テーマは『 どのように祝福が与えられ、感謝が生まれるのか 』です

【Ⅱコリント9章6-12節】

私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。

ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。

神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。

「この人は散らして、貧しい人々に与えた。その義は永遠にとどまる。」と書いてあるとおりです。

蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。

あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。

なぜなら、この奉仕のわざは、聖徒たちの必要を十分に満たすばかりでなく、神への多くの感謝を通して、満ちあふれるようになるからです。

私たちはどのように多くの祝福を受けることが出来るでしょうか。
そして感謝がどこから生み出されていくのでしょうか?

神様がすべてのものを造られ、私たち人間も造ってくださったのです。今も主権者として働いてくださっています。

目には見えませんが、あらゆる自然界の法則があります。朝があり、夕があります。太陽があり、地球が回ることも法則があります。
そして、蒔いたら刈り取るという法則の中ですべてのものが動いています。

たくさん祝福を受けたいと誰かが思うならば、その人はある法則に従わなければいけないです。
それは、「少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取る。」これは聖書を読まなくても自然界の中で知っていることでもあります。

豆を蒔いたら豆が生えて、小豆を蒔いたら小豆が生えます。
豆を蒔いたのに、小豆が生えることはないですね。

たくさん刈り取りをしたいなぁと考える農夫ならば、自然の法則通りに畑にたくさんの種を蒔くと思います。
そして秋になったらたくさんの収穫ができるようになります。

この法則を決めたのは神様であります。


【ガラテヤ6章7節】

思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。

悪いものを蒔いたら悪いものを刈り取り、良いものを蒔いたら良いものを刈り取ります。
少し蒔いたら少しだけ刈り取り、多く蒔いたら多くの刈り取りをします。

ある人が少しだけ蒔いて沢山くださいと祈り、手に入れてから「私は100倍を求めたのにこれだけですか?」と
言うならば、この箇所にある「神は侮られるような方ではない」のです。
少しだけ蒔くなら、それ相応の分しか刈り取れません。

神様の法則は、今も正しく働いています。世の中にも因果応報という言葉があります。
自分でしたことは自分で刈り取るのです。

蒔いてもいないものを刈り取ろうとするならば、それは詐欺師です。これは逆らって生きている人たちの姿です。
不正で得ているものは祝福ではないです。

私たちはそういうものではなくて、神様が決められた法則に従って生きていかなければならないです。


【箴言12章14節】

人はその口の実によって良いものに満ち足りる。人の手の働きはその人に報いを与える。

「人の手の働きはその人に報いを与える。」というのは、一生懸命 勤勉に働く人は、必ず報いを受けるということです。仕事をしないで何もしない人は、貧しさしか刈り取れないです。


【箴言28章19節】

自分の畑を耕す者は食糧に飽き足り、むなしいものを追い求める者は貧しさに飽きる。

一生懸命、朝から畑に出て種を蒔き 世話をし、そして水を注ぎ雑草を取り除く人々は、
秋の収穫になると 食糧に満ち足りるのです。また、むなしいものを求めると、良いものを手に入れることもないです。

私たちが豊かな祝福を受けるにはどのようにしたら良いのでしょうか。
忠実な者に、神様が豊かな報いを与えてくださるのです。忠実ということは、最善を尽くすということであります。

すべてのことに対して最善を尽くす人たちに、神様は豊かな祝福を与えます。

聖書には「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして」という言葉があります。
神様を愛する時や信じる時以外にも、仕事や何かをする時には心を尽くしてしなさいということです。
適当にするのでは良い報いはないです。


【マタイの福音書25章21節、23節】(※同じみことばです)

その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』

働きを一生懸命した人に対して 神様が語る言葉です。わずかな物、小さなことにも とても忠実だったのです。
そして、その忠実さを見て 神様が語ったのは「たくさんの物を任せよう。」でした。これは祝福であります。

