からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

八戸ノ里キリスト教会より YouTube公開!

3分バイブルボイス (別ウィンドウで開きます)
毎日3分テレフォンメッセージを配信しておりましたが、いつでも聞き直せるようにYouTubeにも公開致します。
これからもどうぞよろしくお願い致します♪

創世記

善悪の知識の木といのちの木

テーマは 『 善悪の知識の木といのちの木 』 です

【創世記2章9節】

神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木を生えさせた。


エデンの園はパラダイスです。

最高に快適な環境です。


人間を愛した神は、人間に配慮して最高の環境を与えました。

最高に住みやすい場所がエデンの園でした。


しかし そこにずっと住みたいならば、1つの条件がありました。

それは、“園の中央にある善悪の知識の木から取って食べてはならない” ことでした。


【創世記2章16-17節】

神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。

しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」


神は、人間が自分の考えや思いで善悪を判断することを願いませんでした。

善悪の判断は神の領域だからです。


神が善悪の判断をするので、人間の善悪の判断はエデンの園には要らなかったです。


ある人たちは、人間が罪を犯したのは神のせいだと言います。

「善悪の知識の木がなかったならば 罪も死もなかったのに、そんなものをわざわざ作った神が悪い」と言います。


しかし、これはとんでもない言葉です。



罪は、善悪の知識の木によって始まったのではないです。

善悪の知識の木に対する神のことばに、人間が不従順したからです。


善悪の知識の木は、神が人間を試みるためではありませんでした。


人間に与えられた多くの自由の中で、たった1つの禁止命令に従うならば、永遠にパラダイスで神と共に祝福と平安の中で暮らすことが出来ました。



しかし人間は蛇の誘惑を受けて、欲を抑えることが出来ず、結局自分の決断で善悪の知識の木から取って食べました。


神がすでに「それを取って食べると必ず死ぬ」と強調したので、人間はそれを十分知っていながらも従いませんでした。


善悪の知識の木の実を食べたのは、人間の選択でした。

ですから不従順の罪の責任は、神ではなく、人間にあります。






罪を犯した人間を、神はエデンの園から追い出しました。

エデンの園に住む資格を彼らは罪によって失いました。


エデンの園を追い出された人間を待っていたのは、苦労と呪いと死でした。



また、それから人間は 神からではない人間の善悪の知識を土台にして すべてを考えるようになりました。


自分たちで倫理、道徳、宗教などを作りました。

善ならば祝福、悪ならば罰という救いの基準も作りました。


しかし、知らなければならないのは、どんなに善悪の基準を決めて行動しても、そこに無いのは “いのち” です。

何をしても結局 最後は死です。



神が与える命がないならば、どんなに良いことをしても滅びの対象にしかならないです。


良いことに対しても、それは神の基準ではなく、自分の基準だからです。


もしパラダイスに住みたいならば、善悪の知識の木から取って食べてはならないです。

それは今も同じです。


エデンの園には、いのちの木もありました。



命がほしい人は命の木から取って食べなければなりません。
そのいのちとは “イエス・キリストのいのち” です。


それを食べないと命はないです。


【ヨハネの福音書10章28節】

わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。


イエス・キリストは、自分のいのちを与えるためにこの世に来ました。

信じる者たちに、いのちを与えると約束しました。


イエス様のいのちに、人間の善悪の知識が入る余地はないです。

いのちの木には命の実しかならないです。






神は、2つの道が私たちの前にあることを教えました。

死の道といのちの道です。


死の道は、善悪の知識の木の実を食べながら生きる道です。


いのちの道は、神の口から出るいのちのことばによって生きる道です。


【マタイの福音書7章13-14節】

狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。

いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。


神のことばには関心もなく、自分の思いや考えで生きる人がほとんどです。


死に至らせる善悪の知識の木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするものに見えるので取って食べやすいです。

