からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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創世記

忠実な管理者ヨセフ

テーマは 『 忠実な管理者ヨセフ 』 です

【創世記39章23節】

監獄の長は、ヨセフの手に任せたことについては何も干渉しなかった。それは主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。


ヨセフに関する内容は、創世記37章から50章まで とても長いです。

彼が悪い者であったならば、短い話で終わったと思います。


しかしヨセフの信仰と人柄、任された責任と使命に対する忠実な姿勢は 信じる人たちの模範です。


そして主がそのようなヨセフになさったことを今日はみたいと思います。

ますます世の中は不誠実な人と、人を騙す者が増えていますので、ヨセフのような人は本当に貴重です。



ヨセフの運命は兄たちの企みによって、突然奴隷に転落しました。

奴隷として外国であるエジプトに連れて行かれ、パロ王の侍従長ポティファルの家で奴隷の生活を始めました。


そこでヨセフは奴隷でありながらも誠実と忠実な態度で仕えました。

他の奴隷とはまったく違う態度を見せていました。



また主が彼と共にいて彼に恵みを与えました。


主は誠実で忠実な者を喜ぶ方で、ヨセフを見て祝福と恵みを与えました。

ヨセフの主人もすべてを見ていました。



【創世記39章2-5節】

主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。

彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。

それでヨセフは主人にことのほか愛され、主人は彼を側近の者とし、その家を管理させ、彼の全財産をヨセフの手にゆだねた。

主人が彼に、その家と全財産とを管理させた時から、主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を、祝福された。それで主の祝福が、家や野にある、全財産の上にあった。


ヨセフの人柄だけで、主人に愛されたわけではないです。

主がヨセフを祝福するのを見て、ヨセフを信頼し、ヨセフに全財産を任せました。


奴隷に売られた者でも、主が祝福したので、運命と環境が変わりました。








次にヨセフは、主人の妻から性的誘惑を受けましたが、拒んだことで嘘をつかれ、性犯罪人にされて監獄に入れられました。


しかし監獄の中でもヨセフは変わらない態度を見せたので、今度は監獄の長の目にとまり 監獄を管理する者になりました。

そこでも主は彼を祝福しました。



どこに行っても、誰と共にいても誠実さと忠実さが変わらないので、主から祝福を受けることが出来ました。


主の祝福は、追いかけて捕まえられるものではなく、自分がいるところで誠実に忠実に自分に任された使命と責任を果たす時に、主が人の心を動かし、環境を変えて下さいます。



【創世記39章21-23節】

しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。

それで監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手にゆだねた。ヨセフはそこでなされるすべてのことを管理するようになった。

監獄の長は、ヨセフの手に任せたことについては何も干渉しなかった。それは主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。


ヨセフの運命はさらに主の恵みによって大きく変わりました。

今度は、当時の超大国であるエジプトの管理者になりました。


そこでも彼の誠実さと忠実さは変わりませんでした。


主は彼に恵みを与えて、ヨセフは主から受けた知恵と行動力によって素晴らしい管理者としての働きが出来ました。



信頼と祝福、地位を得ると変わる人が多いですが、ヨセフの場合は、信仰も人柄もまったく変わりませんでした。

もっと器の大きい人間に変わりました。


謙遜な人、愛と赦しの人、あわれみ深い者に変わりました。

主はそういう人を豊かに祝福して下さいます。


誠実さも忠実さもない人間、責任も使命も果たさない人間が受ける祝福はないです。




聖書では管理者に求められる第1のものが忠実であると教えています。

才能や能力ではないです。


また小さなことに忠実な人に、大きなことを任せると言われました。


奴隷や囚人として良い管理の仕事をしたヨセフは、奴隷の身分から自由になり、一国の総理になり、国を管理する者になりました。


ヨセフの誠実さと忠実さ、そしていつも共にいて助けて下さった主の恵みによって、ヨセフはみんなから尊敬され、主に愛され、また人々を助けた素晴らしい信仰の人でした。

見習うべき姿です。


変わらない誠実さと忠実な態度に祝福はやってきます。

環境や運命を呪う必要がないです。


アーメン v( ̄∇ ̄)v


2022.10.16
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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最悪の人生を最高の人生に変える方法

テーマは 『 最悪の人生を最高の人生に変える方法 』 です


私たちは生きている上で、苦しいこと、つらいこともたくさん経験します。


特に、仲の良い人や、家族、大切な人、毎日顔を合わせる人から 受ける傷や苦しみの方が多いのです。

そのような苦しさ、つらい思いをする中で、私たちは一体どうしたら良いのでしょうか。


今日はある人の人生を通して、その答えを探っていきましょう。




ヨセフの人生に起きた5つの最悪な出来事




① 父には溺愛されたが、兄たちに嫌われ憎まれた


【創世記37章2-4節】

これはヤコブの歴史である。ヨセフは十七歳のとき、彼の兄たちと羊の群れを飼っていた。彼はまだ手伝いで、父の妻ビルハの子らやジルパの子らといっしょにいた。ヨセフは彼らの悪いうわさを父に告げた。

イスラエルは、彼の息子たちのだれよりもヨセフを愛していた。それはヨセフが彼の年寄り子であったからである。それで彼はヨセフに、そでつきの長服を作ってやっていた。

彼の兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼を愛しているのを見て、彼を憎み、彼と穏やかに話すことができなかった。

ヨセフは12人兄弟で、それぞれ4人の違うお母さんから生まれ、ヨセフは お父さんのヤコブが一番愛していた妻、ラケルの息子で、お父さんの一番のお気に入りとして、兄弟たちの中で特別な扱いを受けていました。


兄たちの悪い行いを素直にお父さんに話したこと、お父さんからのえこひいき、自分が見た夢を話したせいで、兄たちに嫌われ、いじめられ、普通に会話をすることさえもできず、ひどい言葉で傷つけられる日々が続いていました。






② 17歳の時、兄弟たちに殺されそうになった後、外国の地であるエジプトに売り飛ばされた


お父さんのお使いで、100キロ離れたドタンまで兄たちに会う為に行きました。


兄たちのところに着いた時、兄たちは彼を殺す計画を練り始め、最終的にはイシュマエル人に奴隷としてヨセフを売り飛ばしました。

ヨセフは家族に「死んだ者」として報告され、お父さんのヤコブは悲しみに打ちひしがれました。






③ エジプトで奴隷生活をした


異国の地で誰も知り合いもいない中、一人だけ味方がいました。


【創世記39章2-5節】

主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。

彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。

それでヨセフは主人にことのほか愛され、主人は彼を側近の者とし、その家を管理させ、彼の全財産をヨセフの手にゆだねた。

主人が彼に、その家と全財産とを管理させた時から、主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を、祝福された。それで主の祝福が、家や野にある、全財産の上にあった。

