からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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ルカの福音書

神様と私たちとの関係を見つめ直す

テーマは 『 神様と私たちとの関係を見つめ直す 』 です

【ルカの福音書17章11-19節】

そのころイエスはエルサレムに上られる途中、サマリヤとガリラヤの境を通られた。

ある村に入ると、十人のツァラアトに冒された人がイエスに出会った。彼らは遠く離れた所に立って、

声を張り上げて、「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください」と言った。

イエスはこれを見て言われた。「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。」彼らは行く途中できよめられた。

そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、

イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であった。

そこでイエスは言われた。「十人きよめられたのではないか。九人はどこにいるのか。

神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」

それからその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。」


この話を通して、私たちは神様と私たちの関係を見つめ直していきましょう。


ここでは神様との関係で3つのタイプが出てきます。




その場にすらいない人




① その場にすらいない人

そもそも問題があってもなくても、このキリストこそが神様であり、癒し主であり救い主と聞きながらも興味を持たずに、イエスの元にすら来ようとしない人。




9人のユダヤ人




② 9人のユダヤ人

問題があった時、困った時に神様を頼って、神様が助けてくれるはずと思い、神様を求めるものの、問題が解決したら自分の生活に戻る人。


結局は自分中心であり、自分のことだけを考えています。

神様中心、神様との人生ではなく、自分の人生であり、体が痛い時に病院に行く感覚で、何かあった時にだけ神様を求める姿です。


1人のサマリヤ人




③ 1人のサマリヤ人

問題があった時もない時も、神様がいつも助けてくれると思い、神様を求め、実際に問題が解決された時は 神様の元に戻り、ひれ伏し、感謝しながらあがめて神様を礼拝し、神様と一緒に生きる人。


このサマリヤ人がイエス様に感謝をささげる前にしたことが2つあります。


その2つが、クリスチャンにとっては感謝することと同時に大事なことであり、ついつい信仰歴が長くなったりすると忘れてしまうことです。



初めにこのサマリヤ人が行ったことは「大声で神をほめたたえること」です。


神様が自分の祈りを聞いてくだって癒されたことを知り、「すべては神様がなさったことであり、私に恵みを与えてくれた」ことを悟り、心の中だけではなく実際に大声で神様をほめたたえたのです。


それから神様をほめたたえるだけではなく、実際にイエスの元に帰ってきました。


自分の心の中だけで「治ってよかった!感謝!」で終わるのではなく、神様をほめたたえ、実際に直接お礼を言いに行くためにイエス様の元に帰ったのです。




イエス様自身もこのサマリヤ人に対して言った言葉は「感謝しているのはこのサマリヤ人だけなのか」という言葉ではなく、次のような言葉でした。


【ルカの福音書17章17-18節】

そこでイエスは言われた。「十人きよめられたのではないか。九人はどこにいるのか。

神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」


イエス様がこのサマリヤ人に対して言ったのは、「神をあがめるために戻ってきた者」ということです。



ここで私たちが分かるのは、重要なことは神様にお願いを持って祈りをささげ、その祈りが叶えられた時に大切なのは簡単な「感謝します」の言葉ではなく、実際にそれを通して、神様をあがめる姿、また、神様の元に帰る姿です。


私たちに求められているのは神様を神様としてあがめ礼拝すること、また神様の元にしっかり戻ることなのです。


神様を困った時に助けてくれる神と思って生き、困った時にだけ頼るのか、それとも困った時も助けてくれる神様をあがめて いつも一緒に生きるか、どちらかを選択することです。


アーメン (*´∇`*)


2022.9.11
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悔い改めと謙遜

テーマは 『 悔い改めと謙遜 』 です

【ルカの福音書15章1-10節】

さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。

すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」

そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。

「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。

見つけたら、大喜びでその羊をかついで、

帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。

あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。

また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。

見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。

あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」


この世に罪人が存在しなかったならば、イエス様が人となってこの世に来られ、人の罪のために十字架にかかる必要はなかったと思います。


『義人はいない。ひとりもいない。』 これが全人類の姿です。


すべての人が罪の下にあるので、神のひとり子イエス様が罪人を救うために来て下さいました。

それが一番の目的でした。



しかし律法を誰よりも知っている者たちと、律法を守ろうと一番努力している者たちが、罪人と一緒にいるイエス様を見て非難しました。


彼らは自分たちの信仰と行動だけが正しいと思っていた人たちで、自ら満足していました。


自分たち以外の者たちは「罪人」で、自分たちは「義人」と思っていました。

ですから人に対しても愛がなく高慢でした。


イエス様も弟子たちも福音を伝えた時、まず語ったことばが『悔い改めなさい』でした。




そのことばに誰が一番反応したでしょうか?

