からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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へりくだる

今日は何をもって主の前に出ますか

テーマは 『  今日は何をもって主の前に出ますか 』 です

ハレルヤ。

主の平安と守りがありますように。


【ミカ書6章6-7節】

私は何をもって主の前に進み行き、いと高き神の前にひれ伏そうか。全焼のいけにえ、一歳の子牛をもって御前に進み行くべきだろうか。

主は幾千の雄羊、幾万の油を喜ばれるだろうか。私の犯したそむきの罪のために、私の長子をささげるべきだろうか。私のたましいの罪のために、私に生まれた子をささげるべきだろうか。

この言葉を聞いて、皆さんはどのような印象を受けましたか?

自分の姿と重なりますか。
それとも、まったく違う姿ですか?


神を神とも思わず、尊敬もせず、恐れることもしない人からは思い浮かぶことすらない言葉だと思います。

神を軽く考え、神を必要な時だけ利用する人からは、こういうことばは死んでも口から出ないと思います。


今日の聖書の言葉は、“神に受け入れられるためには、どうしたらよいか” を真剣に考えている言葉です。


皆さんは、このように真剣に考えたことがありますか?

礼拝に出る時に、「今日は何をもって主の前に出ようか」と考えていますか?


それとも、「何で礼拝がこんなに早く来るのか ( =1週間が経つのか ) 」 と
嫌な思いになりますか?

そして行かなくても良い理由はないかなと考えたりしますか?


人の思いは主が見ておられます。


【エレミヤ書17章9-10節】

人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。わたし、主が心を探り、思いを調べ、それぞれその生き方により、行いの結ぶ実によって報いる。

と、はっきりと主が語りましたので、私たちが主に対して持っている思いで、良い物か悪い物かを受けるようになります。


ヒゼキヤ王が、主から死ぬことを宣告された時に、彼は大声で泣きながら主に祈りました。

「ああ、主よ。どうか思い出してください。
私がまことを尽くし、全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたが良いとみられることを行ってきたことを」


普段から主が喜ぶ生き方をする人は、苦難の時に強いです。

神に祈ります。

そして主は、その人の祈りに耳を傾けます。


ヒゼキヤの祈りに、主は15年もいのちを延ばしました。


主を本当に恐れる人は、自分よりも神の命令、みこころを優先にします。


1人息子を全焼のいけにえとして主にささげなさいと神から命令を受けたアブラハムは、その通りささげました。

殺す寸前に神は、彼が神を恐れていることを確かめて中止させました。


神に受け入れられるために何をしたら良いかを考えている姿を見て、主が答えてくださいました。


【ミカ書6章8節】

主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。

この言葉は、いま私たちに本当に必要なことばだと思います。


よく見えるところに書いて貼っておいて、日々それを実行するように努力してみてください。

神はその人を喜んで受け入れてくださいます。
(・∀・)


2016.10.27
3分テレフォンメッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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聖徒が取るべき態度

テーマは 『 聖徒が取るべき態度 』 です

【ヤコブ4章7ー8節】

ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。

神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。



1.神に対して




・神に従いなさい (ヤコブ4章7節)

神に従うことは神の恵みにふさわしく生きることです。

従うことは、神の前にへりくだり 心と思いと力を尽くして神の言葉に服従し、神の摂理に自分自身を完全にゆだねることです。


【第1ペテロ5章6節】

ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。

・神に近づきなさい (ヤコブ4章8節)

神に背を向けて この世を愛し、この世と仲良くして神との距離が離れている人には、そこにいつまでもとどまらず、方向を変えて神に近づくことを勧めます。


恵みも救いも永遠の命も天国も すべて神が持ってあります。

それが欲しいならば、神に近づかなければなりません。


“今は何も生活に不自由がないし満足しているし、神は別に要らない” という人は、この世を離れる時には一番哀れな人です。


(地上を離れる時は)何一つこの世から持ち出せないことを知らなければなりません。


その時、慌てて神を求めても助かることはありません。
救われるチャンスはもうないです。

そこから人生最大の後悔と苦しみが始まります。

私たちは、生きているうちに私たちを招いておられる神に近づかなければなりません。


神様のことがよく分からないと言う人がいます。

それは 切に求めていなく、近づかないので分からないのです。


神は必ず求める者にご自身を現わし、近づく者に近づいて下さる方です。

神が近づくということは、祝福と恵みを与えることを意味します。


【第2歴代誌15章1ー2節】

すると、神の霊がオデデの子アザルヤの上に臨んだ。

そこで、彼はアサの前に出て行き、彼に言った。「アサおよび、すべてユダとベニヤミンの人々よ。私の言うことを聞きなさい。あなたがたが主とともにいる間は、主はあなたがたとともにおられます。もし、あなたがたがこの方を求めるなら、あなたがたにご自身を示してくださいます。もし、あなたがたがこの方を捨て去るなら、この方はあなたがたを捨ててしまわれます。



