テーマは 『 私たちのアイデンティティ 』 です
突然ですが、あなたの自己紹介をしてください。
仕事や、家事、育児が忙しくなると、時間に追われ、一生懸命にタスクをこなすと、気づけば一日が終わるのです。
忙しい日々に忙殺され始めると、そのうち私たちは、心も渇き、何か問題があるとそればかりを考えてしまって、憤りを感じるのです。
毎日を生きるだけで精いっぱいになり、そのうち何で生きているのかすらわからなくなったり、もはや何も考えずにただ日々を送るだけになったりしてしまうのです。
そうなると、どうなるでしょうか。
神様の声よりも、人々の声の方を考えて、心がそっちに向いていきます。
そうなると、自分が本当は何者であるのかを忘れ、人から言われる姿をまるでそのようだと勘違いしていくのです。
どんどん苦しくなっていくのです。
一度立ち止まってみてください。
あなたは、本当はどんな人なのでしょうか。
本当はどう生きていくべきなのでしょうか。
今日は、私たちが本当は何者であるのかを知っていきましょう。
しっかりアイデンティティを知ることは、私たちが本来はどんな生活を、どんな人生をどのように生きるべきかを教えてくれ、その道へと導いてくれます。
本来のあるべき姿を生きることによって、私たちの人生の豊かさや、心の平安も変わっていくのです。
一度立ち止まって、聖書を読みながら知っていきましょう。
【エペソ2章10節】
私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。
私たちは、神様の作品です。
一人一人、神様が造った作品です。
神様は私たち一人一人を、目的を持って造られました。
また、大きな目的の一つとしては、ここに書いてあるように「良い行ないをする、歩む」ことであり、また、それは私たちが自分の力で何とか頑張るのではなく、神様から力を受けて、私たちができることをするのです。
私たちの大前提として、私たちは神様の作品であるということをまず覚えておきましょう。
誰かがあなたのことを悪く言おうが、あなたのことを否定しようが、私たちは神様によって目的を持って造られた、一人一人大切な神様の作品なのです。
神様が造ってくださったことを覚え、また、私たちが神様に造られたどんなものであるのか、さらに詳しく、私たちのアイデンティティについて考えていきます。
ところで、先ほど自己紹介をしてください、と言いましたが、聖書でもたくさん自己紹介が載っています。
その人の名前を述べる前に、言うことがあります。
聖書ではよく「ヌンの子ヨシュア」、「アモツの子イザヤ」など、父親の名前をまず紹介してから、その人の名前を紹介します。
では、私たちはどうでしょうか。
私たちは誰の子なのでしょうか。
【ヨハネの福音書1章12-13節】
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
【第1ヨハネの手紙3章1-2節】
私たちが神の子どもと呼ばれるために、──事実、いま私たちは神の子どもです──御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。
愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現れたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。
誰かの娘や息子であったり、誰かの妻や夫であったり、あるいは誰かの母親や、父親、また、どこかの会社の一員であったり、学校の生徒である前に、まず第一に、あなたは神様の子どもなのです。
神に選ばれて、神によって生まれた、神の子どもなのです。
私たちが今、自分の名前を紹介するならば、「神の子〇〇」となるのです。
肉の親も もちろんいますが、私たちは、私たちの魂を造られたお父さん、神様の子どもなのです。
さて、神の子どもである私たちは、神様にとってどのような子どもなのでしょうか。
2つのポイントを今日は見ていきます。
【エペソ5章1節】
ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。
また、愛のうちに歩みなさい。
キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。
私たちは神様の子どもであり、神様によって愛されている子どもなのです。
私たちへの神様の愛は私たちが想像できるよりもはるかに大きく、深いです。
私たちを愛してくれているのは、私たちが何か特別なことをしたから、素晴らしいことをしたからではないのです。
イエス様が一番私たちへの愛をはっきり表してくれた、その十字架は、私たちが神様のことを求めず、否定し、共に生きず、自分が好きなように罪を犯しまくっていた時、そんな時に示してくれた愛なのです。
私たちがイエス様に何かをしたからじゃない。
イエス様に尽くしたから愛してくれた訳じゃない。
私たちの見た目がきれいだからじゃない。
中身が、性格がきれいだからじゃない。
ただ、そのままのあなたを神様が赦し、受け入れ、愛すると決めたからです。
神様が愛すると決めたから、愛し抜くと決めたから、私たちが一番恥ずかしい瞬間、みじめな姿、汚い姿も全部知ったうえでも、それでも、私たちを受け入れ愛してくれるのが、私たちの父、神様なのです。
私たちはその神様に愛されている子どもなのです。
その大きな愛を知った時、その愛に触れられた時に、私たちは神様のことを愛し、周りの人のことも愛し、赦せるようになるのです。
神様は何もなく突然、「赦しなさい」「愛しなさい」という命令を先に出したのではないです。
その前の部分が、大前提がとても大切なのです。
私たちが人々を赦し、愛し、親切にできるのは、神様が先にそうしてくれたからなのです。
私たちが神様によって愛されているから、だからこそ私たちも神様が愛してくれたように周りの人々を愛するべきなのです。
また、その愛は赦しの愛です。
【エペソ4章32節】
お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。
エペソ人への手紙では、パウロは最初ひたすら神様の愛について話しています。
どのように神様が私たちを愛して、救ったか、それをずっと語っているのです。
その愛をしっかり自覚すること、受け入れてかみしめることがまず必要です。
そこから初めて私たちは周りの人々を愛し、赦すことができるのです。
それが、神様が私たちを神様の作品として作り、神様の愛する子どもとして、私たちの生きるべき姿なのです。
私たちがどのように生きるべきか、何をすべきかを考える時、忙しさ、何か問題の中で憤りを感じる時に、まずは神様と向き合うことが大切なのです。
