からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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イエス

神のラッパが吹かれるとき

テーマは 『 神のラッパが吹かれるとき 』 です

【第1テサロニケ4章16-18節】

主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、

次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。

本文は、主を信じる者を迎えに 空中再臨する主の様子と その時に起こることを話しています。


その中で、それを知らせる神のラッパが響き渡ることが書かれてあります。

全世界で耳鳴りがするほどの大きな神のラッパが吹かれると思います。

その時、大喜びをする人もいますが、不安と恐怖で気を失う人も出てくると思います。


主を迎える準備が出来ている人は大喜びし、何の準備も、何が起ったのかも知らない人たちにとっては最悪の恐怖の日になるでしょう。


聖書では、神のラッパが いつ吹かれるのかを教えていますので、今日はそれを学び ラッパが吹かれた時に聞き分けて、すぐに行動を起こしたいです。




携挙のラッパ




イエス様が必ず再臨すると信じていますか?


私は信じます。

主は “必ず再臨する” と約束しました。


空中再臨と地上再臨があります。

本文は、空中再臨のことです。


その時、主の再臨を準備していた人たちは大喜びで外に出て空を見上げると思います。

主が雲に乗って来られると語りましたから。


その神のラッパは、これから主との婚礼が始まるという素晴らしい知らせです。


その恵みを受ける人は このような人です。


【第1テサロニケ5章6-7節】

ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。

眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。

光の子どもらしく歩んだ人は、この時に一挙に空中に引き上げられ、そこで主に会いますが、夜や闇の者であるならば地上に残されます。


マタイの福音書25章にある10人の娘のたとえで花婿を迎える準備がしっかり出来た5人の花嫁は婚礼の祝宴に入り、中等半端に準備した5人の花嫁は祝宴に入ることができませんでした。


まったく準備をしていない人は信じない人ですが、中等半端に準備した人は “クリスチャンの仲間” でした。

そのような人たちは 残念ながら地上に残されます。




キリストの到来を告知するラッパ




【マタイの福音書24章30-31節】

そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。

人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。

そのラッパがキリストの到来であることがすぐに分かった人は幸いです。

他の人の耳に聞こえる神のラッパは、裁きの始まりを告知するものですから悲しみがいっぱいです。


信じて準備した人に対しては、“キリストが来たので 喜んで急いで出てきなさい” と民を集めるラッパに聞こえます。




神の臨在の前に 人を招集するラッパ




【出エジプト記19章16-17節】

三日目の朝になると、山の上に雷といなずまと密雲があり、角笛の音が非常に高く鳴り響いたので、宿営の中の民はみな震え上がった。モーセは民を、神を迎えるために、宿営から連れ出した。彼らは山のふもとに立った。

旧約時代では、人を集める時にもラッパを鳴らしました。

それを聞いて人々は集まって来ました。


主を礼拝するためや、宗教的出来事を祝うため、祭りをするために ラッパの音を聞いて集まりました。


礼拝がある日曜日は、自分が遊ぶための日ではなく、主の日です。

神の臨在の前に出て神を礼拝する日です。


クリスチャンならば、その日を聖別しないといけないです。


他のことを優先して神への礼拝をないがしろにする人は、主の再臨のラッパが響き渡っても、何のことだと慌てふためきます。


そして、主の再臨の時に地上に残されます。

「神の臨在の中に来なさい。目を覚ましなさい。主の前に出て礼拝をささげなさい。」と 語ることばが、主のラッパの音になって耳に聞こえないといけないです。


聞いても無視し続けるならば、悲しみながら後悔する日が必ず来ます。


【ヘブル10章25節】

ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。



御使いのラッパ




神が御使いに吹かせるラッパは 災いのラッパです。

黙示録8章から12章の中には、ラッパが7回も吹かれました。


救われず地上に残された人々が受ける災いはずっと続きます。

御使いが吹く7回のラッパによって地上に何が起こるでしょうか?