しかし、そこにいのちはありません。



神のみことばは、私たちを命の道に導くことばです。

それに従う時に死の道から離れることが出来ます。


【ヨハネの黙示録2章7節】

耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」』


【ヨハネの黙示録22章14節】

自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都に入れるようになる者は、幸いである。

アーメン v( ̄∇ ̄)v


2021.5.30
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

バベル塔を建てる人々

テーマは 『 バベル塔を建てる人々 』 です

【創世記10章8-10節】

クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の権力者となった。

彼は主のおかげで、力ある猟師になったので、「主のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ」と言われるようになった。

彼の王国の初めは、バベル、エレク、アカデであって、みな、シヌアルの地にあった。

ニムロデは地上で最初の勇士であり、力ある狩人であり、また王でもありました。

その時代においても恵まれた人でした。


しかし主から受けた恵み、力、祝福で、彼は何をしたでしょうか?


彼はバベル塔を建てました。

彼に加担する者も多かったです。


しかし、それは主に喜ばれることではなく、反対に主に逆らう事でした。


それはバベル塔を建てる目的が、主の御心に反することでしたからです。

「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」



神のみこころは「生めよ。増えよ。地に満ちよ。」でした。


神を敬い、神のことば通りに生きることを願っていましたが、人間は自分たちの力に頼って、自分たちの為に 高い塔を建て、自分たちの名をあげ、地の全面に散らされないようにしました。


神の恵みを忘れ、神に不従順し、神のようになろうとしました。

人間の邪悪な心は、ノアの洪水の後でもまったく変わりませんでした。


神は彼らが建てた塔を見て、彼らを散らし、彼らの思い通りにはさせませんでした。



世界は変わっても変わらないのは人間です。

そして人間は、あの時代よりも さらに悪くなりました。


人口も増え、知識も昔とは比べられないほど増してきましたし、科学も驚くほど発展しました。


しかし人間は昔よりも悪くなりました。

人間の高慢と悪は、今もバベル塔を建てるために熱心です。


皆ではなく、ニムロデのように権力、財力、力を持っている一握りの人たちが 自分たちの世界を造ろうとしています。

人々を支配し、神が造った世界と秩序を 自分たちの好みの世界に変えようとしています。



今に始まったことではないですが、コロナによって彼らが望む方向に急速に進むようになりました。


ニムロデのような存在が誰であるのかも明らかにされてきました。

恐ろしいことを企んでいる彼らは神に逆らう者たちですが、サタンには忠実な者たちです。


666の預言も目の前に来ました。

反キリストは すでに働いているかも知れないです。


携挙も世の終末も同時に近づいて来ました。



地上で自分たちの王国を造ろうとする人たちのことを、神はしっかりと見ています。


彼らにあるのは厳しい神のさばきです。

それに加担する者も同じです。


神を恐れ、信仰を守るために目を覚ましていないと、力ある者たちが造る世界で 彼らの支配を受けなければならないし、神からは裁きを受けるようになります。


闇の力に覆われないためには光の主の中に生きていないといけないです。



彼らからの迫害に耐えるには普通の生活や心では出来ないです。


神に身を避け、神の守りをもらう人だけがいのちを得ると思います。


目まぐるしく色んなものが進んでいます。

見逃してはいけないと思います。


目を覚まし時代を悟るためです。


アーメン Σ(゚д゚;)


2021.1.10
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

アドナイ・イルエ ~もう一人のアブラハム~

テーマは 『 アドナイ・イルエ ~もう一人のアブラハム~ 』 です

【創世記22章1-14節】

これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に、「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は、「はい。ここにおります」と答えた。

神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」

翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、ふたりの若い者と息子イサクとをいっしょに連れて行った。彼は全焼のいけにえのためのたきぎを割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ出かけて行った。

三日目に、アブラハムが目を上げると、その場所がはるかかなたに見えた。

それでアブラハムは若い者たちに、「あなたがたは、ろばといっしょに、ここに残っていなさい。私と子どもとはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻って来る」と言った。

