からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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聖日礼拝メッセージ

敬虔のための鍛錬

テーマは 『 敬虔のための鍛錬 』 です

【第1テモテ4章7-9節】

俗悪で愚にもつかぬ空想話を避けなさい。むしろ、敬虔のために自分を鍛錬しなさい。

肉体の鍛錬もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている経験は、すべてに有益です。

このことばは、真実であり、そのまま受け入れるに値することばです。

イエス・キリストを信じて救われた人は 以前の生き方、価値観で生きてはいけないことを神のことばで知っています。


【第2コリント5章17節】

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

新しく造られた者なので、新しい生き方、価値観、人格が必要です。


新しい人には第二の本性が必要です。

すなわち、敬虔こそが第二の本性です。


神と人との関係、生き方において キリストの心と人格を現わしていくのが敬虔な生活です。



主はこの “敬虔” を、別のことばでも表現して下さいました。


【マタイの福音書5章13-14節】

あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。

あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。

【マタイの福音書5章16節】

このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。


地の塩、世の光として生きる生活は、敬虔抜きで出来るものではありません。


敬虔への鍛錬はキリストに似ていくためのものです。



たとえば、「主は怒るのにおそく、恵み豊かである。」ので、感情的になって怒りを爆発する人ならば、自分の怒りを押さえ、感情的にならないように 自分の心を落ち着かせ、平和を作るように訓練することです。


主は人々からひどいことばで侮辱され、悪口を言われても怒らず、黙っていました。


それが主の人格でした。

敬虔な姿でした。


敬虔の鍛錬のためには、神に近づく訓練が必要です。


【ヤコブ4章8節】

神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち、心を清くしなさい。

毎日努力した分だけ、私たちは敬虔な姿になります。


敬虔のための鍛錬こそ、永遠のいのちに至る一番有益な道です。
アーメン (・∀・)


2019.3.10
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ブレないクリスチャンになるためには

テーマは 『 ブレないクリスチャンになるためには 』 です

【ピリピ4章4-7節】

いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。

あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。

何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

最近アメリカで話題になっている7歳の男の子がいます。

皆さんも すでにニュースで知っていると思います。


100メートルを13.48秒で走った「ネクスト・ボルト」と呼ばれる子どもです。

その身体能力に人々がびっくりしました。

そこまで早く走れたのは、単に足が速いからではなく、彼の走りを見た専門家たちによれば、彼の体幹筋がすごいからだと言われました。


4歳の時から体幹筋を強くするトレーニングをやっていると言われました。

毎日トレーニングで体幹筋を鍛えたので体がまったくブレないし、それによって早く走ることが出来たと言われました。


体幹筋は、体の胴体部分で内臓を支える機能とともに、運動時にバランスを取るため骨格筋を動かす際の最初に動かす筋肉です。


この筋肉が弱ると運動が不安定になり、バランスが取りにくく、体がブレてつまずいたりします。

それぐらい体幹筋は体を支える重要な筋肉です。

トレーニングによって鍛えることが出来ます。



ブレないクリスチャンになるためには、私たちの心に体幹筋のような霊の筋肉が必要です。


今日の本文には “どのようにしたら霊の筋肉を訓練によって付けることが出来るか” のヒントになることばがあります。




いつも主にあって喜ぶことです




別のところでも同じことばが語られてあります。


【第1テサロニケ5章16節】

いつも喜んでいなさい。

主の外にいるならば、このことば通りに生きることは不可能です。


しかし主にあって生きるならば出来ます。



罪赦された事、神の子どもになった事、救われた事、主の守りと恵みと助けがある事、これらのことだけでも喜ばずにおられるでしょうか。


それらのものは いのちよりもお金よりも、健康よりも、成功よりも大切なものです。

一番価値あるものです。


それを自覚しているならば、自分を幸せな者と思って喜ぶことが出来ます。




寛容な心を持つことです




どのような心が 寛容な心でしょうか?


寛容な心は、“広い心” です。

そして一番広い心は、次のような心です。


【マタイの福音書5章44-45節】

しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。

それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。


イエス様は、神の敵として生きていた私たちを赦し、受け入れ、愛して下さいました。

このように 先に模範を見せて下さいました。


寛容な心をすべての人に知らせなさいと言われたことは、すべての人に対して寛容であることです。

嫌いな人にも、敵にも寛容であることです。


私たちも広い心になれるように、人を赦す訓練、受け入れる訓練が必要です。




思い煩わず、感謝と祈りを絶えずささげることです




思い煩いは、受けた過去の恵みを忘れた時、神に頼らない時に出やすいものです。


思い煩わないためには 過去に受けた主の恵みを絶えず思い起こし、主に頼ることです。

そこから出て来るのが感謝であり、祈りです。


私たちは元々恵みを受ける資格がない者です。

反対に呪いを受けて当然の罪人です。



高慢な人は、自分には恵みを受ける資格があると思うので、主の前でも偉そうにします。

ですから神は高慢な者を忌み嫌い、御前で退きます。


使徒パウロは、絶えず主に感謝と祈りをささげました。

過酷な環境の中でも それが出来た理由は何でしょうか?


彼は主のあわれみと恵みを知り、その後に、自分の高慢を徹底的に砕きました。


パウロの告白でそれが分かります。


【第1コリント15章8-10節】

そして、最後に月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました。

私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。

ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。

救いの恵みを これほどまでに感謝しながら生きている人はあまりいないと思います。


あれほどのたくさんの主の働きをしながらも、これほどまでに謙遜で、主に頼った人物はいないです。

主のために死ぬ時も喜びながら死にました。

霊の軸がまったくブレなかったです。



私たちも パウロの中にあったものがあるならば、どんな環境の中でもその信仰はブレることはないでしょう。

人につまずくことも、倒れることもないと思います。


神のことばを口にする者がクリスチャンではないです。

サタンでさえも神のことばを頻繁に使いながら人々を惑わします。


クリスチャンは イエス様から学び、みことばを実践しながら、ますますイエス様に似る者となり、キリストの香りを放つ者にならないといけないです。


これらのものが備えられるならば、神の平安が心と思いを守って下さると約束して下さいました。


心と思いに神の平安がないならば、何かが欠けてあるからです。

足りないものを訓練して備えましょう。
アーメン ( ̄‥ ̄)=3


2019.2.17
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知恵のある者になる

テーマは 『 知恵のある者になる 』 です


2月になり、いつのまにか2019年も一か月以上過ぎました。


そこで振り返ってみてください。

1月はあなたの思った通りになりましたか?


