からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

八戸ノ里キリスト教会より メルマガ配信中!

メルマガ購読・解除

読者購読規約
毎朝7時に配信しています! 1日の始まりを神様の恵みで満たしてくださいね
powered by まぐまぐ!
 
         

聖日礼拝メッセージ

弟子になれる人と弟子になれない人

テーマは 『 弟子になれる人と弟子になれない人 』 です

【ルカの福音書9章22-27節】

そして言われた。「人の子は、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、そして三日目にはよみがえらねばならないのです。」

イエスはみなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。

人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。

もしだれでも、わたしとわたしのことばとを恥と思うなら、人の子も、自分と父と聖なる御使いとの栄光を帯びて来るときには、そのような人のことを恥とします。

しかし、わたしは真実をあなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、神の国を見るまでは、決して死を味わわない者たちがいます。」

イエス様が弟子たちを選んだ理由は、もちろん弟子として育てるためでした。


イエス様が死んで三日目によみがえって、そのまま地上に残るのではなく 天に帰るので、弟子たちにはイエス様がなさった同じことをするように伝えました。


彼らにはすでに生活がありましたが、イエス様は彼らが主の弟子になることを要求しました。

そして弟子になることが どういうことかも教えました。


弟子になる人の条件は「自分を捨て、自分の十字架を負い、そして主に従うこと」です。


自分を捨てることは自己否定です。

自己否定の意味は、罪の性質の中で生きる自己中心性を捨てることです。


“罪” とは悪いことだけではなく、正しいことを知っていながらもそれをしないことです。


自分がしたいことをするために すべきことを知りながらも、しないことが多いです。


自分のものをしっかり握りしめて、それを手放さないで主に従うことは不可能です。


自分を捨てることは、悔い改めとも関連があります。

罪から立ち返り、自分の考え、価値観を変えることです。


今までのような思いのままに生きないことです。

それをむしろ捨てることです。


そして主が与えて下さった新しい使命、主が望むこと、喜ぶことを自分のすべきこととして受け入れ、日々それを目標にして目指すことです。


そのためには犠牲も払います。

それでも その道を選ぶこと、それが自分の十字架を負うことです。


日々の生活の中で、自分が喜ぶことなのか、主が喜ぶことなのか、自分の思いか 主のみこころかを選ぶ中で、主のものを選ぶ人は自分の十字架を負っている人です。


その後に、主について行きます。

自分勝手に動くのでななく、主の導きを受けて歩みます。


このような姿が弟子の姿です。






弟子になれない人もいます。


主が選んでいないからではなく、その人の態度が弟子として生きることが出来ないからです。


主は救われた人がみんな弟子になることを願っています。


弟子になれない人は、


・イエスさまに従うことが物質的な祝福を得て、栄光を受けて天国に入る道だと思っている人です。

すなわち “祝福” が目的で信じる人です。


こういう人はイエス様より、他の人より “自分” が一番重要です。


・この世の事や働きが優先で、時間が余った時にイエス様に従うと決心した人です。


決して神の国やその義を第一にしない人です。

そういう人は多くいますね。


・世に対して未練たっぷりの人は弟子にはなれません。


世を愛し、世に関心があるので、それを捨てて主に従うことは不可能に近いです。


【ルカの福音書9章61-62節】

別の人はこう言った。「主よ。あなたに従います。ただその前に、家の者にいとまごいに帰らせてください。」

するとイエスは彼に言われた。「だれでも、手を鋤(すき)につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」

こういう人は弟子になれないと言われました。



弟子として生きることは「忠実な良いしもべ」として生きることです。

弟子にならない人は「悪いしもべ」として生きることです。


弟子になるか ならないかは、あなた次第です。
Σ(=゚ω゚=;)


2017.3.12
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会


~ 新しくブログを始めました ~

Bible66のブログ

みことばサプリ


~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

感謝と奇跡

テーマは 『 感謝と奇跡 』 です

【ヨハネの福音書6章1-13節】

その後、イエスはガリラヤの湖、すなわち、テベリヤの湖の向こう岸へ行かれた。

大ぜいの人の群れがイエスにつき従っていた。それはイエスが病人たちになさっていたしるしを見たからである。

イエスは山に登り、弟子たちとともにそこにすわられた。

さて、ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた。

イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。

もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。

ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」

弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。

「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」

イエスは言われた。「人々をすわらせなさい。」その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。その数はおよそ五千人であった。

そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。

そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。」

彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。

みなさんは毎日祈っていますか?


祈っているならば 願いのための祈りが多いですか?

それとも、感謝するための祈りが多いですか?



神様は願いも感謝も聞いておられます。


しかし神様を最も喜ばせるのは “感謝” です。


感謝する時に、さらに強い恵みの雨が天から降ってきます。



そして、感謝の中でも さらに神が喜ぶ感謝があります。

試練の中での感謝と、小さいことに大きな感謝をささげる時に神様はとても喜びます。



いつも感謝している人を見ると、霊的にも精神的にも安定しています。

顔も笑顔です。

口から絶えず感謝のことばが出てきます。


感謝のない人を見るといつも不機嫌な顔、不満げな顔、そして文句を言います。

そこから嫌なものが流れてきます。



今年も既に2ヵ月が過ぎましたが、どれくらい感謝しましたか?


“神の恵みなしには生きていけないな” と思う出来事も色々ありました。

そういうものがあるからこそ、受けている恵みに対して感謝が出てきます。


自分がいま存在していることを神様の恵みだと思っていますか?

自分の足で歩いて来られたことを感謝しましたか?



ある大学2年生の男の人が、交通事故で脊髄を痛めて首から下がマヒしました。

動けなくなりましたが、口に棒をくわえながらパソコンで文字を入力して 友達にメールを送ります。


今は それしか出来ないです。人生が一瞬にして変わりました。

とてもかわいそうでした。


2度も交通事故にあった私から見ると、いま生きているのは すばらしい神の恵みです。

いつもそのことを思っています。






今日のテーマは、“感謝と奇跡“ の話ですが、本文には感謝と奇跡があります。


主は五つのパンと二匹の魚で、男だけで5千人、そして女と子どもを合わせると二万人くらいの人たちに食べさせました。

まさに奇跡です。


その奇跡を起こす “前” のことを 見ていきたいと思います。


主は、父なる神にまず感謝をささげました。

奇跡が起きてからの感謝ではなく、“最初から” 感謝しました。


そして感謝して分け与えた時に、みんなが食べられる分のパンと魚になりました。


主は自分の力を見せびらかすために奇跡を行ったのではないです。



この奇跡は群衆に対する ある思いから始まりました。

本文には出ていないですが、別の福音書には 次のようにあります。


【マルコの福音書6章34節】

イエスは、船から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。

彼らの魂を憐れみ、まずは霊のパンを与えました。


それから次の箇所です。


【マタイの福音書15章32節】

イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「かわいそうに、この群衆はもう三日間もわたしといっしょにいて、食べる物を持っていないのです。彼らを空腹のままで帰らせたくありません。途中で動けなくなるといけないから。」