2.悪魔に対して




・悪魔に立ち向かいなさい (ヤコブ4章7節)

悪魔の姿は、映画に出てくるような恐ろしい怪物だと思うなら、皆さんは悪魔に立ち向かうことを諦めて逃げるでしょう。

それなら私でも怖くて逃げます。


しかし実際は そんなものではないです。

悪魔を恐れて逃げるならば どこまでもついて来ますが、敵対するならば悪魔が避けて行きます。


私たちが悪魔を恐れる必要がないのは、私たちを罪から贖って下さったイエス・キリストの名を使う権限が私たちにあるからです。


ですから悪魔と戦うためには、いつも神に近づきながらイエス・キリストの名には悪魔を追い出す力があることを認めて、その名を信頼することです。


悪魔と戦うためには、悪魔がどこでどのように働いているかをまず突き止めることです。


空中に向かって、「悪魔よ、出て行け」 と言うのではないです。

悪魔は人間の中に目立たないように密かに働きます。


自分の姿がバレないように働くのが 悪魔の巧妙なやり方です。


  1. まずは人の中に欲望を入れる
  2. 欲望を通して私たちに影響を与える
  3. 肉的な欲望の中に 悪魔は様々な衝動を入れる
  4. 物を見ると買いたくなる衝動、女を見ると情欲の衝動を起こさせる
  5. 怒り、憎しみ、敵意、争いなどの衝動を入れ、それを巧みに操る

【ヤコブ4章1節】

何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。

戦う欲望によって人々と戦い、どれだけ多くの人命が犠牲になり、また戦った人たちの人生もダメになったか分かりません。


本来ならば、悪魔と戦わなければならないのに、悪魔は人間の中に戦う欲望を入れて、それを他人に向けさせて悪魔自身は何もせず、人間同士を戦わせて互いに滅ぼされるようにします。


人間はいつもこれに騙されています。


ですから神は、あなたが戦う相手は人間ではなく、あなたの中にある悪魔、相手の中にある悪魔であることを知って正しく戦いなさいと教えています。

悪魔こそ私たちの敵です。


【第1ペテロ5章8ー9節】

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。

【エペソ4章27節】

悪魔に機会を与えないようにしなさい。

自分たちの中で悪魔が働くチャンスを与えないようにすることです。


怒ったり争ったり自分で復讐したりすることは、悪魔に機会を与えることになります。

私たちが悪魔に機会を与えると、悪魔が働いて実を結びますが、その実を刈り取ってひどい目に遭うのは私たちです。


ですから騙されてはいけないです。


自分の中に様々な欲望を抑えられなくなった時には、いま自分の中に悪魔が強く働いていることをすぐ悟って 悪魔に立ち向かって戦うことです。


すると悪魔は自分の正体がばれたので働くことが出来ず追い出されます。


追い出さないと自分が悪魔に支配されて悪魔の思い通りに従うようになります。




3.罪に対して




【ヤコブ4章8節】

罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。

罪ある人と 二心の人とは、別々の人のことを言うのではなく、同じ人の中にある 心と行動です。

自分の欲望のままに生きていることが罪ある生活ですし、二心は 神とこの世を行ったり来たりする生活のことです。


手を洗いきよめることは、儀式的な面で汚いものを洗うことを意味します。


罪は汚いものであり、決して綺麗なものではないです。
それは洗わないといけないものです。


自分の現在の罪の生活を悔い改め、具体的に神を信じる者としての生活を見せないといけないです。

悔い改めの実を結ぶことが手を洗ったことになります。


そして心を清くすることは、心の問題のことで霊的姦淫の罪を捨てることです。


神を愛するか世を愛するかをハッキリさせることです。


さまようことをやめて 神を見上げる生活をしないと神に近づくことは出来ません。


世を愛して妥協しながら神を求めても そこには距離があります。

しかし清さと聖潔を求めながら神に近づくと神もその人に近づいて下さいます。


【ローマ13章14節】

主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。

【第1ヨハネ2章16ー17節】

すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。

世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行う者は、いつまでもながらえます。

このように悪魔には敵対し、罪を避け、神に近づくことが聖徒の取るべき態度です。

神は明確に私たちに教えて下さいました。


ですから、“分からないから出来ない” というのは ただの言い訳です。


みことばをしっかり受け止め、聖霊の助けを求めながら聖徒らしくいきましょう。
(・◇・)ゞ

2016.6.5
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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主が求めておられること

