からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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ヤコブ

試練と祝福

テーマは 『 試練と祝福 』 です

【ヤコブ1章2-4節】

私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。

信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。

その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。


この世は荒波の海に例えることが出来ます。


大きな波がなくても小さな波は絶えずあります。


それは世に生きている人は みんな波を経験しながら生きていることです。

すなわち試練にあったことがない人は一人もいないことです。



ですから試練を避けることは出来ないですが、試練をどう受け留めるかによって態度も変わります。


適当な波と風は船が進む時に有利に働きます。


試練を、祝福と人生を良い方向に進める機会と思う人は試練をむしろ喜んで受け入れます。

そして試練は、その人には得となります。



ある人は試練の中に生き返り、ある人は試練の中で死にます。


聖書の中には試練を祝福と思った人たちの証しが多くあります。

ですから試練を見る目が人とは違っていました。


【詩篇66編10-12節】

神よ。まことに、あなたは私たちを調べ、銀を精錬するように、私たちを練られました。

あなたは私たちを網に引き入れ、私たちの腰に重荷をつけられました。

あなたは人々に、私たちの頭の上を乗り越えさせられました。私たちは、火の中を通り、水の中を通りました。しかし、あなたは豊かな所へ私たちを連れ出されました。


神様を信じても試練は必ずあります。


むしろ信じる者に もっと試練があります。

理由は色々あります。


神様は信じる者を愛し 関心があるので、さらに彼らに多くの祝福を注ぎたいと願っています。


しかしそれを邪魔するものが信じる者にあるので、それを取り除くために試練を与えます。


この場合、試練は精錬所の役割をします。



神様は火の試練を通して、私たちの中にある罪の性質、悪い習慣、不信仰や怠惰さ、弱さを取り除いて、聖なる者、敬虔な者、忠実で謙遜で柔和な者になるようにします。


その試練によく耐え、純金のような信仰になった時に試練は終わりますが、そうでないならば続けて試練と苦難は続きます。


神様から来た試練は霊的成長のためのものですから、試練の時に神様を信頼し、試練と向き合うならば、その試練によって私たちは金よりも尊い信仰を持つようになります。







誰よりも厳しい試練にあった敬虔な人・ヨブは試練の中で悟りました。


【ヨブ記23章10節】

しかし、神は、私の行く道を知っておられる。神は私を調べられる。私は金のように、出て来る。


大変な迫害を通って 最期は殉教した使徒ペテロは試練に直面した信徒たちをこのように励ましました。

試練の中で、試練ではなく “受け取る祝福” を考えるように励ましました。



【第1ペテロ1章6-7節】

そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが、

あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。


【第1ペテロ4章12-13節】

愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、

むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びおどる者となるためです。


【第2テモテ3章12節】

確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。


イスラエルの民が40年間荒野を通った理由を神様はこのように語りました。


【申命記8章2節】

あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。


もし今も自分の人生が荒野のようであるならば、神様は自分の中のある部分を試していることです。


パウロには体の病気があって神様に癒しを祈り求めましたが、神様は癒しませんでした。

その理由は、彼が高ぶらないようにわざと神様はその病気を残しました。


ですからパウロはそれを神の恵みとして喜んで受け止めました。

病気よりも高慢になってたましいが滅びることの方がよほど恐ろしいからです。




人々は何の試練もなく祝福だけを願いますが、祝福の中で信仰を守ることは、試練の中で信仰を守ることより、はるかに難しいです。


祝福だけが続くと 人々は生ぬるくなって、神様からみんな離れていきます。

ですから試練がすべて悪いのではないです。


『苦難は祝福をもたらす近道』とマルティン.ルターが言われたように、試練は私たちに大きな益をもたらすことがあります。


試練の中で自分の悪いところを直すならば、危機が “成熟と祝福” のチャンスになります。



頭で理解出来ない試練にあった時でも、一生懸命それを理解しようとするのではなく、台風の中で雨と風に打たれながらも耐えている木のように忍耐しているならば、その試練も過ぎて行きます。

