求める




勝利は、自分だけの力で獲得できるものではありません。


勝利は簡単に手に入らないので、助けと協力が必要です。


大きな大会に出る選手が、1人で すべてをしてメダルを取れるでしょうか?

監督、コーチ、家族、仲間の協力と助けによってメダル獲得を目指します。


私たちの信仰、霊的生活、人生の勝利のためには 神の助けと協力は、なくてはならないものです。


助けを、祈りによって神に求めます。


イエス様も弱い弟子たちを助けるために神に祈りました。

その祈りを 神が聞いて下さったので、弟子たちは失敗から立ち直ることが出来ました。


【ルカの福音書22章31-32節】

シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。

しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

【マタイの福音書17章21節】

ただし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません。

【ピリピ書4章6節】

何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。



目を覚ます




目を覚ますことは 見張りをしていること、用心していること、準備された状態です。


泥棒や強盗が来ることを知って、万全の警備をしているならば 持ち物は安全です。


しかし隙があるならば、やられてしまいます。

サタンは盗人であり、強盗です。


魂やいのちを盗みます。信仰を盗みます。平安と希望を盗みます。財産や健康を盗みます。

人間が持っているものを何でも盗みます。


ですから、盗まれないように目を覚まして見張ります。

(サタンは私たちを)誘惑して目をくらませ、眠らせます。


誘惑されて眠ってしまったサムソンは、すべてを失いました。

サタンの奴隷にされてしまいました。



目を覚ましていないと、一番困ることは何でしょうか?


主の空中再臨の時に、主がおられる所に上げられず、地上に残され 恐ろしい患難を受けますし、信仰生活も出来なくなります。


このように、最悪な状態 になります。

ですから “目を覚ましていなさい” と、主は繰り返して語っておられます。


【マタイの福音書24章42-44節】

だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。

しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。

だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。

【第1コリント16章13節】

目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。男らしく、強くありなさい。

【使徒の働き20章31節】

ですから、目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください。

【第1テサロニケ5章8節】

しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。

【ヨハネの黙示録3章2節】

目をさましなさい。そして死にかけているほかの人たちを力づけなさい。わたしは、あなたの行いが、わたしの神の御前に全うされたとは見ていない。

【ヨハネの黙示録16章15節】

――見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物を着け、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである――

私たちの人生は、地上だけで終わりではなく、霊の世界が次に待っています。

それも現実です。


ですから主は、私たちに 地上では “旅人、居留者” として生活しなさい と言われました。


そして、神の国は勝利者が入る国なので、勝利を目指して歩むように言われました。


また勝利者が得る報いがどんなに素晴らしいものかも教えて下さいました。

黙示録2章から4章の中に書かれてありますので、確認のためにも読んでみて下さい。


“堅く立つ、祈り求める、目を覚ます” ことは、キリストに仕えるためのチャンスを得るためにも そうしないといけないです。


祈らない人、眠っている人、サタンに負けている人が 主のために働くことは出来ないです。


役に立つしもべになるためにも、この三つの要素は必要です。
( ̄‥ ̄)=3


2017.10.8
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人の子・イエス様

テーマは 『 人の子・イエス様 』 です

【マタイの福音書8章18-20節】

さて、イエスは群集が自分の回りにいるのをご覧になると、向こう岸に行くための用意をお命じになった。

そこに、ひとりの律法学者が来てこう言った。「先生。私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついてまいります。」

すると、イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」

イエス様の呼び名はたくさんありました。

神がつけた名もあれば 人々が呼んだ名もあり、イエス様ご自身が自分を呼んだ名もありました。


たとえば、『 ユダヤの王、メシア、神の子、主、牧者、キリスト、インマヌエル、預言者、先生 』 など何十個もありました。

その中で 人からは呼ばれていないのに、イエス様が一番好んで使った名前が “人の子” でした。


なぜイエス様はご自分のことを「神の子」と言うよりも、「人の子」と好んで言ったでしょうか?


普通ならば、自分を知らせるためにも「わたしは神の子だ」と言うのに、なぜ「人の子」と好んで言ったのでしょうか。


人間になりきった姿でもありました。

その姿が次の箇所にある姿です。


【ピリピ2章6-11節】

キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、

ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、

自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。

それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。

それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、

すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。

罪人である人間を愛し、その人間を罪から贖うために、また人間に仕える目的で来られたので、自らを「人の子」と呼びながら 人間の中に溶け込み、人間の友になり、人の目線で人間を見つめ、そして人間のために働きました。


多くの宗教の教祖や 神々と呼ばれる者は、(周りの人が自分に)近寄れない雰囲気を作って自分を高くあげ、人の上に君臨します。


人に仕えるのではなく、人々が(その者に)仕えるようにします。

それがイエス様と大きな違いです。


イエス様はいつも人々の中にいました。

御国のことばを教え、病人を癒し、困った人たちを助けました。


権力、名誉、富、自分の王国のために働いたのではなく、人々の益のために働きました。


(イエス様が)もし金儲けを考えていたならば、一日で金持ちになることも出来ました。


多くの病人が毎日癒されましたので、癒された人たちからお金をもらったならば すぐ金持ちにもなれました。


しかし、イエス様は 枕する所もありませんでした。

嘘ではなく本当でした。旅人のような生涯でした。
私有財産一つありませんでした。


自分の命までも、人のためにささげました。


どんなに あら捜しをしても、何一つ出ませんでした。

人間のために尽くした生涯でした。


さらに、どんな時にイエス様は ご自分のことを「人の子」と言われたのか、福音書で調べます。




人々の苦しみや痛みを感じ、彼らを助ける時




【マタイの福音書9章6節】

人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言って、それから中風の人に、「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われた。

罪によって起きた病気で長い間、苦しんでいた中風の人をいやしました。


【マタイの福音書12章8節】

人の子は安息日の主です。

安息日は働いてはいけない律法がありますが、病気の人を見つけて癒しました。

苦しんでいる者をいやすために、『人の子は安息日も主です。』と語りました。


イエス様は数えきれないほどの多くの病人を癒しました。

そして悪霊に取りつかれた多くの人から悪霊を追い出し、罪人の罪を赦しました。


人の痛み、苦しみを誰よりも知っている方でしたし、彼らに共感出来る方でした。




救いのわざ、十字架の苦難と死、復活を語る時




【マタイの福音書18章11節】

人の子は、失われている者を救うために来たのです。

【マタイの福音書20章28節】

人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のため、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。

【マルコの福音書8章31節】

それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日の後によみがえられなければならないと、弟子たちに教え始められた。

【マタイの福音書12章40節】

ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。



栄光の主としての再臨、裁き主として裁きを行うことを語った時




【マタイの福音書13章41-43節】

人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、つまずきを与える者や不法を行う者たちをみな、御国から取り集めて、