血の混じったひょうと火が現れ、地上の三分の一が焼け、木の三分の一が焼け、青草が全部焼けてしまいました。

そして 海の中の命あるものの三分の一が死に、船の三分の一が壊されました。

また 川の三分の一が苦くなったので多くの人が死にました。

太陽の三分の一、月の三分の一、星の三分の一が暗くなり、昼の三分の一が暗くなりました。

夜はさらに暗く長くなりました。


さそりの力を持ついなごが大量に現れ、人間をさすので 人々の苦痛は耐えられないほどになります。

世界大戦が起こり、人類の3分の一が殺されます。

そして大患難時代が始まります。


恐ろしい時代になるので、神は今も私たちに目を覚ますように語っておられます。




警告のラッパ




預言による警告のラッパがあります。


【マタイの福音書24章4-12節】

そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。

わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。

また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。

民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。

しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。

そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。

また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。

また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。

不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。

まさに今、世界がだんだんそれに近づいています。

一番恐ろしいのは何だと思いますか?
何を一番警戒しないといけないですか?


戦争やききん、地震などは 目に見えて感じますので分かりやすいです。


一番警戒しないといけないのは “人の惑わし” です。


サタンさえ 光の御使いのように変装しますし、教会の堕落、信徒の堕落、にせ預言者などを識別するのは とても難しいです。


騙され惑わされると、その魂は滅ぼされます。

霊的に目を覚まさないと、そして みことばと祈りをしっかりしないと誰でも惑わされます。


人間に騙されないために、惑わされないためには、口のことばで判断しないことです。


口では聖書のことばを語っても、その心が邪悪な者は多くいます。

その人が御霊の実を結んでいるかどうかで判断して下さい。


御霊の実は 生まれ変わっていない人は結ぶことが出来ないし、聖霊の助けなしにはありえないからです。


その人が有名でも、過去の業績が素晴らしくても、奇跡を行う人であっても、聖霊の実がないならば 神に属する人ではありません。


それに惑わされてはいけません。

このように神のラッパは今も吹かれてあります。


聞いて何を注意し、何を準備すべきかを悟って行って下さい。

今の時代は本当に悪く、主の再臨はとても近いです。
(;´Д`) (・∀・)


2017.2.12
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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イエス・キリストの偉大さに対する様々な証言

テーマは 『 イエス・キリストの偉大さに対する様々な証言 』 です

【マタイの福音書1章18-23節】

イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。

夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。

彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。

マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」

このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。

「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)

本物と偽物を見分ける方法は色々ありますが、様々な証言や証拠によって見分けるのが1番確実です。


イエスがメシヤ(救世主)であり、偉大な神であることは、生まれる前からの証言やその他の証言、証拠などで間違いないことが はっきりとしています。

今回はその部分を調べてみたいと思います。


調べることもせずに勝手な思いや先入観で、“メシヤではない” と決めつけるのは、知恵のないことです。


私が8回くらい観た映画「ベン・ハー」は 1959年に初めて上映されましたが、来年リメイク版が上映されます。

アカデミー賞にて11部分を獲得した記録は、未だに破られていないようです。


その映画は小説「ベン・ハー」が原作です。

「ベン・ハー」を書いた「ルー・ウォーレス」は無神論者で、キリスト教が大嫌いでした。


それで彼は「キリスト教撲滅論」を書こうとイエス・キリストについて取材を始め、彼が実在の人物ではなく、救い主でもないことを証明しようと試みましたが、調べていくうちに だんだんイエス・キリストが実在の人物であることを信じざるを得ず、そのうち、彼自身がキリストを受け入れる決心をしました。


そして、キリストが救い主であることを書いたのが「ベン・ハー」です。


来年映画が上映されたら観て下さい。また、以前に作られた映画も観て下さい。




主の使いの証言




【マタイの福音書1章20節】

彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。

結婚が決まった婚約者に身に覚えのない妊娠が発覚された時に、正気でいられる人がいるでしょうか?

それは今の時代でもショックを受けます。


ましてや律法が厳しい時代のユダヤならば、女性はさらし者になり、律法によって殺されます。

ヨセフは正しい人だったので、内密に去らせようとしました。


マリヤを妻として迎えることは到底出来ませんでした。

とても辛い心でいる彼に、夢で主の使いが現れました。

主の使いという特別な存在が、自分が抱えている問題に触れたこと自体 彼には驚きでした。


人のことばなら受け入れられませんが、主の使いの証言ならば誰が信じずにおられるでしょうか。

ヨセフは主の使いのことばを素直に受け入れました。


もちろんどこまで理解したかは分かりませんが、偉大な人が生まれるということは信じました。




東方の博士たちの証言と証拠




【マタイの福音書2章1-2節】

イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。

「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」

彼らは星に導かれて 遠い国からユダヤの地までわざわざ贈り物を携えて来ました。


国から招待されたわけでもない人たちが、わざわざ他国をいきなり訪問することがあるでしょうか?

