からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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聖日礼拝メッセージ

携挙は必ず起こる

テーマは 『 携挙は必ず起こる 』 です

【第1テサロニケ4章15-17節】

私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。

主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、

次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。



携挙とは何か




携挙とは、イエス・キリストが空中再臨する時に、主にあって死んだ人たちが まず よみがえり、次に主を信じ、主を迎える準備が出来ている人々が たちまち朽ちない姿に変えられて 雲の中に一挙に引き上げられ 空中で主と会うことです。


携挙は、理性的には理解が出来ない、超自然的な現象で、神の主権による奇跡とも言えます。


携挙は、これから起こるもっとも重要な預言の一つです。


信じない人は、こういうことが起こることすら分からないと思います。

主の他の預言がすべて成就したように、この預言も成就します。




旧約で見る 携挙のように
死を見なかった二人




≪ エノク ≫

【創世記5章23-24節】

エノクの一生は三百六十五年であった。エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。

≪ エリヤ ≫

【第2列王記2章11-12節】

こうして、彼らがなお進みながら話していると、なんと、一台の火の戦車と火の馬とが現れ、このふたりの間を分け隔て、エリヤは、たつまきに乗って天へ上って行った。

エリシャはこれを見て、「わが父。わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち」と叫んでいたが、彼はもう見えなかった。そこで、彼は自分の着物をつかみ、それを二つに引き裂いた。



携挙が起こる時期




携挙の前に起こると預言されたことは、ほとんど起こってありますので、いつ携挙があっても不思議ではない時代に いま私たちは生きています。


主は携挙の日に対しては はっきりとは言われませんでしたが、次のように語って下さいました。


【マタイの福音書24章42-44節】

だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。

しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入れられはしなかったでしょう。

だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。



携挙が起こる時期の三つの見解




携挙の時期に対しては 三つの見解がありますが、それは世の終末にある7年患難の時に焦点を合わせて、患難前、患難の前期、患難の後期と分かれてありますが、いまもっとも携挙の時期と有力であるのは患難前です。

7年患難の預言は ダニエル書 に書かれています。


【ダニエル書9章27節】

彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半周の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現れる。ついに、定められた絶滅が荒らす者の上にふりかかる。」

1週とは7年間を意味します。

7年患難の間に起こることは 反キリストの出現、反キリストとイスラエルが特別な平和契約を結びます。


そしてイスラエルは史上最大の繁栄と平和の時代を迎えます。

その間に第三神殿が再建します。

この時期に 黙示録11章にある二人の証人が活動します。


しかし前半の3年半が過ぎた時に、反キリストはイスラエルとの特別契約を破棄します。


そして世界の宗教を統一し、自分以外のものを崇拝することを禁じ、それに従わない者への大迫害と殺害が始まります。


そして世界の最終戦争も起こります。

この時の患難に対して主のことばがあります。


【マタイの福音書24章21-22節】

そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。

もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。



携挙のための準備




主のことばのように目を覚まして、その日のためにキリストの花嫁として準備することです。


マタイの福音書25章には 花嫁として準備出来た人と、準備出来なかった人がいました。

準備出来なかった人は、キリストを迎えることが出来ませんでした。


【第2ペテロ3章10-11節】

しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。

このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。

【第2ペテロ3章14節】

そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。

主は信じる者たちを迎えに来ると約束しました。

それを信じる人は その日を待ち望んでいます。


耐えられないほどの患難の中で主を信じることは とても難しいです。


携挙される者になるように努力する方が ずっと簡単です。


主のことばのように、目を覚まして 花嫁の支度をしていきましょう。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚

2017.4.23
聖日礼拝メッセージ

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復活のいのち

テーマは 『 復活のいのち 』 です

【第1コリント15章3-8節】

私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、

また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、

また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。

その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。

その後、キリストはヤコブに現れ、それから使徒たち全部に現れました。

そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました。

死から復活したことは、死で終わったのではなく、再び いのちとして生まれたことを意味します。


イエス・キリストは十字架の上で確かに死にました。

そして墓に葬られました。


みんなはその死を確認しました。

そして弟子たちがその死体を盗むことがないように、墓の入り口に石を転がして、誰も入れないように防ぎました。


そして番兵が墓の番をしました。

三日間は墓の中に何の変化も起こりませんでした。


しかし三日後に異変が起こりました。

イエス・キリストが前もって言われた通りに、死の力を打ち破ってよみがえりました。


死がイエス様を縛っておくことは出来ませんでした。

完全に復活しました。


死人ではなく、いのちあるキリストの姿になりました。


そのいのちは再び死ぬような一時的なものではなく、二度と死を味わうことのない、朽ちない栄光の体になりました。


その体は多くの人が直接見ました。

目撃者が多かったです。


誰かの作り話ではなく、事実でした。




復活はすでに預言されていた




復活は旧約聖書で、すでに預言されてありました。

そして新約時代に成就されました。


―― 預言 ――
【詩篇16編10節】

まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。

―― 預言の成就 ――
【マタイの福音書28章5-6節】

すると、御使いたちは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。

ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。



イエス・キリストは復活の光




不信の勢力と暗闇の力を、復活の光で勝ちました。


闇と光はどちらが強いでしょうか?

闇が光に勝つことは出来ないです。


どんなに暗い部屋でも、スイッチを入れるとあっという間に闇が消えていきます。

すべての人たちは復活を信じませんでした。


暗い墓の中に、主は入りました。

しかし闇の中にとどまらず 復活の光として闇を消して出て来られました。


死の力を打ち破った主ですから、私たちにいつも力と希望を与えることが出来ます。


【ヨハネの福音書8章12節】

イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」



世を救い、いのちを与えるため




イエス・キリストは世を救うために、私たちを救っていのちを与えるためによみがえりました。


【ローマ8章11節】

もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。



復活の力を知ることは難しいです




御使いも預言者もパウロも そのことを知ろうと調べ、研究しましたが知ることは出来ませんでした。

なぜならばそれは神の領域の中にあることだからです。


神の中にある測り知れない力を人間がどのように知ることが出来るでしょうか。


人間が持つ理解力も知識も知恵もわずかなものです。

目に見える体のこともよくわかっていない人間が復活の体を研究してもわかるはずはないと思います。


復活の力は神だけが持つ力です。




復活の恵みに預かりたいならば




復活の恵みに預かりたいならば、復活したイエス・キリストを信じることです。


【ヨハネの福音書11章25-26節】

イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。

また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」

そして主と一つになることです。

復活の順番と復活する人がだれかを教えました。


【第1コリント15章23節】

しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。

キリストに属しながら、キリストの再臨を待ち望んでいる人は、主が復活したように、朽ちない体、栄光の体、死ぬことがない体に生まれ変わります。


どのような体に変わるのか 楽しみではありませんか。 (。・ω・)ノ゙


2017.4.16
イースター礼拝メッセージ

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キリストの十字架と私

テーマは 『 キリストの十字架と私 』 です

【ガラテヤ1章4節】

キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり、父である方のみこころによったのです。

今週はキリストの受難週です。

キリストが苦しみを受け、十字架につけられ死んだ時期です。


みなさんは十字架を見た時に、そこに釘づけられて死んだキリストをすぐに思い出しますか?