自分を罪人だと思っている人たちでした。


パリサイ人や律法学者は、その話を聞いても 自分たちは悔い改める必要がないと思っていました。

罪のない義人と思っていたからです。


水のバプテスマを授けていたヨハネの所に大勢のパリサイ人やサドカイ人がバプテスマを受けるために来ました。

しかし歓迎されず、反対に非難されました。


なぜでしょうか。

その理由も彼らが悔い改めなかったからです。



【マタイの福音書3章5-8節】

さて、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々がヨハネのところへ出て行き、

自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。

しかし、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けに来るのを見たとき、ヨハネは彼らに言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。

それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。


主は高慢で自分を義人だと思っている人と交わることを喜びません。


主が喜んで交わりをする人は、自分を罪人と思い、罪の赦しを求め、悔い改めて主の所に来る人です。



失われた羊のたとえで、悔い改める必要がないと思っている人たちはパリサイ人でしたが、実際は誰よりも悔い改める必要があるのは彼らでした。

高慢であるから自分たちは正しく、間違いもなく、聖書もよく読み、祈りもよくするので、自分に対して満足していました。


主はそういう者よりも、悔い改める一人の罪人を喜びます。


悔い改める必要のない者は、この世に一人もいません。



悔い改める必要がなかった方はイエス様一人だけでした。

罪がなかったからです。


『私は罪人です。私は汚れた者で、取るに足りない者です。』と神の前に罪を認め、悔い改める者に、主は赦しと恵みを注ぎます。


すべての人間は罪人ですが、イエス様の前に立つ時には二種類の罪人が立ちます。

悔い改める罪人と悔い改めを拒否する罪人が立ちます。


悔い改めを拒否する人は、自分には悔い改めるものがないと思っている人、すなわち高慢な者です。








一度悔い改めたから、悔い改める必要がないですか?

そうではないです。


基本的な罪の赦しは受けましたが、毎日犯す罪は悔い改めないといけないです。


悔い改めたから安心だと油断してはならないです。

その間に罪は成長していきます。


『私の罪がイエス様によって赦されたけど、日々の罪は悔い改めよう』と思う心が謙遜な心です。



【第1ペテロ5章5-11節】

同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。

ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。

あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。

あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。

どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。


謙遜な人は神の恵みなしには生きていけないから神に頼って生きています。


自分の罪、弱さ、足りなさを知って、しもべになって神の御手の下にへりくだります。


高慢な人は獅子の口にはおいしいものなので、悪魔が飲み込もうとします。

高慢は悪魔の好物です。



目を覚まして油断せずにいることは、いつも罪を警戒し、罪を見つけたならば、悔い改めて神の赦しを求めることであり、いつも謙遜の衣を身に着けていることです。


お互いを判断するのではなく、いつも自分自身を点検することです。


幸いな人の姿です。

ヘリくだる者に神の恵みがあります。



【ローマ4章8節】

主が罪を認めない人は幸いである。」


悔い改めと謙遜は信仰生活にとても重要です。


アーメン (・∀・)


2022.7.17
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聖霊によるザカリヤの預言

テーマは 『 聖霊によるザカリヤの預言 』 です

【ルカの福音書1章67-79節】

さて父ザカリヤは、聖霊に満たされて、預言して言った。

「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主はその民を顧みて、贖いをなし、

救いの角を、われらのために、しもべダビデの家に立てられた。

古くから、その聖なる預言者たちの口を通して、主が話してくださったとおりに。

この救いはわれらの敵からの、すべてわれらを憎む者の手からの救いである。

主はわれらの父祖たちにあわれみを施し、その聖なる契約を、

われらの父アブラハムに誓われた誓いを覚えて、

われらを敵の手から救い出し、われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。

幼子よ。あなたもまた、いと高き方の預言者と呼ばれよう。主の御前に先立って行き、その道を備え、

神の民に、罪の赦しによる救いの知識を与えるためである。

これはわれらの神の深いあわれみによる。そのあわれみにより、日の出がいと高き所からわれらを訪れ、

暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。」


長い時を経て、神の救いの計画が現実のものになったことを 神は様々な形で伝え始めました。

知らせないと誰も気付かないからです。


人間は現実のことには関心があっても 霊的なこと、特に神の計画などには関心がないので、神はそれを知らせる必要がありました。

神はマリヤやヨセフに神の子が生まれることを、ガブリエル天使を遣わして知らせました。


バプテスマのヨハネの母エリザベスにも知らせ、ヨハネの父である祭司ザカリヤには聖霊がメシアである主イエス・キリストと主の道を備えるヨハネに対しても具体的に預言しました。