アブラハムは全焼のいけにえのためのたきぎを取り、それをその子イサクに負わせ、火と刀とを自分の手に取り、ふたりはいっしょに進んで行った。

イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」すると彼は、「何だ。イサク」と答えた。イサクは尋ねた。「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」

アブラハムは答えた。「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」こうしてふたりはいっしょに歩き続けた。

ふたりは神がアブラハムに告げられた場所に着き、アブラハムはその所に祭壇を築いた。そうしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置いた。

アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした。

そのとき、主の使いが天から彼を呼び、「アブラハム。アブラハム」と仰せられた。彼は答えた。「はい。ここにおります。」

御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」

アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。

そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「主の山の上には備えがある」と言い伝えられている。


今日は皆さんがよくご存知の創世記22章に出てくるアブラハムとイサクの話をしたいと思います。

「あ、またその話か」と思うかもしれないのですが、ぜひ聞いてほしいです。



創世記22章に書いてあるように、アブラハムは神様に「一人息子のイサクをささげなさい」と言われて、朝一に起きて、イサクとともに神様に指定された山に登り、イサクをささげようとしました。


実際にイサクを薪木の上に置き、縄で縛り、殺そうとした時に 神様がアブラハムの手を止めました。


神様はアブラハムが誰よりも神様を第一にして、愛するその愛の姿、また、神様の御言葉、約束を信じたそのアブラハムを見て、その信仰をほめました。



この話は、新約聖書でも伝えられ、アブラハムはその信仰のゆえに、信仰の父と呼ばれています。


何一つ神様に文句も言わず、疑問も問いかけず、神様の言葉の通りに実行するほどの大きな信仰を持っていたアブラハムの姿は、私たちが見習うべき姿でもあります。






しかし、ここで もう一つ知っておきたいことがあります。


実は聖書ではアブラハム以外にもう一人、自分の愛する一人子をささげた人がいます。

しかも、その人の息子は、イサクのように殺される寸前で助かったのではなく、本当に殺されてしまったのです。



それは、父なる神と、そのひとり子イエス・キリストです。


アブラハムは神様のために、愛するひとり子イサクをささげました。

神様は私たち罪人のために、愛するひとり子イエスをささげました。


イサクは自分がこれから死ぬことも知らず、モリヤの山に自分が上に乗るための薪を担いで登っていきました。



イエスは自分がこれから死ぬことをすべて知りながら、その為にこの世に来て、人々にムチ打たれ、縛られ、自分がつけられる十字架を背負えないほど傷つけられ、代わりにシモンというクレネ人が イエスの十字架を背負い、ゴルゴダの丘に登っていきました。


神様は、愛するひとり子よりも、何よりも神様を愛するアブラハムの信仰を見て、アブラハムがイサクをほふろうとしたのを止めて、イサクを救いました。



神様は、誰よりも私たちを愛するために、ひとり子イエスが十字架にかかり、ムチ打たれ、釘を刺され、血を流し死んでいく姿を見ながらも止めずに、イエスを代わりに死なせ、私たちを救いました。


それが神様の愛です。

ひとり子イエスを死なせてまで、私たちを救われたのは、神様の愛なのです。


神様は、罪人が神様に立ち返り、その罪を洗い清めるために、すべての罪の代価を自分のひとり子イエスに着せたのです。


罪にまみれた私たちが、神様の前に出る価値、資格すらない私たちが、神様と和解するために、何の罪もない、裁かれる必要もなく、苦しむ必要も 死ぬ必要もまったくなかったイエス様が私たちの代わりに、罪の代価をすべて払ってくれたのです。






神様はアブラハムの時のように、イエスを十字架にかけることを止めることもできたのです。


そもそもこの世にイエス様が来ないようにすることもできました。

だけれども、それをやめませんでした。



もしイエス様がこの世に来ず、十字架にかけられず、三日目に蘇らなければ私たちがそのまま滅びていくからです。


神様は私たちのために、自分のひとり子イエスが十字架にかけられ、死ぬことをストップせず、また、イエス・キリストもすべての痛み、苦しみを全部受け止めて、最後までそのミッションを果たしたのです。