それとも 何も思わないですか?


クリスチャンならば、キリストを思い出すと思います。


キリストが 罪人の罪を贖うために十字架の上で死んだことは、聖書を通して聞いていますので、それは信じていると思います。


しかし、その “十字架と自分” をしっかり結びつけないと、キリストの十字架に特別な意味があっても、それが自分とは何の関係もないものになります。


今回はまず「キリストの十字架の特別な意味」を語り、そのあとに「キリストの十字架と私」に対して学びます。





キリストの十字架の特別な意味




キリストの十字架の意味を はっきり知って信じることで、私たちは神がすでに備えた驚くべき恵みを受けることが出来ます。

知らないならばもちろん何の恵みも受けられません。


《 罪を赦す力 = 罪によって人間はきよい神との関係が断絶されました 》


なぜなら “罪” は、神との関係を断絶させるからです。


ですから神との関係を回復するためには、罪が洗われる必要と罪の赦しが必要になります。


神はイエス・キリストの十字架の苦難と死 という方法で、私たちの罪を赦しました。


私たちがキリストの十字架の前に来て 自分の罪を悔い改めて信じる時に、キリストの血が罪を洗い、罪の赦しを受けることが出来ます。


キリストの血には、“罪を赦す力” があります。


【ガラテヤ1章4節】

キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。

罪が赦されると たましいが救われ、神との関係も回復します。



《 愛の力 = 十字架の贖いは 神が人間を愛している証拠 》


“キリストの十字架のみ” が私たちを神の愛に導きます。


イエス様が人間を愛していなかったならば、自分のいのちをささげることは出来なかったと思います。


【ローマ5章8節】

しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。


《 神と出会う場所 = 十字架の力だけが私たちを神に導きます 》


旧約時代に幕屋で神に会ったように、私たちはキリストの十字架を通して神に会います。


神がご自身を現し、私たちを呼ぶのもキリストの十字架を通してです。

そのように神が決めましたので、それ以外の道はありません。





キリストの十字架と私




・十字架の上で古い人は死んで、新しい人になりましたか?


【ガラテヤ2章20節】

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

使徒パウロの告白ですが、キリストに本当に出会ったならば、このような同じ告白が私たちからも出なければなりません。


神を知らなかった時の姿は古い姿です。

自分の思いのままに生きた姿でした。


しかしキリストを信じることは、古い人を捨てて 新しい人として生きることを意味します。


罪から離れ、義のために生きることです。


【第1ペテロ2章24節】

そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。


【第2コリント5章17節】

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

この新しく生まれ変わった経験がない人は、まだ救われていないです。


変わったならば、本人が一番それに気付くはずです。

罪から離れてキリストの中にいま生きていますか。



・十字架のために迫害を受けていますか?


【ガラテヤ5章11節】

兄弟たち。もし私が今でも割礼を宣べ伝えているなら、どうして今なお迫害を受けることがありましょう。それなら、十字架のつまずきは取り除かれているはずです。


【ガラテヤ6章12節】

あなたがたに割礼を強制する人たちは、肉において外見をよくしたい人たちです。 彼らはただ、キリストの十字架のために迫害を受けたくないだけなのです。

行いや儀式によって救いを受け、祝福を受けると思っている人は それらを重んじ、それらに魅力を感じ、一生懸命にそれを追い求めます。

そういう人が迫害を受けることはあまりないです。


しかし それを拒否し、キリストの十字架を信じる信仰のみに救いがあるという人は、迫害を受けます。


その迫害を受けたくないから妥協したり、ごまかしたりして生きるならば、それは十字架を知らない人です。


イエス様は主の弟子になる人は、誰でも迫害を受けると言われました。

殉教するほどの迫害もあれば、周りから受ける不当な扱いや嫌がらせなどの小さい迫害もあります。


十字架によって新しくなった人は、迫害を受けてもキリストから離れません。

さらにキリストに近付きます。


そのようにしていますか?

それとも迫害は絶対に嫌だと キリストから離れますか?



・誇っているのは十字架ですか、それとも肉のものですか?


【ガラテヤ6章14節】

しかし私には、私たち主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。

自分にとって価値のないものを誇る人はいません。

その人が愛するもの、関心が高いもの、大事にするものは、その人が誇るもので分かります。


次の言葉で自分の状態を調べるならば、自分がどこに属し、何を誇り、何に従っているかが分かります。


【ローマ8章5-10節】

肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。

肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。

というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。

肉にある者は神を喜ばせることができません。

けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。

もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。

キリストの十字架を一番の誇りとしている人は、十字架の意味と価値を知っている人です。


そうでない人は、まだ十字架の意味と価値を知らない人です。



・日々自分の十字架を負っていますか?


【マタイの福音書16章24節】

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

何かを負うことはしなければならない責任があります。


どんな責任でも負うことは しんどいことです。

出来れば責任は負いたくないと思ってしまいます。


キリストも重い死の十字架を背負いました。

その苦難はとてもつらい苦難でした。


しかし最後まで十字架を負いました。

それによって 人類の罪が赦される道、救いの道、神との和解の道が出来ました。

私たちにも主が負わせた十字架があります。


ある人はそれが嫌でどこかに投げ捨てました。

負担もなくなり、身軽になって良かったと思うでしょう。


しかし いま笑う者は後で泣きます。いま泣く者は後で笑います。


もし十字架を負わせられたならば、黙ってそれを負って主に従うことです。



子ロバは、イエス様が自分の上に乗った時に 黙って歩き出しました。


主が私たちに負わせる十字架は、祝福の十字架です。


後に 主と清算する時に、多くの報いをもたらすものになります。


しかし投げ捨てて十字架を負わなかった人にあるのは、厳しい叱責です。

「悪い怠けたしもべだ」と聞くでしょう。


十字架のない人生を選ぶか、十字架のある人生を選ぶかは自分で選べます。


しかし天国へ行くのは自分では選べないです。

神様が決めます。


十字架と共に歩んだ人には、天国の道を開きます。

なぜなら十字架の道が天国への道だからです。


十字架を愛して生きる人もいれば、十字架の敵として生きている人も多いです。


あなたはどらちですか?
(゚Д゚≡゚Д゚)