主に対して忠実な者には、神様ご自身が責任を取ってくださるのです。

豊かに与えてくださる神様であることをはっきりと語り、常にすべてのことに満ち足りるようにしてくださる神様なのです。


【Ⅱコリント9章14節】

また彼らは、あなたがたのために祈るとき、あなたがたに与えられた絶大な神の恵みのゆえに、あなたがたを慕うようになるのです。

「絶大な神の恵み」という言葉がありますが、これは私たちが信頼できるものであります。

今回のテーマの箇所は、献金のことを語りました。捧げ物に対して語った言葉でした。
「いやいやしながら」、「仕方がないなぁ」、「言われたから強いられて」、時には「惜しむ心で」捧げるならば、
それは忠実さではないと語りました。計算高いのです。また神様を試すことも、神様が喜ぶ心ではないです。

忠実にするのは、神様に対する愛の心があるからです。
「私が持っているものは、全部 神様から受けた良い物なのです。ですから、神様がそれを必要とするならば 私は主に喜んでそれを捧げます。」これが忠実な姿なのです。


また、神様はどのような人を豊かに祝福するのでしょうか?
良い種を蒔く時に祝福します。
しかし 種だからと言って、なんでもかんでも全部 祝福になって戻ってくるということはないです。

良い種とは、神様が喜ぶことに蒔く種のことです。
神様だけに蒔くのが良い種ではなく、神様が私たちにして欲しい所に働きをすることが「良い種」であります。


【Ⅱコリント9章9節】

「この人は散らして、貧しい人々に与えた。その義は永遠にとどまる。」と書いてあるとおりです。

「この人は散らして、貧しい人々に与えた。」という言葉があります。
神様は私たちに良い働きをしなさい と語っています。
困っている人たち、貧しい者たちを助けること。これは良い種を蒔くことであります。
自分のため、自分の欲のために蒔いても、それは良い種ではないです。

また、豊かな人に与えるのが良い種ではないです。
ある人たちは自分に返ってくるものを考えて、豊かな者たちに与えます。そこに計算があるのです。

「貧しい者に与えたら、ただ与えるだけで終わりでしょう?」これは悪い種です。

貧しい者たちに与えると、それは全て神様が喜ぶ種であります。

日本は今、それをしています。東日本大震災が起きた時に、世界中から多くの援助がありました。
フィリピンも日本が困っている時に色々と助けてくれました。
ですから、先日のフィリピンの台風被害で 日本からもすぐに支援に行きました。医者や自衛隊も行きましたし、
物資も送りました。フィリピンが日本に対してしたこと以上に、日本がフィリピンに支援をしています。

「彼らが1個蒔いたから、私たちも1個にしましょう。」ではなく、「その時嬉しかったから私たちは10倍しましょう」と、
そのようにして支援をしています。

困っている人、貧しい人を助けるのは積極的にしなければいけないと思います。


【伝道者の書11章1-2節】

あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。

あなたの受ける分を七人か八人に分けておけ。地上でどんなわざわいが起こるかあなたは知らないのだから。

良い種を 多くのところに蒔くことが、後で多くの祝福を受ける秘訣でもあります。

パンを水の上に投げたら無駄なことでしょう?という思いがあります。ですが、多くの人々に良い働きをすると、
その時には何もないように見えて 無駄なように思えるかも知れませんが、神様はそうしてみなさいと語ります。
「七人か八人に分けておけ」ということは、畑が狭いのではなくて、広い畑なのです。

自分自身には たくさんのものを蒔きますが、他人に対しては手を差し伸べない人もいるのです。
そのような人たちは後で(自分が)困ることになるのです。

どんな災いが起こるかは分からないです。しかし、たとえ災いが起きたとしても その時に助けられる人の特徴は、既に色々な良い種を多くの人たちに蒔いた人です。その人に助けられた人は「今、あの人が困っているんだ。」と、助けようとするのです。