伝承によれば彼らは王であったと言われています。


そういう身分の人たちならば、事前に様々な協議をして 日程を決めて訪問すると思いますが、彼らは不思議な星の導きによってユダヤまで来ました。

ヘロデ王は彼らの訪問を受けて戸惑いました。


それも自分たちは誰一人知らないユダヤの王としてお生まれになった方を拝みに来たと言われたので、人々は戸惑いました。

星はさらに彼らを導いて幼子がいる所まで案内しました。


もし そこに何もなかったならば、彼らは自分たちの勘違いと思って失望して帰ったと思います。

しかしその場所で幼子を見つけたので、贈り物をして大喜びで帰りました。




バプテスマのヨハネの証言




【マタイの福音書3章11節】

私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。

バプテスマのヨハネの存在と働きは、旧約聖書で預言されてありました。


【イザヤ書40章3節】

荒野に呼ばわる者の声がする。「主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。

彼がその働きをした時に人々がその働きを認め、彼から水のバプテスマを受けるためにユダヤの全地域の人々が集まりました。


そして、そのバプテスマのヨハネに 神は “メシヤを見分ける方法” を教えて下さいました。

それが次の箇所にあります。


【ヨハネの福音書1章32-34節】

またヨハネは証言して言った。「御霊が鳩のように天から下って、この方の上にとどまられるのを私は見ました。

私もこの方を知りませんでした。しかし、水でバプテスマを授けさせるために私を遣わされた方が、私に言われました。『聖霊がある方の上に下って、その上にとどまられるのがあなたに見えたなら、その方こそ、聖霊によってバプテスマを授ける方である。』

私はそれを見たのです。それで、この方が神の子であると証言しているのです。」

人々から尊敬され、敬虔であるバプテスマヨハネが嘘の証言はしないはずです。




神とモーセとエリヤの証言



【マタイの福音書17章1-5節】

それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。

そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。

しかも、モーセとエリヤが現れてイエスと話し合っているではないか。

すると、ペテロが口出ししてイエスに言った。「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。もし、およろしければ、私が、ここに三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」

彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい」と言う声がした。

モーセとエリヤは旧約時代の実在人物で、モーセは律法の代表者、エリヤは預言者の代表者のような人物で、民から最も尊敬されていました。


すでに天に召された2人が、突然姿が変えられたイエス様と話していることは、イエス様が普通の人間ではなく、神が遣わしたメシヤであることの証拠になります。


そして真の神ご自身が雲の中に現れて はっきりと証言して下さいました。

「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」 と。


歴史人物の中で誰がこのように証言されたでしょうか?


自分で勝手に話を作る人は多いですが、このような証拠はありません。

中でこういうことをされた人物がいたでしょうか。


目の前で不思議な光景を見た弟子たちが証言しました。




悪霊の証言



【ルカの福音書4章41節】

また、悪霊どもも、「あなたこそ神の子です」と大声で叫びながら、多くの人から出て行った。イエスは、悪霊どもをしかって、ものを言うのをお許しにならなかった。彼らはイエスがキリストであることを知っていたからである。

悪霊は霊の存在であるから、私たち人間よりも霊的なことに対しては優れています。


イエス様が現れると、悪霊どもは自分たちの存在がばれて、人々から追い出されることを知っていました。

なぜなら闇は光の前では消えるしかないからです。


ですから、いつも悪魔は 先に色々とイエス様に話しました。


時には「追い出さないで下さい」と言ったり、抵抗したりもしましたが、いつもイエス様は悪霊を追い出して人々を助けました。

嘘つきである悪霊さえイエス様の前では嘘が言えませんでした。


人々の前でイエス様が「神の子です。」と はっきり言いました。




主の言葉を聞いた群衆たちの証言



【マタイの福音書7章28-29節】

イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。

というのは、イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。

主は毎日 人々に教えました。

その教えは素晴らしく、どこでも人々が集まり、その教えを喜んで聞いていました。


その言葉で人々のたましいを導き、慰め、励まし、いやし、奇跡などを行いました。

今まで誰もやったことのない奇跡や、権威あることばを語るので、人々はイエス様を救い主として受け入れました。


同じことばを聞いても、妬みや宗教の霊に縛られた祭司や律法学者たちは 心がかたくなであるのでイエス様を拒否しました。

しかし一般の人々はイエスをメシヤであると証言しました。


これらのことを見ても、イエス様が救い主であり、偉大な方であることの証明になったと思います。


これ以外だれの証言や証拠が必要になるでしょうか?