その後にシメオンという人が聖霊に満たされて預言しました。


これらのことを見ても イエス・キリストが、神に遣わされた神の子メシアであることがはっきりしました。



誰かに対してこれほどまで長い間 誕生が預言された人物がいたでしょうか?

イエス・キリスト以外にはいないです。


ザカリヤは聖霊によって預言したので、内容は神からのものです。

新約最初の預言でした。


神はご自身が立てた契約を覚えておられ、それを真実に成し遂げる方です。

ですからメシアの到来があることを預言しました。



また 過去イスラエルを敵から救い出して下さった神のことを知るユダヤ人は、メシアが来ることを長い間待ち望んでいました。


しかし 神はユダヤ人だけのためにメシアを遣わされるのではなく、サタンと罪の力から人類を解放するという救いの計画を持っていました。


そして時至ってメシアが世に来られました。


また神はアブラハムに誓ったことを覚えていて、それを実行しました。


【創世記22章15-18節】

それから主の使いは、再び天からアブラハムを呼んで、

仰せられた。「これは主の御告げである。わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、

わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。

あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」


メシアによって人々が受ける祝福も語って下さいました。


その祝福とは、『私たちを憎むすべての者の手からの救い、私たちの敵の手からの救い、罪の赦しによる救い、そして主の前で敬虔に、正しく生きる祝福、主の憐れみを受ける祝福』 などです。


暗闇と死の陰にいる者たちは光であるキリストによって光の道、平和の道を歩むことが出来ます。

キリストを受け入れ、キリストの中にとどまり、キリストと共に歩む人がこの祝福を受けます。


頭だけでの信仰、口先だけでの信仰では受けることが出来ないです。



長い間、主の救いを待ち望んでいたシメオンも 聖霊によって幼子イエスを見た時に預言しました。


【ルカの福音書2章29-32節】

「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。

私の目があなたの御救いを見たからです。

御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、

異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」


人を愛し、人のために御子キリストを遣わして下さった神の深い愛を拒む人は どんな理由があるでしょうか。


神の愛を受け入れる人になりましょう。


アーメン (。・ω・)ノ゙


2021.12.19
クリスマス礼拝メッセージ

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失ったたましいを捜す神様

テーマは 『 失ったたましいを捜す神様 』 です

【ルカの福音書15章11-32節】

またこう話された。「ある人に息子がふたりあった。

弟が父に、『お父さん。私に財産の分け前を下さい』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。

それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。

何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。

それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。

彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。

しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。

立って、父のところに行って、こう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。

もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』

こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。

息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』

ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。

そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。

この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。

ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。

それで、しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、

しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、お父さんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』

