からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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聖日礼拝メッセージ

聖徒の霊的生活とは

テーマは 『 聖徒の霊的生活とは 』 です

【ピリピ3章17ー21節】

兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。

というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。

彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。

けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。

キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

聖徒とは、キリストがご自身の血の代価を払って買い取り、“神の所有とされた人たち” の事です。


聖徒は 天国の国籍を持っている 天国の市民です。

天国の市民として、この地上で生きていくためには、以前とは違う生活が要求されます。


キリストに見習う生活、キリストのための生活、キリスト者として より成熟した生活です。


それらの生活は聖徒の霊的生活ですが、具体的にどのようなことかを 今回は学びます。




キリストに見習う生活




キリストは、神である方が “人間を罪から贖う目的” を持って 人間になられました。

そのために支払った犠牲はすごいものでした。


その犠牲の愛と、十字架の死と復活を信じて救われた人が、今度はキリストに見習う生き方をしなければなりません。


天国の市民になったならば、すでに地上でも それにふさわしく生きるのは当然だと思います。

聖徒にふさわしく生きるために、キリストに見習うべきことは色々ありますが、絶対外せないものがあります。


それは、「 聖、愛、真理 」です。


 聖 について 


【第1テサロニケ4章3ー5節】

神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。あなたがたが不品行を避け、

各自わきまえて、自分のからだを、聖く、また尊く保ち、

神を知らない異邦人のように情欲におぼれず、

【ヘブル12章14節】

すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。


 愛 について 


【第1ヨハネ4章7ー8節】

愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。

愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。

【第1ヨハネ4章16節】

私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。


 真理 について 


【第1テモテ2章4節】

神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。

【第3ヨハネ3ー4節】

兄弟たちがやって来ては、あなたが真理に歩んでいるその真実を証言してくれるので、私は非常に喜んでいます。

私の子どもたちが真理に歩んでいることを聞くことほど、私にとって大きな喜びはありません。

聖徒であっても真理に歩んでいないと、あっという間に真理とは反対の道を歩みます。

そして十字架の敵として歩みます。


すなわち真理を愛さない、信じない、真理に逆らう、真理から耳をそむけることになります。

そして道に迷い、サタンのわなに陥り、惑わされてしまいます。


真理の中を歩むことは、“キリストの中で歩むこと” です。




霊的競走に励む生活




聖徒は天国を目指して歩む人たちです。


オリンピックの陸上競技に出場する選手たちは、どんなに苦しくても日々訓練し、そして試合に出ると決められた道を全力で走ります。


そこには怠ける姿勢も、言い訳も、諦めることもないです。

体の調子が悪くてもやります。

たとえ最下位になっても、ゴールに向かって全力を尽くします。



天国を目指す人がゴールまで辿り着かないならば どうなりますか?


入れないのはもちろんですが、地獄行きになります。

これだけは避けないといけないです。


(人生・いのち は) 1回限りの競走であることを知らないといけないです。


【ピリピ3章12ー14節】

私は、すでに得たのではなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。

兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、

キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。

霊的競走は決して楽ではないです。

様々な邪魔や誘惑もあります。

それでも足を止めて やめてはいけないです。


なぜならば理由があるからです。


【ローマ8章18節】

今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。

先にあるものがあまりにも素晴らしいものですから、それを思いながら競走に励むことです。




霊的戦いの生活




この世には、目に見えない霊的戦いが絶えずあります。


見える世界の裏にある “見えない世界での戦いが より厳しくて激しい” です。


見える世界も見えない世界も造ったのは神です。


暗闇の世界では サタンと悪霊がつねに働き、彼らは悪いことしかしません。


神に敵対し、信じる者の信仰を邪魔して信仰から離れさせ、神から離れさせ、滅ぼすためにいつも働きます。

信じない者はすでにサタンに支配されています。


サタンは、信じる者に対して戦いを挑んでくるので、聖徒はそれに対して霊的戦いをしないといけないです。


【エペソ6章11ー13節】

悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。

私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。

【ヤコブ4章7節】

ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。

【第1ペテロ5章8ー9節】

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。

神は霊的戦いを避けるように、そして逃げるようにとは一度も語ったことがありません。

この戦いは、“立ち向かって勝利” するように命じられています。


イエス様は悪魔に勝利した方です。


悪魔が持つ死の力を打ち破って、復活したことでサタンに勝利しました。



主のことば通りに、神の全能の力と神の武具を着けて、恐れず悪魔に立ち向かうならば必ず勝利します。


聖徒はこのような生活をするように召されていることを自覚して、その生活をしていきましょう。


礼拝に参加するだけで、信仰生活をしていると錯覚しては困ります。

キリストが「しなさい」 と言われたことを していくのが 信仰生活です。


キリストを愛するならば、キリスト中心の生活になります。
(。・ω・)ノ゙


2017.9.24
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主導権は誰が握っているのか

テーマは 『 主導権は誰が握っているのか 』 です

【第1サムエル記17章1-11節】

ペリシテ人は戦いのために軍隊を召集した。彼らはユダのソコに集まり、ソコとアゼカとの間にあるエフェス・ダミムに陣を敷いた。

サウルとイスラエル人は集まって、エラの谷に陣を敷き、ペリシテ人を迎え撃つため、戦いの備えをした。

ペリシテ人は向こう側の山の上に、イスラエル人はこちら側の山の上に、谷を隔てて相対した。

ときに、ペリシテ人の陣営から、ひとりの代表戦士が出て来た。その名はゴリヤテ、ガテの生まれで、その背の高さは六キュビト半。

頭には青銅のかぶとをかぶり、身にはうろことじのよろいを着けていた。よろいの重さは青銅で五千シェケル。

足には青銅のすね当て、背中には青銅の投げ槍。

槍の柄は機織りの巻き棒のようであり、槍の穂先は、鉄で六百シェケル。盾持ちが彼の先を歩いていた。

ゴリヤテは立って、イスラエル人の陣に向かって叫んで言った。「おまえらは、なぜ、並んで出て来たのか。おれはペリシテ人だし、おまえらはサウルの奴隷ではないのか。ひとりを選んで、おれのところによこせ。

おれと勝負して勝ち、おれを打ち殺すなら、おれたちはおまえらの奴隷となる。もし、おれが勝って、そいつを殺せば、おまえらがおれたちの奴隷となり、おれたちに仕えるのだ。」

そのペリシテ人はまた言った。「きょうこそ、イスラエルの陣をなぶってやる。ひとりをよこせ。ひとつ勝負をしよう。」

サウルとイスラエルのすべては、このペリシテ人のことばを聞いたとき、意気消沈し、非常に恐れた。

【第1サムエル記17章16節】

例のペリシテ人は、四十日間、朝早くと夕暮れに出て来て姿を現した。

聖書の中には 数多くの戦いがあり、すべての戦いは 実際にあった戦いでした。


本文は その中の一つの戦いですが、今の時代の私たちにも教える教訓があります。

この戦いはペリシテとイスラエルの戦いでした。


ペリシテには、ゴリヤテという強い戦士がいて、彼の身長は286㎝でした。


ギネスブックに記載された人の中で一番背の高い人はロバート・ワドローという人で272㎝でした。


ゴリヤテはさらに高い身長でした。

身長だけではなく、力も強かったです。


彼のよろいは、57キロほどの重さがありました。

槍の穂先の重さは、6.8キロありました。


このように正確に書かれているのは、実際に起きた戦いだからです。


恐ろしい姿です。

四十日間、朝晩出て来て威嚇するから、サウル王も イスラエルのすべての人々も意気消沈し、非常に恐れていました。


この時、主導権を握っていたのは誰でしょうか?

ゴリヤテです。


ゴリヤテはその力を見せつけながらイスラエルを脅していました。

イスラエル人は恐れて声を出すことも出来ずに絶望していました。

彼らには希望がありませんでした。


この時のイスラエル人の問題は何でしょうか?