私は反省点がたくさんあります。

特に仕事先とかで「こう言うべきだったのに、いらんことを言ってしまった。」「しゃべらなくても良いのに無駄に一人で話し過ぎた」「言い過ぎた」などなど・・・。


反省することばかりであり、また注意を忘れて失敗を繰り返したりしています。

そのような経験はございませんか。



例えば、次から挙げることに どのくらいあなたは当てはまりますか?


  • さわがしい、無駄口をたたく
  • 曲がったことを言う
  • よく聞かないうちに返事をする
  • 自分の愚かさを言いふらす、吐き出す、食いあさる、繰り返す
  • わきまえがない、何も知らない、思慮がない
  • 悪事が楽しみ、悪から離れることを忌み嫌う
  • むなしいものを追い求める
  • なまけ者
  • 自分の怒りをすぐ現す、怒りやすくて自信が強い、短気、争いを起こす
  • 主に向かって激しく怒る
  • 争いを起こす
  • 母をさげすむ、自分の父の訓戒を侮る
  • 思慮深いことばをさげすむ、英知を喜ばない
  • 自分の意見だけを表す、自分の心に頼るもの

これからの姿は、すべて聖書でいう “愚か者” です。


知恵がない愚か者なんです。


また、どこかで「こんな自分じゃダメだ」「直さないとな」と思っていませんか?


もし、それすらも思っていないのならば 心の姿勢に問題があります。

愚かなまま生きていると、その道は命の道には繋がっていないですし、心にも平安がないです。



一方で、知恵を持ち、賢く生きることができれば、あなたは次のようになります。


  • 安全に住まい、わざわいをおそれることもなく、安らかである
  • たましいが楽しんでいる
  • 悪の道やねじれごとを言う者から救い出される
  • いのちの年と平安が増し加えられる
  • からだを健康にし、骨に元気をつける
  • 恐れがない
  • 休む時、眠りが心地いい
  • 主がおられ、守ってくださる
  • 主から恵みをいただく
  • つまずくことがない
  • 高められ、ほめられる

これらはいずれも聖書で書いてある「知恵のある人」の姿です。






私たちは “なんとなく” 何も考えずに生きるのではなく、もちろん「愚かな者」として生きるべきではなく、知恵のある者として生きなければなりません。


それは自分自身にとっても、周りの人にとっても、神様の目にとっても有益なことであり、望まれることであるからです。


それでは知恵を得て生きるには どうしたら良いのでしょうか。

人間を造られた神様が、一番 人間がどう生きていけば良いかをご存知であります。


例えば、iPhoneを作った人が、一番iPhoneの使い方を知っています。



それと同じように、私たちを造られた方が 一番私たち自身や生き方もご存知なのです。


その神様の御言葉を聞き、また実践することは、私たちが生きるべき方法を知り、人間らしく、神様によって造られた者として生きることです。



神様は、私たちに このようにおっしゃっています。


【ヤコブ1章5節】

あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人はだれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。

神様は私たちに “求めなさい” とおっしゃっています。

私たちは神様に「知恵を与えてください」と願うべきであります。


何か問題にぶつかった時や、それだけではなく、日常生活を生きる私たちは あらゆる瞬間にこの “知恵” を神様に求めるべきなのです。



聖書には、今までで誰よりも一番知恵と知識を持ち、そしてこれからの未来でも彼にまさる者はいない と言われている人物がいます。


それはソロモンです。

ソロモンはダビデの息子であり、王でもありました。


聖書では、どのようにソロモンが知恵を得るようになったかを はっきり記録しています。


それは もちろん神様からでした。


【第1列王記3章3-14節】

ソロモンは主を愛し、父ダビデのおきてに歩んでいたが、ただし、彼は高き所でいけにえをささげ、香をたいていた。

王はいけにえをささげるためにギブオンへ行った。そこは最も重要な高き所であったからである。ソロモンはそこの祭壇の上に一千頭の全勝のいけにえをささげた。

その夜、ギブオンで主は夢のうちにソロモンに現れた。神は仰せられた。「あなたに何を与えようか。願え。」

ソロモンは言った。「あなたは、あなたのしもべ、私の父ダビデに大いなる恵みを施されました。それは、彼が誠実と正義と真心とをもって、あなたの御前を歩んだからです。あなたは、この大いなる恵みを彼のために取っておき、きょう、その王座に着く子を彼にお与えになりました。

わが神、主よ。今、あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし、私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません。

そのうえ、しもべは、あなたの選んだあなたの民の中におります。しかも彼らはあまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど、おびただしい民です。

善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」

この願い事は主の御心にかなった。ソロモンがこのことを願ったからである。

神は彼に仰せられた。『あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、

今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。

また、あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしのおきてと命令を守って、わたしの道を歩むなら、あなたの日を長くしよう。

【第1列王記3章11-12節】

神は彼に仰せられた。『あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、

今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。

この世の誰よりも知恵を持ったソロモンが書いた知恵の書が、“箴言” と “伝道者の書” です。



箴言には、生活や人生を通して、神様から得た知恵について書いてあり、


伝道者の書には、誰よりも富と権力があり、ありとあらゆる楽しみをし尽くした上で、ソロモンが感じたこと、それはすべてを得たとしてもむなしく、結局は神様をおそれること こそが、一番人間にとって大切なことであり、一番すべきことだと伝えている本です。



本日は特にその箴言から「知恵」について見ていきます。




知恵とは?