そのミッションは急に決まったのではありません。

人が初めて造られ、その人が神様に初めて歯向かい、罪を犯し、自分の姿を見るのも 見せるのも恥ずかしくなって神様から逃げた時に、神様はイエス様を送ることを決意しました。



私たちが一番恥ずかしい時、神様から遠ざかった時、神様よりも偉くなりたいと思った時、自分たちのことで頭がいっぱいになっているその時に、逆に神様は私たちを愛するがゆえに、イエス様をこの世に送り、十字架にかけさせることを決めたのです。


このアダムとエバが罪を犯した時に、アダムとエバ、蛇、それぞれに裁きがありましたが、それと同時に神様が約束されたことがありました。

それは、蛇に対して言った言葉の中にありました。


【創世記3章14-15節】

そこで、神である主は女に仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。」女は答えた。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。」

神である主は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。


アダムとエバの子孫が、蛇の頭を砕いて、蛇はその彼のかかとにかみつくと。

つまりは、のちに来るイエス・キリストが、蛇の頭を砕いて勝利する、と。


そこに勝利があります。

ただ、そこには「彼のかかとにかみつく」、つまり “キリストも攻撃を受けるんだ” という言葉がありました。






人間が神様に一番歯向かった時、そのまま滅ぼされてもおかしくなかったその時に、神様が決断されたこと、それはひとり子のイエス・キリストを送り、苦しみを負わせるが、人間を罪の道へと走らせた悪魔の頭を砕き、完全勝利するということ。


神様はそれを約束されたのです。

人間が何か良いことをしたから、神様の御心にかなったから、イエス様がこの世に来たのではありません。


それはただ、神様の愛であり、許しであり、神様が初めからそうすると決めたからなのです。


【創世記3章21節】

神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。


神様は私たちが罪を犯して一番恥ずかしく、一番だめな時に、私たちの罪を、私たちの恥ずかしい姿を覆い、隠すために、皮の衣を作ってくれました。


私たちのために作ってくれたその皮の衣は、動物の犠牲がありました。

私たちのために、ほかの者の命が犠牲になったのです。


これは のちに罪の贖いをするために来られるイエス様を象徴しています。



初めから、私たちの罪を覆い、恥ずかしさを覆うために、ほかの大切な命を犠牲にすること、そうすることを神様が決められたのです。

神様はそうせずに、人間を滅ぼすこともできました。


しかし、神様はイエス様を十字架にかけて私たちを救うことを決意し、イエス様も最後まで逃げることもせず、やめることもせず、初めに神様がした愛の決断をそのまま守り抜き、やり通すことを決めて、十字架の上で私たちに愛を示されました。

なぜそこまでしたのでしょうか。


【第1ヨハネ4章9-10節】

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。


理由はただ一つです。


神様が私たちを愛し、私たちの罪を赦し、私たちを生かすため、その大きな愛ゆえにこの世界に来てくれたのです。


それが、私たちの信じる、私たちがお祝いをするイエス・キリストの姿なのです。

クリスマスは、ただのお祝いや、イベントごとではありません。


神様の決意、イエス様の決意があり、その大きな愛を私たちが受け取る日なのです。

アドナイイルエ、神様が備えてくださった 十字架の救い、神様の愛を受け取りましょう。


このクリスマスまでの期間、神様の愛、イエス様の決意についてもう一度深く考え、その愛を受け止めていましょう。


アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2020.12.13
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

