からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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聖日礼拝メッセージ

愛の方法

テーマは 『 愛の方法 』 です

【第1コリント12章31節】

あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。また私は、さらにまさる道を示してあげましょう。

【第1コリント13章13節】

こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。

【第1コリント14章1節】

愛を追い求めなさい。


愛することは自然に身につくことではありません。

愛することは簡単なことではありません。


愛にも色々ありますが、真の愛は 神から愛する方法を学ばないといけないです。

しかし、愛は 学ぶだけで出来ることでもありません。


聖書では私たちが愛ある者になるためには、どのようにしたら良いかを教えています。

今回はその教えを学びます。




愛の定義




【第1コリント13章4-7節】

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、

不正を喜ばずに真理を喜びます。

すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

愛のことを1番正しく教えて下さったのは、神様です。

なぜなら、神は “愛” そのものだからです。


詩人がどんなに美しいことばで愛を語っても、それが愛の定義にはなりません。



愛の神様が教えて下さった愛の定義が1番正しいです。


人々が語る愛と、神が語る愛が どれほど違うかを今のことばでも分かると思います。


甘いことばや美しいことばで表現するのが愛ではなく、私たちが望まないような姿が 神様の語る “愛” です。



人は “愛したい” という思いよりは、“愛されたい” 思いが強いので、神が語る愛に対して、積極的に愛そうという思いは起こらないと思います。


しかし本当に愛ある者になるためには、神が語る愛の形にしていかなければ、愛のない者になります。


ですから、主のことばが語る “愛” を学ばなければなりません。




愛ある人の行動




「互いに愛し合いなさい」と言われたことば通りに 愛し合っているならば、愛ある人です。


愛ある人は、光の中を歩み、つまずくことがありません。

愛ある人は、人々の多くの罪を覆います。


人の罪をバラし、裁いてつまずかせることはしません。

裁く代わりに勧め、とりなしをします。

愛には “犠牲” が伴います。



しかし愛ある人は 義務ではなく、愛があるからこそ自ら犠牲を払います。

代表的な愛の姿が、キリストの十字架の姿です。


口先だけの愛は詐欺師と同じです。

愛のことばで人を騙しているからです。


愛ある人の行動は人を感動させます。

人を生かしますし、人を変えます。




愛がないならば




【第1コリント13章1-3節】

たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。

また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。

また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。

人々は、働きの実や業績が 神様の栄光になると思って熱心に働きます。


しかし、どんなに働いて素晴らしい業績があっても、愛がないならば すべてがむなしいと主が語っておられます。


神が求める1番大切なものがないならば、神はそれを喜びませんし、認めません。


心の動機が愛でないならば、その働きは神のみこころに適う働きにはなりません。




愛ある者になるために




神が教えて下さったみことばから愛を学び、実行していくことです。


また 愛は、聖霊充満によって私たちが聖い生活を送るようになると、人を愛することが出来ます。


愛は成熟した信者の特徴です。


幼子にとって、愛はいつも受けるものだと思います。



しかし成熟した人は、愛は受けるものではなく、与えるものであることを知っています。


愛の神様から愛されている私たちも、その愛に感激して、主のことばのように愛ある者になることです。


2019.1.13
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両手を合わせて主に感謝

テーマは 『 両手を合わせて主に感謝 』 です

【詩篇86編12節】

わが神、主よ。私は心を尽くしてあなたに感謝し、とこしえまでも、あなたの御名をあがめましょう。

2018年も残り一日になりました。

明日のことは分かりませんが、ここまで守って下さった主に心から感謝します。


年末になると、一年の中で一番感謝が出ます。

なぜなら受けた恵みを考える時間が多くなるからです。


心を尽くして感謝することは主に喜ばれることです。


一年がとても早く過ぎた気がします。

無駄に流した時間もたくさんあったと思います。


いのちの時間を無駄にしたことを まず神様に悔い改めます。

そして忙しく生きてきたのに手に入れた収穫が少ないことも悔い改めます。


悔い改めることは、後ろのものを忘れ、新しく始めるためには欠かせないものです。

悔い改めるならば、新しい心で新年を迎えることが出来ます。


今年も色んなことがありましたが、神の恵みによって今まで生きてきました。


私が歩んだすべての道に、主が共におられたことを知っています。

主は私たちを決して離れないと約束して下さった方です。


【マタイの福音書28章20節】

見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。

愚かな私たちが倒れないように、足りない私たちが罠にかからないように、その時に手を取って下さり、いのちの道に導いて下さった主に感謝をささげます。


惑わされないように真理を教えて下さったことも感謝です。


今年も み言葉の糧をたくさん与えて下さったことを感謝します。

主のことばで養われたことも感謝でした。


すべてのことを働かせて益として下さった主に感謝です。

最初から終わりまで主の恵みであることを感謝します。


すべての感謝を主にささげます。

古いものは過ぎ去りました。


心を新しくし新しい年を迎えましょう。
アーメン (*´∇`*)



2018.12.30
聖日礼拝メッセージ

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2つの顔を持つキリスト

テーマは 『 2つの顔を持つキリスト 』 です

【イザヤ書9章6-7節】

ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。

“ 2つの顔を持つ人” と言われると、何が思い出されますか?