この知恵とは一体何なのでしょうか?

この「知恵」とは頭の中で知っているだけの「情報」とは異なります。


特に、ヘブライ語での「知恵」は、実際に使われることを前提として、適用(実践)するところまでを含んでおります。


つまりは、「知っているだけ」ではなく、「知っている生活に役立つ知識を実際に取り入れて行うこと」こそが、「知恵」なのです。



例えば、いくらテニスのやり方を本や動画で頭に知識として叩き込んだところで、実際に体を動かして練習を積まない限り、テニスは上達しませんし、それは “知っている” だけで何も使い物にはならないのです。


私たちも「知恵」を知っているだけで、実際に私たちの生活に、その「知恵」を取り入れない限り意味がないものです。



それでは、実際に私たちが生活に取り入れるべき「知恵」の一番土台となるところを見てみましょう。



【箴言1章7節】

主を恐れることは知識の初めである。愚かな者は知恵と訓戒をさげすむ。

【箴言9章10節】

主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。



ここで、知恵と知識は同じようなものとして扱われていますが、まず この知恵を得るために必要なことは「主を恐れること」です。


ここでいう「主を恐れること」とは、「神様は怖い人。ひどくて厳しくて恐怖を感じる。」という意味ではなく、「かしこまる」という意味での「おそれる」です。


つまりは恐怖心からではなく「神様は偉大だな。すごい方だな と、ひれ伏すこと」です。



例えば、子どもであるならば 学校の先生は権威があって、先生の前ではシャキッとしたり、会社で働いている人の場合は、上司や、社長、会長の前では「ちゃんとしよう」と思うことと似ています。


あまり先生や会社の上司などに良いイメージがない方は、あなたが憧れている人や、すごいなと思う方、お偉い人の前ではかしこまって、きちんとしようとなりませんか?

それと似たような感覚でもあります。



また、この「おそれる」という言葉には、「礼拝する」という意味も含まれています。


つまりは神様を知り、関係を築き、偉大な方であると悟り、その方の前でちゃんとしようと思い、また礼拝する事こそが、真の知恵を得る第一歩と言えます。


知恵は神をおそれることから始まり、神様の御言葉を通して知恵は与えられる。

また、聖書にはキリスト自身に知恵がすべて隠されていると書かれてあります。


【コロサイ2章3節】

このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。

知恵を持って生きるということは、キリストを知り、キリストが歩んだように歩むことです。


キリストこそが唯一完全な人間であり、神様であった方です。

このキリストを通して私たちは知恵を得るべきなのです。


また、人にとっての究極の知恵は、私たちが人生で一番大切なもので必要不可欠であり、いのちを与える「イエス様の十字架」を知り、そこにある救いを受け入れることです。



これこそが、人が生きる上で一番大切なものであり、生きるために なくてはないものであります。


この福音を聞き、知り、受け入れ、イエス様とともに生き、イエス様が歩まれたように歩んでいく事こそが一番知恵のある姿なのです。


その究極の知恵を得たうえで、私たちは日々の生活で出会う様々なシーンで必要な知恵を得るべきであります。


箴言やイエス様の姿が描かれている福音書、その他の聖書箇所の様々なところに私たちが日々必要とする「知恵」が書かれてあります。


その聖書を開きながら、自分がどう生きていくべきか、家族の中で、会社の中で、友達の輪の中で、教会の中でどう知恵を持って振る舞うべきかを学び続け、それを実践する事こそが 私たちの日々の目標とすべきではありませんか。



知恵が足りないですか?


―― 神様に求めてください。


逆にあなたは自分自身を 知恵のある者と思っているのですか。


【箴言3章5-8節】

心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。

あなたの行く所どこにおいても、主を求めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

自分を知恵のある者と思うな。主を恐れて、悪から離れよ。

それはあなたのからだを健康にし、あなたの骨に元気をつける。

それは神様が求める姿ではありませんし、真の知恵を持つ者とも言えません。


神様に知恵を求めましょう。



まずは神様を知り、偉大な神様の前でおそれかしこまり、礼拝しましょう。

神様が教えてくれる御言葉を読み、受け止め、生活で実践しましょう。


もし、御言葉を聞いたり読んだりして、たくさん知っていたとしても「実践しない」ならば意味がないのです。



どんなにダイエット方法をたくさん調べて、たくさん知っていたとしても、実際に実践しない限り 痩せないのです。


同じように「知恵」を頭で持っていて、「実践しない」ならば意味がないのです。

本当の意味で知恵を持つということは、知恵を持ち、それを実践するということです。


また実践をして、すぐ元の愚かな姿に戻るのは、せっかく痩せたのに、すぐリバウンドする人と同じです。


あなたは今のそのままの姿で良いですか?


それとも、知恵を聞き、受け入れ、実践し、知恵のある者へと変わっていきたいですか?


今日から知恵を実践し、神様の前で「知恵のある者」として認められるように一緒に変わっていきませんか。
アーメン (・∀・)


2019.2.3
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試練から勝利へと

テーマは 『 試練から勝利へと 』 です

【ヤコブ1章2節-4節】

私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。

信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。

その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。

【ヤコブ1章12節】

試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。


“試練” と聞くだけで、心が重たくなります。


試練を歓迎する人は一人もいません。

しかし、歓迎しなくても 各自の人生には 必ず試練があります。


人々は試練そのものよりも、自分がその試練に耐えられるかどうかを心配します。



試練に対しての神の教えが、今回の本文にあります。

試練に会った時に、それを喜びなさいと教えた理由は何でしょうか?