食べ物もなく、肉体も弱ってきたことを見て、かわいそうに思い、奇跡を行って彼らを食べさせたいと主は思いました。



聖書にある奇跡を見ると、主のあわれみによって、信仰によって、必要性に応じて奇跡が起きたことが分かります。


誰かに対して憐れみの心を持って祈る時に、その祈りが聞かれることを経験していると思います。


憐れみの心がある時に、私たちの祈りも真剣な祈りになります。


親は常に子どもに対して憐れみの心を持っています。

ですから 惜しむ心がないですし 真剣です。

夫婦でも互いに憐れむ心があると、喧嘩することもなく感謝し合います。


イエス様の奇跡は、とても小さいものから始まりました。



少年が持っていた大麦のパン五つと小さい魚二匹でした。

これは貧しい人たちが食べる食事です。


このみすぼらしい小さい食べ物が主の手に載せられた時に 二万人近い人が食べた “パンの奇跡” になりました。


どんなに小さいものでも、主の手によって大きく用いられることができます。



もちろん主は、無から有を創造することも出来る方です。


神様は大きなものよりは小さいものを用いることを喜びます。


自分には小さいものしかないし、才能もないし、力もないと嘆く必要はないです。

私たちが小さいものを差し出す時に、主は喜びます。


小さいことに感謝出来ず、満足せず、大きなもの、多くのものを求める時が多いですが、私たちは小さいことに対して感謝が必要です。


小さいことも 主から与えられた “恵み” です。






マタイの福音書15章には カナン人の女性が出てきますが、彼女は小さい恵みに大きく感謝した人でした。


悪霊に取りつかれた娘の癒しを求めてイエス様の所に来て懇願しました。

しかしその時の主のことばは意外なものでした。


「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです」


女の人はそれに対して、
「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」


彼女は食卓から落ちて来るパンくずの恵みにも感謝出来る人でした。

その感謝によって奇跡が起こりました。


イエス様がパンくずの恵みではなく、その娘を悪霊から解放する奇跡を行いました。


彼女には 受ける前からすでに感謝の心がありました。

これはイエス様からもいつも見られる姿です。


パンの奇跡でも、まずパンを手に取って父なる神に感謝をささげました。

最後の晩餐の時にも、自分の体がむち打たれて死ぬことを知っていながら感謝をささげてパンを裂き、それを弟子たちに配りました。

これから起こる奇跡に感謝しました。



感謝を蒔くと、感謝なことが起こります。


受けてからの感謝も主は喜びますが、受ける前から感謝することは さらに喜びます。


そこには神の奇跡を信じる強い信仰が見られるからです。


これから みなさんもそのような感謝をしてみて下さい。

神様は小さいもの、みすぼらしいものを手に取って神に感謝をささげる人に奇跡を表します。


“不満” では奇跡は起こりません。

“感謝” では奇跡が起こります。


主の感謝でパンと魚に奇跡が起こり、人々は満腹しました。


その後に、主は弟子たちに「余ったものは一つもむだに捨てないように集めなさい。」と言われました。

なぜそうしたでしょうか?


神が私たちに恵みとして与えられたものを むだにしたり、勝手に捨てたりすることは神の恵みをさげすむ行為だからです。


それは神を無視し冒涜する姿です。


いつも “下さい、下さい” ばかり言うのではなく、与えられた恵みを大切に使うことが主の恵みを知っている人の姿です。


どんなに小さい恵みでもそうです。


神は感謝する聖徒を喜びますし、豊かな恵みと奇跡を与えて下さいます。


そして感謝する聖徒たちを サタンは倒すことが出来ません。


感謝は神と周波が合います。

しかし、不満はサタンと周波が合います。



サタンは、感謝する聖徒を誘惑して試みに会わせて倒すことが出来ないです。

すべてに対して感謝しているので隙間がないです。


神から受けた恵みを思い出してみて下さい。

そして心から感謝してみて下さい。


感謝する人の人生にこれから奇跡が起こります。
(・∀・)つ


2017.3.5
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会


~ 新しくブログを始めました ~

Bible66のブログ

みことばサプリ


~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

国家別で一番愛された聖句

テーマは 『 国家別で一番愛された聖句 』 です

【ゼカリヤ書14章9節】

主は地のすべての王となられる。その日には、主はただひとり、御名もただ一つとなる。

アメリカのキリスト教ニュースサイト・クリスチャニティ・トゥディが 昨年88か国でYOU VERSION聖書アプリを通して一番強調され、ブックマークされたことばを発表しました。


2億5千万人以上がダウンロードし、使用している無料の聖書アプリです。


今日はどの国で、どのことばが愛されたかを見たいと思います。

ことばでその国の事情がなんとなく想像出来るので面白いです。




イスラエル 他5ヵ国




【ゼカリヤ書14章9節】

主は地のすべての王となられる。その日には主はただひとり、御名もただ一つとなる。

このことばは、あまり馴染みのないことばですが、一番強調されたことばでした。

こちらは、イスラエルの人々に一番愛されていることばです。


私がイスラエルのニュースを聞く時に、ユダヤ人がよく口にしていました。


彼らはイスラム世界に囲まれ、いつも対立しているので、この言葉を信じて その日が来るのを待ち望んでいます。


主の再臨の時には、この言葉通りにすべての人々が、主はただひとり、御名もただ一つであることを認めざるを得ないと思います。


この聖句は イスラエルだけではなく、アフガニスタン、フランス、フィンランド、スウェーデン、ベルギーなどの国からも一番愛されました。




アメリカ・メキシコ 他6ヵ国




【ローマ8章28節】

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

この聖句は総合的に一番愛されたことばでした。

55万回共有されました。


みなさんも この聖句は好きですね。

様々な問題や試練がある時に、とても慰めを受け、また希望を抱くことができる聖句なので、みんなに愛されると思います。


特にこの聖句は、アメリカ、メキシコ、オーストラリア、シンガポール、ドイツ、台湾、ルーマニア、エジプトの人々に愛されています。




日本 他15ヵ国以上




【エレミヤ書29章11節】

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ― それはわざわいではなく、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

この聖句はもっとも多くの国の人々から愛された聖句です。

この聖句は日本人から一番愛されました。


将来に不安がある時に、きっとこのことばによって希望を得ていると思います。


また苦しみや災難が続き、まるで神様に捨てられたように思われる時に思い出すことばです。


この聖句は 日本だけでなく カナダ、イタリア、フィリピン、ケニア、サウジアラビア、ブラジル、ジャマイカ、アイルランド、アルゼンチン、ノルウェー、マレーシア、コロンビアや南米の国や中東の国々、アフリカの国などからも愛されました。




韓国・オーストリア




【ピリピ4章13節】

私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

この聖句は、韓国とオーストリアの人々から愛されました。


競争が激しいので、力を得る為かなと思いました。




中国 他2ヵ国




【ピリピ章4章6-7節】

何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

この聖句は中国、香港、ドミニカ共和国の多くの人々から愛されました。




エクアドル 他4ヵ国




【ヨシュア記1章9節】

わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」

この聖句はエクアドル、コスタリカ、ベネズエラ、チリの人々が愛したことばでした。


私たちもよく知っていることばです。

力を受けることばです。




ペルー 他2ヵ国




【イザヤ書41章10節】

恐れるな。わたしはあなたと共にいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。

この聖句はペルー、スペイン、パナマの人々に愛されました。




チェコスロバキア




そして意外なことばが、ある国の人々には重要なことばでした。

それも紹介します。


【第1コリント1章10節】

さて、兄弟たち。私は、私たちの主イエス・キリストの御名によって、あなたがたにお願いします。どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください。

この聖句はチェコスロバキアでした。




ウクライナ




【詩篇69章31-32節】

それで雄牛、角と割れたひづめのある若い雄牛にまさって、主に喜ばれるでしょう。

心の貧しい人たちは見て、喜べ。神を尋ね求める者たちよ。あなたがたの心を生かせ。

この聖句はウクライナでした。




スイス




【ゼカリヤ書10章1節】

後の雨の時に、主に雨を求めよ。主はいなびかりを造り、大雨を人々に与え、野の草をすべての人に下さる。

この聖句はスイスでした。

アルプスの山と羊を思い出しました。




カメルーン




【ゼカリヤ書8章13節】

ユダの家よ。イスラエルの家よ。あなたがたは諸国の民の間でのろいとなったが、そのように、わたしはあなたがたを救って、祝福とならせる。恐れるな。勇気を出せ。」

この聖句はカメルーンでした。




ロシア




【詩篇94章18―19節】

もしも私が、「私の足はよろけています」と言ったとすれば、主よ、あなたの恵みが私をささえてくださいますように。

私のうちで、思い煩いが増すときに、あなたの慰めが、私のたましいを喜ばしてくださいますように。

この聖句はロシアでした。




タイ




【マタイの福音書6章33節】

だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

この聖句はタイでした。


仏教が強い国の中でまことの神を求めている姿が想像されます。






国によって愛されている聖句が違うことをみなさんに伝えましたが、みなさんはどう思いましたか?