力がない事ですか。ゴリヤテのような戦士がいないことですか。

それとも、強力な武器がないことですか。


この中の、どれでもないです。


神と彼らの関係が一番問題でした。


彼らは過去に たくさんの戦いで神が助けて下さったのに、その神をすっかり忘れていました。


ですから神が見えず、力のある1人の人間に みんなおびえていました。


どの戦いも見た目は 人間と人間、国と国の戦いに見えますが、実際は “霊的戦い” です。







戦いを仕掛けて来たペリシテは、悪い力から出ていました。

北朝鮮の場合も悪い力から出ています。

国民を餓死させても戦争の準備しかしないです。


悪の力を活発に働かせていて、それで自分たちの目的を達成しようとする時には悪いものが主導権を握っているように見えます。

相手を恐れていることは、相手が主導権を握っていると思うからです。


連日テレビで、北朝鮮のミサイル発射や これからのことを軍事専門家や評論家などが話していますが、内容を聞くと、北朝鮮が主導権を握っていると彼らも語っていました。


経済制裁を受けても、構わずミサイル発射を続ける北朝鮮の姿には異常さがあります。

手に負えない一匹オオカミのように見えます。


周りの国々を悩ましています。


アメリカも色々なシナリオを持っていますが、戦争のリスクが高すぎるので、すぐに実行出来ないことを北朝鮮も知っているので、やりたい放題の状態です。

金正恩は このゴリヤテのように、世界を相手に威嚇し続けています。


ミサイルを飛ばしても今は誰も止めないですし、核ミサイルもあるので、主導権が北朝鮮の金正恩の手にあるように見えますが、果たしてそうでしょうか?



ゴリヤテの運命を見るならば、先に何があるのかが楽しみでもあります。

四十日間、状況はまったく変わらず、緊張状態が続きました。


そしてイスラエルには敗北感が強くなっていきました。

しかし、1人の人物の登場によって、状況が大きく変わりました。


その人物は、若い青年で 羊飼いであるダビデです。


彼は戦いに参加している兄たちに お父さんの指示で食べ物を届けるために来ました。

そして、その時に初めてゴリヤテを見ました。


彼のせいでイスラエル人の戦士たちが勇気もなく、みんな意気消沈している姿を見ました。

ダビデがゴリヤテを見て最初に発したことばがあります。


【第1サムエル記17章26節】

「このペリシテ人を打って、イスラエルのそしりをすすぐ者には、どうされるのですか。この割礼を受けていないペリシテ人は何者ですか。生ける神の陣をなぶるとは。」

“割礼を受けていない” と彼が話したのは、神の契約の民でない異邦人が、生ける神に戦いを挑んでいるのかと思ったからです。


そしてダビデは決断し、そこにいたサウル王に言いました。


【第1サムエル記17章32節】

「あの男のために、だれも気を落としてはなりません。このしもべが行って、あのペリシテ人と戦いましょう。」

恐れがみじんもない大胆さです。

すると、サウル王は このように言いました。


【第1サムエル記17章33節

「あなたは、あのペリシテ人のところへ行って、あれと戦うことはできない。あなたはまだ若いし、あれは若い時から戦士だったのだから。」

このことばは、サウル王の経験と知識から出たことばでした。


神に頼らない人は、すぐこのように環境や自分の経験、知識に頼ります。

それが正しい判断だと思ってしまいます。


神に頼る人とは考え方が違います。

彼は絶望的な状況の中でも まだ自分の問題に気づいていなかったです。


神から離れた人間は 強い人を恐れ、環境を恐れます。


恐れによって妥協して選ぶ和平と平和は、必ず奴隷的で屈辱的な結末を招きます。


妥協して偽りの平和を得ても、いつかは恐れている者の餌食にされます。


北朝鮮が狙っているのもそれと似ています。

韓国を飲み込むために、アメリカ軍を韓国から撤退させようと色々策略を立てて行動しています。

そのために偽りの平和条約をアメリカと結びたいですね。






本文に戻ると、ダビデは若いし、見た目は ゴリヤテの相手になるような者ではないのに、どこから そのような勇気が出たでしょうか?


彼には信頼する方がいました。


そしてその方がいつも自分とともにいることを知っていました。

彼が信じる神でした。


その神は、戦いに強い “勝利の主” です。


体験した者はわかります。


強い信仰を持っていたダビデは、すでにゴリヤテから主導権を奪っていました。

ダビデはサウル王のことばも気にせず、ゴリヤテに向かって行きました。


ゴリヤテはダビデを見た時、彼をさげすみました。

ダビデが若くて、戦士には見えなかったからです。


子どもに見えたので、ダビデに向かって次のように言いました。


【第1サムエル記17章44節】

「さあ、来い。おまえの肉を空の鳥や野の獣にくれてやろう。」

ダビデは、それに対して このように言いました。


【第1サムエル記17章45、47節】

「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。

この戦いは主の戦いだ。主はお前たちをわれわれの手に渡される。」

結果は 皆さんも知っているように、ダビデが ゴリヤテを殺しました。


ダビデに力があったからではなく、神が彼を助けて下さいました。


神は全地の主で、歴史を動かしておられる方です。

すべての戦いにいつも神の力が働きました。


国々が堕落し、神に逆らう時には 悪い者や悪い国を用いて侵略させ 懲らしめを与えました。


その後、悪い者や悪い国も 自分たちの罪でさばきを受けました。


悪い者は悪いことに用いるために生かしています。

良い人は良いことのために用いるのが神のやり方です。


神はゴリヤテを使って、神から離れたイスラエルの民を懲らしめました。

しかし神に頼っている信仰の人・ダビデを通して、神の力をペリシテ人にもイスラエル人にも見せつけました。


戦争の主導権を握っているのは人間ではなく、主です。


アメリカも 日本も 北朝鮮も 韓国も、神の目には堕落しています。

貪欲、高慢、性的堕落、不道徳、汚れ、腐敗、偶像崇拝、偽り、人権侵害など ひどい状態です。


ノアの洪水が起こる前よりも さらに悪い状態です。


神は人々の目を覚ましたいと願っておられます。


私たちはミサイルばかり見るのではなく、目を開いて目の前の現実をよく見なければなりません。


目があっても見ず、耳があっても聞かないまま生きてきたので、サタンの誘惑や惑わしを受けて堕落した生活をしています。


平和ぼけしているので、その間に悪者たちは戦争の準備に専念し、ミサイルや核を開発して いま世界の平和を壊しています。

しかし決して北朝鮮が主導権を握っているわけではないです。


全地の主が握っています。


周りの国々も、しっかり国を守るための努力と共に、悪から離れ、神が期待することをするならば、神はその国々を助けますが、そうしないならば いつか戦争は起こり、すべてが破壊されてしまいます。


私たちが本当に恐れなければならないのは、核でもミサイルでもなく、“主” です。


【第2歴代誌7章13-14節】


もし、わたしが天を閉ざしたため、雨が降らなくなった場合、また、いなごに命じてこの地を食い尽くさせた場合、また、もし、わたしの民に対して疫病を送った場合、

わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。

このようにするならば状況は変わります。


【第2歴代誌7章19-20節】

しかし、もし、あなたがたがそむいて、あなたがたに授けたわたしのおきてとわたしの命令とを捨て去り、行ってほかの神々に仕え、これを拝むなら、

わたしが彼らに与えた地から、彼らを根こぎにし、わたしがわたしの名のために聖別したこの宮をわたしの前から投げ捨て、これをすべての国々の民の間で、物笑いとし、なぶりものとする。