すると、兄はおこって、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。

しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。

それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』

父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。

だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」


この話はイエス様がたとえ話として語りました。

人々に何かを教えるためでした。


それは10節にあります。

『あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。』


みんなは「放蕩息子は弟」だと思いますが、神の目には 兄も放蕩息子です。

弟と兄の生き方を見ると、弟は誰が見ても放蕩息子ですが、兄はとてもまじめな生き方をしていたので、放蕩息子と思う人はいませんでした。


しかし彼の心の中を見ると、神から遠く離れていたので神の目には放蕩息子の姿でした。



弟は財産をもらって家族から離れて遠くに行き、自由気ままに生きて すべての財産も使い果たし貧困に陥りました。


どん底に落ちた時に初めて自分の罪に気付き、父の愛と恵みを思い出しました。

すべてを失った後に初めて悟ることがきました。


悟りがなかった時は獣のような状態でした。


【詩篇49編20節】

人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅びうせる獣に等しい。







自分が罪人である悟りがないと、悔い改めることは出来ないです。

そして神の恵みも悟ることが出来ないです。


幸い弟は 人生のどん底で悟ることが出来、悔い改めて父の所に帰ることが出来たので、父は彼を受け入れました。

そこで改めて父の深い愛を知ることが出来ました。



どん底で頼る所もない時に、神を求める人は生きることが出来ます。


神がその人を受け入れて下さるからです。

お父さんは帰って来た息子を叱ったのではなく、とても喜んで下さいました。


なぜなら『死んでいたのに生き返り、いなくなったのに見つかったのだから」という思いがあったからです。

本当に死んだわけではないです。



しかし神から離れて自堕落な生活をする者は、主の目には死んだ者です。


そのような者が悔い改めて立ち返ったのに、神が喜ばないはずがないです。

主が赦せない罪はないです。






兄はどのような人を指しているでしょうか?


パリサイ人や律法学者の姿です。

律法に熱心でありますが、律法の根本である愛といのちを捨てて形式だけを重んじる宗教行為だけをして満足していた人たちでした。


父のそばにいながらも、父の心はまったく知りませんでした。

不平不満が多い者でした。


彼らはイエス様が罪人たちと一緒にいるのを見て非難しました。

父が弟を歓迎したことで腹を立てて父を非難したように。



もし私たちの中で、自分がやったことを誇りながら 良くしてくれない神に文句を言うならば、兄のような人です。

この人に必要なものは何でしょうか。


悔い改めです。


神の恵みを未だに悟っていない人であり、自分が罪人であることの自覚も足りないです。

罪の自覚は、どんな善行よりも有益です。


罪を自覚して悔い改めない限り、罪の赦しを受けることはないです。



神はとても大きな愛と広い心を持っていらっしゃる方です。


罪人が立ち返ることを、首を長くして待っておられる方です。

帰って来る者を喜んで迎えて下さいます。



私たちの姿が兄弟の中にあるかも知れません。

悔い改めることを主は望んでいます。


アーメン (・∀・)つ


2021.11.14
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なぜ悔い改めが必要なのか

テーマは 『 なぜ悔い改めが必要なのか 』 です

【ルカの福音書3章3-9節】

そこでヨハネは、ヨルダン川のほとりのすべての地方に行って、罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマを説いた。

そのことは預言者イザヤのことばの書に書いてあるとおりである。「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。

すべての谷はうずめられ、すべての山と丘とは低くされ、曲がった所はまっすぐになり、でこぼこ道は平らになる。

こうして、あらゆる人が、神の救いを見るようになる。』」

それで、ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群衆に言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。

それならそれで、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの父はアブラハムだ』などと心の中で言い始めてはいけません。よく言っておくが、神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。

斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」


イエス・キリストが公の活動を始める前に遣わされた人物が バプテスマのヨハネでした。


彼が来ることはイザヤ預言者によって、ヨハネが生まれる700年前に預言されました。



【イザヤ書40章3-5節】

荒野に呼ばわる者の声がする。「主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。

すべての谷は埋め立てられ、すべての山や丘は低くなる。盛り上がった地は平地に、険しい地は平野となる。

このようにして、主の栄光が現されると、すべての者が共にこれを見る。主の御口が語られたからだ。」


ヨハネが生まれるまでの400年間は 預言者もなく、主からのことばもありませんでした。

空白の時間の後に 神はヨハネを遣わして、メシアである主の道を用意させました。


悔い改めてメシアを信じる心の準備をさせていました。



ヨハネが口を開いて語った最初のメッセージは『悔い改めと天国』でした。

悔い改めのメッセージは、当時のイスラエルの人々に一番必要なメッセージでした。


なぜなら彼らの宗教生活は偽善的、形式的だったからです。

メッセージの中心は常に『悔い改めなさい。天の御国が近づいた。』でした。



悔い改めにとって一番優先されることは、自分の罪に気付くことです。


罪によって私たちの心は汚れた心、荒れ地、いばらの心になっていました。

谷や山、丘、曲がった所、でこぼこ道などはすべて人間の心の状態です。


高慢な心、とがった性格、罪によって邪悪になった心では救われることが出来ないので、まず悔い改めて罪から離れて主に立ち返らないといけないです。


長いキリスト教歴史の中で すべての霊的覚醒、リバイバルは悔い改めから始まりました。

悔い改めは罪赦されるための条件です。



【マルコの福音書1章4節】

バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪の赦しのための悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。


