からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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アブラハム

神の約束を信じたアブラハムの信仰

テーマは 『 神の約束を信じたアブラハムの信仰 』 です

【ローマ4章19-21節】

アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。

彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、

神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。

聖書から、“神のことばと信仰” を除くならば、何が残るでしょうか。

そして、それらを除いた聖書が私たちにどのような意味を残すでしょうか。
それは何の価値もないものになってしまいます。


信仰は神のことばと私たちをつなぐ役割をします。


いくら聖書が真理であり、いのちのことばだとしても、読む人に信仰がないならば聖書をどんなにたくさん読んでも、その人に聖書の価値はわかりません。


ただの一冊の本に過ぎません。


また、ある人が「自分には信仰がある」と言っても、その人の信じるものが真理のことばでないならば、その信仰はむなしいものとなり、その魂を救うことは出来ません。


アブラハムという人物は、“信仰の父”と呼ばれています。
神様は、アブラハムが見せた信仰を 良い信仰だと認めて下さいました。

それはアブラハムが神の言葉に対して信仰をもって受け止め、その信仰が最後まで生きていたからです。


アブラハムは神様を直接見たから神を信じたのでしょうか?

神を信じない多くの人は、「神を見せてくれるならば信じる」と言います。


高慢と不信仰な心で「神を見せてくれ」と言っても、神がその人に現れることはありません。

なぜなら神が認める信仰は、見て信じる信仰ではなく、見ずに神の約束を信じる信仰をよしと認めて下さるからです。


信仰がない人に神が現れるのではなく、信仰がある時に神を見ることが出来ます。

(ここで、「見る」というのは自分の肉の目で見るという事ではなく、心の目で見るということです。)


神のことばを信じる人は、心の目で神を見るようにして生きています。






アブラハムの信仰が、どのような信仰であったのかを見たいと思います。

アブラハムはある時に神の声を聞きました。それはアブラハムにとって初体験でした。


目で神を見たのではなく、聞こえてくる神のことばでした。

神から聞かされた内容はあまりにもスケールが大きくてよく理解出来ない神の一方的な約束でした。


【創世記12章1-3節】

主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。

そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。

あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

もし皆さんがこのようなことばを聞いたならば、理解できますか。
そして神のことばを理解できないまま、すぐに従うことが出来ますか。


すぐに出来るならば、アブラハムの信仰を認めた神が、皆さんの信仰を認めて下さると思います。

しかし出来ないならば、アブラハムの信仰を見習うことです。


アブラハムは神の約束のことばを信じ、主が仰せられた通りに出かけました。
冒険するには75歳という年齢は厳しいと思います。


しかし、アブラハムは従順出来ない理由を捜したのではなく、ただ神から言われた通りに従いました。


その時のアブラハムの信仰は、神に完全に従順する信仰でした。

信仰のない人から見ると無謀な人間に見えたでしょう。
“失敗したらどうするの” と心配する声が周りから大きくなるでしょう。



すぐに心配する人は、なかなか信仰が成長しないです。神のことばよりも自分の感情に忠実だからです。

そのような人は神の言葉よりも自分がどう思うのかが一番です。
自分が安心出来たら(言葉に)従うけど 安心出来ないと、神の言葉に頼るのが苦手です。


しかし アブラハムは神のことばだけに信仰を結び付けて従順しました。

簡単そうに見えても、人々はここで失敗することが多いです。


まずは「そんなことが信じられません、そんなことが起こるはずがありません」 と勝手に神様のことばをつぶして従うことはしません。

神がせっかく語って下さったのに、どれほど多くの人々が、自分たちの不信仰で神の言葉を無視するかわかりません。


まるで神様が嘘つき、詐欺師であるかのように「信じたらダメ」 と否定します。


アブラハムは信じて大胆に出かけました。
神様が喜ぶ信仰は、従順する信仰です。


信仰ある人は、自分の頭で理解出来ず 納得できなくても、神が語ったことばが一番で、そのことばに従います。


アブラハムの信仰は、神の約束を最初から疑わない信仰でした。

最初の神の約束のことばを疑わずに受け入れたアブラハムでしたが、すぐにその信仰が認められ、すべての祝福を受けたでしょうか。


現実はどうでしたか―?

