からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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イエス・キリスト

失敗しない信仰生活

テーマは 『 失敗しない信仰生活 』 です

【ヘブル12章1-2節】

こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

今回のメッセージタイトルは「失敗しない信仰生活」ですが、なぜこのようなタイトルにしたかと言うと、「信仰生活に失敗も成功もない」と思っている人が多いからです。


たとえば日本では信仰を持っていない人でも、“死んだらみんな天国” という発想がありますね。

ですから 信仰を持っている人は、さらに自分は天国は間違いないと確信を持っているので、果たしてそうなのか?ということを確認したいと思います。


あなたの信仰生活は大丈夫ですか?と聞きたいです。


1節に、「このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから」と ありますが、彼らは誰でしょうか。そしてなぜ私たちを取り巻いているのですか。

彼らは私たちの何を見ているのでしょうか?


多くの証人たちとは、へブル11章に書かれている信仰の先輩たちで、キリストの証人としての働きを全うした人たちです。

すなわち神に勝利者として認められ、天の御国に入れられた人たちです。

信仰を全う出来なかった人たちはその中にはいませんでした。


天にいる彼らは 主の恵みによって、私たちのことを天から観察しています。

彼らは信仰によって生きている後輩たちを応援するために、エールを送っています。


彼らが見ているのは、私たちの信仰の競争です。


大勢が参加する競走を見ると、最後まで全うする人、途中で棄権する人、脱落する人が必ず出てきます。

棄権や脱落する人は、信仰の競争を全う出来ず失敗した姿です。

誰がそこに入るかは分かりませんが、必ずいます。






私たちが棄権や脱落をしないためには、どのようなことに気をつけなければならないでしょうか?


まずは、いっさいの重荷とまつわりつく罪を捨てることです。


いっさいの重荷を捨てることは、信仰生活を妨げるすべてのものを捨てる事であり、まつわりつく罪を捨てることは、徹底的に罪を悔い改めることです。


これをやらないと、その信仰生活は必ず失敗に終わります。

教会に通うだけで何とか済ませるようなことではないです。


信仰の競走が何年、何十年前にスタートしたのに、いつも同じ状態ならば、未だにその人は この2つに係わっています。


そのような人は、信仰の妨げになるものがあっても そのままにしていますし、罪に対しても甘い考えを持っています。

この2つを持っている人は、真の信仰とは何か?そして御言葉通りに生きることが どのようなことであるのかを知らない人です。


それは怠けた姿であり、やる気がまったく見えない姿です。

そして不信仰で 形式的に信仰生活をしているので、神はその人を見て “怠けた悪いしもべ” と言います。


みなさんはいつも罪を捨てるための悔い改めをしていますか?


現代教会の大きな問題は、罪と悔い改めのことを叫ばす、信徒の耳に良いことばや世の価値観と妥協するメッセージだけを伝えることです。


牧師が神を意識せず、信徒の表情を意識するならば 罪と悔い改めのことは語りません。

みことばを正しく教えないので、信徒が罪の意識も持たず、何を悔い改めたら良いのかも分かりません。

これはとても危険です。


罪を捨てないで信仰を全うすることができるでしょうか?

罪を悔い改めないと、その人は罪人の姿のままです。


罪を洗う主の血潮は 悔い改める時に注がれますが、悔い改めないならば 罪は洗われることなく、そのまま残ってしまいます。


全身汚れた姿で主の前に立つことが出来ますか?


その姿が天国にふさわしくない姿であることは自分でも分かると思います。

罪を捨てず、罪を犯し続ける姿を堕落した姿と言います。

その人たちに対することばがあります。



【へブル6章6節】

しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。

例えば ずっと盗みの罪を犯し続けているならば、その人はイエス様の手に釘を打ち続けているのです。

また 思いの中で罪を犯し続けているならば、主の頭に いばらの冠を載せ続けているのです。


そうしながらも、いたずらに主の名を呼ぶことはあってはならないことです。


そしてどんなに辛くても信仰の競走は忍耐をもって走り続けることです。


イエス様は自分の十字架を最後まで負いました。

その十字架は、罪を犯したから負った十字架ではなく、悪い人たちが負わせた十字架でした。

正しいことをしたのに迫害されて負わせられた十字架でした。


主が最初から私たちに語った言葉がありました。



【マタイの福音書16章24節】

だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

この十字架は自分が犯した罪によって負う十字架ではなく、信仰のために負う十字架、悪い者から受ける迫害の十字架です。


この場合は忍耐しながら最後まで十字架を負ったイエス様のように十字架を負わないといけないです。


忍耐に対して次のように言われました。



【ヤコブ1章2-4節】

私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。

信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。

その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。

この忍耐がないと試練の時に倒れてしまいます。


忍耐のために私たちは、私たちを取り巻いて応援する証人たちを見、そして励ましを受けることです。
そうすると、力が得られます。


【ヤコブ5章10-11節】

苦難と忍耐については、兄弟たち、主の御名によって語った預言者たちを模範にしなさい。

見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いています。また、主が彼になさったことの結末を見たのです。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです。