たった一人の味方は神様でした。

神様がともにおられたのです。


孤独の中で、奴隷生活の中で、ヨセフは神様とずっと一緒にいたのです。


自由も自分の意思や権利もまったくないはずの奴隷という身分だったのですが、神様がヨセフを見ておられ、共におられ、ヨセフを祝福したので、奴隷としてはありえないような待遇で成功していったのです。






④ ようやく認められてきた中で、主人の妻ポティファルにはめられ、濡れ衣を着せられて牢獄生活に


【創世記39章6-10節】

彼はヨセフの手に全財産をゆだね、自分の食べる食物以外には、何も気を使わなかった。しかもヨセフは体格も良く、美男子であった。

これらのことの後、主人の妻はヨセフに目をつけて、「私と寝ておくれ」と言った。

しかし、彼は拒んで主人の妻に言った。「ご覧ください。私の主人は、家の中のことは何でも私に任せ、気を使わず、全財産を私の手にゆだねられました。

ご主人は、この家の中では私より大きな権威をふるおうとはされず、あなた以外には、何も私に差し止めてはおられません。あなたがご主人の奥さまだからです。どうして、そのような大きな悪事をして、私は神に罪を犯すことができましょうか。

それでも彼女は毎日、ヨセフに言い寄ったが、彼は、聞き入れず、彼女のそばに寝ることも、彼女といっしょにいることもしなかった。

神様の存在を認め、いつも神様が自分をどう思っているのか、神様中心の生活を生きていました。

それは、すべてを手に入れた後も変わらずにそうしていました。



偉そうにすることはなく、自分の主人のことを大切にして 任された仕事をしっかりこなした上で、何よりも神様が自分にどう見られているのか、神様に対して罪を犯さないようにすることを大事にしていました。


それなのに、この主人の妻が 嘘をついてヨセフに濡れ衣をかぶせ、牢屋に入れられました。


【創世記39章20-23節】

ヨセフの主人は彼を捕らえ、王の囚人が監禁されている監獄に彼を入れた。こうして彼は監獄にいた。

しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。

それで監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手にゆだねた。ヨセフはそこでなされるすべてのことを管理するようになった。

監獄の長は、ヨセフの手に任せたことについては何も干渉しなかった。それは主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。

牢屋の中、暗い中、孤独の中、ここでもたった一人の味方がいました。

それは神様でした。


いつも神様を認め、神様の前で罪を犯さずに神様の目にかなった生活をしようと心掛けたヨセフのそばに、神様がおられ、監獄の中でさえも成功するように働いてくださったのです。






⑤ せっかく助けてあげた牢屋仲間に自分も釈放してもらえるように助けを求めたが、すっかり忘れられ、2年も牢獄生活を送った


【創世記40章8-15節】

ふたりは彼に答えた。「私たちは夢を見たが、それを解き明かす人がいない。」ヨセフは彼らに言った。「それを解き明かすことは、神のなさることではありませんか。さあ、それを私に話してください。」

それで献酌官長はヨセフに自分の夢を話して言った。「夢の中で、見ると、私の前に一本のぶどうの木があった。

そのぶどうの木には三本のつるがあった。それが芽を出すと、すぐ花が咲き、ぶどうのふさが熟して、ぶどうになった。

私の手にはパロの杯があったから、私はそのぶどうを摘んで、それをパロの杯の中にしぼって入れ、その杯をパロの手にささげた。」

ヨセフは彼に言った。「その解き明かしはこうです。三本のつるは三日のことです。

三日のうちに、パロはあなたを呼び出し、あなたをもとの地位に戻すでしょう。あなたは、パロの献酌官であったときの以前の規定に従って、パロの杯をその手にささげましょう。

あなたがしあわせになったときには、きっと私を思い出してください。私に恵みを施してください。私のことをパロに話してください。この家から私が出られるようにしてください。

実は私は、ヘブル人の国から、さらわれて来たのです。ここでも私は投獄されるようなことは何もしていないのです。」

【創世記40章20-23節】

三日目はパロの誕生日であった。それで彼は、自分のすべての家臣たちのために祝宴を張り、献酌官長と調理官長とをその家臣たちの中に呼び出した。

そうして、献酌官長をその献酌の役に戻したので、彼はその杯をパロの手にささげた。

しかしパロは、ヨセフが解き明かしたように、調理官長を木につるした。

ところが献酌官長はヨセフのことを思い出さず、彼のことを忘れてしまった。

献酌官長の夢を解き明かして三日後、ヨセフは夢が解き明かした通りに現実になったことを聞き、ようやく自分もこの牢屋から出ることができると期待しながら待っていましたが、結局釈放されないまま、牢獄生活が2年続きました。


【創世記41章46節】

──ヨセフがエジプトの王パロに仕えるようになったときは三十歳であった──ヨセフはパロの前を去ってエジプト全土を巡り歩いた。

最終的には、ヨセフがパロの夢の解き明かしをしたことによって、ようやく釈放され、パロの右腕になり、エジプト全国をつかさどるようになりました。



17歳の時に、エジプトという外国の地に無一文で奴隷として売り飛ばされ、何もないところからスタートした暗闇の人生から、二年間の投獄生活を送ったのち、30歳の時にようやく人生が回復してきたのでした。


そこからパロの夢の解き明かしの通りに、7年の豊作の間にききんを備え、残りの7年のききんを乗り越えることができました。



そのききんの際に、ヨセフの兄弟はヨセフと知らずに、食料を買いに来て、結局は兄弟もお父さんとも再会を果たします。

ヨセフを通して、家族みんながききんで死なずに助かったのです。


また、ヨセフは久しぶりに再会した兄弟たちのことは責めずに赦し、それどころか信仰の言葉、慰めの言葉をかけました。


【創世記50章19-21節】

ヨセフは彼らに言った。「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりでしょうか。

あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。

ですから、もう恐れることはありません。私は、あなたがたや、あなたがたの子どもたちを養いましょう。」こうして彼は彼らを慰め、優しく語りかけた。

ヨセフはどんな目にあっても、神様を呪うこともせず、人を呪うこともしませんでした。

もちろん、苦しみを感じなかったわけではありません。


でも、その苦しみがある中で、最悪な人生を送っている中で、たった一人の味方の神様がいたからこそ、人生を諦めずにその時々で出来ることをしながら生きることができたのです。