試練そのものを見た時には、それは決して良いものではないですが、“あるもの” を活かすことで 試練から勝利を得ることが出来るからです。



その “あるもの” とは、忍耐と希望です。


これは試練から勝利への過程に 必ず必要です。



試練から勝利を得る者もいれば、試練から失敗を刈り取る人もいます。

試練の中で、つぶやきと絶望だけであるならば、人生は失敗で終わってしまいます。


しかし同じ試練の中でも、忍耐と希望で貫く人は 勝利を手に入れることが出来ます。


4人の人物でそれを証明します。

ヨセフ、ダビデ、ヨブ、イエス様です。



4人とも受けた試練は、私たちが受けた試練よりも はるかに辛い試練でした。


【 ヨセフ 】

ヨセフの試練は、兄弟たちに売られて奴隷になったことでした。

それも外国へと売られました。


お父さんに特別に愛され、何一つ不自由のない生活から、一瞬にして奴隷になってしまいました。


【 ダビデ 】

ダビデは、何度も国を敵から救った英雄なのに、サウル王の嫉妬によって いのちが狙われ、何年もさまよいながら逃亡生活を続けていました。


自分の国には隠れる居場所すらありませんでした。


【 ヨブ 】

ヨブは、とても恵まれた人生を送っていましたが、ある日、津波のような大きな試練に会いました。


持っていた財産すべて、子ども10人、しもべたちまでもが 一日のうちに津波に飲み込まれたかのように消えていきました。

そしてヨブ自身も、治らない辛い病気にかかってしまいました。


自分が生まれた日を呪ったほど激しい試練に会いました。


【 イエス様 】

イエス様は恵みを与えた人々から裏切られ、侮辱され、むち打たれ十字架の上で死を遂げました。






この4人は試練の中で潰れたでしょうか?

彼らは潰れるどころか、大きな勝利を得ました。


彼らが受けた試練は、彼らを偉大な人物にし、その人生を通して神の栄光を現し、神のみこころを全うし、信仰の巨匠になり、試練の中にいる人々を 今も励ましています。


特にイエス様は 十字架の上で「完了した」と勝利宣言をしました。

何が 4人をそのように勝利へと導いたでしょうか。



彼らは試練の中で 決して弱音を吐かず、つぶやくこともせず、堕落した生活もせず、主に頼って祈りながら ひたすら忍耐しました。


そして救いの神が必ず試練から救い出して下さるという揺るがない希望を抱いていました。



それが試練を 勝利へと導く強い原動力になりました。

試練の中で勝利した者の告白が聖書には多くありますが、その中にあることばです。



【詩篇118編15-18節】

喜びと救いの声は、正しい者の幕屋のうちにある。主の右の手は力ある働きをする。

主の右の手は高く上げられ、主の右の手は力ある働きをする。

私は死ぬことなく、かえって生き、そして主のみわざを語り告げよう。

主は私をきびしく懲らしめられた。しかし、私を死に渡されなかった。

【詩篇118編21節】

私はあなたに感謝します。あなたが私に答えられ、私の救いとなられたからです。


試練の中にいますか?


救いの神を見上げて、希望をもって忍耐すれば、救いの神の力ある働きによって死ぬことなく、生きて勝利を宣言することが出来ます。

アーメン (*´∇`*)


2019.1.27
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アブラムから学ぶ金銭管理

テーマは 『 アブラムから学ぶ金銭管理 』 です

【創世記14章17-24節】

こうして、アブラムがケドルラオメルと、彼といっしょにいた王たちとを打ち破って帰って後、ソドムの王は、王の谷と言われるシャベの谷まで、彼を迎えに出て来た。

さて、シャレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。

彼はアブラムを祝福して言った。「祝福を受けよ。アブラム。天と地を造られた方、いと高き神より。

あなたの手に、あなたの敵を渡されたいと高き神に、誉れあれ。」アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。

ソドムの王はアブラムに言った。「人々は私に返し、財産はあなたが取ってください。」

しかし、アブラムはソドムの王に言った。「私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓う。

糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない。それは、あなたが、『アブラムに富ませたのは私だ』と言わないためだ。

ただ若者たちが食べてしまった物と、私といっしょに行った人々の分け前とは別だ。アネルとエシュコルとマムレには、彼らの分け前を取らせるように。」

正しい金銭管理が出来ないと 信仰生活も失敗します。

そのため聖書を通して、金銭に対する正しい教えを学ぶ必要があります。


金銭に対する悪い部分は次のことばにあります。


【第1テモテ6章9-10節】

金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる, 愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。

金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。

ですから聖徒たちは正しい金銭管理をしなければなりません。


模範的な金銭管理が出来た人物がアブラムです。

創世記14章では、まだ名前がアブラハムに変わる前ですから、アブラムの名前をそのまま使います。

アブラムは優れた金銭管理者でした。




神との関係での金銭管理




本文の18-20節には、アブラムが戦いに勝利して帰って来た時に、シャレムの王メルキゼデクが パンとぶどう酒を持って迎えました。


メルキゼデクは いと高き神の祭司でした。

彼がアブラムを祝福した後に、アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えました。


アブラムは、最初に神に十分の一をささげた人物です。


律法で十分の一のことが決まる前に、すでに十分の一をささげました。

命令されたわけでもないのに、なぜ十分の一をささげたでしょうか?