【使徒の働き2章38節】

そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。


【使徒の働き19章4節】

そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです」と言った。


ヨハネのメッセージは 悔い改めと天国に焦点を合わせていたので、とても強力で印象的でした。


ですから偽善的な宗教指導者たちの偽善を憎みました。

それでその人たちには『まむしのすえたち。』と言いました。



悔い改めることもなく、儀式的な宗教生活では天国に入ることは出来ないです。

天国どころか 神のさばきに会います。


悔い改めは、ただ口と心だけで済むものではなく、悔い改めにふさわしい実を結ばないと意味がないです。

行いがないと実が結ばれることはないです。



【マタイの福音書21章43節】

だから、わたしはあなたがたに言います。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。


【使徒の働き26章20節】

ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤの全地方に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えて来たのです。


自分の罪を自覚して神の前で罪を悔い改めるならば 罪赦され、御国の民になり、天国に入れますが、悔い改めることもなく、罪を持ったままでは神のさばきに会い、地獄へ行くしかないです。


これは神からのことばであって、人間のことばではないです。


アーメン (´;ω;`)


2021.10.24
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九人はどこにいるのか

テーマは 『 九人はどこにいるのか 』 です

【ルカの福音書17章12-19節】

ある村に入ると、十人のツァラアトに冒された人がイエスに出会った。彼らは遠く離れた所に立って、

声を張り上げて、「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください」と言った。

イエスはこれを見て言われた。「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。」彼らは行く途中できよめられた。

そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、

イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であった。

そこでイエスは言われた。「十人きよめられたのではないか。九人はどこにいるのか。

神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」

それからその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。」


イエス様は10人が大喜びしながら感謝するために戻って来ると期待したと思います。


死ぬまで治ることのない らい病が癒されたから当たり前のように感謝すると思うのが正常ですね。


しかし戻って来たのはたった1人でした。

それも そのひとりはサマリヤ人で、ユダヤ人9人は誰ひとり戻って来ませんでした。



主と共にいたユダヤ人たちも、サマリヤ人の前で恥ずかしかったと思います。

主は病人を癒して良いことをしたのに、主が味わった思いは失望と悲しみでした。


『私ならば絶対そんなことはしない。主の所に戻って来て感謝します。』と、みんなは言うでしょう。


それが本当のことならば良いですが、残念ながら今もあまり変わらないです。



10人のらい病人は恵みを求めた時は必死になって『イエス様、どうぞあわれんで下さい。」と声を張り上げて叫んだのに、癒された後には なぜ感謝のことば一つ言えなかったでしょうか?


感謝は神の恵みを悟った者だけが出来るからです。


クリスチャンの中にも恵みを悟っていない者が多いです。


求める時も、まるで神が自分に借りがあるかのように、また自分が何かを神に預けたかのように要求して、与えられると「当たり前」と思い、感謝しないです。

これほど情けないことはないです。



牧師の立場としても一番辛くて悲しいことは、たくさん愛し、世話をし、助けた人から感謝どころか悪口を言われ、裏切られた時です。

その人たちは感謝がなく 要求や願いが多く、自分の思い通りにならないと全部牧師のせいにして悪口を言います。


神にも文句、教会や牧師にも文句を言います。

これが一番辛いといつも思います。






感謝は次の恵みを生み出す種です。

感謝が蒔かれると、そこからまた感謝出来ることが生まれます。


主に感謝したサマリヤ人はその信仰を誉められました。

彼の感謝を、主は信仰の行動として認めました。


感謝しなかった9人は不信仰の者でした。


また感謝は恵みを受けた時に、すぐにすることです。
神や人々と感謝のことを分かち合うことです。



良いことがあった時に、どのようにしていますか?

良い例があります。


放蕩息子が悔い改めて父の所に帰って来た時に、父はしもべたちに言いました。

『肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。』と言って、喜びをみんなと分かち合いました。


感謝なことを隠し、感謝することを惜しんではいけないです。


人から良くしてもらった時は常識のない人に思われるのが嫌なので すぐにお礼のことばを言いますが、神に対してはそれが出来ていない人たちがいます。



神様から良い恵みを受けたら、感謝を表すために、主に感謝献金をささげていますか?


その度に感謝献金をささげて主に感謝の気持ちを表す人もいれば、ある人たちは何もなかったかのように何もしないです。

神はすべてを見ています。


「感謝すべき事なのに、どうして何もしないのか?」と私が思う時がありますが、果たしてその人に恵みを与えた神はどう思うでしょうか?


