からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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イザヤ書

聖霊によって私たちは変えられる

テーマは 『 聖霊によって私たちは変えられる 』 です

【イザヤ書32章15-17節】

しかし、ついには、上から霊が私たちに注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森とみなされるようになる。

公正は荒野に宿り、義は果樹園に住む。

義は平和をつくり出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。


今日はペンテコステの日です。


聖霊が下った日です。

聖霊が下った後に霊の世界に新しい変化が起こり始めました。


本文にもあるように、霊が注がれると荒野が果樹園に、果樹園が森になりました。


すなわち聖霊が注がれることによって肉的な人が霊的な人になり、肉の目しかなかった者には霊の目が開かれ、広い視野を持つ者になり、荒野で果樹園を、果樹園から森を見るビジョンの人に変わりました。




広い霊の世界があっても、霊の目が開かれないと見ることが出来ないです。

霊の目が開かれていない人には覆いがかけられてあります。


しかし聖霊を受けると 覆いが取り除かれ、霊の世界が見えるようになります。



【第2コリント3章12-16節】

このような望みを持っているので、私たちはきわめて大胆にふるまいます。

そして、モーセが、消えうせるものの最後をイスラエルの人々に見せないように、顔におおいを掛けたようなことはしません。

しかし、イスラエルの人々の思いは鈍くなったのです。というのは、今日に至るまで、古い契約が朗読されるときに、同じおおいが掛けられたままで、取りのけられてはいません。なぜなら、それはキリストによって取り除かれるものだからです。

かえって、今日まで、モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心にはおおいが掛かっているのです。

しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。



律法の知識がたくさんあっても聖霊を受けていない人には覆いがかけられてあります。

しかし無学な者でも聖霊を受けると霊の目が開かれ、霊の世界を見ることが出来ます。



霊の目は超越的な目です。

霊の目が開かれると神の計画、みこころ、価値あるもの、あらゆる可能性が見えてきます。


『 出来ない 』 と否定的だった者が、『 私は私を強くして下さる方によってどんなことでも出来ます。』 と信仰ある者に変わります。



このように 聖霊を受けると、まずその人の中に変化が起こります。

変化が起こることは約束されていました。



【使徒の働き1章8節】

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」



聖霊の力が自分の中に注がれるので、まず その力によって古い人が新しい人に変化します。


聖霊によって力のない者が力ある者になり、弱い者が強い者になり、否定的な者が肯定的な者になり、自信がなかった者が大胆な者になります。


そのように変えられた者が主の証人になります。



実際、主の弟子たちがそれを証明しました。

聖霊を受ける前と 受けた後の変化は誰の目にも明らかでした。


臆病だった彼らが人々の前で大胆に福音を伝える者になり、人を恐れない者に変えられました。

そして多くの聖霊の良い実を結ぶ者になりました。



荒野を見て否定的で不信仰だった弟子たちが、荒野から果樹園を見る霊の目が開かれ、希望とビジョンを語りました。

そして神様が聖霊を注ぐと、どのような変化が起こるかを人々に話しました。



【使徒の働き2章14-18節】

そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。

今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。

これは、預言者ヨエルによって語られた事です。

『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。

その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。



聖霊によって変えられると 主の証人になるだけでなく、良い実を結ぶ者になり、他の人にも良い影響を与える者になります。


ますます聖霊に満たされて実を結ぶ者になりましょう。


アーメン v( ̄∇ ̄)v


2023.5.28
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二つの恐れ

テーマは 『 二つの恐れ 』 です

【イザヤ書41章10節】

恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。


2019年から始まったコロナは未だに終わらず人々を苦しめ、世界の中に様々な問題を起こし、何一つ良いことがないです。


何よりも人々に恐れを植え付けました。

病気や死だけでなく、あらゆる不安や恐れをもたらしました。


そして2022年は誰も予想しなかった戦争が始まり、戦争の恐れがさらに加わりました。

そこからさらに悪いニュースが入って来るので、人々は不安を感じ さらに恐れが大きくなりました。


これらの恐れはよくない恐れです。

このような恐れは私たちにとって何一つ益になるものがないです。



有害な恐れは、私たちが克服しないといけない恐れです。

「第2テモテ」に出て来る恐れと臆病な思いは、神から来たものではないです。



【第2テモテ1章7節】

神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。


臆病と恐れの霊が入ると 人を恐れ、環境を恐れ、将来を恐れ、明日を恐れます。


悪いことが自分に起こるのではないかと、いつもびくびくします。

心が休まらないし強いストレスを感じます。


この恐れを克服するためには神を完全に信頼し、神を愛さないといけないです。



【第1ヨハネ4章18節】

愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。


私たちは完全な者でもなく弱い存在です。

それを知る神様は聖書全体を通して『恐れるな。』と励ましておられます。


神様は、神を愛し 信じる者を守ると約束して下さいましたので、そのことばを堅く信じることです。


イエス様は、恐れる者たちに「マタイの福音書」で次のように言われました。



【マタイの福音書10章31節】

だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。


自分の弱さや、必要が満たされないかも知れないと恐れてはならないと命じました。


詩篇の中に実際 信仰の人たちが、どのようにこの恐れと戦ったのかを見せています。



【詩篇56編11節】

私は、神に信頼しています。それゆえ、恐れません。人が、私に何をなしえましょう。


恐れがある状況の中で、神に信頼しながら恐れを克服しました。

完全な信頼がないと、恐れはいつでも私たちの心の隙間から入ってきて私たちの心を支配しようとします。


一番暗い時にも神に目を向けること、主がよくして下さることを信じるのが信頼です。



このような信頼は神を知る時に、また神が真実な神であることを知る時に生まれます。

ヨブが恐れ多い環境の中で どのように神を信頼したでしょうか。



【ヨブ記13章15-16節】

見よ。神が私を殺しても、私は神を待ち望み、なおも、私の道を神の前に主張しよう。

神もまた、私の救いとなってくださる。神を敬わない者は、神の前に出ることができないからだ。


このように神に信頼したからヨブは恐れに潰されず、恐れを克服して神の守りと祝福を受けました。


神に信頼するのを学ぶならば、人も環境も敵も恐れなくなります。








次に私たちに必要な恐れがあります。


この恐れは私たちに益をもたらす恐れです。


すなわち、“神への恐れ” です。

怖いと思うことではなく、敬うことです。


神の力、能力、栄光、怒りを軽く考えるのではなく、恐れおののく時に 多くの祝福と有益があります。

主を恐れる時に受ける祝福に何があるでしょうか?



【箴言14章26-27節】

力強い信頼は主を恐れることにあり、子たちの避け所となる。

主を恐れることはいのちの泉、死のわなからのがれさせる。


【箴言19章23節】

主を恐れるなら、いのちに至る。満ち足りて住み、わざわいに会わない。


主を恐れる者には 多くの祝福が約束されてあります。


しかし、愚かな者は 主を恐れないので滅びます。


主を恐れる人に、主は御使いたちを遣わして守って下さいます。

避け所になって下さいます。


悪い恐れで日々不安と心配の中で生きるのではなく、主を恐れて神の祝福と守りを受ける者になりましょう。


アーメン v( ̄∇ ̄)v


2022.5.15
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神様は新しいことをする

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【イザヤ書43章18-19節】

先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。

見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。


神様は創造主です。

無から有を作り出すことが出来る方です。


そして神様の中には無尽蔵の知恵があります。


神にとって不可能はないです。

人間の想像をはるかに超えて働く方です。


人間は神に対して無知なので神様の能力、知恵を理解することが出来ないです。

理解してもわずかな部分しか理解しないです。



神様のことに無知な人間に対して、神様はこのように宣言しました。


『見よ。わたしは新しいことをする。』


神様は人間に向かって『新しいことをしなさい』と語ったのではなく、『わたしが新しいことをする。』と言われました。

この部分がとても大切です。








読んで分かることは、ほとんどの人は自分に対して『いなご意識』を持っていることが分かります。


その意識によって『出来ない、無理だ』と否定的になり、神様に対しても不信仰になります。

次の箇所に『いなご意識」が出てきます。



【民数記13章32-33節】

彼らは探って来た地について、イスラエル人に悪く言いふらして言った。「私たちが行き巡って探った地は、その住民を食い尽くす地だ。私たちがそこで見た民はみな、背の高い者たちだ。

そこで、私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」


そして民全体が大声で泣き叫び、「できればこの荒野で死んだほうがましだ。エジプトに帰ったほうが、私たちにとって良くはないか。」と騒ぎ出しました。

神様の奇跡をさんざん見たにも関わらず、彼らは神様を無視しました。


それまで自分たちの力でしたことは一つもなく、いつも神様が新しいことをして導き守ったのに、まるで自分たちの力で、やってきたかのように思っていました。



カナンの地に住む人たちを見て、自分たちには戦う力がないと思い、絶望して神に文句を言い、不信仰の言葉ばかり口から出していました。

神様がこれからなさることには一切関心もなかったです。


期待しないなら、信仰が生まれないです。



海に道を作って自分たちを渡らせて助けて下さった神をすっかり忘れていました。


神様が奇跡を行う力が尽きたかのように、また自分たちに戦いをさせると思ってびびっていました。


人間は新しいことが出来ないです。

特に人間の力を超えたことは出来ないです。


出来ないことに対して『しなさい』とおっしゃったことがないです。

いつも神様が新しいことをします。








彼らが恐れたアナク人との戦いはどうなったでしょうか?