火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。

そのとき、正しい者たちは、彼らの父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。

【マタイの福音書16章27節】

人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて来ようとしているのです。

その時には、おのおのその行いに応じて報いをします。


【マタイの福音書19章28-29節】

そこで、イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。世が改まって人の子がその栄光の座に着く時、わたしに従って来たあなたがたも十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。

また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。

【マタイの福音書24章44節】

だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。

【ルカの福音書12章8-9節】

そこで、あなたがたに言います。だれでも、わたしを人の前で認める者は、人の子もまた、その人を神の御使いたちの前で認めます。

しかし、わたしを人の前で知らないと言う者は、神の御使いたちの前で知らないと言われます。

私たちは 自らを「人の子」と呼ぶ、イエス様の思いを知らないといけないです。


私たちが親しみをもって イエス様に近づくことを、主は願っています。


私たちを愛している主の愛を感じることが出来ますように。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚


2017.10.1
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隣人への義務

テーマは 『 隣人への義務 』 です

【マタイの福音書22章39節】

『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』 という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。

先週は、“神への義務” に対して学びました。

今週は、“隣人への義務” に対して学びます。


隣人とは、隣に住んでいる人の事ではなく、自分以外の すべての人であると解釈するのが聖書的です。


『 神への義務 』 が1番優先であり、次に優先になるのが、『 隣人への義務 』 です。

私たちは 『 隣人への義務 』 があることも知らずに生活していますが、主は隣人への義務も 私たちに与えておられます。


どのような義務があるでしょうか?




隣人を愛すること




愛することを 『 義務 』 ではなく、“選択” だと思っていますか?


私たちが “選択” と思っても、神は 隣人への 『 義務 』 として与えました。

隣人を愛することを、一番わかりやすく説明して下さったのは、イエス様でした。


ルカの福音書10章には、“良きサマリヤ人のたとえ” があります。


強盗に襲われて、半殺しにされている人がいました。

その道を、主に仕える祭司、そして レビ人が通りました。

しかし、彼らは 倒れた人を見ると、何もせず反対側を通り過ぎました。


その後、サマリヤ人が通りました。
サマリヤ人は彼を見て、かわいそうに思い、傷の手当てをして彼を運び、介抱して面倒を見てあげました。


このたとえを語った後に、イエス様は 『この三人の中で だれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。 』  と聞きました。


律法の専門家が、「その人に あわれみをかけてやった人です。」と 答えると、主はすぐに 「 あなたも行って 同じようにしなさい。」 と語りました。


同じことをするのが、隣人を愛する人の姿です。


多くの人は 見知らぬ人を助けることに戸惑いを感じ、そして巻き込まれたくないと思って、かかわりを持たないです。

それは正しいことではないです。


もし倒れた人が自分の家族ならば どうしますか?

そのまま通り過ぎることはあり得ないですね。


力を尽くして助けると思います。

今も困っている人を見て、自分のことのように助ける人がたくさんいます。


そこにあるのは隣人を愛する心です。“無関心” ではなく、“関心” があります。


困っている人に 憐れみと慈悲の心で 手を差し伸べるのが 隣人への愛であり、神がするように命じた義務です。


このような言葉もあります。


【箴言14章21節】

自分の隣人をさげすむ人は罪人。貧しい者をあわれむ人は幸いだ。

【箴言14章31節】

寄るべのない者をしいたげる者は自分の造り主をそしり、貧しい者をあわれむ者は造り主を敬う。



隣人を騙してはいけない




【箴言11章1節】

欺きのはかりは主に忌みきらわれる。正しいおもりは主に喜ばれる。

不正な商売行為は、社会の基本秩序を破壊する行為です。

悪徳商人たちは、昔から今に至るまで 不正な方法をたくさん使って 金儲けをしました。


これは隣人の財産を盗む行為でもあります。

律法でも、神は はっきりと このことに対して定めておられます。


【申命記25章13-16節】

あなたは袋に大小異なる重り石を持っていてはならない。

あなたは家に大小異なる枡を持っていてはならない。

あなたは完全に正しい重り石を持ち、完全に正しい枡を持っていなければならない。あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地で、あなたが長く生きるためである。

すべてこのようなことをなし、不正をする者を、あなたの神、主は忌みきらわれる。

日本は商売で不正をする人は少ないと思いますが、不正が当たり前のように行われる国も多いです。

お金のために平気に不正を行います。


神は不正な商売をしようとする者たちに向かって、預言者を通して 次のように警告しました。


【アモス書8章5節】

あなたがたは言っている。「新月の祭りはいつ終わるのか。私たちは穀物を売りたいのだが。安息日はいつ終わるのか。麦を売りに出したいのだが。エパを小さくし、シェケルを重くし、欺きのはかりで欺こう。

隣人から 不当な利益を得るのではなく、むしろ隣人に益をもたらすのが “隣人への義務” です。

商売しない人でも、隣人を騙すことは罪であり、信頼を裏切ることです。




隣人と平和を保ちなさい




【ローマ12章18節】

あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。

平和のために努力するのが 隣人への義務です。


次の箇所に、平和のために努力すべき内容があります。


【ローマ12章17節】

だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が好いと思うことを図りなさい。

【ローマ12章18節】

あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。

このようにして 隣人との間に、平和を保つ義務を果たしていかなければなりません。

“自分に関する限り ” ということばがあるのは、すべての人と平和を保つことが、いつでも可能なわけではないからです。


それは 完全な愛を持っている人もいないですし、人間はまた 弱さをたくさん持っていますし、この世は罪に満ちているからです。


人間同士 争いも本当に多いです。


【ヤコブ4章1節】

何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。

世界でも、戦いが好きで、平和を壊す者たちの働きが とても多いです。

イスラム過激派の無差別な攻撃で 平和が一瞬にして消えます。


近所に わざと嫌がらせをして、人々の日常の平和を壊す人たちもいます。


神はすべての人々が平和の中に生きることを願いますが、人間の欲望が原因で、争い、戦争は絶えず起こっています。


しかし自分に関する限り、すべての人と平和を保つ義務を果たしていかなければなりません。

イエス様は 平和を造った方でした。


【コロサイ1章20節】

その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったのです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。

主は、次のようにも語りました。


【マタイの福音書5章9節】

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。

隣人への非難、悪口、分裂を起こす者は 平和を壊す者です。


平和を保つためには、相手に対して関心、受容、愛が必要です。
(*´ -`) (´- `*)


2017.8.27
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いのちの水の幻が意味するもの

テーマは 『 いのちの水の幻が意味するもの 』 です

【エゼキエル書47章1-12節】

彼は私を神殿の入口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東のほうへと流れ出ていた。神殿が東に向いていたからである。その水は神殿の南、宮の右側の下から流れ出ていた。

ついで、彼は私を北の門から連れ出し、外を回らせ、東向きの外の門に行かせた。見ると、水は右側から流れ出ていた。

その人は手に測りなわを持って東へ出て行き、一千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、それは足首まであった。