知恵をもって備える

テーマは 『 知恵をもって備える 』 です

【創世記41章33-36節】

それゆえ、今、パロは、さとくて知恵のある人を見つけ、その者をエジプトの国の上に置かれますように。

パロは、国中に監督官を任命するよう行動を起こされ、豊作の七年間に、エジプトの地に、備えをなさいますように。

彼らにこれからの豊作の年のすべての食糧を集めさせ、パロの権威のもとに、町々に穀物をたくわえ、保管させるためです。

その食糧は、エジプトの国に起こる七年のききんのための、国のたくわえとなさいますように。この地がききんで滅びないためです。」

先に起こることは 天地を造られた主のみが知っておられます。


主の摂理と計画は、主ご自身が立てるので 主は何でもかんでもご存じです。

ですから主は事前にそれらのことを教え、聞く耳のある人たちに恵みを注ぎます。


ノアに洪水のことを知らせ、箱舟を造らせたのも神でした。

もしノアが聞いても箱舟の供えをしなかったならば、洪水の時に助からなかったと思います。



備えることの重要性を、神はみことばを通して教えて下さいました。

聞いて備える人がさとくて知恵ある人です。


本文でも飢饉が来るから豊作の時に、飢饉の時のために食糧の供えをするように言われました。



そしてヨセフはパロの任命を受けてしっかりと備えたので飢饉を乗り越えることが出来ました。

その点を学ばないといけないです。


聖書で備えることを教えた箇所を読んで知恵を受けたいと思います。



【出エジプト記16章5節】

六日目に、彼らが持って来た物を整える場合、日ごとに集める分の二倍とする。」


【第1列王記4章27節】

守護たちは、それぞれ自分の当番月にソロモン王、およびソロモン王の食事の席に連なるすべての者たちのために、食糧を納め、不足させなかった。


【ヨブ記38章41節】

烏の子が神に向かって鳴き叫び、食物がなくてさまようとき、烏にえさを備えるのはだれか。


【箴言6章6-8節】

なまけ者よ。蟻のところへ行き、そのやり方を見て、知恵を得よ。

蟻には首領もつかさも支配者もいないが、

夏のうちに食物を確保し、刈り入れ時に食糧を集める。



【ルカの福音書12章47節】

主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。


【テトス書3章14節】

私たち一同も、なくてならないもののために、正しい仕事に励むように教えられなければなりません。それは、実を結ばない者にならないためです。


今が備えの時です。


何を備えるべきかは各自が祈りながら主に聞くことです。

主は答えて下さいます。
アーメン (´ω`)


2020.2.15
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

アブラムから学ぶ金銭管理

テーマは 『 アブラムから学ぶ金銭管理 』 です

【創世記14章17-24節】

こうして、アブラムがケドルラオメルと、彼といっしょにいた王たちとを打ち破って帰って後、ソドムの王は、王の谷と言われるシャベの谷まで、彼を迎えに出て来た。

さて、シャレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。

彼はアブラムを祝福して言った。「祝福を受けよ。アブラム。天と地を造られた方、いと高き神より。

あなたの手に、あなたの敵を渡されたいと高き神に、誉れあれ。」アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。

ソドムの王はアブラムに言った。「人々は私に返し、財産はあなたが取ってください。」

しかし、アブラムはソドムの王に言った。「私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓う。

糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない。それは、あなたが、『アブラムに富ませたのは私だ』と言わないためだ。

ただ若者たちが食べてしまった物と、私といっしょに行った人々の分け前とは別だ。アネルとエシュコルとマムレには、彼らの分け前を取らせるように。」

正しい金銭管理が出来ないと 信仰生活も失敗します。

そのため聖書を通して、金銭に対する正しい教えを学ぶ必要があります。


金銭に対する悪い部分は次のことばにあります。


【第1テモテ6章9-10節】

金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる, 愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。

金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。

ですから聖徒たちは正しい金銭管理をしなければなりません。


模範的な金銭管理が出来た人物がアブラムです。

創世記14章では、まだ名前がアブラハムに変わる前ですから、アブラムの名前をそのまま使います。

アブラムは優れた金銭管理者でした。




神との関係での金銭管理




本文の18-20節には、アブラムが戦いに勝利して帰って来た時に、シャレムの王メルキゼデクが パンとぶどう酒を持って迎えました。


メルキゼデクは いと高き神の祭司でした。

彼がアブラムを祝福した後に、アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えました。


アブラムは、最初に神に十分の一をささげた人物です。


律法で十分の一のことが決まる前に、すでに十分の一をささげました。

命令されたわけでもないのに、なぜ十分の一をささげたでしょうか?