いつかまとめて感謝しようと思っているのか、それとも感謝のことばだけで良いでしょうと思っているのでしょうか?



感謝は、分かち合う時に 本物の感謝になります。


肉のものだけに関心があると、いつか主を裏切ります。

弟子たちも霊的恵みを悟っていない時、主が十字架にかかった時、みんなが逃げて行きました。


ユダヤ人は未だに主の恵みを悟っていないし、感謝もしないです。

ユダヤ人は全世界で誰よりも先に主に選ばれ、メシヤも自分たちのところに来たのに、感謝どころか十字架につけて殺しました。



感謝しない彼らを見て、神は福音の恵みをユダヤ人から異邦人に移しました。


彼らはその後にとても厳しい道をずっと歩んでいます。

恵みを忘れ、感謝もせず裏切る者になると、福音と恵みのチャンスを逃してしまいます。



主の食卓から落ちるパンくずの恵みにも感謝する者になれば、大きなパンの恵みが来ます。


悪い時代の特徴は感謝しない者が多くなります。

悪者の特徴も感謝を知らないです。


しかし神を愛し、神の恵みを知っている者の特徴は、すべてのことについて感謝します。

絶えず神に感謝をささげます。


【エペソ5章20節】

いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。

【詩篇116編17節】

私はあなたに感謝のいけにえをささげ、主の御名を呼び求めます。

アーメン (・∀・)


2021.8.15
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名が天に記されている喜び

テーマは 『 名が天に記されている喜び 』 です

【ルカの福音書10章17-20節】

さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」

イエスは言われた。「わたしが見ていると、サタンが、いなずまのように天から落ちました。

確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。

だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」


イエス様は70人の弟子たちに力を授け、彼らに福音を伝える任務を与えて遣わしました。

そして弟子たちはその力によって素晴らしい働きをし、帰ってきて喜びながら主に報告しました。


悪霊どもさえ服従することを見て、彼らは相当喜んだと思います。

私たちが出て行ってその働きをしても、同じように興奮して誰かにそれを伝えたと思います。


しかし主は、その喜びよりも さらに喜ぶべきものがあると言われました。

「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」



主のことばのように私たちが一番喜ばないといけないことは、いのちの書に自分の名が書き記されていることです。


いのちの書に名が書き記される人は、小羊であるイエス・キリストを通して救われた神の民です。


悔い改めと信仰によって救われ、最後まで信仰を守った人がいのちの書に名が書き記されます。





いのちの書、行いの書、真理の書




天には数々の書物があると聖書に書かれていますが、代表的な書物は三つあります。

いのちの書、行いの書、そして真理の書です。


【ダニエル書10章21節】

しかし、真理の書に書かれていることを、あなたに知らせよう。


真理の書には歴史における神の計画が記されていると思われます。



【ヨハネの黙示録20章12節】

また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。


いのちの書に名の記されている人は、神のさばきに会うことがありません。

その者は神の国で永遠に生きることが許されますが、いのちの書に名の記されていない人は永遠の地獄に行きます。


【ヨハネの黙示録20章14-15節】

それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。

いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。


聖書には、いのちの書に関して難解な部分もあります。


いのちの書に記された名が消されることもあるのか? と。

ある人たちは「ある」と言いますし、ある人たちは「絶対ない」と言います。


聖書のある箇所を読むと、消されることがあるように思われますし、ある部分を読むとそんなことはないように思われるからです。



どの人間も聖書のことばを完璧に理解することは出来ないです。

理解出来る部分と、出来ない部分があります。


救いは “神の恵み” であり、私たちに救われる資格があったから救われたのではないです。


行いではなく信仰によって救いを受けます。


ですから罪を犯したから救いが消されることはないと思います。

罪を犯した後でも悔い改めるならば罪が赦されます。







しかし、私たちが信仰によって救われたのに、その信仰を自ら捨てるならば話は違うと思います。


信じた者が堕落して、神への信仰を捨て、他の神々を信じるならば、それでもその者は天国に行けるでしょうか?

不信仰になって あらゆる悪を行う者に対して、神はその名をいのちの書にそのまま記しているでしょうか?