彼がさらに一千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、水はひざに達した。彼がさらに一千キュビトを測り、私を渡らせると、水は腰に達した。

彼がさらに一千キュビトを測ると、渡ることのできない川となった。水かさは増し、泳げるほどの水となり、渡ることのできない川となった。

彼は私に、「人の子よ。あなたはこれを見たか」と言って、私を川の岸に沿って連れ帰った。

私が帰って来て見ると、川の両岸に非常に多くの木があった。

彼は私に言った。「この水は東の地域に流れ、アラバに下り、海に入る。海に注ぎ込むとそこの水は良くなる。

この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入る所では、すべてのものが生きる。

漁師たちはそのほとりに住みつき、エン・ゲディからエン・エグライムまで網を引く場所となる。そこの魚は大海の魚のように種類も数も非常に多くなる。

しかし、その沢と沼とはその水が良くならないで、塩のままで残る。

川のほとり、その両岸には、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる。

神は 預言者・エゼキエルに神殿の幻を見せて下さいました。

その幻は 神殿の敷居から水が流れて、その水が流れるすべての所で、すべてのものが生き返る幻でした。


この幻が何を意味するのかを 今回は学びます。


聖書では水を象徴的な意味として使われることが多いですが、まずは いのちの根源である “神ご自身” を象徴的に表します。


【エレミヤ書17章13節】

イスラエルの望みである主よ。あなたを捨てる者は、みな恥を見ます。「わたしから離れ去る者は、地にその名がしるされる。いのちの水の泉、主を捨てたからだ。」

そして宗教儀式で、汚れをきよめる “聖くする” 意味があります。


旧約聖書では いけにえを水で洗いました。

新約時代では水のバプテスマがあり、古い人をきよめ、新しい人に生まれ変わる意味として水が使われました。


そして “聖霊” を象徴する意味で水が使われました。


【ヨハネの福音書7章38節】

わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」

これらのことを参考にした時に、エゼキエルが見た幻の水は何を意味すると思いますか?

イエス・キリストによる “福音” を意味します。


福音は、いのちの泉である神から始まり、そしてキリストの血による きよめ、水のバプテスマ、そしてキリストが私たちに聖霊を注ぐことで、古い人が新しい人に生まれ変わるという内容です。


罪によって、霊が死んでしまった人が福音によって命が注がれ、生まれ変わります。


【ローマ6章23節】

罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

幻を通して福音にどのような特徴があるのかを神は見せて下さいました。






福音の源は 神でした。


【エゼキエル書47章1節】

彼は私を神殿の入口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東のほうへと流れ出ていた。神殿が東に向いていたからである。その水は神殿の南、宮の右側の下から流れ出ていた。


【エゼキエル書47章12節】

川のほとり、その両岸には、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる。

人体は70%が水です。

もし水が不足すると 脱水症状が起こり、いのちを落とすことが多いです。


ですから神は必要な雨を降らせます。

雨はどの国でも金を払わずにタダで受けます。

その雨によって人間は必要な水を確保することが出来ます。


そして、人間にはもう一つの水が必要です。


霊のための “いのちの水” です。


この いのちの水も神が用意してあります。

このいのちの水は、神の所に来ないと 絶対に受けることが出来ません。


イエス様は、わたしの所に来る者は いのちを豊かに得ると語って下さいました。

イエス様は いのちの水の泉です。


【ヨハネの福音書7章37-38節】

さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。

わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」

福音は、イエス様が 信じる者にいのちの水を与えることを約束しています。

福音は全世界に広がって行きます。


神殿から流れ出た水は、どんどん流れて行きました。


神はすべての人々が福音を聞いて救われ、いのちを得ることを願っています。






そしてイスラエルから始まった福音は、いま全世界に広がっています。

そしてこの福音は、イエス様が再臨するまで さらに広がっていきます。


【マタイの福音書24章14節】

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。

神はいま幻や夢を通しても イスラム教徒に福音を伝えています。

それによって改宗する人たちも増えています。


日本でも福音を聞きたいならば いつでも聞けます。

聖書や教会、そしてネットでも調べられます。


この良い福音を必ず聞いてほしいです。

そして信じてほしいです。


福音は 豊かな恵みを絶えず流し、変化を起こし、すべてを新しくし、実を豊かに結ばせる生命力があります。


幻で見た時にも いのちの水が流れるすべての所で、すでにあった水が良くなり、生物が生き、非常に多くの魚がいるようになりました。


葉も枯れず、実も耐えることがなく、すべてが良いもの、豊かなものに変わりました。

悪いものが 良いものに、実を結ばなかったものが 豊かに実を結ぶようになりました。


実際に多くの病人が癒されて健康な者になり、悪霊に苦しめられた人たちが そこから解放され、自由になりましたし、希望のなかった者が希望を得て生きるようになりました。



どれほど福音によって良いことが起こったのかを主の弟子・ヨハネは次のように言いました。


【ヨハネの福音書21章25節】

イエスが行われたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。

いのちの泉であり、福音の主人公であるイエス様は、人々の人生を良いものに変えました。

主のことばのように「羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」と言われ通りになりました。


また主の中にとどまる人たちは、さらに豊かに実を結ぶことが出来ます。


【ヨハネの福音書15章5節】

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

無名だった弟子たちが世界を動かす人物に変わっていきました。

他の人たちも多くの良い実を結びました。



福音は “いのちの水” ですから、その水を受ける人には 多くの祝福をもたらしますが、受けない人には祝福がありません。


【エゼキエル書47章11節】

しかし、その沢と沼とはその水が良くならないで、塩のままで残る。

いのちの水が流れて行かない所には、生命がありませんでした。


「聖霊を受けなさい。」と言われても、それを拒否する人たちがいます。

それは いのちの水を拒む行為です。


のどが渇いている人が水を拒むことは死を招く行為になります。
それと同じことです。


【ヨハネの福音書3章36節】

御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。

神の恵みによって与えられる いのちの水を飲んで生きる者になりましょう。


それを拒んで 神の怒りを受けることは本当に愚かなことです。


天国は 神がおられる所で、そこに いのちの水があることが確認されます。

神殿は神の臨在の場所です。


【ヨハネの黙示録7章17節】

なぜなら、御座の正面におられる小羊(キリスト)が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」

【ヨハネの黙示録22章1-2節】

御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、

都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。

福音は 罪によって、その霊が死んだ者をいやし、生き返らせるために神が飲ませるいのちの水ですので、拒まずに飲んで下さい。


自分のためです。
(*・ω・)ノ


2017.8.13
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今は聖霊時代

テーマは 『 今は聖霊時代 』 です

【使徒の働き2章1-8節】

五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。

すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。

また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。

すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。

さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、

この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。

彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。

それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。

イエス様はこの世を去って行く前に、弟子たちに重要な話をしました。


ご自分が父のもとへ行くこと、そして聖霊を遣わすことを約束されました。

聖霊時代の開幕を宣言しました。


初めであり、終わりである神、三位一体である神は、世界に対するシナリオを書き、最初は父なる神が 時代の主役、次はイエス様、最後の時代は聖霊が主役になり、世界という同じ舞台で “主役” を変え、役割を変えながら 神は今も働いておられます。