試練の中でも忍耐して信仰を守り、神のことばに従順した人が証人であり、その人たちが信仰を全うしました。


祝福は受け入れても、苦難を拒む人は信仰の失敗者になります。






失敗しない信仰生活のために、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てること、そして忍耐することも重要でありますが、もっとも大切なことはイエス様から目を離さないことだと教えています。


信仰そのものがイエス様を信じることなので、イエス様を見ることは当然でありますね。


しかし見ていない人が多くいます。目を違う所に向けています。

これが失敗の原因になります。


信仰生活において、生きる目的や 目指す目標も すべてイエス・キリストに焦点を合わせないと、競走の道から外れてしまいます。


イエス・キリストに焦点を合わせないすべてのものは間違えています。


信仰生活も、天国だけに目標を置くならば、それも間違いです。

教会を大きくしたくて、教会成長だけに目標を置くならばそれも間違いです。


目標はあくまでも、“イエス・キリスト” でなければならないです。


イエス・キリストに焦点を合わせて信仰生活をするならば、天国には間違いなく入れますし、教会も成長していきます。


証人たちはイエス様から目を離さなかったので、試練の中でも忍耐し信仰を全うすることが出来ました。

イエス様の十字架の勝利を見たので自分たちの十字架を最後まで負うことが出来、そしてイエス様が受けた栄光を見たので、喜びながら競走を走り続けることが出来ました。


イエス様だけを求め、見つめ、思う人は つまずくことも競走にやぶれることも脱落することも失敗することもありません。

しかし目を離してしまうと、その反対のことが起こります。


イエス様から目を離さず、すべての目標もイエス様に定め、すべての焦点もイエス様に合わせましょう。

これ以外に失敗しない方法はありません。
v( ̄∇ ̄)v

2015.10.18
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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キリスト教とイスラム教の違い

【ヨハネの福音書3章16-21節】

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。

御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。

そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。

悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。

しかし、真理を行う者は、光のほうに来る。その行いが神にあってなされたことが明らかにされるためである。

イスラム諸国やイスラム教に対しては毎日聞いていますが、その内容はニュースでもあまり教えないので、今日は正しく学びたいと思います。


イスラム国が「キリスト教との宗教戦争」と勝手に言い出して戦いを挑んでいますが、 彼らの姿がイスラム教を代表しているのではありません。

先入観だけでイスラム教を誤解するのではなく、彼らが信じている宗教とキリスト教とは何が違うのかを知ることが大切です。


現在、約12億人のムスリムが存在するとされています。
それは世界人口の約5分の1に相当します。

そしてその数は増加しています。


いずれはキリスト教を抜き、世界最大数の教徒をかかえる宗教となる見込みです。




創始者について



<イスラム教>

ムハンマド :
彼は40歳の時に、メッカの近郊にあるヒラー山の洞窟で、大天使ジブリール(ガブリエル)から預言者として選ばれ、それから23年の間、断続的に啓示を受けたという。


<キリスト教>

イェス・キリスト :
旧約聖書で預言されたメシアであり、聖霊によって神の子として生まれる。


【ルカの福音書1章26-33節】

ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。

この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。

御使いは、入って来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」

しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。

すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。

ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。

その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。

彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」



信仰の対象



<イスラム教>

アッラー(神:唯一絶対神を指す言葉・・・イスラム教によればアッラーはキリスト教とユダヤ教が信じる神と同じ神。 アラビア語を母国語として使うキリスト者は神さまをアッラーと呼ぶ。


<キリスト教>

父なる神、イェス、聖霊(三位一体の唯一神)


【Ⅰテモテ2章5節】

神は唯一です。また神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イェスです。




聖典



<イスラム教>

コーラン(イスラム教徒はモーセ5書[ 創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記 ]、詩編、イエス・キリストの福音書を信じる。しかし自分たちが信じるコーランが優先と主張する)