みなさん自身が愛する聖句も その中にあるかも知れないですね。


クリスチャンたちが一番力を受け、慰めと励ましと希望を受けるのは神のことばです。


「神の口から出る一つ一つのことばによって生きる。」
これこそが クリスチャンの日々の生活にならないといけないです。


聖書には、私たちに必要なことばが必ずあります。


それによって生かされた経験は 色々とあると思います。


神のことばほど 真実でいのちがあり、教えに適することばは世にはありません。


みことばを愛する生活をしましょう。


【ヘブル4章12節】

神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。

アーメン (・∀・)つ

2017.2.19
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

~ 新しくブログを始めました ~

(別ウィンドウで開きます)


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

神のラッパが吹かれるとき

テーマは 『 神のラッパが吹かれるとき 』 です

【第1テサロニケ4章16-18節】

主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、

次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。

本文は、主を信じる者を迎えに 空中再臨する主の様子と その時に起こることを話しています。


その中で、それを知らせる神のラッパが響き渡ることが書かれてあります。

全世界で耳鳴りがするほどの大きな神のラッパが吹かれると思います。

その時、大喜びをする人もいますが、不安と恐怖で気を失う人も出てくると思います。


主を迎える準備が出来ている人は大喜びし、何の準備も、何が起ったのかも知らない人たちにとっては最悪の恐怖の日になるでしょう。


聖書では、神のラッパが いつ吹かれるのかを教えていますので、今日はそれを学び ラッパが吹かれた時に聞き分けて、すぐに行動を起こしたいです。




携挙のラッパ




イエス様が必ず再臨すると信じていますか?


私は信じます。

主は “必ず再臨する” と約束しました。


空中再臨と地上再臨があります。

本文は、空中再臨のことです。


その時、主の再臨を準備していた人たちは大喜びで外に出て空を見上げると思います。

主が雲に乗って来られると語りましたから。


その神のラッパは、これから主との婚礼が始まるという素晴らしい知らせです。


その恵みを受ける人は このような人です。


【第1テサロニケ5章6-7節】

ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。

眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。

光の子どもらしく歩んだ人は、この時に一挙に空中に引き上げられ、そこで主に会いますが、夜や闇の者であるならば地上に残されます。


マタイの福音書25章にある10人の娘のたとえで花婿を迎える準備がしっかり出来た5人の花嫁は婚礼の祝宴に入り、中等半端に準備した5人の花嫁は祝宴に入ることができませんでした。


まったく準備をしていない人は信じない人ですが、中等半端に準備した人は “クリスチャンの仲間” でした。

そのような人たちは 残念ながら地上に残されます。




キリストの到来を告知するラッパ




【マタイの福音書24章30-31節】

そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。

人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。

そのラッパがキリストの到来であることがすぐに分かった人は幸いです。

他の人の耳に聞こえる神のラッパは、裁きの始まりを告知するものですから悲しみがいっぱいです。


信じて準備した人に対しては、“キリストが来たので 喜んで急いで出てきなさい” と民を集めるラッパに聞こえます。




神の臨在の前に 人を招集するラッパ




【出エジプト記19章16-17節】

三日目の朝になると、山の上に雷といなずまと密雲があり、角笛の音が非常に高く鳴り響いたので、宿営の中の民はみな震え上がった。モーセは民を、神を迎えるために、宿営から連れ出した。彼らは山のふもとに立った。

旧約時代では、人を集める時にもラッパを鳴らしました。

それを聞いて人々は集まって来ました。


主を礼拝するためや、宗教的出来事を祝うため、祭りをするために ラッパの音を聞いて集まりました。


礼拝がある日曜日は、自分が遊ぶための日ではなく、主の日です。

神の臨在の前に出て神を礼拝する日です。


クリスチャンならば、その日を聖別しないといけないです。


他のことを優先して神への礼拝をないがしろにする人は、主の再臨のラッパが響き渡っても、何のことだと慌てふためきます。


そして、主の再臨の時に地上に残されます。

「神の臨在の中に来なさい。目を覚ましなさい。主の前に出て礼拝をささげなさい。」と 語ることばが、主のラッパの音になって耳に聞こえないといけないです。


聞いても無視し続けるならば、悲しみながら後悔する日が必ず来ます。


【ヘブル10章25節】

ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。



御使いのラッパ




神が御使いに吹かせるラッパは 災いのラッパです。

黙示録8章から12章の中には、ラッパが7回も吹かれました。


救われず地上に残された人々が受ける災いはずっと続きます。

御使いが吹く7回のラッパによって地上に何が起こるでしょうか?


血の混じったひょうと火が現れ、地上の三分の一が焼け、木の三分の一が焼け、青草が全部焼けてしまいました。

そして 海の中の命あるものの三分の一が死に、船の三分の一が壊されました。

また 川の三分の一が苦くなったので多くの人が死にました。

太陽の三分の一、月の三分の一、星の三分の一が暗くなり、昼の三分の一が暗くなりました。

夜はさらに暗く長くなりました。


さそりの力を持ついなごが大量に現れ、人間をさすので 人々の苦痛は耐えられないほどになります。

世界大戦が起こり、人類の3分の一が殺されます。

そして大患難時代が始まります。


恐ろしい時代になるので、神は今も私たちに目を覚ますように語っておられます。




警告のラッパ




預言による警告のラッパがあります。


【マタイの福音書24章4-12節】

そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。

わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。

また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。

民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。

しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。

そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。

また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。

また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。

不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。

まさに今、世界がだんだんそれに近づいています。

一番恐ろしいのは何だと思いますか?
何を一番警戒しないといけないですか?


戦争やききん、地震などは 目に見えて感じますので分かりやすいです。


一番警戒しないといけないのは “人の惑わし” です。


サタンさえ 光の御使いのように変装しますし、教会の堕落、信徒の堕落、にせ預言者などを識別するのは とても難しいです。


騙され惑わされると、その魂は滅ぼされます。

霊的に目を覚まさないと、そして みことばと祈りをしっかりしないと誰でも惑わされます。


人間に騙されないために、惑わされないためには、口のことばで判断しないことです。


口では聖書のことばを語っても、その心が邪悪な者は多くいます。

その人が御霊の実を結んでいるかどうかで判断して下さい。


御霊の実は 生まれ変わっていない人は結ぶことが出来ないし、聖霊の助けなしにはありえないからです。


その人が有名でも、過去の業績が素晴らしくても、奇跡を行う人であっても、聖霊の実がないならば 神に属する人ではありません。


それに惑わされてはいけません。

このように神のラッパは今も吹かれてあります。


聞いて何を注意し、何を準備すべきかを悟って行って下さい。

今の時代は本当に悪く、主の再臨はとても近いです。
(;´Д`) (・∀・)


2017.2.12
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

人間をとる漁師

テーマは 『 人間をとる漁師 』 です

【マタイの福音書4章18-20節】

イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられた時、ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。彼らは湖で網を打っていた。漁師だったからである。

イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」

彼らはすぐに網を捨てて従った。

イエス様が最初に弟子として選んだペテロとアンデレ兄弟は、職業が漁師でした。


仕事が終わって網を打っていた時に、イエス様が近づいて話かけてきました。

「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」と。


すると二人はすぐに網を捨てて従いました。

ものすごく早い決断でしたが、イエス様が語ったことばの意味をちゃんと理解していたでしょうか?