75歳で従順して出かけましたが、25年間何事も起こりませんでした。
25年は決して短い時間ではありません。


自分ならばどうするのかと考えてみて下さい。

信じた私がバカだったと自分に対して腹を立てますか?
また、神様に向かって嘘つきと文句を言いますか。


たぶん私たちならば両方やっていると思います。

しかしアブラバムは、子孫が与えられる約束を受けたにも関わらず、いつの間にか100歳になり、生産不能になり、子を持つことが不可能になったにもかからわず、アブラハムは神の約束を疑いませんでした。


これは素晴らしい信仰です。






人々は信仰よりは不信仰を選び、信仰よりは疑いを選びます。

忍耐よりは諦めて、時間を無駄にするよりは他の方法を捜します。

しかし別の方法も見つからず失望して終わる人が多いです。


沖縄に行った時、海岸にある木を見ましたが、形がちょっとおかしく、木の葉や枝が不揃いでした。

台風が多いので、暴風で枝が折れたり、葉っぱが落ちた為だと思います。


でも激しい風の中でもしっかり立っているのは、植えられた所に、必死に頑張ってしがみついて 根を深く降ろしたから倒れなかったと思います。


疑いは二心です。どうしようかと迷う心です。

根を下ろそうか、やめようかと二心で戦いますが、そのような状態では立ってはおられません。

現実の強い風で倒されてしまいます。


アブラハムは自分や妻が年取ってこどもを産む力がないことを知っていても、信仰が弱ることもなく、神の約束を疑うこともなかった理由は、アブラハムが神の無限なる力と 神は約束を守る神であることを信じたからです。


【イザヤ書55章11節】

そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。

環境に左右されたり、自分の状態に左右されたりするのは信仰の姿ではありません。


神の絶対的な力と真実さに対する完全な信頼こそ、不可能に見える状況の中でも アブラハムを苛酷な現実から守る信仰の力になっていたと思います。


信仰は力です。

環境を見て信仰が無気力症にかかる人が多いです。それは信仰の根っこが弱いからです。


アブラハムも人間的な目で見ると、大いなる民族の先祖になることは想像出来ない状況でしたが、それでも信じたので 「信仰の先祖」 と呼ばれています。

この姿は私たちが見習わないといけないです。


次々と変わる環境や状況に振り回されて信仰の無気力症に落ちるのではなく、そのような時こそ忍耐をもって神の約束を堅く信じ、耐えることです。


その姿を確信に満ちた信仰と言えます。


確信とは、疑いが入る隙間もないほどに、自分に与えられた神の約束のことばと、神は約束したものを必ず成し遂げる方であることを心の中に満たすことです。


そして日々そのことを黙想することです。

まるでそのことが当たり前であるかのように思われると、信仰の根を深く降ろしたことになるので、過酷な現実の中でも倒れることがありません。


その人たちを倒そうとするサタンの策略も失敗に終わり、さらに試練の中で信仰は強くなり、成長していきます。


見えるものにすぐ心が取られたり、疑ったり、失望すると、倒そうとするサタンに隙を与えることになります。

現実的な可能性があったり、少しでも希望がある時は、信仰を守ることがそんなに難しいことではありません。


ところが、激しい試練や不可能な状況に直面すると、私たちの信仰は病にかかり 倒れやすいですし、疑いと絶望で揺れ動いてしまいます。


しかし、そのような時でもアブラハムがしたように、神に望みを置いて、神の約束を信じ続けるならば、神は約束したことを必ず成就して下さいます。


信仰が弱いと、神から素晴らしい約束を受けても、それを無駄にしてしまうことが多いです。

しかしアブラハムのようにするならば、すべての約束を自分のものにすることが出来ます。


信仰が弱くなったと実感する時は、アブラハムの信仰をもう一度学んで下さい。


彼が教えてくれます。
( ̄‥ ̄)=3

2015.7.26
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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大いなるものとしよう