まずは神への感謝でした。



戦いでの勝利は、自分の力だけではなく 神の助けと守りがあったからなので、彼は感謝の気持ちを、十分の一をささげることで表しました。


また十分の一は、“神のものとして聖別” してささげる意味があります。


次の箇所には、十分の一は神のものであると はっきり書かれてあります。


【マラキ書3章8-10節】

人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか。』それは、十分の一と奉納物によってである。

あなたがたはのろいを受けている。あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。この民全体が盗んでいる。

十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。―― 万軍の主は仰せられる ―― わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。

信仰の人ヤコブも、次の箇所で十分の一にふれました。


【創世記28章22節】

石の柱として立てたこの石は神の家となり、すべてあなたが私に賜る物の十分の一を必ずささげます。」

アブラムがメルキゼデクに十分の一をささげたことは、彼の祭司職を認めたことを意味します。

私たちが神にささげる十分の一は、神がすべての主権者であることを認める意味があります。




隣人関係での金銭管理




隣人との金銭トラブルが原因で起こる事件も多いです。

ですから問題が起こらないような金銭管理が必要です。


今日の本文で、ソドムの王とアブラムの会話で、アブラムの金銭管理が見えます。


創世記14章の前の部分を読んでみて下さい。

自分ならばどうするのかも考えてみて下さい。


戦利品に対して、ソドムの王はアブラムに言いました。

「人々は私に返し、財産はあなたが取ってください。」と言われた時に、

アブラムは、「私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓う。糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない。それは、あなたが、『アブラムに富ませたのは私だ』と言わないためだ。」と言いました。



アブラムは自分が労苦して得ていない物は、受け取りませんでした。

糸一本、くつひも一本ということばを使ったのは、取るに足りない些細なものを象徴しています。


すなわち他人のものに対しては常に潔白であることです。



金や物にルーズな人も多いです。


人のものを平気に取る人や、借りても返さない人、他人の物も自分の物のように使う人など、金銭に対してルーズで 他人に被害を与えることは避けなければなりません。



アブラハムは金銭に対して きちんとしていました。

妻サラが亡くなった時に、ヘテ人に墓地を売るように言ったところ、ヘテ人は墓地をアブラムに差し上げると言いました。

それに対してアブラムは、タダでもらうことを喜んだのではなく、このように言いました。


「もしあなたが許してくださるなら、私の言うことを聞き入れてください。私は畑地の代価をお払いします。どうか私から受け取って下さい。そうすれば、死んだ者をそこに葬ることができます。」



もしアブラムが タダで受けたならば、後で色々な問題が出たと思います。

差し上げた人が、後から惜しむ心が出て、「土地を返してほしい」と言われると、トラブルになります。


アブラムが買った墓地には、アブラハムも息子イサク夫婦も、孫ヤコブとその妻レアも葬られました。

お金を払ったからこそ、その後も墓地を自由に使うことが出来ました。


自分のものでない物に対しては 欲を出さず、欲しがってはいけないです。


十戒の10番目にあることばです。


【出エジプト記20章17節】

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」


金を愛した取税人 ザアカイは、イエス様に出会ってから金銭感覚が180度変わりました。

騙して他人のものを取って金持ちになった人が、イエス様に出会ってからは 次のようになりました。


【ルカの福音書19章8節】

私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」



家族や親類での金銭管理




親子、兄弟、親戚の間で、お金や財産のトラブルは ますます増えてありますね。


親子関係でも、介護は嫌がるのに、財産は欲しがる者がとても多いです。

本当に醜い姿です。他人よりもひどい姿ですね。財産を一人占めしようと企んでいる人もいます。




皆さんはどのような金銭管理をしていますか?

また、もしトラブルがあった時にはどうしますか?



アブラムが取った行動から学びます。

おいロトとの間に問題が生じました。


アブラムもロトも祝福されて持ち物が多くなり、一緒に住むには場所が狭くなりました。



家畜の牧者たちの間にも争いが起こりました。

その解決策として、アブラムはおいロトに次のような提案をしました。


【創世記13章8-9節】

「どうか私とあなたとの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちとの間に、争いがないようにしてくれ。私たちは、親類同士なのだから。

全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」

アブラムは、相手に譲歩し、相手のことを優先しました。


これは一見、損しているように見えますが、長い目で見ると、決して損することはありません。

2人の結末を見ても分かります。


先にソドムを選んで行ったロトは、ソドムが滅ぼされる時に すべての財産を失いました。



アブラハムはどのようになりましたか?