私はジキルとハイドのことを思い出しました。

小説に登場する人物で、二重人格で善人と悪人の顔を持っています。


イエス様にも2つの顔がありました。

善人と悪人ではなく、“ 神と人間 ” という まったく異なる性質を同時に持っていました。


イエス様が誕生する700年も前に、神は預言者イザヤを通して、メシアの預言をしました。

そのメシアがイエス・キリストですが、神はイザヤを通して2つの顔を持つ異なるメシアを紹介しました。



これを知らないと、イエス・キリストを理解することは出来ません。

また理解するならば、イエス・キリストがまことのメシアであることが分かります。




神の顔を持つイエス・キリスト




今日の本文が、神としてのイエス・キリストを紹介しました。


「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」
そして「主権、王座、王国」などは神としてのキリストの姿です。

これは人間ではなく、神の性質をもって来られたキリストを語っています。



神としてのキリストを 誰よりもよく知っていたのは悪魔でした。


悪霊に取りつかれて墓場に住んでいた男がイエスを見ると、叫び声をあげ、御前にひれ伏して大声で言いました。


【マルコの福音書5章7節】

「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのですか。神の御名によってお願いします。どうか私を苦しめないでください。」

誰もその人から悪霊を追い出すことは出来ませんでしたが、悪霊はイエス様を見るなり、その前にひれ伏しました。



イエス様には 悪霊を制する力があることを知っていたからです。

悪霊は、霊の存在である神を知っています。


悪霊までもがイエス様が神であることを認めました。

そして病人を癒したり、様々な奇跡を行う姿を見て、人々はイエス様が神であることを知りました。



次の箇所にはイエス様の2つの姿を明確に教えています。


【ピリピ2章6-8節】

キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、

ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、

自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。



人間の顔を持つイエス・キリスト




次に、神がイザヤ預言者を通して語ったキリストの姿は、人間の姿です。

それも、苦難を受ける人間の姿です。


イザヤ書53章全体は人間として生まれ、人々から のけ者にされ、痛めつけられ、苦しみを受けるキリストの姿、すなわち十字架の苦しみを受ける姿が預言されてあります。


主のために道を備えたバプテスマのヨハネも、イエス様を見た時に言いました。


【ヨハネの福音書1章29節】

見よ、世の罪を取り除く神の小羊。

なぜ神であるイエス様が人間として生まれ、十字架の苦しみを受けなければならないのか、その理由は世の罪を取り除くためでした。



次の箇所にはキリストについて詳しく書かれてあります。


【第1ペテロ2章22-24節】

キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。

ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。

そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

キリストが人間にならなければ、人間の罪を その身に負うことが出来ないので、人間の姿になりました。



人類を罪から救うためには、誰かが代価を払わなければならないのに、すべての人類の中で それを出来る者が存在しないので、神はひとり子を人間の姿にして地上に送り出しました。


ですからキリストが十字架にかかり、救いの計画を成し遂げた時に、「完了した。」と宣言しました。



神の救いの計画は、
イエス様が2つの性質、すなわち神の性質と人間の性質を同時に持っていたからこそ出来たことです。


神だけであっても、人間だけであっても、それは不可能でした。

ですから人間の顔しか持っていない者が、「自分は神である」と言っても、それは嘘です。



しかし神の性質を持っている方が、神と言ったらそれは嘘ではないです。


イエス様に対してはこのような証言もありました。

キリストの十字架の死を誰よりも近くで見た者たちの証言です。


【マタイの福音書27章54節】

百人隊長および彼といっしょにイエスの見張りをしていた人々は、地震やいろいろの出来事を見て、非常な恐れを感じ、「この方はまことの神の子であった」と言った。

救い主として世に来られたイエス様に出会い、その救いを受けた人は幸いな人です。



救われずには誰も天国に入ることも、永遠のいのちを得ることも不可能です。


まだ出会ってない人は 必ず救い主イエス・キリストに出会って、魂が救われますように。
アーメン (・∀・)つ


2018.12.23
クリスマス礼拝メッセージ

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アブラハムから学ぶ従順する信仰

テーマは 『 アブラハムから学ぶ従順する信仰 』 です

【創世記22章1-14節】

これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に、「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は、「はい。ここにおります」と答えた。