テーマは『 大いなるものとしよう 』です

【創世記12章1-3節】

神様が個人的にこのように素晴らしい祝福の約束をしたのは、アブラハムだけであります。

その後、アブラハムは信仰の先祖になりますが、
神様を信じて従ってくる者に対しての、神様のみこころでもあるのです。

神様から選ばれた民たちや、神の子どもになった者たちに対しては、このような祝福を与えたいという
ものが初めからあります。

この世の中で一番愛し合っているのは親子関係だと思います。
親は子供のために祝福してあげたいと思いますが、親には力がないので「あなたが大いなるものになる」とかは
言えないです。ですので、せいぜい「財産を残してあげる」くらいの祝福の言葉しかないです。

しかし、神様は個人に対して素晴らしい祝福を与えました。
そしてアブラハムは霊的祝福を受け、実際に全ての祝福を受けました。

私たちも「霊的に繁栄する」、「この地上での生活も繁栄する」、「肉体も祝福される」と
このような三拍子の祝福は、誰もが願うものであります。

私たちはどのようにしてアブラハムが祝福を受けたのかを学ぶのは、とても大切です。

信仰の子どもに対して、神様は差別をするのではないです。
私たちがそれ(祝福)を受けるような器になるならば、アブラハムが受けた祝福を私たちにも与えてくださいます。

アブラハムが神様の約束の言葉を聞き、どのように彼が祝福を受けたのか、
その方法はすごく簡単ですが、私たちが難しく考えるので いつまで経っても実行をしないです。

難しい約束の言葉があるでしょうか? ――ないです。
とても短く簡潔で、分かりやすいです。

人は「何か難しいことをしないと受けられないのではないか?」と思うことが多いですが、
私たちの努力によって神様が祝福を与えるのではないです。
神様の方法は、言葉になって初めにきます。それを自分たちがどのように理解をして従うかによって
祝福を受ける者と受けない者がわかれていきます。

神様がアブラハムに祝福を語る前に【 創世記12章1節 】の指示を出しました。
私たちは神様が指示をする時に、反応をしなければならないです。
色々な反応があると思います。気に入らない反応があると思います。初めから聞く気がない人もいます。

神様が指示をする時に一番良いものは、心を開いて、ありのままの神様の指示を受け入れることです。
祝福を受けるスタートはそこからであります。
なぜならば、祝福を与えるという神様が語るのです。ですから私たちが祝福を受ける者になるためには、
まず神様が語る時に、耳を傾けることであります。適当に聞くのではなく、よく聞くことです。
自分が聞きたい言葉だけを聞くのではなく、1つも漏らさずに神様の指示を聞くことが第一歩であります。

ある人は、神様の言葉を聞きながら「そんなこと出来るはずがありません。」と、自分の経験や知恵で解釈をします。
最後まで神様の言葉を聞かずに、一言聞いただけで自分で計算をし始めます。
このような聞き方だと、神様は何を語っていたのか わからなくなります。残るのは自分の想いだけであります。

ですから、神様の指示をきちんと聞くべきです。


【エペソ5章17節】

「愚かにならないで」という言葉が始めにある理由は、自分は神様よりも知恵があると勘違いをするからです。
いくら自分で「私は知恵があります。」と言っても、人間同士で比べたら、それがあったとしても
神様と比べたら誰一人 知恵ある人はいないです。

ヨブは神様に ああだこうだと色々言いました。神様は人間同士のやり取りをずっと聞いて
ヨブと他の者の知恵比べでした。「私の思いでは~」「私の考えでは~」と責め合っていました。
神様は初めから終わりまで聞いて、ヨブに「わたしの質問に答えなさい。」と語った時に、
ヨブは1つも答えられませんでした。そしてヨブはすごく恥を受けました。
「私は何と愚かな者で、悟りのない者でしょうか。」と自分の恥を表しました。

神様の指示に対して「何でそんな指示を出すのですか?」と、ずっと言いながら
神様の指示を除けていくと、次に神様からの言葉は絶対にこないです。

そういう人たちにはサタンが喜びます。さらにサタンがその人を惑わしていき、繁栄を与えます。
サタンは嘘つきなので騙すのが上手いです。ですからずっと与え続けます。そして最期に潰します。
サタンが人に繁栄を与えるのは、その人を太らせて永遠の死(滅びの道)へ売り飛ばすためです。
そして大喜びをします。サタンに騙されて堕ちて行くのは繁栄とは言えないものです。