そむいたままならば、さらに悪いことが起こりますので 自分たちの生き方を見直し、主に立ち返り、助けと守りを祈りましょう。
ヽ(TдT)ノ


2017.9.17
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自分への義務

テーマは 『 自分への義務 』 です

【箴言1章5-6節】

知恵のある者はこれを聞いて理解を深め、悟りのある者は指導を得る。

これは箴言と、比喩と、知恵のある者のことばと、そのなぞとを理解するためである。

自分への義務は 誰かのためではなく、自分自身を守るための義務です。


神への義務、隣人への義務を学びましたが、自分がダメな人間になってしまうなら何も始まらないです。

自分への義務として、必要なことばが箴言にありますので それを紹介します。


自分への義務を果たす人は、“自分を愛する人、自分を大事にする人” です。


自分を大事にしない人は、誰も大事にすることが出来ないです。



自分を愛する人は、知恵のことばを熱心に聞いて 知恵ある人になります。

そして自分を成長させます。


自分への義務は 命令よりも、私たちへの “愛の勧め” です。


自分をないがしろにして、自分の人生をダメにする人も多いです。

失敗する人生も多いです。


そうならないためにも 今回、紹介する箴言のことばを心に刻んで 自分への義務として守るならば、
後悔のない人生を送ることが出来ます。




心を守り、右にも左にもそれない




【箴言4章23節】

力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。

【箴言4章26-27節】

あなたの足の道筋に心を配り、あなたのすべての道を堅く定めよ。

右にも左にもそれてはならない。あなたの足を悪から遠ざけよ。

【箴言25章28節】

自分の心を制することができない人は、城壁のない、打ちこわされた町のようだ。



くちびると舌を守り、言葉の節制と敬虔を目指す




【箴言17章27-28節】

自分のことばを控える者は知識に富む者。心の冷静な人は英知のある者。

愚か者でも、黙っていれば、知恵のある者と思われ、そのくちびるを閉じていれば、悟りのある者と思われる。

【箴言18章6-7節】

愚かな者のくちびるは争いを起こし、その口はむち打つ者を呼び寄せる。

愚かな者の口は自分の滅びとなり、そのくちびるは自分のたましいのわなとなる。

【箴言21章23節】

自分の口と舌とを守る者は、自分自身を守って苦しみに会わない。



感情を押さえて怒りをあらわさない




【箴言14章17節】

短気な者は愚かなことをする。悪をたくらむ者は憎まれる。

【箴言15章1節】

柔らかな答えは憤りを静める。しかし激しいことばは怒りを引き起こす。



心を低くして謙遜になる




【箴言16章18-19節】

高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。

へりくだって貧しい者とともにいるのは、高ぶる者とともにいて、分捕り物を分けるのにまさる。

【箴言18章12節】

人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。



怠惰を捨てる




【箴言6章6節】

なまけ者よ。蟻のところへ行き、そのやり方を見て、知恵を得よ。

【箴言19章15節】

怠惰は人を深い眠りに陥らせ、なまけ者は飢える。

【箴言22章13節】

なまけ者は言う。「獅子が外にいる。私はちまたで殺される」と。

★怠け者は言い訳が多い。




富よりは名声を




【箴言22章1節】

名声は多くの富よりも望ましい。愛顧は銀や金にまさる。

★公義を行い、道徳的な人生を生きて 神と人から認められることは富にまさる。

その人は神から恵みを受ける。


アーメン (・∀・)つ


2017.9.10
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隣人への義務

テーマは 『 隣人への義務 』 です

【マタイの福音書22章39節】

『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』 という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。

先週は、“神への義務” に対して学びました。

今週は、“隣人への義務” に対して学びます。


隣人とは、隣に住んでいる人の事ではなく、自分以外の すべての人であると解釈するのが聖書的です。


『 神への義務 』 が1番優先であり、次に優先になるのが、『 隣人への義務 』 です。

私たちは 『 隣人への義務 』 があることも知らずに生活していますが、主は隣人への義務も 私たちに与えておられます。


どのような義務があるでしょうか?




隣人を愛すること




愛することを 『 義務 』 ではなく、“選択” だと思っていますか?


私たちが “選択” と思っても、神は 隣人への 『 義務 』 として与えました。

隣人を愛することを、一番わかりやすく説明して下さったのは、イエス様でした。


ルカの福音書10章には、“良きサマリヤ人のたとえ” があります。


強盗に襲われて、半殺しにされている人がいました。

その道を、主に仕える祭司、そして レビ人が通りました。

しかし、彼らは 倒れた人を見ると、何もせず反対側を通り過ぎました。


その後、サマリヤ人が通りました。
サマリヤ人は彼を見て、かわいそうに思い、傷の手当てをして彼を運び、介抱して面倒を見てあげました。


このたとえを語った後に、イエス様は 『この三人の中で だれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。 』  と聞きました。


律法の専門家が、「その人に あわれみをかけてやった人です。」と 答えると、主はすぐに 「 あなたも行って 同じようにしなさい。」 と語りました。


同じことをするのが、隣人を愛する人の姿です。


多くの人は 見知らぬ人を助けることに戸惑いを感じ、そして巻き込まれたくないと思って、かかわりを持たないです。

それは正しいことではないです。


もし倒れた人が自分の家族ならば どうしますか?

そのまま通り過ぎることはあり得ないですね。


力を尽くして助けると思います。

今も困っている人を見て、自分のことのように助ける人がたくさんいます。


そこにあるのは隣人を愛する心です。“無関心” ではなく、“関心” があります。


困っている人に 憐れみと慈悲の心で 手を差し伸べるのが 隣人への愛であり、神がするように命じた義務です。


このような言葉もあります。


【箴言14章21節】

自分の隣人をさげすむ人は罪人。貧しい者をあわれむ人は幸いだ。

【箴言14章31節】

寄るべのない者をしいたげる者は自分の造り主をそしり、貧しい者をあわれむ者は造り主を敬う。



隣人を騙してはいけない




【箴言11章1節】

欺きのはかりは主に忌みきらわれる。正しいおもりは主に喜ばれる。

不正な商売行為は、社会の基本秩序を破壊する行為です。

悪徳商人たちは、昔から今に至るまで 不正な方法をたくさん使って 金儲けをしました。


これは隣人の財産を盗む行為でもあります。

律法でも、神は はっきりと このことに対して定めておられます。


【申命記25章13-16節】

あなたは袋に大小異なる重り石を持っていてはならない。

あなたは家に大小異なる枡を持っていてはならない。

あなたは完全に正しい重り石を持ち、完全に正しい枡を持っていなければならない。あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地で、あなたが長く生きるためである。

すべてこのようなことをなし、不正をする者を、あなたの神、主は忌みきらわれる。

日本は商売で不正をする人は少ないと思いますが、不正が当たり前のように行われる国も多いです。

お金のために平気に不正を行います。


神は不正な商売をしようとする者たちに向かって、預言者を通して 次のように警告しました。


【アモス書8章5節】

あなたがたは言っている。「新月の祭りはいつ終わるのか。私たちは穀物を売りたいのだが。安息日はいつ終わるのか。麦を売りに出したいのだが。エパを小さくし、シェケルを重くし、欺きのはかりで欺こう。

隣人から 不当な利益を得るのではなく、むしろ隣人に益をもたらすのが “隣人への義務” です。

商売しない人でも、隣人を騙すことは罪であり、信頼を裏切ることです。




隣人と平和を保ちなさい




【ローマ12章18節】

あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。

平和のために努力するのが 隣人への義務です。


次の箇所に、平和のために努力すべき内容があります。


【ローマ12章17節】

だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が好いと思うことを図りなさい。

【ローマ12章18節】

あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。

このようにして 隣人との間に、平和を保つ義務を果たしていかなければなりません。

“自分に関する限り ” ということばがあるのは、すべての人と平和を保つことが、いつでも可能なわけではないからです。


それは 完全な愛を持っている人もいないですし、人間はまた 弱さをたくさん持っていますし、この世は罪に満ちているからです。


人間同士 争いも本当に多いです。


【ヤコブ4章1節】

何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。

世界でも、戦いが好きで、平和を壊す者たちの働きが とても多いです。

イスラム過激派の無差別な攻撃で 平和が一瞬にして消えます。


近所に わざと嫌がらせをして、人々の日常の平和を壊す人たちもいます。


神はすべての人々が平和の中に生きることを願いますが、人間の欲望が原因で、争い、戦争は絶えず起こっています。


しかし自分に関する限り、すべての人と平和を保つ義務を果たしていかなければなりません。

イエス様は 平和を造った方でした。


【コロサイ1章20節】

その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったのです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。

主は、次のようにも語りました。


【マタイの福音書5章9節】

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。

隣人への非難、悪口、分裂を起こす者は 平和を壊す者です。


平和を保つためには、相手に対して関心、受容、愛が必要です。
(*´ -`) (´- `*)