その時も神様が新しいことをしました。


神の命令に従って七日間黙って城壁を回り、最後に大きな声を上げた時に城壁が突然崩れ落ちました。

そして城壁に入る道が出来たので、その町を征服することが出来ました。


考えられない神様の不思議な方法が新しい奇跡を起こしました。



不可能を可能にするのが神様の特技です。


ですから『先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。』と言われました。

過去にあったことよりも大きなことをすると宣言しました。




子どもがいないアブラハムに約束通り子どもを与えたのも神様です。

100歳のアブラハムに90歳の不妊の妻サラからイサクが生まれました。


40歳で同胞のために立ち上がったモーセでしたが、うまくいかず40年間失敗したような人生を送り、80歳になった時に神様が突然現れてイスラエルの民をエジプトから解放する指導者にしました。


80歳のモーセにどんな力があったでしょうか。

なんの力もありませんでした。


ですから神様に呼ばれて一番びっくりしたのがモーセ自身でした。

誰の目からも一番ふさわしくないように思われましたが、偉大な働きが神によって出来ました。


いつも働いたのは神様で、モーセは神様から言われたことだけをパロや民に伝えました。








神様は自分の力を誇る者は使わないです。

何も出来なくなった者を選んで 人生改革を行います。


荒野の人生に道を、荒地に川を設ける方です。


自分の人生が荒野でも荒地でも 神様には問題ではないです。

神様は私たちの人生で新しいことをしようとします。


神様の手に自分の人生を任せる人には、神様が必ず新しいことをなさいます。


毎日新しいことをする神様に信仰をもって期待することです。


アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2022.4.3
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神の子キリスト

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【イザヤ書9章6節】

ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。


ひとりのみどりご とは、神が神の民に遣わすと約束した神の子としてのメシヤであるイエス様です。


イエス様が神の子として、人間の体をもってこの世に生まれることは、何人かの預言者も預言し、イザヤも預言しました。

またイエス様がこの世に生まれた後も、神様が直接 “神の子” であると宣言しました。



ヨハネから水のバプテスマを受けて 水の中からあがると、すぐに御霊が下って来て、『あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。』という声が聞こえました。


三人の弟子と高い山に登った時も、輝く姿に変わった時に雲の中から声がしました。

『これはわたしの愛する子。彼の言うことを聞け。』


悪霊までもイエス様を見て、『いと高き神の子イエスよ、私とあなたに何の関係があるのですか。神によってお願いします。私を苦しめないで下さい。』とイエス様が神の子であることを告白しました。



神の子、メシヤとして来られた方に、神はいくつかの名を付けて下さいました。

『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君、インマヌエル』という名が与えられました。


神の子キリストは、『王としての主権者、不思議な方法で救いを完成する方、完全な知恵がある統治者、全能なる力がある方、宇宙を創造した永遠の存在、人間と神との間を和解する方、共におられる方』です。


この方こそがメシヤです。


神はイエス・キリストに、天と地のすべての権威を与え、万物をすべて与えました。



ですからイエス・キリストを神の子として、メシヤとして信じることはすごく重要なことです。

なぜならば神の子を信じる者と信じない者が受けるものは全然違うからです。


【ヨハネの福音書3章36節】

御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。


御子を信じる者には永遠のいのちですが、信じない者には神の怒りが下ります。

何もなく済むことがないです。


また御子によって私たちは罪の赦しを受けます。


【コロサイ1章14節】

この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。


イエス様を神の御子として信じる者は罪の赦しを受けますが、信じない者は罪が赦されることがなく、罪人のままです。


またイエス様は神の子として悪魔のしわざを打ち壊すために来ました。


【第1ヨハネ3章8節】

罪を犯している者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現れたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。


ですから神の子を信じる者に、神は悪霊を追い出す権威を与えて下さいました。

イエス様は悪魔に完全な勝利を収めた方です。


そして神の子・キリストを信じる者に与えられた特権があります。

それは信じる者が神の子になれるという特権です。


【ガラテヤ3章26節】

あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。


天の永遠の住まいに入れる人は、信仰によって神の子になった人たちだけです。


そして神の子になった者たちは、神に対してイエス様のように 親しく『アバ、父よ。』と呼ぶことが出来ます。

神の子になっていない人は、このように呼ぶことは絶対ないです。



イエス様は預言通りに地上に生まれ、メシヤとしての活動をし、救いを完了し、またその名にふさわしい働きをしました。


言われた通りの働きをしましたが、自分勝手な先入観や 誤った解釈で真理を悟っていない人は、メシヤとして認めず受け入れを拒否し、迫害しました。

真理を悟らないと、霊の目が見えないとメシヤが目の前で明らかにされても受け入れることが出来ないです。



受け入れないと不信仰の罪を犯し、救われることなく、神の裁きを受けると聖書には書いてあります。


神の子イエス・キリストにつまずかない人こそが幸いな人です。


アーメン (・∀・)