後の彼らの行動を見ると、イエス様の思いとは違っていたことが分かります。

彼らは、“偉い人になって人々の上に君臨する” という意味で理解していました。


最初は他に選ばれた弟子も同じで、誰が一番になるかをみんな興味があって、もめたこともありました。

「人間をとる漁師」ということばは、イエス様が多分初めて使ったことばだと思います。

聖書以外では聞いたことがないことばです。


魚をとる漁師たちに対して、「人間をとる漁師」ということばは イエス様の洞察力から出たことばだと思います。

イエス様が彼らにさせようとする働きが、漁師の働きと似ているからです。


イエス様はいま私たちにも同じことを語っています。


「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」

これは主の約束でもあります。


私たちは自分たちの努力で 人間をとる漁師になるのではありません。


主について来るならば漁師にしてあげる と言われました。

主について来ない者は、まず人間をとる漁師にはなりません。


人間をとる漁師はイエス様によって造られていきます。


弟子たちの姿を見ると造られていくのが分かります。

魚をとる漁師の姿と、人間をとる漁師の姿は共通点が多いです。


漁師が働く場所は広い海か湖です。

弟子たちが働く場所は 全世界です。


【マルコの福音書16章15節】

「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。

漁師は広い海に出て行って魚がとれそうな場所に網を仕掛け、餌を蒔いたりもします。

そして次の日に網を回収するためにまた出掛けます。

回収すると たくさん獲れていたり、一匹も獲れなかったりもします。


聖書では、二回 弟子たちが何も獲れなかった日がありました。

海に網をおろしたからと言って必ず獲れることではありません。

何も獲れない時もあります。


伝道することは、それと似ています。


一生懸命 網をおろして働いたからと、それが必ず報われることはありません。

何にもない時もたくさんあります。


それでも海に文句を言いながら (獲ることを)やめる人はいません。

過酷な状況の中でも し続けるのが漁師の仕事です。


人間をとる漁師の働きの中でも直面する多くの戦いがあります。




人間をとる漁師の仕事をなぜ主はさせるでしょうか




全人類に対する神の救いの計画のために働く人が必要だからです。


【第2ペテロ3章9節】

ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

【ローマ10章13-15節】

「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。

しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。

遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」

【マタイの福音書24章14節】

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。



人間をとる漁師の主な仕事は、遣わされて人々に福音を伝えること




イエス様が、まずどのような働きをするのかを見せました。


そして弟子たちに 次のように話されました。


【マタイの福音書9章35-38節】

それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやされた。

また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。

そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。

だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」

それからマタイの福音書10章では 弟子たちを正式に任命し、彼らに力を注ぎ、人々に遣わしました。


その時に様々な注意点と、彼らが直面する問題や困難に対して詳しく話しました。

それに関しては、みなさんが聖書を読んでみて下さい。


異邦人に福音を伝えたパウロは、この働きに対してこのように言いました。


【エペソ3章7節】

私は、神の力の働きにより、自分に与えられた神の恵みの賜物によって、この福音に仕える者とされました。

「人間をとる漁師」に選ばれたことが神の恵みと思って、死に至るまで忠実に働き、数えきれない多くの魂を主に導きました。

立派な 人間をとる漁師になっていました。




「人間をとる漁師」として、どのように福音を伝えるべきでしょうか




福音を伝える方法は 時代によって、地域によって変わっていきます。


イエス様がおられた時代は、人々の所に出かけて直接 福音を語りました。

人々はそこに集まって福音を聞きました。


路傍伝道は、昔 よく使われた方法でした。

人々の生活が、今よりも単調で そんなに忙しくもなかったので、路傍伝道の時も集まって来ました。


しかし、いま路傍伝道はあまり効果がないです。

立ち止まって聞く人はほとんどいないです。


今の時代に合うものが効果あります。

今はすべての人たちがネットを使う時代です。


みんな手に携帯を持って、それで情報を手に入れますし、人と会話をします。

悪魔もそれを大いに使っています。


ISがどのようにして戦闘員を集めたでしょうか?

ネットを使って募集しました。

そこに連絡した人たちが渡って行き、テロリストになっていきました。


SNSを使って、すべての情報が拡散されたり、そこから情報を得たりする時代に変わりましたので、いまこれが福音を伝える一番有効な手段です。


【第2テモテ4章2節】

みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。

時間も空間も関係なく、SNSを使って福音を人々に伝えることが出来ます。






アメリカでのことです。

最近アメリカでは「Back to church Sunday」運動が盛んになったらしいです。


教会から離れた人や 一度も教会に来たことのない人たちを、日曜日の礼拝に招待する運動ですが、メールで招待状を送る方法です。

それが素晴らしい効果を上げていると聞きました。


この運動に参加する人々は 週に一度、それを1年間、自分が通う教会に招待するメールを送りました。

それによって 70万人が参加しました。

すると一年間で参加した教会の出席者が20%増えました。


最初はそんな方法は “幼稚である” とか、“効果がない” とか否定的だった教会も、いまは参加しているので100万人に増えたと聞きました。

しないよりは した方が良いです。


どんなに小さいことに見えても、しないよりは効果があります。


私たちの周りにいる信じない家族や知り合いの魂を導くためには、小さいことでも実践しようとする意思と努力が必要です。


イランで ムスリムだった人が、アメリカでクリスチャンになって 今は福音を伝える放送をやっていますが、たくさんのムスリムの人が その放送を聞いています。


ムスリムの人たちを伝道するためにやっている90分放送ですが、パキスタンで250万人、サウジアラビアで10万人、スーダンで500万人、イランで100万人、それ以外でも聞いていて今は5千万人が聞いています。


福音に反対する人も多いですが、聞きたいと願っている人も多いです。


教会のホームページでも毎日福音を伝えています。


ただ単に 教会を紹介するために作ったのではなく、福音を伝える目的で作りました。

訪問者がどんどん増えているので効果があります。

「今日のいのちのパン」や「今週のメッセージ」でも毎日訪問者が多くなってきました。


みなさんも個人的にSNSを使って福音を伝えて下さい。


聖書のことばだけを伝えるブログを作っても良いと思います。

メールで伝えても良いです。


良い知らせを伝えることが「人間をとる漁師」の仕事です。


みことばの種が蒔かれると、いつか芽が出る時があります。

自分にも福音を伝える使命があることを覚えましょう。
v( ̄∇ ̄)v


2017.2.5
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

大胆さが必要

テーマは 『 大胆さが必要 』 です

【申命記31章6-8節】

強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身があなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。

ついでモーセはヨシュアを呼び寄せ、イスラエルのすべての人々の目で彼に言った。「強くあれ。雄々しくあれ。主がこの民の先祖たちに与えると誓われた地に、彼らとともに入るのはあなたであり、それを彼らに受け継がせるのもあなたである。

主ご自身があなたの前に進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。

モーセが民に対して、そしてヨシュアに対して、なぜ同じことばをもって励ましたでしょうか?


それは、これからカナンの地を征服しないといけない大きな戦いが 目前に迫っていたからでした。

戦う相手には 高い城壁、訓練された勇士たち、様々な武器がありますが、荒野を40年間通って来た自分たちには 武器も訓練された勇士も戦いの経験もまったくないので、どうしたら良いか分からず、当然民たちには不安と恐れがいっぱいでした。


戦う前から敗北感を味わっていたと思いますし、無気力状態だったと思います。


しかし神の約束を信じ、荒野で40年間 神の守りを見てきたモーセですので、自分がいなくても神ご自身が イスラエルの民を約束の地に必ず入れて下さると信じていたので、自分の後継者として これから指導者になるヨシュアと共に 戦いに参加する民を励ましました。


「強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。」

このことばは、終わりの時代を生きている私たちに、今 もっとも必要な言葉だと思います。

なぜなら 主を信じている者にとって、これからの時代は患難の時代になるからです。


信じない人たちは世の流れに従い、それに合わせて生きるので、そんなに大変とは言えないです。


しかし神のみこころのままに生きようとする者には、それに逆らわなければならないことが多くなるので、戦わないと信仰を捨てるしかありません。


信仰を捨てることは、永遠のいのちを失うことですが、それでも現実の患難に勇敢に戦うことが出来ず 目先のことで恐れが入り、クリスチャンとして生きていくことをやめてしまいます。