2017.8.27
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神への義務

テーマは 『 神への義務 』 です

【箴言1章7節】

主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。

創造主である神は すべてのものを、目的をもって創造しました。


例えば 太陽と月を創造した目的は、創世記1章14-18節にあります。


【創世記1章14-18節】

神は仰せられた。「光る物が天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のためにあれ。

また天の大空で光る物となり、地上を照らせ。」そのようになった。

神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼をつかさどらせ、小さいほうの光る物には夜をつかさどらせた。また星を造られた。

神はそれらを天の大空に置き、地上を照らさせ、

また昼と夜とをつかさどり、光とやみとを区別するようにされた。神はそれを見て良しとされた。

太陽も月も 創造の時から今まで、神の目的通りに動いて 神への義務をしっかり果たしています。

1分でも勝手に動いたことがありません。


人間も、神が特別な思いと目的があり造りました。

人間を造る時の神の思いと目的が書いてあるのが創世記1章26-28節です。


【創世記1章26-28節】

神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」

神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。

神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」

そして、別の目的もありました。


【イザヤ書43章7節】

わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。

人間のために人間が造られたのではなく、神ご自身のために造られたのが、“人間” でした。


ですから人間には、神が決めた “神への義務” があります。

他のすべての被造物は、何の問題もなく神への義務を果たしているのに、人間だけが義務を果たさず、逆らって生きるので、他の被造物までも苦しんでいます。


神の存在、自分の存在意味も知らないで生まれて死ぬ人がたくさんいます。


そうならないために、今回は “人間が果たすべき神への義務が何か” を話したいと思います。




神を恐れること




今日の本文である “主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。”


神を恐れることは、奴隷が主人を恐れる時の恐れではなく、神を自分の創造主として認め、その方だけに絶対的に仕える姿勢です。
また神の意志に服従することです。


【ヨブ記28章28節】

こうして、神は人に仰せられた。「見よ。主を恐れること、これが知恵である。悪から離れることは悟りである。」

【詩篇111編10節】

主を恐れることは、知恵の初め。これを行う人はみな、良い明察を得る。主の誉れは永遠に堅く立つ。

頭がよく、何でも知っている人が知恵ある人ではないです。

自分が何のために造られたのかを知らない人は “愚か者” です。


聖書はそれを知らない人は、悟りを得ていない人と言います。


【詩篇49編20節】

人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅びうせる獣に等しい。

この人たちは神の存在も知らないですし、神への恐れもなく、神への義務も知りません。

しかし悟りがあって、神への義務も知っている人は、神への恐れがあります。


ダビデは、自分のことも神の存在も知りました。

ですから告白が違います。


【詩篇57編11節】

神よ。あなたが、天であがめられ、あなたの栄光が、全世界であがめられますように。

神への義務も果たし、神に栄光もささげました。

神は彼を主の心にかなう者だと言われました。




心を尽くして主に拠り頼むこと




【箴言3章5節】

心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。

神は、人間には自由意思を与えましたが、それは何でもして良いという自由ではありません。


最初の人間であったアダムに、そのことを知らせました。

創世記3章15-17節で、アダムにして良いことと、してはならないことを命令しました。


【創世記2章15-17節】

神である主は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。

神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。

しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」

しかしアダムは サタンの誘惑のことばに惑わされて、神を信頼せず、すべてを任せることもせず、自分の悟りに頼りました。

そして神のようになろうとして、神への義務を捨て、神に逆らいました。


その結果、世界に罪と死が入り、神との関係が壊れ、土地が呪われ、エデンの園からも追い出されました。


他の被造物は神へ義務を果たしているのに、人間だけが義務を果たさず違反行為をして堕落してしまいました。

今も 自分の悟り、力、お金、権力、人、偽りの神に頼って生きている人が多いです。


しかし、人間は 心を尽くして主に拠り頼みながら生きていかなければなりません。


それが人間に与えられた神への義務だからです。


神を無視し、他の者に頼って生きることは、神から見た時に 神への侮辱であり、神を軽んじる行為になります。




どこにおいても主を認めること




【箴言3章6節】

あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

このことばは、私たち人生のあらゆる部分において神を認め、神を敬うことを意味します。


神を認めることは 知識として認める意味よりは、主との深い交わりを通して 人格的に主を知ることです。


礼拝の時、危険な時、困った時だけ神を認めるのではなく、いつも神が主権者であることを認めることです。


そうするならば神は私たちを導いて下さいます。

自分の生活すべてにおいて 主を認めることは、“神への義務” です。




財産と収穫の初物で主をあがめること




【箴言3章9節】

あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ。

神を恐れる、認めることを、口先だけでするのではなく、どのように実践するかを具体的に教えた箇所です。


神は自分の倉を満たす前に、まず神の倉を満たすように語りました。

なぜでしょうか?


それは、すべてのものは主が与えた恵みであることを認め、感謝する意味もあります。


アベルのささげものと カインのささげものを神が区別して、アベルのささげ物は受け入れ、カインのものは受け取らなかった理由が、創世記4章3-4節にあります。


【創世記4章3-4節】
ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来たが、

アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最良のものを持って来た。主はアベルとそのささげ物とに目を留められた。

アベルにあって カインには なかったものがありました。


初子、最良のもの、自分自身がカインにはありませんでした。

カインが持って来た作物が何かは分かりませんが、“何本かの人参” だったかも知れません。


あらゆる作物から最高に良いものを選んで持って来たならば、神は受け入れたと思います。

神へのささげものに、真心も恐れもないことが分かります。


日本でも皇室に入るものは、スーパーで安売りするものでしょうか?

それはあり得ないことだと思います。

きっと最高に良いものを入れると思います。


すべてのものを作ったのは 主ですから、所有者も 主に間違いありません。


主のものを主の倉に先に入れず、全部自分のものにしたり、残りのものをささげることは主にふさわしいことでしょうか?


それを簡単にやってしまうのが、人間です。

「神様は、私の困った事情を知っているでしょう」と言いながら、神にはささげず、自分を優先にします。


財産と収穫の初物を神にささげるのは “神への義務”です。


神はその義務を果たす人に、このような祝福を与えると約束しました。


【箴言3章10節】

そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。

神の倉を先に満たす人に 神が約束した祝福です。

ささげないと その祝福を受けることが出来ないです。




主の懲らしめをないがしろにしてはならない




【箴言3章11-12節】

わが子よ。主の懲らしめをないがしろにするな。その叱責をいとうな。

父がかわいがる子をしかるように、主は愛する者をしかる。

主の懲らしめは、主の怒りの現れではなく、“神の愛の現れ” です。


愛する者から汚れや堕落を防ぐため、間違った行動を矯正するために 懲らしめを与える時があります。

その時、神に反抗したり、不従順したりするのではなく、反対にへりくだって 神のことばを聞くのが 神への義務です。


子どもが悪いことをしても 親が何も言わないなら、親の義務をないがしろにしたことになります。

親が子どものために叱るのに、子どもが言うことを聞かない場合は、子どもが親に従う義務を果たしていないです。


私たちは 神が私たちを懲らしめる時、それが神の愛の表現であり、神の恵みの手であることを知って 神に聞き従うことです。


もし ないがしろにするならば、神の愛は 怒りに変わります。

その時は厳しい目に会いますので、気をつけないといけないです。


このように人間は 誰であれ、神に対して行うべき義務があります。


それを行っている人と、行っていない人に対する 神の扱い方は全然違います。


箴言を書いたソロモンは、神への義務を熱心に果たした時もありましたし、堕落した時もありました。

両方を経験したソロモンが、結論として語ったことばがあります。


【伝道者の書12章13-14節】

結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。

神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。

主の再臨を準備する人は、主への義務を 日々果たしていなければなりません。

もう一度点検してみて下さい。
(☆゚∀゚)


2017.8.20
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いのちの水の幻が意味するもの

テーマは 『 いのちの水の幻が意味するもの 』 です

【エゼキエル書47章1-12節】

彼は私を神殿の入口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東のほうへと流れ出ていた。神殿が東に向いていたからである。その水は神殿の南、宮の右側の下から流れ出ていた。

ついで、彼は私を北の門から連れ出し、外を回らせ、東向きの外の門に行かせた。見ると、水は右側から流れ出ていた。

その人は手に測りなわを持って東へ出て行き、一千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、それは足首まであった。