神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」

翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、ふたりの若い者と息子イサクとをいっしょに連れて行った。彼は全焼のいけにえのためのたきぎを割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ出かけて行った。

三日目に、アブラハムが目を上げると、その場所がはるかかなたに見えた。

それでアブラハムは若い者たちに、「あなたがたは、ろばといっしょに、ここに残っていなさい。私と子どもとはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻って来る」と言った。

アブラハムは全焼のいけにえのためのたきぎを取り、それをその子イサクに負わせ、火と刀とを自分の手に取り、ふたりはいっしょに進んで行った。

イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」すると彼は、「何だ。イサク」と答えた。イサクは尋ねた。「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」

アブラハムは答えた。「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」こうしてふたりはいっしょに歩き続けた。

ふたりは神がアブラハムに告げられた場所に着き、アブラハムはその所に祭壇を築いた。そうしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置いた。

アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした。

そのとき、主の使いが天から彼を呼び、「アブラハム。アブラハム」と仰せられた。彼は答えた。「はい。ここにおります。」

御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」

アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。

そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「主の山の上には備えがある」と言い伝えられている。

私たちが直面する多くの問題の原因になるのは、神に対する不従順の罪です。


神のことばに素直に従えば発生しなかった問題のほとんどが、神に従わなかったことが原因で発生します。

今まであった問題や苦難には、自分や家族の誰かの不従順の罪があったことを否定出来ません。



ですから問題の解決を願うならば、不従順の罪を悔い改めて 心を入れ替え、従順する人にならなければなりません。


アブラハムは 私たちに従順の模範を見せてくれた “信仰の人” です。

従順とは何かを見せてくれました。



創世記22章は、アブラハムにとっては人生最大の試練の時でした。

とんでもない大きな問題が降りかかって来ました。

それも、神から直接来た試練なので、神に助けを求めるわけにもいかなかったです。


神にも相談出来ないからといって、人間に相談しても解決するわけがないです。


このような大変な試練をどのように乗り越えたのかを見ると、そこにあるのは “神への従順” でした。




神のことばに対して 一切つぶやかず従順したアブラハム




アブラハムが神から受けた命令は、到底 理解も納得も出来ない命令でした。


「自分の子を全焼のいけにえとしてささげなさい」 と命令されたら、私たちはどうしますか?


まずは自分の耳を疑い、神ではなくサタンからだと思うでしょう。

「神がそんなことを言うはずがない」と思うのが当然ではないでしょうか。


そこから様々な思いが巡り、それを神にぶつけるのが普段の私たちのやり方です。



しかしアブラハムは違いました。

私たちは自分の思いと神の思いが違う時には、いつも不従順の道を選びます。

不従順の習慣が根強く残っているからです。


しかしこの時のアブラハムの辞書には、“不従順” という文字がなかったと思われます。

一言も言わず、彼は従順しました。


信仰の土台は神のことばです。


そして生きた信仰は、みことばへの従順です。

神のことばに有無を言わなかったのがアブラハムでした。




従順の実践が早かったアブラハム




アブラハムは神の命令があった翌朝、すべての準備をしてイサクを連れて、神が示す所に出かけて行きました。


アブラハムが感情もない石のような心の持ち主でしょうか?

また、息子を愛さないお父さんでしょうか?



アブラハムにとってイサクは愛してやまない存在でした。

また神の約束の子で、100歳の時に生まれた かけがえのない存在です。


神の命令に従うにしても、神に「しばらく息子と過ごす時間を下さい」とお願いするのが平凡な人たちの願いだと思いますが、アブラハムには そういうことがなかったです。


命令にはすぐに従うと思っていたのでしょう。

そして息子と共に時間を過ごしたら、きっと神に従うことは出来なくなると思ったでしょう。



従順を遅らせると、必ず誘惑するものが近づいてきて誘惑します。

サタンはいつもチャンスを狙って近づきます。


私たちが迷う時、モタモタしている時に、甘いことばを持ち込んできて、従順出来ないように邪魔をします。


これに引っかかる人が実に多いです。

アブラハムは惑わされないために、また不従順を警戒して すぐに実行に移したと思います。



従順は後回しせず、すぐに実践することです。


「神様を信じなさい」と言っても、「いつか信じます」と言う人は なかなか信じません。


しかし決断する人は、その時から信仰が芽生えてきます。

従順は早ければ早いほどしやすいです。


遅れれば遅れるほど 従順出来なくなります。



怠け者で不従順が身についているならば、その命令さえも忘れてしまいます。

行いが伴わない信仰は “死んだ信仰” です。

死んだ信仰がその人を救いますか?