まずは神への感謝でした。



戦いでの勝利は、自分の力だけではなく 神の助けと守りがあったからなので、彼は感謝の気持ちを、十分の一をささげることで表しました。


また十分の一は、“神のものとして聖別” してささげる意味があります。


次の箇所には、十分の一は神のものであると はっきり書かれてあります。


【マラキ書3章8-10節】

人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか。』それは、十分の一と奉納物によってである。

あなたがたはのろいを受けている。あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。この民全体が盗んでいる。

十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。―― 万軍の主は仰せられる ―― わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。

信仰の人ヤコブも、次の箇所で十分の一にふれました。


【創世記28章22節】

石の柱として立てたこの石は神の家となり、すべてあなたが私に賜る物の十分の一を必ずささげます。」

アブラムがメルキゼデクに十分の一をささげたことは、彼の祭司職を認めたことを意味します。

私たちが神にささげる十分の一は、神がすべての主権者であることを認める意味があります。




隣人関係での金銭管理




隣人との金銭トラブルが原因で起こる事件も多いです。

ですから問題が起こらないような金銭管理が必要です。


今日の本文で、ソドムの王とアブラムの会話で、アブラムの金銭管理が見えます。


創世記14章の前の部分を読んでみて下さい。

自分ならばどうするのかも考えてみて下さい。


戦利品に対して、ソドムの王はアブラムに言いました。

「人々は私に返し、財産はあなたが取ってください。」と言われた時に、

アブラムは、「私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓う。糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない。それは、あなたが、『アブラムに富ませたのは私だ』と言わないためだ。」と言いました。



アブラムは自分が労苦して得ていない物は、受け取りませんでした。

糸一本、くつひも一本ということばを使ったのは、取るに足りない些細なものを象徴しています。


すなわち他人のものに対しては常に潔白であることです。



金や物にルーズな人も多いです。


人のものを平気に取る人や、借りても返さない人、他人の物も自分の物のように使う人など、金銭に対してルーズで 他人に被害を与えることは避けなければなりません。



アブラハムは金銭に対して きちんとしていました。

妻サラが亡くなった時に、ヘテ人に墓地を売るように言ったところ、ヘテ人は墓地をアブラムに差し上げると言いました。

それに対してアブラムは、タダでもらうことを喜んだのではなく、このように言いました。


「もしあなたが許してくださるなら、私の言うことを聞き入れてください。私は畑地の代価をお払いします。どうか私から受け取って下さい。そうすれば、死んだ者をそこに葬ることができます。」



もしアブラムが タダで受けたならば、後で色々な問題が出たと思います。

差し上げた人が、後から惜しむ心が出て、「土地を返してほしい」と言われると、トラブルになります。


アブラムが買った墓地には、アブラハムも息子イサク夫婦も、孫ヤコブとその妻レアも葬られました。

お金を払ったからこそ、その後も墓地を自由に使うことが出来ました。


自分のものでない物に対しては 欲を出さず、欲しがってはいけないです。


十戒の10番目にあることばです。


【出エジプト記20章17節】

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」


金を愛した取税人 ザアカイは、イエス様に出会ってから金銭感覚が180度変わりました。

騙して他人のものを取って金持ちになった人が、イエス様に出会ってからは 次のようになりました。


【ルカの福音書19章8節】

私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」



家族や親類での金銭管理




親子、兄弟、親戚の間で、お金や財産のトラブルは ますます増えてありますね。


親子関係でも、介護は嫌がるのに、財産は欲しがる者がとても多いです。

本当に醜い姿です。他人よりもひどい姿ですね。財産を一人占めしようと企んでいる人もいます。




皆さんはどのような金銭管理をしていますか?

また、もしトラブルがあった時にはどうしますか?