これから ますます戦いが激しくなることは預言されてあります。


そして、その戦いは霊的戦いではなく、実際の戦いになるからです。


祈りの中で「サタンよ。イエスの御名によって出て行け。」は誰でも言えます。

別に怖いことも不安になることもありません。


しかし実際の戦いは、そんなものではなく “実戦” です。

現実の戦いで勝利することは 簡単なことではないです。


私たちがこれから直面する戦いが、どのような戦いになるのかを聖書と歴史を通して なぜ “大胆さ” が私たちに必要であるかが分かります。


信仰だけでは戦いに勝利できないです。

大胆さがないと、信仰があっても 負ける戦いがたくさんあります。


現実の中でどのような戦いがあるのかを学びます。




世の権力、すなわち政治的圧力との戦い




これはイエス様も バプテスマのヨハネも 聖書に出てくる多くの預言者も そして迫害を受けた信徒たちも経験しました。


神に逆らう法律を作って、クリスチャンを攻撃しました。

クリスチャンから信仰を奪うためでした。


従わない人は 殺されたり、迫害を受けました。


大胆な預言者や信仰ある人たちは見て見ぬふりをせず、不正と不義に対して大胆に抗議したため迫害を受けたり殉教したり、預言者たちは殺されました。


アメリカでもオバマ政権の時に、キリスト教に対して圧力をかける法律を作って物言えぬようにしました。


アメリカのクリスチャンたちは それに対して沈黙しました。

大胆に戦ったこともなく、とても無力でしたので、神が忌み嫌う法律が次々と決まってしまいました。

クリスチャンたちの負けでした。

それは政治的圧力との戦いに失敗したことになります。


その時に 大胆にそれに向かって立ち上がったのが 今のトランプ大統領でした。


彼にある最高の賜物は “大胆さ” です。

1人で不正な権力に立ち向かいました。




軍事的脅威との戦い




ダビデとゴリヤテの戦いがありました。


ペリシテ人の陣営から 並外れた体と戦いに強いゴリヤテが出て、イスラエル陣営に向かって脅しの言葉を掛けただけで イスラエルの民は意気消沈し、非常に恐れて誰も戦いに出なくなりました。

このままならば 完全にイスラエルの負けでした。


しかし、たまたま そこにいた兄たちに会いに来ていたダビデが まったく恐れず、大胆にゴリヤテに向かって叫びました。


【第1サムエル記17章45、47、46節】

おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。

この戦いは主の戦いだ。

主はおまえを私の手に渡される。

そして1人で立ち向かいました。


結果はどうなりましたか?
殺されましたか?


その戦いの結果は、ダビデの勝利でした。

ダビデに力があったのではなく、彼の大胆な行動に 神が働き、彼のことば通りの結果をもたらして下さいました。


そのことで司令官に任命されたダビデは、それからのすべての戦いに いつも神に頼って大胆に戦ったので一度も負けたことがありませんでした。




軍事力脅威による戦い




まさに いま世界の多くの国々は軍事力の強い大国を目指しています。


代表的な国は、ロシアと中国と北朝鮮です。

周りの国や世界を不安にさせます。


軍事大国だからということで、戦争にいつも勝つでしょうか?