そして理解できる時が来ます。


信仰の世界は 理解して受け入れるのではなく、理解出来なくても神の主権と統治にすべて従順することです。




試練がある時、試練をどう受けとめるかによって 人生の質が変わります。

自分が通らなければならない道ならば、文句を言わず、逃げず、むしろ喜んで受け入れ、その道を歩むことです。


信仰ある人はどんな試練や絶望の時にも信仰によって立ち上がって生きるので、神様は彼らを義人と言います。



イエス・キリストを信じる人は 試練の時に不信仰になるのではなく、神様に力を求めて、試練に耐えて信仰を守ることです。


そして神のみこころに適う者になろうと自分自身を打ち砕くならば、神様はその人を助け出して下さいます。

そして永遠に神と共に歩む祝福を与えます。


アーメン (。・ω・)ノ゙


2022.6.12
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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言葉をみことばで止めて、みことばを実行する人

テーマは 『 言葉をみことばで止めて、みことばを実行する人 』 です


私たちが生活の中で一番よくしてしまう失敗は何でしょうか?


それは言葉の失敗です。

言葉の失敗によって仕事を失ったり、信用を失うこともあり、人を深く傷つけることができる一番の武器にもなります。


私たちがそのように言葉で一番失敗をしてしまいやすいのは、自分の言葉で深く考えずに思ったことを感情のままに言ってしまうからなのです。


今日はその言葉についてのみことばを見ていきます。


【ヤコブ1章19-27節】

愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。

人の怒りは、神の義を実現するものではありません。

ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。

また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。

みことばを聞いても行わない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。

自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。

ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。

自分は宗教に熱心であると思っても、自分の舌にくつわをかけず、自分の心を欺いているなら、そのような人の宗教はむなしいものです。

父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っているときに世話をし、この世から自分をきよく守ることです。


言葉の失敗は、何もない時にはほとんど起こらないのですが、何か納得がいかないことがあった時、ちょっとイライラした時、人に対して怒りが出てきたときに一番悪い言葉が出てきやすいですし、その言葉で平気に相手を傷つけてしまうのです。


自分では『別にそんな大した言葉じゃないし』と思っていても、聞いている相手からすると鋭い刃物で刺されたような痛みになることもたくさんあります。



私たちは自分の言葉をどうするのか、また怒りが出てきた時、腹が立った時にどうするのかを神様が教えてくださっています。




【19節】 聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいように




一番よくしがちなのは、聞くのは遅く、語るのは早く、怒るのは早い姿です。


つまり、人の話や神様のみことばには耳を傾けず、自分の想いや自分が話したいことは何よりも先にぺらぺらと話し、ちょっとイライラしただけでもすぐ怒ることです。

人に怒ったり、文句を言ったり、愚痴を言ったり。


でもその姿は神様が私たちに求めている姿とは正反対の姿です。




【20節】 人の怒りは、神の義を実現するものではありません




理屈に適っていそうな怒りも含めて、人の怒りは神の義は実現しません。


全く怒ったことがない、という人は一人もいないはずです。

怒りをぶちまける人もいれば、冷静に怒る人もいますが、どんな人であっても怒っている姿は美しい姿ではないですし、見たくない姿です。


私たちでもそのように感じるのであれば、初めからずっときよい神様からの目から見るとどのように感じるのでしょうか?


私たちが怒っている姿や言葉で人々を傷つけている姿、けんかをしている姿、口論している姿、悪口を言っている姿は全くきよい姿ではなく、汚い姿であり、みにくい姿なのです。


どんなことであったとしても、私たちが怒ったところで神様が喜んだり、神様が望むような きよい生活を送ることはできません。



唯一、正しい怒りを持ってきよくあり、神の義を実現する方は、神様ご自身だけなのです。


神様が怒る時は、人々が神様から離れて罪を犯している時であり、人々を憐れんで神様に立ち返ってほしいから、目を覚ましてほしいから怒るのです。

それは愛から出た怒りなのです。


逆に人が怒っている時の理由は何でしょうか?