アブラムが取った行動から学びます。

おいロトとの間に問題が生じました。


アブラムもロトも祝福されて持ち物が多くなり、一緒に住むには場所が狭くなりました。



家畜の牧者たちの間にも争いが起こりました。

その解決策として、アブラムはおいロトに次のような提案をしました。


【創世記13章8-9節】

「どうか私とあなたとの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちとの間に、争いがないようにしてくれ。私たちは、親類同士なのだから。

全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」

アブラムは、相手に譲歩し、相手のことを優先しました。


これは一見、損しているように見えますが、長い目で見ると、決して損することはありません。

2人の結末を見ても分かります。


先にソドムを選んで行ったロトは、ソドムが滅ぼされる時に すべての財産を失いました。



アブラハムはどのようになりましたか?

アブラムのしもべの証言です。


【創世記24章35節】

主は私の主人を大いに祝福されましたので、主人は富んでおります。主は羊や牛、銀や金、男女の奴隷、らくだやろばをお与えになりました。

ロトには何も残らなかったですが、アブラムは死ぬ時まで祝福されて豊かでした。


欲張りは神からも人からも嫌われます。その結果、大切な人たちを失います。

そして人生の結末も良くないです。



お金をたくさん持っている人が幸せな人ではなく、お金が人を幸せにするのでもないです。


豊かな心を持つ人が幸せな人です。


人との関係を大切にする人が長く祝福されますし、人の益になることを先に考える人が神から祝福されます。


目先の利益に目がくらむ人になってはいけません。

神は金銭に対するテストもします。


箴言にも、レビ記の中にも、金銭に対する教えが多いので学びましょう。
アーメン (*・ω・)ノ


2019.1.20
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

アブラハムから学ぶ従順する信仰

テーマは 『 アブラハムから学ぶ従順する信仰 』 です

【創世記22章1-14節】

これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に、「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は、「はい。ここにおります」と答えた。

神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」

翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、ふたりの若い者と息子イサクとをいっしょに連れて行った。彼は全焼のいけにえのためのたきぎを割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ出かけて行った。

三日目に、アブラハムが目を上げると、その場所がはるかかなたに見えた。

それでアブラハムは若い者たちに、「あなたがたは、ろばといっしょに、ここに残っていなさい。私と子どもとはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻って来る」と言った。

アブラハムは全焼のいけにえのためのたきぎを取り、それをその子イサクに負わせ、火と刀とを自分の手に取り、ふたりはいっしょに進んで行った。

イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」すると彼は、「何だ。イサク」と答えた。イサクは尋ねた。「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」

アブラハムは答えた。「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」こうしてふたりはいっしょに歩き続けた。

ふたりは神がアブラハムに告げられた場所に着き、アブラハムはその所に祭壇を築いた。そうしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置いた。

アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした。

そのとき、主の使いが天から彼を呼び、「アブラハム。アブラハム」と仰せられた。彼は答えた。「はい。ここにおります。」

御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」

アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。

そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「主の山の上には備えがある」と言い伝えられている。

私たちが直面する多くの問題の原因になるのは、神に対する不従順の罪です。


神のことばに素直に従えば発生しなかった問題のほとんどが、神に従わなかったことが原因で発生します。

今まであった問題や苦難には、自分や家族の誰かの不従順の罪があったことを否定出来ません。



ですから問題の解決を願うならば、不従順の罪を悔い改めて 心を入れ替え、従順する人にならなければなりません。


アブラハムは 私たちに従順の模範を見せてくれた “信仰の人” です。

従順とは何かを見せてくれました。



創世記22章は、アブラハムにとっては人生最大の試練の時でした。

とんでもない大きな問題が降りかかって来ました。

それも、神から直接来た試練なので、神に助けを求めるわけにもいかなかったです。


神にも相談出来ないからといって、人間に相談しても解決するわけがないです。


このような大変な試練をどのように乗り越えたのかを見ると、そこにあるのは “神への従順” でした。




神のことばに対して 一切つぶやかず従順したアブラハム




アブラハムが神から受けた命令は、到底 理解も納得も出来ない命令でした。


「自分の子を全焼のいけにえとしてささげなさい」 と命令されたら、私たちはどうしますか?