2017.4.9
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無効な悔い改めと 真の悔い改め

テーマは 『 無効な悔い改めと 真の悔い改め 』 です

【使徒の働き3章19節】

そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。

2、3日でも髪を洗わないと、髪は脂っぽくなり 絡まりますし、臭いもします。

同じく 体も洗わないと、だんだん臭くなります。


本人も気持ち悪く感じますし、周りの人も臭いので近付きたくありません。

ですから私たちは嫌でも毎日のように体を洗います。

そして、それは毎日の習慣になってあります。


「なぜ洗わないといけないですか。」と言う人もいません。

それが当たり前になっているからです。



“悔い改め” は、神を知らない人にとっては「それ何?」と言われるでしょう。

「何を悔い改めるの?私、何か悪いことでもした?そんな覚えないけど。」と、そこで おしまいですね。



しかしクリスチャンになった人は、そうであってはいけないです。


神が忌み嫌うのが罪であることを知って、イエス・キリストが私たちの罪のために十字架にかかったことを知っているならば、罪の問題を軽く考えてはいけないです。


悔い改めは、“心を洗うこと” で、心に付いた汚れをきれいに洗って、主に立ち返ることです。


そして自分の考え、価値観、行動パターンを、神の民らしく変えることです。


悔い改めは、単純に感情の変化程度ではなく、生き方の体制が変わることです。


聖書を読むと、様々な人の悔い改めの姿がありますが、神が受け入れた悔い改めと、そうではない悔い改めがあります。

そしてその結果も全然違います。

無効な悔い改めが多いことにも気付きます。


悔い改めがなかった人、無効な悔い改めをした人、神が認めた真の悔い改めをした人を調べます。


神は罪を赦す神なので悔い改めを待っておられます。





アダム、エバ、カイン、イスカリオテ・ユダなど
(悔い改めがなかった人たち)




人類最初に罪を犯し、世界に罪をもたらしたアダムとエバは、罪を犯した後に 悔い改めた姿がありませんでした。


罪を犯した後に、自分たちが裸であることに恥を感じましたが、罪がない時には 神の前で裸であっても恥ずかしいとは思いませんでした。


しかし罪を犯した後に恥を感じました。

以前とは違う心の変化に彼らは気付きました。


神の言葉に違反したことで生まれた恥という思いに対して、神の前に出て 罪を悔い改めなければいけなかったのに、ふたりは悔い改めず、自らがその問題を解決しようとしました。


その方法とは 次の箇所です。


【創世記3章7節】

このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。

自分たちの方法で罪を隠せると思いました。

しかし、それで罪が隠れることも消えることもありません。


彼らの息子であったカインは、弟を殺した最初の殺人者ですが、彼も親と同じく悔い改めがありませんでした。


神は彼に現れて聞きました。(創世記4章9節)

「あなたの弟アベルは、どこにいるのか。」
それに対して、彼の答えは「知りません。私は、自分の弟の番人なのでしょうか。」

と嘘を言い、開き直りました。


神はすべてを知っていました。

神から罪を指摘されても彼は悔い改めませんでした。


ただ 自分にくだる罰がこわくて、自分のいのちが守られるように 必死に神に求めました。

悔い改めなかった彼らは、今どこにいると思いますか?

神の恵みによって 天国と地獄を何度も訪問した ある牧師先生から聞きました。


ある時にどうしても知りたくて、イエス様に聞いたことが「アダムとエバは今どこにいますか?」でした。


それから御使いたちに案内されて行った場所は地獄でした。

そこでアダム、エバ、カインを見ました。

とても悲惨な姿でした。


長い間、彼らがそこで苦しみを受けていることが良くわかりました。


罪を悔い改めない人は、誰でも彼らのように地獄に行きます。


聖書の神のことばです。

イスカリオテ・ユダはどうでしたか?


彼は主の十二弟子の一人でありながら、お金でイエス様を敵に売りました。

その後に彼は自分の行動を後悔しました。


主の前で悔い改めたのではなく、彼も自らの方法を取りました。

それは自殺でした。
彼は首をつって自殺しました。


それで罪が無くなったでしょうか?

神が求めるのは、そういう事ではないです。


神に立ち返って悔い改めることです。


神は、赦す用意をして待っておられます。


立ち返る場所は主であって、自分のいのちを絶つことではないです。





ペテロの悔い改め
(真の悔い改め)




イスカリオテ・ユダと同じく、ペテロも十二弟子の一人でした。


彼もイエス様のことを、3度も “知らない” と嘘を言いました。


それも最後は、呪いながら 「自分はイエスを知らない」 と言いました。

ユダも悪かったですが、ペテロもそれに負けず悪かったです。


しかし彼が自分に語った主のことばを思い出した時に、彼の中に激しい心の動揺がありました。

主のことばで、自分が犯した罪の重さに気付きました。


それで彼は何をしたでしょうか?


【マタイの福音書26章75節】

そこでペテロは、「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います」とイエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。

この涙は、悔い改めの涙です。

心から出てくる涙こそ、悔い改めの涙です。


今、クリスチャンに必要なものは このような涙です。


涙が枯れているならば、その心も枯れています。

悔い改めの涙が必要です。


【第2コリント7章9-10節】

今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、あなたがたが悲しんで悔い改めたからです。あなたがたは神のみこころに添って悲しんだので、私たちのために何の害も受けなかったからです。

神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。




サウル王の悔い改め
(無効な悔い改め)




サウル王は、最初は謙遜な人でした。

神は彼をイスラエルの初代王にしました。


しかし彼が王になってから、彼は神に対して不従順するようになりました。

神の命令を聞いても、それを素直に行ったのではなく、勝手な解釈をして不従順の罪を犯しました。

そして、それを罪とも思わなかったです。


サムエル預言者から叱責を受けた時に、すぐに民を非難して民のせいにし責任転嫁をしました。


また 神との関係よりも 人との関係を重視して、神に犯した罪の重大さに気付かなかったです。

そして神からの厳しいことばを聞いた後も、神に不従順したことを悔いるよりは 自分が受ける損失に対して悲しみました。


彼は罪を指摘された時に次のようなことを言いました。


【第1サムエル記15章24-25節】

サウルはサムエルに言った。「私は罪を犯しました。私は主の命令と、あなたのことばにそむいたからです。私は民を恐れて、彼らの声に従ったのです。

どうか今、私の罪を赦し、私といっしょに帰ってください。私は主を礼拝いたします。」

悔い改めているように見えますが、実際は口先だけの悔い改めで、彼は神に立ち返りませんでした。

自分の面目を保つためだけでした。


その後、彼はますます神に逆らいながら罪を犯す者になり、完全に破滅してしまいました。


真の悔い改めがないと、心はさらにかたくなになり、真理に逆らいますし、霊的には盲目になり、闇の道を歩み、最後は永遠の滅びの刑罰を受けます。





ダビデの悔い改め
(真の悔い改め)