ヨセフは神様のことをいつも認め、神様の目に適った生き方を心がけ、悪いことも含め すべてを益としてくださることを信じ、実行して生きたのです。



私たちも、いつも神様にゆだね、神様が今のつらい経験、苦しみさえもすべて益としてくださることを信じ、神様を認めて一緒に生きていきましょう。


アーメン (*・ω・)ノ


2021.11.28
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ヤコブが受けた数々の祝福

テーマは 『 ヤコブが受けた数々の祝福 』 です

【創世記27章26-29節】

父イサクはヤコブに、「わが子よ。近寄って私に口づけしてくれ」と言ったので、

ヤコブは近づいて、彼に口づけした。イサクは、ヤコブの着物のかおりをかぎ、彼を祝福して言った。「ああ、わが子のかおり。主が祝福された野のかおりのようだ。

神がおまえに天の露と地の肥沃、豊かな穀物と新しいぶどう酒をお与えになるように。

国々の民はおまえに仕え、国民はおまえを伏し拝み、おまえは兄弟たちの主となり、おまえの母の子らがおまえを伏し拝むように。おまえをのろう者はのろわれ、おまえを祝福する者は祝福されるように。」


ヤコブが父イサクから受けた祝福のことばが本文のことばですが、本来イサクはこの祝福を長男であるエサウにする予定でした。

しかしヤコブがエサウに変装して目の悪いお父さんを騙してその祝福を受け取りました。



ヤコブのやり方は良いやり方ではなかったですが、ヤコブはどうしても父からの祝福を受けたかったです。

なぜなら父イサクは、神の祝福と約束を父であるアブラハムから受けていたからです。


今度は自分が父から神の祝福と約束を受けたかったので、すでに兄エサウと取引をして長男の権利を受け取りました。

エサウは世を愛する者で、そういうことには関心があまりなかったです。


すでに取引をしたヤコブから見ると、父から受けた祝福は自分の祝福としての権利がありました。



父イサクの口を使って、神はヤコブを祝福しました。

ヤコブが受けた祝福は壮大な祝福でした。


地の産物の祝福がありました。

天の露と地の肥沃から来る豊かな穀物と新しいぶどう酒の祝福を受けました。






次は国々の民がその前に仕える祝福でした。


また呪う権威、祝福する権威、さばく権威が与えられました。

もちろんこれらは霊的祝福です。


アブラハムが受けた祝福を、ヤコブはこの時に受けました。

これでアブラハムに与えた祝福を相続する者になりました。






次に受けた祝福があります。


神が共におられる保証をもらいました。

これも大きな祝福です。


一人で親戚の家に向かっていたヤコブの所、夜中に神が現れました。

そして彼を祝福しました。



【創世記28章13-15節】

そして、見よ。主が彼のかたわらに立っておられた。そして仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。

あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。

見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」


アブラハムに与えた祝福だけではなく、どこへ行っても守ると保証して下さいました。


一人ぽっちで不安と恐れ、寂しさの中にいたヤコブは この祝福のことばと夢を見て、どんなに励ましを受け、心が強くなったでしょうか。


時に適った恵みを主は注いで下さいました。


ヤコブは祝福のチャンスを逃さない人です。

いつもそのチャンスを掴んで、ますます祝福される人になりました。






さらにヤコブが受けた祝福です。


それは神との戦いで得た祝福でした。


ヤポクの渡しの所で夜通し御使いと戦いました。

その時にヤコブが言ったことばで祝福を得ることが出来ました。



【創世記32章24-29節】

ヤコブはひとりだけ、あとに残った。すると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。

ところが、その人は、ヤコブに勝てないのを見てとって、ヤコブのもものつがいを打ったので、その人と格闘しているうちに、ヤコブのもものつがいがはずれた。

するとその人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」しかし、ヤコブは答えた。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」

その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は答えた。「ヤコブです。」

その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」

ヤコブが、「どうかあなたの名を教えてください」と尋ねると、その人は、「いったい、なぜ、あなたはわたしの名を尋ねるのか」と言って、その場で彼を祝福した。


ここでも、祝福して下さらないと去らせないと必死にすがるヤコブの姿がありました。


多くの人は祝福を受けるチャンスなのに、それを簡単に手放して後で後悔します。

エサウのように値打ちのないものを求め、優れた祝福を簡単に失います。


しかしヤコブは神から来る祝福は一つも失いたくない必死の思いがあるので、すべて受け取ることが出来ました。



ヤコブも波乱万丈の人生でしたが、神からの祝福はすべて受け取り、その祝福を また子孫に残すことが出来ましたし、信仰の人として勝利者になりました。


アーメン v( ̄∇ ̄)v


2021.11.7
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ノアの時代と今の時代

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【創世記6章1-8節】

さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき、

神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。

そこで、主は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう」と仰せられた。

神の子らが、人の娘たちのところに入り、彼らに子どもができたころ、またその後にも、ネフィリムが地上にいた。これらは、昔の勇士であり、名のある者たちであった。

主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。

それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。

そして主は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」

しかし、ノアは、主の心にかなっていた。


ノアの時代の洪水はみんな知っています。

しかしその時代に何があったのかを知っている人は少ないですね。


その洪水は今の時代で言う環境や気候問題で起きたでしょうか。


昔はきれいな空気ときれいな空があり、環境も汚染されていなかったです。

産業革命が起きてから環境はどんどん汚染されていきました。


神が大洪水を起こした理由は、その時代の人間の堕落が一番の問題でした。

人間の汚染によってすべてが汚れてしまいました。



神を知らない人は当然自分の肉に従って歩みますが、一番神を悲しませたのが、神の子たちの堕落でした。


神の子たちが堕落するとこの世には希望の光が消えて行きます。


神が信じる者に期待するのは『世界の光、地の塩」として神のことを伝えることです。


しかし、その使命のある信じる者が堕落してしまうことは 光が消え、塩の味をなくしたことを意味します。


【マタイの福音書5章13-14節】

あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。

あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。


神の恵みを受けた者、光の子どもとして生きるべき者が、この世を愛し、この世と妥協して生きる時に、この世界はさらに闇の世界になり、闇の力が強く働き、悪が増大していきます。



善を行うべき者が悪を行うならば、神が黙っていることは出来ないです。

神への恐れも関心もなくなるならば、神のことばよりも自分の欲望を優先し、この世の流れに従って歩みます。


神の御心とは反対の生き方を神の民がした時に、神はどのような思いになるでしょうか?