すぐ従う人に神の祝福があります。




アブラハムは盲目的に従順したのではなく、疑わず確信をもって従順しました




この信仰はこの出来事の前からアブラハムにありました。

100歳の時に子どもが生まれると聞いた時、アブラハムが見せた信仰です。


【ローマ4章20-21節】

彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、

神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。

そしてその信仰通り 100歳の時に、息子イサクが生まれました。

そして、「その息子をささげなさい」と言われた時にも、アブラハムには別の信仰の確信がありました。


それは、“神には神の良い考えがある” と疑わずに確信していました。



イサクが「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」

と聞かれた時に「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」と答えました。


人間的には、アブラハムは息子を全焼のいけにえにしなければならない現実が苦しくて心を引き裂かれる思いがあったと思います。


しかし、そのことよりも上に置いたのが神への従順、神への愛、神への信頼でした。



偉大な信仰は、平凡な生活の中で生まれるものではないです。


激しい試練の中で、神を疑わず信じて行動する時に生まれるものです。


偉大な信仰は、誘惑に勝利した信仰です。

神のことばを守り抜いた信仰です。


このような信仰を見て、神は共にいて下さり祝福を与えます。



従順したアブラハムに神がかけた言葉は,本当に祝福の言葉でした。


【創世記22章16-18節】

わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、

わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。

あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」


不従順の罪を捨てて、アブラハムの従順の信仰を学びましょう。
アーメン v( ̄∇ ̄)v


2018.12.2
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良い実を結んでいますか

テーマは 『 良い実を結んでいますか 』 です

【マタイの福音書25章35-40節】

あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、

わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』

すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。

いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。

また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』

すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』

神様が喜ぶ良い実を結ぶ人もいれば、良い実を結ぶこともなく無駄な人生を生きる人もいます。


今日のことばに出て来る人たちは、自分たちは気付いていなかったですが、主が見た時に、良い実がたくさん結ばれていて、そのことを主は喜んで下さいました。


この人たちは 良い実を結ぼうと頑張ったわけでもないです。

普段の生活の中で、その実は結ばれていました。



普段どのような生活をして、主に喜ばれる良い実が結ばれていったのでしょうか?


その人たちは感謝が習慣化された人たちであると思います。


感謝の習慣化は、自分より もっと苦しんでいる人、また困難な中で生きる隣人に目を向け、その人たちと共に生きようとする姿勢を持ってないと出来ないからです。



つぶやきと不平が習慣化された人は、いつも他人と比べて 妬みや嫉妬心を持っているので、そこから憎しみや つぶやきが始まります。


そこに “感謝” は存在しません。

感謝がないところに 良い実が結ばれないのは当たり前です。


感謝が習慣化された人たちは どのような生活をしているでしょうか?

本文から その生活を知ることが出来ます。




感謝が習慣化された生活




まずは困っている人たちを助けました。


空腹な人に食べ物を与え、渇いた者に飲ませ、裸の者に着る物を与えました。


“自分さえ良ければ” と思うのではなく、他人の苦しみに共感する姿勢があり、手を差し伸べて その人に必要なものを与えました。

このことは主に喜ばれることです。「それは わたしにしたことだ」 と主から言われました。



そして苦しんでいる人を見て、励ましと慰めを与える生活をしていました。

病気の人や牢の中にいる人たちを訪ねて 励まし、慰めを与えました。


精神的に苦しんでいる人たち、肉体的に苦しんでいる人たちは気落ちして絶望的になることが多いです。

その人たちにとって温かい言葉一つが、どれほど力や希望になるか分かりません。


このようなことを いつもやっている人は感謝の心を持っている人です。



そして、いつも誰かのために とりなしをする人たちも 良い実を結んでいます。


時間はいのちです。

ですから誰かのために とりなしをしていることは、その人に自分のいのちの時間を与えていることになります。


愛の心、感謝の心がないと自発的に誰かのために祈ることは出来ないです。



このように、日々の生活のなかで、いつもやっている小さいことが 主に喜ばれ、主に覚えられ、主はそれを良い実として認めて下さるのです。


そして 報いとして御国に導き入れ、永遠のいのちも与えると約束して下さいました。


あまりにも小さいことなので、本人もあまり覚えてないことでも 主はすべて覚えておられ、そして報いて下さいます。


自分たちの普段の生活はどうでしょうか。

何に関心があり、何をやっているでしょうか?