ダビデも神の前に、姦淫の罪と 殺人の罪を犯しました。


神は、彼が自ら悔い改めることを願って しばらく時間を与えましたが、彼は自分の罪を隠していました。


その間、彼は精神的にも肉体的にも衰弱していきました。

喜びも無くなり、力も無くなりました。


それを見て、神は預言者ナタンを彼に遣わしました。

預言者は彼の所に来て 祝福のことばは一言も話さず、罪を悟らせるための言葉だけを語りました。


その時、ダビデは厳しいことを言うナタンを殺すことも出来ましたが、彼はナタンの忠告に感謝しました。


後に、ダビデは自分の子に ナタン という名前まで付けました。


ダビデは言い訳をせず、忠告を受け入れて、神の前に涙を流しながら 徹底的に自らの罪を悔い改めました。

その時の告白が詩篇51編です。


【詩篇51編1-4節】

神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってください。

どうか私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。

まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。

私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行いました。それゆえ、あなたが宣告されるとき、あなたは正しく、さばかれるとき、あなたはきよくあられます。

ダビデはそれ以来、罪から離れ、神の御心に従って歩み出しました。


真の悔い改めは 行動が伴い、悔い改めにふさわしい実を結びます。


神は その人の罪を赦し、いのちを与え、新しい心と霊を与えます。

携挙されるためにも、徹底的な悔い改めが必要です。


天国に入るためにも、救いや祝福を受けるためにも、悔い改めが最も必要であることを自覚しましょう。


悔い改めをないがしろにしてはいけないです。
。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン


2017.4.2
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空中再臨と地上再臨

テーマは 『 空中再臨と地上再臨 』 です

【使徒の働き1章9-11節】

こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。

イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。

そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」

キリストの誕生、キリストが受けた苦難、十字架、キリストの死、そして 復活は、すでに過去に起きたことなので、キリスト者はもちろん知っていますが、未信者の中でも多くの人が知っています。


しかしキリストの再臨はどうでしょうか?

未信者の人は、ほとんど知らないと思います。


キリスト者の中では 再臨を信じて、日々 主の再臨を待ち望んでいる人もいれば、信じない人もいますし、頭では知っていますが、あまり関心もなく 準備をしない人も多いです。


しかし “再臨” は必ず起こることで、すべての終わりを意味します。


いのちと死、救いと滅び、天国と地獄 に分かれていきます。

(その時になってからでは)チャンスがないです。


再臨に対して 主ご自身が何度も語り、主の弟子たちも聖霊によって語りました。


主の再臨は二度あります。


一度だと思っている人は間違えています。

なぜならば 空中再臨と地上再臨は、“目的と再臨の時の様子” が全然違うからです。


今回は、空中再臨と地上再臨の目的と、その時の様子、そして空中再臨の時に起こる 聖徒の携挙について学びます。

携挙されるためには どうしたらよいのかも話します。


再臨の間にある様々なことは、内容が膨大なので、また別の礼拝の時に伝えます。




空中再臨の目的と主の姿、聖徒の携挙




主は、主の再臨を待ち望んでいる聖徒たちを迎えるために 空中再臨をします。


キリストは、そのことを “花婿が花嫁を迎えに行く姿” だと語りました。


主が空中再臨するので、その時に聖徒の携挙が起こります。

空中の主の所に、地上から引き上げられ、主に会います。


【マタイの福音書24章30-31節】

そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。

人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。

【第1テサロニケ4章16-17節】

主は、号令と、御使いたちのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、

次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

この時に携挙される聖徒たちにとっては、この日は 最高の喜びの日であり、祝宴の日であり、愛する主に会う最高に幸せな日になります。


結婚式に望む花嫁の姿になります。

その時に、朽ちない体に変えられ、地上を離れて永遠の御国に入ります。


(※携挙のことは、とても奥が深いので また別の日に話します)


空中再臨の時の主の様子は、大能と輝かしい栄光を帯びて雲に乗った姿です。


その時のイエス様の姿は、十字架で死んだときのような悲惨な姿ではありません。

勝利した王の王、主の主の姿です。



空中再臨の時、地上では かつてないほどの大患難が始まっています。


長い間、人間の悪に対して忍耐した神の怒りの裁きが始まっています。


信じない者、悔い改めない者、にせ預言者、サタンに従って あらゆる悪を行った者、そしてこの世と妥協し堕落した信徒、警告を無視し生ぬるい信仰で準備が出来なかった信徒たちは、地上に残されて激しい迫害を受けます。


しかし目を覚まして主の再臨を迎える準備が出来た信徒たちは、すでに引き上げられているので その苦しみを受けることはありません。




地上再臨の目的と主の様子




空中再臨の後に、地上再臨があります。

地上再臨の目的は、世界を完全に滅ぼすためです。


悔い改めることもなく 主を信じず、偶像崇拝をし、あらゆる悪を行った者に対する裁きです。


この時の主は、厳しい裁き主として来られます。

どのようなことをするのか、次の聖書のことばにあります。


【ヨハネの黙示録19章11-21節】

また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、「忠実また真実」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。

その目は燃える炎であり、その頭には多くの王冠があって、ご自身のほかだれも知らない名が書かれていた。

その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。

天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。

この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。

その着物にも、ももにも、「王の王、主の主」という名が書かれていた。

また私は、太陽の中にひとりの御使いが立っているのを見た。彼は大声で叫び、中天を飛ぶすべての鳥に言った。「さあ、神の大宴会に集まり、

王の肉、千人隊長の肉、勇者の肉、馬とそれに乗る者の肉、すべての自由人と奴隷、小さい者と大きい者の肉を食べよ。」

また私は、獣と地上の王たちとその軍勢が集まり、馬に乗った方とその軍勢と戦いを交えるのを見た。

すると、獣は捕らえられた。また、獣の前でしるしを行い、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕らえられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。

残りの者たちも、馬に乗った方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が、彼らの肉を飽きるほどに食べた。

この時は雲ではなく 白い馬に乗って、一人ではなく 勝利した聖徒たちと共に来られます。


【ゼカリヤ書14章3-5節】

主が出て来られる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。

その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真ん中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。

山々の谷はアツァルにまで達するので、あなたがたは、わたしの山々の谷に逃げよう。ユダの王ウジヤの時、地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げよう。私の神、主が来られる。すべての聖徒たちも主とともに来る。

主が地上再臨する時が世界の終わりです。


それまでに地上では すでに多くの災難や戦争や疫病などで、多くの人々が死んでいます。


黙示録に詳しいことが全て書かれてあります。




携挙されるためにどんな準備をすべきなのか




携挙される聖徒はわずかで、多くの聖徒たちは残されると言われてあります。


信仰告白した人ならば、全員携挙されると言われることばは、事実ではありません。


目を覚まして用意していない人は残されます。

口先だけの信仰で良い実を結んでない人も残されます。


聖くなければ、だれも主を見ることは出来ません。




二重生活 (信仰と生活が別々)