【ローマ12章2節】

この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。


パン種は少しだけでも粉全体を膨らませます。

罪の妥協も、少しだけでも全体を汚染していきます。


悪が入ることで善悪の分別を失い、悪の原理に従って歩みます。






ノアの時代も今の時代も人間は変わらないままです。

むしろ増えました。


科学や技術などは飛躍的に成長したのに、人間は相変わらず暴虐を行い、それを楽しんでいます。

悪が増えれば増えるほど、神の裁きも厳しくなります。


神はすでに あらゆるしるしを通して人々に警告を与えていますが、神を忘れ、この世を愛します。


神から恵みを受け、神を知っている人が、堕落した時はもっと厳しい神の裁きがあります。



人々が光と塩気を失っている中で、神は光を輝かせていたノアを私たちに紹介しました。


ノアは希望と回復の光でした。

神は今の暗闇の時代でも、ノアのような人がいるかどうかを捜しています。



神は裁きの時にもノアのような人に、神の恵みと救いを与えます。

そのような人が悪人と共に滅びることはないです。


今の闇の時代に、神は信じる者に命じています。

そして教会に命じています。


【イザヤ書60章1-3節】

起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。

見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現れる。

国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。

アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2021.10.3
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善悪の知識の木といのちの木

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【創世記2章9節】

神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木を生えさせた。


エデンの園はパラダイスです。

最高に快適な環境です。


人間を愛した神は、人間に配慮して最高の環境を与えました。

最高に住みやすい場所がエデンの園でした。


しかし そこにずっと住みたいならば、1つの条件がありました。

それは、“園の中央にある善悪の知識の木から取って食べてはならない” ことでした。


【創世記2章16-17節】

神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。

しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」


神は、人間が自分の考えや思いで善悪を判断することを願いませんでした。

善悪の判断は神の領域だからです。


神が善悪の判断をするので、人間の善悪の判断はエデンの園には要らなかったです。


ある人たちは、人間が罪を犯したのは神のせいだと言います。

「善悪の知識の木がなかったならば 罪も死もなかったのに、そんなものをわざわざ作った神が悪い」と言います。


しかし、これはとんでもない言葉です。



罪は、善悪の知識の木によって始まったのではないです。

善悪の知識の木に対する神のことばに、人間が不従順したからです。


善悪の知識の木は、神が人間を試みるためではありませんでした。


人間に与えられた多くの自由の中で、たった1つの禁止命令に従うならば、永遠にパラダイスで神と共に祝福と平安の中で暮らすことが出来ました。



しかし人間は蛇の誘惑を受けて、欲を抑えることが出来ず、結局自分の決断で善悪の知識の木から取って食べました。


神がすでに「それを取って食べると必ず死ぬ」と強調したので、人間はそれを十分知っていながらも従いませんでした。


善悪の知識の木の実を食べたのは、人間の選択でした。

ですから不従順の罪の責任は、神ではなく、人間にあります。






罪を犯した人間を、神はエデンの園から追い出しました。

エデンの園に住む資格を彼らは罪によって失いました。


エデンの園を追い出された人間を待っていたのは、苦労と呪いと死でした。



また、それから人間は 神からではない人間の善悪の知識を土台にして すべてを考えるようになりました。


自分たちで倫理、道徳、宗教などを作りました。

善ならば祝福、悪ならば罰という救いの基準も作りました。


しかし、知らなければならないのは、どんなに善悪の基準を決めて行動しても、そこに無いのは “いのち” です。

何をしても結局 最後は死です。



神が与える命がないならば、どんなに良いことをしても滅びの対象にしかならないです。


良いことに対しても、それは神の基準ではなく、自分の基準だからです。


もしパラダイスに住みたいならば、善悪の知識の木から取って食べてはならないです。

それは今も同じです。


エデンの園には、いのちの木もありました。



命がほしい人は命の木から取って食べなければなりません。
そのいのちとは “イエス・キリストのいのち” です。


それを食べないと命はないです。


【ヨハネの福音書10章28節】

わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。


イエス・キリストは、自分のいのちを与えるためにこの世に来ました。

信じる者たちに、いのちを与えると約束しました。


イエス様のいのちに、人間の善悪の知識が入る余地はないです。

いのちの木には命の実しかならないです。






神は、2つの道が私たちの前にあることを教えました。

死の道といのちの道です。


死の道は、善悪の知識の木の実を食べながら生きる道です。


いのちの道は、神の口から出るいのちのことばによって生きる道です。


【マタイの福音書7章13-14節】

狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。

いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。


神のことばには関心もなく、自分の思いや考えで生きる人がほとんどです。


死に至らせる善悪の知識の木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするものに見えるので取って食べやすいです。

しかし、そこにいのちはありません。



神のみことばは、私たちを命の道に導くことばです。

それに従う時に死の道から離れることが出来ます。


【ヨハネの黙示録2章7節】

耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」』


【ヨハネの黙示録22章14節】

自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都に入れるようになる者は、幸いである。

アーメン v( ̄∇ ̄)v


2021.5.30
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バベル塔を建てる人々

テーマは 『 バベル塔を建てる人々 』 です

【創世記10章8-10節】

クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の権力者となった。

彼は主のおかげで、力ある猟師になったので、「主のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ」と言われるようになった。

彼の王国の初めは、バベル、エレク、アカデであって、みな、シヌアルの地にあった。

ニムロデは地上で最初の勇士であり、力ある狩人であり、また王でもありました。

その時代においても恵まれた人でした。


しかし主から受けた恵み、力、祝福で、彼は何をしたでしょうか?


