からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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伝道者の書

時を分別する知恵

テーマは 『 時を分別する知恵 』 です

【伝道者の書3章1-8節】

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。

生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。

殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。

泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。

石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。

捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。

引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。

愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。

この世は、神の摂理と計画の中で動きます。

この時代の先にある神の大いなる計画が 2つあります。


1つは、福音が全世界、民族、種族に宣べ伝えられることです。


【マタイの福音書24章14節】

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。

そしてもう1つは、イスラエルの完全回復です。

これは全世界で起こる大リバイバルですが、すぐには起こらないです。



その前にまず全世界に経済危機が来ます。

経済危機はすでに始まりました。


経済危機と共に様々な混乱、政治的な動揺が同時に起こります。

多くの人々がその罠に陥り、大変苦しくなります。


その中で絶望しないため、つまずかないため、そして苦難の先にあるものに希望を持って生きるためには、“時を分別する知恵” が何よりも必要です。



経済危機は黙示録18章にも預言されてあります。


これから私たちは、コロナウイルス前の時代とはまったく違う時代を体験するようになります。

残念ながら元の時代には戻れないです。


ですから心の準備と、どのような変化が起こるのかを知る知恵が必要です。

どのような時代になるのかを まず予測することが必要です。




国際社会の変化




アジア人に対する嫌悪感と人種差別です。

コロナによって特に被害を受けた人々から敵対心が起こり、人種差別が起こります。


経済危機で倒産する国も出てきます。

経済のグローバル化の後退、自由貿易秩序が後退し、保護主義あるいは管理貿易へと変わります。

グローバル経営環境が大きく変化します。



企業の連鎖倒産、金融危機、輸出も悪化します。

4次産業革命が起こり、デジタル化社会になります。


米中対立がさらに激化し、世界の国々と中国の関係も悪くなります。




働く環境の変化




コロナで多くの会社が在宅勤務に切り替えました。


これから勤務方式が在宅勤務になる人が増えます。

また遠隔操作によって仕事する人、AIを使うことで人員削減が起こります。


これらの変化や経済不況によって低所得時代になります。

失業者も溢れることで暴動が世界中に起こり、治安が悪くなります。


コロナの後の経済不況は歴史の中で一番の不況で長期間続きます。






ですから、それに対して 自分たちも準備をしないといけないです。


コロナウイルスという疫病によって、すべてが変わりました。

この疫病と経済不況はなぜ起こったでしょうか?


人間を謙遜にさせるためです。


人間は地に属することしか関心がなく、物質や快楽を愛し、それに執着し、高慢な態度で多くの罪を犯しながら生きてきました。


自然に対しても悪いことばかりをして来ました。

コロナウイルスによって自分たちが好んでやって来たことが出来なくなりました。


主が無理やり止めた気がします。



人間以外の生き物には感染しませんでした。

自然も人間に反撃して、自ら自然環境を良くさせました。


今まで考えずに生きてきた人間に 考える時間を与えました。

自分たちの人生を振り返る良いチャンスでもあります。


また、低所得になるので、生活の規模も縮小していかないといけないです。

今から縮小していかないといけないです。


今まで通りに生きていると、突然危機的なことに遭った時、耐えられず極端な選択、愚かな選択をする人が出て来ます。




どのような準備が必要か




これからは本当に厳しい時代になるので、どのような準備をしたら良いのかを考えます。


すべての主権者である主に祈ることです。


祈りはどんな危機の時にも私たちを守る強力な力です。



祈らない人はつまずき倒れます。

危機が起こる前から祈ることです。


主は祈りなさいと命じました。


【マタイの福音書26章41節】

誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。


自分の問題だけでなく、世界と民族のため、神のみこころのために祈ることです。

とりなしの祈りを神は期待しています。


神のみこころは、人々が主に立ち返り、救われることです。



神のみこころのために祈るならば、私たちは患難の後に来る大リバイバルを見るだけでなく、それに用いられる者にもなります。


また患難が来る前に 主と1対1の関係、主との健全な関係を築くことです。


現実ばかり見るならば、不安と恐れで精神的に参ってしまいます。


しかし主との関係が良くなると 主を見上げながら生きるので、不安や恐れ、心配から守られます。

そして主の守りと恵みの中にとどまることが出来ます。


患難を乗り越えて “金のような信仰” を持って出てくることが出来ます。




時を分別する知恵




時を分別する知恵があるならば危機管理が出来ます。

起こる前に対処する方法を考えることが出来ます。


予測もしなかったことが起きた時と、予測したことが起きた時では対処が全く違います。


準備することは、予測して事態を迎えることです。

準備した者は余裕があります。

恐れることがないです。


何事にも定まった時があり、すべての営みにも時があります。


主のしもべが時代と時を分別出来ないならば、信徒たちを誤った道に導いて自分も信徒たちも共に倒れてしまいます。


いつでも目を覚まして時を分別する知恵を持ってしっかりと準備をしましょう。
アーメン ( -д-)ノ


2020.5.2
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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最後まで走りぬく

テーマは 『 最後まで走りぬく 』 です

【伝道者の書 3章1-14節】

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。

生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。

殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。

泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。

石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。

捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。

引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。

愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。

働く者は労苦して何の益を得よう。

私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。

私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。

また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。

私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。

私たちが今 生きている人生は平坦ではありません。


「救われていたら、いつも良いことばかり」、「問題なんか起こらない」、「ずっと平安であり、幸せである」わけではないのです。



実際に聖書にはこのように死ぬ、失う、殺す、崩す、投げ捨てる、引き裂く、戦う時があると書かれていて、現に私たちの人生でも これは起こっているのです。

その時々は、苦しいものであり、楽なものではありません。


私達が生まれる時があり、癒やされる時があり、喜ぶときがあり、収穫する時があり、それぞれがその時にかなっているように、これらの困難も時にかなっているのです。






私たちは生きていると、いずれ死にます。

その死ぬタイミングは誰にもわからないのです。


急に事故で亡くなる場合もあれば、病気で徐々に亡くなる場合もあります。


命は神様が握っているものであり、その “時” は神様にしか分かりません。



生きていれば苦しみもありますし、そしていずれは死ぬのです。

その中で私たちがすべきことは何でしょうか?