生活の中に 信仰の実がなく、死んだ信仰、むなしい信仰、無価値な信仰生活をしている人は、悔い改めない限り 携挙はないです。


神の御心に適う信仰、神が認める信仰 (不平、不満、つぶやき、不安、絶望、怒り、悲しみの生活、世を愛して世に従うのではなく、


主を一番に愛すること、福音にふさわしく生きる、光と塩の生活、真実で偽りのない生活、聖別された生活、


いつも喜び、絶えず祈り、すべてに感謝する生活、主に従う生活をする、みことばに従う生活、祈りの生活、罪の悔い改め(聖さ)、罪から離れる生活、偽善を捨てる)を持って、再臨を準備する人を 主は患難の時に引き上げて下さいます。



黙示録の七つの教会のうち、五つの教会から非難と悔い改めが命じられました。


非難されていない教会に対しては、主の約束のことばがありました。

それは携挙とも思われます。


【ヨハネの黙示録3章10節】

あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。

主のことばを守って生きている者に対して、主も守って下さると約束してくださいました。




主の再臨はとても近い




再臨の前兆に対して聖書は啓示しました。

いま すべてが成就されました。


その啓示には、イスラエルの建国、ロシアの浮上、信仰からの離脱、背教、旅行と知識の増加、新世界政府の計画、戦争や内戦などがありますが、すべて預言通りになりました。

これ以外にも様々な前兆があります。


【マタイの福音書24章42-44節】

だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。

しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。

だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。

空中再臨も地上再臨も 作り話ではありません。


今 世界は混乱があり、たくさんの問題があります。

以前とは違いますね。


聖徒に対する残忍な迫害もあります。

多くのクリスチャンたちは、この時代がどれほど深刻であるのかを全然知らないです。


教会は 時代を分別出来ず、沈黙しています。

再臨の話をすると、まるで異端や頭のおかしい人のように見ています。


主のことばに耳を傾け、この世を見て下さい。

主のことば通りになってあります。


信じて行動する者になりましょう。

主の再臨への準備がとても必要です。
Σヾ( ̄0 ̄;ノ

2017.3.26
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あなたの主はだれですか?

テーマは 『 あなたの 主 はだれですか? 』 です

【第1ペテロ3章15節】

むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。

神は 私たちに聞きます。

「あなたの主は誰なのか。」


私も、私自身に聞きます。

「あなたは誰を主にしたいのか?」


誰が 私の心の中の “主” になるべきでしょうか?


神の答えは「キリストを主にしなさい。」です。




なぜ “キリスト” でしょうか




キリストは、どのようなお方でしょうか?


キリストは私たちを救う方です。

私たちに慰めが必要な時に、慰めて下さる方です。


そして、私たちの心と体を いやして下さる方です。


また、私たちを罪の束縛から 解放して下さる方です。

私たちをひとみのように 守って下さる方であり、私たちのことを 私たち以上に よく知っておられる方です。


私たちにとって、一番よいものが何かを知っておられる方で、私たちに教えて下さる方です。


私たちに 世が知らない知恵を 与えて下さる方です。

私たちが行くべき道を一番よく知って導いておられる方です。


王の王、主の主です。


私は この方(イエス・キリスト)を “主” にしてから、これらすべてを体験しました。

すべてが真実でした。



この方を、“自分の心の主” にしたいと思いませんか?


口先だけで「主よ。主よ。」と言うのは、キリストを主にしている姿ではありません。


心の中で、キリストを主として崇めないといけないです。


心の中で、主として崇めることは どういうことでしょうか?

このことばを参考にして下さい。


【イザヤ書8章13節】

万軍の主、この方を、聖なる方とし、この方を、あなたがたは恐れ、この方を、あなたがたのおののきとせよ。



キリストを 心の主として崇めるならば、
私たちの人生はどのような人生になるのか




  • 神のことばを聞いて従順する人、忠実な人になる

  • キリスト者として聖なる敬虔な人になる。

  • 主のいのちが私に注がれるのでいのちあふれる人生になる。

  • 希望ある人生になる(復活、天国、罪の赦し、変わらない神の約束、報いなどを受ける。

  • 聖霊の導きを受ける人生になる。



もし 違うものが心の主になるならば、どうなるのか




≪ “私自身” が 私の主ならば ≫

・神から遠く離れた放蕩息子(ルカの福音書15章の内容)のように、孤独な人生、悲惨な人生になる


≪ 貪欲(富、名誉、権力、快楽などを愛し求める欲)が私の主ならば ≫

・いつも罪の誘惑に負けて罪の奴隷になり、堕落の人生になる


≪ サタンを主にするならば ≫

・とんでもない悪を行う者になる


イエスをお金で売った 弟子の1人であったイスカリオテ・ユダのような人、弟アベルを殺したカインのような人、平気に人を殺したり、悪を行う者、そして今もISなどテロ集団に入っているような者は、“サタン” を自分の主にしています。


自分自身が認めなくてもそうです。

そうじゃないと 人間として そのようなことが出来るでしょうか。


彼らは喜んで悪を行います。

そのような人は 皆、サタンの奴隷です。


環境が、人が、自分を変えるのではないです。

本当に自分を変えるのは、自分が “だれを自分の心の主にしたか” によって変わります。


外にあるものからは色々と影響を受けますが、自分の心の中で誰を主にするかは 他人が決めるのではなく、自分が決めることが出来ます。


自分が心の中に誰を主として崇めるかによって、私たちは(今までとは)違う人生を生きるようになります。
v( ̄∇ ̄)v


2017.3.19
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弟子になれる人と弟子になれない人

テーマは 『 弟子になれる人と弟子になれない人 』 です

【ルカの福音書9章22-27節】

そして言われた。「人の子は、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、そして三日目にはよみがえらねばならないのです。」

イエスはみなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。

人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。

もしだれでも、わたしとわたしのことばとを恥と思うなら、人の子も、自分と父と聖なる御使いとの栄光を帯びて来るときには、そのような人のことを恥とします。

しかし、わたしは真実をあなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、神の国を見るまでは、決して死を味わわない者たちがいます。」