もしイエス・キリストをメシヤとして認めないならば、その人はそのことを証明しなければなりません。


ユダヤ人の多くはメシヤとして認めず、未だにメシヤを待つ人が多いですが、最近はイエス様が多くの個人の前に直接現れて、多くのユダヤ人がその瞬間変えられてメシヤとして認めています。

今ありえないことがイスラエルや中東で起きています。


どんな神でも良いと言う人は多いです。


道徳的には正しく生きられるとは思いますが、魂が死ぬか生きるかが懸かってあります。


罪は善行では消えないですね。


私たちの罪を贖って天国に導きたいと願って 地上に来られたイエス・キリストを、その時代の人々が救い主であると証明しました。


目を開けて、耳を開いて、その証言をしっかりと聞いて下さい。

信じますか?それとも信じられないですか?


今度は信じる者が新たな証言をする番です。

主は偉大な神です。
メシヤです。


そして再び再臨なさる方です。
( ̄‥ ̄)=3

2016.12.25
クリスマス礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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聖霊による変化

テーマは 『 聖霊による変化 』 です

【使徒の働き2章14-18節】

そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。

今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。

これは、預言者ヨエルによって語られた事です。

『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。

その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。

イエス様が天に帰られた後の最大の出来事は、何と言っても聖霊が下ったことですが、それに気付いていない人がとても多いですね。

キリストが誕生した時も、世の人々はそれに気付きませんでした。

何も起こっていないかのように普段の生活をしていました。


ですからキリストが活躍した時も、自分たちとは無関係だと思いましたし、今も無関係だと思っている人がどれほど多いか分かりません。

それは自分の魂が救われるチャンスを逃していることを意味しています。

地上ではキリストと無関係であっても特に問題はないですが、それが問題になるのは死後です。


死後には神のさばきがあり、それによって永遠のいのちか 永遠の滅びかを受けますが、その時にキリストが大いに関係してきます。


キリストを信じたか信じなかったかによって行き先が変わります。

ですから生きている時に信じる必要があります。






また、聖霊はどうでしょうか。

クリスチャンは聖霊を受けても受けなくても良いでしょうか。


答えは、受けなければなりません。
なぜなら、“受けなさい” とイエス様が命じたからです。


【使徒の働き1章4-5節】

彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。

ヨハネは水でパプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」


【使徒の働き1章8節】

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

この言葉は、弟子たちだけに与えられた言葉でしょうか。

そうではなく、信じるすべての人は聖霊を受けなければなりません。

しかし それを知らない人が多いですし、また 受けなくても良いと言う人もいます。


当時もたくさんの人が主のことばを聞きましたが、実際にエルサレムに留まりながら父の約束を信じた人は120名ほどしかいませんでした。

彼らは全員で心を合わせ、祈りに専念していました。
そして10日後のペンテコステの日に初めて人々に聖霊が下りました。


120名ほどが受けた聖霊は、初めての不思議な経験でしたが、それによって彼らは大きく変わりました。


聖霊によってどのような変化が起きたでしょうか?




1.他国のことば(異言)で話しだした




私たちは外国語は習わないと理解することも話すことも出来ません。

何年間 習ってもうまく話せないのが外国語です。
英語を幼稚園から大学まで習っても まともに話せない人がほとんどです。


それなのに、どこの国の言葉かも分からず 聖霊が語らせるまま話し出したので、集まった人々はそれを見てびっくりしました。


私の知り合いの女性の牧師先生は若い頃、ナンパをしようと付きまとって来た男の人に困り、何かを言おうとして口を開くと中国語が勝手に出てきて、それを聞いた男の人が「何だ、外国人か」と言いながら去って行ったと聞いたことがあります。