2021.12.12
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メシヤの受難と勝利

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【イザヤ書53章1-12節】

私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現れたのか。

彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。

彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。

まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。

しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。

彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。

しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。

彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかったが。

しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。

彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。

それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。


イザヤ書53章は、メシヤであるイエス・キリストの受難の預言が 一番具体的に書かれてあります。


イエス・キリストが受けた受難を思いながら読むと、説明が要らないほど具体的です。

そのままでもメッセージになります。


この預言は メシヤが来られる700年前に預言されましたが、まるで現場を見ているようです。



メシヤが地上に来られた目的は一つだけでした。

罪人である人間を贖うために 自分が贖いのいけにえになるためでした。


誰も予想出来ない神の計画でした。

聞いても理解する者はいませんでした。



人々は神が示したメシヤではなく、自分たちが考えたメシヤを待っていました。

人間が期待するメシヤとは ヒーローのような存在で、突然現れて悪人たちを一瞬に打ち破って困った自分たちを助けてくれる力があり、格好良いメシヤでした。


ですから似ても似つかないイエスという人が自分のことをメシヤと言ったので疑い、拒否しました。


田舎出身で、学歴もなく、貧しく、みすぼらしく、見とれるような姿も、輝きも、見栄えもしない人をメシヤとして信じることは無理でした。

期待を裏切ることなので拒否しました。


奇跡を行ってもそれはサタンの力だと言い、メシヤと認めず、苦しめ、十字架につけて殺しました。






人々を惹きつけるヒーローのような姿で来たら良いのに、なぜ神はみすぼらしい姿のメシヤを遣わしたのでしょうか。


神は、人が見た目を重視することを知っていました。

目の欲があるからです。


ですから敢えてメシヤを、人目を惹くような姿ではなく、信仰がないと信じることが出来ない姿、神のことばを正しく知らないと受け入れることが出来ない姿にしました。


メシヤは人気を得るためのヒーローではなく、罪人たちを救うために犠牲のいけにえになる小羊としての働きをするために来られました。



自分自身を徹底的に低くした理由は、私たちへの愛でしたが、人々の目にはその愛が見えませんでした。


外見だけを見てつまずきました。

今も十字架のキリストをそのような目で見る人々が大勢います。


ですからペテロはこのように注意を与えました。


【第1ペテロ3章3-4節】

あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、

むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。


イエス様の内面を見た人はメシヤとして受け入れます。

主の成長の過程や生涯、そして主が受けた受難とみことばによって見るならば、救い主であることが分かります。


キリストが受けた苦難はすべて、罪を犯した私たちのためでした。


【イザヤ書53章8節】

しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。


【第1ペテロ2章24節】

そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。


罪を犯した人間は、罪の代価を払わないと永遠の死です。


しかし、人間には罪の代価を払うものを持っていないです。


ですからキリストが来られ、ひどい苦しみを受けながら十字架にかかり、血を流して私たちの代わりに罪の代価を払って下さいました。

それを知って自分の罪を告白し、主からの救いの恵みを求める人は罪赦されます。


【マタイの福音書20章28節】

人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」





サタンは人間が罪のまま死んで永遠に滅びることを願っています。

しかし神は 人々を愛するので、すべての人が罪から救われることを願ってキリストを通して、罪の代価を払って、救いの道を完成しました。



完成された救いのわざを信仰で信じるならば、永遠のいのちがある神の御国に招き入れられますが、罪のまま死ぬならば、永遠に地獄で苦しみながら罪の代価を払わないといけないです。


救いの恵みはずっと続くことはないです。

サタンもそれを知って、人間が救われないように不信仰の心を与えています。


死んだら無になることは絶対にないです。


キリスト教は、自分の行いによって天国に入るために頑張るのではないです。


いくら良い行いをしても罪は消えないです。


キリストによって すでに完成された救いのわざを 信仰によって受け入れる時に 罪赦され、キリストの恵みによって天国に入ります。


みなさんは救われていますか?

それとも  まだですか。


救いを受けてほしいです。


アーメン (・∀・)


2021.3.28
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つまずいても、つまずきを与えてもいけない

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【イザヤ書8章11-16節】

まことに主は強い御手をもって私を捕らえ、私にこう仰せられた。この民の道に歩まないよう、私を戒めて仰せられた。

「この民が謀反と呼ぶことをみな、謀反と呼ぶな。この民の恐れるものを恐れるな。おののくな。

万軍の主、この方を、聖なる方とし、この方を、あなたがたの恐れ、この方を、あなたがたのおののきとせよ。

そうすれば、この方が聖所となられる。しかし、イスラエルの二つの家には妨げの石とつまずきの岩、エルサレムの住民にはわなとなり、落とし穴となる。

多くの者がそれにつまずき、倒れて砕かれ、わなにかけられて捕らえられる。

このあかしをたばねよ。このおしえをわたしの弟子たちの心のうちに封ぜよ。」


聖書は私たちに警告しています。

つまずいてもならないし、つまずきを与えてもならない と。


「それがそんなに重要なことですか?」と疑問を持つ人がいるかも知れませんが、とても重要であるので 主は何度も警告しました。


つまずくことは、自分で勝手に引っ掛かり倒れることもあれば、人を引っ掛けて倒す人もいます。



信仰につまずく結果は地獄です。

最後のさばきの時はつまずいた者も つまずきを与えた者も 主の前で言い訳をしても、それは通らないです。


永遠のいのちと天国とも関連があるので、とても重要です。


二つの大きなつまずきがあります。

イエス様に対するつまずきと、人間に対するつまずきがあります。




イエス様に対するつまずき




今日のことばはメシアに対する預言です。

預言の中で、イスラエルの人々がメシアにつまずくことが預言されました。


そしてメシアに対する正しい知識を持たなかった多くの者がつまずきました。

彼らの姿をみてイエス様はこのように語りました。


【マタイの福音書11章6節】

だれでもわたしにつまずかない者は幸いです。


なぜ待ち望んだメシアなのに、メシアとして来られた主を受け入れず つまずいたでしょうか?