歴史を見ると、そうでもありません。


劣勢だったのに 神に祈って大胆に行動したことで勝利した実際の戦いは 歴史の中にも色々あります。

世界のあちらこちらで さらに戦争や内戦が起こります。


聖書にそのことも預言されてありますので、驚くことでもないです。




宗教弾圧による戦い




イエス様に対して敵意を持って殺したのも 当時の宗教指導者たちでした。


ローマ時代にあったクリスチャン対する大量虐殺、日本でも同じことがありました。

今もイスラム世界、北朝鮮で弾圧を受けるクリスチャンも多いです。


そして聖書の預言にもあるように 主の再臨の前に、反キリストが現れ、世界的に激しいキリスト教徒に対する迫害が起こります。


その迫害に耐えられず、信仰を捨てる者が大勢出てくると言われました。

しかし、その中でも最後まで耐え忍ぶ者が救われます。


主の弟子ペテロが “いのちを捨てても主に従う” と言った後に、何時間も立たないうちに主を知らないと三度も言ったことを見ても、人間は本当に弱い者です。


信仰が強い者でも、迫害に耐えることは大変です。


その時は殉教する覚悟が出来た人が 大胆に戦うことが出来、信仰を守ることが出来ます。


それ以外は無理です。




悪口、誹謗、中傷など人から受ける多くの攻撃や経済的攻撃




その時、つまずいたり、疑いや不安や恐れで心が折れて戦うことが出来ず、敗北してしまう人も多いです。

信仰を捨て、イエス様から離れる人も多いです。

そうなると 救いも永遠の命も失ってしまいます。


私たちが戦いに勝利して信仰を守るためには 人や環境を恐れず、また死をも恐れない大胆さが必要です。

それなしには恐れに負けて 勝利出来ないです。


「死ななければならないならば死ぬ。」という覚悟があると大胆になります。




大胆になるために役立つ方法




① モーセが話したことばに、その方法があります。


「あなたの神、主ご自身があなたと共に進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」


主が共におられることへの確信が 私たちを安心させ、大胆にさせます。


ヨシュアもダビデも その確信で大胆に戦い勝利しました。

主は力があり、味方になって下さいますし、約束に対して真実な方です。そして戦いに強い方です。


② すべての主権者である神を一番恐れることで、他のものへの恐れが消えて大胆になります。


【マタイの福音書10章28節】

からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

人を恐れるとわなに陥ります。


③ 神の言葉の上に堅く立つ時に大胆になれます。


みことばは 力を与え、希望を与え、慰めを与えます。


そして、みことばを守る者には 神の助けと守りがあります。


【第2コリント4章16-18節】

ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。

今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。

④ 自分の弱さを知って神に頼り 大胆さを祈り求めることです。


パウロは自分の弱さを知り、自分が祈るのはもちろん、他の人々にも自分が大胆に福音を伝えることが出来るように 祈りの要請をいつもしていました。


神様にいつも大胆になれるように祈り求めることが必要です。

祈りの備えが いざという時に力になります。


⑤ 聖書に出てくる人物が、戦いや攻撃を受けた時に どのように戦ったのかを、しっかり学ぶことで その大胆さの秘訣も学べます。


攻撃や患難に人間的な方法で戦うのではなく、勝利した人たちからやり方を学び、その通りにやってみることも一つの方法です。

このようにして、普段から大胆さを身に着けるように訓練していかないと、すぐに恐れが入ってそれに負けてしまいます。


パウロは次のように言いました。


「私は私を強くして下さる方によってどんなことでもできるのです。」
大胆な宣言です。


そしてその通りに彼は激しい迫害の中でも福音を伝え、自分の使命を果たし、殉教しました。

殉教は負けたことではなく、いのちを懸けて信仰を守り通した証です。


目まぐるしく変わる世の中で、それに流されず神のみこころを行いながら生きるためには、たくさんの戦いに大胆に取り組まないといけないです。

目を覚まして神から力を受けて勝利していきましょう。
( ̄‥ ̄)=3

2017.1.29
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

私たちを祝福したいと願う主

テーマは 『 私たちを祝福したいと願う主 』 です

【民数記6章23-27節】

「アロンとその子らに告げて言え。あなたがたはイスラエル人をこのように祝福して言いなさい。

『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。

主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。

主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』

彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは彼らを祝福しよう。」

人間が神に求めることは、何と言っても祝福ですね。

自分を呪ってほしいと神に祈る人がいるでしょうか。


時にはあまりにも辛いので、神に「生きるより死んだほうがましです。私の命を取って下さい。」と嘆くことはあるかも知れません。


しかし、本音は “祝福されること” です。

祝福されたら死にたいとは言わないと思います。


聖書によると、私たちが必死に祝福を求めて、やっと祝福されるのではなく、神の方が私たちを祝福したいと強い願いを持っていることが分かります。


親子関係で考えるとその意味が分かると思います。

子どもが生まれると、子どもが何も願わなくても、親の方がたくさんの祝福を与えようとあれこれ考えます。


神様もそうですね。

神様は私たちを愛しているので、祝福したいと願っています。


神が選んだ神の民には、特別な祝福があることを、イスラエルに向かって語った言葉で知ることが出来ます。


それは神を信じる者に与える祝福です。


今回は そのことを考えながら メッセージを聞いて下さい。




神は 祝福の神で、祝福を与えたいと願っています




神ご自身が「受けるよりも与える方が幸いである」と言われました。


世界とその中にある すべてのものを造ったのは 神であり、神はそれらを私たちのために与えて下さいました。

空気もタダ、太陽の光や熱もタダ、山や川、空もタダで見ることが出来ます。


とても大切なものをタダで使うようにしたのは神です。


それは神が “祝福の神” だからです。


【マタイの福音書5章45節】

天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。

すべてのものを人間の祝福のために創造し、創世記から黙示録まで読むと、神の祝福がたくさんあることが発見出来ます。

神を信じることは、その祝福を受けるためです。


神ほど私たちを祝福したいと願う方はいません。


人間は悪いことがあると、神様のせいにして、神のことを悪く言いますが、それは “悪魔” がしたことを神と勘違いした人がいう事です。


ですから 神に悪口言う前に、自分が信じる神が 本当の神かどうかを調べてから言って下さい。


人に悪を働くのは神ではなく、悪魔(サタン)であることを知りましょう。


聖書には悪魔の仕業がたくさん出てきます。

“盗む、滅ぼす、惑わす、誘惑する、罠を仕掛ける、襲いかかる、苦痛を与える、病気を与える、死をもたらす” など様々な例があります。


しかし神は初めから祝福の神です。

その祝福なしには人間は存在できないです。


【哀歌3章22-23節】

私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。

それは朝ごとに新しい。

祝福の神を信じる人は幸いな人です。


神を誤解しながら生きる人は、特別な神の祝福を逃すことになりますので本当にもったいないです。




祝福の神は、私たちが祝福を求めることを願っています




神は “祝福の神” ですが、私たちがその祝福を求めて神の御前に出ることを願っています。


何も求めないで、神に任せるのが “信仰深い姿” だと思いますか?

―― そうではないです。


神は祝福に対しては、求めるように言われました。


【第1ヨハネ5章14-15節】

何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。

私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。

イエス様は、声を上げてイエス様を呼んだ人々に「何をしてほしいのか」と聞きました。


その時、願いをはっきり言った人たちは みな祝福されました。


祝福は積極的に求めることです。


主がそのようにしなさいと言われましたので、祝福は本人が積極的に求めることです。

神がそれを願っておられるからです。




ほかの人のためにも 祝福を求めることを神は要求します




神はすべての人が祝福されることを願っています。


ですから 自分だけ祝福されることを願う人は、神の心とは違うので、神はそれを “貪欲” と言って嫌います。


神はどの人のことも愛しています。

神の愛は変わることがありません。


私たちは愛される資格があったでしょうか?

他の人より優れた所があるでしょうか?

罪がなかったでしょうか?


それを考えると、他の人を悪人呼ばわりしたり、祝福を受ける資格がないと言ったらいけないです。


神は次のように言われました。


【マタイの福音書5章44節】

自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。

また弟子たちを遣わした時にも このように話しました。

【マタイの福音書10章12-13節】

その家に入るときには、平安を祈るあいさつをしなさい。

その家がそれにふさわしい家なら、その平安はきっとその家に来るし、もし、ふさわしい家でないなら、その平安はあなたがたのところに返って来ます。

ですから私たちが他人のために祝福するのは、神のみこころですし、それは必ず相手の祝福になるか、自分の祝福になるかで無駄になることはありません。


相手のために神に求めることも祝福であり、自分が受けた祝福を 人のために使うことも祝福を与えることです。


最近ニュースで知りました。

わずかな年金で生活が出来ない貧困老人がたくさんいるのに、生活保護を申請しない老人が多いということです。


その理由は、受けることを恥だと思うらしいです。

「施しは受けたくないと。
生活はとても悲惨なのにそれでも受けないと。」


生活保護は、最初から困った人のために使う予算です。

自分たちが税金を払って、そこから受けることですから、 “施し“ ではないですね。


国には様々な制度が国民のためにあります。

他の制度は積極的に使いながら、生活保護だけをそのように思うことは、その制度に対する偏見だと思います。

困った人にはそれは準備された祝福です。


悪いのは、お金が十分あるのに、その制度を悪用する人たちです。


私たちは、神がどのような祝福を用意してあるのかを もっともっと知る必要があります。


そして、その祝福の制度を積極的に使うことです。

どうにもならないからと死を選んだり、諦めたりする前に、まだやっていないことがないかを探ることです。


聖書には神の祝福がたくさんあります。

神を信じてそれを求めるならば、その願いが みこころにかなう時には祝福を受けることができます。


神は真実な方ですから、その約束を守ります。
(・◇・)ゞ

2017.1.15
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

私は礼拝者になる

テーマは 『 私は礼拝者になる 』 です

【ヨハネの福音書4章21-24節】

イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。

救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。

しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。

神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」

サマリヤの女とイエス様の対話で、私たちは 主が求めておられる礼拝が どのような礼拝なのかを知ることが出来ます。


ユダヤ人は霊的ではない 形式的な礼拝をし、サマリヤ人は よく分かっていなかったので、みことばから離れた礼拝をしていました。

ですから神は、彼らから まともな礼拝を受けたことがありませんでした。

それは私たちにも当てはまると思います。


礼拝は “どこで(場所)” が問題ではなく、“何によって(霊によって)” 、“どのように(神の啓示によって)” ささげているのか が問題です。


神は 選ばれた民に、このような礼拝をささげてほしいと願っています。

そのためには、礼拝者自身が変わらなければなりませんので、どのように変わるべきかを話します。


形式的な礼拝、仕方なくささげる礼拝をして、やるべき義務が終わったと思って自己満足して帰る人は 一番気の毒な人です。


そのような礼拝はゴミ箱に入っています。
無駄なことをしただけです。


しかし、霊とまこと すなわち誠実、正直、啓示によって神の御顔を求める心で礼拝をささげる人は神体験をします。


真の礼拝者の姿を見ながら,、自分たちもそれを目指していきたいと思います。




召されたところで神を礼拝する




真の礼拝者は神に出会ったその場所で、すぐに神を礼拝しました。


【創世記12章7-8節】

そのころ、主がアブラムに現れ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」と仰せられた。アブラムは自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。

彼はそこからベテルの東にある山のほうに移動して天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は主のため、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。

信仰の先祖・アブラムが一番にしたのは、神に召された所で まず祭壇を築いて、礼拝をささげたことでした。

自分の家を建てる前に まず祭壇を築いて神を礼拝しました。


他の神の人たちも召されたところで祭壇を築いて神を礼拝しました。


彼らにとって、神が臨在するすべての所が聖なる場所でした。


【マラキ書1章11節】

日の出る所から、その沈む所まで、わたしの名は諸国の民の間であがめられ、すべての場所で、わたしの名のために、きよいささげ物がささげられ、香がたかれる。わたしの名が諸国の民の間で、あがめられているからだ。―万軍の主は仰せられる―

父なる神にささげる礼拝は、場所や儀式などの制限を受けることなく、すべての所で神への礼拝がささげられることを啓示されました。




どのような状況の中でも神を礼拝する




これが出来る人が真の礼拝者です。

このような人たちは、自分が礼拝する対象が誰であるかを明確に知っています。


そして彼らは真の礼拝者として生きることを決心しているので、どのような状況の中でも神を礼拝しますし、その姿を見ます。


ヨブの姿を見てみましょう。

1日のうちに子供10人と 多くのしもべが死に、財産もすべて悪者たちの襲撃を受けて奪われてしまい、子なし、無一文になりました。

すべてに恵まれていたヨブが、一夜で悲劇の主人公になりました。


それは強い津波が去った後のような状況でした。

しかし、そのような状況の中でも、ヨブがしたことは神への礼拝でした。


【ヨブ記1章20-22節】

このとき、ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して礼拝し、

そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」

ヨブはこのようになっても罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった。

こういう状況でも 神に礼拝したのは、それが いつもの生活であったからです。


普段から礼拝をささげることは彼の日課でした。

週に1度ではありません。


ですから最悪の状況の中でも、いつものように神に礼拝をささげることが出来ました。


状況によって神への信仰が左右されるならば、果たして苦難の時に信仰が生きているでしょうか?


