からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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つぶやき

悪魔が喜ぶ人、嫌いな人

テーマは 『 悪魔が喜ぶ人、嫌いな人』 』 です

【第1ペテロ5章8-9節】

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。

悪魔の存在は 堕落した御使いです。

もともとは良い者だったのに、神に逆らって堕落すると、とんでもない悪い者になりました。


その悪魔は、人間に罪を犯すようにそそのかす者です。


神は、人間を神のみこころに従って生きるように造りました。


それなのに悪魔は絶えず、人間が神に逆らって生きるように誘惑します。

この悪魔の誘惑から逃れる者は1人もいません。



イエス様さえも悪魔の誘惑に会いました。

信仰ある人たちも みんな悪魔の誘惑を受けました。


悪魔は、(神を)信じる者の敵なので 立ち向かいなさいと主から言われました。

勝利するためには敵のことをよく知っておかなければいけないです。


今回は、敵を知るために、悪魔が好きな人と嫌いな人を学びます。




悪魔が喜ぶ人




悪魔は罪を犯す人を喜びます。


京都の放火事件で、人々はことばを失うほど悲しんでいますが、悲しまないのは、犯人と悪魔ですね。

もちろん悪魔の心を持っている人間は喜んでいると思います。


人間ならば 人間の心が必要ですが、犯人には人間の心がありません。

人の死を喜ぶ悪魔の心しかないです。


悪魔は悪魔の心を持って罪を犯す人間をとても喜びます。

神は罪を忌み嫌いますが、悪魔は罪が大好きです。


悪魔は、神が忌み嫌うことを行う者が大好きです。



箴言6章には、神の忌み嫌うことが書かれてありますが、これらを行う者は悪魔に喜ばれています。


【箴言6章16-19節】

主の憎むものが六つある。いや、主ご自身の忌みきらうものが七つある。

高ぶる目、偽りの舌、罪のない者の血を流す手、

邪悪な計画を細工する心、悪へ走るに速い足、

まやかしを吹聴する偽りの証人、兄弟の間に争いをひき起こす者。

罪を犯す者は絶えず、悪魔に餌を与えて悪魔に力を与える者です。

悪魔を獅子と表現しましたが、獅子も餌を得ないと力が出ないし、最後は死にます。


悪魔が喜ぶ罪を犯して餌を与えながら悪魔に勝つことは可能でしょうか?


不可能です。




悪魔が嫌いな人




悪魔を落胆させ、餌を与えない人を悪魔は嫌います。


私たちが悪魔に勝利するためには、絶えず悪魔を落胆させ、悪魔を飢え死にさせなければなりません。

悪魔が嫌いなことがあります。


それは私たちが神のみこころを行うことです。


すなわち神を喜ばせることをするならば、悪魔は怒り狂います。

嫉妬、妬みに燃え、攻撃もします。


しかし 私たちはそんな悪魔を恐れず、さらに神のみこころを行うことです。



どのように生きたら悪魔に嫌われる人になるでしょうか?


【第1テサロニケ5章15-18節】

だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行うよう務めなさい。

いつも喜んでいなさい。

絶えず祈りなさい。

すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

人に悪を行い人間関係が壊されることを悪魔は好みますが、私たちがいつも善を行うならば悪魔はその人を憎みます。

悪魔の心を受け入れる人は、他人に平気に悪を行います。


しかし神のみことばに従って善を行うならば神は喜び、悪魔は嫌います。



いつも喜ぶ人は、悪魔に嫌われます。

誘惑しても倒れないからです。


クリスチャンが悪魔の誘惑に陥りやすいのは環境を信仰の目で見ず、人間的な目(不信仰な目)で見るからです。


環境を見てつぶやいて罪を犯す場合が多いです。

悪魔は次のような人が嫌いです。


【ハバクク書3章17-19節】

そのとき、いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木は実をみのらせず、オリーブの木も実りがなく、畑は食物を出さない。羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる。

しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。

私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。指揮者のために。弦楽器に合わせて。

環境よりも大切な主が私たちを愛し、私たちを救って下さったことを考えるならば、どんな環境の中でも喜ぶことが出来ます。

ハバククも 厳しい環境の中で、このことばを告白しました。



どんな環境の中でも喜ぶ人を悪魔は嫌います。

私たちが神を呪い、神から離れることを願って様々な攻撃をするのに、効き目がないので嫌います。






また悪魔は、祈る人が大嫌いです。


私たちが落胆したり、疑ったりして祈らないことを願っているのに、絶えず神の前に出て祈ると 自分たち(悪魔)の作戦が無効になるので嫌いです。


悪魔は、私たちが神の助けなしに生きるように仕向けますが、それに騙されてはいけないです。



また悪魔はすべてのことについて感謝する人が嫌いです。


悪魔はつぶやく人が好きです。

つぶやく人の中に入りやすいからです。

つぶやく人は悪魔から見ると使いやすいです。


しかし感謝すると出番がなくなります。

悪魔の力が無力になります。



“霊的力がないから悪魔に立ち向かえない” と嘆く必要はありません。


感謝するならば、悪魔の力を奪い取ることが出来ますし、無力化することが出来ます。


感謝せずに、つぶやく人は悪魔を巨人にする人です。

しかし感謝する人は悪魔をイナゴにする人です。



悪魔との戦いで、悪魔を倒したいならば、悪魔から嫌われる人になり、悪魔を失望させる人になることです。

そして神に喜ばれる人になるならば、悪魔は次のような状態になります。


【申命記28章7節】

主は、あなたに立ち向かって来る敵を、あなたの前で敗走させる。彼らは、一つの道からあなたを攻撃し、あなたの前から七つの道に逃げ去ろう。

悪魔を恐れるのではなく、神を恐れる者になって、悪魔に勝利する者になりましょう。
アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2019.7.21
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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クリスチャンの生活とは?

テーマは 『 クリスチャンの生活 』 です

【ピリピ2章12-18節】

そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。

神は、みここころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。

すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。

それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、

いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだではなかったことを、キリストの日に誇ることができます。

たとい私が、あなたがたの信仰の供え物と礼拝とともに、注ぎの供え物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。

あなたがたも同じように喜んでください。私といっしょに喜んでください。

根本的にクリスチャン生活とはどのようなものなのか、今回のみことばの中で知ることができます。

キリストに繋がれている者は、当然 頭であるキリストについていくために、似ていく者にならなければいけないです。
世の人から「あなたは本当にクリスチャンだ」と認められないならば、何によって私たちはキリストを現すことができるでしょうか。

模範であったイエス様を見て、謙遜を実践していく姿がクリスチャン生活の1つであります。




①自分の救いを達成していく生活


神様の言葉にクリスチャンが従う1つの目的は、自分の救いの達成であります。
この言葉で誤解をするかも知れません。

「そうしたら、私たちはまだ救われていないのでしょうか?これから自分の努力で救いを得なければならないでしょうか。」と思いそうですが、決してそういうことではないです。

救いの御業は人間ではなく、神によって始まっています。また、私たちが先に神様を愛したのではなく、神様が私たちを愛しました。そして、私たちが神様を選んだのではなく、神様が私たちを選んでくださったのです。

例えば、人を通して その人を導いたとしても、それは神様から出たものです。
人間は本来、神様を求めない者であります。すべては神様の方から招待が来ました。
私たちがそれを受け入れて救われた時から、聖書を通して多くの言葉が語られました。


救いの計画も、人生の計画も神様が全て持っていますが、私たちは恐れおののいて それに従わなければならないということです。

何に対して恐れおののくのでしょうか?―― 救いを与えてくださった神様に対する敬う心であります。

神様は 私たちをロボットや軍隊のように従わせるのではなく、優しくみことばを語りながら教えてくださるので、私たちが従順しながら歩むのは救いの達成に向かっているのです。


救いの達成に向かって進むということは、荒野でのイスラエルの民たちの姿を思い出したらよく分かります。
神様は奴隷生活した彼らを、一方的な神様の御業を通して救い出しました。彼らの努力は1つもありませんでした。
神様は救い出したいと思い、モーセを用いて全員をそこから出しました。これは救いであります。

神様が先頭に立って、イスラエルの民たちは喜びながらついていくと、荒野が見えて来ました。
それは私たちが救いを達成していくために、進まなければならない道なのです。

彼らにマナを食べさせたり 神様からの恵みをたくさん与えました。
そして神様はカナンの地につれていく計画を立てて その中で神様がずっと律法を語っていました。
「(カナンの地へ行くために)わたしの言葉に聞き従いなさい。」と 恐れおののきなさいと語りました。


しかし、恐れおののいた者はわずかでした。モーセ・カレブ・ヨシュアでありました。それ以外は誰もいませんでした。
彼らは神様の約束の言葉や命令を聞きましたが、人間として責任ある行動が出来なかったのです。
救われてエジプトから出ましたが、神様がずっと見ていて(彼らは)天国に入る者として相応しくなかったのです。

彼らは天国を自分のものにしたいという思いがありましたが、神様を恐れおののかず、ずっと不信仰でした。

神様は(彼らに)たくさんの良い恵みを与えて、奴隷から救い出しましたので(神様の)言葉に従ってくれると思っていました。
しかし、神様の言葉に従わなかったので、人格を持っておられる神様は刑罰を与えました。すると彼らは神様に助けを求めましたが、困った時だけ助けを求めました。そして、それが解決されると また不従順の連続でした。

結局2人しか辿りつけず、他の人たちは荒野で倒れました。これは救いの達成が出来なかったということです。


これは今のクリスチャンも同じであり、私たちは不信仰・不従順になると倒れてしまいます。
神様を恐れおののかないと、そこで倒れるしかないのです。

選ばれた人間は、神様に対する責任ある行動と応答をしていかなければならないです。
従順していくと、神様との距離が近くなり一緒に歩めるようになります。神様はその者を一番喜んでくださるのです。