それは彼らのことばで原因を知ることが出来ます。



まずはイエス様が育ったナザレの町の人々のつまずきの原因です。


【マタイの福音書13章53-58節】

これらのたとえを話し終えると、イエスはそこを去られた。

それから、ご自分の郷里に行って、会堂で人々を教え始められた。すると、彼らは驚いて言った。「この人は、こんな知恵と不思議な力をどこで得たのでしょう。

この人は大工の息子ではありませんか。彼の母親はマリヤで、彼の兄弟は、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではありませんか。

妹たちもみな私たちといっしょにいるではありませんか。とすると、いったいこの人は、これらのものをどこから得たのでしょう。」

こうして、彼らはイエスにつまずいた。しかし、イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、家族の間だけです。」

そして、イエスは、彼らの不信仰のゆえに、そこでは多くの奇蹟をなさらなかった。


田舎の貧しい家で生まれ、教育もまともに受けたことのない者がメシアのはずがない と思いました。

もしイエス様が王や貴族の息子であったならば人々はメシアとして認めたと思います。


神がメシアの姿を教えたにも関わらず、彼らは自分たちの判断や考えでみことばを退け、つまずきました。



また多くの弟子たちは、イエス様が「わたしは天から下って来たいのちのパンである」と教えただけで変人扱いし、悪口を言ってつまずき離れ去りました。


またある者たちは、十字架で苦しみながら死んだ主を 無能で力がなく、自分も救うことが出来ない者がメシアのはずがない と思ってつまずきました。


「メシアは十字架の苦しみを受ける」 と預言されたにもかかわらず、十字架につまずきました。


【第1コリント1章23-24節】

しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、

しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。


神の御言葉の上に立たず、自分の考えや偏見、判断に頼る者は必ずつまずきます。


それが本人にとって信仰を邪魔し、罠になり、救いから遠ざけるので、結局は自分で呪いの道を選ぶようになります。


そのため、神のことばにあるメシアの姿とイエス様の姿をよく知る必要があります。




人に対してのつまずきと警告




人に対しては、つまずきを与えたり つまずいてもいけないです。


この警告を無視すると、後につまずくことになります。

なぜなら主がこのように警告したからです。


【マタイの福音書24章10節】

また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。


【ルカの福音書17章1-2節】

イエスは弟子たちにこう言われた。「つまずきが起こるのは避けられない。だが、つまずきを起こさせる者はわざわいだ。

この小さい者たちのひとりに、つまずきを与えるようであったら、そんな者は石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです。


イエス様は、「偉大な人をつまずかせてはならない」と語ったことは一度もありませんでした。

いつも “小さい者” ということばを使いました。


小さい者とは、子どもや見下された人、貧しい者、弱い者など 社会的に弱者のことです。

見下げられやすい人たちのことです。



イエス様が地上に来られた目的を見ると、主のこころが分かります。


【ルカの福音書4章18-19節】

「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、

主の恵みの年を告げ知らせるために。」


ですから小さい者につまずきを与えることは、主の救いの働きを妨害する者になります。


【マタイの福音書18章6-7節】

しかし、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましです。

つまずきを与えるこの世はわざわいだ。つまずきが起こるのは避けられないが、つまずきをもたらす者はわざわいだ。



自分がもつ権利と自由で 人につまずきを与えてもいけないです




【第1コリント8章9節】

ただ、あなたがたのこの権利が、弱い人たちのつまずきとならないように、気をつけなさい。


【第1コリント8章13節】

ですから、もし食物が私の兄弟をつまずかせるなら、私は今後いっさい肉を食べません。それは、私の兄弟につまずきを与えないためです。



主の働きをしている中でも 人につまずきを与えないように気をつけることです




【第2コリント6章3-4節】

私たちは、この務めがそしられないために、どんなことにも人につまずきを与えないようにと、

あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。すなわち非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、



つまずきを与えないために、つまずかないために すべきこと




嫌なことされても、自分で仕返しをしない、誘惑されても罪を犯さない、他人が間違った信仰を持っていても 自分の信仰まで捨てる必要はないことを心に留めることです。


悪いものが心に入ると 苦い根を下ろすので、定期的に心を点検して苦い根を取り除くことです。

罪と死の影響を受けないためです。


また、聖霊に満たされることです。

満たされないと すぐに人を非難したり、傷を受けたり、誘惑を受けやすくなり、惑わされてしまいます。


油断してはいけないです。


【ヘブル12章15節】

そのためには、あなたがたはよく監督して、だれも神の恵みから落ちる者がないように、また、苦い根が芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりすることのないように、


つまずきの罪をいつも警戒して、神の恵みと救いにとどまりましょう。


アーメン ( -д-)ノ


2021.2.7
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肉の人から霊の人ヤコブへ

テーマは 『 肉の人から霊の人ヤコブへ 』 です

【イザヤ書41章8節】

しかし、わたしのしもべ、イスラエルよ。わたしが選んだヤコブ、わたしの友、アブラハムのすえよ。

【イザヤ書41章14節】

恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。わたしはあなたを助ける。──主の御告げ──あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。