彼がさらに一千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、水はひざに達した。彼がさらに一千キュビトを測り、私を渡らせると、水は腰に達した。

彼がさらに一千キュビトを測ると、渡ることのできない川となった。水かさは増し、泳げるほどの水となり、渡ることのできない川となった。

彼は私に、「人の子よ。あなたはこれを見たか」と言って、私を川の岸に沿って連れ帰った。

私が帰って来て見ると、川の両岸に非常に多くの木があった。

彼は私に言った。「この水は東の地域に流れ、アラバに下り、海に入る。海に注ぎ込むとそこの水は良くなる。

この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入る所では、すべてのものが生きる。

漁師たちはそのほとりに住みつき、エン・ゲディからエン・エグライムまで網を引く場所となる。そこの魚は大海の魚のように種類も数も非常に多くなる。

しかし、その沢と沼とはその水が良くならないで、塩のままで残る。

川のほとり、その両岸には、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる。

神は 預言者・エゼキエルに神殿の幻を見せて下さいました。

その幻は 神殿の敷居から水が流れて、その水が流れるすべての所で、すべてのものが生き返る幻でした。


この幻が何を意味するのかを 今回は学びます。


聖書では水を象徴的な意味として使われることが多いですが、まずは いのちの根源である “神ご自身” を象徴的に表します。


【エレミヤ書17章13節】

イスラエルの望みである主よ。あなたを捨てる者は、みな恥を見ます。「わたしから離れ去る者は、地にその名がしるされる。いのちの水の泉、主を捨てたからだ。」

そして宗教儀式で、汚れをきよめる “聖くする” 意味があります。


旧約聖書では いけにえを水で洗いました。

新約時代では水のバプテスマがあり、古い人をきよめ、新しい人に生まれ変わる意味として水が使われました。


そして “聖霊” を象徴する意味で水が使われました。


【ヨハネの福音書7章38節】

わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」

これらのことを参考にした時に、エゼキエルが見た幻の水は何を意味すると思いますか?

イエス・キリストによる “福音” を意味します。


福音は、いのちの泉である神から始まり、そしてキリストの血による きよめ、水のバプテスマ、そしてキリストが私たちに聖霊を注ぐことで、古い人が新しい人に生まれ変わるという内容です。


罪によって、霊が死んでしまった人が福音によって命が注がれ、生まれ変わります。


【ローマ6章23節】

罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

幻を通して福音にどのような特徴があるのかを神は見せて下さいました。






福音の源は 神でした。


【エゼキエル書47章1節】

彼は私を神殿の入口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東のほうへと流れ出ていた。神殿が東に向いていたからである。その水は神殿の南、宮の右側の下から流れ出ていた。


【エゼキエル書47章12節】

川のほとり、その両岸には、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる。

人体は70%が水です。

もし水が不足すると 脱水症状が起こり、いのちを落とすことが多いです。


ですから神は必要な雨を降らせます。

雨はどの国でも金を払わずにタダで受けます。

その雨によって人間は必要な水を確保することが出来ます。


そして、人間にはもう一つの水が必要です。


霊のための “いのちの水” です。


この いのちの水も神が用意してあります。

このいのちの水は、神の所に来ないと 絶対に受けることが出来ません。


イエス様は、わたしの所に来る者は いのちを豊かに得ると語って下さいました。

イエス様は いのちの水の泉です。


【ヨハネの福音書7章37-38節】

さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。

わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」

福音は、イエス様が 信じる者にいのちの水を与えることを約束しています。

福音は全世界に広がって行きます。


神殿から流れ出た水は、どんどん流れて行きました。


神はすべての人々が福音を聞いて救われ、いのちを得ることを願っています。






そしてイスラエルから始まった福音は、いま全世界に広がっています。

そしてこの福音は、イエス様が再臨するまで さらに広がっていきます。


【マタイの福音書24章14節】

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。

神はいま幻や夢を通しても イスラム教徒に福音を伝えています。

それによって改宗する人たちも増えています。


日本でも福音を聞きたいならば いつでも聞けます。

聖書や教会、そしてネットでも調べられます。


この良い福音を必ず聞いてほしいです。

そして信じてほしいです。


福音は 豊かな恵みを絶えず流し、変化を起こし、すべてを新しくし、実を豊かに結ばせる生命力があります。


幻で見た時にも いのちの水が流れるすべての所で、すでにあった水が良くなり、生物が生き、非常に多くの魚がいるようになりました。


葉も枯れず、実も耐えることがなく、すべてが良いもの、豊かなものに変わりました。

悪いものが 良いものに、実を結ばなかったものが 豊かに実を結ぶようになりました。


実際に多くの病人が癒されて健康な者になり、悪霊に苦しめられた人たちが そこから解放され、自由になりましたし、希望のなかった者が希望を得て生きるようになりました。



どれほど福音によって良いことが起こったのかを主の弟子・ヨハネは次のように言いました。


【ヨハネの福音書21章25節】

イエスが行われたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。

いのちの泉であり、福音の主人公であるイエス様は、人々の人生を良いものに変えました。

主のことばのように「羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」と言われ通りになりました。


また主の中にとどまる人たちは、さらに豊かに実を結ぶことが出来ます。


【ヨハネの福音書15章5節】

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

無名だった弟子たちが世界を動かす人物に変わっていきました。

他の人たちも多くの良い実を結びました。



福音は “いのちの水” ですから、その水を受ける人には 多くの祝福をもたらしますが、受けない人には祝福がありません。


【エゼキエル書47章11節】

しかし、その沢と沼とはその水が良くならないで、塩のままで残る。

いのちの水が流れて行かない所には、生命がありませんでした。


「聖霊を受けなさい。」と言われても、それを拒否する人たちがいます。

それは いのちの水を拒む行為です。


のどが渇いている人が水を拒むことは死を招く行為になります。
それと同じことです。


【ヨハネの福音書3章36節】

御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。

神の恵みによって与えられる いのちの水を飲んで生きる者になりましょう。


それを拒んで 神の怒りを受けることは本当に愚かなことです。


天国は 神がおられる所で、そこに いのちの水があることが確認されます。

神殿は神の臨在の場所です。


【ヨハネの黙示録7章17節】

なぜなら、御座の正面におられる小羊(キリスト)が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」

【ヨハネの黙示録22章1-2節】

御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、

都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。

福音は 罪によって、その霊が死んだ者をいやし、生き返らせるために神が飲ませるいのちの水ですので、拒まずに飲んで下さい。


自分のためです。
(*・ω・)ノ


2017.8.13
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十字架を負って歩む人

テーマは 『 十字架を負って歩む人 』 です

【ルカの福音書9章23-25節】

イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。

人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。

救世軍の創設者であるウィリアム・ブース牧師は、1921年に21世紀教会に対して心配しました。

今から100年前に何を心配したでしょうか?

六つありました。


1. 聖霊のいない教会

2. キリストのいないキリスト教

3. 生まれ変わりがない救い

4. 悔い改めのない赦し

5. 神のいない政治

6. 地獄のない天国


いま世界を見ると、これらのことばが あり得ない話ではなく、実際そのようになってしまった教会も多いです。


あいまいな教え、十字架のないメッセージ、妥協してしまった真理、罪も悔い改めも天国も地獄も語らず、肯定的思考、哲学、道徳、倫理の教えが流行っています。


どんなに素晴らしい教えであっても、キリスト信仰の本質であるイエス・キリストが抜けているならば、それはキリスト教信仰ではありません。


そして十字架を負わない信徒も 主の弟子にはなれないです。

主の弟子は、日々自分の十字架を負って歩む人です。


イエス・キリストの 人としての人生も、自分を捨て、自分の十字架を負ってまっすぐに歩んだ人生でした。


十字架にかかるために生まれ、十字架を負い、十字架の上で死なれました。

なぜでしょうか。

そこにはキリストとしての使命がありました。


人類を罪から救うため 神が立てた計画は、罪のない神の子キリストが 罪人の代わりに十字架の上で死ぬこと でしたので、最初からその十字架を負うために 地上に遣わされました。


そして神はキリストを死からよみがえらせ、天の御座にあげて、すべてのものがその前にひざをかがめるようにしました。


勝利も いのちも 神の国も 主の弟子として使命を全うした人に与えられるものです。

十字架を負って勝利した主は、私たちにも “主の弟子になるために十字架を負う” ように言われました。


イエス様には イエス様の十字架があるように、救われた者は弟子になって、自分が負うべき十字架を負わなければなりません。


これは とても大切なことですが、十字架を語らない教会、十字架を負わせない教会、十字架を負わない信徒たちが多いです。

教会の責任もあり、信徒の責任もあります。


出来るだけ多くの人々を集めることが目標である教会は、信徒たちを まるで “お客様” のように扱います。


お客様を大事にして、お客様が欲しいものを備え、お客様を喜ばせるために色々なイベントを催します。


「楽しんで下さい。何もしなくて良いです。ゆっくりして下さい。」と言います。

負担になる話もしないですし、奉仕もさせないです。気楽に参加して気楽に帰れるように配慮します。


それで人が集まると、教会がリバイバルしたと喜びます。


それが、主の求める弟子の姿であり、リバイバルでしょうか?