神様が語る祝福は、最期に素晴らしい良い実を結ぶことなのです。成就していきます。
神様の言葉を聞く時は、何をおっしゃるのか、よく聞いてください。

間違えて聞くなら、結局間違えたことをするので、口を出さず、考えずに文句も言わずに聞き、
すべてを聞き終わったら「わかりました。」と受け入れます。
「 アーメン 」とはそのような意味です。
しっかり聞いて、悟るということは心に刻むことであります。

指示をした後に、神様の約束の言葉があります。
(※「そうすれば~」のように、聖書は繋ぎの言葉がとても大切です。)

神様の指示を受けた後には、次の言葉を聞かなければならないです。
ただ指示だけを受けて行動するのではなく、神様の(祝福の)保障がないと私たちは不安定になります。
祝福の神様ですので、必ず続きがあります。

保障というのは、木の根と同じです。根は目には見えないです。ですが、木を支えるのは根であります。
それが深く地下のほうに根を下ろす時に木は成長をして伸び、実を結ぶようになるのです。
祝福は木に実が結ばれることと同じです。

根がないと倒れてしまいますし、花を咲かせることも実を結ぶこともないです。


【出エジプト記3章10節】

これは指示です。

【出エジプト記3章12節】

そして保障であります。神様より強い保障はどこにあるでしょうか。
神様には不可能がないです。


【創世記28章15節】

【創世記7章1-5節】

私たちはなかなか聞く耳がないです。
勝手に解釈をして、神様がすべてを語る前に立ち上がってどこかへ行ってしまいます。
ですから私たちは多くの祝福を逃してしまいますし、神様の思いとは違うところへ行き様々な問題にぶつかります。

自分の姿を振り返ってみてください。神様が自分にどのような指示をしたのか、自分がその指示通りに
やれているのか、それとも違うことをやっているのか、一番心配をしなければならないのはそのことです。


【創世記12章4節】

神様がすべてを語り終わった後は、私たちがしていかなければならないことであります。
神様が語った通りのことを受けるためには、主がお告げになった通りに行動を移すことです。
神様は、座っている人には絶対に祝福を与えないです。
ただ種だけを握り座っていては、自分の手の中で種が育つことはないです。
神様がその種を蒔きなさいというところに蒔かなければならないです。すべて自分の行動です。

神様はみことばを聞いて行う者を必ず祝福します。
動かない者は、その人が動くまで神様は祝福の扉を開かないです。動いて種を蒔かないので恵みを与えないです。

私たちが祝福されないのは、行動をしないで怠けて色々な言い訳をして、種を蒔く時なのに
種を蒔きに出ていかないからです。ですから秋になっても収穫がないです。

聞いてすぐに行動をすると、早く祝福を受けます。

家庭の中でも、教会の中でも、自分の人生の中でも、とにかく神様に言われた通りに種を蒔く人が
祝福を刈り取ります。
神様は、そういう人たちに対しては すべての手の業を祝福すると語られました。

天が開かれます。それまでは閉ざされてあります。
その鍵を開けるのは、私たちが信仰の行動をしていく時に、神様はそれを見て天から開けるのです。
その人に祝福が注がれるように、神様が開けるなら、それを誰も閉ざすことはできないです。
また神様が閉ざすなら、誰にも開けることはできないです。

共におられるので、神様は私たちの行動をすべてお見通しであります。

アブラハムは行動して出て行き、指示通りにしました。


【へブル6章13-15節】

アブラハムの人生の結果です。行動を起こしているので忍耐がありました。
実が結ばれるまで、アブラハムは待ち続けました。信仰の歩みをしました。

これは私たちが繁栄する祝福を得るために、この信仰においてはアブラハムから学ぶと良いです。 (。・ω・)ノ゙

2013.6.2
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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みことばを聞く態度