そこに 主に喜ばれる良い実がありますか。
アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2018.11.25
収穫感謝礼拝メッセージ

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シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

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信仰の人、義人の道

テーマは 『 信仰の人、義人の道 』 です

【詩篇1編1-3節】

幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に 着かなかった、その人。

まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。

その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。

今の時代は信仰のない時代です。

信仰のない時代だからこそ、主は信仰ある人を求めておられます。


義人を捜しても義人を見つけることが難しいので、主は義人を求めています。


私たちは神の前に信仰ある人でしょうか?

義人の道を歩んでいる人でしょうか?



信仰ある人は神がおられることを認めます。

そして心に 神を主人として迎え入れ、真剣な心で主の御前に出て行きます。


真剣に神を求める人に神は報いを与えて下さいます。


信仰は、唯一の神だけを求め、その神を信じ、その神に従って生きます。


宗教心と信仰を間違ってはいけないです。

宗教心のある人は多いが、神が認める信仰の人はあまりいません。


信仰がないならば、どんなに熱心に生きたとしても、神に認められることも、神の国に入ることも出来ません。



信仰の人こそが義人です。

神が認める義人です。


そして信仰の人は義人の道を歩みます。


信仰の人は幸いな人であり、義人の道を歩む人は幸いな人です。



義人の道と悪者の道はまったく違います。


義人が立ち上がると社会は明るいですが、悪者が立ち上がると社会が暗いです。



社会はどんどん光を失って、さらに暗くなってきました。

罪によって染まった社会に必要なのは悪人ではなく、義人です。


義人の光が、真理の光が必要です。



義人は悪者のはかりごとに歩まず、主のみこころに従って歩みます。

罪人の道に立たず、みことばの上に堅く立って、その教えを喜びとして歩みます。


真理の光に導かれて歩みます。


義人は嘲る者と歩まず、神と共に歩みながら神中心、神に栄光をささげる人生を歩みます。



信仰のない この世で、信仰によって生き、信仰によって働き、光として輝く義人を 主は求めます。


そしてその人に良い報いを与えて下さいます。

豊かな実を結ぶ人生になるように、助けて下さいます。


信仰の人、義人の道を歩む人を目標にして歩みましょう。
アーメン (・∀・)


2018.11.11
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信仰の競走を続ける

テーマは 『 信仰の競走を続ける 』 です

【へブル12章1-3節】

こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。

駅伝で走る選手たちが何よりも心掛けているのは、早くタスキを次の選手につなぐことです。


お正月になると、多くの人々がテレビを通して箱根駅伝を二日間視聴します。

ハラハラドキドキしながら観ています。

その中で一番心が痛むのは、遅れてタスキを渡した選手たちが泣き崩れる場面ですね。


誰もがいのちを懸けて必死に走ります。

周りを見ながら、休みながら走る選手は 今まで見たことがありません。

全選手が全力で前に向かって走っていきます。






この姿は私たちが信仰に適用しても良い姿です。


私たちには、私たちよりも先に走った信仰の先祖たちがいます。

そして、その先祖たちの前には 私たちの主イエス様がいのちを懸けて走りました。


イエス様からタスキをもらった先祖たちも 必死に走って、そのタスキを私たちに渡しました。

ですから私たちも、それを次の選手たちに渡すために必死に走らないといけないですね。


辛くてやめたくなる時もあります。

疲れて休みたくなる時もあります。

ですから忍耐が必要です。


忍耐できないならば その競争に失敗します。



日本各地でマラソン大会が開かれていますね。

それに参加する人たちはすぐに分かります。

昼でも夜でも街をよく走っています。


夏の暑い時も汗をかきながら走っています。

マラソン大会に参加してゴールするためには 日々体を鍛え、走り続けないと、参加してもゴールまでは とても難しいです。

誰もが本当に必要なものだけを身に着けて走っていました。


競争するのに まとわりつくものがあるならば、どんなに不便でしょうか。

ですから最小限のものだけを身に着けます。



信仰の競走を邪魔するものには何があるでしょうか?