アブラムのしもべの証言です。


【創世記24章35節】

主は私の主人を大いに祝福されましたので、主人は富んでおります。主は羊や牛、銀や金、男女の奴隷、らくだやろばをお与えになりました。

ロトには何も残らなかったですが、アブラムは死ぬ時まで祝福されて豊かでした。


欲張りは神からも人からも嫌われます。その結果、大切な人たちを失います。

そして人生の結末も良くないです。



お金をたくさん持っている人が幸せな人ではなく、お金が人を幸せにするのでもないです。


豊かな心を持つ人が幸せな人です。


人との関係を大切にする人が長く祝福されますし、人の益になることを先に考える人が神から祝福されます。


目先の利益に目がくらむ人になってはいけません。

神は金銭に対するテストもします。


箴言にも、レビ記の中にも、金銭に対する教えが多いので学びましょう。
アーメン (*・ω・)ノ


2019.1.20
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愛の方法

テーマは 『 愛の方法 』 です

【第1コリント12章31節】

あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。また私は、さらにまさる道を示してあげましょう。

【第1コリント13章13節】

こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。

【第1コリント14章1節】

愛を追い求めなさい。


愛することは自然に身につくことではありません。

愛することは簡単なことではありません。


愛にも色々ありますが、真の愛は 神から愛する方法を学ばないといけないです。

しかし、愛は 学ぶだけで出来ることでもありません。


聖書では私たちが愛ある者になるためには、どのようにしたら良いかを教えています。

今回はその教えを学びます。




愛の定義




【第1コリント13章4-7節】

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、

不正を喜ばずに真理を喜びます。

すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

愛のことを1番正しく教えて下さったのは、神様です。

なぜなら、神は “愛” そのものだからです。


詩人がどんなに美しいことばで愛を語っても、それが愛の定義にはなりません。



愛の神様が教えて下さった愛の定義が1番正しいです。


人々が語る愛と、神が語る愛が どれほど違うかを今のことばでも分かると思います。


甘いことばや美しいことばで表現するのが愛ではなく、私たちが望まないような姿が 神様の語る “愛” です。



人は “愛したい” という思いよりは、“愛されたい” 思いが強いので、神が語る愛に対して、積極的に愛そうという思いは起こらないと思います。


しかし本当に愛ある者になるためには、神が語る愛の形にしていかなければ、愛のない者になります。


ですから、主のことばが語る “愛” を学ばなければなりません。




愛ある人の行動




「互いに愛し合いなさい」と言われたことば通りに 愛し合っているならば、愛ある人です。


愛ある人は、光の中を歩み、つまずくことがありません。

愛ある人は、人々の多くの罪を覆います。


人の罪をバラし、裁いてつまずかせることはしません。

裁く代わりに勧め、とりなしをします。

愛には “犠牲” が伴います。



しかし愛ある人は 義務ではなく、愛があるからこそ自ら犠牲を払います。

代表的な愛の姿が、キリストの十字架の姿です。


口先だけの愛は詐欺師と同じです。

愛のことばで人を騙しているからです。


愛ある人の行動は人を感動させます。

人を生かしますし、人を変えます。




愛がないならば




【第1コリント13章1-3節】

たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。

また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。

また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。

人々は、働きの実や業績が 神様の栄光になると思って熱心に働きます。


しかし、どんなに働いて素晴らしい業績があっても、愛がないならば すべてがむなしいと主が語っておられます。


神が求める1番大切なものがないならば、神はそれを喜びませんし、認めません。


心の動機が愛でないならば、その働きは神のみこころに適う働きにはなりません。




愛ある者になるために




神が教えて下さったみことばから愛を学び、実行していくことです。


また 愛は、聖霊充満によって私たちが聖い生活を送るようになると、人を愛することが出来ます。


愛は成熟した信者の特徴です。


幼子にとって、愛はいつも受けるものだと思います。



しかし成熟した人は、愛は受けるものではなく、与えるものであることを知っています。


愛の神様から愛されている私たちも、その愛に感激して、主のことばのように愛ある者になることです。


2019.1.13
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両手を合わせて主に感謝

テーマは 『 両手を合わせて主に感謝 』 です

【詩篇86編12節】

わが神、主よ。私は心を尽くしてあなたに感謝し、とこしえまでも、あなたの御名をあがめましょう。

2018年も残り一日になりました。

明日のことは分かりませんが、ここまで守って下さった主に心から感謝します。


年末になると、一年の中で一番感謝が出ます。

なぜなら受けた恵みを考える時間が多くなるからです。


心を尽くして感謝することは主に喜ばれることです。


一年がとても早く過ぎた気がします。

無駄に流した時間もたくさんあったと思います。


いのちの時間を無駄にしたことを まず神様に悔い改めます。

そして忙しく生きてきたのに手に入れた収穫が少ないことも悔い改めます。


悔い改めることは、後ろのものを忘れ、新しく始めるためには欠かせないものです。

悔い改めるならば、新しい心で新年を迎えることが出来ます。


今年も色んなことがありましたが、神の恵みによって今まで生きてきました。


私が歩んだすべての道に、主が共におられたことを知っています。

主は私たちを決して離れないと約束して下さった方です。


【マタイの福音書28章20節】

見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。

愚かな私たちが倒れないように、足りない私たちが罠にかからないように、その時に手を取って下さり、いのちの道に導いて下さった主に感謝をささげます。


惑わされないように真理を教えて下さったことも感謝です。


今年も み言葉の糧をたくさん与えて下さったことを感謝します。

主のことばで養われたことも感謝でした。


すべてのことを働かせて益として下さった主に感謝です。

最初から終わりまで主の恵みであることを感謝します。


すべての感謝を主にささげます。

古いものは過ぎ去りました。


心を新しくし新しい年を迎えましょう。
アーメン (*´∇`*)



2018.12.30
聖日礼拝メッセージ

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2つの顔を持つキリスト

テーマは 『 2つの顔を持つキリスト 』 です

【イザヤ書9章6-7節】

ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。

“ 2つの顔を持つ人” と言われると、何が思い出されますか?


私はジキルとハイドのことを思い出しました。

小説に登場する人物で、二重人格で善人と悪人の顔を持っています。


イエス様にも2つの顔がありました。

善人と悪人ではなく、“ 神と人間 ” という まったく異なる性質を同時に持っていました。


イエス様が誕生する700年も前に、神は預言者イザヤを通して、メシアの預言をしました。

そのメシアがイエス・キリストですが、神はイザヤを通して2つの顔を持つ異なるメシアを紹介しました。



これを知らないと、イエス・キリストを理解することは出来ません。

また理解するならば、イエス・キリストがまことのメシアであることが分かります。




神の顔を持つイエス・キリスト




今日の本文が、神としてのイエス・キリストを紹介しました。


「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」
そして「主権、王座、王国」などは神としてのキリストの姿です。

これは人間ではなく、神の性質をもって来られたキリストを語っています。



神としてのキリストを 誰よりもよく知っていたのは悪魔でした。


悪霊に取りつかれて墓場に住んでいた男がイエスを見ると、叫び声をあげ、御前にひれ伏して大声で言いました。


【マルコの福音書5章7節】

「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのですか。神の御名によってお願いします。どうか私を苦しめないでください。」