ほとんどが自分の思い通りにならないから、自分のイライラやうっぷんをぶつけたいから、その人よりも自分の方が大切だから自分のために怒っているのです。


人の怒りの中で正当化できる怒りは残念ながら存在しません。






例えば、ヨナがニネベの町、ニネベの人に対して怒りを持っていました。

それはニネベが神様の前で正しい歩みをせずに罪ばかりを犯していたからです。


そんな罪だらけの町に、神様はヨナを遣わして、預言を与えようとしました。

でもヨナはそれに腹を立てて逃げました。


神様がいろいろな手段でヨナを打って、それでも腹を立てて『死んでしまいたい』とまで言うヨナに語ったのは、神様がニネベの人が罪をたくさん犯していたとしても、それでも助けるチャンスを与えたいと思い、憐れんでおられるということでした。



私たちの目では、罪だらけで汚れたニネベの人たちは滅ぼされて当たり前、罰を受けるべき、ヨナの怒りはもっともだ、と思うかもしれません。


でも、そこには神様がそれ以上の想いを持ち、憐れみと愛を持っており、神様の計画があったのです。


そこを自分の怒りにまかせて行動することは、神様の計画に反することであり、神様のみこころとは真逆のことをすることになるのです。



私たちもここから学ばないといけません。


私たちが『この人腹立つ』『こんなことするんだから、大きな罪だし、私が怒るのももっともだし、正しいことだ』と思ったとしても、それは実は神様のみこころに反することであり、神様の計画、神様の義を実現する姿ではないということです。




正しい怒りを感じた時は神様にまかせる




【ローマ12章16-21節】

互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。

だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。

あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。

愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』

もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。

悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。


私たちがすべきことは、正しい怒りであればそれは神様にまかせて自分では復讐をしないこと、怒りをぶちまけないこと、私たち自身が彼らのせいでかえって逆に罪を犯さないことです。


それとは反対に腹が立つ相手でも、敵であったとしても逆に彼らに善を施すことなのです。




【21節】 すべての汚れやあふれる悪を捨て去ること




怒り、憤り、人に対する悪い思い、のろい、悪口を含めてすべての汚れ、悪を捨て去りましょう。


キリストという新しい衣、義の衣を着る前に、汚い姿、罪の姿、汚れた着物を脱ぎすてることです。

私たちがすべきことは怒りを感じてそれを表したり、言葉にするのではなく、言葉にもなる前に、行動に起こす前にそれを捨て去ることです。




【21節】 心に植えつけられたみことば




すべての汚れや悪、すなわち周りの人への恨みや妬み、嫉妬、欲などすべてを捨て去った上でするのが、みことばの処方箋です。


自分の言葉で解決するのではなく、神様のみことばで解決するのです。

自分の言葉を神様のみことばによって止めるのです。


ここでのポイントは “心に植えつけられたみことば” ということです。


そもそもみことばが植えつけられていないと、発揮しない力なのです。

みことばを普段から自分の心の中に植えつけること。


そのみことばを植えつけていないと、怒り、汚れ、悪が来た時は心がそのまま怒り、汚れ、悪に持っていかれて終わりであり、神の義など実現せず、悪魔が与えた悪い思いでいっぱいになり、罪を犯して終わってしまうのです。