今日のことばは神がイスラエルの民に向かって語ることばですが、そこにヤコブという名前が出てきます。

ヤコブとイスラエルは同一人物です。


元々の名前はヤコブですが、神が彼に「イスラエル」という名を与え、それが後に国の名前にもなりました。


ヤコブという名前がイザヤ書には何度も出てきます。

神はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼ばれました。






ヤコブは最初から霊の人ではありませんでした。

肉の人でした。


神は彼を霊の人にするために厳しい試練の中に導きました。


ヤコブは遠くに住むおじラバンの家で20年間労苦しました。

ヤコブが愛したラバンの娘ラケルを得るために14年間も働きました。


また羊の世話に6年間も仕えました。

重労働の日々でした。


その時の苦しさをヤコブはこのように言いました。


【創世記31章38-42節】

私はこの二十年間、あなたといっしょにいましたが、あなたの雌羊も雌やぎも流産したことはなく、あなたの群れの雄羊も私は食べたことはありませんでした。

野獣に裂かれたものは、あなたのもとへ持って行かないで、私が罪を負いました。あなたは私に責任を負わせました。昼盗まれたものにも、夜盗まれたものにも。

私は昼は暑さに、夜は寒さに悩まされて、眠ることもできない有様でした。

私はこの二十年間、あなたの家で過ごしました。十四年間はあなたのふたりの娘たちのために、六年間はあなたの群れのために、あなたに仕えてきました。それなのに、あなたは幾度も私の報酬を変えたのです。

もし、私の父の神、アブラハムの神、イサクの恐れる方が、私についておられなかったなら、あなたはきっと何も持たせずに私を去らせたことでしょう。神は私の悩みとこの手の苦労とを顧みられて、昨夜さばきをなさったのです。」

神はなぜヤコブをおじラバンの家に送ったでしょうか。

母の提案でしたが、神がその中で働きました。


ヤコブを孤独にさせ、誰にも頼らず、神だけに頼る霊の人にするための計画でした。


神は誰とも歩む方ではありません。

神から顔をそむける人、自分の力に頼って生きる人とは共に歩まない方です。



ヤコブは労苦と孤独の中で、離れた故郷や両親のことを思いながら、神を求める者になりました。


霊の人、神のしもべになる人は神に目を向け、神を慕い求めないといけないです。

自分の肉を十字架につけないといけないです。


そして神が与えた使命の十字架を負って狭い道、厳しい道を歩まないといけないです。


それが神の栄光のために生きる人生であり、神の御心に従って歩む道です。




虫けらのヤコブは自分の肉の弱さやみじめさを知り、神を切に求める者になりました。


ヤポクの渡しで夜通し、ある人と格闘しました。


神の使いでしたが、その時、ヤコブはこう言いました。

「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」


切に神を求める姿がありました。

そこで虫けらのヤコブはイスラエルという名を神からもらいました。



神を知れば知るほど、求めれば、求めるほど、神はその人に患難も苦しみも与えますが、その中で霊の人に変え、祝福の道具として用いて下さいます。


神は神の計画や神のみこころを霊の人を通して行いますし、神を現します。


強い者にして、世の権力者の前でも大胆な者にさせます。


霊の人はこの世に勝つ信仰ある人です。

アーメン v( ̄∇ ̄)v


2020.11.1
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この時代を乗り越える力

テーマは 『 この時代を乗り越える力 』 です

【イザヤ書40章28-31節】

あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。

疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。

若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。

しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

今年は、今を生きる人にとってはコロナという新しい疫病に翻弄されています。

またそれによる様々な影響で、辛い時期を生きる人も多いと思います。


しかし長い歴史を振り返るならば、どの時代にも試練や心配や困難はありました。


人生の嵐が予期しない時に突然やって来るので、それに対処できない人は 波にのまれることが多いです。



人間は誰もが弱いです。

しかし弱いから皆が波にのまれることはないです。


波が来る時に、どのように対処するかによって、波の被害を受けずに乗り越えることが出来ます。


神は、神の民たちに多くのことを教えておられます。


この世という荒野で私たちが乗り越えていくように、また神の守りと導きを受けるように、またどのように戦うべきか、どのように神の保護を受けるかを すべてを教えて下さいました。



