テーマは 『 出来ると言う信仰 』 です
【マルコの福音書9章23節】
するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」
今日のことばは、私がよく告白するイエス様のことばです。
力を与え、信仰を与え、行動を起こさせる素晴らしいことばです。
そして、次のことばも普段よく告白することばです。
【ピリピ4章13節】
私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。
この2つの言葉によって、数々の難関を今まで乗り越えて来ましたし、不可能に思われたことにも挑戦出来ました。
今回は、私が恵みを受けた ことばで「出来ると言う信仰」に対して学びたいと思います。
皆さんは「出来る」ということばをよく使いますか?
それとも、「出来ない」ということばをよく使いますか?
きっと分かれると思います。
旧約聖書の民数記を読むと、そこにも “出来る” と言う人たちと “出来ない” と言う人たちの姿が出てきます。
希望の地。憧れの地。神が約束した地。
乳と蜜が流れるカナンの地は、エジプトで430年の長い間、奴隷生活をしていたイスラエルの民にとっては一番行きたい所でした。
いま北朝鮮で苦しんでいる人々が、いのちを懸けても行きたい地が韓国であり、シリア難民がいのちを懸けて行きたい地がヨーロッパであるのと同じです。
神様は過酷な奴隷生活から彼らを解放しました。
そして乳と蜜が流れる希望の地カナンに導くために彼らを連れ出しました。
エジプトから出た彼らは200万人近い大集団でした。
希望の地、祝福の地は誰にでもタダで与えられる幸運の地ではないです。
出来ると言う信仰の人に与えられる神からのプレゼントです。
モーセの導きを受けてエジプトを出た民は、大きな期待を抱いて荒野まで出て来ました。
モーセはヨルダンの向こうにある希望の地を探らせるために、先に12人の斥候(せっこう)を送りました。
40日間その地を探った人々の意見が2つに分かれました。
まず10人がこのような報告をしました。
【民数記13章32-33節】
彼らは探って来た地について、イスラエル人に悪く言いふらして言った。「私たちが行き巡って探った地は、その住民を食い尽くす地だ。私たちがそこで見た民はみな、背の高い者たちだ。
そこで、私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」
彼らは「私たちがその地に入るのは無理だ。出来ない。出来るわけがない。彼らは巨人で私たちはいなごだ。そこに入るのはありえない。」と断言して言いました。
それを聞いた人々の反応はどうでしたか?
【民数記14章1―3節】
全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした。
イスラエル人はみな、モーセとアロンにつぶやき、全会衆は彼らに言った。「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。できれば、この荒野で死んだほうがましだ。
なぜ主は、私たちをこの地に導いて来て、剣で倒そうとされるのか。私たちの妻子は、さらわれてしまうのに。エジプトに帰ったほうが、私たちにとって良くはないか。」
みなさんならば どのように反応しますか?
この意見に賛成ですか?“私もそう思う” と納得しますか?
いなご自画像にとらえられている人は「挫折感、絶望感、劣等感、失望感」で、何でも大きく見て、出来ないと言う信仰をもって自ら諦めて何もせず座り込みます。
このような人が世の中には圧倒的に多いです。
そして今のままが良いとか、何もしない方が良いと言います。
しかし残りの2人、ヨシュアとカレブは彼らとは意見がまったく違いました。
【民数記14章6-9節】
すると、その地を探って来た者のうち、ヌンの子ヨシュアとエフネの子カレブとは自分たちの着物を引き裂いて、
イスラエル人の全会衆に向かって次のように言った。「私たちが巡り歩いて探った地は、すばらしく良い地だった。
もし、私たちが主の御心にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さるだろう。あの地には、乳と蜜とが流れている。
ただ、主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちのえじきとなるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。しかし主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」
彼らは “出来る” という信仰を持って「出来る、すばらしい所だ、早く行きましょう。」と言いました。
肯定的な信仰、出来るという信仰は、確信と自信にあふれています。
始める前から疑いのない成就感に満ちて、戸惑いのない確信に満ちています。
このように希望の地を前にして「出来る。」と言う人と、「出来ない。」と言う人に分かれました。