テーマは 『 主が求めておられること 』 です

【ミカ書6章8節】

主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。

2016年がスタートしました。

心を引き締め、身を慎むことが必要です。


スタートから何も考えず ダラダラと生きるならば、神にとっても人にとっても役に立たない者になります。


新しい一年をしっかりと信仰持って神と共に歩むためには、神が何を喜び、何を私たちに要求するのかを知って、それに合わせて生きる時に、その信仰は生き生きとした信仰になり、神に喜ばれる人になれます。


私たちが神のみこころを知って、それに共感しないと 神と共に歩むことはとても難しいので、今回はみこころを知って、共感してこの一年を神と共に歩みたいと思います。


今回のテーマ箇所の 主のことばには、主が求めるものがあります。




公義を行うこと




この “公義” とは どのような意味でしょうか。


神のことばに従って正しく生きることです。


これは罪人である者として、真の悔い改めなしには不可能です。


なぜならば真の悔い改めなしに、神の前に正しく歩むことが出来ないからです。


神に逆らう態度や、神が忌み嫌うものから離れ、神の言葉に従うことが “公義を行う” ことです。

真の悔い改めもない状態で、他のものでごまかしても 神がそれを知らないわけでもないですし、喜ぶわけでもありません。


クリスチャンの中でも自己流信仰の人がとても多いです。

自分だけが良いと思うやり方で信仰生活して、それを正しいと主張します。

そして他の人を裁きます。


それが正しいですか?それが公義でしょうか?
―― それは違います。


ヨブという人物を見ると、公義を行うとは どういうことかが分かります。


【ヨブ記1章1節】

ウツの地にヨブという名の人がいた。この人は潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた。

【ヨブ記1章4-5節】

彼の息子たちは互いに行き来し、それぞれ自分の日に、その家で祝宴を開き、人をやって彼らの三人の姉妹も招き、彼らといっしょに飲み食いするのを常としていた。

こうして祝宴の日が一巡すると、ヨブは彼らを呼び寄せ、聖別することにしていた。彼は翌朝早く、彼らひとりひとりのために、それぞれの全焼のいけにえをささげた。ヨブは、「私の息子たちが、あるいは罪を犯し、心の中で神をのろったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつもこのようにしていた。

公義を行う人は 神を恐れていますので、悪から遠ざかり、常に罪から聖別します。

罪に対して敏感で 罪を放置せず、すぐに悔い改めます。


これは形式的な信仰態度では出来ないことであり、心を引き締め、身を慎みながら生きている姿です。


ヨブのように真剣な態度で神を恐れ、神の前で生きようとする人が公義を行う人です。


新約聖書では公義を行う姿を次のようにも教えました。



【ローマ12章1-2節】

そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

日々 聖くなることが公義を行う姿で、それが霊的礼拝になります。


これは、神が私たちに常に求めておられる姿です。

真実な主の前で、偽りや形式で固めたものを差し出しても 主が喜ぶはずがありません。


それは神の前に礼儀ある姿ではないです。

私たちも礼儀のない人は好きではないですね。

神様に対しても礼儀がないならば嫌われます。


公義を行うことは神への礼儀です。




誠実を愛すること




“誠実” とは真心があることです。

真心で人や物事に対応することです。


それをさらに “愛すること” はそれに集中して心をすべて注ぐことです。


人はうわべを見ますが、神様は心を見ます。


何をするにも 神様は心の状態を見て判断します。

死に至るまで忠実な姿が、“誠実を愛する姿” です。


人間ほど変わりやすい者はいません。
手の平を返すように 心を変えることが多いですね。


神様は、誠実を愛する人を求めています。


神様は 愛していたイスラエルの民からいつも裏切られました。

彼らは簡単に神を捨てて、他の神々を求めて離れて行きました。

誠実さがなく、姦淫を行いました。


・神様だけを愛し続ける人が 神に誠実な人です。

・迫害があっても信仰を捨てず、主を信じる人が誠実を愛する姿です。

・奉仕がしんどくてもやり続けることが 誠実を愛する人です。

・誠実な人は、聞くだけで済ませる人ではなく実行する人です。


儒教の生みの親である孔子が ペルシヤ王の招きを受けた時に、馬鹿っぽい弟子1人だけを連れて行きました。

王は愚かに見える弟子を見て、孔子に「なぜあんな人を連れて来ましたか。」と尋ねると、孔子は答えました。


「私には一つ教えると十を悟る賢い弟子は多いですが、彼らは頭で理解するだけで実践しないですが、この弟子はあまりにも足りないので、一つ教えると それを忘れてはいけないと思って、すぐに実践する人だから私が一番愛して傍に置いています。」