パウロとシラスの姿もあります。

主のために働いているのに、彼らが受けるものは迫害と侮辱だけでした。


何度もむち打たれて牢の中に入れられました。

牢の中での彼らの姿です。


【使徒の働き16章25節】

真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。

辛い時の状況は暗やみに例えられます。


「神はどこにいますか?どうして私を見捨てましたか。」と言いたくなる時です。

それは普通の人の考えです。


しかし、信仰は心の目で神を見ることですから、信仰によって生きる人は暗やみの中で、光である主、愛である主を見上げます。


そして、その神と人格的な交わりをします。それが ”礼拝“ です。




人生の歩みの中で礼拝する




イエス様は 私たちが歩く時に、私たちの道になって下さいます。


私たちの人生の道の光になって下さる方で、世の終わりまで私たちと共にいて下さると約束して下さいました。


荒野でイスラエルの民を導き守ったのは誰ですか?

彼らが荒野を安全に40年間歩んだのは誰のおかげですか?


答えです。


【出エジプト記13章21-22節】

主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。

昼はこの雲の柱、夜はこの火の柱が民の前から離れなかった。

神はこのように見える形で彼らを日々導いておられることを見せて下さり、彼らの道となって下さいました。


彼らは そのように導いてくださった神に感謝をして礼拝をささげたでしょうか?

残念ながら、彼らは礼拝者としては失格でした。


【詩篇78編17-20節】

それなのに、彼らはなおも神に罪を犯し、砂漠で、いと高き方に逆らった。

彼らは欲するままに食べ物を求め、心のうちで神を試みた。

そのとき彼らは神に逆らって、こう言った。「神は荒野の中で食事を備えることができようか。

確かに、岩を打たれると、水がほとばしり出て流れがあふれた。だが、神は、パンをも与えることができようか。ご自分の民に肉を備えることができようか。」

世界の どの国、どの金持ちが、米一粒も生産が出来ない荒野で 200万人もの集団を40年間も養うことが出来るでしょうか?


荒野で食べ物がなくて餓死した人は、1人もいませんでした。


神の奇跡で彼らは毎日導かれ、守られてきましたので、毎日その神に感謝して自分たちに出来る礼拝をささげることが当然なのに、反対に 彼らは欲深くなり、神への文句をブツブツ言う とんでもない者になっていました。



他人の姿を見る私たちは厳しいことを言います。

「私ならばそんなことはしない。毎日神に感謝して礼拝するよ。」と言いますが、実際は同じことをやっていませんか?


毎日必要が与えられ、守られたことに対して神の前で感謝していますか?

導きに対して感謝していますか?


すべての事について感謝して神と共に歩むことは、生活の中での礼拝です。


意識して礼拝をしないと、当たり前という思いに流されて、神への感謝が足りない者になります。


次の箇所で 真の礼拝者たちの姿を見ることが出来ます。


【使徒の働き17章11-12節】

ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。

そのため、彼らのうちの多くの者が信仰に入った。その中には、ギリシヤの貴婦人や男子も少なくなかった。

形式的に礼拝をせず、熱心にみことばを聞き、さらに神のことばを知りたくて、毎日聖書を調べていました。


みことばをしっかり聞くことは礼拝者としても基本的な姿勢です。


神は、私たちが礼拝者として 失格者ではなく “真の礼拝者” になることを求めていますので、今までの態度を変えて、認められる真の礼拝者になっていきましょう。


むなしい礼拝は本当に意味がないです。

心の目で神を見て、神に礼拝をしていきましょう。
(*゚∀゚)っ

2017.1.8
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

三つのことを目指す

テーマは 『 三つのことを目指す 』 です

【第1テサロニケ5章16-18節】
いつも喜んでいなさい。

絶えず祈りなさい。

すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

新年をどんな年にしたいと願っていますか?


2017年に対して様々な予測や預言が言われてあります。


神からのものなのか、そうでないかは実際に起こるまでは判断できないです。

世界がどう変わるか、日本がどう変わるかは分りませんが、自分に関しては変わらないといけないので、そのことは真剣に考えないといけないです。

何よりもすでに神から言われた大切なことは、絶対に無視してはいけないと思います。


本文のことばは、どの時代にあっても私たちが目指すべき大切な神のことばです。

これを抜きに神のみこころを行うことは出来ません。


今回は「三つのことを目指す」という内容で伝えます。




いつも喜ぶことを目指す




なぜ 喜ぶことが大切で必要でしょうか?


「別に喜ばなくても良いでしょう。誰かに迷惑かけるわけでもなく、罪を犯しているわけでもないのに」と思っている人がいるかも知れません。

ですが、いつも喜ぶべき理由があります。


まずは喜びがどこから出て来るのかを考えてみましょう。


喜びは、頭や外部からではなく、心から出てきます。

聖霊を受けた人と受けていない人には違いがあります。
心の状態です。


【ヨハネの福音書7章38節】

わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」

このように書いてあるように、聖霊が心に内住します。

そして喜びは、“生ける水の川” から出てくるものです。


喜びは御霊によるものです。


喜びは御霊の九つの実にも入っています。

生ける水の川が流れる心は とても重要な場所なので、心を見守るように言われました。


【箴言4章23節】

力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。

心が守られると、そこから絶えず いのちの水が流れて、私たちの心は潤って当然そこから喜びも出てきます。

しかし、心が守られないと 泉は枯れて心はどんどん砂漠化していき、喜びが出なくなります。


心が荒れて疲れ果ててしまいます。

ですから喜びも消えていきます。


“いつも喜んでいなさい” と言われるのは、すなわち心の泉からいつも生ける水が流れる状態を保つためです。


いつも喜んでいる状態は、心が守られている状態です。

いのちの泉も守られている証拠です。

そして聖霊に満たされている状態です。


自分の心の状態を知る1つのしるしが、この “喜び” です。

もし喜びがないなら、胃カメラで胃を調べるように、自分の心を覗いてみて下さい。


聖霊は見えず、何か違うものがそこに詰まっていると思います。

心に “あってはならないもの” が入っていると思います。


喜びがないな と思った時は、すぐに心の状態を調べて下さい。


パウロが迫害され、むち打たれ、ピリピの牢獄の中にいながらも喜んでいたのは、どんな時にも自分の心を守り、聖霊に満たされていたからです。




絶えず祈ることを目指す




現代の信徒たちの特徴は、“祈らないこと” です。


忙しいから祈れないという人が多いです。

本当にそうでしょうか?


忙しいと言いながらも、自分がしたいことは全部しますね。

食べること、テレビを見ること、スマホをいじること、雑談、趣味生活、仕事などの場合は「忙しい」と言って、しないことはないですね。


しかし聖書を読んだり、祈ったりする時間だけは「ない」と言います。

ある意味、私たちは嘘つきです。


自分のためには時間を使っても、神様には時間を使いたくないです。

そうしながら神体験を願い、祝福や恵みを求めます。

そして信仰が強くなることを願います。


なぜ神様は「絶えず祈りなさい」と言われたでしょうか。

神を知るために、神体験するために “祈りは必須” です。


みなさんがメッセージを聞いたり、賛美をしただけで 神体験や神を知ることは難しいです。

神を知るためには、神の前に出る必要があります。


イエス様がどう祈るべきかを教えました。


【マタイの福音書6章6節】

あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。

神の前に出て、静まる時間が祈りの時間です。

それは神との対面の時間です。


神を知り、神体験が多い人たちは みんな祈りの人でした。

ダニエルは祈るために、わざわざ仕事の合間でも家に帰りました。


一日三度時間を決めて毎日神に祈りました。

神は彼に会って下さいました。


祈ったらいのちが取られることを知っていながらも、いつもと変わらない姿勢で祈るために家に帰りました。

その後にダニエルはすごい神体験をしました。


飢えた獅子の穴に投げ込まれても、えじきにされず 御使いたちによって守られました。


神を信じると言いながら 神への知識、神体験もないことは恥ずかしいことです。

それでは信仰も成長しません。

ですから神はそんな者にならないように “絶えず祈りなさい” と命じました。


祈って下さい。
そうすれば必ず神体験をします。




すべての事について感謝することを目指す




昨年の事を感謝で終えましたか?