公義を行う神にそれは出来ないと思います。



本当に救われた人なら、神への信仰を捨てることは出来ないです。


しかし、信仰よりも “宗教をやって形式的” になっている人は 救われてもいないのに、「自分は救われた」と勘違いしていると思います。


次の聖書の箇所を深く考えてみて下さい。

消されることは絶対ないと思うより、消されることがあるかも知れないから、そうならないように信仰によって生きる者になりましょう。



【出エジプト記32章32-33節】

今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら──。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」

すると主はモーセに仰せられた。「わたしに罪を犯した者はだれであれ、わたしの書物から消し去ろう。


【詩篇69章28節】

彼らがいのちの書から消し去られ、正しい者と並べて、書きしるされることがありませんように。


【イザヤ書4章3節】

シオンに残された者、エルサレムに残った者は、聖と呼ばれるようになる。みなエルサレムでいのちの書にしるされた者である。


【ダニエル書12章1-2節】

その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかし、その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。

地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。


【ヨハネの黙示録3章5節】

勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す。


ヨハネの黙示録の中にはいのちの書に対して書かれた箇所が色々あります。


【ヨハネの黙示録13章8節】

地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。


【ヨハネの黙示録17章8節】

あなたの見た獣は、昔いたが、今はいません。しかし、やがて底知れぬ所から上って来ます。そして彼は、ついには滅びます。地上に住む者たちで、世の初めからいのちの書に名を書きしるされていない者は、その獣が、昔はいたが、今はおらず、やがて現れるのを見て驚きます。


【ヨハネの黙示録20章12節】

また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。


【ヨハネの黙示録20章15節】

いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。


【ヨハネの黙示録21章27節】

しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行う者は、決して都に入れない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、入ることができる。

いのちの書に名の記されている者は必ず神の国に入るので、それが一番の喜びです。


アーメン v( ̄∇ ̄)v


2021.7.11
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人とは異なる父なる神の思い

テーマは 『 人とは異なる父なる神の思い 』 です

【ルカの福音書15章31-32節】

父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。

だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」

放蕩息子の例えは、聖書の中でも とても有名な例えです。


自分の過ちによって自分の人生をつぶした者が 父のもとに帰って来た時に、父が彼を迎え入れ、赦したので、彼は人生の再出発が出来ました。

もしお父さんが彼を受け入れなかったならば、彼の人生は終わったと思います。


お父さんの愛と赦しがあったので、彼の新しい人生が始まりました。



主によって新しい人生を始めた人物は聖書にたくさん出てきます。




ヨハネの福音書4章




1人の女がいました。

人目を避けて生きている女でした。


乱れた生活によって、すでに5人の男性と結婚し、今一緒にいる男性は夫でもなかったです。

人との付き合いも出来ないような罪深い人生を生きていました。


彼女の過去を知っているイエス様は、わざわざ彼女に声をかけ、彼女が新しい人生を生きるように希望を与えて下さいました。

彼女の人生はそこから大きく変わりました。




ヨハネの福音書8章




姦淫の場で捕らえられた1人の女が、イエス様の所に連れて来られました。


連れて来られた人たちは律法通りに女を殺すことを決めていました。

しかし それだけではなく、イエス様を告白する理由を得ようと わざわざ連れて来て、イエス様を試みました。


女は死を覚悟した絶望の状態でした。

生きる希望はまったくありませんでした。


死刑に当たる罪を犯したからです。



しかし 死と絶望から女を救ったのは、イエス様の一言でした。

「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい。」


その言葉で女に石を投げる勇気ある者は1人もいませんでした。


みんなが去った後に、主は彼女に「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」と伝えました。



彼女が罪から離れ、新しい人生を生きたことは言うまでもないと思います。




ルカの福音書19章




民からの評判も悪く、罪人のレッテルが張られたザアカイという人物が出てきます。


彼は不正を働いて富を得た取税人のかしらでした。

どんなに金持ちであっても人々から除け者にされ、神の前でも罪人でした。


しかし彼の人生を新しく変えたのもイエス様でした。


その人を救った主のことばは「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」



このように、主が救ったのは 失われた人々、絶望や罪、死の陰を歩いていた人々でした。


彼らの過去の罪や過ちに目を留めず、彼らの未来に関心を寄せました。

そして何度も何度もチャンスを与える方です。



「あなたの過ちや罪によって あなたの人生が終わったかのように見えても、絶望したり、挫折してはならない。わたしの手をつかんで立ち上がりなさい。」と、今日も主は言われます。


【マタイの福音書11章28節】

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

アーメン (*´∇`*)