心のガードになるのは、普段からいかに植えつけられたみことばが自分の中で育っているのかが大切なのです。


聞いたみことば、心に植えつけられているみことばをもう一度受け止め、すなおに受け入れることです。




【22節】 『みことばを実行する人』 と 『聞くだけの者』




そもそも元々は旧約聖書、つまりヘブル語では『聞く』と『従う』は二つの言葉ではなく、一つの言葉”Shema”で表されていました。


神様の言葉を『聞く』=『聞いて従う、聞いて行動を起こす』までが当たり前にセットであり、『聞くだけ聞いて 何も行動を起こさない』ことは有り得なかったのです。


それは、聞いていても聞いていない姿、耳が死んでいる姿です。


みことばを聞くからにはそれに反応をすること。

それを実際に実行することがマストです。




【23節】 『鏡』で一瞬眺める人と
【25節】 『自由の律法を一心に見つめて離れない人』




その当時は今よりも鏡はよくあるものではなく、たまに見るものでした。

たまに見ては元々自分の姿がどうであったかを忘れていました。


みことばを聞いていても、実行をしないなら すぐそのことばを忘れてしまう。

たまにみことばを聞いてその瞬間はこうか、と思ってもすぐに忘れて結局は何にも活かさない姿。


私は本当は神様の子どもとしてこのように歩まないといけないんだなとその瞬間は思ってもまたすぐ忘れてしまう。


それらは、神様が私たちに求める姿ではありません。



逆に私たちがなるべき姿は、『自由の律法を一心に見つめて離れない人』です。


『自由の律法』は自由な律法という意味ではなく、『私たちを自由にする律法』であり、これは完全な律法でもあり、『キリストの律法』のことを指します。


みことばを聞くだけではなく蓄えて、キリストを見つめ、みことばを実行する者になることが大切です。


律法だけでは救いは得られないですが、キリストによって救いを得た人はそのキリストの律法を実現する者になっていくことが求められます。


この律法を実現することによって逆に私たちは自由になるのです。






例えば、ある人を許せないとします。

それは実はこの自由の律法に反すること。


『許せない』という想いが、逆に自分を苦しめて自分を縛ることになります。

自分自身が重たい気持ちになり、罪を犯すことになり、その中にいることになるのです。


でもキリストの中でその人を赦す時、私たちは逆に自由になります。

心が解放されます。



キリストの律法を実現することで、私たちは自由になるのです。


また、この自由の律法を行うことによって さらに私たちは神様によって祝福もされるのです。


このキリストの律法についての他の聖書箇所や、イエス様自身が律法について語られている箇所も見ていきましょう。


【ガラテヤ5章14節】

律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という一語をもって全うされるのです。


【ガラテヤ6章2節】

互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。


【ヤコブ2章8節】

もし、ほんとうにあなたがたが、聖書に従って、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という最高の律法を守るなら、あなたがたの行いはりっぱです。


【マタイの福音書5章17-22節】

わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。

まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。

だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。

まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません。

昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。

しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。



【27節】 きよく汚れのない宗教




私たちの信仰生活に大切なのは、神様との関係、人との関係であり、ここでは神様の前でみことばの通りに生きること、つまりはきよく生きることと、困っている人々を助けること、つまりは隣人を気にかけ、愛することです。


そもそも本当は『この人、腹立つ』とかそういう次元で生きるのではなく、神様が私たちに求めているのは そういう悪は捨て去り、心に植えられているみことばを受け止めてきよく生きることであり、それだけではなく周りに困っている人々を助け、愛することを望んでおられます。



言葉での失敗をせず、聞くのには早く、語るのには遅く、怒るのには遅い者となり、すべての悪い者は捨てさり、心に植えつけられているみことばを実行する者、自分をきよく保ち、周りの人を愛する者になっていきましょう!