イエス様が謙遜な姿ということは、自分を捨てたことであります。父の御心にいつも自分を合わせていきました。
それによってイエス様も勝利をしていったのです。

クリスチャンは神様を恐れおののいて従順して、自分の救いを達成していかなければならないです。




②つぶやかず・疑わない生活


救いを達成させるための中身は、つぶやかず、疑わない生活であります。
これは謙遜にならなければ無理です。

高慢な人はつぶやきが多いです。高慢な人は欲望が多過ぎるので満たされることがないです。
自己中心なので自分の思い通りにならないと神様に対してもつぶやきが多いです。

イスラエルの民たちの一番の大きな罪は「つぶやき」でした。不平不満が心に満たされていました。感謝をせず、恵みを覚えていないのです。

謙遜は自分を「無」にすることです。
「無」になると、与えられるどんな小さなものでも恵みなのです。「私は無価値な者なのです。」と本気で思う中で、神様が水を一杯でもくださるなら感謝の気持ちでいっぱいになります。

しかし、自分を高く評価する者は「こんなもの食えるか!私を誰だと思っているのか?」と感謝をしないのです。
イスラエルの民たちはマナに対しても「こんな惨めなものは食べたくない。」と文句を言いました。


私たちも、クリスチャンと言いながらも神様に対してつぶやき、周りの人に対してもつぶやくのは感謝をしないことであります。また、家族に対してもつぶやきます。

これは よく考えたら良いと思います。家族が自分にとって、どのような存在でしょうか?

家族がいなくなったら――?旦那さんが一生懸命働いて家族を養うことは、とても責任あることなのです。
これは立派な働きです。また、休みたくても休まず何十年間も働いています。自分の人生が拘束されて1年間にわずかな休みしかないのです。
会社では辛い事もありますが、我慢をして家族のために働いているのです。

主婦はその点では時間に自由がありますし、楽なのです。
旦那さんから給料を全部取り、わずかな小遣いしか与えないのならとても辛いことだと思います。
もしも、自分が逆の立場だったらどのようにするでしょうか?
常に私たちは逆の立場になって考えたら良いと思います。


神様は、すべてのことに つぶやかず、疑わずに行いなさいと私たちに語りました。
私たちは本気でそのようにすると自分を「無」にして謙遜な姿をもって生きるならば、これは難しいことではないです。

自分の存在価値が高いものだと 勝手に思うので全てが不満になるのです。

霊的に成長すればするほど純真な者になっていきます。私たちの中から肉の不純物がどんどん消えていきます。
肉のものを神様の言葉に服従させて(肉を)消していくならば純粋な者になります。
花嫁の姿の基本は「純真な者」です。日々、自分を綺麗に保っていかなければならないです。

私たちが汚い者になるならば、神様がまとめて火の中に投げ込むのです。

神様の子どもは「光の子ども」であります。悪魔の子どもは「闇の子ども」です。これは水と油のような関係です。
暗闇の中にいても、光るものが1つあれば とても目立ちます。

神様が願うのは、(私たちが)暗闇の中で世の光として目立つ者になってほしいのです。周りの人たちにそれを見せていかなければならないです。

聖書の言葉を握るということは 自分の欲のままではなくて、みことば通りに生きるということなのです。




③喜びの生活


【ピリピ2章17節】

たとい私が、あなたがたの信仰の供え物と礼拝とともに、注ぎの供え物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。

パウロは殉教することを知っていましたが、この時は既に捕えられていました。
「わたしは主の働きをして最後に死ぬのだ」ということを知っていましたが、これはキリストの栄光が現れることなので彼はすごく喜んでいました。

死ぬことを喜んでいたのです。キリストと苦難を共にし、わたしが一粒の麦となって死ぬならば、多くの魂の実を結ぶ事ができると見て喜びました。

もしも 私たちが罪を犯して死ぬならば、喜ぶことは出来ないです。
それは何の報いもなく、人々に良い影響を与えるどころか悪い影響を与えるのです。

しかし、キリストのために献身的に働きをし、人のために自分の命を捧げる人は永遠に褒め称えられます。
神様がその人に栄光を注ぎます。その死は新しい命の道に入る1つの扉を開ける栄光の死なのです。
地上での扉は閉まりますが、新しい扉を開けると永遠の命の世界であります。

これは誰でも行ける世界ではないです。黙示録にあるように「勝利する者」という前提があります。
つまり、勝利をしていない者はその恵みを受けることが出来ないのです。


私たちも自分を犠牲にしないと、最期には神様が「あなたは生きる値打ちがない者である。」と犠牲をさせるのです。

私たちの命は自分のために生きるのではないです。キリストにあるものは、キリストのために生きる者であります。

私たちがキリストを取ってしまうならば、それはクリスチャンではないです。
キリストのために生きる者を「クリスチャン」と呼ぶのです。

私たちは生き方によって、神様から救い出された者であることを ずっと見せていかなければならないです。

クリスチャンとして生きることは、教会に行く事、奉仕をすることではないです。

心と生き方すべてのものを神様が喜ぶほうに変えない限り、神様と一致できないですし、救いの達成には至りません。

クリスチャンとしてきちんと生きていく人生を私たちは目指していきましょう。 (・∀・)つ

2014.1.5
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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すべての事について…感謝 ❤

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