世のものに対する人間の欲、人生の悩み、罪、私たちを縛る様々な規則などです。


これらは私たちにまとわりついて自由を奪い、邪魔をして競争が出来ないようにします。

これらに気をつけないといけないです。






信仰の競走は それらの障害物を乗り越えて、神の所に走っていくことです。


ゴールにはすでに競争を終えて勝利した勝者たちが次の勝者たちを心待ちにしています。


十字架の苦難を乗り越えて その道を走り終えた信仰の完成者であるイエス様が喜びをもって待っていらっしゃいます。


その手には栄光の冠を持ってくださっています。

イエス様は勝利者として神の右に着座されました。



主の弟子ステパノが反対者たちに迫害されていた時に、ステパノは聖霊に満たされ、人々を見ず、天を見つめイエス様を見ていました。

実際に神の栄光と神の右に立っておられるイエス様を見ました。


イエス様は彼が信仰の道を走り終えようとしていることを知りました。

そして迎えるために立ち上がっていました。


これを見たステパノはどんなに嬉しかったでしょうか。

ステパノは主に叫びました。


【使徒の働き7章59節】

主イエスよ。私の霊をお受け下さい。

イエス様こそ、私たちが到達しなければならない目標点です。


そこに行くためには右にも左にも逸れてはいけないですし、そして後ろに退くことがあってもいけないです。



絶えず信仰の競走をする時に疲れることもあります。

それでも聖徒たちは座り込んだり、疲れ果ててしまったりしてはいけないです。


その時にこそ、イエス様がどれほど忍耐しながら私たちに模範を見せて下さったのかを考えながら、自分たちも苦難と逆境を乗り越えるように励まなければなりません。


怠けたい誘惑、走りたくない誘惑、罪からの誘惑によって広い道に戻って行く人も多いです。

一度その道に入ってしまうと、なかなかそこから戻ることが難しいです。


しかし私たちは忍耐して昔のことは忘れて、ひたすら前のことだけを考え、決して後ろには退かず、他の競争者たちと励まし合い、勇気を与えながら共に走れるように最善を尽くすことです。



箱根駅伝一つを見ても、彼らは一年間 毎日多くの距離を走り続けています。

毎日最善を尽くしています。

永遠のいのちが懸かってもいないのに、あのようにいのちを懸けています。



それなのに永遠のいのちが懸かっている私たちが適当に走っていながらも 簡単に永遠のいのちが入ってくると思うならば、それは間違いです。


召して下さった方のことをいつも思いながら、信仰の競走を続けることです。
アーメン (=゚ω゚)人(゚ω゚=)


2018.11.3
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なぜ広い道を歩くクリスチャンがいるのか

テーマは 『 なぜ広い道を歩くクリスチャンがいるのか 』 です

【マタイの福音書7章13-14節】

狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者は多いのです。

いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。

今日はイエス様を信じると言いながらも、広い道を歩くクリスチャンの話をしたいと思います。


イエス様に従う道は いのちの道です。


そして、その “いのちの道は狭い” と言われました。

ですからクリスチャンであるならば、そのことばを当然知っています。


しかし問題は 教会に通いながらも、狭い道には行かず、広い道を歩く人が多いです。

広い道は滅びと死の道なので、その道を歩くことは不幸なことです。



なぜそのような不幸を自ら招きますか?

ある人たちは、自分がその広い道を歩いているのに、狭い道を歩いていると勘違いしています。


なぜ広い道を歩いているのか、その原因と解決策を伝えたいと思います。




広い道を歩く原因




自分のたましいが 不信仰と罪の習性、闇のわざを喜ぶことに慣れているのが原因です。


長い間慣れ親しんだものが身についているので、そちらの道を歩くことが楽で慣れています。


たとえば悪口、陰口、人への非難や裁くことに慣れている人は イエス様を信じても、口を開いたら相変わらず同じことばが口から出てきます。


傲慢なことばを平気に口から出して人を傷つけ、人との間に争いを起こします。

その習性を直してないならば、自然と出てきます。


【ヤコブ3章9-10節】

私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。

賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません。

いのちの道を、主と共に歩みながら、主が聞いている前で、いつも人の悪口が言えるでしょうか。


広い道を滅びる人と共に歩いているので、平気に他人の悪口、裁くことばが出てきます。

悪い行動も同じパターンだと思います。



昔、韓国に有名な金ユシンという将軍がいました。

ある時、その将軍は馬の上で眠ってしまいました。


目を覚ましてみると 自宅ではなく、キセン(芸者)の家でした。

それでその将軍は、自分が愛した馬の首をはねました。

いつもそこに通っていたので馬が覚えていました。


しかし将軍は馬の行動で、自分の罪の習性の深刻さに気づきました。



滅びに至る道はとても広いです。

明るく、にぎやかに見えます。


多くのサタンの使いたちが、人々の心を惹きつける魅力的なものを並べて肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などを引き寄せています。