感謝で終えた人は、感謝で新年を始めたと思います。


「すべての事について感謝しなさい」と言われると、「アーメン」と答えない人も多いです。


「色々あったから出来ない」という思いがありますね。

神は出来ないことを私たちに要求するのではありません。


「すべての事について感謝する」ことは、すべての事を感謝で解釈することです。


同じものを見ても、感謝する人と感謝しない人の “差” は何でしょうか?

思い出してみましょう。


モーセがカナンの地を探らせるために12人の斥候を送りました。

40日後に彼らは帰って来ました。

10人と2人の報告が正反対でした。


感謝の信仰があったヨシュアとカレブは、神の言葉通りの良い地であったので感謝しながら帰り、うれしい報告をしました。


しかし別の10人は、高い城壁、背の高い住民を見て 恐れが入って、その地をとても悪く言いふらし、自分たちを導いた主に不平不満を言いました。


主のことばで見ると、すべてが感謝ですが、主のことばを忘れ、人間的な目だけで見ると不安と恐れで、不信仰に陥って感謝の代わりにつぶやきが出てきます。


同じものを見てもどう解釈するかは人それぞれ違います。

ですから環境や人のせいで感謝出来ないと言うのは言い訳です。






私たちが住む世界には悪いことがたくさん起こっています。

自然災害、テロ、病気、内戦や戦争がいつの時代にもあります。

ですから自分たちが災難にあったとしても、おかしいことではないです。


特別に悪い人がそのような災難に遭うのではなく、誰にでも起こり得ることです。


ですから苦難を乗り越えていくために、気落ちせず、失望しないため、信仰を守るためには “感謝の解釈” が必要です。


不幸な時、辛い時に感謝が出来ないと、不幸と辛さに飲み込まれてしまいます。

感謝が出来ないと、つまずいて信仰を捨てる場合もあります。


神から離れることは、自分のいのちに関わることです。


どんな時でも感謝することを身に着けるための訓練としては、辛い目にあった時は、いつもイエス様のことを思い出して下さい。


人から侮辱されたり、迫害されたり、ひどい目にあった時は、イエス様がひどい目にあった時の場面を思い出して下さい。

すると慰められます。


自分とは比べられない試練を主は受けながらも感謝しました。

それを学ぶことです。


主がなさったようにするならば、どんな時でも感謝することができます。

主を見るならば我慢が出来、感謝も出来ます。


すべての事について感謝する姿勢は、成熟した信仰の姿勢です。

成熟しているので、その感謝によって多くの実を結ぶことが出来ます。


これらの三つのことは、キリスト・イエスにあって 神が私たちに望んでおられることです。


神の期待に応えますか?

これら三つのことを実行するならば 世界がどう変わるかは関係がなく、充実した一年、成長する一年、祝福される一年になります。


世界の主権者は神です。

神はみこころを行う人を特別扱いして下さいます。


神体験、奇跡、守り、祝福を与えます。
(´∀`*)

2017.1.2
新年礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

1年間の感謝

テーマは 『 1年間の感謝 』 です

【詩篇23篇1-6節】
主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。

主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。

主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。

たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。

私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。

まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追ってくるでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

12月になると1年があっという間に過ぎた感じがします。

「1年ってこんなに長いの?」と言われた人に、今まで会ったことがありません。


今年も あと2週間ほど残っていますが、来週がクリスマス礼拝で、その次は新年になりますので、今日は一年間受けた主の恵みに感謝したいと思います。


今日の聖書のことばは詩篇23篇です。

詩篇の中でも一番よく知られてあります。


23篇には感謝という言葉はありませんが、感謝の気持ちがにじみ出てあります。

感謝の思いなしにこの詩篇は書けないですね。


今日は何に対する感謝があるのかを考えてみたいと思います。

すると自分たちも何に対して感謝すべきかがわかります。




神様が共におられたことに対する感謝




23篇全体には常に主が共におられるのがわかります。

これこそが最大の感謝です。


主は私から遠く離れた所におられる方ではなく、いつも共におられる方です。


私たちの手を握って私たちを導き、守って下さる主です。


ダビデにはそのような信仰があったので、前向きで健全な人生を生きることが出来ました。


彼の人生は決して平凡で順調な人生ではなく、波乱万丈な人生でした。

しかし、その中でも神が自分と共におられるという信仰を持っていたので、苦しみの中でも、神の慰めと勇気を受けて勝利することが出来ました。


神が共におられるという事実から目をそらすと私たちは絶望し、常に不安と思い煩いに支配されます。


主はいつも共にいて下さる方です。
それが神の約束でした。


【マタイの福音書28章20節】

見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。

主が共におられることがどれほど感謝かわかりません。

主がいない生活は考えられません。


今年も主が共にいて下さったことが何よりも感謝です。




主の助けと導きと守りが感謝




ダビデは 主が羊飼いとして自分を緑の牧場、いこいの水のほとり、義の道に導き、敵からも守って下さったことをすべて思い出して感謝しました。


ダビデは多くの戦いを経験した勇士でもありました。

ですから命が取られるような場面がたくさんあったにもかかわらず、生き延びたことは自分の力でなく神の助けと守りがあったからと彼は信じていました。


わたしたちも同じです。

主の守りと助けがなかったならば、どうなったでしょうか。


皆さんも自分の人生を振り返ってみて下さい。

思い出すと危険な場面が色々ありました。

助けられた、守られたという場面が色々と思い出されます。


一つ間違えたら死んだかも知れない場面があります。

車を運転する人は、事故を起こしたかも知れない場面があります。


地震などの自然災害も今年も多かったです。

色んな病気も流行っています。

テロも毎日のように世界の様々な場所で起きています。


これらは自分で自分を守ることが出来ないです。

神様の守りと助けなしには生きていけないです。


ですから無事に過ごせたことが大きな感謝です。




衣食があったことに感謝




【第1テモテ6章7-8節】

私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。

衣食があれば、それで満足すべきです。

衣食は人間生活の一番の基本です。

不足があると生活が不便になりとても困ります。

世界に目を向けると家もなく、食べるものもなく、着る物もない人がたくさんいます。


日本人口の何倍も困っている人がいます。

難民のことを考えると一瞬にしてすべてを失い、どこに向かったら良いのかも分からず困っている人がたくさんいます。


それを見た時も本当に衣食があることに感謝が出てきます。


日本も貧困層が年々増えています。

その人たちは衣食住を確保するだけで毎日必死です。


不自由なく一年過ごせたことは本当に感謝です。


“良いことが何もなかったから感謝したくない” ではなく、それでも守られて、助けてもらったので感謝することです。


感謝は、自分自身の活気ある生活のために、他人に喜びをプレゼントするために、神の祝福の手を握るために必要です。


感謝は、神様に明日の恵みを期待します。

6節のことばに恵みへの期待と信仰があります。


まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。


ある牧師が書いた「ありがとう」です。


「ありがとう。窓よ。ありがとう。カーテンよ。ありがとう。床よ。ありがとう。壁よ。ありがとう。天井よ。ありがとう。木々よ。ありがとう。庭よ。ありがとう。空よ。ありがとう。友よ。ありがとう。兄弟よ。ありがとう。みんなよ。見回しても、見回してもありがたいことばかり。朝も夕もすべてを見てもありがたいことばかり。」
.。゚+.(・∀・)゚+.゚

2016.12.18
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

livedoor プロフィール
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

(^^) からし種 に投票してね
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