イエス様が弟子たちを選んだ理由は、もちろん弟子として育てるためでした。


イエス様が死んで三日目によみがえって、そのまま地上に残るのではなく 天に帰るので、弟子たちにはイエス様がなさった同じことをするように伝えました。


彼らにはすでに生活がありましたが、イエス様は彼らが主の弟子になることを要求しました。

そして弟子になることが どういうことかも教えました。


弟子になる人の条件は「自分を捨て、自分の十字架を負い、そして主に従うこと」です。


自分を捨てることは自己否定です。

自己否定の意味は、罪の性質の中で生きる自己中心性を捨てることです。


“罪” とは悪いことだけではなく、正しいことを知っていながらもそれをしないことです。


自分がしたいことをするために すべきことを知りながらも、しないことが多いです。


自分のものをしっかり握りしめて、それを手放さないで主に従うことは不可能です。


自分を捨てることは、悔い改めとも関連があります。

罪から立ち返り、自分の考え、価値観を変えることです。


今までのような思いのままに生きないことです。

それをむしろ捨てることです。


そして主が与えて下さった新しい使命、主が望むこと、喜ぶことを自分のすべきこととして受け入れ、日々それを目標にして目指すことです。


そのためには犠牲も払います。

それでも その道を選ぶこと、それが自分の十字架を負うことです。


日々の生活の中で、自分が喜ぶことなのか、主が喜ぶことなのか、自分の思いか 主のみこころかを選ぶ中で、主のものを選ぶ人は自分の十字架を負っている人です。


その後に、主について行きます。

自分勝手に動くのでななく、主の導きを受けて歩みます。


このような姿が弟子の姿です。






弟子になれない人もいます。


主が選んでいないからではなく、その人の態度が弟子として生きることが出来ないからです。


主は救われた人がみんな弟子になることを願っています。


弟子になれない人は、


・イエスさまに従うことが物質的な祝福を得て、栄光を受けて天国に入る道だと思っている人です。

すなわち “祝福” が目的で信じる人です。


こういう人はイエス様より、他の人より “自分” が一番重要です。


・この世の事や働きが優先で、時間が余った時にイエス様に従うと決心した人です。


決して神の国やその義を第一にしない人です。

そういう人は多くいますね。


・世に対して未練たっぷりの人は弟子にはなれません。


世を愛し、世に関心があるので、それを捨てて主に従うことは不可能に近いです。


【ルカの福音書9章61-62節】

別の人はこう言った。「主よ。あなたに従います。ただその前に、家の者にいとまごいに帰らせてください。」

するとイエスは彼に言われた。「だれでも、手を鋤(すき)につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」

こういう人は弟子になれないと言われました。



弟子として生きることは「忠実な良いしもべ」として生きることです。

弟子にならない人は「悪いしもべ」として生きることです。


弟子になるか ならないかは、あなた次第です。
Σ(=゚ω゚=;)


2017.3.12
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感謝と奇跡

テーマは 『 感謝と奇跡 』 です

【ヨハネの福音書6章1-13節】

その後、イエスはガリラヤの湖、すなわち、テベリヤの湖の向こう岸へ行かれた。

大ぜいの人の群れがイエスにつき従っていた。それはイエスが病人たちになさっていたしるしを見たからである。

イエスは山に登り、弟子たちとともにそこにすわられた。

さて、ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた。

イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。

もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。

ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」

弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。

「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」

イエスは言われた。「人々をすわらせなさい。」その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。その数はおよそ五千人であった。

そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。

そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。」

彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。

みなさんは毎日祈っていますか?


祈っているならば 願いのための祈りが多いですか?

それとも、感謝するための祈りが多いですか?



神様は願いも感謝も聞いておられます。


しかし神様を最も喜ばせるのは “感謝” です。


感謝する時に、さらに強い恵みの雨が天から降ってきます。



そして、感謝の中でも さらに神が喜ぶ感謝があります。

試練の中での感謝と、小さいことに大きな感謝をささげる時に神様はとても喜びます。



いつも感謝している人を見ると、霊的にも精神的にも安定しています。

顔も笑顔です。

口から絶えず感謝のことばが出てきます。


感謝のない人を見るといつも不機嫌な顔、不満げな顔、そして文句を言います。

そこから嫌なものが流れてきます。



今年も既に2ヵ月が過ぎましたが、どれくらい感謝しましたか?


“神の恵みなしには生きていけないな” と思う出来事も色々ありました。

そういうものがあるからこそ、受けている恵みに対して感謝が出てきます。


自分がいま存在していることを神様の恵みだと思っていますか?

自分の足で歩いて来られたことを感謝しましたか?



ある大学2年生の男の人が、交通事故で脊髄を痛めて首から下がマヒしました。

動けなくなりましたが、口に棒をくわえながらパソコンで文字を入力して 友達にメールを送ります。


今は それしか出来ないです。人生が一瞬にして変わりました。

とてもかわいそうでした。


2度も交通事故にあった私から見ると、いま生きているのは すばらしい神の恵みです。

いつもそのことを思っています。






今日のテーマは、“感謝と奇跡“ の話ですが、本文には感謝と奇跡があります。


主は五つのパンと二匹の魚で、男だけで5千人、そして女と子どもを合わせると二万人くらいの人たちに食べさせました。

まさに奇跡です。


その奇跡を起こす “前” のことを 見ていきたいと思います。


主は、父なる神にまず感謝をささげました。

奇跡が起きてからの感謝ではなく、“最初から” 感謝しました。


そして感謝して分け与えた時に、みんなが食べられる分のパンと魚になりました。


主は自分の力を見せびらかすために奇跡を行ったのではないです。



この奇跡は群衆に対する ある思いから始まりました。

本文には出ていないですが、別の福音書には 次のようにあります。


【マルコの福音書6章34節】

イエスは、船から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。

彼らの魂を憐れみ、まずは霊のパンを与えました。


それから次の箇所です。


【マタイの福音書15章32節】

イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「かわいそうに、この群衆はもう三日間もわたしといっしょにいて、食べる物を持っていないのです。彼らを空腹のままで帰らせたくありません。途中で動けなくなるといけないから。」