しかし、周りの人たちに蒔いたことがない人は、困ったことがあっても周りは手を差し伸べないのです。

ですから、自分が出来る時には 良い種をたくさんの人に蒔きなさい と主が語っておられます。


【伝道者の書11章6節】

朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。二つとも同じようにうまくいくかもわからない。

ある種は道ばたに落ちて、ある種は岩地に落ちて、ある種はいばらの中に落ちて、ある種は良い地に落ちました。
あるものは無駄になりました。しかし、良い地に落ちた種は三十倍、六十倍、百倍の祝福がありました。
ですから、豊かに蒔くことなのです。たとえ、その人から何も来なくても神様が報いを与えてくださいます。


また、私たちの「感謝」はどこから出て来るのでしょうか?

働きをすると、神様がその人の上に蒔く種(食べるパン)を与えてくださいます。
良いことをしている人が飢え死になることは聞いたことがないです。神様が喜んで器に注いでくださいます。

私たちが良い働きをしたり、みことば通りに働きをすると、一番喜んでくださるのは神様なのです。

神様が喜んでくださることをするのが、神様に栄光を捧げることになります。
小さな力をもって神様の言葉に忠実にし、神様が決めた法則に逆らわないで生きる人に対しては、
神様はずっと恵みの雨を降らせてくださり、その人の蒔いたものが成長(収穫)するように祝福してくださるのです。
その中で既に神様は栄光を受けています。

そこで (その人は)神様の御手をたくさん体験しますので、感謝が溢れるのです。
与えない人は感謝がないです。しかし、与える人はいつも感謝が出てくるのです。

なぜならば、私たちが相手のために何かをした時には、相手は喜ぶのです。
喜ぶ顔を見ると自分も嬉しくなるのです。「やって良かった。感謝だなぁ。」と幸せな気持ちになります。

しかし、自分や自分の家族だけにすると、家族が自分に栄光を捧げるでしょうか――?
それはないです。自分の子どもを大事にしても、財産をもらう時だけ来て、全く会いに来なかったりします。


貧しい者たちや、隣人に良くしてあげてみてください。
その人たちが感謝をして、その人たちが世話をしてくれるのです。

家族や身内よりも、今は教会の信徒たちの方が良いかもしれないです。
困っている時にすぐ祈りをしてくれたり、助けてくれたり、協力してくれます。

(周りに良くすると)その時は無駄かも知れないと思っても、神様が喜ぶことをしていたら、神様は災いの日に祝福を与えてくださいます。
そうなると感謝が絶えることなく与えられてくるのです。


【Ⅱコリント9章8節】

神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。

神様への信頼がありました。神様は真実な方でありますので、このみことば通りにしてくださいます。


【Ⅱコリント9章7節】

ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。

神様はすべての者を愛してくださいますが、特別に愛する人とは、神様を喜ばせる人です。


【Ⅱコリント9章10節】

蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。

蒔きたいという気持ちがたくさんあるのに、自分の手に何も持っていない時は神様に祈ったら良いです。
すると神様ができるようにしてくださいます。


【Ⅱコリント9章11節】

あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。

神様は蒔く者たちに豊かな恵みを与えるので、その人たちは 更に感謝しながら喜びながら蒔き続けるのです。

神様は「あなたたちは感謝の心を持つ者になりなさい。すべての事について、感謝しなさい。」と教えてくださいましたので、
感謝の心を持ちましょう。そうすると環境が変わってきます。

不平不満をいっぱい言うと、後で刈り取るものは「不平不満の実」です。
しかし、感謝を蒔くと、後で刈り取るものも「感謝」であるというのが聖書の世界であります。 (⌒-⌒)

2013.11.17
収穫感謝祭メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

アメリカ神学校で 神様の訓練がスタートしたヒョノちゃんのブログです。
ヒョノのブログ

毎週日曜日の八戸ノ里キリスト教会のご馳走です!
主の食卓のブログ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■