私たちが家電製品を買うと、保証書はもちろん 分厚い説明書も一緒にもらいますが、それは大事なものです。


買った時に説明書を全部読む人はほとんどいないと思います。

しかし何かのトラブルが起きた時にはそれがとても役に立ちます。


保証書は無料でアフターサービスを受けるので とても助かります。

それらのものを活用することでトラブルを解決していきます。


私も先月クレジットカードの不正使用の被害に遭いましたが、被害補償制度を使って問題を解決してもらいました。

説明通りに取り組むと解決の道が開かれます。



人生のトラブルに対する一番の説明書は聖書です。

聖書には解決の道がたくさん書いてあります。


予期しない嵐、困難な時代を乗り越える力があることも神は教えて下さいました。


人生の嵐に出会った瞬間は、すぐに避け所である神の御翼の陰に身を避けることです。


信仰によって約束のことばを信頼し、神に祈りをささげていくと心に平安が来ます。


【詩篇91編4-6節】

主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。

あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。

また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。


ダビデ王が突然の危機にあった時にそのようにしました。

その時の彼の様子です。


【詩篇3編1-6節】

主よ。なんと私の敵がふえてきたことでしょう。私に立ち向かう者が多くいます。

多くの者が私のたましいのことを言っています。「彼に神の救いはない」と。

しかし、主よ。あなたは私の回りを囲む盾、私の栄光、そして私のかしらを高く上げてくださる方です。

私は声をあげて、主に呼ばわる。すると、聖なる山から私に答えてくださる。

私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。主がささえてくださるから。

私を取り囲んでいる幾万の民をも私は恐れない。

神に身を避けた疲れた者に神は慰めと平安を与えます。


そして神はその人に新しい力を与えます。

それによって絶望、心配、悩みから抜け出て、鷲のように翼をかって上ることが出来ます。


神には無限の力があります。


神に身を避ける者にその力を与えて下さいます。


神は魚を与える方ではなく、魚を捕る技術や道具を与えて、私たちが生きるように助けて下さる方です。


それを経験した人たちはどの時代でも乗り越える力を持っています。

使徒パウロの告白です。


【ピリピ4章11-13節】

乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。

私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。

私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

アーメン (*´∇`*)


2020.10.4
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2つの顔を持つキリスト

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【イザヤ書9章6-7節】

ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。

“ 2つの顔を持つ人” と言われると、何が思い出されますか?


私はジキルとハイドのことを思い出しました。

小説に登場する人物で、二重人格で善人と悪人の顔を持っています。


イエス様にも2つの顔がありました。

善人と悪人ではなく、“ 神と人間 ” という まったく異なる性質を同時に持っていました。


イエス様が誕生する700年も前に、神は預言者イザヤを通して、メシアの預言をしました。

そのメシアがイエス・キリストですが、神はイザヤを通して2つの顔を持つ異なるメシアを紹介しました。



これを知らないと、イエス・キリストを理解することは出来ません。

また理解するならば、イエス・キリストがまことのメシアであることが分かります。




神の顔を持つイエス・キリスト




今日の本文が、神としてのイエス・キリストを紹介しました。


「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」
そして「主権、王座、王国」などは神としてのキリストの姿です。

これは人間ではなく、神の性質をもって来られたキリストを語っています。



神としてのキリストを 誰よりもよく知っていたのは悪魔でした。


悪霊に取りつかれて墓場に住んでいた男がイエスを見ると、叫び声をあげ、御前にひれ伏して大声で言いました。


【マルコの福音書5章7節】

「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのですか。神の御名によってお願いします。どうか私を苦しめないでください。」

誰もその人から悪霊を追い出すことは出来ませんでしたが、悪霊はイエス様を見るなり、その前にひれ伏しました。



イエス様には 悪霊を制する力があることを知っていたからです。

悪霊は、霊の存在である神を知っています。


悪霊までもがイエス様が神であることを認めました。

そして病人を癒したり、様々な奇跡を行う姿を見て、人々はイエス様が神であることを知りました。



次の箇所にはイエス様の2つの姿を明確に教えています。


【ピリピ2章6-8節】

キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、

ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、

自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。



人間の顔を持つイエス・キリスト




次に、神がイザヤ預言者を通して語ったキリストの姿は、人間の姿です。

それも、苦難を受ける人間の姿です。


イザヤ書53章全体は人間として生まれ、人々から のけ者にされ、痛めつけられ、苦しみを受けるキリストの姿、すなわち十字架の苦しみを受ける姿が預言されてあります。


主のために道を備えたバプテスマのヨハネも、イエス様を見た時に言いました。


【ヨハネの福音書1章29節】

見よ、世の罪を取り除く神の小羊。

なぜ神であるイエス様が人間として生まれ、十字架の苦しみを受けなければならないのか、その理由は世の罪を取り除くためでした。



次の箇所にはキリストについて詳しく書かれてあります。


【第1ペテロ2章22-24節】

キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。

ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。

そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

キリストが人間にならなければ、人間の罪を その身に負うことが出来ないので、人間の姿になりました。



人類を罪から救うためには、誰かが代価を払わなければならないのに、すべての人類の中で それを出来る者が存在しないので、神はひとり子を人間の姿にして地上に送り出しました。


ですからキリストが十字架にかかり、救いの計画を成し遂げた時に、「完了した。」と宣言しました。



神の救いの計画は、
イエス様が2つの性質、すなわち神の性質と人間の性質を同時に持っていたからこそ出来たことです。


神だけであっても、人間だけであっても、それは不可能でした。

ですから人間の顔しか持っていない者が、「自分は神である」と言っても、それは嘘です。



しかし神の性質を持っている方が、神と言ったらそれは嘘ではないです。


イエス様に対してはこのような証言もありました。

キリストの十字架の死を誰よりも近くで見た者たちの証言です。


【マタイの福音書27章54節】

百人隊長および彼といっしょにイエスの見張りをしていた人々は、地震やいろいろの出来事を見て、非常な恐れを感じ、「この方はまことの神の子であった」と言った。

救い主として世に来られたイエス様に出会い、その救いを受けた人は幸いな人です。



救われずには誰も天国に入ることも、永遠のいのちを得ることも不可能です。


まだ出会ってない人は 必ず救い主イエス・キリストに出会って、魂が救われますように。
アーメン (・∀・)つ


2018.12.23
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鷲が翼をかって上るように

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【イザヤ書40章28-31節】

あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。

疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。

若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。

しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

上って行く人生もあれば、下って行く人生もあります。

人間 誰もが上って行く人生は願っても、下って行く人生は望んでいないと思います。


上って行く人生は、繁栄していく人生ですから素晴らしい人生です。


主を信じる人に、主が願うことは何でしょうか?