神様ファーストにすることによって、私たちの生きるべき姿が見えてきますし、神様の愛を受けて初めて、周りの人を愛すことができます。
私たちが隣人を愛し、赦せるのは、神様が私たちを愛し、赦してくれたからです。
その隣人が私たちをまず愛したわけでもなく、よくしてくれた訳でもなく、赦しを求めてきた訳でもない。
それでも、その人を赦し、愛することができるようになるのは、私たちが神様の愛と赦し、その大きな恵みを知っているから。
それを体験したからなのです。
神様が私たちを赦してくれたから、だからこそ私たちも私たちの周りの人を赦すのです。
人への怒りや、恨み、憎しみをすべて捨て、赦し、また、愛することは、決して簡単ではないけれど、神様の愛があるから、神様の大きな愛を受けているから可能なことです。
人を赦せないと思った時、何か問題があった時、その時はまずあなたは神様から愛されている子どもであることを思い出してください。
私たちが謝り、反省し、赦しを必死に請う前に、先にイエス様はあなたを愛され、あなたの罪が赦され、あなたが生きるために、代わりにイエス様はご自分のいのちを十字架で捨てたことを思い出し、黙想してください。
それほどまでに、あなたはイエス様によって愛されているのです。
その愛が、あなたに触れる時、あなたもイエス様があなたを愛したように、人々を愛すことができるのです。
私たちの力でするのではなく、神様の愛によって愛することなのです。
その愛によって、私たちの周りの人も神様の愛を見るようになるのです。
神様の子どもとして、愛されている子どもとして、人々を愛していくべきであるということを見てきましたが、もう一つ合わせて見ておきましょう。
【エペソ5章8節】
あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。
私たちは神様によって生まれた、光の子どもなのです。
それが私たちのアイデンティティです。
暗闇、つまり罪は常に私たちを追ってきます。
しつこく影のように追ってきます。
私たちは、信仰が強い時、燃えている時はまだ罪を拒否することができます。
でも少しでも揺らぐと、「あぁ、結局私はまた負けてしまうんだ。罪を犯したくないのに犯してしまうんだ」と思い、苦しい思いをしながらもまた同じ罪を繰り返してしまいます。
罪を断ち切ることは簡単なことではないです。
あのパウロさえも、ローマ7章19-20節で
「私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。
もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。」
と言っているほどです。
しかし、私たちはその罪の下には、その暗闇の下にはもういないはずで、主にあって光に移され、光の子どもとなったはずなのです。
自ら暗闇に戻っていく必要もないですし、暗闇に支配される必要もありません。
【エペソ5章14節】
明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」
光の子どもとして生きるのは自分の力でできるもの、自分で光を放てるのではありません。
キリストに近づき、キリストの光によって照らされることによって可能なのです。
罪から離れ、キリストに近づくことです。
私たちとキリストは月と太陽のようです。
月である私たちは、私たちだけでは光を放てませんが、太陽であるキリストによって照らされるのです。
勇気を持って、その罪を捨てましょう。
私たちにふさわしくないからです。
私たちは罪を行うために生まれたわけでも、そのために生きているわけでもない。
私たちが生きているのは光の子どもとして、愛されている子どもとして、良い行ないを行い、神様を愛し、また人々を愛するために生きているのです。
この暗闇の中で、暗闇として生きるのではなく、光である神様とともに生き、キリストの光によって照らされ、光の子どもとして生きましょう。
光の子どもとして、罪を捨て、罪の中ではなく、神様の中で生き続けるために、覚えておくべきことが一つあります。
それは、私たちが罪を行う時に、私たちよりも神様が、聖霊様が悲しまれていることです。
【エペソ4章30-32節】
神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。
無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。
お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。
私たちが罪を犯すとき、罪の中で生きる時、私たちだけが苦しい思いをしているのではありません。
何よりも、私たちの中に住まわれる聖霊様が悲しむのです。
「娘よ、なぜそうするのか」「息子よ、私が一緒にいるのではないか」「一緒に生きているのに、私のことを見向きもせず、その罪の方を選ぶのか」と、聖霊様が悲しむのです。
私たち以上に、苦しく、悲しい思いをするのです。
それでも、あなたの目の前にあるその罪は、神様以上に、一緒に心の中に住まわれている聖霊様以上に価値があるもの、捨てられないものですか。
神様を悲しませてもいいと思えるほど、必要なことなのですか。
すべきことなのですか。
罪の誘惑が来た時、十字架の前に出てきてください。
そのイエス様の愛を見てください。
あなたの中に住んでいる聖霊様を見てください。
こんなに愛してくださる方を裏切ってもいいのか、悲しませてもいいのか、それでも私は喜ぶのか、それでも何よりもその罪の方が大切なのか、そう考える時、その罪を手放せるようになります。
捨てることができます。
罪を見ていても、ただ腹が立ったり、悲しくなったり、苦しくなりつらくなるだけです。
私たちが見るべきは罪ではなく、十字架であり、聖霊様と向き合うことなのです。
光の子どもとして、一切の闇を捨てましょう。
捨て去りましょう。
あなたがその罪を捨てる時、聖霊様はきっと喜んでくださいますし、私たちの心に平安が来、心が解放されるのです。
罪を捨てて生きることは、光の中に歩み、罪から解放されて、心に平安が来て、生きることなのです。
それが私たちの本来の生きるべき姿なのです。
最後にもう一度言います。
自己紹介をしてください。あなたは誰ですか。
今日学んだこと、悟ったことをしっかり黙想しながら明日からも神様から愛されている子ども、光の子どもとして生きていきましょう。
アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚
2020.9.6
聖日礼拝メッセージ
八戸ノ里キリスト教会
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