弟子はなく、お客さんだらけの教会が、“主の教会” でしょうか?


聖書を読んでみても、そのように教えた箇所は一つもありません。






信じることも、主の所に来ることも 難しいことではありません。


しかし主について行きたいと願うならば、話は違います。


その道は 主が言われるようにしないと、ついて行けない道です。


ですから そのようにしていない人は、弟子ではなく “お客さん” です。

本人がそれに甘んじています。


天国は お客さんを招待する所ではなく、主に従ってきた人が勝利者として入る所です。


私たちは騙されてはいけないです。

広い道を お客さんとして楽に歩いた人に、天国は保証されていないです。


キリストは「楽な道を 楽に歩くのではなく、険しい道を 十字架を負って歩きなさい。」と言われました。


その道を主も歩きました。

ついて行く人に他の道はありません。

キリストは、弟子になる者に 主について来たいならば こうしなさいと言われました。



「自分を捨て」と言われました。

十字架を負って 主に従うための一歩が、自分を捨てることでした。


自分を捨てることは、自我を捨てることです。

人間が最後まで捨てずに固執しているのは “自我” です。


思考、意志、やり方、性格、行動、計画など自分が優先、自分が主人であるという自意識です。


これを否定することが「自分を捨てる」ことですが、自我はなかなか素直に従いません。

神のことばに一番反抗するのも、この自我です。


自我を捨てず、死ぬまで主の働きをすることは出来ます。

しかし、その人の内面は信じる前と何も変わっていないです。
見た目は 信じる人に見えても、その人自身は変わっていないです。


弟子のように見えて、弟子ではないです。


自我を捨てなかったなら、人間は変わることも、十字架の道も歩けないです。


イエス様が神でありながら、人間になって十字架の道を歩けたのは自我を完全に捨てたので可能でした。


【ピリピ2章6-8節】

キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、

ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、

自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。

自分を捨てない人が、イエス様を 自分の主人にすることが出来るでしょうか。


私たちが自分を捨てることは、自分の主人を変えることであり、主のことばに従って日々聖なる者に変わっていくことです。


最近 中国で大規模な軍事パレードがありました。

内モンゴル自治区でも 北京でも1万2千人の軍人が参加しました。


内モンゴルでの習近平国家主席の演説だと思いますが、軍人たちに向けて「共産党のために永遠に仕え、命をささげるように」というようなことを語りました。

中国には230万人の軍人がいます。


彼らは共産党にために、国のためにいのちを捨てると思います。

その思いがないと、最初から軍人にはならないと思います。


その演説のことばや軍人たちの姿を見て、あることを ずっと考えていました。

「私はどうなのか ――」と。


共産党のために若い軍人たちがいのちを懸けているのに、私は主のためにいのちを懸けているのかと。


皆さんはどうでしょうか?主のために何が出来ますか?

なかなか答えられないと思います。


なぜなら主のために何が出来るかよりは、“主が 私のために何をしてくれるのか” に もっと関心があるからです。


これは弟子の姿ではなく、お客さんの姿です。


お客さんは自分を満足させてくれることだけを期待します。

しかし弟子は、主を満足させることだけを考えます。


軍人であるならば、命をかけて国のために戦います。

誰かが自分のために戦ってくれることを期待しません。

自分が誰かのために戦います。


それが、彼らが負っている使命の十字架です。


築地市場の火災現場では、消防士たちが一生懸命に消火活動をしていました。

建物の中が激しく燃えているのに、ある消防士が「中に入りましょう。」と声を出しました。


その後、消防士は火の中に入って行きました。

それが、彼らが負っている使命の十字架です。


軍人にふさわしく、消防士にふさわしくなり、その働きをするのが彼らの使命であり、彼らはそのために全力を尽くします。


主について行きたい人も、それにふさわしい者にならないといけないです。


弟子にふさわしい者になるためには 自分を捨て、弟子としての使命の十字架を負わなければなりません。


パウロは主について行く者になりました。

それをこのように表現しました。


【第1コリント9章23-27節】

私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。

競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。

また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。

ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。

私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。

彼はキリストにあって全く新しい者になり、きよくなり、数々の苦難と迫害の中で、自分の十字架を負って弟子の姿になり、勝利者になりました。


【第1テモテ6章14節】

私たちの主イエス・キリストの現れの時まで、あなたは命令を守り、傷のない、非難されるところのない者でありなさい。

このように言われてありますが、自分を捨てず、十字架を負わず、死ぬまで お客さんとして満足していますか?

それとも主のことば通りについて歩きますか?


いのちも勝利も救いも最後まで主について行くものが手にすることが出来ます。


十字架を負った者が勝利の主と喜ぶことが出来ます。
v( ̄∇ ̄)v


2017.8.6
聖日礼拝メッセージ

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信仰によって大胆に生きる人々

テーマは 『 信仰によって大胆に生きる人々 』 です

【ヘブル10章32-39節】

あなたがたは、光に照らされて後、苦難に会いながら激しい戦いに耐えた初めのころを、思い起こしなさい。

人々の目の前で、そしりと苦しみとを受けた者もあれば、このようなめにあった人々の仲間になった者もありました。

あなたがたは、捕えられている人々を思いやり、また、もっとすぐれた、いつまでも残る財産を持っていることを知っていたので、自分の財産が奪われても、喜んで忍びました。

ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。

あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。

「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。

わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」

私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。

最近、感動的な映像を観ました。


モスルで イラク軍とISの激しい戦闘がある最中に、IS側の地域で 死んだお母さんのそばで座って泣いている6歳のイラク人の女の子を見つけた、デビット・ユベンクというクリスチャンの人が 命を懸けて爆弾が落ちる地域に走って行き、その女の子を救出しました。


彼にも小さい子どもがいますが、死を覚悟して、救出に向かったと言いました。

彼は 英雄と呼ばれることに対して、自分は決して英雄ではなく、すべきことをしたと言われました。


“隣人を愛しなさい” ということばを実行したと思います。

実際いま、中東では、自分のいのちを懸けて福音を伝える多くのクリスチャンたちがいますし、良き働きをしているクリスチャンたちも多いです。


中東のほとんどの国は、イスラム教の世界なので、そこには数少ないクリスチャンがいて激しい迫害を実際受けている人々もいますので、まさに苦難の火の中で信仰を守っているような状態です。

その彼らが、どれほど大胆な信仰をもっているのかを色々と聞きました。


今日の本文でも、激しい苦難の中で戦いながら信仰を守っている人たちがいたことを語っています。


どの時代にも、クリスチャンに対する迫害はありました。

その中で大胆な信仰をもって殉教した多くのクリスチャンたちがいました。


しかし信仰の自由があり、苦難も迫害もないのに、意外と弱々しく不安と恐れの中にいるクリスチャンが多いです。

祝福があるのに、将来に対する恐れ、苦難と迫害に対する恐れがあります。


激しい迫害と苦難があっても、恐れもなく 大胆に生きるクリスチャンがいるのになぜでしょうか。


以前、シリアでもイスラム教徒によって破壊された教会の前で、牧師が大胆にも「壊れたこの教会から離れず、ここでまた礼拝をささげる」と言いました。

恐れはないと言いました。殉教も覚悟しているように見えました。


そのようにシリアやイラク、他の国々でも苦難と迫害の中にいるクリスチャンたちは あまり恐れず、その中で生きていました。


目の前でISの人々や他のイスラム教徒がクリスチャンたちを十字架につけたり、首をはねたりと残虐な行為を繰り返しても、彼らは信仰を守りながら大胆に彼らの中で生活しています。


どうして そのようなことが出来るでしょうか?