アーメン (*・ω・)ノ


2021.9.5
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後悔しない人生

テーマは 『 後悔しない人生 』 です

【ヤコブ4章13-17節】

聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をして、もうけよう」と言う人たち。

あなたがたには、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それから消えてしまう霧にすぎません。

むしろ、あなたがたはこう言うべきです。「主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。」

ところがこのとおり、あなたがたはむなしい誇りをもって高ぶっています。そのような高ぶりは、すべて悪いことです。

こういうわけで、なすべき正しいことを知っていながら行わないなら、それはその人の罪です。

2020年は歴史に残る年になりますね。

今まで経験しなかったことを いま世界の人々が同時に経験しているからです。


そしてコロナウイルスによって、人々の考えが色々と変わってきたと思います。

今日の聖書のことばにあることを実際に体験しています。


人間はあす何が起こるか分からないこと、そして人のいのちも消えていく霧に過ぎないことを実感しています。


コロナウイルスによって多くの人々が突然亡くなりました。

体の苦しみだけではなく、不完全燃焼の人生のことで苦しんだ人や後悔しながら亡くなった人もたくさんいると思います。


ですから生きている人間は、今まで通りの生き方ではなく、自分の人生を真剣に考えないといけないです。


何を食べるか、何を飲むか、何を着るかを真剣に考えるのではなく、自分の存在そのものを考えることです。


後悔しない賢い人生のために どのように生きるべきかを考えることです。


みことばは その道を私たちに教えています。




信仰によって生きる




信仰によって生きることは、神のみこころを知り、御心に従って生きることです。


自分が立てた計画に従って生きるのではなく、自分の人生に対する神の計画を知り、それに従うことです。


自分の思い、計画を優先する人は、神のみこころに関心がありません。


そのような人たちが一番後悔する人生を送ります。

一生懸命努力して生きても、神のみこころとは反対の道を歩むので、神の前に評価されることはないです。


砂の上に家を建てた人のようになります。

風を追うような人生です。



神が自分の主人であるならば、自分が主人のようにふるまってはいけないです。

しもべとして主人のみこころを行うことです。




神が与えて下さった使命に忠実に生きる




このような生き方は、聖書に出て来る信仰の人々から学ぶことが出来ます。


【ピリピ2章13-17節】

神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。

すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。

それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、

いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。

たとい私が、あなたがたの信仰の供え物と礼拝とともに、注ぎの供え物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。


試練があっても最後まで主を裏切らず、主に従って生きる姿が忠実な姿です。




互いに愛し合いながら生きる




自分も他人も愛さない人、自分は愛しても他人は愛せない人は不幸な人です。


愛のない心は潤いのない砂漠や荒野のような心です。

いばらとあざみ、とげがあります。



しかし、愛のある心はオアシスのような心です。

そこには喜び、潤い、安らぎがあります。


愛の神である主が共におられます。

その愛は神から来るものです。


【ヨハネの福音書15章12節】

わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。


人生は短いので、愛し合うことに時間を使うことです。

それを憎しみ合いながら生きたならば、後悔のない良い人生だと言えるでしょうか?


神は、愛を知らない人を神の国には入れません。


なぜなら神の国に一番ふさわしくないからです。

その人は神を知らない人だからです。






今までの自分の生き方を変えることは簡単ではないです。

しかし裁きの時に主の前に立つことを考えてみて下さい。


そしてこの世での時間は短いですが、死んでからは永遠の時間が始まります。


暗闇の世界か、光の世界かどちらかに行きます。


【第2コリント5章7-10節】

確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。

私たちはいつも心強いのです。そして、むしろ肉体を離れて、主のみもとにいるほうがよいと思っています。

そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。

なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。

アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚

2020.3.22
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知恵のある者になる

テーマは 『 知恵のある者になる 』 です


2月になり、いつのまにか2019年も一か月以上過ぎました。


そこで振り返ってみてください。

1月はあなたの思った通りになりましたか?


私は反省点がたくさんあります。

特に仕事先とかで「こう言うべきだったのに、いらんことを言ってしまった。」「しゃべらなくても良いのに無駄に一人で話し過ぎた」「言い過ぎた」などなど・・・。


反省することばかりであり、また注意を忘れて失敗を繰り返したりしています。

そのような経験はございませんか。



例えば、次から挙げることに どのくらいあなたは当てはまりますか?


  • さわがしい、無駄口をたたく
  • 曲がったことを言う
  • よく聞かないうちに返事をする
  • 自分の愚かさを言いふらす、吐き出す、食いあさる、繰り返す
  • わきまえがない、何も知らない、思慮がない
  • 悪事が楽しみ、悪から離れることを忌み嫌う
  • むなしいものを追い求める
  • なまけ者
  • 自分の怒りをすぐ現す、怒りやすくて自信が強い、短気、争いを起こす
  • 主に向かって激しく怒る
  • 争いを起こす
  • 母をさげすむ、自分の父の訓戒を侮る
  • 思慮深いことばをさげすむ、英知を喜ばない
  • 自分の意見だけを表す、自分の心に頼るもの

これからの姿は、すべて聖書でいう “愚か者” です。


知恵がない愚か者なんです。


また、どこかで「こんな自分じゃダメだ」「直さないとな」と思っていませんか?