食べ物もなく、肉体も弱ってきたことを見て、かわいそうに思い、奇跡を行って彼らを食べさせたいと主は思いました。



聖書にある奇跡を見ると、主のあわれみによって、信仰によって、必要性に応じて奇跡が起きたことが分かります。


誰かに対して憐れみの心を持って祈る時に、その祈りが聞かれることを経験していると思います。


憐れみの心がある時に、私たちの祈りも真剣な祈りになります。


親は常に子どもに対して憐れみの心を持っています。

ですから 惜しむ心がないですし 真剣です。

夫婦でも互いに憐れむ心があると、喧嘩することもなく感謝し合います。


イエス様の奇跡は、とても小さいものから始まりました。



少年が持っていた大麦のパン五つと小さい魚二匹でした。

これは貧しい人たちが食べる食事です。


このみすぼらしい小さい食べ物が主の手に載せられた時に 二万人近い人が食べた “パンの奇跡” になりました。


どんなに小さいものでも、主の手によって大きく用いられることができます。



もちろん主は、無から有を創造することも出来る方です。


神様は大きなものよりは小さいものを用いることを喜びます。


自分には小さいものしかないし、才能もないし、力もないと嘆く必要はないです。

私たちが小さいものを差し出す時に、主は喜びます。


小さいことに感謝出来ず、満足せず、大きなもの、多くのものを求める時が多いですが、私たちは小さいことに対して感謝が必要です。


小さいことも 主から与えられた “恵み” です。






マタイの福音書15章には カナン人の女性が出てきますが、彼女は小さい恵みに大きく感謝した人でした。


悪霊に取りつかれた娘の癒しを求めてイエス様の所に来て懇願しました。

しかしその時の主のことばは意外なものでした。


「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです」


女の人はそれに対して、
「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」


彼女は食卓から落ちて来るパンくずの恵みにも感謝出来る人でした。

その感謝によって奇跡が起こりました。


イエス様がパンくずの恵みではなく、その娘を悪霊から解放する奇跡を行いました。


彼女には 受ける前からすでに感謝の心がありました。

これはイエス様からもいつも見られる姿です。


パンの奇跡でも、まずパンを手に取って父なる神に感謝をささげました。

最後の晩餐の時にも、自分の体がむち打たれて死ぬことを知っていながら感謝をささげてパンを裂き、それを弟子たちに配りました。

これから起こる奇跡に感謝しました。



感謝を蒔くと、感謝なことが起こります。


受けてからの感謝も主は喜びますが、受ける前から感謝することは さらに喜びます。


そこには神の奇跡を信じる強い信仰が見られるからです。


これから みなさんもそのような感謝をしてみて下さい。

神様は小さいもの、みすぼらしいものを手に取って神に感謝をささげる人に奇跡を表します。


“不満” では奇跡は起こりません。

“感謝” では奇跡が起こります。


主の感謝でパンと魚に奇跡が起こり、人々は満腹しました。


その後に、主は弟子たちに「余ったものは一つもむだに捨てないように集めなさい。」と言われました。

なぜそうしたでしょうか?


神が私たちに恵みとして与えられたものを むだにしたり、勝手に捨てたりすることは神の恵みをさげすむ行為だからです。


それは神を無視し冒涜する姿です。


いつも “下さい、下さい” ばかり言うのではなく、与えられた恵みを大切に使うことが主の恵みを知っている人の姿です。


どんなに小さい恵みでもそうです。


神は感謝する聖徒を喜びますし、豊かな恵みと奇跡を与えて下さいます。


そして感謝する聖徒たちを サタンは倒すことが出来ません。


感謝は神と周波が合います。

しかし、不満はサタンと周波が合います。



サタンは、感謝する聖徒を誘惑して試みに会わせて倒すことが出来ないです。

すべてに対して感謝しているので隙間がないです。


神から受けた恵みを思い出してみて下さい。

そして心から感謝してみて下さい。


感謝する人の人生にこれから奇跡が起こります。
(・∀・)つ


2017.3.5
聖日礼拝メッセージ

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国家別で一番愛された聖句

テーマは 『 国家別で一番愛された聖句 』 です

【ゼカリヤ書14章9節】

主は地のすべての王となられる。その日には、主はただひとり、御名もただ一つとなる。

アメリカのキリスト教ニュースサイト・クリスチャニティ・トゥディが 昨年88か国でYOU VERSION聖書アプリを通して一番強調され、ブックマークされたことばを発表しました。


2億5千万人以上がダウンロードし、使用している無料の聖書アプリです。


今日はどの国で、どのことばが愛されたかを見たいと思います。

ことばでその国の事情がなんとなく想像出来るので面白いです。




イスラエル 他5ヵ国




【ゼカリヤ書14章9節】

主は地のすべての王となられる。その日には主はただひとり、御名もただ一つとなる。

このことばは、あまり馴染みのないことばですが、一番強調されたことばでした。

こちらは、イスラエルの人々に一番愛されていることばです。


私がイスラエルのニュースを聞く時に、ユダヤ人がよく口にしていました。


彼らはイスラム世界に囲まれ、いつも対立しているので、この言葉を信じて その日が来るのを待ち望んでいます。


主の再臨の時には、この言葉通りにすべての人々が、主はただひとり、御名もただ一つであることを認めざるを得ないと思います。


この聖句は イスラエルだけではなく、アフガニスタン、フランス、フィンランド、スウェーデン、ベルギーなどの国からも一番愛されました。




アメリカ・メキシコ 他6ヵ国




【ローマ8章28節】

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

この聖句は総合的に一番愛されたことばでした。

55万回共有されました。


みなさんも この聖句は好きですね。

様々な問題や試練がある時に、とても慰めを受け、また希望を抱くことができる聖句なので、みんなに愛されると思います。


特にこの聖句は、アメリカ、メキシコ、オーストラリア、シンガポール、ドイツ、台湾、ルーマニア、エジプトの人々に愛されています。




日本 他15ヵ国以上




【エレミヤ書29章11節】

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ― それはわざわいではなく、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

この聖句はもっとも多くの国の人々から愛された聖句です。

この聖句は日本人から一番愛されました。


将来に不安がある時に、きっとこのことばによって希望を得ていると思います。


また苦しみや災難が続き、まるで神様に捨てられたように思われる時に思い出すことばです。


この聖句は 日本だけでなく カナダ、イタリア、フィリピン、ケニア、サウジアラビア、ブラジル、ジャマイカ、アイルランド、アルゼンチン、ノルウェー、マレーシア、コロンビアや南米の国や中東の国々、アフリカの国などからも愛されました。




韓国・オーストリア




【ピリピ4章13節】

私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

この聖句は、韓国とオーストリアの人々から愛されました。


競争が激しいので、力を得る為かなと思いました。




中国 他2ヵ国




【ピリピ章4章6-7節】

何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

この聖句は中国、香港、ドミニカ共和国の多くの人々から愛されました。




エクアドル 他4ヵ国




【ヨシュア記1章9節】

わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」

この聖句はエクアドル、コスタリカ、ベネズエラ、チリの人々が愛したことばでした。


私たちもよく知っていることばです。

力を受けることばです。




ペルー 他2ヵ国




【イザヤ書41章10節】

恐れるな。わたしはあなたと共にいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。

この聖句はペルー、スペイン、パナマの人々に愛されました。




チェコスロバキア




そして意外なことばが、ある国の人々には重要なことばでした。

それも紹介します。


【第1コリント1章10節】

さて、兄弟たち。私は、私たちの主イエス・キリストの御名によって、あなたがたにお願いします。どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください。

この聖句はチェコスロバキアでした。




ウクライナ




【詩篇69章31-32節】

それで雄牛、角と割れたひづめのある若い雄牛にまさって、主に喜ばれるでしょう。

心の貧しい人たちは見て、喜べ。神を尋ね求める者たちよ。あなたがたの心を生かせ。

この聖句はウクライナでした。




スイス




【ゼカリヤ書10章1節】

後の雨の時に、主に雨を求めよ。主はいなびかりを造り、大雨を人々に与え、野の草をすべての人に下さる。

この聖句はスイスでした。

アルプスの山と羊を思い出しました。




カメルーン




【ゼカリヤ書8章13節】

ユダの家よ。イスラエルの家よ。あなたがたは諸国の民の間でのろいとなったが、そのように、わたしはあなたがたを救って、祝福とならせる。恐れるな。勇気を出せ。」

この聖句はカメルーンでした。




ロシア




【詩篇94章18―19節】

もしも私が、「私の足はよろけています」と言ったとすれば、主よ、あなたの恵みが私をささえてくださいますように。

私のうちで、思い煩いが増すときに、あなたの慰めが、私のたましいを喜ばしてくださいますように。

この聖句はロシアでした。




タイ




【マタイの福音書6章33節】

だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

この聖句はタイでした。


仏教が強い国の中でまことの神を求めている姿が想像されます。






国によって愛されている聖句が違うことをみなさんに伝えましたが、みなさんはどう思いましたか?