2020.10.25
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誰を赦そうとしたのか

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【ルカの福音書23章33-34節】

「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。

そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。

イエス様が十字架にかかった場面を想像して下さい。


小高い丘には十字架が三本ありました。

二人の犯罪人とイエス様です。


大勢の人々がその光景を見に集まっていました。

悲しみながらその死を見守っているのではなく、自分たちの勝利に歓声をあげている者たちがほとんどでした。


彼らは総督ピラトの所にイエスを連れて行き、「十字架だ。十字架につけろ。」と叫び続けていたので、自分たちの願い通りになったことで喜び、勝利に酔っていました。


そして指導者たちは嘲笑って、「あれは他人を救った。もし神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」と言いました。


他にも「ユダヤ人の王なら、自分を救え。」「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え。」と嘲笑いました。



あらゆる声が聞こえましたが、それにイエス様は一切反応することなく祈りました。

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」


これは誰のために祈ったでしょうか?


自分に罪をかぶせたパリサイ人や宗教指導者たちですか。

自分に死刑判決を下したピラトですか。

鞭打って十字架につけたローマの兵士たちですか。

自分を裏切って逃げた弟子たちですか。

恩知らずの群衆ですか。


イエス様が父に赦して下さいとお願いした人々は、自分が何をしているのか分かっていない人たちでした。


すなわち、自分が神の子を殺していることを知らない人たち、
律法を守り 正義と公義を行わなければならないのに 自分たちの既得権と貪欲な心でそれを捨てた者たち、
自分たちの罪のために十字架にかかって血を流していることを知らない者たち、
偏見をもって誤った判断をした者たち、
神に敵対しているすべての者たちのために、イエス様は父なる神に赦しを祈りました。



苦しみの中で自分のために祈るのが当たり前なのに、また人々を呪っても仕方ないような状況の中で、イエス様は自分が何をしているのか分からない人々のために 父に祈っていました。



主の愛と赦し、犠牲、忍耐は十字架の上での祈りにすべて現れました。


これでもキリストを嘲笑いますか。

拒みますか。


「キリストの十字架は、私とは何の関係もない」と言いますか。


【第1ペテロ2章22-24節】

キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。

ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。

そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

アーメン ヽ(TдT)ノ


2020.9.13
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ザアカイの救い

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【ルカの福音書19章1-10節】

それからイエスは、エリコに入って、町をお通りになった。

ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。

彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。

それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。

イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」

ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。

これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた」と言ってつぶやいた。

ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」

イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。

人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」


単純にザアカイが救われたことだけを考えるならば、特別なことではないですね。

ザアカイという人物が見せたような行動は、すでに救われた人たちの中でも まれです。


彼が見せた行動に対して、すでに救われた人たちは、自分と比較しながらよく考えないといけないです。


イエス様について来た多くの人々は、イエス様のことばとザアカイを見て誤解し、非難しました。

そしてつぶやきました。


ザアカイに対する敵対心、妬み、差別があったと思います。


そして人々のゆがんだ目はイエス様にも向けられました。

「罪人の所に行って客となられた。」と言いました。



ザアカイが金持ちであるから客となられたと勝手に思う人たちもいたと思います。


彼らはつぶやきましたが、何に対してつぶやいたでしょうか。

つぶやく点は一つもなく、むしろ一人の魂が救われたことで喜ばないといけないのに、それが出来なかったですね。


救いは、自分たちのように罪人ではない人が受けるべきだと思っていたでしょう。


ですからイエス様は「人の子は失われた人を捜して救うために来たのです。」と、はっきり主が来られた目的を語りました。



イエス様はその通りにザアカイを見つけて救い、ザアカイは自分が罪人であるので、主に対して関心があり、主を切に求めていました。


そしてすぐに受け入れ、献身し、自分の罪から主に立ち返り、悔い改めにふさわしい実を結びました。


主に会った瞬間に価値観が変わってしまいました。

心が変わったので、語ることばも変わりました。


救いは過去の出来事ではなく、常に現在形でないといけないです。

今が救いの時、今が恵みの状態でなければならないです。



今も自分は主に対してザアカイほどの関心がありますか?


主に会いたいと熱望していますか?

大喜びで主を迎えていますか?主に献身していますか?


悔い改めにふさわしい実を結んでいますか?

なまぬるい状態で安心して大丈夫でしょうか。



主は何もかも知っておわれます。

私たちの状態を。


その救い、大丈夫でしょうか。


アーメン ヽ(TдT)ノ

2020.8.30
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