しかしその道は、深く入れば入るほど 中は狭く、暗く、そして息苦しくなります。


私たちの古い人は、死の道を歩むことに慣れているので、何も感じずにその道を選び、平気にその道を歩きます。


今は分からなくても後に自分が歩んでいる道が死の道であることに気づくでしょう。

気づかない人も大勢います。



終わりの時代は、教会の中で 広い道を歩く人が狭い道、いのちの道を歩く人に悪口を言い、裁きます。高慢だからです。


いま誰かをさばいている人は、自分の間違いに気づく必要があります。


その人は広い道を歩いています。




広い道から離れ、いのちの道に戻るための解決策




広い道、死の道を歩くことに慣れている自分自身の罪の習性を殺すことです。

そして、いのちの道を歩く新しい習性を身に着けることです。


偉大な使徒・パウロも、自分自身を絶えず訓練して 新しい習性を身に着けました。


【第1コリント9章27節】

私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。

【ガラテヤ2章20節】

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

【ガラテヤ5章24節】

キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。


狭い道、いのちの道は主が歩んだ道でした。

そしてこのように言われました。


【マタイの福音書16章24節】

だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

狭い道は、最初は狭くて険しく見えても、その中は広く、自由があり、平安と喜びがあります。いのちがあります。


クリスチャン生活がしんどいと思う人は、今も自分が肉の中にとどまっているからです。

教会に通いながらも広い道を歩いているからです。


いまも罪の習性に慣れていて、みことばの自由を味わってないからです。

主と共に歩む生活ではなく、形だけの信仰生活をしているからです。


みなさんはどの門を開いて、中に入りますか。
(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?


2018.10.28
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聖徒が逆戻りしてはならないもの

テーマは 『 聖徒が逆戻りしてはならないもの 』 です

【ガラテヤ4章8-11節】

しかし、神を知らなかった当時、あなたがたは本来は神でない神々の奴隷でした。

ところが、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どうしてあの無力、無価値の幼稚な教えに逆戻りして、再び新たにその奴隷になろうとするのですか。

あなたがたは、各種の日と月と季節と年とを守っています。

あなたがたのために私の労したことは、むだだったのではないか、と私はあなたがたのことを案じています。

たましいが救われることは、この世で一番すごいことです。


しかし救われた人でさえ、その価値がわからない人が多いです。

その原因は “救いの尊い恵み” を安っぽい恵みに変えてしまった 多くの間違えた教えがあったからだと思います。


『(キリストを)信じると告白さえすれば、もれなく天国に入る』 という教えが、人々に誤解を与えてあります。


信仰告白をして、新しい人としてキリストに似る者になるならば問題ないですが、古い人のまま生きながら天国へのチケットを手に入れたと安心している人は大変な錯覚をしています。


天国の道は広い道ではなく狭い道です。

信仰によって歩む道です。


後ろを振り向かず天に向かって歩む道です。


【ルカの福音書9章62節】

するとイエスは彼に言われた。「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」

救われた聖徒たちが いのちの道、天国への道をまっすぐに進むためには、逆戻りしてはならないものがあります。




むなしいものに従う




役にも立たず、救い出すことも出来ない むなしいものに従って、わきにそれてはならないことです。(第1サムエル記12章21節)

それはむなしいことであり、救いから逆戻りすることです。




従順から不従順へ




神に対する従順から不従順に逆戻りしてはならないです。


不従順は神から離れ、再び罪の奴隷になることです。

それは善から悪に逆戻りすることです。




古い人の行為




古い人の行為に逆戻りしてはならないです。


【第2ペテロ2章21-22節】

義の道を知っていながら、自分に伝えられたその聖なる命令にそむくよりは、それを知らなかったほうが、彼らにとってよかったです。

彼らに起こったことは、「犬は自分の吐いた物に戻る」とか、「豚は身を洗って、またどろの中にころがる」とかいう、ことわざどおりです。




行いによる救いを得ようとする




神の恵みの代わりに、行いによって救いを得ようと逆戻りしてはならないです。


形式的な信仰や宗教の霊に縛られた人たちは、知らぬ間に行いで救いを得ようとしますが、“救いは 信仰によって神の恵みで受ける” ものです。


行いによって救われる人はいません。




真理から偽りへ




真理から偽りに逆戻りしてはならないです。


終わりの時代は 多くのにせ者が現れ、真理を偽りに変えます。

それに惑わされて真理を離れる人も多くなります。


【第2テモテ4章3-4節】

というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、

真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。



この世を愛する




この世を愛して世に逆戻りしてはならないです。


この世から救い出されたのに、世に逆戻りすることは サタンの支配下に逆戻りすることです。

サタンは大喜びです。


このようにならないために、救いがどのようなものか、もう一度真剣に考えないといけないです。


【使徒の働き26章18節】

それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』



弱い信仰の初歩




弱い信仰の初歩のところに逆戻りしてはならないです。


【第1コリント3章1-3節】

さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。

私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。

あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。


このように、もし逆戻りするならば、神から、恵みから、救いから、天国からも離れることになります。


逆戻りして得るものは何でしょうか?

それによって、たどり着く所はどこですか?


救いの恵みを捨てるほど、それが価値あるものでしょうか?