彼はバベル塔を建てました。

彼に加担する者も多かったです。


しかし、それは主に喜ばれることではなく、反対に主に逆らう事でした。


それはバベル塔を建てる目的が、主の御心に反することでしたからです。

「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」



神のみこころは「生めよ。増えよ。地に満ちよ。」でした。


神を敬い、神のことば通りに生きることを願っていましたが、人間は自分たちの力に頼って、自分たちの為に 高い塔を建て、自分たちの名をあげ、地の全面に散らされないようにしました。


神の恵みを忘れ、神に不従順し、神のようになろうとしました。

人間の邪悪な心は、ノアの洪水の後でもまったく変わりませんでした。


神は彼らが建てた塔を見て、彼らを散らし、彼らの思い通りにはさせませんでした。



世界は変わっても変わらないのは人間です。

そして人間は、あの時代よりも さらに悪くなりました。


人口も増え、知識も昔とは比べられないほど増してきましたし、科学も驚くほど発展しました。


しかし人間は昔よりも悪くなりました。

人間の高慢と悪は、今もバベル塔を建てるために熱心です。


皆ではなく、ニムロデのように権力、財力、力を持っている一握りの人たちが 自分たちの世界を造ろうとしています。

人々を支配し、神が造った世界と秩序を 自分たちの好みの世界に変えようとしています。



今に始まったことではないですが、コロナによって彼らが望む方向に急速に進むようになりました。


ニムロデのような存在が誰であるのかも明らかにされてきました。

恐ろしいことを企んでいる彼らは神に逆らう者たちですが、サタンには忠実な者たちです。


666の預言も目の前に来ました。

反キリストは すでに働いているかも知れないです。


携挙も世の終末も同時に近づいて来ました。



地上で自分たちの王国を造ろうとする人たちのことを、神はしっかりと見ています。


彼らにあるのは厳しい神のさばきです。

それに加担する者も同じです。


神を恐れ、信仰を守るために目を覚ましていないと、力ある者たちが造る世界で 彼らの支配を受けなければならないし、神からは裁きを受けるようになります。


闇の力に覆われないためには光の主の中に生きていないといけないです。



彼らからの迫害に耐えるには普通の生活や心では出来ないです。


神に身を避け、神の守りをもらう人だけがいのちを得ると思います。


目まぐるしく色んなものが進んでいます。

見逃してはいけないと思います。


目を覚まし時代を悟るためです。


アーメン Σ(゚д゚;)


2021.1.10
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アドナイ・イルエ ~もう一人のアブラハム~

テーマは 『 アドナイ・イルエ ~もう一人のアブラハム~ 』 です

【創世記22章1-14節】

これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に、「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は、「はい。ここにおります」と答えた。

神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」

翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、ふたりの若い者と息子イサクとをいっしょに連れて行った。彼は全焼のいけにえのためのたきぎを割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ出かけて行った。

三日目に、アブラハムが目を上げると、その場所がはるかかなたに見えた。

それでアブラハムは若い者たちに、「あなたがたは、ろばといっしょに、ここに残っていなさい。私と子どもとはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻って来る」と言った。

アブラハムは全焼のいけにえのためのたきぎを取り、それをその子イサクに負わせ、火と刀とを自分の手に取り、ふたりはいっしょに進んで行った。

イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」すると彼は、「何だ。イサク」と答えた。イサクは尋ねた。「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」

アブラハムは答えた。「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」こうしてふたりはいっしょに歩き続けた。

ふたりは神がアブラハムに告げられた場所に着き、アブラハムはその所に祭壇を築いた。そうしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置いた。

アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした。

そのとき、主の使いが天から彼を呼び、「アブラハム。アブラハム」と仰せられた。彼は答えた。「はい。ここにおります。」

御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」

アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。

そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「主の山の上には備えがある」と言い伝えられている。


今日は皆さんがよくご存知の創世記22章に出てくるアブラハムとイサクの話をしたいと思います。

「あ、またその話か」と思うかもしれないのですが、ぜひ聞いてほしいです。



創世記22章に書いてあるように、アブラハムは神様に「一人息子のイサクをささげなさい」と言われて、朝一に起きて、イサクとともに神様に指定された山に登り、イサクをささげようとしました。


実際にイサクを薪木の上に置き、縄で縛り、殺そうとした時に 神様がアブラハムの手を止めました。


神様はアブラハムが誰よりも神様を第一にして、愛するその愛の姿、また、神様の御言葉、約束を信じたそのアブラハムを見て、その信仰をほめました。



この話は、新約聖書でも伝えられ、アブラハムはその信仰のゆえに、信仰の父と呼ばれています。


何一つ神様に文句も言わず、疑問も問いかけず、神様の言葉の通りに実行するほどの大きな信仰を持っていたアブラハムの姿は、私たちが見習うべき姿でもあります。






しかし、ここで もう一つ知っておきたいことがあります。


実は聖書ではアブラハム以外にもう一人、自分の愛する一人子をささげた人がいます。

しかも、その人の息子は、イサクのように殺される寸前で助かったのではなく、本当に殺されてしまったのです。



それは、父なる神と、そのひとり子イエス・キリストです。


アブラハムは神様のために、愛するひとり子イサクをささげました。

神様は私たち罪人のために、愛するひとり子イエスをささげました。


イサクは自分がこれから死ぬことも知らず、モリヤの山に自分が上に乗るための薪を担いで登っていきました。



イエスは自分がこれから死ぬことをすべて知りながら、その為にこの世に来て、人々にムチ打たれ、縛られ、自分がつけられる十字架を背負えないほど傷つけられ、代わりにシモンというクレネ人が イエスの十字架を背負い、ゴルゴダの丘に登っていきました。


神様は、愛するひとり子よりも、何よりも神様を愛するアブラハムの信仰を見て、アブラハムがイサクをほふろうとしたのを止めて、イサクを救いました。



神様は、誰よりも私たちを愛するために、ひとり子イエスが十字架にかかり、ムチ打たれ、釘を刺され、血を流し死んでいく姿を見ながらも止めずに、イエスを代わりに死なせ、私たちを救いました。


それが神様の愛です。

ひとり子イエスを死なせてまで、私たちを救われたのは、神様の愛なのです。


神様は、罪人が神様に立ち返り、その罪を洗い清めるために、すべての罪の代価を自分のひとり子イエスに着せたのです。


罪にまみれた私たちが、神様の前に出る価値、資格すらない私たちが、神様と和解するために、何の罪もない、裁かれる必要もなく、苦しむ必要も 死ぬ必要もまったくなかったイエス様が私たちの代わりに、罪の代価をすべて払ってくれたのです。






神様はアブラハムの時のように、イエスを十字架にかけることを止めることもできたのです。


そもそもこの世にイエス様が来ないようにすることもできました。

だけれども、それをやめませんでした。



もしイエス様がこの世に来ず、十字架にかけられず、三日目に蘇らなければ私たちがそのまま滅びていくからです。


神様は私たちのために、自分のひとり子イエスが十字架にかけられ、死ぬことをストップせず、また、イエス・キリストもすべての痛み、苦しみを全部受け止めて、最後までそのミッションを果たしたのです。


そのミッションは急に決まったのではありません。

人が初めて造られ、その人が神様に初めて歯向かい、罪を犯し、自分の姿を見るのも 見せるのも恥ずかしくなって神様から逃げた時に、神様はイエス様を送ることを決意しました。