誰もその人から悪霊を追い出すことは出来ませんでしたが、悪霊はイエス様を見るなり、その前にひれ伏しました。



イエス様には 悪霊を制する力があることを知っていたからです。

悪霊は、霊の存在である神を知っています。


悪霊までもがイエス様が神であることを認めました。

そして病人を癒したり、様々な奇跡を行う姿を見て、人々はイエス様が神であることを知りました。



次の箇所にはイエス様の2つの姿を明確に教えています。


【ピリピ2章6-8節】

キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、

ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、

自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。



人間の顔を持つイエス・キリスト




次に、神がイザヤ預言者を通して語ったキリストの姿は、人間の姿です。

それも、苦難を受ける人間の姿です。


イザヤ書53章全体は人間として生まれ、人々から のけ者にされ、痛めつけられ、苦しみを受けるキリストの姿、すなわち十字架の苦しみを受ける姿が預言されてあります。


主のために道を備えたバプテスマのヨハネも、イエス様を見た時に言いました。


【ヨハネの福音書1章29節】

見よ、世の罪を取り除く神の小羊。

なぜ神であるイエス様が人間として生まれ、十字架の苦しみを受けなければならないのか、その理由は世の罪を取り除くためでした。



次の箇所にはキリストについて詳しく書かれてあります。


【第1ペテロ2章22-24節】

キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。

ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。

そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

キリストが人間にならなければ、人間の罪を その身に負うことが出来ないので、人間の姿になりました。



人類を罪から救うためには、誰かが代価を払わなければならないのに、すべての人類の中で それを出来る者が存在しないので、神はひとり子を人間の姿にして地上に送り出しました。


ですからキリストが十字架にかかり、救いの計画を成し遂げた時に、「完了した。」と宣言しました。



神の救いの計画は、
イエス様が2つの性質、すなわち神の性質と人間の性質を同時に持っていたからこそ出来たことです。


神だけであっても、人間だけであっても、それは不可能でした。

ですから人間の顔しか持っていない者が、「自分は神である」と言っても、それは嘘です。



しかし神の性質を持っている方が、神と言ったらそれは嘘ではないです。


イエス様に対してはこのような証言もありました。

キリストの十字架の死を誰よりも近くで見た者たちの証言です。


【マタイの福音書27章54節】

百人隊長および彼といっしょにイエスの見張りをしていた人々は、地震やいろいろの出来事を見て、非常な恐れを感じ、「この方はまことの神の子であった」と言った。

救い主として世に来られたイエス様に出会い、その救いを受けた人は幸いな人です。



救われずには誰も天国に入ることも、永遠のいのちを得ることも不可能です。


まだ出会ってない人は 必ず救い主イエス・キリストに出会って、魂が救われますように。
アーメン (・∀・)つ


2018.12.23
クリスマス礼拝メッセージ

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アブラハムから学ぶ従順する信仰

テーマは 『 アブラハムから学ぶ従順する信仰 』 です

【創世記22章1-14節】

これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に、「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は、「はい。ここにおります」と答えた。

神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」

翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、ふたりの若い者と息子イサクとをいっしょに連れて行った。彼は全焼のいけにえのためのたきぎを割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ出かけて行った。

三日目に、アブラハムが目を上げると、その場所がはるかかなたに見えた。

それでアブラハムは若い者たちに、「あなたがたは、ろばといっしょに、ここに残っていなさい。私と子どもとはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻って来る」と言った。

アブラハムは全焼のいけにえのためのたきぎを取り、それをその子イサクに負わせ、火と刀とを自分の手に取り、ふたりはいっしょに進んで行った。

イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」すると彼は、「何だ。イサク」と答えた。イサクは尋ねた。「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」

アブラハムは答えた。「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」こうしてふたりはいっしょに歩き続けた。

ふたりは神がアブラハムに告げられた場所に着き、アブラハムはその所に祭壇を築いた。そうしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置いた。

アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした。

そのとき、主の使いが天から彼を呼び、「アブラハム。アブラハム」と仰せられた。彼は答えた。「はい。ここにおります。」

御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」

アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。

そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「主の山の上には備えがある」と言い伝えられている。

私たちが直面する多くの問題の原因になるのは、神に対する不従順の罪です。


神のことばに素直に従えば発生しなかった問題のほとんどが、神に従わなかったことが原因で発生します。

今まであった問題や苦難には、自分や家族の誰かの不従順の罪があったことを否定出来ません。



ですから問題の解決を願うならば、不従順の罪を悔い改めて 心を入れ替え、従順する人にならなければなりません。


アブラハムは 私たちに従順の模範を見せてくれた “信仰の人” です。

従順とは何かを見せてくれました。



創世記22章は、アブラハムにとっては人生最大の試練の時でした。

とんでもない大きな問題が降りかかって来ました。

それも、神から直接来た試練なので、神に助けを求めるわけにもいかなかったです。


神にも相談出来ないからといって、人間に相談しても解決するわけがないです。


このような大変な試練をどのように乗り越えたのかを見ると、そこにあるのは “神への従順” でした。




神のことばに対して 一切つぶやかず従順したアブラハム




アブラハムが神から受けた命令は、到底 理解も納得も出来ない命令でした。


「自分の子を全焼のいけにえとしてささげなさい」 と命令されたら、私たちはどうしますか?


まずは自分の耳を疑い、神ではなくサタンからだと思うでしょう。

「神がそんなことを言うはずがない」と思うのが当然ではないでしょうか。


そこから様々な思いが巡り、それを神にぶつけるのが普段の私たちのやり方です。



しかしアブラハムは違いました。

私たちは自分の思いと神の思いが違う時には、いつも不従順の道を選びます。

不従順の習慣が根強く残っているからです。


しかしこの時のアブラハムの辞書には、“不従順” という文字がなかったと思われます。

一言も言わず、彼は従順しました。


信仰の土台は神のことばです。


そして生きた信仰は、みことばへの従順です。

神のことばに有無を言わなかったのがアブラハムでした。




従順の実践が早かったアブラハム




アブラハムは神の命令があった翌朝、すべての準備をしてイサクを連れて、神が示す所に出かけて行きました。


アブラハムが感情もない石のような心の持ち主でしょうか?

また、息子を愛さないお父さんでしょうか?