もし、それすらも思っていないのならば 心の姿勢に問題があります。

愚かなまま生きていると、その道は命の道には繋がっていないですし、心にも平安がないです。



一方で、知恵を持ち、賢く生きることができれば、あなたは次のようになります。


  • 安全に住まい、わざわいをおそれることもなく、安らかである
  • たましいが楽しんでいる
  • 悪の道やねじれごとを言う者から救い出される
  • いのちの年と平安が増し加えられる
  • からだを健康にし、骨に元気をつける
  • 恐れがない
  • 休む時、眠りが心地いい
  • 主がおられ、守ってくださる
  • 主から恵みをいただく
  • つまずくことがない
  • 高められ、ほめられる

これらはいずれも聖書で書いてある「知恵のある人」の姿です。






私たちは “なんとなく” 何も考えずに生きるのではなく、もちろん「愚かな者」として生きるべきではなく、知恵のある者として生きなければなりません。


それは自分自身にとっても、周りの人にとっても、神様の目にとっても有益なことであり、望まれることであるからです。


それでは知恵を得て生きるには どうしたら良いのでしょうか。

人間を造られた神様が、一番 人間がどう生きていけば良いかをご存知であります。


例えば、iPhoneを作った人が、一番iPhoneの使い方を知っています。



それと同じように、私たちを造られた方が 一番私たち自身や生き方もご存知なのです。


その神様の御言葉を聞き、また実践することは、私たちが生きるべき方法を知り、人間らしく、神様によって造られた者として生きることです。



神様は、私たちに このようにおっしゃっています。


【ヤコブ1章5節】

あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人はだれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。

神様は私たちに “求めなさい” とおっしゃっています。

私たちは神様に「知恵を与えてください」と願うべきであります。


何か問題にぶつかった時や、それだけではなく、日常生活を生きる私たちは あらゆる瞬間にこの “知恵” を神様に求めるべきなのです。



聖書には、今までで誰よりも一番知恵と知識を持ち、そしてこれからの未来でも彼にまさる者はいない と言われている人物がいます。


それはソロモンです。

ソロモンはダビデの息子であり、王でもありました。


聖書では、どのようにソロモンが知恵を得るようになったかを はっきり記録しています。


それは もちろん神様からでした。


【第1列王記3章3-14節】

ソロモンは主を愛し、父ダビデのおきてに歩んでいたが、ただし、彼は高き所でいけにえをささげ、香をたいていた。

王はいけにえをささげるためにギブオンへ行った。そこは最も重要な高き所であったからである。ソロモンはそこの祭壇の上に一千頭の全勝のいけにえをささげた。

その夜、ギブオンで主は夢のうちにソロモンに現れた。神は仰せられた。「あなたに何を与えようか。願え。」

ソロモンは言った。「あなたは、あなたのしもべ、私の父ダビデに大いなる恵みを施されました。それは、彼が誠実と正義と真心とをもって、あなたの御前を歩んだからです。あなたは、この大いなる恵みを彼のために取っておき、きょう、その王座に着く子を彼にお与えになりました。

わが神、主よ。今、あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし、私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません。

そのうえ、しもべは、あなたの選んだあなたの民の中におります。しかも彼らはあまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど、おびただしい民です。

善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」

この願い事は主の御心にかなった。ソロモンがこのことを願ったからである。

神は彼に仰せられた。『あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、

今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。

また、あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしのおきてと命令を守って、わたしの道を歩むなら、あなたの日を長くしよう。

【第1列王記3章11-12節】

神は彼に仰せられた。『あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、

今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。

この世の誰よりも知恵を持ったソロモンが書いた知恵の書が、“箴言” と “伝道者の書” です。



箴言には、生活や人生を通して、神様から得た知恵について書いてあり、


伝道者の書には、誰よりも富と権力があり、ありとあらゆる楽しみをし尽くした上で、ソロモンが感じたこと、それはすべてを得たとしてもむなしく、結局は神様をおそれること こそが、一番人間にとって大切なことであり、一番すべきことだと伝えている本です。



本日は特にその箴言から「知恵」について見ていきます。




知恵とは?




この知恵とは一体何なのでしょうか?