私たちが一番恥ずかしい時、神様から遠ざかった時、神様よりも偉くなりたいと思った時、自分たちのことで頭がいっぱいになっているその時に、逆に神様は私たちを愛するがゆえに、イエス様をこの世に送り、十字架にかけさせることを決めたのです。


このアダムとエバが罪を犯した時に、アダムとエバ、蛇、それぞれに裁きがありましたが、それと同時に神様が約束されたことがありました。

それは、蛇に対して言った言葉の中にありました。


【創世記3章14-15節】

そこで、神である主は女に仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。」女は答えた。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。」

神である主は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。


アダムとエバの子孫が、蛇の頭を砕いて、蛇はその彼のかかとにかみつくと。

つまりは、のちに来るイエス・キリストが、蛇の頭を砕いて勝利する、と。


そこに勝利があります。

ただ、そこには「彼のかかとにかみつく」、つまり “キリストも攻撃を受けるんだ” という言葉がありました。






人間が神様に一番歯向かった時、そのまま滅ぼされてもおかしくなかったその時に、神様が決断されたこと、それはひとり子のイエス・キリストを送り、苦しみを負わせるが、人間を罪の道へと走らせた悪魔の頭を砕き、完全勝利するということ。


神様はそれを約束されたのです。

人間が何か良いことをしたから、神様の御心にかなったから、イエス様がこの世に来たのではありません。


それはただ、神様の愛であり、許しであり、神様が初めからそうすると決めたからなのです。


【創世記3章21節】

神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。


神様は私たちが罪を犯して一番恥ずかしく、一番だめな時に、私たちの罪を、私たちの恥ずかしい姿を覆い、隠すために、皮の衣を作ってくれました。


私たちのために作ってくれたその皮の衣は、動物の犠牲がありました。

私たちのために、ほかの者の命が犠牲になったのです。


これは のちに罪の贖いをするために来られるイエス様を象徴しています。



初めから、私たちの罪を覆い、恥ずかしさを覆うために、ほかの大切な命を犠牲にすること、そうすることを神様が決められたのです。

神様はそうせずに、人間を滅ぼすこともできました。


しかし、神様はイエス様を十字架にかけて私たちを救うことを決意し、イエス様も最後まで逃げることもせず、やめることもせず、初めに神様がした愛の決断をそのまま守り抜き、やり通すことを決めて、十字架の上で私たちに愛を示されました。

なぜそこまでしたのでしょうか。


【第1ヨハネ4章9-10節】

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。


理由はただ一つです。


神様が私たちを愛し、私たちの罪を赦し、私たちを生かすため、その大きな愛ゆえにこの世界に来てくれたのです。


それが、私たちの信じる、私たちがお祝いをするイエス・キリストの姿なのです。

クリスマスは、ただのお祝いや、イベントごとではありません。


神様の決意、イエス様の決意があり、その大きな愛を私たちが受け取る日なのです。

アドナイイルエ、神様が備えてくださった 十字架の救い、神様の愛を受け取りましょう。


このクリスマスまでの期間、神様の愛、イエス様の決意についてもう一度深く考え、その愛を受け止めていましょう。


アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2020.12.13
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知恵をもって備える

テーマは 『 知恵をもって備える 』 です

【創世記41章33-36節】

それゆえ、今、パロは、さとくて知恵のある人を見つけ、その者をエジプトの国の上に置かれますように。

パロは、国中に監督官を任命するよう行動を起こされ、豊作の七年間に、エジプトの地に、備えをなさいますように。

彼らにこれからの豊作の年のすべての食糧を集めさせ、パロの権威のもとに、町々に穀物をたくわえ、保管させるためです。

その食糧は、エジプトの国に起こる七年のききんのための、国のたくわえとなさいますように。この地がききんで滅びないためです。」

先に起こることは 天地を造られた主のみが知っておられます。


主の摂理と計画は、主ご自身が立てるので 主は何でもかんでもご存じです。

ですから主は事前にそれらのことを教え、聞く耳のある人たちに恵みを注ぎます。


ノアに洪水のことを知らせ、箱舟を造らせたのも神でした。

もしノアが聞いても箱舟の供えをしなかったならば、洪水の時に助からなかったと思います。



備えることの重要性を、神はみことばを通して教えて下さいました。

聞いて備える人がさとくて知恵ある人です。


本文でも飢饉が来るから豊作の時に、飢饉の時のために食糧の供えをするように言われました。



そしてヨセフはパロの任命を受けてしっかりと備えたので飢饉を乗り越えることが出来ました。

その点を学ばないといけないです。


聖書で備えることを教えた箇所を読んで知恵を受けたいと思います。



【出エジプト記16章5節】

六日目に、彼らが持って来た物を整える場合、日ごとに集める分の二倍とする。」


【第1列王記4章27節】

守護たちは、それぞれ自分の当番月にソロモン王、およびソロモン王の食事の席に連なるすべての者たちのために、食糧を納め、不足させなかった。


【ヨブ記38章41節】

烏の子が神に向かって鳴き叫び、食物がなくてさまようとき、烏にえさを備えるのはだれか。


【箴言6章6-8節】

なまけ者よ。蟻のところへ行き、そのやり方を見て、知恵を得よ。

蟻には首領もつかさも支配者もいないが、

夏のうちに食物を確保し、刈り入れ時に食糧を集める。



【ルカの福音書12章47節】

主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。


【テトス書3章14節】

私たち一同も、なくてならないもののために、正しい仕事に励むように教えられなければなりません。それは、実を結ばない者にならないためです。


今が備えの時です。


何を備えるべきかは各自が祈りながら主に聞くことです。

主は答えて下さいます。
アーメン (´ω`)


2020.2.15
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アブラムから学ぶ金銭管理

テーマは 『 アブラムから学ぶ金銭管理 』 です

【創世記14章17-24節】

こうして、アブラムがケドルラオメルと、彼といっしょにいた王たちとを打ち破って帰って後、ソドムの王は、王の谷と言われるシャベの谷まで、彼を迎えに出て来た。

さて、シャレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。

彼はアブラムを祝福して言った。「祝福を受けよ。アブラム。天と地を造られた方、いと高き神より。

あなたの手に、あなたの敵を渡されたいと高き神に、誉れあれ。」アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。

ソドムの王はアブラムに言った。「人々は私に返し、財産はあなたが取ってください。」

しかし、アブラムはソドムの王に言った。「私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓う。

糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない。それは、あなたが、『アブラムに富ませたのは私だ』と言わないためだ。