アブラハムにとってイサクは愛してやまない存在でした。

また神の約束の子で、100歳の時に生まれた かけがえのない存在です。


神の命令に従うにしても、神に「しばらく息子と過ごす時間を下さい」とお願いするのが平凡な人たちの願いだと思いますが、アブラハムには そういうことがなかったです。


命令にはすぐに従うと思っていたのでしょう。

そして息子と共に時間を過ごしたら、きっと神に従うことは出来なくなると思ったでしょう。



従順を遅らせると、必ず誘惑するものが近づいてきて誘惑します。

サタンはいつもチャンスを狙って近づきます。


私たちが迷う時、モタモタしている時に、甘いことばを持ち込んできて、従順出来ないように邪魔をします。


これに引っかかる人が実に多いです。

アブラハムは惑わされないために、また不従順を警戒して すぐに実行に移したと思います。



従順は後回しせず、すぐに実践することです。


「神様を信じなさい」と言っても、「いつか信じます」と言う人は なかなか信じません。


しかし決断する人は、その時から信仰が芽生えてきます。

従順は早ければ早いほどしやすいです。


遅れれば遅れるほど 従順出来なくなります。



怠け者で不従順が身についているならば、その命令さえも忘れてしまいます。

行いが伴わない信仰は “死んだ信仰” です。

死んだ信仰がその人を救いますか?


すぐ従う人に神の祝福があります。




アブラハムは盲目的に従順したのではなく、疑わず確信をもって従順しました




この信仰はこの出来事の前からアブラハムにありました。

100歳の時に子どもが生まれると聞いた時、アブラハムが見せた信仰です。


【ローマ4章20-21節】

彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、

神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。

そしてその信仰通り 100歳の時に、息子イサクが生まれました。

そして、「その息子をささげなさい」と言われた時にも、アブラハムには別の信仰の確信がありました。


それは、“神には神の良い考えがある” と疑わずに確信していました。



イサクが「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」

と聞かれた時に「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」と答えました。


人間的には、アブラハムは息子を全焼のいけにえにしなければならない現実が苦しくて心を引き裂かれる思いがあったと思います。


しかし、そのことよりも上に置いたのが神への従順、神への愛、神への信頼でした。



偉大な信仰は、平凡な生活の中で生まれるものではないです。


激しい試練の中で、神を疑わず信じて行動する時に生まれるものです。


偉大な信仰は、誘惑に勝利した信仰です。

神のことばを守り抜いた信仰です。


このような信仰を見て、神は共にいて下さり祝福を与えます。



従順したアブラハムに神がかけた言葉は,本当に祝福の言葉でした。


【創世記22章16-18節】

わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、

わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。

あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」


不従順の罪を捨てて、アブラハムの従順の信仰を学びましょう。
アーメン v( ̄∇ ̄)v


2018.12.2
聖日礼拝メッセージ

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良い実を結んでいますか

テーマは 『 良い実を結んでいますか 』 です

【マタイの福音書25章35-40節】

あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、

わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』

すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。

いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。

また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』

すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』

神様が喜ぶ良い実を結ぶ人もいれば、良い実を結ぶこともなく無駄な人生を生きる人もいます。


今日のことばに出て来る人たちは、自分たちは気付いていなかったですが、主が見た時に、良い実がたくさん結ばれていて、そのことを主は喜んで下さいました。


この人たちは 良い実を結ぼうと頑張ったわけでもないです。

普段の生活の中で、その実は結ばれていました。



普段どのような生活をして、主に喜ばれる良い実が結ばれていったのでしょうか?


その人たちは感謝が習慣化された人たちであると思います。


感謝の習慣化は、自分より もっと苦しんでいる人、また困難な中で生きる隣人に目を向け、その人たちと共に生きようとする姿勢を持ってないと出来ないからです。



つぶやきと不平が習慣化された人は、いつも他人と比べて 妬みや嫉妬心を持っているので、そこから憎しみや つぶやきが始まります。


そこに “感謝” は存在しません。

感謝がないところに 良い実が結ばれないのは当たり前です。


感謝が習慣化された人たちは どのような生活をしているでしょうか?

本文から その生活を知ることが出来ます。




感謝が習慣化された生活




まずは困っている人たちを助けました。


空腹な人に食べ物を与え、渇いた者に飲ませ、裸の者に着る物を与えました。


“自分さえ良ければ” と思うのではなく、他人の苦しみに共感する姿勢があり、手を差し伸べて その人に必要なものを与えました。

このことは主に喜ばれることです。「それは わたしにしたことだ」 と主から言われました。



そして苦しんでいる人を見て、励ましと慰めを与える生活をしていました。

病気の人や牢の中にいる人たちを訪ねて 励まし、慰めを与えました。


精神的に苦しんでいる人たち、肉体的に苦しんでいる人たちは気落ちして絶望的になることが多いです。

その人たちにとって温かい言葉一つが、どれほど力や希望になるか分かりません。


このようなことを いつもやっている人は感謝の心を持っている人です。



そして、いつも誰かのために とりなしをする人たちも 良い実を結んでいます。


時間はいのちです。

ですから誰かのために とりなしをしていることは、その人に自分のいのちの時間を与えていることになります。


愛の心、感謝の心がないと自発的に誰かのために祈ることは出来ないです。



このように、日々の生活のなかで、いつもやっている小さいことが 主に喜ばれ、主に覚えられ、主はそれを良い実として認めて下さるのです。


そして 報いとして御国に導き入れ、永遠のいのちも与えると約束して下さいました。


あまりにも小さいことなので、本人もあまり覚えてないことでも 主はすべて覚えておられ、そして報いて下さいます。


自分たちの普段の生活はどうでしょうか。

何に関心があり、何をやっているでしょうか?


そこに 主に喜ばれる良い実がありますか。
アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2018.11.25
収穫感謝礼拝メッセージ

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