彼らは未来だけを見るのではなく、今日という日を熱心に生きています。







アメリカで発行された 「Standing in the fire」 という本の著者が話した内容も少し話します。


西洋の教会では 恐れながら生きている人が多いのに、なぜシリアなど迫害を受けている教会では そういうことがないのかを調べました。


恐れがある主な理由は、“信じる者たちがこの世のTVや放送局で流れるニュースばかり聞きながら考えるからだ” と言いました。


毎日ニュースはテロ、事件、事故、災害など衝撃的なものがほとんどです。

テレビの前で座りながら、それらのニュースの爆弾を受けています。


否定的な知らせ、ムスリム世界のことばかりを聞くと、心に不安と恐れが生じます。

そうすると、だんだんと信仰も弱くなり、恐れ退いていきます。


しかし、信徒たちは恐れ退いてはならないです。


中東の信徒たちは、ムスリム背景から出て来ましたが、そのようには生きていないです。



「使徒の働き」 を読んでみると、聖霊を受ける前の弟子たちも恐れおののいて 隠れていましたが、聖霊を受けた後は 聖霊と力に満たされ、迫害の中でも、大胆に福音を伝えました。


恐れが何もない所に住んでいるクリスチャンが恐れているのに、大きな危険の中に生きているクリスチャンは、それとは反対に 非常に大胆です。


中東にいるクリスチャンに出会って驚いたことは、彼らに恐れがなかったことだと言われました。

彼らは戦争が早く終わるように、迫害が止まるように祈ってはいないそうです。


かえって自分たちが いま経験している すべてのことを通して学ばせて下さいと祈っています。


試練から学び、大胆に苦難を受け、主のために喜んで いのちをささげることが出来るように祈っています。


自分の祝福ばかり祈っているクリスチャンとは 全く違う姿です。


彼らは 神を求めていますが、自由の国のクリスチャンは 祝福を求めます。


信仰よりも自分の生活が守られるように祈っています。

ですから試練に弱く、大胆な信仰も足りないのです。






ニジェールは、世界でも貧しい国の下から二番目のアフリカにある国ですが、そこもイスラム教が多く、教会に対する迫害が強い国です。


そこで20年間宣教している宣教師の報告でも、パリで2015年に起きた新聞社テロの影響を受けて ニジェールでも教会が次々とイスラム教徒らに襲撃されて教会が放火されたり、壊されたりしました。


信徒たちもいやがらせを受けたりしたので、別の所に移った人もいましたが、しばらくすると信徒たちが教会に戻って来ました。

教会が燃えて椅子一つ残されていないので、自分たちの家から椅子を持って来て礼拝しました。


またいつ襲われるか分からないので、死を覚悟して信仰生活をしています。

その国は、ボコハラムというイスラム過激派が活動している危険な所です。

彼らはナイジェリアでも、4千人のキリスト教徒を殺害しました。



しかし、そのような苦難と迫害の中でも 大胆に信仰をもって生きる人々がいるので、私たちは彼らから学ぶ必要があります。


大胆な信仰はどこから来たのでしょうか?


神のことばに耳を傾けることです。


信仰は キリストのことばを聞いて始まりますし、信仰によって生きることも神のことばによります。


迫害の中で生きる人たちは、いつも神のことばを優先に聞きました。

神のことばで力を受け、神と永遠の世界を知り、真の希望と誰に頼って生きるべきかを学びました。


彼らの世界観は神のことばから来ました。

この世のニュースばかり聞いて、それで判断し、右往左往するならば、信仰によって生きる人ではなく、世に頼って、世の価値観で生きる者になります。


ですから 大胆な信仰のためには、世の騒音を消して、神のことばを聞かなければなりません。



祈祷院で1週間 神に向き合って、ニュースをいっさい聞かなかった時に、本当に心が平安になり、聖霊に満たされました。


山から下りると騒がしいニュースばかりで、心が乱された経験がありました。


今、戦闘地域に住んでいる人たちは 自爆テロや爆弾が落ちたりすると、そこに家族が巻き込まれているかも知れないという不安と恐れを持って、すぐニュースに耳を傾けますが、そこにいるクリスチャンたちは ニュースよりもまず ひざまずいて、「神は真実な神です。神はあわれみ深い方です。神は御民を守って下さる方です。大丈夫だと信じます。」 と祈った後に、詳しいことを調べるらしいです。


しかし自由の世界にいる多くのクリスチャンは 心配と恐れで、まずニュースを聞き、後になって祈ります。


世のすべてのことは、まず信仰の目で見て神に祈ることが優先です。


恐れの目で見てはいけないです。

大胆な信仰によって生きている人は 絶望的な時に、必ず祈ります。

その時、必死に神を求めます。


彼らは、「神に信頼する者は決して失望させられることはない」 ということばを信じています。

そして苦難に耐える時は、神から受ける大きな報いを信じています。


苦難もなく、肉を喜ばせるものが多い所に住む人は、世を愛して いつまでもこの世が続いてほしいと思いますが、苦難や迫害、様々な困難が多い所では、この世よりは天の御国へ行きたい思いが強くなるので、この世のことで くよくよ悩んだり、未来のことで心配ばかりすることはしないです。

その分、恐れも少なくなります。


迫害があり、戦闘がある所では 明日が問題ではなく、今日生きるか死ぬかが問題です。

ですから、“今日” と言う日を神に頼って精いっぱい生きます。


「今日、信仰によって生きないと天国に行けないかも知れない」 という思いで生きています。


ソファーに座ってテレビを観ながら未来に対して不安と恐れを感じて生きるクリスチャンと、必死に祈りながら今日生きている人は、どちらが大胆に生きる人でしょうか?


昔から大胆な信仰を持って生きた人たちは、信仰の戦いが強い時代に生きた人々でした。

今も変わりません。






アメリカで高齢者たちに、「今、後悔していることは何か」 のアンケートを取りました。

結果、「挑戦しなかったことを一番後悔している」 という回答でした。


安全な道、楽な道ばかり求めて生きた結果だと思います。

そして新しいことへの不安と恐れがあるので、挑戦を諦めたと思います。


信仰の道は楽な道ではないです。

その道は せまく険しいと主が語りました。


自分がしたいこと全部しながら歩める道ではないです。

反対に神の声に聞き従いながら歩む道です。


悪の力と戦いながら歩む道です。


しかし、信仰の道を走り終えると 大きな報い、永遠のいのちが得られる素晴らしい道でもあります。


これからの時代は、信仰を守るのが難しくなる時代になると聖書でも預言しました。


大胆な信仰がないと、信仰で生きることが出来ない時代になります。

いま小さい試練の中で訓練して下さい。


忍耐すること、大胆になることを――。
( ̄‥ ̄)=3


2017.7.30
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もし愛がないならば

テーマは 『 もし愛がないならば 』 です

【第1コリント13章1-3節】

たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。

また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。

また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。

今日のことばは、心にしっかりと止めないと 後に大変なことになります。


愛がすべてのいのちの源で、愛があれば価値があり、命があるのに、愛がないなら いのちも価値もないことを教えています。


みことばを知って本気にしていましたか?
それとも、今まで頭に入れただけでしたか?