聖霊を受けた人たちが祈りの時に使う異言は、聖霊が語らせることばです。

自分にとって未知の言葉なので意味は分かりませんが、異言で祈ることは素晴らしいことです。


なぜならば 次のように書いているからです。


【第1コリント14章2節】

異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。


【第1コリント14章4節】

異言を話す者は自分の徳を高めますが


【第1コリント14章14節】

もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈るが、私の知性は実を結ばないのです。


【第1コリント14章22節】

それで、異言は信者のためのしるしではなく、不信者のためのしるしです。

このように異言は神に話す言葉であり、自分の徳を高めますし、また不信者へのしるしであるので、パウロは「私はあなたがたがみな異言を話すことを望んでいます」と語 りました。


異言がまだ話せない人は、異言が話せるように聖霊に求めて下さい。
私も聖霊様に求めて受けました。





2.霊的に強くされ、大胆な者に変化した




“聖霊が望むと力を受ける”と語ったように 皆に力が与えられ、霊的に強くなり、大胆な者になりました。


以前は人を恐れて、イエス様を3度も知らないと言ったペテロの変えられた姿を見て下さい。
まるで別人のように変わりました。

環境や、人、権力を恐れていたペテロでしたが、大勢の前で大胆に即興で説教をする姿に人々は驚きました。


世の中で一番強い人は勇士ではなく、力士でもなく、聖霊充満な人です。

なぜならば、この人たちは 人や環境、サタンや権力、迫害や死も恐れないからです。


弟子たち全員は殉教しましたが、彼らはどこでも大胆な者でした。
聖霊が彼らの中に力を入れたからです。


【第2テモテ1章7-8節】

神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。

ですから、あなたは、私たちの主をあかしすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。

いつも何かを恐れ、自信がなく、消極的であるならば、いつも聖霊に満たされるように祈って下さい。


「強くあれ。雄々しくあれ」と主が命じておられます。





3.自己中心的な人から、神中心の人に変化された




自己中心であることは聖書に基づく考えではなく、自分の考え・知識・経験が 自分の価値観や行動の動機となります。


イエス様と共にいた時の弟子たちの姿を思い出して下さい。

霊的な人は1人もいませんでした。

イエス様の傍で3年間訓練されても、それぞれ自分が一番偉いと思っていましたし、出世することを夢見ていました。


相変わらず“自分”が世界の中心にいました。
それが、主が捕えられ十字架の事件が起きた時に明らかにされました。

皆がイエス様に背を向けました。
自分を捨て、自分の十字架を負って、主に従うことが出来ませんでした。


しかし皆が聖霊によって180度変わりました。

自分のために生きる者はいなくなり、主のために生きる者に変わりました。


【ピリピ1章21節】

私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。




4.みことばの悟りが与えられ、確信ある信仰に変わる




以前ペテロは、みことばに対してあまり分かりませんでしたし、イエス様から話を聞いても間違った解釈をしていましたが、聖霊を受けた後 その場で立って旧約聖書の言葉を正確に理解し、立派な説教が出来ました。