ただ若者たちが食べてしまった物と、私といっしょに行った人々の分け前とは別だ。アネルとエシュコルとマムレには、彼らの分け前を取らせるように。」

正しい金銭管理が出来ないと 信仰生活も失敗します。

そのため聖書を通して、金銭に対する正しい教えを学ぶ必要があります。


金銭に対する悪い部分は次のことばにあります。


【第1テモテ6章9-10節】

金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる, 愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。

金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。

ですから聖徒たちは正しい金銭管理をしなければなりません。


模範的な金銭管理が出来た人物がアブラムです。

創世記14章では、まだ名前がアブラハムに変わる前ですから、アブラムの名前をそのまま使います。

アブラムは優れた金銭管理者でした。




神との関係での金銭管理




本文の18-20節には、アブラムが戦いに勝利して帰って来た時に、シャレムの王メルキゼデクが パンとぶどう酒を持って迎えました。


メルキゼデクは いと高き神の祭司でした。

彼がアブラムを祝福した後に、アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えました。


アブラムは、最初に神に十分の一をささげた人物です。


律法で十分の一のことが決まる前に、すでに十分の一をささげました。

命令されたわけでもないのに、なぜ十分の一をささげたでしょうか?


まずは神への感謝でした。



戦いでの勝利は、自分の力だけではなく 神の助けと守りがあったからなので、彼は感謝の気持ちを、十分の一をささげることで表しました。


また十分の一は、“神のものとして聖別” してささげる意味があります。


次の箇所には、十分の一は神のものであると はっきり書かれてあります。


【マラキ書3章8-10節】

人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか。』それは、十分の一と奉納物によってである。

あなたがたはのろいを受けている。あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。この民全体が盗んでいる。

十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。―― 万軍の主は仰せられる ―― わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。

信仰の人ヤコブも、次の箇所で十分の一にふれました。


【創世記28章22節】

石の柱として立てたこの石は神の家となり、すべてあなたが私に賜る物の十分の一を必ずささげます。」

アブラムがメルキゼデクに十分の一をささげたことは、彼の祭司職を認めたことを意味します。

私たちが神にささげる十分の一は、神がすべての主権者であることを認める意味があります。




隣人関係での金銭管理




隣人との金銭トラブルが原因で起こる事件も多いです。

ですから問題が起こらないような金銭管理が必要です。


今日の本文で、ソドムの王とアブラムの会話で、アブラムの金銭管理が見えます。


創世記14章の前の部分を読んでみて下さい。

自分ならばどうするのかも考えてみて下さい。


戦利品に対して、ソドムの王はアブラムに言いました。

「人々は私に返し、財産はあなたが取ってください。」と言われた時に、

アブラムは、「私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓う。糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない。それは、あなたが、『アブラムに富ませたのは私だ』と言わないためだ。」と言いました。



アブラムは自分が労苦して得ていない物は、受け取りませんでした。

糸一本、くつひも一本ということばを使ったのは、取るに足りない些細なものを象徴しています。


すなわち他人のものに対しては常に潔白であることです。



金や物にルーズな人も多いです。


人のものを平気に取る人や、借りても返さない人、他人の物も自分の物のように使う人など、金銭に対してルーズで 他人に被害を与えることは避けなければなりません。



アブラハムは金銭に対して きちんとしていました。

妻サラが亡くなった時に、ヘテ人に墓地を売るように言ったところ、ヘテ人は墓地をアブラムに差し上げると言いました。

それに対してアブラムは、タダでもらうことを喜んだのではなく、このように言いました。


「もしあなたが許してくださるなら、私の言うことを聞き入れてください。私は畑地の代価をお払いします。どうか私から受け取って下さい。そうすれば、死んだ者をそこに葬ることができます。」



もしアブラムが タダで受けたならば、後で色々な問題が出たと思います。

差し上げた人が、後から惜しむ心が出て、「土地を返してほしい」と言われると、トラブルになります。


アブラムが買った墓地には、アブラハムも息子イサク夫婦も、孫ヤコブとその妻レアも葬られました。

お金を払ったからこそ、その後も墓地を自由に使うことが出来ました。


自分のものでない物に対しては 欲を出さず、欲しがってはいけないです。


十戒の10番目にあることばです。


【出エジプト記20章17節】

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」


金を愛した取税人 ザアカイは、イエス様に出会ってから金銭感覚が180度変わりました。

騙して他人のものを取って金持ちになった人が、イエス様に出会ってからは 次のようになりました。


【ルカの福音書19章8節】

私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」



家族や親類での金銭管理




親子、兄弟、親戚の間で、お金や財産のトラブルは ますます増えてありますね。


親子関係でも、介護は嫌がるのに、財産は欲しがる者がとても多いです。

本当に醜い姿です。他人よりもひどい姿ですね。財産を一人占めしようと企んでいる人もいます。




皆さんはどのような金銭管理をしていますか?

また、もしトラブルがあった時にはどうしますか?



アブラムが取った行動から学びます。

おいロトとの間に問題が生じました。


アブラムもロトも祝福されて持ち物が多くなり、一緒に住むには場所が狭くなりました。



家畜の牧者たちの間にも争いが起こりました。

その解決策として、アブラムはおいロトに次のような提案をしました。


【創世記13章8-9節】

「どうか私とあなたとの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちとの間に、争いがないようにしてくれ。私たちは、親類同士なのだから。

全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」

アブラムは、相手に譲歩し、相手のことを優先しました。


これは一見、損しているように見えますが、長い目で見ると、決して損することはありません。

2人の結末を見ても分かります。


先にソドムを選んで行ったロトは、ソドムが滅ぼされる時に すべての財産を失いました。



アブラハムはどのようになりましたか?