この「知恵」とは頭の中で知っているだけの「情報」とは異なります。


特に、ヘブライ語での「知恵」は、実際に使われることを前提として、適用(実践)するところまでを含んでおります。


つまりは、「知っているだけ」ではなく、「知っている生活に役立つ知識を実際に取り入れて行うこと」こそが、「知恵」なのです。



例えば、いくらテニスのやり方を本や動画で頭に知識として叩き込んだところで、実際に体を動かして練習を積まない限り、テニスは上達しませんし、それは “知っている” だけで何も使い物にはならないのです。


私たちも「知恵」を知っているだけで、実際に私たちの生活に、その「知恵」を取り入れない限り意味がないものです。



それでは、実際に私たちが生活に取り入れるべき「知恵」の一番土台となるところを見てみましょう。



【箴言1章7節】

主を恐れることは知識の初めである。愚かな者は知恵と訓戒をさげすむ。

【箴言9章10節】

主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。



ここで、知恵と知識は同じようなものとして扱われていますが、まず この知恵を得るために必要なことは「主を恐れること」です。


ここでいう「主を恐れること」とは、「神様は怖い人。ひどくて厳しくて恐怖を感じる。」という意味ではなく、「かしこまる」という意味での「おそれる」です。


つまりは恐怖心からではなく「神様は偉大だな。すごい方だな と、ひれ伏すこと」です。



例えば、子どもであるならば 学校の先生は権威があって、先生の前ではシャキッとしたり、会社で働いている人の場合は、上司や、社長、会長の前では「ちゃんとしよう」と思うことと似ています。


あまり先生や会社の上司などに良いイメージがない方は、あなたが憧れている人や、すごいなと思う方、お偉い人の前ではかしこまって、きちんとしようとなりませんか?

それと似たような感覚でもあります。



また、この「おそれる」という言葉には、「礼拝する」という意味も含まれています。


つまりは神様を知り、関係を築き、偉大な方であると悟り、その方の前でちゃんとしようと思い、また礼拝する事こそが、真の知恵を得る第一歩と言えます。


知恵は神をおそれることから始まり、神様の御言葉を通して知恵は与えられる。

また、聖書にはキリスト自身に知恵がすべて隠されていると書かれてあります。


【コロサイ2章3節】

このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。

知恵を持って生きるということは、キリストを知り、キリストが歩んだように歩むことです。


キリストこそが唯一完全な人間であり、神様であった方です。

このキリストを通して私たちは知恵を得るべきなのです。


また、人にとっての究極の知恵は、私たちが人生で一番大切なもので必要不可欠であり、いのちを与える「イエス様の十字架」を知り、そこにある救いを受け入れることです。



これこそが、人が生きる上で一番大切なものであり、生きるために なくてはないものであります。


この福音を聞き、知り、受け入れ、イエス様とともに生き、イエス様が歩まれたように歩んでいく事こそが一番知恵のある姿なのです。


その究極の知恵を得たうえで、私たちは日々の生活で出会う様々なシーンで必要な知恵を得るべきであります。


箴言やイエス様の姿が描かれている福音書、その他の聖書箇所の様々なところに私たちが日々必要とする「知恵」が書かれてあります。


その聖書を開きながら、自分がどう生きていくべきか、家族の中で、会社の中で、友達の輪の中で、教会の中でどう知恵を持って振る舞うべきかを学び続け、それを実践する事こそが 私たちの日々の目標とすべきではありませんか。



知恵が足りないですか?


―― 神様に求めてください。


逆にあなたは自分自身を 知恵のある者と思っているのですか。


【箴言3章5-8節】

心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。

あなたの行く所どこにおいても、主を求めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

自分を知恵のある者と思うな。主を恐れて、悪から離れよ。

それはあなたのからだを健康にし、あなたの骨に元気をつける。

それは神様が求める姿ではありませんし、真の知恵を持つ者とも言えません。


神様に知恵を求めましょう。



まずは神様を知り、偉大な神様の前でおそれかしこまり、礼拝しましょう。

神様が教えてくれる御言葉を読み、受け止め、生活で実践しましょう。


もし、御言葉を聞いたり読んだりして、たくさん知っていたとしても「実践しない」ならば意味がないのです。



どんなにダイエット方法をたくさん調べて、たくさん知っていたとしても、実際に実践しない限り 痩せないのです。


同じように「知恵」を頭で持っていて、「実践しない」ならば意味がないのです。

本当の意味で知恵を持つということは、知恵を持ち、それを実践するということです。


また実践をして、すぐ元の愚かな姿に戻るのは、せっかく痩せたのに、すぐリバウンドする人と同じです。


あなたは今のそのままの姿で良いですか?