それには人々もびっくりしました。

そして人々がどのような間違いをしているのか、はっきりと指摘が出来るほどキリスト教の教理に対して正確に理解することが出来ました。


これによって信仰もみことばの上にしっかりと立つようになり、それからは真っ直ぐに進むことが出来ました。


聖霊の助けなしに神の言葉に対する悟りを得ることは難しいです。

自分勝手に解釈をして、悟りを得たという人もいますが、本当に悟りを得るためには聖霊の力と助けが必要です。


無学なペテロがこのように立派な説教がいきなり出来たのは 彼の力ではなく、すべて聖霊のよるものです。





5.使命を果たすことが出来る




弟子たちの例を挙げるならば、彼らが選ばれた時に言われたのは「あなた方を人間を取る漁師にしてあげよう。」でした。

すなわち魂を勝ち取るのが彼らの使命でした。

しかし聖霊が下るまでの姿は人間を取る漁師ではなく、再び魚を取る漁師に戻って行きました。


聖霊によって使命から離れていた彼らが使命を取り戻しました。
ですから福音が世界に広がるようになりました。それは聖霊が彼らを使命に目覚めさせて下さったからです。


そして彼らには証人としての使命もありました。
証人とは見たもの、聞いたものを隠さず ありのままを伝えることです。


自分のことを話すのではなく、イエス・キリストはこのような方でしたと証言をすることです。

彼らは聖霊に満たされた後、すぐに人々の前に証人の働きを始めました。



このように聖霊は人々を新しく変えて下さいます。

生ぬるい者ではなく、形式的な信仰生活ではなく、今回話したような変化を人々にもたらします。

それらのすべての変化は聖霊なしで得られることは不可能です。


弱いクリスチャン、名ばかりのクリスチャン、証人として働いたこともないならば、聖霊に対して無関心であるか、自分から勝手に聖霊と縁を切ったかです。


もし弟子たちのように変わりたいならば、何よりも聖霊に満たされることを求めて下さい。


聖霊なしの信仰生活は、ガソリンの入っていない車に乗っている人と同じです。

変化もなく、いつも同じ所に留まっている車の様です。

求めるすべての人に聖霊を注いで下さいますので、聖霊を受けて力強い信仰生活、実を結ぶ信仰生活をしましょう。
(。・ω・)ノ゙

2015.5.24
ペンテコステ礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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イエス・キリストの十字架とあなたはどんな関係ですか

テーマは 『 イエス・キリストの十字架とあなたはどんな関係ですか 』 です

【Ⅰコリント1章18節】

十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。

今日は教会歴においてはシュロの日です。

イエスは十字架にかかるためにエルサレムに入りました。
それを知った人々は、今度こそイエスがユダヤの王になると思って、大歓迎しました。


その時、人々はシュロの木の枝を取って、出迎えのために出て行き、
“ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。”と大声で叫びました。


その日をシュロの日と言います。


人々にとっては これから自分たちに何か良い事が起こるという期待が大きかったです。
しかしイエスにとっては 苦難の十字架の道が始まる日でした。

それを知っているのはイエスご自身だけでした。

十字架が見えていない時は イエスは人々に歓迎されましたが、十字架が見えた時から人々の反応が分かれ始めました。

十字架に対して人々はどのように変わっていったでしょうか。


そして、みなさんはイエス・キリストの十字架と どのような関係ですか。




1.十字架を愚かと思い、毛嫌って呪う人




「十字架??あれは凶悪な犯罪人が受ける罰ではないか。」

「何だ、あの人は神でもないのに、自分のことを勝手に神と言い、人を惑わした者だったのか。神を冒涜した人は死ななければならない。騙されたことが悔しい。これ以上は騙されないぞ。」


このように怒りが込みあげてきた人たちは激しく叫びました。


「除け。除け。十字架につけろ。カイザルのほかには、私たちには王はありません。」と、世の王を自分たちの王として選び、まことの神を殺してしまいました。


キリストを十字架につけた彼らは 十字架で苦しんでいるイエスを見て、あざ笑って言いました。


「あれは他人を救った。もし神のキリストで、選ばれた者なら自分を救ってみろ。」

「おお、神殿を打ち壊して三日で建てる人よ。十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」

「他人を救ったが、自分は救えない。キリスト、イスラエルの王さま。今十字架から降りてもらおうか。われわれは、それを見たら信じるから。」


このように偉い人たちも十字架にかかったイエスを呪いました。


世の基準で見る十字架は 彼らにとっては犯罪人、呪われた者、愚かな生き方をした者、生きていては困る者たちが死んで当然な場所なので、絶対受け入れることが出来ないものでした。