聞いても何もしない人は、誠実な人ではないです。


心を込めて実行する人、そして それを継続する人は誠実で忠実な人です。

これは本当に必要な姿です。

神の民に求められるのは、頭に知識だけをいっぱい詰める人ではなく、誠実を愛する姿です。




へりくだって神と共に歩むこと




へりくだっている人は、己を知っている人です。


人生で一番難しいことは 自分自身を正確に知ることです。

へりくだっている人は、自分が無知であることを知って、絶えず変わろうとします。

そして自分の弱さを恥ずかしがらずに認めます。


自分の間違いも認め、自分の限界も知っているので努力をします。

そして自分の弱さを知っているので、人の弱さも理解し、人の間違いにも寛大です。

自分が弱い存在であることを知っているので、神に頼り、神と共に歩みます。


従順は へりくだる者が出来ます。

このような人と 主は共に歩みます。

これが今年目指すべき姿です。
(・∀・)つ


2016.1.2
新年礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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謙遜な者になるには?

テーマは『謙遜の実践』です。

【Ⅰペテロ5章5-6節】

みことばを聞いて終わるのではなく、みことばが命じることを聞いて実行して
初めて従順の実を結ぶことができ、そのみことばが自分の中で活かされていきます。

みことばは命であります。聞くだけで命になることはないです。
自分のものにして初めてそれが自分の中で命としての活動をします。

神様がここで語るのは高慢になるのではなくて、へりくだるものになりなさい。ということです。
神様は恵みを与えたいのです。

でもその恵みを受け取るには神様のみこころに叶わないと、受け取ることができないです。

主は「高ぶる者には与えない。」神様に敵対することは恐いことです。
≪あなたは私の敵である≫
自分が神様に向かって「自分は神様の子どもだ」といくら主張しても
≪あなたのその高慢な姿は私に敵対する。私の子どもには見えない。≫

神に対して最初に出てくる敵はサタンです。サタンがどれほど高慢な者であったのか。
もともとは御使いで神様が造ったものですが、神に対して心の中で思ったことがありました。

【イザヤ14章12-15節】

主に仕える者が自らが堕落していき、つまずきました。神に仕えることは素晴らしいことです。
それでも、そこで満足しないで神の上に立ちたいという、とんでもない思いを持ちました。
そこで神様に落とされました。 そしてアダムとエバにも同じく、高慢な思いを入れました。

【創世記3章4-5節】

人間は騙されて神様に敵対し、神様の言葉を退けました。人間を誘惑して
自分(サタン)と同じ目に遭わせました。人間は神のようになると思いました。

しかし、彼らは全てを失いました。エデンの園の祝福を失いました。
人間は神様から切り離されたものになりました。

こういう姿から私たちは学ばなければなりませんが、
人間は一番知恵があると言いながら、世の中で一番愚かなものであります。

私たちは同じことを繰り返して行います。歴史の中で戦争が絶えない。事件が絶えない。
これは何一つ学んでいない愚かな姿であります。
繰り返すならば私たちは受けた祝福を全て失いますので、神様はみことばを通して警告してあります。

神様は、高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えてくださるので、
へりくだりなさい、従いなさい。とおっしゃっています。

本日のテーマである聖句箇所の「若い人たちよ。長老たちに従いなさい。」は
『私は年をとっているから別に関係ないか。』ではないです。
信仰にとってまだ未熟な者であります。まだ謙遜さを身に着けていない者に対して語る言葉であります。
素直に言葉に聞き従いなさい。これはへりくだらないと神様の言葉を受け取ることができないです。 
高ぶっている者は神様の言葉を聞いてもアダムのように聞かないで違う事をします。

謙遜を身につけなさいということは、態度で示しなさいということであります。
人々が見て、わかるようにしなさい。頭で理解するだけで何になりますか?
聞いて実践する者になるならば、周りの人が見て「あの人は謙遜である。
あの言葉、態度は謙遜である。」と、このように神様は見せなさいと語っています。