アブラムのしもべの証言です。


【創世記24章35節】

主は私の主人を大いに祝福されましたので、主人は富んでおります。主は羊や牛、銀や金、男女の奴隷、らくだやろばをお与えになりました。

ロトには何も残らなかったですが、アブラムは死ぬ時まで祝福されて豊かでした。


欲張りは神からも人からも嫌われます。その結果、大切な人たちを失います。

そして人生の結末も良くないです。



お金をたくさん持っている人が幸せな人ではなく、お金が人を幸せにするのでもないです。


豊かな心を持つ人が幸せな人です。


人との関係を大切にする人が長く祝福されますし、人の益になることを先に考える人が神から祝福されます。


目先の利益に目がくらむ人になってはいけません。

神は金銭に対するテストもします。


箴言にも、レビ記の中にも、金銭に対する教えが多いので学びましょう。
アーメン (*・ω・)ノ


2019.1.20
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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アブラハムから学ぶ従順する信仰

テーマは 『 アブラハムから学ぶ従順する信仰 』 です

【創世記22章1-14節】

これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に、「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は、「はい。ここにおります」と答えた。

神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」

翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、ふたりの若い者と息子イサクとをいっしょに連れて行った。彼は全焼のいけにえのためのたきぎを割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ出かけて行った。

三日目に、アブラハムが目を上げると、その場所がはるかかなたに見えた。

それでアブラハムは若い者たちに、「あなたがたは、ろばといっしょに、ここに残っていなさい。私と子どもとはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻って来る」と言った。

アブラハムは全焼のいけにえのためのたきぎを取り、それをその子イサクに負わせ、火と刀とを自分の手に取り、ふたりはいっしょに進んで行った。

イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」すると彼は、「何だ。イサク」と答えた。イサクは尋ねた。「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」

アブラハムは答えた。「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」こうしてふたりはいっしょに歩き続けた。

ふたりは神がアブラハムに告げられた場所に着き、アブラハムはその所に祭壇を築いた。そうしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置いた。

アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした。

そのとき、主の使いが天から彼を呼び、「アブラハム。アブラハム」と仰せられた。彼は答えた。「はい。ここにおります。」

御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」

アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。

そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「主の山の上には備えがある」と言い伝えられている。

私たちが直面する多くの問題の原因になるのは、神に対する不従順の罪です。


神のことばに素直に従えば発生しなかった問題のほとんどが、神に従わなかったことが原因で発生します。

今まであった問題や苦難には、自分や家族の誰かの不従順の罪があったことを否定出来ません。



ですから問題の解決を願うならば、不従順の罪を悔い改めて 心を入れ替え、従順する人にならなければなりません。


アブラハムは 私たちに従順の模範を見せてくれた “信仰の人” です。

従順とは何かを見せてくれました。



創世記22章は、アブラハムにとっては人生最大の試練の時でした。

とんでもない大きな問題が降りかかって来ました。

それも、神から直接来た試練なので、神に助けを求めるわけにもいかなかったです。


神にも相談出来ないからといって、人間に相談しても解決するわけがないです。


このような大変な試練をどのように乗り越えたのかを見ると、そこにあるのは “神への従順” でした。




神のことばに対して 一切つぶやかず従順したアブラハム




アブラハムが神から受けた命令は、到底 理解も納得も出来ない命令でした。


「自分の子を全焼のいけにえとしてささげなさい」 と命令されたら、私たちはどうしますか?


まずは自分の耳を疑い、神ではなくサタンからだと思うでしょう。

「神がそんなことを言うはずがない」と思うのが当然ではないでしょうか。


そこから様々な思いが巡り、それを神にぶつけるのが普段の私たちのやり方です。



しかしアブラハムは違いました。

私たちは自分の思いと神の思いが違う時には、いつも不従順の道を選びます。

不従順の習慣が根強く残っているからです。


しかしこの時のアブラハムの辞書には、“不従順” という文字がなかったと思われます。

一言も言わず、彼は従順しました。


信仰の土台は神のことばです。


そして生きた信仰は、みことばへの従順です。

神のことばに有無を言わなかったのがアブラハムでした。




従順の実践が早かったアブラハム




アブラハムは神の命令があった翌朝、すべての準備をしてイサクを連れて、神が示す所に出かけて行きました。


アブラハムが感情もない石のような心の持ち主でしょうか?

また、息子を愛さないお父さんでしょうか?



アブラハムにとってイサクは愛してやまない存在でした。

また神の約束の子で、100歳の時に生まれた かけがえのない存在です。


神の命令に従うにしても、神に「しばらく息子と過ごす時間を下さい」とお願いするのが平凡な人たちの願いだと思いますが、アブラハムには そういうことがなかったです。


命令にはすぐに従うと思っていたのでしょう。

そして息子と共に時間を過ごしたら、きっと神に従うことは出来なくなると思ったでしょう。



従順を遅らせると、必ず誘惑するものが近づいてきて誘惑します。

サタンはいつもチャンスを狙って近づきます。


私たちが迷う時、モタモタしている時に、甘いことばを持ち込んできて、従順出来ないように邪魔をします。


これに引っかかる人が実に多いです。

アブラハムは惑わされないために、また不従順を警戒して すぐに実行に移したと思います。



従順は後回しせず、すぐに実践することです。


「神様を信じなさい」と言っても、「いつか信じます」と言う人は なかなか信じません。


しかし決断する人は、その時から信仰が芽生えてきます。

従順は早ければ早いほどしやすいです。


遅れれば遅れるほど 従順出来なくなります。



怠け者で不従順が身についているならば、その命令さえも忘れてしまいます。

行いが伴わない信仰は “死んだ信仰” です。

死んだ信仰がその人を救いますか?


すぐ従う人に神の祝福があります。




アブラハムは盲目的に従順したのではなく、疑わず確信をもって従順しました




この信仰はこの出来事の前からアブラハムにありました。

100歳の時に子どもが生まれると聞いた時、アブラハムが見せた信仰です。


【ローマ4章20-21節】

彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、

神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。

そしてその信仰通り 100歳の時に、息子イサクが生まれました。

そして、「その息子をささげなさい」と言われた時にも、アブラハムには別の信仰の確信がありました。


それは、“神には神の良い考えがある” と疑わずに確信していました。



イサクが「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」

と聞かれた時に「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」と答えました。


人間的には、アブラハムは息子を全焼のいけにえにしなければならない現実が苦しくて心を引き裂かれる思いがあったと思います。


しかし、そのことよりも上に置いたのが神への従順、神への愛、神への信頼でした。



偉大な信仰は、平凡な生活の中で生まれるものではないです。


激しい試練の中で、神を疑わず信じて行動する時に生まれるものです。


偉大な信仰は、誘惑に勝利した信仰です。

神のことばを守り抜いた信仰です。


このような信仰を見て、神は共にいて下さり祝福を与えます。



従順したアブラハムに神がかけた言葉は,本当に祝福の言葉でした。


【創世記22章16-18節】

わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、

わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。

あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」


不従順の罪を捨てて、アブラハムの従順の信仰を学びましょう。
アーメン v( ̄∇ ̄)v


2018.12.2
聖日礼拝メッセージ

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