彼らは自分たちの知恵に頼って、それで満足して、十字架を信じるどころか、拒絶反応を起こして呪います。

死んでも関係を持ちたくない と十字架を遠くに投げる人たちです。




2.十字架に無関心な人たち




「あの人は悪いことをしていないと思うよ。毎日 病人を癒し、奇跡もたくさん行ったし、まじめで優しいし。」

「十字架にかかるとはかわいそう。あの人を殺すなんて悪いことをしたな。」

「生かしておけば もっともっと奇跡が見られたのに。病人が助かるのに もったいない。」

「良い人だったのに もういなくなった。でもどうして神と言った人が十字架にかかって死んだのだろう。」

「意味が分からない。もう死んでしまったから忘れよう。」


このように十字架のイエスに対して無関心に生きる人たちがいます。


「別にいなくても困ることはないし、あの十字架とはもう関わりたくありません。」

「他にも信じているものがあるし、あんな死に方をした人を信じるのはちょっと…。」

「もう良いです。自分も救えなかったでしょう。あの人より立派な働きをした人もたくさんいるし。」


キリストの十字架を “無力” だと思って、他に頼れるものを探して、それに目を向けて自分の都合の良いように生きている人が一番多いです。


この世がすべてで、この世で利益をもたらしてくれるならば 魂でも平気に売る人たちにとって、十字架は関わりたくないものです。

「神のことも、罪のことも、悔い改めのことも、地獄の話も聞きたくはない。別に要らない。」と十字架とは無関係に日々生きています。


私自身も信じる前はそのような者でした。
十字架はキリスト教会のシンボルでしか考えたことがなく、イエス・キリストが死んだ十字架だとしか思いませんでした。

なぜ死んだのかと一度も考えたこともなく、キリストの十字架に対して考え始めたのは信じてからでした。

それまでは自分にとって十字架はまったく関係のないものでした。




3.キリストの十字架から目を離さない人々




実際にキリストが十字架にかかった時、十字架の真の意味を知っている人はイエス・キリスト本人以外には誰もいませんでした。

弟子たちも主の母であるマリアも知りませんでした。

キリストは一人で孤独に死んでいきました。


医者たちが、“キリストがどのくらい苦痛を味わったのか”を医学的に検証しました。

その話を聞いた時に、私たちの想像をはるかに超える痛みでした。


汗が血のしずくになるまで祈った時から、体の中ではストレスで血管が破裂していました。

裸にされてローマの兵士たちが力強く打ったむちで肉が裂かれ、神経が痛み、骨までも見えたと言います。

出血によって歩くことが出来ないほどの貧血状態に陥るとも言われました。


十字架の上ではさらに激しい痛みがあり、息をするたびに全身に鋭い痛みが走るので、ことばでは言い表すことが出来ないほどの痛みだと聞きました。

その激しい痛みの中でもイエス様は自分を十字架につけた人々を赦しました。


そして、涙を流しながら十字架を見上げる人たちがいました。
十字架の意味はまだ分かりませんが、主を愛して主に仕えていた人々でした。

たとえ人々がイエスを激しく呪っても、その人たちは主が与えて下さった恵みが忘れられません。
その愛を裏切ることが出来ません。ただ涙を流しながら、主の死を悲しんでいました。






私自身、何日間も ずっと心の中で流れていた賛美がありました。


韓国の賛美ですが、「主はなぜ私を愛したのか。なぜ私のためにカルバリに登らなければならなかったのか。なぜ私のために十字架にかからなければならなかったのか。」という歌詞です。

そうしたら その賛美の中にペテロもパウロも入って来た思いがしました。

彼らも同じ賛美をしているように感じました。


【 ペテロ 】

「主を三度も知らないと裏切った私をどうして赦し愛しておられますか。なぜ私を愛し、十字架にかかりましたか」


【 パウロ 】

「主を嫌い、教会とあなたと信徒たちを迫害した私をどうして愛して、私の罪のために十字架にかかりましたか。」


私も言いました。

「自分勝手に生きて神様を悲しませた私、多くの罪を犯した私をどうして愛して下さったんですか。なぜ主は私のためにカルバリに登らなければならなかったのですか。」

繰り返し心の中で賛美しました。


なぜ私が主に愛されているのか、なぜ私が赦されているのかがわかりません。
その愛から離れることが出来ないから主の十字架を見上げています。


主の赦しが十字架から流れるので主の十字架を離れることが出来ません。

「主よ。なぜ罪のない方が罪人である私のためにその激しい苦しみを受けなければならなかったのですか。」
罪赦して下さる十字架のキリストから離れて行く所がありません。


目が開かれ十字架に隠された恵み、祝福、神の力が見えてきました。

イエスが罪人ではなく、犯罪人でもなく、死んで当然な人でもなく、人を騙す者でもなく、生きてはいけない人でもなく、神を侮辱した人でもなく、自分を救えない人ではないです。


キリストを十字架につけた偉い人たちや呪った人たち、無関心であった人たち、知らなかった人たちや私たちが 本当は主がかかった十字架にかからなければならない者です。


自分に代わって死んで下さった方を愚か者と思っている人がいるならば、その人は世界一愚か者です。

キリストを侮辱するものは神を侮辱する者で、罰を免れることはありません。


もう一度十字架を見て下さい。
愚かに見えますか。関わりたくない十字架に見えますか。

それとも十字架を見て、「なぜ私を愛して十字架にかかりましたか」と涙が出てきますか。
。゚(゚´Д`゚)゜。

2015.3.29
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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