まずは自分の耳を疑い、神ではなくサタンからだと思うでしょう。

「神がそんなことを言うはずがない」と思うのが当然ではないでしょうか。


そこから様々な思いが巡り、それを神にぶつけるのが普段の私たちのやり方です。



しかしアブラハムは違いました。

私たちは自分の思いと神の思いが違う時には、いつも不従順の道を選びます。

不従順の習慣が根強く残っているからです。


しかしこの時のアブラハムの辞書には、“不従順” という文字がなかったと思われます。

一言も言わず、彼は従順しました。


信仰の土台は神のことばです。


そして生きた信仰は、みことばへの従順です。

神のことばに有無を言わなかったのがアブラハムでした。




従順の実践が早かったアブラハム




アブラハムは神の命令があった翌朝、すべての準備をしてイサクを連れて、神が示す所に出かけて行きました。


アブラハムが感情もない石のような心の持ち主でしょうか?

また、息子を愛さないお父さんでしょうか?



アブラハムにとってイサクは愛してやまない存在でした。

また神の約束の子で、100歳の時に生まれた かけがえのない存在です。


神の命令に従うにしても、神に「しばらく息子と過ごす時間を下さい」とお願いするのが平凡な人たちの願いだと思いますが、アブラハムには そういうことがなかったです。


命令にはすぐに従うと思っていたのでしょう。

そして息子と共に時間を過ごしたら、きっと神に従うことは出来なくなると思ったでしょう。



従順を遅らせると、必ず誘惑するものが近づいてきて誘惑します。

サタンはいつもチャンスを狙って近づきます。


私たちが迷う時、モタモタしている時に、甘いことばを持ち込んできて、従順出来ないように邪魔をします。


これに引っかかる人が実に多いです。

アブラハムは惑わされないために、また不従順を警戒して すぐに実行に移したと思います。



従順は後回しせず、すぐに実践することです。


「神様を信じなさい」と言っても、「いつか信じます」と言う人は なかなか信じません。


しかし決断する人は、その時から信仰が芽生えてきます。

従順は早ければ早いほどしやすいです。


遅れれば遅れるほど 従順出来なくなります。



怠け者で不従順が身についているならば、その命令さえも忘れてしまいます。

行いが伴わない信仰は “死んだ信仰” です。

死んだ信仰がその人を救いますか?


すぐ従う人に神の祝福があります。




アブラハムは盲目的に従順したのではなく、疑わず確信をもって従順しました




この信仰はこの出来事の前からアブラハムにありました。

100歳の時に子どもが生まれると聞いた時、アブラハムが見せた信仰です。


【ローマ4章20-21節】

彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、

神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。

そしてその信仰通り 100歳の時に、息子イサクが生まれました。

そして、「その息子をささげなさい」と言われた時にも、アブラハムには別の信仰の確信がありました。


それは、“神には神の良い考えがある” と疑わずに確信していました。



イサクが「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」

と聞かれた時に「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」と答えました。


人間的には、アブラハムは息子を全焼のいけにえにしなければならない現実が苦しくて心を引き裂かれる思いがあったと思います。


しかし、そのことよりも上に置いたのが神への従順、神への愛、神への信頼でした。



偉大な信仰は、平凡な生活の中で生まれるものではないです。


激しい試練の中で、神を疑わず信じて行動する時に生まれるものです。


偉大な信仰は、誘惑に勝利した信仰です。

神のことばを守り抜いた信仰です。


このような信仰を見て、神は共にいて下さり祝福を与えます。



従順したアブラハムに神がかけた言葉は,本当に祝福の言葉でした。


【創世記22章16-18節】

わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、

わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。

あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」


不従順の罪を捨てて、アブラハムの従順の信仰を学びましょう。
アーメン v( ̄∇ ̄)v


2018.12.2
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい訳で!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

プロフィール

ヤエクリ

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

(^^) からし種 に投票してね
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