本文にあるように、鷲のように翼をかって高く上って行く人生です。


永遠の神、力ある神、創造主である神を信じながら、下って行く人生はありえないからです。


しかし神を信じながらも 上って行く人生ではなく、翼を広げたこともなく 下って行く人生を生きるならば、それは聖霊を悲しませる行為であり、主の元に帰ることも出来ないです。



上って行く人生とは、“すべてが思いのまま うまくいく人生” と思ってはいけないです。

イエス様は次のように語りました。


【ルカの福音書9章25節】

人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。

富、名誉、権力、知恵など 欲しいものすべてを手に入れた人を成功者と言いますし、上って行く人生だと思っています。



しかし主の思いと人間の思いはまったく違います。


すべてを手に入れても神なしに生きる人、まことのいのちがない人は下って行く人生です。


上って行く人生は、神への望みを抱いて、いのちの翼をかって上って行きます。



その人たちの価値観、生きる意味、優先順位は世の人とは違います。


【ピリピ3章20-21節】

けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。

キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

自分の国籍が天にあること、自分は神の民であること、そして天国が、自分が住むべき所、いつか帰る家であることを自覚して生きています。


口を開くと天国の話をします。

心がこの地上ではなく、上(天)にあります。

そのような人の体は 地上にあっても、心はこの世にありません。






神はその人たちを鷲が翼をかって上ることが出来るように訓練します。


いくら気持ちがあっても、翼があっても、訓練をしないと飛ぶことは出来ません。

翼に力と生命力がないと飛べないです。


ですから神は ご自分の子たちが高く飛べるように、鷲がひなを訓練するように「訓練する」と、はっきり語りました。

次の箇所で、神はイスラエルの民への訓練を鷲のひなの訓練に例えました。


【申命記32章10-11節】

主は荒野で、獣のほえる荒地で彼を見つけ、これをいだき、世話をして、ご自分のひとみのように、これを守られた。

鷲が巣のひなを呼びさまし、そのひなの上を舞いかけり、翼を広げてこれを取り、羽に載せて行くように。

鷲はひなのために柔らかい快適な巣を作ります。

ひなが安心出来る場所を作り、えさを与え、敵からもしっかり守ります。


しかし、しばらくすると巣を荒らします。

ひなにとっては大試練です。

何が起こるかわからない不安だけがあります。


いつまでも居心地の良い場所にいると思ったのに、とんでもないことが起こります。

親鷲は巣を壊し、ひなをそこからつき落とします。


ひなは羽があっても 羽に力がないので、うまく飛ぶことが出来ず真っ逆さまに落ちて行きます。

死の恐怖です。



見守る親鷲は、ひなが岩に当たることがないように すばやく羽を広げて、ひなを載せて高く舞い上がります。

そのように繰り返しひなを訓練します。

訓練によって、ひなは自力で空を飛ぶことが出来ます。


高く飛ぶように、広い世界で生きるように造られてありますので訓練によってそれが出来るようになります。






神の民は、上って行く人生を生きるように召された者です。

堕落した地上を離れ、天に向かって上って行く人生を生きなければなりません。


そのため、神は召された者を必ず訓練します。


【申命記8章5節】

あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを、知らなければならない。

【ヘブル12章5-11節】

そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。

主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」

訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。

もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。

さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。

なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。

すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。

訓練によって失うものは一つもなく、むしろ得るものが多いです。

平安の義の実が結ばれます。


【ローマ5章3-5節】

そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、

忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。

“神を信じているのに どうして患難ばかり多いのか” と思っていますか?

神が自分を訓練しているとは思いませんか?


忍耐は祝福から生み出されるものではなく、患難の中で生み出されます。

品性は忍耐の中で生み出されます。


そして希望は練られた品性によって生み出されます。

この希望は天国への希望、永遠への希望です。


主に早く会いたいという希望です。その希望が魂の翼に生命力を与えます。


希望のない人は上ることが出来ないです。


この希望によって、迫害の中でも聖徒たちは平安と喜びに満たされて 神を賛美することが出来ました。


心は縛られることなく、翼をかって神の所に上り、神と交わりました。


神はたましいの翼に力をつけるために訓練をします。

訓練によって翼に力が出てきます。


そして、永遠の希望をもって 天に向かって上って行く人生を生きるようになります。


みなさんの翼にさらに力が与えられますように。
アーメン v( ̄∇ ̄)v


2018.1.14
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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