聖霊時代の開幕は、宣言した通りに始まりました。

開幕の日が ペンテコステの日でした。


その日に聖霊は、主のことばを信じ、聖霊を待ち望んでいた人々の上に 激しく下りました。


その時から世の終わりまでが聖霊の時代で、今も聖霊は時代の主役として働いておられます。



聖霊の働きが初代教会で終わったかのように錯覚しているクリスチャンもいますが、聖霊の時代は世の終わりまで続きます。


聖霊は、特に聖徒たちのために働いておられる方なので、信じる者にとって聖霊はなくてはならない存在です。


聖霊の役割を考えるならば それが分かります。

聖霊の重要な役割を伝えたいと思います。




人を新しく生まれさせ 神の国に導く




イエス様は次のように話されました。


【ヨハネの福音書3章3-8節】

「イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」

ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」

イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。

肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。

あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。

風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。

古い人、肉に属する人が 霊の人として生まれるために、聖霊の働きは必ず必要です。


御霊によって生まれなければ、神の国に入ることが出来ない と主が宣言しました。


ですから聖霊が来ないといけないです。



世の初めから聖霊はもちろん働いておられましたが、完全な主役としての働きではありませんでした。


しかし、完全な主役としての働きが始まることが宣言され、その働きの内容も啓示されました。


【使徒の働き1章4-5節】

彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。

ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」

人が新しく生まれるために必要な水のバプテスマと聖霊のバプテスマが、聖霊が来られたことで完璧に揃いました。



主の約束を信じて祈りながら待ち望んでいた弟子たちに 聖霊が風のように、火のように下り、彼らはみな聖霊のバプテスマを受けました。

そして彼らは 以前とは違う新しい者になりました。


使徒の働きを読むと、福音書での弟子の姿とは霊的にまったく違う姿を発見することが出来ます。

体は同じでも中身が変わっていました。




聖徒たちを真理に導き入れます




聖徒たちは、聖霊の導きがないと 真理を悟ることが出来ません。


悟ることは、ただの知識とは違います。

知識があっても、悟りのない人は多いです。


悟りは本来の意味、隠された奥義を知ることです。


聖書ならば文字通りではなく、神が言おうとする霊的意味を知る事です。



律法学者たちやパリサイ人たちは律法の知識は相当ありました。

しかし彼らは、霊的には無知で 悟りがありませんでした。


主が語ることばに対する 彼らの理解は、文字を越えませんでした。

「この人は何を言っているのか」と理解が出来ず、心の中でさばいていました。



しかし開かれた心を持つ群衆は、彼らよりも悟っていました。

知識を誇る者には悟りがないのに、聖霊の助けによって知識のない者が真理を悟りました。



群衆は、その教えを語るイエス様に驚き、イエス様から権威を感じ取りました。

弟子たちも聖霊を受けた後に ものすごく真理を悟る者になりました。


聖霊に満たされたペテロは、群衆の前に立って突然語り始めました。

ペテロは無学な者なのに、律法学者よりも正確に聖書のことばを引用しながら状況を説明しました。



それまで説教者の経験もなかったのに、人の心を揺さぶるメッセージを語り、それを聞いた人々は心を刺され、その日だけで3千人ほど救われました。


聖霊が ペテロを真理の中に導き入れたので、真理を悟り、真理を語ることが出来ました。




聖徒たちに力を与え
証人として遣わします




【使徒の働き1章8節】

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

神の願いは、信じる者が “主の証人” となって、全世界に出て行き福音を伝えることです。


そのためには力が必要なので、聖霊を受けさせ、聖霊と共に働くように助けて下さいます。


神の働きは自分の力だけでやってはいけないです。

聖霊の力と助け、導きが必ず必要です。



大胆に福音を伝えるためにも聖霊の力は必要です。


臆病の霊では人が怖くて 何も伝えられません。

弟子たちは、聖霊を受ける前は 臆病者でした。

人を恐れる者でした。


しかし聖霊を受けてからは 殉教も恐れず、大胆な者になり、迫害されても 主の証人として立派に働きました。


聖霊の力は人を変え、その人を主に仕える者にして下さいます。




聖徒に賜物を与え、
神の教会を建て上げます




教会は “主の体” ですので、人間の力や才能、熱心さで建て上げていくのではないです。


主役である聖霊が、聖徒たちに必要な賜物を与え、役割をさせ、命ある教会を作ります。


【第1コリント12章4-6節】

さて、賜物にはいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊です。

奉仕にはいろいろの種類がありますが、主は同じ主です。

働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。

【第1コリント12章11節】

しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。

賜物を受けた聖徒たちは、謙遜な心でその賜物を使って みなの益になるように働きをすべきです。




イエス様の栄光を現わします




【ヨハネの福音書16章14節】

御霊はわたしの栄光を現します。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。

人となってこの世に来られたイエス様を見て、人々の反応はそれぞれ違っていました。

神が人となったことに対して ほとんどの人は知らず、預言者だとか誰かの生まれ変わりだとか、良い人とか意見が分かれました。


本人が証言しても、なかなか信じてもらえませんでした。


しかし聖霊は、人々に イエス様が真の神であることを証明して下さいました。

イエス様と同じ働きをすることで主のことばが真実であることを証明しました。


聖霊がイエス様のものを受けて働きをしているので、イエス様と同じ働きをするのは当然です。


世の終わりまで聖霊の時代は続きます。
神のみわざも続きます。



黙示録にも 明確に聖霊の姿が現れてあります。

黙示録は、終わりの時代に起こることを預言しています。


聖霊を勝手に時代の主役から引き降ろし、勝手に神のシナリオを変えた人には神の厳しい叱責があります。



聖霊の時代は終わったという人は聖霊を冒涜する人です。

クリスチャンでありながら、このように恐ろしいことをしている人がいますが、その人はまず聖霊を受けることです。


受けるならば、聖霊を否定することは出来ないです。


イエス様の栄光を現わす方が聖霊ですから、聖霊を否定したら主の栄光を妨害する人になります。


私たちは聖霊を遣わして下さった神のみこころを悟り、いつも聖霊を歓迎し、聖霊と共に歩む者になりましょう。
(=゚ω゚)人(゚ω゚=) アーメン


2017.6.4
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弟子になれる人と弟子になれない人

テーマは 『 弟子になれる人と弟子になれない人 』 です

【ルカの福音書9章22-27節】

そして言われた。「人の子は、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、そして三日目にはよみがえらねばならないのです。」

イエスはみなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。

人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。

もしだれでも、わたしとわたしのことばとを恥と思うなら、人の子も、自分と父と聖なる御使いとの栄光を帯びて来るときには、そのような人のことを恥とします。

しかし、わたしは真実をあなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、神の国を見るまでは、決して死を味わわない者たちがいます。」

イエス様が弟子たちを選んだ理由は、もちろん弟子として育てるためでした。


イエス様が死んで三日目によみがえって、そのまま地上に残るのではなく 天に帰るので、弟子たちにはイエス様がなさった同じことをするように伝えました。


彼らにはすでに生活がありましたが、イエス様は彼らが主の弟子になることを要求しました。

そして弟子になることが どういうことかも教えました。


弟子になる人の条件は「自分を捨て、自分の十字架を負い、そして主に従うこと」です。


自分を捨てることは自己否定です。

自己否定の意味は、罪の性質の中で生きる自己中心性を捨てることです。


“罪” とは悪いことだけではなく、正しいことを知っていながらもそれをしないことです。


自分がしたいことをするために すべきことを知りながらも、しないことが多いです。


自分のものをしっかり握りしめて、それを手放さないで主に従うことは不可能です。


自分を捨てることは、悔い改めとも関連があります。

罪から立ち返り、自分の考え、価値観を変えることです。


今までのような思いのままに生きないことです。

それをむしろ捨てることです。


そして主が与えて下さった新しい使命、主が望むこと、喜ぶことを自分のすべきこととして受け入れ、日々それを目標にして目指すことです。


そのためには犠牲も払います。

それでも その道を選ぶこと、それが自分の十字架を負うことです。


日々の生活の中で、自分が喜ぶことなのか、主が喜ぶことなのか、自分の思いか 主のみこころかを選ぶ中で、主のものを選ぶ人は自分の十字架を負っている人です。


その後に、主について行きます。

自分勝手に動くのでななく、主の導きを受けて歩みます。


このような姿が弟子の姿です。






弟子になれない人もいます。


主が選んでいないからではなく、その人の態度が弟子として生きることが出来ないからです。


主は救われた人がみんな弟子になることを願っています。


弟子になれない人は、


・イエスさまに従うことが物質的な祝福を得て、栄光を受けて天国に入る道だと思っている人です。

すなわち “祝福” が目的で信じる人です。


こういう人はイエス様より、他の人より “自分” が一番重要です。


・この世の事や働きが優先で、時間が余った時にイエス様に従うと決心した人です。


決して神の国やその義を第一にしない人です。

そういう人は多くいますね。


・世に対して未練たっぷりの人は弟子にはなれません。


世を愛し、世に関心があるので、それを捨てて主に従うことは不可能に近いです。


【ルカの福音書9章61-62節】

別の人はこう言った。「主よ。あなたに従います。ただその前に、家の者にいとまごいに帰らせてください。」

するとイエスは彼に言われた。「だれでも、手を鋤(すき)につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」

こういう人は弟子になれないと言われました。



弟子として生きることは「忠実な良いしもべ」として生きることです。

弟子にならない人は「悪いしもべ」として生きることです。


弟子になるか ならないかは、あなた次第です。
Σ(=゚ω゚=;)


2017.3.12
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聖徒だけが持つ特権

テーマは 『 聖徒だけが持つ特権 』 です

【ヘブル4章16節】

ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

“特権” とは特定の人、身分、階級に与えられている、他に優越した権利です。


特権を持つ人は良い待遇を受けることも多いです。

月に何度も飛行機に乗りますが、飛行機一つにしてもダイヤモンドカードを持っている人は優先的に乗れますし、荷物の制限もなく、ラウンジも自由に使えます。

もし自分が持っている特権を知らないならば、その権利を使うことも知らないので、もったいないです。


聖徒である皆さんは “聖徒だけが持つ特権” が何かを知っていますか?


聖徒が持つ 特権も義務も責任も知らないで信仰生活する人が実に多いです。

そして特権を使ってはいますが、それが特権と思わずに使っています。


今回は聖徒だけが持つ特権に対して学びます。




神の御座に近づける特権




これを特権と思わない人が多いですが、これは聖徒だけが持つ特権です。


たとえば安倍総理は日本の総理ですが、いつでも皆さんが会いたいと思う時に会えますか?

たぶん会うのは無理です。


認められる何かがある場合は別だと思いますが、それは簡単ではありません。

しかし安倍さんの子どもならば、家で自由に会うことが出来ますし、別のところでも許可をもらうのは難しくないですね。


神は世界で一人の神ですが、人間が会いたいと言って いつでも会えるでしょうか。
―― 会えないです。


しかし神に贖われて、神の子になると立場が変わります。


聖徒には、神がいつでも神の御座に近づくことが出来る特権を与えておられます。


“キリスト” によって神と和解させられ、神の子になったので、その特権を得ています。


【ヨハネの福音書14章6節】

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。

聖徒は、“道” であるイエス様を信じる者なので、キリストも その人のことを知っていて、その道を通って父なる神の前に行ける許可を与えておられます。


「イエスの血で神の前に、イエスの血で父の前に一歩ずつ進む。」

このような賛美があるように、父なる神の前に行ける特権は イエス様によって与えられた素晴らしい特権です。


旧約時代は神の臨在がある聖所には、任命された祭司以外は誰も入ることが出来ませんでした。

しかし新約時代の聖徒たちは、神の臨在の中に入ることが出来ます。


死んだら もっと神は近くにおられます。



【ヨハネの黙示録4章4節】

また、御座の回りに二十四の座があった。これらの座には、白い衣を着て、金の冠を頭にかぶった二十四人の長老たちがすわっていた。

聖徒にとって、神は 決して遠く離れて近づくことも出来ない神ではなく、いつでも近づくことが出来ます。




永遠のいのちがもらえる特権





【ヨハネの福音書3章36節】

御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。

“永遠のいのち” ほど価値あるものは 世には存在しません。


金持ちの青年が主の所に来て、永遠の命を得るためには何をしたら良いのかと イエス様に聞きました。

イエス様は、「財産を売って貧しい者に与えてから、私について来なさい」 と言われましたが、金持ちは財産を手放すことが出来ないので、そのまま帰り、2度と帰ってくることはありませんでした。