出来ると言う信仰を持った人たちのことばを聞いた人々はどのような反応を見せたでしょうか。
【民数記14章10節】
しかし全会衆は、彼らを石で打ち殺そうと言い出した。そのとき、主の栄光が会見の天幕からすべてのイスラエル人に現れた。
「出来ない」という人の意見には賛成した人たちが、「出来る」という人たちに対しては怒りと殺意に満ちて殺そうとしました。
この反応には驚きです。
彼らの姿を見て神様も驚き、彼らの前に現れました。
そこに神様が現れなかったならば、この2人は殺されたでしょう。
今の世の中もそうです。
「出来ない」と言う人の方が圧倒的に多いです。
出来ると言う人はとても少ないです。
そして “出来ない” という人が、“出来る” という人の意見をつぶしていきます。
特に日本では、「出来ない、無理、リスクが高い」などと言って、否定的な意見を言う人たちが多く、その声が勝つことが多いです。
心配と不安と恐れの思いに満たされた人がとても多いです。
自分たちは それを “慎重な意見だ” と言いますが、否定的な人はどんな時でも否定的な意見しか出て来ないです。
出来るという人たちを殺そうとした時に、神様が現れて正しい判断を下しました。
【申命記14章11―12節】
主はモーセに仰せられた。「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じないのか。
わたしは疫病で彼らを打って滅ぼしてしまい、あなたを彼らよりも大いなる強い国民にしよう。」
「出来る、しましょう。」と言う人は、神を信頼する信仰が認められて、期待したカナンの地に入ることが出来ました。
しかし「出来ない、無理だ。」と言った人たちは、神を信じなかった不信仰のために荒野で全員死にました。
いなご自画像から抜け出ない限り、どんなに素晴らしい環境が与えられても その人は何も出来ないです。
いなごが出来ることしか出来ません。
出来ると言う信仰を持っている人は、他の人が出来ないと言って諦めて離れていった所で、「やってみよう」と “出来る” という信仰で挑戦します。
「私が出来ないことを神様も出来ないならば、その方は私の神様ではない。私には不可能なことが神様にも不可能ならば、その方は私が信じる神様ではない。」と思います。
出来ると言う信仰は、座ったまま何もしない信仰ではなく、立ち上がって行動するところから始まる信仰です。
出来る所から始めます。
主のことばのように、「出来るものならと言うのか。信じる者はどんなことでもできるのです。」 と告白しながら行動を始めます。
出来ると言う信仰は、取るに足りない小さいものからでも始めます。
周りの人が出来ないと言うから しないのではないです。
出来ないと言う人の前で やってのける時に出来るようになります。
否定的な人のことばに耳を傾ける必要はないです。
何もしない人の意見など役に立ちません。
奇跡は、皆が出来るという所から出るのではなく、皆が出来ないと言われる所から出てきます。
出来るという信仰でやると、神様が働き奇跡も起こります。
ルイスフンという人は「失敗を恐れて新しいことを拒否してはならない。人生の一番悲しい3段階はこのように言える。出来る。出来るかも知れない。しなければ・・・」結局、いつも思うだけで何もせず人生が終わります。
ロバートシュラ―牧師は「不可能なことが存在するのではなく、不可能と思う思いが存在する。」と言いました。
出来ると思う人は、出来ると思うので何でも出来ます。
しかし出来ないと思う人は、出来ないと思うので何も出来ないです。
出来るという信仰が行動を引き起こします。
出来ないと言う人は、裏を返せば安定志向が強いです。
そしてそこに隠れているのは、“不安と恐れと心配” です。
しかし今の状態も本当は安定ではないです。
挑戦できないから何もしないだけです。
出来ると言う信仰を持っている人は、たとえ挑戦して失敗をしても、また出来るという信仰を持って さらに挑戦します。
ですから道が開かれます。
この人たちを神様は助け、力を与えます。この人たちが成功し、満たされた人生を送ります。
出来ないと言う否定的な言葉を使えば使うほど、いなごからさらに小さくなって蟻みたいになり、最後は いてもいなくても良いような存在になります。
しかし出来るという信仰で挑戦をすると、いなごからどんどん巨人に成長していきます。
その人たちが主に用いられ、新しい道が開かれます。
またビジョンや明確な目標がないと、出来るという信仰も生まれて来ないので、明確な目標を設定して、“出来る” という信仰を持つと、必ず神様が働いてくださり、助けて下さいます。
( ̄‥ ̄)=3
2016.5.29
聖日礼拝メッセージ
八戸ノ里キリスト教会
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シャローム松山教会の礼拝メッセージです
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