<キリスト教>

旧約聖書、新約聖書




信仰の規範



<イスラム教>

信仰告白: “アッラーの他に神なし。 ムハンマドはアッラーの使徒なり。”という言葉を唱える。

ムスリムは日に5度の礼拝の度にこの言葉を唱え、不動の信仰心を養う。

イスラム教は1日5回の礼拝、年に一度の断食(ラマダン期間)、巡礼、ザカート(慈善)が義務となっている。


<キリスト教>

信仰告白:

【ローマ書10章9-10節】

なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。

人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。




罪と救いに対して



<イスラム教>

イスラム教規範を厳格に守ることと、救いは自分の努力で得られると教える。


<キリスト教>

主の名によって罪を悔い改めるならば許される。

救いは自分の罪を悔い改め、キリストを自分の救い主として信じて受け入れる時に神の恵みによって救われる。

自分の努力や律法を守ることでは救われない。




教理の相違点



-神様について-

キリスト教とイスラム教で共通する神は全知全能、主権者である。

しかし違う点は、アッラーは人格を持っている神でも、愛の神でも、恵みの神でもなく、さばきの神、怒りの神である。




-聖書について-

イスラム教徒は聖書が神から来た聖典とは認めるが、自分たちが嫌うところが出ると拒否する。

聖書の内容でコーランと一致するものは真理と言うが、違うと聖書が歪曲されたと言う。




-天国と地獄について-

<イスラム教>

終末論においても、やがて世界の終末が訪れ、神による最後の審判を経て、天国または地獄に行くことは同じであるが、イスラム教はアッラーとムハンマドに従った人は天国へ行くが、イスラム教に反対した人は地獄の刑罰を受けるという。

アッラーと預言者は信じたが自分が犯した罪が贖われず死んだ人はしばらくは地獄に行くが一定期間刑罰を受けた後にアッラーの慈悲によって解放されて天国に入ると教える。


<キリスト教>

【ヨハネの黙示録20章11-15節】

また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。

また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。 死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。

海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行いに応じてさばかれた。

それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。

いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。

【Ⅰヨハネ5章20節】

しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。
 

2015.2.22
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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イエス様を誰だと思いますか?

テーマは『 あなたはイエスをだれだと思いますか 』です

【マタイの福音書16章13-15節】

さて、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々は人の子をだれだと言っていますか。」

彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも 言っています。」

イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」

皆さんは、イエス様をだれだと思っているでしょうか。
多くの人々が1人のイエス様を見て、色々な言葉を使って表現しました。

「わたしはイエスをこのように思います。」

これは人間として来られたイエス様なので、実際に目に見えていたので、人々の心にはそれぞれの心がありました。
当時の人々は、イエス様のことをヨハネやエレミヤだと言う人たちがいました。

今の世の中の人たちに聞くと、「キリスト教の神様でしょう?」「外国の神様でしょう?」と、私とは関係がないと言います。

イスラム教の人に聞くと、彼らは知っているので「預言者の1人だと思います。」と答えます。
イエス・キリストを否定するわけではないですが、彼らはアッラーの神を信じていますので、それを紹介したマホメットよりも下にいるのがイエス・キリストという預言者の1人だと思っています。


大切なことは、イエス様は「あなたはどう思っているのか?」であります。
それによって私たちに救いがあるか、ないかが変わってきます。

毎年 クリスマスを祝う人はいますが、ある人は何も考えずに祝っているのです。
「喜びの日だから遊ぼう。お酒を飲んで、チキンとケーキを食べて楽しくしよう。」と思っている人が多いです。
イエス様の誕生日であることも知らず、イエス様を招かないのです。

私たちは肉体をもって地上に来られた時のイエス様をどのように思っているのでしょうか。
今は復活されて天におられますが、どのように思うかによって、私たちと神様との関係が全く違います。




①一番大きい方であるのに、一番小さい方として、この地上で生きていた


一番大きいということは、イエス様は創造主であるということです。全知全能なる神様であり、そこにあるものは支配と権威であります。
王の王、主の主ということは、それよりも上に立つものはないのです。

それなのに、地上におられた時にイエス様は一番小さい者として歩んでいました。
30年間 大工をしていましたが、時が来たときに福音を宣べ伝えながら奇跡を行いました。その時から人々に知られるようになりました。
一番初めに目をつけた人たちは 宗教指導者たちでした。
人々が驚くほどイエス様が語る言葉には権威がありましたので、宗教指導者たちがイエス様を迫害するようになりました。