永遠のいのちは、主に従ってくる聖徒たちに与えられます。

永遠の命はあまりにも高価なので金で買えるようなものではなく、キリストを信じて神の子になった者が、特権として受けられものです。


永遠のいのちは “死とは無縁” です。

それを持っている人は聖徒だけです。


聖徒をやめたら、もはや永遠のいのちは自分のものにはなりません。




祈りが答えられる特権




聖徒の祈りに聞いて下さる方がおられます。

私たちの霊の父である “神様” です。


この世には自分を神と呼ぶ人間がいて、それを信じる者も多いです。


「統一教会」や「神の教会」という異端も、教祖が “人間” なのに、自分自身を神と呼び、それに従う者も(その人物のことを)神と信じています。

(その教祖は)2人とも死にましたが、未だに死人を神と思ってそこから離れません。


中身を見ると教祖が彼らの祈りを聞いて祝福したのではなく、人々が教祖の願いや要求を聞いて、自分たちのもので教祖を満たしていました。


サタンが目をくらませると、悟りがなく盲目的になるので、騙されて利用されるだけです。


人間を神と信じるのも、偶像の神を造って願いを叶えて下さい と祈るのも同じです。



【イザヤ書44章9-11節】

偶像を造る者はみな、むなしい。彼らの慕うものは何の役にも立たない。彼らの仕えるものは、見ることもできず、知ることもできない。彼らはただ恥を見るだけだ。

だれが、いったい、何の役にも立たない神を造り、偶像を鋳たのだろうか。

見よ。その信徒たちはみな、恥を見る。それを細工した者が人間にすぎないからだ。彼らはみな集まり、立つがよい。彼らはおののいて共に恥を見る。

ですから、彼らが自分の神に祈っても それはむなしく恥を見るだけですが、聖徒たちの祈りは むなしくなることも、恥をかくこともありません。


聞いて答えて下さる神がおられるからです。

聖書には祈りの答えがいっぱいです。


神は喜んで聖徒たちの祈りを聞き、答えて下さいます。

祈らないと特権を使わないことですので損をします。




復活の特権





【第1コリント15章43-44節】

卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、

血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。

復活は永遠のいのちの始まりです。

イエス・キリストがよみがえられたことで、この特権が聖徒にも与えられました。


私たちも、いつかキリストと同じ体になります。

時間や空間の制約、そして朽ちることもない体に復活するのは聖徒だけの特権です。


信じないものは永遠の死ですが、聖徒は永遠に死の支配を受けることがなく、キリストのように死の力を打ち破って復活します。


自分が死んで復活することは、今はどのようなものか想像も出来ませんが、その日には喜び踊る者になると思います。




天国に入る特権




天国は聖徒たちのために主が備えて下さった場所です。

聖徒以外の人は、入ることが許されない場所です。


そこは神がおられる場所で、神が聖徒と共に永遠に住む場所です。

死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない場所です。


信じない人は、どんなに入りたくても入ることが出来ません。


入りたいならば生きている時に、罪を悔い改めて、イエス様を 自分の救い主として心に迎え入れ、聖徒になれば入れます。

天国はお金があるから、良いことたくさんしたから、立派な人だから入れるのではなく、信仰で入る国です。


神を信じて、天国を信じて入る準備をした人が入る所です。

自分を聖徒と思っても、準備出来てない人は入れないです。


天国のたとえで使われた “10人の花嫁の姿” を思い出して下さい。

10人の花嫁は、花婿である主を待ち続けていました。


賢い5人の花嫁はいつ花婿である主が来られても迎えられるように、ともしびと油の備えをしました。


しかし愚かな5人の花嫁は、花婿がいつ来るかもわからないのに、ともしびだけを準備し、油の用意はしていなかったです。

花婿が来るのが遅くなり、今にも ともしびが消えそうになりました。


それで油を買いに行っている間に 花婿が来られて、そこにいた賢い5人の花嫁だけが結婚式場に入りました。

油を買いに行った愚かな5人の花嫁の姿は哀れでした。

彼女たちの様子を次の箇所で見ます。


【マタイの福音書25章11-12節】

そのあとで、ほかの娘たちも来て、『ご主人さま、ご主人さま。あけてください』と言った。

しかし、彼は答えて、『確かなところ、私はあなたがたを知りません』と言った。

天国に入ることが出来ず、外の暗やみに置かれてしまいました。


せっかく天国に入る “特権” があったのに、その場にいなかったために、特権が無効になってしまいました。


その特権が認められず、残念な姿でした。

このようになって、聖徒の特権を失う者も実に多いです。


“目をさまして、身を慎み、用意していなさい” と言われた通りにしている聖徒が、天国に入り、言われてもそのようにしていない聖徒は、特権を使うことが出来ません。

世を愛して放蕩生活をしている人に、“天国の扉” は開かれません。


聖徒として準備した人は、問題なく天国に入ります。


このように聖徒としてどのような特権があるかを知り、いつ それを使うかを知って使う人が賢い聖徒です。

神が与えて下さった特権としての祝福をすべて自分のものにしていきましょう。

(・◇・)ゞ

2016.9.25
聖日礼拝メッセージ

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初めの愛を回復するために

テーマは 『 初めの愛を回復するために 』 です

【ヨハネの黙示録2章4-5節】

しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。

それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその所から取りはずしてしまおう。

信仰生活にも定期的に点検が必要です。


なぜなら、問題があるならば早くそれを直していかないと知らぬ間に重い病気にかかって大変なことになるからです。

放置していいものと放置してはいけないものがあります。


信仰生活が無気力、無感覚になり、喜びも平安もなく、新しく実が結ばれることもなく、信仰生活そのものがしんどく、神との関係も遠くなったような気がするならば、何よりも自分とイエス様との間に問題が生じたことに気付くことです。