この愛の価値と重要性は すでにイエス様から聞いています。


【マタイの福音書22章36-40節】

「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」

そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

これがたいせつな第一の戒めです。

『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。

律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」

このように、“大切な愛” に対して、人々は軽く考えますが、主は決して愛を軽く考えたことがありません。


いつか私たちは、主の前に立って、主から裁きを受けます。


その時、神の裁きの基準も、“私たちが神を愛したのか、隣人を愛したのか” が一番の裁きの対象になります。


そこで人々は戸惑うでしょう。

愛が裁きの対象になるとは考えなかったからです。


この世では そういうものが裁きの対象には全くならないです。


しかし神は 人の心を見る方です。

行動の内側にある目的や動機に目を向ける方です。

そして、しっかりと調べる方です。






もし、私たちが熱心に主の働きをしても、そこに愛がないならば どうなりますか。


“異言、預言、知識、完全な信仰” などは、聖霊の賜物であり、“善行、献身” などは それによって現れた実でもあります。


神が下さった素晴らしい賜物で、良い実を結ぶことは主が喜ぶことです。


主が喜ぶことをしたにも関わらず、ある人々の働きは評価されません。

その理由として挙げられたのが「愛」でした。


本文にもあるように、その人の中に愛がないならば、何の値うちもないものと評価されます。


聖徒は神の働きをすれば、当然良い報いを受けるものだと期待しますが、神は みんなが同じ報いを受けることはないと教えました。


反対に厳しい目に会う者もいることを語りました。


【マタイの福音書7章22-23節】

その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』

しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』

大いに期待した者たちが報われることもなく、悲惨なことに追い出されることになりました。

どのような理由で追い出されたと思いますか?


彼らに愛がなかったからです。


彼らは最初から愛がなかった者でしたか?
―― そうではないです。

彼らはみな、神を愛して神に従いました。


しかし、主の働きをしていく中で、彼らの愛が変わっていきました。

最初は主を愛し、魂を愛して一生懸命働きました。


しかし働きが続く中で、教会が大きくなるにつれて、彼らの愛が変わってしまいました。

そして心が主から離れるようになりました。


彼らは、教会や働き、自分自身をもっと愛する者になりました。

また ある者は富、ある者は世のもの、ある者は権力、ある者は快楽 を愛するようになりました。


表の働きには変化はありません。

しかし彼らは主への初めの愛から離れてしまいました。






エペソ教会に語った主のことばで確認することが出来ます。

エペソ教会は立派な働きをした教会でした。


信徒たちも熱心で、奇跡や賜物、みことばへの理解、霊的戦いなど すべてが揃った教会でした。


自分たちには 何の問題もないと思っていました。

しかし意外なことで主から非難されました。


【ヨハネの黙示録2章4-5節】

しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。

それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。

恐ろしいことばです。


燭台を取り外すことは、“教会を消す” という意味です。

なぜ、そこまですると思いますか?


教会はキリストの十字架の犠牲の愛によって出来た “愛の共同体” であり、神の愛を伝え、愛を実践する所なので、その力を失ったならば存在する目的がないからです。


なぜ、よく働いたクリスチャンたち、牧師たちの中で地獄に行く者がいますか?


彼らも最初は主を愛する者でした。

愛によって良い働きをしました。


しかし、途中から 彼らの愛が変わってしまいました。

イエス様よりも違うものをもっと愛する者になりました。


そして、死ぬまで それを愛し、悔い改めなかったので、彼らは地獄に行きました。

あり得ないことだと思ってはいけないです。



イエス様を一度裏切ったペテロに、再び使命を与える時に イエス様は何を彼に確認したでしょうか。

ヨハネの福音書21章15-18節 のことばの中にあります。


三度も主が彼に確認したことは、「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」でした。


主を一番に愛する心があるかどうかを確認しました。

主を一番に愛さず、働きをするならば、そこには別の目的があり、その人は結局 その目的のために働いたことになります。


ですからその働きは、主の働きにはならないので、主はそれを認めず、彼らは主とは関係のない働きをした者になります。


いま誰を一番愛していますか?

主ですか?
それとも、違うものですか ――。


この教会でも、主を愛さなくなった人たちがいます。

教会からも遠ざかりました。今、どこに向かっているでしょうか。


主を愛して奉仕をしていますか。

それとも別の目的があってやっていますか?


自分の心を点検してみて下さい。

あとで嘆くことがないように、初めの愛に戻るために悔い改めましょう。


役に立たないしもべにならないように、愛によって働きをする者になりましょう。
(・∀・)


2017.7.23
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信仰の人・ヒゼキヤ王の生き方

テーマは 『 信仰の人・ヒゼキヤ王の生き方 』 です

【第2歴代誌31章20-21節】

ヒゼキヤはユダ全国にこのように行い、その神、主の目の前に、良いこと、正しいこと、誠実なことを行った。

彼は、彼が始めたすべてのわざにおいて、すなわち、神の宮の奉仕、律法、命令において神に求め、心を尽くして行い、その目的を果たした。

数少ない良い王として記録されたヒゼキヤ王の生き方は、神が喜んだ生き方でした。


間違えた生き方をすると 失敗の人生になりますが、神が喜ぶ生き方をすると、勝利の人生になります。


神に喜ばれる生き方をした ヒゼキヤ王の生き方を、今日は学びます。





主の目の前を歩んだ生き方




すなわち、常に “主を意識した生き方” でした。

これが 主と共に歩む人生です。


口先だけで 『主よ。主よ』 と言う人は、この生き方は出来ないです。


自分の思いのままに生きる人は、主の存在を重たく感じるので、出来るだけ神を避けて1人で歩むことを好みます。


しかし 主を愛する人、信仰ある人は、神から離れて生きることは考えられないので、いつも主に近付き、主と共に人生を歩みます。


そして 主の御心を求め、主の御心を行うことを喜びとします。

『良いこと、正しいこと、誠実なこと』 は、主が喜ぶことです。


【ピリピ4章8節】

最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。

これらのことが主に喜ばれることだから心に留めなさい、と言われました。

ヒゼキヤ王も、これらのものを心に留めて生きましたので、それが神によって評価されました。


自分たちの人生の評価は、自分でも他人でもなく、神がなさいます。


高い点数を受けるのは、神のみこころを行う人であることは間違いないです。




神の国とその義とをまず第一に求める生き方




王としての第一の仕事は、神の仕事だと思いながら生きました。


多くのクリスチャンは、それは無理だと思いながら、世の仕事を第一にします。

そのために神の働きをないがしろにしながらも、何とも思いません。


王の仕事はたくさんあります。

国の最高統治者なので、責任も重く、毎日決定しなければならない重要な課題もたくさんあります。


しかし彼は、それもないがしろにすることなく良い統治者として国民からも愛され、国も繁栄しました。


第一にすることは 量の問題よりも、“質の問題” です。

何に重点を置くかです。


何かと理由をつけて、神の命令と働きを ないがしろにしないことです。


なぜなら神が私たちを造り、私たちを闇の中から、呪いと滅びから救い出した目的があるからです。


【エペソ2章10節】

私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。

ここでいう良い行いの一番は、『神の国とその義とを第一に求めること』 です。


これこそが神の秩序です。

その秩序に従って生きる人の人生が狂うことはありません。




目的を果たすまで怠けず 忠実に生きる生き方




良い計画を始める人は多いです。

高い目標を立てる人も多いです。

勢いよく始める人も多いです。


しかし目標を達成するまで続ける人は少ないです。


目的を達成するまで続けることは、その働きを任せた神を喜ばせたい心が強いから出来ることです。


自分を喜ばせる人は、自分の感情に忠実です。
自分の心に従います。


しかし神に従う人は、どんな困難があっても神を求めながら、神を喜ばせるために励みます。


パウロ自身も このような生き方をしました。


【ピリピ3章13-14節】

兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、

キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。

そして、それを また他の聖徒たちに勧めました。


【ピリピ3章15節】

ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。

目的を達成するまで、忍耐しがら忠実に働くことは、働きを任せて下さった方を喜ばせることです。

それによって良い実を見ることが出来ます。


葉っぱばかりで 実りがない木が呪われたように、実のない人生は失敗した人生です。


『怠けた悪いしもべだ』 という評価を主から受けますが、実りが多いしもべは 『良い忠実なしもべだ』 と、高い評価を受けます。


皆さんは今、どのような生き方をしていますか?


今の生き方で 神から良い評価を得る自信がありますか。


それとも、いつか後悔する生き方をしていますか。
Σ(=゚ω゚=;)


2017.7.16
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