みなさん自身が愛する聖句も その中にあるかも知れないですね。


クリスチャンたちが一番力を受け、慰めと励ましと希望を受けるのは神のことばです。


「神の口から出る一つ一つのことばによって生きる。」
これこそが クリスチャンの日々の生活にならないといけないです。


聖書には、私たちに必要なことばが必ずあります。


それによって生かされた経験は 色々とあると思います。


神のことばほど 真実でいのちがあり、教えに適することばは世にはありません。


みことばを愛する生活をしましょう。


【ヘブル4章12節】

神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。

アーメン (・∀・)つ

2017.2.19
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神のラッパが吹かれるとき

テーマは 『 神のラッパが吹かれるとき 』 です

【第1テサロニケ4章16-18節】

主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、

次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。

本文は、主を信じる者を迎えに 空中再臨する主の様子と その時に起こることを話しています。


その中で、それを知らせる神のラッパが響き渡ることが書かれてあります。

全世界で耳鳴りがするほどの大きな神のラッパが吹かれると思います。

その時、大喜びをする人もいますが、不安と恐怖で気を失う人も出てくると思います。


主を迎える準備が出来ている人は大喜びし、何の準備も、何が起ったのかも知らない人たちにとっては最悪の恐怖の日になるでしょう。


聖書では、神のラッパが いつ吹かれるのかを教えていますので、今日はそれを学び ラッパが吹かれた時に聞き分けて、すぐに行動を起こしたいです。




携挙のラッパ




イエス様が必ず再臨すると信じていますか?


私は信じます。

主は “必ず再臨する” と約束しました。


空中再臨と地上再臨があります。

本文は、空中再臨のことです。


その時、主の再臨を準備していた人たちは大喜びで外に出て空を見上げると思います。

主が雲に乗って来られると語りましたから。


その神のラッパは、これから主との婚礼が始まるという素晴らしい知らせです。


その恵みを受ける人は このような人です。


【第1テサロニケ5章6-7節】

ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。

眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。

光の子どもらしく歩んだ人は、この時に一挙に空中に引き上げられ、そこで主に会いますが、夜や闇の者であるならば地上に残されます。


マタイの福音書25章にある10人の娘のたとえで花婿を迎える準備がしっかり出来た5人の花嫁は婚礼の祝宴に入り、中等半端に準備した5人の花嫁は祝宴に入ることができませんでした。


まったく準備をしていない人は信じない人ですが、中等半端に準備した人は “クリスチャンの仲間” でした。

そのような人たちは 残念ながら地上に残されます。




キリストの到来を告知するラッパ




【マタイの福音書24章30-31節】

そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。

人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。

そのラッパがキリストの到来であることがすぐに分かった人は幸いです。

他の人の耳に聞こえる神のラッパは、裁きの始まりを告知するものですから悲しみがいっぱいです。


信じて準備した人に対しては、“キリストが来たので 喜んで急いで出てきなさい” と民を集めるラッパに聞こえます。




神の臨在の前に 人を招集するラッパ




【出エジプト記19章16-17節】

三日目の朝になると、山の上に雷といなずまと密雲があり、角笛の音が非常に高く鳴り響いたので、宿営の中の民はみな震え上がった。モーセは民を、神を迎えるために、宿営から連れ出した。彼らは山のふもとに立った。

旧約時代では、人を集める時にもラッパを鳴らしました。

それを聞いて人々は集まって来ました。


主を礼拝するためや、宗教的出来事を祝うため、祭りをするために ラッパの音を聞いて集まりました。


礼拝がある日曜日は、自分が遊ぶための日ではなく、主の日です。

神の臨在の前に出て神を礼拝する日です。


クリスチャンならば、その日を聖別しないといけないです。


他のことを優先して神への礼拝をないがしろにする人は、主の再臨のラッパが響き渡っても、何のことだと慌てふためきます。


そして、主の再臨の時に地上に残されます。

「神の臨在の中に来なさい。目を覚ましなさい。主の前に出て礼拝をささげなさい。」と 語ることばが、主のラッパの音になって耳に聞こえないといけないです。


聞いても無視し続けるならば、悲しみながら後悔する日が必ず来ます。


【ヘブル10章25節】

ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。



御使いのラッパ




神が御使いに吹かせるラッパは 災いのラッパです。

黙示録8章から12章の中には、ラッパが7回も吹かれました。


救われず地上に残された人々が受ける災いはずっと続きます。

御使いが吹く7回のラッパによって地上に何が起こるでしょうか?


血の混じったひょうと火が現れ、地上の三分の一が焼け、木の三分の一が焼け、青草が全部焼けてしまいました。

そして 海の中の命あるものの三分の一が死に、船の三分の一が壊されました。

また 川の三分の一が苦くなったので多くの人が死にました。

太陽の三分の一、月の三分の一、星の三分の一が暗くなり、昼の三分の一が暗くなりました。

夜はさらに暗く長くなりました。


さそりの力を持ついなごが大量に現れ、人間をさすので 人々の苦痛は耐えられないほどになります。

世界大戦が起こり、人類の3分の一が殺されます。

そして大患難時代が始まります。


恐ろしい時代になるので、神は今も私たちに目を覚ますように語っておられます。




警告のラッパ




預言による警告のラッパがあります。


【マタイの福音書24章4-12節】

そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。

わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。

また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。

民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。

しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。

そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。

また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。

また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。

不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。

まさに今、世界がだんだんそれに近づいています。

一番恐ろしいのは何だと思いますか?
何を一番警戒しないといけないですか?


戦争やききん、地震などは 目に見えて感じますので分かりやすいです。


一番警戒しないといけないのは “人の惑わし” です。


サタンさえ 光の御使いのように変装しますし、教会の堕落、信徒の堕落、にせ預言者などを識別するのは とても難しいです。


騙され惑わされると、その魂は滅ぼされます。

霊的に目を覚まさないと、そして みことばと祈りをしっかりしないと誰でも惑わされます。


人間に騙されないために、惑わされないためには、口のことばで判断しないことです。


口では聖書のことばを語っても、その心が邪悪な者は多くいます。

その人が御霊の実を結んでいるかどうかで判断して下さい。


御霊の実は 生まれ変わっていない人は結ぶことが出来ないし、聖霊の助けなしにはありえないからです。


その人が有名でも、過去の業績が素晴らしくても、奇跡を行う人であっても、聖霊の実がないならば 神に属する人ではありません。


それに惑わされてはいけません。

このように神のラッパは今も吹かれてあります。


聞いて何を注意し、何を準備すべきかを悟って行って下さい。

今の時代は本当に悪く、主の再臨はとても近いです。
(;´Д`) (・∀・)


2017.2.12
聖日礼拝メッセージ

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