それとも、知恵を聞き、受け入れ、実践し、知恵のある者へと変わっていきたいですか?


今日から知恵を実践し、神様の前で「知恵のある者」として認められるように一緒に変わっていきませんか。
アーメン (・∀・)


2019.2.3
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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試練から勝利へと

テーマは 『 試練から勝利へと 』 です

【ヤコブ1章2節-4節】

私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。

信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。

その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。

【ヤコブ1章12節】

試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。


“試練” と聞くだけで、心が重たくなります。


試練を歓迎する人は一人もいません。

しかし、歓迎しなくても 各自の人生には 必ず試練があります。


人々は試練そのものよりも、自分がその試練に耐えられるかどうかを心配します。



試練に対しての神の教えが、今回の本文にあります。

試練に会った時に、それを喜びなさいと教えた理由は何でしょうか?


試練そのものを見た時には、それは決して良いものではないですが、“あるもの” を活かすことで 試練から勝利を得ることが出来るからです。



その “あるもの” とは、忍耐と希望です。


これは試練から勝利への過程に 必ず必要です。



試練から勝利を得る者もいれば、試練から失敗を刈り取る人もいます。

試練の中で、つぶやきと絶望だけであるならば、人生は失敗で終わってしまいます。


しかし同じ試練の中でも、忍耐と希望で貫く人は 勝利を手に入れることが出来ます。


4人の人物でそれを証明します。

ヨセフ、ダビデ、ヨブ、イエス様です。



4人とも受けた試練は、私たちが受けた試練よりも はるかに辛い試練でした。


【 ヨセフ 】

ヨセフの試練は、兄弟たちに売られて奴隷になったことでした。

それも外国へと売られました。


お父さんに特別に愛され、何一つ不自由のない生活から、一瞬にして奴隷になってしまいました。


【 ダビデ 】

ダビデは、何度も国を敵から救った英雄なのに、サウル王の嫉妬によって いのちが狙われ、何年もさまよいながら逃亡生活を続けていました。


自分の国には隠れる居場所すらありませんでした。


【 ヨブ 】

ヨブは、とても恵まれた人生を送っていましたが、ある日、津波のような大きな試練に会いました。


持っていた財産すべて、子ども10人、しもべたちまでもが 一日のうちに津波に飲み込まれたかのように消えていきました。

そしてヨブ自身も、治らない辛い病気にかかってしまいました。


自分が生まれた日を呪ったほど激しい試練に会いました。


【 イエス様 】

イエス様は恵みを与えた人々から裏切られ、侮辱され、むち打たれ十字架の上で死を遂げました。






この4人は試練の中で潰れたでしょうか?

彼らは潰れるどころか、大きな勝利を得ました。


彼らが受けた試練は、彼らを偉大な人物にし、その人生を通して神の栄光を現し、神のみこころを全うし、信仰の巨匠になり、試練の中にいる人々を 今も励ましています。


特にイエス様は 十字架の上で「完了した」と勝利宣言をしました。

何が 4人をそのように勝利へと導いたでしょうか。



彼らは試練の中で 決して弱音を吐かず、つぶやくこともせず、堕落した生活もせず、主に頼って祈りながら ひたすら忍耐しました。


そして救いの神が必ず試練から救い出して下さるという揺るがない希望を抱いていました。



それが試練を 勝利へと導く強い原動力になりました。

試練の中で勝利した者の告白が聖書には多くありますが、その中にあることばです。



【詩篇118編15-18節】

喜びと救いの声は、正しい者の幕屋のうちにある。主の右の手は力ある働きをする。

主の右の手は高く上げられ、主の右の手は力ある働きをする。

私は死ぬことなく、かえって生き、そして主のみわざを語り告げよう。

主は私をきびしく懲らしめられた。しかし、私を死に渡されなかった。

【詩篇118編21節】

私はあなたに感謝します。あなたが私に答えられ、私の救いとなられたからです。


試練の中にいますか?


救いの神を見上げて、希望をもって忍耐すれば、救いの神の力ある働きによって死ぬことなく、生きて勝利を宣言することが出来ます。

アーメン (*´∇`*)


2019.1.27
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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