これこそ真剣に考えないといけないことです。


十字架によって私たちを救い出して下さった主の尊い恵みを決して無駄なものにしてはならないです。


救いの達成を目指して進む者になりましょう。
アーメン (・∀・)


2018.10.13
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マタイの人生

テーマは 『 マタイの人生 』 です

【マタイの福音書9章9-13節】

イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、「わたしについて来なさい」と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。

イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。

すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」

イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。

『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」

マタイは、イエス様の十二弟子の1人です。

十二弟子の名前が10章に出てきますが、マタイの名前の前には “取税人” と書かれてあります。


イエス様が彼を見つけた場所が 収税所だったので、彼の職業が何かは分かったと思います。


今回は、イエス様に出会って彼の人生がどのように変わっていったのかを学びたいと思います。

主に出会った人は誰もが変わります。




収税所で働いていたマタイ




収税所は、今でいう税務署のことです。

今なら税務署で働くのは公務員で 別に何の問題もないですが、マタイが生きていた時代は全然違っていました。


ローマの支配下にいて、税金を民から取りたてる仕事ですが、民から多めに取って横領していた者が多かったので、民から憎まれ、“罪人のかしら” と さげすまれました。


民の血を吸いとる悪人だと、人々から非難されており、
とにかく取税人に対しては、色々と悪く言うことばがたくさんありました。


そのことを聞いていても取税人はお金を集めることに熱心であったので、金持ちが多かったです。




イエスに従ったマタイ




いつものようにマタイが仕事している時に、目の前にイエスという方が来られ、
マタイに向かって突然「わたしについて来なさい。」と言われました。


イエス様のこのことばは、彼を招待することばでした。

イエス様に招待されたことは、メシヤに招待されたことを意味します。



なぜマタイを招待したでしょうか?

もちろん彼を救い、弟子にするためでした。


人間の基準からは一番不適格な人かもしれません。

しかし、あえて主は彼を選びました。


マタイという人物がどんな人であれ、イエス様にはまったく問題にならないです。


主は ありのままの彼を使うのではなく、訓練して福音と救いのために、人に仕える偉大な働きをさせるために選びました。


マタイはイエス様の招待にすぐ立ち上がってついて行きました。

ついて行ったところには取税人や罪人たちが大勢招待されて集まっていました。



彼がイエス様の招待に応じたことは、イエス様を受け入れたことを意味します。

イエス様は次のように語ったことがありました。


【マタイの福音書8章20節】

狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。

ですから イエス様に従っても、この世で成功したり、贅沢に暮らしたり、権力を得るわけでもないです。



彼がついて行ったのは、イエス様がメシヤ(救い主)であったからです。

マタイは次のように従ったことを記録してあります。


【ルカの福音書5章28節】

何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った。

大きな決断をしてついて行きました。

家に帰って家族と相談したならば、主の弟子になることはなかったと思います。



イエス様は 今も「来なさい」と言われます。


【ヨハネの福音書6章37節】

父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。




医者に出会ったマタイ




食事に招待されてない自分のことを信仰深くて敬虔と思っているパリサイ人たちは、イエス様が罪人と取税人と一緒に食事している様子を見て、弟子たちに質問しました。


「なぜあなたがたの先生は、取税人や罪人と一緒に食事をするのですか」

それを聞いて主はこのように言いました。


「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。」と言われました。


マタイは体が病気ということではないです。

しかし、心は病んでいました。



マタイの生涯には、イエス様のような方が必要でした。


イエス様は自分を必要とする人の所を訪ねます。


絶望がある所、嵐が起こる所、嘆きが聞こえて来る所、そこで声を掛けます。


【マタイの福音書11章28-29節】

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。


罪人たちは、だれもが深刻な病気にかかっています。


罪人たちを招いて癒し、救うためにイエス様は来て下さいました。


イエス様に出会うと、なぜ心に平安がありますか?

心の病気が癒されるからです。



収税所に座っていた時のマタイには 心の平安はありませんでした。

自分のことを見る人々の視線は まるで悪人を見るような目でしたから。


聞こえてくることばも悪口や非難しかありませんでした。


彼自身も悪いことをしている自覚はありました。

でもお金を簡単に手放すことは出来ませんでした。



しかし イエス様に出会い、主の招きを受けた時に彼は自分の人生が変わると感じました。


それがなかったならば、何もかも捨てて従うことは出来ません。

マタイは魂が救われ、心が癒されました。


そして十二弟子の1人として任命された彼は、新しく生まれ変わった人生を歩み始めました。

主の弟子として主と共に歩む人生になりました。


主に出会ったことが 彼の人生の中で、一番良かったことだと思います。

マタイの福音書は もちろんマタイが書きました。


マタイは使徒として立派に働き、選んで下さった主を喜ばせました。
ハレルヤ .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2018.10.7
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