信仰生活のほとんどの問題は、自分と主との関係に異変が起きたからです。


それを解決して信仰を立て直していかなければなりません。



今日のことばも 本人が気付いたのではなく、主からの診断でした。


初めの愛から離れただけで 主との関係に大きな問題が生じました。

主が非難したことはそれが罪だからです。


罪じゃないと(神様が)非難することも、悔い改めなさいと言うこともありません。


信仰が回復してほしいので “悔い改めなさい” と言われました。


どのように初めの愛を回復出来るかを今日は学びます。




◎失われた初めの愛を悔い改める




初めの愛がある状態は、すべてにおいて心も思いも尽くして主と共に歩みます。

それが一番の関心で重要なことだからです。


その時は主と共にいることがとても楽しいです。

教会に行くのもとても楽しいですし、聞く耳も開かれています。


しかし、ある時から主を忘れて生活する時間が増え始め、他のことで忙しくなります。


サタンは私たちを誘惑する者ですが、あらゆる方法を使って私たちをイエス様のいない忙しい生活に導きます。


そのことに気付かせず、主との時間を減らしていきます。


心ではイエス様との時間を持つことの大切さを知っていますが、だんだんと他のことで忙しくなり、主のために時間を使わなくなります。
ここから問題が生じます。


【ヨハネの福音書15章6節】

だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。

イエス様にずっと とどまることが大切なのに、とどまる時間が少なくなっていきます。

他のことに心が取られたり、他のことで忙しくするようにサタンは働きます。


イエス様と分離されていると 不幸になることもよく知っているのに、仕事に縛られたり、時には自分の快楽を求めて主との交わりをおろそかにします。


生活も守っていかないといけないからと人を喜ばせたり、自分を守るためにだんだん主に対して関心が無くなっていきます。

すると主と共に過ごす時間が減るために主を失ってしまいます。


主との間に様々なものが入り込んできます。

すると信仰生活がだんだん義務的になり、つまらなくなり、喜びも無くなってきます。


それを立て直すためには悔い改めが必要です。


どこから落ちたのかを思い出して、要らないものを捨てて時間を作って神の前に出て、その方と会話をしなければなりません。


主と再び愛し合うには ずっと主から目を離さず、会話を増やさないといけないです。


すると私たちの心に主の平安、愛、いのち、力が臨むようになります。

主に対して、教会に対して、とりなしに対して、奉仕に対して無関心になったことは愛で反応していないことです。


初めの愛を回復するためには、必ず “無関心” が罪であることを悟って、無関心を捨て、主を見上げなければなりません。

面と向かってイエス様に敵対するより、主の心を痛めつけるのは主に対する無関心です。


必ず私たちはこの罪を悔い改めないといけないです。

悔い改めないと、たとえ生きているとされても死んだ状態です。

すなわち霊的死です。




◎避けたくなる十字架を負う




イエス様に従いたいならば、弟子になりたいならば、成長したいならば、自分の十字架を負わなければなりません。


イエス様は私たちを愛する心で十字架を負ってカルバリの丘に上って行きました。

その主が私たちに自分の十字架を負ってついて来なさいと言われました。


私たちが十字架を負うならば 主が共に負って下さいます。

イエス様自身が先に十字架を負いましたので、十字架の痛みを知っておられます。


主が共に負って下さらないと、私たちが倒れるので 主が共に負って下さいます。


しかし私たちは十字架を負いたくないので十字架を避けようとします。
これが主への愛が冷めるきっかけになります。


十字架を避けて楽な道を歩みたい欲望が 私たちの中にあります。

この欲望は、主から来たものではなく、サタンから来たものに気付かないといけないです。


イエス様が十字架の死を話した時に、ペテロはすぐさまイエス様を止めました。

「そんなことがあってはいけない」と。

そして十字架を負わないように勧めました。


すると主は「下がれ。サタン。」と厳しく言いました。


今も私たちに十字架を負ってはいけないと誘惑をするのはサタンです。


「楽な道を歩んだら良い。苦難はイヤだろう。重い十字架は負わなくていい。避けたらいい。」と、まるで 私たちの味方のように親切に言います。


これは甘い誘惑です。

主はそれとは違って「自分の十字架を負って私に従いなさい。」と言われました。


十字架を負うことは私たちにとって良いことです。

私たちが地上で主のために十字架を負うと、その十字架は天国への喜びに変わります。


十字架を負うことは永遠の命にかかわる重要なことです。


サタンはそれを知っています。

サタンは、十字架を負いたくないすべての人を、自分の所(地獄)に連れて行きます。


そこには十字架の苦しみと比べられない苦しみが待っています。


サタンは私たちが十字架の道を歩まないように、あらゆる手段を使います。

私たちが永遠の命も永遠の喜びも受けてほしくないからです。


主が私たちの十字架を共に負ってくださるので、私たちはその中で以前は味わったことのない霊の喜びを感じることが出来ます。


主が与えてくださる十字架には、必ず慰めと助けがあります。


その方の愛と助けを信じないと 十字架を負う気がなくなり、十字架が耐えられない苦しみに感じられます。

そうなると本当にみじめな状態になります。


十字架が来た時は「主よ。感謝します。受け入れられるように恵みを下さい。十字架を負って喜んで耐えられるように恵みを与えて下さい。」と祈り求めることです。


苦難は、主と深い交わりが出来るチャンスでもあります。

苦難の時に、私たちは主しか頼れる所がないからです。


十字架の中には豊かな実があり、栄光があります。

十字架の中に勝利と復活があります。


産みの苦しみなしに新しい命の誕生がないのと同じです。


十字架は、私のたましいを この地上から解放して天国に導く有益をもたらします。




◎勝利を与える主の力に頼ること




私たちは自分の怠けさと罪との霊的戦いをしなければなりません。

勝利に戦いはつきものです。


「面倒くさいから今のままでいいんじゃないか?」と思う人に勝利はないです。


このままではいけないと思いながらも 悩むだけで何もせず、後回しにする人は どんどん信仰が弱くなり、無気力になっていきます。
そしてサタンに支配されます。


イエス様もサタンとの激しい戦いをして勝利しました。


ですから、私たちにも勝利出来る力を与えて下さいます。

力を与えたいと願っておられます。


私たちが毎日主の名を呼び、主に頼るならば、その力を得ることが出来ます。


主は私たちを贖う方、助ける方、力を与える方です。

それに対する信頼が必要です。


私たちが主の中にとどまり、主の弟子になるならば、私たちの人生の中に命と豊かな実を結ぶように働いて下さいます。


勝利は主の中にとどまる時だけです。

イエス様は何よりも私たちが主と共にいることを願っています。

そして私たちの愛を願っています。


弟子たちは自分だけの力では勝利することは出来ませんでした。


しかし一日中イエス様のことを考え、主を愛し、主の愛から離れなかったので、自分たちの心を守ることが出来ましたし、信仰を守ることも出来、主を裏切ることもありませんでした。


自分が毎日、主の中にとどまっているのか、主を愛しているのか、主のために犠牲を払う準備が出来ているのか、負うべき十字架を負っているのか、主に対して関心があるのかなど点検してみて下さい。


そして一つ一つ悔い改めながら立て直して下さい。

私たちが自分の中にある問題点に気付いて、主との静かな時間の中で主の前に出て行くならば解決されていきます。

主の前に出ない限り、ますます状態は悪くなっていきます。


主のことばのようにやってみて下さい。
(・◇・)ゞ

2016.8.28
聖日礼拝メッセージ

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愛を見せなさい

テーマは 『 愛を見せなさい 』 です

【ヨハネの福音書14章21節】

わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現します。」

男性は愛を見せることがあまり上手ではないところがあります。


“言葉で言わなくても見たら分かるだろう” と勝手に思います。

女性は度々「愛している」という言葉を聞きながら、相手の愛を確認して幸せを感じ安心感を得ると言われています。

それは別に男性を疑っているわけではないです。


夫は、妻が愛のことばを言ってほしいと言われると、うっとうしいと思いますが、女性の心理を知って 理解するのが良いですね。


女性は愛されたい気持ちが強いので 愛を確認したいですし、男性は尊敬されたい思いが強いので 愛のことばよりは 尊敬のことばに感動するそうです。


イエス様は男性でしたが、やさしく愛をよく現していました。
心がとても温かい方でした。


愛は、無言で また何もしなくても感じるものでしょうか?