それは神様が与えてくださった使命に対して 忠実に働き、喜び楽しむことなのです。


また、真理を知り、神様のみことばを かみしめて生きることです。



神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。

神様がなさることは時に私たちは全く理解できない時もあります。

ただ、神様のなさることはすべて時にかなって美しいのです。






例えば、イエス様をこの世に送り、罪人のために身代わりになって死ぬことは普通に考えてありえないことなのです。


ご自分の息子を、罪のない息子を、否定し拒絶し侮辱し痛めつけ 裏切り苦しめる者たちのために わざわざ十字架につけさせるのです。


ペテロもそれが理解できなかったのです。

なぜイエス様が捕まえられて苦しみを受けないといけないのか。


十字架にかけられるその瞬間だけを見ると むごく、ひどい、あり得ないことなのです。



ですが、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」のです。


神様がそのようにイエス様をわざわざ罪人のためにこの世に送り、十字架にかけさせたのは、罪人を救うためであり、解放するためであり、死に打ち勝って勝利をおさめ、栄光を受けるためでありました。


私たちが永遠に神様とともに生きるために、自らを犠牲にして来てくださったのです。



私たちの目には見えないことがたくさんあります。

生きていて理解できないこと、辛くてしんどいことがあるのです。


「何でこんなことが?」「なぜ私ばかりこんなに苦しむの?」
そう思うことがたくさんあります。


それでも、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」と信じる信仰が必要です。


神様にゆだねながら、私たちは今 神様に与えられた使命をしっかり果たすことです。

その中で喜びを得ることなのです。






もう一つ、人生を生きていくための秘訣があるので、みことばを見ていきます。


【へブル12章1-3節】

こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。

忍耐を持って最後まで走りぬくことが大切です。


天の御国に行くその最後まで、信仰のレースを走り抜かないとだめなのです。

途中で信仰のレースをやめることは、神様と一緒に生きないことであり、御国に行かないことであります。


どんなに辛かろうが、私たちは走り抜かないといけないのです。



陸上のレースでも走り切らないと記録は残らないのです。

どんなに有名な選手であったとしても、レースの途中で終わってしまうと、それは意味がないのです。


むしろタイムが遅かったとしても最後まで走り抜いた者に栄冠がいくのです。



最後まで走り抜く方法を神様は ここで語ってくださっています。


―いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けること―信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないこと です。



陸上のレースで大きなかばんを担いでる人、重荷を背負ったまま本番に臨む人を見たことがありますか?

みんな薄く軽いユニフォームを着ているだけで、荷物は何一つ持たずに全力で走っています。


私たちが走り抜くこのレースでは、すべての重荷と罪を捨てて走らないといけません。


重荷を担いだまま、罪を背負ったまま走るのは とても大変であり、走り抜くことは不可能なのです。






何のために自分でその重荷を抱えようとするのですか。

何のために罪を持ったまま生きようとするのですか。


それが私たちを助けてくれるでしょうか。


―― いいえ、そんなことはありません。


私たちは信仰のレースを走り抜くためには、一切の重荷、罪を捨て去らないといけないのです。



そして、それにはもう一つ大切なこと、「イエスから目を離さないこと」です。


イエス様から目を離すこととは、“イエス様以外のものを見ていること” です。

つまりは、イエス様を見上げないといけないのに、人を求める、問題を見る、罪を見る、環境を見ることです。


人を見ている間、問題や自分の罪、環境を見ているということは、つまりはイエス様から目をそらしているということなのです。



一生懸命 人を見て求めると、罠にかかります。

神様よりも人のことを大切に思い始めるのです。


人に愛されること・認められることを先に求めるのです。

問題や環境ばかりを見ても、問題は解決されません。


罪ばかりを見ても、それから免れることはないのです。






私たちが必要なのは、イエス様を見ることです。


イエス様を見、イエス様の生き方・人生を見ることで知恵が与えられ、慰めが与えられ、元気が与えられ、勇気が与えられ、愛が与えられるのです。


イエス様は私たちが通った以上、(今まで)経験した、またこれから経験する試練以上の試練と困難、苦しみ、死をすべて受けた方なのです。

それでも走り抜いたのは、その先にある “栄光・命・復活・喜び” をずっと見ていたからです。



私たちもイエス様を見上げ、イエス様のように “その先にあること” を見るのです。


【へブル12章10-11節】

なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。

すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。

試練は失望に終わることはありません。


人間の目や価値観では すぐに分からなくても、もはや生きている間に分からなかったとしても、耐え忍び、最後まで走り抜くことで、平安の義の実を結ぶのです。



神様の中で強くありましょう。

ますますイエス様を見上げましょう。


注意散漫にならず、イエス様を見上げましょう。

そして、信じ、ゆだねることです。


神様のなさることはすべて時にかなって美しい、ということばをかみしめ、味わっていきましょう。


アーメン (・∀・)

2019.8.25
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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