テーマは『みことばを聞く態度』です。

【エゼキエル書33章30-33節】

聞く態度がそれぞれ違います。聞く耳で聞く人もいれば、そうではない人もいます。
牧師が前で語ると、(その人が)どんな態度で聞いているのか、大体分かります。
真剣に聞いている人もいれば、思いが違うところにある人もいます。

私たちは見て信じるものではないです。神の言葉を聞いて、信仰によって受け止めるならば
それによって救われることであります。
このように聞く事がとても大切です。

【エゼキエル書33章1-3節】

エゼキエルが見張り人としての使命を受けました。民たちに警告を送らなければなりません。
まず伝える人が耳を開かなければならないです。教会の中では牧師がその役割をします。
魂を預かり見守る責任があります。

もしその魂が間違えた事をするなら、主の声を聞いて語る使命があります。
この働きをまともにしないならば見張り人が責任を負います。

罪を犯すと自分の罪で死にますが、もしその者に警告を与えないならば、
それの責任を見張り人が問われ、その罪によって死ぬことになります。
そこにいる民達の態度によって、見張り人自身が堕落する場合があります。

クリスチャンがみことばを聞く姿勢のことをどうなのかと神様が語ってあります。

色んな聞く姿勢がありますが、間違った態度のことを示します。

― 自分の耳に良い言葉だけを聞く ―

聞きたくない言葉は「聞かない」です。

【Ⅱテモテ4章3節】

「私たちを喜ばせる言葉だけを聞きたい。」「何か面白い話を聞きたい。」「気持ちの良い言葉を聞きたい。」
「警告の言葉なんか聞きたくない。」「肉に死になさいという言葉は聞きたくない。」
「心刺される言葉は聞きたくない。」

(それで伝える側は)本当の意味で神様の計画の言葉を語らない。神様が語りなさいという言葉は語らない。
そうなると、うまくこの世と妥協した言葉「恵みです。」「平和です。」「何をしても大丈夫です。」
「世の終わりが来ても、あなたがたは滅ぼされることがないです。」
これらは私たちにはとても耳に良い言葉です。何一つ自分の肉体を刺さない言葉です。

【エレミヤ書5章31節】

語るべき言葉を語らない。その人達だけが喜ぶ言葉を語る。
民はそれを喜びますが、その後、神様の裁きが下った時に「あなたたちはその時どうするんだ?」という
警告の言葉であります。

これは本当に私たちが気を付けなければならない態度であります。真理を聞きたくないという言葉です。
本気で真理を聞くと心が刺されます。

【ヨハネ8章45節】

偽りや冗談はよく信じますが、真理が語られると パッ!と耳を閉ざします。
真理が道であり、その道から離れることになるので天の御国に入れないということであります。


― 高慢な思いで聞く態度 ―

【エゼキエル書33章23-27節】

この言葉を今のクリスチャンの姿に当てはめると、「私はイエス様を信じているし、教会に行っているし、
みことばを聞いているし、祈りもしているし、献金を捧げているし、これもして、あれもして、
そして信じたら必ず救われて天国へ行くと語ってあるから大丈夫。」

このような発想を持っている牧師も多いです。

これは神様は高慢だと言われます。アブラハムの場合は信仰がありました。献身的な従順がありました。
確かにあなたたちはアブラハムの子孫には間違いがないですが、アブラハムのような信仰もない。
アブラハムにある従順もない。
そのようなことが一切ないのに、アブラハムの子孫だという理由だけで(天国へ)行けるのか?
これほど高慢なものはないです。

【ルカ16章27-31節】

地上で豊かな生活をしていたので、そのまま天国でも豊かな生活をすると思ったら地獄へ堕ちました。
ただ、形式的に続けていたから天国へ入れるというのは高慢な態度であります。

― 神様に対する知識がないと、みことばを正しく聞くことができない ―

【ホセア書4章6節】

神様に対して正しく知らないと、私たちが神様の言葉を聞いても反応ができません。
預言者を通した言葉でも、耳では聞いていても何も悟りがないので心の中に落ちることがありません。
私たちは言葉を悟らないと、行動ができません。
たくさん(言葉を)聞いたから、信仰があるということではないです。