「謙遜、へりくだる」は、ただ小さくなることではないです。
謙遜な人は、ある意味で態度は大きくないですが、心は誰よりも広い心を持っています。

【ローマ12章3節】

それぞれレベルは違いますが、思うべき限度を超える時から高慢が始まります。
人間も神のようになりたいという思いを受けた時から、行動しました。
高慢な行動が実を結び、堕落が始まり、滅び・死を刈り取ることになりました。

私たちは常に何かを考えて行動するものです。その時に、自分の思いを知らなければならないです。
自分の中で思うべき限度を超えて思い上がっているならば、その思いを潰さなければならないです。
「あ、高慢の始まりだ。とんでもないことを私は企んでいるんだ。」
それを討たなければならないです。

これはイエス様の弟子達の姿でもたくさん出てきました。
人間は生まれながら思い上がっている者であります。
小さな子供でさえ、素直な部分もありますが、高慢な思いがあります。

【ルカ22章21ー27節】

イエス様が十字架にかかる前の晩、弟子たちは自分たちがどんな立場にいるのかを誰も気付いていないです。
イエス様が語っているにも関わらず、耳に入っていないです。
深刻な話でも弟子たちは「(裏切るのは)誰なのか?」と話しましたが、
その話を打ち切って「この中で誰が一番偉いだろうか?」と議論を始めました。

イエス様は1人の弟子から裏切られてもうすぐ死ぬんだと告げているのに
話題を変えました。思いが違うところにあります。
なぜこのような場面の時に、こんな話題が出るのでしょうか?

これは高慢な人間だからです。
イエス様と一緒にいながらも、深刻な話をされているイエス様のことを見ていないです。
互いを見て、このような話題が出たのは、誰もが「自分が一番偉い」と思うからです。
もし皆が「わたしはそんな者ではない」と思うならば、議論する必要がないです。
3年間イエス様を見ながらも、目が見えない者であります。高慢な思いはなかなか断ち切れないです。
自分が一番大切なのです。自分が一番偉いという思いです。

思うべき限度を超えて自分を偉いと思っています。
異邦人の王、知恵ある者、金持ちは偉そうにしているので、そういう人達が
みんな偉い人なのだという先入観があり、偉い人になるとそうしなければいけないのだ。
謙遜にしていてはいけないのだと、支配をしないと権威を認めてくれないのだ。と思いますが、
本当はそうではないですね。

イエス様は≪あなたたちは一体、誰を目指しているのか?あんな傲慢な態度を目指すのか? 違うだろう?≫
自分たちを育ててくださったイエス様を見なければならないです。
イエス様は最期の時に弟子たちの足を洗いました。

【ルカ14章7-11節】

高慢になると恥がついてきます。高慢は神様の敵なので、たとえ神の子どもであっても、
神の子どもの扱いをしないです。私たちの高ぶりは、まず神様の前で始まります。

神様の前で偉そうにしています。自分では気づいていないと思います。
私たちの態度・言葉が神様に対して高慢な態度であります。

私たちは貧しくなると、まず神様のことを切ってしまいます。これは神様に対して悪い思いであります。
病気であっても会社へ行きます。
しかし今日は疲れているから教会を休もうというならば、ただ教会を休んだということではなく、
主に会う約束をキャンセルすることであります。
いつも私たちは神様のものを最初に切り落として、世の物を最後まで残しています。

何が一番大切なのでしょうか?
全ての物を失っても自分を祝福し、守ってくださる神様を最後まで守らなければならないです。
 だから、まず肉のものから切り落としていかなければならないです。
でも実際は反対のことをしているのではないでしょうか?これは神様のことを軽く見ていることであります。
 「こんな時に神様のことなんか出来ません!!」これは神様の恵みを忘れた姿であります。

恵みを忘れると私たちは高慢になってしまいます。
滅びていく肉のものを最後まで「これは手放せない!」と。
そうなると、≪それは錆びて泥棒が来て全部失って、命まで失っていくんだ≫と神様が語ります。
私たちは知らぬ間にこういう事をしているのです。

一番大切なものを最初に手放し、価値のない物をずっと握りしめています。
ですが、手を広げてみてください。その握っているものはそれほど価値があるものなのか?
そういう私たちの態度が神様の前では高慢であります。