それでもイエス様はその人たちと戦ったでしょうか? ―― 戦ってはいないです。
何も言わずに黙って、対決することを避けていました。

そして、十字架に架かる前に捕らえられた時は政治が絡んできました。植民地でありましたので、ローマの相続であるピラトのところへ連れられてきました。
そこで宗教指導者たちは偽りの証言をしながら訴えていました。しかしイエス様はピラトに何も語りませんでした。


イエス様は権威あるお方でありましたが、その権威に力を持って戦ったことが無かったですし、その権威を前にひざまずいたこともなかったです。
「わたしが死ぬことが父のみこころである。」と世の権威に対しても黙っていました。一番小さい者のように黙って自分の命を差し出しました。

本当は 王の王で、誰も逆らえないのですが、自らそれらを全て捨てて罪人や奴隷のように自分自身を低くしました。

実際に罪を犯した人でも、自分の無実を訴えます。イエス様はこのままでは死ぬということが分かっていても権威にはひざまずかなかったです。

ピラトは、イエス様には罪がないのに黙っている姿を見て びっくりしました。




②一番偉大な方なのに、一番卑しい人のようにこの地上で過ごしていた


【ピリピ2章6-8節】

キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、

ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、 人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、

自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。

天にいる時と全く違う姿で、地上で30年間 大工の仕事をしながら、本当の意味では繋がりのない家族を養っていました。

その後 3年間、人々はあまりにも素晴らしい奇跡を行うイエス様でしたので、王様として立てようとしましたが「わたしは仕えるために来ました。」と毎日彼らに仕えていました。

イエス様が捕えられた時に、どれほど人々から悲惨な目に遭っているのか 皆さんも分かると思います。
もし私たちも同じようなことをされたとしたら、カァ~ッと頭に血が上って その者に向かって敵意を持って戦うと思います。
今は学生が先生に平手打ちをされたら社会的に大きな問題になっています。


全ての誉れと賛美を受けていたイエス様がムチで39回打たれて身体が裂けました。私たちがその場にいたとしたら人々と同じことをしたと思います。

良い時は「主よ、感謝します。」と言いながら、気に入らない時はイエス様に不平不満を言います。これはイエス様をムチで打つことと同じであります。


【イザヤ書53章3節】

彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。

人々から蹴られたり はずかしめを受けたりしましたが、イエス様は黙っていました。私たちだったらその場から逃げると思います。
イエス様が一番卑しい人として生きていたことを知ることが出来ます。




③一番豊かなイエス様でしたが、地上では一番貧しい者になっていた


本来、創造主ですので天や地上の全てのものの所有者であります。私たち人間も所有されているものです。
しかし、イエス様は何も持っていない者として地上に来られました。

イエス様は金持ちや政治家と仲が良かったでしょうか――? 彼らからは憎まれていました。
イエス様はいつも困っている者たちと一緒にいて 彼らを助けていました。

宗教指導者たちは近づいたら汚れるからと、その者たちに近づかなかったです。しかしイエス様は自らが近づいていきました。


【Ⅱコリント8章9節】

あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。 それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。

私たちのために貧しい者になりました。ですからイエス様は金持ちの人たちに対して厳しい言葉を言いました。
なぜなら彼らは 富をもって贅沢に暮らしますが、本当に困っている人たちに対しては無関心であったので、それが大きい罪でありました。

私たちは大きいことをしたいと願うのではなく、私たちはイエス様からたくさんの恵みを受け取りました。
それはイエス様の方から私たちに関心をもって 友となり、悩みを聞き、憐れんで愛を示してくださいました。




イエス様はすべての権威と力を持っていても、それを私たちのために無い者のように生きたのですが、イエス様が1つだけ権威を使い強かった部分がありました。


④サタンに対して強かった


サタンが持っている死の力も、ご自分の命を捧げて、それから復活したことによって勝利しました。
それは自分の力を見せるわけではなく、捕らえられた人々を助けるためにイエス様は見せてくださいました。

私たちがイエス様から学ぶ姿は、最も小さな者として生きることであります。

権力に頭を下げず、一番最高のイエス様に頭を下げて、この世の権力にペコペコするのではないです。

そして、私たちは一番卑しい者のように生きるのです。
それは謙遜にならないと出来ないことであります。

困っている人たちがたくさんいるので、その人たちの力になること、慰めや助けになるために生きるのです。人々を差別をしたり蔑むのでは、何一つ良いことがありません。

イエス様は今も聖霊を送って日々私たちを助け、恵みを与え、愛し守ってくださる方であります。 (*´∇`*)


2013.12.22
クリスマス礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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