普段から聖書を読んで知識がないと、みことばが素通りしていきます。
「以前、このみことばですごく恵まれた」とか「知らない言葉であるから、今度よく調べよう」というのは
正しく聞く者でありますが、「いや、知らないわ」と、それで終わってしまう、神様を知ろうとしない人は
滅びるという言葉が聖書に出てきます。

神様の言葉は、自分が知らないことがたくさんあるので「聞くんだ」「もっともっと悟りたい」という思いでない
といけません。

― パリサイ人のような態度で聞く態度 ―

【マタイ23章2節】

自分達は一切神様の言葉を聞かないで、神学博士のように研究するだけです。
それも個人的な解釈を入れて、それが間違えているかどうかは関係がないです。

なぜ、聞かないのでしょうか? ――「私は知っている。」
「私は義人である。私が言う言葉は罪人たちが聞く言葉である。
罪人たちが聞いて、自分達の罪を悔い改めて立ち返らなければならない。
私は義人であるから、(神様の言葉を)聞く必要がない。」

これは教会の中でも多くいます。「私はその言葉をもう知っているから。あの者より私はマシである。
この言葉を聞かなければならないのは、あの者であり、私ではない。」
これはパリサイ人の心であります。

自分達が罪人だという感覚がないです。

【マタイ23章29-33節】

クリスチャンも地獄へ行くという言葉はこのみことばからあります。

 
【エゼキエル書33章33節】

神様がいつも語る言葉は悔い改めることであります。
警告の言葉を与えても、神様がすぐに裁かない理由が1つあります。
それは悔い改めさせるためです。悔い改めて態度を変えて立ち返るならば、神様は(裁きを)行いません。
警告の言葉は神様の愛であります。 神様が語らないのは2つあります。
1つは、よくやっているから言う必要がないのと、もう1つは、悔い改めるチャンスを全て逃したので、
神様が黙って裁きを下すためです。
後者になると、本当に怖い事です。

古い人間のままではなく、新しい心で神様のことばを聞かなければならないです。

ある時から神様が「祈る必要がない。わたしは必ず討つ。」と語ったら(金ヘス牧師は)祈らなくなります。
その人自身が悔い改めるチャンスを逃してしまうと、神様の言葉がそのまま起こるので
「主よ、みこころのままにしてください。」となります。
なぜなら神様の方が権威がるので、いくらとりなしをしていても神様は聞いてくださらなく、ある者は死に、
ある者は病気になります。
神様が「祈るな」と語っても、続けてとりなし祈るなら神様は本気で怒ります。
「あの人のことより、おまえ(牧師)がわたしの言葉に従わないのか」になります。
たとえその人が「助けてください」と求めてきても祈ることができなくなります。

【ヨハネの黙示録2章20-23節】

神様は憐み深く忍耐強く待ってくださいますが、私たちが悔い改めの時を無駄にしてしまうならば、
後がないということであります。

神様が語った言葉通りになるので、私たちは本当に気を付けなければいけないです。

私たちに一番大切なものは、神のみことばに自分が屈服することであります。
「私はその通りに従います。」その言葉通りに自分を変えていくことが、これが本当のクリスチャンであります。

そして神様の言葉を聞いた時は、人間の言葉として聞くのではなく、神様を意識して「主が私に語る言葉なんだ」
と恐れの思いをもって耳を傾けなければならないです。

【ヨハネの黙示録3章3節】

力がなくても聞く姿勢があり、言葉通りに守り、信仰を守り通した。
これが私たちに神様が求める姿であります。

従順のない信仰は、信仰ではないです。死んだ信仰であります。
心が聖くなければ天国に入ることはできないです。クリスチャンの名前だけで入れることはできないことを
気付かなければならないです。

<今週の目標>

【自分は今までどんな耳をもって聞く態度だったのか。
反省する時間にしてください。自分の姿をよく観察して
自分はどの部分に当てはまるのか。そのようにしないと
変わらないので、耳を変えるための時間を1週間もってください。】

2012.8.5
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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本当に滅ぼすならば、神様は語らないです。

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