聖書にはヤコブとエサウが出てきますが、エサウがそのような姿でした。
ヤコブは一番大切なものを知っていましたので長子の権利を売ってくれとエサウに伝えました。
ヤコブの手段は悪かったのですが、霊的に何が一番大切であるかを知っていました。
一方、エサウは一番最初にそれを手放しました。
お腹がすいていたからということだけで一番大切な長子の権利を食べ物であっさりと交換してしまいました。
エサウは長子の権利を「こんなもの」と言いましたので、神様は呪いました。
神様よりも食べ物が「上」になっていました。これが高慢な姿であります。

エサウの子孫までも呪われ、すべて地獄へ落とされました。

【箴言11章2節】

答えがはっきりと書かれています。高ぶるなら恥が来ます。恥はかきたくないでしょう?
知恵が欲しいでしょうか?へりくだれば「知恵をください」と言わなくても恵みで知恵が来ます。

【箴言16章5節】

高ぶって得することは1つもありません。神様に嫌われ、神様の敵になり、恥が来て、罰を免れません。
しかし、人間はそうだと知っていながらも高ぶります。人よりも上に上がろうとします。
これは目標があって何かを達成するのは問題がないですが、心が高ぶってることを神様が教えてあるのです。

謙遜を実践するとどうなるでしょうか?
祝福があります。 

【箴言29章23節】

謙遜な人は心が広いのでどこにいても尊敬されます。寛容な人、柔和な人、敵をつくらない人たちです。
傲慢は自ら敵をつくることであります。
人を踏みつけて上に立とうとするので、トゲトゲしいから 周りの人達が近寄らなくなります。
偉そうな態度をする人の前では自分の姿が惨めな感じがするのですが、
謙遜な人は、その人が身を低くしているから、その人の傍に行くと自分が何者でもないのに
何だか自分が偉い人のように思わせます。だからそのような人の傍に行きます。

神様は≪自分で自分を褒めるのではなくて、他人の口から褒めさせなさい。≫
「あんな謙遜な人になりたいなぁ」「あんな柔和な人、心の優しい人になりたいなぁ」
神様はその祝福をお与えになります。  

祈りで「恵みを与えてください、恵みを与えてください」と。
神様は≪へりくだっているのか?あなたが心を低くし、へりくだるならそこに恵みが流れていく。 
みことばで約束してあるから、わたしが間違いなくあなたに恵みを与える。≫と語ってあります。

【ヤコブ4章10節】

神の前でへりくだる者は、人の前でもへりくだります。
そうすると神様ご自身が≪あなたは行くところまで下りていったんだから、上がってきなさい。≫
謙遜な者は神様が高いところへ、天国は謙遜な者が入り、神の御座の傍には一番謙遜な者が座ると
語ってあります。

パウロは本当に謙遜な人でありますが、だから神様が彼を高く評価して、イエス様とモーセの姿に似ています。
主に仕えた多くの立派な信仰の人たちに似ています。
神様はそのような人たちを高く御座のところまで引き上げてくださいます。

このように謙遜がもたらす物は良いものだらけで、傲慢は悪いものだらけです。
どちらを自分は選ぶのか自由であります。
だから傲慢なものを打ち砕いて内側から取らなければならないです。
それを持っていて自分が良いことが1つもないです。
自分の身を滅ぼさせます。そこにサタンがいることと同じであります。

【ピリピ2章3-4節】

神様が高慢にならないで謙遜になるために語った箇所であります。

自己中心的になると高慢になって「私が、私が・・・」になります。
思うべき限度を超える人たちの姿には必ず虚栄があります。ふくらませて良く見せます。
それで得るものは高慢な姿だけであります。

私たちがへりくだっていくと、他の人を優れた者だと思うようになります。神様はこのことを教えながら
イエス様があなたたちの模範である「謙遜な方」の模範でありますと5節から教えてあります。 

【ピリピ2章5-9節】

いつも謙遜な思いを持っていなさい。神様の前でイエス様はいつもへりくだっていたから高く上げられました。
みことばが実現されました。イエス様がしたならば、あなたは当然のようにすべきだろう?
イエス様のような方がしたのに、あなたにできない理由は何でしょうか?
「できません。」と言うならば、私たちが自分の高慢を捨てないことであります。
高慢な思いがあるとできないことであります。

しかし、「謙遜になろう」と決心するならばできないことはないです。
祝福を受ける一番の道は謙遜になることであります。恵みが与えられると語ってあります。
約束は全て良いものであります。

欲しいなぁと思うならば道は1つ。互いに謙遜を身に着けることであります。
謙遜な者になっていきましょう。(⌒-⌒)

2012.3.11
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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