神様さえも私たちを無言で何もせずに愛したのでなく、行動で愛を現しました。


愛が本当にあるならば、それは必ず見える形で現れます。

ですから神は “愛を見せなさい” と語りました。


イエス様の告別メッセージには、特に “愛” に関することばが多かったですし、それが重要なテーマでした。


本文でも「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。」と語りました。



また、次の箇所にはこのように語っておられます。


【ヨハネの福音書13章34節】

あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

【ヨハネの福音書14章15節】

もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。

【ヨハネの福音書14章23-24節】

イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。

わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。

【ヨハネの福音書15章12節】

わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。

イエス様はこのように “愛すること” が新しい戒めであると明確に教えて下さいました。


私たちは 愛し合うという新しい戒めを、どれほど守っていますか?


さらに、“神を愛すること”、“互いに愛すること” は切っても切れない関係であることが次の箇所に書かれています。


【第1ヨハネ4章7-16節】

愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。

愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。

いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。

神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。

私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、今そのあかしをしています。

だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。

私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。

愛を軽く考えてはならないことが、これらのことばでも分かりますね。


愛はことばだけで伝わるのではなく、イエス様を愛する人は主の戒めを守ることで、主への愛が証明され、互いに愛することで神への愛がその人の中にあることが証明されます。


愛は、いのちある種です。

蒔かないと実が結ばない種です。


主の名によってどんなに素晴らしい働きをしても 愛が抜けてあるならば、いのちの実がない葉っぱばかりの働きになってしまいます。


それは実を結ぶことを期待する主を裏切ることになります。


【第1コリント13章1-3節】

たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。

また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値打ちもありません。

働きと賜物も重視しますが、それを価値あるものにするのは “愛” です。

愛のないものは主が受け取らないです。

この世の評価は すべて結果ですが、主の評価は “愛があるかどうか” です。


なぜ主は、愛で評価をするのでしょうか?

愛は結果ではなく “方向” だからです。


結果ばかり考える人は、目指す方向が “結果” ですから、働きや賜物を重視し、そこにいつも目を向けます。

ですから確かに結果はついてくると思います。


しかし主を愛する人は、愛の対象である “主” に目を向けます。

つまり 愛の方が働きよりも優先です。


ですから、いつも目も心もイエス様に向けます。
その人たちは、イエス様から目を離しません。



【ヘブル12章2節】

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。

このように私たちがどこに目を向けるべきかを教えて下さいました。


愛は、愛の対象に関心があり、そこにすべてを向けます。

主がそのようにしました。


働きよりは 人に関心を示し、人を愛することがいつも優先でした。

私たちもそうあるべきであると主は教えました。


マリヤとマルタ姉妹のことは皆さんも知っています。

マルタは働き者です。
しかしマリヤは怠けているように見えました。


なぜならマルタは忙しく回っているのに、マリヤはイエス様の足元に座ってイエス様を見ながら話を聞いていたからです。


手伝わないマリヤを見て、マルタは腹が立ってイエス様にその不満をもらしました。

しかしイエス様からは意外なことばが返って来ました。


【ルカの福音書10章41-42節】

「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。

しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」

多くのクリスチャンが“マルタ状態”かも知れません。


熱心な人は主のために何かをしようとあれこれとやりますが、それが段々しんどくなり、主に会うと文句を言います。


ある人は、自分の仕事や遊びが優先で主と会う約束をいつも破ります。

礼拝や祈りの時間は主と先約した時間です。


しかし、よく破るのでイエス様はその人に会えないです。


イエス様は愛する人を待っているのに、その人が来ないと寂しい思いをします。


主が一番願うのは、私たちが主を愛することです。


そして主との時間を大切にし、主のことばに耳を傾けることです。

そして聞いたことば通りに行動することです。


これが主を一番喜ばせることです。


主を愛する時間もない人は、主を忘れ、いつか主も「あなたが誰なのか知らない」と言います。


いつも主を愛して共にいますか?
それとも忘れていますか?遠く離れていますか?


聖書でマリヤとマルタの姿を見ても、マリヤの方が主への愛が強いように見えます。


主を愛するのでイエス様から目を離さないでいましたし、主のことばは彼女には一番のごちそうでしたので、みことばを消化していました。


主を愛する人は 主の戒めをないがしろにせず守ります。

それは当然ですね。






ベロニカという女性が主の恵みによって地獄と天国を見学しました。

地獄に多くのクリスチャンがいる姿を見てとても疑問でした。

クリスチャンがいるとは思ってもみなかったからです。


それで 主にその理由を聞きました。


主の答えは「彼らはわたしを信じてはいたが、わたしのことばに従って生きることはしなかった。
多くのクリスチャンが教会の中、家族の前、知り合いの前だけおとなしく行動しているが、彼らは自分自身をいつも騙しながら生きているのだ。
私の父の目はすべてを見ているし、どこでもすべてのことばを聞いているのだ。」でした。


形式的で愛の冷めた結婚生活のような信仰生活を 主が喜ぶでしょうか?


主がもっとも望んでおられるのは愛の関係です。

主の愛は熱い愛なので、なまぬるい愛では満足しません。

“あなたの愛を見せなさい” と言われます。


信じる者として生きることは、愛の関係をずっと保っていくことです。


愛すれば愛するほど 心も霊的にも豊かになります。

そこから多くの実が結ばれていきます。


愛は話したり、考えたり、感じたりする以上のものです。

愛の関係が必要です。


イエス様は、私たちを愛して十字架に架かると話しただけではなく、実際に架かりました。

いのちを実際に捨てました。


喜んで自分を与えるのが愛です。

私たちのために十字架を負った主が語ったことばがあります。


【マタイの福音書16章24節】

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

主を愛する者ならば 自分の十字架を負って主についていきます。


ある教会で 主の教えとは違って人間的な思いで「こんなに苦労の多い時代に 教会の中でも重たい話を聞くならば ストレスガ溜まって死にます。教会では慰めと平安と安息を得なければなりません。」といつも祝福のメッセージだけを伝えるところがあります。


主の十字架は愛です。

私たちを愛したので死にました。


私たちが負う十字架も愛の十字架です。主への愛です。


自分のストレスの方がもっと大切で、自分が負う十字架を嫌がって拒否することは 主を愛していない証拠です。


愛する人には十字架は決して重荷ではないです。

育児は大変ですが、それを重荷と思って育児を拒否するでしょうか?


大変でも子どもを愛するので犠牲を喜んで払います。

他の理由はありません。


主を愛する人は自分が負う十字架を見るのではなく、愛する主を見て、自分も十字架を負います。


イエス様に対する自分の愛に偽りがあるならば、それは愛ではないです。

愛のない者に主は分からないとまで言われました。


主を愛する者は 父なる神に愛され、イエス様にも愛されます。


愛の本質は まぎれもない愛です。

愛がないならば、それは値打ちも本質も中身もない形だけのむなしいものになります。

互いに愛することで私たちが主を愛していること、そして神を知っていることが分かります。


主を愛していますか?互いに愛していますか?
愛の実が結ばれていますか?


それとも自分だけを愛しながら満足していますか?
Σ(`□´/)/

2016.5.8
聖日礼拝メッセージ

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